宵闇の妖怪とは、よく言ったものだと思う。
誰が言ったかは知らないが、私の本質をよく表している。
私を覆い隠しているのは、闇という他に言い表す言葉など無いからだ。
光の入る余地など全くない、完全な闇の中である。
いつからそうしているのか、考えたことはない。考える必要もないからだ。
ここはどこなのか、それも全くわからない。知る必要もないからだ。
私はただ、闇の中にいればいい。この闇こそが、私に安らぎをくれる。
眠りと目覚めの狭間をたゆたうようなまどろみが心地良い。
私はどちらにいるのか――どちらでもないのだろうか。
どちらでも構わないのだ。
めこぉ。
「ッあ――」
痛ッた、ヤバいこれマジで痛い。
いやそりゃ頭ぶつけるとかいつものことだよ。私前見えないもん。間抜けだとは思うけどほんとのことだもん。
そこらの木にぶつかるくらい日常茶飯事だからもう鍛えられて頭カッチカチだよ。ちょっとやそっとぶつかった所で今更痛くも痒くもないよ。
でもさ、木の洞が出っ張ってる部分が目に直撃ってどういうことだよ。どういうことだよ畜生。私が妖怪でなかったら目ェ潰れてるよこれ。ていうかちょっとヘコんでるし。
ちょっとマジで痛い。とてもじゃないけど立ってらんない。座ろう。ていうかのたうち回ろう。みっともないけど、どうせ闇で見えないし見えたとしても気にしないだろうし。私みたいないち妖怪が何してたって勝手だよ。ほっといてよ。
ごりぃ。
「ぎゥっ――」
背骨。背骨が、木の根っこで、ごりって。ごりごりって。
そういやそうだよ、木にぶつかったんだから木の傍なんだよ。そりゃそこらに根っこもあるだろうよ。
だけどさ、なんで私がたまたま背中を下ろした所にあるんだよ。それだけならまだしも、なんでちょっと尖ったような形してんだよ。私の背骨は全体重を支えられる程強くないよ。
絶妙に手の届かない所だから手を当てようにも当てらんないよ。届いたところでどうにもならないけど、その事実だけで私の心が磨り減るよ。妖怪に精神攻撃は基本だってかクソが。
ダメだ、地面はダメだ。やっぱ立とう。とりあえずここを離れよう。前は見えないけどちょっと歩けば地面だし、そこで膝を下ろして少し休もう。
ああ痛い。目と背中がすっごい痛い。闇の中だからいいけど、今きっと私すごく珍妙なポーズとってる。
よしここまで来れば大丈夫だろう。ああ疲れた。なんだか力が抜けてきそうだ。
ぐりぃ。
「ウゅっ――」
今のは、何だ。ああ、小石か。そういやなんかそんな名前の奴がこないだ騒いでた、いやんなこたどうだっていいんだ。
なんで、なんで私が膝を下ろしたその場所にあるんだよお前は。しかも両方とか。この瞬間のために一体いつからいるんだよ。どれだけ満を持したんだよ。月だって満ちれば欠けるのにお前は。
ご丁寧にちょっと尖ってるし。知ってるぞ三角錐っていうんだろその形。先が丸っこいのはあれか、血が出ないようにっていう配慮のつもりか。私には暴力を振るう奴が顔を避ける理由にしか見えないぞ。
安心しきってまた全体重かけた私の身にもなれよ。さっきと違って今度は重力加速度も込みだぞ。肘のいい所に入るとビリって電気流れたみたいになるけど、足でもなるって新しい発見だよ畜生。
やっぱりちょっと歩いただけじゃダメだ、ここから離れよう。まだ立つのが辛いけど、ここで甘えることはできない。言わばここは戦場だ。弾の飛び交う中でうずくまってたらやられるだけだ。すっごい痛いけど、頑張れ私。
がっ。どさ。ごりゅぅ。
「ゴほッ――!?」
痛みに悶える私は最早理解が追いつかない。一つずつ、一つずつ考えよう。
私は転んだ。それは理解できる。ムカつくけど、現実は受け止めきゃいけない。いくら叫んでも、泣いても、世の中はなるがままにしかならないんだ。
だけど受け止めたくない現実ってあるもんなんだ。例えばそう、どうして私が転んだ先にまた石があるんだろう。そして、その位置がどうしてこうも絶妙に、惚れ惚れするほど美しくみぞおちの部分にあるんだろう。
