== 第1~4章までのあらすじ ==
天狗の上層部の独断で始まった、空を飛んではいけない自戒の月『土踏月(つちふみづき)』。
新聞づくりに困った射命丸 文は、手伝いとして一人の人間の子どもを雇い、共同生活を行う。
取り巻きの賛否両論があったものの、励まされながら、何とか新聞づくりを軌道に乗せていく。
困難に振り回される中で、文と子どもの間には、親子のように深い絆が生まれていた。
【第5章】
「・・・えー、朝の連絡は以上です。土踏月もようやく終わりが見えてきましたね。大変な哨戒任務ですが、精一杯頑張っていきましょう」
哨戒天狗の詰所。朝礼を執り行う白狼天狗たちの中に、椛の姿もある。
モフモフだらけでちょっと獣くさい・・・なんてことはなく。むしろ最近は香水の香りが目立ち始めている。誰かさんの新聞のせい。
土踏月もようやく終わりが見えてきた。そう言うにはちょっと早い気もするが、椛自身も、文の子どもと遊ぶのがずいぶん習慣づいているように思えた。
山の皆の生活も目まぐるしく様変わりして、なんだか濃密な時間を過ごしているようだった。
「あ、連絡がもう一つ」
――出来ればでいいんですが、と続ける。
「人里のほうで、人間がひとり行方不明になっていると情報が入りました。取材で人里に下りた鴉天狗が似姿の紙をいただいたそうです。発覚が今月始めらしいので、もうずいぶん経ってるんですけど・・・。一応印刷したものを配りますので、もし見かけましたら保護してこちらに連絡を下さるようお願いします」
人間の捜索。こんなもの、本当は妖怪側が手を貸したりなどしないものだ。しかも妖怪の山での失踪ならまだしも、人里でのこと。通報した天狗記者が、よほど人のいい者だったのだろう。
家出でもしたか、人間同士のいざこざか、低俗な妖怪の仕業か。いずれにせよ、こんなに時間が経っていれば、最悪の結末は容易に想像がついた。
第一、『見かけましたら』も何も、普段から山全体を哨戒しているのだ。ずっと千里眼を使っているわけではないが、今まで見つかっていないのなら、今さら見つかるとは思えない。
・・・いろいろと無茶な話だった。
椛の所まで、紙が回ってきた。
椛もやはり皆と同じ意見。――気の毒ですけど、この山で手掛かりなど見つからないでしょうね。
そう思いながら、似姿を確認する。
「・・・・・・えっ・・・?」
一部の仲間からも、ざわめきが立っていた。
◆
文宅。
「くぁあ~~っ・・・疲れましたねぇ」
『文おねぇちゃん、麦茶入れてきたよ!』
「んん~っ! ありがとうございます、マイラブリーエンジェル」
『まいらぶ・・・?』
ついにここまで来たか。冗談でしょ。
「こうして記事の編集に身を捧げることができるのも、あなたのお手伝いのおかげですよ」
ネタ作りのダシになっているはたての犠牲も忘れてはいけない。・・・が、かわいい我が子の笑顔の前にはそんなものなどホワイトアウトである。
あれから新聞づくりは完全に軌道に乗った。多忙なはたての代わりという体で、紙面の半分を花果子念報の美容記事で補っているのだ。
そのはたてはというと、次々と舞い込む美容関係の仕事を断りきれず、その計画と消化に一身をささげている。部数勝負はというと「もう諦めたわ」らしいが、満更でもなさそうだった。土踏月が終われば、美容の需要も落ち着いて、また新聞づくりに精を出せる見通しだ。
――ハイお膝! と両手を広げる文。休憩の合図。
子どもの顔がパッと輝く。文の膝へよじ登ると、文と向かい合うように腰を下ろした。
麦茶にはストローが二つ。二人仲良く麦茶を吸い上げる。
「写真の選り分けは終わりましたか?」
『うん。写真いっぱいあったよ? 明日のこーしゅーかい大丈夫?』
「そういえばフィルムが残り少なかったですね。あとで補充しておかないと」
何とも頼もしいフォロー。
最初こそ頼りにならなかった子どもだが、与えられた仕事をギュンギュン吸収し、今では立派に手伝いをこなしている。なんだか性格もしっかりしてきた。
たった一ヶ月足らずだが、目に見える成長ぶりを傍で感じてうれしく思う文だった。
『取材はいつ行くの?』
「今書いてる新聞が終わったらですね。今度は遠くまで足を延ばしてみましょうか」
『お山から出る?』
