晩夏の候、鬼人正邪は逆さ城の門を叩いた。
忘れ去られた小人族は久方ぶりの客人を、天邪鬼と知って姫の前に通した。
正邪が針妙丸を騙すために朗々と読み上げた異変の青写真は、たいそう小人達を沸かせ――針妙丸も珍しく、本当に楽しそうに笑った。
その時の正邪の心模様は誰も知らない。
嫌になったような、憐憫に近かったたような。
あるいは、それだけで報われてしまったような。
弱者の救済なんていう善行みたいなことはもうやめてしまおうか――天邪鬼である彼女の脳裏にそんな考えがよぎったが、らしくないことをするのも天邪鬼にとっては日常茶飯事だった。
そんな正邪の顔を、針妙丸は心配するように覗きこんだ。
正邪は自分が悪人だということを思い出し、精一杯に取り繕った。
白々しい詐欺師のように笑ってみせた。
・
逆さ城を拠点としてから数日の間、私は自分の能力と小槌の力をどう融和させるか研究していた。小槌には代償があるため実験にはかなりの制限が付きまとう。そのせいでだいぶ時間をくった。まあここに至るまでの速やかさを思えば十分にお釣りがくるというものだ。
私は正直、最大の難関は小人族を騙すことだと思っていた――長く他の種族と交わりを断たれ、あんな辺鄙なところで暮らしていたのだから、話を取り次ぐのも大変だと思っていたのに。
かてて加えて、私はこの手の大仰な仕事を上首尾に運べた試しがない。生来の気まぐれさは己自身をも振り回すものなのだ。今回は上手く行き過ぎて調子が出ないとさえ言っていい。
「……思い通りにならないことに慣れすぎたな」
ともあれ、まだ問題は山積みだ。
巫女はとかく優秀と聞く。今まで異変を起こした妖怪は全て調伏されている。それも吸血鬼や鬼、太陽神の依り代まで。しかし、今回の異変だけは訳が違う。
私が起こそうとしているクーデターは『強者と弱者を引っ繰り返す』ということ。つまり私の邪魔者がいくら強かろうと、異変が成功すればそれは弱点にしかならない。トランプでする大富豪、あれで言うところの革命のようなものだ。一度成し遂げてしまえばこっちのものなのである。
だから問題とは概ね時間稼ぎの方法だ――適当に弱者を集めてくればいい話なのだが、いかんせん私には人脈がない。実験後、打診する相手は誰が相応しいだろうかと考えていたが、やはり結論は変わらなかった。
「草の根妖怪ネットワーク……いやあいつは違ったんだっけ?」
退治さえされなくなった、忘れられかけた妖怪たちである。彼らはだから力を失っているし、暴れる口実もあるという訳だ。
その中でもあいつは、人里の外れにいつも一人でいる。
「おう、抜け首」
声をかけやすければちょっかいもかけやすい。こいつにも時間稼ぎは頼むが本命ではないし、散々引きこもっていたせいで鈍っていた私の二枚舌をほぐすにはちょうど良い相手だった。
「機嫌が良さそうだな」
機嫌がいいのは小槌の実験が一段落ついた私の方だ。そういう時はこういう性格の悪いことをしないと調子が出ない。
「……」
赤蛮奇はじろりとこちらを見た。顔には『馴れ馴れしく話しかけるな』と書いてあった。『私はお前のような輩とは違う』とも。
まあ概ね共感するところだ。今日は喧嘩が目的ではないからわざわざ言わんが。
「私が何を言ってもお前は信じないだろうから、今日は予告だけしておく。もうじきお前たちは大きな力を得ることだろう。その際、巫女が私を見つければ」
正確には城にたどり着けば、だが。
「その力は永遠に霧散する。かかる事態、どうかしばらくの足止めを引き受けられたい」
彼女が最後まで話を聞いていたのは意外の一言だ――そんなに力に飢えていたか。私の選択眼もたまには当てになる。
「気が向いたらな」
赤蛮奇は無感情にそう言って、踵を返した。
「それで、人魚と狼は?」
「にべもなく」
「まあ、人に害をなすのが目的の妖怪は、ろくろ首だけだからねえ」
