人には、思い出したくない記憶と云うものがある。
例えば、幼少期に親から虐待を受けていただとか、恋人にひどい振られ方をしただとか。
ほとんどの場合、思い出したくない記憶と云うものは、自らを傷つけた、そんな事象の記憶である。
で、人と云うものは良く出来ているもので、思い出したくない記憶を、その心の奥深くに隠すことができるのだそうだ。
だから、たとえ、そんな記憶を抱きかかえている者でも、滅多にそれを思い出すことはない。
いつしか、思い出したくない記憶から、思い出せない記憶へと様変わりするわけだ。
昔の偉い人は、そのことを防衛機制と呼び始めた。いや、正確に言えば、防衛機制の一部と謂うべきだろうか。
自らを守るために、人は無意識で防衛反応を取ってしまう。それの総称が、防衛機制。
何かに熱中してそのことを忘れてしまおうとしたり、まるで子供のころに戻ったかのような振る舞いを取ったり。
辿る道のりはそれぞれだけど、思い出したくない記憶を封印してしまう。その目的は一緒だった。
そして、私はもうすぐ成人になると云う通過儀礼を目の前に控えているのだが、そんな記憶は全く無かった。
生まれてからずっと親の愛情を一途に受け、学校に通うようになってからは友人に恵まれ。
抑々、自己を傷つけるような、そんな出来事が今までになかったのだ。
波のない平凡な人生と言ってしまえば、聞こえが悪い。だけどまとめてしまうならそんな人生である。
だけど、私はそんな自分の生活が大好きだった。
しかし、何時ごろからだろうか。私はとある夢を見るようになった。
その夢は別に一種類ではない。だけど、全てにある共通点があったのだ。だから、とある夢と総称することにする。
ある時は、私が幼少期の頃。大きな部屋で、私はたくさんの動物に囲まれていた。部屋には見覚えはなかったが、少し懐かしい感じがした。
その動物たちはとても人懐っこくて、自ら私の方へと近寄ってきていた。私はそんな動物たちと遊んでいたのだ。
暫くすると、その部屋に、今の私より少し幼いくらいの少女が部屋に入ってきた。
その少女は動物を掻き分けて、私の傍までやって来た。
そして、
「もうすぐおゆはんだよー」
と少し間延びした声で呟き、私の手を引く。
確か、この夢はそこで終わった。
また、ある時は、私が学校に通っていた頃。多分、下校時刻なのだろう。
今でもよく会う友人たちと談笑しながら、私たちは帰路を歩いていた。
彼女たちの家は里の中にあるので、暫くすると私たちは別れる。そして、一人、私は郊外にある自宅へと歩みを進めていた。
ある程度道を進むと、先ほどの少女が私の目の前に突然現れる。
「今日は遅かったねー、すっかり待ちくたびれたよー。じゃあ、帰ろっか」
と私に言って、そして、私の手を引く。
この夢は、ここで終わる。
夢の共通点、それは例の少女が登場することと、手を引かれたところで終わると云うこと。
そして、少女の顔を私はよく覚えていないと云うことだった。
この夢を、他愛のない夢と言いきってしまうこともできた。
夢なんて所詮、継ぎ接ぎだらけで曖昧なものだ。一見、私の普段の生活の中に、突然物語の登場人物が現れたりもする。
初め、この少女は、私が今までに読んだ物語の登場人物だと思った。
服装は思い出せる。髪の色も。だけど、顔だけがどうしても思い出せない。
私は物語を読むとき、場景を頭に思い浮かべるのが好きだった。文章が紡ぐ世界観。そこに現れる登場人物たち。
それらが混ざり合った世界を、私はいつも詳細にまで思い描いていた。
だけど、物語の内容次第では、細かいところまで描写されていないこともある。
たとえば、登場人物の容姿などは事細かに描いていたとしても、その顔までは曖昧にしか描いていない。そんな作品もある。
読者の想像の世界をより楽しませるために、わざとそんな表現をしているのだ。
想像力豊かな人たちならば、成る程、確かにそれを楽しめるのだろう。だけど、生憎私にはそれができなかった。
言葉に紡がれているものを想像するのは容易いことだ。だけど、一から想像して形を作り上げると云うことがどうも私には苦手だった。
それ故だろうか。私はあまり、図画工作の授業は得意ではなかった。
で、私が考えたのは、その少女が、そんな表現をされた物語の登場人物であると云う説だ。説も何も、私はこのことを他言したことは今までになかったのだけど。
もしそうだとするのならば、私が少女の顔を思い出せないのも納得ができた。思い出せないのではない、抑々その少女の顔を、私が作り上げていないのだから。
そして、少女が物語の登場人物であると結論付けると、新たな疑問が私の中に浮上してきた。
何故、この少女が態々夢の中で想起されるのだろうか。
少女が、私の夢に現れたと云うのは少し滑稽な話だった。
細部まで思い描いた人物を忘れることは早々ない。だけど、中途半端にしか描けなかった人物を、私はあまり良く思い出せないからだ。
色々と考えた結果、今度もある推測が思い浮かんだ。
私は何かこの少女に特別な思いを抱いていたのではないかと云うことだ。
同情だとか、共感だとか。あるいは恋情だとか。
最後の言葉が思い浮かんだ時、私は思い切りかぶりを振ったのを覚えている。
さすがにそれはない、と。
それにしても、私が少女に何か思いを抱いていたのは事実なのかもしれない。
別にどうだって良い話なのだが、そのままにしておくのは何だかもどかしい。それに、幸い時間だけはあった。
だから、私は家にあった物語をひたすらに読み耽ることにした。
一日に一冊。あるいは二冊。読書は好きだったけど、私は読むのが遅かった。難儀しながらも、私は物語を読んだ。
だけど、その少女が描かれている作品を見つけることはできなかった。
しかし、ある時。私は少女の姿が描かれている本を見つけることができた。
だけど、それは物語ではなかった。正確に言えば、本でもなかった。
私が少女の姿を見つけたのは、私がかつて幼少の頃に付けていた絵日記の中でのことだったのだ。
絵日記の中。つまり、私の見ていた夢は、現実、つまり私が見てきたことなのだろうか。
もちろん、幼少期の頃の私が虚言癖持ちで、絵日記の中にあることないことを描いていたと云う可能性も否定はできない。
だけど、そのことに気付いた途端、私は自身の心がどこか、靄がかっているような錯覚を覚えたのである。
思い出せない記憶、そんなものは私にとって無縁極まりないものだとばかり思い込んでいた。しかし、そんなことはなかったのだ。
私は何故少女のことを思い出せないのか。一度気になり始めると、私の中の世界は、それを中心にして回り始めた。
先ほども言った通り、思い出したくない記憶と云うものは、自らの事象を綴ったものなのかもしれない。
それでも、私は真実を暴きたい、そんな思いでいっぱいだった。
とは言え、簡単に真実を暴くなんてことはできなかった。手がかりは私の記憶と、この絵日記だけ。
記憶は曖昧なものかもしれないし、絵日記も幼少の頃に書いたものであるから読みづらく、また非常に難解なものだった。
きょおはかいものいった。
少女が描かれているページに書かれていた文章である。
かろうじて読み取れる文字は、それだけしかなかった。それ以外の文字は、抑々、文字の体を為していなかったのである。
黒く塗りつぶされた円。色々なひらがなが合わさった文字。漢字を書こうとしたのか、ただの線の交錯にしかなっていない文字。
他のページも少女の姿を確認することはできたが、どれもこれもひどい文章でとても読めるものではなかった。
また、絵も以ての外の惨状で、基調を乱した配色により、かろうじて私とその少女の姿は判明できたが、それ以外は何を書いているかすら理解できなかった。
