名探偵って何だと思う? 名推理を働かせる人の事、それとも事態を鮮やかに解決してみせる人の事、その他諸々etc. あたいにはよく分からない。
ある日のこと、地上の閻魔様から地霊殿に連絡があった。なんでも、地底に関することで内密に話がしたいとのことらしい。さとり様からその話を聞いたあたいは、「地上の閻魔」が地底を訪ねるというのはなんだか逆では無いかしらんと思ったのを覚えている。
さて、そういう訳であたいとお空はさとり様と一緒に閻魔様を出迎えることになった。
「お待ちしてました、四季映姫さん」
地霊殿の玄関で、さとり様が挨拶をした。
閻魔様の第一印象は、なんだか小さいなと言うものだった。隣に連れている部下の人が長身というのも少しは影響しているのかもしれないけれど、それでも結構ちんまりとした人であった。語弊を恐れず言ってしまえば、可愛い大きさである。
その映姫さんにさとり様が早速本領を発揮する。
「あら、映姫さん、素敵な靴ですね」
靴? とあたいは映姫さんの足下に目をやった。……靴底が、厚い。なるほど、シークレットブーツか。初対面の相手に文字通り足下を見られる閻魔様に同情を禁じ得ない。
「あれ、映姫様、なんだかいつもより身長が高いと思ったら、ふふっ、そういうことですか。可愛いなあもう」
「こ、小町、そういうのは気付いても言わないでおくのが良識というものですよ。あなたは少し、遠慮がなさ過ぎる。それから、上司に向かって可愛いとは何事ですか、少しは言葉を考えなさい」
「素直じゃ無い映姫様も、素敵ですよ」
「黙らっしゃい」
遠慮無く秘密を暴きに掛かる部下を閻魔様が顔を真っ赤にして怒った。というかイチャコラは他所でお願いします。
因みにその横で「本当だ、可愛い靴ですね」と顔を輝かせているのは純真カラスのお空である、可愛い。
「えっと、さとり様のペットのお燐です」
「同じくペットのお空です、オミシリオキヲ!」
お見知りおきを、に関しては意味が分かっていないようである、可愛い。
あたい達が挨拶をすると、閻魔様がなにやら怪訝そうな顔をした。
「え、ペット?」
なにやら大変な誤解をされたらしい。そりゃそうだ、字面だけ見ればどこのドS変態かと、ドSなのはあってるけど。
「ああ、えっと、そうじゃなくてですね、あたい達はさとり様のペットだった動物が妖怪になったというか……」
「あ、ああ。そうですよね」
「あれ? 映姫様、何を想像しちゃったんですか?」
「小町」
「はい」
「ところでお燐」
「何ですか?」
「私はサディストではないわ」
「はい」
そんなこんなで、あたい達が一通り挨拶をすると、さとり様は言った。
「お空、四季さん達のトランクを第二客室に持って行ってあげて、今日は泊まっていかれるから」
「はーい!」
お空は元気よく返事をして荷物を受け取り、然る後こう言った。
「ところで、第二客室ってどこでしたっけ?」
お空は、クイっと首を傾げた。
「第二客室は三階ですよ」
「三階の何処ですか?」
そう言ってお空は先ほどまでとは反対側に首を傾げる。
「ドアを見れば部屋の名前が分かるわよ」
「はーい!」
お空はようやく荷物を持って走って行った。
地霊殿は横に長い形をしている。横長の長方形の真ん中を横向きに一本の廊下が通って、その両側に部屋が並んでいる。中央の玄関から入って、右の突き当たりには二階へと続く階段がある。そして、二階の構造も一階と似たようなもので、廊下の両側にいくつか部屋が並んで、突き当たりには三階へと続く階段がある。そして、三階には、やはり同じように廊下と部屋がある。しかし、三階に行くのにわざわざ二階の長い廊下を歩かないといけないのはなんだかなと、あたいは常々思っている。しかし、三階自体滅多に使わないのであまり問題はない。
あたい達が応接室のある二階に着くと、お空が三階へ続く階段をぱたぱたと上っていくのが見えた。
それからあたい達は廊下の中程にある部屋に入った。扉には「応接室」と書かれたネームプレートが掛かっている。因みに普段は単なる執務室である、さとり様は存外、いい加減だ。
部屋の真ん中には横向きに背の低い机が置いてあり、その奥と手前にソファが置かれている。何もない場所でカーペットがへこんでいるのは、普段執務用の机なんかを置いているせいだ。
映姫さんと小町さんは奥のソファに腰掛けて、さとり様とあたいは手前のソファに腰掛けた。そこにお空も帰ってきて加わった。
「さとり様、ちゃんと第二客室に置いてきたよ」
「そう、ありがとうねお空。ところで、客室の鍵を映姫さんに渡して差し上げて」
「はーい!」
お空はなにやらジャラジャラとした鍵束を映姫さんに渡した。ってその鍵束、三階の部屋の鍵全部まとまってるやつじゃないですか。まあ、使ってない部屋だからいいんだけど、さとり様は存外いい加減だ。
「お燐」
「はい、何ですか」
「私はいい加減じゃ無いわよ」
「はい」
しかし、四季さんも少し困った様子。
「えっと、鍵束ですよね、客室の鍵と言うより」
「そうですね、確かに三階の鍵束です。そうは言っても他の部屋は使ってない部屋なので、お好きに使って下さい。ただ、鍵はそれしかないので無くさないで下さいね」
「ああ、なるほど。お気遣い、感謝します」
えっと、気遣いと言うよりは杜撰なだけだと思うのですが。
「お燐」
「何ですか?」
「私は杜撰じゃないわ」
「はい」
「映姫様」
「何ですか、小町」
「あたいは映姫様と同じ部屋がいいですよ」
「あなたは別の部屋で寝なさい」
「えー」
だからイチャコラは他所でやれと言っとろうが。
そこにさとり様も口を挟む。
「四季さん」
「何ですか」
「第二客室はダブルベッドですよ」
「そんな気遣いはいりませんよ!」
さとり様は存外無礼なときがある。
「お燐」
「はい」
あたいは間違っていないと思うんだがなあ。
「まあ、見てなさいお燐、私はサディストでも適当でも杜撰でも無いわよ」
ドSだけは間違いないと思います。
「お燐、貴女私のことをそんな風に思っていたの?」
今更初めて知りましたみたいな顔をしないで下さい。
「全く、昔は従順だったのに」
猫が従順な訳ないじゃないですか。
「そういえば、そうね」
「えっと、さとりさん。一人言が凄いことになってますが」と映姫さん。
「失礼しました、お燐の心の声と会話してたのです、お気になさらず。ほら、お燐が失礼なこと考えてるからいけないのよ」
「あたいですか?」
何故か矛先があたいの方に向いた、納得いかない。しかし、納得いかなくても物事は進む、世の中そんなものである。
さとり様が言った。
「どうやら、本題は物騒な事のようですし、少し世間話でもしませんか? 私も地上のことについて少し話をお伺いしたいので」
「地上のことですか……」
うーん、と考え込んだ閻魔様はこういった。
「すみません、いくつか異変があったことは聞いているのですが、最近は職務が忙しくて碌に新聞も読んでいないのですよ。まあ、幻想郷の新聞は当てになりませんが」
「あー、そういうことなら、あたいが話をしますよ。死神は情報通なので」
「それでは、お願いします」
それから小町さんは、復活した尼さんの話や、復活した元為政者の話、小人と天邪鬼の反乱について話した。総括すると、いつも通り、地上は平和だと言うことらしい。
小町さんの話が一通り終わると、映姫さんが厳しい口調で言った。
「ところで、小町」
「何でしょう?」
「どうして貴女はそんなに詳しいのですか?」
「えっと、それは船の乗客から聞いたものでしてね、はい」
そこにさとり様が口を挟んだ。
「あら、貴女、随分と顔が広いのね、それと行動範囲も。私も仕事の合間に散歩でもしてみましょうか」
うふふ、と笑うさとり様、やはりドSだ。
「散歩、ですか。小町、どれくらいサボったのですか?」
「えっ、あ、あたいはサボってなんか居ませんよ、本当ですよ」
そこでさとり様がまた、ふふっと笑った。確実にわざとである。
「小町!」
「きゃん」
まあ、おそらくルーチンなのだろう、説教する映姫さんを見ながらあたいはそう思った。しかし、きゃん、とは変わった悲鳴だなあ。