「いいですねぇ。世界は妖怪の山だけではありません。ふもとをすぐ行けば・・・いろいろありますしねぇ」
・・・人里。なんとなく、そう言えなかった。
この子には不思議なことがある。
この子は一度も人里の話をしない。「帰りたい」とか「家族に会いたい」とか言わない。寂しそうなそぶりも一切ない。
もうずいぶんと一緒に生活してきたが、その理由を未だに聞けないでいた。気になるが、聞きたくなかった。
聞いてしまうと、それらを思い出させてしまうような気がして。自分の傍から消えてしまうような気がして。
――この子の意思なら、いいか。
何も考えず、夢のような今の生活を、ただ、ずっと過ごしていたかった。・・・このまま土踏月が終わっても、言い出したくなかった。
麦茶を飲みながら、互いに目が合う。息のかかる距離で、ニッコリと微笑み合った。
静かな、昼下がりだった。
ヒュウ。家の前に風が鳴る。
コンコン。扉が叩かれる。来訪者は、よく見知った顔。
「いらっしゃい、椛。今日も遊びに来たんですね。・・・あれ、いま飛んできました?」
「文さん・・・」
いつものニコニコ笑顔はない。悲しそうな、すがるような、神妙な面持ち。
文の後ろについてきた子どもに目をやる椛。いつも通りに目を輝かせる子どもに、微かな笑顔を向ける。
――そんなはず、ありませんよね。文さん・・・。
様子のおかしい椛を不審がる文に、決心した椛が口を開いた。
「御同行願います」
◆
天狗上層部の勤務する建物。その一室に、いつか見たメンツが並ぶ。
「しっかし、射命丸のやつにも困ったものだ。緊急飛行で騒がせたと思ったら、今度は人さらいだと」
「今月に入った途端に二つも問題ごと。よほど土踏月が嫌いと見える」
「まだ確定ではありませんよ。あまり口汚いことは言われませんようにね」
「何を言うか。この忙しい中で時間を割かれては、文句の一つ二つも言ってやらねば気が済まん」
「お主、またそうして言いくるめられて我らを喜劇役者にするつもりか。今回も楽しめそうだな、勘弁願いたい」
「何を」
「はいはい、声を荒げません。いらっしゃったみたいですよ」
いまいち締まりのない上層部の御三方。まとまらないまま、部屋の扉が開けられた。
「失礼します。射命丸 文、参りました」
「ええ、いつぞやぶりですね」
部屋に入るなり、敵対心丸出しの表情の文。その瞳の奥に、疑念を晴らさなければならない使命感のようなものを、穏やか風の天狗が早くも感じ取った。
しかし、話の内容が内容だけに、真剣な面持ちを崩さずに話を進める。
「もう話は伝わっているかもしれませんが、今日はあなたの雇っている人間についてお聞きしたいことがあります」
天狗は知り得ている情報について一つ一つ説明した。
人里での行方不明事件。その被害者の姿と、文が雇っている子どもの姿の酷似。事件発覚と雇用のタイミングの一致。
「・・・以上のことから、あなたが被害者を誘拐したのではないかとの声が上がっています。これについて話をお聞かせください」
「上層部がこんな末端のことに介入するなんて珍しいですねぇ。どうしたんです?」
「うむ。確かに、人さらいに関する罰則なども、この天狗社会にはない。たとえお前が人さらいだったとしても、処罰しようなどとは思っておらん」
「しかし、今回はお主の届出に我らが許可を出している。事が大きくなったとき、我らも人間に弁明する義務が生まれよう。事態を把握しておきたいのだ」
「何か誘拐ではないと証明できるものがあれば、御掲示願えますか」
「"ではない証拠"とはまた無茶なことを。私とあの子は、面接を経て労働条件について互いに合意し、契約した仲です。あの子自身も今の生活を楽しんでいます。周りはどうです? 私があの子に不当な行いを強いているという声が上がっていますか?」
「そのような話は入ってきておりません。それが何よりの証拠だというわけですね」
――あなたの言葉を信じましょう。と穏やか風の天狗。
案外、すんなり話が進んでいる。確かな証拠など掲示しようがないことを、上層部も理解しているのかもしれない。
「では、今後あの人間をどうするつもりですか。ご両親に返すのか、返さないのか。その自由も一応あなたにあります」
「それは・・・」
「一応自由だが、風評までは面倒見らんぞ。こちら側が釈明するのは、人間側から詰問を受けた時のみだ」
