Coolier - 新生・東方創想話

桜咲く日々の残り香のように

2014/04/22 01:47:52
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 なにか切っ掛けがあったのだろうかと思い返しても、それらしきものにさっぱり心当たりが無い。
 きっと、子供の背丈が日ごとに成長していくような、そんなごく当たり前の成り行きのようなものだったのだろう。
 ある朝目覚めたら、と形容したくなるくらい突然に、私は空を飛ぶことに違和感を覚えるようになっていた。いや、違和感に気がついた、とするほうが私の気持ちに沿っているな。
 それに気がついてすぐは、喉に刺さった魚の骨のように些細なことだった。捨て置けるほど些細なことだったはずなのに、時間が経つにつれ、それはみるみる膨れあがり、空を飛ぶこと、そして強大な力を持つ妖怪と対峙することが、私には恐ろしく感じてしまうようになってしまった。
 いままで平気でこなしていたのがまるで嘘のようで、それをいままで平気でいられたということが、余計に私の恐怖心を増長させるのだった。
 こんな状態では妖怪退治なんてとても無理な話で、だから博麗の巫女なんて務まるはずがない。
 なんとか解決できないものかと一人で思い悩んだりもしたものだけれど、膨れあがる恐怖心は私一人で抱えるにはあまりにも重すぎた。
 だから、紫に相談するしかなかった。
 打ち明けた日のことは覚えている。桜の季節だった。
 例年と同じように、神社では花見酒の乱痴気騒ぎ。騒がしいのが好きな妖怪達が、呼んでもいないのに集まってきて、いつもどおりの賑やかな宴会が催されていた。
 いい具合に酔っ払った魔理沙と、ぐでんぐでんに出来上がった早苗を放置して、私は紫を喧騒から離れたところまで引っぱって、重大な変化を打ち明ける。
「ああ、もうそういう時期か」
 冬眠開けの寝ぼけ眼で紫の返した言葉は、ひどくあっけらかんとしていて。
「じゃあ、霊夢ももう引退ね。いままでご苦労様」
 欠伸混じりにあっさりそう言われ、思わず拍子抜けしてしまった。
 でも、沈んでいた心が、すっと軽くなっていくのが、自分でもわかった。




 ――桜咲く日々の残り香のように




「あなたがいずれそうなる事は、最初から予定していた事だし、その後のこともちゃんと考えてあるから、心配はいらないわ」
 紫から聞いた話では、そもそも博麗の巫女というやつは、少女時代のごく短い期間しか務まらないものらしい。
 何物にも囚われない博麗の巫女とは言うけれど、実のところ、囚われているということに気がついていないだけのこと。一旦それに疑問を感じてしまえば、実は囚われていると僅かでも気づいてしまえば、もう巫女でいることはできない。
 巫女が空を飛べるのは、地面に囚われていないからではなくて、地面に囚われているという事実に気づいていないだけ。
 気づいていないというその気楽さが、少女だけに備わった素質なんだとか。
 地面に囚われた私には、だからもう飛ぶことは敵わない。
「気に病むことは無いわ。その時期が来たってだけの話ですもの」
 何だそれは。くよくよ悩んでいたのが馬鹿みたいじゃないか。
 私は泥酔してた魔理沙を叩き起こして、ヤケ酒を酌み交わした。
 高価い酒ばかり選んで、桜色の景色が夢の中のことなのか現実なのか、ぐるぐる廻ってわけがわからなくなるまで、散々に呑み明かした。

