Coolier - 新生・東方創想話

雲と花 8+9+10話

2014/03/08 04:50:37
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 八話 バケモノ(前篇)

 これで、終わった。男から小太刀を引き抜くと、その傷口から赤黒い血が噴き出した。
「これが、終わりか……」
 口から血を吐き散らしながら、男が言う。「案外、呆気ない、な……」
「そうね」
 呆気ない。その気持ちは、私も同じだ。だが、まだ油断するつもりはない。
 小太刀を握り直し、巨木にもたれ掛って座り込む血まみれの男の姿を注視し続ける。
「死んだのか?」
 そう言いながら、雲山がこちらにふわりと寄って来た。どうやら、残っていた餓鬼を倒し終わったようだ。
「まだ息はあるわ。これから、トドメを……」
 その首を撥ねるまで、安心は出来ない。小太刀に付いた血を袖で拭い、水平に構える。
「首を撥ねるには、中々技量がいるぞ?」
「いいのよ、雲山。苦しむなら、苦しめばいい」
 私が、私の家族が味わった苦しみと同じか、それ以上の苦しみを与えなくては、仇討ちにならない。
「くくく、酷いガキだねぇ。そんなんじゃ、妹ちゃんが泣くよ?」
 男が目線を空に向けた。と、次の瞬間、背後で何か重たい物が落下したような音が聞こえた。
 咄嗟に、振り返る。と、そこには、男が先ほど放り投げた大きな麻袋が落ちていた。よく見れば、あちこち継ぎ接ぎだらけでぼろぼろだ。しかし、そう言えば、あの袋の中身は何だろうか。
「中身は気にしなくて良いよぅ……すぐに分かるからさぁ!」
 男が叫んだのとほぼ同時に、麻袋が独りでに発火した。
「なに……?」
 小太刀を握る手に力を込め、燃え上がる麻袋を睨む。
「火は綺麗だなぁ。ずっと見ていたいよ……」
 男の恍惚とした声を余所に、炎は麻袋だけを灰にすると、風と共に消えた。
 そして、炎の消えたその場に、一匹の餓鬼がうつ伏せに倒れていた。灰色の肌と、細い手足を持ち、腹だけがぷっくりと膨れている。派手な出現の割には、何の変哲もないただの餓鬼にしか見えない。ただ一つ違うとすれば、その身体が入っていた袋と同じく継ぎ接ぎだらけだということぐらいか。
「これが、何だって言うの……」
 正直拍子抜けしたが、やはり油断は出来ない。男とその餓鬼を交互に警戒する。
 すると、餓鬼がおもむろにふらふらと立ち上がった。
「その子は特別なんだ。君のおかげで素敵な見世物に出来た」
「特別?これの、どこが――」
 ――立ち上がったその餓鬼の顔を見て、絶句した。
「感動の再会、だよねぇ?アハハハハハ――」
 男の下品な笑い声が、頭に響く。
「ゴッ、ゲッ、エ、アァ……」
 立ち上がった『彼女』は、耳触りな声で鳴きながら、両手を前に突き出して、こちらにゆっくりと歩み寄って来る。私を喰い尽くそうと、目を血走らせ牙を剥きだしにして、一歩一歩、おぼつかない足取りで大地を踏みしめて来る。
 ――なんで、どうして?理解出来ない、理解したくない。嫌だ…こんなの、嘘だ……。
「おのれ…何と言うことを……!」
 雲山が、怒りに声を震わせる。「一輪、わしなら痛みさえなくこれを葬れる。だから、わしに任せろ。お主は目を瞑れ!」
 雲山はそう叫んで、拳を握りしめて『あの子』に迫る。だけど、駄目だ。その子を殺すなんて、駄目だ。
「駄目!」
「しかし、一輪!」
「駄目だよ……雲山。だって……だって、その子は……」
「見た目に惑わされるな。これは、餓鬼だ。お主の憎むべき人喰いのバケモノだ!」
「違うよ……そうだけど、違うよ……。だって……だってこの子は、二葉だよ……?」
 肌も灰色だし、目も真っ赤だし、獣みたいな牙まで生えてる。でも、間違いない。この子は、二葉だ。その眼にも、鼻にも、耳にも、口にも、背丈にも、髪にも、声にも、私の知ってる二葉の面影が、そこに在る。二本の足で立って、そこに居る。
「そうさ……あの時、死体を一つ貰っておいたんだ。人間を蘇らせる実験がしたくてさぁ……持てる全ての式術を駆使したんだよ……でもまぁ、結果は入道殿の言う通りだよ。君の妹ちゃんはぁ、デキソコナイのバケモノになっちゃったんだよ!アハハハハハハハハ!」
「この外道がァアア!」
 雲山が握りしめた拳を男にぶつけた。その鈍い音を、背後で感じる。
「どうして……何で……」
 私はその場から動けず、へたり込み、二葉を見つめ続けた。
 なんで、どうして……?
