Coolier - 新生・東方創想話

恐怖の姿を目に貸して

2014/06/13 20:14:49
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作品集195に収録の運命の愚者・第三部の補遺ですが、前作を読んでいなくても雰囲気で流し読みいただけるかと思います。



 紅魔館の開け放たれた正門の側に立つ紅美鈴は退屈な職務の慰みに東の山の端に現れ始めた大きな月を眺めた。特段の注意深さのない人間であれば単なる満月と見なしてしまいそうなその形が完全な円形ではないことに、人間ではない彼女は気づいていた。

 かつていつの日か、この幻想郷がある国日本では月に様々な呼び名があると同居者で友人の魔女パチュリーは言っていた。鎌のような形の三日月や欠けのない満月はもとより、欠け始めた月も表れる時間の遅さによっても名前の違いがあるということだった。立ったまま月の出を待つことの出来る立待の月、座って待つこととなる居待の月、横になる頃まで出てこない寝待の月、完全に夜が更けて表れる更待の月、そして夜明けまで残るそれらの月の総称として、有明の月と呼び習わすという。

 今日表れた月は暦の日付から十六夜という漢字を当て、いざよいの月、と呼ばれるという。「いざよい」とは「ためらい」という意味の古語であり、満月の昨晩よりも少しだけ遅れて姿を表わす様子が、僅かに欠けてしまい光量も弱まってしまった自身の姿を恥じらうように見えるからだという。

 だがその「僅かに」という言葉は特段の注意を払わねば気づき得ないほどの、文字通りの瑣末な変化である。そのため月も人目を気にし、恥じらう時間も短くて済むのであろう。西の空にはまだ太陽の橙色の光が残っていた。もし満月の代わりにこの月が表れるようになっても、自分達のような存在ではない、月よりも眩い夜の明かりを手に入れた今の人間達が気づくことは無いのだろうと美鈴は思った。

 そのような物思いに耽りながら、彼女は自身に割り当てられた閑職を思い返した。主人たる吸血鬼レミリアの護衛を任された当初は主を瀕死にまで陥らせてしまった直後ということもありその職務の励行を誓ったが、翌日に館がこの幻想郷へと移転したことでその決意は徒労となった。人間とそれ以外の種族の共存が規定されたこの地において人外は自らの存在を隠す必要もなく、また人間も単に「吸血鬼であるから」という理由でレミリアやその妹フランドールの命を狙いに訪れるなどといった事態は起こりはしなかった。差し迫った危険のない状況で四六時中自分の近くに待機させ、美鈴の神経をすり減らす必要は無いだろうと考えたレミリアは彼女の主な待機場所を来客の対応も兼ねた正門付きの門番へと移した。墓を守る后土神としてのかつての経験も、そこでならさらに生かせるだろうという言葉をレミリアは美鈴に与えた上での事だった。

 レミリア達に危害が及ぶ恐れは無いとはいえ、吸血鬼に対する恐怖や嫌悪といったものは人間達の間に留まらず他の人外にも広まっていた。レミリアは他者に嫌われるのは慣れていると意に介する様子を見せることはなかったが、そのような種族である彼女の館を訪れる者など多いはずもなく、美鈴はその職務を持て余していた。来客も敵襲も訪れることのない中で、彼女は周囲の花鳥風月を眺め空想に浸りながら門の当直の暇を潰すのが常であった。



 初夏の心地良い夕風を浴びながらぼんやりと月を眺めていた美鈴は足音に気づき視線を下げた。人間で言えば十代半ばほどの背格好の少女が館の門へと近づいてくるのが見て取れた。少女の髪がその外見に釣り合わない真っ白なものであることに、美鈴は特段の注意を払うことはなかった。外の世界では考えられない存在が当然に受け入れられるその地では、髪の色もまた各自の種族と同様にそれぞれの色が違和感なく受け取られた。彼女は久々の仕事に少し心を弾ませ、小さく咳払いをして声の調子を整えると少女に呼びかけた。
「こんばんは、紅魔館に何か御用でしょうか?」
だが彼女はそれに答えることはなく、館を見た後で青色の眼で睨みつけるように美鈴を一瞥すると、小走りに彼女の脇を抜けて門の中へと入ろうとした。

「ちょっと待って下さい!急ぎの御用事でも、お嬢様の許可無しの入館は御遠慮頂いているんですよ!」
そう言って美鈴が彼女の前に身を挺して制止しようとした瞬間、その姿は一瞬にして彼女の視界から消えた。
 理解を超えた眼前の出来事に美鈴は一瞬凍りついたが、すぐさま気を取り直し周囲を見回し少女の姿を探した。彼女が真後ろに振り返った時、その眼に右腕を振りかぶり短剣を投げかけんとする白髪の少女の姿が映った。美鈴は持ち前の身体能力と反応力で即座に身をよじり刃物がその肉体を傷つけるのは防いだが、弾道にわずかに残った肩の布地は鋭利な剣先に切り裂かれた。久々に訪れた仕事が来客の対応ではなく、主人の護衛であったことを彼女は悟った。

