図書館で黙々と本を読む少女が一人。静かな場所で読む本は、とても触りよく頭の中へ流れる。でも、そんなこと関係なしに、彼女はいつでもどこでも本を読む。
図書館ですやすやと眠る少女が一人。静かな場所で眠るのは、とても気持ちよく体を休ませる。でも、そんなこと関係なしに、彼女はいつでもどこでも起こされる。
「お嬢様、起きてください」
「……んぅー」
完全に寝てしまった主人を起こすべく、咲夜は主人の小さな体を大きく揺する。最早椅子から転がり落としてしまうのでは無いだろうかと言う勢いだが、最初からここまで全開だったわけではない。いくら声をかけても、いくら揺り起こしてもレミリアが微動だにしないからだ。
「寝るならきちんと寝ないとお体に悪いですよ、お嬢様」
レミリアが倒れ掛かっている机まで大きく揺れだし、そろそろパチュリーが二人まとめてつまみ出そうかと思い始めたとき、ようやくレミリアがその目を開けた。
「……んん……なんだ、いつの間にか寝てしまってたか」
腕を思い切り伸ばし、しかし体は起こさない。上体はだらんと机に伸びたままだ。
「本をご覧になってる途中で、うとうとなされた後にガクッと」
ジェスチャーを交えて説明する咲夜を横目で見やり、小さく相槌を打ってはいるものの、その話は頭の中には入っていなかった。つまるところ、レミリアはまだ眠かった。
「そうか……おやすみ、咲夜」
「お嬢様!」
眠いのならば寝ればいい。とても単純で、とても合理的な解答だった……少なくとも、レミリア自身にとっては。
「別にいいじゃないか、減るもんじゃなし」
しかし、咲夜の次の一言でその解答には×を付けられることになる。
「その調子では一人前のレディにはなれませんよ?」
この一文は、レミリアのわがままに対する咲夜なりの必殺技だ。
内外から子供っぽいと言われているのを、レミリアは少し気にしていた。実際に子供っぽい、というか吸血鬼基準で言えばまだまだ子供なのだから気にしてもしょうがないところではあるが、それでも彼女には五百年生きてきた事で培われたプライドと言うものがある。だからレディとか淑女とか言う言葉にとても弱い。
そんな事を気にしてしまう時点でお子様なのだが、彼女はまだそこには気づいていなかった。
「あーあ、仕方ないな」
きちんと姿勢を正し、再び本へと向かい合う。そんな単純なレミリアを微笑ましく眺めていた咲夜だったが、さっきまで取っていた行動との矛盾が気になった。
「まだ読書は続けるんですね。すぐにお休みになられるのかと思いました」
「ちょっと気になるところがあってな」
そう言いつつもまだ眠たさを堪え切れてない様子のレミリアに、咲夜の充足感は上がる一方だった。
「お勉強大好きだものね、レミィは」
その言葉には若干の皮肉も込められていたが、大方パチュリーはレミリアの事をそう認めていた。だから途中でで居眠りをしても即退場とはならなかったわけだ。
「読んだら読むだけ出来ることも増えるし、強くなれる。嫌いになるわけが無いだろ?」
積み上がった魔導書の中に数冊娯楽用の小説が紛れているのは公然の秘密である。
「良い退屈しのぎにもなるしな」
「間違いないわね」
それだけ言うと、二人は目の前の本を読む事へ集中しようとした。図書館の扉が破裂しそうなほどの大きな音を立てて開かなければ、まさしくそうしていただろう。
「妹様ー、待ってください! 早すぎますよう」
「あははは、お姉さまみーつけた!」
図書館ではあまり見ない、美鈴とフランと言う組み合わせがいきなり現れた事に対し、三人は別々の思考を起こした。
-何か面白い事でも起きそうだな-
-騒がしい二人が来てしまった-
-妹様も相変わらず可愛い-
しかし、生じた疑問はみな同じものだった。
「フラン? 何を走り回ってるんだ」
「美鈴と遊んでたんだよ!」
満面の笑みでそう言い放つフランに対し、美鈴の表情はとても強張ったものになっていた。
