「諏訪子さま、ちょっといいですか?」
居間のこたつで私がだらけていると、早苗が襖を少しだけ開けた。
「んー? どうしたのさ」
「少しお願いがあって」
そう言って早苗は急須と湯飲みを二つ、お盆に載せて居間に入ってきた。お盆をこたつの天板に置き、早苗もこたつに足を滑り込ませた。
「なになにー?」
「お願いというのはですね……。明日一日だけお暇を頂きたいのです」
早苗はやけに真剣な眼差しを向けてきた。乱れた体勢でいた私も少し姿勢を正す。
「そんな真剣に頼むようなことなの? 一日くらい早苗がいなくても大丈夫だよ。近日中に神事があるわけでもないし」
「あの、一日というよりは……その、明日お友達の家に泊まりに行きたいんです。だから、実際は二日弱です」
「へえ。お友達ねえ。誰の家?」
早苗が淹れてくれたお茶を飲もうかと、湯飲みに手を伸ばしながら聞くと、早苗は慌てた様子で返答に困ってしまった。
「あの、ですね、人里に住んでるお友達です」
早苗は何故かもじもじと落ち着かない様子で答えた。若干頬も赤く染まっている。この反応は何を表しているのだろうか。
「へえ。人里にお友達ができたんだ。よかったね早苗」
「あ、はい。こっちにきて、もう随分友達が増えました! えっと、それで、泊まりに行ってもいいでしょうか?」
「うん。いいよ。早苗もお年頃だもんね。寝る前に女の子同士の甘い話でもするんでしょ?」
早苗は図星を差されたように「いやぁ」と言って恥ずかしそうに視線を逸らした。
早苗の挙動には少しの不審感を覚えたが、敢えて深く追求はしなかった。年頃の女の子には大人には秘密にしておきたいことがあるのだろう。
「神奈子には私から言っておくよ」
「あ、ありがとうございます! それじゃあ私、夕食の準備してきますね」
ほっとした様子を見せた早苗は嬉しそうに居間を出て行った。自分で淹れたお茶を、まだ半分も飲んでいないというのに。
友達の家にお泊まり。お泊まりと言えば寝る前の談笑。これは同姓に限った話だが。
もし異性なら、お泊まりをしてやることはおのずと想像が付く。
「もしかしたら……。ふふ、早苗もお年頃だもんね」
いらぬ想像をしてしまったが、それでも早苗のしたいようにさせようと親心ながら思った。
実際は親ではないが、早苗は私にとって大切な子孫だ。早苗が楽しそうに生きてくれていることは、私にとって幸せなことだと、お茶を飲みながらしみじみと思った。
私と神奈子と早苗で夜の食卓を囲む。今日はカレーライスだった。なるほど、カレーなら作り置きできるし、さまざまな料理にアレンジできる。
自分がいない時のことを考えてメニューを選んだ早苗を賢いと思った。
「まだまだたくさんありますから、お二人とも好きなだけ食べてください」
「今日はやけに多めに作ってあるね」
神奈子が大きな鍋を見て苦笑しながら言った。
「明日はご飯を作ることができないので」
早苗も苦笑して答えると、神奈子が不思議そうな顔をした。
そういえばまだ早苗のお泊まりのことを話していなかった。
「ん? 早苗は明日用事があるのか?」
「えっ」
まだ言ってなかったんですか、と言いたげに早苗は困ったような顔でこちらに視線を送ってくる。早苗が直接神奈子に言うのは何か都合が悪いのだろうか。
「早苗は明日、友達の家にお泊まりに行くんだってさ」
私がフォローするように言うと神奈子は納得したようで。
「そうなのか。誰の家? あの紅白巫女の神社か?」
「人里のお友達の家だってさ」
またしても私が代わりに返事をする。早苗はきまり悪そうに俯いていた。
「人里か。いいことじゃない。早苗が人里の人々と仲良くなれば、うちの神社を信仰する人がさらに増えるかもしれないし」
神奈子の発言に、こんな山の上まで普通の人間が上ってこれるのだろうかと、一抹の疑問が芽生えたがそれはさておき。
ご機嫌そうな神奈子に対して、早苗はほっと胸を撫で下ろしているようだった。神奈子には反対されると思っていたのだろうか。例え信仰云々の話が無くても、神奈子が反対するとは私には思えないが。
「早苗は布教活動に行くんじゃなくて遊びに行くんだよ。遊びに行くときくらいそういうことを忘れさせてやろうって気持ちがないの? デリカシーが無いなぁ神奈子は」
敢えて言うことでもなかったが、早苗のきまり悪そうな態度を神奈子に気付かせないためにも、少しきつい言葉をぶつけてみた。
「何言ってるの。信仰は私達にとって大事でしょう」
「早苗だってお年頃なんだし、日常を忘れて遊んだっていいじゃない」
すると、案の定早苗は二人の喧嘩ムードを宥めようと仲裁に入ってきた。
「まあまあお二人とも落ち着いて。せっかくのカレーが冷めちゃいますよ」
早苗の言葉で私と神奈子はお互い手を引き、食事を再開した。
その後は他愛も無い話をしながら食事を終え、私と神奈子は居間のこたつへと移動した。
お泊まりの承諾を得に来た時から、どうも早苗の態度が引っかかっている。しかも夕食時の態度を見るに、神奈子に対して何か後ろめたい気持ちを持っているようにも感じる。
何故神奈子では都合が悪いのか。それともこれはただの深読みで、早苗の私達に対する信頼度が、神奈子よりも私のほうが上だということなのか。
私の正面で寒そうにこたつに入る神奈子はどう思っているのだろう。特に気にしているような様子は見えないが。
「ねえ諏訪子」
「なあに神奈子」
「……後でお酒飲もうか。今夜は寒いし」
「言いたいことがあるならはっきりいいなよ」
「ぶっ」
神奈子は驚いてこたつの中で足をぶつけた。それからこちらを見て「何で分かったのさ」と聞いてくる。
「女の勘よ」
神奈子は台所のほうを一瞥し、早苗が来ていないことを確認して話し始めた。
「早苗のお泊まりの話なんだけどさ」
「うん。人里のお友達家に泊まりに行くって言ってたよ」
「個人の名前は言ってないのか」
「逆に言えば、言っても分からないような子なのかもしれないよ。つまり、本当に人里に住んでるごく普通の人間ってことだよ」