小人である針妙丸の声は幼い。それはつまり歳のせいではなくその矮躯のせいなのだが、子供特有の、聞いていて落ち着かなくなるような甘ったるい声音をしているのだ。
「付藻神や妖精は?」
だから時折、柄に似合わず鋭いことを言われると小突きたくなる。
「あんな気まぐれな連中は勘定に入れられんよ」
その代わりに頭を乱暴に撫でてやった。
「気にすることはない。大将はどっしり構えてな。将棋でいう王か玉みたいなもんだ――その小槌さえ守り抜けば私たちの負けはない。簡単だろう?」
そう言えば帰りがけに氷精を見かけたのを思い出した。弱者の癖に、自らを最強などと言って憚らない妙な奴だった。何を考えているのかよく分からなかったが、随分と楽しそうにしていた。
勿論、羨ましいとは思わない。
「強い妖怪さんには声をかけないの?」
「あー? 強いのに声をかけてどうしようってんだ。私たちがやろうとしてるのは革命だぞ」
「例えばほら、えーと、なんて言ったっけ。そう、萃香さんだ」
「……」
しかもよりによって鬼か……。
「異変を完遂した唯一の、ね」
「! そうだったのか?」
「いやまあ、限りなく近いというか……話だけでも訊いてみたいよね。コツか何かあるのかもしれないしさ」
「気は進まんなあ」
「あそっか」
「?」
「鬼は嘘つきが嫌いなんだっけ――どうしよう、正邪だと危ないかも。行くなら私だね」
「いやいやいや、それを言うなら姫の方がまずいだろう。鬼殺しの家系じゃないか」
「でも……」
「いいから王将は本陣を守ってな。どうせ散歩がてらだ」
「もう行くの?」
「あの鬼、どこにいるか分からないんだ。探すなら早い方がいい」
「そっか……」
なんで残念そうなんだ。
「夜には戻る?」
「多分な」
「……行ってらっしゃい」
「ああ」
「……よく見つけたな」
伊吹萃香。
地上でその姿を見る数少ない鬼だが、不羈奔放の二つ名に恥じず、実際はどこにでもいる。
「あんたのとこの河童がいいもん持っててな。逆探知とかいう、『見つけた者と見つけられた者を引っ繰り返す機械』だ。あんた、いつも幻想郷を監視してるそうじゃないか」
「またシメとかないとなあ」
「何?」
「いや、なんでもない。で」
萃香はそれまでの気の抜けた酔っ払いのような顔に、まるで魔法のように一瞬で、海千山千の極道のような凄みを浮かべた。
「何用かな? 鬼もどき」
やはり少し怯んでしまったが、それで素直に退くような天邪鬼はいない。
「単刀直入に、異変を成功させる方法をご教授願いたい」
「不可能だ」
「!?」
即答だった。
予測していなかった訳ではないが、針妙丸から聞いた話とでは温度差がありすぎる――温度差というか、違和感というか。
「確かに私は目的を達成させたように見えるが、細かいところはそうはいかなかった――いや実際、もっと盛大にやる積りだったんだよ。あんなに早く見つかるとは思ってなかった」
「……」
「ご足労だったな。小人族によろしく頼むよ」
「! 知っていたのか」
「当然だろう」
「……なら、知っていて見逃したのか。力の強い鬼には都合の悪い異変だろうに、やはり一寸法師の末裔ともなると、いくら鬼とはいえ分が悪いか」
因縁をつけるような聞き方になってしまったが、このまま手土産もなく帰るのも格好がつかない。感情的にさせれば何か口を滑らせるかと思ったが、しかし萃香はどこ吹く風といった風情で切り捨てた。
「そも異変の成功はあり得んよ。それになあ鬼もどき。お前は理解が及んでいないようだが」
「鬼もどきと呼ぶな。私は天邪鬼だ」
「異変を起こした者は必ず調伏され、結果として幻想郷に迎え入れられる。それが条件という訳でもないし、例外もいたが――異変を起こすことは幻想郷の一員になるための手段として使えるのは間違いない」
「……だからなんだ」
「お前、利用されてるんじゃないのか?」
「何?」
