まずご注意を、ボムの人ではありません。
この作品はボムの人の『秘封どうでしょう』に影響されて秘封的シチュエーションをひとつ投げかけてみようとした作品です。タイトル的にはボムの人の本編みたいですが内容はどうでしょう的なショートショートです。
百合・同性愛的な表現がありますので不快感などを抱いてしまう方にはお詫び申し上げます。
ボムの人、お許しください……。
「蓮子、いつもみたいな冗談じゃなく、本気であなたが好き。結婚したい」
秘封倶楽部部室31号室。もはや文化遺産的な古臭さを味あわせてくれる薄暗い店内。よく分からないけど昔ながらのジャズ喫茶なんて今の日本にはここしかないのではないかというこのお店で、メリーがBGMにかき消されない程度に、静かに言った。
その表情が今にも泣き出しそうな真剣な顔で、私は数秒前と同じ受け流し方が出来なくなって押し黙る。
いつもと違うメリー。友人のメリー。相棒のメリー。大切なメリー。境界を揺るがし恋人のメリーになりたいと言う。
私は帽子を深くかぶって視線をうつむけて沈思する。視界から消えてしまったメリーは身じろぎひとつしていない。
動揺を抑え込んで自分に問いかける。好きなの?
「……分からない」
未発達な私の恋のロジックは本気でその情報を処理してみたことが無いのだ。使うこともなく錆びついた回路がフリーズと再試行を繰り返して心の余裕を埋めて熱を生む。
「分からないんだ、メリー。自分でもなんて答えればいいのか、どう応えたいか分からないよ」
メリーが詰めていた息をほっと吐き出す。じゃあ、と一度区切って。
「私、待ってるから。会いに来て。それまで、倶楽部活動はお休み、ね」
「うん、ごめん」
「謝らないでよ、フラれたみたいじゃない」
メリーはうつむいたままの私を置いて、店を出て行く。ふらふらと意味もなくテーブルの上へ手を伸ばして、彼女の分のコーヒーカップに触れてみたけど、そこにはもう温かさは無くて微かな水気が指を伝った。
あれから三日。私は答えも出せず講義にも集中できず、メリーから離れた席で目が合わないようにうつむいて生きている。
友人たちが心配したり、からかって来ることもないのは二人の表情が深刻だからだろうか。ああ、すぐにどうでもいいことに思考がそれる。
うつ病まがいの思考ではメリーを今までどれだけ傷つけていただとか、それでも受け入れてやらないのかといった黒くもやもやとした考えばかり浮かんで、私の心が見えない。
私の知っているメリー。ちょっと不気味な、境界を見る少女。専攻は相対性精神学。サークルは秘封倶楽部に所属。好きなものは愛用のヘッドキャップに秘封倶楽部部室19号室(暗いし汚いし臭いし一時間とか平気で待たされるけど絶品揃いの店)のかぼちゃパフェにお気に入りのブーツと、そして私。
「はぁぁぁ……」
机に突っ伏して深々と息を吐く。すると、こほんと頭の前から咳払い。
いつの間にか大学付属の図書館に来ていたのだ。顔を上げると、目の前の席に座った少女が私のマナー違反にジト目を向けている。
普段の私らしからぬ失態に冷や汗をかきつつ、ごめんなさいと小声で言うと、少女は再び本に目を落とした。
不健康そうな白い肌に使われることの少なそうな表情筋、伸ばされた髪はふわふわと足元まで落ちており、ヘッドキャップで三日月型のアクセが小さく光を反射している。
ぱっと見の印象は綺麗だ。メリー以外にヘッドキャップしてる子なんて初めて見たかも。本の項をめくる指もすごい細い。箸より重いものを持ったことが無いと言われても信用してしまいそうな誇張無しに白魚のような指。
私より幾分幼く見えるし外来の利用者だろうか。誰の趣味か知らないが今時わざわざ物理書籍を満載したこの図書館は、変わり者のお嬢様には魅力的に映ったのかもしれないなんて、少女の経歴を勝手に想像してしまう。
「ねぇ」
「ん? なぁに?」
声を掛けられて、とっさにメリーへするように返事をしてしまった。ここにメリーはいないのに。
それに、少女の声はメリーには似ても似つかない無愛想な声だった。
「貴方、同性愛者なのかしら?」
「はぁ!?」
「声が大きいわ。人のことをジロジロ見ているから聞いてみただけよ」
やや低いけど発音だけはしっかりしていて、ちょっと早口。
メリーから離れていて少し寂しくなっていたのかもしれない。ヘッドキャップだけでメリーと重ねてしまっていたのだ。ガン見してしまっていたことに少女の指摘で今更気づく。
「ごめんなさい、あなたの帽子が珍しくて、友人を思い出していたの」
自分で使った友人という言葉に心がちくりと痛む。
少女は静かに本を閉じて、目を細める。その仕草が少しだけ妖艶で老獪な何かに見えて、気圧される。
「なるほどね。レズビアンは貴方ではなく、その友人という訳ね」
今度こそ言葉もない。図書館に無意識に足を運んでいたのは私が情報量を物質化したような物理書籍の空気に思考を研ぎ澄ます効果を求めてのことだったのかもしれないが、この少女はそれ以上に私の思考回路を刺激した。
「なぜそう思ったの?」
少女がしたり顔で笑う。
「魔女は人の心を表情と言葉、様々な情報で知るわ。まだ人生の半分も歩まない無防備な貴方の考えはこの本よりも読み解きやすい」