「お燐!」
「何ですか、さとり様。いきなり大声出さないで下さい」
「あら、悲鳴とか上げてくれないの?」
「シャー」
あたいと映姫さんの説教が一段落する頃にお空が言った。
「ところで、閻魔様ってどんな仕事ですか?」
「え? 私の仕事ですか? 聞きたいのですか?」
「うん、社会勉強って言うんだってさとり様が言ってた」
「社会勉強ですか……」
明るく喋るお空は可愛かったが、映姫さんの顔には「本題が終わってからにしてくれないかなあ」という表情が浮かんでいた。心が読めなくてもそれくらいは分かる。
しかし、分かってもその通りにはしないのがさとり様である。
「あら、お空、偉いのね。それでは映姫さん、私たちはお茶の用意をしてきますから、少しだけ相手をしてやって下さい。それから本題に入りましょう」
「わかりました」
「さあお燐、キッチンに行くわよ」
「え? あたいだけでも行ってこれますよ」
「いいから早く」
そうさとり様にせき立てられて、あたいは先に廊下に出た。さとり様は後から出てきて、扉を閉めなかった。
あたいが扉を閉めようとするとさとり様が止めた。
「お燐、映姫さんが少し暑く感じておられるようだから、ドアは開けておいて」
ああ、そういうことか、確かにあの部屋は暑かった。一体誰だ、暖炉に火を入れておいた奴は。
しかしさとり様でも相手の要望に添うことはあるんですね。
「お燐、さとり様でも、とはどういう意味かしら?」
「聞く必要はないですよね?」
「全く、貴女も人の事言えないわよ。失礼なことばかり考えるんだから」
まあ、確かにそうですが、あたいはそれでもさとり様のことは慕っていますよ。
「知ってるわ」
「って、だから、そういうのは口に出さないで下さい、なんか照れくさいじゃ無いですか」
「お燐もまだまだ可愛いわね」
「と、ところで、さとり様はどうしてお茶の準備に付いてくるんですか?」
「話題の変え方が下手ね」
ああ、もう、前言撤回。いや、言ってはいないから前思考撤回、うーん語呂が悪い。しかし、話題を変えたいというのは抜きにしてもさとり様が付いてきた理由は気になる。
「そういえばお燐、映姫さんの持ってきた書類の中身って気にならない?」
「さとり様、話題の変え方がへたくそです」
「でも気になるでしょう?」
確かに、気になる。悔しいが気になるものは気になるのである。
「いいお燐、これから話すことは他言無用ですよ」
「他言無用って事は結構重大なことですよね? あたいなんかに話して大丈夫なんですか?」
「あら、貴女の信頼できることは私が一番良く知っていますよ」
嬉しい言葉だったが、面と向かって言われるとこそばゆい。さとり様はたまにこういうことを真顔で言う。それから、恥ずかしがっている相手の心を読んで愉しむのだから性格が悪い。
「またー、素直じゃ無いですね、お燐は」
「からかうのも大概にして下さい」
「でもまあ、冗談は置いておいて、重大な秘密というのは他に共有できる者がいて欲しいというのも本当ですよ」
「どうしてですか?」
まさか、さとり様に限って「秘密を一人で抱え込むのは辛い」と言ったような内容ではないだろう。
「バックアップよ、お燐。私に何かあっても、その秘密を知っている者が他にいれば、報復にその秘密をばらまくことも出来るでしょう」
「えげつないですね」
「私が出し抜かれるようなときは、相手はもっとえげつないのよ」
「一理ありますね」
「否定して欲しかったわ」
「それじゃあ、さとり様は全然えげつなくないですね」
「お燐、本心が丸見えよ」
「仕方ないじゃ無いですか」
「それもそうね」
ところで、書類の内容とは本当になんなのか。
「話を本題に戻しましょうか。お燐、地下の妖怪は自発的に地下に移り住んだ、そうだったわね」
「ええ、あたいはそう聞いていますが」
「実はそうじゃないんですって」
「え?」
「例えば、どうして鬼に対するおまじないは人間達の間にあそこまで様々な種類が浸透しているのかしら? 柊に煎り豆、鰯の頭。それに、嫉妬心を操る妖怪はそこまで忌み嫌われるかしら? 人食いの方が余程質が悪いのに。鬼と土蜘蛛がいなくなった山に、天狗と河童が繁栄しているのは何故かしら?」
「鬼に関しては、人間との接触が多すぎたのでは無いですか?」
「それにしても、河童なんかは人間の中に浸透しているわよ」
「それは……」
「それじゃあ、お燐。その背景に他の強力な妖怪が関与していたら? 鬼と競合できるような妖怪。その競争は酷いものになるでしょうね、彼女らは棲み分けをしたいと思うはずだわ。それに、鬼の支配下の天狗と河童、河童は土蜘蛛とも敵対していた。お燐、どう思う?」
「それは……」
さとり様の言いたいことは何となく分かった。おそらく地上で起きていた妖怪間の利害衝突、それを回避する為に一方が地底に追いやられた。その手段として、鬼が人間に嫌われ、退治されるような情報操作が行われた。概ねそんなところだろう。
「そうね、お燐。大体その通りだわ」
「でもさとり様、さとり様や橋姫はどうして地底に来たのですか?」
「私は人間の心が読みたくなかったから、橋姫については単純に精神に作用する能力は妖怪にとって致命的だからよ。それは私についても言えるわね、私が戦闘が得意で無いのはお燐も知っているでしょう? それでも今ここにいられるのは精神に干渉できるからよ」
「それが、映姫さんの持ってきた書類の中身ですか?」
「ええ、正直なところ、私も良く知らなかったことね」
随分と物騒なものを持ち込んだものだ。しかし、そんなカビの生えた秘密を地底に持ち出して、閻魔様は何をするつもりだろう。そんな秘密が今更鬼などに知られたら、大変な事になる。鬼は騙されるのが大嫌いだ、きっと利害云々では無く、騙されたことその事について激しい報復を行うだろう。スペルカードルール制定以前の出来事だ、きっと幻想郷も無事では済まない。そんなことになるくらいなら、お互い満足しているこの状況を覆す利益は何処にも無い。
「正義感よ、お燐。彼女は裁判官、利害や政治的判断では無くて、正義で動くの」
「でも、それで多くの被害を出すなら、それを正義とは言わないんじゃ無いですか? まあ、あたいは火車なんで、正義なんて分かりませんけど」
「まあ、大丈夫よお燐。その書類の中身が世間に出ることは多分無いわ」
「それって、どういう意味ですか?」
「私の言うことは、大体正しいわよ」
さとり様にそう言われては、納得するほか無かった。
――――――――――
さとり様はお茶の用意と言いながら、あたいにコーヒーを淹れさせた。豆を挽く音と、立ち上るコーヒーの香り、猫はコーヒーを飲まないけれど、火車はコーヒーを飲むのだ。少なくともあたいはコーヒーが大好きだ、コーヒーの楽しみというのは淹れると言う動作も含めて楽しみである。
「あら、随分と渋い趣味の猫ね」
さとり様がミルクと砂糖を用意しながら冷やかしてくる。ところで、あたいもさとり様もブラック派ではなかったか。そうだ、お空がブラックは飲めないのだ。「お子様だねえ」とからかうと「お子様じゃないもん」といって無理して飲んで、それからとても苦そうな顔をする、可愛い。
「それともう一つ、映姫さんがブラックコーヒーは苦手なんですって」
さとり様が愉快そうに言った。
「そうなんですか? 白黒はっきり付ける能力と聞いていたのですが」
「小町さんの方もそう思っているみたいでね、映姫さんはブラックコーヒーが苦手なのを隠しているみたいなのよ」
その秘密を暴いてしまえと言う魂胆らしい。意地悪もここまでくると清々しいものがある。
「あら、いつも生真面目そうな人が、からかわれて赤面している様子って、可愛いと思わない?」
「そんなものですかねえ」
「お燐だってお空をからかいつつ可愛がっているでしょう?」
「なんだか語弊のある言い方は止めて下さい」
「まあ、私の意地悪もそんな感覚よ」
「あー」
分からない事は無い。しかし、それってつまり、さとり様がドSって事ですよね?