というのも、咲夜がとても鋭い眼光で美鈴を見ていたからだ。顔は笑っているのに、目はハンターの物そのもの。美鈴は生きた心地がしていなかった。
「どういうことなの? 美鈴?」
「いや、違うんです。ですからそのナイフはしまってください」
「ちゃんと説明してくれたらそうするわ」
「……外で見張りをしていましたら、妹様に話しかけられまして。遊んでくれないとお嬢様を爆破しちゃうぞー、と」
冷や汗が止められないまま発された美鈴の説明は、今度はレミリアの表情を薄暗くさせた。
「フラン?」
「嘘じゃないよ! ちゃんと爆発させるつもりだったの」
汗を流す者が二人に増えた瞬間だった。
「妹様、こんなお姉ちゃんでも大事にしてあげないと駄目よ。こんなお姉ちゃんでも」
「あー、フラン。私が嫌いなのはわかるけど、なんでもかんでも爆発させればいいってもんじゃないぞ」
「いいえ、お姉さまは大好きよ! 殺しちゃいたいぐらい!」
「吸血鬼の愛情表現って難しいんですね……」
「みなさーん、紅茶をいれてきましたー」
「あら、小悪魔にしては気が利くじゃない」
「いやですね、いつでも利いてますよ」
最早収集を付けることが出来ないぐらいに騒々しくなってしまった図書館に、レミリアとパチュリーは作業を中断せざるを得なかった。フランまで来てしまった以上、この場を治めるのは無理だと二人とも諦め顔だったが、どこかしら笑っているようにも見えた。
「なんだか賑やかになってきたな、静かな場所が台無しだよ」
「にこにこしながら言うセリフではありませんわ」
「うるさい。まったく、こうも騒がしいと……本も……読め、な……」
まあ、これはこれで良いか。そうは思ったものの、空気が解れてリラックスしてしまった事で、頑張って抑えていた眠気が再びレミリアを襲った。彼女はそれに抗う事が出来ず--
「……ん」
目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。他に誰かいる気配は無く、聞こえるのは私が立てる衣擦れの音だけだった。
そして、寝起きの冴えない頭でも、ある一つの疑問を浮かべる事が出来た。どうしてここにいるのかと言うことだ。
私は図書館で寝ていたはずだ。誰か私を部屋まで運んでくれたのだろうか?それを確認する事が出来れば、この胸騒ぎも収まるのだろうか。
「咲夜、来て頂戴」
あの場に居た誰かに直接聞くというのが一番手っ取り早い。そう考えて咲夜を呼んでみたのだが、返事は無かった。おかしい、いつもならもうすでに側に来てくれているはずなのに。
「……咲夜ー」
さっきと同じように、何の反応も無い。どんなに忙しくても私の呼びかけは最優先事項のはずだ、すぐに来ないなんてありえない。もしかすると、咲夜の身に何かがあったのだろうか?そう考えてしまったら、いてもたってもいられなくなった。すぐに部屋を飛び出し、館に異常が発生していないか確認しようと部屋を飛び出す。
そんな私を迎えたのは、静寂で満ちた、誰も居ない廊下だった。それはそうだ、部屋から出たら目の前には廊下が広がっているのは当たり前だろう。
でも、その廊下は何も聞こえなさ過ぎたし、誰もいなさすぎた。廊下を見渡せば一人は見えなければならないメイド妖精すらいないというのは、あまりにも不自然な事だった。
考え込むより先に体が動いていた。いつも特定の場所にいる人物なら、そこに行けば会えるはずだ。
そう考えた私を裏切るように、図書館には誰一人存在していなかった。
立ち止まってはいけない。何故だかわからないが、そんな気がした。
だから私は館の隅から隅まで駆け回った。誰かいないのか、何か起こっていないのか。その他どんな事でもいい、何かこの異常に関したものが見つかれば、少しはこの胸騒も落ち着くだろう。それを期待しての事だった。
結果的に、その行動は胸騒を薄い絶望へ変えてしまっただけだった。
「……なんで誰もいないんだ」
小さな独り言すら反響するこの廊下が、恨めしく感じてしまった。何故? 一体何が起きた?
