その一.
寅丸星が大通りを歩いていると、後ろからナズーリンが追い付いて来て道連れになった。辺りが暮れかけて、往来を歩く人の顔もシルエットばかりで判然としない。
「ご主人、酒屋へ行こうよ、ねえねえ」
とナズーリンが言うので、連れ立って酒屋へ行くと、色とりどりの宝石のような酒瓶を、ナズーリンは面白そうな顔をして見ている。星がぼんやり立っていると、ナズーリンの尾っぽの先に下がった編み籠に布がかかっている。いつもの子鼠はどうしたのかしらと手を伸ばして布を取ると、何だか毛が生えてふさふさしたものが籠の中から幾匹も出てきて、もつれ合いながら星の腕を伝って来た。目も耳もなくて、手足はないかと思うほど短い。長い尻尾だけが、丸く、毛の生えた胴体から生えている。やがて星の腕や首筋に噛みついたが、歯がないものと見えて、ただ無暗にちゅうちゅう吸っている。温かいんだか冷たいんだか、はっきりしない感触に顔をしかめていると、ナズーリンが「ああ、ああ」と言いながらそれを見て、にっこり笑った。
「そんなに懐いて可愛いでしょう?」
星は曖昧に頷いた。開け放たれたガラス戸の向こうの、すっかり日の落ちた往来の夜の色が、ナズーリンの瞳の中にありありと見えた。
その二.
犬走椛が山で哨戒任務に当たっていると、人間が一人歩いているのが見えた。「そこの人間、止まれ」と言ったけれど、足も止めず振り向きもしないので、椛は追いかけたが、いくら速く飛んでも走っても、人間の方は足を速めてもいないのだが、どういうわけだか一向に追い付けない。息が切れて立ち止まると、ずっと一本の木の周りを一人で回っていた事に気付いた。
その三.
夏雲が向こうの空にもこもこ浮いていて、陰影が嫌にくっきりとしている。夏草のぴんぴん生える土手を、古明地こいしは歩いていた。土手を下った所には川が流れていて、子供らが遊んでいた。
風に乗って、油蝉のけたたましい鳴き声が聞こえる。風鈴の音、白亜の壁の家、夕立の匂い。こいしはそういったものを全部受け止めて、面白いと思ったけれど、通り過ぎた時にはみんな忘れてしまっていて、その度に、こいしはあちこちに何か置き忘れているような気がするのだった。
その四.
前々からそんな気がしていたけれども、とうとう神社の前の長い石段に、並木の枯葉が積もって汚らしくなっているので、博麗霊夢は一念して箒を手に立ち上がった。
鳥居の下から丁寧に落ち葉を掃き清めて、一段一段を綺麗にしながら、少しずつ石段を下りて行くと、落ち葉の量が増えていくので、時折石段の外の、木の根元に掃き出しながら歩を進めて行った。
掃いても掃いても終わらないので、おかしいなと思って振り返ると、ずっと上までまっすぐに石段が続いていて、下を見ても、いつまでも同じような石段が、並木の落とす薄暗い影の向こうまで伸びていた。
その五.
風見幽香が夜の散歩をしていると、向日葵畑の真ん中に丸いボールのようなものが居た。それはお月様であったが、向日葵を押し倒しているので、「そんな所で何をしているのかしら?」と怒気を含まして話しかけると、「貴様には関係ない」と言うので、喧嘩が始まった。散々に殴り合った挙句、遠くからプリズムリバー楽団の音楽が聞こえ出して、気付くとお月様が居なくなっていた。幽香が荒くなった息を整えていると、向こうの空からお月様がふらふらとおぼつかない足取りで昇って来た。幽香は傘を畳んで狙いを澄ますと、槍投げのようにお月様に向かって投げつけた。お月様は傘が刺さったせいで破裂して、破片があちこちに飛び散らかったが、そのうちの一つが幽香の頭に当たって、翌朝まで目が覚めなかった。
その六.
藤原妹紅が歩いていると、すとんと体が軽くなった。振り返ると、自分が落っこちていた。落っこちた自分は寂しげに妹紅を見た。
「お別れだわ」
「どうして」
「長く一緒にい過ぎたから」
そう言って走って行く自分を妹紅は追いかけたが、自分が自分を追いかけているから距離が縮まらない。やがて霧が出始めて、辺りの風景が白く濁って来た。
その七.
満月の晩、上白沢慧音は角を生やして歴史をいじくっていた。彼女が手を動かすと、彼女の手の上で色とりどりの歴史たちが踊った。
やがて月が天頂に達した時、捨てられた歴史たちが屋根の上で暴れ出した。慧音はハッとして家の外に飛び出した。慧音が何か言う前に、どうと風が吹いて、捨てられた歴史たちは幻想郷のあちらこちらに散らばって行ってしまった。
その八.
霧雨魔理沙は紅魔館に泥棒に入った。門番が寝ていたので玄関から入り、廊下を伝って図書館へと行った。途中、妖精一匹にも会わなかった。
「誰もいない。変だな」
と呟くと、
「そうかしら」
と声がした。慌てて振り返ったが誰もいなかった。廊下がやけに長く、遠くで扉のしまる音が聞こえた。
その九.
八意永琳は新しい薬の実験をしようと思い立ったので、鈴仙・優曇華院・イナバを呼び寄せた。鈴仙は嫌そうな顔をしたが、永琳の言うことには逆らえないので、苦虫をかみつぶしたような顔をして薬を飲んだ。薬は錠剤であった。二錠を口に入れ、水で飲み下した。鈴仙の白い首が、こくりこくりと動くのに、永琳は妙な艶めかしさを覚えた。
薬を飲み終えた鈴仙は、しばらく俯いて黙っていた。薬の効果が出ているのかは分からなかった。永琳が声をかけると、鈴仙は顔を上げた。いつもと変わらぬ様子であった。失敗だったかしら、と永琳が思った矢先、鈴仙がにっこりと笑った。
「分かりませんか?」
永琳の顔色がサッと青くなった。
その十.
八坂神奈子が縁側に座ってぼんやりしていると、お茶を持って来た早苗が「あら」と言った。
「ひどいお顔をしていますよ」
「どんな」
「寝不足みたい」
神奈子は目元を押さえて頭を振った。確かに、頭がぼんやりとして取り留めがないように感ずる。脇で自分を見ている早苗の事が、一瞬分からなくなった。
お茶をもらって、無理やりにすすると、熱く、舌を火傷した。庭に降りた早苗が、神奈子さま神奈子さまと呼ぶ。神奈子が顔を上げると、早苗が妙に楽しそうに「抜けがらです」と蛇の抜け殻を差し出した。
それでその晩眠れなかった。
その十一.
伊吹萃香が門を通ろうとすると、両側の門柱が狭まって来て、萃香の角が引っかかった。おやと思って後ろに数歩下がると、門柱は変わりなく十分な広さを保っている。萃香が気を取り直して門をくぐろうとすると、やっぱり門柱が狭まって来て、角が引っかかった。頭に来た萃香は、鬼の力で以て門柱を折って無理矢理に押し通った。すると支えがなくなった門の渡しが落ちて来て、萃香の頭にぶち当たった。
その十二.
チルノが凍らせた蛙を叩き割ると、その破片ひとつひとつが蛙になって、わあとチルノをなぎ倒し、そのまま湖の中にぼちゃぼちゃ飛び込んで、みんな泳いで行ってしまった。
その十三.
村紗水蜜が湖を散歩していると、小舟に乗った太公望が釣り糸を垂らしたまま大いびきをかいていた。村紗はにやつきながら近づいて、船に水を汲み入れ出した。段々と水かさが増して、太公望の体を濡らしても一向に起きないので、張り合いが無い気がした。
それでも舟幽霊のレーゾン・デートルに則って水を汲み入れていると、水の重みで船がぐらりと揺れた。ぱちりと太公望が目を開いたと思うと、村紗の目に霧でけぶった風景が飛び込んで来て、村紗は自分が乗った船に水を汲み入れていた事に気付いた。
その十四.
多々良小傘は雨の降る墓場でふらふらと浮かんでいた。傘の縁から雨のしずくがぽたぽたと垂れていたが、どこか締まりがないように思われた。
やがて墓参りと思しき男が一人、曖昧な足取りで墓石の間を縫って来た。小傘はそそくさと墓石の陰に隠れて、男が通り過ぎるのを待った。そうして男が通り過ぎてから、こっそりと後ろに回り、「うらめしやあ」と首筋を撫でた。
男が小傘の方を肩越しに見た。
小傘は大声で悲鳴を上げて、濡れるのも構わずに必死になって逃げた。
その十五.