やばい、息ができない。これはあれか、肋骨の下を抉るように横隔膜を直接貫かれたのか。なんだその芸当、どこの波紋戦士だ。最近の戦士は石でもなれるのか。でも痛みは全然やわらいでないよ、むしろ更に悪化してるよ。
あ、やばい。何かこみ上げてきた。出そう。少女としてあるまじきサムシングがリバースしそう。いくら妖怪ったって私も少女の端くれ。そんな汚物を無闇にまき散らすことなんてでき、うぷ、あ、だめだ。耐えろ、耐えるんだ私。
そうだちょっと休憩しよう。いや疲れることなんて何一つしてないはずなんだけど。立て直そう、いろいろと。主に私の心とか。このままだと精神が洒落じゃなく致命的なレベルでやばい。とにかく、身を起こさないと。いつまでも寝転がってたらまた何が起こるか。
ずる。べしゃ。
「うブっ――」
手が滑った。辛うじて起こそうとしていた体が落ちて、また地面と熱いキスを交わす。
なんで、なんでだ。いや、それは考えるまでもない。何かの拍子に手が滑るなんてよくあることだ。私が聞きたいのは、どうして今だったんだ。今じゃない、もう少し、あと十秒くらい後ではダメだったのか。
しかも何気に、強かに頭を打った。これはそれほど痛いわけではないけど、別のものがいろいろと痛い。
口の中に砂が入ってる。確かに、悪食で名前は通ってるしそういう自覚はあるけど、流石に砂を食べ物と認識することはできない。ミミズだって本当は食べてるわけじゃなくて、殆ど全部排出してるのに、私が食べられるわけがない。
やばい、またこみ上げてきた。いかん、負けるな私。ここで負けたら本当に取り返しがつかないかもしれない。瀬戸際だ。ここが私のデッドラインだ。耐えろ、耐えろ、耐えてくれ。今耐えなきゃ、今やらなきゃ、私がアレする。そんなの嫌だから、だから。
「ぅぼろろろ……」
無理でした。
少女から出る汁は聖水だとか誰かから聞いたけど、じゃあこれも聖水なのか。私は絶対違うと思う。私の知ってる聖水は、こんなに酸っぱくないし黄色くない。いろいろ不純物が混じってたりもしない。
体勢のせいか、聖水が鼻まで上がってきた。すごくツンとして痛いのは、粘膜が瞬く間にやられているからだろう。そりゃそうだ、消化液だし。聖水なんかじゃないし。
ああでも、口の中に入った砂は洗い流せたかな。そう思い込むことでどうにか心を支えようとしたけど、襟元から服に聖水が入る感触でぽっきりと折れた。この服、一応一張羅なのに。妖怪が服を買うなんて、そうそうできることじゃない。
この服を手に入れるために頑張ったいろいろを思い出してまた折れそうになったけど、ぐっと堪えた。まだだ、まだ私は立てる。すっごく痛いけど、もうなんか座り込んで泣きたいけど、まだ立てる。
どうせ汚れたんだから、構わない。私は口元の聖水を袖で拭った。また洗えばいい。
そうだ、洗おう。服だけじゃなく体も洗ってやり直そう。霧の湖はここから遠くないはずだ。そこで水に潜って全部丸洗いしてしまおう。
そうと決まれば、うずくまっている暇はない。やるべきことが決まったなら、前へ進むだけだ。でも恥ずかしいから闇は纏ったままで行こう。空高く飛べば問題ないはずだ。その前に、一度立ち上がらなければ。
がっ。めこぉ。
「ぃアっ――」
め。目。また。メ。逆。いた。
またお前らか、根っこと木の洞。
いや、一つずつならまだよかったよ。よくないけど、いいことにするよ。それならまだ、今までと大差ない痛みだから耐えられたよ。でも、もう、お前らマジなんなんだよ。
なんでそこに根っこがあるんだよ。いや、違う。なんでそこに木の洞があるんだよ。いやそれも違う。なんでお前らそこにいるんだよ。違う。違うけど、違くない、けど、ああ、もう。
なんで私が立とうとした所に根っこがあって、なんで倒れたところに木の洞があるんだよ。そうだ、そう言いたかったんだ私は。声出ないけど。痛くて。さっきとは逆の目が痛くて痛くて。
転んだ勢いのままだから、さっきより深く刺さったかもしれない。ああやっぱりさっきよりヘコんでる。どうすんだよどうしてくれんだよ、左右対称じゃなくなっちゃったよ私の目。闇の中にいるんだからいらないとか言うなよ。言ったらマジでヘシ折ってやる。後でな。痛い。まだ。