 ◆

 巫女が務まらなくなった後のことも考えてあると言った紫の言葉は、嘘ではなかった。
「あなたを使い捨てにするつもりなんて毛頭無くてよ」
 とか言ってたっけ。
 巫女ではないのだから神社には居られなくなってしまうけど、ちゃんと人里には私の住むための家が用意されていて、手に職の無い私のために、当面の生活費も用意されていた。
「あなたは立派に巫女を務め上げました。だから誰に気兼ねすること無く、胸を張って生きればいいのよ。これからは違う人生を楽しみなさい」
 そう言った紫は、今までよりちょっとだけ優しかったような気がした。
 小さい頃から巫女だけをして生きてきたのだから、なんだか感慨深いものもあったけれど、正直少し、ほっとしてもいた。自分では気づいていなかったけれど、博麗の巫女という立場は、私の重荷にもなっていたようだ。
 なんにせよ食うには困らないものの、途端に何もすることが無くなってしまった。
 仕方なく慧音を頼った私は、読み書きなら辛うじて出来るからと寺子屋で子供達の世話をすることになった。子供は嫌いじゃ無いから、悪くない選択だと思う。
 人里の子供にとって、どうやら博麗の巫女というのは妖怪を退治する英雄のようなものだったらしい。だから寺小屋での私はちょっとした人気者で、子供達はすぐに懐いてくれた。
 それはいいものの、読み書きができるからといっても私には学が無い。だから子供に教えることができる事も、たかが知れている。私の授業は、勉学を教えているのか子供と遊んでいるのかひどく曖昧な、いいかげんな授業となってしまっていた。
「おまえが来てから、子供達がのびのびしているように思う」
 と慧音は誉めてくれたので、それでも問題は無いようだった。
 勉学については焦らず追々身につけていけばいい、とも言っていたが。

 ◆

 私の後を継ぐ博麗の巫女について、紫は。
「適任者が見つかるまでは空位にするしかないわね」
 と言っていた。
 妖怪退治については魔理沙もいるし早苗もいるから、さほど心配することは無いらしい。 ただ神社を無人のまま荒れさせるのは流石によくないので、早苗が博麗の巫女代理を兼任して、週に三日程度は博麗神社に務めることになった。
 早苗たちが幻想郷に来た時、博麗神社に分社を供えるのを快諾したのも、どうやらこういう事態を想定してのことだったようだ。
 もっとも、早苗の抜擢は下手をすると守矢が力をつけすぎてしまう危険性もあるので、裏では慎重な取り決めがなされているらしいのだけれど。
「つまり、早苗は私の予備だってわけね」
 と、冗談で言って、からかったことがある。
「予備だなんて、そんなの酷いですよ、霊夢さん」
 早苗は頬を膨らませて抗議したが、翌日にはすぐにケロッと忘れてしまい、愛想のよい笑顔に戻っていた。こういう、感情を引き摺らない性格は、何物にも囚われない博麗の巫女に向いているのかもしれない。
 私がいた頃に博麗神社に入り浸っていた魔理沙や早苗は、今度は慧音の寺小屋に、何だかんだと理由を付けて入り浸るようになった。
 神社ならばまだしも、寺子屋に通うような年でも無い魔理沙や早苗が頻繁に訪れるのは、子供たちの邪魔になるのではと心配したが、魔理沙も早苗も面倒見がよかったこともあって、慧音の心象を悪くすることも無かった。
 また、魔理沙や早苗程では無いにしても、文が人里を訪れるついでに寺小屋にもやって来るようになって、私の授業を邪魔したり、時には私のかわりに授業をするようになった。
「ふふっ、未来の新聞購読者を育てるのですよ」
 なんて、うそぶいていたりしたが。
 魔理沙や早苗や文にどういう思惑があったのかまでは、私にもわからない。
 でも、私が急激な生活の変化に、不安を感じることも寂しさを覚えることも無かったのは、こいつらが寺小屋に顔をだして賑やかに騒いでくれたからだと思う。

 ◆

 生活の変化というものも、収まるところに収まってしまえば、あとは時間と慣れが解決してくれるもの。
 幻想郷は相変わらずのんびりとしていて、つまり、たまに異変はあるものの、その度に魔理沙なり早苗なりが活躍してそれを綺麗に収めるので、概ねでは平和な日々。
 引退した私は、文たち天狗の新聞だったり、本人たちの自慢話だったりで、その活躍を聞いては感心するばかり。
 桜の季節が一巡り、二巡り、だんだんと私の教師姿も板に付いてきたと、なんとか自信を持てそうになってきた頃。
 私は、とある男に見初められた。

