世界の果てなんて、きっと独りで行くもんだと思ってた。
そう、独りだ。どこまでも孤独に生きて、きっと孤独に死ぬもんだと思ってた。
ま、死にゃしないんだけどさ。
そんな考えだったって、やっぱりそれは辛い。
だけど、選んだのはそんな道だから、まぁ、自業自得と言えるのかな。
仇の姿なんてどこ行ったって見えないし、歩くしかなかったじゃない。
「で、何か用なの? それともやっとお迎え?」
「いえ――単なる休暇ですが」
「そりゃ酔狂な。他に行くとこあるんじゃないの?」
「どこに行こうと私の勝手ですよ」
「違いない」
笑みを零して――いるのだろう、私は――目を伏せると、何時の間にか閻魔様が座っている。
音もなく、気配もなく、そこにあるのが当然とでも言いたげに、夕映えの中、彼女は現れた。
褪せた畳にちょこんと座するその姿。
しかし普段手に持つ悔悟の棒はなく、代わりに小さな包みを一つ持っていた。
服も、町娘が身に付けるような、しかし上質であると一目でわかる桃色の着物のみだった。
特徴的な緑色の髪とそれは不思議とよく似合っているように見えた。
何時か何処かで。
同じような。
「まあ、気を悪くせずに。どうせ暇なのですから」
「暇て……」
「おや、何か御用が?」
「いや、暇だけどさ」
「でしょう。ちょっと美味しいお茶が手に入ったので。それと、お菓子でも」
ずい、と閻魔様は傍らに置いた包みを開く。
もう一つ、小さな紙包みと茶缶が現れる。紙包みを取り払うと、幾つかお団子が姿を見せる。
「ほーん。ま、閻魔様が選んだんだ。美味しいんだろうね」
「ええ、多分。私、部下の意見も取り入れるのですよ」
「つまり不味かったらそいつの責任、と」
「それはそれで笑い話かと」
くすりと小さく笑むと、閻魔様は立ち上がって、茶缶片手にとことこと台所に向かう。
小さな背中。
見慣れた背中。
見詰めながら、ふと懐かしいと感じてしまう。
それは当然のことで。
だって私は、そのお陰で孤独でなかったのだから。
■
ああと、何時だったか。
過去だったっけ、それとも遥か遠い未来だったっけ。
そんな訳ないよね。
過去だ。
夕暮。
私は曲がりくねった小道を歩いている。
先がどこに繋がっているのかもわからない、山道だ。
周囲は木々ばかりが続いていて、自分が今、ここにいると正しく認識出来なくなってくる。
不安ばかりが首を擡げて、脆い人間の精神の私を掻っ切ろうと不敵に笑ってる気がした。
怖かったのだ、恥ずかしいことに。
死なぬとわかっていても、やはり山は怖い。時折聞こえてくる動物の鳴き声も、その不安を煽る。死なぬとわかっていても、死にたくはないのだ。
でも、もう死んでもいいかと思ってた。
腹が減って、ふらふらだった。
これは餓死して生き返った方が良いのかと思い始めてきた頃だ。
「やだなぁ……餓死」
呟いた言葉に、誰も言葉を返してはくれない。言葉を解すものもいない。
たった一人、山の中。がさがさ、と薮を揺らす音にもびくびくとしてしまう。
餓死するのと、食われるの、どっちが嫌なんだろう。
どっちも嫌だ。
うんと気合を入れて、私は歩を進める。
が、しかし、だ。私も人間である。死が軽いだけの、単なる人間。
凸凹した山道も、先の見えない道も、どちらも私の中の色んなものをがりがりと削ってく。
自身だけでは支えられず、拾った木の棒を支柱にやっとこさといった有様なのだ。
だからもう耐え切れない。
「――っ!?」
小さな凹に足先を引っ掛け、それに抵抗することさえ出来ない。
私は、握った棒に全霊を込めて倒れないようにふんばるけど、やっぱむりー。
