Coolier - 新生・東方創想話

ブルーヘブン

2014/04/14 16:51:01
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不気味な子だと、昔からよく言われる。


あの子は人の心が読めるみたいに、敏感なの。
まるで、名前のようね。
ああ、さとりっていったわね。あの子の名前。
ええ、ほんと。ぴったりの名前。お化けにそんなお化け、いなかったかしら。

 
私は人の心が読める。テレパス。
でも、昔からそうだったわけじゃない。昔は、人の話をこっそり聞いていただけだった。そうしたら、その人が辛いのか、くるしいのか、かなしいのか。判るようになった。
妹もそうだった。こいし。初めは盗み聞きが大好きな女の子だった。それだけだった。けど、彼女もテレパスになってしまった。最近じゃ、部屋を殆ど出てこない。人の心が読めるのが、辛いからかな。辛いこと、くるしいこと、垂れ流しだもの。
不思議と、私たち姉妹だけがそうみたいで、お父さんもお母さんも、普通の人だ。普通に笑って、泣いて、気持ち悪くて、嫌なことばっかり考える。何処にでもいる人間。
かなしいことに、お父さんもお母さんも綺麗な心の持ち主じゃないんだ。
勿論、私だってそう。こいしは、どうかな。兎に角、私の知ってる限り綺麗な心の人なんて何処にもいなくて、皆はへんなことを考えている。例えば、裸のお姉さんを想像したり、拳銃を持って人を撃つことを想像したり、高いところから飛び降りることを想像したり。よく判らないけど、皆それを考えているときは、かなしい。けれど、充たされている。なら、それもいいのかもしれないなって、思う。

携帯電話を開くと、『こちゃ』さんからメールが来てた。
メールは好きだ。相手の心を知らないで済むから。文字だけをみて、その人の言うことを信じていればいい。そうしたなら勝手にその人の姿が頭の中に浮かんできて、私の好みの人間にコーディネートできる。『こちゃ』さんは『3ちゃんねる』って掲示板で知り合った人だ。よく判らないけど、神道に関わる仕事をしているらしい。あと、すごいオタク。
 
『今度、そっちでコミケが開かれるみたいですけど、さとりさんは行きますか?』

嫌だな。私はオタクじゃないのだけど。あと、そんな人がいっぱい集まるところに行くなんて言語道断、最悪吐く。考え垂れ流しだし。
 
『えっと、多分行きません』

送信。
はあ、と息を吐く。
「にるーとさんえっくすにじょうたすさんじゅうよんえっくすをびぶんして……」
先生の言葉が耳から入るけれど漢字に変換されない。頭の中に入ってくる情報が多すぎるんだ。私の周りは皆大学受験をするみたいだけど、どうなんだろう。
少なくとも私は行かない。高校だって来たくないんだ。もっと人が多い大学になんて行くわけない。こいしみたいに引き篭もりたい。一応お母さんとお父さんの面目を保つために来てるだけだ。勉強が好きなわけでもない。
先生の話を聞いてペンを動かしているみんなは、本当はとっても頭がいい。先生の話を聞きながら沢山の想像をしている。男の子は大抵キモチワルイ。女の子はどろどろしてて怖い。影口なんて聞かなくても判るよ。だって私は、心が読める。
 
形式だけでもペンを動かす。どれだけの数式も私のかなしみを晴らすよりは簡単に解けてしまうし、どれだけの哲学者も私ほどの苦しみを知らない。だから、こんなことをする意味って、ほんとは無いんじゃないかな、って。
あ、メールが来た。『ホントですかー。私行くんで、会えたらよかったのにー』。『本当ですねー』。良いわけあるか。会ったら貴方への理想が完璧に崩れちゃうんだ。理想くらい抱かせてよ。





