「……あら?」
「どうしたの?」
「ああ、いえ。
すいません、メイド長。ちょっとよろしいですか?」
「ええ」
今日も今日とて、多くのメイドが働く紅の館こと紅魔館。
そこの廊下を行く二人――そのうち一人は、片手に茶器の載ったトレイを持つメイド長、十六夜咲夜。
もう一人は、その彼女をサポートしているメイドである。
果たして、二人が向かった先で見たのは、
「はい、フランドール様。あ~ん」
「あ~ん!」
「ぱくっ。美味しい?」
「うん、美味しい!」
「フランドール様、こっちも美味しいですよ。はい、あ~ん」
「あ~ん!」
――という具合に、この館の権力ピラミッドで(一応)頂点に立つ、ちみっこお嬢様の妹君、もっとちみっこお嬢様を囲むメイド達の姿であった。
彼女たちはきゃーきゃー騒ぎながら、お嬢様の小さなお口にお菓子をぽいぽい放り込んでいる。
「……全くもう」
その様を見て、咲夜はやれやれとため息をつく。
メイド達の方から聞こえてくるのは、『や~ん、かわいい~』だの『次、あたし、あたし!』だの『フランドール様、なでなでさせてください!』だのといった声ばかり。
「自分達が仕える主人を愛玩動物扱いというのは……」
「まぁ、仕方ないですけどね」
「わかるけどね?」
その見た目の愛らしさと性格的なものが相まって、色んな意味で、誰からもかわいがられるもっとちみっこお嬢様。
その顔はいつでも笑顔。頭をなでなでされて、美味しいお菓子を一杯もらって、実に嬉しそうだ。
しかし、だからといって、彼女たちの『蛮行』を見逃すわけにはいかない。
「こ……」
声を上げようとした咲夜を、隣のメイドが制する。
そうして、
「あなたたち」
静かに、だが、凛とした響く声で一言。
その声で、騒いでいたメイド達が一斉に振り返り、顔を緊張させる。
「フランドール様のお世話を頂き、ありがとうございます。ご自分のお仕事の方はいかがですか?
そちらもしっかりこなしてくださいね。
お疲れ様」
にっこり優しく微笑む彼女に、慌てて、『す、すみませんでした!』と頭を下げた後、彼女たちはそそくさと持ち場に戻っていく。
さっと、潮が引いたように自分の周りから人がいなくなって、もっとちみっこお嬢様ことフランドール・スカーレットが首をかしげる。
「フランドール様、お菓子ばっかり食べていたら、虫歯になってしまいますよ」
「う……」
「後で、ちゃんと歯磨きをしましょうね」
「は~い」
一瞬だけ、眉毛をへの字にした後、彼女はにっこり笑って右手を大きく挙げる。
そして、ぱたぱたと、二人の間を抜けて、どこかへ走っていってしまった。
「頭ごなしに叱るだけでは、彼女たちもメイド長を怖がってしまいますよ」
「……なるほどね」
ふぅ、と咲夜は肩をすくめて、その場から歩き出す。
「だけど、管理の目が行き届いていないと、すぐにサボろうとする子が多いわね」
「妖精というのはそんなものですから。
紅魔館では、しつけとルールの徹底はしていますけれど、やはり本能を抑えることは出来ません。
だから、『勤務時間9時間のうち、自由な1時間の休み』があるのでしょう?」
「あ、これ、そういう意味での制度だったのね」
「ダメじゃないですか。メイド長たるもの、ご自分が務める組織のルールを知らないというのは」
と、今度は咲夜が彼女に叱られてしまう。
彼女、紅魔館に長年務めるベテランメイドの中でも『筆頭』の位置に位置するメイドだ。
地位こそ、咲夜の下に甘んじているものの、キャリアは咲夜よりずっと上なのである。
「もしかしたら、その1時間の休みをそこに当てているのかもしれないのですから。
だから、頭ごなしに叱るというのはよくありません」
「……そうね。反省しないと」
「そうね。咲夜ちゃん、えらいえらい」
「……あのね」
と、軽く背伸びをされて頭をなでられてしまうのだから、咲夜の心中は複雑だ。
まだ子供の頃に紅魔館にやってきた彼女は、それはそれは、館のメイド達に『かわいがられた』ものなのである。
ついでに言うと、どんな人間だろうと妖怪だろうと、己の幼い頃を知っている相手には、逆立ちしたってかなわないものだ。
「それでは、わたしはこれで」
「ええ」
「今日もお仕事が忙しそう」
「そうね」
「業務管理の工程とかも見直さないといけないかもしれませんね」
「ルールは適度に変わっていくものだわ」
そう言って、彼女は右隣の扉をノックする。
しばらくしてから、『入っていいわよ』という声がした。
咲夜はメイドの彼女に笑顔を向けた後、室内へと、足を踏み入れる。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「今回は少し時間がかかったわね」
「申し訳ございません」
その部屋の主であり、館の主であるちみっこお嬢様ことレミリア・スカーレットは、体に合わない大きな椅子に座って、足をぷらぷらさせながら、何やら手に持った新聞をにらんでいる。
咲夜は室内へと足を進め、レミリアのついているテーブルへとティーカップを置いた。
「何をご覧になられているのですか?」
「今朝、うちのポストに入れられていた新聞よ」
「文が入れていくものとは違いますね」
「お試しらしいわ」
その新聞のタイトルは、普段、『いらない』と言っているのに押し付けられる新聞とは違う。
多分、レミリアは読めないだろうその名前は『花果子念報』となっていた。
「しわがよってますよ」
「だって」
その新聞を眺めていたレミリアは、ばん、と音を立てて、それをテーブルの上に叩きつける。
そして、そのぷにぷにちんまりした掌で、何度もばんばんと新聞を叩きながら、
「これ、見なさいよ!」
と、ほっぺたをぱんぱんに膨らませる。
全く愛らしい仕草であるが、咲夜は言われたとおり、その新聞を一瞥する。
新聞の顔となる一面には、全段ぶち抜きで記事が書かれており、
『永遠の竹林の奥、新医療相談所の開設!』
というでっかいタイトルが躍っていた。
「えっと……。
『竹林の奥に、このたび、開設されたこの医療相談所は永遠亭と呼ばれる屋敷の一角を増改築して建設されたものとなる。
かねてより、幻想郷では人妖問わず医療設備の不足、医療技術、知識の貧困さが課題として挙げられていた。
今回の医療相談所の開設は、まさに幻想郷の医療問題を解決する端緒となるだろう。
ここ、永遠亭には卓越した医療技術と知識を備える医療集団が常時つめている。これまで、対処不能とされた病気や怪我でも彼女たちならば必ずや治療してくれるだろう。
また、今回の一件に伴い、永遠亭から人里や各地の妖診療所に対して、無償で最新の医療機器や医術書などの貸与が行なわれるということである。
それに伴う知識や技術の普及も、もちろん、行なわれるということだ。
この、永遠亭の医療設備について、最近、幻想郷へと外の世界から迷い込むことになった人里在住のAさんによると、この医療設備は外の世界のそれに匹敵するということで、まさしく最新の医療が受けられることとなる。
今回の――』」
「悔しいわ!」
なかなかまとまらない新聞の内容に目を通す咲夜の前で、レミリアが大声を上げる。
「……悔しい、とは?」
「だって!」
きょとんとする咲夜に対して、レミリアは羽をぱたぱた忙しなく動かしながら、びしっとまるっこい指を突きつける。
「これ!
永遠亭の奴らばっかりいい風に書かれているのだもの! 絶賛じゃない!」
「ええ、まあ……それは」
別段、彼女たちは悪いことをしているわけではないのだし、と言おうとして、咲夜はその言葉を飲み込んだ。
ふてくされてるレミリアに、火に油を注ぐ行為は厳禁だ。癇癪を起こした彼女を止めるのは、とっても難しいのである。
「紅魔館のことなんてどこにも書いてないじゃない!」
そりゃ、永遠亭の特集記事なのだから当たり前なのだが。
それも、今のレミリアには言ってはならない禁句である。
「奴らばっかり目立ってほめられるだなんて、あなた、悔しくないの!?」
いきなり、矛先がこちらに向いた。
咲夜は微妙な笑みを浮かべながら、「まぁ、あまり感心できることではありませんね」と当たり障りのない返答をする。
「でしょう!?」
そこで、『我が意を得た』とばかりにレミリアがいきり立つ。
「こうなったら、紅魔館だってやり返してやるわ!
幻想郷の人間や妖どもに、紅魔館こそ一番だってことを教えてやらないと!」
『何をもって』一番なのか、そもそも『何に対して』一番なのか。
それもさっぱりわからないのだが、今のレミリアに、そんな正論が通じるはずはないだろう。
「咲夜! これは命令よ!
紅魔館ならではの名物で、幻想郷で有名になる手段を考えなさい!
予算と規模は無視! このわたし、レミリア・スカーレットの名にかけて!」
「……畏まりました」
――というわけで、何が何やらさっぱりわからない命令が下されてしまうのであった。
「――というわけなの」
一様に、『まためんどくさいことを……』という顔をして、うなるメイド達一同に対して、咲夜はため息混じりに事の次第を説明する。
急遽、紅魔館の一角、会議室として使われている部屋に集められたのは、咲夜以下、館に勤めるメイド達を統率する上級メイド達の中でトップクラスの地位を持つ、マイスターメイド――通称、『マイスターのお姉さま』方である。ちなみにこの肩書きは、レミリアが『あなた達、周りのメイドと比べて実力が段違いなのだから、こんな名前を名乗りなさい』と命名したものである。
「えっと……メイド長。一つよろしいでしょうか」
「はい」
「……紅魔館名物って何でしょう?」
と、手を挙げて発言するのは、その『マイスターのお姉さま』達のリーダー格であるメイド。
先ほど、咲夜と一緒に廊下を歩いていた彼女である。
彼女の地位は『メイド長補佐』。要は、咲夜の側近のようなものだ。
「……さあ?」
「やっぱり……」
そも、そこまでレミリアが考えて発言するはずがない、というのがこの場にいる全員の認識である。
あのお嬢様は突発的に突拍子もないことを言いだして、彼女たちを困らせるのだ。
その回避方法は、大抵の場合、その場で『畏まりました』と、まず、頭を下げる。
そして、数日間ほったらかしておくと、あら不思議、レミリアはそんな命令をしたことなどすっかり忘れて、別の興味があるものに目をきらきらさせている。
大抵の場合、彼女たちは、そうしてレミリアの『命令』を乗り切ってきたものだ。
しかし、今回は違う。
とりあえず引き受けて放置して、レミリアが忘れるのを待つ、という従来の戦法が通じない。
「何が何でも実行しないと、また暴れるでしょうね……」
「そうなったらめんどくさいですよね……」
はぁ、と一同、ため息。
「まぁ、しょうがない。やれと言われたんだから、あたしらには『やる』しか選択肢がないんだよ」
「しかし、紅魔館の名物といわれても……」
「メイドとか」
おっとりした雰囲気で、縦ロールな髪型が特徴のメイドが発言する。
「先日参加した、『幻想郷就職活動フェスタ』でも、甘味処や食事処なんかの募集を見ていましたけれど、わたくし達のような、所謂『メイド』の募集はございませんでした」
「確かに、メイドという職業……というか、役職というか見た目というか……。
まぁ、そんなものに関する文化は、幻想郷にはない」
和の感じあふれる幻想郷において、『洋』の自分たちは異質なのだ、とその対面に座る、ポニーテールのメイド。
「だが、『メイド』を売りにするとは?」
その左斜め前に座る、ツインテールなメイドが首をかしげる。
「……さあ」
それにはさすがに応えられない。
メイドを売りにする。
確かに、売れそうだ。
紅魔館に務めるメイド達――所謂、妖精メイド達は、皆、見た目がかなりのもの。見目麗しいと言っても違和感はないだろう。
そんな彼女たちが、笑顔で『ごきげんよう』と声をかけるだけで、幻想郷の、主に男性は狂喜乱舞することだろう。
しかし、だ。
「……それで何すんのさ?」
紅魔館の赤に染まらず、ひときわ輝く『白』の衣装を纏った彼女たち。その中で、一人、肩から白衣をかけているメイドが発言する。
ちなみに彼女、レミリアの発言の元凶にもなった、永遠亭と同じく、紅魔館で『医療』を担当するメイドである。
「う~ん……」
皆、真剣に悩んでしまう。
メイド。家政婦さん。家事手伝いなんてどうでしょう、という意見も上がるのだが、
「紅魔館の人員から言って、そうした派遣に人員を割くのは難しいと思います」
と、長い黒髪としなやかな目元が特徴的なメイドが言う。
「今の紅魔館のメイドってどれくらい?」
「正確な数は覚えていませんけれど、少なくとも600はいっています」
「使い物になるのは?」
「せいぜい、半分程度ですね」
短髪で、活動的な印象のメイドが、その対面、メイド長補佐の彼女に尋ねる。
「しゃーないなぁ」
椅子の背もたれをぎしりときしませ、彼女は天井を仰ぎ見る。
紅魔館の業務は、色々と特殊である。
通常の『家事が得意』なものでも、その全てを覚え、一人前にこなせるようになるまで、少なくとも数年は必要となるだろう。
それ以外は、何らかの形で上からのサポートがなければうまく動けない『半人前』なのだ。
「今年の採用、もう少し増やせばよかったね」
「そうかもしれませんね」
「あなたのいる厨房は、今年、充分な人員補充があったはずだ」
「あら、ばれました?」
厨房を預かり、料理好きな者たちに見事な味を仕込み続ける、ウェーブのかかった髪が特徴的な彼女はぺろりと舌を出す。
「実際問題、紅魔館の人員不足は深刻なんです」
「ええ、わかってるつもりよ」
「もう少し……あと、現在の一割くらいも一人前の子が増えてくれればいいんですけれど……」
「それをどうにかするのは時間だけですね」
そしてもう一回、一同、ため息。
そんなかつかつの状況の中で、レミリアは『何とかしろ!』とわがままを言う。
本当に、困った主人である。
「とりあえず、あなた達の配下の子達に通達を出してちょうだい。
こうなったら、メイド達全員から、アイディアを募りましょう」
「それが一番ですね。
彼女たちは、楽しいことが大好きですから。
きっと、自分たちにとって、楽しいことを一杯挙げてくるはずです」
「それがうまいこと、館の型にはまればいいね」
「ええ」
それじゃ、そういうことで、と。
結局、その会議の場では何も決まることなく、散会となった。
まずは現状認識。対策を考えるのはそれからだ。
「……とはいえ、どうしたものかしらね」
あの新聞をお嬢様のところに持って行ったのは誰なのよ、と。
誰とも知らぬ『犯人』に対してほっぺた膨らませる咲夜であった。
とりあえず、アイディアを求めるなら、館の中でそれなりの立場を持つもの全てを巻き込んでしまおう。
咲夜はそう考えた。
館に勤めている者たちは、皆、一蓮托生。
言い方を変えれば『いい迷惑』となるのだが。
館の外に出た咲夜が向かうのは、紅魔館の広い庭の一角にある建物――外勤メイド達の詰め所である。
「美鈴、いる?」
ドアを開いた向こうは広い空間となっており、そこに、メイド達の威勢のいい掛け声が響き渡っている。
「足はもっとしっかり伸ばして! 軸足に重心を載せる! そんな軽い蹴りじゃ、誰も倒せないよ!」
その掛け声に混じって、叱咤する声を放つのは、外勤メイド達を統率する彼女、紅美鈴。
彼女は咲夜の存在に気付いたのか、咲夜をちらりと見て手を振った後、「よし、休憩!」と手を叩いた。
「咲夜さん、どうしたんですか?」
「……へっ?
あ、ああ、いえ。
あなたも、何と言うか……かっこいい顔ができるのね」
「いやぁ。私のなんて、ただのはったりですよ」
誰からも好かれる、ほんわかした笑顔を浮かべて、美鈴は返してくる。
先ほどまでの凛々しい横顔の持ち主とは別人のようだ。
――実を言うと、それに見惚れていた咲夜は、「それもそうね」と本心を隠した一言を口にする。
「それで、どうしたんですか?」
「えっとね――」
先ほど、レミリアから言われたことを、そのまま美鈴に伝える彼女。
美鈴はふんふんとうなずきながら話を聞き、
「まためんどくさいことを」
と、歯に衣着せず、苦笑した。
「そうなのよ。困ってるの」
「紅魔館の名物って何ですかね?
この館の見た目それ自体だって名物になりそうなものですけど」
「霊夢は『目に痛い、趣味の悪い建物』って言っていたけどね」
「気持ちはわかります。
あの屋内って、ある意味、豪華すぎて落ち着かないんですよ」
そう言う美鈴の趣味も混じって作られた、この詰め所は板張りの木造建築。外面こそ塗装などでごまかしているものの、中に入れば、一言で言ってしまえば『体育館』である。
「そうですねぇ……。
うちら門番隊の名物なら、私のこの服装とか」
「チャイナ服、というのだったかしら」
体のラインが綺麗に出るその衣装。
太ももまでが露になる、大胆なスリットの入ったこの衣装は、確かに名物と言ってしまっていいかもしれない。
館につめる、所謂内勤メイド達も、『あの服いいよね~』と騒ぐくらいには魅力のある代物だ。
「けど、男の人はいいかもしれないけど、女性には……ああ、まぁ、デザインとかを工夫すれば売り出してもいいかもしれないけど」
「服屋になるんですか?」
「……それもどうかしらね」
たとえば、紅魔館の名物である『メイド』と『門番』の衣装を売り出すとしたら。
それはそれで人が呼べそうだが、『大人気』『絶賛』と評されるほどにはならないだろう。
それでは、レミリアが『物足りない』とごねそうだ。
「そういうわけで、悪いのだけど、あなた達にもアイディアを出して欲しいの」
「ええ。構いませんよ。
咲夜さんの頼みですからね。頑張ってこなしますよ」
「ありがとう」
「あとはほら、やっぱり、内側に聞くだけじゃなくて、外側にも話を聞きに行くといいと思いますよ」
「そうね」
やはり、こういうのは、『外側からの視点』が大事になる、というのが美鈴の意見だった。
それについては論じる必要はないし、反論するつもりもない。
うなずく咲夜は、「それじゃ、何か手土産を持って、午後にでも言ってくるわね」と一言。
美鈴は満足そうにうなずくと振り返り、「よし、休憩終わり! 訓練を再開するよ!」と広い空間全部に響き渡る声を上げる。
「それじゃ、邪魔しちゃ悪いから」
ひょいと肩をすくめて、咲夜はその場を後にした。
もう少し、凛々しい彼女を眺めていたかったのだが、それは自分のわがままだとわかっているのだろう。
「残念」
ドアを閉めて、苦笑と共につぶやく彼女だった。
「メイド」
あっさりと、その言葉を放ったのは、霧雨魔理沙という人物である。
「魔理沙。あなた、少しは考えなさいよ」
「何だよー。じゃあ、アリスはどんなの考えたんだ?」
「くっつかないで。暑苦しいわね」
その彼女がじゃれているようにしか見えない彼女の名前は、アリス・マーガトロイド。
畳の上に品よく正座をしている姿は、高級な西洋人形にしか見えないと、もっぱらの評判である。
「そうね……。
……えーっと……。
……メイド……」
「ほら、私と同じじゃないか」
「う、うるさいわね!」
後ろから魔理沙に抱きつかれてじゃれつかれて、アリスの顔は真っ赤である。
「霊夢は、何かない?」
「……メイドさん」
「はぁ」
さて、咲夜がやってきたのは、博麗神社という場所である。
ここの主、博麗霊夢とは、紅魔館の主が懇意にしているのがその理由だ。なお、その懇意は、限りなく一方通行に近いのだが、それはさておこう。
「いや、だって、何というか……。
他に名物っていったら、レミリアくらいじゃない?」
「まぁ……そうだけど」
「レミリアのぬいぐるみとかを売るの?」
「それはそれで売れそうだけど」
あのちんまいお嬢様の人気は何気に高い。
噂では、人里に、『レミリアたんファンクラブ』が結成されていると聞く。
あのちみっこさとちんまさをグレードアップして売り出せば、なるほど、かわいいものが大好きな女の子を中心にヒットすることは確実だろう。
しかし、
「お嬢様って、ほら、『かっこいいわたし』が好きだから」
「いい加減、その幻想から目を覚まさせるべきだと思うの」
「……そうよね」
どこからどう見ても、ただのかわいらしいようじょなのがレミリア・スカーレット。
本人は、多くの『メイド』という部下を従えて、それが自分の『カリスマ』によるものだと思っているらしいのだが、何のことはない、その実は『かわいい彼女のお願いだから仕方なく』が大半なのである。
それを本人が全く理解してないのだから、色々、勘違いも加速するのだ。
「あとは……あ、そうだ。紅魔館の名物といえば、やっぱり、服飾があると思うんです。咲夜さん。
そっちの方を考えてみたらどうですか?」
と、この場ではかなり女の子レベルの高いアリスが提案する。
先ほども、服装の件で美鈴と話をしてきた咲夜だが、「服飾ね」と腕組みする。
「香水とか口紅とか。そういう化粧品から、アクセサリーとかも。売れると思いますよ」
「えー? 誰が買うんだよ、そんなの」
「あなたは買わないかもしれないけど、私なら買うわ」
「そういうもんか?」
相変わらず、アリスに後ろからおぶさっている魔理沙が首をかしげる。
彼女の女の子レベルは、アリスのそれと比べると、まだまだ駆け出しレベルのようだ。
「そういうのも得意な子、探せばいそうね」
「紅魔館って何でもありね」
「というより、妖精って、意外と侮れないの」
本気になった彼女たちはかなりのものだ、と咲夜は言う。
妖精の本気、と言われても、霊夢の頭の中で妖精というのは『年がら年中、おちゃらけて遊んでるだけの生き物』であるため、いまいち想像がつかないらしい。
「家具とか売ったらどうだよ」
ここで魔理沙が口を出す。
「家具?」
「そうそう。ベッドとか。
ありゃ、いいものじゃないか。うちに欲しいぞ」
「あなたは、いい加減、あのへたったベッド捨てなさいよ」
「だって売ってないんだもん」
「全くもう……」
「うふふ、そうね。
じゃあ、魔理沙。今までうちに出した被害額のうち、ベッドの代金分を払ってくれたら、売ってあげてもいいわ」
「ちぇー。じゃあ、いらない」
「買いなさい。って言うか、私が買ってあげるわ。もちろん、思いっきり取り立てに行くから。よろしく」
「おい、アリス。勝手なことするなよ」
「うるさい」
「いてっ」
二人のやり取りを見て、霊夢は『ま~た同じ事やってる』という顔はしているが、咲夜はくすくすと笑っている。
二人のその様が、微笑ましいものに見えているのだろう。
「だけど、ベッドとかは、幻想郷の生活スタイルには合わないのじゃないかしら?」
「そうね。私もベッドよりは布団がいいし」
「あなたは和風な生活しかしてないものね」
「別にそれが悪いとも思わないし」
すまし顔で、霊夢は、咲夜が持ってきた紅茶を一口する。
その様は、背筋がしっかり伸びているのもあって、なかなか美しいが、湯のみで紅茶を飲んでいる光景は少し滑稽である。
「……服飾に家具、ねぇ。
あとは、お嬢様のぬいぐるみ?」
「人形とかでもいいんじゃないですか? 私、手伝いますよ」
「お、珍しい。
アリス、お前、どんな下心があるんだ?」
「あんたと一緒にしないで」
「いてっ」
後ろからじゃれるのをやめて、アリスの膝枕でごろごろしながら悪態をつく魔理沙のおでこに、アリスの平手がぺちんとヒットした。
「うちの売りって、やっぱり、雰囲気なのかしら」
「悪魔の雰囲気、ねぇ」
「レミリアを悪魔として認めたら、悪魔がどれもこれもかわいらしいイメージにしかならないわね」
アリスの一言は、なるほど、的をいている。ど真ん中を一撃で。
う~ん、と咲夜は腕組みして悩んでしまう。
そこへ、魔理沙がぽんと声を上げる。
「なあ、そんなら、飯屋はどうだ?」
「飯屋……食事処?」
そうそう、とテーブルの上に顎を載せたまま、器用にうなずく魔理沙。
もう少し細かい話を、と要求する咲夜に「つまりだな」と彼女。
「お前のところの飯はうまい。
これを売りに出すんだ」
「そういえば、魔理沙は、よくうちでご飯を食べているわね」
「そうなんですか?