哀れにも、私の身体は地面に倒れ込んでしまう。
人間、不思議なもので、一度倒れるともう起き上がれない。
全身の気力が地面に吸い込まれてくみたいでびくともしない。
口の中に土の味が広がって、それを吐き出す力さえない。
――やだなぁ……餓死、苦しいもんお腹減ったなぁ。
もうくぅとも言わないお腹を抱えて、渇いた舌に触れるのは土と砂利。
一回死のうって思った。
……妖怪野犬に食われないだけましなんだろうか。
いやいや、生きたまま食われるのも痛いしなぁ。
「……あの」
小さな声だった。
小さな声が聞こえた。
幻聴だと思った。
そして、目の前に差し出されたものを見て、目を瞠った。
真っ白で小さな掌に乗っけられたのは、これまた真っ白なお饅頭。
人間、不思議なもので、目の前に食糧があれば気力も湧き出るのだ。
がばっと思わず手を突いて身体を起こした。
がばっと考える間もなく、私はその手からお饅頭を奪い取っていたのだ。
口の中に詰め込むようにして、お饅頭を噛み締めた。じゃりじゃりしてた。土の味も混ざってる。
だけど、それでも、何日か振りの甘味は私の頭に強烈な刺激を送り込み覚醒を促す。
「――むぐッ!?」
咽喉に詰まった。
やばい。これ、窒息する。
餓死、窒息死、そんな何度もやりたくなるような死に方じゃあ、断じてない。
って言うか死に方を楽しむなんて出来るか。痛いし苦しいし。
ともかくやばいのだ。ぱないのだ。咽喉に詰まった塊をどうにかしなければ死んでしまうのだ。
顔を上げると、そこには目を白黒させている女の子がいた。
――これは、やばい。
今ここで死ねば、私は目の前の少女に殺されたと言うことになる。
つまり、目の前の、年端もいかない少女に責任を負わせることになるのだ。
それはいけない。
死ねない理由が出来た。
でもやばい、これ死ねる。
「え、ええと、だ、大丈夫ですか……?」
「っか……ぐ、むむ……」
「だ、大丈夫なんですか?」
「む、ぐぐぐ……ぅぐゅ!?」
「大丈夫じゃないんですね!? わかりました!」
死ぬ寸前って辺りで、女の子は私の背中の辺りを強打した。
石のように硬い一撃であった。
「かひゅっ……!」
あ、とれた。
■
近くに川を見付け、たらふく水を飲んで顔を拭えば目も覚める。気力も湧く。
そんなことをしていたら、辺りはすっかり暗闇に包まれている。
ぱちり、と焚き火から火花が散る。
星は遠く、月は見えない。あいつは見えない。
地べたに座ることは慣れてるけど、目の前の女の子はそうでないだろうなぁ、と思う。
自分のことは棚に上げて、見た目同年代か少し下くらいであろう女の子だ。真っ黒なおかっぱと襤褸切れみたいな桃色の着物。可愛らしい顔立ちの少女。
私を助けた、女の子だ。
火の向こう側。ぺたんと地べたに座って、齧っているのは木の根っこだ。
「や、ありがと。助かったよ」
とりあえず礼を。
頭を下げると、その女の子もぺこんと頭を下げた。
口の端から木の根が覗いているのはご愛嬌と言ったところ。
がじがじと噛み締めるたびに、その先っぽがぴょこぴょこ動く。
「いえ……そんな、死に掛けてたら助けるでしょう?」
「うん、そっか。そうだね」
おそらく、空腹を紛らわせる為の木の根なのだろう。
そんなものに頼るくらい空腹だと言うのに、彼女は私に饅頭をくれたのだ。
なんてことだろうか。
私は、そんな少女から食べ物を奪ったのだ。故意ではないとは言え、奪ってしまったのだ。
「なぁ、お前さん。いったいどうしてこんな所にいるんだい?」
そう疑問が出たのは自然なことだったと思う。
自分のことはさて置いて、その少女の奇妙なこと。