「穏やかではありませんね。お身体を大事にしたければ、それ以上館に近づくのをお止め下さい。今そのまま帰れば、今回の件は不問にしましょう」
従うはずなどないと思いつつも、彼女は最後通牒を少女に突きつけた。
「それはこっちも同じよ。吸血鬼じゃない貴女を殺しても、私に得することはないわ。命が惜しかったら、私の邪魔をしないで」
少女は冷たくそう言い放った。美鈴を睨みつける彼女の眼は、いつの間にかその色を赤色へと転じていた。彼女はその場で再び腰から短剣を抜くと、美鈴の頭めがけて投げつけた。美鈴が身を屈めて攻撃をかわし彼女から視線を離した隙を突いて、少女は館に向かって全力で走り始めた。
「ちょっと、待ちなさい!」
少女の動作に感づいた美鈴は、すぐさま彼女を追いかけた。

 そしてあっけないほど簡単に、美鈴は少女に追いついた。少女の敏捷さは決して一般的な人間のそれと比べ特段優れてはいなかった。美鈴は背中から彼女の身体を地面に押し倒し拘束した。彼女は必死に束縛から逃れようと抵抗したが、その膂力も決して美鈴に敵いはしなかった。
「さあ、もう逃がしませんよ。どういうつもりでこんなことをしようだなんて考えたのか、詳しく聞かせていただきましょうか」
美鈴の言葉に少女が歯を食いしばり視線を下げたその時、ふたりの声とは違った幼い少女の声が響いた。
「一体どうしたの、夕方から騒がしいわね」
館の主、レミリア・スカーレットがそう尋ねると美鈴は慌てて頭を上げ、主人の質問に応じた。
「はい、お嬢様に危害を加えようとする者が訪れましたので、取り押さえておりました」
「あら、刺客だなんて久しぶりね。しかもこんな女の子が、かしら」
そう言ったレミリアの容貌は、決して組み伏せられた少女を子供扱いできるほど大人びてはいなかった。むしろ年格好という視点で見れば、背丈も低く頭も丸く二次性徴の影すら殆ど認めることのできない十歳前後の外見を持つレミリアのほうを子供と称すべきだった。人外の象徴たる水色の頭髪と鋭い八重歯、背中のこうもりのような大きな翼と両眼に輝く真紅の瞳と引き換えに、レミリアは肉体の成熟を止められていた。五百年以上の艱難辛苦に満ちた彼女の半生は、永久に変わることない幼いその容貌から決して推し量ることはできなかった。

「私に用があったんでしょう?狙ってた獲物の顔を一目見ておかなくていいのかしら?」
レミリアは組み伏せられ視線を落としたままの少女にそう言った。

 少女はゆっくりと視線を上げ、真紅の両目で吸血鬼を睨みつけようとした。だがその獲物が彼女の想像よりも遥かに幼い外見であったことに動揺の表情を浮かべた。

 動揺を隠せなかったのはレミリアも同様であった。肌の色こそ健康的ではあったが、髪も白く、真っ赤に輝く両目をした少女の顔は百年ほど前レミリアを精神肉体両面において死の一歩手前にまで追い込んだ、忘れ得ることのないアルビノの少女の顔と驚くほど似ていた。レミリアはかつての名も知らない少女の最後に際して自らが言った「もっと違った形で、貴女とは出会いたかった」という言葉を思い出した。

 当惑するふたりをよそに、美鈴はレミリアに尋ねた。
「お嬢様、どう致しましょうか。きっとこの子は人間でしょうし、殺してしまっては八雲様にまたうるさく言われますよ」
「殺すだなんてとんでもないわ、美鈴。すぐに放してあげなさい」
門番は主の言葉を疑った。
「しかし、……お嬢様、この子はお嬢様を殺そう、などということを申していたんですよ」
「きっと何かの思い違いよ。とりあえずその子と話がしたいわ。お客様をいつまでも地面に這いつくばらせるわけにもいかないでしょう」
「……はい、お嬢様がそうおっしゃるのでしたら」
お客様という言葉に違和感を覚えつつ、渋々ながら美鈴はレミリアの言葉に従い、彼女の両腕をその背中に押し付けていた手を放した。