すみません、咲夜さん。迷惑をかけてしまって」
「何でアリスが謝るんだよ」
「うるさい」
「あいてっ」
ごん、とテーブルを下から叩くアリス。その衝撃に、顎をテーブルに載せていた魔理沙は後ろにひっくり返った。
くすくす笑う咲夜は、「別にいいのよ。フランドール様の相手をしてもらっているのだから」と、その振る舞いが等価交換であることを説明する。
「へぇ。フランの相手をすればご飯が食べられるなら、私も行こうかなー」
「あなたの場合は、お嬢様が近寄ってくるわよ」
「鬱陶しいのよね」
やれやれ、と肩をすくめて、霊夢は正座している足を少し動かした。
「けど、確かに、紅魔館の食事は豪華だし美味しいのよね」
「いつも豪華な食事をしているわけではないわ。あれはあくまで、お客様用よ」
「普段はどんな食事してるの?」
「ご飯かパンとスープ、主菜と副菜を一品ずつ、くらいなものね」
「それでも、一杯、バリエーションとかあったり、量がそれなりなんでしょ? それだけで羨ましいわよ」
「……あなた、普段、どんな食生活してるの」
「作り置き最高!」
ぐっ、と親指立てる霊夢の肩に、咲夜はぽんと手を置くと、「今度、うちに来て、美味しいもの、おなか一杯食べて行きなさいね」と限りなく優しい笑顔と口調で告げる。
その目元に、きらりと光る切ない涙に、霊夢は何だか死にたくなった。
「なるほど……。料理、ね。
だけど、人里の人たちに迷惑がかかりそうね」
「それ、受けること前提ですよね?」
「あら、これは失礼」
うふふ、と笑う咲夜に、アリスは肩をすくめる。
魔理沙は「お前のところで飯屋やるなら、私は通うぞ」と心強い一言を口にする。
「それならそれでいいかもしれないわねぇ……。
レストラン、ってところかしら」
「何か、それをやるならやるで、紅魔館のイメージが遠く離れそうな気がしますけど」
「だけど、幻想郷で、洋食を提供しているところなんてないでしょう?
売りになるんじゃないかしら」
「まぁ、そうですね」
幻想郷の食事は、基本、和食である。
これは、幻想郷が出来た経緯にも原因を持っているのだが、その真実は、幻想郷の初代博麗の巫女が、
『皆さん、よろしいですか? 健全な肉体にこそ、健全な精神は宿ります。
そして、健全な肉体を作るにはご飯が欠かせません。何より朝ご飯を欠かすことは、決して、許されません。
朝ご飯は一日の活力となるのです。朝ご飯を食べずして、一日を過ごせるでしょうか、いいえ、答えは否!
真っ白つやつやほくほくご飯! あったかほんわかお味噌汁! はふはふもぐもぐ焼き魚! 付け合せにさらに小鉢を一つ!
おっと、納豆を忘れてはいけませんよ!
これこそが、朝ご飯であり、幻想郷の食生活の基本をなすのです!』
と、演説をしたことに起因しているらしい(談:八雲紫)。
そんな感じで、幻想郷の食事は和食が基本なのである。朝からパンとスープというのは、滅多にいない。
「珍しいものに、人は目を惹かれますし。
それが、とっても美味しい食事なら、なおさら」
「確かにそうね。いいかも」
「だけどさー、咲夜。
あんた、紅魔館の食事って、人間が材料とか聞いたんだけど……」
「あら、やだ」
「へっ?」
「誰よ、そんなデマ流したの」
失礼しちゃうわね、とぷりぷり怒りながら、咲夜。
霊夢の視線はアリスと魔理沙へ。二人はそろって、首をかしげている。
「確かにそういう時期もあったらしいけれど、それはもう、ずっと昔の話よ。
今は普通に、お肉は畜産農家の方から買っているし、お野菜や果物だってそう。ちゃんとお金を払っているわよ」
「……あ、そ、そうなのね……」
「当然じゃないか、お前。何言ってんだ」
「そうよ、霊夢。あなただって、紅魔館で、食事、ご馳走になったことあるでしょう」
「……いや、あれこそ特別かなって思ってて……」
「お前は引きこもりがちだからな」
「そうよ。霊夢。もっと外に出ないとダメじゃない」
と、引きこもりの典型みたいな魔法使い二人にそんなこと言われ、霊夢は何だかしこたま傷ついた。
「そうねぇ……。
そんなところかしら」
「そうですね」
「じゃないか?」
「じゃあ、そうね。これくらいで、ということで。
ありがとう」
いいえ、と笑うアリス。『飯屋できたらよろしくな~』と魔理沙。
そして、『……私、何か悪いことしたかな』と落ち込んでいる霊夢。
彼女たちに一礼して、咲夜は立ち上がる。
そして帰り際、「あ、そうそう」と足を止めると、
「これ、おみやげ。忘れていたわ」
差し出すのは『紅魔館特製クッキー』と『プレミアムティーパック』のセット。
差し出された食べ物を見て、霊夢は目を輝かせると、「頑張ってね!」と即座に復活した。
実に現金かつ扱いやすい巫女であるが、そんなところもなかなかかわいらしい。
咲夜はのんびり、神社を後にして、家路に着く。
「……そうねぇ。
やっぱり、女の子の夢ではあるわよね」
空を飛びながら、考える。
今回、提示された三つの『名物』。
その中でも、事、食事――つまり『レストラン』というのは、なるほど、確かに『お花屋さん』や『ペットショップ』と並ぶ女の子の『夢』である職業の一つである。
かく言う咲夜も、『大きくなったらご飯屋とかお花屋さんになりたいな』と子供の頃、思っていた。
隠しているつもりではあるが、彼女、割と少女趣味なのだ。
「いいかもしれないわね、それ!」
そして、何やら勝手に結論をつけて、ぽんと手を叩く。
あとは家に帰って、メイド達から上がってくるであろうアイディアをざっと一瞥して、その上で、自分のアイディアとしてこれを話してみよう、と彼女は思う。
果たして、それがそううまくいくのかどうかは別問題、なのであるが。
「メイド長、今、よろしいですか?」
「何?」
書類の山に埋もれながら、必死で判子を押す作業に没頭する咲夜の元に、先日の、『メイド長補佐』のメイドがやってくる。
彼女は両手に山のように書類を持っていた。
それを見て、咲夜の顔がげんなりとしたものになる。
「……また?」
「先日の、メイド達へのアイディア募集につきまして、こんな感じにアイディアが出てきました」
「……ああ」
そっちの方か、と咲夜はうなずいて、机の上の書類をよける。
「どうしてこんなに?」
「どこかで滞留していたらしいの。
ちょうど、そこで処理をする子が体調不良で寝込んでいたとかで」
「あら」
「代わりの子を用意してなかったのね」
「すみません。それはこちらのミスです」
紅魔館の仕事は多岐にわたる。
そして、最終的にそれを承認するのは、メイド達を統率する、彼女たち『上級のメイド』の役目である。
そこには無数の書類が存在し、部署を経由するごとに書類の量は増えていく。
必然的に、咲夜の元には、毎日、山となった書類が届けられるのだ。
「どんなアイディアが出たのかしら」
「色々ありますよ。
やはり定番は『家事手伝い』ですけれど、『弾幕勝負請負業』とか『左官屋』なんてのもありましたね」
「……左官屋?」
メイドがこて片手に建物を修繕している姿が、どうしても思い浮かばない。
しかし、ふと考えてみて、『……そういえば、うちって、家が壊れたらどこにも修繕依頼出してないわよね』という事実に思い当たる。
……何だか、あまり考えてはいけないような気がしたので、咲夜はその思考を、そこで打ち切った。
「小悪魔さんからは『図書館業』というのが」
「パチュリー様から許可は取ったのかしら」
「パチュリー様が、あまり興味を持っていなかったり、『もうそれ読んで内容覚えたから、好きにしていいわ』というものを利用するそうです。
もう図書カードまで作ったとか」
「……採用されること前提なのね」
行動が早いというか、見切り発車というか。
咲夜は苦笑しながら、「それじゃ、それはそれで勝手にやってもらいましょう」と笑う。
基本的に、あの図書館の管理は、彼女たち、メイドの手を離れているのだ。図書館に付随する、幻想郷でも類を見ない『大図書館』の管理は、あそこの住人に任されているのである。
「あとは……うん」
また何冊かの書類を取り出し、中を見る。
ふんふんうなずく咲夜に、メイドの彼女が首をかしげた。
「どうなさいました?」
「ん?
……ああ、実はね」
と、そこで、先日、博麗神社で受け取ってきた『アイディア』を語って聞かせる咲夜。
彼女は、咲夜が楽しそうに語るその顔を、嬉しそうに眺めながらうなずき、「いいですね」と笑う。
「結構な数になるからね。そういうのをやってみたい、っていうアイディア」
「確かに、集計してみたところ、全体の5割近くに達していました。
決定してしまっても、あまり文句も出ないでしょう」
「……集計したの?」
「ええ」
「……え?」
「これがその書類です」
と、茶目っ気たっぷりにぺろりと舌を出しながら、彼女は、今回のアイディア募集一覧をまとめた書面を取り出した。
そこには、綺麗な字で『家事手伝い 225件』などと分類と数字が記載されている。
「……最初から、これを出してくれればいいじゃない」
「ごめんなさい。
だけど、メイド長として、部下から上がってくる意見・陳情には、きちんと目を通したほうがいいんじゃないかと思って」
くすくす笑う彼女に、咲夜はほっぺた膨らませて抗議すると、『もう』とそっぽを向く。
その子供っぽい仕草に、彼女は笑いながら、「ともあれ、いいと思いますよ。レストラン」と言った。
「紅魔館の食事はとても美味しいですし、幻想郷住民にとっては珍しいものでしょうし。
物珍しさも手伝って、きっと、人を集められると思います」
「……そうね」
「お嬢様に持って行きますか?」
「そうするわ。
まぁ、お嬢様のことだから、『じゃ、それで』って言いそうな気はする」
「はい」
「あなたは、みんなに、この情報を流しておいて」
「畏まりました」
「あと、アイディアを出してくれた子、全員に……そうね……。ご褒美として、休日一日付与、なんてどう?」
「それはそれでいいかもしれませんけれど、うちはきちんと勤務時間厳守がルールですし、休日も多めです。
どうせなら、その一日を使って、何かレクリエーションとか考えられたらいいですね」
妖精は遊ぶのが大好きだから、というのがその理由だった。
ふむ、とうなずく咲夜は「まぁ、ご褒美は後で考えましょう」と、一旦、その話をそこで打ち切った。
そうして、「じゃあ、次は企画書ね」と話を続ける。
「誰か、リーダー役の子を見繕ってくれないかしら? もちろん、統括はあなた達でも、私でもいいんだけど」
「わかりました。
では、今回の一件、一番推している厨房担当の彼女に任せることにします」
「なるほど。そうね。彼女なら適任だわ。
「それを中心に、アイディアを全体に回して……。
決まったことですから。もし、不満の声が上がったら、それ以外の形も考えましょう」
「たとえば?」
「おみやげ」
「ああ」
せっかく紅魔館に来てもらうのだから、紅魔館の記念品を持って帰ってもらうというのもいいだろう。
ちょうど、アイディアの中には『小売販売』に属するアイディアも多数あったのだ。
それを同時に採用すれば、不満を言うものもぐっと少なくなる。
「あとは業務マニュアルも作らないといけませんね。
何せ、紅魔館では、これまでに人を呼び込んでどうこうということはしていませんでしたから」
「接客業、ね。
まぁ、うちは人当たりのいい子が多いし、その点は心配してないけれど」
「そうですね」
「それじゃ、悪いのだけど、その辺りは任せるわ」
「でしたら、私の方で、全て取りまとめを行ないます。メイド長にはご承認のみ、ということで」
「つまり、異論は許さない、と」
「当然です」
みんなが苦労して考えたものを、たとえ上司とはいえ、一人の意見で覆させてなるものか、と。
なかなか厳しい一言である。
咲夜はその理由をわかっているから、ただ笑っているのだが、それを理解できないものからしてみれば、『自分は信用されてないのだな』と肩を落としてしまう発言でもあった。
「では、私はこれで。
お仕事、頑張ってくださいね」
「ええ。
……あ、申し訳ないんだけど、朱印かスタンプ台、持ってない? もう、これ、ぼろぼろなのよ」
「後で届けさせますね」
それでは、と彼女はにっこり笑顔と優雅な所作で、その場を後にした。
よし、とうなずいた咲夜は「あとは、どんな企画書が上がってくるかを楽しみに待つだけね」と嬉しそうだ。
やはり、内心では、『子供の頃からの夢』がかなうことが嬉しくてしょうがないらしい。
つい先日までは、レミリアの今回の発言を『めんどくさい』と思っていたのだが、今ではまさに『渡りに船』。全く現金な発想ではあるが、人間とは、そういうものなのだ。
「パチュリー様」
「何、小悪魔」
「図書館業、オッケー出ました!」
「……え? 私、許可出したっけ?」
「ええ」
片手に取り出す紫色のオーブ。
それがぼうっと光を放つと、中に映像が現れる。
『パチュリー様、咲夜さんから、レミリア様からの命令で「紅魔館独自の面白いことをやるに当たってのアイディア提出」依頼がきました』
『そう』
『私、この図書館を使って、図書館業をアイディアとして出そうと思うんですけど』
『そう。好きにすれば?』
『わかりました』
「――と、このように」
「……それ、いつ頃?」
「もう一週間くらい前です」
その頃の記憶を必死になってあさる、彼女はパチュリー・ノーレッジ。
しかし、考えても考えても記憶は出てこない。
とはいえ、目の前に、『映像』として残っている証拠は完璧だ。それを否定することは出来ない。
「……便乗したわね?」
「さあ? 何のことやら」
にこりと笑う彼女は小悪魔という。
この図書館の司書として、パチュリーが雇っている相手なのだが、なにやら最近、やたらと隠し技が多いことが判明している。 というか、あの映像、一体どうやって撮影・記録したのかさっぱりであったが、
「……なるべく、私の邪魔にならないようにね」
「わかりました。
あと、本の管理も図書カードできちんと行ないます。返さない人には取り立ても行きます」
「……何か人里には『貸本屋』というのがあるらしいのだから、そこと競合しないようにね」
「そこのご主人とは懇意にしてますから大丈夫です」
「一体いつの間に」
もう少し、自分も外に出るようにしよう。こもりっきりはダメだ、うん。
パチュリーはその時、それを決意した。
というか、下手したら、この図書館、こいつに乗っ取られるんじゃないか、とこの時思っていた。
「それで、館の方としては、レストランを始めるらしいです」
「レストラン?」
「ええ。
館の一角のホールがあるでしょう? 立食パーティーとかに使ったりする」
「ああ。
確かに、あそこなら、100人程度なら客を呼んで入れられるわね」
「そこを改装してレストランにするそうです」
「突発的な」
「フランドール様は喜んでましたよ。『フランもレストランする!』って」
「邪魔にしかならないじゃない」
「けど、邪険には出来ませんよね」
なものだから、フランドールには、たまに『お客様の元にお皿を運ぶ係』が割り当てられたのだそうな。
体のいい厄介払いだが、当のフランドールは嬉しそうに『はーい!』と笑っていたのだとか。
「うちの厨房スタッフは、なかなか腕のいい人がそろっていますし。
外の門番は料理界最強の人物ですから。
お客さん、たくさん来そうですね」
「それならそれでいいけれど。
……って言うか、今、あなた、さらっと得体の知れない組織の名前を口にしなかった?」
「私も、呼ばれれば、お手伝いをするのはやぶさかではないですね。
こう見えて、料理を作るのは得意です」
「……あ、そ、そう」
あまり余計なことに首を突っ込むと不幸になる。
それが、幻想郷の理であり絶対のルールである。
これには、いかな博麗の巫女だろうがかなわない。余計なことして胃と髪の毛をやられるのは確定的に明らかなのだから。
「ともあれ、お茶をどうぞ」
「……ありがとう」
「今年の紅茶は、いい茶葉が出来たおかげで、いいものが入ってきてます。
館の目利きはさすがですよ」
「そういえば、こういうのって、咲夜が選んでいるのかしら」
「いいえ。
これにはこれで、専門のスタッフがいます。その人曰く、私ですら『まだまだ』だそうですけど」
「ふぅん……」
「館のワイン倉には腕のいいソムリエールも雇ってますし。
こと、『食』に関してなら、紅魔館はかなりのものなんですよ」
「そうね」
「幻想郷各地の農家さんとか猟師さんを回って、いいものを優先的に仕入れてもらえるように専属契約もしてますし。
何なら私が畑を興してもいいんだし。
いいレストランになりそうですね」
「……あいつら一体何やってんの……?」
自分の知らないところで展開されていく、紅魔館の『真の姿』。
それを改めて聞かされて、パチュリーの頬に、汗が一筋、流れるのだった。
――さて。
「……ねぇ」
「何?」
「これはどういう扱いよ!?」
ぎゃーぎゃーと喚く、一人の少女。
ツインテールの髪の毛を揺らし、気の強そうな釣り目がちな目で相手をにらむ。
その彼女の前に立つのは、我らが十六夜咲夜さん。
「どういう、って。見ての通りです」
「いきなり、ふっと目の前が暗くなったら縛られてたんですけど!?」
「ええ、そうよ」
「何よ、そういう趣味!?」
「いいえ」
こほん、と咳払いをして、咲夜。
そして、彼女は目の前の少女に向かって深々と頭を下げた後(相手を椅子に拘束しているので、深々と、も何もないが)、
「初めまして、姫海棠はたて様。
わたくし、当紅魔館にてメイド長を務めております、十六夜咲夜と申します」
「挨拶はいいから!? これ、ほどきなさいよ!」
「実は、紅魔館からお願いがございまして」
「いやだから!?」
「あなたと専属契約を結びたいのです」
「……は?」
怒鳴っていた彼女――姫海棠はたては、そこで、眉根にしわを寄せて首をかしげる。
そこでようやく、咲夜は彼女を拘束していた縄を解いた。
何で縛ったのよ、というはたての問いかけに、咲夜はしれっと「だって、暴れられたら困りますし」と答える。
もちろん、理由もわからないまま拉致されてきた人間が、状況の理解できない場所に放り込まれたら、問答無用でその犯人に対して『攻撃する』のは当然の心理であるのだが。
「実はですね、あなたが以前、書いたこの記事なのですが」
「ああ、それ、わたしの新聞ね。
どう? 面白かった?」
「あなた、文章力ないわね」
「ぐっさ」
胸を張って威張っていたはたては、咲夜のその指摘で呻いて膝を折る。
実際、彼女の新聞に書かれている文章は、話題と意見と仮定と事実がごっちゃになっている上、序論と結論が離れすぎているため、わけのわからない文章になっていたりするのだ。
「まぁ、それはいいの」
「……っていうか、わたしのこと、どこから聞いたのよ」
「知り合いに、『文』という天狗がいるのだけど」
「あいつか」
「あなたが自分の『友人』だと言うことを言っていて。
ついでに、あなたが、専属契約してくれるスポンサーを探している、ということも」
「まぁね」
「天狗の収入って、新聞の売り上げだけじゃなかったのね」
「それだけじゃやっていけないわよ」
と、肩をすくめるはたて。
曰く。
妖怪の山に住まう天狗連中が趣味で発行している、それぞれの新聞(という名のデマまみれのゴシップ情報誌)。
彼女たちはそれを売って、日々の糧を得ているのは事実なのだが、このはたてや、話題にも出た『文』という天狗の売る新聞は、正直、ほとんど売れていない。彼女たちの友人が、『お情け』で買っているのがほとんどだ。
それでは日々を暮らすことが出来ない。
ならば、どうするか。
「文は何か、『近々、大きなスポンサーが来る予感がします』とか言ってうきうきしてるし。
こりゃ、わたしも負けてられないな、って思っていたんだけど……」
「うちの記事を書いてくれたでしょう?
うちのお嬢様が、『この記事を書いた新聞記者を連れてきて、うちと契約させろ。うちの偉大さを、我が身をもって教えこませてやれ』って」
「……ふぅん」
あまり興味がない、とばかりにはたては頭をかく。
そんな彼女の前に、一枚の書類が差し出された。
「……何これ?」
「うちとの契約書よ」
「別に、あんた達のところと契約したいなんて言った覚え、ないんだけど。
こっちにだって選ぶ自由があるわよ」
「契約金は、毎月、25万の定期払い」
「やっす。わたしみたいな一流の天狗を雇いたかったら、100は持って来ることね」
へっ、と鼻で笑うはたて。
実際のところ、幻想郷の通貨事情から行けば、毎月25万というのはかなりの高収入である。
単純に、はたてにとって、『紅魔館』という奴らは気に食わないのだ。
……問答無用で拘束されて拉致されたら当たり前かもしれないが。
「これは、うちに関する記事を書かなかったときも定期的に支払うお金よ。
それに加えて、うちの記事を書いてくれた時は、1文字につき30円、支払うわ」
「……30?」
「ええ、そう。
写真は一枚、ものにもよるけど5000から。カラーなら倍額。
一面のトップに記事を持って来てくれるなら、それだけで3万。
――悪い条件ではないと思うけど?」
「……ちょっと待って。
一ヶ月に四回発行するとして、一面全段ぶち抜きとしたら……」
頭の中でそれを計算していくはたて。
恐る恐る、導き出した額は――、
「……一回の発行で30万……4回で120、定期とあわせて150!?」
「ええ」
「嘘、マジで!?」
月収150万。
幻想郷では、トップクラス……いや、下手すれば『上位数%』にだって入れる収入である。
思わず、ごくりと喉が鳴る。
「そ、そんなお金が、あ、あんた達のどこにあるってのよ」
「財テクですわ」
そういうのに長けているメイドがいる、とのことだった。
紅魔館の莫大な収入を支える『財テク』。
それこそ興味が湧く内容であったが、ともあれ、それはさておくことにする。
「もちろん、記事の内容に適当を書かれても困りますので。
それには、当方の厳しいチェックが入りますが」
「……そ、それは別に望むところだけど……。
って言うか、あんた達、何をするつもりなのよ」
「今度、紅魔館で、新しい事業を始めるんです。
まずはその宣伝を。そして、ゆくゆくは、うちの広報係として活躍してもらえれば、と」
「……事業?」
ぱちん、と咲夜は指を鳴らした。
ドアが開き、外に待機していたとしか思えないタイミングで、メイド達数名がやってくる。
彼女たちは、運んできたテーブルに真っ白なテーブルクロスをかけ、品のいい、おしゃれな椅子を用意し、さらには銀色のワゴンでいくつもの皿を運んでくる。
そうして、テーブルの上に並べられた皿たち。
果たして、その上に載っているのは、見事な料理の数々。
「レストランです」
にっこり微笑む咲夜とは反対に、目の前の、おいしそうな料理に目を奪われるはたて。
実は彼女、ここ二、三日は徹夜が続いていたため、まともな食事をしてなかったりする。
ぐ~、とおなかが鳴いて、慌てて彼女はおなかを押さえる。
「こうした料理を提供しようと思っています。
まずはお試しにいかが?」
「……た、食べ物で、わたしを釣るつもり? そ、そうはいかないわよ」
「もちろん、食後のデザートだって」
取り出されるのは色とりどりのデザートたち。
普通に果物を使ったものから、幻想郷では見たこともないものまで。
「……何これ」
真っ白なクリームに包まれた、頂にいちごを抱くそれを、しげしげと眺めるはたて。
咲夜は、それにすっとフォークを入れると、「はい、あ~ん」とはたての口にそれを入れた。
途端、はたての目が見開かれる。
「何これぇ~!」
思わずほっぺた押さえ、こらえきれない感情があふれ出す。
今まで食べたことのないその味。その美味しさ。そして、その甘さに、はたての表情がリミットブレイクした。
「幻想郷では和食が基本ですから。
洋食とか洋菓子とか、食べたことがないでしょう?」
相変わらず、咲夜は笑顔を崩さない。
そして、「他のお料理もどうぞ」とさりげなく勧めたりする。
はたては「し、仕方ないわね。冷めたらもったいないから、しょうがいないから食べてあげるわ。感謝しなさいよね」と椅子に座って、初めて扱うフォークとナイフに苦戦しながらも、口に料理を運んでいく。
咲夜は、自分の後ろに並ぶメイド達に顔を向けて、ウインクした。
「相手を落とす時は、まず胃袋から」
うふふと笑う咲夜は『してやったり』な顔である。
はたてはこれで、完璧に、紅魔館の料理の虜となっただろう。
口で言って理解してもらえないのなら、体に教えるまでである。
語弊はあるが、この言葉は実に名言であった。
「彼女が有能な広報になってくれるかは、また別問題かと思いますが」
「大丈夫よ。
天狗というのは、普段はただやかましいだけのデマ鴉だけど、きちんと使えばとても優秀なスピーカーになってくれるわ」
それは、普段、付き合っている『文』でわかっていることだ、と咲夜は言った。
まさか、その相手で培った経験が、こんなところで生きるとは。
人生とは、何が起きて、どんな結果になるか、なるほど、わからないものである。
「う~ん……」
「門番長、何されてるんですか?」
「ああ」
先日の、外勤メイドが詰めている詰め所にて。
その一角に作られている事務室で、美鈴が机に向かってうなっている。
普段は門の前に立ってぼーっとしていたり、この詰め所で部下の鍛錬をしているのが『美鈴』らしい美鈴であるため、こうして机に向かって書類仕事というのは新鮮な光景だ。
「ほら、うちで飲食業、始めることになったでしょ?」
「なりましたねぇ」
楽しみです、と笑うのは、今年、紅魔館に新卒採用された妖精である。
倍率50倍を突破して採用されただけあって、彼女の人気と実力は、なるほど、かなりのものであった。
なお、何の『新卒』なのかは不明である。
「うちら外勤部隊にも仕事が回されて」
「何か他に仕事が増えるんですか?」
「うん。
入り口での『お客様案内係』だって」
「へぇ」
「門の入り口から館の中は、内勤の子達が担当するんだけど、外の列整理とか、その他案内は、うちらの仕事らしいんだ」
「そうなんですか」
「どうやってシフトを割り振ろうかな、って」
「その日、門の外の警備をしている人たちでいいんじゃないでしょうか」
「……ま、それが楽か」
仕事が増えるといってもその程度。
美鈴の頭の中では、『いらっしゃいませ~。こちらにどうぞ~』と客を案内する自分の姿がある。
恐らく、仕事はそのくらいのものなのだろう。
思いっきり頭を悩ませて、色々考えても、きっと、仕方ない。
「内勤の子達は大変だよ。
料理を作るスタッフ、接客をするスタッフ、ついでにお土産販売するスタッフまで。
全部を割り振らないといけない、って」
「大変そうですねぇ」
「こっちはこっちで、人事が全部、私の担当になっているから、責任が重たくて困るんだけどね」
にこっと笑う美鈴。
その朗らかな笑みに、新入りの彼女は『やっぱり、中の人たちより、この人の方が接しやすいなぁ』とうなずく。
「まぁ、そういうわけだから。
もしかしたら、あなたにも、何かお仕事を頼むことがあるかもしれないけど、その時はよろしくね」
「わかりました」
「はい。それじゃ、あなたもお仕事、お仕事」
「はい」
「ちなみに、飲み物か何か取りに来たの?」
「あ、そうです。喉が渇いて……」
「そう。ちょっと待ってね。今、持ってくるから」
「い、いえいえ! そんな!
