『
序章 演じる事が偽りだというのならこの幻想郷は嘘吐きの生んだ箱庭
「愛すべき隣人の顔すら誰も知らない」
ポール・ディラック賞を受賞した壇上で比較物理学の権威、岡崎夢美は聴衆を睨みながらそう言った。それから半年の間に、この言葉を証明する事件、発見が多数現れた。月面での四次元ポジトロン爆弾の起動や幻想郷の正式な発見等、今まで人類が抱いていた世界の深淵を嘗め尽くしたという安穏が次次に破壊された。
二一〇一年九月十一日、ニューヨークで開かれた国際平和フォーラムで著名な政治家と科学者達が次の様に宣言した。
「神は居る。全知となった我我である」
この宣言から四半世紀も経たない内に、我我は神の座から引きずり降ろされたのである。
世界は嘘で塗り固められている。一つの秘密を暴いたとしても万の秘密が背後に控えている。そんな当たり前の事を二十二世紀初頭のニューヨークピエロ達は忘れていたのだろう。その嘘は個人のレベルでも何ら変わりない。我我はお互いに嘘を吐きながら生きている。そうしてその嘘の全てを見抜く事は出来無い。我我は(百年前の人人がそうであった様に)真っ暗な舞台の上で、書割に何が描かれているかも分からないまま、台本も何も持たずに演技を続けなければならない。足元に張りぼてが落ちているかもしれない。既に建屋が老朽化していてすぐにでも崩れてしまうかもしれない。小道具のナイフが本物の刃物と入れ替わっているかもしれない。実はみんな老人で、程無くして舞台からみんなが消え去るかもしれない。我我はそれ等全てに気付く事が出来無い。人類の滅亡を招く様な危険に、我我は気が付く事すら出来ないのである。
如何に安定した秩序を作り出すかという議論は人類の歴史と同じだけの時間繰り返されてきたので今更ここで付け加える事は無い。だからここでは、世界の滅びに直面した者達が如何にしてその滅びを回避し存続しているかのモデルケースを幾つか紹介する。
一章 妖怪の楽園 幻想郷
妖怪とは人の思念によって生み出された生き物で、あるいは妖精と呼ばれ、あるいは神と呼ばれる。多く恐るべき対象として生み出される。人の想像によって生み出された存在であるから、人から忘れ去られると消える。加えて、人の想像によって如何様にも変質する。例えばその妖怪が手の付けられない程強大な存在として生み出されたとしても、人人がその恐ろしさに耐え切れなければ、その妖怪は人間の制御が可能な存在に捻じ曲げられる。畏れ多き落人を、誉れ高き神様へ変えてしまう。妖怪は人から忘れられた事による消滅と人に認知された事による変質に怯え続けなければならない。我我の世界にもかつては存在していたが、今や消滅した。
さて、そんな妖怪達が未だに跋扈する楽園が幻想郷だ。
と言っても、それは最近発見された幻想郷では無い。それより以前に、妖怪達が我我の時間軸から切り離し永遠に繰り返し続ける、妖怪を存続させる為に作られた、妖怪の妖怪による妖怪の為の世界こそが真の意味で幻想郷だと言える。妖怪達は幻想郷を私達の世界から切り離し、妖怪を存続させる為に「巫女」という装置を置いた。巫女は様様な役割を持っているが、その最も重要な働きが異変解決である。
幻想郷では定期的に異変という儀式が行われる。というより、繰り返す時間が異変を中心に据えられている。異変とはどの様なものかと言うと、まずは妖怪が天変地異を起こす。例えば紅い霧で空を覆う。例えば神社を倒壊させ大地を揺らす。それによって人人は大いに慄き、妖怪達に恐怖を覚える。その恐怖が妖怪の生きる糧となる。ただしあまりにも恐怖の度が過ぎれば、人人の思念は妖怪を変質させる。そうならない様、人人の恐怖が臨界点に達する寸前に巫女が現れる。巫女は道中を妖怪と戦いながら進み、最後は異変を起こした存在を打ちのめす。そうして異変は解決される。