恥を忍んで、私は友人たちや、かつての教師にこの絵日記を見せたりもした。
だけど、笑われただけで、碌な手がかりを得ることができなかった。
他にも一応手あたり次第に情報を探してはみた。
片っ端から知り合いに声をかけてみた。貸本屋を覗いてみた。歴史書を扱っていると云うお屋敷も訪ねてみようとした。
流石に最後は気が引けたため実行には移せていないのだが。
そんな私の姿を見かねたのか、ある日、その教師が私に声をかけてくれた。
「最近何やら忙しないがどうしたんだ?」
「いえ、特に大したことではないんですが……。少し気になることがあって、それを調べているのです」
教師は私の言葉を聞くと首を傾げた。銀髪の髪が揺れる。
しかし、すぐに合点がいったらしく、
「ああ、あの絵日記の少女のことか?」
と笑いながら私に返した。この前のこともあり、私は恥で言葉に詰まった。顔が少し火照るのを感じた。
結局、私は答えとして頷きだけを返した。
「確か、少女のことを思い出せないのだったか。前にも告げたが、生憎と私にもその少女に関しては何も知らない。ただ、心当たりがないわけでもないぞ」
「え、本当ですか?」
私は瞬間的に、彼女の言葉に喰いついた。
「ああ。ただ、あまりにも絵空事的だからな。あくまでもこういう話もある、と云うくらいに聞いてほしい」
それから教師はある話を述べた。
「座敷童と云うものを知っているか?」
座敷童と云うものに関しては、私も詳しくは知らないが耳にした覚えはあった。
家に住みついて、そこの住人に幸福を与える。私が知り得ているのはそれくらいの情報だった。
教師が述べた事実は、座敷童は子供にしか見えないと云うことだった。つまり、大人になってしまうと見えなくなってしまう。
その大人と云うものの境界線は良く分からない。しかし、間違いなく成人を間に控えている私は、もうすぐ完全に子供ではなくなってしまうのだろう。
教師に謝辞を述べると、彼女は首を振った。あくまでも信憑性に乏しい話だからそうだ。
しかし、藁にも縋りたい気持ちだった私にとっては、十分すぎる情報であった。再度、私は教師に謝辞を述べた。
東奔西走せずとも、自宅にいれば少女に会えるのかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、私はひたすら自宅に籠るようになった。
しかし、結局のところ、私が何もできやしないと云うことに関しては何も変わらなかった。
あれから幾日か過ぎた。私の誕生日も、もう目の前と云うところにまで迫ってきている。
少女のことなんて別にどうでも良い。どうだって良い。日に日に募る焦燥感に対し、私はそう言い訳をした。
真実を言っているつもりだったが、それが嘘であると云うことには、薄々自分でも気づいていた。
実際、私はあれ以来、自宅に籠りきりだったのだ。
その日も、結局何の成果も挙げられず、私は床に着いた。
どうしてだろう。目を閉じると、思考回路は活発になる。
抑々、私はなぜこれほどにまで少女のことを求めているのか。何故、私がここまで突き動かされているのか。
それは、自分にも分からないことだった。
成人してしまえば、少女には二度と会えなくなってしまう。確かに、それは理由の一つではある。
だけど、それを知ったのは、私が少女を探し求めている間の出来事であった。
謎がはっきりしないことに対するもどかしさ。それも理由の一つだろう。
だけど、もっと他に理由があるのではないかと思えるのだ。まだ、自分でも気付いていない理由。
もしかすると、それは本能的なものなのかもしれない。たとえば、あの時否定した恋情だとか。
それならば中々に滑稽な戯曲にも成り得る。そんなことを考えながら、私は一人苦笑した。
そして、私はまた、例の夢を見た。
内容はどんなものだったか。残念だが、私はまったく覚えていなかった。
しかし、目覚める直前の出来事だけは、覚醒した私の脳裏に強くこびりついていた。
何もない、強いて言えば小石が多く転がっている大地。そこに、私とあの少女が二人、何も言わずに佇んでいた。
「ごめんね」
不意に、少女がそう呟いた。
それが一体何に対して呟かれたのかは分からない。だけど、少女は確かに私に対し、そう呟いた。
そして、再び静寂が私たちを包み込んだ。何も言えない私は、ただ呆然と立ち尽くしていただけだった。
暫くすると、少女は私の目の前から立ち去った。
それを見た私の身体は、気が付けば勝手に動き出していた。
そして、私は少女の影を追いかけた。走って。走って、追いかけた。
しかし、少女の足の方がずっと速かった。私は友達の中でもずっと速かった。その私よりもずっと……。
次第に、私は、西陽で伸びた少女の影すら捉えられなくなっていた。
どれだけ必死に追いかけても、私は少女に追いつけない。だんだんとその姿は小さくなっていく。
大きくなった太陽と少女が完全に重なってしまった時、私は遂に少女を見失ってしまった。
気が付けば、私は一人、取り残されていた。
「待ってよ、お姉ちゃん!」
私は、自分の叫び声で目が覚めた。
夢と現との境界を彷徨っていた私は、暫く虚空に視線を遊ばせていた。揺らいだ天井が、網膜には映った。
少しの間、私は布団の上で呆けていた。一粒の涙が、私の頬を伝って、枕を濡らした。
それを見た私は、ようやく我に返ることができた。まだ虚ろだった目を右腕の袖で擦り、頬を両手でぺちぺちと叩いた。
どうして、私は泣いているの?
そんな疑問を脳裏に浮かべた。
瞬間、脳裏にこびりついていた靄。その靄が、次第に晴れていっていくような感覚を覚えた。
塵によって堰き止められていた川の水が、ある日の大雨によって一気に流れを取り戻すかのような。
疑問の答えは、案外すぐに見つかった。私の心の奥深くに、それはあったからだ。
そんなカタルシスを私が覚えたのは、成人してしまう誕生日の、一日前の出来事だった。
布団から飛び起き、そのまま玄関へ。そこで私は草履を選び、それを履いた。そして、私は外へと飛び出した。
向かう先はどこだろう。それは、自分でも分からなかった。ただ、私は自分の思うがままに走った。
息が切れる。額には汗が滲む。上手く走れない所為か、何度も足が縺れた。
それでも、私は走った。
そして、私は不意に足を止めた。そこは見覚えのない……、いや、見覚えはある。さっきの夢の中で。
里から随分と離れた、周りに何もない大地。そこには沢山の小石が転がっていて、どうしてだろう、私にはすごく懐かしいものに思えた。
涙がもう一粒。私の顔を伝って落ちる。その零れ落ちた音が耳に飛び込んできそうな、そんな静寂に私は包まれた。
どうして私は、あんなに大切なことを忘れていたのだろう。
風は止んでいる。空は、青く澄み切っている。周りを見渡してみても、私以外の他の姿を確認することはできなかった。
これだけ広いところに私が一人。全く音が聞こえていなかったのは、私の耳が狂ってしまったからではないだろう。
ザッ……ザッ……
静寂を破ったのは、何者かが小石だらけの道の上を歩く、そんな音だった。
私は音のした方向を確かめる。そこには当然、誰も居ない。それなのに、音は響く。
耳を澄ますと、今度は誰かの鼻歌が、私の鼓膜を揺すぶった。
何処かで聞いたことのある、懐かしい歌。だけど、私は今の今まで、その歌自体を忘れてしまっていたのだろう。
そして、今度は小石が蹴り飛ばされた。誰も居ないはずなのに、小石が次々に大地を転がっていく。
姿は見えない。だけど、小石の軌道から、何者かがそこにいることは分かる。
一か八か。まだ私には触れることができるだろうか?