そのくらいのこと、自分で……!」
「いいからいいから。
紅魔館では『年功序列』だよ?」
にっと笑って、美鈴は彼女のおでこを、つん、と人差し指でつついたのだった。
「……さて、うまく行くといいのだけど」
それから、数日。
紅魔館の一角、大ホールを改装し、見栄えのいい『レストラン』が仕上がっている。
そこから続く厨房では、厨房担当のメイド達が、本日の『お客様』を待っている。
『開店』と同時に忙しくなるだろう空間には、咲夜を始め、些か緊張した面持ちのメイド達。
何せ、初めての仕事だ。
今までやったことのないことをやるのだから、緊張して当然だろう。
「お店、始めまーす!」
本日、ここのホールスタッフ達を統括するメイドが声を上げる。
咲夜はその場を担当していない。彼女は、本日、この『行く末』を見守る仕事についているのだ。
入り口の扉が開く。
――そして、
「おーす、咲夜ー」
やってきたのは、何というか、気の抜ける人物だった。
彼女――霧雨魔理沙の後ろには、そろそろ彼女の保護者として認識されるだろうアリス・マーガトロイドが続く。
「いらっしゃい」
「本当に始めたんだな、飯屋! チラシが来た時は驚いたぞ!」
「まだプレオープンなんですよね?」
「そうね。
まずは、どんな人が来るか、どういう客層になるか、その辺りを見極めないと」
「大変ですね」
「あなた達が一番?」
「そうなるかな。
まだ、外には誰も来てなかった」
「……そう」
これには少し、拍子抜けであった。
しかし、同時に、どこかで安堵してしまう。
ドアが開いて、お客様が雪崩れ込んできたらどうしよう――それを危惧していた咲夜の前に、最初に現れたのが、気心の知れた二人というのは嬉しい誤算でもあった。
「さあ、どうぞ。お客様。こちらへ」
「おっ、咲夜が案内してくれるのか?」
「本当は、私は、今日はこの業務じゃないのだけどね。あなた達は顔見知りだから」
「すみません」
魔理沙とアリスの二人を席へと案内し、「ご注文を」と笑顔を向ける。
二人は、テーブルの上に用意されているメニューを広げると、
「んー……」
「私は、このセットに」
「はい」
「……なぁ、咲夜。メニューの内容がよくわからないから説明してくれないか?」
「あ、そう?
何を食べる?」
「んー……」
あっさりと、メニューを読み解くアリスと違って、魔理沙は首をかしげてメニューをにらんでいる。
並んでいる文字の列。
ジャンルはそれぞれ『ご飯』『麺類』『肉料理』などとカテゴリされているものの、文字ばかりでそのイメージがつかないようだ。
「なぁ、アリスは何を頼んだんだ?」
「私はこれよ。
パンとスープ、前菜と、魚、食後のデザートはゼリーにティー」
「魚かぁ。肉食べたいなー」
「じゃあ、こっちのセットはどうかしら?
今のセットの、魚料理を肉料理に変えて、デザートにシャーベットを用意しているのだけど」
「んじゃ、それにする!」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、伝票を持って下がる咲夜。
それを厨房のスタッフに渡して――およそ、5分。
「お待たせしました」
「はっや! 早いな、おい!」
辺りをきょろきょろ見回して、『やめなさい、恥ずかしい』とアリスに怒られていた魔理沙が、咲夜の姿を見て声を上げる。
「せっかく美味しい料理を食べに来たのに、いつまでも待たされていたら、食事をする気も失せてしまうでしょう?」
「そうですね」
「だから、ルールとして、『注文が来たら、お客様を10分以上お待たせしない』を作ったの。
もちろん、作り置きなどではないわ。出来立て熱々よ」
テーブルの上に並ぶ料理の数々。
おお~、と魔理沙が目を輝かせ、アリスが『豪華ですね』と笑う。
「どうかしら」
「いいんじゃないですか?」
「頂きま~す!」
「あ、こら、魔理沙!」
「まあまあ」
早速、目の前の料理に飛びつく魔理沙。
美味しそうに、それを口に運び、幸せそうな顔で「うまい!」と感想を口にする。
「……ったく、もう」
「あなたは大変ね」
「出来の悪い妹を持った気分です」
ならばさっさと離れてしまえば、と言いたくなるところであるが、『手のかかる子ほどかわいい』という言葉も世の中にはある。
アリスがどちらを、今の生活に感じているかは、言うまでもないだろう。
「量はあるし、味も充分だし。私は大満足だなー」
「ただ、少し値段が高いですよね。
普通の幻想郷の人たちにとって、この一食で一日分の食事の値段になってますよ」
「そうかしら……。
その分、味と量とサービスで釣り合いが取れるようにしたのだけど……」
「う~ん……。
まぁ、私も、料理の質については文句ないんですけど……」
ちらと周囲を見るアリス。
まだ、プレオープンで存在が幻想郷住民に知れ渡っていないことを加味しても、なかなか、人の入りは芳しくない。
メニューを開いて、何が書いてあるのかわからず、メイド達に聞く客の多いこと。魔理沙が量産されているかのようだ。
「あれじゃ、リピーターにはならないですよ」
「う~ん……」
「そうかな~。
味のいい店には、ちょいとくらい敷居が高いほうがいいと思うぜ。
もちろん、その分の質も店には求められるわけだが」
「あら、ずいぶんまともなことを言うじゃない」
「ふっふっふ、そうだろう」
「バカにしてるのよ」
「うっせ」
かっこつけて前髪をかきあげる魔理沙に、にやにや笑うアリスがツッコミを入れる。
魔理沙はぷくっとほっぺた膨らませた後、
「敷居の高い店ってのは、それだけでステータスになるもんだ。
ちょっとの贅沢がしたい、そんな時に来るとしたら、この店の値段は悪くないし、質も悪くない」
「それは正しいけれど、私の意見はその正反対ね。
幻想郷の通貨事情なんて、それほど豊かなわけじゃないんだから。
咲夜さんには悪いけれど、これじゃ、人を呼び込めませんよ」
「……そう。
頑張って考えたんだけど……」
「まぁ、まだプレオープンだし、これから口コミで広がっていくんでしょうけど……」
ホールに置かれている、見事な柱時計に視線をやるアリス。
「そろそろお昼時だってのに、がらがらですよ」
「宣伝が足りなかったかしら……。
はたての新聞だけじゃ不安だから、メイド達を使って、人里でチラシとかも配ってもらったんだけど……」
ちなみに、チラシの消費は順調だったらしく、朝から始まったチラシ配りは午後の早いうちに用意してきたチラシが全てなくなるほどだったとか。
「まぁ、紅魔館って、一般に、いいイメージないからな」
「というか、そもそも、どういう組織かもわかってないんじゃないかしら」
その時、新しく、客が一組やってくる。
年齢なら50歳くらい。人のよさそうな笑顔が特徴の男性と、恐らくはその家族だろう。
彼はホールへの入り口をくぐった後、近くのメイドを見て、「あ、こりゃどうも! いつもお世話になってます!」と頭を下げる。
「……そうね。
ああいう、契約している農家の方々とかなら、うちのこともよく知ってくれているのだろうけど……」
彼はメイドに「いやぁ、俺の周りの連中にも声をかけておきましたよ。このたびはおめでとうございます」と何度も何度も頭を下げ、メイドに「こちらこそ、いつもお世話になっておりますと頭を下げ返されている。
「……初回は失敗かしらねぇ」
「料理はうまい。それだけは大丈夫だぜ」
「ありがとう。
お礼に、シャーベット、一個追加しちゃうわね」
「やったね!」
「あとは、値段ですね。個人的には高すぎると思います」
「そう。
とりあえず、あなた達の意見は、意見として頂いておくわね。
全部を総合して、経営方針、考えるわ」
「はい」
「簡単に潰れるなよ」
「大丈夫よ。お嬢様が『採算度外視でやれ』って言ってるから」
にっこり笑って、咲夜は踵を返す。
予想とは少し……いや、かなり違う現状を見渡しながら、『作戦の練り直しだわ』と難しい顔を浮かべて。
「ダメダメだったわねぇ……」
「残念ですね」
初日の営業が終了したのは午後の8時。最後の客を『ありがとうございました』と見送ってから、最初に、咲夜の口から漏れた言葉がそれだった。
来てくれた客は、皆、『美味しかった』と食事の質やサービスには満足していたようだ。
しかし、彼らがリピーターとなってくれるかどうかはわからない。
来客者数も、予定していた200には遠く届かず、わずか100と少し。大惨敗である。
「とりあえず、何が悪かったのか、まずはそれを検証することから始めましょう」
「そうそう、メイド長。明日もお客さんは来るんだし。
落ち込んでばっかもいられないわよ」
「そうですよ、メイド長。元気を出して。ね?」
肩を落として嘆息する彼女を、周囲のメイドが一生懸命慰める。
それを受けてなのか、それとも、この場で一番の地位にいる自分が肩を落としていては、『年少』の者たちの士気に関わると思ったのか、「そうね」と気を取り直す咲夜。
一度、彼女たちは作戦会議のために、いつも使っている会議室へと引っ込んでいく。
「……何が悪かったんでしょうか?」
「内側で見て、『完璧だ』と思っても、外から見てはそうでもないということのようね」
「……はあ」
「さあ、あなた達。
わたし達は、明日の仕込みに入るわよ。
たとえ、今日よりお客様が少なくとも、来てくれるお客様は大切なお客様なのだから。
満足して帰っていただけるように、頑張りましょう」
おー、と声が上がり、本日のスタッフとして活躍したメイド達は、それぞれ、自分の仕事場へと散っていく。
――さて。
「つまるところ、まずは周知徹底がなされていなかったのが一つ。
次に、お値段。
次に、メニューのわかりやすさ。
次に、館への敷居の高さ。
次に、求めている、予定していた客層との認識のずれ。
――こんなところでしょうか」
一方、咲夜を始めとしたメイド達による会議は、今日のずたぼろっぷりを徹底分析する会議を始めている。
今日、アリスから指摘されたこと。
また、一日の営業の中で、客から上がった『声』などを片っ端からメモしていった結果。
そして、客の流れやその質など。
それら全てを総合した『結果』がホワイトボードに書かれている。
「やっぱさ、このメニューじゃ見づらかったのよ」
「確かに。
我々は、もう、この館で働いて長いから、メニューの文字を見れば、それがどんな料理かは想像がつくが……」
「幻想郷は和食がメイン。それがわかっていながら、もっとわかりやすいメニューを作らなかったのは失敗だった」
まず、原因の一つが口々に、彼女たちの口から上がる。
和食メインの幻想郷住民にとって、横文字ばかりのメニューは、とかく意味不明の難解な代物だ。
彼女たちはそれを理解していなかった。当初、それを課題として挙げたものもいたのだが、『そういう相手はそう多くないだろうから、そのつど、メイドが対応すればいい』として流してしまったのだ。
ところが、蓋を開ければ、『そういう相手』がほぼ全てを占めた。おかげで、メイド達の負担も上がり、接客の質が落ちてしまった。しかも客としては、メイドにメニューの内容を聞かなければ、それがどういう食べ物かわからないので、注文もしづらい、と。
最悪である。
「値段については、どうしましょうか?」
「もう少しお値段を下げることは可能ですけれど、そうなると、今の料理の質を維持するのが難しくなってしまいます」
「安い材料を使えば、いくらでも値段は下げられるとはいえ、それでは紅魔館の名に泥を塗ることに」
最高のおもてなしを低価格で。
それが、今回のレストランの根幹にある。
しかし、彼女たちの意図する『低価格』は幻想郷住民の『低価格』とはならない。
彼らにとって、このお値段は『高い』のだ。
だが、そこはやはりトレードオフ。質を維持したまま、値段を下げるにも限界がある。店をやるなら利益を出さなければいけない。
利益無視の赤字メニューを作るのもありだが、そればかりを頼まれてしまっては店が潰れてしまう。
「いっそのこと、思いっきり格差をつけちゃう?」
「あなたは何を言っているんだ」
「それでは客が来なくなってしまうだろう」
「いやいや、そうじゃなくて。
全部を一律に『高い質とサービス』で提供しようとしてるから悪いのであってさ。
もう思いっきり値段を上げた『極上サービス』と、お値段下げた『低廉なサービス』で分けてみるのさ」
「……それでは、やはり、『わざわざ紅魔館に来たのに』という気にならないでしょうか?」
「低廉なサービスったって、客を邪険に扱うってわけじゃない。
料理の量を減らしたり、使う食器の質を下げたりして、『これなら満足』ってくらいにまで質を落とすんだよ」
「う~ん……」
それはそれでありかもしれない、という空気が漂う。
しかし、腐っても『紅魔館』の名を穢すわけにはいかない。
どこまで質を落としてもいいものか。
試行錯誤するしかないだろうが、それで客の不評を買っては本末転倒である。
「あとはやっぱり、周知徹底が足りないかと」
「あれだけチラシを配ったのにね。あたしもあの場に行ったけど、人気だったけどな~」
「物珍しさで持って行った方が多かったのでしょうね。
実際は、行った人から感想を聞くつもりだったのでしょう」
「あ、そうか」
人間は賢いなぁ、と彼女は苦笑する。
「こうなったら、人里で大々的にプレゼンを行ないましょうか?」
「プレゼン?」
首をかしげる咲夜。
そうです、と提案したメイドはうなずくと、
「たとえば……えっと……」
メイド服のポケットから手帳を取り出し、めくる彼女。
「今から二週間ほど後になるのですけれど、ちょっとしたお祭りが企画されているようです。
これに参加して、紅魔館のお料理を知ってもらうのと同時に、私たちがどういうものなのかも周知して回る、と。
何せ、紅魔館のことを知っている人間なんて、契約をしている農家の生産者の方々や、メイド長たちのお知り合いくらいしかいませんから」
世間一般では『悪魔の館』と呼ばれているところに足を運ぶのだから、そこに『危険がない』ことを大々的に喧伝して回らなくてはならない、と彼女は言う。
「口コミだけに頼っていてはダメです。積極的に動きましょう」
「……いいわね。そうしましょう。
正式オープンはまだ先なのだから、それまでに執れる方策は全て採りましょう」
「せっかくだから、美鈴さまにも厨房に立ってもらいませんか?
あの方のお料理を、このお値段で食べられるのなら、それこそお客様がたくさんいらっしゃるような気がします」
「あ~、わかる」
「……美鈴さまの料理の腕前には、我々が逆立ちしてもかなわないからな……」
「じゃあ、メニューの改定作業と、料理の値段と質の見直し。あと、そうね……食事にコース制を作りましょう。
高級なコースと、普通のコース、それから安い単品料理。
もう、挙がった意見を全部採用で、やれるところまでやりましょう」
『畏まりました、メイド長』
こういう時、紅魔館の『鉄の結束』は強い。
上下左右にがっしり絡みあった彼女たちの結束は、複数の群からなる紅魔館を一個の『個体』として機能させる。
これがあるから、いざという時、紅魔館はとても強いのだ。
今日は徹夜になりそうだけど頑張りましょう、との咲夜の号令に、メイド一同、笑顔でうなずく。
紅魔館の戦いはこれからだ――!
「なぁ、霊夢」
「何よ、魔理沙」
「お前は紅魔館に飯を食べに行かないのか?」
「だって、高いんでしょ?」
ずず~、とお茶をすする霊夢。なお、そのお茶は、都合5回くらいは使っている出がらしだ。今日も博麗神社の財政は厳しいのである。
「あいつらが最初に配ってたチラシ、一応、もらってきたけどさ」
差し出すそれを、魔理沙は見て、『あ~』とうなずいた。
「一食1000円越えるとか許されないわ!」
一日100、いや、贅沢は言わない、10円あれば過ごせると豪語する彼女にとって、札のお金などまさに天からの恵みである。
1000円があれば一ヶ月は余裕! それを、たった一食の食事で使い果たす!? なんという愚かな振る舞い! そのような暴挙、この博麗の巫女が許すと思っているのか!
――と、境内の掃き掃除しながら内心で叫んだのがその翌日のことである。
「……お前さ、いや、その……うん……何か大変だな……」
「うっさいほっとけ」
魔理沙に同情されつつ肩を叩かれ、全力で、霊夢はそれを振り払った。色々むなしくて、涙がちょちょ切れそうだったがこらえた。博麗の巫女はうろたえないのだ。
「お前、この前の里の祭り、行ってないのかよ」
「その前の日の、前夜祭に巫女舞を奉納することは頼まれていたわ」
「何……だと……!?」
「……何よ、その顔」
「お前、巫女舞なんて出来たのか!?」
「……」
割とマジで驚いているらしい。
霊夢は無言で、手にした湯のみの底で、魔理沙の脳天を一撃した。
『ひでぶ』という悲鳴と共に潰れた魔理沙は、きっかり3秒で復活する。
「ちっ。タフいわね」
「甘いな、霊夢。至近距離からの夢想封印で慣れている私にとって、この程度のダメージ、蚊が差した程度にも感じないぜ」
そういう日常がすでに異様な日常なのだが、まぁ、この二人にとってはそれが当然の日常なので、今更何かを言う必要もないだろう。多分。
「まぁ、そん時にだな」
魔理沙は服のポケットから、くしゃくしゃになったチラシを取り出す。
それを広げ、丁寧にしわを取ってから、
「メニューの値段を改訂して、コースも新しく作ったそうだ」
「……へぇ」
さらに今なら、オープン記念で半額セール中、と魔理沙。
霊夢は、チラシの内容を隅から隅まで読んで、『う~ん』とうなる。やっぱり行きたいらしい。紅魔館の料理が美味しいというのは、すでに巫女の本能レベルで霊夢の中に刷り込まれているのだ。
「紫に頼んでみろよ。連れて行って、って」
「う~……」
「何だ?」
「私は、お金の面で、あなたに甘くするようなことは考えてないわよ」
「うっわ、びっくりした!?」
いきなり背後から響く声に振り返れば、そこには、くだんの妖怪、八雲紫の姿。
なぜか普段の衣装とは違い、季節によく合うシャツとパンツルックという活動的な衣装である。
「全く、嘆かわしい。
興味があるなら行ってくればいいでしょう」
「……だって、お金足りないもん」
「そのくらいのお金を出せないで、何が博麗の巫女ですか。全く。
どうして、あなたはそうやって、何でも適当、いい加減に過ごしているのかしら。あなたのそういう態度が、今の結果を生んでいるんです。
聞いてるの? 霊夢。
聞いてるなら、そこに正座しなさい。
――いい? 霊夢。
私はね、何もあなたが憎くて怒っているわけではないの。あなたのことを心配しているからこそ、こうして言葉もきつくなるのです。第一、博麗の巫女が米と味噌しか食べ物がない生活をしているなんて、なんて恥ずかしくて情けないと思わないの? そんな生活をしていることが人々に知られたら、あなたの神性と言うものは木っ端微塵になってしまうでしょう。
何度も何度も言っているのに、あなたは本当に、全く反省しないのだから。だからこういうことになるのです。
あとね――」
くどくどがみがみと続く紫の説教に、霊夢は反論せず、うなだれている。
ただ黙って台風が過ぎ去るのを待っているのだろう。というか、言われることは全て事実であるため、『だけど』と言い返せないのも現実なのだ。
魔理沙は、その二次災害を避けるために、縁側の下に避難している。
――そして。
「――全くもう。
今回は、私が連れていってあげるけれど、次回からは自分のお金で行くんですよ。わかりましたね?」
「……は~い」
お説教地獄が終了したのは、それから30分ほど後。
紫はそう言って『ほら、それなら準備をしなさい』と霊夢を急かした。
魔理沙がひょこっと縁側の下から顔を出して『……って言っていても、何だかんだ、甘やかしてるんだよな』と、腰に手を当てている紫を見上げて肩をすくめるのだった。
「……わ、何これ」
「どうも、その祭りの時に、あいつら、出店を出したらしいんだが。
その時に『全商品を無料』で配ったんだとさ。
で、それを食べた奴が大勢、押しかけてるってわけだ」
「知ってたら途中で帰らなかったのに~!」
「ほら、こっちにいらっしゃい。あなたたち」
紅魔館の門前に出来た、長蛇の列。
一番後ろに、『ただいまの待ち時間2時間』と書かれた看板を持ったメイドが佇んでいる。
そこにやってきた、紫、霊夢、魔理沙の三人。なお、魔理沙は『私もご飯食べたい!』と紫に甘えたらついてくることを許可されている。
案外、この妖怪の賢者は子供に甘いのかもしれない。
「おなかすいた~……」
「黙って待ってなさい」
「ぶ~。紫の意地悪!」
「ルールでしょう」
「いてっ」
ぺちんと平手で頭をはたかれて、霊夢は悲鳴を上げる。
ちなみに、霊夢と魔理沙、両名の衣装は、普段のものとは違って、どちらもかわいらしいワンピース姿。
紫曰く、『そんな格好の子をレストランになんて連れて行けません』だそうな。
さて、待つことひたすら。
「あとどれくらいかな?」
「もう30分くらいじゃないか?」
前の列の並びも少なくなってくる。その分、後ろが長くなるのだが。
門のすぐ近くまで、3人はやってきている。
「ありゃ」
「あ」
「よう、門番」
「どうもこんにちは。もう夕方ですけど」
そこに佇む門番が、やってきていた彼女たちに気付いた。
『どうしたんです?』と尋ねてくる彼女に、魔理沙が「飯を食べに来た!」と答える。
「そうですか」
「すごい混み方だな。
最初に来た時とはえらい違いだ」
「咲夜さん達の戦略が当たったんですよ。やっぱり宣伝が一番ですね。
もちろん、自分の足を使って、汗をかいた」
にっと笑う美鈴。
ちょうど、その上空を、紅魔館の広報担当として契約したはたてが駆け抜けていく。
霊夢は一瞬、それを見上げ、「……天狗?」と首をかしげていた。
「紫さんが、今日は引率ですか?」
「ええ、そうです。
この子達がおなかをすかせているというので。
全く、とんだ出費です」
「あはは、なるほど」
「……何よ、その顔」
「いえいえ」
『よかったですね~』と、子供に対して向ける笑顔を向けてくる美鈴に、気恥ずかしさを感じたのか、霊夢はほっぺた膨らませてそっぽを向く。
「何が当たったんだ?」
「初めて食べる料理の味、ですかね」
「なるほど」
「あと、祭りの時の屋台では、私も協力しましたから」
「おー。美鈴の中華屋台、か。こいつは失敗した。食べに行けばよかった」
「大変だったのですね」
「いやもう、ほんと、大変でしたよ。
期日も残り少ないのに無理やりねじこむものだから、祭りの実行委員の方々と、ずいぶんもめたとかで」
「なるほど」
「そこを、頭を下げて、何とか通してもらったそうです」
そういう努力が、世の中、必要だ、と美鈴。
それには同意するのか、うんうんとうなずいた紫が、「霊夢、よく聞いておきなさい」と一言。
そうした努力を全くやっていない霊夢は『いいじゃん、別に』と内心で悪態をついた。
「ただ、正直、値段の安さで来ている方々も多いと思うので。
この半額セールが終わった時に、どれくらいの人をリピーターとして確保できるかが課題ですね」
「ま、それは大丈夫だと思うぞ。お前のところの飯はうまいからな」
「ありがとうございます。
あ、そうそう。待ってる間にメニューを見ますか?」
「おう、そうする」
前に並んでいる客も、半数くらいが、手にしたメニューを眺めて『ねぇ、何食べる?』という話をしている。
それなら、それに乗るのも悪くないだろう。
魔理沙の回答を受けて、美鈴は一旦、その場を離れる。そうしてすぐに『どうぞ』と分厚いメニューを持って戻ってきた。
「最初に来た時より、ずいぶん豪華になったな」
簡素な、文字だけのメニューが、豪奢な装丁のなされた『書』に変わっている。
開くと、メニューごとに料理の写真が掲載され、それがずらっと続いている。
さらにコース料理のメニューについても、写真が掲載されて並んでいるのだ。
「へぇ、わかりやすいな」
「うわ~……美味しそう……。全部食べたい……」
「霊夢。よだれ」
「あう」
おなかすかせた子が二人、目をきらきらさせてメニューを眺める。
紫はその頭越しにそれを見て、
「コース料理もありますね」
「ええ。
家族3人とか4人なら、たとえば一人が単品で一つずつ頼むより、この『ファミリーコース』を注文してくれた方が安くなります。
その分、メニューの自由度は狭まってしまうんですけど」
「ふむ」
「その上の『パーティーコース』は、パーティーという名前がついていますけど、ファミリーコースよりも料理の内容が豪華になった、『ちょっと特別仕様』ですね。
ご家族での誕生日とか、ご友人同士でのお祝いとか、そういうのに」
「なるほど」
美鈴の話を聞いて、静かにうなずいていた紫は、「それじゃ、この、紅魔コースをお願いしようかしら」とメニューの一つを指差した。
『紅魔コース』。今回、このレストランにて、紅魔館側が用意するコース料理の中で『上』に位置するコースである。
「嘘!? いいの!? 紫!