館内で動けるところは全て回った。こうなれば霊夢辺りに相談しに行くしかないだろう。大丈夫、どうせ些細な、異変とも呼べないような何かだ。不安がる事なんて、無い。
そうやって自分を元気付けながら、玄関の扉を開いて--そこで、遂に私は立ち止まってしまった。
館の上空一面に広がる、冗談みたいに黒い雲。そこから降りしきる、これまた冗談のような量の雨。それらが、私を外へ出すことを拒んでいた。そんな状況を見て、立ち尽くすことすら出来ず、膝をついてしまう。
現実ではありえない雨音から逃げるように、私は気が遠くなった。
「……っ!」
飛び起きると、そこは図書館。その騒々しさから、図書館に勢揃いしていた事を思い出す。
そうか。私は寝てしまっていて、あれは性質の悪い夢だったというわけだ。現実離れしていたのはそういうことだったのか。
「どうしたの。ようやくお目覚めかと思えば真っ青じゃない」
「あー……いや、なんでもない」
悪夢を見てうなされてしまったなんて言えば、からかわれるに決まっている。気にしなくていいと言いながら何気なく周りを見渡すと、何かが足りない事に気づいた。
「なあ、咲夜の姿が見えないんだが」
私が寝る前まで美鈴へナイフを向けていたはずの咲夜の姿が、無い。まるで最初から居なかったかのように、忽然と消えてしまっている。
「……何を言ってるの?」
「だって、今さっきまでここにいたじゃないか」
「お嬢様、咲夜さんはいません」
「いなくたって呼べば来るだろ。おーい、咲夜ー」
しかし、咲夜は姿を見せない。さっきまでの夢の中と同じように、何の返事も反応も無い。いつの間にか静かになった周りのやつらは、いつでも笑っているフラン以外は見てはいけないものを見てしまったような顔になっていた。
「……おい、みんな。凄い表情になってるぞ」
誰も何も答えない。そんなに一様に目をそらされたら、何か痛々しい事を自分が言っているような気がしてきてしまう。
いや、もしかすると?
「あは、お姉さまも狂っちゃった? でもしょうがないよね、あれは事故だったんだよ。お姉さまは何も悪くない」
「……なにを言ってるのかさっぱりなんだが」
「死んだんだよ、咲夜は」
何から何までさっぱりだった。しんだんだよ、ってなんだろう。しんだ、シンダ……死んだ?
「え?」
《死んだんだよ、咲夜は》? 一体、何を?
「い、妹様」
「レミィ、事実から目を背けてはいけないわ。彼女は……? ちょっと、レミィ、大丈--」
「また、か……」
開け放たれた玄関から覗く風景は何も変わらず、それが出している音も変わっていなかった。ただただ吸血鬼お断りな外。
意識を落とす度に切り替わる場面に、もう慣れてきていた。いったいどれが夢なんだろう? それとも全部夢?
「お姉さま、どこ行くの?」
そうだ、夢なんだ。だからこうやって話が二点三点する。だって、ここには誰もいなかったはずじゃないか。
「今さっき見た夢にはあんたはいなかったんだがな」
「夢?」
「ああ、夢さ。他のみんなは?」
「みんなお姉さまが《おいとまをだした》じゃない」
「私が?」
何故? そんなことを考えても仕方ないのだろう。夢だから。
「みんな出て行って、残ったのはわたしだけ! うふふ、愛されガールはつらいわー。そんなことよりお姉さま、どこに行こうとしてたの?」
「どこでもいいだろう? 私がどこへ行こうと私の勝手だ。まあ、雨が降ってて外には出れてないんだけどな」
「だって、その雨はやまないんでしょ? パチュリーにお願いして降らせてもらったんだよね? その雨は私とここにずっと一緒に居るためのものだって、そう言ってたじゃない! もしかして……忘れちゃったの? 嘘だったの?」
「……わからない」
「夢じゃないんだよ?」
「いいや、夢だよ……わっ!?」
フランはいきなりこちらに駆け寄り、そのままの勢いで抱きついてきた。私の耳元に口を近づけ、優しく囁いてくる。
