芋、蓮の実、大根――人里の八百屋に並ぶ野菜と、一人の少女が睨めっこしている。銀髪のおかっぱに白い肌と長袖のブラウス、上から着ているのは緑のベストとひざ下までのスカート。小柄な体躯には長すぎるのか、長刀を背中に提げ小刀を腰に帯びている。屈んでいるせいで尚更小さく見えるが、野菜を見るその目は真剣そのものだ。右腕に提げる買い物袋には竹皮の包や板海苔が大量に詰まり、はちきれんばかりに膨らんでいる。いかにも重そうだが、彼女がそれを気にする様子はない。それよりも目の前にある、干し椎茸の目利きに彼女の意識は集中していた。うず高く椎茸が積まれた籠をわずかに持ち上げながら、どれがいいかと必死で思案している。邪魔でもしようものなら斬られそうなその空気に、誰も近づこうとしない。店主の若旦那でさえ声をかけるのを躊躇い、一歩引いた所で帳簿を眺めている。そんな彼女に声をかける者が出た時は、それこそ周囲の者は足を止めて見入ったほどだった。
「美味そうな椎茸じゃな、迷うのも詮無きことか」
「……」
「主が大食らいだと大変じゃな、妖夢」
「!?」
今更声をかけられたことに気付いたのか、妖夢は大袈裟に驚いて振り返る。彼女の左隣に声の主、奇妙な道士服を纏ったこれまた銀髪の小柄な少女がニヤニヤとしながら妖夢の顔を覗き込む。危うく抜刀しかけた妖夢だったが、最早馴染みの顔を確認して呆れたようなホッとしたような表情で居住まいを正す。
「驚かさないで下さいよ布都、相変わらず人が悪い」
「声はかけたぞ、のう、店主殿?」
「ん? あ、はい。そうでしたね確か」
帳簿に気を奪われていたからか、若旦那の返事はどこか生っぽい。とは言え声をかけたのは事実なようで、妖夢もそれ以上追求することはやめておくことにした。代わりに思い浮かんだ疑問を、口にする。
「しかし布都、なぜあなたがこんなところに?」
「我か、神子様に使い走りをさせられてな。まあそのついでに、遊んでくるとは言っておいたが」
「遊ぶって……」
「お主が人里に来るのは、分かっておったのでな」
「……~~!!」
布都の言葉に、妖夢はあからさまな羞恥で顔を赤らめる。目を白黒させながら言葉にならない非難を口にするが、布都はしれっと理由を話した。
「毎日夕餉が大変だと言っておったのはお主ではないか。ついでに人里でしかろくに食材が揃わぬともな」
「……」
これには妖夢も、反論の言葉が見つからなかった。
大荷物を抱え、日が暮れかかった頃に甘味処でお茶にする。一刻も早く帰りたい妖夢ではあったが、布都に「おごるぞ?」と言われついつい釣られてしまった。二人でみたらし団子を一皿頼み、それから言葉はない。呑気にお茶をすする布都はともかく、妖夢は気恥ずかしさから未だ口を利けずにいる。八百屋でもそうだったが、布都に乗せられてしまったことが理由だろう。そんな時は素直に乗せられておけばいいのだが、未熟者故にか妖夢はそれが出来ずつまらない意地を心の中で燻らせていた。彼女の胸の内を知ってか知らずか、布都が脳天気に話しかける。
「のう、妖夢。茶が減っておらぬではないか」
「! ……っゲホッゲホッ! いきなり話しかけないで下さい!」
「ボンヤリしておるお主が悪い。どうした、今日の妖夢はどこかおかしいではないか?」
どうしたと言われても、と妖夢は口ごもる。第一今日の私がおかしいのは、何もかもあなたが悪いんです。口には出さず妖夢は毒づいたが、胸のもやもやは晴れる気配がない。買い物をしていたらいきなり後ろから出てきたり、悶々としている所で唐突に話しかけてきたり。普段はこんなじゃないのに、最初に調子を取られてからずっとこんなだ。
……やめよう、これ以上ウジウジしていてもそれこそ自分らしくない。頭を振って開き直った妖夢は、ここぞとばかりに反撃に出る。
「初対面の時のあなたの方がよっぽどおかしかったですよ、布都」
「ぬあっ、い、いきなり大昔のことを持ち出すでないわ!」
「昔というほど昔ですか、私達にとっては瑣末な時間です。特に布都、あなたは私の何倍生きているんですかね?」
「……その大半は眠っておった、許せ」
慌てだした布都にニッコリと笑って言ってやると、どんどん調子が弱くなる。見る間に弱気になっていく布都に、ようやく妖夢は普段通りの笑顔を取り戻した。
この二人、妖夢と布都は神霊異変があった半年ほど後になってから度々話す仲である。妖夢が顕界に降りてくるのは元々だったのだが、異変の後に道教の信徒が出てきて布都も同様に人里へ姿を見せるようになった。幻想郷縁起の改訂で散々な言い方をされた布都が、たまたま見つけた妖夢に愚痴ったのが最初の会話だった。その時は心底辟易した妖夢だったが、実際の所はどうなのか興味をもったのもまた事実であった。幻想郷縁起は阿求の人の悪さが目立つせいで、彼女にはどうも正確に思えなかった節があったからだ。事実彼女が知る限り、実情と内容が一致している人外はそこまで多くない。阿求自身が人間であることから仕方ない所もあるだろう。ただだからと言って、事実と食い違う内容が許容される道理もあるまい。
理由はともかく、妖夢はまず自分の感じた印象で布都を判断しようと考えた。幸いにも行動時間と範囲がほとんど同じで、会話の機会自体には困らない。困るのは話題のほうかと思っていたのだが、意外なことにそれも簡単に解決した。人里には人間だけでなく、人間に馴染んだ妖怪もそれなりに住んでいるからだ。布都は彼ら人里の妖怪達と何やらいざこざを起こすことが多く、その度に妖夢が間に立つ事となった。無論、妖夢が人里でそれなりに知られており、かつ殆どの場合中立の立場だったのが理由である。禿げ上がるかと思うほどの心労ではあったが、布都の人となりを知るにはいい機会だったことも否めない。それに布都の方も妖夢に気を使ってか、徐々に人里の妖怪とは打ち解けようとし始めた。本人曰く「仏教の連中にばっかり任せておれん」とのことだが、きっと主の神子にも散々怒られたのだろう。仲裁と叱責はやがて相談に変わり、程なく互いの愚痴を交えた雑談に転じていった。