「ばれた?」
「隠す気が無いじゃないですか」
「それもそうね」
さとり様はこれがやりたいが為に付いてきたんじゃないかと勘ぐりたくなった。
――――――――――
あたいとさとり様はコーヒーやお茶菓子の載ったお盆をもって二階の応接室に戻った。応接室ではお空が映姫さんを質問攻めにしていた。
「へー、それでは閻魔様って、死んだ人達の行き場所を決めているんですね」
「ええ、そんなところです」
お空がそこまで理解するのに紆余曲折があったらしく、映姫さんは既に疲れたという表情をしていた。まだ少し、疲れることになりますよ、あたいはそっと同情しつつ、小町さんとさとり様とあたいの前にブラックコーヒー、映姫さんとお空の前にカフェオレを置いた。質問攻めを止めないお空には、さとり様が「冷蔵庫にプリンがあるわよ」と言った。
「ぷりん!」
そう言ってお空は元気よく走っていった。カフェオレは置いてけぼりである、可愛い。
さて、カフェオレを前に微妙な顔をしているのは映姫さんである。
「あれ映姫様、もしかしてブラックコーヒーは苦手なんですか? コーヒーについては白黒つかないんですね、可愛いなあ」
死に神の方は容赦なかった。
「小町、別に私はブラックコーヒーが苦手なわけではありませんよ。たまたまカフェオレが飲みたい気分だっただけです。砂糖が入って無くても普通に飲めますよ、本当ですよ?」
「またまた、無理しちゃって」
真っ赤な顔で必死に弁解する映姫さん。なるほど、可愛いかもしれない。うん、ちょっと愉しい。
「ところで映姫さん、そろそろ本題に入りませんか?」とさとり様。
「そ、そうですね」
何となく助かったというような雰囲気で映姫さんが言った。それから映姫さんは手に持った書類鞄の中を探って、少しばつの悪そうな顔をした。
「そういえば、件の書類はトランクの中に入っているんでした。とってきますね」
そこであたいが口を出す。
「そういうことなら、あたいが行ってきますよ」
一応はさとり様の従者であるのだから、ここであたいが動くのは自然な流れである。あたいは急いで三階に向かった。
あたいは三階の鍵束を持っていなかった。三階の鍵束は一つしか無い。そして三階の部屋には皆鍵が掛かっているから、あたいは部屋には入れるはずが無い。
「すみません、三階の鍵束を受け取っても良いですか」
二階に戻ったあたいは肩で息をしながらそう言った。さとり様が横から口を挟む。
「やっぱり私もついて行くわ。少し不安になっちゃった」
えっと、さとり様、あたいのことをドジっ娘を見るような目で見ないで下さい。
「やはり私がとってきますよ」と映姫さん。
「映姫様のトランクの中身なら、興味あります」と小町さん。
「小町、慎みなさい。セクハラで訴えますよ」
「どこに訴えるんですか?」
「人事課です」
「きゃん」
結局、映姫さんと小町さんが三階に向かった。しかし、生真面目そうな上司とあそこまで適当な部下というのはなかなかどうして上手くいくもんだなとあたいは少し感服した。それを鑑みるにうちの場合は……
「何かしらお燐?」
「何でも無いです」
あたいはコーヒーを啜った。
その内に、映姫さんと小町さんが青ざめた顔で戻ってきた。
「トランクが、ありません」
それをきいたさとり様は眉をひそめた。
「本当ですか?」
「ええ、確かに第二客室を見たのですが、無いのです」
「それは問題ですね。あの書類は、そう簡単に流出させていいものではないですから。いいでしょう、私は三階を探します。映姫さんは二階を探して下さい、お燐はお空と一緒に一階を探して」
「しかし、さとり様、既に地霊殿の外にトランクが持ち出されているという可能性はないのですか?」
「無いわ。映姫さんが来た時点で、脱出不可能な結界を張って置いたから」
結界って便利な言葉だなと思った。
「ああ、それと小町さん、貴女は私と一緒に三階を探して下さい」
「あたいですか?」
「ええ、どうやら私はあまり信用されていないようですから」
さとり様は映姫さんの方を見る。そして狼狽えている小町さんに向かって言った。
「それでは早く三階を探しましょうか」
さとり様と小町さんは鍵束をもって三階へと向かった。それから、一階へ向かおうとするあたいを映姫様が引き留めた。
「待って下さい、お燐さん」
「どうしました?」
「失礼を承知で言わせて頂くと、私はあなた方のことを信用してはいないのです。さとりさんにはバレている様でしたが」
「それはまあ、そうですよね」
同意する他ない。来客を徹底的にからかう覚り妖怪一味を信用しろという方が無理がある。
「なので、申し訳ないのですが、一階の捜索担当を私に任せて、お燐さんは二階を探すことにして頂けませんか?」
「あたいは構わないですよ」
お空と一緒に行動できないのは残念だけど、この際仕方がない。映姫さんからしてみれば、あたい達は皆トランク失踪の容疑者だ。
そう言ったわけで、あたいは二階を適当に歩き回り、映姫さんは一階を走り回った。結論から言うと、一階にも、二階にも映姫さんのトランクは無かった。
つまり、三階にあった。
何故三階にあったトランクを四季映姫は見つけられなかったか、それはトランクが第二客室の向かい、第五客室にあったからである。そうさとり様と小町さんは言った。
三階に上がったさとり様と小町さんは第二客室の中を再び念入りに調べ、トランクがない事を確信してから後、他の客室を一つ一つ確かめたという。因みに客室には全て鍵が掛かっていた。そして、第五客室を開けるとあら不思議、映姫さんと小町さんのトランクが部屋の真ん中にぽつねんと置いてあったというのである。結論から言うと、トランクは失踪などしていなかった。
しかし問題はここから先である。
トランクは暗証番号式であったので、さとり様はその場でトランクを開けたのだという。あらかじめ映姫さんの心の中を読めたさとり様には造作のない事だ。その場にはもちろん小町さんも居合わせた。ところが、トランクの中にそれらしき書類は無かったのだという。映姫さんもトランクの中を確かめたが、確かに件の書類は無くなっていた。
そう言ったわけで応接室に全員が集められた。全員とはこの場合、さとり様、お空、映姫さん、小町さん、あたいの五人である。
議論の口火を切ったのはさとり様だった。
「さて、ご存じの通り映姫さんの持ち込んだ書類が失踪しました。犯人はこの中にいます。即ち、この部屋の中にいる五人です。映姫さんの持ち込んだ書類は大変重要なものです。ややもすると大惨事を引き起こしかねません。つまり、今ここで犯人を捜し出し、書類の流出を防がなければいけません」
そう言ったさとり様に早速映姫さんが突っ込みを入れる。
「しかし、貴女には誰が犯人なのかなんて事は既に分かっているんじゃ無いですか?」
「ええ、もちろん」
「それならば、今すぐ犯人を名指しすればいいじゃないですか」
「それで貴女が納得すれば良いのだけれど」
「どういう意味ですか?」
「私以外にとっては、私も容疑者の一人という事ですよ」
そう言ってさとり様は笑ってみせる。一方の映姫さんは黙りこんでしまう。
「ところでさとり様、ここにいる人達以外が書類を持ち出したって事は無いんですよね?」あたいは確認してみせる。
「ええ、犯人はこの中にいますよ」
全員が黙った。余裕の笑みを見せているさとり様以外はどこかしら緊張した表情で、書類の中身を知らないお空も雰囲気に飲まれて真剣な顔をしている。しゃちほこばるお空も可愛いなあ、なんて。
その内に映姫さんが言った。
「まずはお空さんに質問をしてよいですか?」
「うにゅ?」
突然の質問にびくっとするお空も可愛い。
「お空さんは確かに第二客室にトランクを運んだのですか?」
「運びましたよ」
「しかし、私のトランクは第五客室にあった、そうですよね小町」
「そうですね」
「それならばお空さん、貴女が過失か故意かは分かりませんが、トランクを置く部屋を間違えたと言うことはありませんか? 三階の部屋はそれぞれ鍵が掛かっていたのですから、トランクの位置が移動するということはまず無いはずです。ここには壁を抜ける人とかスキマを操る人はいませんからね」
「そんなことは無いですよ。だって私はちゃんとドアを見て『ここは第二客室だな』と確認してからトランクを入れましたよ」
「しかし、貴女は第二客室の位置を覚えてはいなかったのでしょう?」
「だから、ドアを確認しましたよ。私だってそれを間違えるほど鳥頭じゃ無いもん」
そう言ってむくれるお空も可愛い。
「お燐、真面目にやりなさい」
「はい」
あたいの思考に突っ込みが入る一方で映姫さんがあたいにも質問をする。
「お燐さん、貴女が実は三階の部屋の合い鍵を持っていると言うことはありませんか?」
「いいえ、持っていませんよ」
そんなものは持っていない。三階の鍵を開け閉めできるのはあの鍵束の鍵だけだ。
「しかし、よく考えてみれば貴女方が嘘をついている保証も無いわけですよね」と映姫さん。
まあ、確かに映姫さんから見れば疑心暗鬼の状況だなあとあたいは思った。映姫さんはそのまま、また黙ってしまう。そこで口を開いたのはさとり様だった。
「さて、そろそろ犯人の方には観念してもらいましょうか」
部屋中の視線がさとり様の方を向く。さとり様はゆっくりと言った。