パチュリー・ノーレッジが自室たる図書館で本をめくっていると、突然書かれた文字が紙から浮かび上がって、好き勝手に形を変え始めた。見ていると、漢字だったものが平仮名になったり、その逆だったり、カタカナで書かれた単語がアルファベットに変わったりした。
文字の動きが眠気を誘発して、気付いたら眠っていたらしい、パチュリーがハッと目を覚ますと、使い魔が窓を開けていた。そこから吹き込んできた風が、テーブルに広げたままの本のページをぱらぱら、音を立ててめくっていた。
その十六.
因幡てゐは、いつものように仕掛けた落とし穴を点検して回っていた。どの落とし穴も土がかけられたそのままだったが、一つだけ何かがかかった様子であった。
てゐはにやにやとほくそ笑みながら深く掘られた穴を覗いた。しかし奥はずっと真っ暗で何も見えなかった。
「なーんだ、何もかかってないや」
とつまらなそうに呟くと、
「それが面白いんだ!」
と何かに突き飛ばされて、てゐは穴の中にまっさかさまに落っこちた。
長い事悲鳴を上げながら落ちて行くと、どすん! 寝床から転がり落ちた自分に気付いた。
その十七.
妖精三匹、連れ立って飛んでいたが、気付くと他の二匹が居なくなっているので、ルナチャイルドはびっくりした。周りを見渡しても、元の通りの森が広がっているばかりで、木立の間を吹く風も、その風で揺れる枝葉も、何の変りもないように思われた。
そうして日が暮れかけているらしい、辺りが薄暗くなって、吹く風もひやりと肌に冷たい。夜が来れば嬉しいはずなのだが、ルナチャイルドはどこか寂しい心持でとぼとぼ歩いた。しばらく歩いて行くと、向こうの空にお月様が昇っているのが見えた。
「お月様、スターとサニーは何処に行っちゃったの」
とルナチャイルドが言うと、お月様は笑い出した。
「なんだ、お前はまだ気付いていないのだな」
と言った。
その十八.
東風谷早苗は里に買い物に来ていた。日の暮れかけた通りは店の軒先に明かりが灯り、往来を行く人々の影も濃いように思われた。
店々の軒先に下げられた電球は淡い橙色の光を発しているので、早苗の視界が不思議にぼんやりとして、すれ違う人々の顔も、輪郭の他はぼやけていた。
「あれ?」
気が付くと、歩く人々は早苗の他はみんな影法師で、その足元に影のようにぺしゃんこになった人たちが、楽しげに話をしながら影に付き従うように行き交っていた。
その十九.
霧雨魔理沙が夜空を箒にまたがって飛んでいると、出合い頭に流星と激突した。魔理沙が「バカヤロウ!」と怒鳴ると、「ナニを、この不良娘!」と流星が掴みかかって来て、両者もつれ合ったまま真っ逆さまに落ちて行った。流星を下敷きにしたので魔理沙は無事だったけれども、流星の方は粉々になってしまったので、魔理沙は流星の代わりに週三回の夜空の巡航を命ぜられた。
その二十.
幽谷響子が寺の前を掃除していると人が通りかかったので、「お早うございます」と挨拶した。それから幾人も人が通り過ぎたが、どうやら同じ人が行ったり来たりしているらしい。響子はずっと挨拶をしていたが、同じ人に何度も挨拶するのが次第に馬鹿馬鹿しくなって、つんと他を向いて気付かぬふりをして箒を動かした。すると人が立ち止って、「お早うございます」と言った。響子がうんざりしながらそちらを向くと、同じ顔をした人が二十人も三十人もいて、みんなにこにこと笑いながら響子の事を見ていた。
その二十一.
夜、封獣ぬえは当てもなくふらふらと飛んでいた。大きな月が昇っていて、月明かりで影がくっきりと地面に伸びていた。
ぬえがふと下を見ると、夜道を人が一人歩いていた。ぬえはにやりと笑い、空から歩く人に飛びかかった。ぬえの正体がなんだか分からないので、人は大層驚いて悲鳴を上げて逃げ去った。ぬえはけらけらと愉快に笑ったが、直ぐに青ざめた。正体を分からなくし過ぎて、自分と周りとの境目が曖昧になってしまっていた。
その二十二.
鈴仙・優曇華院・イナバが夕飯の支度をしていると、窓の外で誰かがぷつぷつと何か言っているらしかった。初めは小さな声だったので、兎たちのいたずらだろうと思っていたのだが、次第に声が大きくなって、ガラスがかたかたと鳴るので、窓を開け放って「うるさいっ」と怒鳴ると、窓の外にひしめいていた夜が、わっと台所になだれ込んで、鈴仙を抱きしめた。
その二十三.
どうやら雨が強くなって、そこらがみんな飛沫でけぶっているらしい。
九十九弁々は傘を差した縁台に腰を下ろして、手慰みに琵琶を鳴らした。雨音が傘や地面を叩いて、それが次第に規則的な律動を以て弁々の耳に届いた。すると、自分の指先がその律動に呼応するかの如く動いて、光る音符をあっちからこっちへとまき散らした。
やがて演奏を続けるうちに、雨に合わせて演奏しているのか、演奏に合わせて雨が降っているのかはっきりしなくなって来たと思ったら、電源を落としたかのように唐突に雨が止んでしまった。そして、指先が凍ったように動かなくなった。
その二十四.
夏の夜の法会を終えた聖白蓮は、一人本堂で瞑想にふけっていた。辺りはしんしんとしていて、虫たちの鳴き声も妙に遠いように思われた。僅かな木戸の隙間からぼやぼやとした暖かな風が吹き込んで、蝋燭の灯りを揺らした。灯りが揺れる度に床から天井まで伸びた白蓮の影が、それに呼応するかのように伸びて、縮んだ。蝋燭は白蓮の両側にあるから、影は三つにも四つにもなって、まるで見降ろされているようであった。
段々と空気が籠って、息苦しさを感じるようになって来た。自分の吐息が耳にうるさいように思う。喉が締め付けられるようである。
白蓮はハッと目を開いた。蝋燭は消えていた。自分の手が自分の首を絞めていた。
その二十五.
旧地獄の大通りが橙色の提燈の明かりに照らされて、しかし閉じた商店の張り出した庇の下は薄暗い。
古明地さとりが立ち飲み屋で盃を傾けていると、やにわに通りが騒がしくなったので振り返ると、何だか妙な、色とりどりの光の筋がたいへんな速さで往来を通り抜けて行った。
「今のは何かしら」
「なんです」
「変なものが通りを抜けて行ったわ」
酒屋の主人は妙な顔をした。そんなものは見なかったと心の声が言った。さとりが首を傾げていると、火焔猫燐が入って来た。
「お燐、妙な光の筋が通りを抜けて行かなかった?」
とさとりが言うと、燐はぽかんとした後、笑い出した。心の中でも笑っているので、笑い声が二重に聞こえるようであった。
その二十六.
四季映姫・ヤマザナドゥは、地獄の審判所に座って、列をなしてやって来る亡者に裁きを下していた。亡者どもはお行儀よく一列に並んで順番を待っていたが、突然列の中ほどが騒がしくなった。掴み合いの喧嘩が始まったらしい。にわかに辺りが騒然として、獄卒や鬼や死神が駆け回ったけれど、一向に静かにならない。映姫も「静かに」と喝を入れたけれども、返って火に油を注ぐように列の亡者たちが銘々に言い争いを始めて、獄卒や鬼も、隣に立つ者同士で口角泡を飛ばさんばかりに罵り合っている。そうして、銘々に言い合っていたと思われた矛先が、次第に映姫の方に向いているらしい、何人もが映姫の方を指さしたり、罵るような手つきをしたりした。突然の事だったので映姫が呆然としていると、脇に立っていた補佐の獄卒が怒ったような声で、しかし何と言っているか分からない調子で映姫に何かまくし立てて、平手で卓を叩いたと思うと、映姫が何か言うのを待っているような顔をした。
その二十七.
紅美鈴がいつものように紅魔館の入り口で立ち番をしていると、魔理沙がやって来て中に入れろと言う。当然ダメであるから追い返したら、すんなりと帰ったので首を傾げていると、遠くで水音がして、それから、からからと引き戸を開けるような音が聞こえた。
その二十八.
古明地こいしは服屋に行こうと思い立った。買う事はしなくても、色とりどりの絢爛な着物を見る事は楽しみであった。
服屋の入り口は開け放たれていて、向こうに大きな鏡が置いてあった。こいしがぽくぽくと歩いて行くと、自分の姿が鏡に映った。鏡の中の自分はこちらに歩いて来ていた。
店に入る所で、出し抜けにこいしは誰かとぶつかって仰向けにすっ転んだ。青い空にもこもこした雲が浮いていた。ぼうと寝転がっていると、こいしが心配そうにこいしを見降ろしているのが分かった。
その二十九.
少名針妙丸が、その小さな体をいっぱいに伸ばして、縁側で日向ぼっこをしていると、不意に丸い雲が流れて来て、日の光を遮って影を落とした。小さな雲なのに、いつまでも光を遮って動かないから、おかしいなと針妙丸が体を起こすと、ぱちんと音をさして雲がはじけて、夜になっていた。
その三十.
