Coolier - 新生・東方創想話

Laboratory instrument

2014/06/15 22:01:40
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 異国の地で味わう穏やかな香り。窓から差し込む柔らかな日差し。目の前には大切な人。思わず溜息が出る程、素敵な一幕。
 心地良さに胸を膨らませつつ私は蓮子に微笑みを向けた。
「やっぱり本場の紅茶は違うわね」
「いや、それ日本から持ってきた紅茶だけど」
 蓮子がそんな空気をあっさりと壊してしまった。今のこの状況でそんな事を言うなんて夢が無い。物理なんて専攻していたからそうなるのだ。愛を忘れてしまったんだ。
「離れ離れになっていた二人がこうして出会えたのに」
 院を出た蓮子は大学時代から引き続き魔法場の研究を行っている。そして魔法場の測定装置を開発する為に、岡崎先輩の後を追う形でイギリスの王立物理学研究所に所属した。住居はロンドンへと移り、当然日本を出る事になった。私は蓮子を引き止めたかったが、やりたい事に目を輝かせる蓮子を引き止めるなんて出来なくて、結局私と蓮子は空港で別れを告げた。
 蓮子と離れ離れになってからの時間は本当に息苦しいもので、飛行機に乗っている間も焦れったく外へ飛び出したくなる程で、だからこそようやく私と蓮子が再会出来たこの時間がとても素敵な物である筈なのに。
 蓮子の態度は酷く素っ気無い。
 出会った第一声も「何でここに居るの?」だった。何だか歓迎されていないみたいで悲しい。私を歓迎してくれていないなんて事は無いと思うけど、どうして蓮子が素っ気無いのか分からない。もしかしたら飛行機に乗って疲れているか、時差ぼけなのかもしれない。考えてみれば、蓮子が国境を超えたのは随分昔にアメリカと月へ行った時だけで、それからは飛行機にすら乗っていなかったし、あまり慣れていないのかも。
 そうと分かると今度は申し訳無くなる。蓮子が疲れているというのに、未だ荷物すら開けていない部屋に押し入って、こうしてお茶を頂くなんて。こっちだって長い時間蓮子と会えなくなるのが苦しくて仕方無くという理由はあるけれど、やっぱり申し訳無さが先に立つ。
 私と出会えた事で蓮子の疲れが吹き飛んだりしないかな。そんな希望を抱いた自分の厚かましさ。今の私は蓮子にとって迷惑な存在だ。それは自覚している。それでも一緒に居たいのだから仕方が無い。
「メリー、仕事はどうしたの?」
「別に何処でも出来るから」
「それもそっか。いつまでここに居られるの?」
「すぐに帰るわよ」
「え?」
「蓮子の顔も見れたし、目的は果たしたから。まだ引っ越したばかりなのに、あんまり長居しちゃ悪いでしょ」
「でも折角イギリスに来たのに」
「大丈夫。また会えるから。だってね」
 私がそれを告げようと意識して笑みを深める。だが蓮子は力無く俯いている事に気が付いて慌てて口を噤んだ。
 もしかして寂しくて私と離れたくない?
 これは意外と離れてみるのも有り?

