Coolier - 新生・東方創想話

蓬莱人 前編

2014/04/13 21:53:51
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 死ぬことができなかった私は、彼女の前にいることしかできなかった。

 村のはずれに建つ寺子屋。その近くに寺子屋の主である上白沢慧音の住居はあった。何十年と住み続 けられたそれは、所々にひびや修復された形跡が見える。
 普段は妹紅や寺子屋の生徒、村人たちがたまに訪れ、談笑をする程度であったが、その日はいつもと 違っていた。
 慧音の周りと取り囲むように、様々な人妖が座っている。
 寺子屋に通う子を持つ親。寺子屋から巣立ち、村で独り立ちしている元教え子。妖怪との折衝役とし て彼女を信頼していた村の自警団。妖怪の賢者や四季折々の花を愛でる少女。そして、妹紅がいた。
 村人たちは一様に暗い顔をし、妖怪の賢者はこの場にいる面々をどことなく見つめ、花の少女はすで に諦めているかのように見える。
 そんな中、妹紅は状況をいまだに信じることができず、乾ききった慧音の手を握り続けていた。
 ゆっくりと上下する布団に、かすかに聞こえてくる呼吸。張り詰めた空気であるはずなのに、慧音の 顔はどこまでも穏やかだ。
 いつから彼女の手を握り続けていたのだろうか。生きているはずなのに、冷え切った彼女の手に私の 体温が伝わり、私と同じ温度になっている。
 慧音を見つめ続ける。先ほどとまったく変わらない顔であるはずなのに、別れの時が刻一刻と近づい ている。そんなことはどんなことがあっても、認めたくなった。
 慧音……と、ふいに口から彼女を求める言葉が溢れた。その声に反応するように、彼女の瞳がゆっく りと開かれた。
「も……こう?」
 掠れるような声で、彼女が私を呼ぶ。私はその声に必死に応える。
「ああ、慧音。私はここにいるよ」
「妹紅……残念だが、私はもう無理だ」
「そんなこと言わないでよ……また、子供たちに教えるんでしょう? ここで人と妖怪が共に過ごせる ようになっていった歴史を……」
「ああ、そうだな。昔と比べれば、本当の理想郷と呼べるぐらい変わってきたな。」
「だからさ、慧音……」
「妹紅」
 私の願いを遮るように、慧音はゆっくりと。しかし、口を挟ませない雰囲気を出していた。
「前々から分かっていたことだろう? 竹林にいる彼女に見せてもらっていた。そんな中で私は、やり たい事をやってこれたんだ。文句はない」
「本当にそうなの……? やり残したことが無いなんて、絶対に言わせない」
「そうだな……私はひとつだけ、やり残すかもしれないことがある。それは無くなるかもしれない」
「それは……何なの……?」
「今は言えないな……」
 その言葉をきっかけに、再び庵に静寂が訪れた。きっと、どれだけ言葉を交わしても、彼女が遣り残 したことは言わないのだろう。それでも、私は言葉を紡ごうとせずにはいられなかった。
「慧音……幸せだった……?」
「ああ、幸せだった。日々がとても満たされていた。こんなにも、様々な人に囲まれていることは、き っと、私にとって一番の幸福だろう」
「満たされていたのならば、まだ幸せは溢れていないでしょう? もっと……もっと色々なことができ るでしょう? いつの日かの満月の時のように、また弾幕ごっこも……」
「妹紅」
 再び、会話を遮られてしまう。長年の教師からくる、人の話を聞かせるようにするための一言だった からだろうか。それとも、この重々しい雰囲気に押されてしまったためだろうか。
 私は口をつぐむことしかできなかった。それを見て、慧音はゆっくりと起き上がり、周囲の人々を一 人ひとり見ていった。
「お集まりの皆様……本日は来ていただき、とても感謝している。お恥ずかしい姿ではあるが、今日は 私の最後の日になのだろう。私の人生は本当に素晴らしかった。理想と言ってもいい」
 慧音から自らの死について語られると、その場の雰囲気はさらに重くなっていった。少しずつ現実味 を帯びてきたことに対し、鼻をすすり、嗚咽をこらえようとしている者もいた。
 しかし、慧音自身は話すことをやめなかった。淡々と、それこそ諦めきったかのように。
「私がいなくなったとしても、私が歩いてきた跡を歩く者がいずれ現れることを願う」
 先生嫌だあ、と慧音の教え子が泣き叫び始める。だが、慧音はそれを意識せず、話し続ける。
「そして、皆様に向けて書いせていただいた手紙がある。私の死後、机の中に入った手紙を各々受けと てほしい」
 段々と慧音の目が細くなっていく。そして、慧音は私に倒れこむようにして、最期の言葉を私の歴史の中に記した。
「私は幸せだった。こんなにも多くの人に恵まれたのだから」
 幻想郷の歴史家として、教師として生きてきた慧音。その彼女の髪のようにどこまでも澄んだような 青い夜に満月が浮かぶ日、彼女は静かに息を引き取った。