だ、だって、これ、すごく高い……いてっ」
「値段のことなんてどうでもいいでしょう。あなたはさもしいわね」
「いや、だけど……」
「子供は黙って、大人の言うことやることに従ってなさい」
お金ならあるんだから、と紫。
霊夢は無言でうなずくと、なぜかそっと、紫の左手を握った。
多分、彼女なりの、親愛と感謝の表現なのだろう。
「じゃあ、それ、中に、先に伝えておきますから。もう少し待っていてくださいね」
紫からメニューを受け取った美鈴が、一同から離れていく。
そして――。
「いらっしゃいませ、お客様」
「おー、咲夜じゃないか」
ようやく、彼女たちの番がやってくる。
客あしらいの担当としてやってきたのは、館のメイド長だった。
「ええ。
何せ、初めての『紅魔コース』ご注文のお客さまだもの。丁重に扱わせていただくわね」
「どんな料理が出てくるか、楽しみにしています」
「ええ。
あら、霊夢に魔理沙。かわいい格好をしているわね」
「あ、いや、これは……」
「だろ? 紫にもらったんだ」
「何だか新鮮ね。
さあ、どうぞ。こちらへ」
いってらっしゃい、と美鈴が手を振り、魔理沙がそれに右手を振り返す。
咲夜に案内されるまま、紅魔館への扉をくぐる3人。
入り口の脇には、お出迎えのメイドが二人立ち、「いらっしゃいませ」と頭を下げてくる。
「あなた達はこっちよ」
「え? こっちじゃないのか?」
大勢の人が向かうホールではなく、正面の階段を上り、キャットウォークを左手側に歩いていく。
「ここよ」
その先のドアを開け、さらに歩くことしばし。
目の前のドアが開けられると、そこに現れる、紅魔館の応接間。
しかし、その装いは内部で少し変わっており、普段なら置かれているテーブルとソファの代わりに、品のいい、そしておしゃれなダイニングテーブルとチェアが置かれていた。
「特別なコースをご注文いただいたお客様には、さらに特別なサービスがございますから」
「ありがとう。
ほら、あなた達、座りなさい。霊夢、あなた、ナイフとフォーク使えるの? 魔理沙、あなたはきょろきょろしない。みっともない」
くすくすと、咲夜は笑う。
どう見ても、二人を叱る紫の姿は『お母さんと子供達』といった具合だった。
しばしお待ちください、と頭を下げて、部屋を辞する。
――さあ、ここからが忙しい。
なるたけ急いで、しかし決して走らず焦らずに、咲夜は厨房へと駆け込んでいく。
「お客様のご案内、終わりました」
「はーい!」
「特別室2番さん、前菜と飲み物を用意ー!」
「終わってまーす!」
大忙しの厨房。
プレオープンのときとは打って変わって、客、客、客、客の海なのだから仕方ない。
メイド達は大忙しで働き、次から次へと料理を作っていく。
伝票に書かれたメニューを細かく、丁寧に、そして間違いなく作って台の上に。そこには番号の書かれたプレートが張られ、注文してきたテーブルがそれでわかるという仕掛けだ。
それを、ホール担当のメイドが両手に持って、客の元へと大忙しで駆けていく。
咲夜も同じように料理を、手元のワゴンへと載せていく。
「メイド長、次のお料理は15分後です」
「ええ」
前菜と飲み物を載せて、咲夜はワゴンを押して、厨房を後にする。
ぐるりと廊下を回るようにして二階へと移動し、こんこん、とドアをノックする。
「えーっと……紫、これでいいの?」
「そう。ナプキンはそうやって使うのよ」
「おー、咲夜。きたきた!」
洋食に慣れない霊夢に作法を教える紫ママと、それを眺めてにやにやしている魔理沙。
彼女たちの元に、咲夜はワゴンを押していく。
「こちら、前菜と、食前酒となります」
「上品な食器ね~」
「高いコースを注文していただいたお客様には、雰囲気でも、お値段分の贅沢を味わってもらうようにしているの」
「へぇ」
「私は、高価な食器とかは、気を遣うからあんまり好きじゃないんだよな」
「じゃあ、割らないようにね?」
「子供扱いすんな」
ふてくされる魔理沙が、用意された前菜に、早速、フォークを突き刺す。
「こら。何、その食器の使い方。はしたないでしょう」
「あーもー!」
「うるさいでしょ、魔理沙。紫っていつもこうなの」
「あなた達のマナーが出来ていないのが悪いんです。
雑多な居酒屋ならまだしも、こうしたところでは、食事の際のマナーは必須ですよ」
「ほんとにお母さんみたいね」
聞こえないよう、小さな声でつぶやいて、笑いながら。
咲夜は彼女たちに料理を提供した後、一礼して、部屋を後にする。
またまたワゴンを押して、がらがら大忙し。
厨房に戻って、少し経つと、次の料理が運ばれてくる。
それをワゴンに載せて、また『お客様』の元へ。
これを、コース料理が全て終わるまで続けなければならない。一人のメイドが一つの客にかかりっきりになってしまうのが、『紅魔館のコース料理』の欠点だ。
「とはいえ、仕方ないわよね」
ドアをノックして、次なる料理を運んでいく。
霊夢は「こんなに美味しい料理、おなか一杯! 幸せ~」と、普段は見せることのないとろけた笑顔を浮かべている。
魔理沙は「う~ん。これ、自分でも作れないかな~」と、何やら気に入った料理があるらしく、それをしげしげ眺めて口の中へ。
紫はというと、澄ました様子で、時折、『なってない子供たち』を叱っている。
何となく、幸せそうだ。
「ホールの方はどう?」
「お客様が途切れません」
厨房へと戻って、少しクールタイム。
咲夜は息をついて、隅の蛇口をひねって、水を一口する。
報告をしてきたメイドについて、ホールを見に行くと、まぁ、いるわいるわ。
「すごいわね」
「やっぱり、見るのと聞くのとでは大違いですね」
「値段もあるでしょうけど」
「この中の何割をつなぎとめられるかが勝負ですね」
「そうね」
開店記念セール中は、全商品半額。
ほとんどの商品が200から300円前後。それでいて、量などはたっぷりなのだから、言うまでもなく、赤字ぎりぎりだ。
これを元の値段に戻した時、どれほどの人が残ってくれるか。
ただ値段と物珍しさだけに惹かれてやってきた客は離れるだろう。
ここに来ている客の大半がそれなのだから、いかにして、彼らを『紅魔館』の虜にするか。
それが、咲夜たちの腕の見せ所である。
「午後5時……。
よし、サービスタイム開始よ」
「了解しました!」
何やら、作戦があるらしい。
咲夜の指示を受けて、先のメイドが厨房に戻っていく。
そして、
『本日のご来店、誠にありがとうございます。
ただいまより、サービスタイムと致しまして、お客様にサービスワイン、もしくはデザートを一品、無料でご提供しております――』
流れる室内放送に、客たちがざわめき、『ラッキー』という声が上がる。
「少しの損を得に変えないと」
咲夜は厨房へと引っ込み、「特別室2番さん、お料理、出来ましたー!」という声を聞いて、用意されているそれをワゴンに載せて、またもやお客様の元へ。
「お待たせしました。
本日のメインディッシュでございます」
「うわ、何これ! でっかいお肉! こんなの食べるの何ヶ月ぶり……いてっ」
「……全く、あなたは。
そういうはしたないことを言うのはやめなさい。情けない」
「ん~……これ、ソースがこの前のと違うな~。
なぁ、咲夜。この辺りのレシピって教えてもらえないのかな?」
「あら、いいわよ。
興味があるなら、ぜひ、ご要望を」
「よーし」
この子、料理が趣味なのかしら、と内心では首を傾げつつも、魔理沙に笑顔で応対する咲夜。
一方の霊夢は、箸で肉を掴まえて口に放り込もうとするものだから、また紫に叱られている。
「この後はデザートです。しばし、ご賞味ください」
「おう!」
ドアを閉めて、ふぅ、と一息。
「さて、忙しい、忙しい」
ぱたぱた、かちゃかちゃ。
普段なら許されない、『歩く際に音を立てる』も、今日は許される。
咲夜は厨房へと飛び込むと、「デザートの用意をお願いします!」と声を張り上げる。
すると、デザート担当のメイドが『はーい!』と返事をするのだ。
これまた待つことしばし。
客の胃袋に、メインディッシュが全て収まり、『満足、満足』となる絶妙の頃合を見計らって、デザートが完成する。
「それじゃ――」
「あっ」
後ろから声がした。
振り返ると、そこには、フランドールの姿。
彼女はちょこまかとした動作で咲夜の元に駆け寄ってくると、
「フランもおてつだいする!」
と目を輝かせて自分アピールしてくる。
困ったような笑顔を一瞬浮かべた咲夜だったが、ふと思い直し、「それじゃ、お願いします」と、彼女に笑いかけた。
「うん!」
フランドールは咲夜と一緒に、肩を並べて『お客様』の元へ。
こんこん、とドアをノックして。
そうして、中に入れば「あっ!」とフランドールが声を上げる。
「お、フランじゃないか」
「まりさだ!」
「さあ、フランドール様。お手伝いを」
「はーい!」
彼女は、咲夜から渡されるお皿を両手に持って、よいしょよいしょ、とそれをテーブルへと運んでいく。
そして「はい!」と笑顔でそれを手渡して。
「あら、かわいい」
そんな彼女に、紫が微笑み、なでなでと頭をなでる。
「おー、フラン、偉いな! お手伝いか!」
「うん! フラン、おてつだいだよ!」
「よしよし、そうかそうか」
魔理沙の元へ皿を運んでいったフランドールを、彼女は抱き上げ、自分の膝の上に座らせる。
「それなら、ほれ、ご褒美だ」
「わ~い!」
魔理沙の膝の上で、嬉しそうに笑いながら、彼女から差し出されるデザートをぱくっと口にするフランドール。
「ねぇ、私の分」
「ああ、ごめんなさいね」
そんな様子を微笑ましく見守っていた霊夢が、笑いながら、咲夜に自分の分のデザートを催促する。
運ばれてきたそれを、「何これ?」と首をかしげて受け取り、一口。
「あ、これ、冷たくて美味しい」
「ゼリーを冷やしたものよ。シャーベットとは、また少し違うでしょう?」
「しゃーべっと?」
「あなた、食べたことがなかったのね」
笑いながら、「じゃあ、今度、作って持っていってあげるわ」と咲夜。
霊夢は、何だかよくわからないが、食べ物がもらえるということでそれを喜び、デザートをひょいぱくと口の中に入れていく。
「どうだ、フラン。うまいか?」
「うん、おいしい!
まりさも! あ~ん!」
「あ~ん」
「この後はなかったかしら?」
「あとは、食後のティーだけです」
「そう。
なかなかのお料理とお時間、頂きました」
「お褒め頂き、ありがとうございます」
さすがの余裕を見せる紫に、咲夜は笑顔で応対する。
この辺り、紅魔館メイドとしての実力の片鱗が伺える。
どんな相手にも動じず、笑顔で応対。それが紅魔館メイドの基本だ。
「お気に召しましたか?」
「そうですね。
今までの幻想郷の体系にはない形です。私は気に入りましたが、果たして、一般のお客様が気に入るかどうかは」
「それこそ、きちんと、彼らを取り込む手段を考えております。
ただ、お値段だけに惹かれてやってくるお客様の場合は、残念ながら、定期的なお客様にはなりえないかな、と」
「差別化は必要だよな~」
「さべつか、って何?」
「そうだな~。
フランのぷにぷにほっぺたと、レミリアのぷくぷくほっぺたみたいな感じだ」
「フランとお姉さまなの? さべつか!」
新しい言葉を覚えたのが嬉しいのか、魔理沙にじゃれるフラン。その姿は、実にかわいらしくて微笑ましい。
ちなみに霊夢は「ねー、咲夜。このデザート、おかわりってないの?」と話しかけている。どうやら気に入ったらしい。
「それでは、食後のお茶をお持ちいたします。
ちなみにリクエストが可能ですけれど、何か?」
「私は別にいい」
「私も」
「私は……緑茶があれば」
「あなたは相変わらずね。
フランドール様、戻りましょう」
「うん!」
ぴょんと魔理沙の膝の上から飛び降りて、『ばいばい』と手を振り、彼女は咲夜と一緒に部屋を後にする。
その道中で、咲夜はフランドールを、彼女つきのメイドに任せて厨房へ。その途中、フランドールは「またおてつだいする!」と咲夜に言っていた。
「お茶をお願いいたします」
厨房の忙しさは相変わらず。
何せこれから、『ディナータイム』。食事処が最も忙しくなる時間帯に突入するのだ。
どのメイドも『忙しいったら忙しい』と厨房の中を駆け回っている。
「メイド長」
「はい?」
「今のままですと、あと1時間前後で、材料がなくなってしまいます」
「そう。
それじゃ、今、外に並んでいるお客様のうち、入れそうなところまでを数えてきて。
それ以外の方には、お詫びの品をお持たせして、申し訳ないけれど、頭を下げてきてもらっていい?」
「畏まりました」
咲夜たちの作戦は大当たり。
だが、その大当たりの弊害が出てしまった。
これほどまでに客がやってくるとは思っていなかったため、本日のレストラン業は強制的に『打ち止め』となってしまった。
明日以降は、どうしようか。
ストックする食材を増やすか、それとも、このままで行くか。
人気店に並ぶ列は、初日が最も多いと聞く。日が経つごとに漸減していって、ある程度のところで『ストップ』する。
「……そのラインを見極めたいわね」
あまりにもたくさんの食材を入れてしまったら、残したものを悪くしてしまう。
そんな、悪くなった食材を他人に出すことはできない。
かといって、その状態が継続すれば仕入れにかかるお金もかかってしまうし、抱えている保管のコストもかかってしまう。
「忙しいなら忙しいで、考えることは山盛りだわ」
ちょうどその時、「メイド長、お茶のご用意が出来ました」という声がかけられる。
用意されたお茶を三つ、トレイに載せて、「それじゃ、いってきます」と微笑む彼女であった。
「ねぇ、咲夜」
「はい」
「どうかしら。例の」
体に似合わぬ大きな椅子で、足をぱたぱたさせながら漫画をたしなむちみっちゃいお嬢様が、舌ったらずの口調でメイド長へと問いかける。
「先日、挙げさせていただきました報告書の通りです」
「あれだけなら、確かに見事な成果と言っていいのだけど」
「お嬢様、あれからこちらに関わっていませんでしたからね」
「あら、当然じゃない。
わたしはあなた達に指示をする立場。そして、あなた達はそれを実行する立場」
「ええ」
と、気取って答える彼女、レミリアであるが、咲夜はその真実を知っている。
あの指示を、咲夜に下した三日後くらいに、『咲夜! 今、妖怪の山で、何だかすごい宝石が見つかるらしいの! 行きましょうよ!』と別のことに目をきらきらさせていたことを。
要は、半分、忘れていたのだ。
全く、過去から現在まで続く『紅魔館メイド流対お嬢様戦法』は完璧であることの証左である。
「こちらに新聞が」
「読ませなさい」
「どうぞ」
「あら、きれい。カラーなのね」
『紅魔館レストラン、幻想郷住民に大絶賛!
先日より始まった、湖のほとりに建つ、瀟洒な西洋風の館、紅魔館でのレストラン業。
プレオープンの頃こそ奮わなかったものの、本開店を迎えてからは絶好調。聞くところによると、日々、右肩上がりで来客数を増やしているとの事だ。
試しに現地を訪れてみると、朝早くの開店前から、館の前に並ぶ行列を見ることが出来る。
いわんや開店後など、待ち時間2時間3時間は当たり前という風情である。
並びの列に話を伺うと、
「料理が美味しい」
「接客が素晴らしい」
「里じゃ楽しめない雰囲気が素敵」
という意見を多く伺うことが出来る。和の世界である幻想郷において、『洋』の紅魔館は異質であり、異質であるが故に、人々の興味を誘っている状況だ。
まずは、評判の接客から見ていこう。
館への入り口をくぐると、見目麗しい妖精メイドが一人、世話役としてついてくれる。
彼女はその一組の客に付きっ切りで接客をしてくれる、『あなた専用のメイドさん』である。もうこの時点で、来店を決めた読者諸兄も多いのではないだろうか。
彼女に連れられて館の中へと入り、店へと通される。そして、彼女を通じて、料理を注文したりするわけだ。
その間、彼女はずっと笑顔で来客をもてなしてくれる。少々のわがままも聞いてくれる辺り、実にサービス精神が旺盛である。
この丁寧かつ懇切な接客が、店を去るまで続くのである。
次に料理だ。
紅魔館で提供される料理は、どれも素晴らしく美味しい。和洋中、どの種類もそろっており、この洋風の館の中で焼き魚定食を食べるというのも、また乙なものといえるだろう。
だが、ここに来た以上、やはり、幻想郷では滅多に味わうことの出来ない洋食を味わうべきだ。
見たことも聞いたこともない料理がずらりとメニューに並び、あなたの食欲を刺激してくれるだろう。
どれを頼んでも、その味は保証されている。お金が許すなら、メニューの端から端まで、という行為も可能だ。
注文から10分。やってくる熱々の料理を頬張れば、『美味しい』という感想以外の言葉も想いも出てこないことだろう。
紅魔館の接客と料理を味わったら、最後に雰囲気を味わいながら店を後にするのがいいだろう。
建物の様子を見てみたり、あるいは入り口ホールに備えられている売店でおみやげを買ってみたり。
別料金になってしまうが、メイドさんとのツーショットサービスも提供されている。
これらのサービスを全て味わったら、あなたの感想は唯一つ、『満足』であるはずだ。
紅魔館のサービスは素晴らしい。
しかし、その素晴らしいサービスには対価がつき物だ。
総じて、里の普通の飲食店で食べるよりも料理は割高である。だが、その分の料金に、プライスレスの接客と雰囲気が乗ってくるのだとしたら、決して、この値段は高いものではない。
こうした通常の食事以外にも、さらに素晴らしいサービスを受けられるコース料理なども用意されている。
本紙の最後に記載されている、『紅魔館レストランサービス詳細』を見て、興味を持ったら、是非とも、紅魔館を訪れて欲しい。
著:姫海棠はたて』
「いいわね! これよ、これ! これを待っていたの!
我が紅魔館が絶賛され、その名前が幻想郷中に知られる! そして、わたし、レミリア・スカーレットの名前が幻想郷に轟くのよ!」
新聞のどこにも『レミリア』の文字は入っていないのだが、レミリアはこれで満足しているらしい。
ぷくぷくほっぺたをりんごのように染めて、目をきらきら輝かせ、「咲夜! ちょっとレストラン見に行きましょう!」と声を上げる。
咲夜は一礼して、彼女と共に部屋の外へ。
浮かれ、足早に歩いていくレミリアに前を譲って、『やれやれ』と内心で苦笑する。
「今日も満員じゃない!」
「まだ、外に並んでいる方々もたくさんいらっしゃいます」
「ホールにも人がいるわね……。
うふふ。いいじゃない。素晴らしいわ! よくやったわね、咲夜!」
「お褒め頂き、光栄です」
お嬢様は至極ご満悦であるようだった。
『吸血鬼の館』として畏怖で迎えられるよりも、誰からも親しまれる『紅魔館』として人に知られる方がいいと考えているのか。それとも、そこまで、単に考えが及んでいないだけなのか。
大勢の人々でごった返す館の姿を見て、彼女はとにかく、満足しているようだ。
羽を上下に忙しなくぱたぱた動かしながら、
「咲夜! 次の命令よ!
もっともっと、たくさんの人を呼び込みなさい! 幻想郷に紅魔館あり!
彼らが『紅魔館』という単語を聞いて、すぐにわたしの屋敷を思い浮かべるくらいにまで、幻想郷に紅魔館の名前を広めるのよ!」
「畏まりました」
また余計な、そしてめんどくさい命令が下ってしまった。
しかし、これはこれでいいか、と咲夜は思う。
何せ、これに参加しているメイド達は、誰もが楽しそうにしているのだ。
めんどくさそうに、いやそうに働いているものなどいない。顔に出さず、内心に秘めているものも、だ。
元より妖精は楽しく騒ぐのが大好きな生き物だ。彼女たちにとって、こうして、多くの人々が常にごった返しているというのは、『祭り』と同じなのだろう。
祭りは長く続けられるなら、続けたい。
あの楽しい雰囲気を、いつまででも続けたい。
――それなら、そのために、尽力してみようか。
「次は何をしようかしら」
そう言って、館を見下ろすメイド長の笑顔は、些か……というより、かなり『子供』っぽい笑顔だったという。
以下、花果子念報一面より抜粋
~紅魔館レストランサービスの追加情報掲載!
先日、お伝えした、霧の湖の畔に建つ紅魔館にて始まった、紅魔館レストランサービス。
なかなか好評を博しているこのサービスであるが、このたび、出前サービスにも対応する運びとなった。
出前とはいえ、その味と雰囲気は、お店で食べるそれと相違ないことを保証する。
このサービスを行うこととなった背景としては、このレストランサービスが非常に好評であり、現在、用意されている紅魔館の設備では来客対応が難しくなったことが挙げられる。
しばらくの間、紅魔館のホールを改装し、より本格的なレストランとすることとなったのだが、その間、せっかくの紅魔館の料理が味わえないのはもったいない、ということで、急遽、企画されたのだ。
そのため、当面は、この出前サービスが主体となってしまうのだが、これについてはご理解頂くしかないだろう。
注文方法は、本紙の最後に記載してあるので、そちらを確認して欲しい。
また、本紙と併せて紅魔館レストランサービスのチラシも同時配布させて頂いている。
このチラシを見て注文を行うと、料理の代金が定価の3割引きとなる。是非、活用して欲しい。
メニューは、比較的廉価な小皿料理、単品料理から、一生の思い出となる高価なコース料理まで様々だ。
紅魔館本店がリニューアルオープンするその時まで、この出前サービスで紅魔館の味を楽しんで欲しい。
そして、紅魔館が本格的に扉を開いたその時に、今度は出前では味わえない「紅魔館の空気」を楽しむため、レストランを訪れることをおすすめする。
きっと、そこには、新たな感動と素晴らしい料理との出会いが待っているだろう。
ちなみに、筆者のおすすめは、「紅魔特製ロイヤルケーキ」である。絶対、食べてね! これ、ほんとに美味しいから!