「そんな子と早苗が友達になるきっかけなんてあると思うか?」
「そんなの分からないよ。買い物をしていて偶然出会って、話しているうちに意気投合したのかもしれないじゃん」
「ふむ……。いや、まあ相手が普通の人間かどうかは置いてだ。他に重要なことがあるじゃないか」
お友達が妖怪ならそれはそれで少し困るけどね。
「まさか殿方の屋敷に行くなんてことはないわよね?」
「何その古臭い言い方。というか、十中八九そうでしょ」
「なっ、ちょっと待て。そこまで言い切れる根拠はないでしょ」
神奈子は慌てて顔を近づけてくる。そっちの方には縁がないやつめ。
「女の勘よ」
「あんたの女の勘ってほんとに当たるの?」
神奈子は見下したような目でこちらを見てくる。私は負けじと誇らしげに言った。
「当たるわよ。何年神様と女やってると思ってるのよ。それに、初めにお泊まりの話を持ちかけてきた時も挙動が不自然だったのよ。女の子の家に泊まりに行くのに、顔を赤らめるわけないでしょ。あれは絶対男の家に行くのよ」
すると神奈子が頬に両手を当てながら言った。
「じゃ、じゃあ早苗は明日の夜に……」
「初めての夜を迎えるのね」
「そ、そんな。あんな純粋で天然で、天真爛漫な早苗が……」
「早苗ももうお年頃じゃない」
私は落ち着いてそう言った。そうだ。早苗もいつかは通る道なのだ。それを遅くも早くもないちょうどいい時期に迎えられたのだ。めでたいことじゃないか。
「待て。焦って早とちりするのは大人気ないぞ諏訪子。まだ決まったわけじゃない」
「焦ってるのは神奈子のほうでしょ」
表情こそ保っているものの、神奈子は落ち着かない様子でこたつの中の足をもぞもぞと動かしている。隠しているつもりだろうが、私もこたつに入っている以上ばればれなのだ。
それに、早苗が神奈子に直接言わない理由が何となく分かった。もし深く追求されてお泊まり先が男の家だと発覚すれば、やれ赤飯だの挨拶がどうだのと騒ぎ出しそうだからだ。
「早苗は私達に黙って殿方の家に泊まるような女の子じゃない思うんだけどなあ」
「そこまで言うなら賭ける? 私は初めての夜を迎えるに賭けるけど」
「じゃあ私は普通に女の子の家に泊まりに行くに賭ける」
神奈子はすぐに賭けに乗ってきた。
「でもそれってどうやって確認するんだ?」
「尾行でも何でもすればいいじゃない」
「おい。放任主義はどこに行ったんだ」
「直接干渉するわけじゃないからいいの」
私が勝った暁には、一週間こたつ禁止令を神奈子に出してやろう。ふふふ。この寒い部屋の隅っこで丸まって震えるがいいわ。
「お茶が入りましたよー」
ちょうど話がついたところで早苗が三人分のお茶を運んできてくれた。こたつの天板にお盆を置くと、神奈子の向かいからこたつに足を滑り込ませた。
「ふあぁ、やっぱりこたつはいいですねぇ」
早苗が天板に頭を置いてだらしない声を出す。私と神奈子は互いに目配せして、先ほどの会話の内容は早苗に秘密にしておこうと二人で頷いた。
翌朝。朝食を終えた早苗は、自室で荷物をまとめていた。着替え以外にもいろいろ詰まっていそうな鞄を持ち上げると、真っ直ぐ玄関へ向かった。
「それじゃあ、行って参ります」
「うん。行ってらっしゃい」
ふわりと浮き上がった早苗は麓の人里目指して飛んでいった。私が振り返ると神奈子が廊下の奥からその様子を見守っていた。
「それじゃあ尾行しようか」
神奈子は小さく頷いた。社務所に『本日休業』という貼り紙をして、二人して神社を飛び出した。
私と神奈子は人里の上空から早苗の動向を観察した。人里の外れに降り立った早苗は、里に入り大通りを歩いていく。途中何度か立ち止まり、行き交う人々と話している。なるほど、早苗は人里には顔が知られているのかもしれない。
早苗は通りから和菓子屋に入店した。そのお店は人里の中でも繁盛しているようで、そこそこの大きさの屋敷だった。
「神奈子、和菓子屋の人間分かる?」
「分かるわけないでしょ」
「だよねー」
これは人里に下りて聞き込みをしなければいけないかもしれない。しかし、あまり派手に動くと早苗に気付かれてしまう。尾行していたなんて早苗にばれてしまったら、私への信頼が揺らいでしまう。
「紅白の巫女か、白黒の魔法使いにでも聞きに行く?」
「和菓子屋には若い娘か若い男のどっちがいるんだって聞くの? 両方いるって言われたらどうすんのさ」
そんなことを話していると、なんと早苗が和菓子屋から出てきたのだ。どうやら手土産として和菓子を買っていただけのようである。
次に早苗は八百屋に立ち寄った。店先で若い青年と立ち話を始めた。
「早苗と同じくらいの男ね。もしかして、あいつが早苗の……」
「なに拳に力入れてんのよ。やめてよみっともない」
「だって、純粋な早苗がたぶらかされてるかもしれないんだぞ」
「親馬鹿だなあ……」
楽しそうに会話する早苗を見ていると、大きくなったなあなんて思う。
早苗が結婚するとしたら、お婿さんを取らなければならない。お嫁に行かれては困るからね。
立ち話を済ませた早苗は普通に買い物をし、野菜や果物を買って店を後にした。
次に魚屋に立ち寄り、早苗より少し年上の男性と談笑を始めた。
「あいつじゃないみたいね」と神奈子は安心したように息を吐く。
「どうして?」
「だってほら、あそこに妻らしき女性がいるじゃないか」
確かに店にはもう一人の女性がいた。お客ではなくちゃんと店員の格好をしている。
「今夜奥さんが出かけるのかもしれないよ」
「なっ、そ、それって、不倫じゃない!」
神奈子の慌てっぷりに私は思わず噴き出した。
「あはははは、冗談に決まってるじゃん。神奈子って恋愛方面疎すぎ」
「うるさい!」
お腹を抱えていると、早苗が魚を二匹買って店から出てきた。
魚屋でもない。というか、早苗は普通に買い物をしているだけじゃないか。
きっとお泊り先で彼に作ってあげるのだろう。