 ◆

 相手は呉服屋を営む商人だった。魔理沙の実家みたいな大きな店じゃなく、どちらかというと路地にひっそりと佇んでいるような、小さなお店。
 洋装よりも和装を好む私は、その店の落ち着く雰囲気と、ちょっと洒落た品揃えを気に入っていて、頻繁ではないものの、たびたび足を運んでいた。
 両親とその男で切り盛りしている小さな店のことである。男と顔見知りになるのに、さほど時間は掛からず、世間話から茶飲み話に至るのも、自然な成り行きだった。
 しかし、まさかその男から恋文を託されるとは思いもよらず、突然の事に私は面食らってしまった。
 なにぶん、色恋沙汰など初めてのことである。一時は処置に困りはて、ひどく動揺したりもした。
 しかし、私とて年頃の女には違いない。浮いた話のひとつやふたつあったって可笑しくはないのだし、そういった事柄に興味が無いといえば嘘になる。
 迷いはしたものの、私はその男の気持ちを受けることにした。

 ◆

 私にとって恋というものは、小鈴の店で貸し出しているような、恋愛小説の中での出来事であった。
 そこに描かれた恋模様は、誰しも惹かれ憧れるような、情熱的で美しく、ひどく劇的なものである。
 だから、私もいつか恋い焦がれるような恋に落ちるのだろうと、漠然とした期待を持っていた。それこそ物語のような。
 しかし、男に誘われて食事やデートを繰り返すうちに、どうも思い描いていたものと様子が違うぞ、と、私は気づき始めた。
 男は別段、色男でもなかったし、気障な台詞を並べ立てたりするわけでもなかった。
 物語の中の恋模様のように、私が抑えようのない胸の高鳴りを覚えるようなことも無かったし、もちろん劇的な事件なんて起こりうるはずも無かった。
 ただ、男と過ごしていると時々、私がとても大切に扱われていると、気づくことがある。どちらかというとそういう機微に疎い私でも、たまに気づく程度の些細な事なのだが。
 それが、恐縮してしまうほどこれ見よがしで無くて、本当にさり気ないことで、その塩梅が、私には心地良かった。
 なんにせよ好かれている、大切に思われているというのは、満更でも無い気分で。
 時を重ねるうちに、いつしか私は男の隣にいることが、とても自然で安心できることだと、そう思うようになっていた。
 どきどきするようなことはあまり無いのだけれど、なんというか、恋というものは実は案外、呆気ないものなのかもしれない。

 ◆

「似合いのカップルじゃないか」
 慧音にはそう、からかわれた。
 そんなふうに見えるんだろうか。
「いい人が見つかって良かったな」
 魔理沙にはそう、祝福された。
 いい人なんだろうか。
「お幸せにー」
 早苗には無邪気にそう言われた。
 私、幸せなんだろうか。
 男との付き合いを続けながらも、私はどうにも煮え切らないでいた。
 思い描いていた、憧れていた恋との落差というのも、ある。
 何ともいえない手応えの無さというのも、ある。
 このままでいいのか、いや、これから先に進んでもいいのか、私は思い悩んでいた。
 私を、男に託してもいいのだろうか……。

 ◆

 桜の季節だったと思う。
 なにが切っ掛けだったのか、今では覚えていない。
「あなたは一体、私のどこが好きなの?」
 気がつくと私は、そう口走っていた。
 女として最低のやり方だ。
 相手の気持ちを試すようで、私の嫌いなやり方だ。
 でも、私は不器用な女なのだから、どうかこれくらいは堪忍してほしい。
 私は男の言葉を待った。
 未練がましくも、歯の浮くような台詞を心で期待している私がいた。
 男は、いつもと変わらない、あいかわらずなのんびりとした口調で。
「霊夢といると、居心地がいい」
 それは、とてもじゃないけど私の期待したような、素敵な言葉ではなかった。
 期待外れもいいとこ。とことんまで拍子抜けだ。
 私は、思わず笑い出してしまった。
 男の言葉は全然素敵じゃない。
 でも、その気持ちは私の気持ちと、ぴったりおんなじだ。
 だから私はその言葉で、この人と添い遂げようって、心に決めたんだ。