「人間側がすでに事件として取り扱っている以上、返すのであれば、慎重に言葉を選ばねばならぬ。それが面倒であれば、返さなくともよい。ここは妖怪の山だ。注意していれば、人間側にもバレはせぬ」
「・・・まぁ、出来れば今のうちに返してあげてほしいですね。こちら側から返すのであれば説明もしやすいでしょうが、バレたとあっては・・・。山全体と人間の対立に発展しかねません」
「そもそも、なぜ向こうの親が事態を把握していないのだ。お前だってそうだぞ。面接をしたんだろう? 働く理由くらい聞いてないのか?」
「・・・聞いてません。働くことに身の上は関係ないことです」
聞けば、断らなければいけないから。
子ども一人が妖怪の山に働きに来るなど、明るい理由ではないことは分かっていた。
「まったく、面倒なことに首を突っ込んだものだ、俺たちも」
◆
結局、話は長引くこともなく、陽も傾かないうちに帰路に就いた。
椛の付き添いも断ってしまった。話の間、外で子どもと待っていてくれたのに、あとで謝っておかなければならない。
――おぉ、件の人さらいがいるぞ。
――なんてモラルがないのかしら。気がしれませんわ。
――さらった子どもに作らせた新聞なぞ、購読者は哀れなことよ。
悪い噂というのは、翼がなくてもよく伝わるのもので。
人さらいなどではない。だが、その証拠がない。言い返したところで、似姿と子どもの酷似という事実は変えられない。子どもの手前、声を荒げることもためらわれた。
・・・不安そうにギュッと握り締める子どもの手を、優しく握り返すだけだった。
そして今。
いつもの部屋で子どもと向かい合っている。真剣な話であることは、子どもも感じ取っていた。
ちゃんと話し合わなければならない。先送りにしてきた問題と向き合う時が来たのだ。
『文おねぇちゃんとも、指切りげんまん』
・・・が。先に口を開いたのは子どもの方だった。
『椛おねぇちゃんがね、"うそはいけません"って。"文お姉ちゃんみたいに正直にお話しなさい"って』
「・・・そうですね。約束ですよ」
『きよくただしい!』
「射命丸、ですね」
この期に及んで、言葉を飾り付けるようなことはするな・・・と。自分の気持ちに素直になれと。
まるで文に釘を刺しているような、椛の言葉。どこまでもしっかりした、おせっかいな娘だ。
その言葉に背中を押され、ひとつひとつ言葉を紡いでいった。
「一緒にお仕事をしだして、もうずいぶん経ちますね。ご苦労様です。ありがとう」
『どういたしまして』
「思えば今月始め、ふもとで面接をしたのが始まりでしたね。どうです、今の生活は楽しいですか?」
『楽しい! ぜんぶ! 最初は怖かったけど、文おねぇちゃんがいるから平気!』
「そりゃあもう、私は強くて速い鴉天狗の射命丸ですからねぇ」
『文おねぇちゃんも空飛べるの?』
「もちろん」
『いいなぁー。あした飛ぼ?』
「もちろん・・・と言いたいですけど、今月は土踏月だからダメです」
『じゃあ、それが終わったら』
「・・・いいですよ。こんなこと、普通の人間は一生経験できないんですよ? 私のお手伝いさん限定の、特別フライトです」
『きよくただしい!』
「射命丸。約束です」
・・・なかなか核心に至れない。
今だ、このタイミングだ。
「・・・土踏月が終わっても、一緒にいてくれるんですか?」
『うん』
「何か理由があって、ここに働きに来てるんじゃないですか?」
『うーん・・・』
「どうして、面接に来たんですか?」
『・・・わかんない』
「わからない・・・? というと?」
『わかんない。よく覚えてない』
「理由が思い出せないんですか?」
『うん・・・』
そう言って、うなだれる。初めて見る、この子の元気のない姿だ。
どうすればいいか分からず、寂しがっているようで。その目が、ここではない遠くを見ているようで。
心が強烈にえぐられる。『思い出せない』というのが不思議だったが、まだ聞きたいことはあったが、自分の質問攻めでつらそうにしている様子を見るのは、これ以上は無理だった。
でも、あと一言。
掛けてあげなければいけない言葉があった。
その寂しさを解決できる決定的な選択肢を、与えなければならなかった。
この言葉で、文とこの子は別れることになる。
「あなたは・・・」
――家に、帰りたいですか?