 その瞬間再び少女の姿が消えたかと思うと、突然レミリアの真正面に短剣を頭の後ろまで振りかぶった状態で現れた。レミリアは驚きのあまり目を見開き立ち尽くし、体を動かすのを忘れた。しかし投げられた刃物は、レミリアの首筋にかかる髪をかすめただけだった。少女の動揺は、その手元をわずかに狂わせていた。水色の毛が数本、空中に舞った。

 散らされた毛髪が地面に触れるよりも早く、美鈴は少女の両手を強く拘束した。主人の言葉に従い、美鈴は少女を地面に押し倒してまで動きを封じることはなかった。レミリアは苦笑いを浮かべながら言った。

「確かに、しばらく両手は抑えておいたほうが良さそうね」
彼女は館の方に振り返り、歩き出しながら言葉を継いだ。
「まあ、ここで話すのも何だわ。美鈴、その子をすぐに私の部屋に連れてきなさい。一応手は抑えたままでね」



 レミリアは足早に自室に戻ると、長らく本来の用途に使うことのなかった二脚目の椅子と小机の上に置かれた小物を取り去り丁寧に埃を払った。そして愛用の椅子とともに部屋の中心近くへと移動させたところで、扉を叩く音が響いた。

「お嬢様、連れてまいりました」
「ありがとう、入って構わないわ」
美鈴は扉を開け、腹の前で両腕を荒縄で縛り上げられた少女の腕を引いて部屋に姿を表した。レミリアは慌てて美鈴の腕から少女を引き離すと、強い口調で言った。
「美鈴、何も手を縛れとまでは言ってないわ!言ったじゃない、この子はお客様よ!」
「し、しかし手は抑えておけとおっしゃったではないですか」
繰り返される主の不可解な言動に当惑しながら美鈴は答えた。
「ただそのまま手を掴んで連れて来れば良かったのよ。チーだか気だかを感じられても、私の心はやっぱりまだ分からないみたいね」
「……失礼を致しました。お嬢様」

お嬢様が一言付け足していただけていれば、という不満を腹の中に抑え、美鈴は静かに言った。レミリアにはその幼い身体と同様に、精神においても自らの非を認めようとしない子供らしさが少し残っていた。
「ですが、大まかに、ではございますがこの少女の持ち物は検めておきました。持っていたナイフは全て、私が預かっております」
美鈴はそう言いながら、左手に掴んだ短剣の束を示した。
「それはありがたいわ、美鈴。いくら短いものでも客間で剣を帯びさせるだなんて、主人が疑われちゃうわ」
レミリアはそう言って小机を見やったあと、言葉を継いだ。
「そうね、部屋の中に置いておくのも変だから、それは部屋の前のサイドテーブルにでも並べておいて頂戴。それと、そのナイフを一本だけ私にくれないかしら」
美鈴は命じられたとおりに短剣の束から一本を取り出しレミリアに渡した。
「ありがとう、美鈴。後はこの子と二人で話したいわ。ナイフをちゃんとわかりやすく置いてくれたら、後は門の業務に戻って構わないわ」
「分かりました。では失礼致します、お嬢様」



 扉が閉められ、刃物を並べる金属音が小さく聞こえた。その後で足音が遠く離れていくのを確認して、レミリアは少女の腕を離した。やはりその瞬間彼女の姿は消えたが、次に現れた姿はナイフを振りかぶるものではなかった。彼女は扉へと数歩近づいたところでうつ伏せに倒れこんでいる姿で現れた。レミリアは短剣を右手に握りしめたまま彼女に近づき、左手で彼女の肩を掴みゆっくりと自分の方に正面を向けながら引き起こした。
「瞬間移動も、いつも成功するわけじゃないのね」
少女は赤い瞳でレミリアの右手に輝く刀身を目にすると、恐怖の表情を浮かべ彼女の手から逃れようと全身で無駄な抵抗を繰り広げた。レミリアは少女と同じ赤眼でその様子を見ながら軽く微笑んだ。彼女の自分への恨みや敵意は決して生命身体に対する恐怖に打ち勝つほど強いものではない、アルビノの少女に拒絶された依頼にこの少女は応じてくれるかもしれないという希望をレミリアは抱いた。

 肩を握った左手を肘へ腕へと下にずらしながら、レミリアは言った。
「貴女はちゃんと日本語が分かるのかしら?下手に動くと、痛い目を見るわよ」
その言葉に少女は簡単に凍りついた。恐怖で見開かれた眼は、レミリアの右手に光る刃物に据え付けられた。
「良かったわ、汚らしいコックニーなんかを喋る人間じゃないみたいで」
そう言いながらレミリアは右手を持ち上げ始めた。少女は短剣の軌道を目で追った。刃先が自らの方向へ振り降ろされ始めた瞬間、少女は恐怖に耐えられずまぶたを激しく閉じた。吸血鬼の予想外に幼い外見に動揺を覚え、始末しそこねてしまった自身の未熟さを後悔した。