私は、その誰かがいるはずのところへ向けて、ゆっくりと手を伸ばした。
柔らかな布に触れた感触が、私の手から伝わった。見てみると、私の手は、黄色い袖を掴んでいた。
「待ってよ、お姉ちゃん……」
あの時、少女に聞こえなかっただろう言葉を、もう一度私は叫んだ。
だけど、不意の邂逅に緊張しているのか、私の声は尻すぼみになってしまった。
私は顔を、徐々に上に向けていった。
そこには、あれ程追い求めていた、少女の姿があった。
「あー……。見つかっちゃったかー」
私の耳に届いたその言葉は、私に目の前に広がるのは夢想ではないと、しっかり教えてくれた。
私は、少女の手を繋ぎ、自宅へと戻った。座敷童はやはり家にいるべきだ。そんな冗談も意図にはあった。
少女はそれに逆らわず、ただただ従順だった。私が時々振り返ると、少女は微笑みを返してくれた。
自宅へと辿り着くと、少女は少しの間、私の部屋を探索した。暫くすると、それに飽きたのだろうか、私が用意した座布団の上にちょこんと座った。
私も少女と対面するような形で、床に腰を下ろした。
そして、暫く静寂が私たちを包んだ。それを引き裂いたのは、少女の方だった。
「……どうして、私を見つけられたの?」
「それは、まあ……、ずっと探していましたし」
「そっかー。やっぱり想い人には見つかっちゃうんだねー」
少女の口から零れ出た〝想い人”と云う言葉に私はつい赤面してしまった。そんな私を見て、少女はからからと笑った。
「んー、でも、私が見つかったってことは、あなたは全部思い出しちゃったってことで良いのかな?」
「はい。そうだと思いますけど……」
私が付けていた絵日記。あれが記していたのは、まさしく現実のことだった。
だけど、どうしてだろうか。私はそのことをすっかり忘れてしまっていた。むしろ、忘れていたことすら忘れてしまっていた。
しかし、今の私は全てを思い出していた。少女のことも。絵日記が描いていた世界のことも。そして、私がそれらを忘れていたと云うことも。
あの夢が。私が今日見た夢が、全部思い出させてくれた。
「ですが、思い出したのは今日です。微かながらにあなたのことを思い出してはいたのですが、はっきりと思い出したのは、今日です」
「そっか。じゃあ、どうやら上手くいったみたい、なんだね」
上手くいった? その言葉の意味を私は捉えることができなかった。
だけど、少女は何処か納得した風で、一人でうんうんと頷いていた。
「あの、上手くいったと云うのは?」
「あー、こっちの話だよ。気にしないでくれないで全然おっけーだよー」
そう言うと、少女は一つ、大きく息を吸った。
「今日、私はあなたにお別れを言いに来たの」
「お別れ?」
私がそう問うと、少女はゆっくりと頷いた。
「じゃあ、今からあなたの本当のことについて、説明するね」
私が質問を挟もうとすると、少女は少し寂しそうな表情を見せた。
結局私は何も言い出せないまま、少女は言葉を紡ぎ始めた。
◇
あなたを見つけたのは何時だったかなぁ。よく覚えてはいないけど、まだあなたが赤ちゃんの頃だったと思う。
あの頃の私は少し思うことがあってさ、家を飛び出してばっかりだったんだよね。その日も、適当にふらふらと地上の世界を散歩していたの。
夏だったのかなぁ。とにかくすごく暑い日だったってのは覚えてるの。だからさ、私は少しでも涼しいところに行こうと、森の中を突き進んでいたんだよね。
だけど、その森はとてもじめじめして暑かったの。後で調べたんだけど、そこは瘴気や湿気が凄くて、普段は誰も入らないような場所だったの。
すごく後悔したなー。でも、その時、私がその森に入ったからこそ、今のあなたはいるんだよ? 偶然って怖いよねー。
え? 全然話が読めないって? まあ、私も良く分かってないから、気にしないで良いと思うよ。
で、その森は誰も居ないはずじゃん。
あー、確かに詳細を知ったのは帰ってからだけど、流石にあんなに暑い所に人がいるとは思えなかったの。
それなのにさ、何処からか泣き声が聞こえてきたんだよね。
それが不思議だった私は、何となくその泣き声の聞こえてくる所に行ってみたの。まあ、誰だって行きたくなると思うよ。怖いもの見たさってやつだね。
そして、私はそこで木の影に転がっているあなたを見つけたの。ギャーギャー泣いていて煩かったなあ。
ん? いや、あなたは捨てられてたんじゃないと思うよ。
人食い妖怪の噺くらいあなたも知ってるでしょ? 多分、あなたの親はそれに襲われたんだと思う。
これに関しては私も現場を見たわけじゃないから良く分からないんだよね。
私の推測だけど、あなたの親は何らかの理由で里から出なければいけない用事があったんだろうね。
もちろん、赤ちゃんだったからあなたも連れてっていたんだろうね。誰かに預けるとかしても良いと思うけど、多分慢心があったんじゃないかなぁ。
これまで大丈夫だったんだ。だから、今日も大丈夫だろうって。帰納的に導いた、根拠のない自信。難しい言葉を使うとそう言えるね。
あと、赤ちゃんだったあなたを一時も手放したくなかったんだと思う。だって、あなた可愛かったもん。……冗談じゃないよ?
で、そんな慢心を抱きかかえたあなたの親は、運悪くその妖怪に出くわしちゃったの。
最初の方は必死に逃げたんじゃないかなぁ。でも、きっとすぐにそれが駄目だと気付いただろうね。
色々と考えたあなたの親は、あなたの生存、それを第一に考えた。
片方の親が囮になっている隙に、もう片方の親ができるだけ遠くにあなたを連れて行った。
だけど、囮の親は食べられたか殺されたか、残酷だけどそうなっちゃって、残った親は近くの隠れられるところにあなたを置くことに決めた。
だから、滅多に人が近づかないあの場所を選んだんじゃないかな。
じゃあ、残った親の方はどうしたのかって?
んー、あなたをより安全にするために囮になっただとか、里まで帰って助けを求めただとか。色々考えられるよ。
そして、偶然通りかかった私があなたを見つけたわけ。
別にそのままにしておいても良かったんだけどさ、多分、このまま放っておいたらあなたは死んでしまう。私はそう思ったの。
だから、私は泣きわめくあなたを抱えて家に戻ったの。まあ、普通の妖怪や人間だったら見つかっちゃうだろうけど、あなたも思い出したでしょ?
私だからこんなことができたんだろうね。
で、私の家、地霊殿にあなたを連れて戻ったの。地霊殿には私とお姉ちゃんが住んでるけど、その他にもペットがいっぱいいる。
だから、あなたを連れて帰っても大丈夫って変な自信があったんだよね。私。
あなたが見つかった時、当然お姉ちゃんは驚いていた。でも、私があなたのことを飼うって言い張ったら最終的には根負けしてくれたの。
ごめんね? 良い言葉が思いつかったの。まあ、お姉ちゃんにもそこは窘められたけどね。
それから私はあなたを必死に育てた。まあ、退屈続きの毎日だったし案外楽しかったかなぁ。これは今だから言えることなのかもしれないけどね。
あなたが既に乳離れしてたのは助かったよ。ありがとね。感謝されても釈然としない? それもそうか。
まあ、あなたが乳離れしていたおかげで、食事の心配はあまりなかったかな。私たちは妖怪だけど、食べ物自体は人間と変わらないからね。
多少料理の量が増えたところであまり影響はなかったし、食卓が少し賑やかになったからむしろ良かったとまで思うよ。
とりあえず育児については書庫でいろいろと調べたね。お姉ちゃんがあなたの求めてるものがすぐ分かるからちょっと楽だったかな。
でも結構苦労したよ? 夜泣きされた時なんてどうすれば泣き止むかわからなかったし、私までもらい泣きしそうだったもん。
だけどさ、あなたはペットに囲まれた途端泣き止む癖があったの。私が何をしても泣き止まなかったくせに、お燐たちが来た途端泣き止むんだもん。正直、ちょっと妬けたよ。
そんな日を何度か繰り返し、気が付けばあなたは歩けるようになってたし、言葉も話せるようになってた。
だけど、地底の世界は妖怪が多いからさ。不用意にあなたを外に出すわけにはいかなかったんだよね。
やんちゃな年ごろになって来たのに、家に引き籠らせてばかりでさ。多分、あなたも相当フラストレーションが溜まってたんだろうね。
何か気に入らないことがあるとすぐに爆発したの。物理的にじゃなくて、感情がだよ?