とにかく、ヘシ折るのは後だ。湖に行って、いろいろと洗い流さないと。先にそれを済ませないと、このままじゃ私がどうなるかわからん。予定通り、空を飛ぼう。方角は大丈夫だ、あの位置は体で覚えている。ふわり。よし、まだ飛べる。まだ舞える。早く、湖へ。早く、早く。
ごっ。
「ぷヴっ――」
痛った。痛い。何だ、今度は何だ。頭か。頭の天辺が痛いのか。
もう痛い所が多くてどこが痛いのかよくわからない。でも、今度は頭が痛いんだ、きっと。
なんでだ。空飛んだんだから根っこも石もないのに。って、ああ、そうか。木ってものは、枝があるもんな。それに頭ぶつけたんだな。わかった。よくわかったよ。だからこの痛みをなんとかしてください。お願いします何でもしますから。
ああそうかダメだよな。知ってたよ。うん。お前私のこと嫌いなんだろそうなんだろ。なんで今まで気づかなかったんだろうな。不完全燃焼でもなんでもなく最初から全力だったのにな。これが甘えって奴だったのかな。
とにかく、痛い。頭ぶつけるのはいつものことだけど、真上から強打されたことはないから痛い。頭っていうか首が痛い。気が逸って結構な勢いだったもんな。きっと人間ならヘシ折れてるんだろうな。さっき私がヘシ折るとか思ったからか。私の意志を潰すつもりかこのやろう。
危うく叩き落とされる所だったけど、どうにか堪えた。でも、このままの勢いで行くのはちょっと無理がある。やっぱり一旦降りて立て直そう。はあ、何なんだ一体。
ずる。
「え」
根っこの上に着地した。やばい、これは、これまでから考えて、やばい。でも、立て直せない。倒れる。堪えろ。膝。
ぐりぃ。
「いギっ――」
また、膝。両方。痛った。身を、逸らして、後ろに、倒れ。
ごりぃ。
「ごッ――」
背骨。根っこ。尖って。逃げろ、転がって。
ごりゅぅ。
「ヴっ――あッ――」
石。三角錐。痛い。肋骨の、間。抉り。痛い。いた。いった――。
のたうち回って、仰向けに転がって、ようやく落ち着いた。もう、疲れた。動きたくない。闇を張ってるのも辛い。いいや、解いてしまおう。
目の前に太陽があった。空は雲一つない快晴で、太陽は絶好調に輝いている。清浄な空気は、太陽の恵みを削ること無く真っ直ぐに地表へ降り注ぐ。私は、そんな太陽を真っ向から真っ直ぐに見据えていた。
「っ――」
ただでさえ苦手な光が余りにも眩しくて、私は堪らず目を瞑った。それでも光は止まること無く、瞼を通って網膜まで伝わってくる。まるで五寸釘でも打ち付けられている気分になって、私は瞼を手で覆った。
手に何か、湿り気が伝わってくる。これは、きっと草の汁か何かだろう。当然だ。さっきから散々のたうち回っているのだから、草の一本や二本踏み潰していてもおかしくない。草の汁にしてはさらりとしているのも、きっと気のせいに違いない。
いや、二回も目を強く打ったのだから、きっとそのせいだ。これは目を守るための、極めて生理的な作用である。そうに違いない。
ああ、だめだ。大事なものが崩れていく。私の中の、とても大事な、致命的な何かが、音を立ててがらがらと崩れていく。
ああ、私は――もう。
「うわあぁっ!」
石畳の上を魔理沙が転がる。その勢いはとても彼女の意思で御しきれるものではなかった。
どさ、と。彼女を受け止める影があった。魔理沙は紅白の影を見上げて、安堵したように息をついて目尻を下げる。
「悪い、助かったぜ。霊夢」
「余所見しない。前見て、前」
「え――うわっ!?」
言われて魔理沙が前を見ると同時に、霊夢の結界が一際大きな光と音を立てた。それは二回、三回と続き、やがて止んだ。霊夢が攻撃を防ぐことは成功したが、結界は見るからに限界を迎えている。もうあと一押しで無残な姿へと変わってしまうだろう。
「なんて力……」
「お、おい! 早く張り直さないと」
「わかって――っ!?」