 少女は繊維が切り裂かれる音と共に自らの両手の開放感を覚えた。ゆっくりと眼を開けると、荒縄を切ったナイフを注意深く眺める吸血鬼の子供の姿が見えた。
「ごめんなさいね。うちの門番が失礼をしちゃって」
レミリアはそう言って少女に視線を移し微笑みかけ、言葉を継いだ。
「そうよ、早めに自己紹介をしとかないとね。私はレミリア・スカーレットっていうの、レミリアが名前で、スカーレットが苗字よ。ここは日本なのにややこしくてごめんなさいね。このスカーレット家の当主と、紅魔館の主をやってるわ、よろしくね。あの門番は紅美鈴っていうの。中国の生まれだけど、あの通り日本語も問題ないから安心していいわ」

殺気立った自分の心境と対照をなす友好的なレミリアの態度に、少女は混乱したまま立ち尽くした。
「そうね、貴女の名前を聞いてもいいかしら、白い髪のお嬢さん?日本語が分かる割に、この国の人間らしくない顔つきね」
彼女の反応を確認し、彼女の右腕を握っていた手を離しながらレミリアは質問を加えた。
「一体どういう……つもりなのかしら?私がここに何のために来たのか……分かってるんでしょう?」
震え声で途切れ途切れになりながらも、必死に少女は気丈な言葉をつなぎ合わせレミリアに問い返した。
「ええ分かってるわ。私を殺したかったんでしょう?このナイフでね」
右手に握ったままのナイフを横に振って示しながら、レミリアは笑って言った。少女の言葉が粗野なものではないことにレミリアは安心した。

「ちょっと重めの素材ね。見たところ銀で出来てるのかしら。貴金属の投げナイフだなんて、いい趣味してるじゃない。暴発も無いし、同じ飛び道具でも銃なんて下品な機械よりも何倍も素敵だと思うわ」
レミリアは言葉を続けながら、右手に握った短剣を顔の前まで持ち上げた。刀身の香りを嗅ぎ、少し舐めて少女に気取られぬように毒の有無を確認した。
「でもどうせなら、近づいて直接ナイフを突きつけたかったんじゃないかしら?ちょうどこんな風に、」
レミリアはそう言いながら、手早く少女の右手に短刀を握らせ、左手をその上に重ねさせた。
「こうしてね!」
そのままレミリアは彼女の両手を自らの首に引きつけ、喉に刀身を沈み込ませた。刃を伝って温かな血液が二人の手に流れ落ちた。レミリアの両手のひらの中で、柄を握る少女の手は恐怖によって腕ごと激しく震えた。

 五秒ほどの時間を置いて、レミリアは組まれたままの彼女の両手をゆっくりと引き離した。少女は全身の力が抜け、膝から床へと座り込んだ。彼女の服から金属の鎖が触れ合うような音が響いた。レミリアは少女の両手を離し、しばらく咳き込んだ後、口を開いた。

「でも私はこの通り、そんな武器じゃ死にはしないの。だから言ったじゃない、殺そうだなんて思い違いだって。ところでまた変な音が聞こえたけど、まだ何か武器を持ってるのかしら」
レミリアは茫然自失のままの彼女の服を探り、上質な蓋付きの懐中時計を見つけ出した。
「本当に貴女っていい趣味してるわね。ますます気に入ったわ」
彼女はそう言いながら懐中時計の蓋を開いた。示された文字盤の上の針は、現在の時刻よりも大幅に進んだものを示していた。
「でもせっかくのいい時計も、ずれてちゃ意味が無いわ」

レミリアは時計の調節ねじを探そうとした時、少女が行った瞬間移動の光景がにわかに脳裏に浮かんだ。進んだ時計、目にも留まらぬ速度での一瞬にしての移動、吸血鬼としての野性の勘は、この二つの現象を即座に結びつけた。