――――――――― ――――――――― ――――――――― ――――――――― ―――――――――

 竹林を通り越し、日の光が小屋の窓から差し込んでくる。最初は足元を照らしているだけだったが、次第にお腹、胸へと緩やかに日差しの登山が行われていく。そして、頂上である、顔へと到達していった。
 季節が季節ならば、この時間はとても幸せなものになっていたのだろう。しかし、照りつけるような光は、以前やっていた焼き鳥屋の焼き鳥のような気分になっていく。
 こうなってしまっては、寝ることを続けようとしていっても、無理な相談である。これで寝ていられるとすれば、従者が横で汗を流しながらうちわを扇いでくれる彼女ぐらいだろう。
 仕方なく、日の光を避けるように私は起き上がり、布団を畳んでいく。だが、依然として太陽の光は部屋の中へ降り注ぎ、暑さは増すばかりである。
 寝る前はスッキリとしていたはずの服は、今は水分を吸い、肌にまとわりつくだけの不快な代物でしかなかった。
 このまま時が過ぎていっても、気持ちの悪さが増すだけなので、涼しさを求めた。 まず、衣服をすべて脱ぎ捨てた。つまり全裸である。誰かが来るという心配はすることはない。永遠亭の第二診療所ができたため、そこまでの道案内も無いに等しいためだ。
 体全体に幾分か涼しさを感じることができたので、水がめのある台所のほうへ向かっていく。水がめにはまだ、十分すぎるほど水がためられていたため、顔を洗うことに使った。
 普段ならば、川で水浴びをすればいいのだが、さっき脱いでしまった服をもう一度着ることに抵抗があり、洗濯した物も何だかもったいない気がしてしまう。
 そして何より、暑さの中を歩き続けるよりも、近場の涼しさのほうの欲望が勝ってしまったことが一番大きいだろう。
 そっと水がめに手を入れてみる。竹林に降り注がれている暑さを忘れてしまうような、そんな冷たさが、腕を通して全身に伝わってくるようだった。
 いつまでもこの冷たさを持ち続けていたい。そう思っていたものの、このままでは何もすることができない。体中が冷めるような名残惜しさを残しつつ、水をすくい上げ、顔へと向けて打ち付けていった。
 打ち付けた顔から逃げるように雫が地面へと落ちていく。誰も見ることのなく、私自身も気にとどめることがなく、小さなしみを地面に作っていった。
 顔を洗った後は、小屋の裏の近くにある川へと足を運ぶ。裸のまま歩いているが、私は変態ではない。永年生きているうちに人の目など気にならなくなり、また人が来ることがまずないので、着ること自体が面倒になっていった。
 川原では簡単に体を洗い流し、小屋から持ってきていた適当な布で体を拭き、同じく持ってきていた服に袖を通す。体を洗い、新しい服を着るだけで、自分が生まれ変わったような錯覚を覚えてしまう。
 その後、私は竹林を静かに歩いていく。笹同士が擦れ合う音は普段から聞いているため、引いては寄せ、返ってくる笹の音を聞いてリラックスすることはない。単に歩きたいが、あまり人に会いたくないからこの道を選んでいるに過ぎないのだ。
 散歩をしていても、この季節はすぐに小屋へと戻ってきてしまう。背中だけではなく、全身へと放射される太陽の熱は、再び服へ汗を吸わせてしまうため、長い時間歩くことが億劫になってしまう。
 小屋に戻り、朝食の準備をしようとするが、食材をほぼすべて切らしていたことを思い出す。ここ数日、買い物に行くことを嫌い、保存していたものも少しずつ手を出していた。しかし、朝食の分が無いということはないので、残っているもので簡単な朝食を済ませる。
 朝食の後は、本当に何もすることがなくなってしまう。
 時が過ぎるのをただ待つか、それとも暇つぶしを見つけてはそれを淡々と行い、過ごしていくだけである。もっとも長続きがした試しはないのだが。
 太陽が西へ傾き始めた頃、私は小屋から出て、村のほうへ歩いていく。途中、妖精たちがいたずらをしてくるが、気にすることもなく村へと一直線に向かっていく。
 村ではいつもと変わらない日常が広がっていた。八百屋と魚屋が互いに声を枯らさんばかりに、道行く人々へ新鮮さを売り込み、その声に引き寄せられるかのように足を止める人。一方では甘味屋が早々に店じまいの準備を始めている。寺子屋からの帰り道と思われる子供たちが、大人たちの隙間を縫いながら、走り去っていった。
 何年経とうとも、変わることのない日常。そんな風景に、私は複雑な気分だった。