 ◆

 それからの時間は、なんだか慌ただしく過ぎていった。
 男の元に嫁ぐことに決めた私は、どうにか慣れてきた教師を辞めて、呉服屋の手伝いをすることになった。
 そろばんは得意だったし、帳簿もできなくは無かった。仕立ては流石に無理だったけど、それだって徐々に覚えていけば、いつかはこなせるかもしれない。
 今は少しでもお店の役に立てることが嬉しくて、それが私の喜びだった。
 人里の小さな呉服屋の、新しい看板娘。
 私は自分の居場所がここにあると、確信することができた。
 男の隣に寄り添って、一緒に呉服屋を営むことが私の幸せだって、心からそう思えた。
 だから、なにも迷うことなんてなかった。
 ちょっと前までは自分が結婚するだなんて、人の妻になるだなんて、そりゃ秘かに憧れはしていたけど、それは絵空事みたいに思えて、ちっとも実感の沸く話じゃなかった。
 でも今は、男の元に嫁ぐことが、私にとってとても自然なことのように、そう思える。
 慧音も魔理沙も早苗も、そして寺小屋の子供達も、私の門出を心より祝福してくれた。
 文は号外を発行して、私たちを祝福してくれた。これは少し迷惑。
 「先代博麗の巫女、ついに結婚!?」と見出しの躍る一面に飾られた、白無垢姿の私。それはもちろん嬉しいのだけれど、圧倒的に気恥ずかしさが勝る。やっぱり迷惑だ。
 義理の両親は本当の子供と同じように、いや、それ以上に私のことを可愛がってくれたし、お店の切り盛りもまだ不慣れだけど、やり甲斐を感じられるものだった。
 家族の温もりを知らずに育った私にとって、その暮らしは日だまりのように心地良く、とても心安らぐものだった。
 そんなわけで、私の新しい生活はとても充実していたのだけど、でもそんな充実した新生活も、そう長くは続かなかった。
 私たちのいわゆる新婚生活というやつは、嬉しい予定外で寸断されてしまうのだった。
 私たち夫婦は、なんともあっさりと、子宝に恵まれてしまった。

 ◆

 生まれてきた子供は、女の子だった。
 顔は、どことなく私に似てるんだと思う。性格は、のんびりした夫に似てるように思う。
 布に包まれてすやすやと眠る赤ん坊を、おっかなびっくり抱っこする夫の姿はとても微笑ましくて、私は幸せな時間が流れていくのを実感する。
 よく、我が子は目に入れても痛くないと言うけれど、そう言いたい気持ちも、私にはちょっとだけ理解できるようになった。
 義理の両親は初孫の誕生を、私たち夫婦以上に喜んでいたように思う。
 私たちの子供を見に、魔理沙が訪れた。慧音も早苗も訪れた。
 珍しいことに、紫まで訪れた。
「あなたの小さい頃に、そっくりね」
 なんて言われたけど、自分の小さい頃のことなんて覚えているわけがない。
 私たちは幸せだった。
 そんなの錯覚だってわかっていても、世界で一番幸せなんじゃないかって、そう信じてしまえるくらい幸せだった。

 ◆

 子育ての苦労は、少ない方だったんだと思う。
 義理の両親はお店そっちのけで協力してくれたし、娘はどちらかというと手の掛からない子のようだったし。
 日を追うごとに、すくすくと育っていく娘の成長を見守るのが、私のなによりの幸せだった。
 娘が大きくなるにつれ、私の幸せも大きくなっていくかのようで。
 初孫がよほど嬉しいのだろう。義理の両親は娘を猫っ可愛がりしてくれる。
 夫も、娘には滅法甘い。
 それは幸せで、とても良いことなのだけれど、でも、娘が甘やかされて育つことに一抹の不安を覚えないでもない。
 娘にはしっかりした子に育ってほしい。だから、私がしっかりしないと。

