あなたは『こいしちゃん』を知っているだろうか?
いや、もっと正確に言うならば。
あなたは『こいしちゃん』を覚えているだろうか?
昨今、急速に世間に広まっている噂がある。
あなたは幼いころ、周りの人には見えない自分だけの友達がいたことはないだろうか? 空想上の友達、いわゆるイマジナリー・フレンドというものである。このイマジナリー・フレンドは人間が自分の脳内に作り出す存在を差す言葉であり、人間の成長過程では誰にでもおこりうる現象のことだ。
この自分の脳内にのみ存在するはずのものを、なぜか見ず知らずの他人が知っている。
ひとかけらも接点のない人間同士が、全く同じ空想上の友達を子供のころ持っていた。
その友達の名前は『こいしちゃん』である……。
話しの始まりは、オカルトを扱うとあるネット掲示板。そこでイマジナリー・フレンドの話題が出たとき、ある一人がこんなことを言った。
「俺が幼稚園のころの話なんだけど、夕暮れ時に一人で遊んでいたら、女の子が声をかけてきた。黄色いシャツに、緑のスカート。灰色がかった銀髪にちょこんと黒い帽子がのっかている。まぶたを閉じた目玉のようなボールを持っていた。今まで見たどんな女の子よりも比べ物にならないくらいかわいくて、薄っすらとバラの香りがした。その子は自分を『こいし』だと名乗って、俺と一緒に遊んでくれたんだ。
でも、もしかしたら単なる夢かもしれない。だって、こいしちゃん空飛んだだぜ? 俺をだっこして(こいしちゃんは小学校の高学年ぐらいだった)夕暮れに沈む街を、高い高い空の上から二人で眺めたんだ。
最近、ふとしたきっかけで思い出したんだ」
その後掲示板は、これが単なる夢だという意見と、覚醒状態で起こった何らかの心理学的現象だという意見に別れ、議論が戦わされた。
その時、ふと奇妙な文章が現れる。
「俺もこいしちゃん知ってる」
俺も幼いころに、こいしを名乗るきれいな女の子と遊んだ記憶がある。さっきの体験談を見て、急にそれを思い出した。確かに容姿もその通りだった。自分は両親を亡くし施設に入っていた。父と母の喪失に耐え切れなくなり、真夜中にずっと泣いていた時、こいしちゃんが目の前にいきなり現れた。こいしちゃんは俺が泣き止むまで優しく抱きしめてくれた。その後、朝までオセロをして遊んだ。
掲示板は突如、まるで小説のような不思議な状況に叩き落された。同じ空想上の友達がいる。つまり、個人の空想の存在が共有されてしまっている。
もちろんこいしちゃんが実在の人物であるという至極当然の意見もすぐに出てきた。しかし、驚くべきことに、こいしちゃんを知っているという二人は二十歳近く年齢が離れていた。そうなると、こいしちゃんは二十年以上も年恰好が同じだったことになる。それはありえない。
しばらくして、「実は自分もこいしちゃんを知っている」という人間が現れ始めた。
こいしちゃんと一緒に海まで行った。こいしちゃんと一緒に溺れた。
こいしちゃんと一緒にアニメを見た。この作画監督さんは良い! と言ってた。
こいしちゃんと一緒にいじめっこに逆襲した。いじめっ子の家は壊れた。
こいしちゃんと一緒に壁に落書きをした。落書きは国際的な賞をとった。
こいしちゃんと一緒に薔薇を育てた。十年たってもその薔薇は咲いている。
確かにだれかと一緒だったのに、それがだれか思い出せない。そう考えていた人間が、まるで『こいしちゃん』という単語が何らかの鍵だったかのように、むかし一緒に遊んだあの子を思い出していく。
掲示板はやがて、不思議な旧友を懐かしむ空気に包まれた。
『こいしちゃん』の噂は現在、静かなブームとなっている。オカルト雑誌にも多く取り上げられ、またネット上においても繰り返しこいしちゃんを語るスレッドが立ち続けている。今年中にこいしちゃんを題材にしたホラー映画も製作されるという話もある。
こいしちゃんの噂の肝は、本来個人の妄想であるイマジナリー・フレンドを赤の他人が同じように持っている点にある。こいしちゃんの特徴としては、
① 幼かったころに、いきなり目の前に現れた。
② 空を飛ぶなどの不思議な力を持っている。
③ こいしちゃんと一緒に遊んで生まれた影響が、現在も残っている。
④ 『こいしちゃん』の単語を見るまで、その存在を忘れてしまっていた。
などが挙げられる。
また、最近はそれまでの、なんというか不思議なおとぎ話的な噂に、怪談のようなストーリーが語られるようになってきた。
例えば、血まみれになったこいしちゃんに声をかけられた、こいしちゃんから触手のようなものが伸びてきてそれに絡め取られた、こいしちゃんに友達が食べられた、などである。
都市伝説というものの大半がおどろおどろしい恐怖譚であることを考えるならば、『こいしちゃん』の噂も本来の形にもどりつつあるのかもしれない。