 八百屋や魚屋、米屋などでしばらく村に来ないで済む程度の食料を購入していった。買い物が終わり、久しぶりの村の喧騒に身を委ねていると、ふいに後ろから私の名前を呼ばれたような気がした。
 振り返ってみると、竹林の自警団の一人だった。
 彼は永遠亭まで患者を運ぶ際に、護衛をやっていたのだ。自警団があったころは、朝までいた私の小屋を拠点として、日々永遠亭までの案内役を行っていた。案内することがほとんど無くなった今は、村の自警団に合流し、急患を運ぶ時だけ共についてきている。
 いつも快活な笑みをしていた彼が、今日はなぜか暗い表情だった。
「妹紅さん、最近見ないが大丈夫かい?」
 彼の言っていることは分かっている。竹林の自警団が無くなったということは、私の仕事も無くなっているのだ。そのため、村の自警団の方に合流すれば良かったはずである。だが、最初こそ行っていたものの、次第に足が遠のいてしまっていた。
 どう対応すればいいか考えているうちに、彼は話を続ける。花の妖怪が花屋を始めたとか、寺子屋は村人たちで再開したとか、妖怪の山の上にいる巫女も自警団に時々参加するようになった。などと村の近況を話し続ける。
 このままいると、いつまでも彼の話を聞いてしまう。そう思い、大丈夫と返事をし、その場を後にしようとする。しかし、彼は気になっていたのだろう。妹紅さんの話を聞きたいと言っているが、これ以上関わりたくなかったため、強引に立ち去ってしまう。
 背中に今度遊びに行くよ、と言う声がかすかに聞こえてくる。
 心配してくれることは、喜ぶべきなのだろう。ただ、今はそのことが私にとっては辛いことでしかなかった……

 逃げるように小屋へ戻ってきた私は、何をすることもなく、天井の隅を呆然と眺めているだけであった。
 もう人とは関わりたくない。繰り返され、別れることに慣れてしまったはずだった。 それなのに、彼女一人との別れでこんなにも、人との別れに恐怖を出だしてしまっていた。
 私の記憶からは、誰も消えないでほしい。そう思っていたからこそ、食材を買いに行くことも極力避けていた。だが、出会ってしまったのだ。村に行く以上、偶然ではなく、必然なのだ。
 優しさが、温もりが甘美な毒に見えてしまう。一度飲んでしまえば、後は崩れ落ちるようにどこまでも飲み干そうとする。飲めば飲むほど、飲み終わってしまった瞬間に悶え苦しむことが分かっていても。
 そして村人と避けていたのは、彼女が見えてしまうからである。近しい関係であるほど、彼女の幻影が現れてくる。もう二度と口を交わすことができない。だが、彼女は微笑みながら私から遠ざかっていく。
 どんなに手を伸ばしても届くことはない。どんなに死に近づこうとしても、彼女の肩をつかむことができない。そして彼女は、私に何も言葉を残さず、眠り続けてしまった。
 もう彼女の顔は見たくない。見るだけで辛くなってしまう。彼女は、村の人々に多くの思い出を残していった。それは、小さいながらも生き方にも影響を与えている。
 もう、彼女が存在している村へは行きたくない。それほどまでに、私に声をかけてくれた彼の優しさが胸が締め付けられてしまう。

