それは、不思議な出来事だった。
季節は冬。闇に包まれた夜の7時過ぎ。
こんな時間に博麗の巫女が出歩いていたので、後をつけていたときのことだ。
道ばたに生えた楓の木の下に、突然山羊がいた。老体だが、立派な角を生やした雄の山羊が一匹。
その山羊は何かを訴えかけるような目で、どこかを見つめたあと、一度だけ「メェー」と鳴いて、山奥に消えていった。
なんだったのだろう。
だが次の瞬間、私の周囲はすべてが変わっていた。
頭の上には、真っ赤に紅葉した楓。
頬を刺すような冷たさはなくなり、秋の柔らかな夕日に辺りは照らされていた。
先ほどまで、時刻は夜の7時だったはずなのに。
そして、明るくなったことによって、夕日に照らされ橙色に染まった村が突如現れた。
いや、おそらく村ではない。なぜなら、その村には人が住んでそうに見える家が一つしか存在していなかったからである。
けれども、とても美しく、長閑な集落だった。周囲の山では紅や黄色に紅葉した木々が並び、水が抜かれた田んぼでは稲藁が干されていた。
私は思わず見とれ、隣に巫女が来ていたことにも気づかなかった。
しかし、巫女も「見とれてしまうくらい、いい場所ね」と言っただけだった。
そのときの目は、とても優しくも寂しそうなものだった。
きっと、最初から彼女はすべてを悟っていたのだろう。
次にこの場所を訪れることはないだろうと。
そして、そうあるべきであると。
私は巫女と一緒に村に入った。
なぜ、ここから村と表記したかというと、一つしかない家に、村役場と書かれていたためである。役場の柱は柿渋が塗られ、引き戸の入り口のそばには犬小屋があり、柴犬が幸せそうに眠っていた。
引き戸を巫女が叩くと、リーダーと呼ばれていた男が迎えてくれた。
その男は、まず私たちの服装に驚いた。
「そんなスカート短くて大丈夫かいな?」
とか、
「本物の巫女さんかい」
とか。
少しなまりのある口調で話した。
この瞬間、巫女の予感が的中していたことが確定した。
ーーこの村は、外の世界のものだ。
もし、幻想郷の村で住まう人々ならば、博麗の巫女の存在を知らないはずがない。このリーダーという人物が博麗の巫女について知らないということは、この場所は偶然博麗大結界の内側になってしまているのだろう。
巫女はリーダーと話しながら、その確証を丁寧にとっていった。そして自分の用事が終わると、私に「取材はいいの?」と言った。もう取材をするつもりはなかったのだが、リーダーが村を案内してくれるというので、素直に案内をしてもらった。
畑や田んぼだけではなく、この村には果樹園もあった。さらに炭や陶器なども焼ける釜、時を知らせる半鐘まで存在した。どれも、自分たちの手で作り上げたものらしい。驚くべきことに、醤油や味噌、たった一つの家である村役場すらも、自分たちで作り上げたものだそうだ。
村の中心には、リーダーの他にも5人の男たちがいた。
リーダーと兄弟のようにしか見えない4人の男たち。それに、「ダメだこりゃ」という言葉が妙に印象的な老人。5人と老人はとても親しげだったが、老人に対する敬意がしっかりと感じられた。
結局その日は、夕飯まで村でごちそうになった。
夕食のときには、先ほどの男たち以外の人々も、一緒に食卓を囲んだ。
村で作った米と秋なすなどの野菜。それに、普段は炭焼きをしている老人が撃ってきたらしい肉が入った味噌汁。どの料理も優しい味で、食べているだけで幸せな気分になれた。
いや、幸せになれたのは、料理が理由ではない。この村の雰囲気そのものだ。この村の人々は、まるで全員が大きな家族のようだった。そして、そのことを特別に思っている人は誰もいない。
つまり、当たり前のことなのだろう……。
夢の村。
理想郷を表す言葉として、その言葉が浮かんだ。
「きぃつけや」
リーダーをはじめ、村の人々に手を振られ、私たちは村をでた。