 イギリスへ来てからの一週間、同時にメリーと別れてからの一週間、毎日目まぐるしく矢の様に過ぎていった。魔法場の測定装置は、先輩が優秀だからか、研究室が優秀だからか、早ければ半年で完成出来そうだ。もっと長丁場になると思っていた分、拍子抜けしたが、早く日本に帰ってメリーと一緒に暮らせると考えたら悪くは無い。折角イギリスに来たものの、半年も過ごせばきっと飽きる事は分かっていた。メリーが居ないと何もかもが色褪せて見える。そういう風に私は出来ている。
 とはいえ、まだイギリスで暮らし始めたばかりの今はそれなりに楽しい。異国という環境も、いつも一緒に居たパートナーが居ないという状況も新鮮だ。きっとメリーもそうだろう。意外と羽目を外して遊んでいたり? あのメリーに限ってまさかそれは無いだろうけれど他の人に心が移っていたりしないかな。そんな事を不安に思うのもまた悪くない。何だか普通の関係みたいで。
 ずっと一緒に居れば関係は歪む。ずっとずっと一緒に居た私達の関係はきっと捻じれ切っている。今更半年離れた程度で私とメリーの関係がまっすぐに戻るとは思えないけど、それでも私は期待している。世界にありふれている様な普通の関係を、メリーと送りたい。その普通というのが一体何を表しているのかさっぱり分からないけれど、それでも何か分からない普通というものに私は憧れている。
 抽象的だ。
 私のキャラじゃない。
 もしかしたらメリーと離れた寂しさで変になっているのかもしれない。意思の疎通は頻繁だがやはり面と向かわないと満たされない事もある。メリーが今食べているご飯を報告してきたので返信しつつ時計を見るともう夕飯の時間だ。日本ではお昼時か。このずれもまた物寂しい。
 何か適当に作ろうと冷蔵庫を開けて、面倒だから野菜炒めでいいやとお肉と野菜を取り出した。暮らしの面で問題は無い。生活用品も揃い、町並みも少しずつ覚えてきた。研究所での開発は順調だし、自室で行う研究の準備も明日で整う。ただメリーだけが居ない。
 メリーの事を考えていると不意に笑いが零れた。
 一週間前、私が新居に辿り着くと、その数分後に、日本の空港で別れた筈のメリーが私の新居を訪れた。あれほど驚いたのは久しぶりだ。寂しくて同じ飛行機に乗り込んだらしい。だったら一声掛けて一緒に乗りゃ良かっただろうに、メリーは恥ずかしいからと良く分からない言い訳をしていた。
 メリーの行動を異常に思いつつも、喜ぶ自分が居る。外国生活で不安になるだろう私の為に、メリーは一週間毎イギリスへ来てくれるとまで言ってくれた。お金が掛かるだろうから良いと断ったが、取材も兼ねるから心配ないと言って、明日本当に来てくれる。
 同じ便で追ってきたり、一週間毎に会いに来たり、明らかに異常だ。
 でもメリーの異常な愛情は私に確信を与えてくれた。今は離れているし、寂しく思う事もあるけれど、何処に居たって最後はメリーと出会える。例え外国に居ようと、月に居ようと、絶対に。
 適当に作った野菜炒めはあまり美味しくなかった。考え事をしていた所為で色色と駄目だった。やっぱり食べるなら、料理の上手な人が作った物が良い。
 明日はメリーに何を作ってもらおう。あれこれ考えていると眠気がやって来た。そろそろ寝ようと用意に入ると不意に天井から何かかりかりと音が聞こえ出した。鼠か何かか。メリーに鼠の居る部屋なんて見て欲しくない。仕方無く鼠捕りを買いに行く。

 蓮子はあまり手間をかけずに、夕飯を軽く済ませたらしい。画面には私の手の込んだ手料理を楽しみにしていると書かれている。面映い心地になりながらゆっくりと耳を済ませる。壁の向こうには蓮子が居る。私と蓮子の間に距離なんて全く無い。二人はいつだって隣同士でいつだって傍に居る。
 と言いたいところだけど、やっぱり二人の間にある壁は無視出来無い。蓮子が今何をしているのか曖昧にしか分からないのが心苦しい。
 どうやら夕飯を済ませた後はまた研究に戻ったみたい。明日実験装置が届くから自室でも本格的な研究に入る事が出来て楽しみだと書いてある。明日か。まさか再会したのに、私そっちのけで実験に嵌ってたりしないよね。しないと良いなぁ。
 明日面と向かって蓮子と話せる事を楽しみにしつつあれこれ考えていると、次第に眠気がやって来た。明日が楽しみだ。蓮子は外へ何か買いに出掛けたらしい。こんな夜だというのに危なくないだろうか。この辺りの治安は良いらしいけれど心配だ。
 私は蓮子の事を思う。
 少しずつ私と蓮子の壁が削れていく。
 いずれまた。