この儀式には三つの役割がある。
一つ目は参入儀式。妖怪は人人から恐ろしいものとして認識されなければならない。力弱き妖怪であればそこ等の人間を襲い退治されるだけで良いのだが、力強い妖怪の場合は自分の力に見合った恐怖を与えないと自分の存在が零落してしまう。強大である為には強大な者であると認識されなければならない。その強大な恐怖を実践する場として異変が存在する。力強い妖怪達は自分の存在を人人に認めさせる為、定期的に大いなる恐怖を振りまき幻想郷に受け入れてもらわなければならない。
二つ目は妖怪達の地位を保守する事。妖怪達は無闇に人を襲ってはならない。初めに述べた通り、あまりにも妖怪が恐ろしいと、人間は自分達が統制出来る様な存在に妖怪を変質させる。その上、そもそも妖怪は人間の思念によって存在しているので、人間の数が減れば自然、妖怪の存在も希薄になる。だから妖怪達は自分の存在を守る為に無闇矢鱈と人間を襲ってはならない。けれども襲わなければ襲わないで、今度は人間に侮られる。妖怪というのは自分達を襲えない程弱い存在なんだと人人が考えれば、それによって妖怪は弱体する。だから妖怪とは恐ろしいものだという事を人間に知らしめなければならない。その為に異変を催し、妖怪の恐怖を植え付ける。
三つ目が人間と妖怪の関係を保つ事。異変は人間側の「巫女」によって力で抑え込まれる。そうする事で、強大な力を持っている妖怪だけれど結局は人間の総体に敵わないと認識される。妖怪が起こすどんな天変地異も人間の統制下にあるのだという安心感が、妖怪に対して何処かユーモラスな親愛を感じさせる。親愛感というベールと巫女という防波堤、この二つによって人人の恐怖を和らげる事が妖怪の変質を抑える事に繋がる。
三つの役割はいずれも妖怪の為に存在する。一つ目は妖怪を認識させる為に。二つ目は妖怪の存在を保つ為に。三つ目は妖怪の変質を抑える為に。翻せば、この異変という名の茶番を演じない妖怪は幻想郷に迎えられず、繰り返す時間の中で変質し、消滅する。当然異変の結果として付与されるユーモアは少なからず妖怪達を変質させるが、もしもそれを厭って強大な恐怖を保ち続ければ、人人の恐れる心によって、ある時は妖怪としての本質を歪められ、ある時は日常生活がままならない程の弱点を与えられ、最終的には存在を抹消される。軽度の変質を受け入れて生き延びるか、一切の変質を拒んで死ぬか。幻想郷に訪れる妖怪は二つの選択に迫られる。
そんな正反対の選択を歩んだ良い例として二人の吸血鬼が居る。ある吸血鬼は巨大なままの自分を貫こうと、異変と変質を拒み、幻想郷自体に戦争を仕掛けた。結果として、人人の恐れを招き、その吸血鬼は存在する事自体を認められずに消滅した。今では微かな文献にその時の事変が書かれるのみで、名前すら誰も覚えていない。一方、幻想郷というシステムを理解し承諾したレミリア・スカーレットは幻想郷の中で一勢力を築いている。もしも昔を知る者が幻想郷に馴染んだその姿を見かければ、そのあまりの変わり様に驚くかもしれないが、少なくともレミリア・スカーレットは吸血鬼の性質を保持し、生活に不便する事無く、繰り返す様様な時間の点に現れ、幻想郷の一員として今日を生きている。
異変が無事終わったとしてもそれだけでは安心出来ない。人人の心が移り変わる限り妖怪達には常に変質の恐れが付き纏う。そしてその変質を抑えるのはやはり巫女だ。異変というデモンストレーションで妖怪を打ち倒し続ける巫女に対して、人人は絶対の信頼を置いている。巫女が居れば人間は妖怪に負ける事が無い。その安心が人人から過剰な恐れを取り除いている。だからこそ巫女は常に自信に満ち溢れた振る舞いを要求される。そして異変の中で必ず妖怪に勝たなければならない。そうでなければ人間達が安心出来ない。偶然や幸運で勝つ事も許されない。常に力によって妖怪を抑えつけて、事を解決するのが巫女である。