 天井の隅に影が差し始めた頃、不意に戸を叩く音がした。
 しばらく来ることのなかった急患か。そう思ったが、この時間ならまだ第二診療所で診療が行われているはずだ。
 誰かと訝しみながら戸を開けてみると、先ほど村で会った青年だった。そして、村の自警団の人が二人、彼の後ろにいた。彼らは私の顔を見て、どこか安堵したような表情を浮かべていた。
 彼らが言うには、昼間の私の事が気にかかった青年が私を元気付けるため、酒盛りをしようとしたのだ。そこで、竹林で行われていた自警団の面々に声をかけ、非番の二人を誘ってここへ来たそうだ。青年の手元の風呂敷からは一升瓶が二本、顔を覗かせていた。後ろの二人も、風呂敷で包まれた物を持っている。
 ところが、いくら呼びかけても中から反応はなかったらしい。まだ帰ってきていないだろうかと思い、帰ろうとしたところ、私が出てきた。時間にしておよそ数分のことであったが、その間、私はまったく気づくことがなかった。
 彼らはあいまいな笑顔のまま、飲まないかと誘ってくる。その優しさに、涙腺から無くなってしまったはずのものが、溢れそうになった。
 しかし、私は彼らの誘いを受けることはできない。一度ここで受けてしまえば、後はなし崩しに村のほうへ足を運んでしまうのだろう。
 好意を無下に断ることもできず、どうすれば良いか考えている間にも、彼らは穏やかな口調で言葉を重ねてくる。
 それが私にとっては耐え切れなかったのだろう。やめてくれ。そう叫んでしまった。
 出てきた言葉は帰ることもなく、彼らの耳にまで届いてしまう。その瞬間、私の顔に涙の筋が通り、地面へと落ちていく。曖昧に見えていた彼らの笑顔が、さらにぼやけてしまった。
 叩きつけるように戸を閉めてしまう。自分でしてしまった事が分からなくなってしまう。
 戸を通して彼らの声が聞こえてくる。すまなかった、悪いことをした。そんな事は聞きたくなかった。彼らに責任はない。いつか忘れてしまう泡沫の夢を、見たくなかっただけなのだ。
 声はまだ続いている。気が向いたら来てくれないか。そんな優しい言葉と一緒に最後の言葉を残し、彼らは小屋から去っていった。
 寺子屋から私宛の手紙が出てきたそうだ。



 空が藍色に染まり始める頃。私は誰にも見つからないように村の外れを通り、今日の役目を終えた寺子屋へ来ていた。
 寺子屋に来るのは、どれだけ久しいのだろう。
 慧音が歴史を伝えなくなって以来、昔の教え子たちがそれぞれの知識を出し合い、子供たちの指導をしていた。
 寺子屋の中は机や椅子が整然と並び、いつでも授業が始められるようになっていた。
 教室の中を見回しながら、ゆっくりと教壇へ歩いていく。
 所々に墨が染み付いた机。子供たちが走り回ったのか、少し沈む床。挑発に乗り、スペルカードを使い、少しばかりコゲた跡の残る柱。どれもこれも懐かしい。
 慧音は日々ここで授業を行い、時には頭突きを見舞わせ、そして、子供たちと笑いあっていた思い出が甦ってくる。うだるような暑さでも、窓から雪だるまが顔を覗かせていた日も、彼女は季節に合わせた歴史や妖怪について、子供たちに教えていた。
 どんな時でも、変わることのないこの教室。いつだって、私はこの中に入ることはできなかった。


 教壇には、引き出しが二つある。一つは普段の授業で使う教科書が入れられている。もう一つの引き出しには、子供たちが書いた作文や、慧音自身の手荷物など、重要な物が入れられている。
 久しぶりに授業を行おうとした村の人が、偶然見つけたらしい。私への手紙は、教科書が入れられている引き出しに入れられていた。
 白と薄い青が、海辺のように彩られている。表には慧音の字であろう文字で簡潔に「妹紅へ」と。裏は海辺の風景だけが広がっており、何も書かれていなかった。
 中身を傷つけないように、彼女の言葉が消えないように、封筒を慎重にほんの少しだけ指で切り取っていく。
 中には淡いヨモギ色の手紙が、三つ折にして入れられていた。ゆっくりと、その手紙を開いてみる。そこには、封筒の表面と同様に、簡潔に言葉が遺されていただけだった。

「別れを惜しむな。新たな人々との出会いに幸あらんことを」

 最後まで見た瞬間。私は泣き崩れてしまっていた。
 今の私はとても無理な事。どんなに時間をかけても、きっと成就することが難しい事。
 幾度の別れを経験し、新たな人々の出会いもあった。彼女は様々な人妖と出会い、幸せに過ごすことができた。そして、その様々な人妖の中の一人に、私もいた。慧音がいて、私に接していたからこそ、今の私がいたのだ。けれど私は、この手紙で彼女と二度目の別れをしてしまったのだ。
 死ぬことがない嗚咽。それは、あの日と同じような満月が、夜空の真上にに上るまで続いていった。