「まだお姉ちゃんはあきらめてないんだね」

家に帰ると、珍しく居間にいたこいし。見ると、『ナイル』という通販会社から届いた漫画本をダンボールから取り出しているところだった。あなたは私の心が読めるでしょ。そう言ってやろうとして、止めた。背筋のぞわりと冷える感覚がした。うそ、うそ。うそ。

「どうしたの、こいし」

これはどういうことなの。こいしの心が読めない。
私が、まともになったの。

「ちがうよ、お姉ちゃん」
 
――くすり。心が読めなくても、お姉ちゃんの考えてることはわかりやすいね。くすくす。くすくす。お姉ちゃんはおかしくないよ。なーんにもおかしくない。本当は、お姉ちゃんがおかしいんだけどね。でも、私たちふたりの間では、違うよね。
こいし、どうしたの、こいし。訳の分からないことを言って。
――わけわからなくは、ないよ。

「ほらみて、お姉ちゃん」

すっと、右手を出す。白いブラウス。その袖が、赤くぐっしょりと染まっている。鉄の匂いがした。いつだったか、お母さんがお父さんを頭の中で刺し殺すときにあふれたかなしい色。

「……リストカット、したの?」
「うん、した。何回もした。初めはね、痛かったんだ。痛いだけだったんだ。なのに、だんだん嬉しくなった。私、おかしくなってしまった」

随分と喜劇じみた台詞回しね。そんな言葉も唇を通らない。こいしの右手の袖をめくり上げると、傷口に張り付いていた布が剥がれて痛いと呻いた。血は止まっていた。深く、ざっくりと切ってあるはずの傷口。それなのに。

「一度ね、目の前が真っ暗になって、星のようなものが見えたんだ。だから多分、私は一度死んでしまったんだ」
「馬鹿ね、貴方はまだ、生きているじゃない」
「けれど、死んだよ。心を読める古明地こいしは、死んじゃった」

そして、私が心を読める古明地こいしも、死んでしまった。
あはは、あははははははは。笑うこいし。私の妹。今はもう何も判らない、女の子。





「何も無い絵、真白の絵。それがわたしなの」

こいしがくるくると回って言った。かなしみを感じないの。ううん、かなしみどころか、よろこびも何も感じない。そう、かなしみもよろこびも何も無い目で言ったこいし。
こいしはテレパスの自分を、殺してしまったんだ。それだけじゃない。かなしむ自分も、よろこぶ自分も、全部殺してしまった。少なくとも、私が何も読むことができないのは、そういうわけで。
けれど、私はこいしが、汚いものと思わない。こいしは、どうだろう。
つまり、心が読めない存在は、一番私が夢見ていた存在だった。他の人間は皆汚いことばかり考えている。煩い。けれど、こいしは違う。何も考えていない、静かだ。こいしは私が理想とした存在になったんだ。
でも怖い。
心が読めない。だから、怖い。
だってそれは、私にとってははじめての存在だ。掲示板で、メールで話す人とは違う。私の目の前にいて、なおかつ何もわからないヒト。

「ふう、ん。お姉ちゃんは、私が怖いのか」

こいしが突然言った。「そんな訳ないじゃない」。慌てて言う。――馬鹿だなあ、お姉ちゃん。ミエミエだよ。目を見れば、判る。

「判らないのが、怖い?」

怖くない訳がない。だって、こいしは初めてのヒト。こいしがもし私を殺そうとしても、あるいは自殺しようとしても、それを察する事が出来ない。止める事も出来ない。




――いつだったか、こいしを守りながら夜の森を駆ける夢を見た。電灯も何も無くて、木々の間を裸足で駆けていた。石やら尖った葉やらが刺さって血が流れていた。敵は人間。猟銃みたいなものを片手に追いかけてくる。駄々漏れな殺してやるという思念。彼は頭の中で私達を化け物と呼んだ。どうやら彼は、私達がどんな力を持っているのか知っているらしかった。