霊夢が言い切らない内に、先程より強烈な一撃が叩き込まれた。既に限界を迎えていた結界がそれに耐えられるはずもなく、鉄壁だったはずの結界は木っ端微塵になってしまう。そして、攻撃の正体である巨大な弾が迫ってくるのが見えた。
「――っ!」
咄嗟に霊夢は目を瞑り、抱えている魔理沙をぎゅっと抱き締める。結局は遊びであるスペルカードルールでは決して感じることのない、死の恐怖。それを目の当たりにして丸腰で立ち向かえるほど、霊夢は成熟していなかった。
そして――。
「霊夢」
覚悟した衝撃は訪れず、呼ばれて霊夢は恐る恐る目を開く。そこには、忌々しく、鬱陶しく、しかし何よりも頼もしい背中があった。
「紫!」
「無事ね?」
紫は振り向かず、声だけで応える。目の前にいる敵に、いつでも立ち向かえるためだろう。紫の姿を警戒してか、敵の続く弾はなかった。しかし、気配だけでまだそこにいることは十分にわかる。それほどに禍々しく、強大な気配だった。
「あんたがここにいるってことは――」
「ええ。他は全て落とされたわ」
それを聞いて、霊夢ははっと息を飲む。覚悟はしていたものの、信じたくない言葉だった。何もなくても神社へ訪れて、好き勝手に騒ぐ連中。時には鬱陶しく思ったものの、それでも霊夢にとって大切な友人であった数々の人妖。
それらが、全て――。
「心配しないで、霊夢。あなただけは私が守る」
「おいおい、私はのけ者かよ」
抱き締められたままの魔理沙が言った。その言葉こそいつものような軽口ではあったが、声音は震えている。彼女もまた、生まれて始めて感じる死の恐怖に怯えているのだろう。口にはしないが、霊夢の腕から出ないのも、立つことができないからに違いない。
そんな彼女達の脇を後ろかろすり抜ける影があった。
「ルーミア!」
「だめだって、チルノ!」
チルノ、リグル、ミスティア、そして大妖精と呼ばれる妖精。紫と対峙する相手、ルーミアとかつて友だった者達だ。しかし、今のルーミアは彼女達の知る姿ではない。腰まで伸びる金髪に、豊満な体つき。何よりも、全身から発する禍々しい気配がそれを物語っていた。
彼女達の呼び掛けに、ルーミアは何の反応も示さない。まるで聞こえていないかのように、強大な力を湛えてそこにいた。
「下がりなさい。最早彼女はルーミアではない」
「違う! ルーミアはあたい達の友達だ!」
チルノがそう叫び、再びルーミアの名前を呼ぶ。しかし、その反応が返ってくることはなかった。
感触に、紫は見下ろす。大妖精が今にも零れそうな涙を湛えて紫のスカートを掴んでいた。
「あの……ルーミアちゃん、どうしてあんなことに?」
「――ルーミアは、闇への恐怖そのものが具現した存在。あの程度の力は元々持っていたのよ」
頭のリボンに見覚えあるでしょう、と紫が言うと、大妖精は弱々しく頷く。
「あのリボンはその力を封印するためのものだったのよ。相当なことでも無い限り封印が解けることは無いはずだったのだけれど……」
「相当なこと――って」
紫は目を伏せて力なく首を振った。
「わからない。でも、悲しみや憎しみ、それもかなり強いものであれば、あるいは――」
「悲しみや、憎しみ……」
呟きながら、大妖精はルーミアを見る。その後ろに見えるはずの靑空は、今は真っ黒な闇に覆われている。幻想郷全土を覆い隠し、ルーミアの力で支配下に置かれているのだ。今や、仮初でも安全な場所は、博麗大結界の楔であるこの博麗神社のみだった。
「ルーミアちゃん、どうして……」
大妖精の呟きは、ルーミアに届くことはない。博麗神社を守る結界もやがては破られ、幻想郷は滅んでしまうだろう。そして、その力は外の世界にも及ぶことは間違いない。
ルーミアはその力を振るうべく、その手を高く掲げた。紫は己の持つ全ての力を賭して神社を死守するだろう。しかし、その力が及ぶべくもないことは、誰の目にも明らかだった。
――この世界は、私への悪意で満ち溢れている。
今度は、私が。私の闇で、満たしてやる――
誰が言ったかは知らないが、私の本質をよく表している。