とある異変で宗教化達が乱痴気騒ぎとなった時、妖夢は主の幽々子共々神霊廟で観戦していた。その関係で神子と幽々子もそこそこ親しくなり、互いの従者であった二人も自然と話す機会が増えた。妖夢の愚痴で幽々子の胃袋のことは知っていたが、実物を目の当たりにしては言葉が見つからなかったという。妖夢も妖夢で、幽々子の神子に対する第一印象が「意外と平凡」だったことに唖然としてしまった。まあ、閻魔やらスキマ妖怪やら規格外との交流が元々ある幽々子からすればそう見えてしまうのも仕方ないかもしれないが。ちなみに布都は妖夢にそれを聞いた時、苦々しい笑みを浮かべる事しか出来なかった。
確かに縁起の内容に合致する部分もある、でもちゃんと話の通じる相手だ。妖夢の布都に対する評価は、概ねそんな感じとなっている。だからこそ今は友人というに差し支えない間柄になっているし、こうしてお茶に興じることも珍しくない。 団子を取ろうと手を伸ばして、串とは違う感触に阻まれる。視線を皿に移すと、布都と目が合った。
「っ……とと、済まぬな」
「い、いえ。布都さんが先に――」
「良い良い、さっきから手を付けんなと思っておった所だからの」
布都の遠回しな勧めに少し照れくさくなりつつも、今度は素直に団子を取る。口に広がる控えめな甘さを楽しんでいると、小振りな買い物かごを提げたメイドが姿を見せた。二人に気づくと少し不可解そうに眉をひそめたものの、納得した様子で頷く。
「珍しい組み合わせ……でもないわね、最近は」
「え、そうですか?」
「ええ、最近仲良いじゃない。もう春が来たのかしら?」
「ああ……まあ、な」
「布都!?」
メイド――咲夜の言葉に対する布都の返事で、妖夢にも咲夜の言わんとする事に気がついた。ぎょっとする妖夢に、咲夜は柔らかな笑みを浮かべて言う。
「良いじゃない。家に来る泥棒と人形遣いとは違うけど、お似合いだと思うし」
「ちょっ、咲夜さん!?」
「そういう仲ではないぞ!?」
今度は二人して、驚きの声を上げる。ピッタリと息の合ったリアクションに、咲夜は可笑しそうに微笑んだ。唖然とした二人は、思わずそのまま互いの顔を見合わせる。そしてどちらからとも無く「まさかね……」と言わんばかりの苦笑を浮かべて目線を逸らす。咲夜はといえば妖夢の足元、買い出しの大荷物に目線を移していた。
「ねえ、妖夢」
「何ですか?」
「恵方巻き、何本作る気?」
「……ああ、なるほど」
咲夜の質問にしたり顔で、布都が頷く。買い物袋から覗く食材は確かに、巻き寿司のそれである。ただ量が量だけに、何も知らない者からすれば何事かと思うのも無理は無い。それで布都が納得するのは道理だが、咲夜は妖夢と旧知の仲、幽々子の胃袋とてよく知っている。何故今更、とそれがかえって妖夢には疑問に思えた。
「干し椎茸戻すのに、どれだけ時間要ると思ってるの?」
「あっ」
そうだ、戻すだけでもかなりの時間が必要なのに、こんな所で油を売っている場合じゃない。慌てて立ち上がる妖夢を布都と咲夜が引き止め、二人してにこりと笑う。
「もう遅いわよ、今から帰って漬けても、出来上がるのは明日の夜よ」
「そうだなあ、だがそれはお主が協力すれば済むであろう。葡萄を酒に変えられるのであろう?」
「そうねえ……お嬢様も神社に行っちゃったし、アリといえばアリね」
干し椎茸の戻し時間を甘く見ていた妖夢には驚愕の事実だったが、布都の助け舟に咲夜が乗ってくれたおかげでホッとした。空を見上げると、日もすっかり暮れ落ちている。思いの外長く時間を潰してしまったらしい、早く帰らないと空腹の主にこっ酷い折檻を喰らう羽目になる。時間を止めて自分の荷物を紅魔館に置いてきた咲夜と、何故か布都も一緒に白玉楼へと飛んでゆく。ちなみに神社では針妙丸企画の豆まきが行われ、霊夢を始めお馴染みの面子が正邪に大量の豆を叩きつけていた。そこではレミリアも手袋をして撒く側に回っており、弾幕と見紛うばかりに大量の豆をバラ撒いていたとか。
従者の帰宅が遅いことにおかんむりの幽々子ではあったが、布都と咲夜の姿を見て居住まいを正す。彼女達と一緒だったのなら、多少遅くなるのも仕方ないと納得し矛を収めたようだ。三人はそのまま白玉楼の厨房に入り、節分料理の支度にかかる。本来は干し椎茸を真っ先に戻さなければならないのだが、咲夜がいることからそれら暇のかかる作業はほぼ省かれる。海苔も鰯も海の食材だが、最近では海苔の養殖なら河童が行っている。さすがに鰯は無茶があるということでか、比較的大振りなわかさぎの南蛮漬けが供されるのが幻想郷流である。
三人とも従者であることからか、料理の手際は非常に良い。不安だった布都も屠自古と交代で食事当番をさせられると言う事で、味付けはともかく手慣れた様子が見受けられた。適度な大きさに切った大根を桂剥きにする様子を見て、咲夜が舌を巻いたほどだ。
「結構料理はするのね、意外だわ」
「我も神子様に仕える身、お主らと立ち位置で変わる処は無い。不自然な事もなかろう」
「いや、全くイメージにないから」
「なんじゃとぅごっ!?」
「落ち着いて下さい布都、そろそろ出汁が煮えますよ」
「う、うむ……」
食って掛かりかけた布都の後頭部に包丁の峰打ちを叩き込んだ妖夢は、そのまま干瓢を適度な太さに切り分ける作業に戻る。そろそろシャリが炊ける頃だろうか、厨房には酢の匂いが立ち込めていた。咲夜は油の温度の確認すると、衣をつけたわかさぎを一匹一匹丁寧に揚げていく。南蛮の餡は出来たばかりらしく、ほこほこと熱そうな湯気を立てて出番を待っている。布都も具材の煮え方を確認しながら、味噌を放り込むタイミングを図っている。椎茸の戻し汁を出汁に転用したそれは澄ましのほうが合いそうだが、意外とイケるらしい。