ルーミアが闇をまとって飛んでいると、誰かにぶつかった。「気をつけろ!」と怒鳴ると、「そっちこそ!」と同じ声で返って来た。驚いて闇を散らしても、周りには誰も居なかった。
その三十一.
風が吹いて、水面をちゃぷちゃぷ揺らしている中を、わかさぎ姫は首だけ出してぼんやりしていた。霧の向こうにうっすらと灰色の雲が流れて来ていて、一雨来そうな気配がした。
ふと、遠くから「おーい」と呼ぶ声が聞こえる。何かしらと声の方に泳いで行くと、今度は逆から「おーい」と聞こえる。行ったり来たりする度に行く方とは逆から声がするので、「うるさいっ」と怒鳴ると、稲光がしてざあざあ雨が降り出した。
その三十二.
赤蛮奇が坂道を歩いていると、足元の小石に蹴躓いた拍子に頭が落ちて、加速度で坂道を転がって行ってしまった。体の方は大慌てでそれを追いかけて、坂の下で目を回している頭を見つけたが、同じような頭が十も二十も道に転がっているから、途方に暮れてしまった。
その三十三.
藤原妹紅は上白沢慧音の家に遊びに行った。幾ばくか話をして、夕飯を食べに出た。通りは宵の口で、昼の仕事を終えた連中が幾人も行ったり来たりしていた。赤提灯の立ち飲み屋台に立つ者もあった。
まだ行った事がないというので、慧音が路地裏のトンカツ屋に案内してくれた。他に客は居なかった。妹紅は「静かな店ね」とお愛想を言って、手拭きで手をぬぐった。カウンターの向こうでトンカツが揚がるしゃあしゃあという音がして、麦酒が運ばれて来た。
麦酒を飲んで、トンカツを待っていると、後から後から大勢の客が狭い店の中に詰まって来て、みんな無頼漢らしい、コップや皿の触れ合う音に加えて、罵り合うような声もした。物怖じはしないけれど、妙に場違いな気がして、妹紅は小さくなって麦酒を飲んだ。店を変えたいとも思ったが、慧音がなんでもない顔をしているので、そう言うのも憚られた。
段々と罵り合う声も大きくなって、誰も彼もが互いに喧嘩を吹っかけているらしい、そのうち「あいつだあいつだ」という声が大きくなって、店に詰まっている無頼漢たちが妹紅の方を指さして怒ったような顔つきをした。慧音が立ち上がって、「よさないか」と言い返すと、無頼漢たちは「あいつだあいつだ」と大声を出しながら、店の中をぐるぐると動き出した。妹紅が呆然と椅子に座ったままでいると、いつの間にか慧音が人の流れにまかれて見えなくなってしまい、そうと思ったら店に居た客は妹紅を残して一人も居なくなっていた。そうしてトンカツが運ばれて来た。
その三十四.
屋台に鬼が二匹首を並べて酒を飲むから、ミスティア・ローレライは気が気でなかった。店の酒が呑み尽されるのではないかと思った。現に、樽の酒も壺の酒もみるみるうちに減って行った。
しかし突然鬼は二匹して机に突っ伏して寝てしまった。酔いが回ったと思ったが、鬼に限ってそんな事もないように思う。鬼二匹は寝言で言い争いを始めた。
「勇儀の角は短い」
「萃香の角は曲がっている」
「どっちも素敵よ」
ミスティアが呟くと、二匹はいっぺんに顔を上げた。目が開いていたが、瞳が眠っていた。「そんな事でないよ!」と同じ声で言った。
その三十五.
霊夢がお椀にお湯を注いでテーブルに置き、そうしてにこにこしながら自分の事を見ているので、針妙丸はもじもじしていたけれど、やがて服を脱ぐと、そうっと足先からお椀の中に入った。湯加減はどうかしらと霊夢が言う。ぬるいので、いい塩梅、というわけでもないけれど、そう正直に言っていいものか分からない。曖昧に言葉を濁して湯から上がると、霊夢はお椀に加え、湯呑み茶碗、ティーカップ、ガラスのコップ、スープ皿、丼ぶり、ワイングラスなどをテーブルに並べて、面白そうにお湯を注いでいる。
「さあ、沢山あるから、遠慮しないで入ってね」
と、一点の曇りもない笑顔で言った。
どうして霊夢がそんなに風呂ばかり勧めるのか、それは分からない。
その三十六.
八雲藍はマヨヒガに橙の様子を見に行った。猫が大勢いるはずだが、どういうわけだか広い庭の中に一匹も姿が見えないので首を傾げていると、家の中でにゃあと声がした。なんだ、みんな中に居るのかと家の中に入ったが、やっぱり誰も居ない。しかし方々から猫の鳴き声がして、気配ばかりが藍の頭上にかぶさって来るような気がした。
その三十七.
見事な満月が上がって、竹の葉擦れの間から月光が青く照らしている。今泉影狼は嬉しいので、竹の間を縫うようにして駆け回っていた。疲れて立ち止まり、空を眺めていると、服の下の体毛がわさわさと伸びていることに気付いた。満月の晩はいつもこうだと顔をしかめたが、次第に毛が服からはみ出して、銘々に好き勝手な方向に伸び出したので、影狼はうろたえて引きちぎろうとした。すると伸びた毛や、引きちぎったばかりの毛がみんな影狼の手や足に絡みついて身動きが取れなくなってしまった。悲鳴を上げる影狼の瞳に、竹の隙間から見える大きな満月がくっきりと映った。
その三十八.
水橋パルスィが橋の下で爪を噛んでいると、橋の上をがたがた、大勢が通り抜けていくようで、足音の他に荷車を引くような音や、何かを引きずるような音も聞こえた。大勢で仲良くしちゃって妬ましい、とパルスィがさらに強く爪を噛むと、かりかりと音がした。その時橋の上がにわかに騒然となって、悲鳴と一緒に誰かが飛沫を立てて川に落ちた。死んだらしく、泳ぐような水音も聞こえない。橋の上ですすり泣くような声が聞こえた。死を悼まれて妬ましい、とパルスィは流れて来た死体の顔を覗き込んだ。それは自分自身であった。
その三十九.
洩矢諏訪子は高台にしゃがんで、遠くの山に雲がかかるのをぼんやりと眺めていた。雲は風に流されながら形を変えて、山裾に広がったり、吹き上げられて山のてっぺんにかかったりしながら、それでも山にまとわりついて離れなかった。
日が暮れて来るに従って、蛙の鳴き声が増えて来た。諏訪子がしゃがんだままでいると、蛙が慕って集まって来るらしかった。小さな蛙が目の前に来て、頬をふくらましてけろけろと泣いている。諏訪子の頬が緩み、長い舌がべろりと出た。舌が蛙を巻き取って飲み込みそうになったが、寸での所で留まった。諏訪子はどうして自分がそんな事をしようとしたんだか合点がいかず、しばらく口がきけなかった。
その四十.
この抜けるような青空を突然雨模様にしてやったらどんなに面白いだろう、と比那名居天子は緋想の剣を抜いて振り上げた。すると雨雲がすごい勢いで天子の元へと下って来て、洗濯機のように天子を揉みくちゃのずぶ濡れにした挙句、雨も降らさずに四方へ散って行ってしまった。
その四十一.
物部布都がぽくぽくと夜の人里を歩いていると、通りの向こうの方からまんまるのボールのようなものが歩いて来た。それはお月様であった。布都は身を小さくして、何気なく通り過ぎようとしたが、お月様が布都を呼び止めた。
「お前はいったい何をした?」
「何もしておらぬ!」
しかし、布都は先ほどいたずら心を起こして、お星様を三つばかり夜空から盗んで懐に隠し持っていた。それがばれるのが怖くて虚勢を張っていたが、お月様には通用しなかったらしい、路地裏に引っ張り込まれて、ぼこすこ殴られた。
お月様は自分の正当性をいい事に捨て台詞を吐いて行きかけたので、布都は腹を立てて後ろから大皿を放り投げた。すると、お月様は砂糖菓子で出来ていたらしい、皿が当たって粉々に砕け散ってしまった。
その四十二.
チルノは湖に飛び込むふりをして、直前に凍らせて着地してやろうと目論んだが、誤って水に落ち込んだ後に凍らせてしまったので、浮き上がる事が出来なくなってしまった。
その四十三.