お姉ちゃん。こいしが叫んだ。わたしを置いて逃げて。わたしを置いて逃げて。そうしなきゃお姉ちゃんも死んでしまうよ。馬鹿ね、そんな事はしないわ。そう答えて、けれども逃げるのも限界だったから立ち止まった。くるり、と振り返って男を見る。男は銃口を私に向けて、撃った。右肩の肉が飛び散った。その間に私は左手の人差し指を男に向けていて、男の最も奥深くにあった記憶を(どうやってなのかは解らないけれど)その脳内に呼び起こした。
――男の妻が娘の頚を絞めている光景を、男は見ていた。見ているしかなかった。男にはその娘を養うだけの富も能力もなかったのだと思う。そうであるのに男には娘を殺すだけの度胸も無く、妻がそれを殺した。その次に、妻が凍りかけた池で仰向けに浮いている光景が男の眼前に広がった。我が子を殺す悲しみに妻は耐える事が出来なかった。冷たい水は妻の体温を奪い、その代わりに贖罪の死を与えた。
――そうして男は、ひとりぼっちになった。

やめろ、やめてくれ。と男は繰り返していた。猟銃を落とし、地面に頭を擦りつけた。それは謝罪のそれじゃなくて、恐怖や逃避のそれだった。今男の耳元では、妻や娘が男の名をとびきりやさしい声で呼んでいる。私はその男にこつこつと近づいて、その手元の猟銃を取って、記憶の在処を撃ち抜いた。出来損ないの紅い噴水が吹き上がってどろりと私の顔を汚して、男と私の眼前に広がっていた悲しみの光景は消え失せてしまった。
お姉ちゃん、肩が、とこいしは震えていた。こいしが何を言わないでも考えている事はわかる。いいえ、こんなものすぐに治るわよ。だから貴方が気に病む必要なんて無いの。

「貴方が強くならなくても私は、生きていける」

そう言って左の掌で顔の男の血のぬめりを拭って、不器用に笑った。何の嘘も吐いてはいない。私達の間に、嘘なんてものは有り得なかったから。


――夢が覚めると、こいしはとてもかなしそうな顔をしていた。私の夢を覗き見てしまったようだった。私は何も言わないで、こいしの冷たい頬に指先を伸ばした。そうして、やさしく撫でた。貴方がどんな事になっても、私が守るから。
(そんなのはイヤ)
(そんなのはイヤなの)
こいしがそう、苦しそうに心の中で呟くのを、私は器用にも聞こえないフリをした。それもこいしに伝わってしまうのも解っていたけれど、ふたりとも静かに抱き合っていた。





「お姉ちゃんが強くなくても、私は生きていけるんだよ」

だからね、幸せになって、お姉ちゃん。幸せになって。私のことはいいから。
それはどういうこと、と聞いても、こいしは寂しそうに笑うだけだった。寂しそうに笑いながら、時折手首の傷を誇らしげに見ていた。






 








「お姉ちゃんは、生きているのはきらい?」

真夜中のベッドで、突然に隣に入ってきたこいしに聞かれたのがそれだった。

「ええ、嫌いよ。本当に、嫌い」

そうか、そうなんだね、とこいしは笑った。そうして、ごめんねと呟いた。

「どうして?」
「だって、きっと、お姉ちゃんを生かしていたのは、私だから」

こんな妹でごめんね。お姉ちゃん。
けれどももう大丈夫だよ。私のために生きる必要なんて、ないんだからさ。

「こいし」
「なに?」
「それは、とてもかなしい事よ」
「かなしい?」
「ええ、かなしいの。そんなことは」
「そっか」

そうか、そうなのか。口の中で言葉を噛み砕いているこいし。相変わらず心が読めないたったひとりの女の子。しっとりとした頭を撫でると、髪の毛がさらさらと流れた。

「私が、強くなる事が、お姉ちゃんを自由にしないのなら、」

何? どうしたのこいし? 彼女が何処を見ているのかわからない。ゆっくりとゆっくりと寄ってくる、こいしの両手。私の頚に冷たい体温が伝わった。けれども、絞めない。心拍が早くなる。ふわりと私を捉えるその手に、私もまた手を重ねる。