異変は儀式であるが、誰も自分が演じている等とは思っていない。妖怪の起こす天変地異は実のところ人間に配慮されている訳ではないし、人間達の怯えも演技ではない。巫女と妖怪の戦いも一切の手心抜きだ。それでも巫女は妖怪に勝つ。巫女に全ての妖怪よりも強い力が備わっている訳ではない。巫女という存在がそういう役柄だと考えた方が座りが良い。つまり巫女には「異変においては相対する妖怪に必ず勝つ」という属性が与えられているのである。
理解しづらいかもしれないが、幻想郷において属性とは絶対の拘束力を持っている。例え巫女がどれだけ弱くとも、「異変においては相対する妖怪に必ず勝つ」という属性を持っている限りその通りになる。
幻想郷は私達の世界とは別の法則で動いている。
例えば私達の世界での法則は科学だ。科学の根本教義である「結果から原因を探り出す因果論」は時間が常に一方向に流れる世界では必ず正しい。
では幻想郷の中ではどうかと言うと、時間が一方向にのみ流れるという大前提が崩れる。幻想郷では時が繰り返すと述べたが、実のところはもっと複雑で、時が飛び跳ね、行き来する。もしも幻想郷を我我の世界から覗き見れば、何度も何度も同じ場面を繰り返したり、突然途中の時間が抜け落ちて次の場面へ進んだりと、演劇の稽古でも見ている様な気分になる筈だ。過去や未来も一定不変ではあり得ない。吸血鬼に魔法使いが負けた、という今日があったとしても、次の日には昨日吸血鬼を魔法使いが打倒したという事になり得るのである。これを幻想郷では「コンティニュー」という。
時間が一方向に流れないので、結果があれば原因があるという因果論が崩れ去り、「それが間違いなくそれである」という実存が存在しない。「それがそうでなければならない」という属性を持った実在だけが存在する。
例えば幻想郷の妖怪にさとりとこいしという覚の姉妹が居る。さとりは心が読める。こいしは心が読めない。私達の世界で見れば、次の様になる。
さとりは次の二つの属性を持っている。
属性一:心が読める。
属性二:覚という妖怪である。
こいしは次の二つの属性を持っている。
属性一:心が読めない。
属性二:覚という妖怪である。
それが幻想郷の見方では逆になる。
属性一:心が読める。
属性二:覚という妖怪である。
右の二つの属性を持っている者がさとりである。
属性一:心が読めない。
属性二:覚という妖怪である。
右の二つの属性を持っている者がこいしである。
つまりもしもこいしが心を読める様になれば、その瞬間からその存在はさとりになる。さとりという存在が同時に二つ以上存在する事も有り得るのである。勿論、これはあくまで例であり、本当は更に多くの属性を持っているからそう簡単に存在の入れ替わりは置きないが。
ここで言いたいのは、幻想郷では属性と存在の主従が逆転しているという事である。確固とした実存が無いので、属性以外のものは幾らでも変わっていく。ある者は性格が変わり、ある者は過去が変わり、ある者は目的が変わる。それはさながら仮面劇のキャラクターの様に、固有の属性のみがそのキャラクターを表している。
幻想郷では人も妖怪も変化をし続けていて曖昧としている。中でも妖怪の変質は枠となる筈の属性までもが変質するから際限が無い。この変質は「キャラ崩壊」と呼ばれ、幻想郷の妖怪達に恐れられている。当然それ等の住まう幻想郷もその名の通り不定の幻想である。そんな曖昧模糊とした幻想郷を固定しているのが、舞台装置「巫女」である。