鬼人正邪が悪だくみをして、いい考えが浮かんだので、一人で機嫌よく笑っていると、住処の外から突然大勢が笑うような声がした。腹が立って「誰だ」と扉を勢いよく開けると、人間妖怪の区別なく大勢の連中が集まっていて、しかも住処が柵で囲われていた。そうして誰もが出て来た正邪を指さして笑っている。嫌われようが何だろうが気にしないが、嘲笑われ、さらし者にされるのは我慢がならなかった。正邪は柵を壊そうと暴れまわったが、何の意味もなく、観衆の笑い声は止まなかった。
「見なよ、あの顔」
「情けないったらないね」
「滑稽滑稽」
「間抜けな奴だ」
「本当に天邪鬼かい」
気が付くと観衆の顔はみんな正邪で、大勢の正邪が、柵の中で狼狽する正邪を指さして大笑いしている。
その四十四.
姫海棠はたてが記事を書こうと念写をすると、画面いっぱいにびっしりと目が写っていたので仰天した。その上、部屋のあちこちから見られているような嫌な感じが漂い出したので、はたては大慌てで部屋を出て逃げ出した。
その四十五.
秦こころが表情の練習をしていると、お面をした大勢の人たちがドドドドと音をさしてやって来て、こころを取り囲んだと思うや、「頑張れ頑張れ」とこころを胴上げして、またドドドドと音をさして何処かへ行ってしまった。
その四十六.
河城にとりが水に浸かって温泉気分で手ぬぐいを使っていると、もたれていた岩の向こう側から手ぬぐいを引っ張る者があった。ぐいと引き返すと、また引っ張り返されて手ぬぐいを取られた。にとりは怒って岩に上って向こうを覗き込んだが、水が流れるばかりで何の気配もなかった。
その四十七.
座敷に寝っ転がっていた豊聡耳神子は天井の木目を眺めていたが、それが次第に動くらしい、うねうねと揺らめいて、水が流れているように見えたし、ついには浮かび上がってくるような気がし出した。
そうやって目を泳がしていると、ゆらゆらと体が揺れるような気がして、とうとう神子は木目の流れに乗って揺らめいていて、それを座敷に寝転がった神子が見上げていた。
その四十八.
井戸の中で息をひそめていたが、退屈になったので、キスメは外に出る事にした。しかし上に向かっていくら飛んでもずっと井戸が続くばかりで出られない。諦めて帰ろうと、下に向かって行くと、唐突に視界が開けて、逆さまになって井戸から飛び出して来たキスメに、ヤマメが驚いた顔をしていた。
その四十九.
向こうの方は雨が降っているが、こちら側は振っていない。雨と晴れの境目はどの辺だと思ったので、霧雨魔理沙は雨の降っている方へ歩いて行った。次第に湿気が増えて、地面に霧のようなものが漂い出した。そうして立ち止まった所から一歩前の所で雨が降っている。飛ぶ飛沫が魔理沙の靴を濡らし、射す日によって小さな虹がいくつもかかっている。
思い立って、体の半分を雨の方に押しやると、半分は濡れて、もう半分は濡れていない。面白いなと思っていると、雨雲が動いたらしい、雨が向こうへ行った。同時に自分の半分が雨に連れて行かれてしまって、驚いた魔理沙は必死に追いかけたが、いくら急いでも追い付けなくて、魔理沙は段々と近づいて来る宵闇の中に、自分の半分を見失ってしまった。
その五十.
日が暮れかけて、障子の向こうは薄暗い。八意永琳は椅子に腰を下ろしていた。何か忘れている約束事があるような気がして落ち着かなかった。しばらくすると外に鈴仙の影が差して、「そろそろお夕飯ですよ」と言った。しかし食欲がないので断ると、鈴仙はそのまま何処かへ行った。
やがてどんどん日が落ちるほどに、永琳の心臓の音が大きくなった。大きくて、耳をふさいでもうるさい。息が荒くなって、妙な不安感が背中の方に這い上がって来た。
障子の外は真っ暗である。その障子の向こうに誰かが立っている気がする。風が吹いたらしい、障子ががたがたと動いた。今にもそれが開いて、誰かが入ってくるようで、永琳は気が気でなかった。
その五十一.
堀川雷鼓がドラムを叩いていると、次第に音の中に変なものが混ざり出した。「ど」の後ろで「が」が聞こえたり、「だ」に続いて「み」が聞こえるくらいはいい方で、「ちちち」とハイハットを鳴らしたつもりが「ぬぬぬ」になったり、クラッシュ・シンバルを思い切り叩いて「じゃあん」と鳴らすつもりが「もにょおん」となったり、タム・タムの連打で「すとととと」と軽快にやってやる筈が「ふめめめめ」になったりしたので、いい加減に腹を立てて、「誰が叩いてるんだか分かりゃしない!」とスティックを放り投げると、「が」「み」「ぬぬぬ」「もにょおん」「ふめめめめ」の音がしばらく周りで踊りまわって、段々と小さくなり、そうして辺りがしんかんとしてしまった。
その五十二.
「この辺のは極早生でして、秋が旬なのです」
と蜜柑農家が秋穣子に言った。穣子はふんふんと頷き、背の低い蜜柑の木の間を、橙色に色づき出した蜜柑を見ながら通り抜けた。抜けて行くうちに、蜜柑の木の方が穣子を避けたり、返って道を塞いだり、気が付くと木々が迷路のようになっていて、低かったはずの背丈も高くなって、ずいぶん高いところにある蜜柑の実が、橙色の星のようにぴかぴか光っていた。
その五十三.
アリス・マーガトロイドは人形繰りの練習をしていた。彼女が手を動かす度に、目に見えない糸が幾つもの人形を踊らした。その動きはさながら生きているようであった。
アリスはいつも練習の時はそうであるように、夢中になって指先と手とを動かしていたが、次第に自分の指の動きに人形が合わせているのか、人形の動きに合わせて自分の指が動いているのか判然としなくなって来た。
おかしいな、と思った時、背後から笑い声が聞こえた。振り返ると、棚に置いた沢山の人形がみんなアリスの方を指差して笑っていた。
その五十四.
里で葬式が出た。仏教徒であるというのから、命蓮寺に葬式の執り行いが依頼され、雲居一輪は聖白蓮の付き添いとして同行する事になった。
それなりの佇まいの家で、大勢の人々が出たり入ったりしている。門の両脇に提燈がぶら下げてあって、暮れかけた往来に淡い光を投げかけている。
参列者たちが詰まっている座敷の前に座って、白蓮がお経を唱え出した。一輪はその脇に付いて一緒に唱えた。しかし前に置かれた棺桶が無暗に大きいのが気になって、どうにも読経に集中できなかった。
段々とお経が終わりの方に近づくにつれて、棺桶ががたがた動き出した。一輪はぎょっとして隣の白蓮を見やったが、まるで気にした様子もない。傍らに浮かぶ雲山も黙っている。後ろを振り向いても、参列者たちは神妙な面持ちで手を合わせているばかりであった。
やがて揺れが大きくなって、とうとう棺桶の蓋が外れて落ち、大きな音を立てた。それでも誰も動かないどころか、気付いてもいないらしい。一輪が息を飲んで棺桶を見ていると、中から茶色い牡馬が起き上って来て、目を一杯に開いて一輪を見、歯をむき出した。
その五十五.
レミリア・スカーレットが自室に戻ると、ソファにお月様が腰かけてワインを飲んでいた。レミリアが眉をそびやかして、「勝手に人の部屋に入って」と言うと、「窓を開け放しておくのが悪い」と言うので、双方の意見の相違により、喧嘩が始まった。
互いに掴みかかって殴り合った挙句、お月様が懐から六連発を取り出した。
「さあ、こいつには銀の弾丸が込められている。如何なお前とて年貢の納め時よ」
「やれるもんならやってみなさい!」
レミリアは怒って弾幕を放ち、お月様は六連発をぶっ放した。
調度品の壺が割れ、シャンデリアの鎖が切れて落ちた。咲夜がレミリアを抱き留めた時、お月様の姿はとうになく、実際はレミリアが一人でそんな気がして暴れていただけだった。
その五十六.
ナズーリンは無縁塚を歩き回っていた。両手にはダウジングロッドを持っていて、いつものようにお宝を探していたのだが、突然、ダウジングロッドが中ほどからぐにゃりと曲がった。ナズーリンがおやと思ううちに、曲がったところがさらに内側に巻いて渦の様相を呈し、と思ったらぱしんとまっすぐになると、今度は蛇のようにうねうねと動いた。ナズーリンは元に戻そうとロッドを振ったり引き戻して手で真っ直ぐにしようとしたりしたが、そうするほどに勝手に形が変わって手が付けられないらしい。
いう事を聞かないロッド相手に奮戦するナズーリンを、偶然来ていた森近霖之助が興味深そうな顔をして眺めていた。
その五十七.
ざあざあと雨が降って、そこらじゅうに水たまりができている。蘇我屠自古は浮かび上がって、そこらじゅうに稲妻を光らせていた。何かしらでむしゃくしゃした時には、こうやって鬱憤を晴らすのが彼女の日課であった。
機嫌が良くなり出したところで、はたと周囲の稲光がなくなった。しかし音ばかりはやかましく轟いている。屠自古が眉をひそめて周囲をきょろきょろ見回すと、地面に溜まった水たまりの向こうで稲妻が四方八方に飛び散らかっていた。
その五十八.