 ようやく掃除を終えて一息吐いた。普段はあまり気にしていないが、片付けようとすると思ったよりも散らかっていた。メリーが来るというので軽く片付けをしようと思ったら、あれもこれもと気になって、結局二時間程掃除をし続けていた。もうそろそろ出ないとメリーが入港する時間に間に合わない。
 急いで準備をしていると、天井から奇妙な音が聞こえてきた。じゃっじゃっという聞いた事の無い音だ。フライパンで炒め物をする時の音に似ているけれど、それよりももっと強く重たい音をしていた。一体上には誰が住んでいるのだろう。まだ上の住人と顔を合わせた事が無いので変な人が住んでいやしないかと不安になる。
 上の階に気を取られていると、ぎりぎりの時間になっていた。空港までは一時間半。間に合う筈だけれど、飛行機が早く到着する事もある。慌てすぎて壁にぶつかりながら外へ出て、そこに居る人間に驚いて今度はドアに顔をぶつけた。
 玄関先にメリーが立っていた。
「飛行機が早く到着したから先に来ちゃった」
 一時間半も前に? そんな事あるのか? 訳が分からず固まっていると、メリーはさっさと上がって部屋の中を見回し始めた。なにが起こったのか分からない。夢でも見ている様な気分だった。
「メリー?」
 窓の外を眺めていたメリーが振り返って笑顔を見せてくる。
「裏手、中中面白そうね。今日は暇なの? なら蓮子の住む町並みを見てみたいわ。久しぶりの秘封活動。どう?」
 もしかしてまた発作が起こったのだろうか。メリーの境界を見る目が暴走して、日本からイギリスまで転移したとか。
「蓮子? 聞いている?」
「え? あ、うん。外に出ても、良いけど」
「そう。じゃあ、少しこの部屋で休んだら散歩に行きましょう。イギリスにも我等秘封倶楽部を知らしめないと」
 それは構わない。むしろ望むところだけれど、本当にメリーは大丈夫なのだろうか。発作が起こっているのだとしたら、下手に外へ出るよりは一所に留まっていた方が良い。
「大丈夫よ、蓮子。私の目の事心配しているんでしょ? 安定しているから」
 そうなら良いけど。メリーは兎みたいに寂しくなると目が暴走してしまうし、私と離れた事が寂しくて発作が起こってしまうんじゃないかと心配だった。
 そんな不安を持ちつつ外へ出たが、結局私の心配は杞憂に終わって、何事も無く市内を観光出来た。町を歩けばそこかしこでメリーが声を掛けられ気が気でなかったし、研究所を案内した時は私が奥さんを連れてきたと散散からかわれたが、お昼から夕方までひたすら歩き回るだけの秘封活動は、メリーが隣に居るというだけでとても充実感のあるものだった。
 最後に食材を買って家へ帰る。夕飯はサーモンの煮付けや茸とほうれん草の炒め浸し、豆腐のお味噌汁や肉じゃが等等、異国暮らしで日本の料理が恋しい私の為に、メリーが沢山の料理を作ってくれた。量が多すぎてどう食べていいのかすら分からなかった。結局大半を冷蔵しつつ、それでも食べきれなそうだなと残念に思っていると、メリーが腰を上げて荷物をまとめだした。
「もう帰るの?」
「うん。もう行かないと」
 荷物をまとめている手を思わず掴んで止めてしまった。
「何?」
「いや、ううん」
 引き止められる筈が無い。メリーにはメリーの暮らしがある。勝手にイギリスへ来た私が、日本へ帰ろうとするメリーを止められる訳が無い。
 でも寂しかった。
 帰って欲しくなかった。
 メリーの目を見ると何か期待している様な目付きに見えた。
「一緒に暮らさない?」
 気が付くと私の口からそんな言葉が漏れた。一瞬自分が言ったとは思えなかった。メリーに心配を掛けさせるだけの言葉だ。言ってしまってから後悔する。
 でももしも一緒に暮らせるなら。
 メリーは驚いた顔をして、それから微笑んだ。
「ごめんなさい」
 分かっていた。
 いきなり外国で一緒に暮らそうなんて言ったって断られるに決まっている。けれど何処かでメリーなら頷いてくれるんじゃないかという期待があって、信じられない位に失望している自分が居た。
「離れて居る程、絆は強くなるものよ」
 メリーが私を元気付ける為にそんな事を言う。
 そうは思えない。私とメリーの絆はこれ以上強くなり様が無い程しっかりと結びついている筈だ。離れている事に利点なんて何も無い。
「それじゃあ、行くから」
 私の手からメリーが逃げていく。
 メリーが背を向けて行こうとする。
 私はその背に思わず手を伸ばした。