「ぁ、あなたは、家族と・・・」
――家族と、過ごしたいですか?
「・・・・・・っ!」
ギュッ。
『文おねぇちゃん?』
「・・・・・・大丈夫ですよ。全部全部、大丈夫ですから・・・」
――あぁ、この温もりを離せるわけがない。この子を突き放せるわけがない。
◆
翌日。
「ど、どこですか!?」
「こちらです、椛さん」
ふもとに近い森の中。
枝をかき分けて進む椛と、仲間の白狼天狗たち。
「うっ・・・」
"それ"を確認する。
バッと後ろを振り返る椛。千里眼に映るのは、文の家。新聞づくりに勤しむ文と、その手伝いをする子どもの姿。
「嘘でしょ・・・?」
妖怪の山。騒動二日目。
子どもの遺体が、発見された。
【第5章 完】
天狗の上層部の独断で始まった、空を飛んではいけない自戒の月『土踏月(つちふみづき)』。
新聞づくりに困った射命丸 文は、手伝いとして一人の人間の子どもを雇い、共同生活を行う。
取り巻きの賛否両論があったものの、励まされながら、何とか新聞づくりを軌道に乗せていく。
困難に振り回される中で、文と子どもの間には、親子のように深い絆が生まれていた。
【第5章】
「・・・えー、朝の連絡は以上です。土踏月もようやく終わりが見えてきましたね。大変な哨戒任務ですが、精一杯頑張っていきましょう」
哨戒天狗の詰所。朝礼を執り行う白狼天狗たちの中に、椛の姿もある。
モフモフだらけでちょっと獣くさい・・・なんてことはなく。むしろ最近は香水の香りが目立ち始めている。誰かさんの新聞のせい。
土踏月もようやく終わりが見えてきた。そう言うにはちょっと早い気もするが、椛自身も、文の子どもと遊ぶのがずいぶん習慣づいているように思えた。
山の皆の生活も目まぐるしく様変わりして、なんだか濃密な時間を過ごしているようだった。
「あ、連絡がもう一つ」
――出来ればでいいんですが、と続ける。
「人里のほうで、人間がひとり行方不明になっていると情報が入りました。取材で人里に下りた鴉天狗が似姿の紙をいただいたそうです。発覚が今月始めらしいので、もうずいぶん経ってるんですけど・・・。一応印刷したものを配りますので、もし見かけましたら保護してこちらに連絡を下さるようお願いします」
人間の捜索。こんなもの、本当は妖怪側が手を貸したりなどしないものだ。しかも妖怪の山での失踪ならまだしも、人里でのこと。通報した天狗記者が、よほど人のいい者だったのだろう。
家出でもしたか、人間同士のいざこざか、低俗な妖怪の仕業か。いずれにせよ、こんなに時間が経っていれば、最悪の結末は容易に想像がついた。
第一、『見かけましたら』も何も、普段から山全体を哨戒しているのだ。ずっと千里眼を使っているわけではないが、今まで見つかっていないのなら、今さら見つかるとは思えない。
・・・いろいろと無茶な話だった。
椛の所まで、紙が回ってきた。
椛もやはり皆と同じ意見。――気の毒ですけど、この山で手掛かりなど見つからないでしょうね。
そう思いながら、似姿を確認する。
「・・・・・・えっ・・・?」
一部の仲間からも、ざわめきが立っていた。
◆
文宅。
「くぁあ~~っ・・・疲れましたねぇ」
『文おねぇちゃん、麦茶入れてきたよ!』
「んん~っ! ありがとうございます、マイラブリーエンジェル」
『まいらぶ・・・?』
ついにここまで来たか。冗談でしょ。
「こうして記事の編集に身を捧げることができるのも、あなたのお手伝いのおかげですよ」
ネタ作りのダシになっているはたての犠牲も忘れてはいけない。・・・が、かわいい我が子の笑顔の前にはそんなものなどホワイトアウトである。