そんな状況に手を焼いていた私に、お姉ちゃんがこう言ったの。
「学校に行かせてみたら」って。
それを名案だと思った私はすぐにあなたを学校に連れて行ったの。
で、手続きとかぱーってやっちゃって、とんとん拍子にあなたは児童になったの。
まあ、妖怪に育てられた子供って、周りに知られると中々面倒でしょ? だから、私はちょっと細工したの。みんなの記憶をちょいちょい弄ったのね。
その時からかな。あなたの記憶も少しずつ弄ってくようにしたかな。周りの子供との会話で自分に違和感を抱かないようにね。ちょっと面倒だったなぁ。
学校に通ううちあなたはすっかり落ち着いた。行きと帰りは私が送っていったよ。誰にも気付かれないようにね。
そう言えば、いつからか、あなたは私のことをお姉ちゃんって呼ぶようになったの。
本当はどちらかと言えば親なんだけど、まあ、私の見た目の所為かもね。
そして、だんだんとあなたは大きくなっていった。身体的にも、精神的にも。
だからさ、そろそろ解放してあげないとって私も考えたの。
いつまでも人間が妖怪に育てられるわけにはいかない。普通の人間の親でさえ、いつかは子供を外に出すもん。そう考えると、当たり前でしょ?
お姉ちゃんと色々と話し合って、とりあえずあなたが十八歳になったら解放してあげることになった。
その齢になったら、さすがにもう生きていけるもんね。寂しかったけど、そう決めたの。
で、来るべき十八歳になるあなたの誕生日。地霊殿で最後に盛大なパーティを開いて、私はあなたを地上へ連れ出した。
前々から里に空き家があるのは知ってたから、皆の記憶を細工して、あなたが以前からそこで一人暮らししていたと云うことにしたの。
そして、最後にあなたの記憶も細工した。今まで私たちと暮らしてきた記憶を全部封印して、普通の家庭に普通に育てられた、そんな記憶を植え付けたの。
なんでそんなことをしたのかって? 私なりにいろいろ考えた結果故にだよ。
妖怪に育てられた。そんな事実がもし洩れたら、あなたは暮らし辛くなる。私の所為であなたから平凡を奪ってしまう。それが怖かったの。
うん。あなたのためって言ってるけど、ひょっとしたら私のためなのかもね。責任から逃げたの。うん、いつだって私はそうだ。
でも、私はこの選択に後悔はしてないよ。実際、あなたは今日びまで何の障害もなく暮らしていけたでしょ?
本当はその時にお別れを言うつもりだった。だけど、私はそれを言うのが怖かったのかな。結局何も言えなかったの。
あなたはこれからここで暮らしていくんだよ。そう言った後、あなたの返事も聞かずに、私はあなたの記憶を弄ったの。
だけどさ、今にして思えばこれが間違いだったんだろうね。私の術が曖昧だった所為で、あなたは私の姿を追うようになっていた。
だから、私も覚悟を決めたの。あなたが成人する前に私を見つけられたら、全てを話そうって。そして、さよならを言おうって。
◇
私は、少女の言葉を聞いてもいまいち納得できない点が多かった。確かに、私は少女たちと暮らしていた。
少女の云う通りのことをやってきた。だけど……。
「何も、記憶を弄らなくたって良かったんじゃないんですか?」
勝手に記憶を弄られたことに対する感情だろうか。それとも……。
無意識に出た私の言葉は鋭かった。
「ごめんね。でも、そうするしかなかったの」
「もしかしたら、大丈夫だったかもしれないじゃないですか!?」
「……曖昧って云うのはね、一番怖いことなんだよ」
少女は少し間を取って、そして、続けた。
「私も昔、そんな極端な選択を迫られたことがあったんだよ。そこで私はきっぱり答えを決められなかった。だから、私は酷い目に遭った」
「でも……」
「親心ってやつなのかな? 良く分からないけど、あなたにはできるだけ苦労させたくなかったの。勝手な言い分だけど、分かってくれる?」
私はその少女の言葉に口を噤んでしまった。
「で、私は今日、あなたに会いに来た。さよならを言うためにだよ」
「さよならって? どうしてですか? 折角全部思い出せたのに……」
「うーん、さっきも言った通り、あなたには私たちと暮らしたと云う過去を背負って生きてほしくないんだよね。あと、今日があなたの最後の未成年の日って云うのも理由になるかな」
「どういうことですか?」
「私はね、イマジナリーフレンドなの」
イマジナリーフレンド。その言葉に聞き覚えはない。私は首を傾げた。
すると、すると、少女が口を開いた。
「イマジナリーフレンドって云うのはね、まあそのまま訳したら想像上の友達。たとえば、一人ぼっちの子が孤独から逃げるために、妄想の中で友達を作ったら、それがそうだよ」
「でも、あなたはここにいるじゃないですか?」
「分からないの? あなたは、私の姿がさっきまで見えなかったでしょ?」
その言葉に私は口を紡いだ。
「確かに私は実在しているよ。でも、私はちょっとした病気を患っていてね。子供しか私のことを認識できないの」
少女の言葉に、私はようやくあることに気付いた。
「……そう。だから、あなたが私を見つけられるのも今日が最後。多分、明日になれば、あなたは私のことを忘れてしまう」
忘れないかもしれない。そう言い返そうとしたけど、私の喉は言葉を発せなかった。
どうしてだろう。少女の言葉には絶対的な説得力があったからだ。
「でさ、その兆候として……。あなたは私の名前を言える?」
「もちろん! えっと……」
「ほらね」
どうしてだろう。あれ程、口にした名前なのに。
私はどうしても、少女の名前を思い出すことができなかった。
「だからさ、さよならを言いに来たの。明日になれば、あなたは私のことを全部忘れてしまう。そうなるくらいだったら、せめて後腐れなくしたかったからね」
「私は、あなたのことを、絶対に忘れません!」
「んー、それを明日聞けたら納得できるんだけどなぁ。でも、無理な話だよ」
私はぽろぽろと涙を零していた。それが含む感情は何だろう。
悲しさ? 寂しさ? 虚しさ? 怒り? 絶望?