私を覆い隠しているのは、闇という他に言い表す言葉など無いからだ。
光の入る余地など全くない、完全な闇の中である。
いつからそうしているのか、考えたことはない。考える必要もないからだ。
ここはどこなのか、それも全くわからない。知る必要もないからだ。
私はただ、闇の中にいればいい。この闇こそが、私に安らぎをくれる。
眠りと目覚めの狭間をたゆたうようなまどろみが心地良い。
私はどちらにいるのか――どちらでもないのだろうか。
どちらでも構わないのだ。
めこぉ。
「ッあ――」
痛ッた、ヤバいこれマジで痛い。
いやそりゃ頭ぶつけるとかいつものことだよ。私前見えないもん。間抜けだとは思うけどほんとのことだもん。
そこらの木にぶつかるくらい日常茶飯事だからもう鍛えられて頭カッチカチだよ。ちょっとやそっとぶつかった所で今更痛くも痒くもないよ。
でもさ、木の洞が出っ張ってる部分が目に直撃ってどういうことだよ。どういうことだよ畜生。私が妖怪でなかったら目ェ潰れてるよこれ。ていうかちょっとヘコんでるし。
ちょっとマジで痛い。とてもじゃないけど立ってらんない。座ろう。ていうかのたうち回ろう。みっともないけど、どうせ闇で見えないし見えたとしても気にしないだろうし。私みたいないち妖怪が何してたって勝手だよ。ほっといてよ。
ごりぃ。
「ぎゥっ――」
背骨。背骨が、木の根っこで、ごりって。ごりごりって。
そういやそうだよ、木にぶつかったんだから木の傍なんだよ。そりゃそこらに根っこもあるだろうよ。
だけどさ、なんで私がたまたま背中を下ろした所にあるんだよ。それだけならまだしも、なんでちょっと尖ったような形してんだよ。私の背骨は全体重を支えられる程強くないよ。
絶妙に手の届かない所だから手を当てようにも当てらんないよ。届いたところでどうにもならないけど、その事実だけで私の心が磨り減るよ。妖怪に精神攻撃は基本だってかクソが。
ダメだ、地面はダメだ。やっぱ立とう。とりあえずここを離れよう。前は見えないけどちょっと歩けば地面だし、そこで膝を下ろして少し休もう。
ああ痛い。目と背中がすっごい痛い。闇の中だからいいけど、今きっと私すごく珍妙なポーズとってる。
よしここまで来れば大丈夫だろう。ああ疲れた。なんだか力が抜けてきそうだ。
ぐりぃ。
「ウゅっ――」
今のは、何だ。ああ、小石か。そういやなんかそんな名前の奴がこないだ騒いでた、いやんなこたどうだっていいんだ。
なんで、なんで私が膝を下ろしたその場所にあるんだよお前は。しかも両方とか。この瞬間のために一体いつからいるんだよ。どれだけ満を持したんだよ。月だって満ちれば欠けるのにお前は。
ご丁寧にちょっと尖ってるし。知ってるぞ三角錐っていうんだろその形。先が丸っこいのはあれか、血が出ないようにっていう配慮のつもりか。私には暴力を振るう奴が顔を避ける理由にしか見えないぞ。
安心しきってまた全体重かけた私の身にもなれよ。さっきと違って今度は重力加速度も込みだぞ。肘のいい所に入るとビリって電気流れたみたいになるけど、足でもなるって新しい発見だよ畜生。
やっぱりちょっと歩いただけじゃダメだ、ここから離れよう。まだ立つのが辛いけど、ここで甘えることはできない。言わばここは戦場だ。弾の飛び交う中でうずくまってたらやられるだけだ。すっごい痛いけど、頑張れ私。
がっ。どさ。ごりゅぅ。
「ゴほッ――!?」
痛みに悶える私は最早理解が追いつかない。一つずつ、一つずつ考えよう。
私は転んだ。それは理解できる。ムカつくけど、現実は受け止めきゃいけない。いくら叫んでも、泣いても、世の中はなるがままにしかならないんだ。
だけど受け止めたくない現実ってあるもんなんだ。例えばそう、どうして私が転んだ先にまた石があるんだろう。そして、その位置がどうしてこうも絶妙に、惚れ惚れするほど美しくみぞおちの部分にあるんだろう。
やばい、息ができない。これはあれか、肋骨の下を抉るように横隔膜を直接貫かれたのか。なんだその芸当、どこの波紋戦士だ。最近の戦士は石でもなれるのか。でも痛みは全然やわらいでないよ、むしろ更に悪化してるよ。
