私はわんわん泣いていた。だって、ひどい夢を見たものだから。私の見る夢は、本当に実現してしまうのだ。
「咲夜……」
とにかく咲夜を探さなければいけないと思った。
「咲夜ーーーっ!!!」
廊下で大声を出して叫ぶ。こんなに大きな声を出さなくても、咲夜はすっと現れるけれど、不安を紛らわせようとして、こんな声を出していた。
「はい、お嬢様」
ほどなくして咲夜が私の前に現れる。いつもどおりの咲夜だ。シャツにはきちんとアイロンがかけられているし、深緑色のリボンだってきゅっと結ばれている。ヘッドドレスもなんら変わったところはないし、エプロンのリボンもふわふわだ。
「今日はずっとそばにいて」
ぎゅうと咲夜の白い手を握る。すると咲夜は屈み、私に視線を合わせて「かしこまりました」と言った。これまで続いてきた毎日とどこも変わりがなくて、怖くなってくる。咲夜はそんな私の心を知ってかしら知らずか、私の頬を伝う涙をハンカチで優しく拭いた。
明日咲夜が死ぬらしい。ぼんやりとそんな夢を見たことだけ覚えている。どうして、どのようにして、なんてことは分からなかったけれど、ただ午前零時の鐘がなると、咲夜は死んでしまうのだ。
「急に、どうされたのですか?」
咲夜と手をつなぎながら、館の階段をのぼる。咲夜がお茶にしましょうと言ったのだ。普段はお茶は咲夜一人で淹れてくれる。けれど今日だけは目が離せない。だからこうして厨房までついてきているのだ。
「咲夜が死んじゃう夢見たのよ」
「それは大変ですね」
人事のように咲夜がのんびりとした口調で答える。私はこんなに咲夜の心配をしているというのに、咲夜はひどい。まじめに自分のことを考えてほしい。いつだってそうだ。咲夜は自分のことなんて、よく考えもしないのだ。常に私のことだけを考えている、つもりでも、私の気持ちなんて、咲夜は本当のところでは分かってくれないのだ。いきなり紅茶に自分の手首を切って血を入れたり、そんなことしたら私が悲しむってどうして分かってくれないのだろう。咲夜の忠義は誰もが認めるところだ。けれど、もうすこし私の気持ちも考えて欲しい。
程なくして厨房に着いた。咲夜は手際よくお湯を沸かし、茶葉を網のようなものに入れ、紅茶を淹れていた。
「時間を止めることも、禁止ですか?」
お茶の葉が開くのを待っているときのことだった。私を待たせるのが咲夜は嫌だという。
「禁止。今日だけは、いけないわ」
どうしたって咲夜は私に迷惑をかけたがらない。迷惑なんて、これっぽっちも思っていないのに。少しすると、お茶の葉はちょうどいい具合に開いて、咲夜はこぽこぽとティーカップにピンクブラウンの紅茶を注いでいた。
「今日はミルクポッドもシュガーもいらないよ。そのカップだけあればいい。咲夜、夜になるまで私の部屋にいて」
咲夜は紺碧の瞳をころりと下に向けて、顔を綻ばせた。本当にこんな人間が死ぬのだろうか。
「咲夜、死ぬ気はあるの?」
「もちろんございませんわ」
ふふふと笑いながら、ティーカップをトレイの上に乗せる。
「さぁ、参りましょう」
完璧で瀟洒なメイドは片手でトレイを持つ。空いている片手で私の手が握れるように。
私がベッドに腰掛けて紅茶を飲もうとすると、咲夜は「お行儀がわるいですよ」と私をたしなめてきた。なら貴女も一緒に。
「口移しで飲ませてあげる。一緒にいけないことしましょ」
咲夜はしょうがないですね、というような顔をして、私の隣に腰を下ろした。
「これで咲夜もお行儀がわるい」
「そうなってしまいますね」
私は口に少しさめたダージリンを含む。そうして咲夜に口付けた。
「ん……」
とろりと紅茶を咲夜の口内に流し込む。我ながら、上手くいった。