だがここでのメインはやはり、妖夢だろう。炊けたシャリを覚ます傍らで竹簾を広げて海苔を敷き、具材の準備も整えてある。蒸してほぐした鶏肉、戻した椎茸、味を含ませた凍み豆腐、緑物として刻んだ大根の葉も柚子の皮で漬けてある。泥を抜いたナマズの桜そぼろ等々、色彩にも気配りが伺える。シャリが冷めると海苔の上に広げて、更に具材を乗せていく。手早く竹簾を丸めて固めると、見事な太巻きが出来上がった。それぞれの料理を作り終えた二人にも手伝ってもらい、小高く山となる程大量の恵方巻きが積まれる。所要時間は一時間強、三人でやったことを差し引いてもかなり早いものと言えるだろう。
恵方巻きを十本ほど手元におさめ、咲夜は白玉楼を後にした。他の料理は咲夜がこっそり時間を止めていたからか、出来たての状態が維持されている。布都はこのまま白玉楼で食べて行くつもりらしく、盛り付けも手伝ってくれた。気になった妖夢は手を止めず、布都に伺う。
「神霊廟は大丈夫なのですか? 食事の当番とかもあるでしょう」
「心配には及ばん、どうせ神子様と屠自古はヨイヨイしとるわ」
「あ、そういう事ですか。いつもの事ですね」
「うむ、いつもの事ゆえ気にするな」
そう笑う布都の表情には、どこか苦々しいものが浮かんでいる。愚痴の中でもよく聞いていたが、元々神子と屠自古は妙に仲が良いらしい。布都が屠自古の壺をすり替えたのも、そこまでしてベタベタされては堪らないと思っていたからだそうだ。勿論物部と蘇我の諍いがあり、以前からそれほど良好な関係でなかったのは言うまでもない。最も今では「もう昔のことだ」と和解し、屠自古共々神子の門弟兼従者として暮らしているらしい。
目の前でイチャつかれる不快さは、妖夢もよく分かるところであった。例えば友人の一人である魔理沙はアリスと異変解決に向かって以来、どんどんその仲が進展していっている。最近ではどちらかの家に用事で尋ねると必ず二人セットで居るし、時には「致している」現場にも出くわす。それどころか外でも人目を避けること無く口吻していたり、甘ったるい空気を振りまいていたり。とかくその現場に出くわす度、妖夢は気不味さを感じて目を逸らしこっそりその場を去るのだ。これは彼女が布都に愚痴っている内容でもあるのだが、どうやら神子と屠自古もそんな感じらしい。時々外に出て鉢合わせるくらいならともかく、同じ屋根の下でそうされるのはたまったものではないだろう。たまには用事にかこつけて逃げ出しても、バチは当たるまい。
「理解が速くて助かる、そういう訳で今日は世話になるぞ妖夢」
「ええ。私とあなたの仲です、従者用の部屋であればご自由にどうぞ」
盛りつけと配膳を済ませて、今頃むくれているであろう主とともに三人で食卓を囲むべく今へと盆を運んでいく。やはり幽々子はどこか不機嫌な様子ではあったが、妖夢の後ろからやってきた布都を見るなり人の悪い笑顔に変わる。
「妖夢遅ーい。お婿さん連れてくるのは良いけど、早くしなさいよねー」
「すみませ……って、幽々子様、今何と?」
「え、あの子と付き合ってるんじゃないの?」
「ご期待に添えず申し訳ないが、我と妖夢はそんな関係ではありませぬ」
大量の太巻きが乗った皿を器用に片手で支えながら、布都は座卓の前に腰を下ろした。真ん中に太巻きの皿を置き、妖夢が持って来た南蛮漬けと味噌汁の器を各々の前に置いていく。妖夢の左側、幽々子との間に味噌汁の鍋を置き、箸を揃えて三人一緒に手を合わせた。
一本目の恵方巻きを黙々と食べ終えると、そのまま三人の食卓となる。妖夢と布都は一本だけで満足して、南蛮漬けと味噌汁に早速手を付けている。南蛮漬けは安定の咲夜と言わんばかりの出来で、幽々子も絶賛した。今度作り方を教わってきて、なんて言われて少し焦ったのは内緒だ。味噌汁も布都の言う通り、あるいは彼女の作り方が巧みだったのか、確かに様になる味だった。色彩からのイメージだけでものを考えてはいけない、そんな教訓を妖夢は感じさせられた。南蛮漬けはともかく、この味噌汁は個人的にコツを教わってみたい。少しづつおかわりをしながら、妖夢はそう考えていた。
おかわりと言えば、目の前の巻き寿司も順調に減っている。妖夢も布都も一本目以降は手を付けていないから、幽々子が食べているのは間違いない。横目で見ると、箸で器用に輪切りにして食べている。刃物も無しにそんな食べ方をするというのも、変わっていると言うか食への執着が凄まじい。みるみる減っていく太巻きの山を眺め、布都が感嘆して声を漏らす。
「しかし、ここまでとはな……」
「ええ、百聞は一見に如かずでしょう?」
「まったくだ。本当によく食べるのう」
「食べる子は育つっていうでしょう?」
「子と言うほど幼くないでしょう、幽々子様は」
「え、そう? うふふ」
妖夢のツッコミをはぐらかして笑う幽々子に、布都も乾いた笑いを浮かべるより他無い。食べるではなく寝るでは? とも思ったがそこはスルーしておく。妖夢にとってもこれはいつもの事らしい、主への追求は諦めて再び箸をとっている。とは言え幽々子の方に話を止めるつもりはないらしい、彼女の興味は布都へと移った。
「そう言えば布都ちゃんの時って、節分は何かしたの?」
「ふむう……そもそもそんな風習自体がなかったの。暦とて今とはまるっきり違っておったしな」
「へー、じゃあ豆を撒いたりとかもしなかったのですね」
「うむ、神子様曰くそれらは全て我らが没してしばらくしてからの物らしいな」
そもそも今まで伝わる元号も蘇我が滅んだ変革により、大陸式の物を導入したのが始まりである。幻想郷の暦も博麗大結界の施行を機に改められているのだから、幽々子にとっては特に不思議なことではない。ただ妖夢はその結界が敷かれてからの生まれであることから、お伽話でも聞いている心地ではあった。彼女にとっては新鮮な話に、妖夢が布都と幽々子の両方に尋ねる。
「じゃあ今の節分の風習が固まったのは、いつ頃なんでしょうか?」