「犯人は貴女ですよ、映姫さん」
映姫さんは目を見開いてさとり様のことを見る。
「まさか、どうして私がそんなことをする必要があるのですか?」
「貴女は例の書類を葬ってしまいたかったからよ」
「いいえ、そんなことはありません。むしろ逆です。私は例の書類を白日の下にさらす為にここ、地底に来ました。地上の妖怪による地底の妖怪達へのペテンは暴かれなければいけません。最近は地上と地底との交流も再開したようですが、地上の妖怪達がこのような秘密を抱えながら地下の妖怪と友好的に振る舞っているのは悪、即ち黒であると私は断じます」
「しかし、その書類がもたらすであろう影響を貴女はここに来て恐れた、違いますか? まあ、動機に関しては後にしましょう。映姫さん、動機の有無にかかわらず、書類の持ち出しが出来たのは貴女しかいないのですよ」
「まさか、私はそんなことやっていません」
「それなら、一人一人消去法で確かめていきましょうか。まずは小町さん、彼女は映姫さんのトランクの暗証番号を知らなかった。それに三階の鍵を開ける手段もずっと映姫さんが持っていて小町さんには渡していない、そうですよね?」
「ええ、その通りですね。小町は私と一緒にいましたし」
「それからお空、彼女も貴女のトランクの暗証番号を知らない」
それを聞いた映姫さんは少し考えてから言った。
「待って下さい、貴女がお空さんに暗証番号を教えることは可能だったのではないですか?」
「それは無理ですよ。だってお空がトランクに細工が出来たのは玄関で貴女方からトランクを受け取って三階に行ってから戻ってくるまでの間ですもの。その間に私がお空に暗証番号を教えるのは不可能でした。それに貴女のトランクの暗証番号は5346、四ケタの暗証番号の、それも五千番台にある数字をお空が三階に上ってから降りてくるまでの間に総当たりで見つけ出すのは難しいでしょう。そしてそこから先は三階の鍵束が貴女の手に渡ったのでお空はトランクに手出しを出来ない。三階の客室全てに鍵が掛かっていたのは私と小町さんが確かめたとおりです」
「確かにそうですが…… それならば貴女自身とお燐さんはどうですか? 貴女たちはお茶の用意でしばらく席を外しましたよね?」
「私たちは応接室のドアを開け放ったままこの部屋を出ました。そして貴女方はドアに向かって座っていた。三階に行く為にはこの部屋の前をどうしても通らなければいけない」
「そうすると、貴女方がその間に三階に行ったのだとすれば私と小町の視界に入ったはず、と言いたいのですか?」
「ええ、私たちはそのタイミングで三階に上ってはいない」
「それでもお燐さんはその後三階に上っていますよね。その時にトランクをいじれたのでは無いですか? トランクの暗証番号も席を外している間にさとりさんから聞いたのだとすれば筋が通ります」
「ええ、トランクの暗証番号は知り得たでしょうね。でも三階の合い鍵は持っていないのよ」
その通りだ、というかトランクの暗証番号についてもあたいは聞いていなかったし、そもそも客室には入っていない。
「映姫さん、貴女は私とお燐が席を外している隙に三階に行きトランクの中から書類をとりだした。そしてトランクのある部屋を移動させておいた。それから後、トランクを探す為に騒ぎになったところで書類を処分した、違いますか?」
そう言ってさとり様は懐から焦げた薄っぺらい小さな欠片、端の方に直角がわずかに残っている紙の燃え残りを取り出した。さとり様はその欠片を突きつけてとどめを刺すように言い放った。
「犯人は貴女です、四季映姫」
対する映姫さんはここに来て、目に見えて狼狽えた。
「あの書類を燃やしたというのですか?」
「燃やしたのは貴女ですよ、映姫さん」
「まさか、私ではありません。小町なら知っているでしょう、私はさとりさん達が席を外している間に三階に行ってなどいません」
「あら? そうなのかしら、小町さん?」にやりと笑ってさとり様。
「あたいは…… そうですね、映姫様は途中で確かにいなくなりましたよ『お花を摘んできます』なんて言って」
「小町まで…… どうして?」
そう言って映姫さんは少し涙目になりかけた。なるほど可愛い、これがギャップ萌えというものか。
しかし、映姫さんはここで、はたと何かを考え始めた。腕を組んで、目をつむり、何かを思いついたかのように真剣に考える。
コッチコッチと時計の音だけが響き、秒針が何周かした頃に映姫さんは目を開いた。
そして、静まりかえった室内に響き渡る、芯のある声で言った。
「犯人は貴女方ですね、古明地さとり」
映姫さんはとても鋭い目でさとり様を見据えて、お空は狼狽えていた。かわいい。
「えっ、さとり様が犯人なんですか?」とお空。
「お空、冷蔵庫に焼きプリンがあったわよ」
「焼きプリン!」お空は走って行った。
さとり様は相変わらず余裕の微笑を浮かべたまま映姫さんに問いかけた。
「どうしてそう思うのですか? 私にはアリバイがあったでしょう?」
「そのアリバイが、信用できるなら、の話ですよ、さとりさん」
「説明して下さるかしら、貴女の推理を」
「まず、不可解なのは貴女がトランクの捜索の話を持ち出したことです。貴女ならトランクの所在などとうに知っていたはず、全員の心を読める貴女がトランクの所在を知らないなどと言うことはあり得ないのです。それならば、何故トランクの捜索を持ちかけたのか、書類を処分する為です、違いますか?」
「どうぞ、続けて」
さとり様は映姫さんの質問には答えずに先を促した。
「はじめから順を追っていきましょうか。まず、お空さんは確かに第二客室へとトランクを運んだのです。そして、確かに私と小町が三階に上るまでトランクは動かされなかった」
「それなら、どうしてトランクは第五客室にあったのかしら?」
「それは、ドアのプレートが入れ替えられたからです。この部屋のドアにも『応接室』と書かれたネームプレートが掛かっていますが、この部屋は普段は違うことに使われている、そうですね」
映姫さんにはカーペットについている執務用の机の跡がバレていたらしい。
「そうですね、確かにこの部屋は普段、執務室として使用しています。ここに応接の必要な客人など滅多に来ませんからね」
「全く、推理小説などで使い古されたトリックですが、こんなところでお目に掛かることになるとは。そして、それが出来たのはお燐さん、貴女しかいません」
ついにあたいの名前が呼ばれた。
「ばれちゃいましたか」
「ええ、貴女は席を外している間にさとりさんと打ち合わせて、三階に鍵を持たずに上った。そして、ネームプレートだけを入れ替えて戻ってきた。そうですね?」
「あはは、済みません。その通りです」
思いの外、あっさりとバレてしまった。コーヒーを淹れに行ったとき、さとり様は「私の言うことは大体正しいのよ」と言ってから、悪戯っぽい顔をして言ったのだ。「書類の公開を防ぐついでにちょっと悪戯でもしてみない?」と。そしてあたいは言われたとおりにネームプレートを入れ替えた。あたいも地底や地上が大変な事になるのは防ぎたかったし、ちょっと何の意味があるのかわからないような行動でもさとり様のやることなら間違いは無いだろうと思ったのだ。
「そして、私たちがトランクがないと言いに来たときに三階に自分で向かったのは第五客室にあるトランクから書類を持ち出し、処分する為ですね」
「ええ、ご名答。なかなか面白かったわ。たまには徹底的に悪戯をしてみるのもいいものね」
「悪戯……ですか。しかし、一つだけ分からない事があります。何故さとりさんが小町を連れて行き、そして小町は何故さとりさんの計画に荷担したのですか? 貴女の証言は偽物でしょう?」
「それは、小町さん。貴女が説明してあげて下さいな」
映姫さんは疲れたような顔をして小町さんの方を見た。
「小町、貴女はどうして書類を処分させたのですか? それを私が許さないことなど知っているでしょう?」
「そうするしかないんですよ」
小町さんは思いの外、はっきりと続けた。
「幻想郷に無闇に争いを起こすのは良くないとあたいは思うんです。だって、地底の妖怪達だって騙されたみたいですけど、今は楽しくやっているじゃないですか。ここに来る途中で見ましたよね、鬼達が楽しそうにしているのを。色んなしがらみや縄張り争いのあった時代よりもきっと、今の方がみんな活き活きとしているんじゃないかなあってあたいは思うんです」
「しかし小町、地上の妖怪達、例のペテンについて知っているのはごく少数だとしても、その者達が何食わぬ顔で地底の妖怪と、かつて騙した者達と付き合っていくのは歪んでいるのです。歪みは除かなければなりません。そうは言っても私とて争いを起こしたいわけではありません。だからこそ地霊殿のさとりさんに相談に来たのでしょう?」
「そのさとりさんが、鬼達は絶対に納得しない。酷い争いが起こるだろうって言いました」
「そうですか…… しかし、それでもやはり歪みは取り除かなければいけません。小町、貴女のやったことは間違えています」
「映姫様、まだわかりませんか?」
「なにがですか、小町?」
「本当は鬼がどう怒ろうが争いが起ころうがあたいにとってはどうでもいいんですよ」
「どういう意味ですか?」