「今回の主役は小人族とその秘宝だが、黒幕に当たるのはお前だ。彼らは『騙されていた』のだから大して糾弾もされまい。お前一人に汚名を被せられる」
「……いや、違う。そんなはずはない」
「? なぜ否定する? 自ら進んで悪役になったのではなかったのか? それともまさか――」
「待て、分かった。言うな」
「彼らのことを可愛らしい被害者に過ぎないとでも思いたかったのか?」
黙るはずもなく、萃香は続けた。
「まあ実際のところ、騙された振りをしてるならそれは善意からかもしれんがね」
そして、平気で掌を返す。
「幻想郷の見事な花鳥風月も肴にできず、うらぶれた奥地でつましい酒宴というのはどういう心持ちなのだろうなァ――私なら、天邪鬼に唆されても感謝してしまうほどかもしれない」
「貴様……」
「鬼は嘘を嫌うが、わざわざ天邪鬼をつらまえて苛めるなどということはせん。何故だか分かるか」
「……」
「透けて見える嘘は慈しみたくなるほどに可愛らしいからだ」
顔がかっと燃え上がるような感覚がした。鬼はにやにやと――本当に哀れ慈しむかのような底意地の悪い笑みを浮かべている。
だから私は言った。
「舐めるなよ強者」
生まれて初めて、殺されても構わないと思った。
「我らはレジスタンス。皇を取って民とし民を皇となさん。その暁には――きっ、貴様など雑兵よ」
「……ほう」
睨み合いの末、鬼はそんな感嘆と共に、凄絶に笑んだ。
「いやいや成程……ふふ、その意気やよし。どれ、付いてこい鬼もどき。面白い奴に会わせてやろう」
「誰が」
「いいから、攫われたくなかったら来い」
「――もう千年以上前の話だ」
妖怪の山に到着すると、萃香は独り言のように語り始めた。
「渡辺綱という源氏の武士が、私の首を切り落とした。褒められたやり方ではなかったがな。それから二百年弱か……さっきのお前の威勢のいい啖呵は、天魔の呪いとして実現した。その時、最初に皇の座についたのは平家だ」
なんとなく癪だったので相槌は打たなかった。向こうも、そんなものなくても口を休めないタチのようだ。
「が、誰にも文句を言わせないような引っ繰り返し方をしたのは勿論、源氏だ。いい国作ろう鎌倉幕府」
「……」
やはり妖怪って奴は自分を倒した奴を贔屓するものなのだろうか。ちょっと違うかもしれないが、私は命蓮寺の毘沙門天には何とも思わんぞ。
「私に訊ねるよりもっと適役がいるだろうという話だ。まあ尤も――あの小人のささやかな意趣返しかもしれんがね」
「どういう意味だ」
「実はお前の嘘に気付いていると、知って欲しかったのだろう。そうでなければ、礼やら謝罪やら、色々と伝えたいことがすれ違ってしまうからな。言いにくいことを誰かに言って欲しかったんだろうさ。……私は歯に衣を着せないし、事情通だからな……こんな形で利用されるとは思わなかったぞ、鬼の宝具の威を借る燕雀の分際で」
「……」
やはり針妙丸を来させないで良かった。
「そうだ、そう言えば、お前が小人族と接触したのはつい先日のことだったな」
「だったらなんだよ」
「私の記憶が正しければ、その日は天魔となって崩御した崇徳院の命日だ。これも因縁かね」
「……私の意思だ」
「そうかい」
今度は優しそうに微笑む萃香だった。まったく表情がよく変わる鬼だ。
「この先は道が広くなっているから行けば分かる。何かあったら私の名を出せ。案内の礼は……そうだな。今度、異変の失敗談を面白おかしく語ってくれればそれでいい」
「なっ」
しかし、振り返るといつに間にか萃香は消え、怪しげな霧だけが微かに残っていた。
「ちっ」
生憎だが、嫌いな相手には礼も謝罪もしないのが私の信条だ。これだけは譲れん。
前を向き直すと、確かに道があった。時折、目にもとまらぬ速さで天狗が横切るが、そもそも道を必要としないのだろう。ここだけ均されているのが不自然に見える。