巫女は「異変においては相対する妖怪に必ず勝つ」「人間」という二つの属性を持っており、人間と妖怪に均衡を与え、幻想郷を妖怪の住める最後の楽園として固定している。もしも巫女が消えれば、幻想郷を維持しているシステムが崩壊し、程なくして変質の連続に耐え切れず幻想郷は消失するだろう。幻想郷は「巫女」という柱によって支えられている。
現在の巫女は博麗霊夢と言う。彼女は生来の性質として「他者からの変質を受け付けない」という属性を持っている為に、幻想郷では類を見ない程の強固な実在を持っている。幻想郷を安定させるには適役であり、恐らく死ぬまで巫女の役目を全うするであろう。
付け加えて、現在の幻想郷には「巫女」に類似した「自機」という実在がある。自機は巫女と同様に異変を解決した人間であるが巫女とは少し違う。つまり「異変においては相対する妖怪に必ず勝つ」という属性が与えられていない。「自機」は異変を解決した結果、「異変を起こした妖怪よりも強かった人間」という属性を勝ち取った者であり、それはあくまで解決した異変の中でだけの役柄である。しかし異変の中だけとは言え巫女と同等の存在になるのだから、幻想郷の中での実在が補強される。例えば巫女と同じだけの異変を解決してきた霧雨魔理沙という自機は巫女と同じだけの強固な実在を築いている。もしも幻想郷に大変革が起こったとしても、「巫女」の博麗霊夢と「自機」の霧雨魔理沙は存在し続けるだろう。言うなれば演劇の中の主人公の様に彼女達が演じる舞台が続く限り彼女達は存在を約束されている。そして彼女達が居る限り幻想郷のシステムが崩れる事は無く、幻想郷自体の存続もまた約束されている。
』
途中で読むのを止めたレミリアはその雑誌を畳に置いて、ずずいと身を乗り出した。
「これは?」
怪訝な顔を寄せてくるレミリアに対して、紫はあくまで涼し気な表情で正座を崩さない。紫の背後では魔理沙が震えている。
「外の世界の科学者が書いた幻想郷についての考察よ」
「へえ。で?」
「書いてあるでしょ? 自機っていうのは人間じゃなくちゃ駄目なのよ」
「はあ? 誰がそんな事決めたのよ。良い? 私はそこの魔理沙よりも人気があるのよ?」
指を刺された魔理沙がびくりと体を震わせた。
紫は指先から魔理沙を庇う様に体をずらすと、尚も冷徹な声音で答える。
「幻想郷の中ではそう決まっているの。妖怪が妖怪の起こす異変を解決したって何の意味も無いのよ。異変はあくまで人間が解決しなくちゃいけない。何の為のスペルカードだと思っているの?」
「じゃあ、私はどうなんですか?」
呆然としているレミリアを押しのけて、早苗が紫の前に滑り込んだ。
「私は人間ですよ? それに異変を解決した事だってあります。かつて自機だったんですから。それなのにどうして今回自機になれなかったんですか?」
紫が先程の雑誌を開いて、レミリアに読ませていた一節を早苗の前に差し出した。
「ここに書いてある通り、あなたは今回異変を解決出来なかった。というより、気づく事すら出来なかった。だからあなたに自機の資格なんて無いの」
「そんな」
「分かったら、次回の異変に期待しなさい」
すると早苗が何かぽつりと呟いた。聞き取れずに紫は「え?」と聞き返す。
「じゃあ、紫さんが異変起こして下さいよ!」
「ええ! 何で私が」
「だってあなた妖怪でしょ! 妖怪なら異変起こして下さいよ!」
「ちょっと!」
「早く! 起こしてください! 起こして! 起こせ!」
興奮して身を乗り出した早苗を諏訪子と神奈子が取り押さえる。
「もう止めよう、早苗」
「もう十分だよ。ごめんよ、次は自機かなぁなんて毎日プレッシャー掛けちゃってて」
「放して! 私は自機に! 自機にならなくちゃ、また人気が!」