鍵山雛が温泉に浸かって厄を流していると、見知った人が入って来て隣に浸かった。
「ご無沙汰でした。先日は失礼をいたしました」
と話しかけて来るので、しばらく世間話をした。後から入って来たのに、早風呂と見えて、その人は先に上がって行った。雛は上がってから脱衣所で体をぬぐう間、その人の顔を思い出そうとしたが、確かに見知った人であるはずなのに、顔も名前も分からなかった。その上、どうして厄の流れたお湯に浸かって平気だったのか、それも分からなかった。
その五十九.
永江衣玖は中空に浮かんで、空気の流れを見ていた。あちこちから吹く風に押されるせいで空気は乱雑な流れを呈して、好き勝手に動き回っていた。衣玖の緋色の羽衣が、流れが変わるたびにその方へ向かってはためいた。
ひときわ大きな風が吹いたと思ったら、ぴしりと張りつめたように空気も風もみんな止まってしまって、羽衣は力なく垂れ下がった。夜が近づいているらしかった。
その六十.
通りの両側の店はとうに閉まって、店先の提燈にも電球にも明かりはない。宮古芳香は誰も通っていない大通りをぴんぴん跳ねていた。道の脇に大きな黒い犬が寝そべっていて、それが横丁を取りすぎる度に居るので、たいへん多くの犬が道端に寝ていた事になる。
芳香は夜更かしの不届き者が居たら捕まえて食ってやろうと思っていたのだが、みんな寝ているらしい、人通りはないし、起き出してくる気配もない。
かたり、と音がしたと思ったら、戸を開けて誰かが出て来た。芳香はそれに躍りかかった。襲われた人は悲鳴も上げなかった。芳香は獲物を押さえてかじりついたが、どうにも旨くない。見ると、それはボール紙を切り抜いた人形で、体を起こすと、たくさん居た黒い犬がみんな起き出していて、芳香を取り囲むようにしてお行儀よく座っていた。
その六十一.
チルノは湖に飛び込むふりをして、直前に氷を張って着地してやろうと目論んだが、張ったものが薄かったらしい、氷を踏み抜いて水の中に落っこちてしまった。
その六十二.
秋静葉は秋を終わらせねばならぬので、すっかり紅葉した木々を蹴り飛ばして回った。ひらひらと枯葉は舞って、地面に落ちる前に雪に変わって森の中を白銀に染めた。静葉が通り過ぎてから、ひゅうひゅうと冷たく北風が後を追っかけて行った。
その六十三.
庭師の魂魄妖夢が庭先で剣の稽古をしているのを、西行寺幽々子は眺めていた。縁側に腰掛けて、お茶をすすった。本来は自分も剣の指南を受けるべきである筈なのだが、本人はもとより、妖夢の方にもそんなつもりは無いらしかった。
ぼんやりと見ているうちに、妖夢の動きが妙に緩慢になって、素早く振り下ろされる刀の波模様までハッキリ見えるようになって来た。動く妖夢が残像のように何人もいるようにも見えた。そうして次第に辺りの風景に締まりが無くなって来た。
「幽々子さま?」
幽々子がハッと気が付くと、妖夢が目の前で不思議そうに首を傾げていた。幽々子は仰向けに倒れていた。縁側に張り出した庇の板も、それを支える柱も、整えられた庭木も、全てが変わりないように思われた。
その六十四.
宴会の帰り、二ツ岩マミゾウはいい具合に回った足取りで帰途についていたが、ふと妙な気配を感じて振り返った。振り返っても誰も居なかった。はてと思って元の通りに歩き出したが、矢張り気配ばかりがしてどうにも落ち着かない。そのうち草が焦げるようなにおいがして、不意にマミゾウの横を誰かが駆け抜けて行った。その足音が、通り過ぎた後もずっとその場所に残って足踏みしているようだった。
その六十五.
九十九八橋が座って琴を弾いていると、知らないうちに向かいに誰かが座っていて、同じように琴を弾いている。紺絣の着物を着ていて、どうやら目くららしかった。
八橋は何が何だか分からなくて、ふいにぴんと音をはずすと、向かいの人が白く濁った瞳をぎょろぎょろさせた。
「今のところは難しゅうございますか」
「いや……」
「もう一度やってみましょう。少し前の小節から」
と言って弦を指ではじいた。八橋はよく分からないまま、知らない人と差し向いになって琴を弾いた。気付くと目の前の人は居なくなっていて、居たと思われる場所に水たまりが出来ていて、川の匂いがした。
その六十六.
霊烏路空が旧地獄の街道を歩いていると、たくさん吊るされた提燈の一つが落ちて来て往来に転がった。風もないし、他の提燈は水で濡れたようにじっとしているのだけれど、落ちた提灯は止まらずにころころと転がって行くらしかった。
空は面白がってそれを追いかけたが、提燈が横丁を曲がったあたりで見失ってしまった。
「あれえ?」
ときょろきょろ辺りを見回していると、「ホイ!」という掛け声とともに、二階建ての建物の屋根の上まで投げ飛ばされた。
その六十七.
博麗霊夢が神社の掃除をしていて、参道の石畳に乗っかった玉砂利を箒で掃き出そうとすると、ぴんとはじいたものが、こちんと音を立てて、跳ね返ったのだか分からないが、元の通りに石畳の上に戻って来た。霊夢がムッとして、さっきよりも強く砂利を掃き出すと、今度はバケツ一杯分ほどの砂利がいっぺんに石畳の上に跳ね返って来た。
その六十八.
夜に林の合間を縫って、蛍がたくさん飛んでいる。示し合わせたように一時に光ったり消えたりしたと思ったら、今度は銘々、てんでバラバラに光りもした。蛍の尻が光る度に、黄色い光が辺りをぼんやりと照らし、月もないのに林の中は妙に明るい。
リグル・ナイトバグは木の根元に腰を下ろして、光る蛍を眺めながら、時折手を振って蛍の光るのを操ったり、位置を変えて形を作ったりして遊んでいた。
不意に生ぬるい風が吹いて来て、ぴちゃぴちゃと水音が聞こえ出した。リグルが首を傾げていると、何処からか水が流れて来て、それが段々とかさを増して来るらしい、リグルの足首の辺りまで浸かった。驚いて木の天辺まで飛び上がったが、水かさはどんどん増して来て、ついには林が全部水に沈んでしまったけれど、水面は波も立てずに張りつめていて、その中で蛍がたくさん、何の変りもなく明滅を続けていた。
その六十九.
射命丸文は、幻想郷最速を自負する身として、さてどれほど速く飛べるであろうと思い立ち、翼を広げた。
びょうびょうと風を切って、眼下には初夏の深緑が筋になって流れて行き、と思ったら色とりどりの甍を並べた人里が現れ、すぐに広い平原に変わった。
いい心持で飛んでいると、唐突にすとんと体が軽くなった。文がおかしいと思って振り返ると、少し後ろで文が真っ逆さまに地面に落ちて行くところだった。
その七十.
博麗霊夢が部屋の片隅で、目白が塩を舐めたように膨れていると、魔理沙が案内も請わずにやって来て、ちゃぶ台の上に布のかかった籠を置いた。何それと尋ねると、たくさん取れたからおすそ分けに来たぜと言う。
魔理沙にしては気が利くではないかと思っていると、魔理沙が籠にかかった布を除けて、中のものを取り出した。野球のボールくらいの大きさで、白くて、しかし随分柔らかいらしい、手の上でくにゅくにゅと揺れた。豆腐のようにも思えたが、手触りは餅のようでもあり、表面にはぷりぷりと光沢があった。指でへこみを作ると、少ししてからむくむくと元に戻った。
「これが旨いんだよ」
と魔理沙は一つを霊夢に手渡して、もう一つにかじりついた。かじった所に、周りの白いところが直ぐに寄って来て、かじったのが分からなくなった。魔理沙はもちゃもちゃと旨そうに咀嚼している。霊夢は片付かない気持ちで手の上の白いものを見た。何だか妙な、獣のような臭いがした。
「わたしはやめとく」
「なんだよ、旨いのに」
と言って、魔理沙は自分の分を全部食べてしまった。霊夢がどうしても食べないので魔理沙は諦めて帰ったが、あの白いものが何だったのかは未だに分からない。
その七十一.