「もしかして、貴女って時間を止められるのかしら」
レミリアがそう言うと、少女は上半身を小さく跳ね上げた。
「どうやら正解みたいね。でもきっと、自分の体に触れたものの時は止められないんでしょう?だから美鈴に掴まれて連れて来られる時もおとなしく従ってたし、身につけたままの時計も進み続けてこんな風にずれちゃう、っていうことかしらね。それに慌てて転んじゃったまま時が動き出して、私が近づくまで何もしなかったってことはそう長くも止められないし、連発もできないみたいね。少なくとも、今の貴女はね」
レミリアの洞察の鋭さに恐れをなした少女は、全身を小刻みに震えさせ始めた。視覚情報に頼るあまり吸血鬼の少女を見くびり、果てに慈悲の心すら浮かべてしまった数十分前の自身に彼女は再び後悔を覚えた。
 レミリアはナイフをポケットにしまい、少女に優しく微笑みかけながら力の抜けたままの彼女の右手を握った。血液と冷や汗に湿った大きな手のひらを、別の血に染まった小さな温かく柔らかな手が優しく包み込んだ。
「貴女のことは少しは分かったわ。でも、もっと貴女について、貴女の口から聞きたいものよ。そこの椅子にでも座って、ゆっくりお話でもしましょうか」

少女は手を握られた理由は友好の証だけではなく、自分の能力を封じるためであることも分かっていた。だが幼い手から伝わる体温は僅かな抵抗の意思を失わせた。少女にはそれが話に聞く吸血鬼の魅了の能力のせいなのか、多くの人間が子供に感じてしまう甘さともいえる優しさを再びその容貌から感じてしまったせいなのかは分からなかった。



 年の離れた妹が心待ちにする目的地へと姉を導くがごとく、小さなレミリアは比較して身長の高い少女を立ち上がらせ、その手を引いた。小机に据え付けられた椅子に相向かった状態に彼女を座らせると、その手を握ったままレミリアは穏やかに口を開いた。

「そういえばまだ貴女の名前を聞いてなかったわね。せめてそのくらいは、教えてくれないかしら」
少女は俯いたきり、質問には答えなかった。
「まあいいわ、名前の話は後にしましょう。でも私を殺したかったからとはいえ、よく夜に一人でこんなところまで来たわね」
「吸血鬼を殺すためなら、私はどこにだって行くわ」
少女はそう吐き捨てた。一瞬ながら本来の目的を忘れ恐怖を覚えてしまった自分への羞恥は、彼女のレミリアへの反抗的な態度として現れた。
「そう、吸血鬼、日本語だとそう言うんだったのかしらね。やっぱり私が吸血鬼だって、貴女は知ってたのね」
微笑みながら、レミリアは質問を付け足した。
「でもどうして、吸血鬼を殺そうだなんて思うのかしら」
「あんたがこれまでどれほどの人の血を啜ってきたのか数えてみれば、私に聞かずとも分かるはずよ」
少女は挑発的な口調を続けた。
「そんなの分かるはずないわ。私はこんな身体でも、確かざっと五百年以上は生きてるのよ。その間に何人の血を吸ったかなんて、覚えてるはずがないじゃない」
レミリアがそう言った途端、少女は激しい口調でレミリアに食いかかった。
「だからよ!貴女がのうのうと貪ってきた長い寿命の下で、どれほどの罪もない人間の命を奪ってきたと思ってるの!そうして何千人も殺して、どうして人間から復讐をされないとでも思えるの!」
「そう、何千人も、ね」
レミリアはそう言いながら、自分を睨みつける赤い眼を笑って見つめた。
「まるで私をモンゴルの族長みたいに言うわね。じゃあ貴女はその殺された人類の復讐を果たしに、ここに来たってことかしら」

そこまで言い終わったところで、レミリアはゆっくりと握っていた少女の右手を口元まで近づけ、静かに歯を突き立てた。少女は唾液に満たされた口腔のぬめりと温かさこそ感じたが、痛みは全く感じなかった。自分が吸血されているということに彼女が気づき手を振り解こうとするよりも早く、レミリアはその口を離し、話を続けた。
「でも、それは大きな誤解よ。これだけ飲めば二日は大丈夫よ。人を殺すほどの血液だなんて、少なくとも私には無縁だわ。他の吸血鬼の事情は知らないけど、少なくとも私は妹以外の吸血鬼は知らないわ」
そう言った後で、レミリアは最後に付け足した。
「安心して、私にちょっと血を吸われたからっていって、吸血鬼や変な化け物にはならないわ」

 自らの意識が吸血後にも未だ明瞭であることを確かめた少女は、当惑を隠し切れない様子で口を開いた。
「じゃあ貴女は、これまでに一度も人間を殺したことがないとでも言うの?」
レミリアは目を少し伏せながら、静かにその質問に答えた。
「残念ながら、そういう訳ではないけどね。最初の頃は血を飲むのにも慣れなかったし、身の危険を感じて、ってこともあったわ」
そして少しの間を置いて、言葉を継いだ。
「死んだ人間が一人でもいれば、私を殺すのには十分かしら?」

