鳥居の下に続く石段をつたうように、雨の音が房に連なっている。そこらは雨粒に叩かれてすっかりけぶっているのに、空は不自然に明るい。
傘を差して鳥居の下に長い事立っていたが、ため息をひとつして、踵を返した。
ここの所、神社には参拝客はもちろん単なる来客もない。梅雨の季節に入って、誰もが外に出るのを面倒がっているのであろう。
もちろん、霊夢もその一人であったが、どちらかといえば霊夢自身が普段から外に出ない性質であるから、出かけないのは何ともなくとも、誰も来ないのが不思議と退屈に感ぜられた。
そうやって暇を持て余して、無意味に三杯も四杯もお茶を飲んで、それから境内の中を歩き回ってみたりする。掃除が出来ないので、境内の玉砂利の上には雨によって散らされた、まだ青い木の葉がいくつも散らばっている。
鳥居の下から母屋までの短い道中、霊夢は傘を少しずらして空を見上げた。灰色の、しかし何処か乳白色の混じったような空から雨粒がぼたぼた落ちて来ている。視界は放射状に開けているので、雨粒は中心を空けて、感じようによっては霊夢を避けるように降っているのだが、矢張り額や前髪が濡れた。
ぱちん、と前髪に当たってはじけた雨粒が細かくなって、霊夢の目の中に飛び込んだ。目を閉じて、傘を戻して歩き出す。目がしょぼしょぼして、足元がぼやけて見えた。
○
その倉庫はしばらく開けていなかった。
そこは霊夢にとって苦い思い出のある場所であったが、すでにある程度歳も重ね、分別を持つ少女となった今、思い出一つに足踏みする事はない。
がたがた、と音を立てて木戸を開けると、長い事こもったままの空気が霊夢を包み、開けられたばかりの戸から外へ流れ出していった。古くなった布や紙の匂いがする。行灯を掲げると、奥につづらがいくつも重ねられ、蜘蛛の巣や埃にまみれていた。
霊夢は綺麗好きである。面倒くさがりだが、自分が日々生活する環境は整っていなくては気持ちが悪い。だから暇さえあれば掃除ばかりしている。他にする事がないというのも要因の一つでもある。異変の解決に赴かぬ博麗の巫女は退屈なのである。
水無月も終わり、文月も半ばに近づいてはいたが、梅雨の雲はまだ幻想郷に居座っているらしい、時折気まぐれに青空を覗かしたと思うと、後から流れて来た雲が覆い隠してしまう。
雨が降れば、境内の掃除は出来ない。お茶ばかりの飲むのにも飽いた。そういうわけで、退屈しのぎに倉庫の整理でもしようかと思ったのだが、中を見るだけでもう十分な気持ちになってしまった。
しかし、開けたからにはそういうわけにもいかない。腕まくりをして、埃をはたくところから始めた。
目を細めて、口に巻いた手ぬぐい越しにむせ返りながら埃をはたき落とし、つづらの中身を一つずつ確認していく。大抵は着物であったり、巻物であったり、用途も分からない道具であった。神事などで使われる道具は、別の所に大事に保管されているので、ここには生活用品ばかりがあった。
ふと、つづらを除けた時にその後ろから転がり出たものがあった。霊夢は首を傾げて拾い上げ、ハッとした。
「……やっぱり、ここにあったんだ」
それは銀細工で飾られた小さなオルゴールであった。
指先で埃をぬぐうと、蓋の銀細工が行灯の光できらきらと輝いた。
「……まだ鳴るかな」
霊夢は恐る恐る、蓋に指をかけた。開けたい気持ちはもちろんあったけれど、同時に開けたら音が出なくて、それはひどく寂しい気持ちになるのではないだろうか。そんな思いもあって、蓋に指をかけたきりしばらく固まっていたのだが。
「わたしらしくもない」
そう呟いて、開けた。
ぴん、ぽん、ぱらん、ぽろん。
櫛歯をはじく、透き通った音が、土で塗られた倉庫の壁に当たって、溶けた。
懐かしい音であった。まだあどけない少女だった頃、先代の巫女が居て、修行ばかりしていた幼い日。オルゴールの音は、その幼い霊夢の記憶の風景に、不思議と流れていた。
○
「れいむ! きょうはプレゼントをもってきたぜ!」
突然やって来た魔法使いの見習い少女は、藪から棒にそんな事を言った。その日の修行を終えてお茶をすすっていたが霊夢は、この闖入者に眉をひそめたが、贈り物をやると言われて、それを無下に突っぱねる事はしない。外面は嫌々と、しかし内心は楽しみにしながら、金髪をなびかせる少女の差し出した小さな箱を受け取った。
「なぁに、これ?」
「へへ、あけてみろよ」
霊夢は首を傾げながらも、そっと蓋を開けた。ビックリ箱じゃないかと、少しばかり構えながら。
しかし、出て来たのは蛇の人形ではなく、不思議な、聞いたことのない音であった。
ぴん、ぽん、ぱらん、ぽろん。
静かながら、しっかりとした旋律を奏でるそれに、霊夢はしばし言葉を忘れて聞き入った。夏の風鈴のようで、しかしもっと奥行がある。
「どうだ? きにいっただろ?」
と、金髪の少女は自慢げに胸を張る。
「うん、すてきね。これ、どうしたの?」
「こーりんのとこからもってきた。れいむがよろこぶとおもって」