道を歩いていくと、左右から忙しない話し声が聞こえてきた。労働に従事している天狗たちだろうか。そんな雑音を聞き流しながらゆっくり歩を進めていくと、成程、いい身分になったような気がする。しかし、こんな外の世界の人間臭いことをして本当に楽しいのだろうか。まあ実際、天狗の長はかつて外の世界で為政を担っていた訳だし――いや妖怪の山を作ったのは鬼だったか? ああでも今、統治してるのは天魔か。道理で。昔の妖怪の山はもっと妖怪らしいところだったのだろうか。
そんなよしなしごとを考えていると、どこからか機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてきた。
「……鼻歌?」
入り組んでいてよく分からないが、おそらくこの道を進んだ先からだ。サボっている天狗か、それともお偉いさんだろうか。酔っていたりしたら面倒だなと思いつつ道を曲がると、
「あ、正邪」
見覚えのある小人がいた。
「来ちゃった」
「お前、外に出れたのか?」
「正邪が小槌で実験してたの見てたから、それで……」
「危ないと言ったろうが」
「うーでも、地図も持ってたし」
「そういう問題じゃない」
「あ、天魔さんと会ってきたよ。色々教えてくれた」
「……私も今から会いに行くところだ」
「そうだったの? それはタイミング悪かったね……あ、いや良かったのか」
「どういうことだ」
「天魔さん、ちょうど出かけたところなの。毎年この時期は白玉楼に行くんだって」
「白玉楼に?」
「西行妖」
「ああ……そうか。それで、何か参考になる話は聞けたか?」
「一度天皇になって島流しにされるといいらしいよ」
「どうしろと……」
「忙しかったみたいで……でも助言よりいいもの貰ったよ。とびきり霊験あらたかなやつ」
「何だ?」
「えーと、『特別にここからお前たちの健闘を祈って――いや呪ってやろう。だから異変を終えた暁には是非、顛末を聞かせてくれ』だってさ」
声真似の積りだったのだろうが、私は本人に会っていないので反応しづらい。
「……無事に終われたらな」
「『待っているよ』って言ってた」
「……」
なんだか天魔にも失敗を前提に言われている気がする。
「萃香さんには会えた?」
「ああ、会えたよ。それでここに連れてこられたんだ」
「そうだったんだ。じゃあ、どうする? せっかくだし、一緒にこのまま九尾の狐さんとこにも行く? 傾国のコツを聞かせてもらいにさ」
「うん……いやいやいや、あいつはスキマ妖怪の式じゃないか。そんな質問できるか。それに、」
息継ぎついでに、ため息をついた。
「悪い妖怪はもうこりごりだ」
「山の中って木漏れ日が綺麗なんだねー。紅葉の季節になったらまた来たいなー」
「ああそうかい」
天魔に話を聞きに来たというより、これでは遠足だ。あの鬼の言ではないが、逆さ城に幽閉されていた小人族にとっては、外の世界は華やかにすぎるのかもしれない。
「亜阿相界? どこ?」
「……二度と言うなよ」
「ごめんなさい」
「ったく……」
「ありがとう」
そう言うと針妙丸は私の前を歩いた。
「……。おい」
顔を見られたくなかったのかもしれない。あるいは、こっちの顔を見ないようにしたのかもしれない。どっちでもいいが。
「何してるんだ? 探し物か?」
針妙丸は川の方を見ていた。
「うん、大きな岩。川の真ん中にあるのがいいんだけど……せっかくの山登りだし」
「……ああ、瀬を早みってか」
「そうそう」
「誰か会いたい奴でもいるのか?」
「えへへ」
初めて見た時から屈託なく笑う奴だと思った。
壊してやりたいような気もしたし、放っておきたいような気もした。
城の外に出るようになっても、ずっとこんな風に笑うことができるのだろうかと、少しだけ気になった。
「ねえ正邪」
「何だ」
「異変の後も、また会いに来てね」
だから私は、珍しく正直に応えた。