著:姫海棠はたて~
「どうしたの?」
「ああ、いえ。
すいません、メイド長。ちょっとよろしいですか?」
「ええ」
今日も今日とて、多くのメイドが働く紅の館こと紅魔館。
そこの廊下を行く二人――そのうち一人は、片手に茶器の載ったトレイを持つメイド長、十六夜咲夜。
もう一人は、その彼女をサポートしているメイドである。
果たして、二人が向かった先で見たのは、
「はい、フランドール様。あ~ん」
「あ~ん!」
「ぱくっ。美味しい?」
「うん、美味しい!」
「フランドール様、こっちも美味しいですよ。はい、あ~ん」
「あ~ん!」
――という具合に、この館の権力ピラミッドで(一応)頂点に立つ、ちみっこお嬢様の妹君、もっとちみっこお嬢様を囲むメイド達の姿であった。
彼女たちはきゃーきゃー騒ぎながら、お嬢様の小さなお口にお菓子をぽいぽい放り込んでいる。
「……全くもう」
その様を見て、咲夜はやれやれとため息をつく。
メイド達の方から聞こえてくるのは、『や~ん、かわいい~』だの『次、あたし、あたし!』だの『フランドール様、なでなでさせてください!』だのといった声ばかり。
「自分達が仕える主人を愛玩動物扱いというのは……」
「まぁ、仕方ないですけどね」
「わかるけどね?」
その見た目の愛らしさと性格的なものが相まって、色んな意味で、誰からもかわいがられるもっとちみっこお嬢様。
その顔はいつでも笑顔。頭をなでなでされて、美味しいお菓子を一杯もらって、実に嬉しそうだ。
しかし、だからといって、彼女たちの『蛮行』を見逃すわけにはいかない。
「こ……」
声を上げようとした咲夜を、隣のメイドが制する。
そうして、
「あなたたち」
静かに、だが、凛とした響く声で一言。
その声で、騒いでいたメイド達が一斉に振り返り、顔を緊張させる。
「フランドール様のお世話を頂き、ありがとうございます。ご自分のお仕事の方はいかがですか?
そちらもしっかりこなしてくださいね。
お疲れ様」
にっこり優しく微笑む彼女に、慌てて、『す、すみませんでした!』と頭を下げた後、彼女たちはそそくさと持ち場に戻っていく。
さっと、潮が引いたように自分の周りから人がいなくなって、もっとちみっこお嬢様ことフランドール・スカーレットが首をかしげる。
「フランドール様、お菓子ばっかり食べていたら、虫歯になってしまいますよ」
「う……」
「後で、ちゃんと歯磨きをしましょうね」
「は~い」
一瞬だけ、眉毛をへの字にした後、彼女はにっこり笑って右手を大きく挙げる。
そして、ぱたぱたと、二人の間を抜けて、どこかへ走っていってしまった。
「頭ごなしに叱るだけでは、彼女たちもメイド長を怖がってしまいますよ」
「……なるほどね」
ふぅ、と咲夜は肩をすくめて、その場から歩き出す。
「だけど、管理の目が行き届いていないと、すぐにサボろうとする子が多いわね」
「妖精というのはそんなものですから。
紅魔館では、しつけとルールの徹底はしていますけれど、やはり本能を抑えることは出来ません。
だから、『勤務時間9時間のうち、自由な1時間の休み』があるのでしょう?」
「あ、これ、そういう意味での制度だったのね」
「ダメじゃないですか。メイド長たるもの、ご自分が務める組織のルールを知らないというのは」
と、今度は咲夜が彼女に叱られてしまう。
彼女、紅魔館に長年務めるベテランメイドの中でも『筆頭』の位置に位置するメイドだ。
地位こそ、咲夜の下に甘んじているものの、キャリアは咲夜よりずっと上なのである。
「もしかしたら、その1時間の休みをそこに当てているのかもしれないのですから。
だから、頭ごなしに叱るというのはよくありません」
「……そうね。反省しないと」
「そうね。咲夜ちゃん、えらいえらい」
「……あのね」
と、軽く背伸びをされて頭をなでられてしまうのだから、咲夜の心中は複雑だ。
まだ子供の頃に紅魔館にやってきた彼女は、それはそれは、館のメイド達に『かわいがられた』ものなのである。
ついでに言うと、どんな人間だろうと妖怪だろうと、己の幼い頃を知っている相手には、逆立ちしたってかなわないものだ。
「それでは、わたしはこれで」
「ええ」
「今日もお仕事が忙しそう」
「そうね」
「業務管理の工程とかも見直さないといけないかもしれませんね」
「ルールは適度に変わっていくものだわ」
そう言って、彼女は右隣の扉をノックする。
しばらくしてから、『入っていいわよ』という声がした。
咲夜はメイドの彼女に笑顔を向けた後、室内へと、足を踏み入れる。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「今回は少し時間がかかったわね」
「申し訳ございません」
その部屋の主であり、館の主であるちみっこお嬢様ことレミリア・スカーレットは、体に合わない大きな椅子に座って、足をぷらぷらさせながら、何やら手に持った新聞をにらんでいる。
咲夜は室内へと足を進め、レミリアのついているテーブルへとティーカップを置いた。
「何をご覧になられているのですか?」
「今朝、うちのポストに入れられていた新聞よ」
「文が入れていくものとは違いますね」
「お試しらしいわ」
その新聞のタイトルは、普段、『いらない』と言っているのに押し付けられる新聞とは違う。
多分、レミリアは読めないだろうその名前は『花果子念報』となっていた。
「しわがよってますよ」
「だって」
その新聞を眺めていたレミリアは、ばん、と音を立てて、それをテーブルの上に叩きつける。
そして、そのぷにぷにちんまりした掌で、何度もばんばんと新聞を叩きながら、
「これ、見なさいよ!」
と、ほっぺたをぱんぱんに膨らませる。
全く愛らしい仕草であるが、咲夜は言われたとおり、その新聞を一瞥する。
新聞の顔となる一面には、全段ぶち抜きで記事が書かれており、
『永遠の竹林の奥、新医療相談所の開設!』
というでっかいタイトルが躍っていた。
「えっと……。
『竹林の奥に、このたび、開設されたこの医療相談所は永遠亭と呼ばれる屋敷の一角を増改築して建設されたものとなる。
かねてより、幻想郷では人妖問わず医療設備の不足、医療技術、知識の貧困さが課題として挙げられていた。
今回の医療相談所の開設は、まさに幻想郷の医療問題を解決する端緒となるだろう。
ここ、永遠亭には卓越した医療技術と知識を備える医療集団が常時つめている。これまで、対処不能とされた病気や怪我でも彼女たちならば必ずや治療してくれるだろう。
また、今回の一件に伴い、永遠亭から人里や各地の妖診療所に対して、無償で最新の医療機器や医術書などの貸与が行なわれるということである。
それに伴う知識や技術の普及も、もちろん、行なわれるということだ。
この、永遠亭の医療設備について、最近、幻想郷へと外の世界から迷い込むことになった人里在住のAさんによると、この医療設備は外の世界のそれに匹敵するということで、まさしく最新の医療が受けられることとなる。
今回の――』」
「悔しいわ!」
なかなかまとまらない新聞の内容に目を通す咲夜の前で、レミリアが大声を上げる。
「……悔しい、とは?」
「だって!」
きょとんとする咲夜に対して、レミリアは羽をぱたぱた忙しなく動かしながら、びしっとまるっこい指を突きつける。
「これ!
永遠亭の奴らばっかりいい風に書かれているのだもの! 絶賛じゃない!」
「ええ、まあ……それは」
別段、彼女たちは悪いことをしているわけではないのだし、と言おうとして、咲夜はその言葉を飲み込んだ。
ふてくされてるレミリアに、火に油を注ぐ行為は厳禁だ。癇癪を起こした彼女を止めるのは、とっても難しいのである。
「紅魔館のことなんてどこにも書いてないじゃない!」
そりゃ、永遠亭の特集記事なのだから当たり前なのだが。
それも、今のレミリアには言ってはならない禁句である。
「奴らばっかり目立ってほめられるだなんて、あなた、悔しくないの!?」
いきなり、矛先がこちらに向いた。
咲夜は微妙な笑みを浮かべながら、「まぁ、あまり感心できることではありませんね」と当たり障りのない返答をする。
「でしょう!?」
そこで、『我が意を得た』とばかりにレミリアがいきり立つ。
「こうなったら、紅魔館だってやり返してやるわ!
幻想郷の人間や妖どもに、紅魔館こそ一番だってことを教えてやらないと!」
『何をもって』一番なのか、そもそも『何に対して』一番なのか。
それもさっぱりわからないのだが、今のレミリアに、そんな正論が通じるはずはないだろう。
「咲夜! これは命令よ!
紅魔館ならではの名物で、幻想郷で有名になる手段を考えなさい!
予算と規模は無視! このわたし、レミリア・スカーレットの名にかけて!」
「……畏まりました」
――というわけで、何が何やらさっぱりわからない命令が下されてしまうのであった。
「――というわけなの」
一様に、『まためんどくさいことを……』という顔をして、うなるメイド達一同に対して、咲夜はため息混じりに事の次第を説明する。
急遽、紅魔館の一角、会議室として使われている部屋に集められたのは、咲夜以下、館に勤めるメイド達を統率する上級メイド達の中でトップクラスの地位を持つ、マイスターメイド――通称、『マイスターのお姉さま』方である。ちなみにこの肩書きは、レミリアが『あなた達、周りのメイドと比べて実力が段違いなのだから、こんな名前を名乗りなさい』と命名したものである。
「えっと……メイド長。一つよろしいでしょうか」
「はい」
「……紅魔館名物って何でしょう?」
と、手を挙げて発言するのは、その『マイスターのお姉さま』達のリーダー格であるメイド。
先ほど、咲夜と一緒に廊下を歩いていた彼女である。
彼女の地位は『メイド長補佐』。要は、咲夜の側近のようなものだ。
「……さあ?」
「やっぱり……」
そも、そこまでレミリアが考えて発言するはずがない、というのがこの場にいる全員の認識である。
あのお嬢様は突発的に突拍子もないことを言いだして、彼女たちを困らせるのだ。
その回避方法は、大抵の場合、その場で『畏まりました』と、まず、頭を下げる。
そして、数日間ほったらかしておくと、あら不思議、レミリアはそんな命令をしたことなどすっかり忘れて、別の興味があるものに目をきらきらさせている。
大抵の場合、彼女たちは、そうしてレミリアの『命令』を乗り切ってきたものだ。
しかし、今回は違う。
とりあえず引き受けて放置して、レミリアが忘れるのを待つ、という従来の戦法が通じない。
「何が何でも実行しないと、また暴れるでしょうね……」
「そうなったらめんどくさいですよね……」
はぁ、と一同、ため息。
「まぁ、しょうがない。やれと言われたんだから、あたしらには『やる』しか選択肢がないんだよ」
「しかし、紅魔館の名物といわれても……」
「メイドとか」
おっとりした雰囲気で、縦ロールな髪型が特徴のメイドが発言する。
「先日参加した、『幻想郷就職活動フェスタ』でも、甘味処や食事処なんかの募集を見ていましたけれど、わたくし達のような、所謂『メイド』の募集はございませんでした」
「確かに、メイドという職業……というか、役職というか見た目というか……。
まぁ、そんなものに関する文化は、幻想郷にはない」
和の感じあふれる幻想郷において、『洋』の自分たちは異質なのだ、とその対面に座る、ポニーテールのメイド。
「だが、『メイド』を売りにするとは?」
その左斜め前に座る、ツインテールなメイドが首をかしげる。
「……さあ」
それにはさすがに応えられない。
メイドを売りにする。
確かに、売れそうだ。
紅魔館に務めるメイド達――所謂、妖精メイド達は、皆、見た目がかなりのもの。見目麗しいと言っても違和感はないだろう。
そんな彼女たちが、笑顔で『ごきげんよう』と声をかけるだけで、幻想郷の、主に男性は狂喜乱舞することだろう。
しかし、だ。
「……それで何すんのさ?」
紅魔館の赤に染まらず、ひときわ輝く『白』の衣装を纏った彼女たち。その中で、一人、肩から白衣をかけているメイドが発言する。
ちなみに彼女、レミリアの発言の元凶にもなった、永遠亭と同じく、紅魔館で『医療』を担当するメイドである。
「う~ん……」
皆、真剣に悩んでしまう。
メイド。家政婦さん。家事手伝いなんてどうでしょう、という意見も上がるのだが、
「紅魔館の人員から言って、そうした派遣に人員を割くのは難しいと思います」
と、長い黒髪としなやかな目元が特徴的なメイドが言う。
「今の紅魔館のメイドってどれくらい?」
「正確な数は覚えていませんけれど、少なくとも600はいっています」
「使い物になるのは?」
「せいぜい、半分程度ですね」
短髪で、活動的な印象のメイドが、その対面、メイド長補佐の彼女に尋ねる。
「しゃーないなぁ」
椅子の背もたれをぎしりときしませ、彼女は天井を仰ぎ見る。
紅魔館の業務は、色々と特殊である。
通常の『家事が得意』なものでも、その全てを覚え、一人前にこなせるようになるまで、少なくとも数年は必要となるだろう。
それ以外は、何らかの形で上からのサポートがなければうまく動けない『半人前』なのだ。
「今年の採用、もう少し増やせばよかったね」
「そうかもしれませんね」
「あなたのいる厨房は、今年、充分な人員補充があったはずだ」
「あら、ばれました?」
厨房を預かり、料理好きな者たちに見事な味を仕込み続ける、ウェーブのかかった髪が特徴的な彼女はぺろりと舌を出す。
「実際問題、紅魔館の人員不足は深刻なんです」
「ええ、わかってるつもりよ」
「もう少し……あと、現在の一割くらいも一人前の子が増えてくれればいいんですけれど……」
「それをどうにかするのは時間だけですね」
そしてもう一回、一同、ため息。
そんなかつかつの状況の中で、レミリアは『何とかしろ!』とわがままを言う。
本当に、困った主人である。
「とりあえず、あなた達の配下の子達に通達を出してちょうだい。
こうなったら、メイド達全員から、アイディアを募りましょう」
「それが一番ですね。
彼女たちは、楽しいことが大好きですから。
きっと、自分たちにとって、楽しいことを一杯挙げてくるはずです」
「それがうまいこと、館の型にはまればいいね」
「ええ」
それじゃ、そういうことで、と。
結局、その会議の場では何も決まることなく、散会となった。
まずは現状認識。対策を考えるのはそれからだ。
「……とはいえ、どうしたものかしらね」
あの新聞をお嬢様のところに持って行ったのは誰なのよ、と。
誰とも知らぬ『犯人』に対してほっぺた膨らませる咲夜であった。
とりあえず、アイディアを求めるなら、館の中でそれなりの立場を持つもの全てを巻き込んでしまおう。
咲夜はそう考えた。
館に勤めている者たちは、皆、一蓮托生。
言い方を変えれば『いい迷惑』となるのだが。
館の外に出た咲夜が向かうのは、紅魔館の広い庭の一角にある建物――外勤メイド達の詰め所である。
「美鈴、いる?」
ドアを開いた向こうは広い空間となっており、そこに、メイド達の威勢のいい掛け声が響き渡っている。
「足はもっとしっかり伸ばして! 軸足に重心を載せる! そんな軽い蹴りじゃ、誰も倒せないよ!」
その掛け声に混じって、叱咤する声を放つのは、外勤メイド達を統率する彼女、紅美鈴。
彼女は咲夜の存在に気付いたのか、咲夜をちらりと見て手を振った後、「よし、休憩!」と手を叩いた。
「咲夜さん、どうしたんですか?」
「……へっ?
あ、ああ、いえ。
あなたも、何と言うか……かっこいい顔ができるのね」
「いやぁ。私のなんて、ただのはったりですよ」
誰からも好かれる、ほんわかした笑顔を浮かべて、美鈴は返してくる。
先ほどまでの凛々しい横顔の持ち主とは別人のようだ。
――実を言うと、それに見惚れていた咲夜は、「それもそうね」と本心を隠した一言を口にする。
「それで、どうしたんですか?」
「えっとね――」
先ほど、レミリアから言われたことを、そのまま美鈴に伝える彼女。
美鈴はふんふんとうなずきながら話を聞き、
「まためんどくさいことを」
と、歯に衣着せず、苦笑した。
「そうなのよ。困ってるの」
「紅魔館の名物って何ですかね?
この館の見た目それ自体だって名物になりそうなものですけど」
「霊夢は『目に痛い、趣味の悪い建物』って言っていたけどね」
「気持ちはわかります。
あの屋内って、ある意味、豪華すぎて落ち着かないんですよ」
そう言う美鈴の趣味も混じって作られた、この詰め所は板張りの木造建築。外面こそ塗装などでごまかしているものの、中に入れば、一言で言ってしまえば『体育館』である。
「そうですねぇ……。
うちら門番隊の名物なら、私のこの服装とか」
「チャイナ服、というのだったかしら」
体のラインが綺麗に出るその衣装。
太ももまでが露になる、大胆なスリットの入ったこの衣装は、確かに名物と言ってしまっていいかもしれない。
館につめる、所謂内勤メイド達も、『あの服いいよね~』と騒ぐくらいには魅力のある代物だ。
「けど、男の人はいいかもしれないけど、女性には……ああ、まぁ、デザインとかを工夫すれば売り出してもいいかもしれないけど」
「服屋になるんですか?」
「……それもどうかしらね」
たとえば、紅魔館の名物である『メイド』と『門番』の衣装を売り出すとしたら。
それはそれで人が呼べそうだが、『大人気』『絶賛』と評されるほどにはならないだろう。
それでは、レミリアが『物足りない』とごねそうだ。
「そういうわけで、悪いのだけど、あなた達にもアイディアを出して欲しいの」
「ええ。構いませんよ。
咲夜さんの頼みですからね。頑張ってこなしますよ」
「ありがとう」
「あとはほら、やっぱり、内側に聞くだけじゃなくて、外側にも話を聞きに行くといいと思いますよ」
「そうね」
やはり、こういうのは、『外側からの視点』が大事になる、というのが美鈴の意見だった。
それについては論じる必要はないし、反論するつもりもない。
うなずく咲夜は、「それじゃ、何か手土産を持って、午後にでも言ってくるわね」と一言。
美鈴は満足そうにうなずくと振り返り、「よし、休憩終わり! 訓練を再開するよ!」と広い空間全部に響き渡る声を上げる。
「それじゃ、邪魔しちゃ悪いから」
ひょいと肩をすくめて、咲夜はその場を後にした。
もう少し、凛々しい彼女を眺めていたかったのだが、それは自分のわがままだとわかっているのだろう。
「残念」
ドアを閉めて、苦笑と共につぶやく彼女だった。
「メイド」
あっさりと、その言葉を放ったのは、霧雨魔理沙という人物である。
「魔理沙。あなた、少しは考えなさいよ」
「何だよー。じゃあ、アリスはどんなの考えたんだ?」
「くっつかないで。暑苦しいわね」
その彼女がじゃれているようにしか見えない彼女の名前は、アリス・マーガトロイド。
畳の上に品よく正座をしている姿は、高級な西洋人形にしか見えないと、もっぱらの評判である。
「そうね……。
……えーっと……。
……メイド……」
「ほら、私と同じじゃないか」
「う、うるさいわね!」
後ろから魔理沙に抱きつかれてじゃれつかれて、アリスの顔は真っ赤である。
「霊夢は、何かない?」
「……メイドさん」
「はぁ」
さて、咲夜がやってきたのは、博麗神社という場所である。
ここの主、博麗霊夢とは、紅魔館の主が懇意にしているのがその理由だ。なお、その懇意は、限りなく一方通行に近いのだが、それはさておこう。
「いや、だって、何というか……。
他に名物っていったら、レミリアくらいじゃない?」
「まぁ……そうだけど」
「レミリアのぬいぐるみとかを売るの?」
「それはそれで売れそうだけど」
あのちんまいお嬢様の人気は何気に高い。
噂では、人里に、『レミリアたんファンクラブ』が結成されていると聞く。
あのちみっこさとちんまさをグレードアップして売り出せば、なるほど、かわいいものが大好きな女の子を中心にヒットすることは確実だろう。
しかし、
「お嬢様って、ほら、『かっこいいわたし』が好きだから」
「いい加減、その幻想から目を覚まさせるべきだと思うの」
「……そうよね」
どこからどう見ても、ただのかわいらしいようじょなのがレミリア・スカーレット。
本人は、多くの『メイド』という部下を従えて、それが自分の『カリスマ』によるものだと思っているらしいのだが、何のことはない、その実は『かわいい彼女のお願いだから仕方なく』が大半なのである。
それを本人が全く理解してないのだから、色々、勘違いも加速するのだ。
「あとは……あ、そうだ。紅魔館の名物といえば、やっぱり、服飾があると思うんです。咲夜さん。
そっちの方を考えてみたらどうですか?」
と、この場ではかなり女の子レベルの高いアリスが提案する。
先ほども、服装の件で美鈴と話をしてきた咲夜だが、「服飾ね」と腕組みする。
「香水とか口紅とか。そういう化粧品から、アクセサリーとかも。売れると思いますよ」
「えー? 誰が買うんだよ、そんなの」
「あなたは買わないかもしれないけど、私なら買うわ」
「そういうもんか?」
相変わらず、アリスに後ろからおぶさっている魔理沙が首をかしげる。
彼女の女の子レベルは、アリスのそれと比べると、まだまだ駆け出しレベルのようだ。
「そういうのも得意な子、探せばいそうね」
「紅魔館って何でもありね」
「というより、妖精って、意外と侮れないの」
本気になった彼女たちはかなりのものだ、と咲夜は言う。
妖精の本気、と言われても、霊夢の頭の中で妖精というのは『年がら年中、おちゃらけて遊んでるだけの生き物』であるため、いまいち想像がつかないらしい。
「家具とか売ったらどうだよ」
ここで魔理沙が口を出す。
「家具?」
「そうそう。ベッドとか。
ありゃ、いいものじゃないか。うちに欲しいぞ」
「あなたは、いい加減、あのへたったベッド捨てなさいよ」
「だって売ってないんだもん」
「全くもう……」
「うふふ、そうね。
じゃあ、魔理沙。今までうちに出した被害額のうち、ベッドの代金分を払ってくれたら、売ってあげてもいいわ」
「ちぇー。じゃあ、いらない」
「買いなさい。って言うか、私が買ってあげるわ。もちろん、思いっきり取り立てに行くから。よろしく」
「おい、アリス。勝手なことするなよ」
「うるさい」
「いてっ」
二人のやり取りを見て、霊夢は『ま~た同じ事やってる』という顔はしているが、咲夜はくすくすと笑っている。
二人のその様が、微笑ましいものに見えているのだろう。
「だけど、ベッドとかは、幻想郷の生活スタイルには合わないのじゃないかしら?」
「そうね。私もベッドよりは布団がいいし」
「あなたは和風な生活しかしてないものね」
「別にそれが悪いとも思わないし」
すまし顔で、霊夢は、咲夜が持ってきた紅茶を一口する。
その様は、背筋がしっかり伸びているのもあって、なかなか美しいが、湯のみで紅茶を飲んでいる光景は少し滑稽である。
「……服飾に家具、ねぇ。
あとは、お嬢様のぬいぐるみ?」
「人形とかでもいいんじゃないですか? 私、手伝いますよ」
「お、珍しい。
アリス、お前、どんな下心があるんだ?」
「あんたと一緒にしないで」
「いてっ」
後ろからじゃれるのをやめて、アリスの膝枕でごろごろしながら悪態をつく魔理沙のおでこに、アリスの平手がぺちんとヒットした。
「うちの売りって、やっぱり、雰囲気なのかしら」
「悪魔の雰囲気、ねぇ」
「レミリアを悪魔として認めたら、悪魔がどれもこれもかわいらしいイメージにしかならないわね」
アリスの一言は、なるほど、的をいている。ど真ん中を一撃で。
う~ん、と咲夜は腕組みして悩んでしまう。
そこへ、魔理沙がぽんと声を上げる。
「なあ、そんなら、飯屋はどうだ?」
「飯屋……食事処?」
そうそう、とテーブルの上に顎を載せたまま、器用にうなずく魔理沙。
もう少し細かい話を、と要求する咲夜に「つまりだな」と彼女。
「お前のところの飯はうまい。
これを売りに出すんだ」
「そういえば、魔理沙は、よくうちでご飯を食べているわね」
「そうなんですか?