分からなかった。
「受け売りなんだけどさ、あなたにこの言葉を贈るよ。人は、忘れるから生きていけるの。辛いこと、悲しいこと。そんなの抱きかかえながらじゃ生きていけないからね」
少女は、自らのことを辛い存在と言っているのだろうか。悲しい存在と言っているのだろうか。
目の前が揺らぎ、粒はとめどなく溢れてくる。そんな状況故に、私にはもう何もわからなかった。
私は袖で目を拭った。少女の顔が見えた。寂しそうな笑みを浮かべているように見えた。
「バイバイ」
瞬間、私の意識は暗闇へと落ちていった。
◆
「久しいな。どうだ、例の少女は見つかったか?」
街を歩いていると、かつての教師が私に声をかけた。
「はい。見つかりました」
「おお、それは良かった」
教師は感嘆を口から漏らし、笑みを浮かべた。
私もそれにつられ笑みを返した。
結局、私は少女のことについては何も思い出せず仕舞いだった。
だけど、どうしてだろうか。少女は見つかって、私はそのことに満足していた。そんな記憶もないのに。
人は思い出せない記憶がある。
ほとんどの場合、思い出したくない記憶と云うものは、自らを傷つけた、そんな事象の記憶である。
だけど、思い出せない記憶とは何なのだろうか。
あまりにも些細なこと。どうでも良いこと。そんなことを覚えている記憶なのだろうか。
ああ、そう言えば。脳裏にある言葉が思い浮かぶ。誰から聞いたのだろう。思い出せなかった。
「人は忘れるから生きていけるの。辛いこと、悲しいこと。そんなの抱えながらじゃ生きていけないからね」
例えば、幼少期に親から虐待を受けていただとか、恋人にひどい振られ方をしただとか。
ほとんどの場合、思い出したくない記憶と云うものは、自らを傷つけた、そんな事象の記憶である。
で、人と云うものは良く出来ているもので、思い出したくない記憶を、その心の奥深くに隠すことができるのだそうだ。
だから、たとえ、そんな記憶を抱きかかえている者でも、滅多にそれを思い出すことはない。
いつしか、思い出したくない記憶から、思い出せない記憶へと様変わりするわけだ。
昔の偉い人は、そのことを防衛機制と呼び始めた。いや、正確に言えば、防衛機制の一部と謂うべきだろうか。
自らを守るために、人は無意識で防衛反応を取ってしまう。それの総称が、防衛機制。
何かに熱中してそのことを忘れてしまおうとしたり、まるで子供のころに戻ったかのような振る舞いを取ったり。
辿る道のりはそれぞれだけど、思い出したくない記憶を封印してしまう。その目的は一緒だった。
そして、私はもうすぐ成人になると云う通過儀礼を目の前に控えているのだが、そんな記憶は全く無かった。
生まれてからずっと親の愛情を一途に受け、学校に通うようになってからは友人に恵まれ。
抑々、自己を傷つけるような、そんな出来事が今までになかったのだ。
波のない平凡な人生と言ってしまえば、聞こえが悪い。だけどまとめてしまうならそんな人生である。
だけど、私はそんな自分の生活が大好きだった。
しかし、何時ごろからだろうか。私はとある夢を見るようになった。
その夢は別に一種類ではない。だけど、全てにある共通点があったのだ。だから、とある夢と総称することにする。
ある時は、私が幼少期の頃。大きな部屋で、私はたくさんの動物に囲まれていた。部屋には見覚えはなかったが、少し懐かしい感じがした。
その動物たちはとても人懐っこくて、自ら私の方へと近寄ってきていた。私はそんな動物たちと遊んでいたのだ。
暫くすると、その部屋に、今の私より少し幼いくらいの少女が部屋に入ってきた。
その少女は動物を掻き分けて、私の傍までやって来た。
そして、
「もうすぐおゆはんだよー」
と少し間延びした声で呟き、私の手を引く。
確か、この夢はそこで終わった。
また、ある時は、私が学校に通っていた頃。多分、下校時刻なのだろう。
今でもよく会う友人たちと談笑しながら、私たちは帰路を歩いていた。
彼女たちの家は里の中にあるので、暫くすると私たちは別れる。そして、一人、私は郊外にある自宅へと歩みを進めていた。
ある程度道を進むと、先ほどの少女が私の目の前に突然現れる。
「今日は遅かったねー、すっかり待ちくたびれたよー。じゃあ、帰ろっか」
と私に言って、そして、私の手を引く。
この夢は、ここで終わる。
夢の共通点、それは例の少女が登場することと、手を引かれたところで終わると云うこと。
そして、少女の顔を私はよく覚えていないと云うことだった。
この夢を、他愛のない夢と言いきってしまうこともできた。
夢なんて所詮、継ぎ接ぎだらけで曖昧なものだ。一見、私の普段の生活の中に、突然物語の登場人物が現れたりもする。
初め、この少女は、私が今までに読んだ物語の登場人物だと思った。
服装は思い出せる。髪の色も。だけど、顔だけがどうしても思い出せない。
私は物語を読むとき、場景を頭に思い浮かべるのが好きだった。文章が紡ぐ世界観。そこに現れる登場人物たち。
それらが混ざり合った世界を、私はいつも詳細にまで思い描いていた。
だけど、物語の内容次第では、細かいところまで描写されていないこともある。
たとえば、登場人物の容姿などは事細かに描いていたとしても、その顔までは曖昧にしか描いていない。そんな作品もある。
読者の想像の世界をより楽しませるために、わざとそんな表現をしているのだ。
想像力豊かな人たちならば、成る程、確かにそれを楽しめるのだろう。だけど、生憎私にはそれができなかった。
言葉に紡がれているものを想像するのは容易いことだ。だけど、一から想像して形を作り上げると云うことがどうも私には苦手だった。
それ故だろうか。私はあまり、図画工作の授業は得意ではなかった。
で、私が考えたのは、その少女が、そんな表現をされた物語の登場人物であると云う説だ。説も何も、私はこのことを他言したことは今までになかったのだけど。
もしそうだとするのならば、私が少女の顔を思い出せないのも納得ができた。思い出せないのではない、抑々その少女の顔を、私が作り上げていないのだから。
そして、少女が物語の登場人物であると結論付けると、新たな疑問が私の中に浮上してきた。
何故、この少女が態々夢の中で想起されるのだろうか。
少女が、私の夢に現れたと云うのは少し滑稽な話だった。
細部まで思い描いた人物を忘れることは早々ない。だけど、中途半端にしか描けなかった人物を、私はあまり良く思い出せないからだ。
色々と考えた結果、今度もある推測が思い浮かんだ。
私は何かこの少女に特別な思いを抱いていたのではないかと云うことだ。
同情だとか、共感だとか。あるいは恋情だとか。
最後の言葉が思い浮かんだ時、私は思い切りかぶりを振ったのを覚えている。
さすがにそれはない、と。
それにしても、私が少女に何か思いを抱いていたのは事実なのかもしれない。
別にどうだって良い話なのだが、そのままにしておくのは何だかもどかしい。それに、幸い時間だけはあった。
だから、私は家にあった物語をひたすらに読み耽ることにした。
一日に一冊。あるいは二冊。読書は好きだったけど、私は読むのが遅かった。難儀しながらも、私は物語を読んだ。
だけど、その少女が描かれている作品を見つけることはできなかった。
しかし、ある時。私は少女の姿が描かれている本を見つけることができた。
だけど、それは物語ではなかった。正確に言えば、本でもなかった。
私が少女の姿を見つけたのは、私がかつて幼少の頃に付けていた絵日記の中でのことだったのだ。
絵日記の中。つまり、私の見ていた夢は、現実、つまり私が見てきたことなのだろうか。
もちろん、幼少期の頃の私が虚言癖持ちで、絵日記の中にあることないことを描いていたと云う可能性も否定はできない。
だけど、そのことに気付いた途端、私は自身の心がどこか、靄がかっているような錯覚を覚えたのである。
思い出せない記憶、そんなものは私にとって無縁極まりないものだとばかり思い込んでいた。しかし、そんなことはなかったのだ。
私は何故少女のことを思い出せないのか。一度気になり始めると、私の中の世界は、それを中心にして回り始めた。
先ほども言った通り、思い出したくない記憶と云うものは、自らの事象を綴ったものなのかもしれない。
それでも、私は真実を暴きたい、そんな思いでいっぱいだった。
とは言え、簡単に真実を暴くなんてことはできなかった。手がかりは私の記憶と、この絵日記だけ。