「……なんで」
「お姉ちゃんを殺してしまうしか、お姉ちゃんを自由にする方法は無いのかなって」

けれども、違うんだね。わかったよ。いまわかってしまったよ。彼女は一人だけの世界の中にいる。何がわかったの、教えて。そう言うと、こいしは悲しそうに笑った。

「お姉ちゃんは、本当は死んでしまいたくなんて、無いんだよ。私の手を止めようとしたのが、その証拠だよ。生きていたいんだ」

ぞわりとした。
その通りだった。

どれだけ、どれだけこの世界に絶望したとしても、私には手首を切る勇気なんてものはない。駅のホームから身を投げる覚悟も、天井にぶら下がる風鈴になる決意も、私は持ち合わせていない。そうだ、そうなのだ。
私は、どれだけのことをしても、こいしに勝てない。
どれだけのことをしても、こいしにはなれない。

「けれども安心して、お姉ちゃん。私はどうしたって、お姉ちゃんを幸せにしてみせるよ。守りきってみせる。この世の中にある、どんなつらいことからも」

さっきとは逆で、私の頭を撫でるのは、こいしだった。



次の日、私の学校に内部で洗剤を混ぜ合わせた密封された容器が届いた。
開封した職員が一人病院に送られた。
その次の日、家の近くで頚を切られた猫の死体が見つかった。
しばらく動物の死体が家の近くで見つかり続けて、十日。
お父さんとお母さんが行方不明になった。
前に学校に届いた容器が、今度は教室に置かれた。
すこしずつ、すこしずつ、私の周りから心を読めるヒトが減っていった。



「いつかひとりぼっちになってしまうわ」
「けれども、誰の心も読む必要が無いよ」
「そうね」

そうなのだった。こいしは確かに、私の不幸せを遠ざけてくれているのだった。こいしはこいしなりに、私を幸せにするために、正義を為しているのだった。けれどもその正義は、独りよがりだ。こいしの自己満足だ。優しさの体を為した、自己満足だ。

「お姉ちゃんも、手首を切れば良かったのに」
「誰の心も読めなくなるから?」
「そうだよ。周りのヒトを消してしまうより、ずっと簡単だ」

そうして、こいしの自己満足を正当化するのは、私の臆病さなのだった。ヒトの心を読みたくないのに、自分の手首を切ることの出来ない臆病さなのだった。こいしの勇気を追いかけるしかできないでいる私には、きっとこいしだけしか居なくなる。

「……いつか破綻するわ。こいし、貴方がやっているのは、犯罪よ」
「そうだね、犯罪だ」
「捕まって、罪に問われたら」
「もしかしたら取り返しの付かないことになるかもしれない?」
「……ええ」
「なら、一緒に逃げようよ」
「逃げる?」
「うん、誰もいない場所に。誰の思いも届かない場所に」
「そんなところ、何処にもないわ」
「……そうか、そうだね」

けれど、けれどね。言葉を続けるこいし。いつだったかリストカットしたところに巻いた包帯も、今では取り払われて醜い傷跡だけが晒されている右手。私とこいしが、違うという証。臆病さのために、手に入れられないでいる希望。それを私の前に掲げて、

「おねえちゃんのための楽園を、作り上げてあげる。古明地さとりのための、楽園」

そう宣言した。



次の朝、起きるとこいしはいなかった。
私の両腕は手首辺りでベッドに縛られていて、ああ、こいしの仕業だな、とすぐに分かった。こいしが何をしようとしているのか、なんとなくわかってしまった。けれども、彼女のやろうとしていることは、きっと叶いはしない。私たちの、私のまわりから人が消えることなんて、ない。どれだけ拒んでも、誰かが必ず存在してしまう。近寄ることも、遠ざかることも無く。
パトカーと、消防車と救急車のサイレンが鳴り響いていた。こいしが帰ってくる。返り血に塗れているのかもしれない。私たちは、きっとここで暮らしてはいけない。逃げなきゃ。