あれから新聞づくりは完全に軌道に乗った。多忙なはたての代わりという体で、紙面の半分を花果子念報の美容記事で補っているのだ。
そのはたてはというと、次々と舞い込む美容関係の仕事を断りきれず、その計画と消化に一身をささげている。部数勝負はというと「もう諦めたわ」らしいが、満更でもなさそうだった。土踏月が終われば、美容の需要も落ち着いて、また新聞づくりに精を出せる見通しだ。
――ハイお膝! と両手を広げる文。休憩の合図。
子どもの顔がパッと輝く。文の膝へよじ登ると、文と向かい合うように腰を下ろした。
麦茶にはストローが二つ。二人仲良く麦茶を吸い上げる。
「写真の選り分けは終わりましたか?」
『うん。写真いっぱいあったよ? 明日のこーしゅーかい大丈夫?』
「そういえばフィルムが残り少なかったですね。あとで補充しておかないと」
何とも頼もしいフォロー。
最初こそ頼りにならなかった子どもだが、与えられた仕事をギュンギュン吸収し、今では立派に手伝いをこなしている。なんだか性格もしっかりしてきた。
たった一ヶ月足らずだが、目に見える成長ぶりを傍で感じてうれしく思う文だった。
『取材はいつ行くの?』
「今書いてる新聞が終わったらですね。今度は遠くまで足を延ばしてみましょうか」
『お山から出る?』
「いいですねぇ。世界は妖怪の山だけではありません。ふもとをすぐ行けば・・・いろいろありますしねぇ」
・・・人里。なんとなく、そう言えなかった。
この子には不思議なことがある。
この子は一度も人里の話をしない。「帰りたい」とか「家族に会いたい」とか言わない。寂しそうなそぶりも一切ない。
もうずいぶんと一緒に生活してきたが、その理由を未だに聞けないでいた。気になるが、聞きたくなかった。
聞いてしまうと、それらを思い出させてしまうような気がして。自分の傍から消えてしまうような気がして。
――この子の意思なら、いいか。
何も考えず、夢のような今の生活を、ただ、ずっと過ごしていたかった。・・・このまま土踏月が終わっても、言い出したくなかった。
麦茶を飲みながら、互いに目が合う。息のかかる距離で、ニッコリと微笑み合った。
静かな、昼下がりだった。
ヒュウ。家の前に風が鳴る。
コンコン。扉が叩かれる。来訪者は、よく見知った顔。
「いらっしゃい、椛。今日も遊びに来たんですね。・・・あれ、いま飛んできました?」
「文さん・・・」
いつものニコニコ笑顔はない。悲しそうな、すがるような、神妙な面持ち。
文の後ろについてきた子どもに目をやる椛。いつも通りに目を輝かせる子どもに、微かな笑顔を向ける。
――そんなはず、ありませんよね。文さん・・・。
様子のおかしい椛を不審がる文に、決心した椛が口を開いた。
「御同行願います」
◆
天狗上層部の勤務する建物。その一室に、いつか見たメンツが並ぶ。
「しっかし、射命丸のやつにも困ったものだ。緊急飛行で騒がせたと思ったら、今度は人さらいだと」
「今月に入った途端に二つも問題ごと。よほど土踏月が嫌いと見える」
「まだ確定ではありませんよ。あまり口汚いことは言われませんようにね」
「何を言うか。この忙しい中で時間を割かれては、文句の一つ二つも言ってやらねば気が済まん」
「お主、またそうして言いくるめられて我らを喜劇役者にするつもりか。今回も楽しめそうだな、勘弁願いたい」
「何を」
「はいはい、声を荒げません。いらっしゃったみたいですよ」
いまいち締まりのない上層部の御三方。まとまらないまま、部屋の扉が開けられた。
「失礼します。射命丸 文、参りました」
「ええ、いつぞやぶりですね」