「ええそうよ、人間に危害を及ぼす存在を始末するのが、私の使命よ!」
レミリアの発言に機を得たとばかりに、少女は再び声と表情に行き場を失いかけていた怒りを浮かべた。
「そう、使命、ね。じゃあこれまでに他の吸血鬼とか妖怪も殺してきたってわけ?」
少女は少し口ごもった後に、顔を紅潮させて怒鳴りあげた。
「そんなこと、あんたに教える必要はないわ!」
彼女の反応に、小さな吸血鬼は少し笑って言った。
「良かったわ、やっぱり私が貴女の初めての獲物で。貴女はそのおかげで、罪を犯さずに済んだのよ」
「吸血鬼を殺すのが、何の罪になるって言うの!」
更に顔を怒りで赤くさせる少女にレミリアは記憶の中のアルビノの少女を再び重ね合わせた。

「ちょうど貴女が咎めるように吸血鬼の私が、人間を殺すのと同じ罪になるでしょうね。でもそんな人間達の胡散臭い反戦論みたいな話を聞かなくても、貴女はもう分かってるはずよ。貴女は私の顔を見た時、驚いたでしょう。私はちゃんと気づいてたわ。こんな子供が殺さなきゃいけないはずの吸血鬼なのか、とでも思ったんじゃないかしら。それに私を刺した時も、貴女の手は震えてたわ。それは貴女の心に何かしらの罪悪感があったからじゃないかしら」
レミリアがそう言った時、少女の怒りに満ちた表情は何かに気づいたような表情へと変わった。
「貴女は優しい人間よ。私を殺そうとする理由も、自分がどうこうってことじゃなくて、自分以外の人間のためだもの。誰かのために自分を顧みない行動をとれるのは、人間のいいところだと思うわ」

少女は奥歯を噛み締め、見開いたままの目で憎むべきであるはずの吸血鬼を見つめた。甘言に屈しまいと笑顔から時折姿を見せる鋭い彼女の八重歯に必死に非人間性を見出し、憎悪を生み出そうとしていた。

「でも、自分で言うのも何だけど、私は貴女が思うほどの凶悪な化け物じゃないと思うわ。人間の物語みたいに人の血を吸い殺すほどの食事は取らないのはさっき見せた通りだし、最後に人を死なせちゃったのも百年は昔のことよ。どこにいても私は好かれはしないけど、この幻想郷はそんな私みたいな存在にも居場所をくれるわ。よっぽどのことが起こらない限り、私は人間や他の妖怪に危害を与えないつもりよ。もちろん、貴女にもね」
少女は突如として怪訝な表情を浮かべた。
「幻想郷?一体何のことを言ってるの?」
「あら、貴女は里の人間じゃないの?」
「里って……何よ?」
困惑した表情を浮かべた少女に、小さく声を上げてレミリアは笑った。
「貴女って本当に素晴らしい人間ね。まさか無自覚に、外の世界から結界を越えてまで吸血鬼を殺しにやってくるだなんてね」
少し間を置いて、彼女は再び口を開いた。
「ここは幻想郷、っていう場所なのよ。貴女の住んでる外の世界で認められなくなったり忘れ去られちゃった妖怪や怪物みたいな存在が、人間たちと平和裏に共存できる、外界と隔絶した私達の楽園よ。それを知らずに、よくここに来れたわね」



 レミリアの言葉を聞いた少女は、隠し切れないほどの激しい動揺に襲われた。非人道的で唾棄すべきはずであった殺害対象が見せる、友好的で穏やかな態度に抱き始めた彼女の使命への疑念は、吸血鬼が放った最後の言葉で決定的となった。混乱のあまり、少女は独りでに話し始めた。

「嘘よ、ただの人間とあんたみたいな化け物が共存できる世界ですって?そんなのあるはずがないじゃない、何の力も持たない普通の人間が、能力を持った妖怪なんて存在と一緒に暮らしていけるはずがないじゃない!そんな世界があるんだったら、私はどうして……!」
少女は最後の言葉に詰まった。レミリアは左手を握った彼女の右手に重ねながら、なだめるような口調で語りかけた。
「もちろんそう考えて当然よ。これまでの話から察するに、貴女にもきっと何かあるんでしょう。私だって驚いたんだもの、自分の種族を隠さずに暮らすことができるだなんてね。昔はここも色々あったみたいだけど、もう今は違うわ」

少女は静かに震えた声で、告白を始めた。

「私は……私は人間の敵を、貴女みたいな化け物を殺すことだけが私の生きる理由だと思ってた……。私の一族が、ずっとそうだったみたいに……。それに私の時間を止める力なんて、家族にも怖がられてたのが分かったわ。でもこうも言われたの、この力はお前が憎い人類の敵を殺すために授かった能力だって、ただの人間と違うことを自覚して、その使命を果たせって。そして満月の日に現れる洋館に住む少女の吸血鬼を殺してこい、って、女のお前なら色仕掛けも通じないだろうって、そう言われた時はこれで初めて私の使命が果たせる、ようやく私を認めてもらえるって思ったのに……」