あ、やばい。何かこみ上げてきた。出そう。少女としてあるまじきサムシングがリバースしそう。いくら妖怪ったって私も少女の端くれ。そんな汚物を無闇にまき散らすことなんてでき、うぷ、あ、だめだ。耐えろ、耐えるんだ私。
そうだちょっと休憩しよう。いや疲れることなんて何一つしてないはずなんだけど。立て直そう、いろいろと。主に私の心とか。このままだと精神が洒落じゃなく致命的なレベルでやばい。とにかく、身を起こさないと。いつまでも寝転がってたらまた何が起こるか。
ずる。べしゃ。
「うブっ――」
手が滑った。辛うじて起こそうとしていた体が落ちて、また地面と熱いキスを交わす。
なんで、なんでだ。いや、それは考えるまでもない。何かの拍子に手が滑るなんてよくあることだ。私が聞きたいのは、どうして今だったんだ。今じゃない、もう少し、あと十秒くらい後ではダメだったのか。
しかも何気に、強かに頭を打った。これはそれほど痛いわけではないけど、別のものがいろいろと痛い。
口の中に砂が入ってる。確かに、悪食で名前は通ってるしそういう自覚はあるけど、流石に砂を食べ物と認識することはできない。ミミズだって本当は食べてるわけじゃなくて、殆ど全部排出してるのに、私が食べられるわけがない。
やばい、またこみ上げてきた。いかん、負けるな私。ここで負けたら本当に取り返しがつかないかもしれない。瀬戸際だ。ここが私のデッドラインだ。耐えろ、耐えろ、耐えてくれ。今耐えなきゃ、今やらなきゃ、私がアレする。そんなの嫌だから、だから。
「ぅぼろろろ……」
無理でした。
少女から出る汁は聖水だとか誰かから聞いたけど、じゃあこれも聖水なのか。私は絶対違うと思う。私の知ってる聖水は、こんなに酸っぱくないし黄色くない。いろいろ不純物が混じってたりもしない。
体勢のせいか、聖水が鼻まで上がってきた。すごくツンとして痛いのは、粘膜が瞬く間にやられているからだろう。そりゃそうだ、消化液だし。聖水なんかじゃないし。
ああでも、口の中に入った砂は洗い流せたかな。そう思い込むことでどうにか心を支えようとしたけど、襟元から服に聖水が入る感触でぽっきりと折れた。この服、一応一張羅なのに。妖怪が服を買うなんて、そうそうできることじゃない。
この服を手に入れるために頑張ったいろいろを思い出してまた折れそうになったけど、ぐっと堪えた。まだだ、まだ私は立てる。すっごく痛いけど、もうなんか座り込んで泣きたいけど、まだ立てる。
どうせ汚れたんだから、構わない。私は口元の聖水を袖で拭った。また洗えばいい。
そうだ、洗おう。服だけじゃなく体も洗ってやり直そう。霧の湖はここから遠くないはずだ。そこで水に潜って全部丸洗いしてしまおう。
そうと決まれば、うずくまっている暇はない。やるべきことが決まったなら、前へ進むだけだ。でも恥ずかしいから闇は纏ったままで行こう。空高く飛べば問題ないはずだ。その前に、一度立ち上がらなければ。
がっ。めこぉ。
「ぃアっ――」
め。目。また。メ。逆。いた。
またお前らか、根っこと木の洞。
いや、一つずつならまだよかったよ。よくないけど、いいことにするよ。それならまだ、今までと大差ない痛みだから耐えられたよ。でも、もう、お前らマジなんなんだよ。
なんでそこに根っこがあるんだよ。いや、違う。なんでそこに木の洞があるんだよ。いやそれも違う。なんでお前らそこにいるんだよ。違う。違うけど、違くない、けど、ああ、もう。
なんで私が立とうとした所に根っこがあって、なんで倒れたところに木の洞があるんだよ。そうだ、そう言いたかったんだ私は。声出ないけど。痛くて。さっきとは逆の目が痛くて痛くて。
転んだ勢いのままだから、さっきより深く刺さったかもしれない。ああやっぱりさっきよりヘコんでる。どうすんだよどうしてくれんだよ、左右対称じゃなくなっちゃったよ私の目。闇の中にいるんだからいらないとか言うなよ。言ったらマジでヘシ折ってやる。後でな。痛い。まだ。