「映姫様、あたいは貴女のことが心配なんですよ。映姫様がそんな秘密を地上から持ち出したとしれたら、どんな報復があるか解ったものではないですよ。あたいは嫌ですよ、そんなの」
「小町……」
流石の閻魔様も、真っ直ぐに心配されたのでは返答に困るのだろうか。
「すみません、小町。仮に証拠の書類がないとしても、地底の妖怪達に私は知らせなければなりません」
小町さんが口を開こうとするのを遮ってさとり様が言った。
「映姫さん、きっと証拠の書類がなければ貴女の言葉は信じて貰えませんよ。だってあまりに突飛なんですもの。それに貴女はやっぱり地上の妖怪に消されることになる。書類が無くなった今、貴女に出来ることはありません。何も出来ないのです」
「しかし、出来ないのだとしても……」
「出来ないのならば、動かないことは罪ではないのでは? そんなことより、出来ないことをやろうとして、大事な部下に心配をかける方がよっぽど悪いと私は思いますよ」
しばらくの沈黙。
「そう……ですね。確かに私に出来ることはないようです」
そう言って映姫さんは俯いた。
小町さんはホッとしたような顔をして、さとり様は余裕の微笑を浮かべていた。
「さて、貴女方の地底来訪は、そうですね、地上と地底との交流が活発になるに当たって、閻魔様が地底の情勢を視察に来た。つまり、そういうことでいいですね?」
その後は、その言葉通りに閻魔様とさとり様の間で情報交換が行われた。さとり様の言った建前はつまり、嘘ではない、そういうことである。
―――――――――
翌日、映姫さんと小町さんの二人はなんだかんだ仲睦まじく帰っていった。
さて、二人を見送ったので、あたいは気になっていたことをさとり様に尋ねることにした。
「さとり様、あそこまで手の込んだ悪戯をする必要はなかったんじゃないですか?」
「あら、私は覚り妖怪よ。他人をからかうのはそうね、貴女にとっての屍体運びみたいなものよ」
「なるほど……」
あたいは立ち去る振りをして、最後にもう一つだけ、聞いて見ることにした。
「さとり様、一つ、よろしいでしょうか?」
「いいけど、某特命係の物まねは止めなさい」
「例の書類、本当に燃やしたんですか?」
「貴女はなかなか鋭いわね。そうね、切れるカードは多いに越したことはないわ」
そう言ってさとり様は妖しく笑って見せた。見た目は少女なのにこういう時だけ妙に色っぽいと思うのはあたいだけだろうか。
「お燐、こういう時だけとはどういうことかしら?」
「なんでもないですよ」
あたいは脱兎のごとく逃げ出した、猫だけど。
ある日のこと、地上の閻魔様から地霊殿に連絡があった。なんでも、地底に関することで内密に話がしたいとのことらしい。さとり様からその話を聞いたあたいは、「地上の閻魔」が地底を訪ねるというのはなんだか逆では無いかしらんと思ったのを覚えている。
さて、そういう訳であたいとお空はさとり様と一緒に閻魔様を出迎えることになった。
「お待ちしてました、四季映姫さん」
地霊殿の玄関で、さとり様が挨拶をした。
閻魔様の第一印象は、なんだか小さいなと言うものだった。隣に連れている部下の人が長身というのも少しは影響しているのかもしれないけれど、それでも結構ちんまりとした人であった。語弊を恐れず言ってしまえば、可愛い大きさである。
その映姫さんにさとり様が早速本領を発揮する。
「あら、映姫さん、素敵な靴ですね」
靴? とあたいは映姫さんの足下に目をやった。……靴底が、厚い。なるほど、シークレットブーツか。初対面の相手に文字通り足下を見られる閻魔様に同情を禁じ得ない。
「あれ、映姫様、なんだかいつもより身長が高いと思ったら、ふふっ、そういうことですか。可愛いなあもう」
「こ、小町、そういうのは気付いても言わないでおくのが良識というものですよ。あなたは少し、遠慮がなさ過ぎる。それから、上司に向かって可愛いとは何事ですか、少しは言葉を考えなさい」
「素直じゃ無い映姫様も、素敵ですよ」
「黙らっしゃい」
遠慮無く秘密を暴きに掛かる部下を閻魔様が顔を真っ赤にして怒った。というかイチャコラは他所でお願いします。
因みにその横で「本当だ、可愛い靴ですね」と顔を輝かせているのは純真カラスのお空である、可愛い。
「えっと、さとり様のペットのお燐です」
「同じくペットのお空です、オミシリオキヲ!」
お見知りおきを、に関しては意味が分かっていないようである、可愛い。
あたい達が挨拶をすると、閻魔様がなにやら怪訝そうな顔をした。
「え、ペット?」
なにやら大変な誤解をされたらしい。そりゃそうだ、字面だけ見ればどこのドS変態かと、ドSなのはあってるけど。
「ああ、えっと、そうじゃなくてですね、あたい達はさとり様のペットだった動物が妖怪になったというか……」
「あ、ああ。そうですよね」
「あれ? 映姫様、何を想像しちゃったんですか?」
「小町」
「はい」
「ところでお燐」
「何ですか?」
「私はサディストではないわ」
「はい」
そんなこんなで、あたい達が一通り挨拶をすると、さとり様は言った。
「お空、四季さん達のトランクを第二客室に持って行ってあげて、今日は泊まっていかれるから」
「はーい!」
お空は元気よく返事をして荷物を受け取り、然る後こう言った。
「ところで、第二客室ってどこでしたっけ?」
お空は、クイっと首を傾げた。
「第二客室は三階ですよ」
「三階の何処ですか?」
そう言ってお空は先ほどまでとは反対側に首を傾げる。
「ドアを見れば部屋の名前が分かるわよ」
「はーい!」
お空はようやく荷物を持って走って行った。
地霊殿は横に長い形をしている。横長の長方形の真ん中を横向きに一本の廊下が通って、その両側に部屋が並んでいる。中央の玄関から入って、右の突き当たりには二階へと続く階段がある。そして、二階の構造も一階と似たようなもので、廊下の両側にいくつか部屋が並んで、突き当たりには三階へと続く階段がある。そして、三階には、やはり同じように廊下と部屋がある。しかし、三階に行くのにわざわざ二階の長い廊下を歩かないといけないのはなんだかなと、あたいは常々思っている。しかし、三階自体滅多に使わないのであまり問題はない。
あたい達が応接室のある二階に着くと、お空が三階へ続く階段をぱたぱたと上っていくのが見えた。
それからあたい達は廊下の中程にある部屋に入った。扉には「応接室」と書かれたネームプレートが掛かっている。因みに普段は単なる執務室である、さとり様は存外、いい加減だ。
部屋の真ん中には横向きに背の低い机が置いてあり、その奥と手前にソファが置かれている。何もない場所でカーペットがへこんでいるのは、普段執務用の机なんかを置いているせいだ。
映姫さんと小町さんは奥のソファに腰掛けて、さとり様とあたいは手前のソファに腰掛けた。そこにお空も帰ってきて加わった。
「さとり様、ちゃんと第二客室に置いてきたよ」
「そう、ありがとうねお空。ところで、客室の鍵を映姫さんに渡して差し上げて」
「はーい!」
お空はなにやらジャラジャラとした鍵束を映姫さんに渡した。ってその鍵束、三階の部屋の鍵全部まとまってるやつじゃないですか。まあ、使ってない部屋だからいいんだけど、さとり様は存外いい加減だ。
「お燐」
「はい、何ですか」
「私はいい加減じゃ無いわよ」
「はい」
しかし、四季さんも少し困った様子。
「えっと、鍵束ですよね、客室の鍵と言うより」
「そうですね、確かに三階の鍵束です。そうは言っても他の部屋は使ってない部屋なので、お好きに使って下さい。ただ、鍵はそれしかないので無くさないで下さいね」
「ああ、なるほど。お気遣い、感謝します」
えっと、気遣いと言うよりは杜撰なだけだと思うのですが。
「お燐」
「何ですか?」
「私は杜撰じゃないわ」
「はい」
「映姫様」
「何ですか、小町」
「あたいは映姫様と同じ部屋がいいですよ」
「あなたは別の部屋で寝なさい」
「えー」
だからイチャコラは他所でやれと言っとろうが。
そこにさとり様も口を挟む。
「四季さん」
「何ですか」
「第二客室はダブルベッドですよ」
「そんな気遣いはいりませんよ!」
さとり様は存外無礼なときがある。
「お燐」
「はい」
あたいは間違っていないと思うんだがなあ。
「まあ、見てなさいお燐、私はサディストでも適当でも杜撰でも無いわよ」
ドSだけは間違いないと思います。
「お燐、貴女私のことをそんな風に思っていたの?」
今更初めて知りましたみたいな顔をしないで下さい。
「全く、昔は従順だったのに」
猫が従順な訳ないじゃないですか。
「そういえば、そうね」
「えっと、さとりさん。一人言が凄いことになってますが」と映姫さん。
「失礼しました、お燐の心の声と会話してたのです、お気になさらず。ほら、お燐が失礼なこと考えてるからいけないのよ」
「あたいですか?」
何故か矛先があたいの方に向いた、納得いかない。しかし、納得いかなくても物事は進む、世の中そんなものである。
さとり様が言った。
「どうやら、本題は物騒な事のようですし、少し世間話でもしませんか? 私も地上のことについて少し話をお伺いしたいので」
「地上のことですか……」
うーん、と考え込んだ閻魔様はこういった。