和菓子と野菜と魚を買った早苗は、ようやくその友達の家と思しき家に着いた。今度はただの民家だから買い物じゃない。
しかし、驚いたことに早苗はその民家の玄関に普通に入っていった。まるで自分の家に入るかのように。
なるほど。今日は泊りに行くわけだけど、それまでに何度も通っているんだ。早苗ったらやるじゃない。
「どうやらあの民家らしいね」
「うん。結構大きな一軒家だから、ある程度地位のある人なのかもね」
「しかし、肝心の相手がどんな奴か分からないな」
「下に降りてみよう」
勿論、姿は隠した。正面玄関からではなく、裏庭からその家の中の様子を窺った。
すると、早苗は買った品を居間のちゃぶ台に並べていた。そして居間にもう一人、白く長い髪を生やした女性がいた。
早苗とその女性は食材を整理しながら楽しそうに話をしている。
それを見た途端、神奈子が勝ち誇ったかのような顔をこちらに見せてきた。
「ほら見なさい。やっぱり女じゃない。これで賭けは私の勝ちね」
「まだよ。あれはお相手のお母さんかもしれないわ」
「見苦しいぞ諏訪子。お母さんにしては幼すぎる。早苗の少し上くらいの年齢に見えるぞ」
「でも人間で髪が白いのはおかしいわ。きっと半妖のお母さんで成長が遅いのよ」
見苦しいのは分かっているが、ここで引き下がるわけにはいかない。何としてもこの賭けで神奈子を負かしてやる。
神奈子は諦めろと言ってくるが、私はその言葉を無視して監視を続けることにした。
私たちは姿を隠しているが、それは信仰の篤い早苗には通用しない。彼女には私たちが見えてしまう。早苗の視界に入らないように努めなければ。
食材の整理を終えた二人は、どこかへ出かけて行った。二人とも小さな荷物を持っている。
二人が向かった先は寺子屋だった。教室には早苗より小さな子どもたちが机の前に座っていた。
早苗の友達は寺子屋の教師をやっているらしい。黒板の前に立って話をしているが、子供たちは退屈そうに聞いている。
子供たちから少し離れたところに立っている早苗は、その話を聞いてはメモを取っているらしかった。
「諏訪子、もう帰ろう。寒くて凍えそうだ」
「駄目よ。帰ったら賭けは無効だから」
寺子屋の授業が終わり、ぞろぞろと子供たちは帰って行った。早苗とその友達も教室を後にする。
早苗の友達は真面目そうな顔立ちで、知的な印象を受けた。
友達の家に帰ってきた二人は居間に荷物を置き、裏庭からは見えない奥のほうへ引っ込んでしまった。
「どうしよう神奈子。これじゃ早苗が何してるか分からないよ」
「もういいだろ。相手は女の子なんだから」
「今から男が登場するんだって!」
「あんた……早苗が可愛くないの?」
「神奈子こそ現実を直視したほうがいいね」
神奈子との間に険悪の空気が流れる。早苗がいないといつもこうなってしまうのだ。
「家の中まで入るのはまずいよねえ」
「過干渉にも程がある。それに早苗に見つかったら言い訳ができない」
「ぐぬー」
私は何とか家の中の状況を探ろうと、外壁に耳を当ててみた。
すると、中から早苗とその友達の声らしきものが聞こえてきた。
「え? 今からですか?」
「うむ。時間をかけるほうがいいからな」
「分かりました。すぐに準備しますね」
やはり、相手は女だ。男とイチャイチャしているわけではない。
しかし、それならば何故私に相談してきたときに顔を赤らめたのだろう。
まさか……。
いや、早苗に限ってそんなことは……。
「ねえ神奈子、早苗が女の子好きだったらどうする?」
「いやいや、そんなわけないだろ」
「例え話だよ。それだったら賭けは私の勝ちになるわよね?」
「いいや、私は『女の子の家に泊まりに行く』に賭けたから私の勝ちだ」
「違うよ。神奈子は『普通に女の子の家に泊まりに行く』に賭けたんだよ。だから普通じゃなかったら駄目ね」
「諏訪子は何だっけ? 『初めての夜を迎える』に賭けたのか。女の子が相手だからあり得ないじゃん」
「だーかーら、さっきの例え話が本当ならあり得るじゃん」
「ないない」
神奈子は手を振って首も振って否定する。
確かに常識的に考えればないが、ここは幻想郷。外の常識は通用しない。
そして私の女としての勘の的中率、早苗の態度も考慮すれば、その確率は上がるはずだ。
もう少しだけ聞き耳を立ててみよう。
先ほどは準備がどうとか言っていたけど、今から何をするのだろう。
「準備はできたか?」
「はい。できました」
「じゃあまず……」
「ねえ、早苗たち、何かするみたい」
「聞こえるのか?」
「ちょっとだけね。神奈子も来なよ」
神奈子と並んで家の外壁に耳を当てる。もし早苗に見つかったら幻滅されること間違いなしな構図だ。
「わあ、すごく大きい……こんな大きいのは初めて見ました」
「これはかなり大きいほうだね」
何が大きいのか、そこら辺を詳しく言ってほしい。
「これ、すごく固い……」
「ゆっくり、慎重にやろう」
「んっ、……はあ、これ……きつい……」
「早苗さん、力を入れすぎては駄目だ。一度肩の力を抜こう」
早苗は一体何をしているのだろう。何だかいかがわしい会話に聞こえるのだけれど。
いやいや、だってまだ夕方だし。夜じゃないし、ってか、あれ? これ、まさか……。
神奈子をちらと見ると、困惑した表情で頬を少し赤くしている。
いやいやいや、違う違う。だって相手は女の子だし……。
「まず先だけ入れるんだ……」
「んっ、はぁ……こう、ですか?」
「そう、それで徐々に深く……」
私は騙されないぞ。これはきっと別の何かなんだ。うん。決してえっちぃことしてるわけじゃない。そうよね、神奈子?
小声で神奈子に聞くと、真っ赤な顔でぎこちなく頷いた。
駄目だ。完全にあっちの妄想をしている。神奈子は知識はあるくせに免疫がないらしい。
先ほどから早苗は何か力むような、喘ぎ声に聞こえなくもない声を出している。対してお友達のほうは淡々とした口調だ。
これは相当やり慣れている?