記憶は曖昧なものかもしれないし、絵日記も幼少の頃に書いたものであるから読みづらく、また非常に難解なものだった。
きょおはかいものいった。
少女が描かれているページに書かれていた文章である。
かろうじて読み取れる文字は、それだけしかなかった。それ以外の文字は、抑々、文字の体を為していなかったのである。
黒く塗りつぶされた円。色々なひらがなが合わさった文字。漢字を書こうとしたのか、ただの線の交錯にしかなっていない文字。
他のページも少女の姿を確認することはできたが、どれもこれもひどい文章でとても読めるものではなかった。
また、絵も以ての外の惨状で、基調を乱した配色により、かろうじて私とその少女の姿は判明できたが、それ以外は何を書いているかすら理解できなかった。
恥を忍んで、私は友人たちや、かつての教師にこの絵日記を見せたりもした。
だけど、笑われただけで、碌な手がかりを得ることができなかった。
他にも一応手あたり次第に情報を探してはみた。
片っ端から知り合いに声をかけてみた。貸本屋を覗いてみた。歴史書を扱っていると云うお屋敷も訪ねてみようとした。
流石に最後は気が引けたため実行には移せていないのだが。
そんな私の姿を見かねたのか、ある日、その教師が私に声をかけてくれた。
「最近何やら忙しないがどうしたんだ?」
「いえ、特に大したことではないんですが……。少し気になることがあって、それを調べているのです」
教師は私の言葉を聞くと首を傾げた。銀髪の髪が揺れる。
しかし、すぐに合点がいったらしく、
「ああ、あの絵日記の少女のことか?」
と笑いながら私に返した。この前のこともあり、私は恥で言葉に詰まった。顔が少し火照るのを感じた。
結局、私は答えとして頷きだけを返した。
「確か、少女のことを思い出せないのだったか。前にも告げたが、生憎と私にもその少女に関しては何も知らない。ただ、心当たりがないわけでもないぞ」
「え、本当ですか?」
私は瞬間的に、彼女の言葉に喰いついた。
「ああ。ただ、あまりにも絵空事的だからな。あくまでもこういう話もある、と云うくらいに聞いてほしい」
それから教師はある話を述べた。
「座敷童と云うものを知っているか?」
座敷童と云うものに関しては、私も詳しくは知らないが耳にした覚えはあった。
家に住みついて、そこの住人に幸福を与える。私が知り得ているのはそれくらいの情報だった。
教師が述べた事実は、座敷童は子供にしか見えないと云うことだった。つまり、大人になってしまうと見えなくなってしまう。
その大人と云うものの境界線は良く分からない。しかし、間違いなく成人を間に控えている私は、もうすぐ完全に子供ではなくなってしまうのだろう。
教師に謝辞を述べると、彼女は首を振った。あくまでも信憑性に乏しい話だからそうだ。
しかし、藁にも縋りたい気持ちだった私にとっては、十分すぎる情報であった。再度、私は教師に謝辞を述べた。
東奔西走せずとも、自宅にいれば少女に会えるのかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、私はひたすら自宅に籠るようになった。
しかし、結局のところ、私が何もできやしないと云うことに関しては何も変わらなかった。
あれから幾日か過ぎた。私の誕生日も、もう目の前と云うところにまで迫ってきている。
少女のことなんて別にどうでも良い。どうだって良い。日に日に募る焦燥感に対し、私はそう言い訳をした。
真実を言っているつもりだったが、それが嘘であると云うことには、薄々自分でも気づいていた。
実際、私はあれ以来、自宅に籠りきりだったのだ。
その日も、結局何の成果も挙げられず、私は床に着いた。
どうしてだろう。目を閉じると、思考回路は活発になる。
抑々、私はなぜこれほどにまで少女のことを求めているのか。何故、私がここまで突き動かされているのか。
それは、自分にも分からないことだった。
成人してしまえば、少女には二度と会えなくなってしまう。確かに、それは理由の一つではある。
だけど、それを知ったのは、私が少女を探し求めている間の出来事であった。
謎がはっきりしないことに対するもどかしさ。それも理由の一つだろう。
だけど、もっと他に理由があるのではないかと思えるのだ。まだ、自分でも気付いていない理由。
もしかすると、それは本能的なものなのかもしれない。たとえば、あの時否定した恋情だとか。
それならば中々に滑稽な戯曲にも成り得る。そんなことを考えながら、私は一人苦笑した。
そして、私はまた、例の夢を見た。
内容はどんなものだったか。残念だが、私はまったく覚えていなかった。
しかし、目覚める直前の出来事だけは、覚醒した私の脳裏に強くこびりついていた。
何もない、強いて言えば小石が多く転がっている大地。そこに、私とあの少女が二人、何も言わずに佇んでいた。
「ごめんね」
不意に、少女がそう呟いた。
それが一体何に対して呟かれたのかは分からない。だけど、少女は確かに私に対し、そう呟いた。
そして、再び静寂が私たちを包み込んだ。何も言えない私は、ただ呆然と立ち尽くしていただけだった。
暫くすると、少女は私の目の前から立ち去った。
それを見た私の身体は、気が付けば勝手に動き出していた。
そして、私は少女の影を追いかけた。走って。走って、追いかけた。
しかし、少女の足の方がずっと速かった。私は友達の中でもずっと速かった。その私よりもずっと……。
次第に、私は、西陽で伸びた少女の影すら捉えられなくなっていた。
どれだけ必死に追いかけても、私は少女に追いつけない。だんだんとその姿は小さくなっていく。
大きくなった太陽と少女が完全に重なってしまった時、私は遂に少女を見失ってしまった。
気が付けば、私は一人、取り残されていた。
「待ってよ、お姉ちゃん!」
私は、自分の叫び声で目が覚めた。
夢と現との境界を彷徨っていた私は、暫く虚空に視線を遊ばせていた。揺らいだ天井が、網膜には映った。
少しの間、私は布団の上で呆けていた。一粒の涙が、私の頬を伝って、枕を濡らした。
それを見た私は、ようやく我に返ることができた。まだ虚ろだった目を右腕の袖で擦り、頬を両手でぺちぺちと叩いた。
どうして、私は泣いているの?
そんな疑問を脳裏に浮かべた。
瞬間、脳裏にこびりついていた靄。その靄が、次第に晴れていっていくような感覚を覚えた。
塵によって堰き止められていた川の水が、ある日の大雨によって一気に流れを取り戻すかのような。
疑問の答えは、案外すぐに見つかった。私の心の奥深くに、それはあったからだ。
そんなカタルシスを私が覚えたのは、成人してしまう誕生日の、一日前の出来事だった。
布団から飛び起き、そのまま玄関へ。そこで私は草履を選び、それを履いた。そして、私は外へと飛び出した。
向かう先はどこだろう。それは、自分でも分からなかった。ただ、私は自分の思うがままに走った。
息が切れる。額には汗が滲む。上手く走れない所為か、何度も足が縺れた。
それでも、私は走った。
そして、私は不意に足を止めた。そこは見覚えのない……、いや、見覚えはある。さっきの夢の中で。
里から随分と離れた、周りに何もない大地。そこには沢山の小石が転がっていて、どうしてだろう、私にはすごく懐かしいものに思えた。
涙がもう一粒。私の顔を伝って落ちる。その零れ落ちた音が耳に飛び込んできそうな、そんな静寂に私は包まれた。
どうして私は、あんなに大切なことを忘れていたのだろう。
風は止んでいる。空は、青く澄み切っている。周りを見渡してみても、私以外の他の姿を確認することはできなかった。
これだけ広いところに私が一人。全く音が聞こえていなかったのは、私の耳が狂ってしまったからではないだろう。
ザッ……ザッ……
静寂を破ったのは、何者かが小石だらけの道の上を歩く、そんな音だった。
私は音のした方向を確かめる。そこには当然、誰も居ない。それなのに、音は響く。
耳を澄ますと、今度は誰かの鼻歌が、私の鼓膜を揺すぶった。
何処かで聞いたことのある、懐かしい歌。だけど、私は今の今まで、その歌自体を忘れてしまっていたのだろう。
そして、今度は小石が蹴り飛ばされた。誰も居ないはずなのに、小石が次々に大地を転がっていく。
姿は見えない。だけど、小石の軌道から、何者かがそこにいることは分かる。
一か八か。まだ私には触れることができるだろうか?