「お姉さま、ドキドキしてる。これも夢なの?」
「別に、そんな」
「攻められると弱いんだよね。今だって、ほら」
「……っ」
「ふるふる震えて、可愛いね」
「私は、お前を壊したくない」
「わたしは壊してみたいな、お姉さまを。ずっと変化しないお家で、ずっと立ち止まって、ずっと愛し合いましょ?ずっと、ずっと、ずーっと!」
ああ、やっぱりやりすぎだっただろうか。目の前で苦しむ親友を見ていると、柄にも無くそんな気持ちが湧き上がってくる。
言いだしっぺはレミィだ。だから私は悪くない。……しかし、まさかここまで長くなってしまうとは思わなかった。どれだけ深く眠っているのかしら。
そんな風に心配してあげていると、目の前で唐突にレミィが跳ね起きた。その顔は汗でびっしょりと濡れていた。
「……はあっ!……はあ、はあ」
「やっと起きた。大丈夫? 真っ青だけど」
「……今度は私の部屋か」
完全におびえきった目をしていらっしゃる。どうやらまだ夢から覚めきれていないようだった。
「ちょっと、レミィ」
「咲夜!咲夜ー!」
「はい、お嬢様。どうされました?」
死体が生き返ったのを見たような顔で咲夜を凝視している。中々壮絶な物を見ていたようだ。
「い、生きてる……?」
「死んだことはまだ無いですね」
「……う、うー!」
咲夜によたよたと抱きつきにかかるレミィ。あまりにもいきなりのことに、咲夜は目を丸くするしかないようだ。
「お、お嬢様? あわわ、私何かしてしまいましたでしょうか。どういう状況なのですか」
「あー、怖かったのね、悪夢。錯乱しちゃってるじゃない」
ここまではっきりと大きな声で言ってあげれば、彼女も正気を取り戻せるだろう。
「…………ん、あー。いや、大丈夫だぞ」
よし、ようやく目が覚めたようだ。
「あら、今度は真っ赤になっちゃって。あなたが言ったのよ? 私に怖いものは無いって。どう? 怖くなったかしらレミリアちゃん」
「……そんなにだったかな」
まったく説得力の無い体制だ。ぴったりとくっついちゃってまあ。
「そういうことは咲夜と離れてから言わないと駄目でちゅよー」
「別にいいだろう! 咲夜、今日はこのまま寝るからな」
「あわわぁ」
「咲夜の血が足りなくなりそうね」
「咲夜からは血は吸わないぞ」
レミィが吸わなくとも、のぼせすぎて貧血になるだろう。
「まあいいわ。とりあえず、何でも甘く見ちゃだめよ。たかだか夢でも相当なものだったでしょう」
「ふん、正直に言うと相当怖かったな。もう真っ平だよ」
「あら、素直」
このまま強がってるものだと思っていたので、本心から意外だった。私のそんな様子を見て、レミィは照れ気味にちいさなため息をついた。
「強がってたらまた見せられそうだからな……さて、寝なおしだ。疲れた疲れた。行くぞ咲夜」
「はいぃ」
従者の顔色は常に伺っておいた方が良いのではないだろうか。比喩ではなく本当の意味で。
それにしても、夢、ねぇ。
「……レミィ」
「なんだ?」
私はたまにわからなくなる。ここが本当に夢じゃないのかどうか。思考実験の一種ではあるのだが、これに対する答えは見つけ出すことが出来ない。
「悪夢は真っ平だって言うけれど、もしあれが夢じゃないとすればどうする?」
「え?」
だから、レミィの答えも聞ける良い機会だと思った。だけど、いきなりこんな事を聞かれても困るだけだろう。またゆっくり寝てもらってから聞いてみることにしたほうが良さそうだ。
「いえ、何でもないわ。おやすみなさい、レミィ」
「そうだな、あれが夢じゃないのなら--いや、所詮夢さ」
でも、レミィは何の迷いも見せずにあっさりと解答を言ってのけた。
「まあ手強かったり辛かったりだと逃げたくなるだろうけどね。結局、悪夢だろうと心地良い夢だろうと全力で生きるだけだよ。現実かどうかなんて些細なことさ」
「うー、咲夜ーなんて言ってたのに頼もしいことで」