「ただいま」

こいしが帰って来た。「大丈夫だった?」そう聞きながら、私の手首の縄を解いた。ごめんね。お姉ちゃんを外に出したら巻き込んでしまうかも知れなかったから。あまりにも優しい声で私の頬を撫でるこいし。返り血は浴びていなかった。

「……どうしてたの?」
「爆弾を、作ったんだ」

それを、学校に何個も仕掛けたよ。一階にも二階にも、仕掛けたよ。爆発すると釘が出るんだ。私は、それを外で起爆させたんだ。そうして、その後、この辺りの家に火をつけた。できるだけ、火をつけてきたんだ。きっと皆逃げたんだと思う。

「……逃げよう、こいし」
「無理だよ」

こいしが笑った。こいしに見えているのは、私とこいしの二人だけの世界だった。私が幸せに――こいしの考えている幸せを得れば、きっと満足する。

「私、きっと捕まる。逃げられなんか、しないよ」

けれども、こいしに見えている世界は、簡単に崩れ去る。二人だけの世界は、他者の介入に耐え切ることができない。――こいしが捕まったら、ただの理想だ。

「私が捕まれば、お姉ちゃんは犯罪者のお姉ちゃんだ。誰も近寄ろうとはしない」

きっと、これでお姉ちゃんが誰かの心を知ることは少なくなる。時間しのぎかも知れないけど、なんなら逃げればいい。遠くへ遠くへ、逃げればいい。

「こいし、私は、ひとりぼっちになるの?」
「……馬鹿だな、お姉ちゃん。お姉ちゃんが、そう望んだんだよ」
「私が、望んだ?」
「そうだよ。お姉ちゃんが幸せになるためには、お姉ちゃんを恐れさせる私は、いちゃいけない」
「こいし。それは、かなしいことよ。やめて」
「かなしいかもしれないけど、きっとそれが一番幸せなことなんだ」

私が犯人だって分かっていれば、きっと生きてても死んでても関係なんて無いよね。そういって、こいしはポケットから剃刀を出して、思いっきり頚動脈を切った。こいしの暖かい血が私の頬を濡らした。幸せそうにこいしは笑った。

「どうして」
「お姉ちゃんの、ためだよ」


私のためって、何?

そう言う前にこいしは目を閉じてしまった。眠ってしまった。だから、そんなことはもうどうでもいい。ただ、こいしが私の幸せだけを考えてくれた、それだけの事実しかもう残らない。サイレンの音は、まだ来ない。















* * *






こいしが今日もふらふらと出かけてしまって、彼女の部屋の掃除でもさせようとお燐に任せたら、机の上にこんなものがあったと渡された。こいしが書いた小説のようだった。外の世界が舞台になっている。きっとあの風祝にでも外のことを聞いてみたのだろう。前に外の世界のことを私に言ってきたこともある。

こいしが第三の目を閉じて、どれだけ経ったろう。
こいしの心が読めなくなって、どれだけ経ったろう。

何故こいしが私に仮託してこれを書いたのかなんてことは、分かってしまう。例え彼女の心が読めなくても、そんなことは分かる。私はこいしを探さなければならない。無意識を支配するこいしを見つけることは出来ないけれど、探さなければならないのだ。