 彼女は歩を止めず、そのまま私の目の前まで辿り着くと、私を覗き込むようにしてちょっとだけ屈みこんで私の両肩に手を置き、その鋭い牙を私の首元に突き立てた。


 九話 バケモノ(後編)

 痛いとか、苦しいとか、そんな言葉に出来る感情ではなかった。
「あっ、ああぁ……」
「一輪!」
 叫ぶことさえ、出来ない。やめて、助けて、お願い、やめて……。
「ふ、ふた……ばッ…ぁあ………」
 息が、詰まる。呼吸が、上手く、出来ない。声が、出ない。二葉、お願い……。
 その牙から逃れようと身体を動かそうとしても、二葉は私の両肩をがっしりと掴んだまま離さない。逃げたいのに、逃げられない。痛みと恐怖が身体と心を支配していく。
 ――酷い。こんなの、酷過ぎる。あぁ、皆、こんな目に遭ったのか。ごめんね、皆……こんな酷い目に遭わせて、ごめんね……。私一人だけ助かって、ごめん……。
「ググッ」
 そう呻きながら、二葉が私の首元を咥えたまま頭を引き上げる。肉を噛み千切ろうとしているのだと直感する。
「や、やめッ――」
 次の瞬間、自分の身体から聞いたこともないような音がした。
 グチァ、ビチッ、ベキュッ。そんな音と共に、私の首から右肩にかけての部分が、あっという間に二葉に喰いちぎられた。
「――ッ!」
 まるで、意識ごと持って行かれるような痛みだった。目も口も、開いたまま動かせない。あぁ、感覚が、なくなって……目の前が、真っ暗に……あぁ……死ぬんだ。私、このまま死ぬんだ。妹に、くいころされて……。でも、これはきっと、罰ね……だから、これで、いいんだ……かたきも、うてたし……。
「一輪!しっかりしろ!」
 くらやみのなか、こえが、聞こえる。これは、雲山の、声……?
「まだ死ぬな!まだやるべきことがあるはずだ!」
 やるべき、こと?私の、やるべきことって……。
 ――ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
 この不快な音は、何だろう?私の目の前から……あぁ、そうだった。二葉が私を食べている音だった。二葉が、私を……。
 えっ?二葉が、私を?
 ちょっと、待って。なによ、それ……そんなの、おかしいわよ……。
 なんでそんな事になってんのよ……そんなの、許せないわよ……。
 このまま、私だけ死んで良いはずないわよ……!
 彼女をこのままにして、死ぬわけにはいかないわよ!
「あああああああああああ!」
 とにかく叫んだ。動け、私の身体!まだだ、まだ眠るな!まだ死ぬな!まだ楽になるには早いだろ!まだ、やらなきゃいけないことがあるだろッ!
「一輪!」
 でも、どうすればいい?このままじゃ駄目だ。クソッ!私が、私が人間だから!私が、もっと強ければ!雲山のような強い妖怪だったなら!
――そうか。なれば良いんだ、妖怪に。
「うんざあん!」
「な、何だ!」
「二葉を抑えて!」
「お、応!」
 雲山が、大きな手で二葉の身体を包み込む。二葉はそれから逃れようと、ぎゃあぎゃあ喚く。
(ごめんね)
 だが、時間はない。こうしている間にも、肩から血が流れている。血と共に、熱と意識が流れ出ていく。急げ、考えろ。意識を保ち続けろ。さあ、何だ?妖怪とは、何だ?