「気が向いたらな」
忘れ去られた小人族は久方ぶりの客人を、天邪鬼と知って姫の前に通した。
正邪が針妙丸を騙すために朗々と読み上げた異変の青写真は、たいそう小人達を沸かせ――針妙丸も珍しく、本当に楽しそうに笑った。
その時の正邪の心模様は誰も知らない。
嫌になったような、憐憫に近かったたような。
あるいは、それだけで報われてしまったような。
弱者の救済なんていう善行みたいなことはもうやめてしまおうか――天邪鬼である彼女の脳裏にそんな考えがよぎったが、らしくないことをするのも天邪鬼にとっては日常茶飯事だった。
そんな正邪の顔を、針妙丸は心配するように覗きこんだ。
正邪は自分が悪人だということを思い出し、精一杯に取り繕った。
白々しい詐欺師のように笑ってみせた。
・
逆さ城を拠点としてから数日の間、私は自分の能力と小槌の力をどう融和させるか研究していた。小槌には代償があるため実験にはかなりの制限が付きまとう。そのせいでだいぶ時間をくった。まあここに至るまでの速やかさを思えば十分にお釣りがくるというものだ。
私は正直、最大の難関は小人族を騙すことだと思っていた――長く他の種族と交わりを断たれ、あんな辺鄙なところで暮らしていたのだから、話を取り次ぐのも大変だと思っていたのに。
かてて加えて、私はこの手の大仰な仕事を上首尾に運べた試しがない。生来の気まぐれさは己自身をも振り回すものなのだ。今回は上手く行き過ぎて調子が出ないとさえ言っていい。
「……思い通りにならないことに慣れすぎたな」
ともあれ、まだ問題は山積みだ。
巫女はとかく優秀と聞く。今まで異変を起こした妖怪は全て調伏されている。それも吸血鬼や鬼、太陽神の依り代まで。しかし、今回の異変だけは訳が違う。
私が起こそうとしているクーデターは『強者と弱者を引っ繰り返す』ということ。つまり私の邪魔者がいくら強かろうと、異変が成功すればそれは弱点にしかならない。トランプでする大富豪、あれで言うところの革命のようなものだ。一度成し遂げてしまえばこっちのものなのである。
だから問題とは概ね時間稼ぎの方法だ――適当に弱者を集めてくればいい話なのだが、いかんせん私には人脈がない。実験後、打診する相手は誰が相応しいだろうかと考えていたが、やはり結論は変わらなかった。
「草の根妖怪ネットワーク……いやあいつは違ったんだっけ?」
退治さえされなくなった、忘れられかけた妖怪たちである。彼らはだから力を失っているし、暴れる口実もあるという訳だ。
その中でもあいつは、人里の外れにいつも一人でいる。
「おう、抜け首」
声をかけやすければちょっかいもかけやすい。こいつにも時間稼ぎは頼むが本命ではないし、散々引きこもっていたせいで鈍っていた私の二枚舌をほぐすにはちょうど良い相手だった。
「機嫌が良さそうだな」
機嫌がいいのは小槌の実験が一段落ついた私の方だ。そういう時はこういう性格の悪いことをしないと調子が出ない。
「……」
赤蛮奇はじろりとこちらを見た。顔には『馴れ馴れしく話しかけるな』と書いてあった。『私はお前のような輩とは違う』とも。
まあ概ね共感するところだ。今日は喧嘩が目的ではないからわざわざ言わんが。
「私が何を言ってもお前は信じないだろうから、今日は予告だけしておく。もうじきお前たちは大きな力を得ることだろう。その際、巫女が私を見つければ」
正確には城にたどり着けば、だが。
「その力は永遠に霧散する。かかる事態、どうかしばらくの足止めを引き受けられたい」
彼女が最後まで話を聞いていたのは意外の一言だ――そんなに力に飢えていたか。私の選択眼もたまには当てになる。
「気が向いたらな」
赤蛮奇は無感情にそう言って、踵を返した。
「それで、人魚と狼は?」
「にべもなく」
「まあ、人に害をなすのが目的の妖怪は、ろくろ首だけだからねえ」