「すみません、いくつか異変があったことは聞いているのですが、最近は職務が忙しくて碌に新聞も読んでいないのですよ。まあ、幻想郷の新聞は当てになりませんが」
「あー、そういうことなら、あたいが話をしますよ。死神は情報通なので」
「それでは、お願いします」
それから小町さんは、復活した尼さんの話や、復活した元為政者の話、小人と天邪鬼の反乱について話した。総括すると、いつも通り、地上は平和だと言うことらしい。
小町さんの話が一通り終わると、映姫さんが厳しい口調で言った。
「ところで、小町」
「何でしょう?」
「どうして貴女はそんなに詳しいのですか?」
「えっと、それは船の乗客から聞いたものでしてね、はい」
そこにさとり様が口を挟んだ。
「あら、貴女、随分と顔が広いのね、それと行動範囲も。私も仕事の合間に散歩でもしてみましょうか」
うふふ、と笑うさとり様、やはりドSだ。
「散歩、ですか。小町、どれくらいサボったのですか?」
「えっ、あ、あたいはサボってなんか居ませんよ、本当ですよ」
そこでさとり様がまた、ふふっと笑った。確実にわざとである。
「小町!」
「きゃん」
まあ、おそらくルーチンなのだろう、説教する映姫さんを見ながらあたいはそう思った。しかし、きゃん、とは変わった悲鳴だなあ。
「お燐!」
「何ですか、さとり様。いきなり大声出さないで下さい」
「あら、悲鳴とか上げてくれないの?」
「シャー」
あたいと映姫さんの説教が一段落する頃にお空が言った。
「ところで、閻魔様ってどんな仕事ですか?」
「え? 私の仕事ですか? 聞きたいのですか?」
「うん、社会勉強って言うんだってさとり様が言ってた」
「社会勉強ですか……」
明るく喋るお空は可愛かったが、映姫さんの顔には「本題が終わってからにしてくれないかなあ」という表情が浮かんでいた。心が読めなくてもそれくらいは分かる。
しかし、分かってもその通りにはしないのがさとり様である。
「あら、お空、偉いのね。それでは映姫さん、私たちはお茶の用意をしてきますから、少しだけ相手をしてやって下さい。それから本題に入りましょう」
「わかりました」
「さあお燐、キッチンに行くわよ」
「え? あたいだけでも行ってこれますよ」
「いいから早く」
そうさとり様にせき立てられて、あたいは先に廊下に出た。さとり様は後から出てきて、扉を閉めなかった。
あたいが扉を閉めようとするとさとり様が止めた。
「お燐、映姫さんが少し暑く感じておられるようだから、ドアは開けておいて」
ああ、そういうことか、確かにあの部屋は暑かった。一体誰だ、暖炉に火を入れておいた奴は。
しかしさとり様でも相手の要望に添うことはあるんですね。
「お燐、さとり様でも、とはどういう意味かしら?」
「聞く必要はないですよね?」
「全く、貴女も人の事言えないわよ。失礼なことばかり考えるんだから」
まあ、確かにそうですが、あたいはそれでもさとり様のことは慕っていますよ。
「知ってるわ」
「って、だから、そういうのは口に出さないで下さい、なんか照れくさいじゃ無いですか」
「お燐もまだまだ可愛いわね」
「と、ところで、さとり様はどうしてお茶の準備に付いてくるんですか?」
「話題の変え方が下手ね」
ああ、もう、前言撤回。いや、言ってはいないから前思考撤回、うーん語呂が悪い。しかし、話題を変えたいというのは抜きにしてもさとり様が付いてきた理由は気になる。
「そういえばお燐、映姫さんの持ってきた書類の中身って気にならない?」
「さとり様、話題の変え方がへたくそです」
「でも気になるでしょう?」
確かに、気になる。悔しいが気になるものは気になるのである。
「いいお燐、これから話すことは他言無用ですよ」
「他言無用って事は結構重大なことですよね? あたいなんかに話して大丈夫なんですか?」
「あら、貴女の信頼できることは私が一番良く知っていますよ」
嬉しい言葉だったが、面と向かって言われるとこそばゆい。さとり様はたまにこういうことを真顔で言う。それから、恥ずかしがっている相手の心を読んで愉しむのだから性格が悪い。
「またー、素直じゃ無いですね、お燐は」
「からかうのも大概にして下さい」
「でもまあ、冗談は置いておいて、重大な秘密というのは他に共有できる者がいて欲しいというのも本当ですよ」
「どうしてですか?」
まさか、さとり様に限って「秘密を一人で抱え込むのは辛い」と言ったような内容ではないだろう。
「バックアップよ、お燐。私に何かあっても、その秘密を知っている者が他にいれば、報復にその秘密をばらまくことも出来るでしょう」
「えげつないですね」
「私が出し抜かれるようなときは、相手はもっとえげつないのよ」
「一理ありますね」
「否定して欲しかったわ」
「それじゃあ、さとり様は全然えげつなくないですね」
「お燐、本心が丸見えよ」
「仕方ないじゃ無いですか」
「それもそうね」
ところで、書類の内容とは本当になんなのか。
「話を本題に戻しましょうか。お燐、地下の妖怪は自発的に地下に移り住んだ、そうだったわね」
「ええ、あたいはそう聞いていますが」
「実はそうじゃないんですって」
「え?」
「例えば、どうして鬼に対するおまじないは人間達の間にあそこまで様々な種類が浸透しているのかしら? 柊に煎り豆、鰯の頭。それに、嫉妬心を操る妖怪はそこまで忌み嫌われるかしら? 人食いの方が余程質が悪いのに。鬼と土蜘蛛がいなくなった山に、天狗と河童が繁栄しているのは何故かしら?」
「鬼に関しては、人間との接触が多すぎたのでは無いですか?」
「それにしても、河童なんかは人間の中に浸透しているわよ」
「それは……」
「それじゃあ、お燐。その背景に他の強力な妖怪が関与していたら? 鬼と競合できるような妖怪。その競争は酷いものになるでしょうね、彼女らは棲み分けをしたいと思うはずだわ。それに、鬼の支配下の天狗と河童、河童は土蜘蛛とも敵対していた。お燐、どう思う?」
「それは……」
さとり様の言いたいことは何となく分かった。おそらく地上で起きていた妖怪間の利害衝突、それを回避する為に一方が地底に追いやられた。その手段として、鬼が人間に嫌われ、退治されるような情報操作が行われた。概ねそんなところだろう。
「そうね、お燐。大体その通りだわ」
「でもさとり様、さとり様や橋姫はどうして地底に来たのですか?」
「私は人間の心が読みたくなかったから、橋姫については単純に精神に作用する能力は妖怪にとって致命的だからよ。それは私についても言えるわね、私が戦闘が得意で無いのはお燐も知っているでしょう? それでも今ここにいられるのは精神に干渉できるからよ」
「それが、映姫さんの持ってきた書類の中身ですか?」
「ええ、正直なところ、私も良く知らなかったことね」
随分と物騒なものを持ち込んだものだ。しかし、そんなカビの生えた秘密を地底に持ち出して、閻魔様は何をするつもりだろう。そんな秘密が今更鬼などに知られたら、大変な事になる。鬼は騙されるのが大嫌いだ、きっと利害云々では無く、騙されたことその事について激しい報復を行うだろう。スペルカードルール制定以前の出来事だ、きっと幻想郷も無事では済まない。そんなことになるくらいなら、お互い満足しているこの状況を覆す利益は何処にも無い。
「正義感よ、お燐。彼女は裁判官、利害や政治的判断では無くて、正義で動くの」
「でも、それで多くの被害を出すなら、それを正義とは言わないんじゃ無いですか? まあ、あたいは火車なんで、正義なんて分かりませんけど」
「まあ、大丈夫よお燐。その書類の中身が世間に出ることは多分無いわ」
「それって、どういう意味ですか?」
「私の言うことは、大体正しいわよ」
さとり様にそう言われては、納得するほか無かった。
――――――――――
さとり様はお茶の用意と言いながら、あたいにコーヒーを淹れさせた。豆を挽く音と、立ち上るコーヒーの香り、猫はコーヒーを飲まないけれど、火車はコーヒーを飲むのだ。少なくともあたいはコーヒーが大好きだ、コーヒーの楽しみというのは淹れると言う動作も含めて楽しみである。
「あら、随分と渋い趣味の猫ね」
さとり様がミルクと砂糖を用意しながら冷やかしてくる。ところで、あたいもさとり様もブラック派ではなかったか。そうだ、お空がブラックは飲めないのだ。「お子様だねえ」とからかうと「お子様じゃないもん」といって無理して飲んで、それからとても苦そうな顔をする、可愛い。
「それともう一つ、映姫さんがブラックコーヒーは苦手なんですって」
さとり様が愉快そうに言った。
「そうなんですか? 白黒はっきり付ける能力と聞いていたのですが」
「小町さんの方もそう思っているみたいでね、映姫さんはブラックコーヒーが苦手なのを隠しているみたいなのよ」
その秘密を暴いてしまえと言う魂胆らしい。意地悪もここまでくると清々しいものがある。
「あら、いつも生真面目そうな人が、からかわれて赤面している様子って、可愛いと思わない?」
「そんなものですかねえ」
「お燐だってお空をからかいつつ可愛がっているでしょう?」
「なんだか語弊のある言い方は止めて下さい」
「まあ、私の意地悪もそんな感覚よ」
「あー」
分からない事は無い。しかし、それってつまり、さとり様がドSって事ですよね?