いやいやいやいや、だって女の子だし。生えてないし。
「だいぶ入ったね」
「はい……えと、次は……?」
「とりあえず半分いこう。半分いけば、あとは楽だから」
「はいっ、んっ……」
「気を付けて、力入れすぎないようにね」
二人の言葉を聞いて私はおおよその見当を付けた。
つまり、早苗は女の子が好きで、あのお友達も女の子が好きなんだろう。そしてお友達には何かしらの棒的なものが……。
何てことだ……。私は絶句した。
もはや神奈子との賭けはどうでもよくなってしまった。
神奈子はというと、耳まで赤く染めながら耳だけは澄ましている。このむっつりめ。
早苗、頑張りなさい。痛いのは最初だけだから。
「ん……ひゃあっ!」
「早苗さん、大丈夫か!?」
「いたっ、あ、やだ、血が……」
さらば、早苗の純潔よ。
私が心の中で呟いていると、隣にいた神奈子がいつの間にかいなくなっていることに気付いた。
キョロキョロと辺りを見渡していると、突然空から大粒の雨が降ってきた。退避しようとすると今度が強い風が吹き、家の雨戸を強く揺らした。
神奈子の仕業だ。早苗とお友達の行為を邪魔する気なのだ。
しまいには雷まで鳴らして頭上の黒い雲を光らせている。
雨風を避けるために仕方なく私は勝手に居間に上がらせてもらった。早苗たちは奥の部屋にいるはずだから、ちょっとくらいなら大丈夫だろう。
「ん? あなたは確か早苗さんのところの」
「へ?」
帽子についた水滴を落としていると、奥から早苗のお友達が出てきて鉢合わせになった。
「あ、あれれー。一応早苗からしか見えないはずなんだけどなあ」
雨に打たれて術が解けたのかもしれない。
私が首を傾げて笑いを引きつらせていると、お友達は何でもないように言った。
「そうか。急に雨が降ってきたから雨宿りをされていたのだな。早苗さんの身内の神様とあれば拒む理由はない。どうぞ上がって身体をお拭きください」
お友達は勝手に納得して私を中へ引き入れようとする。なかなか親切な人間のようだ。
それよりも、このお友達と早苗は一体中で何をしていたのかということが気になって仕方がない。
どんな行為をすればあんな卑猥な会話ができるというのか。
私が奥へ入るのを躊躇っていると、今度は早苗がやってきた。早苗は私の姿を見ると慌てて近寄ってくる。
「諏訪子さま、びしょ濡れじゃないですか! 慧音さん、タオル貸してもらえますか?」
「うむ。今持ってくる」
私がここにいる理由よりも私のことを気遣ってくれるなんて、早苗はいい子に育ったものだ。
ついでに同性愛に目覚めることなく健全に育ったという証明もしてほしい。
「諏訪子さま、どうしてここに?」
「あーうー……。た、たまたま通りかかっただけだよー」
私の棒読みに早苗は首を傾げたが、それ以上追及することはなかった。
慧音と呼ばれたお友達はタオルと一緒に救急箱を持ってきた。そして私にタオルを渡し、丁寧に挨拶をした。
「私は人里で寺子屋の教師をやっております、上白沢慧音です」
「洩矢諏訪子だよ」
それ以降、会話が続かない。早苗とどういう関係なのか、何をしていたのか、なんて早苗の前で聞くわけにもいかない。
「早苗さん、とりあえず傷口を消毒しよう」
「え、早苗、怪我したの?」
「はい。大した怪我じゃないですよ。ちょっと指を切っただけで」
指を切るような作業を二人でしていたのか。
「早苗さんが料理を教わりたいと言うから、今日は来てもらったんだ」
「あー! 慧音さん、言っちゃだめですよー!」
「あ、すまない。秘密だったのか」
「へ? 料理?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。料理だって? じゃあさっきのいかがわいい声は何だったのだ。
「こんな大きなカボチャを切ってたんですけど、これがなかなか固くて……力入れるのに夢中になって指を切っちゃったんです」
「そ、そうだったの……。へえー。カボチャ切ってたんだあ……」
自分でも驚くほど棒読みになってしまった。そしてカボチャを切る作業をエッチな行為として妄想していた自分がバカに思えてきた。
大きいとか固いとか深いとか血とか言っていたセリフを、脳内でカボチャの解体シーンに合わせてみた。
確かに早苗カボチャを切っているだけだ。健全だ。いやらしくもなんともない。
壁一枚隔てただけなのに内と外でこれほどの食い違いが起きていたとは、いやはやお手上げだ。
「諏訪子さま、神奈子さまには言わないでくださいね。本当はこっそり練習して料理の腕を上げるつもりだったのですが」
「ああ、うん。言わないでおくよ」
神奈子には妄想させたままのほうが都合がいい。何せ賭けは私の勝ちになるのだから。嘘をつかない範囲で適当にごまかしておこう。
「でも料理を教わるだけなのにわざわざ家に泊まるの?」
「いえ、夜は慧音さんに勉強を教わるんですよ」
「何の勉強?」
夜の勉強じゃないよね?
「幻想郷の歴史の勉強です。慧音さんは歴史の教師ですから」
「うむ。私は幻想郷の歴史を編纂しているのです」
「なるほどねー」
料理を教わって歴史を教わって、実に健全に充実したお泊まりじゃないか。
「それじゃ、私は邪魔者みたいだからおいとまするよ」
年頃の女の子同士仲良く健全な友達関係を築くことを信じて私はその家を後にした。
神奈子が降らせたと思われる雨はもう止んでいた。山の上の神社に戻っても、神奈子はまだ帰っていなかった。
私はこたつの天板に、『神奈子は一週間使用禁止』と書いた貼り紙を貼っておいた。
こたつに足を潜らせ、だらりと肩を落とす。無駄なことに体力を使ったような気がして疲労感に襲われた。
「なんていうか、子どもは大きくなっても子どもなんだよねえ……」
早苗がどれだけ大きくなっても、私にとって早苗は大事な子孫であり、子どもなのだ。
必要ないと分かっていてもつい世話を焼いてしまう。
でもそれが親というものなのかもしれない。
しっかしカボチャねえ……。
わざわざ習いに行かなくても私が教えてあげるのに。
密かに練習して親孝行しようとは、早苗も粋なことをするようになったものだ。
台所の鍋の蓋を取ると、まだカレーが半分ほど残っていた。
今夜はカレーうどんでも作ろうか。
そんなことを考えていると神奈子が複雑そうな面持ちで帰ってきた。