ここからは本稿筆者の独自調査の話である。筆者は個人的つきあいのある保育士Fに、こいしちゃんの噂を話してみた。そしてFの勤める保育園で一つの実験をしてもらうよう頼んだのだ。
Fは保育園のお昼ごはんの時間に、他の保育士の目を盗んで、子供たち一人一人にひとつ質問をしていった。「こいしちゃんと遊んだことある?」と。
現在、こいしちゃんの噂の中心になっているのはかつてこいしちゃんと遊んだ大人たちだ。では、実際に子供たちはこいしちゃんを知っているのだろうか。これはそれを確かめる実験だった。
結果は驚くべきものだった。
保育園の子供たち全員がこいしちゃんを知っていた。
こいしちゃんは何度も保育園に遊びに来てくれている。
お昼ごはんの時間の前にも、こいしちゃんはみんなと一緒にお絵かきをした。
その絵はこいしちゃんが飼っているカラスの絵だった。
筆者の手元には、こいしちゃんが描いたというカラスの絵がある。Fが渡してくれたものだ。描かれたカラスの胸には赤い宝石のようなものが張り付いている。
本稿を書くため、筆者はこいしちゃんについて調べた。すると、その調査のなかで、筆者にも一つの記憶が甦ってきた。こいしちゃんだったかどうかは分からない。彼女の名前も容姿も思い出せないのだ。けれど、多くの人間が『こいしちゃん』の単語を見聞きすることによって過去を思い出したように、筆者も幼いころ、一人の女の子にこんな風に言われたことを、思い出した。
「あなたがどれだけ逃げ出そうと思っても、あなたのこころはあなたを離してくれない。あなたがどれだけ自分のこころを嫌っても、あなたのこころはあなたを離してくれない。
だからね、わたしからのおねがい。
いちどで良いから、あなたのこころをぎゅっと抱きしめてあげて。
強く強く抱きしめてあげて。
そうすれば、あなたのこころはあなたを今よりずっと強くしてくれるよ」
今後も本誌はこいしちゃんの噂について調査を続ける所存である。新たな情報が入り次第、再び報告する。
(『週刊新報』2014年7月号 p134~p147 特集記事「これが新たな都市伝説!」より抜粋)
いや、もっと正確に言うならば。
あなたは『こいしちゃん』を覚えているだろうか?
昨今、急速に世間に広まっている噂がある。
あなたは幼いころ、周りの人には見えない自分だけの友達がいたことはないだろうか? 空想上の友達、いわゆるイマジナリー・フレンドというものである。このイマジナリー・フレンドは人間が自分の脳内に作り出す存在を差す言葉であり、人間の成長過程では誰にでもおこりうる現象のことだ。
この自分の脳内にのみ存在するはずのものを、なぜか見ず知らずの他人が知っている。
ひとかけらも接点のない人間同士が、全く同じ空想上の友達を子供のころ持っていた。
その友達の名前は『こいしちゃん』である……。
話しの始まりは、オカルトを扱うとあるネット掲示板。そこでイマジナリー・フレンドの話題が出たとき、ある一人がこんなことを言った。
「俺が幼稚園のころの話なんだけど、夕暮れ時に一人で遊んでいたら、女の子が声をかけてきた。黄色いシャツに、緑のスカート。灰色がかった銀髪にちょこんと黒い帽子がのっかている。まぶたを閉じた目玉のようなボールを持っていた。今まで見たどんな女の子よりも比べ物にならないくらいかわいくて、薄っすらとバラの香りがした。その子は自分を『こいし』だと名乗って、俺と一緒に遊んでくれたんだ。
でも、もしかしたら単なる夢かもしれない。だって、こいしちゃん空飛んだだぜ? 俺をだっこして(こいしちゃんは小学校の高学年ぐらいだった)夕暮れに沈む街を、高い高い空の上から二人で眺めたんだ。
最近、ふとしたきっかけで思い出したんだ」
その後掲示板は、これが単なる夢だという意見と、覚醒状態で起こった何らかの心理学的現象だという意見に別れ、議論が戦わされた。
その時、ふと奇妙な文章が現れる。
「俺もこいしちゃん知ってる」
俺も幼いころに、こいしを名乗るきれいな女の子と遊んだ記憶がある。さっきの体験談を見て、急にそれを思い出した。確かに容姿もその通りだった。自分は両親を亡くし施設に入っていた。父と母の喪失に耐え切れなくなり、真夜中にずっと泣いていた時、こいしちゃんが目の前にいきなり現れた。こいしちゃんは俺が泣き止むまで優しく抱きしめてくれた。その後、朝までオセロをして遊んだ。
掲示板は突如、まるで小説のような不思議な状況に叩き落された。同じ空想上の友達がいる。つまり、個人の空想の存在が共有されてしまっている。
もちろんこいしちゃんが実在の人物であるという至極当然の意見もすぐに出てきた。しかし、驚くべきことに、こいしちゃんを知っているという二人は二十歳近く年齢が離れていた。そうなると、こいしちゃんは二十年以上も年恰好が同じだったことになる。それはありえない。