宇佐見蓮子は法廷に立たされていた。裁判長はお月様で、傍聴席にはお星様がひしめいていた。これは初めから結果の決められた裁判であった。蓮子が、月や星を見ただけで時間や場所が分かる云々がお月様やお星様の怒りに触れた。弁護人に立てられたマエリベリー・ハーンは彼女の無罪を訴えたが退けられ、蓮子は十年間ブリキの人形を作らねばならぬ事になった。
その時、蓮子の額にひやりと冷たいものが触れた。目を開くと、見慣れた天井が見える。蓮子は風邪をひいて眠っていたのだ。
「嫌な夢を見たわ」
と蓮子は、濡れタオルを額に置いて、悪夢から呼び覚ましてくれたメリーの方を見た。メリーとお月様とお星様が、心配そうに蓮子の事を見つめていた。
その七十二.
わかさぎ姫が夜の湖をぱちゃぱちゃ泳いでいると、お月様が水の中に沈んでいた。初めは空のお月様が水面に映っているだけだと思われたのだが、空にお月様がいないので、水の中に落ちている事が分かったのである。
わかさぎ姫は、ぱしゃんと飛沫ひとつ、瞬く間に水の中に潜り、お月様を岸まで引っ張って行った。お月様は長い事水の中に居たせいですっかり縮んでしまっていたが、水をぬぐって乾かしてやると、元の通りに夜空に帰って行った。
その七十三.
夏の昼下がりに、風見幽香が博麗神社に遊びに行くと、霊夢が茶を入れてくれたので、母屋の座敷でちゃぶ台を挟んで向かい合った。ふと幽香が脇を見ると、半分ほど開いた襖の向こうに死体が横たえてある。どうしたの、あれはと尋ねると、霊夢は肩をすくめた。
「困っちゃうのよね、帰ったらあるんだもの」
「妙ね」
と、聞いておいたくせに別段興味もなさげにお茶をすすった。
その七十四.
里で評判の饂飩屋に駆け付けたが、人がたくさんで直ぐには入れない。流行りものは得てしてこうなのだなと東風谷早苗は思った。
しばらく待って、入る事が出来た。店の中は大勢人が詰まっていて、しかし誰もしゃべらずにぞろぞろと饂飩をすすっている。厨房からは、無暗に大量の湯気が暖簾を越して客席の方まで押して来ていて、妙に湿気ている感じがした。
早苗が通されたのは相席で、向かいに霊夢が座っていた。あらと思って会釈したが、霊夢は早苗の方なぞ見もせずに、饂飩に夢中である。これはきっと美味しいに違いないと、早苗は饂飩を注文して、そわそわしながら待った。中々饂飩は来ない。向かいに座った霊夢はずっと饂飩をすすっている。丼ぶりの中からいくらでも麺が湧いて出てくるように思う。
見ていると、次第に麺をすする動きや、その音の律動に合わせて、霊夢の頭が大きくなったり、小さくなったりするように思われ出した。すすり上げる時に額から上がずんずんと伸び上がり、ごくりと飲み下す時にのどの動きに合わせてすとんと小さくなり、勢いに乗って半分くらいまで頭がつぶれる。
早苗があっけに取られていると、霊夢が丼ぶりの汁の一滴まで飲み干して、席を立った。早苗の方を一瞥もしない。最初から気付いていないようなそぶりである。その後ろ姿を見送る早苗の所に、店員が饂飩を運んで来た。
「お待たせしまして、すみません」と言った。
その七十五.
ルナサ・プリズムリバーはうとうとして、眠りに落ちた。ポルターガイストが眠るのかどうか、その辺は定かでないが、元が人間の記憶だったのが関係しているらしい、ともかくうたた寝をして、目を覚ますとバイオリンがチェロに成長していた。
ルナサは眉をひそめた。
「いったいチェロなんかになってどういうつもり?」
「しかしご主人様、私も成長期ですからチェロくらいにはなります」
「無茶だわ」
「でも現にこうなったのですから」
どうにも埒が明かないので、止むを得ない。ルナサはなんとかチェロを弾きこなせるようになったが、そうなった頃に今度はチェロがコントラバスに成長したのだが、それはまた別の話である。
その七十六.
小野塚小町が小舟に寝転がって昼寝をしていると、周りの水がちゃぷちゃぷと波立って、それに合わして小舟が揺れ出した。小町が驚いて起き上ると、舟が岸から離れていた。日が暮れていて、たくさんのともし火が遠い山の斜面を覆い尽くすようにして燃えているのが見えた。
その七十七.
冬が来て、強い風に雪が舞って吹雪の様相を呈している。レティ・ホワイトロックはその中を風に乗って滑るように飛んでいた。しんしんと肌に染み入る冷たさが心地よかった。
雪が視界を埋め尽くすように吹雪いているので、木にぶつからないように結構な高さを飛んでいたのだが、突然目の前に大きな影が表れて、危うくぶつかりそうになった。影はレティに気付かないような動きで通り過ぎて、そのまま吹雪の向こうに消えて行った。
レティが眉をひそめて、ふと上を見ると、同じような大きな影がいくつもいくつも吹雪の中を飛んでいくところだった。目を細めてよく見ると、それは大きなみみずくだった。風が雪を散らす音に混じって、みみずくの羽が風を切る音がありありと聞こえた。
その七十八.
大宴会があって、博麗神社の境内は死屍累々の様相を呈したが、翌朝には妖怪も人間も何処にも居ない。いつも好きなだけ飲み食いして居なくなるとは、勝手な連中だと霊夢は思うけれど、それがいつもの事なので、返って誰かが残って手伝おうなどとするのがむず痒い。散らばった皿や盃を片づけ、食べ残しを集めていると、暢気に寝息を立てている者がある。いい気なもんだわと霊夢は寝ている者をごろりと蹴り転がした。よだれまで垂らしているその顔は、霊夢自身のものであった。
その七十九.
台所が騒がしいので、十六夜咲夜は様子を見に行った。妖精メイドたちが集まって騒いでいた。何の騒ぎかと言うと、ぴいぴい言いながら誰もが台所の中を指差した。咲夜は入り口から覗き込んだが、おかしな所はない。けれど、流しの中の洗いかけの食器や、調理台に中途半端に支度されたお茶のセットが、何処か曖昧な気がした。
台所に入ると、窓の向こうから太陽の光が差し込んでいた。それが咲夜を照らして、背後に長い影を作っていた。咲夜がおかしいなと思いながら振り返ると、自分の影が活動漫画のように大きくなったり小さくなったり、忙しなく動き回っていた。
その八十.
メルラン・プリズムリバーがトランペットをぷかぷか言わしていると、不意にトランペットが音の代わりに変な塊を吐き出した。それは黒くて、光沢があって、変に柔らかいものであった。触るのも気持ちが悪いので、メルランはどうしようかと思っていたけれど、考えてみればどうする必要もないと思ったので、放ったまま再びトランペットを鳴らし出したけれど、何だか前よりも音に締りがないように思われた。
その八十一.
火焔猫燐が猫車に死体を満載にして街道を驀進していると、道が悪いので猫車ががたがたと揺れた。すると死体たちが燐の方を見て、銘々に抗議した。
「死んでからもこの扱いとはひどい」
「おだまり」
燐は気にも留めずに先を急いだが、死体が一個、ごろりと猫車の前に転がり落ちた。車輪が死体に乗り上げて跳ね上がったと思うや、乗っていた死体がみんな猫車から投げ出され、それぞれがしっかと地面を踏みしめて逃げて行ってしまった。
その八十二.
橙がマヨヒガの台所で猫たちの餌を作っていると、庭の方が騒がしいので、何事かと思って出てみると、猫たちが流星にまたがって楽しそうにびゅんびゅん飛んでいた。向かいから来る風で、ぴんぴん伸びた髭や体毛がなびいているのが見えた。
「わたしを差し置いてそんな楽しそうな事を!」
と橙が怒ると、猫たちも流星もみんな正座をしてしょんぼりしていたが、その後ろの方に八雲藍が混ざっているのに橙は気付いていないらしかった。
その八十三.
紅魔館を散歩していたフランドール・スカーレットは、廊下を歩く自分の姉の姿を見つけた。少し驚かしてやろうと後を付けて、わっと声を上げて肩を叩いた。驚いた表情で振り返ったのは、自分自身であった。
その八十四.
チルノは湖に飛び込むふりをして、直前に氷を張って着地してやろうと目論んだが、着地した思われたときに足を滑らせたらしい、頭を打って気絶してしまった。
その八十五.
真夜中に、里の大通りをたくさんの人々がぞろぞろと列をなして歩いている。明かりが何処にも灯っていないので、誰も彼も影法師なのだが、その人の列が町外れの方の大きなお屋敷にみんな入って行った。夜歩きに出ていた稗田阿求は、その様子をぽかんと口を開けて見た。やがて列の最後尾が門の中に行ってしまうと、草履や下駄の音がぱたりと止んでしまって、辺りが妙にしんかんとしている。阿求が門の中を覗き込んでみても、お屋敷の中には人の気配はせず、あの大勢の人たちが何処に行ってしまったのか、阿求は突っ立ったまま随分長い事考えていた。
その八十六.