小人である針妙丸の声は幼い。それはつまり歳のせいではなくその矮躯のせいなのだが、子供特有の、聞いていて落ち着かなくなるような甘ったるい声音をしているのだ。
「付藻神や妖精は?」
だから時折、柄に似合わず鋭いことを言われると小突きたくなる。
「あんな気まぐれな連中は勘定に入れられんよ」
その代わりに頭を乱暴に撫でてやった。
「気にすることはない。大将はどっしり構えてな。将棋でいう王か玉みたいなもんだ――その小槌さえ守り抜けば私たちの負けはない。簡単だろう?」
そう言えば帰りがけに氷精を見かけたのを思い出した。弱者の癖に、自らを最強などと言って憚らない妙な奴だった。何を考えているのかよく分からなかったが、随分と楽しそうにしていた。
勿論、羨ましいとは思わない。
「強い妖怪さんには声をかけないの?」
「あー? 強いのに声をかけてどうしようってんだ。私たちがやろうとしてるのは革命だぞ」
「例えばほら、えーと、なんて言ったっけ。そう、萃香さんだ」
「……」
しかもよりによって鬼か……。
「異変を完遂した唯一の、ね」
「! そうだったのか?」
「いやまあ、限りなく近いというか……話だけでも訊いてみたいよね。コツか何かあるのかもしれないしさ」
「気は進まんなあ」
「あそっか」
「?」
「鬼は嘘つきが嫌いなんだっけ――どうしよう、正邪だと危ないかも。行くなら私だね」
「いやいやいや、それを言うなら姫の方がまずいだろう。鬼殺しの家系じゃないか」
「でも……」
「いいから王将は本陣を守ってな。どうせ散歩がてらだ」
「もう行くの?」
「あの鬼、どこにいるか分からないんだ。探すなら早い方がいい」
「そっか……」
なんで残念そうなんだ。
「夜には戻る?」
「多分な」
「……行ってらっしゃい」
「ああ」
「……よく見つけたな」
伊吹萃香。
地上でその姿を見る数少ない鬼だが、不羈奔放の二つ名に恥じず、実際はどこにでもいる。
「あんたのとこの河童がいいもん持っててな。逆探知とかいう、『見つけた者と見つけられた者を引っ繰り返す機械』だ。あんた、いつも幻想郷を監視してるそうじゃないか」
「またシメとかないとなあ」
「何?」
「いや、なんでもない。で」
萃香はそれまでの気の抜けた酔っ払いのような顔に、まるで魔法のように一瞬で、海千山千の極道のような凄みを浮かべた。
「何用かな? 鬼もどき」
やはり少し怯んでしまったが、それで素直に退くような天邪鬼はいない。
「単刀直入に、異変を成功させる方法をご教授願いたい」
「不可能だ」
「!?」
即答だった。
予測していなかった訳ではないが、針妙丸から聞いた話とでは温度差がありすぎる――温度差というか、違和感というか。
「確かに私は目的を達成させたように見えるが、細かいところはそうはいかなかった――いや実際、もっと盛大にやる積りだったんだよ。あんなに早く見つかるとは思ってなかった」
「……」
「ご足労だったな。小人族によろしく頼むよ」
「! 知っていたのか」
「当然だろう」
「……なら、知っていて見逃したのか。力の強い鬼には都合の悪い異変だろうに、やはり一寸法師の末裔ともなると、いくら鬼とはいえ分が悪いか」
因縁をつけるような聞き方になってしまったが、このまま手土産もなく帰るのも格好がつかない。感情的にさせれば何か口を滑らせるかと思ったが、しかし萃香はどこ吹く風といった風情で切り捨てた。
「そも異変の成功はあり得んよ。それになあ鬼もどき。お前は理解が及んでいないようだが」
「鬼もどきと呼ぶな。私は天邪鬼だ」
「異変を起こした者は必ず調伏され、結果として幻想郷に迎え入れられる。それが条件という訳でもないし、例外もいたが――異変を起こすことは幻想郷の一員になるための手段として使えるのは間違いない」
「……だからなんだ」
「お前、利用されてるんじゃないのか?」
「何?」