「おかえり」
「ああ……」
「今日の晩御飯、カレーうどんでいい?」
「なんでもいいよ」
ふふふ。神奈子は相当落ち込んでいるようだ。
明日から神奈子の早苗に対する視線が変わるかもしれない。
早苗が困惑したら、ちゃんとフォローしておいてあげよう。
「まさかあんなことになるなんてね」
「ああ……。あの早苗が……」
「とりあえず、賭けは私の勝ちだから」
誇らしげに胸を張る。どんなことにせよ神奈子に勝つのは気持ちがいい。
「そんなことより、明日から早苗にどう接していいか分からない」
「普通にしなよ」
「むしろどうしてお前はそんな平気なんだ?」
「だって、あれくらい大したことないし」
料理を教わっていただけだもん。
「はあ……。しばらく出かけようかな」
「神様が神社を留守にしちゃまずいでしょ」
「そうだなあ……」
結局神奈子も私と同じ親馬鹿なのだ。
この落ち込んだ顔をしばらく拝んでから、真実を話して反応を見るのも悪くないかもしれない。
でもそれは、早苗が帰ってきてから三人で集まったときのお楽しみにしておこう。
居間のこたつで私がだらけていると、早苗が襖を少しだけ開けた。
「んー? どうしたのさ」
「少しお願いがあって」
そう言って早苗は急須と湯飲みを二つ、お盆に載せて居間に入ってきた。お盆をこたつの天板に置き、早苗もこたつに足を滑り込ませた。
「なになにー?」
「お願いというのはですね……。明日一日だけお暇を頂きたいのです」
早苗はやけに真剣な眼差しを向けてきた。乱れた体勢でいた私も少し姿勢を正す。
「そんな真剣に頼むようなことなの? 一日くらい早苗がいなくても大丈夫だよ。近日中に神事があるわけでもないし」
「あの、一日というよりは……その、明日お友達の家に泊まりに行きたいんです。だから、実際は二日弱です」
「へえ。お友達ねえ。誰の家?」
早苗が淹れてくれたお茶を飲もうかと、湯飲みに手を伸ばしながら聞くと、早苗は慌てた様子で返答に困ってしまった。
「あの、ですね、人里に住んでるお友達です」
早苗は何故かもじもじと落ち着かない様子で答えた。若干頬も赤く染まっている。この反応は何を表しているのだろうか。
「へえ。人里にお友達ができたんだ。よかったね早苗」
「あ、はい。こっちにきて、もう随分友達が増えました! えっと、それで、泊まりに行ってもいいでしょうか?」
「うん。いいよ。早苗もお年頃だもんね。寝る前に女の子同士の甘い話でもするんでしょ?」
早苗は図星を差されたように「いやぁ」と言って恥ずかしそうに視線を逸らした。
早苗の挙動には少しの不審感を覚えたが、敢えて深く追求はしなかった。年頃の女の子には大人には秘密にしておきたいことがあるのだろう。
「神奈子には私から言っておくよ」
「あ、ありがとうございます! それじゃあ私、夕食の準備してきますね」
ほっとした様子を見せた早苗は嬉しそうに居間を出て行った。自分で淹れたお茶を、まだ半分も飲んでいないというのに。
友達の家にお泊まり。お泊まりと言えば寝る前の談笑。これは同姓に限った話だが。
もし異性なら、お泊まりをしてやることはおのずと想像が付く。
「もしかしたら……。ふふ、早苗もお年頃だもんね」
いらぬ想像をしてしまったが、それでも早苗のしたいようにさせようと親心ながら思った。
実際は親ではないが、早苗は私にとって大切な子孫だ。早苗が楽しそうに生きてくれていることは、私にとって幸せなことだと、お茶を飲みながらしみじみと思った。
私と神奈子と早苗で夜の食卓を囲む。今日はカレーライスだった。なるほど、カレーなら作り置きできるし、さまざまな料理にアレンジできる。
自分がいない時のことを考えてメニューを選んだ早苗を賢いと思った。
「まだまだたくさんありますから、お二人とも好きなだけ食べてください」
「今日はやけに多めに作ってあるね」
神奈子が大きな鍋を見て苦笑しながら言った。
「明日はご飯を作ることができないので」
早苗も苦笑して答えると、神奈子が不思議そうな顔をした。
そういえばまだ早苗のお泊まりのことを話していなかった。
「ん? 早苗は明日用事があるのか?」
「えっ」
まだ言ってなかったんですか、と言いたげに早苗は困ったような顔でこちらに視線を送ってくる。早苗が直接神奈子に言うのは何か都合が悪いのだろうか。
「早苗は明日、友達の家にお泊まりに行くんだってさ」
私がフォローするように言うと神奈子は納得したようで。
「そうなのか。誰の家? あの紅白巫女の神社か?」
「人里のお友達の家だってさ」
またしても私が代わりに返事をする。早苗はきまり悪そうに俯いていた。
「人里か。いいことじゃない。早苗が人里の人々と仲良くなれば、うちの神社を信仰する人がさらに増えるかもしれないし」
神奈子の発言に、こんな山の上まで普通の人間が上ってこれるのだろうかと、一抹の疑問が芽生えたがそれはさておき。
ご機嫌そうな神奈子に対して、早苗はほっと胸を撫で下ろしているようだった。神奈子には反対されると思っていたのだろうか。例え信仰云々の話が無くても、神奈子が反対するとは私には思えないが。
「早苗は布教活動に行くんじゃなくて遊びに行くんだよ。遊びに行くときくらいそういうことを忘れさせてやろうって気持ちがないの? デリカシーが無いなぁ神奈子は」
敢えて言うことでもなかったが、早苗のきまり悪そうな態度を神奈子に気付かせないためにも、少しきつい言葉をぶつけてみた。
「何言ってるの。信仰は私達にとって大事でしょう」
「早苗だってお年頃なんだし、日常を忘れて遊んだっていいじゃない」
すると、案の定早苗は二人の喧嘩ムードを宥めようと仲裁に入ってきた。
「まあまあお二人とも落ち着いて。せっかくのカレーが冷めちゃいますよ」
早苗の言葉で私と神奈子はお互い手を引き、食事を再開した。
その後は他愛も無い話をしながら食事を終え、私と神奈子は居間のこたつへと移動した。
お泊まりの承諾を得に来た時から、どうも早苗の態度が引っかかっている。しかも夕食時の態度を見るに、神奈子に対して何か後ろめたい気持ちを持っているようにも感じる。
何故神奈子では都合が悪いのか。それともこれはただの深読みで、早苗の私達に対する信頼度が、神奈子よりも私のほうが上だということなのか。