古道具屋の店主は決して愛想の良い男ではなかったが、冷徹でもない。少女二人が店の中で怪しげなガラクタを漁るのを、ぶつぶつ文句を言いながらも見過ごす程度の器量はあった。
しかし、いくら相手がこの少女とはいえ、店の品物をくれてやるような男ではなかったように思う。吝嗇家の気があるのだ。おそらく、少女が黙って勝手に持って来たのだろう。
「おこられないかしら?」
「だいじょうぶだよ」
少女は二人で並んで、青空に溶けて行くオルゴールの音色に耳を澄ましていた。音はずっと鳴っているように思われたが、ふと勢いが落ちたと思ったら、ゆっくりになって、仕舞には止まってしまった。霊夢は驚いて目を白黒させた。
「こ、こわれちゃった?」
「ううん、これはこうして……」
と、少女が蓋の内側に付いていたねじ回しを取り出して、箱の後ろの穴に刺してきりきりと巻いた。すると、オルゴールは息を吹き返したように再び歌い出した。
「ゼンマイでうごいてるんだ」
「……すごい」
「だいじにしてくれよな」
「うん、ありがとう。でも……」
「でも?」
「どうしてくれるの?」
霊夢が言うと、少女はきょとんとして、それから愉快そうに笑った。
「だって、きょうはれいむとわたしがはじめてあった日だろ?」
○
ありがとう、という風に素直に礼を言わなくなったのはいつ頃からだろう、と霊夢は思った。随分ひねくれて成長したものだ、と柄にもなく自嘲的な笑みが浮かぶ。
これをもらってからは、ずっと肌身離さず持ち歩いていた。寂しくなったり、悲しい事があったりした時は、いつも蓋を開けて音色に耳を澄ました。その音は、霊夢を慰めてくれたのである。
いや、音が慰めてくれたのではない。その向こう側に、ふわりと揺れる金色の髪が見える気がしたのだ。オルゴールの音の向こうで、あの少女が一緒に居てくれるような気がしていたのだ。
だから、先代にひどく怒られて、罰としてこの倉庫に閉じ込められた時も、暗がりでこれの蓋を開けた時には、気分が和らいだ。
しかし、それがいけなかった。暗闇の中、少しでも長く音が鳴るようにと思ったのだろう、途中でゼンマイを巻こうとしたのだが、ねじ回しを落とし、それを手探りで探す拍子に、オルゴールまで落としてしまった。
先代が倉庫から霊夢を出した時、霊夢がいつまでも泣き止まなかったので、先代がやり過ぎたと霊夢に平謝りしていたが、それは暗闇が怖かったのではない、オルゴールと一緒に、あの少女が暗闇の向こうに居なくなってしまった気がしたからだ。
もちろん、後になって少女とは何度も会ったし、そんな不安はなくなったが、倉庫をいくら探しても、オルゴールは出て来なかった。そうしているうちに先代が姿を消し、正式に博麗の巫女となってからは、オルゴールの事も忘れ、倉庫は不要な道具を詰め込むだけ詰め込んで、あとは鍵を閉めたきりになっていた。
もしかして、と霊夢は屈み込み、丁寧に床の埃を払いながら、目を凝らした。
「……あった」
指先でつまみ上げたそれは、小さなねじ回しであった。当然ながら、かつて手にした時よりも随分小さいものに感じる。
小さな頃にあれだけ必死になって探しても見つからなかったものが、こうしてあっけなく見つかる事に、霊夢は嬉しいような拍子抜けしたような、曖昧な気持ちで立ち上がった。
やりかけだが、何となく掃除を続ける気にもなれず、霊夢はオルゴールを持って座敷に戻った。
畳の縁に座って、ぼんやりと外を眺めた。
外には分厚い雲が垂れ下がっているらしい、昼間なのに辺りは暗く、庭木には影もない。雨は降っているが霧は出ておらず、風景全体が変にのっぺりして取り留めがなく、見ているとあくびが出そうであった。
意識するでもなかったが、いつの間にかオルゴールの蓋を開けていて、その音が庇を叩く雨音と混ざっている。
この音の向こうに、幼い霊夢は揺れる金色の長髪を見た。
しかし、成長して見ればどうであろう。確かに、この音で思い出されるのは彼女の姿だが、霊夢の心は落ち着くどころではない、返って不満が募る。
(どうしてるかな、あいつ)
ぱたん、と畳の上に転がった。ごろりと仰向けになって、天井の木目を見つめる。オルゴールの音が続いている。
(ふん、雨が降ってても来る、ってんならさ)
妙に腹が立って、乱暴にオルゴールの蓋を閉めた。起き上って、足早に下駄をつっかけて境内に出た。傘も差さない体に、冷たい雨がざあざあと降り注いだ。
ここに居ない奴の気を引こうだなんて、馬鹿馬鹿しいと我ながら思う。
けれど、こうして濡れて、風邪の一つでも引いてやれば彼女が現れるんじゃないかなどと、実際はあり得ない事を考える。
でも、どうせ来ないだろう。自分の直感がそう告げる。こんな時には、自分の勘の良さが嫌になった。
肩に、背中に、何だか重いものが乗っかっているような気がする。妖怪ではもちろんない。今の自分にのしかかっているものはなんだろう、と思いながら雨の中を歩き回った。
(寂しい、のかな)
霊夢は顔を上げて、重くかぶさった雲を見た。雨粒が顔を濡らし、はじけた飛沫が目に入るが、瞬きをするばかりだ。
空を飛ぶとか無重力とかいうけれど、寂しさは力なんだろうか?