すみません、咲夜さん。迷惑をかけてしまって」
「何でアリスが謝るんだよ」
「うるさい」
「あいてっ」
ごん、とテーブルを下から叩くアリス。その衝撃に、顎をテーブルに載せていた魔理沙は後ろにひっくり返った。
くすくす笑う咲夜は、「別にいいのよ。フランドール様の相手をしてもらっているのだから」と、その振る舞いが等価交換であることを説明する。
「へぇ。フランの相手をすればご飯が食べられるなら、私も行こうかなー」
「あなたの場合は、お嬢様が近寄ってくるわよ」
「鬱陶しいのよね」
やれやれ、と肩をすくめて、霊夢は正座している足を少し動かした。
「けど、確かに、紅魔館の食事は豪華だし美味しいのよね」
「いつも豪華な食事をしているわけではないわ。あれはあくまで、お客様用よ」
「普段はどんな食事してるの?」
「ご飯かパンとスープ、主菜と副菜を一品ずつ、くらいなものね」
「それでも、一杯、バリエーションとかあったり、量がそれなりなんでしょ? それだけで羨ましいわよ」
「……あなた、普段、どんな食生活してるの」
「作り置き最高!」
ぐっ、と親指立てる霊夢の肩に、咲夜はぽんと手を置くと、「今度、うちに来て、美味しいもの、おなか一杯食べて行きなさいね」と限りなく優しい笑顔と口調で告げる。
その目元に、きらりと光る切ない涙に、霊夢は何だか死にたくなった。
「なるほど……。料理、ね。
だけど、人里の人たちに迷惑がかかりそうね」
「それ、受けること前提ですよね?」
「あら、これは失礼」
うふふ、と笑う咲夜に、アリスは肩をすくめる。
魔理沙は「お前のところで飯屋やるなら、私は通うぞ」と心強い一言を口にする。
「それならそれでいいかもしれないわねぇ……。
レストラン、ってところかしら」
「何か、それをやるならやるで、紅魔館のイメージが遠く離れそうな気がしますけど」
「だけど、幻想郷で、洋食を提供しているところなんてないでしょう?
売りになるんじゃないかしら」
「まぁ、そうですね」
幻想郷の食事は、基本、和食である。
これは、幻想郷が出来た経緯にも原因を持っているのだが、その真実は、幻想郷の初代博麗の巫女が、
『皆さん、よろしいですか? 健全な肉体にこそ、健全な精神は宿ります。
そして、健全な肉体を作るにはご飯が欠かせません。何より朝ご飯を欠かすことは、決して、許されません。
朝ご飯は一日の活力となるのです。朝ご飯を食べずして、一日を過ごせるでしょうか、いいえ、答えは否!
真っ白つやつやほくほくご飯! あったかほんわかお味噌汁! はふはふもぐもぐ焼き魚! 付け合せにさらに小鉢を一つ!
おっと、納豆を忘れてはいけませんよ!
これこそが、朝ご飯であり、幻想郷の食生活の基本をなすのです!』
と、演説をしたことに起因しているらしい(談:八雲紫)。
そんな感じで、幻想郷の食事は和食が基本なのである。朝からパンとスープというのは、滅多にいない。
「珍しいものに、人は目を惹かれますし。
それが、とっても美味しい食事なら、なおさら」
「確かにそうね。いいかも」
「だけどさー、咲夜。
あんた、紅魔館の食事って、人間が材料とか聞いたんだけど……」
「あら、やだ」
「へっ?」
「誰よ、そんなデマ流したの」
失礼しちゃうわね、とぷりぷり怒りながら、咲夜。
霊夢の視線はアリスと魔理沙へ。二人はそろって、首をかしげている。
「確かにそういう時期もあったらしいけれど、それはもう、ずっと昔の話よ。
今は普通に、お肉は畜産農家の方から買っているし、お野菜や果物だってそう。ちゃんとお金を払っているわよ」
「……あ、そ、そうなのね……」
「当然じゃないか、お前。何言ってんだ」
「そうよ、霊夢。あなただって、紅魔館で、食事、ご馳走になったことあるでしょう」
「……いや、あれこそ特別かなって思ってて……」
「お前は引きこもりがちだからな」
「そうよ。霊夢。もっと外に出ないとダメじゃない」
と、引きこもりの典型みたいな魔法使い二人にそんなこと言われ、霊夢は何だかしこたま傷ついた。
「そうねぇ……。
そんなところかしら」
「そうですね」
「じゃないか?」
「じゃあ、そうね。これくらいで、ということで。
ありがとう」
いいえ、と笑うアリス。『飯屋できたらよろしくな~』と魔理沙。
そして、『……私、何か悪いことしたかな』と落ち込んでいる霊夢。
彼女たちに一礼して、咲夜は立ち上がる。
そして帰り際、「あ、そうそう」と足を止めると、
「これ、おみやげ。忘れていたわ」
差し出すのは『紅魔館特製クッキー』と『プレミアムティーパック』のセット。
差し出された食べ物を見て、霊夢は目を輝かせると、「頑張ってね!」と即座に復活した。
実に現金かつ扱いやすい巫女であるが、そんなところもなかなかかわいらしい。
咲夜はのんびり、神社を後にして、家路に着く。
「……そうねぇ。
やっぱり、女の子の夢ではあるわよね」
空を飛びながら、考える。
今回、提示された三つの『名物』。
その中でも、事、食事――つまり『レストラン』というのは、なるほど、確かに『お花屋さん』や『ペットショップ』と並ぶ女の子の『夢』である職業の一つである。
かく言う咲夜も、『大きくなったらご飯屋とかお花屋さんになりたいな』と子供の頃、思っていた。
隠しているつもりではあるが、彼女、割と少女趣味なのだ。
「いいかもしれないわね、それ!」
そして、何やら勝手に結論をつけて、ぽんと手を叩く。
あとは家に帰って、メイド達から上がってくるであろうアイディアをざっと一瞥して、その上で、自分のアイディアとしてこれを話してみよう、と彼女は思う。
果たして、それがそううまくいくのかどうかは別問題、なのであるが。
「メイド長、今、よろしいですか?」
「何?」
書類の山に埋もれながら、必死で判子を押す作業に没頭する咲夜の元に、先日の、『メイド長補佐』のメイドがやってくる。
彼女は両手に山のように書類を持っていた。
それを見て、咲夜の顔がげんなりとしたものになる。
「……また?」
「先日の、メイド達へのアイディア募集につきまして、こんな感じにアイディアが出てきました」
「……ああ」
そっちの方か、と咲夜はうなずいて、机の上の書類をよける。
「どうしてこんなに?」
「どこかで滞留していたらしいの。
ちょうど、そこで処理をする子が体調不良で寝込んでいたとかで」
「あら」
「代わりの子を用意してなかったのね」
「すみません。それはこちらのミスです」
紅魔館の仕事は多岐にわたる。
そして、最終的にそれを承認するのは、メイド達を統率する、彼女たち『上級のメイド』の役目である。
そこには無数の書類が存在し、部署を経由するごとに書類の量は増えていく。
必然的に、咲夜の元には、毎日、山となった書類が届けられるのだ。
「どんなアイディアが出たのかしら」
「色々ありますよ。
やはり定番は『家事手伝い』ですけれど、『弾幕勝負請負業』とか『左官屋』なんてのもありましたね」
「……左官屋?」
メイドがこて片手に建物を修繕している姿が、どうしても思い浮かばない。
しかし、ふと考えてみて、『……そういえば、うちって、家が壊れたらどこにも修繕依頼出してないわよね』という事実に思い当たる。
……何だか、あまり考えてはいけないような気がしたので、咲夜はその思考を、そこで打ち切った。
「小悪魔さんからは『図書館業』というのが」
「パチュリー様から許可は取ったのかしら」
「パチュリー様が、あまり興味を持っていなかったり、『もうそれ読んで内容覚えたから、好きにしていいわ』というものを利用するそうです。
もう図書カードまで作ったとか」
「……採用されること前提なのね」
行動が早いというか、見切り発車というか。
咲夜は苦笑しながら、「それじゃ、それはそれで勝手にやってもらいましょう」と笑う。
基本的に、あの図書館の管理は、彼女たち、メイドの手を離れているのだ。図書館に付随する、幻想郷でも類を見ない『大図書館』の管理は、あそこの住人に任されているのである。
「あとは……うん」
また何冊かの書類を取り出し、中を見る。
ふんふんうなずく咲夜に、メイドの彼女が首をかしげた。
「どうなさいました?」
「ん?
……ああ、実はね」
と、そこで、先日、博麗神社で受け取ってきた『アイディア』を語って聞かせる咲夜。
彼女は、咲夜が楽しそうに語るその顔を、嬉しそうに眺めながらうなずき、「いいですね」と笑う。
「結構な数になるからね。そういうのをやってみたい、っていうアイディア」
「確かに、集計してみたところ、全体の5割近くに達していました。
決定してしまっても、あまり文句も出ないでしょう」
「……集計したの?」
「ええ」
「……え?」
「これがその書類です」
と、茶目っ気たっぷりにぺろりと舌を出しながら、彼女は、今回のアイディア募集一覧をまとめた書面を取り出した。
そこには、綺麗な字で『家事手伝い 225件』などと分類と数字が記載されている。
「……最初から、これを出してくれればいいじゃない」
「ごめんなさい。
だけど、メイド長として、部下から上がってくる意見・陳情には、きちんと目を通したほうがいいんじゃないかと思って」
くすくす笑う彼女に、咲夜はほっぺた膨らませて抗議すると、『もう』とそっぽを向く。
その子供っぽい仕草に、彼女は笑いながら、「ともあれ、いいと思いますよ。レストラン」と言った。
「紅魔館の食事はとても美味しいですし、幻想郷住民にとっては珍しいものでしょうし。
物珍しさも手伝って、きっと、人を集められると思います」
「……そうね」
「お嬢様に持って行きますか?」
「そうするわ。
まぁ、お嬢様のことだから、『じゃ、それで』って言いそうな気はする」
「はい」
「あなたは、みんなに、この情報を流しておいて」
「畏まりました」
「あと、アイディアを出してくれた子、全員に……そうね……。ご褒美として、休日一日付与、なんてどう?」
「それはそれでいいかもしれませんけれど、うちはきちんと勤務時間厳守がルールですし、休日も多めです。
どうせなら、その一日を使って、何かレクリエーションとか考えられたらいいですね」
妖精は遊ぶのが大好きだから、というのがその理由だった。
ふむ、とうなずく咲夜は「まぁ、ご褒美は後で考えましょう」と、一旦、その話をそこで打ち切った。
そうして、「じゃあ、次は企画書ね」と話を続ける。
「誰か、リーダー役の子を見繕ってくれないかしら? もちろん、統括はあなた達でも、私でもいいんだけど」
「わかりました。
では、今回の一件、一番推している厨房担当の彼女に任せることにします」
「なるほど。そうね。彼女なら適任だわ。
「それを中心に、アイディアを全体に回して……。
決まったことですから。もし、不満の声が上がったら、それ以外の形も考えましょう」
「たとえば?」
「おみやげ」
「ああ」
せっかく紅魔館に来てもらうのだから、紅魔館の記念品を持って帰ってもらうというのもいいだろう。
ちょうど、アイディアの中には『小売販売』に属するアイディアも多数あったのだ。
それを同時に採用すれば、不満を言うものもぐっと少なくなる。
「あとは業務マニュアルも作らないといけませんね。
何せ、紅魔館では、これまでに人を呼び込んでどうこうということはしていませんでしたから」
「接客業、ね。
まぁ、うちは人当たりのいい子が多いし、その点は心配してないけれど」
「そうですね」
「それじゃ、悪いのだけど、その辺りは任せるわ」
「でしたら、私の方で、全て取りまとめを行ないます。メイド長にはご承認のみ、ということで」
「つまり、異論は許さない、と」
「当然です」
みんなが苦労して考えたものを、たとえ上司とはいえ、一人の意見で覆させてなるものか、と。
なかなか厳しい一言である。
咲夜はその理由をわかっているから、ただ笑っているのだが、それを理解できないものからしてみれば、『自分は信用されてないのだな』と肩を落としてしまう発言でもあった。
「では、私はこれで。
お仕事、頑張ってくださいね」
「ええ。
……あ、申し訳ないんだけど、朱印かスタンプ台、持ってない? もう、これ、ぼろぼろなのよ」
「後で届けさせますね」
それでは、と彼女はにっこり笑顔と優雅な所作で、その場を後にした。
よし、とうなずいた咲夜は「あとは、どんな企画書が上がってくるかを楽しみに待つだけね」と嬉しそうだ。
やはり、内心では、『子供の頃からの夢』がかなうことが嬉しくてしょうがないらしい。
つい先日までは、レミリアの今回の発言を『めんどくさい』と思っていたのだが、今ではまさに『渡りに船』。全く現金な発想ではあるが、人間とは、そういうものなのだ。
「パチュリー様」
「何、小悪魔」
「図書館業、オッケー出ました!」
「……え? 私、許可出したっけ?」
「ええ」
片手に取り出す紫色のオーブ。
それがぼうっと光を放つと、中に映像が現れる。
『パチュリー様、咲夜さんから、レミリア様からの命令で「紅魔館独自の面白いことをやるに当たってのアイディア提出」依頼がきました』
『そう』
『私、この図書館を使って、図書館業をアイディアとして出そうと思うんですけど』
『そう。好きにすれば?』
『わかりました』
「――と、このように」
「……それ、いつ頃?」
「もう一週間くらい前です」
その頃の記憶を必死になってあさる、彼女はパチュリー・ノーレッジ。
しかし、考えても考えても記憶は出てこない。
とはいえ、目の前に、『映像』として残っている証拠は完璧だ。それを否定することは出来ない。
「……便乗したわね?」
「さあ? 何のことやら」
にこりと笑う彼女は小悪魔という。
この図書館の司書として、パチュリーが雇っている相手なのだが、なにやら最近、やたらと隠し技が多いことが判明している。 というか、あの映像、一体どうやって撮影・記録したのかさっぱりであったが、
「……なるべく、私の邪魔にならないようにね」
「わかりました。
あと、本の管理も図書カードできちんと行ないます。返さない人には取り立ても行きます」
「……何か人里には『貸本屋』というのがあるらしいのだから、そこと競合しないようにね」
「そこのご主人とは懇意にしてますから大丈夫です」
「一体いつの間に」
もう少し、自分も外に出るようにしよう。こもりっきりはダメだ、うん。
パチュリーはその時、それを決意した。
というか、下手したら、この図書館、こいつに乗っ取られるんじゃないか、とこの時思っていた。
「それで、館の方としては、レストランを始めるらしいです」
「レストラン?」
「ええ。
館の一角のホールがあるでしょう? 立食パーティーとかに使ったりする」
「ああ。
確かに、あそこなら、100人程度なら客を呼んで入れられるわね」
「そこを改装してレストランにするそうです」
「突発的な」
「フランドール様は喜んでましたよ。『フランもレストランする!』って」
「邪魔にしかならないじゃない」
「けど、邪険には出来ませんよね」
なものだから、フランドールには、たまに『お客様の元にお皿を運ぶ係』が割り当てられたのだそうな。
体のいい厄介払いだが、当のフランドールは嬉しそうに『はーい!』と笑っていたのだとか。
「うちの厨房スタッフは、なかなか腕のいい人がそろっていますし。
外の門番は料理界最強の人物ですから。
お客さん、たくさん来そうですね」
「それならそれでいいけれど。
……って言うか、今、あなた、さらっと得体の知れない組織の名前を口にしなかった?」
「私も、呼ばれれば、お手伝いをするのはやぶさかではないですね。
こう見えて、料理を作るのは得意です」
「……あ、そ、そう」
あまり余計なことに首を突っ込むと不幸になる。
それが、幻想郷の理であり絶対のルールである。
これには、いかな博麗の巫女だろうがかなわない。余計なことして胃と髪の毛をやられるのは確定的に明らかなのだから。
「ともあれ、お茶をどうぞ」
「……ありがとう」
「今年の紅茶は、いい茶葉が出来たおかげで、いいものが入ってきてます。
館の目利きはさすがですよ」
「そういえば、こういうのって、咲夜が選んでいるのかしら」
「いいえ。
これにはこれで、専門のスタッフがいます。その人曰く、私ですら『まだまだ』だそうですけど」
「ふぅん……」
「館のワイン倉には腕のいいソムリエールも雇ってますし。
こと、『食』に関してなら、紅魔館はかなりのものなんですよ」
「そうね」
「幻想郷各地の農家さんとか猟師さんを回って、いいものを優先的に仕入れてもらえるように専属契約もしてますし。
何なら私が畑を興してもいいんだし。
いいレストランになりそうですね」
「……あいつら一体何やってんの……?」
自分の知らないところで展開されていく、紅魔館の『真の姿』。
それを改めて聞かされて、パチュリーの頬に、汗が一筋、流れるのだった。
――さて。
「……ねぇ」
「何?」
「これはどういう扱いよ!?」
ぎゃーぎゃーと喚く、一人の少女。
ツインテールの髪の毛を揺らし、気の強そうな釣り目がちな目で相手をにらむ。
その彼女の前に立つのは、我らが十六夜咲夜さん。
「どういう、って。見ての通りです」
「いきなり、ふっと目の前が暗くなったら縛られてたんですけど!?」
「ええ、そうよ」
「何よ、そういう趣味!?」
「いいえ」
こほん、と咳払いをして、咲夜。
そして、彼女は目の前の少女に向かって深々と頭を下げた後(相手を椅子に拘束しているので、深々と、も何もないが)、
「初めまして、姫海棠はたて様。
わたくし、当紅魔館にてメイド長を務めております、十六夜咲夜と申します」
「挨拶はいいから!? これ、ほどきなさいよ!」
「実は、紅魔館からお願いがございまして」
「いやだから!?」
「あなたと専属契約を結びたいのです」
「……は?」
怒鳴っていた彼女――姫海棠はたては、そこで、眉根にしわを寄せて首をかしげる。
そこでようやく、咲夜は彼女を拘束していた縄を解いた。
何で縛ったのよ、というはたての問いかけに、咲夜はしれっと「だって、暴れられたら困りますし」と答える。
もちろん、理由もわからないまま拉致されてきた人間が、状況の理解できない場所に放り込まれたら、問答無用でその犯人に対して『攻撃する』のは当然の心理であるのだが。
「実はですね、あなたが以前、書いたこの記事なのですが」
「ああ、それ、わたしの新聞ね。
どう? 面白かった?」
「あなた、文章力ないわね」
「ぐっさ」
胸を張って威張っていたはたては、咲夜のその指摘で呻いて膝を折る。
実際、彼女の新聞に書かれている文章は、話題と意見と仮定と事実がごっちゃになっている上、序論と結論が離れすぎているため、わけのわからない文章になっていたりするのだ。
「まぁ、それはいいの」
「……っていうか、わたしのこと、どこから聞いたのよ」
「知り合いに、『文』という天狗がいるのだけど」
「あいつか」
「あなたが自分の『友人』だと言うことを言っていて。
ついでに、あなたが、専属契約してくれるスポンサーを探している、ということも」
「まぁね」
「天狗の収入って、新聞の売り上げだけじゃなかったのね」
「それだけじゃやっていけないわよ」
と、肩をすくめるはたて。
曰く。
妖怪の山に住まう天狗連中が趣味で発行している、それぞれの新聞(という名のデマまみれのゴシップ情報誌)。
彼女たちはそれを売って、日々の糧を得ているのは事実なのだが、このはたてや、話題にも出た『文』という天狗の売る新聞は、正直、ほとんど売れていない。彼女たちの友人が、『お情け』で買っているのがほとんどだ。
それでは日々を暮らすことが出来ない。
ならば、どうするか。
「文は何か、『近々、大きなスポンサーが来る予感がします』とか言ってうきうきしてるし。
こりゃ、わたしも負けてられないな、って思っていたんだけど……」
「うちの記事を書いてくれたでしょう?
うちのお嬢様が、『この記事を書いた新聞記者を連れてきて、うちと契約させろ。うちの偉大さを、我が身をもって教えこませてやれ』って」
「……ふぅん」
あまり興味がない、とばかりにはたては頭をかく。
そんな彼女の前に、一枚の書類が差し出された。
「……何これ?」
「うちとの契約書よ」
「別に、あんた達のところと契約したいなんて言った覚え、ないんだけど。
こっちにだって選ぶ自由があるわよ」
「契約金は、毎月、25万の定期払い」
「やっす。わたしみたいな一流の天狗を雇いたかったら、100は持って来ることね」
へっ、と鼻で笑うはたて。
実際のところ、幻想郷の通貨事情から行けば、毎月25万というのはかなりの高収入である。
単純に、はたてにとって、『紅魔館』という奴らは気に食わないのだ。
……問答無用で拘束されて拉致されたら当たり前かもしれないが。
「これは、うちに関する記事を書かなかったときも定期的に支払うお金よ。
それに加えて、うちの記事を書いてくれた時は、1文字につき30円、支払うわ」
「……30?」
「ええ、そう。
写真は一枚、ものにもよるけど5000から。カラーなら倍額。
一面のトップに記事を持って来てくれるなら、それだけで3万。
――悪い条件ではないと思うけど?」
「……ちょっと待って。
一ヶ月に四回発行するとして、一面全段ぶち抜きとしたら……」
頭の中でそれを計算していくはたて。
恐る恐る、導き出した額は――、
「……一回の発行で30万……4回で120、定期とあわせて150!?」
「ええ」
「嘘、マジで!?」
月収150万。
幻想郷では、トップクラス……いや、下手すれば『上位数%』にだって入れる収入である。
思わず、ごくりと喉が鳴る。
「そ、そんなお金が、あ、あんた達のどこにあるってのよ」
「財テクですわ」
そういうのに長けているメイドがいる、とのことだった。
紅魔館の莫大な収入を支える『財テク』。
それこそ興味が湧く内容であったが、ともあれ、それはさておくことにする。
「もちろん、記事の内容に適当を書かれても困りますので。
それには、当方の厳しいチェックが入りますが」
「……そ、それは別に望むところだけど……。
って言うか、あんた達、何をするつもりなのよ」
「今度、紅魔館で、新しい事業を始めるんです。
まずはその宣伝を。そして、ゆくゆくは、うちの広報係として活躍してもらえれば、と」
「……事業?」
ぱちん、と咲夜は指を鳴らした。
ドアが開き、外に待機していたとしか思えないタイミングで、メイド達数名がやってくる。
彼女たちは、運んできたテーブルに真っ白なテーブルクロスをかけ、品のいい、おしゃれな椅子を用意し、さらには銀色のワゴンでいくつもの皿を運んでくる。
そうして、テーブルの上に並べられた皿たち。
果たして、その上に載っているのは、見事な料理の数々。
「レストランです」
にっこり微笑む咲夜とは反対に、目の前の、おいしそうな料理に目を奪われるはたて。
実は彼女、ここ二、三日は徹夜が続いていたため、まともな食事をしてなかったりする。
ぐ~、とおなかが鳴いて、慌てて彼女はおなかを押さえる。
「こうした料理を提供しようと思っています。
まずはお試しにいかが?」
「……た、食べ物で、わたしを釣るつもり? そ、そうはいかないわよ」
「もちろん、食後のデザートだって」
取り出されるのは色とりどりのデザートたち。
普通に果物を使ったものから、幻想郷では見たこともないものまで。
「……何これ」
真っ白なクリームに包まれた、頂にいちごを抱くそれを、しげしげと眺めるはたて。
咲夜は、それにすっとフォークを入れると、「はい、あ~ん」とはたての口にそれを入れた。
途端、はたての目が見開かれる。
「何これぇ~!」
思わずほっぺた押さえ、こらえきれない感情があふれ出す。
今まで食べたことのないその味。その美味しさ。そして、その甘さに、はたての表情がリミットブレイクした。
「幻想郷では和食が基本ですから。
洋食とか洋菓子とか、食べたことがないでしょう?」
相変わらず、咲夜は笑顔を崩さない。
そして、「他のお料理もどうぞ」とさりげなく勧めたりする。
はたては「し、仕方ないわね。冷めたらもったいないから、しょうがいないから食べてあげるわ。感謝しなさいよね」と椅子に座って、初めて扱うフォークとナイフに苦戦しながらも、口に料理を運んでいく。
咲夜は、自分の後ろに並ぶメイド達に顔を向けて、ウインクした。
「相手を落とす時は、まず胃袋から」
うふふと笑う咲夜は『してやったり』な顔である。
はたてはこれで、完璧に、紅魔館の料理の虜となっただろう。
口で言って理解してもらえないのなら、体に教えるまでである。
語弊はあるが、この言葉は実に名言であった。
「彼女が有能な広報になってくれるかは、また別問題かと思いますが」
「大丈夫よ。
天狗というのは、普段はただやかましいだけのデマ鴉だけど、きちんと使えばとても優秀なスピーカーになってくれるわ」
それは、普段、付き合っている『文』でわかっていることだ、と咲夜は言った。
まさか、その相手で培った経験が、こんなところで生きるとは。
人生とは、何が起きて、どんな結果になるか、なるほど、わからないものである。
「う~ん……」
「門番長、何されてるんですか?」
「ああ」
先日の、外勤メイドが詰めている詰め所にて。
その一角に作られている事務室で、美鈴が机に向かってうなっている。
普段は門の前に立ってぼーっとしていたり、この詰め所で部下の鍛錬をしているのが『美鈴』らしい美鈴であるため、こうして机に向かって書類仕事というのは新鮮な光景だ。
「ほら、うちで飲食業、始めることになったでしょ?」
「なりましたねぇ」
楽しみです、と笑うのは、今年、紅魔館に新卒採用された妖精である。
倍率50倍を突破して採用されただけあって、彼女の人気と実力は、なるほど、かなりのものであった。
なお、何の『新卒』なのかは不明である。
「うちら外勤部隊にも仕事が回されて」
「何か他に仕事が増えるんですか?」
「うん。
入り口での『お客様案内係』だって」
「へぇ」
「門の入り口から館の中は、内勤の子達が担当するんだけど、外の列整理とか、その他案内は、うちらの仕事らしいんだ」
「そうなんですか」
「どうやってシフトを割り振ろうかな、って」
「その日、門の外の警備をしている人たちでいいんじゃないでしょうか」
「……ま、それが楽か」
仕事が増えるといってもその程度。
美鈴の頭の中では、『いらっしゃいませ~。こちらにどうぞ~』と客を案内する自分の姿がある。
恐らく、仕事はそのくらいのものなのだろう。
思いっきり頭を悩ませて、色々考えても、きっと、仕方ない。
「内勤の子達は大変だよ。
料理を作るスタッフ、接客をするスタッフ、ついでにお土産販売するスタッフまで。
全部を割り振らないといけない、って」
「大変そうですねぇ」
「こっちはこっちで、人事が全部、私の担当になっているから、責任が重たくて困るんだけどね」
にこっと笑う美鈴。
その朗らかな笑みに、新入りの彼女は『やっぱり、中の人たちより、この人の方が接しやすいなぁ』とうなずく。
「まぁ、そういうわけだから。
もしかしたら、あなたにも、何かお仕事を頼むことがあるかもしれないけど、その時はよろしくね」
「わかりました」
「はい。それじゃ、あなたもお仕事、お仕事」
「はい」
「ちなみに、飲み物か何か取りに来たの?」
「あ、そうです。喉が渇いて……」
「そう。ちょっと待ってね。今、持ってくるから」
「い、いえいえ! そんな!