「我に聞くのは間違っていないか?」
「私の覚えてる限りだと、豆まきはもうやってたわねえ」
「……紫様に聞いてみます」
とは言え今の時期では寝ぼけて頓珍漢な答えしか返ってこないか、そもそも起きていないかのどちらかだろう。そう思ったのが表に出たのか、布都は知っている範疇で妖夢に答える。柊鰯は土着信仰が宮中行事が大本だとか、豆を炒るのは実利的な理由からだとか。しかしそれらの知識は、彼女にとっては古い友人達から聞いていた話でもあった。答える度に「知ってます」「パチュリーさんから聞きました」等々の返事が返ってくる度、布都はなんとも言えない無力感に苛まれた。
「むぐぐ……」
「まあまあ布都ちゃん、妖夢も顔広いから」
唸る布都を幽々子がなだめるが、その言葉は全くフォローになっていない。がっくりと分かりやすくうなだれた布都を見てさすがに不憫になったのか、最後に残った話題を持ち出す。
「そう言えば恵方巻きはどうなんでしょう? ほとんど幽々子様が平らげていますが」
見れば山程あった恵方巻きも、わずか数本がごろりと並んでいる程度。さしもの幽々子も満足したのか、これ以上食べる気はもうしないらしい。残りは藍にでも渡そう、なんて考えていると布都が自分の主を真似たのか悪人染みた笑みを浮かべた。
「くっくっく……ようやくその話題に行き着いたか……」
乱痴気騒ぎの兼ね合いで、布都イコール寿司という奇妙な構図がいつの間にか出来上がっていた。最初のうちは不本意だてへそを曲げていた布都だが、だんだんと本人も乗り気になったらしい。今では彼女にとって、道教に並ぶ第二の個性となっているようだ。嬉しいのは分からなくもないけど、だからと言って露骨に喜ばなくてもいいだろう。それともこの悪人染みた笑いは、はたまた別の理由に拠るものか。
「土用の丑の日は、平賀源内が始めたものというのは知っておるか?」
「……エレキテルとウナギに何の関係があるんですか?」
布都の逆質問にむっとして、妖夢は更に聞き返す。
「ふふ……売れないウナギ屋に相談を受けたそやつは、軒下にでもこう貼っておけば良いと助言したのじゃ――本日土用の丑の日、とな」
「ああ、なるほど。暑い時期に精のつくものをどうぞって事ね」
「正確にはそう思わせる狙いじゃろ。元々『う』の付く物を食べるという風習もあったようじゃしの」
納得した幽々子の言葉に一言付け加えた布都は、更に続ける。
「恵方巻きも同じじゃ。元々の風習はあったやも知れぬが、寿司屋の販促が今に至る全ての発端というべきじゃろう。だいだい土用のウナギは江戸時代からじゃが、こっちはほんの数十年程度じゃぞ?」
フッフッフ、と終始人の悪い笑顔を貼り付けた布都に、驚愕の表情を見せる妖夢。対照的に幽々子はニコニコとたおやかな笑みを浮かべ、布都と二人して妖夢の顔を見つめている。上手く表情を作れなくなった妖夢は、引きつった顔のまま幽々子に尋ねる。
「幽々子様……ひょっとして、ご存知でしたか?」
「う~ん、妖夢も覚えてると思ってたんだけどなあ」
「は?」
「だって妖忌がいたは時さぁ、作ってなかったもん。紫が外の世界で流行ってるっぽいって言ったから、妖忌にねだったの。うちではそれが始めよ?」
布都が妖忌とは何ぞと聞いてきた声も耳に届かないほど、今度こそ妖夢は唖然としてしまった。
ある種妙な空気となってしまった夕食の後、湯を浴びて床に入る。来客用の布団を自室に敷いた妖夢は、自分の迂闊な言葉を少しだけ後悔していた。従者用の部屋であれば好きに使っていい、と言ったのはたしかに自分だ。でもよく考えると現在白玉楼の従者は自分一人、つまり従者用の部屋とは必然的に自分の部屋となる。自分が覚えている限りでも他の従者など、祖父である妖忌しかいない。それなら普通に「客間」とでも言えば良かったのに。
「何を悶々としておる妖夢、最初からこのつもりではなかったのか?」
「あなたほど計算高くないです!」
「威張るところか?」
客用の寝間着に着替えた布都は布団の上に胡座をかき、真っ赤になっている妖夢をからかう。さり気なく二人の布団はピッタリとくっつけられており、自然と二人の距離も近くなる。同じく布団の上で正座している妖夢と敢えて目を合わせるのか、余計に布都が近く感じられた。外でもこれくらいの距離感は当たり前のはずなのに、自室となると変に意識してしまうのは何故だろうか。
「気にする必要もなかろう、風呂とて一緒に――」
「公衆浴場は一緒に入ったことにしませんからね」
「つれんのう」
つれなくて結構と妖夢はむくれて、頭から布団をかぶった。布都も仕方ないと観念したらしく、彼女も横になる。うつ伏せになって布団の存在感に包まれていると、急に眠気が襲ってくる。思い返してみると、今日は割と激しい一日だったのではないだろうか。買い出しに来て布都に会い、茶に誘われて咲夜にも会い、一緒に夕餉を作って布都とは食事まで共にした。そう言えば咲夜は、自分達に何て言っていただろうか。
――一足早く春が来たのか、お似合いじゃないか。
そんな感情がない、と口では言いたい。でも今日一日を振り返って、とても否定できるものではないとも思う。迂闊な一言からとはいえ、自分の部屋に招きこそしても泊めた友人など一人もいない。紫は幽々子の部屋で寝ることがほとんどだし、藍も勝手を知っているから客間で寝るのが常だ。咲夜や霊夢、魔理沙に鈴仙――友人達も藍と同じように、客間を勝手に使う。妖夢はだからこそ、自分以外の誰かが自分の部屋で寝ている今の状況に困惑を覚えた。これって結局……そこまで布都に心を許している事になるのだろうか。咲夜が言ったように、主がからかい半分で口にしたように。考えないようにしようとすればするほど、グルグルと頭を巡る。
もうやめよう、このまま睡魔に任せて寝てしまおう。そう考えていた妖夢の眠気は、布都の一言で完全に吹き飛んだ。
「そうそう、博麗の巫女が布団を新調したそうだ」