「なんのことやら」
図書館ですやすやと眠る少女が一人。静かな場所で眠るのは、とても気持ちよく体を休ませる。でも、そんなこと関係なしに、彼女はいつでもどこでも起こされる。
「お嬢様、起きてください」
「……んぅー」
完全に寝てしまった主人を起こすべく、咲夜は主人の小さな体を大きく揺する。最早椅子から転がり落としてしまうのでは無いだろうかと言う勢いだが、最初からここまで全開だったわけではない。いくら声をかけても、いくら揺り起こしてもレミリアが微動だにしないからだ。
「寝るならきちんと寝ないとお体に悪いですよ、お嬢様」
レミリアが倒れ掛かっている机まで大きく揺れだし、そろそろパチュリーが二人まとめてつまみ出そうかと思い始めたとき、ようやくレミリアがその目を開けた。
「……んん……なんだ、いつの間にか寝てしまってたか」
腕を思い切り伸ばし、しかし体は起こさない。上体はだらんと机に伸びたままだ。
「本をご覧になってる途中で、うとうとなされた後にガクッと」
ジェスチャーを交えて説明する咲夜を横目で見やり、小さく相槌を打ってはいるものの、その話は頭の中には入っていなかった。つまるところ、レミリアはまだ眠かった。
「そうか……おやすみ、咲夜」
「お嬢様!」
眠いのならば寝ればいい。とても単純で、とても合理的な解答だった……少なくとも、レミリア自身にとっては。
「別にいいじゃないか、減るもんじゃなし」
しかし、咲夜の次の一言でその解答には×を付けられることになる。
「その調子では一人前のレディにはなれませんよ?」
この一文は、レミリアのわがままに対する咲夜なりの必殺技だ。
内外から子供っぽいと言われているのを、レミリアは少し気にしていた。実際に子供っぽい、というか吸血鬼基準で言えばまだまだ子供なのだから気にしてもしょうがないところではあるが、それでも彼女には五百年生きてきた事で培われたプライドと言うものがある。だからレディとか淑女とか言う言葉にとても弱い。
そんな事を気にしてしまう時点でお子様なのだが、彼女はまだそこには気づいていなかった。
「あーあ、仕方ないな」
きちんと姿勢を正し、再び本へと向かい合う。そんな単純なレミリアを微笑ましく眺めていた咲夜だったが、さっきまで取っていた行動との矛盾が気になった。
「まだ読書は続けるんですね。すぐにお休みになられるのかと思いました」
「ちょっと気になるところがあってな」
そう言いつつもまだ眠たさを堪え切れてない様子のレミリアに、咲夜の充足感は上がる一方だった。
「お勉強大好きだものね、レミィは」
その言葉には若干の皮肉も込められていたが、大方パチュリーはレミリアの事をそう認めていた。だから途中でで居眠りをしても即退場とはならなかったわけだ。
「読んだら読むだけ出来ることも増えるし、強くなれる。嫌いになるわけが無いだろ?」
積み上がった魔導書の中に数冊娯楽用の小説が紛れているのは公然の秘密である。
「良い退屈しのぎにもなるしな」
「間違いないわね」
それだけ言うと、二人は目の前の本を読む事へ集中しようとした。図書館の扉が破裂しそうなほどの大きな音を立てて開かなければ、まさしくそうしていただろう。
「妹様ー、待ってください! 早すぎますよう」
「あははは、お姉さまみーつけた!」
図書館ではあまり見ない、美鈴とフランと言う組み合わせがいきなり現れた事に対し、三人は別々の思考を起こした。
-何か面白い事でも起きそうだな-
-騒がしい二人が来てしまった-
-妹様も相変わらず可愛い-
しかし、生じた疑問はみな同じものだった。
「フラン? 何を走り回ってるんだ」
「美鈴と遊んでたんだよ!」
満面の笑みでそう言い放つフランに対し、美鈴の表情はとても強張ったものになっていた。
というのも、咲夜がとても鋭い眼光で美鈴を見ていたからだ。顔は笑っているのに、目はハンターの物そのもの。美鈴は生きた心地がしていなかった。
