「はいメリー、コーヒーとケーキ」
「ありがと、蓮子」
「まったく、このカフェも配膳用ポーターぐらい導入すればいいのに」
「この大学に、そんなお金あるわけ無いでしょ」
蓮子とわたしは、大学のカフェテラスで夏の新作ケーキに舌鼓を打っていた。
「フフン?」
蓮子が出し抜けに鼻で笑う。
「何よ、蓮子」
「いやあ、興味本位でこのケーキの物歴史を見てたんだけどさ」
ちょいちょい、と皿の上のレモン・ケーキを指差す。
「この合成レモン、サハラ産だってさ。ギラギラした太陽、焼け焦げた砂。そりゃあこんなに赤くなるわけだ。
……もっとも、今のサハラは色とりどりのチューリップ畑と食品工場の集積地だし、レモンだって天然物は真っ黄色してるって話だけど」
「……蓮子」
わたしはジト目をしたまま、コーヒーをちびりちびりとやっている。
「ものを食べてる時にネットはやめてって、いつも言ってるじゃない」
「へいへい」
蓮子は軽く受け流すと、虫でも追い払うように顔の前で手を振った。
仮想現実のウィンドウ群をクリーンアップする際の、一般的な仕草だ。
「相変わらずオールド・ファッションなことで、ミス?」
「わたしは単に、何かを『ながら』でこなすのがもったいないと思うだけよ。ネットを見る時は見る。食べる時は食べる。
メリハリつけないと、気がついたら終わってる、なんてことになりかねないわ。それって、とっても損してることにならない?
それに、ものを食べるときには誰にも邪魔されず、なんというか、救われてなきゃ駄目なの。
一人で、静かで、孤独で……」
熱弁を振るうわたしを前に、蓮子は神妙そうな顔でウンウンとうなずいていた。
でもそのうなずき頻度は、まじめに聞いてるにしては明らかに多い。聞き流しているのがバレバレだ。
蓮子の瞳がぎょろりと動いたのは、わたしの演説が脱線に脱線を重ね、コンビニのスイーツ批判にまで及んだ時だった。
「……お?」
「――だから、ティラミスの販売をやめたセ○ンはクソだって……ちょっと蓮子、聞いてる?」
蓮子は答えずに、空中で何かを掴む仕草をすると、それを眼の高さまで持ってきた。
続いて人差し指を伸ばすと、虚空に向かって指の腹を押し付ける。
数十年前にこんなことを公衆の面前でやっていれば、精神疾患扱いされて病院に打ち込まれるのがオチだろうな、とその光景を見ながら私は思った。
今では誰も気にしない。昔の狂気が、今の日常だ。
「市街地で、核爆発。テロだって」
さらりと、蓮子が言う。
「え?どこに?」
「メガネかけてみ。今、アドレス送るから」
瞳をぐるぐると動かしながら、蓮子は言った。焦点の合わないまま宙空のあちこちに視線を向ける姿は、ぱっと見は麻薬中毒者のそれそのものだ。
わたしが鞄の中をゴソゴソと探している間に、蓮子が淡々と情報を伝えていく。
「テロがあったのは8分32……35秒前。場所はオデッサね。オデッサがどこにある街か知ってる、メリー?」
「クリミア半島から西へ行ったところ、黒海に面した港湾都市ね」
「詳しいわね、さっすが地理マスター」
「お生憎。受験で使ったのは世界史と倫理よ。最近見たアニメに出てきたのよ、オデッサ」
「そりゃいい、広島や長崎だって出てきたんでしょうね。ついでにチェルノブイリも。……で、なんでまたこんな所にリトルボーイが。バカンスの最中かしら?」
「いいわね。休暇旅行中に咲かせる一夜限りの恋の花。旅の恥はかき捨て、ってね。……理由なんて。民族。宗教。経済格差。バイキング方式でどうぞってなもんよ」
「全部のせで」
「かもね」
私はようやくメガネの発掘に成功した。掛けて、蓮子からのメッセージを受信。添付されたアドレスにアクセス。
動画は複数の視点から撮影された映像をプログラムが機械的にひとまとめにした物のようだった。
始めは市内上空を巡回する無人ヘリの映像。
黒塗りのバンが軍の管理区域に向かって突っ込んでいく。警備隊の発砲を無視し、バリケードを突破して、手近な施設に激突した。