「え?」
「何でも二人用だったらしいぞ、あやつにも意中の者がおるやもな……」
跳ね起きて問い詰めようとしたら、その瞬間布都は間抜けた寝息を立て始めた。結局妖夢は一睡もできないまま、布団の中で悶々とし続ける羽目となった。
「美味そうな椎茸じゃな、迷うのも詮無きことか」
「……」
「主が大食らいだと大変じゃな、妖夢」
「!?」
今更声をかけられたことに気付いたのか、妖夢は大袈裟に驚いて振り返る。彼女の左隣に声の主、奇妙な道士服を纏ったこれまた銀髪の小柄な少女がニヤニヤとしながら妖夢の顔を覗き込む。危うく抜刀しかけた妖夢だったが、最早馴染みの顔を確認して呆れたようなホッとしたような表情で居住まいを正す。
「驚かさないで下さいよ布都、相変わらず人が悪い」
「声はかけたぞ、のう、店主殿?」
「ん? あ、はい。そうでしたね確か」
帳簿に気を奪われていたからか、若旦那の返事はどこか生っぽい。とは言え声をかけたのは事実なようで、妖夢もそれ以上追求することはやめておくことにした。代わりに思い浮かんだ疑問を、口にする。
「しかし布都、なぜあなたがこんなところに?」
「我か、神子様に使い走りをさせられてな。まあそのついでに、遊んでくるとは言っておいたが」
「遊ぶって……」
「お主が人里に来るのは、分かっておったのでな」
「……~~!!」
布都の言葉に、妖夢はあからさまな羞恥で顔を赤らめる。目を白黒させながら言葉にならない非難を口にするが、布都はしれっと理由を話した。
「毎日夕餉が大変だと言っておったのはお主ではないか。ついでに人里でしかろくに食材が揃わぬともな」
「……」
これには妖夢も、反論の言葉が見つからなかった。
大荷物を抱え、日が暮れかかった頃に甘味処でお茶にする。一刻も早く帰りたい妖夢ではあったが、布都に「おごるぞ?」と言われついつい釣られてしまった。二人でみたらし団子を一皿頼み、それから言葉はない。呑気にお茶をすする布都はともかく、妖夢は気恥ずかしさから未だ口を利けずにいる。八百屋でもそうだったが、布都に乗せられてしまったことが理由だろう。そんな時は素直に乗せられておけばいいのだが、未熟者故にか妖夢はそれが出来ずつまらない意地を心の中で燻らせていた。彼女の胸の内を知ってか知らずか、布都が脳天気に話しかける。
「のう、妖夢。茶が減っておらぬではないか」
「! ……っゲホッゲホッ! いきなり話しかけないで下さい!」
「ボンヤリしておるお主が悪い。どうした、今日の妖夢はどこかおかしいではないか?」
どうしたと言われても、と妖夢は口ごもる。第一今日の私がおかしいのは、何もかもあなたが悪いんです。口には出さず妖夢は毒づいたが、胸のもやもやは晴れる気配がない。買い物をしていたらいきなり後ろから出てきたり、悶々としている所で唐突に話しかけてきたり。普段はこんなじゃないのに、最初に調子を取られてからずっとこんなだ。
……やめよう、これ以上ウジウジしていてもそれこそ自分らしくない。頭を振って開き直った妖夢は、ここぞとばかりに反撃に出る。
「初対面の時のあなたの方がよっぽどおかしかったですよ、布都」
「ぬあっ、い、いきなり大昔のことを持ち出すでないわ!」
「昔というほど昔ですか、私達にとっては瑣末な時間です。特に布都、あなたは私の何倍生きているんですかね?」
「……その大半は眠っておった、許せ」
慌てだした布都にニッコリと笑って言ってやると、どんどん調子が弱くなる。見る間に弱気になっていく布都に、ようやく妖夢は普段通りの笑顔を取り戻した。
この二人、妖夢と布都は神霊異変があった半年ほど後になってから度々話す仲である。妖夢が顕界に降りてくるのは元々だったのだが、異変の後に道教の信徒が出てきて布都も同様に人里へ姿を見せるようになった。幻想郷縁起の改訂で散々な言い方をされた布都が、たまたま見つけた妖夢に愚痴ったのが最初の会話だった。その時は心底辟易した妖夢だったが、実際の所はどうなのか興味をもったのもまた事実であった。幻想郷縁起は阿求の人の悪さが目立つせいで、彼女にはどうも正確に思えなかった節があったからだ。事実彼女が知る限り、実情と内容が一致している人外はそこまで多くない。阿求自身が人間であることから仕方ない所もあるだろう。ただだからと言って、事実と食い違う内容が許容される道理もあるまい。
理由はともかく、妖夢はまず自分の感じた印象で布都を判断しようと考えた。幸いにも行動時間と範囲がほとんど同じで、会話の機会自体には困らない。困るのは話題のほうかと思っていたのだが、意外なことにそれも簡単に解決した。人里には人間だけでなく、人間に馴染んだ妖怪もそれなりに住んでいるからだ。布都は彼ら人里の妖怪達と何やらいざこざを起こすことが多く、その度に妖夢が間に立つ事となった。無論、妖夢が人里でそれなりに知られており、かつ殆どの場合中立の立場だったのが理由である。禿げ上がるかと思うほどの心労ではあったが、布都の人となりを知るにはいい機会だったことも否めない。それに布都の方も妖夢に気を使ってか、徐々に人里の妖怪とは打ち解けようとし始めた。本人曰く「仏教の連中にばっかり任せておれん」とのことだが、きっと主の神子にも散々怒られたのだろう。仲裁と叱責はやがて相談に変わり、程なく互いの愚痴を交えた雑談に転じていった。
とある異変で宗教化達が乱痴気騒ぎとなった時、妖夢は主の幽々子共々神霊廟で観戦していた。その関係で神子と幽々子もそこそこ親しくなり、互いの従者であった二人も自然と話す機会が増えた。妖夢の愚痴で幽々子の胃袋のことは知っていたが、実物を目の当たりにしては言葉が見つからなかったという。妖夢も妖夢で、幽々子の神子に対する第一印象が「意外と平凡」だったことに唖然としてしまった。まあ、閻魔やらスキマ妖怪やら規格外との交流が元々ある幽々子からすればそう見えてしまうのも仕方ないかもしれないが。ちなみに布都は妖夢にそれを聞いた時、苦々しい笑みを浮かべる事しか出来なかった。