 妖怪とは、人間を喰らう超常異形のバケモノ。どこかしらに不自然さを持つモノ――。
 私にとって、超常とは何だ?不自然とは何だ?
 私にとって在り得ないこと、私が絶対にしないこと……それは……それは――。
「あぁ、そうか」
 ――それは、人を喰らうこと、そのものだ。
 そうと分かれば、話は早い。全身に力を込め、あの男の方へと目線を動かす。奴は、先ほどとは少し離れた場所で、大の字になって仰向けに倒れていた。そう言えば、雲山に殴れていたっけ。
「ぐッ……」
 立ち上がろうとして、うつ伏せに倒れ込む。その時、身体の右下から金属音が聞こえた。
あぁ、良かった。感覚はなかったけど、小太刀はちゃんと握ってたのか。偉いぞ、私。
 頬を地面に擦らせ、顔を前へ向ける。左手を伸ばし、地面に生えた背の低い草を握りしめ、腕に力を込めて、身体を引っ張り、這い進む。
 前へ、前へ、前へ――。
「い、一輪、何を……」
 その声に、答えている暇はない。今は、とにかく、前へ!
 前へ、前へ、前へ!
 赤く染まった地面を這いずり、どうにかこうにか男の元に辿り着く。男は目を閉じたままぴくりとも動かない。死んでいるのか、気を失っているのか……だが、今は、どうでもいい。
 左手を地面に着き、身体を支え起こす。右手から小太刀を引っぺがし、左手で逆手に握る。そして、男の右腕の肘めがけて、刃を振り下ろす。
 ぐさり、ぐさりと腕の肉を貫き、抉り、引き裂く。
「お、お主、まさか……」
 小太刀をその場に落とし、代わりに切り取った男の腕を掴みあげる。口を無理やり開けて、その腕の断面に噛み付く。
 生温い血が、口の中に入り込んでくる。まるで、溶けた鉄さびのようだ。それを、無理矢理喉の奥に送る。どろりとした液体が喉元に絡みつき、思わずむせ返りそうになるのを堪え、肉を噛み切ることに全力を注ぐ。
 硬い皮膚は歯を拒み、肉は筋だらけで、味を感じぬ程に生臭い。これが、人の生肉か。とてもじゃないが、喰えたものじゃない。吐き気が、止まらない。だがそれでも、何度も吐き出しそうになりながら、何度も意識を失いそうになりながら、憎き仇の腕を何度も何度も噛み砕き、飲み下し、胃の腑へと落とし込んでいく。
 今死ぬわけにはいかないんだ。何をしてでも、何となってでも!
 
 そうして、どのぐらい経ったか。私は、この手も、口も、顔も、髪も、服も、身体の内側までも他人の血に塗れた。ふと気づいた時には、左手に人間の腕の骨を一つ握りしめていた。
 目を瞑り、一つ深呼吸をする。じんわりと、意識がはっきりしてくる。右腕の感覚も戻って来る。
 目を閉じたまま、もう一度、息を吸う。すると、目の前からイイ匂いがした。何かと思って目を開けば、それは、あの男の死体だった。男が死んでいるということも、感覚で分かった。その死体から香るこの匂い――血と肉の匂いに、唾液が出てくる。左手に握った腕の骨も、しゃぶりたくて仕方がない。
 もっと食べたい。もっと血を浴びたい、もっと肉を食みたい……もっと、もっと――。
「一輪!落ち着け――」
 雲山の声が聞こえたと思った瞬間、天空から鳥の羽ばたきと共に、しゃがれた男の声が降ってきた。
「そこの者ら!神聖な霊樹の傍で何をしておるか!」
「烏天狗か……一輪、まずいぞ」
 まずい?何が?こいつのこと?確かにまずかったけど、でも、もっと食べたい……。
「一輪!気をしっかり持て!」
 雲山に左肩を掴まれ、ふと我に返る。
「私、今、何を……」
 食べたいって、もっと人の肉を食べたいって……そう思っていた?