「これではお行儀が悪いというより、はしたないですね」
「はしたなくて結構。私はこんな毎日が幸せよ」
毎日、そんな単語を出してふと思い出す。今まで続いてきた毎日。そうだ、そういえば咲夜は明日死ぬのだ。零時の鐘が聞こえたら、咲夜は死ぬのだ。
「咲夜が死んだら、困るわね」
大好きな咲夜が死んでしまったら、私は悲しい。きっと咲夜のことが大好きな皆も悲しい。それ以外にも、館の運営が厳しくなったりもする。なにより、こんな他愛もないやりとりができなくなるなんて、私には耐えられないだろう。咲夜は私が見つけたただ一人の愛しいひとなのだから。どんな手を使ってでも、咲夜は死なせない。自分の能力に外れはない。私が死ぬと予見すれば、本当に死んでしまうのだ。
私たちは食事もとらず長い間ベッドに横たわっていた。もうとっくに晩御飯の時間は過ぎている。
「お夕食、おつくりいたしますか?」
ぽつりと咲夜が言った。
「そうだね、頼むよ。私も一緒に行こう」
「お嬢様のしたいようになさってください。ただ、厨房は騒がしいですよ」
「構わないさ。咲夜と一緒にいたいんだ」
そう口にすると、咲夜は唇をかみ締めて、頬を赤くした。どうやら、嬉しいらしい。咲夜が喜ぶのなら、私はなんだってするのに。この子は、自分からそういう要求をしない。そんなところも好きなのだけれど。
厨房は確かにごった返していた。妖精メイドたちが私に怯えてわさわさ動き周り、皿を割り、お湯をこぼし、とまぁそんな具合で夕食ができたのはそれから随分たった後のことだった。私が退屈しないでいられたのは、慌てていたり、妖精メイドに優しかったり、そんな咲夜の見たことのない一面が見られたからだった。ようやく出来た食事は天ぷらそばだった。年を越すわけでもないのに、珍しい。これが咲夜との最後の食事になるのかと思うと、私はなんだかやりきれなくなってしまった。
「食べようか」
自室に戻り、咲夜と食を共にする。咲夜はなかなか料理に手をつけようとしなかったが、私が勧めるとおずおずと山菜の天ぷらをかじりだした。がしがし、もぐもぐ。咀嚼音が可愛らしかった。本当に咲夜が死ぬのだろうか。何かの間違いではないのだろうか。考え事をしていたせいだろうか、私の視線は鋭くなっていたようで、咲夜に心配されてしまった。
「お嬢様は本当に私が死ぬとお思いですか?」
「思っているよ。私の夢は外れたことがないんだから」
「なら、その運命を変えてくださいな」
ちゅるるとそばを啜りながら、咲夜はにこりと笑った。方法がないわけではないのだ。けれど。
「咲夜、お前は可愛いね」
けれど、それをしては咲夜が悲しんでしまう。
「今更なんですか?」
可愛いという言葉を否定しないあたり、咲夜もこの館に随分馴染んだと思う。あぁ、本当に可愛い。こんな子が、死んでしまうなんて、この世の条理はおかしい。
咲夜は食事が終わると食器をトレイに乗せて片付けた。私は悩む。もうすぐ12時だ。ある衝動が体を駆け巡る。
「咲夜」
手を掴んで咲夜をベッドに押し倒した。咲夜は不思議そうに私を見つめている。咲夜。咲夜。
「ごめん……」
それが、咲夜と交わした最後の言葉だった。
午前零時の鐘がなる。私は咲夜の首筋に牙を立てていた。音を立てずに、静かに血を吸う。これで咲夜は死なない。咲夜は、吸血鬼になったのだ。咲夜は震えていた。私の頬に冷たい水が伝う。何かと思って顔を上げれば、咲夜の涙だった。
そこで気づく。咲夜は私が殺したのだと。『人間』の咲夜を、私が殺してしまったのだと。
「おじょ、う、さま……」
午前零時の鐘がなる。明日咲夜が死ぬらしい。夢は、現実になった。