私の正面で寒そうにこたつに入る神奈子はどう思っているのだろう。特に気にしているような様子は見えないが。
「ねえ諏訪子」
「なあに神奈子」
「……後でお酒飲もうか。今夜は寒いし」
「言いたいことがあるならはっきりいいなよ」
「ぶっ」
神奈子は驚いてこたつの中で足をぶつけた。それからこちらを見て「何で分かったのさ」と聞いてくる。
「女の勘よ」
神奈子は台所のほうを一瞥し、早苗が来ていないことを確認して話し始めた。
「早苗のお泊まりの話なんだけどさ」
「うん。人里のお友達家に泊まりに行くって言ってたよ」
「個人の名前は言ってないのか」
「逆に言えば、言っても分からないような子なのかもしれないよ。つまり、本当に人里に住んでるごく普通の人間ってことだよ」
「そんな子と早苗が友達になるきっかけなんてあると思うか?」
「そんなの分からないよ。買い物をしていて偶然出会って、話しているうちに意気投合したのかもしれないじゃん」
「ふむ……。いや、まあ相手が普通の人間かどうかは置いてだ。他に重要なことがあるじゃないか」
お友達が妖怪ならそれはそれで少し困るけどね。
「まさか殿方の屋敷に行くなんてことはないわよね?」
「何その古臭い言い方。というか、十中八九そうでしょ」
「なっ、ちょっと待て。そこまで言い切れる根拠はないでしょ」
神奈子は慌てて顔を近づけてくる。そっちの方には縁がないやつめ。
「女の勘よ」
「あんたの女の勘ってほんとに当たるの?」
神奈子は見下したような目でこちらを見てくる。私は負けじと誇らしげに言った。
「当たるわよ。何年神様と女やってると思ってるのよ。それに、初めにお泊まりの話を持ちかけてきた時も挙動が不自然だったのよ。女の子の家に泊まりに行くのに、顔を赤らめるわけないでしょ。あれは絶対男の家に行くのよ」
すると神奈子が頬に両手を当てながら言った。
「じゃ、じゃあ早苗は明日の夜に……」
「初めての夜を迎えるのね」
「そ、そんな。あんな純粋で天然で、天真爛漫な早苗が……」
「早苗ももうお年頃じゃない」
私は落ち着いてそう言った。そうだ。早苗もいつかは通る道なのだ。それを遅くも早くもないちょうどいい時期に迎えられたのだ。めでたいことじゃないか。
「待て。焦って早とちりするのは大人気ないぞ諏訪子。まだ決まったわけじゃない」
「焦ってるのは神奈子のほうでしょ」
表情こそ保っているものの、神奈子は落ち着かない様子でこたつの中の足をもぞもぞと動かしている。隠しているつもりだろうが、私もこたつに入っている以上ばればれなのだ。
それに、早苗が神奈子に直接言わない理由が何となく分かった。もし深く追求されてお泊まり先が男の家だと発覚すれば、やれ赤飯だの挨拶がどうだのと騒ぎ出しそうだからだ。
「早苗は私達に黙って殿方の家に泊まるような女の子じゃない思うんだけどなあ」
「そこまで言うなら賭ける? 私は初めての夜を迎えるに賭けるけど」
「じゃあ私は普通に女の子の家に泊まりに行くに賭ける」
神奈子はすぐに賭けに乗ってきた。
「でもそれってどうやって確認するんだ?」
「尾行でも何でもすればいいじゃない」
「おい。放任主義はどこに行ったんだ」
「直接干渉するわけじゃないからいいの」
私が勝った暁には、一週間こたつ禁止令を神奈子に出してやろう。ふふふ。この寒い部屋の隅っこで丸まって震えるがいいわ。
「お茶が入りましたよー」
ちょうど話がついたところで早苗が三人分のお茶を運んできてくれた。こたつの天板にお盆を置くと、神奈子の向かいからこたつに足を滑り込ませた。
「ふあぁ、やっぱりこたつはいいですねぇ」
早苗が天板に頭を置いてだらしない声を出す。私と神奈子は互いに目配せして、先ほどの会話の内容は早苗に秘密にしておこうと二人で頷いた。
翌朝。朝食を終えた早苗は、自室で荷物をまとめていた。着替え以外にもいろいろ詰まっていそうな鞄を持ち上げると、真っ直ぐ玄関へ向かった。
「それじゃあ、行って参ります」
「うん。行ってらっしゃい」
ふわりと浮き上がった早苗は麓の人里目指して飛んでいった。私が振り返ると神奈子が廊下の奥からその様子を見守っていた。
「それじゃあ尾行しようか」
神奈子は小さく頷いた。社務所に『本日休業』という貼り紙をして、二人して神社を飛び出した。
私と神奈子は人里の上空から早苗の動向を観察した。人里の外れに降り立った早苗は、里に入り大通りを歩いていく。途中何度か立ち止まり、行き交う人々と話している。なるほど、早苗は人里には顔が知られているのかもしれない。
早苗は通りから和菓子屋に入店した。そのお店は人里の中でも繁盛しているようで、そこそこの大きさの屋敷だった。
「神奈子、和菓子屋の人間分かる?」
「分かるわけないでしょ」
「だよねー」
これは人里に下りて聞き込みをしなければいけないかもしれない。しかし、あまり派手に動くと早苗に気付かれてしまう。尾行していたなんて早苗にばれてしまったら、私への信頼が揺らいでしまう。
「紅白の巫女か、白黒の魔法使いにでも聞きに行く?」
「和菓子屋には若い娘か若い男のどっちがいるんだって聞くの? 両方いるって言われたらどうすんのさ」
そんなことを話していると、なんと早苗が和菓子屋から出てきたのだ。どうやら手土産として和菓子を買っていただけのようである。
次に早苗は八百屋に立ち寄った。店先で若い青年と立ち話を始めた。
「早苗と同じくらいの男ね。もしかして、あいつが早苗の……」
「なに拳に力入れてんのよ。やめてよみっともない」
「だって、純粋な早苗がたぶらかされてるかもしれないんだぞ」
「親馬鹿だなあ……」
楽しそうに会話する早苗を見ていると、大きくなったなあなんて思う。
早苗が結婚するとしたら、お婿さんを取らなければならない。お嫁に行かれては困るからね。
立ち話を済ませた早苗は普通に買い物をし、野菜や果物を買って店を後にした。
次に魚屋に立ち寄り、早苗より少し年上の男性と談笑を始めた。
「あいつじゃないみたいね」と神奈子は安心したように息を吐く。
「どうして?」
「だってほら、あそこに妻らしき女性がいるじゃないか」
確かに店にはもう一人の女性がいた。お客ではなくちゃんと店員の格好をしている。
「今夜奥さんが出かけるのかもしれないよ」
「なっ、そ、それって、不倫じゃない!」