瞬間、閃光。映像はホワイトアウト。
次の映像は隣の市に住む男性が撮ったものだ。
屋根越しに、人々の生活の向こうに浮かび上がるきのこ雲。周囲の喧騒。撮影している男性自身のくぐもった声。すすり泣いているのか、映像は小刻みに震えている。
動画自体はまだまだ続いていたが、わたしは見るのをやめた。代わりに、関連情報を探し始める。
「死者・行方不明者、およそ8万人。負傷者は現在約20万人……ね。どこまで増えるかしら」
蓮子の口調は、一緒に借りた映画を見ている時のそれと同じだった。
残り30分。卑劣な敵の攻撃に、主人公は断固たる報復へと打って出る。
ねえメリー、この人絶対途中で死ぬと思うの。どう見てもやられ役って感じだし。ほら、唐突に自分語りとかし始めた。死亡フラグの立ち方が露骨よねえ。
正直、わたしも同感だった。
いくら動画内で叫ぼうと、わたしには熱線の熱さは伝わらない。
いくらネット上で悲惨さをまくしたてても、わたしは人の肉が焦げる匂いを感じない。
わたしは冷房の効いた快適な室内に座り、コーヒーを飲み、ケーキを食べ、相棒とだべりながらこの悲惨な事件について情報をあさり、動画を鑑賞しているのだ。
そこに、現実はない。ネットの向こう側で今現実に起こっていることだという切迫感を、わたしたちは持ち合わせない。
この悲劇は、わたしたちにとって娯楽でしかないのだ。オデッサの街に住む人々など5分前には存在しなかった、わたしたちの世界では。
「あっ!」
蓮子の声が、突然緊迫感を帯びたものに変わった。
「どうしたの?」
「外出警報が出てる。突然の夕立で黒い雨が降るおそれがある、だって」
「やあねえ」
「ほんとだよ、バイトあるっていうのに……。店長に連絡しないと。あーあ、今日休みにしてくんないかなあ」
蓮子はぶつぶつと呟きながら席を立った。バイト先に連絡するようだ。
わたしはメガネを外した。関連情報は爆発的な勢いで増え続けているが、もうわたしはそれに対する興味を失っていた。
わたしはぼんやりと窓の外を見た。たしかにどんよりとした雲がかかっていて、今にも雨が振りそうだ。
黒い雨。ジェット気流で運ばれる放射性物質。
一面に植えられている向日葵が頼りなげに揺れた。
遺伝子操作を受けた彼らの指命は、地中に入り込んだ放射性物質を吸い上げ、体内に固着させて枯れること。
土壌の汚染を食い止める掃除人だ。
ぼんやりとした時間の中で、ふとわたしは考えた。
さっきのニュース。もし、爆発で巻き上げられた被害者の一部が、もうここまで来ているとしたら。
これから降る雨で、彼らに会えるかもしれない。ネット上の悲劇でしかない、あの事件の当事者に。
そう考えると、とたんにわくわくしてきた。画面の中の登場人物が現実の自分の世界に入ってきて、直に目にすることの出来る驚き。
アイドルと握手するために長蛇の列を作る人々は、こんな心境なのだろうか。
「やっすみー、とっれたー♪」
だぶるぴーすしながら、ノリノリで蓮子が戻ってくる。
「おめでと」
しゃべりながら、ケーキ最後の一口を頬張った。
結局じっくりと味わう暇がなかったな、と少し後悔する。
まあ、いいか。
明日、もう一回食べればいいのだ。
「うわ、ほんとに降ってきた―」
蓮子の声に、わたしは再び窓の方を向く。
黒い雨に打たれる向日葵は、雲の切れ間から差し込む夕日で血に塗れているようにも見えた。
しかも連子が割と実際にいそうな性格してて、それが呆れと驚愕と恐怖を実感させるのがまた。伊達のホラーより背筋が震えますわ……
作者として何らかのフォローがあることを切実に期待します。
まあ日本人以外なら感覚もまた違ってくるのかも
知識がハンパに増えるとわかった気になって想像力の欠如してくるという病は今の日本で流行してるみたいだから
凄く説得力がある 上から目線病というか
ただこれが正常とも思わんけど
共感力が乏しいのは基本阿保だと思うし