すっかり暗くなった村からは、柴犬の鳴き声が聞こえてくる。
二人でなにも話さずに歩き続けた。
そして、楓の木の下に、行きに見た山羊がいた。
その山羊の視線の先には、博麗の巫女。
巫女は山羊に近づくと「大丈夫、村はちゃんとあるべきところに戻すから」と言って、顎から生えた立派な毛並みをなでた。
山羊は一瞬泣いたような、それでいて笑ったような表情を見せると、また「メェー」と鳴いた。
世界は一転し、冷たい風が体に染み込んでくる。頭上の楓も、すっかり落葉していた。
後ろを振り返り、今日出会った村のことを想う。
隣で同じようにすでに村に繋がっていない虚空を見ていた巫女が「いい村だったわよね」とつぶやいた。
私はただうなずき、「でも、ここの結界は直すんですよね?」と尋ねる。それに対して、博麗の巫女は、すぐには答えなかった。
「結界がおかしいって場所に向かうと、時々こういうことがあるのよね」
胸元から結界を作るのに必要なお札を出しながら、巫女は語る。
たいていは、ごくごく普通の場所。見慣れない街並みだったりもするけど、情報だけ集めて、外の世界だって解れば、結界で切り離すだけ。でも、ときどき今日みたいに凄く綺麗で優しくて温かい場所もあって、そういうときは、切り離すのがもったいないと思うんだけどね……。
そこで巫女はこちらに振り返った。
幻想郷を管理する者として、精一杯の優しさを外の世界にこめて。
「けれども、これは外の世界の綺麗で優しくて温かい場所。もし幻想郷に来たら、外の世界にその場所はなくなっちゃう。こんないい場所が、幻だったり、想いにしか存在しない場所になるのは、外の世界の人々にとって、悲しいことだと思わない?」
博麗の巫女は言い終わると、結界の修復を始めた。
数分後には結界はその役割を果たし、夢の村は幻想郷の外の世界になった。
季節は冬。闇に包まれた夜の7時過ぎ。
こんな時間に博麗の巫女が出歩いていたので、後をつけていたときのことだ。
道ばたに生えた楓の木の下に、突然山羊がいた。老体だが、立派な角を生やした雄の山羊が一匹。
その山羊は何かを訴えかけるような目で、どこかを見つめたあと、一度だけ「メェー」と鳴いて、山奥に消えていった。
なんだったのだろう。
だが次の瞬間、私の周囲はすべてが変わっていた。
頭の上には、真っ赤に紅葉した楓。
頬を刺すような冷たさはなくなり、秋の柔らかな夕日に辺りは照らされていた。
先ほどまで、時刻は夜の7時だったはずなのに。
そして、明るくなったことによって、夕日に照らされ橙色に染まった村が突如現れた。
いや、おそらく村ではない。なぜなら、その村には人が住んでそうに見える家が一つしか存在していなかったからである。
けれども、とても美しく、長閑な集落だった。周囲の山では紅や黄色に紅葉した木々が並び、水が抜かれた田んぼでは稲藁が干されていた。
私は思わず見とれ、隣に巫女が来ていたことにも気づかなかった。
しかし、巫女も「見とれてしまうくらい、いい場所ね」と言っただけだった。
そのときの目は、とても優しくも寂しそうなものだった。
きっと、最初から彼女はすべてを悟っていたのだろう。
次にこの場所を訪れることはないだろうと。
そして、そうあるべきであると。
私は巫女と一緒に村に入った。
なぜ、ここから村と表記したかというと、一つしかない家に、村役場と書かれていたためである。役場の柱は柿渋が塗られ、引き戸の入り口のそばには犬小屋があり、柴犬が幸せそうに眠っていた。
引き戸を巫女が叩くと、リーダーと呼ばれていた男が迎えてくれた。
その男は、まず私たちの服装に驚いた。
「そんなスカート短くて大丈夫かいな?」
とか、
「本物の巫女さんかい」
とか。
少しなまりのある口調で話した。
この瞬間、巫女の予感が的中していたことが確定した。
ーーこの村は、外の世界のものだ。