 教室に湖ができるのかと思うほど泣いた後、気分が段々と落ち着いてきた。
 しかし、私は彼女を求め続けてしまう。あの時と同じように、もっと彼女と言葉を交わしたかった。
 他にも彼女が遺した言葉は無いのか。そう考え、私はもう一つの引き出しのほうを開けようとする。だが、鍵がかかっているため、動く気配はまったくなかった。
 彼女がいた家は、整理がなされていたはずだ。その時に鍵らしき物は出てこなかった。
 そこで、ふと思い出す。風邪のため、彼女の代理教師を勤める際、彼女に鍵の隠し場所を教えられたのだ。
 私は窓からうっすらと差し込む月明かりを頼りに、ある物のところまで行く。黒板の縁に置かれている黒板消し。木と波打つ布に巻かれている紐を慎重に解く。中から見えてきたのは、白い化粧を施した銀色の鍵だ。
 はやる気持ちを抑えながら、私は教壇の引き出しへと向かう。
 引き出しの前で、丁寧に鍵についていた化粧を落とし、鍵穴へと差し込む。鍵は吸い込まれるように入っていく感覚が、手にも伝わってくる。慎重に鍵を回してみると、カチリという小気味良い音が聞こえてくると共に、私はもう一つの引き出しが開いたことを感じた。
 引き出しの外の世界を求めるかのように、細かなほこりが舞い上がる。くしゃみが出そうになるのを堪えながら、中に目を落としてみる。そこには、もう一つ封筒が置かれていた。
 封筒を手に取ってみると、先ほどの手紙よりも薄く、軽いことが分かる。手紙以外の何かなのか。裏返してみると、手に持っていた物は、封筒ではなく、熨斗袋のような、上下と左右にそれぞれ三つ折にされた物だった。
 紙を破ってしまわないように、慎重に開いていく。一つ一つ折り目を開いていくごとに、心臓が高鳴っていくのを感じていく。そして、最後の折り目を開けた瞬間、私は自分の鼓膜が敗れてしまうのではないか、そう思うほどの叫び声を上げていた。


――――――――― ――――――――― ――――――――― ――――――――― ―――――――――


 竹林を通り越し、日の光が小屋の窓から差し込んでくる。最初は足元を照らしているだけだったが、次第にお腹、胸へと緩やかに日差しの登山が行われていく。そして、頂上である、顔へと到達していった。
 季節が季節ならば、この時間はとても幸せなものになっていたのだろう。しかし、照りつけるような光は、以前やっていた焼き鳥屋の焼き鳥のような気分になっていく。
 日の光が照り続けるのが嫌だったので、仕方なく体を起こし、布団を畳む。そして、涼しさを求めて水がめへと向かう。
 数日前に水が入れられた水がめに、私の顔が映りこんでいる。いつもと変わらない顔。そんな顔に、手で掬った冷や水をぶつけていく。顔だけではなく、体にも冷たさが伝わってくる。
 気持ちよさが体中を伝わったと同時に、体が空腹を訴え始めてきた。ここ数日摂ったものと言えば、水を数回口に含んだ程度だった。
 久々の食事をしなくてはいけないと思い、食料がある釜の近くへ行ってみる。
 最近食べていなかったからあるだろう。そう考えていたが、食材は米と薄切りにされた塩漬けの筍だった。わびしい食卓になりそうな予感しかしなかった。
 とりあえず喉を通らせろ、と言ってくる腹を落ち着かせるため、適当に食事の準備を始める。
 米をざっくばらん釜へ入れ、水で研いでいく。適当に研いだところで、洗った水を塩漬けの筍が入った容器へ入れていく。釜に再び水をいれ、炊飯の準備をしていく。かまどにセットした後、種火の必要がないのは、ある意味で私の能力の便利なところだろう。火を入れた後は、そのまま放置しておく。
 炊飯の準備が終わったら、筍へと取り掛かっていく。筍は塩を米のとぎ汁で落としていく。塩を落とした後は串に刺していく。数本刺したところで、片方の指の間に串を挟んでいく。片手には串、片手に能力の火。これだけで簡単な筍の串焼きができていった。
 串焼きが完成した頃、釜のほうをじっくりと蒸らしていく。ご飯ができるまでの間に、食卓に盛り付けの準備をしていく。
 皿に簡単に串焼きを盛り付けた後、いささか早めの米を釜からよそっていく。茶碗から立ち上がる湯気。外の熱気に米の湯気で暑くなっているが、空腹はお構いなしに鳴り続ける。
 誰もいない部屋で、一人でいただきますの挨拶をする。話す相手がいないので、小屋の中を眺めてみる。日焼けした紙束が小さな丘を作っている文机と、小さなタンス以外、何も見当たらない殺風景な部屋。台所の釜の付近では、暑さと熱さのためか、陽炎が描かれていた。一人で黙って食べる食事は、さっき見た食料が置いてある所よりも寂しかった。
 筍の塩が抜ききれなかった串焼きと、ほんの少し芯が残った米を食べ終える。そして、再び誰もいない部屋でご馳走様の挨拶をした。
 朝食を済ませた後、近くの竹林へ散歩に行く。別段何をすることもないが、一目を避けながら、ふらふらと歩いていく。しばらく歩いていくと、遠くに永遠亭の第二診療所が見えてきた。良いのか悪いのか相変わらず盛況のようで、人がひっきりなしに出入りしている。
 診療帰りの人に見つからないよう、私は静かに散歩を終えることにした。
 家に着いた私は、うっすらとかいた汗から逃れるため、上着を脱ぎ捨てる。そして、そのままたたみの上へ横になり、窓から運ばれてくる気休めの風を体全体に求めるようにして、大の字になっていく。幾分かの涼しさが体を包み込んでくると、今度は眠気が出始めてくる。抵抗する理由もなかったので、そよ風に包まれながら、私は眠りに落ちていった。

