今日、蝉が死んでいるのを見つけたわ。
輝夜はぽつりと呟いた。その声音は悲しむ風ではなく懐かしむ風でもなく静かにただ無心に聞こえる。音吐の高い声音でありのまま見たことを報告しただけの言葉だった。その言葉から読み取れるものは何もない。
「庭にはたくさん竹や木が生えているけれど、ひときわ大きな橅の木が隅にあったでしょう。その根元に見つけたの。今朝、庭を散歩しているときに、偶然ね。地面に落ちた蝉はひっくり返っていたわ。少しの間ひくひくと動いていたけどそのうちぴくりとも動かなくなった。今年は七月の終わりから蝉が鳴いていたから、あの蝉はきっと夏のはじめに鳴き出した蝉だったのね。一番はやくに死んだ蝉だったかもしれない。頭上ではまだ仲間たちがたくさん鳴いていたから」
ねえ永琳。
そこでようやく輝夜は隣に座る永琳を見上げて首を傾げた。その動きに合わせてさらりと黒髪が流れる。勿体無いと思わず掬い上げたくなるほど豊潤で、数多の人間を魅力したそれは夏の太陽にさらされて煌めいていた。
見つめたままでは良くない考えを起こしてしまいそうになるほど彼女は美しい。今だって、陽光に透けて輝く髪の一本一本を丁寧に梳いたのは己であるという、誰に向けるでもない自負が湧き上がる。櫛を通したのは、その髪に手を触れたのは、隣に立つのは己だけだ。健康的な光にはそぐわない薄暗い感情がふいに胃の奥を熱く焼くが、目を細めて誤魔化す。
ここは月光ではなく陽光の元である。この衝動はまだはやい。
耳を澄ませるまでもなく、二人の周りではたくさんの蝉が鳴いている。それらもいずれは彼女が今朝見かけた蝉のように地面でひっくり返るのだろう。
「永琳。死んでいく同胞たちを見送って一番最後に死んでしまう蝉は何を想いながら死ぬのかしら。雌も雄もいなくなったあとの最後の蟲は、それでも息絶えるまで鳴くことをやめないのかしら」
永くを生きた彼女にしては珍しく感傷的な台詞に永琳は蝉にそんなことを感じる情緒はないと答えようとして、やめた。このお姫様はそんなことを聞きたいのではないのだとわかっていたからだ。少し遠回りにしか質問することができないひとだった。
不老不死の蓬莱人は人類が滅んでも死ぬことはない。その事実をうっかり思い出してしまったのだろう。だから彼女はこんなに感傷的になってしまっただけなのだ。
「ならば最後の蝉を私達が見送ってあげましょう。そうしたらようやく夏は終わりを迎えるのよ」
「そういうものかしら」
「そういうものなのよ」
「永琳は私を見送ってくれる?」
「輝夜がそう望むならね」
なあんだと呟いた彼女の表情はいつもと変わらないものへと変化する。
妹紅が嫌う、気まぐれで、永くを持て余した無情な顔。それでも中身もそうだとは限らないことを知っている。
「輝夜、その蝉は埋めてあげたの?」
「まさか。蝉は兎にでもくれてやったわ」
兎は蝉なんて食べないわよ。呆れたように永琳はやはりいつもの彼女だと笑った。陽光が月光に変わる頃に見せる顔こそ、永琳が最も愛する顔である。
蝉を貰った兎は心底困っただろうが、優しい兎たちばかりだ。庭の隅にでも埋めてやったのだろう。輝夜もわかっていてそんなことをしたに違いない。
了
輝夜はぽつりと呟いた。その声音は悲しむ風ではなく懐かしむ風でもなく静かにただ無心に聞こえる。音吐の高い声音でありのまま見たことを報告しただけの言葉だった。その言葉から読み取れるものは何もない。
「庭にはたくさん竹や木が生えているけれど、ひときわ大きな橅の木が隅にあったでしょう。その根元に見つけたの。今朝、庭を散歩しているときに、偶然ね。地面に落ちた蝉はひっくり返っていたわ。少しの間ひくひくと動いていたけどそのうちぴくりとも動かなくなった。今年は七月の終わりから蝉が鳴いていたから、あの蝉はきっと夏のはじめに鳴き出した蝉だったのね。一番はやくに死んだ蝉だったかもしれない。頭上ではまだ仲間たちがたくさん鳴いていたから」
ねえ永琳。
そこでようやく輝夜は隣に座る永琳を見上げて首を傾げた。その動きに合わせてさらりと黒髪が流れる。勿体無いと思わず掬い上げたくなるほど豊潤で、数多の人間を魅力したそれは夏の太陽にさらされて煌めいていた。
見つめたままでは良くない考えを起こしてしまいそうになるほど彼女は美しい。今だって、陽光に透けて輝く髪の一本一本を丁寧に梳いたのは己であるという、誰に向けるでもない自負が湧き上がる。櫛を通したのは、その髪に手を触れたのは、隣に立つのは己だけだ。健康的な光にはそぐわない薄暗い感情がふいに胃の奥を熱く焼くが、目を細めて誤魔化す。
ここは月光ではなく陽光の元である。この衝動はまだはやい。
耳を澄ませるまでもなく、二人の周りではたくさんの蝉が鳴いている。それらもいずれは彼女が今朝見かけた蝉のように地面でひっくり返るのだろう。
「永琳。死んでいく同胞たちを見送って一番最後に死んでしまう蝉は何を想いながら死ぬのかしら。雌も雄もいなくなったあとの最後の蟲は、それでも息絶えるまで鳴くことをやめないのかしら」
永くを生きた彼女にしては珍しく感傷的な台詞に永琳は蝉にそんなことを感じる情緒はないと答えようとして、やめた。このお姫様はそんなことを聞きたいのではないのだとわかっていたからだ。少し遠回りにしか質問することができないひとだった。
不老不死の蓬莱人は人類が滅んでも死ぬことはない。その事実をうっかり思い出してしまったのだろう。だから彼女はこんなに感傷的になってしまっただけなのだ。
「ならば最後の蝉を私達が見送ってあげましょう。そうしたらようやく夏は終わりを迎えるのよ」
「そういうものかしら」
「そういうものなのよ」
「永琳は私を見送ってくれる?」
「輝夜がそう望むならね」
なあんだと呟いた彼女の表情はいつもと変わらないものへと変化する。
妹紅が嫌う、気まぐれで、永くを持て余した無情な顔。それでも中身もそうだとは限らないことを知っている。
「輝夜、その蝉は埋めてあげたの?」
「まさか。蝉は兎にでもくれてやったわ」
兎は蝉なんて食べないわよ。呆れたように永琳はやはりいつもの彼女だと笑った。陽光が月光に変わる頃に見せる顔こそ、永琳が最も愛する顔である。
蝉を貰った兎は心底困っただろうが、優しい兎たちばかりだ。庭の隅にでも埋めてやったのだろう。輝夜もわかっていてそんなことをしたに違いない。
了
兎にくれてやったのが素敵だなぁ。
しっとりとしたやり取りが素敵です。