「どういうことなの? 美鈴?」
「いや、違うんです。ですからそのナイフはしまってください」
「ちゃんと説明してくれたらそうするわ」
「……外で見張りをしていましたら、妹様に話しかけられまして。遊んでくれないとお嬢様を爆破しちゃうぞー、と」
冷や汗が止められないまま発された美鈴の説明は、今度はレミリアの表情を薄暗くさせた。
「フラン?」
「嘘じゃないよ! ちゃんと爆発させるつもりだったの」
汗を流す者が二人に増えた瞬間だった。
「妹様、こんなお姉ちゃんでも大事にしてあげないと駄目よ。こんなお姉ちゃんでも」
「あー、フラン。私が嫌いなのはわかるけど、なんでもかんでも爆発させればいいってもんじゃないぞ」
「いいえ、お姉さまは大好きよ! 殺しちゃいたいぐらい!」
「吸血鬼の愛情表現って難しいんですね……」
「みなさーん、紅茶をいれてきましたー」
「あら、小悪魔にしては気が利くじゃない」
「いやですね、いつでも利いてますよ」
最早収集を付けることが出来ないぐらいに騒々しくなってしまった図書館に、レミリアとパチュリーは作業を中断せざるを得なかった。フランまで来てしまった以上、この場を治めるのは無理だと二人とも諦め顔だったが、どこかしら笑っているようにも見えた。
「なんだか賑やかになってきたな、静かな場所が台無しだよ」
「にこにこしながら言うセリフではありませんわ」
「うるさい。まったく、こうも騒がしいと……本も……読め、な……」
まあ、これはこれで良いか。そうは思ったものの、空気が解れてリラックスしてしまった事で、頑張って抑えていた眠気が再びレミリアを襲った。彼女はそれに抗う事が出来ず--
「……ん」
目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。他に誰かいる気配は無く、聞こえるのは私が立てる衣擦れの音だけだった。
そして、寝起きの冴えない頭でも、ある一つの疑問を浮かべる事が出来た。どうしてここにいるのかと言うことだ。
私は図書館で寝ていたはずだ。誰か私を部屋まで運んでくれたのだろうか?それを確認する事が出来れば、この胸騒ぎも収まるのだろうか。
「咲夜、来て頂戴」
あの場に居た誰かに直接聞くというのが一番手っ取り早い。そう考えて咲夜を呼んでみたのだが、返事は無かった。おかしい、いつもならもうすでに側に来てくれているはずなのに。
「……咲夜ー」
さっきと同じように、何の反応も無い。どんなに忙しくても私の呼びかけは最優先事項のはずだ、すぐに来ないなんてありえない。もしかすると、咲夜の身に何かがあったのだろうか?そう考えてしまったら、いてもたってもいられなくなった。すぐに部屋を飛び出し、館に異常が発生していないか確認しようと部屋を飛び出す。
そんな私を迎えたのは、静寂で満ちた、誰も居ない廊下だった。それはそうだ、部屋から出たら目の前には廊下が広がっているのは当たり前だろう。
でも、その廊下は何も聞こえなさ過ぎたし、誰もいなさすぎた。廊下を見渡せば一人は見えなければならないメイド妖精すらいないというのは、あまりにも不自然な事だった。
考え込むより先に体が動いていた。いつも特定の場所にいる人物なら、そこに行けば会えるはずだ。
そう考えた私を裏切るように、図書館には誰一人存在していなかった。
立ち止まってはいけない。何故だかわからないが、そんな気がした。
だから私は館の隅から隅まで駆け回った。誰かいないのか、何か起こっていないのか。その他どんな事でもいい、何かこの異常に関したものが見つかれば、少しはこの胸騒も落ち着くだろう。それを期待しての事だった。
結果的に、その行動は胸騒を薄い絶望へ変えてしまっただけだった。
「……なんで誰もいないんだ」
小さな独り言すら反響するこの廊下が、恨めしく感じてしまった。何故? 一体何が起きた?