 ◆

 光陰矢のごとし、ということわざのように。
 私たちの娘は、大きな病気も無く順調に育ち、この春から寺小屋に通い始めた。
 私は娘をしっかりと躾けた。多少厳しい面もあったかもしれないけど、その成果としてどこに出しても恥ずかしくない、立派な娘に育ってくれたと思う。
 お店のほうも順調で、規模が大きくなるようなことは無かったが、一家五人が何の不満もなく暮らしていけるだけの稼ぎも、それなりの蓄えもある。
 娘を寺小屋に入れるとき、久しぶりに慧音と会った。
 夫と出会う前と同じように、寺小屋で献身的に子供達を教えている。
 彼女は半妖なので、もちろん姿も、その当時と変わらない。
 昔を思い出して、ひどく懐かしい気持ちになる。
 魔理沙とも早苗とも、しばらく会っていない。
 風の噂では、魔理沙は完全に魔法使いになる決意を固めて、ついには捨虫の法を会得したらしい。今では霖之助と一緒に暮らしていると聞いた。なんだ、やっぱり魔理沙にもその気があったんだ。
 きっと今でも若い姿のまま、二人で幸せに暮らしているのだろう。
 早苗は今でも、博麗の巫女代理として妖怪相手に奮闘しているらしい。
 博麗の巫女は少女時代のごく短い期間しか務まらない、と紫に聞いた覚えがあるが、どうやら早苗は特別中の特別なんだそうな。
 良くも悪くも、地に足が付いていないということだそうで。なんだかそういうところは、実に早苗らしい。
 彼女たちの活躍は、いまでも文の新聞を通して知ることができる。
 湖の畔のお屋敷では、あいかわらずレミリアが我が侭を言い、里の外れのお寺では、あいかわらず白蓮たちが妖怪の救済を唱え、竹林では輝夜たちが、冥界では幽々子たちが、あいかわらず安穏とした生活を送っている。
 それで、たまに異変を起こしては、魔理沙か早苗に退治される。
 私たちにとっての半生も、彼女たち妖怪にとっては、ほんのひとときの出来事でしかない。
 新聞を配る文も、昔とおんなじ姿だ。
 私は、ちょっとだけ年老いた。
 堅実で地に足の付いた幸せを得た私は、そのぶん、ちょっとだけ年老いた。

 ◆

「お母さん、あのね、わたし博麗の巫女に、なりたいの」
 ある日、寺小屋から返ってきた娘は、私にそう言った。
 青天の霹靂、寝耳に水。
 娘の言葉に、私はぽかーんと間抜けに、大きく口を開けていたことだろう。
「なぁに、寺小屋でそういう遊び、流行ってるの?」
 きっと子供同士の、ごっこ遊びなのだろう。
 里の英雄である、博麗の巫女ごっこ。それがあの早苗だと思うと、すこし可笑しく思ってしまうが。
 しかし娘は、ふるふると首を振った。
「あのね、紫がね、巫女にならないかって」
 娘の口から出た紫の名前に、私は血の気が急激に失せていく思いだった。

 ◆

 親だったら誰しも、自分の娘には幸せになってほしいと願うものだ。
 いや、一切の苦労も無く、ただ幸せだけが訪れてほしいと、そう願うものだ。
 それがよりにもよって博麗の巫女になりたいだなんて……。
 たしかに弾幕決闘法により危険は軽減してはいるものの、それでも、巫女がわざわざ危険な妖怪の懐に飛び込んでいく役どころであることには変わりない。
 異変解決の英雄といえば華やかに聞こえるが、一歩間違えば命を落とす危険だってあり得る。
 他でも無い、博麗の巫女を務め上げた私だからわかる。私はたまたま運が良かっただけだ。大怪我を負う前に辞められてよかったと、今では思う。
 そんな危険な役割を娘にさせたい親なんて、どこに居よう?
 他に幸せな生き方なんて、いくらでもあるというのに!
 娘は、私の言うことを聞き入れてくれないかもしれない。
 考えすぎかもしれないけれど、私が厳しく躾けたせいで、娘は私と距離を置きたがっている節がある。
 普段はべったりと懐いてくれるのだが、私が厳しく接すると、拗ねて口を利いてくれなくなることがある。
 私は主人に心中を打ち明けて、娘を説得してくれるようお願いした。
「あの子がなりたいっていうなら、好きにさせてあげたら、どうだい」
 普段はのんびりしている主人が、私の目をまっすぐに見つめて、そう言った。
 それが本心からの言葉だって、嫌でもわかる。
 私だって、できればそうさせてやりたい。
 でも、主人は本当に博麗の巫女のことを、理解しているのだろうか。