もし力なら、それに縛られるような事はない筈だ。すると、寂しさは外から来る力ではなくて、自分の中にただあるだけのものなんだ。
霊夢はそう考えて、胸を押さえた。ただあるだけのもので、こんなに苦しいなんて。
次第に日が傾いて、辺りが薄暗くなり出したので、霊夢は座敷に戻った。体が濡れたのも忘れて、ぱたりと座敷に寝転がって、外が段々暗くなっていくのをじっと眺めていた。
○
そんな事をしていたら、本当に風邪を引いた。雨に濡れてそのまま寝てしまったのは流石によくなかったらしい。博麗の巫女も形無しである。
別段重い病気ではないが、何をするのも面倒だし、ちょっと歩けばふらふらするし、食欲も戻らない。誰も来ないので、食事の支度や、額に乗せる濡れ手ぬぐいも自分でしなくてはならない。それが霊夢を余計に苛立たせた。
苛立ったのは、自分がこうしなくてはいけないからというのではない。自分が苦しんでいるのに、一向にやって来ない誰かさんに腹が立つのだ。
(実験にでも夢中になってんのかしら。それとも、梅雨時期の変なキノコでも探してるのかしら)
どちらにせよ、来て欲しい時に来ないなんて、と霊夢は思った。
枕元を見る。オルゴールが置いてある。時折開けるが、直ぐに閉めてしまう。音の向こうに彼女が見えるのが、今は堪らなく嫌だった。幻にすがりたくはなかった。
(会いたいな……)
決めた。風邪が治ったら、意味もなく会いに行ってやろう。それで、何も言わずに一回ひっぱたいてやろう。わたしをこんなに苦しめたんだから、それくらい甘んじて受けてもらわなきゃ。霊夢はそんな理不尽な事を考えながら、枕に顔をうずめて、そうしていつの間にか眠ってしまった。
目を覚ますと、縁側から日が差している。濡れた中庭が光を跳ね返してきらきら光っている。長雨の後にやって来た晴れに、庭木も、遠くの桜の木も不思議と嬉しげに見えた。
霊夢は立ち上がって、縁側に出た。
空は真っ青である。雲一つない。地面からはもやが立っていた。日差しは大分強いらしい、庭石はすでに乾いたところも見受けられ、吹き込んでくる温かな風には夏の匂いがする。
(明けたかな)
梅雨はようやくその重い腰を上げたらしかった。じめじめとした空気は一掃され、吹く風は肌に心地よい。
梅雨雲が風邪を連れ去って行ったかのように、霊夢の体は軽くなっていた。頭痛もないし、ひどい倦怠感もない。だが、まだ本調子ではない。歩けば足元は少しふらつく。
布団に戻ろうとした拍子にオルゴールを蹴飛ばした。オルゴールは転がって蓋が開き、静かに歌い出した。
ぴん、ぽん、ぱらん、ぽろん。
閉めようかと思ったけれど、何となく憚られて、そのままにしておいた。聞いて腹が立っていた筈のこの音が、不思議と心地よく感じた。
霊夢は布団に戻って、ぬるくなった濡れ手ぬぐいを絞り直し、仰向けに寝転がった。
蝉の声が聞こえる。合間を縫ってオルゴールが歌っている。
霊夢はじっと黙って目を閉じていたが、ふと玄関の方でした物音にハッと目を開いた。
「おーい霊夢、いないのかー?」
そうか、だから嫌じゃなかったんだ。
「まったく……来て欲しい時には来ないくせに」
と口でだけ悪態をつく。
自分を呼ぶ声と、廊下の板を踏む音がする。オルゴールの音は止んでいた。ゼンマイが切れたらしい。
しかし霊夢はそんな事にはもう気付かない。段々と足音が近づくほどに緩む口元を、布団を引き上げて隠すのに必死だった。
魔理沙を想う霊夢は恋い焦がれる少女みたいで可愛いです。
レイマリ最高!!!
読みながら、自分が失くした物は何処に行ったのか、どうして失くしてしまったのかなんて考えてしまいました。
霊夢を不安にさせた分、魔理沙にはしっかりと埋め合わせをしてもらいたいものです。
原作でも霊夢の心境が段々変化している事を魔理沙が言及していましたが、こういった関係になってくれれば嬉しいな。
魔理沙はもっと霊夢のためにがんばりなされ。
家に一人でいると思考が煮詰まってしまいますから、やはり隣に誰かいて欲しいものです