館内で動けるところは全て回った。こうなれば霊夢辺りに相談しに行くしかないだろう。大丈夫、どうせ些細な、異変とも呼べないような何かだ。不安がる事なんて、無い。
そうやって自分を元気付けながら、玄関の扉を開いて--そこで、遂に私は立ち止まってしまった。
館の上空一面に広がる、冗談みたいに黒い雲。そこから降りしきる、これまた冗談のような量の雨。それらが、私を外へ出すことを拒んでいた。そんな状況を見て、立ち尽くすことすら出来ず、膝をついてしまう。
現実ではありえない雨音から逃げるように、私は気が遠くなった。
「……っ!」
飛び起きると、そこは図書館。その騒々しさから、図書館に勢揃いしていた事を思い出す。
そうか。私は寝てしまっていて、あれは性質の悪い夢だったというわけだ。現実離れしていたのはそういうことだったのか。
「どうしたの。ようやくお目覚めかと思えば真っ青じゃない」
「あー……いや、なんでもない」
悪夢を見てうなされてしまったなんて言えば、からかわれるに決まっている。気にしなくていいと言いながら何気なく周りを見渡すと、何かが足りない事に気づいた。
「なあ、咲夜の姿が見えないんだが」
私が寝る前まで美鈴へナイフを向けていたはずの咲夜の姿が、無い。まるで最初から居なかったかのように、忽然と消えてしまっている。
「……何を言ってるの?」
「だって、今さっきまでここにいたじゃないか」
「お嬢様、咲夜さんはいません」
「いなくたって呼べば来るだろ。おーい、咲夜ー」
しかし、咲夜は姿を見せない。さっきまでの夢の中と同じように、何の返事も反応も無い。いつの間にか静かになった周りのやつらは、いつでも笑っているフラン以外は見てはいけないものを見てしまったような顔になっていた。
「……おい、みんな。凄い表情になってるぞ」
誰も何も答えない。そんなに一様に目をそらされたら、何か痛々しい事を自分が言っているような気がしてきてしまう。
いや、もしかすると?
「あは、お姉さまも狂っちゃった? でもしょうがないよね、あれは事故だったんだよ。お姉さまは何も悪くない」
「……なにを言ってるのかさっぱりなんだが」
「死んだんだよ、咲夜は」
何から何までさっぱりだった。しんだんだよ、ってなんだろう。しんだ、シンダ……死んだ?
「え?」
《死んだんだよ、咲夜は》? 一体、何を?
「い、妹様」
「レミィ、事実から目を背けてはいけないわ。彼女は……? ちょっと、レミィ、大丈--」
「また、か……」
開け放たれた玄関から覗く風景は何も変わらず、それが出している音も変わっていなかった。ただただ吸血鬼お断りな外。
意識を落とす度に切り替わる場面に、もう慣れてきていた。いったいどれが夢なんだろう? それとも全部夢?
「お姉さま、どこ行くの?」
そうだ、夢なんだ。だからこうやって話が二点三点する。だって、ここには誰もいなかったはずじゃないか。
「今さっき見た夢にはあんたはいなかったんだがな」
「夢?」
「ああ、夢さ。他のみんなは?」
「みんなお姉さまが《おいとまをだした》じゃない」
「私が?」
何故? そんなことを考えても仕方ないのだろう。夢だから。
「みんな出て行って、残ったのはわたしだけ! うふふ、愛されガールはつらいわー。そんなことよりお姉さま、どこに行こうとしてたの?」
「どこでもいいだろう? 私がどこへ行こうと私の勝手だ。まあ、雨が降ってて外には出れてないんだけどな」
「だって、その雨はやまないんでしょ? パチュリーにお願いして降らせてもらったんだよね? その雨は私とここにずっと一緒に居るためのものだって、そう言ってたじゃない! もしかして……忘れちゃったの? 嘘だったの?」
「……わからない」
「夢じゃないんだよ?」
「いいや、夢だよ……わっ!?」
フランはいきなりこちらに駆け寄り、そのままの勢いで抱きついてきた。私の耳元に口を近づけ、優しく囁いてくる。