「咲夜……」
とにかく咲夜を探さなければいけないと思った。
「咲夜ーーーっ!!!」
廊下で大声を出して叫ぶ。こんなに大きな声を出さなくても、咲夜はすっと現れるけれど、不安を紛らわせようとして、こんな声を出していた。
「はい、お嬢様」
ほどなくして咲夜が私の前に現れる。いつもどおりの咲夜だ。シャツにはきちんとアイロンがかけられているし、深緑色のリボンだってきゅっと結ばれている。ヘッドドレスもなんら変わったところはないし、エプロンのリボンもふわふわだ。
「今日はずっとそばにいて」
ぎゅうと咲夜の白い手を握る。すると咲夜は屈み、私に視線を合わせて「かしこまりました」と言った。これまで続いてきた毎日とどこも変わりがなくて、怖くなってくる。咲夜はそんな私の心を知ってかしら知らずか、私の頬を伝う涙をハンカチで優しく拭いた。
明日咲夜が死ぬらしい。ぼんやりとそんな夢を見たことだけ覚えている。どうして、どのようにして、なんてことは分からなかったけれど、ただ午前零時の鐘がなると、咲夜は死んでしまうのだ。
「急に、どうされたのですか?」
咲夜と手をつなぎながら、館の階段をのぼる。咲夜がお茶にしましょうと言ったのだ。普段はお茶は咲夜一人で淹れてくれる。けれど今日だけは目が離せない。だからこうして厨房までついてきているのだ。
「咲夜が死んじゃう夢見たのよ」
「それは大変ですね」
人事のように咲夜がのんびりとした口調で答える。私はこんなに咲夜の心配をしているというのに、咲夜はひどい。まじめに自分のことを考えてほしい。いつだってそうだ。咲夜は自分のことなんて、よく考えもしないのだ。常に私のことだけを考えている、つもりでも、私の気持ちなんて、咲夜は本当のところでは分かってくれないのだ。いきなり紅茶に自分の手首を切って血を入れたり、そんなことしたら私が悲しむってどうして分かってくれないのだろう。咲夜の忠義は誰もが認めるところだ。けれど、もうすこし私の気持ちも考えて欲しい。
程なくして厨房に着いた。咲夜は手際よくお湯を沸かし、茶葉を網のようなものに入れ、紅茶を淹れていた。
「時間を止めることも、禁止ですか?」
お茶の葉が開くのを待っているときのことだった。私を待たせるのが咲夜は嫌だという。
「禁止。今日だけは、いけないわ」
どうしたって咲夜は私に迷惑をかけたがらない。迷惑なんて、これっぽっちも思っていないのに。少しすると、お茶の葉はちょうどいい具合に開いて、咲夜はこぽこぽとティーカップにピンクブラウンの紅茶を注いでいた。
「今日はミルクポッドもシュガーもいらないよ。そのカップだけあればいい。咲夜、夜になるまで私の部屋にいて」
咲夜は紺碧の瞳をころりと下に向けて、顔を綻ばせた。本当にこんな人間が死ぬのだろうか。
「咲夜、死ぬ気はあるの?」
「もちろんございませんわ」
ふふふと笑いながら、ティーカップをトレイの上に乗せる。
「さぁ、参りましょう」
完璧で瀟洒なメイドは片手でトレイを持つ。空いている片手で私の手が握れるように。
私がベッドに腰掛けて紅茶を飲もうとすると、咲夜は「お行儀がわるいですよ」と私をたしなめてきた。なら貴女も一緒に。
「口移しで飲ませてあげる。一緒にいけないことしましょ」
咲夜はしょうがないですね、というような顔をして、私の隣に腰を下ろした。
「これで咲夜もお行儀がわるい」
「そうなってしまいますね」
私は口に少しさめたダージリンを含む。そうして咲夜に口付けた。
「ん……」
とろりと紅茶を咲夜の口内に流し込む。我ながら、上手くいった。
「これではお行儀が悪いというより、はしたないですね」