 ◆

 その日の夜。
 私たち家族の元を、紫が訪れた。
 私が少女だったあの頃と、すこしも変わらぬ姿で。
「あなたの娘は、本当にあなたとそっくりです。その巫女の才能もそっくり受け継いで、いえ、この子はあなた以上の才能」
 紫の微笑みが、今の私には本当に不気味に思えた。
「早苗ももう年です。いずれ力は衰え、妖怪に立ち向かえなくなる。いつまでも博麗の代理はできません。彼女には大人しく守矢の巫女に戻ってもらうつもり」
「私が反対することも、ご存じなのでしょうね」
「もちろん、ですからこうやって足を運んできたのです。説得のために」
 紫の睨め付ける視線に、私は身が竦む。
 こいつがその気になれば、力ずくで奪い取ることも簡単なことだろう。
 私から娘を、無理矢理に。
「霊夢、私はあなたに敬意を払って、こうして頭を下げに来たのです。できうることなら円満に済ませたいものね」
 この大妖怪に対して、今の私はあまりにも非力だ。
 私は深い溜息を吐いた。
「ひとつだけ、娘に訊かせてください」
「ええ、構いませんわ」
 私は娘に向き直る。
 きょとんとした顔で私を見つめる、暢気な娘に。
 私が納得できる答えを期待して。
「ねぇ、どうして突然、博麗の巫女になりたいなんて思ったのかしら」
「うーん」
 娘は一生懸命に考えを巡らせる。
「あのね、お母さんね、いっつも怖い顔してるんだよ」
「そっか、ごめんね」
「でもね、でもね、お母さんも、昔は楽しそうに笑ってたの。お母さん、博麗の巫女だったんでしょ?」
 私が昔、博麗の巫女だったことを、娘に言ったことは無い。
「これ、文にもらったんだ! 私もお母さんみたいな、素敵な巫女になりたい!」
 その言葉と共に手渡された写真。それを見た私は、人目もはばからずに泣き崩れてしまった。
 それは、いつかの桜の季節、宴会の風景を写したスナップ。いい具合に酔っ払った魔理沙や、ぐでんぐでんに出来上がった早苗や、騒がしいのが好きな妖怪達に囲まれて、晴れやかな笑顔を浮かべる、かつての私。
 その、とても懐かしい桜色の光景。今の私は、その光景にいることは敵わない。
 主人や娘に囲まれて、たくさんの幸せを手に入れてしまった私は、それと引き替えに、地面に囚われてしまった。
 だから、その光景に私はいられない。
 娘が心配そうに、私をみつめていた。
 その眼差しは、写真の中の私とそっくりで。
 何物にも囚われていなかった、いつかの私と、本当にそっくりで。




 終



 
     
 以前までは『生煮え』という名前で投稿していましたが、実は全くおんなじ『生煮え』というペンネームのイラストレーターさんがいることを最近知りまして。
 もっとオーソドックスな名前ならわかるものの、なんで『生煮え』なんて素っ頓狂なペンネームが被るんだろうかと世の不条理を嘆いたりもしましたが、とりあえず紛らわしいのは困るので改名するこにしました。
 めるめるめるめという名義はミステリ書くとき専用で使おうと考えていましたが、背に腹は代えられないということで、これからはこちらの名前で投稿していきたいと思います。