深い山に、たった一人でいたのだ。
「……それはこっちの台詞ですが……」
おずおずと顔を見上げるようにして、少しだけ頬を膨らませて、そう返した。
やっぱり返された、と思った。
「ふぅむ」
私は唸るように顎に手を添えた。
自分のことを言うのは簡単だ。何よりも簡単だ。何故なら目的なぞ、とうになくなってしまった。
置いてきてしまった。
自分はきっと、あの女を殺せない。
だってもう、きっとあいつは死んでるし。
だから何もない。歩くしかないのだ。どこまで行っても、景色は同じだけど。
「ま、お互い言いたくないこたぁ、あるよね」
言葉にして、その通りだと思った。
私は死なないだけの仰天人間だし。
■
「付いて、来るんだ」
「ええ。だって、ほっといたら死んでしまいそうですし」
◆
「なぁ閻魔様や」
「何でしょうか?」
「……このお茶、美味しいね」
「そうでしょうそうでしょうとも! 私の部下もたまには良い仕事をします」
「たまにはって」
思わず苦笑する。
「もう少し褒めたげなよ」
「あんまり優しくすると、付け上がりますよ? サボります。それはいけません」
「今はどうなのよ?」
「私はサボってませんし。休暇ですし」
ずず、と両手で持った茶を啜る。
ゆったりとした時間だと思った。緩やかで静かな時間だ。誰にも邪魔されない。
私たちの前に置かれた皿には、お団子がごろりと乗っている。
はも、と口に含めば、ほんのりと甘味が口の中に広がっていく。じんわりと脳髄に染み渡っていく味に、少しだけ頬が上がるのがわかった。
そんでもって、その口の中をお茶で流す。
はふぅ……。
「まったく、木の根っことは段違いだ」
「……比較対象が酷過ぎません?」
「まったくだ」
自分でも、そう思う。
■
何とか魚を捕って、腹を満たした。
それから野宿をしつつ転々と歩いた。
町を歩いて。
人ごみを懐かしんで。
特に何もせず歩いた。
「まだ付いて来るんだ」
「ええ、行く当てなど、最初っから持ち合わせてはいませんもの」
桃色の着物の少女は笑って言った。
よくわからない奴だ、と思った。
二つ三つと町を見付け、降りてみても、まだ少女は自分に付いてきていた。
すぐに諦めるだろう、子供の遊びと思っていた。
すぐに飽きて、自分の道を歩くだろうと思っていた。
なのに、どうして少女は自分のすぐ隣にいるのか、甚だ疑問だった。
私が一歩歩けば、少女もその一歩に合わせるようにして付いて来る。
どうして付いて来るのかわからなくて、聞いてみたこともある。
そしたら、
「だってあなた、目を離したら死んでしまいそうなんですもの」
とか言うもんだから、私はおかしくなって思わず笑ってしまった。
そしたらこの子、頬を膨らませてこっちを睨むのさ。
ちょっと、おかしいかね、やっぱ。
私はそんな世捨て人のつもりはない。
けどそれは、私自身の認識でやっぱり他の人から見たら違うのかもしれない。
「お、茶屋がある」
行き交う人ごみを掻き分けつつ進むと、その向こうにこじんまりとした建物を発見した。
暖簾と外に置かれた小さな長椅子が、遠くからでもよく見える。
だけど私は、極力目に入れないようにする。
「寄って行かないんですか?」
「寄ってかない」
元々お金もないのだ。
無駄遣いなど出来る訳がないのだ。
さらに言えば稼ぐなど以っての外。
だって荒事だし。
そも、こんな女……しかも少女と言っていい程の幼い二人。ここまで無事だったのが奇跡なのだろう。
しかも、この少女、私が言うのもなんだが随分と可愛らしいと思う。
……私と出会う前はどうやって生きてたんだろ?