 蓮子の声が聞こえる、蓮子が私に何か話しかけている。何を言っているのかは分からない。独り言だろうか。メリー、メリーと何事か話しかけている。私は真っ暗な中に居て、じっと蓮子の声を聞いている。実験をしているのだろうか。何も見えないから分からない。多分実験をしているに違いない。そんな雰囲気が伝わってくる。メリー、メリーと私の事を呼んでいる。話しかけている。
 私はじっと壁の向こうの蓮子の声を聞き続ける。私と蓮子との間にある壁をもう少しで溶かし崩せる。風穴を開けられる。体が火照っている。汗が体中を流れるが、蓮子の傍に居られると考えると気にならない。
 蓮子の声が聞こえてくる。私の事を呼んでいる。私に話しかけている。何を話しかけているのかは分からない。真っ暗な中で蓮子の声を聞きながら、蓮子は何をしているんだろうと考える。考えても分からない。何も見えないから分からない。
 もう少しの辛抱だ。もう少しで私と蓮子の壁は無くなってまた一緒に暮らせる。そうしたら蓮子が何をしているのかすぐ分かる。ずっと蓮子の傍に居てあげられる。
 だからね、蓮子。もう少しだけ待っててね。
 寂しがらなくても良いんだよ。

「メリー、行くよ」
 私は狂っているのだろうかぼんやり思いながら、スイッチを入れた。
 メリーに明かりが灯り、保持から運転に切り替わる。かたかたかたと体を震わせてメリーがゆっくりと己の内部に薬液を充填し掻き回していく。メリーの内部で繁殖した黴が薬液に浸され撹拌され、その内部の魔法エネルギを吐き出しながら漂白されていく。それを眺めながら私はぼんやりと一週間前の事を思った。
 メリーが帰ると言った時、結局私は引き止められなかった。メリーは居なくなってしまった。代わりに私はメリーを部屋に置いて、己の寂しさを紛らわせている。こちらのメリーは喋らないし、歩けもしない。私の事を思いもしないし、私の意に反する事も無い。スイッチを入れる、操作する、そういった刺激を与えられると反応して動くだけ。私の意に諾諾と従って実験を進めてくれるだけ。それはある意味で理想の伴侶かもしれないが、一週間こんな事をしていると余計に寂しさが募るだけだし、自分が狂ってしまっている様で恐ろしかった。
 しばらくすると黴から完全に魔法エネルギが抜けきってメリーが停止する。内部を覗くと黴が壁面にこびりついているので、それをプレパラートで優しく掻いてシャーレに黴を貯めていく。
「うん、ありがと。後は洗っておいてね、メリー」
 十分な量を採ってから、洗浄のスイッチを入れると、メリーがかたりと身を揺らし、勝手に自分の中を洗い出した。洗い乾燥している間、かたかたと震えているので音が立つ。如何にも実験をしているという感じで嫌いじゃない。
 肝心の黴は残念ながら大した効能が無く、用意した試片の魔法エネルギ準位を僅かに下げただけで劇的な変化を生じさせなかった。お話にならないレベルだ。
「ごめん、駄目だったみたい」
 メリーに話しかけつつ、私は論文を手にとってめくる。今やっている実験は既存の論文をなぞっているだけなので、手順通りにすれば失敗なんてありえない筈だ。それなのに何が間違ったのか。考えても分かりそうに無かったので、もう少しメリーの調整の精度を高めて再度黴の生成にとりかかった。
「じゃあ、お願いね、メリー」
 そう笑いかけてスイッチを入れると、再びメリーがその内部で黴を生成しだす。出来上がるには一日掛かる。何だか手持ち無沙汰になって、メリーに触れた。黴を生成しているメリーはじんわりと温かく、起動していない時の冷たい感触を素っ気無い態度とするならば、今のメリーは失敗した私を励ましてくれている様な気がした。勿論意識の無いメリーがそんな感情を抱いている訳が無いけれど、傍に居るだけで何だか寂しさの薄れる様な心地がした。そう考えるのは危険な兆候であるし、よくよく考えれば寂しい話であるけれど、こうしてメリーの温もりを感じている間は心が安らぐ。
 メリーに触れている手に天井から液体が垂れてきた。不意の事に驚いて手を離す。手の甲に付着した無色の液体からは、粘っこい臭いがした。更に軋む様な音が天井から降ってくる。何だろうと思って天井を見上げた私は、その光景に息を止めた。