「ばれた?」
「隠す気が無いじゃないですか」
「それもそうね」
さとり様はこれがやりたいが為に付いてきたんじゃないかと勘ぐりたくなった。
――――――――――
あたいとさとり様はコーヒーやお茶菓子の載ったお盆をもって二階の応接室に戻った。応接室ではお空が映姫さんを質問攻めにしていた。
「へー、それでは閻魔様って、死んだ人達の行き場所を決めているんですね」
「ええ、そんなところです」
お空がそこまで理解するのに紆余曲折があったらしく、映姫さんは既に疲れたという表情をしていた。まだ少し、疲れることになりますよ、あたいはそっと同情しつつ、小町さんとさとり様とあたいの前にブラックコーヒー、映姫さんとお空の前にカフェオレを置いた。質問攻めを止めないお空には、さとり様が「冷蔵庫にプリンがあるわよ」と言った。
「ぷりん!」
そう言ってお空は元気よく走っていった。カフェオレは置いてけぼりである、可愛い。
さて、カフェオレを前に微妙な顔をしているのは映姫さんである。
「あれ映姫様、もしかしてブラックコーヒーは苦手なんですか? コーヒーについては白黒つかないんですね、可愛いなあ」
死に神の方は容赦なかった。
「小町、別に私はブラックコーヒーが苦手なわけではありませんよ。たまたまカフェオレが飲みたい気分だっただけです。砂糖が入って無くても普通に飲めますよ、本当ですよ?」
「またまた、無理しちゃって」
真っ赤な顔で必死に弁解する映姫さん。なるほど、可愛いかもしれない。うん、ちょっと愉しい。
「ところで映姫さん、そろそろ本題に入りませんか?」とさとり様。
「そ、そうですね」
何となく助かったというような雰囲気で映姫さんが言った。それから映姫さんは手に持った書類鞄の中を探って、少しばつの悪そうな顔をした。
「そういえば、件の書類はトランクの中に入っているんでした。とってきますね」
そこであたいが口を出す。
「そういうことなら、あたいが行ってきますよ」
一応はさとり様の従者であるのだから、ここであたいが動くのは自然な流れである。あたいは急いで三階に向かった。
あたいは三階の鍵束を持っていなかった。三階の鍵束は一つしか無い。そして三階の部屋には皆鍵が掛かっているから、あたいは部屋には入れるはずが無い。
「すみません、三階の鍵束を受け取っても良いですか」
二階に戻ったあたいは肩で息をしながらそう言った。さとり様が横から口を挟む。
「やっぱり私もついて行くわ。少し不安になっちゃった」
えっと、さとり様、あたいのことをドジっ娘を見るような目で見ないで下さい。
「やはり私がとってきますよ」と映姫さん。
「映姫様のトランクの中身なら、興味あります」と小町さん。
「小町、慎みなさい。セクハラで訴えますよ」
「どこに訴えるんですか?」
「人事課です」
「きゃん」
結局、映姫さんと小町さんが三階に向かった。しかし、生真面目そうな上司とあそこまで適当な部下というのはなかなかどうして上手くいくもんだなとあたいは少し感服した。それを鑑みるにうちの場合は……
「何かしらお燐?」
「何でも無いです」
あたいはコーヒーを啜った。
その内に、映姫さんと小町さんが青ざめた顔で戻ってきた。
「トランクが、ありません」
それをきいたさとり様は眉をひそめた。
「本当ですか?」
「ええ、確かに第二客室を見たのですが、無いのです」
「それは問題ですね。あの書類は、そう簡単に流出させていいものではないですから。いいでしょう、私は三階を探します。映姫さんは二階を探して下さい、お燐はお空と一緒に一階を探して」
「しかし、さとり様、既に地霊殿の外にトランクが持ち出されているという可能性はないのですか?」
「無いわ。映姫さんが来た時点で、脱出不可能な結界を張って置いたから」
結界って便利な言葉だなと思った。
「ああ、それと小町さん、貴女は私と一緒に三階を探して下さい」
「あたいですか?」
「ええ、どうやら私はあまり信用されていないようですから」
さとり様は映姫さんの方を見る。そして狼狽えている小町さんに向かって言った。
「それでは早く三階を探しましょうか」
さとり様と小町さんは鍵束をもって三階へと向かった。それから、一階へ向かおうとするあたいを映姫様が引き留めた。
「待って下さい、お燐さん」
「どうしました?」
「失礼を承知で言わせて頂くと、私はあなた方のことを信用してはいないのです。さとりさんにはバレている様でしたが」
「それはまあ、そうですよね」
同意する他ない。来客を徹底的にからかう覚り妖怪一味を信用しろという方が無理がある。
「なので、申し訳ないのですが、一階の捜索担当を私に任せて、お燐さんは二階を探すことにして頂けませんか?」
「あたいは構わないですよ」
お空と一緒に行動できないのは残念だけど、この際仕方がない。映姫さんからしてみれば、あたい達は皆トランク失踪の容疑者だ。
そう言ったわけで、あたいは二階を適当に歩き回り、映姫さんは一階を走り回った。結論から言うと、一階にも、二階にも映姫さんのトランクは無かった。
つまり、三階にあった。
何故三階にあったトランクを四季映姫は見つけられなかったか、それはトランクが第二客室の向かい、第五客室にあったからである。そうさとり様と小町さんは言った。
三階に上がったさとり様と小町さんは第二客室の中を再び念入りに調べ、トランクがない事を確信してから後、他の客室を一つ一つ確かめたという。因みに客室には全て鍵が掛かっていた。そして、第五客室を開けるとあら不思議、映姫さんと小町さんのトランクが部屋の真ん中にぽつねんと置いてあったというのである。結論から言うと、トランクは失踪などしていなかった。
しかし問題はここから先である。
トランクは暗証番号式であったので、さとり様はその場でトランクを開けたのだという。あらかじめ映姫さんの心の中を読めたさとり様には造作のない事だ。その場にはもちろん小町さんも居合わせた。ところが、トランクの中にそれらしき書類は無かったのだという。映姫さんもトランクの中を確かめたが、確かに件の書類は無くなっていた。
そう言ったわけで応接室に全員が集められた。全員とはこの場合、さとり様、お空、映姫さん、小町さん、あたいの五人である。
議論の口火を切ったのはさとり様だった。
「さて、ご存じの通り映姫さんの持ち込んだ書類が失踪しました。犯人はこの中にいます。即ち、この部屋の中にいる五人です。映姫さんの持ち込んだ書類は大変重要なものです。ややもすると大惨事を引き起こしかねません。つまり、今ここで犯人を捜し出し、書類の流出を防がなければいけません」
そう言ったさとり様に早速映姫さんが突っ込みを入れる。
「しかし、貴女には誰が犯人なのかなんて事は既に分かっているんじゃ無いですか?」
「ええ、もちろん」
「それならば、今すぐ犯人を名指しすればいいじゃないですか」
「それで貴女が納得すれば良いのだけれど」
「どういう意味ですか?」
「私以外にとっては、私も容疑者の一人という事ですよ」
そう言ってさとり様は笑ってみせる。一方の映姫さんは黙りこんでしまう。
「ところでさとり様、ここにいる人達以外が書類を持ち出したって事は無いんですよね?」あたいは確認してみせる。
「ええ、犯人はこの中にいますよ」
全員が黙った。余裕の笑みを見せているさとり様以外はどこかしら緊張した表情で、書類の中身を知らないお空も雰囲気に飲まれて真剣な顔をしている。しゃちほこばるお空も可愛いなあ、なんて。
その内に映姫さんが言った。
「まずはお空さんに質問をしてよいですか?」
「うにゅ?」
突然の質問にびくっとするお空も可愛い。
「お空さんは確かに第二客室にトランクを運んだのですか?」
「運びましたよ」
「しかし、私のトランクは第五客室にあった、そうですよね小町」
「そうですね」
「それならばお空さん、貴女が過失か故意かは分かりませんが、トランクを置く部屋を間違えたと言うことはありませんか? 三階の部屋はそれぞれ鍵が掛かっていたのですから、トランクの位置が移動するということはまず無いはずです。ここには壁を抜ける人とかスキマを操る人はいませんからね」
「そんなことは無いですよ。だって私はちゃんとドアを見て『ここは第二客室だな』と確認してからトランクを入れましたよ」
「しかし、貴女は第二客室の位置を覚えてはいなかったのでしょう?」
「だから、ドアを確認しましたよ。私だってそれを間違えるほど鳥頭じゃ無いもん」
そう言ってむくれるお空も可愛い。
「お燐、真面目にやりなさい」
「はい」
あたいの思考に突っ込みが入る一方で映姫さんがあたいにも質問をする。
「お燐さん、貴女が実は三階の部屋の合い鍵を持っていると言うことはありませんか?」
「いいえ、持っていませんよ」
そんなものは持っていない。三階の鍵を開け閉めできるのはあの鍵束の鍵だけだ。
「しかし、よく考えてみれば貴女方が嘘をついている保証も無いわけですよね」と映姫さん。
まあ、確かに映姫さんから見れば疑心暗鬼の状況だなあとあたいは思った。映姫さんはそのまま、また黙ってしまう。そこで口を開いたのはさとり様だった。
「さて、そろそろ犯人の方には観念してもらいましょうか」
部屋中の視線がさとり様の方を向く。さとり様はゆっくりと言った。
「犯人は貴女ですよ、映姫さん」
映姫さんは目を見開いてさとり様のことを見る。
「まさか、どうして私がそんなことをする必要があるのですか?」
「貴女は例の書類を葬ってしまいたかったからよ」
「いいえ、そんなことはありません。むしろ逆です。私は例の書類を白日の下にさらす為にここ、地底に来ました。地上の妖怪による地底の妖怪達へのペテンは暴かれなければいけません。最近は地上と地底との交流も再開したようですが、地上の妖怪達がこのような秘密を抱えながら地下の妖怪と友好的に振る舞っているのは悪、即ち黒であると私は断じます」
「しかし、その書類がもたらすであろう影響を貴女はここに来て恐れた、違いますか? まあ、動機に関しては後にしましょう。映姫さん、動機の有無にかかわらず、書類の持ち出しが出来たのは貴女しかいないのですよ」
「まさか、私はそんなことやっていません」
「それなら、一人一人消去法で確かめていきましょうか。まずは小町さん、彼女は映姫さんのトランクの暗証番号を知らなかった。それに三階の鍵を開ける手段もずっと映姫さんが持っていて小町さんには渡していない、そうですよね?」
「ええ、その通りですね。小町は私と一緒にいましたし」
「それからお空、彼女も貴女のトランクの暗証番号を知らない」
それを聞いた映姫さんは少し考えてから言った。
「待って下さい、貴女がお空さんに暗証番号を教えることは可能だったのではないですか?」