霍青娥が目を覚ますと、宮古芳香が増えていた。昨晩雨が降ったせいであろう。増えた分には別に構わないので、そのままに放ってお茶を飲んでいると、暇を持て余した豊聡耳神子がやって来て、目を白黒させた。
「随分増えたものだね」
「ええ太子様、だってキョンシーですもの」
「でも全部芳香じゃないのかい。キョンシーが増えるのは分かるが、芳香が増えているのはよく分からない」
「昨日は雨が降りましたでしょう」
「降ったね」
「濡れると増えますのよ」
「それはちょっと物騒だなあ」
そうですか? と青娥は笑ってお茶をすすった。
その八十七.
星熊勇儀が一人でお酒を飲んでいると、突然盃の中からゲラゲラと笑い声が聞こえた。びっくりして酒をこぼしかけたが何とか留めて首を傾げていると、残った酒が盃の底にみるみるうちに吸い込まれてしまった。
「こら、盃の癖に酒を飲むとは何事だ」
と勇儀が怒ると、
「そっちばっかり飲んでずるいや」
と盃が言うので、少し考えて、別の盃を取り出し、盃と差し向かいで酒を飲んだ。一人で飲むよりも旨いように感じた。
その八十八.
メディスン・メランコリーが目を覚ますと、月明かりが鈴蘭畑を照らしていた。砥石で研いだような三日月であった。鈴蘭が花期を迎えているので、その風鈴のような花が風に揺れる度に、しゃらしゃらと音がしたが、次第にそれが何か話し声のように聞こえてくるらしい、メディスンは不思議に思って耳を澄ましたが、風が止むと鈴蘭のひそひそ声もたちまち止んでしまった。
その八十九.
犬走椛が哨戒任務で千里眼を木々の間に走らすと、木の脇に立った自分の後ろ姿が見えた。おかしいなと思うと、向こうを向いていた自分が振り返って、今にも何か言いそうな様子で口をもぐもぐさせた。
その九十.
リリカ・プリズムリバーがキーボードを叩いていると、突然鍵盤の音がボンゴのそれに変わった。あらと思って、今度はボンゴを叩いてみると、キーボードの音がする。
「こらお前たち、出す音を間違っているよ」
と言うと、今度はキーボードが鳥のようにさえずり出し、ボンゴは川のせせらぎを叩き出した。埒が明かないので、姉たちの所に行ってみると、ルナサのバイオリンがゴリラのように吠えていて、メルランのラッパが大笑いしていた。
その九十一.
次第に辺りが暗くなって、かぶさって来た分厚い雲から雨が滴り出した。
魂魄妖夢は里に買い物に来ていたが、傘を持っていなかったので、近くのカフェに入り込んで息をついた。通りの店の軒下に、同じように傘を持たぬ連中が詰まっているのがガラスの向こうに見えた。
妖夢は雨が止むまでと紅茶を頼み、ぼんやりとしていたが、そのうちカップから漂う湯気がぼやぼやと形を変え出して、おやと思うと自分の半霊と同じような形になっていた。あっけに取られていると、自分の半霊と湯気の半霊が喧嘩を始めたので、「やめなさい!」と慌てて止めに入ったが、埒が明かない。腹が立って、腰の剣を抜き放ったが、誤って自分の半霊を切ってしまったので、目の前の風景が途端に白けてしまった。
その九十二.
黒谷ヤマメが旧都の屋台でお酒を飲んでいると、キスメがやって来て隣に座った。
「珍しいじゃない」
と言うと、ちろりとヤマメの方を見て、それからまたカウンターの木目を見た。
ちょっとして煮卵が来て、キスメはそれを食うらしい、嬉しそうに箸をかちゃかちゃいわした。二つに割るつもりらしい、箸をぐいと卵に押しつけて、白身が割れると、半熟の黄身が濃いオレンジ色になって現れた。
すると、その黄身の中から、小指の爪くらいの小さな人が出て来て、ひょいと皿から飛び降りて、すたすたと歩いて行ってしまった。ヤマメもキスメもそれをぼけっとして見送った。カウンターに黄身が点々と垂れていた。
その九十三.
日が暮れて、空にお星様がぴかぴかしている。スターサファイアがぼんやりしていると、サニーミルクとルナチャイルドがやって来て、変なものを見に行きましょうと言う。
果たしてそれは、キョンシーの宮古芳香がみみずくの子供を狙っているのだった。親みみずくは大きな翼を広げて、木に登った芳香がとびかかって来るのを跳ね飛ばした。妖精三匹はその様子を茂みの中から見ている。いつの間にか他にも妖精が集まっていて、一塊になっていた。
「あのキョンシーは変ね」
とサニーミルクが言った。スターサファイアは、今そんな事を言ってはいけないと思った。芳香がこちらを向いた。
「いけないわね、茂みが枯れちゃうわ」
とルナチャイルドが言った。たいへんな事になった。芳香がそれに気づいたのではないかと思った。青々としていた茂みは茶色くくすんで、葉がかさかさと落ちている。
「キョンシーはみみずくを狙ってなんかいないんだわ。ふりよ」
とサニーミルクがまた言った。すると、芳香が木から飛び降りて妖精たちを食いに来た。妖精たちは一塊になって同じ方向に逃げた。
「サニーとルナがあんな事を言うから」
とスターサファイアが言うと、二人は首を振って、何が可笑しいのかけらけら笑った。
逃げ遅れた妖精が一匹、また一匹と食われている。スターサファイアが後ろを向くと、芳香が妖精を一匹押さえつけていた。
「スター、こうなったら能力でなんとかしましょう」
とルナチャイルドが言うので、尤もだと妖精三匹は音を消し、姿を暗まして、しかしこちらは芳香を探り当てながら逃げた。やがて芳香の気配がなくなって、妖精たちはみんな安心して輪になって笑った。
しかしスターサファイアは何だか不安が拭えなかった。どうして怖いのか、自分でもよく分からない。そんなスターサファイアを見て、妖精たちは一層笑い声を上げた。
「スターはまだ分からないのね」
「ええ」
「ただの洒落なのに」
そう言って笑っている。スターサファイアは何だかよく分からなかったけれども、そのうちに自分も妙に可笑しくなって来た。ふと気づくと、いつの間にか輪の中に芳香が混じっていて、みんなと一緒になって笑っていた。
その九十四.
八雲紫が博麗神社に行ってみると、霊夢は留守だったが、しばらくすると袋を持って帰って来た。霊夢は紫を一瞥すると、「来てたの」と素っ気なく言って、座敷に上がり込んだ。
霊夢は袋の中身を一つ一つ出して、畳の縁に丁寧に並べている。それは石であったが、形がまちまちで、どれも小さな穴がびっしり空いていた。
「それは何、霊夢?」
「近くの川で取れるのよ。こうしておかないと逃げちゃうの」
紫は何の事だか分からなかったが、石に空いた小さな穴を見ていると、何だか吸い込まれるような気がして顔をそらした。
その九十五.
蓬莱山輝夜は妹紅に喧嘩を売ろうと思って竹林を歩いて行ったが、妹紅は出かけているらしい、小屋の中は誰も居なかった。
「なーんだ、つまらない」
そう言って意味もなく小屋に上がり込んで、座布団を引き出して勝手に座っていると、何だか妙に落ち着く気がした。やがてうとうとして、横になって眠ってしまったが、目を覚ますと日が暮れていて、かちゃかちゃと土間で夕飯の支度をしているような音がしていた。しかし輝夜が覗き込むと誰もおらず、音だけがしていて、覗き込んだ拍子に、後ろに誰かが立っているような気配がした。
その九十六.
辺りがすっかり暮れかけているので、十六夜咲夜は家路を急いでいたが、横丁から突然霧雨魔理沙が現れて、咲夜の前に立ちはだかった。
「よお、飲みに行かないか?」
「悪いけど、わたしは忙しいのよ」
そう言って断るけれど、魔理沙が嫌にしつこいので、咲夜は時間を止めて先を急いだ。しかし、時間が止まっているのに、さっきから視界の隅に黒い何かがちらついて、ずっと咲夜に付いて来ているらしいのが気になって、紅魔館に着いてからも釈然としなかった。
その九十七.
サニーミルクが日向ぼっこをしていると、スターサファイアとルナチャイルドが何を持って来た。それは大きくて白くて、つるつるした球体であった。
「どうしたの、これ」
「見つけたの」
「撫でると面白いのよ」
そう言って手でつるつる撫でている。サニーミルクも撫でてみたが、凹凸はないし、つるつるしているし、撫でるほどに落ち着かなくなってきたので、やめてしまった。
その九十八.