 目が覚めたのは、睡魔の誘いに乗ってから、かなり過ぎた後だった。すでに周りは暗闇に包まれ、鈴虫たちのささやき声が聞こえている。かなり長い間寝ていたようで、私が脱いでいた上半身の汗による、人型が畳に描かれていた。
 眠気が残っている上に、夜風が気持ちよく体をなでていく。遅めの夕食にしようと思ったが、朝と同じ食卓になると考えてしまい、躊躇してしまう。しばらく考えた結果、何も食べず、喉の渇きだけ潤すだけにした。
 体の中に水分が染込んだ後、眠りにつくための準備をする。布団を敷き、上に着古した寝巻きを羽織る。下にはいていたものは、そのまま寝巻きへ流用していった。
 目が覚めてから、ほんのわずかな時間で再び横になっていく。長い間眠っていたはずなのに、私は二度目の夢の中へ旅立つことができていった。
 日がな一日誰とも会わず、ただただ消耗していく日々。そんな生活を彼女がいなくなってから始めて数百年が経とうとしていた。



 私の前から彼女が消えてしまって以来、私の時間は止まったままだった。
 誰かと会うだけで、彼女のことを思い出してしまう。慧音とまったく面識がない人であろうと、巡り巡って彼女に関係した人とつながっているかもしれない。そう思ってしまい、人と関わることを一切拒絶した。
 後悔はしていない。
 しかし、人に会わない程、彼女のことを忘れてしまうのではないか。そんな不安感はあった。
 心配して来てくれた村人たちは、その後も何度か尋ねて来ていた。だが、私は一度も彼らの前に出ることがなかった。やがて、一人、また一人と尋ねてくる村人たちはいなくなった。私が出てくることはないと思い、来ることがなくなったのか。それとも病や寿命で亡くなってしまったのか、私には知る由もなかった。
 食料は暑さと寒さが入れ替わる頃に一度ずつ村へ行き、買い込んでいた。買い物の時には、余計な会話を一切せず、黙々と家路へと向かっていった。その後、買い込むことにも嫌気が差し、小屋の近くに畑を耕し、自給自足の生活を過ごすようになっていった。畑によって、野菜は何とかなったが、米は足りなかったため、黄金色に輝く頃、稲の刈り取り作業を行っていた人と米と野菜の直接交換をしていた。
 人と会わない生活はできるのだろうかと、考える事があった。だが、以前からそれに近い生活だったため、特に苦労することなく日々を過ごせていた。
 永遠亭のお姫様も、退屈していないのか、ここ数十年は顔を見せていない。この日々がいつまでも続いていってほしい。誰にも会わず、ただただ時が過ぎていく日々を。