確かに縁起の内容に合致する部分もある、でもちゃんと話の通じる相手だ。妖夢の布都に対する評価は、概ねそんな感じとなっている。だからこそ今は友人というに差し支えない間柄になっているし、こうしてお茶に興じることも珍しくない。 団子を取ろうと手を伸ばして、串とは違う感触に阻まれる。視線を皿に移すと、布都と目が合った。
「っ……とと、済まぬな」
「い、いえ。布都さんが先に――」
「良い良い、さっきから手を付けんなと思っておった所だからの」
布都の遠回しな勧めに少し照れくさくなりつつも、今度は素直に団子を取る。口に広がる控えめな甘さを楽しんでいると、小振りな買い物かごを提げたメイドが姿を見せた。二人に気づくと少し不可解そうに眉をひそめたものの、納得した様子で頷く。
「珍しい組み合わせ……でもないわね、最近は」
「え、そうですか?」
「ええ、最近仲良いじゃない。もう春が来たのかしら?」
「ああ……まあ、な」
「布都!?」
メイド――咲夜の言葉に対する布都の返事で、妖夢にも咲夜の言わんとする事に気がついた。ぎょっとする妖夢に、咲夜は柔らかな笑みを浮かべて言う。
「良いじゃない。家に来る泥棒と人形遣いとは違うけど、お似合いだと思うし」
「ちょっ、咲夜さん!?」
「そういう仲ではないぞ!?」
今度は二人して、驚きの声を上げる。ピッタリと息の合ったリアクションに、咲夜は可笑しそうに微笑んだ。唖然とした二人は、思わずそのまま互いの顔を見合わせる。そしてどちらからとも無く「まさかね……」と言わんばかりの苦笑を浮かべて目線を逸らす。咲夜はといえば妖夢の足元、買い出しの大荷物に目線を移していた。
「ねえ、妖夢」
「何ですか?」
「恵方巻き、何本作る気?」
「……ああ、なるほど」
咲夜の質問にしたり顔で、布都が頷く。買い物袋から覗く食材は確かに、巻き寿司のそれである。ただ量が量だけに、何も知らない者からすれば何事かと思うのも無理は無い。それで布都が納得するのは道理だが、咲夜は妖夢と旧知の仲、幽々子の胃袋とてよく知っている。何故今更、とそれがかえって妖夢には疑問に思えた。
「干し椎茸戻すのに、どれだけ時間要ると思ってるの?」
「あっ」
そうだ、戻すだけでもかなりの時間が必要なのに、こんな所で油を売っている場合じゃない。慌てて立ち上がる妖夢を布都と咲夜が引き止め、二人してにこりと笑う。
「もう遅いわよ、今から帰って漬けても、出来上がるのは明日の夜よ」
「そうだなあ、だがそれはお主が協力すれば済むであろう。葡萄を酒に変えられるのであろう?」
「そうねえ……お嬢様も神社に行っちゃったし、アリといえばアリね」
干し椎茸の戻し時間を甘く見ていた妖夢には驚愕の事実だったが、布都の助け舟に咲夜が乗ってくれたおかげでホッとした。空を見上げると、日もすっかり暮れ落ちている。思いの外長く時間を潰してしまったらしい、早く帰らないと空腹の主にこっ酷い折檻を喰らう羽目になる。時間を止めて自分の荷物を紅魔館に置いてきた咲夜と、何故か布都も一緒に白玉楼へと飛んでゆく。ちなみに神社では針妙丸企画の豆まきが行われ、霊夢を始めお馴染みの面子が正邪に大量の豆を叩きつけていた。そこではレミリアも手袋をして撒く側に回っており、弾幕と見紛うばかりに大量の豆をバラ撒いていたとか。
従者の帰宅が遅いことにおかんむりの幽々子ではあったが、布都と咲夜の姿を見て居住まいを正す。彼女達と一緒だったのなら、多少遅くなるのも仕方ないと納得し矛を収めたようだ。三人はそのまま白玉楼の厨房に入り、節分料理の支度にかかる。本来は干し椎茸を真っ先に戻さなければならないのだが、咲夜がいることからそれら暇のかかる作業はほぼ省かれる。海苔も鰯も海の食材だが、最近では海苔の養殖なら河童が行っている。さすがに鰯は無茶があるということでか、比較的大振りなわかさぎの南蛮漬けが供されるのが幻想郷流である。
三人とも従者であることからか、料理の手際は非常に良い。不安だった布都も屠自古と交代で食事当番をさせられると言う事で、味付けはともかく手慣れた様子が見受けられた。適度な大きさに切った大根を桂剥きにする様子を見て、咲夜が舌を巻いたほどだ。
「結構料理はするのね、意外だわ」
「我も神子様に仕える身、お主らと立ち位置で変わる処は無い。不自然な事もなかろう」
「いや、全くイメージにないから」
「なんじゃとぅごっ!?」
「落ち着いて下さい布都、そろそろ出汁が煮えますよ」
「う、うむ……」
食って掛かりかけた布都の後頭部に包丁の峰打ちを叩き込んだ妖夢は、そのまま干瓢を適度な太さに切り分ける作業に戻る。そろそろシャリが炊ける頃だろうか、厨房には酢の匂いが立ち込めていた。咲夜は油の温度の確認すると、衣をつけたわかさぎを一匹一匹丁寧に揚げていく。南蛮の餡は出来たばかりらしく、ほこほこと熱そうな湯気を立てて出番を待っている。布都も具材の煮え方を確認しながら、味噌を放り込むタイミングを図っている。椎茸の戻し汁を出汁に転用したそれは澄ましのほうが合いそうだが、意外とイケるらしい。
だがここでのメインはやはり、妖夢だろう。炊けたシャリを覚ます傍らで竹簾を広げて海苔を敷き、具材の準備も整えてある。蒸してほぐした鶏肉、戻した椎茸、味を含ませた凍み豆腐、緑物として刻んだ大根の葉も柚子の皮で漬けてある。泥を抜いたナマズの桜そぼろ等々、色彩にも気配りが伺える。シャリが冷めると海苔の上に広げて、更に具材を乗せていく。手早く竹簾を丸めて固めると、見事な太巻きが出来上がった。それぞれの料理を作り終えた二人にも手伝ってもらい、小高く山となる程大量の恵方巻きが積まれる。所要時間は一時間強、三人でやったことを差し引いてもかなり早いものと言えるだろう。