とにかく、ヘシ折るのは後だ。湖に行って、いろいろと洗い流さないと。先にそれを済ませないと、このままじゃ私がどうなるかわからん。予定通り、空を飛ぼう。方角は大丈夫だ、あの位置は体で覚えている。ふわり。よし、まだ飛べる。まだ舞える。早く、湖へ。早く、早く。
ごっ。
「ぷヴっ――」
痛った。痛い。何だ、今度は何だ。頭か。頭の天辺が痛いのか。
もう痛い所が多くてどこが痛いのかよくわからない。でも、今度は頭が痛いんだ、きっと。
なんでだ。空飛んだんだから根っこも石もないのに。って、ああ、そうか。木ってものは、枝があるもんな。それに頭ぶつけたんだな。わかった。よくわかったよ。だからこの痛みをなんとかしてください。お願いします何でもしますから。
ああそうかダメだよな。知ってたよ。うん。お前私のこと嫌いなんだろそうなんだろ。なんで今まで気づかなかったんだろうな。不完全燃焼でもなんでもなく最初から全力だったのにな。これが甘えって奴だったのかな。
とにかく、痛い。頭ぶつけるのはいつものことだけど、真上から強打されたことはないから痛い。頭っていうか首が痛い。気が逸って結構な勢いだったもんな。きっと人間ならヘシ折れてるんだろうな。さっき私がヘシ折るとか思ったからか。私の意志を潰すつもりかこのやろう。
危うく叩き落とされる所だったけど、どうにか堪えた。でも、このままの勢いで行くのはちょっと無理がある。やっぱり一旦降りて立て直そう。はあ、何なんだ一体。
ずる。
「え」
根っこの上に着地した。やばい、これは、これまでから考えて、やばい。でも、立て直せない。倒れる。堪えろ。膝。
ぐりぃ。
「いギっ――」
また、膝。両方。痛った。身を、逸らして、後ろに、倒れ。
ごりぃ。
「ごッ――」
背骨。根っこ。尖って。逃げろ、転がって。
ごりゅぅ。
「ヴっ――あッ――」
石。三角錐。痛い。肋骨の、間。抉り。痛い。いた。いった――。
のたうち回って、仰向けに転がって、ようやく落ち着いた。もう、疲れた。動きたくない。闇を張ってるのも辛い。いいや、解いてしまおう。
目の前に太陽があった。空は雲一つない快晴で、太陽は絶好調に輝いている。清浄な空気は、太陽の恵みを削ること無く真っ直ぐに地表へ降り注ぐ。私は、そんな太陽を真っ向から真っ直ぐに見据えていた。
「っ――」
ただでさえ苦手な光が余りにも眩しくて、私は堪らず目を瞑った。それでも光は止まること無く、瞼を通って網膜まで伝わってくる。まるで五寸釘でも打ち付けられている気分になって、私は瞼を手で覆った。
手に何か、湿り気が伝わってくる。これは、きっと草の汁か何かだろう。当然だ。さっきから散々のたうち回っているのだから、草の一本や二本踏み潰していてもおかしくない。草の汁にしてはさらりとしているのも、きっと気のせいに違いない。
いや、二回も目を強く打ったのだから、きっとそのせいだ。これは目を守るための、極めて生理的な作用である。そうに違いない。
ああ、だめだ。大事なものが崩れていく。私の中の、とても大事な、致命的な何かが、音を立ててがらがらと崩れていく。
ああ、私は――もう。
「うわあぁっ!」
石畳の上を魔理沙が転がる。その勢いはとても彼女の意思で御しきれるものではなかった。
どさ、と。彼女を受け止める影があった。魔理沙は紅白の影を見上げて、安堵したように息をついて目尻を下げる。
「悪い、助かったぜ。霊夢」
「余所見しない。前見て、前」
「え――うわっ!?」
言われて魔理沙が前を見ると同時に、霊夢の結界が一際大きな光と音を立てた。それは二回、三回と続き、やがて止んだ。霊夢が攻撃を防ぐことは成功したが、結界は見るからに限界を迎えている。もうあと一押しで無残な姿へと変わってしまうだろう。
「なんて力……」
「お、おい! 早く張り直さないと」
「わかって――っ!?」
霊夢が言い切らない内に、先程より強烈な一撃が叩き込まれた。既に限界を迎えていた結界がそれに耐えられるはずもなく、鉄壁だったはずの結界は木っ端微塵になってしまう。そして、攻撃の正体である巨大な弾が迫ってくるのが見えた。