不思議なんだけど、きっと、やっぱりそれは聞いちゃいけないことだと思うのだ。
「お金がないんだ」
「お金ならありますよ? 多少ですけど」
「……え、あるの?」
「ええ、あるのですよ。ほら」
ごそ、と袂の中身を探れば、どうしたことか、その手に褪せた橙色をした、小さな巾着袋が握られている。
「……お金、持ってたんだ」
「実は」
にこりと笑って少女は答える。
そんな様子一回も見たことなかったってのに。
しかも、掌に乗せてちゃりちゃりと鳴る音を聞けば、中々の量が入っているのだと推察出来る。
「寄ってきましょう」
あどけなく笑った姿を見て、ああ、年相応なのだ、と思う。
けれど同時に、どうしてこの子はあんなところにいたのだろう? とやはり疑問に思うのだ。
私のように酔狂な人間でもなければ、あんな場所になど行くことないだろう。
と、すれば、世捨て人か、もしくは孤児か、色々あるけど。
どれだろう。
かと言って、そんな風な悲壮感が彼女にあるかと問われれば否と私は答えるだろう。
「行きましょう!」
もう一度、彼女は口に出した。
今度は私の手を、小さな身体で精一杯引っ張りながら。
だから私は、引きずられるようにして、その茶屋へと一歩を進めたのだった。
……まぁ、どうでもいいか。
「四本ほどお願いしますね」
何時の間にか長椅子の端に座らされ、少女がそのうちにさっと注文を終えてしまう。
老婆の了承する声が耳朶を打つ。
久し振りに座った椅子は、足腰の疲れを癒すのに最適だった。まるで強張っていたものが抜けていくような感じ。
何時振りだっけ、椅子なんて座ったの。
思えば長い間、土の上か。
先に出されたお茶を飲みながら、ほっと一息。
隣で少女があちちと呟きながら、お茶にふぅふぅと息を吹き込む。
「なぁ……なんで私なんかに付いて来るんだ?」
それは正直な疑問だった。
「私に付いて来たって面白くもなんともないぞ。退屈だろうし、暇だろう。どこまでも私は歩き続けるのに、お前はどうして付いて来るんだ。こんな見た目だぞ、私は」
と、白い髪の毛を見せ付けるように撫でた。
じーっと、少女はこちらを見る。それはもう穴が空くほど。
流石にこちらが気恥ずかしくなってきた頃、少女は小さく呟いた。
おそらく、同情したような視線。
「――若白髪……ですか?」
「…………」
その瞬間の私は、いったいどんな顔をしていたんだろうか。
私には見えないけれど、彼女には見えているらしい。
額にでっかい汗を浮かべて、慌てたように左右をきょろきょろ見回して、しかし助けなどないことを知るや否や、私に謝罪を食らわせる。
「ええと……気にしてたんですね……?」
「……」
「や、ほら、洒落た格好だなぁ、とは思ってましたけど……そうだったんですか……」
「……」
「で、でもほら、女の人だって髪がなくたって生きてけますよ! ほら尼さんとか!」
「…………」
……これ、放ってたらどこまで勘違いしてくれるんだろう?
少しだけ期待する。
って言うか、尼さんは別に禿げたからなる訳じゃないし。
でも、こんだけ色々言われてて、腹も立たないとは私も随分婆さんになってしまったものだと自己分析。
「だ、大丈夫です。若禿だって需要ありますから!」
「誰が禿げるって?」
「ぅひぃっ!?」
だん、と湯呑を長椅子に叩きつけるようにして、少女を睨む。
少女は涙目に引き攣った顔で、後ずさる。それはどう言う意味だ。私が怖いってのか?