恵方巻きを十本ほど手元におさめ、咲夜は白玉楼を後にした。他の料理は咲夜がこっそり時間を止めていたからか、出来たての状態が維持されている。布都はこのまま白玉楼で食べて行くつもりらしく、盛り付けも手伝ってくれた。気になった妖夢は手を止めず、布都に伺う。
「神霊廟は大丈夫なのですか? 食事の当番とかもあるでしょう」
「心配には及ばん、どうせ神子様と屠自古はヨイヨイしとるわ」
「あ、そういう事ですか。いつもの事ですね」
「うむ、いつもの事ゆえ気にするな」
そう笑う布都の表情には、どこか苦々しいものが浮かんでいる。愚痴の中でもよく聞いていたが、元々神子と屠自古は妙に仲が良いらしい。布都が屠自古の壺をすり替えたのも、そこまでしてベタベタされては堪らないと思っていたからだそうだ。勿論物部と蘇我の諍いがあり、以前からそれほど良好な関係でなかったのは言うまでもない。最も今では「もう昔のことだ」と和解し、屠自古共々神子の門弟兼従者として暮らしているらしい。
目の前でイチャつかれる不快さは、妖夢もよく分かるところであった。例えば友人の一人である魔理沙はアリスと異変解決に向かって以来、どんどんその仲が進展していっている。最近ではどちらかの家に用事で尋ねると必ず二人セットで居るし、時には「致している」現場にも出くわす。それどころか外でも人目を避けること無く口吻していたり、甘ったるい空気を振りまいていたり。とかくその現場に出くわす度、妖夢は気不味さを感じて目を逸らしこっそりその場を去るのだ。これは彼女が布都に愚痴っている内容でもあるのだが、どうやら神子と屠自古もそんな感じらしい。時々外に出て鉢合わせるくらいならともかく、同じ屋根の下でそうされるのはたまったものではないだろう。たまには用事にかこつけて逃げ出しても、バチは当たるまい。
「理解が速くて助かる、そういう訳で今日は世話になるぞ妖夢」
「ええ。私とあなたの仲です、従者用の部屋であればご自由にどうぞ」
盛りつけと配膳を済ませて、今頃むくれているであろう主とともに三人で食卓を囲むべく今へと盆を運んでいく。やはり幽々子はどこか不機嫌な様子ではあったが、妖夢の後ろからやってきた布都を見るなり人の悪い笑顔に変わる。
「妖夢遅ーい。お婿さん連れてくるのは良いけど、早くしなさいよねー」
「すみませ……って、幽々子様、今何と?」
「え、あの子と付き合ってるんじゃないの?」
「ご期待に添えず申し訳ないが、我と妖夢はそんな関係ではありませぬ」
大量の太巻きが乗った皿を器用に片手で支えながら、布都は座卓の前に腰を下ろした。真ん中に太巻きの皿を置き、妖夢が持って来た南蛮漬けと味噌汁の器を各々の前に置いていく。妖夢の左側、幽々子との間に味噌汁の鍋を置き、箸を揃えて三人一緒に手を合わせた。
一本目の恵方巻きを黙々と食べ終えると、そのまま三人の食卓となる。妖夢と布都は一本だけで満足して、南蛮漬けと味噌汁に早速手を付けている。南蛮漬けは安定の咲夜と言わんばかりの出来で、幽々子も絶賛した。今度作り方を教わってきて、なんて言われて少し焦ったのは内緒だ。味噌汁も布都の言う通り、あるいは彼女の作り方が巧みだったのか、確かに様になる味だった。色彩からのイメージだけでものを考えてはいけない、そんな教訓を妖夢は感じさせられた。南蛮漬けはともかく、この味噌汁は個人的にコツを教わってみたい。少しづつおかわりをしながら、妖夢はそう考えていた。
おかわりと言えば、目の前の巻き寿司も順調に減っている。妖夢も布都も一本目以降は手を付けていないから、幽々子が食べているのは間違いない。横目で見ると、箸で器用に輪切りにして食べている。刃物も無しにそんな食べ方をするというのも、変わっていると言うか食への執着が凄まじい。みるみる減っていく太巻きの山を眺め、布都が感嘆して声を漏らす。
「しかし、ここまでとはな……」
「ええ、百聞は一見に如かずでしょう?」
「まったくだ。本当によく食べるのう」
「食べる子は育つっていうでしょう?」
「子と言うほど幼くないでしょう、幽々子様は」
「え、そう? うふふ」
妖夢のツッコミをはぐらかして笑う幽々子に、布都も乾いた笑いを浮かべるより他無い。食べるではなく寝るでは? とも思ったがそこはスルーしておく。妖夢にとってもこれはいつもの事らしい、主への追求は諦めて再び箸をとっている。とは言え幽々子の方に話を止めるつもりはないらしい、彼女の興味は布都へと移った。
「そう言えば布都ちゃんの時って、節分は何かしたの?」
「ふむう……そもそもそんな風習自体がなかったの。暦とて今とはまるっきり違っておったしな」
「へー、じゃあ豆を撒いたりとかもしなかったのですね」
「うむ、神子様曰くそれらは全て我らが没してしばらくしてからの物らしいな」
そもそも今まで伝わる元号も蘇我が滅んだ変革により、大陸式の物を導入したのが始まりである。幻想郷の暦も博麗大結界の施行を機に改められているのだから、幽々子にとっては特に不思議なことではない。ただ妖夢はその結界が敷かれてからの生まれであることから、お伽話でも聞いている心地ではあった。彼女にとっては新鮮な話に、妖夢が布都と幽々子の両方に尋ねる。
「じゃあ今の節分の風習が固まったのは、いつ頃なんでしょうか?」
「我に聞くのは間違っていないか?」
「私の覚えてる限りだと、豆まきはもうやってたわねえ」
「……紫様に聞いてみます」
とは言え今の時期では寝ぼけて頓珍漢な答えしか返ってこないか、そもそも起きていないかのどちらかだろう。そう思ったのが表に出たのか、布都は知っている範疇で妖夢に答える。柊鰯は土着信仰が宮中行事が大本だとか、豆を炒るのは実利的な理由からだとか。しかしそれらの知識は、彼女にとっては古い友人達から聞いていた話でもあった。答える度に「知ってます」「パチュリーさんから聞きました」等々の返事が返ってくる度、布都はなんとも言えない無力感に苛まれた。
「むぐぐ……」
「まあまあ布都ちゃん、妖夢も顔広いから」