「お姉さま、ドキドキしてる。これも夢なの?」
「別に、そんな」
「攻められると弱いんだよね。今だって、ほら」
「……っ」
「ふるふる震えて、可愛いね」
「私は、お前を壊したくない」
「わたしは壊してみたいな、お姉さまを。ずっと変化しないお家で、ずっと立ち止まって、ずっと愛し合いましょ?ずっと、ずっと、ずーっと!」
ああ、やっぱりやりすぎだっただろうか。目の前で苦しむ親友を見ていると、柄にも無くそんな気持ちが湧き上がってくる。
言いだしっぺはレミィだ。だから私は悪くない。……しかし、まさかここまで長くなってしまうとは思わなかった。どれだけ深く眠っているのかしら。
そんな風に心配してあげていると、目の前で唐突にレミィが跳ね起きた。その顔は汗でびっしょりと濡れていた。
「……はあっ!……はあ、はあ」
「やっと起きた。大丈夫? 真っ青だけど」
「……今度は私の部屋か」
完全におびえきった目をしていらっしゃる。どうやらまだ夢から覚めきれていないようだった。
「ちょっと、レミィ」
「咲夜!咲夜ー!」
「はい、お嬢様。どうされました?」
死体が生き返ったのを見たような顔で咲夜を凝視している。中々壮絶な物を見ていたようだ。
「い、生きてる……?」
「死んだことはまだ無いですね」
「……う、うー!」
咲夜によたよたと抱きつきにかかるレミィ。あまりにもいきなりのことに、咲夜は目を丸くするしかないようだ。
「お、お嬢様? あわわ、私何かしてしまいましたでしょうか。どういう状況なのですか」
「あー、怖かったのね、悪夢。錯乱しちゃってるじゃない」
ここまではっきりと大きな声で言ってあげれば、彼女も正気を取り戻せるだろう。
「…………ん、あー。いや、大丈夫だぞ」
よし、ようやく目が覚めたようだ。
「あら、今度は真っ赤になっちゃって。あなたが言ったのよ? 私に怖いものは無いって。どう? 怖くなったかしらレミリアちゃん」
「……そんなにだったかな」
まったく説得力の無い体制だ。ぴったりとくっついちゃってまあ。
「そういうことは咲夜と離れてから言わないと駄目でちゅよー」
「別にいいだろう! 咲夜、今日はこのまま寝るからな」
「あわわぁ」
「咲夜の血が足りなくなりそうね」
「咲夜からは血は吸わないぞ」
レミィが吸わなくとも、のぼせすぎて貧血になるだろう。
「まあいいわ。とりあえず、何でも甘く見ちゃだめよ。たかだか夢でも相当なものだったでしょう」
「ふん、正直に言うと相当怖かったな。もう真っ平だよ」
「あら、素直」
このまま強がってるものだと思っていたので、本心から意外だった。私のそんな様子を見て、レミィは照れ気味にちいさなため息をついた。
「強がってたらまた見せられそうだからな……さて、寝なおしだ。疲れた疲れた。行くぞ咲夜」
「はいぃ」
従者の顔色は常に伺っておいた方が良いのではないだろうか。比喩ではなく本当の意味で。
それにしても、夢、ねぇ。
「……レミィ」
「なんだ?」
私はたまにわからなくなる。ここが本当に夢じゃないのかどうか。思考実験の一種ではあるのだが、これに対する答えは見つけ出すことが出来ない。
「悪夢は真っ平だって言うけれど、もしあれが夢じゃないとすればどうする?」
「え?」
だから、レミィの答えも聞ける良い機会だと思った。だけど、いきなりこんな事を聞かれても困るだけだろう。またゆっくり寝てもらってから聞いてみることにしたほうが良さそうだ。
「いえ、何でもないわ。おやすみなさい、レミィ」
「そうだな、あれが夢じゃないのなら--いや、所詮夢さ」
でも、レミィは何の迷いも見せずにあっさりと解答を言ってのけた。
「まあ手強かったり辛かったりだと逃げたくなるだろうけどね。結局、悪夢だろうと心地良い夢だろうと全力で生きるだけだよ。現実かどうかなんて些細なことさ」
「うー、咲夜ーなんて言ってたのに頼もしいことで」
「なんのことやら」