「何でも良い!烏天狗から逃げるぞ!」
「からす、てんぐ……?」
 極めて近い距離から、鳥の羽ばたく音が聞こえる。えっと、確か、烏天狗は自分の縄張りに入り込んだ賊を探しているんだったか。
そうか。そうなると、ここにいる誰もただでは済まない、か。
「そ、そうね……ここから、離れましょうか」
 自分のバケモノ具合に驚いている時間などない。腕の骨を何とかその場に捨てて、代わりに小太刀を拾い、足に力を込めて立ち上がる。
「二葉も連れてってくれる?」
「……あぁ」
 何か言いたげな顔の雲山に心の中で謝り、その背に乗る。ごめんね。でも、お願い。最後まで、私のわがままに付き合って?
「とにかく、ここじゃないどこかへ。お願い!」
 上空の羽音は、どんどん数を増やしている。最早、一刻の猶予もない。
「応!」
 雲山はそう答えるなり、森の中へと疾風の如く突っ込んだ。
「待たれよ!待たれよ!」
 烏天狗達の声を置き去りに、私達は全速力で森を駆け抜けた。



 十話 わがまま

 血肉の臭い、天狗の羽音、誰かの怒声。様々な物を置き去りにして、雲山は森の木々を縫うようにしてものすごい速さで飛んで行く。
 その間にも、私の中で肉への欲望がどんどん高まっていく。あの生臭さが、血の喉ごしが欲しくて堪らない。もっと、味わいたい。もっと、もっと、もっと……。
 ふと、左手に握った小太刀を見やれば、そこに美味しそうな赤い血が付着していた。あぁ、こんなところに。小太刀を口元まで運び、舌を出して、刃の表面に――。
「一輪、大丈夫か?」
「……へっ?」
 舌を出したまま、固まる。今私は、何をしていた?何を考えていた?
「血と肉の誘惑に溺れてはならぬ」
「そ、そうね……」
 深呼吸し、小太刀の汚れを袖で拭い、鞘に納める。心の中で、誰かが勿体ないと言う。
 ――あぁ、本当に、私は人喰いのバケモノになったんだ。
 覚悟していたとは言え、いざとなるきつい。せめて、二葉を楽にしてあげるまでは頑張らなくちゃ……。
「一輪、これを飲め」
 ほんの少し速度を緩めた雲山が、透明な液体の入った杯を差し出す。
「この匂いは……お酒ね」
 朱雀門で嗅いだ匂いと同じだ。あの時はきついと思ったが、今嗅ぐと、何故か良い匂いに思える。
「朱雀の持っていた僧坊酒だ。清き酒は、血肉への欲求を弱める効果がある。自己を保ちたければ、躊躇わずに飲め」
「……分かったわ」
 雲山から左手で杯を受け取り、一気に飲み干す。喉奥に響く辛みが心地いい。鼻から抜ける酒特有の香りに気持ちが落ち着く。結局またむせたけど、さっきまで胸に湧き上がって来ていた血肉への渇望が、今ではすっきりと和らいでいるのが分かる。
「ゲホッ、あり、がとうっ。落ち着いた、わ……」
「その内、酒にも慣れる。だから、思い詰めるな」
「……えぇ、ありがとう、雲山」
「あぁ。では、少し目を瞑っておれ。更に飛ばすぞ!」
 言われるがまま目を瞑った瞬間、雲山はさっきよりも更に速度を上げた。思わず後ろにのけぞり、小さく叫ぶ。
「きゃっ!」
「ガハハハハッ!さあ、しっかり捕まっておれ!落ちたら死ぬぞ!」
 雲山の豪快な笑い声と風を切る音だけが聞こえる。そんな風に言って、また、私を励ます為に、わざとおどけてくれているんだね。
「ありがとう、雲山」
 身体を伏せ、雲山の身体に抱き付いて、今度はそっと囁いた。

 どのぐらい経った頃か、雲山が「ここで良いだろう」と言った。
 目を開けた時、そこは、どこかとても高い所だった。周りには夕焼けに照らされた幾つもの山の頂が見え、眼下に広がる広大な森林や平野に影を落としている。
「ここは、どこかしら……」
 雲山からそっと降り、地平線に沈む夕陽に目を細める。さっきまで、朝だったのに、雲山はそんなに長い間逃げ回ってくれたのか……。
「生駒山と言う山の山頂だ。天狗共がしつこくてな、別の山に入るしかなかったのだ」
「そう……ありがとう。ここは安全かしら?」
「あぁ。恐らく、な。近くに他者の気配は感じない」
「分かったわ。二葉は……」
 雲山の手に目を向けると、二葉が雲山に腕ごと胴体を掴まれており、足をばたつかせながらもがいていた。
「ゴッ、ゲッ、エェ、アッ」
「相変わらず、ね……」
「あぁ……」
「……ねぇ、雲山」
「何だ?」
「餓鬼になった人間が、元に戻ることはあるのかしら?」
「……残念だが、妖怪となった者が元に戻ることは、決してない」
「そう……」
 分かっていた。そうだろうと思っていた。でも、最後ぐらい、微かな希望に縋ってみたかった。何かも無くなったと思っていた家族に、せっかくまた逢えたんだ。ちょっとくらい、夢を見ても良いよね?