もし、幻想郷の村で住まう人々ならば、博麗の巫女の存在を知らないはずがない。このリーダーという人物が博麗の巫女について知らないということは、この場所は偶然博麗大結界の内側になってしまているのだろう。
巫女はリーダーと話しながら、その確証を丁寧にとっていった。そして自分の用事が終わると、私に「取材はいいの?」と言った。もう取材をするつもりはなかったのだが、リーダーが村を案内してくれるというので、素直に案内をしてもらった。
畑や田んぼだけではなく、この村には果樹園もあった。さらに炭や陶器なども焼ける釜、時を知らせる半鐘まで存在した。どれも、自分たちの手で作り上げたものらしい。驚くべきことに、醤油や味噌、たった一つの家である村役場すらも、自分たちで作り上げたものだそうだ。
村の中心には、リーダーの他にも5人の男たちがいた。
リーダーと兄弟のようにしか見えない4人の男たち。それに、「ダメだこりゃ」という言葉が妙に印象的な老人。5人と老人はとても親しげだったが、老人に対する敬意がしっかりと感じられた。
結局その日は、夕飯まで村でごちそうになった。
夕食のときには、先ほどの男たち以外の人々も、一緒に食卓を囲んだ。
村で作った米と秋なすなどの野菜。それに、普段は炭焼きをしている老人が撃ってきたらしい肉が入った味噌汁。どの料理も優しい味で、食べているだけで幸せな気分になれた。
いや、幸せになれたのは、料理が理由ではない。この村の雰囲気そのものだ。この村の人々は、まるで全員が大きな家族のようだった。そして、そのことを特別に思っている人は誰もいない。
つまり、当たり前のことなのだろう……。
夢の村。
理想郷を表す言葉として、その言葉が浮かんだ。
「きぃつけや」
リーダーをはじめ、村の人々に手を振られ、私たちは村をでた。
すっかり暗くなった村からは、柴犬の鳴き声が聞こえてくる。
二人でなにも話さずに歩き続けた。
そして、楓の木の下に、行きに見た山羊がいた。
その山羊の視線の先には、博麗の巫女。
巫女は山羊に近づくと「大丈夫、村はちゃんとあるべきところに戻すから」と言って、顎から生えた立派な毛並みをなでた。
山羊は一瞬泣いたような、それでいて笑ったような表情を見せると、また「メェー」と鳴いた。
世界は一転し、冷たい風が体に染み込んでくる。頭上の楓も、すっかり落葉していた。
後ろを振り返り、今日出会った村のことを想う。
隣で同じようにすでに村に繋がっていない虚空を見ていた巫女が「いい村だったわよね」とつぶやいた。
私はただうなずき、「でも、ここの結界は直すんですよね?」と尋ねる。それに対して、博麗の巫女は、すぐには答えなかった。
「結界がおかしいって場所に向かうと、時々こういうことがあるのよね」
胸元から結界を作るのに必要なお札を出しながら、巫女は語る。
たいていは、ごくごく普通の場所。見慣れない街並みだったりもするけど、情報だけ集めて、外の世界だって解れば、結界で切り離すだけ。でも、ときどき今日みたいに凄く綺麗で優しくて温かい場所もあって、そういうときは、切り離すのがもったいないと思うんだけどね……。
そこで巫女はこちらに振り返った。
幻想郷を管理する者として、精一杯の優しさを外の世界にこめて。
「けれども、これは外の世界の綺麗で優しくて温かい場所。もし幻想郷に来たら、外の世界にその場所はなくなっちゃう。こんないい場所が、幻だったり、想いにしか存在しない場所になるのは、外の世界の人々にとって、悲しいことだと思わない?」
博麗の巫女は言い終わると、結界の修復を始めた。
数分後には結界はその役割を果たし、夢の村は幻想郷の外の世界になった。
誤字報告:「人が住んでそうに見える言え~」
残酷なまでの温かさがよく伝わってきました。こーいうの、あんま好きじゃないけどね。
良い雰囲気でした。
すごく馴染みそうだけど
だってこのリーダーって城島……イエ、ナンデモナイデス
あの農家時々アイドルの方ね。