叫ぶ早苗は諏訪子と神奈子に引きずられていった。同じ様にレミリアも保護者達に連れ去られていく。
部屋には魔理沙と紫だけが残された。
さっきまでの煩い喧騒が消えて、身じろぎの音すら大きく聞こえる様な静寂が訪れた。
紫はしばらくその場で座っていたがやがて溜息を吐いて立ち上がった。その服の裾を魔理沙が掴む。
「なあ、紫」
突然今まで黙っていた魔理沙に声を掛けられて、紫は不思議そうに振り返る。
「どうして私を助ける様な事をしたんだ?」
「助ける? 今の自機化の話?」
「そうだよ」
「別に助けちゃいないわよ」
紫が答えると、魔理沙は俯いた。
遠くから未だに早苗の暴れる声が聞こえてくる。
「さっきの話は本当なのか? 異変が妖怪の為だとか、幻想郷があやふやだとか」
「まさか冗談に決まってるじゃない」
「え?」
「あんまりにもしつこいものだからうんざりして適当にはぐらかしただけ」
「でもその本は」
「これを書いた子達、幻想郷の上辺しか知らないもの。書いてある事はほとんど聞きかじりの適当な話よ。例えば異変は人間側が解決しなくちゃいけないと書いてあるけれど、妖夢は人間ではないし、咲夜だって人間側じゃないでしょ?」
「じゃあ、どうして私は自機なんだ?」
「どうしてだと思う?」
「分からない。さっきの話を聞いていたら、異変を解決してるから自機になったんだと思ったけど、でも嘘だったんだろ? じゃあ、分からない」
「そう。ならそれで良いじゃない。分からないのに、みんなが憧れる自機だなんて。それはとても素敵な事じゃない? それに人気が無いなんて事決して無いわ。この前、月の姫を倒して、人気急上昇中なんだから」
紫が優しげな笑みを浮かべるが、魔理沙は首を横に振った。
「依姫を倒したあの映像は誰かが勝手に作った嘘だろ。私知らないし。自機だって全然身に覚えが無いのに。気になるんだ。どうしてか。だって、霊夢は博麗の巫女で、凄い能力を持ってて、皆に好かれているのに。私は勘当されてるし、まだ魔法使いにだってなってないし、嫌われ者なのに」
「つまり箔が無いって事?」
「それは少し違うけど。でもそれも一つの理由だ。だって博麗の巫女に比べて、家出娘なんて落差があり過ぎるぜ」
紫は一つ溜息を吐く。それからしゃがみ込んで魔理沙を見据えた。
「魔理沙、そんなに今の自分が嫌?」
突然冷たい目で見つめられて、魔理沙は訳も分からず寒気を覚えた。手が震えて、それを抑える為にスカートを握りしめる。
「これから言う真実はあなたの世界をひっくり返して壊してしまうかもしれない。それでも聞く?」
魔理沙は更に強くスカートを握りしめる。
「真実?」
「そう真実。あなたの知らない。けれどあなたの根本に関わる真実。これを知ったらあなたは、もしかしたら」
紫が言い淀んで言葉を切った。
魔理沙は息を飲んで身を引いたが、すぐに口を引き結んで頷いた。
「知りたい」
魔理沙がはっきりと紫を見据える。その眼差しを受けて紫は微笑みを浮かべた。
「そう、ならね、魔理沙。幻想郷を保つ博麗の巫女と比べて家出娘のあなたが劣っていると言うのなら」
紫がそこで迷う様に言葉を途切った。
一瞬生まれた沈黙が重くのしかかって、魔理沙は項垂れる。
それを眺めながら、紫は口を引き結び、決意した様子で口を開いた。
「幻想郷を生み出した妖怪の賢者の娘ならばどうかしら?」
魔理沙が顔を上げて驚きに満ちた表情のまま固まった。
「それなら十分博麗の巫女に対抗出来ると思わない?」
紫がそう言って魔理沙の頬に手を当てた。
「あなたは霧雨の娘じゃない。あなたと私は人間だとか妖怪だとかそんなの全く関係なく、ただ親子という属性を持って繋がっていたら」
魔理沙が目を見開いたまま問い返す。
「嘘だろ?」
すると紫がくふふと笑った。
「嘘よ」
「え?」