「で、何で私をここに呼んだんだ」
「あら、いいじゃない。久しぶりに話でもしましょ」
 竹林のさざめきだけが聞こえてくる。しかし、場所は私の住んでいる小屋ではなく、永遠亭の中の一室にいる。
 私の住む小屋と同じく、物がほとんど置かれていないはずなのに、適度な緊張を強いられている。
 輝夜と面と向かって話すことがあまりにも久しぶりだったため、私は外の方に視線を移した。部屋と縁側の境界は障子で締め切られていたため、丸く縁取られた雪見窓から外の様子を窺う。窓の外は、濃淡の緑で埋め尽くされていた。
 いつもと同じ、変わらない風景。しかし、変わっていた輝夜との関係の中で、なぜ私を永遠亭へ呼んだのか、疑問で仕方なかった。
「私は何も話すことが無いんだが」
「へぇ、そう? 私も無いと言えば、無いのだけれど」
 本当に何で呼んだんだ……ため息と共にそんな感情があふれ出す。帰りたい気持ちと同時に、腹いせに一度絞めてしまおうか。そんなことが頭の隅をよぎる。
 先ほど、永琳の弟子が出した湯飲みを見つめる。一応来客として扱われているのだろうか。ならば用事があるはずだ。だが、彼女は口を開こうとしない。それどころか、胡坐をかき、視線は宙を彷徨っている。目の前にいる彼女が、本当に姫なのか、怪しいものである。
 何もないなら、家に帰って何もせずに過ごしたい。そう思い、腰を上げかけたとき、彼女の口から言葉が漏れ出した。
「最近ね、奇妙な噂を聞くの。何でも、少女が隠居したまま何年も過ごし続けているそうよ」
 出て行こうとしていたところに、こんなことを言われる。だからこいつは嫌いなんだ。さっさと言ってしまえばいいものを、もったいぶって言おうとしない。私が一番嫌がるタイミングで言葉の網を投げてくる。何度その網に絡めとられただろうか。そんな網を無視し、振り払って帰ってしまえばいいのに。結局、彼女の話を聞いてしまう。
「最初は何らかの理由があったのだろう、という程度だったらしいわ。でもね、年に数回しか里に顔を見せないことや、噂が何十年と伝え続いていた。そうなると、不審に思う者が出てきても仕方がないわよね。」
 彼女のほうへは目を合わせず、先ほどまで見ていた湯のみに再び視線を向け続ける。顔を見てしまえば、侮蔑と迷惑そうな感情が入り混じった笑みをきっと浮かべているだろう。
「この話は優曇華から聞いたのだけれどね。本当に迷惑だわ。竹林に化け物が一人住んでいるからって、永琳の診療が――」
 気づいたら、彼女の頬に思いっきり拳を叩きつけていた。彼女は面白いように転がっていき、壁にぶつかり、その動きが止まった。
 緩慢な動きで起き上がり、こちらへ顔を向けてくる。
 その瞬間、背筋が凍りついた。
 彼女は先ほど私が考えていた笑みを浮かべていた。だが、私が考えていた以上に、侮蔑の感情が多分に含まれている。
「あーあ、痛いわねー。本当に何しているのよ」
 彼女は吐き捨てるように愚痴る。
 笑みは変わっていないはずなのに、さらに笑いを堪えているようにも見える。
「まったく、本当に何にも進歩していないのね」
 こちらが黙って聞いているためか、彼女の口は饒舌になっていった。
「あなたは。いつまでも過去を見つめ続けるのかしら? 永遠を刻み続ける私たちにとって、過去は瑣末なものでしかないのよ。砂の中に砂が紛れ込んだところで、再び見つけることは無理でしょう? いい加減にしたらどうかしら」
 その言葉を耳に入り、脳で理解した瞬間、私は彼女へ殴りかかっていた。だが、怒りに任せた拳の二度目が当たる事がなく、ただただ空を切っていった。その度に小さな反撃を受け続ける。
 久しぶりの喧嘩のせいか、傷の治りが遅い。段々と息が上がっていく。自棄になって、腕が大振りになっていく。鼻で笑われながら、かわされていく。
 涙が止まらなかった。なぜ彼女は逝ってしまったのか。なぜこんな事になってしまったのか。答えではなく、現実にある過去が欲しかった。
 彼女の顔に向かって放った最後の一振りは、彼女の放った弾幕によって、私の意識ごとかき消されていった。