神奈子の慌てっぷりに私は思わず噴き出した。
「あはははは、冗談に決まってるじゃん。神奈子って恋愛方面疎すぎ」
「うるさい!」
お腹を抱えていると、早苗が魚を二匹買って店から出てきた。
魚屋でもない。というか、早苗は普通に買い物をしているだけじゃないか。
きっとお泊り先で彼に作ってあげるのだろう。
和菓子と野菜と魚を買った早苗は、ようやくその友達の家と思しき家に着いた。今度はただの民家だから買い物じゃない。
しかし、驚いたことに早苗はその民家の玄関に普通に入っていった。まるで自分の家に入るかのように。
なるほど。今日は泊りに行くわけだけど、それまでに何度も通っているんだ。早苗ったらやるじゃない。
「どうやらあの民家らしいね」
「うん。結構大きな一軒家だから、ある程度地位のある人なのかもね」
「しかし、肝心の相手がどんな奴か分からないな」
「下に降りてみよう」
勿論、姿は隠した。正面玄関からではなく、裏庭からその家の中の様子を窺った。
すると、早苗は買った品を居間のちゃぶ台に並べていた。そして居間にもう一人、白く長い髪を生やした女性がいた。
早苗とその女性は食材を整理しながら楽しそうに話をしている。
それを見た途端、神奈子が勝ち誇ったかのような顔をこちらに見せてきた。
「ほら見なさい。やっぱり女じゃない。これで賭けは私の勝ちね」
「まだよ。あれはお相手のお母さんかもしれないわ」
「見苦しいぞ諏訪子。お母さんにしては幼すぎる。早苗の少し上くらいの年齢に見えるぞ」
「でも人間で髪が白いのはおかしいわ。きっと半妖のお母さんで成長が遅いのよ」
見苦しいのは分かっているが、ここで引き下がるわけにはいかない。何としてもこの賭けで神奈子を負かしてやる。
神奈子は諦めろと言ってくるが、私はその言葉を無視して監視を続けることにした。
私たちは姿を隠しているが、それは信仰の篤い早苗には通用しない。彼女には私たちが見えてしまう。早苗の視界に入らないように努めなければ。
食材の整理を終えた二人は、どこかへ出かけて行った。二人とも小さな荷物を持っている。
二人が向かった先は寺子屋だった。教室には早苗より小さな子どもたちが机の前に座っていた。
早苗の友達は寺子屋の教師をやっているらしい。黒板の前に立って話をしているが、子供たちは退屈そうに聞いている。
子供たちから少し離れたところに立っている早苗は、その話を聞いてはメモを取っているらしかった。
「諏訪子、もう帰ろう。寒くて凍えそうだ」
「駄目よ。帰ったら賭けは無効だから」
寺子屋の授業が終わり、ぞろぞろと子供たちは帰って行った。早苗とその友達も教室を後にする。
早苗の友達は真面目そうな顔立ちで、知的な印象を受けた。
友達の家に帰ってきた二人は居間に荷物を置き、裏庭からは見えない奥のほうへ引っ込んでしまった。
「どうしよう神奈子。これじゃ早苗が何してるか分からないよ」
「もういいだろ。相手は女の子なんだから」
「今から男が登場するんだって!」
「あんた……早苗が可愛くないの?」
「神奈子こそ現実を直視したほうがいいね」
神奈子との間に険悪の空気が流れる。早苗がいないといつもこうなってしまうのだ。
「家の中まで入るのはまずいよねえ」
「過干渉にも程がある。それに早苗に見つかったら言い訳ができない」
「ぐぬー」
私は何とか家の中の状況を探ろうと、外壁に耳を当ててみた。
すると、中から早苗とその友達の声らしきものが聞こえてきた。
「え? 今からですか?」
「うむ。時間をかけるほうがいいからな」
「分かりました。すぐに準備しますね」
やはり、相手は女だ。男とイチャイチャしているわけではない。
しかし、それならば何故私に相談してきたときに顔を赤らめたのだろう。
まさか……。
いや、早苗に限ってそんなことは……。
「ねえ神奈子、早苗が女の子好きだったらどうする?」
「いやいや、そんなわけないだろ」
「例え話だよ。それだったら賭けは私の勝ちになるわよね?」
「いいや、私は『女の子の家に泊まりに行く』に賭けたから私の勝ちだ」
「違うよ。神奈子は『普通に女の子の家に泊まりに行く』に賭けたんだよ。だから普通じゃなかったら駄目ね」
「諏訪子は何だっけ? 『初めての夜を迎える』に賭けたのか。女の子が相手だからあり得ないじゃん」
「だーかーら、さっきの例え話が本当ならあり得るじゃん」
「ないない」
神奈子は手を振って首も振って否定する。
確かに常識的に考えればないが、ここは幻想郷。外の常識は通用しない。
そして私の女としての勘の的中率、早苗の態度も考慮すれば、その確率は上がるはずだ。
もう少しだけ聞き耳を立ててみよう。
先ほどは準備がどうとか言っていたけど、今から何をするのだろう。
「準備はできたか?」
「はい。できました」
「じゃあまず……」
「ねえ、早苗たち、何かするみたい」
「聞こえるのか?」
「ちょっとだけね。神奈子も来なよ」
神奈子と並んで家の外壁に耳を当てる。もし早苗に見つかったら幻滅されること間違いなしな構図だ。
「わあ、すごく大きい……こんな大きいのは初めて見ました」
「これはかなり大きいほうだね」
何が大きいのか、そこら辺を詳しく言ってほしい。
「これ、すごく固い……」
「ゆっくり、慎重にやろう」
「んっ、……はあ、これ……きつい……」
「早苗さん、力を入れすぎては駄目だ。一度肩の力を抜こう」
早苗は一体何をしているのだろう。何だかいかがわしい会話に聞こえるのだけれど。
いやいや、だってまだ夕方だし。夜じゃないし、ってか、あれ? これ、まさか……。
神奈子をちらと見ると、困惑した表情で頬を少し赤くしている。
いやいやいや、違う違う。だって相手は女の子だし……。
「まず先だけ入れるんだ……」
「んっ、はぁ……こう、ですか?」
「そう、それで徐々に深く……」
私は騙されないぞ。これはきっと別の何かなんだ。うん。決してえっちぃことしてるわけじゃない。そうよね、神奈子?
小声で神奈子に聞くと、真っ赤な顔でぎこちなく頷いた。
駄目だ。完全にあっちの妄想をしている。神奈子は知識はあるくせに免疫がないらしい。
先ほどから早苗は何か力むような、喘ぎ声に聞こえなくもない声を出している。対してお友達のほうは淡々とした口調だ。
これは相当やり慣れている?