しかしその時、老婆が団子の皿を持って登場。
一転して、少女は目を輝かせて、先程までの怯えた表情はどこへ行ったのやら。
「わっ! 美味しそうですね!」
「……んだな」
艶々した朱色のお皿に可愛らしくちょこん四つの串団子が並んでいる。
綺麗な石みたいな、まるで宝物のように見える。
一つ手にとって、ほむ、と食むと、じんわりと甘味が広がる。
饅頭ほど強烈ではないが、心落ち着く感じだとは思う。
仄かな甘さが、疲れた身体に心地良い。死ななくても疲労は溜まるのだ。
和むのは、何時以来だろう、と思い返す。お金はないし、死にもしない。山の中で、仙人のように暮らしたって良かったのだ。
けど、駄目だ。
また降りてきてしまった。
また人の中に入ってしまった。
知ってしまった。
思い出してしまった。
今、自分は一人ではないのだ。
そのことを想うと胸が苦しい。せっかく忘れかけていたのに、思い出してしまった。想ってしまった。
最早独りではいられない。
孤独に耐えたくない。そう思ってしまう。
今まで少女の名を聞かなかったのは、きっとその所為。
別れたってしょうがないとわかってるから。だから、聞かない。
思い出を作らない。
だってのに、こいつはくっ付いてくる。
私の容姿をなんとも思わない。
見ろ、あの老婆を。茶屋の暖簾の影で、私の髪の毛を指差している。そんなことにはもう慣れた。
どうなのだろう。
話して良いのか。
いいや……よくないだろう。
かと言って、どこまでくっ付いてくるのか検討もつかない。明日にでもいなくなってしまうのではないか、と不安と期待が入り混じる。
「うん。あまぁい……」
にへら、と零す笑顔が、私には綺麗だと思えた。
だからこそ、どうしてこんな私に付いてくるのか、よくわからなかった。
◆
「そう言えば」
と、彼女は顔を上げる。
日は沈みかけ、あともう少しで夜といったところ。
灯した行燈の灯りは頼りなく。
ぼうと映し出された姿は、まるでこの世のものではないようだ。
そりゃそうだ、だって地獄の人だし。
「なんだい?」
そう声をかければ、彼女は至極真面目な表情で首を傾げた。
それがどこかおかしくて、私は少し笑みを零した。
「行き先は、見つかりました?」
「ここでいいよ。幸い、あいつもいるんだ。一生困らないとは思うね」
「一生……先の長い話ですね」
「まったくだ。何時終わるかもわからんね」
目を瞑る。
頬にはやはり、小さな笑みが浮かんでるのがわかる。
ちりちりと、遠くの林から虫が鳴くのがよく聞こえた。
「普通なら病に倒れないか、何時寿命が来るのかと不安がって言うものですけどね、その言葉」
「普通なんて、とうに捨てたよ」
「ええ。最初から普通ではありませんでしたし」
普通ではないとの言葉に、小さな諍いを思い出す。
小さな思い出。
積み重なって、最早忘れられない。忘れるなんて、勿体ない。
「残念だったな。まだ禿げてはないよ、私」
「そんなこと言いましたっけ……?」
「言ったよ。私は思い出は大切にするんだ」
渋い顔で、彼女は言う。
「それは重石になりませんか?」
「そん位ないと潰れちゃうよ」
「……あなたはあの姫様の言葉を思い返してみなさい」
ジトっとした目で、彼女は私を見詰める。
「あははっ、大丈夫。過去は忘れちゃいないし、今を楽しんでるよ。あいつだって忘れちゃいないし、きっと今を楽しんでるから」
だけども、あの頃はそこそこ、あの頃にしちゃ楽しかったと思う。
たった何十年だけど。
されど何十年だ。
同じ時を、同じように誰かと過ごしたなんて、不老不死になってから、初めてだったし。
そんな風に過去を振り返る私の顔を、彼女はじっと見詰めていた。いや、ジトッと見詰めていた。
「過去を思い返してしみじみやってるなんて、歳取った証拠ですよ?」
そう言われると、途端にさっきの言葉がボケ老人のいい訳みたいに聞こえてくるから性質が悪い。
「お前もそこそこ歳いってるじゃない」
負けられぬとばかりに言葉を返すと、彼女はそっぽを向いて頬をかいた。
額に汗がぽつりと流れる。
「まぁ、ええ、そうですね、はい」
「何よ、その顔。ボケてきたの?」
「ボケてませんし!」