部屋に入るなり、敵対心丸出しの表情の文。その瞳の奥に、疑念を晴らさなければならない使命感のようなものを、穏やか風の天狗が早くも感じ取った。
しかし、話の内容が内容だけに、真剣な面持ちを崩さずに話を進める。
「もう話は伝わっているかもしれませんが、今日はあなたの雇っている人間についてお聞きしたいことがあります」
天狗は知り得ている情報について一つ一つ説明した。
人里での行方不明事件。その被害者の姿と、文が雇っている子どもの姿の酷似。事件発覚と雇用のタイミングの一致。
「・・・以上のことから、あなたが被害者を誘拐したのではないかとの声が上がっています。これについて話をお聞かせください」
「上層部がこんな末端のことに介入するなんて珍しいですねぇ。どうしたんです?」
「うむ。確かに、人さらいに関する罰則なども、この天狗社会にはない。たとえお前が人さらいだったとしても、処罰しようなどとは思っておらん」
「しかし、今回はお主の届出に我らが許可を出している。事が大きくなったとき、我らも人間に弁明する義務が生まれよう。事態を把握しておきたいのだ」
「何か誘拐ではないと証明できるものがあれば、御掲示願えますか」
「"ではない証拠"とはまた無茶なことを。私とあの子は、面接を経て労働条件について互いに合意し、契約した仲です。あの子自身も今の生活を楽しんでいます。周りはどうです? 私があの子に不当な行いを強いているという声が上がっていますか?」
「そのような話は入ってきておりません。それが何よりの証拠だというわけですね」
――あなたの言葉を信じましょう。と穏やか風の天狗。
案外、すんなり話が進んでいる。確かな証拠など掲示しようがないことを、上層部も理解しているのかもしれない。
「では、今後あの人間をどうするつもりですか。ご両親に返すのか、返さないのか。その自由も一応あなたにあります」
「それは・・・」
「一応自由だが、風評までは面倒見らんぞ。こちら側が釈明するのは、人間側から詰問を受けた時のみだ」
「人間側がすでに事件として取り扱っている以上、返すのであれば、慎重に言葉を選ばねばならぬ。それが面倒であれば、返さなくともよい。ここは妖怪の山だ。注意していれば、人間側にもバレはせぬ」
「・・・まぁ、出来れば今のうちに返してあげてほしいですね。こちら側から返すのであれば説明もしやすいでしょうが、バレたとあっては・・・。山全体と人間の対立に発展しかねません」
「そもそも、なぜ向こうの親が事態を把握していないのだ。お前だってそうだぞ。面接をしたんだろう? 働く理由くらい聞いてないのか?」
「・・・聞いてません。働くことに身の上は関係ないことです」
聞けば、断らなければいけないから。
子ども一人が妖怪の山に働きに来るなど、明るい理由ではないことは分かっていた。
「まったく、面倒なことに首を突っ込んだものだ、俺たちも」
◆
結局、話は長引くこともなく、陽も傾かないうちに帰路に就いた。
椛の付き添いも断ってしまった。話の間、外で子どもと待っていてくれたのに、あとで謝っておかなければならない。
――おぉ、件の人さらいがいるぞ。
――なんてモラルがないのかしら。気がしれませんわ。
――さらった子どもに作らせた新聞なぞ、購読者は哀れなことよ。
悪い噂というのは、翼がなくてもよく伝わるのもので。
人さらいなどではない。だが、その証拠がない。言い返したところで、似姿と子どもの酷似という事実は変えられない。子どもの手前、声を荒げることもためらわれた。
・・・不安そうにギュッと握り締める子どもの手を、優しく握り返すだけだった。