 竹林を通り越し、日の光が差し込んでくる。最初は足元を照らしているだけだったが、次第にお腹、胸へと緩やかに日差しの登山が行われていく。はずだった。
 日差しの登山は行われていた。しかし、普段の照りつけるような暑さはなく、ふわふわとした春の陽気に包まれているような感覚だ。
 ようやく私は、彼岸にたどり着けたのだろうか。そんな淡い期待を持ちながら、ゆるゆると体を起こし、重たい目を開けてみる。しかし、うっすらと見えてきた景色は想像とはまったく違うものだった。
 見覚えのない障子。どうやら、この障子がふわりと朝の光を受け止めていたようだった。重たい頭をゆらゆらと動かしながら、右へ左へと向けていく。丁寧に塗り固められた土壁。目を凝らしてみると、うっすらと修復の跡が見られる。どうやら、私は、輝夜の部屋で眠りについていたようだ。
 頭が状況を少しずつ飲み込んでいく。それにつれて段々と、呼吸がため息に変わっていった。
 ここから早く出よう。そう思い、体を動かそうとするが、思うように動かない。輝夜との喧嘩では、動かなくなっても、気持ちで体を動かすことができていた。しかし、今は気持ちで体を動かそうとしても、体は拒み続けていた。
 心と体の中で、互いにいがみ合いをし続けていると、そろりそろりと障子が開いていった。その瞬間、春の陽気は一気に灼熱の夏へと替わっていった。
「元気そうね」
「いや、何でこれで元気なんだよ……あんたは一応医者だろ?」
 私の体にできた影の先には、永琳の姿があった。軽く投げかけられた言葉とは裏腹に、表情は沈み、眉が一つの線になるのではないかと思うほど、中央へと寄せられていた。
 それははるか以前に、永遠亭へと運んでいた重篤な患者を見た時のような顔だった。
 不老不死である私に対し、そのような顔を向けているのか理解ができなかった。治らないとされている病気にも、一度死んでしまえば体はリセットされる。全身を毒が巡っていても、時間をかけ、何度も死ぬことによって毒が体の外へ出ていた。頭一つ、心臓一つしか残らなくても、そこから再生して元の体に戻ってしまう。
 永琳の表情にこちらも眉をひそめていると、彼女の口から遅いわね…と、ぽつりと言葉が漏れてきた。
 意味が分からなかった。何が遅かったのか、どのように遅かったのか。湧き水のように少しずつ出てきた疑問は、口の中から無意識のうちに溢れていった。
 永琳は部屋の中へと入り、障子を閉め、私の前へゆっくりと座っていく。
 無理に引き上げられた口角。頬が少し引きつっている。目尻は下がることはなく、真横に伸びていた。
 普段、患者に向けている笑顔なのだろうか。しかし、私に向けていられる顔は、どう見ても失敗してしまった作り物の顔にしか見えなかった。
 どちらとも、言葉が出てこなかった。溢れた疑問に栓をするように。こぼれた言葉を拾い上げ、なかったことにするかのように。重たい空気が、私と彼女にあった。
 重い空気を抱え続けることができなくなってきたのか、彼女の口から言葉が落ちてきた。
「何で、なのかしらね」
 何がなのかを聞きたい衝動を抑え、私は黙って次の言葉を待ち続ける。
「こんな事ってあるのね。本当に不思議」
「何がだ」
 思わず聞き返してしまった。その刹那、彼女の笑顔がより壊れて見えた。
 しまったと思った時には、もう遅かった。聞くべきではなかった。そんな後悔が押し寄せる。
 彼女は、私の瞳をまっすぐ見つめ、ゆっくりと言った。
「蓬莱の薬の効果が、薄れているのよ」
お楽しみいただけましたら幸いです。

本作品は後編に続きます。
先日の「手紙」とはまた違ったお話となっております。
この2日間の連投気味のペースになってしまい、申しわけありません。

ご意見・ご感想・アドバイスなどありましたら、是非。
龍泡
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コメント



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面白かったです!
やはり過去に囚われてるのが妹紅なんだなあと思いました。切り捨てられないその弱さが美しいです。

一つ気になったのが封筒なんですけど、幻想郷って海ないから海辺の絵の封筒もないんじゃないかと思うんです。妹紅は見たことあるとは思うのですが、慧音は外の世界で暮らしてたことあるんでしょうか?
もしくはただ単にその色合いが海っぽく見えたということでしょうか。

続き楽しみにしてます!