魔理沙はしばらく呆けた様に口を半開きのまま固まっていたが、やがて理解が及んだ様でへらりと口を歪めてぎこちない笑いの表情になった。
「何だ」
「妖怪の娘の方が良かった?」
紫が冗談めかして言いながら、立ち上がる。
魔理沙は小さく息を吐きながら頭を掻いた。
「ちょっと、面白いかもって思った」
「え?」
今度は紫が固まった。
「お前の事、嫌いじゃないしな。もう実家に帰る気も無いし。さっきだって助けてくれて、優しいし。だから今からでもそうなったら良いなって思った」
言ってから、魔理沙は恥ずかしそうに頭を掻き乱す。
「ああ、もう! なんか恥ずかしい事言ったな。今のは忘れてくれ!」
魔理沙が立ち上がって紫の横を通ると、紫はぽつりと呟いた。
「ええ、心に閉まっておくわ」
「そうしてくれ!」
魔理沙が部屋を出ていこうとすると、紫がその背に向けてまた呟く。
「ごめんなさいね、魔理沙」
「ん? 何か言ったか?」
魔理沙が立ち止まって振り返る。紫は首を横に振ると魔理沙の背を押して部屋の外へと促した。二人並んで縁側を歩く。紫が微笑みを魔理沙に向けた。
「魔理沙、あなたは自分の事を嫌われ者って言っていたけれど、私はそんな事無いと思うわ」
「依姫を倒したからか? そう言っても身に覚えが無くて気持ち悪いんだよ。それに一時的なものだろ。本当に私の事を好いてくれる人なんて思いつかないぜ」
「少なくともあなたの親はあなたの事を愛しているわ」
「親父とお袋が? そうかなぁ。そうは思えないけど」
「あなたを思うだけで笑顔になるの」
「いっつもむすっとしてた気がするけど。って、あれ? どんな顔だったか、良く思い出せないな。ぼんやりとは浮かぶのに」
両親の顔を思い出そうと悩んでいる魔理沙を見ながら、紫はくふふと笑う。
「実の無い設定よ、魔理沙」
「え? 何が」
「いいえ、何でも。ただ、そうね、あなたに嘘を吐いている事を申し訳ないなって」
「何だよ、さっきの事ならもう気にしてないって。忘れてくれよ」
魔理沙が何処か気恥ずかしそうに顔を赤らめる。
紫はその横顔を寂しげに見つめていたが、やがて思い改めた様に笑みを作ると、良い事を思いついたとでも言う様な顔で手を合わせた。
「ねえ、今日は家で食べてかない?」
「良いのか? ならご相伴に預かるぜ」
「本当? 何が良い?」
「私が決めても良いのか?」
「ええ、良いわよ」
「なら、そうだなぁ。寒くなってきたし、鍋が良いなぁ」
「じゃあ、お鍋にしましょう」
「おっしゃー! 久しぶりに豪華な夕飯だぜ!」
はしゃいでいる魔理沙を紫はやはり影のある笑みで見守っている。
『
終章
ここまで述べてきた属性先行型の舞台的世界は決して我我の世界と無関係では無い。
発達し過ぎた情報伝達により、既に人類は現在そのものでなく、その先の未来こそが現在だと信じている。メディアの報道する「今や世界の何処かでこれから起きるかもしれない」は、「今現在私達の身の回りで起こっている事件」と同義となった。つまりマクロな世界では最早「それが間違いなくそれである」という実存よりも「それがそうでなければならない」という属性が先行しているのである。
では我我の世界も今まで述べてきたモデルケースに当てはめて存続させる事が可能なのだろうか。
今まで述べてきた属性先行型の舞台世界では、支柱となる英雄が世界を支え、その柱に限界が近付くと英雄と同等の存在が生み出されるという延命がとられていた。
例えば第一章の幻想郷では、「巫女」というシステムに限界が近付くと、同等の存在として「自機」という制度が作られ、巫女の負担を分散する事に成功していた。英雄となる為に生み出された霧雨魔理沙は自機という役柄をこなす事で、目論見通り巫女と同等の英雄となり、世界の柱となった。