僅かに潤み始める少女の赤眼を見つめなおすと、レミリアは口を開いた。

「実はね、ここに来る前私が最後に死なせちゃった人間は貴女や私と同じ、赤い眼をしてたの。今でも覚えてるわ。そのせいで他の人間たちから吸血鬼扱いされたらしくてね、私を殺して、自分が人間だって証明しようとしたのよ。私を殺して、人に認められようとしたのよ。そういうところは、貴女に似てたのかもしれないわ」
少し間を置いて、レミリアは話を続けた。
「でも私は、貴女の価値はそんなもので証明できるものじゃないと思うわ。何度でも言うけど、貴女は優しい人間よ。私は他者をいたわる利他心こそ人間の最大の美徳だと思ってるし、その点で人間を尊敬してるわ。そして貴女はその心に満ちてるわ、私を傷つけられなかったのだもの。でもそのおかげで、貴女は自分の美徳を守れたの。化け物狩りの一族だなんてまさか本当にいるなんて、って感じだけど、何もその家族の考えだけが全てじゃないと思うわ。家族以外にも、貴女をちゃんと認めてくれる人はいるはずよ。私は人間じゃないけど、少なくともこの私は貴女を尊敬すべき人間として認めるわ」

最後の言葉は、それまで愛情を授けられることのなかった孤独な思春期の少女の心を動かすには十分だった。

 全てを言い終わると、レミリアは握っていた少女の手を放し、ポケットから短刀と懐中時計を机に置いた。
「だからそんな貴女みたいな素敵な人間を、私は殺そうとなんか思わないわ。だからお客様として招いたの。私の話はこれで終わりよ、せっかくだし、どうぞ後は館の見物でもしてゆっくりしていって頂戴。せっかく貴女みたいな素敵な人間とお別れするのは惜しいけど、帰りたかったら美鈴を案内につけるわ。結界はきっともう閉じちゃってるでしょうから元の世界に戻るのはちょっと面倒でしょうけど、話をすれば結界を管理してる八雲とか神社の巫女もわかってくれるでしょうよ」

 静かに涙を流し始めていた少女は、目を上げてゆっくりと口を開いた。その瞳の色は、いつの間にか青色に変わっていた。
「あとどのくらい、私はここにいていいんですか?」
彼女の眼の変化にすぐさま気づいたレミリアは、小さく笑って答えた。
「目の色を変える、って比喩じゃないこともあるのね」
「私の眼は、能力を使おうとするときだけ赤くなるみたいなんです。私は貴女に負けました。もう能力も武器も、使いはしません」
「私は勝負をしたつもりはないわ、勝ちも負けもないわよ。ところで、ここにいれる期限は別に何時間なんてケチな事は言わないわ。それこそ五年でも十年でもいていいわよ。空き部屋ならいっぱいあるしね」
レミリアがそう言うと、少女は喜びと申し訳無さの入り混じった笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。じゃあ、よろしければここにしばらく住まわせてくれないでしょうか。普通の人間と、そうじゃない者が共存できるこの幻想郷をもっと知りたいんです」
「後悔するわよ。親元からも離れるし、ここには外の世界の便利なものは無いわ。それに、ついさっきまで貴女が殺そうとしてた吸血鬼の近くで暮らせるのかしら」
「生まれて初めて私を認めてくれた貴方に、もう恨みなんかありません。元の世界にも、どうせ私の居場所はありません」

 その言葉に、レミリアは少し口角を上げた。百年の時を経て、一人の人間の少女を破滅の運命から救ったのだという達成感を内心で味わった。

「じゃあ、しばらくここにいるんだったら、貴女はお客様じゃなくなるし、一つお願いしたいことがあるわ」
「もちろん住ませてくれるのですから構いません、何でしょうか?」
そう答えた少女に、レミリアは一世紀前に拒絶された提案を依頼した。

「私の小間使いになってもらいたいのよ、メイド、ってのは日本語でも通じるのかしら。外のことは美鈴がやってくれるけど、館の中の人手が無くてね。大丈夫よ、やって欲しいことはゆっくり教えるわ」
「メ、メイド……ですか?」
予想外の言葉に少女は唖然とした表情を浮かべた。
「ええ、怪物退治だなんて血なまぐさい、危なっかしいことをするよりはいいと思うわ。時間を止める能力は、平和な日常生活のほうが使う機会も多いかもしれないわよ」
「分かりました……頑張ってみます」
「本当にありがとう。助かるわ。じゃあこれから、よろしくね」
レミリアはそう言うと満面の笑みをもって再び少女の手を両手で優しく握った。その握手は能力に対する警戒ではなく、少女に対する完全な感謝と信頼を現した行為だった。