私は、その誰かがいるはずのところへ向けて、ゆっくりと手を伸ばした。
柔らかな布に触れた感触が、私の手から伝わった。見てみると、私の手は、黄色い袖を掴んでいた。
「待ってよ、お姉ちゃん……」
あの時、少女に聞こえなかっただろう言葉を、もう一度私は叫んだ。
だけど、不意の邂逅に緊張しているのか、私の声は尻すぼみになってしまった。
私は顔を、徐々に上に向けていった。
そこには、あれ程追い求めていた、少女の姿があった。
「あー……。見つかっちゃったかー」
私の耳に届いたその言葉は、私に目の前に広がるのは夢想ではないと、しっかり教えてくれた。
私は、少女の手を繋ぎ、自宅へと戻った。座敷童はやはり家にいるべきだ。そんな冗談も意図にはあった。
少女はそれに逆らわず、ただただ従順だった。私が時々振り返ると、少女は微笑みを返してくれた。
自宅へと辿り着くと、少女は少しの間、私の部屋を探索した。暫くすると、それに飽きたのだろうか、私が用意した座布団の上にちょこんと座った。
私も少女と対面するような形で、床に腰を下ろした。
そして、暫く静寂が私たちを包んだ。それを引き裂いたのは、少女の方だった。
「……どうして、私を見つけられたの?」
「それは、まあ……、ずっと探していましたし」
「そっかー。やっぱり想い人には見つかっちゃうんだねー」
少女の口から零れ出た〝想い人”と云う言葉に私はつい赤面してしまった。そんな私を見て、少女はからからと笑った。
「んー、でも、私が見つかったってことは、あなたは全部思い出しちゃったってことで良いのかな?」
「はい。そうだと思いますけど……」
私が付けていた絵日記。あれが記していたのは、まさしく現実のことだった。
だけど、どうしてだろうか。私はそのことをすっかり忘れてしまっていた。むしろ、忘れていたことすら忘れてしまっていた。
しかし、今の私は全てを思い出していた。少女のことも。絵日記が描いていた世界のことも。そして、私がそれらを忘れていたと云うことも。
あの夢が。私が今日見た夢が、全部思い出させてくれた。
「ですが、思い出したのは今日です。微かながらにあなたのことを思い出してはいたのですが、はっきりと思い出したのは、今日です」
「そっか。じゃあ、どうやら上手くいったみたい、なんだね」
上手くいった? その言葉の意味を私は捉えることができなかった。
だけど、少女は何処か納得した風で、一人でうんうんと頷いていた。
「あの、上手くいったと云うのは?」
「あー、こっちの話だよ。気にしないでくれないで全然おっけーだよー」
そう言うと、少女は一つ、大きく息を吸った。
「今日、私はあなたにお別れを言いに来たの」
「お別れ?」
私がそう問うと、少女はゆっくりと頷いた。
「じゃあ、今からあなたの本当のことについて、説明するね」
私が質問を挟もうとすると、少女は少し寂しそうな表情を見せた。
結局私は何も言い出せないまま、少女は言葉を紡ぎ始めた。
◇
あなたを見つけたのは何時だったかなぁ。よく覚えてはいないけど、まだあなたが赤ちゃんの頃だったと思う。
あの頃の私は少し思うことがあってさ、家を飛び出してばっかりだったんだよね。その日も、適当にふらふらと地上の世界を散歩していたの。
夏だったのかなぁ。とにかくすごく暑い日だったってのは覚えてるの。だからさ、私は少しでも涼しいところに行こうと、森の中を突き進んでいたんだよね。
だけど、その森はとてもじめじめして暑かったの。後で調べたんだけど、そこは瘴気や湿気が凄くて、普段は誰も入らないような場所だったの。
すごく後悔したなー。でも、その時、私がその森に入ったからこそ、今のあなたはいるんだよ? 偶然って怖いよねー。
え? 全然話が読めないって? まあ、私も良く分かってないから、気にしないで良いと思うよ。
で、その森は誰も居ないはずじゃん。
あー、確かに詳細を知ったのは帰ってからだけど、流石にあんなに暑い所に人がいるとは思えなかったの。
それなのにさ、何処からか泣き声が聞こえてきたんだよね。
それが不思議だった私は、何となくその泣き声の聞こえてくる所に行ってみたの。まあ、誰だって行きたくなると思うよ。怖いもの見たさってやつだね。
そして、私はそこで木の影に転がっているあなたを見つけたの。ギャーギャー泣いていて煩かったなあ。
ん? いや、あなたは捨てられてたんじゃないと思うよ。
人食い妖怪の噺くらいあなたも知ってるでしょ? 多分、あなたの親はそれに襲われたんだと思う。
これに関しては私も現場を見たわけじゃないから良く分からないんだよね。
私の推測だけど、あなたの親は何らかの理由で里から出なければいけない用事があったんだろうね。
もちろん、赤ちゃんだったからあなたも連れてっていたんだろうね。誰かに預けるとかしても良いと思うけど、多分慢心があったんじゃないかなぁ。
これまで大丈夫だったんだ。だから、今日も大丈夫だろうって。帰納的に導いた、根拠のない自信。難しい言葉を使うとそう言えるね。
あと、赤ちゃんだったあなたを一時も手放したくなかったんだと思う。だって、あなた可愛かったもん。……冗談じゃないよ?
で、そんな慢心を抱きかかえたあなたの親は、運悪くその妖怪に出くわしちゃったの。
最初の方は必死に逃げたんじゃないかなぁ。でも、きっとすぐにそれが駄目だと気付いただろうね。
色々と考えたあなたの親は、あなたの生存、それを第一に考えた。
片方の親が囮になっている隙に、もう片方の親ができるだけ遠くにあなたを連れて行った。
だけど、囮の親は食べられたか殺されたか、残酷だけどそうなっちゃって、残った親は近くの隠れられるところにあなたを置くことに決めた。
だから、滅多に人が近づかないあの場所を選んだんじゃないかな。
じゃあ、残った親の方はどうしたのかって?
んー、あなたをより安全にするために囮になっただとか、里まで帰って助けを求めただとか。色々考えられるよ。
そして、偶然通りかかった私があなたを見つけたわけ。
別にそのままにしておいても良かったんだけどさ、多分、このまま放っておいたらあなたは死んでしまう。私はそう思ったの。
だから、私は泣きわめくあなたを抱えて家に戻ったの。まあ、普通の妖怪や人間だったら見つかっちゃうだろうけど、あなたも思い出したでしょ?
私だからこんなことができたんだろうね。
で、私の家、地霊殿にあなたを連れて戻ったの。地霊殿には私とお姉ちゃんが住んでるけど、その他にもペットがいっぱいいる。
だから、あなたを連れて帰っても大丈夫って変な自信があったんだよね。私。
あなたが見つかった時、当然お姉ちゃんは驚いていた。でも、私があなたのことを飼うって言い張ったら最終的には根負けしてくれたの。
ごめんね? 良い言葉が思いつかったの。まあ、お姉ちゃんにもそこは窘められたけどね。
それから私はあなたを必死に育てた。まあ、退屈続きの毎日だったし案外楽しかったかなぁ。これは今だから言えることなのかもしれないけどね。
あなたが既に乳離れしてたのは助かったよ。ありがとね。感謝されても釈然としない? それもそうか。
まあ、あなたが乳離れしていたおかげで、食事の心配はあまりなかったかな。私たちは妖怪だけど、食べ物自体は人間と変わらないからね。
多少料理の量が増えたところであまり影響はなかったし、食卓が少し賑やかになったからむしろ良かったとまで思うよ。
とりあえず育児については書庫でいろいろと調べたね。お姉ちゃんがあなたの求めてるものがすぐ分かるからちょっと楽だったかな。
でも結構苦労したよ? 夜泣きされた時なんてどうすれば泣き止むかわからなかったし、私までもらい泣きしそうだったもん。
だけどさ、あなたはペットに囲まれた途端泣き止む癖があったの。私が何をしても泣き止まなかったくせに、お燐たちが来た途端泣き止むんだもん。正直、ちょっと妬けたよ。
そんな日を何度か繰り返し、気が付けばあなたは歩けるようになってたし、言葉も話せるようになってた。
だけど、地底の世界は妖怪が多いからさ。不用意にあなたを外に出すわけにはいかなかったんだよね。
やんちゃな年ごろになって来たのに、家に引き籠らせてばかりでさ。多分、あなたも相当フラストレーションが溜まってたんだろうね。
何か気に入らないことがあるとすぐに爆発したの。物理的にじゃなくて、感情がだよ?