「……だが、この娘を元の姿に戻すことは出来る」
「どういうこと?」
「この娘、見た目は確かに餓鬼だが、あの男は死体からこれを作ったと言っておった。恐らく奴は、お主の妹の死体に式術をかけて、餓鬼のような式神を作ったのではないかと思うのだ。普通なら術士が死ねば術も解けることが多いが、今回はその限りではないようだ」
「つまり、この子は式神で、餓鬼とはまた別の妖怪ってこと?」
「わしはそう思う。そして、それ故に、元の死体に戻すことは出来るのではないかと思うのだ」
 元の死体に、か。つまり、彼女を人間として弔うことは出来るのか。
「……良かった。私、この子を人間として死なせてあげることが出来るのね」
「あぁ、出来るとも。ただ、少しきついぞ?」
「良いわよ、別に。これまでだって充分きつかったもの。今なら何だって出来るわよ」
「そうか……そうだな。では、その小太刀で、この少女の心臓を貫け」
「心臓……?」
「あぁ。どんな生物も持つ、胸の真ん中やや左に位置する絶えず鼓動を続ける臓器だ。ここを穿たれて死なぬ者はいない。そして、この娘の場合はそこに式術が仕組まれている」
「どうして、そこに……?」
「普通ならば、式術は式札を通して行使され、式札は対象の肉体の表面に貼られる。だが、心臓に式術を組み込む者もいる。あの男はそういう術士だと、朱雀が言うておった」
「そう……朱雀が……」
「あぁ。信用出来ると、わしは思う」
「うん…そうね……私も、信じるわ。つまり、私がその心臓を貫いて、二葉をもう一度殺せばいいってことよね?」
「殺すのではない。人間に戻してやるのだ」
「……そうね。ありがとう、雲山。それじゃあ、二葉をしっかり掴んでおいて」
「あぁ、任せろ」
 雲山が右手で二葉の足を、左手で両腕と胴体を抑える。
 私は右手で小太刀を抜いて、鞘をその場に落とし、二葉の正面に立つ。
「ねぇ二葉……私のこと、分かる?」
 そっと、その頬に左手で触れる。その固く乾いた灰色の肌に、温もりは無い。冷たくもない。ざらざらとした手触りの他は、何も感じない。何も……。
「ゴッ、ゴ…ギ、ゲッ……」
「ごめんね……お姉ちゃん、分かんないよ……」
 あなたが何を言っているのか、あなたが何を思っているのか、私には分からない。今あなたを殺すことも、ただの自己満足かもしれない。
「……でもね、お姉ちゃん、あなたには人間で居て欲しいの」
 柄を両手で握りしめ、峰を下に、切っ先を、その胸に。
「ガッ、ガギ、ゴッ……」
「だから、ごめんね」
 躊躇っては、苦しませるだけだ。覚悟を決めて、一気に刃を突き刺す。
「グガッ、アァ……」
 身体を痙攣させて、二葉が苦しんでいる……ように見える。四肢を震わせ、必死に痛みから逃れようとしているように見える。胸から血を垂らして、口から血を吐いて、痛い痛いと泣き叫んでいるように見える。
「ごめんね、二葉。痛いよね……苦しいよね……。二回も殺されたく無かったよね……」
 全部、私のせいだ。ごめんね、二葉。でも、私を許さなくて良いよ。だって私、謝ることしか出来ないもの……。ごめんね……ごめんね……。
「グ、グ……ン。ガ、ギガッ、ゴ、ゥ……」
 その最後の言葉さえ、私は汲み取ることが出来なかった。
「おやすみ、二葉……」
 最後に一度びくりと身体を小さく震わせた後、二葉は動かなくなった。
 ゆっくりと小太刀を引き抜き、彼女の顔を見る。
 ――目を閉じ、口元を真っ赤に染めたその顔が、どこか安らかに見えるのさえ、きっと私のわがままなんだろう。
「……雲山、この近くに、お寺はあるかしら」
「あぁ」
「じゃあ、後でそこに二葉を連れて行って。なるべく、景色の良い所……出来たら、桜が咲く所が良いわ」
 本当は、私が行かなくちゃいけないんだろうけど……でもそれは、もう出来そうにないから。
「……分かった」