「貴方は生きていてもいいんだよ、こいし」
 
 
ごめんね、と呟いた。
もう、こいしはサトリではなくなってしまったけど、私はサトリのままで。

「こいし、貴方は私の重荷なんかじゃない」

きっと、こいしはひとりぼっちだったのだ。
私が守ろうとすればするほど、私とこいしは離れていく。
 
私はさとりだけど、こいしはこいしだということ。

自分を棄ててしまったこいしは、棄てられないでいる私を見る度に孤独を感じている。きっと、そうなのだ。それこそ、勝手な解釈かもしれないけれど、きっと。












「こいし」

灼熱地獄の熱は少なくとも頭の芯を茹で上がらせる程度には熱い。私は袖で額の汗をぬぐいながら妹の名前を呼んだ。地獄の淵から火口を見下ろす、こいしの姿。

「おねえちゃん」

どうしたの、おねえちゃん。家から出るなんて珍しいね。何かあったの。そう言って、くすくすと笑う無邪気。ああ、きっと怖くないんだろう。少しでも足を滑らせれば死んでしまうのかもしれないのに。

「熱くないの」
「あついよ。でももう、なれちゃった」
「そう」

きっと、何度もこいしはここに来ているのだろう。いつもこうやって火口を見下ろしながら、自分が溶けていく様を想像しているに違いない。こいしのこころは読めないけれど、妹のことは分かる。

「死んでしまいたいの」
「私が、どうして」
「貴方の書いたものを読んだの」
「ああ、あれか」
「きっと、何を言っても、貴方は納得しないと思うけど」
「なあに」

そう聞いて、こいしは笑う。きっと、誰よりもやさしくて、残酷な笑顔。

「私、こいしがいて、幸せ」

たったそれだけの言葉だった。きっと、もっとはっきりと、こいしを引き留める言葉はある。けれど、古明地さとりに残されている言葉はたったのこれっぽっちだった。

「こいしがいて、私は、ひとりぼっちじゃないから」
「でも、お姉ちゃんには、お燐もいるよ。お空もいるよ」
「そう、そうよ。けれどね、そこには、貴方も必要なの」
「私には、よくわからないや」
「わかって。お願い」

私が自分の力を、本当は憂いていることを、こいしは知っている。こいしのように目を閉じてしまいたいと考えていることを、こいしは知っている。けれど、私にはこいしになる勇気がない。古明地さとりを棄てる勇気が、ない。だから私はこいしを守る。希望を守るために。それは逃避で、希望をかなえられない自分を嫌いになるばかりで。

だから、せめてそんな望みが見えないように。

私に仮託したこいしは、物語の中で自分を殺した。それは、きっとやさしさだ。
こいしなりのやさしさなのだ。こいしがふらふらと出歩いてしまうのは。
死んでしまおうなんて、考えているかもしれないのは。
私に、こいしになる必要はないと、私を目指さないでと、そう告げるために。

そうして、こいしは私から離れて、孤独になって、物語の中で死んでしまっていた。
こいしが私に仮託して言っていた。誰かのために生きることができないのは、かなしい。
けれど、誰かのために死ぬなんて、それこそ、もっとかなしいことなのに。


「私は、ずっと貴方と一緒にいたい」

自分のことは嫌いになるかもしれないけれど、こいしが、ずっとそばにあってほしいと、願っていた。麻薬のようなものだ。生きていてほしい。こいしがいなければ、私はきっともう何も望めない。ひとりぼっちだ。それこそ、サトリという装置になるしかないのだ。

だから、こいしも、私のために生きて。私のために死なないで。



たったそれだけの言葉だった。
こいしは笑っていた。笑って、そこから動かなかった。




私はこいしを見ているしかなかった。
私の弱さを、こいしがほんとうに理解してしまうことを祈るしかなかった。
こいしが私の傍に戻ってきてくれることを、祈るしかなかった。
お久しぶりです。
ふとこのようなお話が思いついたので書きました。
カルマ
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コメント



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1.90名前が無い程度の能力削除
作中作。そう来ましたか。見事なものです。
3.100名前が無い程度の能力削除
よかったです
8.80非現実世界に棲む者削除
素敵な姉妹愛でした。
9.70奇声を発する程度の能力削除
とても素敵な感じでした