「でも実際爺臭いよ。昼間っからあばら家の畳の上で、二人向かい合ってお茶なんて。あら、これ言うなら婆臭いって言うべき?」
「どちらでも」
「ま、どっちでもいっか」
■
それからしばらくは二人旅だった。
歩いた。
どこまでも歩いた。
ただひたすらに歩いた。
歩くのは嫌いじゃあ、ない。
嫌いじゃなかったけれど、少し好きになった。
誰かが隣で歩いているからだろうか。
四季は巡って、ゆったりと進む季節を噛み締めた。
春に歩いて。
夏を歩いて。
秋と歩いて。
冬は休んだ。
繰り返す季節を二人で歩いた。
それは、永遠から見れば、ほんのちょっぴりの時間だったけれど。
私にとって、それは大切だった。
どこまで行っても、その少女は付いて来た。
名前も知らぬまま、私に付いて、歩いてた。
どうして付いてくるのか、理由は知らない。
砂利道を歩いて、海岸を歩いて、山道を歩いて、町を渡った。
幾つもの光景が過ぎて行く。
行く先々で、私たちは色々なものを食べて、飲んだ。
朝、起きると、少女は決まってすでにに起きていて、寝惚けた私の顔を見ると「おはようございます」って笑って挨拶をするのが、何時しか日課になった。
何時の間にか一年が経った。
もう一年が経って。
三年が過ぎて、四年目が過ぎて。
五年目に差し掛かった時、私はふと違和感に気付くのだ。
この少女は成長しているのだろうか、と。
多分、私の記憶が正しいのなら、彼女は初めて会った時と変わりないのだ。
こいつは、妖怪じゃないかと思ってしまう。
ある時、聞いてみたことがある。
「お前は何なんだ?」
って。
だけどその子は首を傾げて。
「あなたも……似たようなものでしょう?」
と、答えた。
確かに。
私も何一つとして変わらない。
少女に問うのは酷だっただろう。
「例えば、私が物の怪の類だとしましょう。あなたはどうしますか?」
夕焼けに照らされた街道で、夕焼けを背に負って、彼女は問う。
その顔が暗くて、よく見えない。
物の怪の類だったとして、私はどうするだろうか。
そんな存在はいくつも見てきた。
見て見ぬ振りもしてきた。食われたこともあった。
だけど、私が彼らを恨んでいるかと聞かれれば、そうでもないと答えよう。
仕方がないのだ。
殺されたまま放置とかされないだけマシだ。
だって、私みたいな身体でも、利用価値があるのだから。
そんなだけど、言葉にするのなら、どうもしない。
だけど言葉は出て来なくって。
「別に」
ぶっきらぼうだったと思うけれど、私にはそう答えるしか出来なかった。
小さく呟いた言葉が、夕闇に呑まれていく。
「そうでしょうか?
「そんなもんだよ。少なくとも、大きな問題じゃあ、ないね。」
「ですか」
少女は跳ねるようにして、答えた。
両手を後ろで隠して、兎みたい。
「うん……大した問題じゃない」
けれど、と少女は繋げる。
「しかし、残念なことに私は物の怪ではないのですよ」
にこりと、少女は笑う。
やっぱりこの少女はよくわからない。
辺りに夜が降りる。
また二人旅が始まった。
彼女が何であるのか、私にはわからない。
けど、それがこの旅を終える理由にはならないのだ。
それから、また五年が過ぎた。
五年が過ぎて、十年が経った。
変わらず、私たちは歩く。
道は辛くない。誰かと一緒だから。
さらに年月が過ぎる。
十年が二十年になって、月日は積み上がる。
世の中はどんどん変わってて、知ってる人が死んで、新しい人が生まれて育って、死んで。
戦が始まって、終わって。
一つの村が滅んで、どこかで新しい営みが始まって。
だけど。
私たちには何にも関係なくて。
ただ歩いていた。
無駄だとは思わなかった。
無為だとは思ったけど。
土を踏み締め、草に足を取られて、雪に沈んで、泥を跳ね上げて。
歩く。
歩いて。
歩き続けた。
その果て。
見下ろす街道は赤く。
夜に沈もうとしていた。
「死ぬって、どう思いますか?」
「どうって――」
そんなの。
そこにある。
街道に倒れる死屍累々。
小さな戦があった。戦場の跡。
きっとそれが、彼らの旅の果て。
「何度も経験した。怖い。暗くなって、冷たくなって、痛くって、苦しかった」
「けど、あなたは生きてます」
「地獄は、あると思いますか?」