そのくらいのこと、自分で……!」
「いいからいいから。
紅魔館では『年功序列』だよ?」
にっと笑って、美鈴は彼女のおでこを、つん、と人差し指でつついたのだった。
「……さて、うまく行くといいのだけど」
それから、数日。
紅魔館の一角、大ホールを改装し、見栄えのいい『レストラン』が仕上がっている。
そこから続く厨房では、厨房担当のメイド達が、本日の『お客様』を待っている。
『開店』と同時に忙しくなるだろう空間には、咲夜を始め、些か緊張した面持ちのメイド達。
何せ、初めての仕事だ。
今までやったことのないことをやるのだから、緊張して当然だろう。
「お店、始めまーす!」
本日、ここのホールスタッフ達を統括するメイドが声を上げる。
咲夜はその場を担当していない。彼女は、本日、この『行く末』を見守る仕事についているのだ。
入り口の扉が開く。
――そして、
「おーす、咲夜ー」
やってきたのは、何というか、気の抜ける人物だった。
彼女――霧雨魔理沙の後ろには、そろそろ彼女の保護者として認識されるだろうアリス・マーガトロイドが続く。
「いらっしゃい」
「本当に始めたんだな、飯屋! チラシが来た時は驚いたぞ!」
「まだプレオープンなんですよね?」
「そうね。
まずは、どんな人が来るか、どういう客層になるか、その辺りを見極めないと」
「大変ですね」
「あなた達が一番?」
「そうなるかな。
まだ、外には誰も来てなかった」
「……そう」
これには少し、拍子抜けであった。
しかし、同時に、どこかで安堵してしまう。
ドアが開いて、お客様が雪崩れ込んできたらどうしよう――それを危惧していた咲夜の前に、最初に現れたのが、気心の知れた二人というのは嬉しい誤算でもあった。
「さあ、どうぞ。お客様。こちらへ」
「おっ、咲夜が案内してくれるのか?」
「本当は、私は、今日はこの業務じゃないのだけどね。あなた達は顔見知りだから」
「すみません」
魔理沙とアリスの二人を席へと案内し、「ご注文を」と笑顔を向ける。
二人は、テーブルの上に用意されているメニューを広げると、
「んー……」
「私は、このセットに」
「はい」
「……なぁ、咲夜。メニューの内容がよくわからないから説明してくれないか?」
「あ、そう?
何を食べる?」
「んー……」
あっさりと、メニューを読み解くアリスと違って、魔理沙は首をかしげてメニューをにらんでいる。
並んでいる文字の列。
ジャンルはそれぞれ『ご飯』『麺類』『肉料理』などとカテゴリされているものの、文字ばかりでそのイメージがつかないようだ。
「なぁ、アリスは何を頼んだんだ?」
「私はこれよ。
パンとスープ、前菜と、魚、食後のデザートはゼリーにティー」
「魚かぁ。肉食べたいなー」
「じゃあ、こっちのセットはどうかしら?
今のセットの、魚料理を肉料理に変えて、デザートにシャーベットを用意しているのだけど」
「んじゃ、それにする!」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、伝票を持って下がる咲夜。
それを厨房のスタッフに渡して――およそ、5分。
「お待たせしました」
「はっや! 早いな、おい!」
辺りをきょろきょろ見回して、『やめなさい、恥ずかしい』とアリスに怒られていた魔理沙が、咲夜の姿を見て声を上げる。
「せっかく美味しい料理を食べに来たのに、いつまでも待たされていたら、食事をする気も失せてしまうでしょう?」
「そうですね」
「だから、ルールとして、『注文が来たら、お客様を10分以上お待たせしない』を作ったの。
もちろん、作り置きなどではないわ。出来立て熱々よ」
テーブルの上に並ぶ料理の数々。
おお~、と魔理沙が目を輝かせ、アリスが『豪華ですね』と笑う。
「どうかしら」
「いいんじゃないですか?」
「頂きま~す!」
「あ、こら、魔理沙!」
「まあまあ」
早速、目の前の料理に飛びつく魔理沙。
美味しそうに、それを口に運び、幸せそうな顔で「うまい!」と感想を口にする。
「……ったく、もう」
「あなたは大変ね」
「出来の悪い妹を持った気分です」
ならばさっさと離れてしまえば、と言いたくなるところであるが、『手のかかる子ほどかわいい』という言葉も世の中にはある。
アリスがどちらを、今の生活に感じているかは、言うまでもないだろう。
「量はあるし、味も充分だし。私は大満足だなー」
「ただ、少し値段が高いですよね。
普通の幻想郷の人たちにとって、この一食で一日分の食事の値段になってますよ」
「そうかしら……。
その分、味と量とサービスで釣り合いが取れるようにしたのだけど……」
「う~ん……。
まぁ、私も、料理の質については文句ないんですけど……」
ちらと周囲を見るアリス。
まだ、プレオープンで存在が幻想郷住民に知れ渡っていないことを加味しても、なかなか、人の入りは芳しくない。
メニューを開いて、何が書いてあるのかわからず、メイド達に聞く客の多いこと。魔理沙が量産されているかのようだ。
「あれじゃ、リピーターにはならないですよ」
「う~ん……」
「そうかな~。
味のいい店には、ちょいとくらい敷居が高いほうがいいと思うぜ。
もちろん、その分の質も店には求められるわけだが」
「あら、ずいぶんまともなことを言うじゃない」
「ふっふっふ、そうだろう」
「バカにしてるのよ」
「うっせ」
かっこつけて前髪をかきあげる魔理沙に、にやにや笑うアリスがツッコミを入れる。
魔理沙はぷくっとほっぺた膨らませた後、
「敷居の高い店ってのは、それだけでステータスになるもんだ。
ちょっとの贅沢がしたい、そんな時に来るとしたら、この店の値段は悪くないし、質も悪くない」
「それは正しいけれど、私の意見はその正反対ね。
幻想郷の通貨事情なんて、それほど豊かなわけじゃないんだから。
咲夜さんには悪いけれど、これじゃ、人を呼び込めませんよ」
「……そう。
頑張って考えたんだけど……」
「まぁ、まだプレオープンだし、これから口コミで広がっていくんでしょうけど……」
ホールに置かれている、見事な柱時計に視線をやるアリス。
「そろそろお昼時だってのに、がらがらですよ」
「宣伝が足りなかったかしら……。
はたての新聞だけじゃ不安だから、メイド達を使って、人里でチラシとかも配ってもらったんだけど……」
ちなみに、チラシの消費は順調だったらしく、朝から始まったチラシ配りは午後の早いうちに用意してきたチラシが全てなくなるほどだったとか。
「まぁ、紅魔館って、一般に、いいイメージないからな」
「というか、そもそも、どういう組織かもわかってないんじゃないかしら」
その時、新しく、客が一組やってくる。
年齢なら50歳くらい。人のよさそうな笑顔が特徴の男性と、恐らくはその家族だろう。
彼はホールへの入り口をくぐった後、近くのメイドを見て、「あ、こりゃどうも! いつもお世話になってます!」と頭を下げる。
「……そうね。
ああいう、契約している農家の方々とかなら、うちのこともよく知ってくれているのだろうけど……」
彼はメイドに「いやぁ、俺の周りの連中にも声をかけておきましたよ。このたびはおめでとうございます」と何度も何度も頭を下げ、メイドに「こちらこそ、いつもお世話になっておりますと頭を下げ返されている。
「……初回は失敗かしらねぇ」
「料理はうまい。それだけは大丈夫だぜ」
「ありがとう。
お礼に、シャーベット、一個追加しちゃうわね」
「やったね!」
「あとは、値段ですね。個人的には高すぎると思います」
「そう。
とりあえず、あなた達の意見は、意見として頂いておくわね。
全部を総合して、経営方針、考えるわ」
「はい」
「簡単に潰れるなよ」
「大丈夫よ。お嬢様が『採算度外視でやれ』って言ってるから」
にっこり笑って、咲夜は踵を返す。
予想とは少し……いや、かなり違う現状を見渡しながら、『作戦の練り直しだわ』と難しい顔を浮かべて。
「ダメダメだったわねぇ……」
「残念ですね」
初日の営業が終了したのは午後の8時。最後の客を『ありがとうございました』と見送ってから、最初に、咲夜の口から漏れた言葉がそれだった。
来てくれた客は、皆、『美味しかった』と食事の質やサービスには満足していたようだ。
しかし、彼らがリピーターとなってくれるかどうかはわからない。
来客者数も、予定していた200には遠く届かず、わずか100と少し。大惨敗である。
「とりあえず、何が悪かったのか、まずはそれを検証することから始めましょう」
「そうそう、メイド長。明日もお客さんは来るんだし。
落ち込んでばっかもいられないわよ」
「そうですよ、メイド長。元気を出して。ね?」
肩を落として嘆息する彼女を、周囲のメイドが一生懸命慰める。
それを受けてなのか、それとも、この場で一番の地位にいる自分が肩を落としていては、『年少』の者たちの士気に関わると思ったのか、「そうね」と気を取り直す咲夜。
一度、彼女たちは作戦会議のために、いつも使っている会議室へと引っ込んでいく。
「……何が悪かったんでしょうか?」
「内側で見て、『完璧だ』と思っても、外から見てはそうでもないということのようね」
「……はあ」
「さあ、あなた達。
わたし達は、明日の仕込みに入るわよ。
たとえ、今日よりお客様が少なくとも、来てくれるお客様は大切なお客様なのだから。
満足して帰っていただけるように、頑張りましょう」
おー、と声が上がり、本日のスタッフとして活躍したメイド達は、それぞれ、自分の仕事場へと散っていく。
――さて。
「つまるところ、まずは周知徹底がなされていなかったのが一つ。
次に、お値段。
次に、メニューのわかりやすさ。
次に、館への敷居の高さ。
次に、求めている、予定していた客層との認識のずれ。
――こんなところでしょうか」
一方、咲夜を始めとしたメイド達による会議は、今日のずたぼろっぷりを徹底分析する会議を始めている。
今日、アリスから指摘されたこと。
また、一日の営業の中で、客から上がった『声』などを片っ端からメモしていった結果。
そして、客の流れやその質など。
それら全てを総合した『結果』がホワイトボードに書かれている。
「やっぱさ、このメニューじゃ見づらかったのよ」
「確かに。
我々は、もう、この館で働いて長いから、メニューの文字を見れば、それがどんな料理かは想像がつくが……」
「幻想郷は和食がメイン。それがわかっていながら、もっとわかりやすいメニューを作らなかったのは失敗だった」
まず、原因の一つが口々に、彼女たちの口から上がる。
和食メインの幻想郷住民にとって、横文字ばかりのメニューは、とかく意味不明の難解な代物だ。
彼女たちはそれを理解していなかった。当初、それを課題として挙げたものもいたのだが、『そういう相手はそう多くないだろうから、そのつど、メイドが対応すればいい』として流してしまったのだ。
ところが、蓋を開ければ、『そういう相手』がほぼ全てを占めた。おかげで、メイド達の負担も上がり、接客の質が落ちてしまった。しかも客としては、メイドにメニューの内容を聞かなければ、それがどういう食べ物かわからないので、注文もしづらい、と。
最悪である。
「値段については、どうしましょうか?」
「もう少しお値段を下げることは可能ですけれど、そうなると、今の料理の質を維持するのが難しくなってしまいます」
「安い材料を使えば、いくらでも値段は下げられるとはいえ、それでは紅魔館の名に泥を塗ることに」
最高のおもてなしを低価格で。
それが、今回のレストランの根幹にある。
しかし、彼女たちの意図する『低価格』は幻想郷住民の『低価格』とはならない。
彼らにとって、このお値段は『高い』のだ。
だが、そこはやはりトレードオフ。質を維持したまま、値段を下げるにも限界がある。店をやるなら利益を出さなければいけない。
利益無視の赤字メニューを作るのもありだが、そればかりを頼まれてしまっては店が潰れてしまう。
「いっそのこと、思いっきり格差をつけちゃう?」
「あなたは何を言っているんだ」
「それでは客が来なくなってしまうだろう」
「いやいや、そうじゃなくて。
全部を一律に『高い質とサービス』で提供しようとしてるから悪いのであってさ。
もう思いっきり値段を上げた『極上サービス』と、お値段下げた『低廉なサービス』で分けてみるのさ」
「……それでは、やはり、『わざわざ紅魔館に来たのに』という気にならないでしょうか?」
「低廉なサービスったって、客を邪険に扱うってわけじゃない。
料理の量を減らしたり、使う食器の質を下げたりして、『これなら満足』ってくらいにまで質を落とすんだよ」
「う~ん……」
それはそれでありかもしれない、という空気が漂う。
しかし、腐っても『紅魔館』の名を穢すわけにはいかない。
どこまで質を落としてもいいものか。
試行錯誤するしかないだろうが、それで客の不評を買っては本末転倒である。
「あとはやっぱり、周知徹底が足りないかと」
「あれだけチラシを配ったのにね。あたしもあの場に行ったけど、人気だったけどな~」
「物珍しさで持って行った方が多かったのでしょうね。
実際は、行った人から感想を聞くつもりだったのでしょう」
「あ、そうか」
人間は賢いなぁ、と彼女は苦笑する。
「こうなったら、人里で大々的にプレゼンを行ないましょうか?」
「プレゼン?」
首をかしげる咲夜。
そうです、と提案したメイドはうなずくと、
「たとえば……えっと……」
メイド服のポケットから手帳を取り出し、めくる彼女。
「今から二週間ほど後になるのですけれど、ちょっとしたお祭りが企画されているようです。
これに参加して、紅魔館のお料理を知ってもらうのと同時に、私たちがどういうものなのかも周知して回る、と。
何せ、紅魔館のことを知っている人間なんて、契約をしている農家の生産者の方々や、メイド長たちのお知り合いくらいしかいませんから」
世間一般では『悪魔の館』と呼ばれているところに足を運ぶのだから、そこに『危険がない』ことを大々的に喧伝して回らなくてはならない、と彼女は言う。
「口コミだけに頼っていてはダメです。積極的に動きましょう」
「……いいわね。そうしましょう。
正式オープンはまだ先なのだから、それまでに執れる方策は全て採りましょう」
「せっかくだから、美鈴さまにも厨房に立ってもらいませんか?
あの方のお料理を、このお値段で食べられるのなら、それこそお客様がたくさんいらっしゃるような気がします」
「あ~、わかる」
「……美鈴さまの料理の腕前には、我々が逆立ちしてもかなわないからな……」
「じゃあ、メニューの改定作業と、料理の値段と質の見直し。あと、そうね……食事にコース制を作りましょう。
高級なコースと、普通のコース、それから安い単品料理。
もう、挙がった意見を全部採用で、やれるところまでやりましょう」
『畏まりました、メイド長』
こういう時、紅魔館の『鉄の結束』は強い。
上下左右にがっしり絡みあった彼女たちの結束は、複数の群からなる紅魔館を一個の『個体』として機能させる。
これがあるから、いざという時、紅魔館はとても強いのだ。
今日は徹夜になりそうだけど頑張りましょう、との咲夜の号令に、メイド一同、笑顔でうなずく。
紅魔館の戦いはこれからだ――!
「なぁ、霊夢」
「何よ、魔理沙」
「お前は紅魔館に飯を食べに行かないのか?」
「だって、高いんでしょ?」
ずず~、とお茶をすする霊夢。なお、そのお茶は、都合5回くらいは使っている出がらしだ。今日も博麗神社の財政は厳しいのである。
「あいつらが最初に配ってたチラシ、一応、もらってきたけどさ」
差し出すそれを、魔理沙は見て、『あ~』とうなずいた。
「一食1000円越えるとか許されないわ!」
一日100、いや、贅沢は言わない、10円あれば過ごせると豪語する彼女にとって、札のお金などまさに天からの恵みである。
1000円があれば一ヶ月は余裕! それを、たった一食の食事で使い果たす!? なんという愚かな振る舞い! そのような暴挙、この博麗の巫女が許すと思っているのか!
――と、境内の掃き掃除しながら内心で叫んだのがその翌日のことである。
「……お前さ、いや、その……うん……何か大変だな……」
「うっさいほっとけ」
魔理沙に同情されつつ肩を叩かれ、全力で、霊夢はそれを振り払った。色々むなしくて、涙がちょちょ切れそうだったがこらえた。博麗の巫女はうろたえないのだ。
「お前、この前の里の祭り、行ってないのかよ」
「その前の日の、前夜祭に巫女舞を奉納することは頼まれていたわ」
「何……だと……!?」
「……何よ、その顔」
「お前、巫女舞なんて出来たのか!?」
「……」
割とマジで驚いているらしい。
霊夢は無言で、手にした湯のみの底で、魔理沙の脳天を一撃した。
『ひでぶ』という悲鳴と共に潰れた魔理沙は、きっかり3秒で復活する。
「ちっ。タフいわね」
「甘いな、霊夢。至近距離からの夢想封印で慣れている私にとって、この程度のダメージ、蚊が差した程度にも感じないぜ」
そういう日常がすでに異様な日常なのだが、まぁ、この二人にとってはそれが当然の日常なので、今更何かを言う必要もないだろう。多分。
「まぁ、そん時にだな」
魔理沙は服のポケットから、くしゃくしゃになったチラシを取り出す。
それを広げ、丁寧にしわを取ってから、
「メニューの値段を改訂して、コースも新しく作ったそうだ」
「……へぇ」
さらに今なら、オープン記念で半額セール中、と魔理沙。
霊夢は、チラシの内容を隅から隅まで読んで、『う~ん』とうなる。やっぱり行きたいらしい。紅魔館の料理が美味しいというのは、すでに巫女の本能レベルで霊夢の中に刷り込まれているのだ。
「紫に頼んでみろよ。連れて行って、って」
「う~……」
「何だ?」
「私は、お金の面で、あなたに甘くするようなことは考えてないわよ」
「うっわ、びっくりした!?」
いきなり背後から響く声に振り返れば、そこには、くだんの妖怪、八雲紫の姿。
なぜか普段の衣装とは違い、季節によく合うシャツとパンツルックという活動的な衣装である。
「全く、嘆かわしい。
興味があるなら行ってくればいいでしょう」
「……だって、お金足りないもん」
「そのくらいのお金を出せないで、何が博麗の巫女ですか。全く。
どうして、あなたはそうやって、何でも適当、いい加減に過ごしているのかしら。あなたのそういう態度が、今の結果を生んでいるんです。
聞いてるの? 霊夢。
聞いてるなら、そこに正座しなさい。
――いい? 霊夢。
私はね、何もあなたが憎くて怒っているわけではないの。あなたのことを心配しているからこそ、こうして言葉もきつくなるのです。第一、博麗の巫女が米と味噌しか食べ物がない生活をしているなんて、なんて恥ずかしくて情けないと思わないの? そんな生活をしていることが人々に知られたら、あなたの神性と言うものは木っ端微塵になってしまうでしょう。
何度も何度も言っているのに、あなたは本当に、全く反省しないのだから。だからこういうことになるのです。
あとね――」
くどくどがみがみと続く紫の説教に、霊夢は反論せず、うなだれている。
ただ黙って台風が過ぎ去るのを待っているのだろう。というか、言われることは全て事実であるため、『だけど』と言い返せないのも現実なのだ。
魔理沙は、その二次災害を避けるために、縁側の下に避難している。
――そして。
「――全くもう。
今回は、私が連れていってあげるけれど、次回からは自分のお金で行くんですよ。わかりましたね?」
「……は~い」
お説教地獄が終了したのは、それから30分ほど後。
紫はそう言って『ほら、それなら準備をしなさい』と霊夢を急かした。
魔理沙がひょこっと縁側の下から顔を出して『……って言っていても、何だかんだ、甘やかしてるんだよな』と、腰に手を当てている紫を見上げて肩をすくめるのだった。
「……わ、何これ」
「どうも、その祭りの時に、あいつら、出店を出したらしいんだが。
その時に『全商品を無料』で配ったんだとさ。
で、それを食べた奴が大勢、押しかけてるってわけだ」
「知ってたら途中で帰らなかったのに~!」
「ほら、こっちにいらっしゃい。あなたたち」
紅魔館の門前に出来た、長蛇の列。
一番後ろに、『ただいまの待ち時間2時間』と書かれた看板を持ったメイドが佇んでいる。
そこにやってきた、紫、霊夢、魔理沙の三人。なお、魔理沙は『私もご飯食べたい!』と紫に甘えたらついてくることを許可されている。
案外、この妖怪の賢者は子供に甘いのかもしれない。
「おなかすいた~……」
「黙って待ってなさい」
「ぶ~。紫の意地悪!」
「ルールでしょう」
「いてっ」
ぺちんと平手で頭をはたかれて、霊夢は悲鳴を上げる。
ちなみに、霊夢と魔理沙、両名の衣装は、普段のものとは違って、どちらもかわいらしいワンピース姿。
紫曰く、『そんな格好の子をレストランになんて連れて行けません』だそうな。
さて、待つことひたすら。
「あとどれくらいかな?」
「もう30分くらいじゃないか?」
前の列の並びも少なくなってくる。その分、後ろが長くなるのだが。
門のすぐ近くまで、3人はやってきている。
「ありゃ」
「あ」
「よう、門番」
「どうもこんにちは。もう夕方ですけど」
そこに佇む門番が、やってきていた彼女たちに気付いた。
『どうしたんです?』と尋ねてくる彼女に、魔理沙が「飯を食べに来た!」と答える。
「そうですか」
「すごい混み方だな。
最初に来た時とはえらい違いだ」
「咲夜さん達の戦略が当たったんですよ。やっぱり宣伝が一番ですね。
もちろん、自分の足を使って、汗をかいた」
にっと笑う美鈴。
ちょうど、その上空を、紅魔館の広報担当として契約したはたてが駆け抜けていく。
霊夢は一瞬、それを見上げ、「……天狗?」と首をかしげていた。
「紫さんが、今日は引率ですか?」
「ええ、そうです。
この子達がおなかをすかせているというので。
全く、とんだ出費です」
「あはは、なるほど」
「……何よ、その顔」
「いえいえ」
『よかったですね~』と、子供に対して向ける笑顔を向けてくる美鈴に、気恥ずかしさを感じたのか、霊夢はほっぺた膨らませてそっぽを向く。
「何が当たったんだ?」
「初めて食べる料理の味、ですかね」
「なるほど」
「あと、祭りの時の屋台では、私も協力しましたから」
「おー。美鈴の中華屋台、か。こいつは失敗した。食べに行けばよかった」
「大変だったのですね」
「いやもう、ほんと、大変でしたよ。
期日も残り少ないのに無理やりねじこむものだから、祭りの実行委員の方々と、ずいぶんもめたとかで」
「なるほど」
「そこを、頭を下げて、何とか通してもらったそうです」
そういう努力が、世の中、必要だ、と美鈴。
それには同意するのか、うんうんとうなずいた紫が、「霊夢、よく聞いておきなさい」と一言。
そうした努力を全くやっていない霊夢は『いいじゃん、別に』と内心で悪態をついた。
「ただ、正直、値段の安さで来ている方々も多いと思うので。
この半額セールが終わった時に、どれくらいの人をリピーターとして確保できるかが課題ですね」
「ま、それは大丈夫だと思うぞ。お前のところの飯はうまいからな」
「ありがとうございます。
あ、そうそう。待ってる間にメニューを見ますか?」
「おう、そうする」
前に並んでいる客も、半数くらいが、手にしたメニューを眺めて『ねぇ、何食べる?』という話をしている。
それなら、それに乗るのも悪くないだろう。
魔理沙の回答を受けて、美鈴は一旦、その場を離れる。そうしてすぐに『どうぞ』と分厚いメニューを持って戻ってきた。
「最初に来た時より、ずいぶん豪華になったな」
簡素な、文字だけのメニューが、豪奢な装丁のなされた『書』に変わっている。
開くと、メニューごとに料理の写真が掲載され、それがずらっと続いている。
さらにコース料理のメニューについても、写真が掲載されて並んでいるのだ。
「へぇ、わかりやすいな」
「うわ~……美味しそう……。全部食べたい……」
「霊夢。よだれ」
「あう」
おなかすかせた子が二人、目をきらきらさせてメニューを眺める。
紫はその頭越しにそれを見て、
「コース料理もありますね」
「ええ。
家族3人とか4人なら、たとえば一人が単品で一つずつ頼むより、この『ファミリーコース』を注文してくれた方が安くなります。
その分、メニューの自由度は狭まってしまうんですけど」
「ふむ」
「その上の『パーティーコース』は、パーティーという名前がついていますけど、ファミリーコースよりも料理の内容が豪華になった、『ちょっと特別仕様』ですね。
ご家族での誕生日とか、ご友人同士でのお祝いとか、そういうのに」
「なるほど」
美鈴の話を聞いて、静かにうなずいていた紫は、「それじゃ、この、紅魔コースをお願いしようかしら」とメニューの一つを指差した。
『紅魔コース』。今回、このレストランにて、紅魔館側が用意するコース料理の中で『上』に位置するコースである。
「嘘!? いいの!? 紫!