「ありがとう。最後まで、迷惑かけちゃうわね」
「気にするな。しかし、これでようやく終わったのだな……」
「えぇ、そうね……」
「長いようで、短かったな」
「そうね……まだ一月も経ってないのに、もう何年も旅した気分だわ」
「そうだな……では、酒でも飲むか」
「勝利の美酒、かしら?」
「いいや、弔いの酒だ」
「……えぇ、そうね」
 その場に並んで、二人で座る(雲山はいつも通り地面から少し浮いていたけど)。私が右で、雲山が左。互いに杯を持ち、互いに酒を注ぎ合い、空を見る。 
「綺麗な夕焼けね……」
「そうだな」
 地平線の上、扇方の夕陽から橙色の帯が世界を囲うように広がって、その中の全てを平等に夕焼け色に染めている。山の木々も、地上の水田も、空を飛ぶ鳥も、ゆったりと浮かぶ大きな雲も、それを眺めている私も、彼も。杯の中の透き通った液体も、陽光を反射し、黄昏色に光り輝いている。
 また、こんな景色が見たいな……なんてね。
「あ、見て。雲山がいっぱい居るわよ?」
 空に幾つも浮かぶ、大きな雲を指差して言う。我ながら、くだらない冗談だ。
「わしは一人しかおらんぞ?」
「そう?でも、分身ぐらい出来るんじゃない?自由に大きさも形も変えられるんだし」
「分身、か。なるほど、考えてもみなかったな……」
「やってみなさいよ。いつか……」
「……そうだな。では、献杯」
 二人で、持った杯をしばし夕陽に掲げ、一気に飲み干す。
「うまいな」
「えぇ……ゲホッ……」
 あーあ。もうこれで最後なのに、またむせちゃった。ホント、私は情けないなぁ……。
「ガッハッハッ!まだまだ、だな」
「う、うるさいわよ、雲山」
 夕焼け色に染まる、その豪快な笑顔を横目で睨む。いつもは静かで小さい声なくせに、笑う時と怒る時だけは大きな声出すんだから。全くもう……。
「……今までありがとうね、雲山」
「……あぁ」
 あの日から今日まで、何もかもあなたのおかげだ。だから、ありがとう。何回でも、何十回でも、何百回でも、あなたに伝えたい。
「――でも、ごめんね……」
 空っぽになった杯を、そっと地面に置く。
「私、他に何もあげられない。ありがとうしか、言えない」
「一輪……」
 他に、何も……いや、一つだけ、あるか。
「あっ、そうだ、雲山。もし……もしまだ人を食べたいって思うなら、私を食べても良いよ?バケモノになっちゃったけど、身体の味くらいは人間かもしれないし……」
「要らぬよ」
「別に遠慮しなくても良いのよ?私、それぐらいあなたに感謝してるもの。それに、自分で言うのもなんだけど、私って結構美味しいと思うし?」
「遠慮などしておらぬ。その気持ちだけで、満腹だ」
「そう……?でも、それだと本当に何にもあげられないわよ……?」
 そんなの、本当に申し訳ない。ここまでずっと私のわがままに付き合ってもらったのに、何一つ返せないなんて……。
「のう、一輪」
 雲山が、夕陽に顔をしかめて言う。
「……何?」
「わしは、お主との約束を守れたかのう……」
 約束を守れたか、だって?そんなの、聞くまでもないじゃないか。
「そんなの当たり前よ!ほら、仇だって討てたし、私もこうしてここに居るもの。それは全部、あなたが約束を守ってくれたおかげよ?だから、雲山は、何もかもちゃんと守り切ってくれたわよ」
「そうか……。ならやはり、わしは何も要らぬよ」
「そう?」
「あぁ。約束を守らせてくれて、ありがとうな、一輪」
 雲山が、笑った。大きな目を細めて、大きな口をにっこり開いて。でも、その目からは、涙が一滴零れていた。
 ――あぁ、あなたは、全部気付いて……。
「……うん。ううん。こちらこそ、ありがとう!」
 私も、笑った。涙をこらえて、にっこりと。ねぇ、どうかな。私、ちゃんと笑えてる?村紗みたいに、太陽みたいに、輝いて見えるかなぁ?