「はしたなくて結構。私はこんな毎日が幸せよ」
毎日、そんな単語を出してふと思い出す。今まで続いてきた毎日。そうだ、そういえば咲夜は明日死ぬのだ。零時の鐘が聞こえたら、咲夜は死ぬのだ。
「咲夜が死んだら、困るわね」
大好きな咲夜が死んでしまったら、私は悲しい。きっと咲夜のことが大好きな皆も悲しい。それ以外にも、館の運営が厳しくなったりもする。なにより、こんな他愛もないやりとりができなくなるなんて、私には耐えられないだろう。咲夜は私が見つけたただ一人の愛しいひとなのだから。どんな手を使ってでも、咲夜は死なせない。自分の能力に外れはない。私が死ぬと予見すれば、本当に死んでしまうのだ。
私たちは食事もとらず長い間ベッドに横たわっていた。もうとっくに晩御飯の時間は過ぎている。
「お夕食、おつくりいたしますか?」
ぽつりと咲夜が言った。
「そうだね、頼むよ。私も一緒に行こう」
「お嬢様のしたいようになさってください。ただ、厨房は騒がしいですよ」
「構わないさ。咲夜と一緒にいたいんだ」
そう口にすると、咲夜は唇をかみ締めて、頬を赤くした。どうやら、嬉しいらしい。咲夜が喜ぶのなら、私はなんだってするのに。この子は、自分からそういう要求をしない。そんなところも好きなのだけれど。
厨房は確かにごった返していた。妖精メイドたちが私に怯えてわさわさ動き周り、皿を割り、お湯をこぼし、とまぁそんな具合で夕食ができたのはそれから随分たった後のことだった。私が退屈しないでいられたのは、慌てていたり、妖精メイドに優しかったり、そんな咲夜の見たことのない一面が見られたからだった。ようやく出来た食事は天ぷらそばだった。年を越すわけでもないのに、珍しい。これが咲夜との最後の食事になるのかと思うと、私はなんだかやりきれなくなってしまった。
「食べようか」
自室に戻り、咲夜と食を共にする。咲夜はなかなか料理に手をつけようとしなかったが、私が勧めるとおずおずと山菜の天ぷらをかじりだした。がしがし、もぐもぐ。咀嚼音が可愛らしかった。本当に咲夜が死ぬのだろうか。何かの間違いではないのだろうか。考え事をしていたせいだろうか、私の視線は鋭くなっていたようで、咲夜に心配されてしまった。
「お嬢様は本当に私が死ぬとお思いですか?」
「思っているよ。私の夢は外れたことがないんだから」
「なら、その運命を変えてくださいな」
ちゅるるとそばを啜りながら、咲夜はにこりと笑った。方法がないわけではないのだ。けれど。
「咲夜、お前は可愛いね」
けれど、それをしては咲夜が悲しんでしまう。
「今更なんですか?」
可愛いという言葉を否定しないあたり、咲夜もこの館に随分馴染んだと思う。あぁ、本当に可愛い。こんな子が、死んでしまうなんて、この世の条理はおかしい。
咲夜は食事が終わると食器をトレイに乗せて片付けた。私は悩む。もうすぐ12時だ。ある衝動が体を駆け巡る。
「咲夜」
手を掴んで咲夜をベッドに押し倒した。咲夜は不思議そうに私を見つめている。咲夜。咲夜。
「ごめん……」
それが、咲夜と交わした最後の言葉だった。
午前零時の鐘がなる。私は咲夜の首筋に牙を立てていた。音を立てずに、静かに血を吸う。これで咲夜は死なない。咲夜は、吸血鬼になったのだ。咲夜は震えていた。私の頬に冷たい水が伝う。何かと思って顔を上げれば、咲夜の涙だった。
そこで気づく。咲夜は私が殺したのだと。『人間』の咲夜を、私が殺してしまったのだと。
「おじょ、う、さま……」
午前零時の鐘がなる。明日咲夜が死ぬらしい。夢は、現実になった。
まぁどちらにしても咲夜にとっては地獄の始まりでしょうが。
悲しい話