 はにかむ少女の顔を見つめなおし、レミリアは言った。
「じゃあ今度こそ、貴女の名前を聞いてもいいわね」
少女は表情を少し曇らせてその言葉に応えた。
「どうしても、言わなきゃいけませんか。魔物狩りの一族の名は、貴女の前ではもう名乗りたくはないんです」
「私は別にそんなこと気にしないわよ、ただ名前がないと呼びにくいのよ。貴女のことを小間使い、とかメイド、ってずっと呼ぶつもりもないしね」
「私は気にします。どうしても、貴女の前では私の名は名乗りたくはありません」
芯の通った口調でそう言った少女にレミリアは苦笑いを浮かべた。少し黙ったまま彼女は考えると、少し悪戯心を含んだ表情を浮かべこう言った。
「じゃあ、私が名前を付けても怒らない?私のネーミングセンスはあまり褒められたことが無いんだけど」
返答を待つこと無く、レミリアは立ち上がり窓際へと向かった。

「今日の月は、綺麗だとは思わない?」
「そうですね、綺麗な満月です」
「いいえ違うわ、満月は昨日。今日の月は少しだけ欠けてる、十六夜って月なの。でも欠けてることには、貴女は気づかなかったでしょう?でもあの月は、そんな誰にも気づかれないような小さな違いを気にして恥ずかしがって、満月の昨日よりも少し遅く顔を出すのよ。まるで小さな過去を気にする貴女みたいじゃないかしら。少し足りない部分があっても、素敵な光や優しい心なんて最大の魅力を失わないところもね。そしてそんな夜に貴女はこの世に生まれ咲いたの、これまでの過去を捨てて、新たな人間としてね。だからそんな夜に出会った、貴女の新しい名前は十六夜咲夜、よ。どうかしら?自分では考えついた名前はいつも気に入ってるんだけどね」
 そう言い終わると、レミリアは得意気な顔を小間使いに投げかけた。
「十六夜……咲夜、ですか。素敵な名前だと思います」
新たな名前へのむず痒さを背中に覚えながらも、彼女は笑顔でそう応えた。潤んだ青い両眼が月光を反射してきらめいた。

「良かったわ、気に入ってくれたようで。じゃあよろしく頼むわね、咲夜」
「はい、レミリア様」
「別に私のことはお嬢様、でいいわよ」

レミリアは笑って言った。月の明かりは静かに、真っ赤な両眼と鋭い八重歯を照らしていた。
前作へのコメントありがとうございます。励みになりました。前作の本筋に関わる表現に筆の足りない部分がありましたので、恥ずかしながら加筆をさせていただきました。

以下、お詫びと弁明となります。

初めから物語は幻想郷入り前のヴィクトリア朝前後のイギリスで終えるつもりでしたので、寿命の問題的に咲夜を出すことは考えていませんでした。とはいえレミリアにとって咲夜が重要な立ち位置である以上、何らかの形で話に関わらせようと考えた結果、「咲夜に似た外見の少女を出そう」と思い立ちました。

紅魔郷のイメージでずっと話を書いていたので「咲夜といえば白い髪に赤い目だろう」と早合点してしまい、そのちょうどいい説明としてアルビノという症状を使いました。ですがよくよく見なおしてみると紅魔郷以降の咲夜は眼が基本青色ですし、一般的なイラストも青い目で描かれたものが多いため、この描写はまずかったのかもと投稿後に思い始めました。

また咲夜の瀟洒なイメージは首都の荒っぽい言葉のコックニーを表現したつもりのべらんめえ口調で消え、時間停止も投げナイフも使わせなかった結果「何だこのオリキャラ」といった結果になったのは否めません。そのためせめてもの弁明としてこの話を追補として書きました。

頂いたコメントがなければ、このことには気づかなかったかもしれません。コメントをしていただいた方々には、改めて感謝いたします。
めと
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コメント



0.420簡易評価
4.90名前が無い程度の能力削除
淡々としていて説明的な文体が、むしろ面白みを出していると思います
5.90名前が無い程度の能力削除
むしろこの設定は好きかも
面白かった
6.80名前が無い程度の能力削除
面白かったです。新しい設定に触れた気分
個人的にはあのアルビノさんと咲夜さんとは対照的な感じがして好きです
9.100名前が無い程度の能力削除
こんな話もいいですね
レミリアの咲夜に対するセリフが前作を読んでると色々と感じるものがありました