だ、だって、これ、すごく高い……いてっ」
「値段のことなんてどうでもいいでしょう。あなたはさもしいわね」
「いや、だけど……」
「子供は黙って、大人の言うことやることに従ってなさい」
お金ならあるんだから、と紫。
霊夢は無言でうなずくと、なぜかそっと、紫の左手を握った。
多分、彼女なりの、親愛と感謝の表現なのだろう。
「じゃあ、それ、中に、先に伝えておきますから。もう少し待っていてくださいね」
紫からメニューを受け取った美鈴が、一同から離れていく。
そして――。
「いらっしゃいませ、お客様」
「おー、咲夜じゃないか」
ようやく、彼女たちの番がやってくる。
客あしらいの担当としてやってきたのは、館のメイド長だった。
「ええ。
何せ、初めての『紅魔コース』ご注文のお客さまだもの。丁重に扱わせていただくわね」
「どんな料理が出てくるか、楽しみにしています」
「ええ。
あら、霊夢に魔理沙。かわいい格好をしているわね」
「あ、いや、これは……」
「だろ? 紫にもらったんだ」
「何だか新鮮ね。
さあ、どうぞ。こちらへ」
いってらっしゃい、と美鈴が手を振り、魔理沙がそれに右手を振り返す。
咲夜に案内されるまま、紅魔館への扉をくぐる3人。
入り口の脇には、お出迎えのメイドが二人立ち、「いらっしゃいませ」と頭を下げてくる。
「あなた達はこっちよ」
「え? こっちじゃないのか?」
大勢の人が向かうホールではなく、正面の階段を上り、キャットウォークを左手側に歩いていく。
「ここよ」
その先のドアを開け、さらに歩くことしばし。
目の前のドアが開けられると、そこに現れる、紅魔館の応接間。
しかし、その装いは内部で少し変わっており、普段なら置かれているテーブルとソファの代わりに、品のいい、そしておしゃれなダイニングテーブルとチェアが置かれていた。
「特別なコースをご注文いただいたお客様には、さらに特別なサービスがございますから」
「ありがとう。
ほら、あなた達、座りなさい。霊夢、あなた、ナイフとフォーク使えるの? 魔理沙、あなたはきょろきょろしない。みっともない」
くすくすと、咲夜は笑う。
どう見ても、二人を叱る紫の姿は『お母さんと子供達』といった具合だった。
しばしお待ちください、と頭を下げて、部屋を辞する。
――さあ、ここからが忙しい。
なるたけ急いで、しかし決して走らず焦らずに、咲夜は厨房へと駆け込んでいく。
「お客様のご案内、終わりました」
「はーい!」
「特別室2番さん、前菜と飲み物を用意ー!」
「終わってまーす!」
大忙しの厨房。
プレオープンのときとは打って変わって、客、客、客、客の海なのだから仕方ない。
メイド達は大忙しで働き、次から次へと料理を作っていく。
伝票に書かれたメニューを細かく、丁寧に、そして間違いなく作って台の上に。そこには番号の書かれたプレートが張られ、注文してきたテーブルがそれでわかるという仕掛けだ。
それを、ホール担当のメイドが両手に持って、客の元へと大忙しで駆けていく。
咲夜も同じように料理を、手元のワゴンへと載せていく。
「メイド長、次のお料理は15分後です」
「ええ」
前菜と飲み物を載せて、咲夜はワゴンを押して、厨房を後にする。
ぐるりと廊下を回るようにして二階へと移動し、こんこん、とドアをノックする。
「えーっと……紫、これでいいの?」
「そう。ナプキンはそうやって使うのよ」
「おー、咲夜。きたきた!」
洋食に慣れない霊夢に作法を教える紫ママと、それを眺めてにやにやしている魔理沙。
彼女たちの元に、咲夜はワゴンを押していく。
「こちら、前菜と、食前酒となります」
「上品な食器ね~」
「高いコースを注文していただいたお客様には、雰囲気でも、お値段分の贅沢を味わってもらうようにしているの」
「へぇ」
「私は、高価な食器とかは、気を遣うからあんまり好きじゃないんだよな」
「じゃあ、割らないようにね?」
「子供扱いすんな」
ふてくされる魔理沙が、用意された前菜に、早速、フォークを突き刺す。
「こら。何、その食器の使い方。はしたないでしょう」
「あーもー!」
「うるさいでしょ、魔理沙。紫っていつもこうなの」
「あなた達のマナーが出来ていないのが悪いんです。
雑多な居酒屋ならまだしも、こうしたところでは、食事の際のマナーは必須ですよ」
「ほんとにお母さんみたいね」
聞こえないよう、小さな声でつぶやいて、笑いながら。
咲夜は彼女たちに料理を提供した後、一礼して、部屋を後にする。
またまたワゴンを押して、がらがら大忙し。
厨房に戻って、少し経つと、次の料理が運ばれてくる。
それをワゴンに載せて、また『お客様』の元へ。
これを、コース料理が全て終わるまで続けなければならない。一人のメイドが一つの客にかかりっきりになってしまうのが、『紅魔館のコース料理』の欠点だ。
「とはいえ、仕方ないわよね」
ドアをノックして、次なる料理を運んでいく。
霊夢は「こんなに美味しい料理、おなか一杯! 幸せ~」と、普段は見せることのないとろけた笑顔を浮かべている。
魔理沙は「う~ん。これ、自分でも作れないかな~」と、何やら気に入った料理があるらしく、それをしげしげ眺めて口の中へ。
紫はというと、澄ました様子で、時折、『なってない子供たち』を叱っている。
何となく、幸せそうだ。
「ホールの方はどう?」
「お客様が途切れません」
厨房へと戻って、少しクールタイム。
咲夜は息をついて、隅の蛇口をひねって、水を一口する。
報告をしてきたメイドについて、ホールを見に行くと、まぁ、いるわいるわ。
「すごいわね」
「やっぱり、見るのと聞くのとでは大違いですね」
「値段もあるでしょうけど」
「この中の何割をつなぎとめられるかが勝負ですね」
「そうね」
開店記念セール中は、全商品半額。
ほとんどの商品が200から300円前後。それでいて、量などはたっぷりなのだから、言うまでもなく、赤字ぎりぎりだ。
これを元の値段に戻した時、どれほどの人が残ってくれるか。
ただ値段と物珍しさだけに惹かれてやってきた客は離れるだろう。
ここに来ている客の大半がそれなのだから、いかにして、彼らを『紅魔館』の虜にするか。
それが、咲夜たちの腕の見せ所である。
「午後5時……。
よし、サービスタイム開始よ」
「了解しました!」
何やら、作戦があるらしい。
咲夜の指示を受けて、先のメイドが厨房に戻っていく。
そして、
『本日のご来店、誠にありがとうございます。
ただいまより、サービスタイムと致しまして、お客様にサービスワイン、もしくはデザートを一品、無料でご提供しております――』
流れる室内放送に、客たちがざわめき、『ラッキー』という声が上がる。
「少しの損を得に変えないと」
咲夜は厨房へと引っ込み、「特別室2番さん、お料理、出来ましたー!」という声を聞いて、用意されているそれをワゴンに載せて、またもやお客様の元へ。
「お待たせしました。
本日のメインディッシュでございます」
「うわ、何これ! でっかいお肉! こんなの食べるの何ヶ月ぶり……いてっ」
「……全く、あなたは。
そういうはしたないことを言うのはやめなさい。情けない」
「ん~……これ、ソースがこの前のと違うな~。
なぁ、咲夜。この辺りのレシピって教えてもらえないのかな?」
「あら、いいわよ。
興味があるなら、ぜひ、ご要望を」
「よーし」
この子、料理が趣味なのかしら、と内心では首を傾げつつも、魔理沙に笑顔で応対する咲夜。
一方の霊夢は、箸で肉を掴まえて口に放り込もうとするものだから、また紫に叱られている。
「この後はデザートです。しばし、ご賞味ください」
「おう!」
ドアを閉めて、ふぅ、と一息。
「さて、忙しい、忙しい」
ぱたぱた、かちゃかちゃ。
普段なら許されない、『歩く際に音を立てる』も、今日は許される。
咲夜は厨房へと飛び込むと、「デザートの用意をお願いします!」と声を張り上げる。
すると、デザート担当のメイドが『はーい!』と返事をするのだ。
これまた待つことしばし。
客の胃袋に、メインディッシュが全て収まり、『満足、満足』となる絶妙の頃合を見計らって、デザートが完成する。
「それじゃ――」
「あっ」
後ろから声がした。
振り返ると、そこには、フランドールの姿。
彼女はちょこまかとした動作で咲夜の元に駆け寄ってくると、
「フランもおてつだいする!」
と目を輝かせて自分アピールしてくる。
困ったような笑顔を一瞬浮かべた咲夜だったが、ふと思い直し、「それじゃ、お願いします」と、彼女に笑いかけた。
「うん!」
フランドールは咲夜と一緒に、肩を並べて『お客様』の元へ。
こんこん、とドアをノックして。
そうして、中に入れば「あっ!」とフランドールが声を上げる。
「お、フランじゃないか」
「まりさだ!」
「さあ、フランドール様。お手伝いを」
「はーい!」
彼女は、咲夜から渡されるお皿を両手に持って、よいしょよいしょ、とそれをテーブルへと運んでいく。
そして「はい!」と笑顔でそれを手渡して。
「あら、かわいい」
そんな彼女に、紫が微笑み、なでなでと頭をなでる。
「おー、フラン、偉いな! お手伝いか!」
「うん! フラン、おてつだいだよ!」
「よしよし、そうかそうか」
魔理沙の元へ皿を運んでいったフランドールを、彼女は抱き上げ、自分の膝の上に座らせる。
「それなら、ほれ、ご褒美だ」
「わ~い!」
魔理沙の膝の上で、嬉しそうに笑いながら、彼女から差し出されるデザートをぱくっと口にするフランドール。
「ねぇ、私の分」
「ああ、ごめんなさいね」
そんな様子を微笑ましく見守っていた霊夢が、笑いながら、咲夜に自分の分のデザートを催促する。
運ばれてきたそれを、「何これ?」と首をかしげて受け取り、一口。
「あ、これ、冷たくて美味しい」
「ゼリーを冷やしたものよ。シャーベットとは、また少し違うでしょう?」
「しゃーべっと?」
「あなた、食べたことがなかったのね」
笑いながら、「じゃあ、今度、作って持っていってあげるわ」と咲夜。
霊夢は、何だかよくわからないが、食べ物がもらえるということでそれを喜び、デザートをひょいぱくと口の中に入れていく。
「どうだ、フラン。うまいか?」
「うん、おいしい!
まりさも! あ~ん!」
「あ~ん」
「この後はなかったかしら?」
「あとは、食後のティーだけです」
「そう。
なかなかのお料理とお時間、頂きました」
「お褒め頂き、ありがとうございます」
さすがの余裕を見せる紫に、咲夜は笑顔で応対する。
この辺り、紅魔館メイドとしての実力の片鱗が伺える。
どんな相手にも動じず、笑顔で応対。それが紅魔館メイドの基本だ。
「お気に召しましたか?」
「そうですね。
今までの幻想郷の体系にはない形です。私は気に入りましたが、果たして、一般のお客様が気に入るかどうかは」
「それこそ、きちんと、彼らを取り込む手段を考えております。
ただ、お値段だけに惹かれてやってくるお客様の場合は、残念ながら、定期的なお客様にはなりえないかな、と」
「差別化は必要だよな~」
「さべつか、って何?」
「そうだな~。
フランのぷにぷにほっぺたと、レミリアのぷくぷくほっぺたみたいな感じだ」
「フランとお姉さまなの? さべつか!」
新しい言葉を覚えたのが嬉しいのか、魔理沙にじゃれるフラン。その姿は、実にかわいらしくて微笑ましい。
ちなみに霊夢は「ねー、咲夜。このデザート、おかわりってないの?」と話しかけている。どうやら気に入ったらしい。
「それでは、食後のお茶をお持ちいたします。
ちなみにリクエストが可能ですけれど、何か?」
「私は別にいい」
「私も」
「私は……緑茶があれば」
「あなたは相変わらずね。
フランドール様、戻りましょう」
「うん!」
ぴょんと魔理沙の膝の上から飛び降りて、『ばいばい』と手を振り、彼女は咲夜と一緒に部屋を後にする。
その道中で、咲夜はフランドールを、彼女つきのメイドに任せて厨房へ。その途中、フランドールは「またおてつだいする!」と咲夜に言っていた。
「お茶をお願いいたします」
厨房の忙しさは相変わらず。
何せこれから、『ディナータイム』。食事処が最も忙しくなる時間帯に突入するのだ。
どのメイドも『忙しいったら忙しい』と厨房の中を駆け回っている。
「メイド長」
「はい?」
「今のままですと、あと1時間前後で、材料がなくなってしまいます」
「そう。
それじゃ、今、外に並んでいるお客様のうち、入れそうなところまでを数えてきて。
それ以外の方には、お詫びの品をお持たせして、申し訳ないけれど、頭を下げてきてもらっていい?」
「畏まりました」
咲夜たちの作戦は大当たり。
だが、その大当たりの弊害が出てしまった。
これほどまでに客がやってくるとは思っていなかったため、本日のレストラン業は強制的に『打ち止め』となってしまった。
明日以降は、どうしようか。
ストックする食材を増やすか、それとも、このままで行くか。
人気店に並ぶ列は、初日が最も多いと聞く。日が経つごとに漸減していって、ある程度のところで『ストップ』する。
「……そのラインを見極めたいわね」
あまりにもたくさんの食材を入れてしまったら、残したものを悪くしてしまう。
そんな、悪くなった食材を他人に出すことはできない。
かといって、その状態が継続すれば仕入れにかかるお金もかかってしまうし、抱えている保管のコストもかかってしまう。
「忙しいなら忙しいで、考えることは山盛りだわ」
ちょうどその時、「メイド長、お茶のご用意が出来ました」という声がかけられる。
用意されたお茶を三つ、トレイに載せて、「それじゃ、いってきます」と微笑む彼女であった。
「ねぇ、咲夜」
「はい」
「どうかしら。例の」
体に似合わぬ大きな椅子で、足をぱたぱたさせながら漫画をたしなむちみっちゃいお嬢様が、舌ったらずの口調でメイド長へと問いかける。
「先日、挙げさせていただきました報告書の通りです」
「あれだけなら、確かに見事な成果と言っていいのだけど」
「お嬢様、あれからこちらに関わっていませんでしたからね」
「あら、当然じゃない。
わたしはあなた達に指示をする立場。そして、あなた達はそれを実行する立場」
「ええ」
と、気取って答える彼女、レミリアであるが、咲夜はその真実を知っている。
あの指示を、咲夜に下した三日後くらいに、『咲夜! 今、妖怪の山で、何だかすごい宝石が見つかるらしいの! 行きましょうよ!』と別のことに目をきらきらさせていたことを。
要は、半分、忘れていたのだ。
全く、過去から現在まで続く『紅魔館メイド流対お嬢様戦法』は完璧であることの証左である。
「こちらに新聞が」
「読ませなさい」
「どうぞ」
「あら、きれい。カラーなのね」
『紅魔館レストラン、幻想郷住民に大絶賛!
先日より始まった、湖のほとりに建つ、瀟洒な西洋風の館、紅魔館でのレストラン業。
プレオープンの頃こそ奮わなかったものの、本開店を迎えてからは絶好調。聞くところによると、日々、右肩上がりで来客数を増やしているとの事だ。
試しに現地を訪れてみると、朝早くの開店前から、館の前に並ぶ行列を見ることが出来る。
いわんや開店後など、待ち時間2時間3時間は当たり前という風情である。
並びの列に話を伺うと、
「料理が美味しい」
「接客が素晴らしい」
「里じゃ楽しめない雰囲気が素敵」
という意見を多く伺うことが出来る。和の世界である幻想郷において、『洋』の紅魔館は異質であり、異質であるが故に、人々の興味を誘っている状況だ。
まずは、評判の接客から見ていこう。
館への入り口をくぐると、見目麗しい妖精メイドが一人、世話役としてついてくれる。
彼女はその一組の客に付きっ切りで接客をしてくれる、『あなた専用のメイドさん』である。もうこの時点で、来店を決めた読者諸兄も多いのではないだろうか。
彼女に連れられて館の中へと入り、店へと通される。そして、彼女を通じて、料理を注文したりするわけだ。
その間、彼女はずっと笑顔で来客をもてなしてくれる。少々のわがままも聞いてくれる辺り、実にサービス精神が旺盛である。
この丁寧かつ懇切な接客が、店を去るまで続くのである。
次に料理だ。
紅魔館で提供される料理は、どれも素晴らしく美味しい。和洋中、どの種類もそろっており、この洋風の館の中で焼き魚定食を食べるというのも、また乙なものといえるだろう。
だが、ここに来た以上、やはり、幻想郷では滅多に味わうことの出来ない洋食を味わうべきだ。
見たことも聞いたこともない料理がずらりとメニューに並び、あなたの食欲を刺激してくれるだろう。
どれを頼んでも、その味は保証されている。お金が許すなら、メニューの端から端まで、という行為も可能だ。
注文から10分。やってくる熱々の料理を頬張れば、『美味しい』という感想以外の言葉も想いも出てこないことだろう。
紅魔館の接客と料理を味わったら、最後に雰囲気を味わいながら店を後にするのがいいだろう。
建物の様子を見てみたり、あるいは入り口ホールに備えられている売店でおみやげを買ってみたり。
別料金になってしまうが、メイドさんとのツーショットサービスも提供されている。
これらのサービスを全て味わったら、あなたの感想は唯一つ、『満足』であるはずだ。
紅魔館のサービスは素晴らしい。
しかし、その素晴らしいサービスには対価がつき物だ。
総じて、里の普通の飲食店で食べるよりも料理は割高である。だが、その分の料金に、プライスレスの接客と雰囲気が乗ってくるのだとしたら、決して、この値段は高いものではない。
こうした通常の食事以外にも、さらに素晴らしいサービスを受けられるコース料理なども用意されている。
本紙の最後に記載されている、『紅魔館レストランサービス詳細』を見て、興味を持ったら、是非とも、紅魔館を訪れて欲しい。
著:姫海棠はたて』
「いいわね! これよ、これ! これを待っていたの!
我が紅魔館が絶賛され、その名前が幻想郷中に知られる! そして、わたし、レミリア・スカーレットの名前が幻想郷に轟くのよ!」
新聞のどこにも『レミリア』の文字は入っていないのだが、レミリアはこれで満足しているらしい。
ぷくぷくほっぺたをりんごのように染めて、目をきらきら輝かせ、「咲夜! ちょっとレストラン見に行きましょう!」と声を上げる。
咲夜は一礼して、彼女と共に部屋の外へ。
浮かれ、足早に歩いていくレミリアに前を譲って、『やれやれ』と内心で苦笑する。
「今日も満員じゃない!」
「まだ、外に並んでいる方々もたくさんいらっしゃいます」
「ホールにも人がいるわね……。
うふふ。いいじゃない。素晴らしいわ! よくやったわね、咲夜!」
「お褒め頂き、光栄です」
お嬢様は至極ご満悦であるようだった。
『吸血鬼の館』として畏怖で迎えられるよりも、誰からも親しまれる『紅魔館』として人に知られる方がいいと考えているのか。それとも、そこまで、単に考えが及んでいないだけなのか。
大勢の人々でごった返す館の姿を見て、彼女はとにかく、満足しているようだ。
羽を上下に忙しなくぱたぱた動かしながら、
「咲夜! 次の命令よ!
もっともっと、たくさんの人を呼び込みなさい! 幻想郷に紅魔館あり!
彼らが『紅魔館』という単語を聞いて、すぐにわたしの屋敷を思い浮かべるくらいにまで、幻想郷に紅魔館の名前を広めるのよ!」
「畏まりました」
また余計な、そしてめんどくさい命令が下ってしまった。
しかし、これはこれでいいか、と咲夜は思う。
何せ、これに参加しているメイド達は、誰もが楽しそうにしているのだ。
めんどくさそうに、いやそうに働いているものなどいない。顔に出さず、内心に秘めているものも、だ。
元より妖精は楽しく騒ぐのが大好きな生き物だ。彼女たちにとって、こうして、多くの人々が常にごった返しているというのは、『祭り』と同じなのだろう。
祭りは長く続けられるなら、続けたい。
あの楽しい雰囲気を、いつまででも続けたい。
――それなら、そのために、尽力してみようか。
「次は何をしようかしら」
そう言って、館を見下ろすメイド長の笑顔は、些か……というより、かなり『子供』っぽい笑顔だったという。
以下、花果子念報一面より抜粋
~紅魔館レストランサービスの追加情報掲載!
先日、お伝えした、霧の湖の畔に建つ紅魔館にて始まった、紅魔館レストランサービス。
なかなか好評を博しているこのサービスであるが、このたび、出前サービスにも対応する運びとなった。
出前とはいえ、その味と雰囲気は、お店で食べるそれと相違ないことを保証する。
このサービスを行うこととなった背景としては、このレストランサービスが非常に好評であり、現在、用意されている紅魔館の設備では来客対応が難しくなったことが挙げられる。
しばらくの間、紅魔館のホールを改装し、より本格的なレストランとすることとなったのだが、その間、せっかくの紅魔館の料理が味わえないのはもったいない、ということで、急遽、企画されたのだ。
そのため、当面は、この出前サービスが主体となってしまうのだが、これについてはご理解頂くしかないだろう。
注文方法は、本紙の最後に記載してあるので、そちらを確認して欲しい。
また、本紙と併せて紅魔館レストランサービスのチラシも同時配布させて頂いている。
このチラシを見て注文を行うと、料理の代金が定価の3割引きとなる。是非、活用して欲しい。
メニューは、比較的廉価な小皿料理、単品料理から、一生の思い出となる高価なコース料理まで様々だ。
紅魔館本店がリニューアルオープンするその時まで、この出前サービスで紅魔館の味を楽しんで欲しい。
そして、紅魔館が本格的に扉を開いたその時に、今度は出前では味わえない「紅魔館の空気」を楽しむため、レストランを訪れることをおすすめする。
きっと、そこには、新たな感動と素晴らしい料理との出会いが待っているだろう。
ちなみに、筆者のおすすめは、「紅魔特製ロイヤルケーキ」である。絶対、食べてね! これ、ほんとに美味しいから!
著:姫海棠はたて~
面白かったです。
悪魔の館なのにという突っ込みはなしよ
はたてちゃんは広告塔引き受けてるのに社員優待みたいの無いんやな…伝説のケーキは一般客と同じ様に待たされてたし
まーアウトソーシングだし高い広告料もらってるみたいだからそれ以上は無理なんかな?
それに、レストラン紅魔館をさっと作るだけの下地ができていた点も見逃せません
メイドたちの仕事やグレードなど、紅魔館の内情が丹念に描写されているところも非常に良かったです
ぜひとも予約したいのですが、どうやって行けばいいのでしょうか?
貴方の幻想郷が大好きですw