「それは無理ですよ。だってお空がトランクに細工が出来たのは玄関で貴女方からトランクを受け取って三階に行ってから戻ってくるまでの間ですもの。その間に私がお空に暗証番号を教えるのは不可能でした。それに貴女のトランクの暗証番号は5346、四ケタの暗証番号の、それも五千番台にある数字をお空が三階に上ってから降りてくるまでの間に総当たりで見つけ出すのは難しいでしょう。そしてそこから先は三階の鍵束が貴女の手に渡ったのでお空はトランクに手出しを出来ない。三階の客室全てに鍵が掛かっていたのは私と小町さんが確かめたとおりです」
「確かにそうですが…… それならば貴女自身とお燐さんはどうですか? 貴女たちはお茶の用意でしばらく席を外しましたよね?」
「私たちは応接室のドアを開け放ったままこの部屋を出ました。そして貴女方はドアに向かって座っていた。三階に行く為にはこの部屋の前をどうしても通らなければいけない」
「そうすると、貴女方がその間に三階に行ったのだとすれば私と小町の視界に入ったはず、と言いたいのですか?」
「ええ、私たちはそのタイミングで三階に上ってはいない」
「それでもお燐さんはその後三階に上っていますよね。その時にトランクをいじれたのでは無いですか? トランクの暗証番号も席を外している間にさとりさんから聞いたのだとすれば筋が通ります」
「ええ、トランクの暗証番号は知り得たでしょうね。でも三階の合い鍵は持っていないのよ」
その通りだ、というかトランクの暗証番号についてもあたいは聞いていなかったし、そもそも客室には入っていない。
「映姫さん、貴女は私とお燐が席を外している隙に三階に行きトランクの中から書類をとりだした。そしてトランクのある部屋を移動させておいた。それから後、トランクを探す為に騒ぎになったところで書類を処分した、違いますか?」
そう言ってさとり様は懐から焦げた薄っぺらい小さな欠片、端の方に直角がわずかに残っている紙の燃え残りを取り出した。さとり様はその欠片を突きつけてとどめを刺すように言い放った。
「犯人は貴女です、四季映姫」
対する映姫さんはここに来て、目に見えて狼狽えた。
「あの書類を燃やしたというのですか?」
「燃やしたのは貴女ですよ、映姫さん」
「まさか、私ではありません。小町なら知っているでしょう、私はさとりさん達が席を外している間に三階に行ってなどいません」
「あら? そうなのかしら、小町さん?」にやりと笑ってさとり様。
「あたいは…… そうですね、映姫様は途中で確かにいなくなりましたよ『お花を摘んできます』なんて言って」
「小町まで…… どうして?」
そう言って映姫さんは少し涙目になりかけた。なるほど可愛い、これがギャップ萌えというものか。
しかし、映姫さんはここで、はたと何かを考え始めた。腕を組んで、目をつむり、何かを思いついたかのように真剣に考える。
コッチコッチと時計の音だけが響き、秒針が何周かした頃に映姫さんは目を開いた。
そして、静まりかえった室内に響き渡る、芯のある声で言った。
「犯人は貴女方ですね、古明地さとり」
映姫さんはとても鋭い目でさとり様を見据えて、お空は狼狽えていた。かわいい。
「えっ、さとり様が犯人なんですか?」とお空。
「お空、冷蔵庫に焼きプリンがあったわよ」
「焼きプリン!」お空は走って行った。
さとり様は相変わらず余裕の微笑を浮かべたまま映姫さんに問いかけた。
「どうしてそう思うのですか? 私にはアリバイがあったでしょう?」
「そのアリバイが、信用できるなら、の話ですよ、さとりさん」
「説明して下さるかしら、貴女の推理を」
「まず、不可解なのは貴女がトランクの捜索の話を持ち出したことです。貴女ならトランクの所在などとうに知っていたはず、全員の心を読める貴女がトランクの所在を知らないなどと言うことはあり得ないのです。それならば、何故トランクの捜索を持ちかけたのか、書類を処分する為です、違いますか?」
「どうぞ、続けて」
さとり様は映姫さんの質問には答えずに先を促した。
「はじめから順を追っていきましょうか。まず、お空さんは確かに第二客室へとトランクを運んだのです。そして、確かに私と小町が三階に上るまでトランクは動かされなかった」
「それなら、どうしてトランクは第五客室にあったのかしら?」
「それは、ドアのプレートが入れ替えられたからです。この部屋のドアにも『応接室』と書かれたネームプレートが掛かっていますが、この部屋は普段は違うことに使われている、そうですね」
映姫さんにはカーペットについている執務用の机の跡がバレていたらしい。
「そうですね、確かにこの部屋は普段、執務室として使用しています。ここに応接の必要な客人など滅多に来ませんからね」
「全く、推理小説などで使い古されたトリックですが、こんなところでお目に掛かることになるとは。そして、それが出来たのはお燐さん、貴女しかいません」
ついにあたいの名前が呼ばれた。
「ばれちゃいましたか」
「ええ、貴女は席を外している間にさとりさんと打ち合わせて、三階に鍵を持たずに上った。そして、ネームプレートだけを入れ替えて戻ってきた。そうですね?」
「あはは、済みません。その通りです」
思いの外、あっさりとバレてしまった。コーヒーを淹れに行ったとき、さとり様は「私の言うことは大体正しいのよ」と言ってから、悪戯っぽい顔をして言ったのだ。「書類の公開を防ぐついでにちょっと悪戯でもしてみない?」と。そしてあたいは言われたとおりにネームプレートを入れ替えた。あたいも地底や地上が大変な事になるのは防ぎたかったし、ちょっと何の意味があるのかわからないような行動でもさとり様のやることなら間違いは無いだろうと思ったのだ。
「そして、私たちがトランクがないと言いに来たときに三階に自分で向かったのは第五客室にあるトランクから書類を持ち出し、処分する為ですね」
「ええ、ご名答。なかなか面白かったわ。たまには徹底的に悪戯をしてみるのもいいものね」
「悪戯……ですか。しかし、一つだけ分からない事があります。何故さとりさんが小町を連れて行き、そして小町は何故さとりさんの計画に荷担したのですか? 貴女の証言は偽物でしょう?」
「それは、小町さん。貴女が説明してあげて下さいな」
映姫さんは疲れたような顔をして小町さんの方を見た。
「小町、貴女はどうして書類を処分させたのですか? それを私が許さないことなど知っているでしょう?」
「そうするしかないんですよ」
小町さんは思いの外、はっきりと続けた。
「幻想郷に無闇に争いを起こすのは良くないとあたいは思うんです。だって、地底の妖怪達だって騙されたみたいですけど、今は楽しくやっているじゃないですか。ここに来る途中で見ましたよね、鬼達が楽しそうにしているのを。色んなしがらみや縄張り争いのあった時代よりもきっと、今の方がみんな活き活きとしているんじゃないかなあってあたいは思うんです」
「しかし小町、地上の妖怪達、例のペテンについて知っているのはごく少数だとしても、その者達が何食わぬ顔で地底の妖怪と、かつて騙した者達と付き合っていくのは歪んでいるのです。歪みは除かなければなりません。そうは言っても私とて争いを起こしたいわけではありません。だからこそ地霊殿のさとりさんに相談に来たのでしょう?」
「そのさとりさんが、鬼達は絶対に納得しない。酷い争いが起こるだろうって言いました」
「そうですか…… しかし、それでもやはり歪みは取り除かなければいけません。小町、貴女のやったことは間違えています」
「映姫様、まだわかりませんか?」
「なにがですか、小町?」
「本当は鬼がどう怒ろうが争いが起ころうがあたいにとってはどうでもいいんですよ」
「どういう意味ですか?」
「映姫様、あたいは貴女のことが心配なんですよ。映姫様がそんな秘密を地上から持ち出したとしれたら、どんな報復があるか解ったものではないですよ。あたいは嫌ですよ、そんなの」
「小町……」
流石の閻魔様も、真っ直ぐに心配されたのでは返答に困るのだろうか。
「すみません、小町。仮に証拠の書類がないとしても、地底の妖怪達に私は知らせなければなりません」
小町さんが口を開こうとするのを遮ってさとり様が言った。
「映姫さん、きっと証拠の書類がなければ貴女の言葉は信じて貰えませんよ。だってあまりに突飛なんですもの。それに貴女はやっぱり地上の妖怪に消されることになる。書類が無くなった今、貴女に出来ることはありません。何も出来ないのです」
「しかし、出来ないのだとしても……」
「出来ないのならば、動かないことは罪ではないのでは? そんなことより、出来ないことをやろうとして、大事な部下に心配をかける方がよっぽど悪いと私は思いますよ」
しばらくの沈黙。
「そう……ですね。確かに私に出来ることはないようです」
そう言って映姫さんは俯いた。
小町さんはホッとしたような顔をして、さとり様は余裕の微笑を浮かべていた。
「さて、貴女方の地底来訪は、そうですね、地上と地底との交流が活発になるに当たって、閻魔様が地底の情勢を視察に来た。つまり、そういうことでいいですね?」
その後は、その言葉通りに閻魔様とさとり様の間で情報交換が行われた。さとり様の言った建前はつまり、嘘ではない、そういうことである。
―――――――――
翌日、映姫さんと小町さんの二人はなんだかんだ仲睦まじく帰っていった。
さて、二人を見送ったので、あたいは気になっていたことをさとり様に尋ねることにした。
「さとり様、あそこまで手の込んだ悪戯をする必要はなかったんじゃないですか?」
「あら、私は覚り妖怪よ。他人をからかうのはそうね、貴女にとっての屍体運びみたいなものよ」
「なるほど……」
あたいは立ち去る振りをして、最後にもう一つだけ、聞いて見ることにした。
「さとり様、一つ、よろしいでしょうか?」
「いいけど、某特命係の物まねは止めなさい」
「例の書類、本当に燃やしたんですか?」
「貴女はなかなか鋭いわね。そうね、切れるカードは多いに越したことはないわ」
そう言ってさとり様は妖しく笑って見せた。見た目は少女なのにこういう時だけ妙に色っぽいと思うのはあたいだけだろうか。
「お燐、こういう時だけとはどういうことかしら?」
「なんでもないですよ」
あたいは脱兎のごとく逃げ出した、猫だけど。
お空可愛い。
最初から推理に行くのではなく、さとりのミス推理(誘導?)から始められたのがニクイ演出でした。単純なトリックでここまで読者を引き込めるに感嘆しております。
やはり、さとりとミステリーの親和性は高いですね。
面白かったです。
さとりはSなのがジャスティス!w