「今回の主役は小人族とその秘宝だが、黒幕に当たるのはお前だ。彼らは『騙されていた』のだから大して糾弾もされまい。お前一人に汚名を被せられる」
「……いや、違う。そんなはずはない」
「? なぜ否定する? 自ら進んで悪役になったのではなかったのか? それともまさか――」
「待て、分かった。言うな」
「彼らのことを可愛らしい被害者に過ぎないとでも思いたかったのか?」
黙るはずもなく、萃香は続けた。
「まあ実際のところ、騙された振りをしてるならそれは善意からかもしれんがね」
そして、平気で掌を返す。
「幻想郷の見事な花鳥風月も肴にできず、うらぶれた奥地でつましい酒宴というのはどういう心持ちなのだろうなァ――私なら、天邪鬼に唆されても感謝してしまうほどかもしれない」
「貴様……」
「鬼は嘘を嫌うが、わざわざ天邪鬼をつらまえて苛めるなどということはせん。何故だか分かるか」
「……」
「透けて見える嘘は慈しみたくなるほどに可愛らしいからだ」
顔がかっと燃え上がるような感覚がした。鬼はにやにやと――本当に哀れ慈しむかのような底意地の悪い笑みを浮かべている。
だから私は言った。
「舐めるなよ強者」
生まれて初めて、殺されても構わないと思った。
「我らはレジスタンス。皇を取って民とし民を皇となさん。その暁には――きっ、貴様など雑兵よ」
「……ほう」
睨み合いの末、鬼はそんな感嘆と共に、凄絶に笑んだ。
「いやいや成程……ふふ、その意気やよし。どれ、付いてこい鬼もどき。面白い奴に会わせてやろう」
「誰が」
「いいから、攫われたくなかったら来い」
「――もう千年以上前の話だ」
妖怪の山に到着すると、萃香は独り言のように語り始めた。
「渡辺綱という源氏の武士が、私の首を切り落とした。褒められたやり方ではなかったがな。それから二百年弱か……さっきのお前の威勢のいい啖呵は、天魔の呪いとして実現した。その時、最初に皇の座についたのは平家だ」
なんとなく癪だったので相槌は打たなかった。向こうも、そんなものなくても口を休めないタチのようだ。
「が、誰にも文句を言わせないような引っ繰り返し方をしたのは勿論、源氏だ。いい国作ろう鎌倉幕府」
「……」
やはり妖怪って奴は自分を倒した奴を贔屓するものなのだろうか。ちょっと違うかもしれないが、私は命蓮寺の毘沙門天には何とも思わんぞ。
「私に訊ねるよりもっと適役がいるだろうという話だ。まあ尤も――あの小人のささやかな意趣返しかもしれんがね」
「どういう意味だ」
「実はお前の嘘に気付いていると、知って欲しかったのだろう。そうでなければ、礼やら謝罪やら、色々と伝えたいことがすれ違ってしまうからな。言いにくいことを誰かに言って欲しかったんだろうさ。……私は歯に衣を着せないし、事情通だからな……こんな形で利用されるとは思わなかったぞ、鬼の宝具の威を借る燕雀の分際で」
「……」
やはり針妙丸を来させないで良かった。
「そうだ、そう言えば、お前が小人族と接触したのはつい先日のことだったな」
「だったらなんだよ」
「私の記憶が正しければ、その日は天魔となって崩御した崇徳院の命日だ。これも因縁かね」
「……私の意思だ」
「そうかい」
今度は優しそうに微笑む萃香だった。まったく表情がよく変わる鬼だ。
「この先は道が広くなっているから行けば分かる。何かあったら私の名を出せ。案内の礼は……そうだな。今度、異変の失敗談を面白おかしく語ってくれればそれでいい」
「なっ」
しかし、振り返るといつに間にか萃香は消え、怪しげな霧だけが微かに残っていた。
「ちっ」
生憎だが、嫌いな相手には礼も謝罪もしないのが私の信条だ。これだけは譲れん。
前を向き直すと、確かに道があった。時折、目にもとまらぬ速さで天狗が横切るが、そもそも道を必要としないのだろう。ここだけ均されているのが不自然に見える。