そして今。
いつもの部屋で子どもと向かい合っている。真剣な話であることは、子どもも感じ取っていた。
ちゃんと話し合わなければならない。先送りにしてきた問題と向き合う時が来たのだ。
『文おねぇちゃんとも、指切りげんまん』
・・・が。先に口を開いたのは子どもの方だった。
『椛おねぇちゃんがね、"うそはいけません"って。"文お姉ちゃんみたいに正直にお話しなさい"って』
「・・・そうですね。約束ですよ」
『きよくただしい!』
「射命丸、ですね」
この期に及んで、言葉を飾り付けるようなことはするな・・・と。自分の気持ちに素直になれと。
まるで文に釘を刺しているような、椛の言葉。どこまでもしっかりした、おせっかいな娘だ。
その言葉に背中を押され、ひとつひとつ言葉を紡いでいった。
「一緒にお仕事をしだして、もうずいぶん経ちますね。ご苦労様です。ありがとう」
『どういたしまして』
「思えば今月始め、ふもとで面接をしたのが始まりでしたね。どうです、今の生活は楽しいですか?」
『楽しい! ぜんぶ! 最初は怖かったけど、文おねぇちゃんがいるから平気!』
「そりゃあもう、私は強くて速い鴉天狗の射命丸ですからねぇ」
『文おねぇちゃんも空飛べるの?』
「もちろん」
『いいなぁー。あした飛ぼ?』
「もちろん・・・と言いたいですけど、今月は土踏月だからダメです」
『じゃあ、それが終わったら』
「・・・いいですよ。こんなこと、普通の人間は一生経験できないんですよ? 私のお手伝いさん限定の、特別フライトです」
『きよくただしい!』
「射命丸。約束です」
・・・なかなか核心に至れない。
今だ、このタイミングだ。
「・・・土踏月が終わっても、一緒にいてくれるんですか?」
『うん』
「何か理由があって、ここに働きに来てるんじゃないですか?」
『うーん・・・』
「どうして、面接に来たんですか?」
『・・・わかんない』
「わからない・・・? というと?」
『わかんない。よく覚えてない』
「理由が思い出せないんですか?」
『うん・・・』
そう言って、うなだれる。初めて見る、この子の元気のない姿だ。
どうすればいいか分からず、寂しがっているようで。その目が、ここではない遠くを見ているようで。
心が強烈にえぐられる。『思い出せない』というのが不思議だったが、まだ聞きたいことはあったが、自分の質問攻めでつらそうにしている様子を見るのは、これ以上は無理だった。
でも、あと一言。
掛けてあげなければいけない言葉があった。
その寂しさを解決できる決定的な選択肢を、与えなければならなかった。
この言葉で、文とこの子は別れることになる。
「あなたは・・・」
――家に、帰りたいですか?
「ぁ、あなたは、家族と・・・」
――家族と、過ごしたいですか?
「・・・・・・っ!」
ギュッ。
『文おねぇちゃん?』
「・・・・・・大丈夫ですよ。全部全部、大丈夫ですから・・・」
――あぁ、この温もりを離せるわけがない。この子を突き放せるわけがない。
◆
翌日。
「ど、どこですか!?」
「こちらです、椛さん」
ふもとに近い森の中。
枝をかき分けて進む椛と、仲間の白狼天狗たち。
「うっ・・・」
"それ"を確認する。
バッと後ろを振り返る椛。千里眼に映るのは、文の家。新聞づくりに勤しむ文と、その手伝いをする子どもの姿。
「嘘でしょ・・・?」
妖怪の山。騒動二日目。
子どもの遺体が、発見された。
【第5章 完】
あれ、なんかシリアスな雰囲気漂ってますが大丈夫か?うーむ、少年の素性が気になる。
と、少し疑問に感じました
お話自体は面白いです