いやいやいやいや、だって女の子だし。生えてないし。
「だいぶ入ったね」
「はい……えと、次は……?」
「とりあえず半分いこう。半分いけば、あとは楽だから」
「はいっ、んっ……」
「気を付けて、力入れすぎないようにね」
二人の言葉を聞いて私はおおよその見当を付けた。
つまり、早苗は女の子が好きで、あのお友達も女の子が好きなんだろう。そしてお友達には何かしらの棒的なものが……。
何てことだ……。私は絶句した。
もはや神奈子との賭けはどうでもよくなってしまった。
神奈子はというと、耳まで赤く染めながら耳だけは澄ましている。このむっつりめ。
早苗、頑張りなさい。痛いのは最初だけだから。
「ん……ひゃあっ!」
「早苗さん、大丈夫か!?」
「いたっ、あ、やだ、血が……」
さらば、早苗の純潔よ。
私が心の中で呟いていると、隣にいた神奈子がいつの間にかいなくなっていることに気付いた。
キョロキョロと辺りを見渡していると、突然空から大粒の雨が降ってきた。退避しようとすると今度が強い風が吹き、家の雨戸を強く揺らした。
神奈子の仕業だ。早苗とお友達の行為を邪魔する気なのだ。
しまいには雷まで鳴らして頭上の黒い雲を光らせている。
雨風を避けるために仕方なく私は勝手に居間に上がらせてもらった。早苗たちは奥の部屋にいるはずだから、ちょっとくらいなら大丈夫だろう。
「ん? あなたは確か早苗さんのところの」
「へ?」
帽子についた水滴を落としていると、奥から早苗のお友達が出てきて鉢合わせになった。
「あ、あれれー。一応早苗からしか見えないはずなんだけどなあ」
雨に打たれて術が解けたのかもしれない。
私が首を傾げて笑いを引きつらせていると、お友達は何でもないように言った。
「そうか。急に雨が降ってきたから雨宿りをされていたのだな。早苗さんの身内の神様とあれば拒む理由はない。どうぞ上がって身体をお拭きください」
お友達は勝手に納得して私を中へ引き入れようとする。なかなか親切な人間のようだ。
それよりも、このお友達と早苗は一体中で何をしていたのかということが気になって仕方がない。
どんな行為をすればあんな卑猥な会話ができるというのか。
私が奥へ入るのを躊躇っていると、今度は早苗がやってきた。早苗は私の姿を見ると慌てて近寄ってくる。
「諏訪子さま、びしょ濡れじゃないですか! 慧音さん、タオル貸してもらえますか?」
「うむ。今持ってくる」
私がここにいる理由よりも私のことを気遣ってくれるなんて、早苗はいい子に育ったものだ。
ついでに同性愛に目覚めることなく健全に育ったという証明もしてほしい。
「諏訪子さま、どうしてここに?」
「あーうー……。た、たまたま通りかかっただけだよー」
私の棒読みに早苗は首を傾げたが、それ以上追及することはなかった。
慧音と呼ばれたお友達はタオルと一緒に救急箱を持ってきた。そして私にタオルを渡し、丁寧に挨拶をした。
「私は人里で寺子屋の教師をやっております、上白沢慧音です」
「洩矢諏訪子だよ」
それ以降、会話が続かない。早苗とどういう関係なのか、何をしていたのか、なんて早苗の前で聞くわけにもいかない。
「早苗さん、とりあえず傷口を消毒しよう」
「え、早苗、怪我したの?」
「はい。大した怪我じゃないですよ。ちょっと指を切っただけで」
指を切るような作業を二人でしていたのか。
「早苗さんが料理を教わりたいと言うから、今日は来てもらったんだ」
「あー! 慧音さん、言っちゃだめですよー!」
「あ、すまない。秘密だったのか」
「へ? 料理?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。料理だって? じゃあさっきのいかがわいい声は何だったのだ。
「こんな大きなカボチャを切ってたんですけど、これがなかなか固くて……力入れるのに夢中になって指を切っちゃったんです」
「そ、そうだったの……。へえー。カボチャ切ってたんだあ……」
自分でも驚くほど棒読みになってしまった。そしてカボチャを切る作業をエッチな行為として妄想していた自分がバカに思えてきた。
大きいとか固いとか深いとか血とか言っていたセリフを、脳内でカボチャの解体シーンに合わせてみた。
確かに早苗カボチャを切っているだけだ。健全だ。いやらしくもなんともない。
壁一枚隔てただけなのに内と外でこれほどの食い違いが起きていたとは、いやはやお手上げだ。
「諏訪子さま、神奈子さまには言わないでくださいね。本当はこっそり練習して料理の腕を上げるつもりだったのですが」
「ああ、うん。言わないでおくよ」
神奈子には妄想させたままのほうが都合がいい。何せ賭けは私の勝ちになるのだから。嘘をつかない範囲で適当にごまかしておこう。
「でも料理を教わるだけなのにわざわざ家に泊まるの?」
「いえ、夜は慧音さんに勉強を教わるんですよ」
「何の勉強?」
夜の勉強じゃないよね?
「幻想郷の歴史の勉強です。慧音さんは歴史の教師ですから」
「うむ。私は幻想郷の歴史を編纂しているのです」
「なるほどねー」
料理を教わって歴史を教わって、実に健全に充実したお泊まりじゃないか。
「それじゃ、私は邪魔者みたいだからおいとまするよ」
年頃の女の子同士仲良く健全な友達関係を築くことを信じて私はその家を後にした。
神奈子が降らせたと思われる雨はもう止んでいた。山の上の神社に戻っても、神奈子はまだ帰っていなかった。
私はこたつの天板に、『神奈子は一週間使用禁止』と書いた貼り紙を貼っておいた。
こたつに足を潜らせ、だらりと肩を落とす。無駄なことに体力を使ったような気がして疲労感に襲われた。
「なんていうか、子どもは大きくなっても子どもなんだよねえ……」
早苗がどれだけ大きくなっても、私にとって早苗は大事な子孫であり、子どもなのだ。
必要ないと分かっていてもつい世話を焼いてしまう。
でもそれが親というものなのかもしれない。
しっかしカボチャねえ……。
わざわざ習いに行かなくても私が教えてあげるのに。
密かに練習して親孝行しようとは、早苗も粋なことをするようになったものだ。
台所の鍋の蓋を取ると、まだカレーが半分ほど残っていた。
今夜はカレーうどんでも作ろうか。
そんなことを考えていると神奈子が複雑そうな面持ちで帰ってきた。
「おかえり」
「ああ……」
「今日の晩御飯、カレーうどんでいい?」
「なんでもいいよ」
ふふふ。神奈子は相当落ち込んでいるようだ。
明日から神奈子の早苗に対する視線が変わるかもしれない。
早苗が困惑したら、ちゃんとフォローしておいてあげよう。
「まさかあんなことになるなんてね」
「ああ……。あの早苗が……」
「とりあえず、賭けは私の勝ちだから」
誇らしげに胸を張る。どんなことにせよ神奈子に勝つのは気持ちがいい。
「そんなことより、明日から早苗にどう接していいか分からない」
「普通にしなよ」
「むしろどうしてお前はそんな平気なんだ?」
「だって、あれくらい大したことないし」
料理を教わっていただけだもん。
「はあ……。しばらく出かけようかな」
「神様が神社を留守にしちゃまずいでしょ」
「そうだなあ……」
結局神奈子も私と同じ親馬鹿なのだ。
この落ち込んだ顔をしばらく拝んでから、真実を話して反応を見るのも悪くないかもしれない。
でもそれは、早苗が帰ってきてから三人で集まったときのお楽しみにしておこう。
一個鍵括弧が抜けてました。
存分にニヤニヤさせていただきました。
神奈子様も同じくなんですけど…暗に貴女は「女」じゃないと言ってるのか…
流石ケロちゃん、disり方もいやらしい!
まあシメの台詞で触れてたので親バカ云々のツッコミはしないでおこう…
>「そんなことより、明日から早苗にどう接していいか分からない」
>「普通にしなよ」
あとこの会話でなんか笑った
諏訪子の世慣れぶりがなんとも。
男の家に泊まるなら、もっと手の込んだカモフラージュをしていたことでしょう。色々と気を回す諏訪子の世慣れぶりが良い感じです。
早苗さんがお泊まりなんていったら気になって読むしかないじゃないか