「――っ!」
咄嗟に霊夢は目を瞑り、抱えている魔理沙をぎゅっと抱き締める。結局は遊びであるスペルカードルールでは決して感じることのない、死の恐怖。それを目の当たりにして丸腰で立ち向かえるほど、霊夢は成熟していなかった。
そして――。
「霊夢」
覚悟した衝撃は訪れず、呼ばれて霊夢は恐る恐る目を開く。そこには、忌々しく、鬱陶しく、しかし何よりも頼もしい背中があった。
「紫!」
「無事ね?」
紫は振り向かず、声だけで応える。目の前にいる敵に、いつでも立ち向かえるためだろう。紫の姿を警戒してか、敵の続く弾はなかった。しかし、気配だけでまだそこにいることは十分にわかる。それほどに禍々しく、強大な気配だった。
「あんたがここにいるってことは――」
「ええ。他は全て落とされたわ」
それを聞いて、霊夢ははっと息を飲む。覚悟はしていたものの、信じたくない言葉だった。何もなくても神社へ訪れて、好き勝手に騒ぐ連中。時には鬱陶しく思ったものの、それでも霊夢にとって大切な友人であった数々の人妖。
それらが、全て――。
「心配しないで、霊夢。あなただけは私が守る」
「おいおい、私はのけ者かよ」
抱き締められたままの魔理沙が言った。その言葉こそいつものような軽口ではあったが、声音は震えている。彼女もまた、生まれて始めて感じる死の恐怖に怯えているのだろう。口にはしないが、霊夢の腕から出ないのも、立つことができないからに違いない。
そんな彼女達の脇を後ろかろすり抜ける影があった。
「ルーミア!」
「だめだって、チルノ!」
チルノ、リグル、ミスティア、そして大妖精と呼ばれる妖精。紫と対峙する相手、ルーミアとかつて友だった者達だ。しかし、今のルーミアは彼女達の知る姿ではない。腰まで伸びる金髪に、豊満な体つき。何よりも、全身から発する禍々しい気配がそれを物語っていた。
彼女達の呼び掛けに、ルーミアは何の反応も示さない。まるで聞こえていないかのように、強大な力を湛えてそこにいた。
「下がりなさい。最早彼女はルーミアではない」
「違う! ルーミアはあたい達の友達だ!」
チルノがそう叫び、再びルーミアの名前を呼ぶ。しかし、その反応が返ってくることはなかった。
感触に、紫は見下ろす。大妖精が今にも零れそうな涙を湛えて紫のスカートを掴んでいた。
「あの……ルーミアちゃん、どうしてあんなことに?」
「――ルーミアは、闇への恐怖そのものが具現した存在。あの程度の力は元々持っていたのよ」
頭のリボンに見覚えあるでしょう、と紫が言うと、大妖精は弱々しく頷く。
「あのリボンはその力を封印するためのものだったのよ。相当なことでも無い限り封印が解けることは無いはずだったのだけれど……」
「相当なこと――って」
紫は目を伏せて力なく首を振った。
「わからない。でも、悲しみや憎しみ、それもかなり強いものであれば、あるいは――」
「悲しみや、憎しみ……」
呟きながら、大妖精はルーミアを見る。その後ろに見えるはずの靑空は、今は真っ黒な闇に覆われている。幻想郷全土を覆い隠し、ルーミアの力で支配下に置かれているのだ。今や、仮初でも安全な場所は、博麗大結界の楔であるこの博麗神社のみだった。
「ルーミアちゃん、どうして……」
大妖精の呟きは、ルーミアに届くことはない。博麗神社を守る結界もやがては破られ、幻想郷は滅んでしまうだろう。そして、その力は外の世界にも及ぶことは間違いない。
ルーミアはその力を振るうべく、その手を高く掲げた。紫は己の持つ全ての力を賭して神社を死守するだろう。しかし、その力が及ぶべくもないことは、誰の目にも明らかだった。
――この世界は、私への悪意で満ち溢れている。
今度は、私が。私の闇で、満たしてやる――
取り敢えず雛を呼ぼう。
とにかく、何も見えない暗闇って不便ですよね
つーかギャグに見えないってのは自分の感性が変なんですかね?
この長さだったら個人的にはほのぼのとしたオチが欲しかった所。(あくまで個人的に)