 蓮子の声が聞こえる。蓮子が私に何か話しかけている。随分と聞き取れる様になってきた。あれから一週間、もうすぐ壁が取り払われる。蓮子を見る事が出来る。壁がどんどん溶け崩れていく、蓮子の声が近くなる。もう少し。もう少しで蓮子が見える。体が火照って仕方が無い。熱くて熱くて眩暈がする。蓮子の声が聞こえる。蓮子が私に何か話しかけている。ようやっと穴が開いた。光が差した。暗闇を切り裂く様な小さな光。そっと穴を覗き込むと蓮子が寂しそうな顔をしていた。寂しがらないでと声を上げたかった。私はここに居る。すぐ近くに居る。だから寂しがらないで。そう言いたかった。
 どうやら蓮子の実験は失敗してしまったみたいで意気消沈していた。何だか可哀想になった。励ましてあげたい。でもどうする事も出来ない。蓮子に近づきたい一心で穴に眼窩の淵を押し当てる程強く覗き込むと、突然壁が軋む様な音を立てた。はっとする間も無く、壁が崩落し、光り溢れる蓮子の傍へとダイブする。

 ひびの入った天井に驚いて目を見開いた瞬間、天井が崩落して、瓦礫がメリーの上へと降りかかった。嫌な音を立て瓦礫がメリーを凹ませ、最後に落ちてきた肌色の何かがメリーの背後に落ちて、ぶちぶちと配線部を引きちぎる音がした。メリーが凄まじいアラート音を出した後、完全に沈黙する。
 あまりの事に為す術も無く、もう使い物にならなそうなメリーを見つめていると、その背後で配線を引きちぎった肌色が立ち上がった。
 メリーだった。
 呆気にとられてメリーの背後に現れたメリーを見つめていると、メリーは驚いた顔で私を見て、しまったという様な表情になった後、自分の裸の体を隠しながら、メリーの背後に隠れて「エッチ」と言った。
 どうつっこんで良いのか分からなかった。