ならば我我の世界も英雄を生み出せば存続可能なのか。
私はそれを不可能であると断じる。
何故なら英雄を生み出して世界を支える等、我我の世界ではとうの昔に行っていて英雄達を林立させたにも関わらず、それでも世界の崩壊は加速しているからだ。つまり今までのケースは我我の世界の存続の参考にならない。何故なら我我の世界が最も破滅に近い場所へ進んでしまっている、最初のモデルケースであるからだ。
我我の世界は既に崩壊を止められない。その意味で、月世界を救った宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンという二人の英雄がこの世界から消えたのは、不幸と見做す者も居ようが、私から見れば幸せな選択である。この世界の崩壊を目の当たりにせずに済んだのだから。
そして私はここに提言する。もはや世界の崩壊は止められない。残されたのは、この世界から如何にして逃げるかという選択だけだ。我我は並べられたカードの一枚を引いても良いし、引かなくても良い。並んだカードは一見色取り取りに見えるが、どのカードも伏せられた面には何も書かれていない。
』
依姫が頭を地に付け
ブレーンの振動
知ってってました
ブレーンを破壊
科学繊維
飛んでいる。。
用意に変化
幻想郷でいう「属性」とは社会的肩書のことであり、たとえば「理事長」の肩書はその子に受け継がれた。役割の世襲による継続は、前近代社会の特徴でもある。
月の技術の導入と敵の消失、恐れの消失は、人間のこころの危機を作り出し現在の事態を引き起こした。この危機を、また蓮メリを襲った危機を乗り越えるには、「作り物」なる虚構を乗り越え自分の認識を真実と定めるしかないだろう。
幻想郷とは物語であり、創作物の集合体だから、ゲームの中にあるようにキャラクターと属性の集合体であった。そして実は「自分」もそうだった。願望により作られたフィクション。斬新極まるエピローグが「ゆっくり」たちの力でメタを極めてから、真の最終話へと転回していきます。
"Entreaty": 哀願、懇願
"stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus":「過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり」
そう思いました。
作られたものは自分がそうであると認識するのは自身を破滅へと導く要因となり、縋るものが無くなれば意図も容易く消え失せる。
九十九神も道具としての『生い立ち』があるから何者かを認識しても生きていける。
こういう観点で見ると、無我の境地はそのための回避手段と言えるかもしれない。
そして行き場を失った思念はどこへ行くのだろうか・・・
色々と考えさせられる作品でした。
そしてここでこんぺのエピソードを持ってくるとは。
また違った趣であの文章を読むことができますね。
それにしてもメリーさん魔法少女に思い入れありすぎるぅ。
あまりにも幼すぎ、感情的、どちらかと言うとネガティブ、不安定。
もし仮に、安定、ポジティブ志向の蓮子であれば存在理由の揺らぎ程度気にも溜めなかったでしょうし、幾らかはHappyEnd?を目指せた気もしないでもない。そう考えると敢えてBadEnd(蓮子消失)を前提に性格設定をする作者さんは本当に性質が悪い。性癖が歪とも言いますが詮無い事ですね。
作者さんは感情を書きたい人であり、その為に物語の肉付けをする人だと見受けられますが、其の部分以外での人・物の配置がオザナリだったり、伏線が強引だったり、構成に飛躍があったりは長編では大抵思うけど気になったり、そうでもなかったり。まあ、ついつい終りまで読んじゃうんですけど。