「あぁ。……では、わしは彼女を寺まで送ってくるよ」
 雲山が、私の傍から離れる。私の視界から、ゆっくりと消えて行く。
「えぇ、よろしくね」
 振り返らずに、声をかける。
「あぁ、わしを信じろ」
 彼が、私の背後で応える。
「うん、信じてる。ありがとうね、雲山」
「あぁ。では、な」
 彼が、空に飛び立った音がする。その背に乗って何度も聞いた、風を切って空を駆ける音が、遠く耳に響く。
「本当に、ありがとう……」
 さよならは、言わない。それはずっと決めていた。最後まで、ありがとうと言いたかったから。最後ぐらい、笑顔で別れたかったから。
「……さて、と」
 雲山の気配がなくなったのを背中で感じ、座ったまま、地面に置いておいた小太刀を掴み上げる。
 この刃で、私は命を奪った。和泉の集落を襲っていた小鬼を、羅城門の鬼を、仇を、二葉を、この手で殺した。
「もうすっかり血塗れね……」
 白かった柄を、両手でしっかりと握りしめる。峰を下に、切っ先を、自分の胸に向ける。
「でも、これが最後よ……」
 手を引き、自分の胸の真ん中やや左を、真っ直ぐに貫く。
「――ッ……」
 すごく、痛かった。叫びたい、逃れたい、生きたい――。身体がわめいている。でも、二葉に噛まれた時の方が、痛かったかな。これじゃあ、まだ、足りない――。
 より一層力を込めて、刀をさらに深く胸の奥へと突き刺す。
 ――だって、きっと、皆はもっと痛かったもの。
 和尚も、二葉も、三郎も……そして、私が殺してきた全ての者達も……みんなみんな、死にたくなんてなかったよね……。こんな思い、したくなかったよね……。もっともっと、生きていたかったよね……。わたしが、もっとちゃんとしてたら、こんなことにならなかったのにね……ごめんね……。
「謝るのも、わがまま、だよね……」
 喉に生温かいものが込み上げる。躊躇わず、それを口から吐く。
「今度は、真っ赤、ね……」
 でも、傍には誰もいない。きっと、誰も来ない。雲山は、今度は来ないでくれる。
「ありが、とう……」
 こんな私に着いてきてくれて、ありがとう。こんな私を守ってくれて、ありがとう。こんな私を励ましてくれて、ありがとう。今ここで、一人で死なせてくれて、ありがとう。もうこれで、誰も殺さずに済む。ありがとう、ありがとう、ありがとう……。
 ゆったりと、全身から力が抜けていく。身体が重い、自然にまぶたが閉じていく……意識も、遠い……視界がかすむ……あぁ、それにしても、きょうのゆうひはきれいだなぁ……これも、あなたの、おかげね……。

 ありが、と……うん、ざ……………。



もっと長くても良いというコメントを頂いたので三話まとめてみましたが、相変わらず長くはなかったかもしれませんね。
それはともかく、今回で一つの区切りとなります。
読んで下さった方、ありがとうございました。
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コメント



0.90簡易評価
6.100名前が無い程度の能力削除
こういう時代背景とか、好き。
ちゃんと完結してよかったです。