道を歩いていくと、左右から忙しない話し声が聞こえてきた。労働に従事している天狗たちだろうか。そんな雑音を聞き流しながらゆっくり歩を進めていくと、成程、いい身分になったような気がする。しかし、こんな外の世界の人間臭いことをして本当に楽しいのだろうか。まあ実際、天狗の長はかつて外の世界で為政を担っていた訳だし――いや妖怪の山を作ったのは鬼だったか? ああでも今、統治してるのは天魔か。道理で。昔の妖怪の山はもっと妖怪らしいところだったのだろうか。
そんなよしなしごとを考えていると、どこからか機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてきた。
「……鼻歌?」
入り組んでいてよく分からないが、おそらくこの道を進んだ先からだ。サボっている天狗か、それともお偉いさんだろうか。酔っていたりしたら面倒だなと思いつつ道を曲がると、
「あ、正邪」
見覚えのある小人がいた。
「来ちゃった」
「お前、外に出れたのか?」
「正邪が小槌で実験してたの見てたから、それで……」
「危ないと言ったろうが」
「うーでも、地図も持ってたし」
「そういう問題じゃない」
「あ、天魔さんと会ってきたよ。色々教えてくれた」
「……私も今から会いに行くところだ」
「そうだったの? それはタイミング悪かったね……あ、いや良かったのか」
「どういうことだ」
「天魔さん、ちょうど出かけたところなの。毎年この時期は白玉楼に行くんだって」
「白玉楼に?」
「西行妖」
「ああ……そうか。それで、何か参考になる話は聞けたか?」
「一度天皇になって島流しにされるといいらしいよ」
「どうしろと……」
「忙しかったみたいで……でも助言よりいいもの貰ったよ。とびきり霊験あらたかなやつ」
「何だ?」
「えーと、『特別にここからお前たちの健闘を祈って――いや呪ってやろう。だから異変を終えた暁には是非、顛末を聞かせてくれ』だってさ」
声真似の積りだったのだろうが、私は本人に会っていないので反応しづらい。
「……無事に終われたらな」
「『待っているよ』って言ってた」
「……」
なんだか天魔にも失敗を前提に言われている気がする。
「萃香さんには会えた?」
「ああ、会えたよ。それでここに連れてこられたんだ」
「そうだったんだ。じゃあ、どうする? せっかくだし、一緒にこのまま九尾の狐さんとこにも行く? 傾国のコツを聞かせてもらいにさ」
「うん……いやいやいや、あいつはスキマ妖怪の式じゃないか。そんな質問できるか。それに、」
息継ぎついでに、ため息をついた。
「悪い妖怪はもうこりごりだ」
「山の中って木漏れ日が綺麗なんだねー。紅葉の季節になったらまた来たいなー」
「ああそうかい」
天魔に話を聞きに来たというより、これでは遠足だ。あの鬼の言ではないが、逆さ城に幽閉されていた小人族にとっては、外の世界は華やかにすぎるのかもしれない。
「亜阿相界? どこ?」
「……二度と言うなよ」
「ごめんなさい」
「ったく……」
「ありがとう」
そう言うと針妙丸は私の前を歩いた。
「……。おい」
顔を見られたくなかったのかもしれない。あるいは、こっちの顔を見ないようにしたのかもしれない。どっちでもいいが。
「何してるんだ? 探し物か?」
針妙丸は川の方を見ていた。
「うん、大きな岩。川の真ん中にあるのがいいんだけど……せっかくの山登りだし」
「……ああ、瀬を早みってか」
「そうそう」
「誰か会いたい奴でもいるのか?」
「えへへ」
初めて見た時から屈託なく笑う奴だと思った。
壊してやりたいような気もしたし、放っておきたいような気もした。
城の外に出るようになっても、ずっとこんな風に笑うことができるのだろうかと、少しだけ気になった。
「ねえ正邪」
「何だ」
「異変の後も、また会いに来てね」
だから私は、珍しく正直に応えた。
「気が向いたらな」