しばらくして、「実は自分もこいしちゃんを知っている」という人間が現れ始めた。
こいしちゃんと一緒に海まで行った。こいしちゃんと一緒に溺れた。
こいしちゃんと一緒にアニメを見た。この作画監督さんは良い! と言ってた。
こいしちゃんと一緒にいじめっこに逆襲した。いじめっ子の家は壊れた。
こいしちゃんと一緒に壁に落書きをした。落書きは国際的な賞をとった。
こいしちゃんと一緒に薔薇を育てた。十年たってもその薔薇は咲いている。
確かにだれかと一緒だったのに、それがだれか思い出せない。そう考えていた人間が、まるで『こいしちゃん』という単語が何らかの鍵だったかのように、むかし一緒に遊んだあの子を思い出していく。
掲示板はやがて、不思議な旧友を懐かしむ空気に包まれた。
『こいしちゃん』の噂は現在、静かなブームとなっている。オカルト雑誌にも多く取り上げられ、またネット上においても繰り返しこいしちゃんを語るスレッドが立ち続けている。今年中にこいしちゃんを題材にしたホラー映画も製作されるという話もある。
こいしちゃんの噂の肝は、本来個人の妄想であるイマジナリー・フレンドを赤の他人が同じように持っている点にある。こいしちゃんの特徴としては、
① 幼かったころに、いきなり目の前に現れた。
② 空を飛ぶなどの不思議な力を持っている。
③ こいしちゃんと一緒に遊んで生まれた影響が、現在も残っている。
④ 『こいしちゃん』の単語を見るまで、その存在を忘れてしまっていた。
などが挙げられる。
また、最近はそれまでの、なんというか不思議なおとぎ話的な噂に、怪談のようなストーリーが語られるようになってきた。
例えば、血まみれになったこいしちゃんに声をかけられた、こいしちゃんから触手のようなものが伸びてきてそれに絡め取られた、こいしちゃんに友達が食べられた、などである。
都市伝説というものの大半がおどろおどろしい恐怖譚であることを考えるならば、『こいしちゃん』の噂も本来の形にもどりつつあるのかもしれない。
ここからは本稿筆者の独自調査の話である。筆者は個人的つきあいのある保育士Fに、こいしちゃんの噂を話してみた。そしてFの勤める保育園で一つの実験をしてもらうよう頼んだのだ。
Fは保育園のお昼ごはんの時間に、他の保育士の目を盗んで、子供たち一人一人にひとつ質問をしていった。「こいしちゃんと遊んだことある?」と。
現在、こいしちゃんの噂の中心になっているのはかつてこいしちゃんと遊んだ大人たちだ。では、実際に子供たちはこいしちゃんを知っているのだろうか。これはそれを確かめる実験だった。
結果は驚くべきものだった。
保育園の子供たち全員がこいしちゃんを知っていた。
こいしちゃんは何度も保育園に遊びに来てくれている。
お昼ごはんの時間の前にも、こいしちゃんはみんなと一緒にお絵かきをした。
その絵はこいしちゃんが飼っているカラスの絵だった。
筆者の手元には、こいしちゃんが描いたというカラスの絵がある。Fが渡してくれたものだ。描かれたカラスの胸には赤い宝石のようなものが張り付いている。
本稿を書くため、筆者はこいしちゃんについて調べた。すると、その調査のなかで、筆者にも一つの記憶が甦ってきた。こいしちゃんだったかどうかは分からない。彼女の名前も容姿も思い出せないのだ。けれど、多くの人間が『こいしちゃん』の単語を見聞きすることによって過去を思い出したように、筆者も幼いころ、一人の女の子にこんな風に言われたことを、思い出した。
「あなたがどれだけ逃げ出そうと思っても、あなたのこころはあなたを離してくれない。あなたがどれだけ自分のこころを嫌っても、あなたのこころはあなたを離してくれない。
だからね、わたしからのおねがい。
いちどで良いから、あなたのこころをぎゅっと抱きしめてあげて。
強く強く抱きしめてあげて。
そうすれば、あなたのこころはあなたを今よりずっと強くしてくれるよ」
今後も本誌はこいしちゃんの噂について調査を続ける所存である。新たな情報が入り次第、再び報告する。
(『週刊新報』2014年7月号 p134~p147 特集記事「これが新たな都市伝説!」より抜粋)
なるほど、こういう運びもいいんですね。
勉強になります。
ただ、どうしてこいしが外で発見されてるのか、などいくつか疑問点が残ったのが残念です。
まだまだ話の展開が期待できる作品なので、続編があるようならば、是非読んでみたいです。
面白かったです
こいし自体は一回も出てきていないのに、綺麗にこいしを描いたSSだと思います。
GJ
おおお、と思うほどに。
あとがき欄まで有効に使った構成はお見事。
あれ、自分もその昔こいしちゃんみたいな不思議な女の子と遊んだ気が…
こいしちゃんならこんなことをしそう
一体何者なんだ?