 今回は、某所でいただいたお題『その言葉と共に手渡された写真。それを見た私は、人目もはばからずに泣き崩れてしまった。』で書いてみました。他にも同じお題で投稿される方がいるかもしれません、わかりません。

 百円玉さん主催のサークル『カリニヒタ』が例大祭で出される合同誌に参加させていただきました。『旅』をテーマにした短編集です。
http://natureloadhyakuendam.wix.com/tabi-tokusetsu
 立ち寄っていただけると百円玉さんが喜ぶと思います、たぶん。
  
めるめるめるめ
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コメント



0.1360簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
年月の移り変わりと少女の成長、それらにより手に入れたもの、同時に失ったもの、博麗の巫女であった頃にはもう戻れない、そんな懐かしさと哀しみが霊夢を慟哭させるに至ったのでしょうか?それともこれから訪れるであろう愛娘との別れ、どうしようもない自分の無力に対する霊夢の憤り、哀しみがそうさせたのでしょうか。思い出はもう、思い出すことしかできないんですよね。妻としての霊夢のこれからに、そして新博麗の巫女に幸あれ。
3.100名前が無い程度の能力削除
なんか博麗の引継ぎがらしくてよかった
殺伐とした引継ぎでないのも良かったな
5.80名前が無い程度の能力削除
いいよいいよー
7.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気も良く素晴らしかったです
12.80名前が無い程度の能力削除
良いですね
嘗ては信頼していた紫の微笑みを不気味に感じるくだりが好きです
個人的には原作もそろそろ代替わりしても良いかと。東方に於いてはリアリティって大切だと思うのです
13.80名前が無い程度の能力削除
人並みの幸せという鎖と、自由という因習。
14.80非現実世界に棲む者削除
はらりときた・・・
幸せとは言っても同じ日だまりでは無い。
空の幸せ、地上の幸せ。
人類が空に憧れたのは今までとは違う日だまりを感じていたかったのかもしれないと思いました。
18.100ちゃっきー削除
こういうあたたかいものを私も書いてみたいものですね
20.10名前が無い程度の能力削除
変わりゆく霊夢、地に足のついた生活がとてもよく描写されており、文章もとても読みやすくできていると思いました。

それでもこの評価なのは、貴方の幻想郷観と私の幻想郷観が合わなかったからです。
正直、文学作品をこのような価値観で評価していいのかは少し疑問もあるのですが
自分の中の霊夢はいつまでも少女でいつまでも空を飛んでいるから、どうしてもこの作品に高評価をすることができませんでした。
執筆お疲れ様でした。
22.90名前が無い程度の能力削除
よきかな
27.100絶望を司る程度の能力削除
全力で泣いた。このなんとも言えない感が素晴らしい。
地に付いた少女は幸せを見つけ、幸せを捨てる。
28.100名前が無い程度の能力削除
…この散り終わった桜のような雰囲気は何とも言えませんね
29.100名前が無い程度の能力削除
引退して紫や周りに優しく扱われた時点でもう同じ地位からずれ落ちていたんですかね?与えられることは奪われてもおかしくないということ
ヒーローから唯の地に足のついた少女に女になってから与えられたということは何かを奪うためだと考えるべきか…
でもそれでも周りから大切にして貰っているのは愛されていると言えると思いますが
32.100名前が無い程度の能力削除
ステキな短編でした
35.100名前が無い程度の能力削除
出産と紫登場はもはやフラグですな
36.100名前が無い程度の能力削除
これは素敵なおはなし
霊夢さんが実に幸せそうで良かった
40.100リペヤー削除
引退後のお話ってのはいいですねぇ
41.100ハイカラ削除
成長するとは何かを切り捨てることなんだなあと、しみじみ感じ入りました。
45.90ばかのひ削除
非常に面白かったです
博麗の考え方一つでここまで面白くなるなんて
49.100名前が無い程度の能力削除
博麗の巫女から人になっていく霊夢の描かれ方が丁寧でいいですね。