そんな状況に手を焼いていた私に、お姉ちゃんがこう言ったの。
「学校に行かせてみたら」って。
それを名案だと思った私はすぐにあなたを学校に連れて行ったの。
で、手続きとかぱーってやっちゃって、とんとん拍子にあなたは児童になったの。
まあ、妖怪に育てられた子供って、周りに知られると中々面倒でしょ? だから、私はちょっと細工したの。みんなの記憶をちょいちょい弄ったのね。
その時からかな。あなたの記憶も少しずつ弄ってくようにしたかな。周りの子供との会話で自分に違和感を抱かないようにね。ちょっと面倒だったなぁ。
学校に通ううちあなたはすっかり落ち着いた。行きと帰りは私が送っていったよ。誰にも気付かれないようにね。
そう言えば、いつからか、あなたは私のことをお姉ちゃんって呼ぶようになったの。
本当はどちらかと言えば親なんだけど、まあ、私の見た目の所為かもね。
そして、だんだんとあなたは大きくなっていった。身体的にも、精神的にも。
だからさ、そろそろ解放してあげないとって私も考えたの。
いつまでも人間が妖怪に育てられるわけにはいかない。普通の人間の親でさえ、いつかは子供を外に出すもん。そう考えると、当たり前でしょ?
お姉ちゃんと色々と話し合って、とりあえずあなたが十八歳になったら解放してあげることになった。
その齢になったら、さすがにもう生きていけるもんね。寂しかったけど、そう決めたの。
で、来るべき十八歳になるあなたの誕生日。地霊殿で最後に盛大なパーティを開いて、私はあなたを地上へ連れ出した。
前々から里に空き家があるのは知ってたから、皆の記憶を細工して、あなたが以前からそこで一人暮らししていたと云うことにしたの。
そして、最後にあなたの記憶も細工した。今まで私たちと暮らしてきた記憶を全部封印して、普通の家庭に普通に育てられた、そんな記憶を植え付けたの。
なんでそんなことをしたのかって? 私なりにいろいろ考えた結果故にだよ。
妖怪に育てられた。そんな事実がもし洩れたら、あなたは暮らし辛くなる。私の所為であなたから平凡を奪ってしまう。それが怖かったの。
うん。あなたのためって言ってるけど、ひょっとしたら私のためなのかもね。責任から逃げたの。うん、いつだって私はそうだ。
でも、私はこの選択に後悔はしてないよ。実際、あなたは今日びまで何の障害もなく暮らしていけたでしょ?
本当はその時にお別れを言うつもりだった。だけど、私はそれを言うのが怖かったのかな。結局何も言えなかったの。
あなたはこれからここで暮らしていくんだよ。そう言った後、あなたの返事も聞かずに、私はあなたの記憶を弄ったの。
だけどさ、今にして思えばこれが間違いだったんだろうね。私の術が曖昧だった所為で、あなたは私の姿を追うようになっていた。
だから、私も覚悟を決めたの。あなたが成人する前に私を見つけられたら、全てを話そうって。そして、さよならを言おうって。
◇
私は、少女の言葉を聞いてもいまいち納得できない点が多かった。確かに、私は少女たちと暮らしていた。
少女の云う通りのことをやってきた。だけど……。
「何も、記憶を弄らなくたって良かったんじゃないんですか?」
勝手に記憶を弄られたことに対する感情だろうか。それとも……。
無意識に出た私の言葉は鋭かった。
「ごめんね。でも、そうするしかなかったの」
「もしかしたら、大丈夫だったかもしれないじゃないですか!?」
「……曖昧って云うのはね、一番怖いことなんだよ」
少女は少し間を取って、そして、続けた。
「私も昔、そんな極端な選択を迫られたことがあったんだよ。そこで私はきっぱり答えを決められなかった。だから、私は酷い目に遭った」
「でも……」
「親心ってやつなのかな? 良く分からないけど、あなたにはできるだけ苦労させたくなかったの。勝手な言い分だけど、分かってくれる?」
私はその少女の言葉に口を噤んでしまった。
「で、私は今日、あなたに会いに来た。さよならを言うためにだよ」
「さよならって? どうしてですか? 折角全部思い出せたのに……」
「うーん、さっきも言った通り、あなたには私たちと暮らしたと云う過去を背負って生きてほしくないんだよね。あと、今日があなたの最後の未成年の日って云うのも理由になるかな」
「どういうことですか?」
「私はね、イマジナリーフレンドなの」
イマジナリーフレンド。その言葉に聞き覚えはない。私は首を傾げた。
すると、すると、少女が口を開いた。
「イマジナリーフレンドって云うのはね、まあそのまま訳したら想像上の友達。たとえば、一人ぼっちの子が孤独から逃げるために、妄想の中で友達を作ったら、それがそうだよ」
「でも、あなたはここにいるじゃないですか?」
「分からないの? あなたは、私の姿がさっきまで見えなかったでしょ?」
その言葉に私は口を紡いだ。
「確かに私は実在しているよ。でも、私はちょっとした病気を患っていてね。子供しか私のことを認識できないの」
少女の言葉に、私はようやくあることに気付いた。
「……そう。だから、あなたが私を見つけられるのも今日が最後。多分、明日になれば、あなたは私のことを忘れてしまう」
忘れないかもしれない。そう言い返そうとしたけど、私の喉は言葉を発せなかった。
どうしてだろう。少女の言葉には絶対的な説得力があったからだ。
「でさ、その兆候として……。あなたは私の名前を言える?」
「もちろん! えっと……」
「ほらね」
どうしてだろう。あれ程、口にした名前なのに。
私はどうしても、少女の名前を思い出すことができなかった。
「だからさ、さよならを言いに来たの。明日になれば、あなたは私のことを全部忘れてしまう。そうなるくらいだったら、せめて後腐れなくしたかったからね」
「私は、あなたのことを、絶対に忘れません!」
「んー、それを明日聞けたら納得できるんだけどなぁ。でも、無理な話だよ」
私はぽろぽろと涙を零していた。それが含む感情は何だろう。
悲しさ? 寂しさ? 虚しさ? 怒り? 絶望?
分からなかった。
「受け売りなんだけどさ、あなたにこの言葉を贈るよ。人は、忘れるから生きていけるの。辛いこと、悲しいこと。そんなの抱きかかえながらじゃ生きていけないからね」
少女は、自らのことを辛い存在と言っているのだろうか。悲しい存在と言っているのだろうか。
目の前が揺らぎ、粒はとめどなく溢れてくる。そんな状況故に、私にはもう何もわからなかった。
私は袖で目を拭った。少女の顔が見えた。寂しそうな笑みを浮かべているように見えた。
「バイバイ」
瞬間、私の意識は暗闇へと落ちていった。
◆
「久しいな。どうだ、例の少女は見つかったか?」
街を歩いていると、かつての教師が私に声をかけた。
「はい。見つかりました」
「おお、それは良かった」
教師は感嘆を口から漏らし、笑みを浮かべた。
私もそれにつられ笑みを返した。
結局、私は少女のことについては何も思い出せず仕舞いだった。
だけど、どうしてだろうか。少女は見つかって、私はそのことに満足していた。そんな記憶もないのに。
人は思い出せない記憶がある。
ほとんどの場合、思い出したくない記憶と云うものは、自らを傷つけた、そんな事象の記憶である。
だけど、思い出せない記憶とは何なのだろうか。
あまりにも些細なこと。どうでも良いこと。そんなことを覚えている記憶なのだろうか。
ああ、そう言えば。脳裏にある言葉が思い浮かぶ。誰から聞いたのだろう。思い出せなかった。
「人は忘れるから生きていけるの。辛いこと、悲しいこと。そんなの抱えながらじゃ生きていけないからね」
そしてらぐっと面白くなると思います。
というのはこの話の分類タグがこいしになっているので、我々読者は主人公がこいしだと思って読んでしまってます。そして意味不明な進まない文章が続いて読むのをやめる、そういう現象が私以外にも起きていると思います。
そして座敷童の部分。ここが説得力に乏しかった印象です。個人的には「少女が座敷童と仮定して家にこもって、結果的にこいしを掴まえる」より「こいしを探して方々探し回り、疲れ切って家で倒れたところでこいしに気づく」の方が説得力があるように思えます。