花火大会があるというので、二ツ岩マミゾウは封獣ぬえと連れ立って、川岸まで行った。広い川に桟橋が張り出してあって、そこに見物客が銘々に腰を下ろして酒を飲んでいる。辺りは日暮れて、ひぐらしが鳴いていた。
マミゾウは欄干の近くに陣取って、持って来た酒をぬえと傾けた。
西の空が暗くなってから、向こう岸から一発目が上がった。大きな火の花が夜空に咲いて、少し遅れてからどおんと大きな音がした。散らばった火の玉が川岸の葦の茂みに落ちて燃え出した。どうもおかしいなとマミゾウが思っていると、火がずっと広がって、桟橋まで燃えて来た。しかし、見物客たちはちっとも気にせずに、次々と上がる花火を見て、手を叩いて喜んでいる。
やがて辺り一面が火の海になって、暗い夜空が真っ赤に照らされて来た。
その九十九.
上白沢慧音が街を歩いていると、道普請をしているから、回ってくれと言われた。止むを得ない、言われるままにぐるりと回って別の道から下って来たが、道の脇にあるお濠の水が白く光って、中がぶくぶく泡立っている。慧音が眉をひそめて見ていると、水の中から蟹がたくさん出て来て石垣を登り、道をぞろぞろと横断し始めたので、通行人たちがあっけに取られていた。蟹は慧音の体にも上って来ようとするので、慧音は慌ててそれを払い落として、家路を急いだが、道が蟹で埋め尽くされているから歩くのに時間がかかる。途中幾匹も蟹を踏み潰した。
こんな歴史は食ってしまおうかとも思ったけれど、何故だか踏み切れず、這う這うの体で家に帰り着いたときには日が暮れていて、ぴしゃりと閉じた戸の向こうや屋根の上で蟹の足がかちゃかちゃいうのが聞こえた。
その百.
近頃夜になると空からお月様の一団が降りて来て、大通りを横切って広場の茂みの中に隠れ込むという噂が立ったので、霧雨魔理沙は広場の茂みに隠れていたが、夜が更けて、辺りがあんまり静かなので眠ってしまった。
ひゅうひゅうと冷たい風に首筋を撫でられて起きてみると、お月様は夜空に輝くばかりで、降りて来ている気配はない。
「やれやれ、噂は噂か」
と魔理沙が大あくびをすると、近くのお屋敷から悲鳴が聞こえた。そのお屋敷は旦那に先立たれた老婦人が一人で住んでいた。近所の人たちが集まって来て、魔理沙もその中に混じったが、誰も門を開けて中に入ろうとはしなかった。
そのうち悲鳴が止んで、中から老婦人が狼狽した様子で飛び出して来た。今座敷の中をお月様たちが駆け回ってから出て行ったが、この生垣を飛び越えて行かなかったかとみんなに聞いていた。魔理沙が見上げると、空にはお星様ばかり光っていた。
その百一.
「ほら、こうやってみると、小さなお月様を持ってるみたいじゃない?」
と霊夢が何かをつまむような手つきをして、上げた。霊夢の人差指と親指の間にお月様が挟まっている。
「遠近感の錯覚でしょう?」
と針妙丸は言った。
「何よ、面白くないわね」
と霊夢が指と指をくっつけると、ぱきんと音がした。霊夢と針妙丸が驚いて見上げると、潰れたお月様が夜空に浮かんでいた。
その百二.
すっかり冬の気配に包まれた秋の終わり、秋静葉は人里から西へと向かう街道を歩いていた。長い道は茶色く色の抜けた草が両脇に生えていて、風に吹かれると葉と葉が擦れ合ってかさかさと音を立てた。
幾年月を重ね、幾度の秋を迎えて、また送り出したのか、静葉には思い出せない。いつも同じようで、しかしその中で少しずつ違う事もあったのだが、その違いがいつ起きたのか、記憶が前後して、古いものと新しいものがごっちゃになっていた。
ススキの穂が揺れている。ホオズキは皮が透けて中の赤い実が電燈のように光っている。静葉は長い道を歩いて、焼けた西の空の方に向かって。
その百三.
単なる気のせいだと思われたのだが、いよいよ不安感が増して、もう気のせいだとは思われない。気のせいであっても、それが現に心持に支障をきたすならば同じ事だとアリス・マーガトロイドは立ち上がった。部屋を出て、廊下を歩いて行くうちにも、理由のない焦りや不安がずっと付きまとった。廊下が不自然に長い気がした。
さて、居間に入ると人形たちが動き回っている。掃除は終えたし、食事の支度はまだである。しかし動いているのは暇を持て余しているのか何なのか。
ここの所、アリスは人形が自分の手に余るように思った。人形繰りで指先から垂らした糸がどんどん伸びて、自分に見えない所に行ってしまったような、そんな気がした。
人形たちはアリスを見ると丁寧にお辞儀をして、どこも変わった所はないように思われるのに、やっぱり何かしら引っかかる部分があって、アリスは考え込んだ。人形たちが集まって来て、心配そうにアリスの事を見ている。ガラスがかたかた鳴ったと思ったら、大粒の雨が窓を叩いていた。
その百四.
今泉影狼が竹林でぽやぽやと眠気に身を任していると、あちこちでぽこぽこと妙な音がし始めた。影狼がびっくりして見回すと、筍がいくつも地面から顔を出して、瞬く間に大きくなっている。
「ひゃあっ」
そのうち影狼の尻をつっつくように顔を出した筍があったので、影狼は飛び上がって逃げ出した。どれくらい走ったか分からないが、ともかく筍がおとなしくなって、息をついていると後ろに誰か居るような気配がある。「驚いたあ」と独り言でもなく、かといって話しかけるというほどの口調でもなく振り返ると、影狼と同じくらいの背丈の筍が突っ立っていた。
その百五.
河城にとりが巨大な機械を作ったというので、射命丸文は見に行った。にとりの根城に入ると、所狭しとガラクタが積み上げてあって、部屋の真ん中には妙な機械が鎮座していた。機械にはマジックハンドのような手がいくつもついていて、床には機械から伸びるコードが木の根のように這っていた。
「これはなに?」
「きゅうりを切るんです」
「きゅうり?」
「はい天狗様。薄切りから厚切り、スティック状から飾り切りまで自由自在でさぁ」
と、にとりは自慢げに言って、スイッチをひねった。すると機械からゲラゲラと笑い声がして、大きな手がにとりと文とを跳ね飛ばした。
その百六.
ミスティア・ローレライは屋台でお客を待っていたが、暖簾の向こうは雨でけぶっているので、今夜はお客は望めないかな、と手酌で熱燗を傾け出した。
徳利をひとつ空けたあたりで、ちゃぷちゃぷと足音がして、鈴仙がやって来た。椅子に腰かけると体を震わして熱燗を注文した。
「雨の中ご苦労様」
「嫌になっちゃう」
そうして客と店主とで盃を傾けたが、ふいに雨が強くなって、ミスティアがハッとすると鈴仙の姿はなく、鈴仙が座っていた椅子には泥の塊があった。
その百七.
八雲紫は退屈だったので、戯れに隙間を開いて自分の後ろ姿を見た。後ろ姿の彼女は気だるげにテーブルに肘をついていた。紫は同時に右側に隙間を開いた。後ろ姿の自分の右側に、自分の横顔が現れた。左側にも隙間を開くと、左にも横顔が現れた。自分がいくつもいるようになってしまったが、取り立てて面白くもない。
止めてしまおうと思った所で鼻がむず痒くなってくしゃみをした。すると目の前の紫たちがいっせいに紫の方を見た。
その百八.
博麗霊夢が異変の解決に向かうと、妖精たちが纏わりついて離れなかった。弾幕を放って追い払っても、次から次へと湧いて出た。湧いて出るが、纏わりつくばかりで邪魔をするでもない。不思議に思っていると、どの妖精もくすくす笑っているらしかった。
「ホラ、まだ気付かないんだわ」
「きっと分からないのよ」
「くすくす」
霊夢はカッとなって再び弾幕を放った。途端に辺りがしんかんとして、妖精の姿は一つも見えなくなってしまった。
こういう話好きです
雰囲気のなんとも言えなさが好みです。
お話にオチを求めちゃダメなタイプ?
ただ、数の力で押し切ったというか、個々で見た時にこれをショートショートと呼べるのか疑問です
意外性のあるオチもなく、だらだらと生温い雰囲気が続いているだけ
不思議ですねっていうだけで、どの作品もオチてない
雰囲気は良かったので、それだけに残念な気分です
百七と神社の無限階段がお気に入り
もはや幻想郷の住民と化したお月様がなかなかナイスガイ。
あと、たぶん誤変換でしょうけど、『針妙な面持ち』にふふってなりました。
少々オチが被ってる所が気になりましたが、まぁ些細なことかなと。
この空気感ほんと好きなんで、次作もお待ちしています。
同じ様な話、オチが多いので途中で飽きてしまいました
スタンド攻撃みたいだ
意味がありそうでないのかあるのかよくわかんない
途中で読む気が折れちゃった
愉快な夢が見れそうです。
楽しませてもらいました