唸る布都を幽々子がなだめるが、その言葉は全くフォローになっていない。がっくりと分かりやすくうなだれた布都を見てさすがに不憫になったのか、最後に残った話題を持ち出す。
「そう言えば恵方巻きはどうなんでしょう? ほとんど幽々子様が平らげていますが」
見れば山程あった恵方巻きも、わずか数本がごろりと並んでいる程度。さしもの幽々子も満足したのか、これ以上食べる気はもうしないらしい。残りは藍にでも渡そう、なんて考えていると布都が自分の主を真似たのか悪人染みた笑みを浮かべた。
「くっくっく……ようやくその話題に行き着いたか……」
乱痴気騒ぎの兼ね合いで、布都イコール寿司という奇妙な構図がいつの間にか出来上がっていた。最初のうちは不本意だてへそを曲げていた布都だが、だんだんと本人も乗り気になったらしい。今では彼女にとって、道教に並ぶ第二の個性となっているようだ。嬉しいのは分からなくもないけど、だからと言って露骨に喜ばなくてもいいだろう。それともこの悪人染みた笑いは、はたまた別の理由に拠るものか。
「土用の丑の日は、平賀源内が始めたものというのは知っておるか?」
「……エレキテルとウナギに何の関係があるんですか?」
布都の逆質問にむっとして、妖夢は更に聞き返す。
「ふふ……売れないウナギ屋に相談を受けたそやつは、軒下にでもこう貼っておけば良いと助言したのじゃ――本日土用の丑の日、とな」
「ああ、なるほど。暑い時期に精のつくものをどうぞって事ね」
「正確にはそう思わせる狙いじゃろ。元々『う』の付く物を食べるという風習もあったようじゃしの」
納得した幽々子の言葉に一言付け加えた布都は、更に続ける。
「恵方巻きも同じじゃ。元々の風習はあったやも知れぬが、寿司屋の販促が今に至る全ての発端というべきじゃろう。だいだい土用のウナギは江戸時代からじゃが、こっちはほんの数十年程度じゃぞ?」
フッフッフ、と終始人の悪い笑顔を貼り付けた布都に、驚愕の表情を見せる妖夢。対照的に幽々子はニコニコとたおやかな笑みを浮かべ、布都と二人して妖夢の顔を見つめている。上手く表情を作れなくなった妖夢は、引きつった顔のまま幽々子に尋ねる。
「幽々子様……ひょっとして、ご存知でしたか?」
「う~ん、妖夢も覚えてると思ってたんだけどなあ」
「は?」
「だって妖忌がいたは時さぁ、作ってなかったもん。紫が外の世界で流行ってるっぽいって言ったから、妖忌にねだったの。うちではそれが始めよ?」
布都が妖忌とは何ぞと聞いてきた声も耳に届かないほど、今度こそ妖夢は唖然としてしまった。
ある種妙な空気となってしまった夕食の後、湯を浴びて床に入る。来客用の布団を自室に敷いた妖夢は、自分の迂闊な言葉を少しだけ後悔していた。従者用の部屋であれば好きに使っていい、と言ったのはたしかに自分だ。でもよく考えると現在白玉楼の従者は自分一人、つまり従者用の部屋とは必然的に自分の部屋となる。自分が覚えている限りでも他の従者など、祖父である妖忌しかいない。それなら普通に「客間」とでも言えば良かったのに。
「何を悶々としておる妖夢、最初からこのつもりではなかったのか?」
「あなたほど計算高くないです!」
「威張るところか?」
客用の寝間着に着替えた布都は布団の上に胡座をかき、真っ赤になっている妖夢をからかう。さり気なく二人の布団はピッタリとくっつけられており、自然と二人の距離も近くなる。同じく布団の上で正座している妖夢と敢えて目を合わせるのか、余計に布都が近く感じられた。外でもこれくらいの距離感は当たり前のはずなのに、自室となると変に意識してしまうのは何故だろうか。
「気にする必要もなかろう、風呂とて一緒に――」
「公衆浴場は一緒に入ったことにしませんからね」
「つれんのう」
つれなくて結構と妖夢はむくれて、頭から布団をかぶった。布都も仕方ないと観念したらしく、彼女も横になる。うつ伏せになって布団の存在感に包まれていると、急に眠気が襲ってくる。思い返してみると、今日は割と激しい一日だったのではないだろうか。買い出しに来て布都に会い、茶に誘われて咲夜にも会い、一緒に夕餉を作って布都とは食事まで共にした。そう言えば咲夜は、自分達に何て言っていただろうか。
――一足早く春が来たのか、お似合いじゃないか。
そんな感情がない、と口では言いたい。でも今日一日を振り返って、とても否定できるものではないとも思う。迂闊な一言からとはいえ、自分の部屋に招きこそしても泊めた友人など一人もいない。紫は幽々子の部屋で寝ることがほとんどだし、藍も勝手を知っているから客間で寝るのが常だ。咲夜や霊夢、魔理沙に鈴仙――友人達も藍と同じように、客間を勝手に使う。妖夢はだからこそ、自分以外の誰かが自分の部屋で寝ている今の状況に困惑を覚えた。これって結局……そこまで布都に心を許している事になるのだろうか。咲夜が言ったように、主がからかい半分で口にしたように。考えないようにしようとすればするほど、グルグルと頭を巡る。
もうやめよう、このまま睡魔に任せて寝てしまおう。そう考えていた妖夢の眠気は、布都の一言で完全に吹き飛んだ。
「そうそう、博麗の巫女が布団を新調したそうだ」
「え?」
「何でも二人用だったらしいぞ、あやつにも意中の者がおるやもな……」
跳ね起きて問い詰めようとしたら、その瞬間布都は間抜けた寝息を立て始めた。結局妖夢は一睡もできないまま、布団の中で悶々とし続ける羽目となった。
バレンタイン編も楽しみです
バレンタインネタお待ちしております。
冗談はさておき、わりとアホの子扱いされることが多い布都ですが、こういう頼れる先輩(?)的なポジションも良いですね
二人の視線を通して伝わってくる幻想郷の様子もグッドでした
(出演キャラクターの影響なんですが…)
でももうちょっとスペース開けた方が個人的には読みやすいと感じました。
すごく読みやすかったです。