 蓮子から借りた服を着たメリーが嬉しそうに匂いを嗅いでいる。それを鬱陶し気に見つめていた蓮子は不機嫌な表情のまま口を開いた。
「で、何してたの?」
 紅茶を喉に詰まらせて咳き込んだメリーに、蓮子が冷ややかな視線を送っていると、やがてメリーが恥ずかしそうに言った。
「別に変な事をしてた訳じゃないのよ?」
「聞かせてもらいましょう」
 メリーは一度咳き込んでから、言葉を選びつつゆっくりと語った。蓮子がイギリスでやっていけるかどうか不安に思った事、蓮子が住居を探していると聞いてアドバイスする為に先にイギリスへ乗り込んで下見をしていたら偶偶良さそうなマンションを見つけたので試しに借りてみた事、すると偶然蓮子がその下の階を借りたので驚いた事、折角借りたのだから勿体無いので住んでいた事、上の階に住んでいる事を伝えたかったけれど、劇的な別れ方をしてしまった分、恥ずかしくて言えなかった事、先日偶偶買った床を溶かす薬液をうっかり床に溢してしまってどうする事も出来ずに床が抜けて真下に位置する蓮子の部屋に落ちてしまった事。
「ね? 何もおかしな事は」
「いつから住んでたの?」
「……蓮子がここに住み始めたのと同じ日から、です」
「何で裸だったの?」
「やだ、蓮子。そういう事聞かないでよ」
「何で裸だったの?」
「えっと……あ、そうそう、溶かす時に薬液が熱を発して熱かったから」
 蓮子のじっとりと咎める様な目付きに、メリーが顔を俯けた。蓮子の溜息にメリーが体を震わせる。
「何で黙ってたの?」
「だって恥ずかしくて」
「言ってくれれば、二人で一緒に暮らせたのに」
「だって」
 メリーが小さく笑う。
「離れ離れになれば絆も深まると思って」
 馬鹿じゃないのという蓮子の呟きにメリーが見を竦ませる。だが表情は笑んだままだ。
「でも実際に蓮子」
 メリーの笑みが深くなる。
「実験装置に私の名前つけて可愛がってたじゃない?」
 途端に顔を真赤にした蓮子が大声を上げてテーブルを越えメリーの口を閉じようとした。それを避けながらメリーは祈る様に手を組んだ。
「離れてみれば分かる事もある。私は、離れても蓮子が私を思ってくれるって分かって、嬉しいわ」
 必死でメリーを捕まえようとしたが結局捕まえられず、蓮子は息を荒らげながらメリーを睨めつける。メリーは動じずに、瓦礫に埋もれた実験装置へ目をやった。
「そういえば、あれは何の実験だったの?」
「黴を作っていたの」
「何で?」
「魔法が原因の病気を治療するのに最近使われ始めているらしいの。黴でエネルギーを吸い取って病気そのものを根絶する訳ね。ただかなりデリケートな性質らしくて、患者一人一人に合わせて作らなくちゃいけないらしくて」
「蓮子の専攻と全く違うんじゃない?」
「まあね。でも病院は信用出来ないし、研究所だと実験素体にされちゃうし。なら自分で作るしかないでしょ?」
「もしかして私の為?」
 蓮子は黙ったまま、自分の席に戻って紅茶を飲み干し、窓の外を見た。
「さて、こうなったものは仕方無いわ。どうする? もう日も落ちるし、観光は無理そうだけど」
「今日は良いわ。これからずっと一緒に居られるんだし」
「あ、やっぱり一緒に住むんだ」
「当然」
 まずは梯子を買わなくちゃと楽しそうに天井を仰いでいるメリーに蓮子が言った。
「夕飯食べよっか」
「また作ろうか?」
「ううん。近くに評判のワイン飲み放題の店があって、一度行ってみたかったから」
 行こう行こうと楽しそうに言いながら、メリーが蓮子の手を取った。手を引かれながら蓮子が溜息を吐く。酷い事をされたのに、気が付くと許してしまいそうになっている自分が居た。
「どうしたの、蓮子?」
「ううん、ずるいなぁと思って」
「何が?」
「別に」
 メリーが蓮子の靴を借りて履く。二人して玄関を出ようとした時、蓮子がふと聞いた。
「上の部屋で何してたの?」
「秘密」
「何それ。私、本当に馬鹿みたいじゃない。上にメリーが居るのに、その本人に寂しいとか言っちゃって」
 恨み辛みを込めてそう言ったが、メリーはくすくすと笑うだけなので、蓮子は不満気に鼻を鳴らした。
 マンションの外に出ると日は完全に落ちていて、電灯によって昼間よりも明るい夜が作られている。空を見上げると微かに月が見える。当然町中なので星は見えない。
「でも寂しかった。例え近くに居るって分かっていても蓮子に会えないのは辛い」
 メリーの言葉を聞いた蓮子は月から道路へと視線を戻し、お店へ向かって歩き出した。
「なら」
 メリーの言葉に答えようとしたが、そこで言葉が止まる。
「何?」
 何も言わずにお店へ向かう。
 今は言わない。
 今はまだ言わなくて良いんだから。
 酔っ払った後で良い。
 いや、今日じゃなくても良い。
 明日でも明後日でも。
 いつ許したって良いんだから。
 今は許さないでおく事にした。
夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭のその後の秘封倶楽部。

FIFAワールドカップ IN カナダを間近に控えた2136年春、
サッカーなんか欠片も興味が無いのに、最近ワールドカップを気にしだしたメリーの為に観戦旅行を計画する蓮子、
サッカーなんか欠片も興味が無いのに、蓮子が選抜される可能性を考慮して、蓮子の栄養管理に勤しむメリー、
今日も秘封は二人です。
烏口泣鳴
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コメント



0.440簡易評価
5.100非現実世界に棲む者削除
蓮メリはやはりイイ。
しかしあの大長編からここまでラブラブになるのかちょっと疑問があります。
というかメリーの行動が完全にスト(このコメントは夢の世界へと転送されました