「さァ……あるんじゃないの? 私は知らないし、行くこともないだろうけど」
「あなたは死なないのですか?」
「うん。何回も言ってたけど」
眉を顰めて少女は答える。
「眉唾かと思ってました」
「ああ、うん。それが普通だ」
私はきっと、何時ものように答えてる。
何時もと同じ。
一緒に歩いた時みたいに。
「疲れませんか?」
「疲れたさ」
「もう死にたいとは」
「何度も思った」
だからどうした。
「よろしければ、あの世を紹介しましょうか?」
「……まだ、やめとく。どうせ私は罪人だよ。何年掛かるかわからんからね」
思い出すのは殺めた人もこと。
最初に殺したのは――――そこから、罪を積み上げてきた。
生きてることだけで罪になるのだ。
どうせ何時までも許されないのなら。
いっそ、歩いていたい。
どこまでも続く道を、ただ、歩き続けたい。
死んでも終わりじゃないなら。
だったら生きていたいから。
「なァ、少女。お前は何者だよ?」
きょとん、と彼女は目を丸くする。
私は今でも、この少女の名前を知らない。
重石にしたくないから名前を知ろうとしなかったのに。
何時の間にか、そこそこ大事にしたいと思ってた。
このままの関係でいたいと思ってた。
「私は」
ひょう、と風が凪いだ。
「――――」
なんと言ったのかは知らない。
聞こえなかったから。
唇だけが、声もなく動いてた。それだけで、何となくわかった。
目の前には、小さなお地蔵様が、ぽつんと立っていた。
すっかり夜に飲まれた中で、一人、私はその場に立っていた。
空には月。
こっちをじぃっと見てた。
また一人旅だ。
私は小さく溜息を吐いた。
お前と一緒だったのは、まぁ、悪くなかったよ。
また一人旅だ。
だけど、孤独じゃなかった。
さっぱり意味がわからないけど、そう思う。
どうせ、どっかで見てるんだろ?
じゃあ死ねないな。
生きてやるよ。
■
「そう言えば、どうして私に付いて来たんだよ?」
「あら、言いませんでしたっけ?」
「おう」
その言葉は、やっぱり変わらなくって。
「あなたが死んでしまいそうだったから」
「そう……」
「別の言い方をするなら、あなたがものすごく死に近かったから」
「そんな馬鹿な。私は死なないぞ?」
冷たくなったお茶を、彼女はそっと口に運んだ。
眉をしかめて、こくりと飲み干す。
「でもね、あなた、死んでもいいやって思ってたじゃない」
にこりと笑った彼女は、かたんと湯呑を置いて立ち上がる。
外は夜に飲み込まれていた。
月が一つ、ぽつねんと浮かんでいるのが、窓から見える。
「それじゃ、そろそろお暇しましょうか」
「送ってこうか?」
「こう見えて私、結構やりますよ?」
「ああそう」
「……なんですか、その目」
「別に」
「そうですか……また来ます」
なんでもない。
ただ、ギャップがあり過ぎておかしかっただけだ。
この少女が悪漢を撃退するなど、役職をしらなければ納得出来ないだろう。
外に出て行く少女に、私は一言問いを投げた。
「ああ、そうだ。お前、名前、なんだっけ?」
「あなたが教えてくれたら、私も教えますよ」
ちらとこちらを向いて、唇に人差し指を立てて、彼女は答えた。
そう言えば、私も名前を教えたことがなかったっけ。
「……また会った時にでも」
「でしたら私もその時に」
かたん、と戸が閉まる。
静寂が満ちる。
行燈の灯りを消して、畳に寝転がる。
月明かりだけが、窓から射してくる。
なんだか。
旅に出ようかな。
到達点はここだけど、また歩いてみるのもいいかもしれない。
誰かを誘って、どこかへ行ってみよう。
きっと新しい景色が見えてくる。
だから、死んでもいいやとは思えない。
何時かは死にたくはあるけど。
だけどそれは今じゃない。
【了】
多く語らない感じが良いですね。
面白かった
二人の距離感が素敵でした
たぶん、お互いに名前を呼び合うことは決して無いんだろうけども、
長い永い付き合いになるんじゃないかと思わされました。
深すぎず、かといって浅すぎず、こんな適度な距離だからこそ長く付き合えるのだと思いました
素晴らしかったです
着かず離れずの関係がよかったです。
きっとまた会っても名前は聞かないままなんだろうな。
綺麗な雰囲気でした