少女が先ほどまで読んでいた宇宙開発関係の書籍を優しく手のひらで撫でる。
ただの変わり者の少女ではなく、おそらく周囲から魔女と恐れられるほど頭のいい少女なのだ。私は姿勢を正してせっかくなので思考の整理に付き合ってもらおうと考えた。
少女も本を閉じたということはそういうつもりなのだろう。そして、きっと私と同じにロジックを重んじるこの少女は私より先に答えを出せるのだ。
「じゃあ、魔女のお嬢さん。私の心を教えてほしいわ。私は友人に告白されて、返事が出来ないでいるの」
「恋の悩みね。なかなか魔女に似合う話題かしら、それを専攻してる娘もいたような気がするけどあれは的外れね。ともあれ、深刻な悩みは一番親しい者か、後腐れの無い相手か、人でなしにするのが一番だわ」
この少女、いや、魔女は楽しんでいるのかもしれない。表情はほとんど動かないが見た目よりずっと饒舌だ。
「さて、後腐れ無くするために契約をしましょう。魔女である私は貴方に魔法をかけるわ。貴方は私にこの本と続刊の内容を分かりやすくまとめたレポートを提出してもらう。わたしの科学は錬金術止まりだから用語が多すぎて数日で蓄えるには膨大すぎるのよ。子どもでも分かるくらいに用語をかみ砕いて解説なさい。期日は三日後のこの時間。どう?」
あくまでも魔女で通す気なのだろう。私は苦笑して分厚いその書籍を見下ろして首肯した。
「分かったわ。その条件で魔法をかけてもらえる?」
「ええ、契約は成立ね。では心を読み解きましょうか。……まず貴方は同性愛者かしら?」
二度目の質問。今度は冷静に答えられる。
「いいえ、違う」
「恋愛経験は?」
「無いわ」
「同性愛についてはどう思う?」
一瞬だけ考えて答える。
「他人の性癖をどうこう言うつもりはないけれど、非効率的だと思う。生殖のために最終的には異性と関係を持つことになる気がするし。それが体外受精であろうと提供者はどこかに実在するわ」
「なるほどね。他人の非効率は良いけど自分の行動に反映するのは乗り気がしない性格なのね。じゃあ、遊びはどうかしら? 趣味は? ストレスを解消するためだけの行為に無駄を踏んでることは多いのではなくて」
これも簡単な質問。
「たしかに、娯楽だとか嗜好は無駄であることを楽しむものだと私も思う。でも、それをメリーとの関係に当てはめてしまうと、真剣なメリーに対して不実だわ。遊びじゃあ筋が通っていない」
予想通りとでもいうように魔女が頷く。
「そう、彼女のことが好きなのね。でもそれが恋愛感情かと言われると納得がいかない」
「ええ、私はメリーのことが好きだわ。それは確かよ」
反射的に口にしたがこれは間違いが無い。メリーは一生を共に歩む相棒だ。数年ですっかり私の一部みたいになってしまったのだ。
「じゃあ、メリーさんとの子どもなら欲しいかしら?」
急に難しくなった。メリーと私の子ども。技術的にはまだ無理としてもしできたらという仮定をしてみなさいということだろう。私から欲しいと言うことは無いかもしれないが、メリーにお願いされれば肯定的な気持ちになれそうな気がするし、もしそうして生まれた子どもを愛することもできると思う。
とりあえずそのまま伝えてみる。
「ふぅん、じゃあ……わたしの魔法で貴方とメリーさんの子どもを作れるようにしてあげたら解決かしら?」
それは何かが違うと思う。そもそも。
「それって、実は魔女のお嬢さんが遺伝子工学の最先端研究の責任者レベルの技術者ってこと?」
「さあ? どうかしらね。でも本当にできることよ。魔法をかけてあげましょうか?」
想像妊娠とかさせられちゃうオチじゃないわよね。とにかく、違うのだ。技術的にいけてもダメ。何かが引っかかってしまう。
「遠慮しておくわ。私は自分の気持ちに納得できればいいの」
「このアプローチでもダメね。契約と言うのは枷よ。貴方はきっと大好きなメリーさんと離れることはできない、けれどメリーさんと友人関係のままではいずれ貴方たちの時間はバラバラに離れてしまう。人を繋ぎ止めるための効率的な手段を相手から提示してくれたことについては?」
渡りに船だから頷いておけということだろうか? でも、私の感情がただの友情だった場合、私のわがままでメリーを縛り付けて傷つけ続けることになる。
「やっぱり簡単には肯定できないわね」
私の返答に魔女が微かに目を細める。
「嬉しいだとか、嫌だとかを聞きたかったのだけれど、その勘違いは近道になったわね」
その言葉に私は首をかしげて、数秒考えてからはたと気付く。
「そう、貴方は今、大切な論理よりも優先しているものを見つけたわ。貴方を満たす効率的な提案を捨ててでも優先したい想い。愛情」
簡単な話だ。趣味や娯楽以外は効率的で理論的に優れたものを選び続けた私の本音の奥。一番大切な位置にいつの間にかぴったりと収まっていたもの。マエリベリー・ハーン。ただ友人としての居心地の良さだけを享受したいなら口でだけ付き合えばいいのだ。それができないのはつまり。
つまり私が鈍感だっただけでずっとメリーにぞっこん惚れていたのである。振り返れば思い当たる節もある。
メリーに不必要に近づく相手には警戒してたし、道を歩くときは私が道路側だったし、ゼミの好きな課題よりもメリーとの倶楽部活動に時間がいっぱい裂けるようにスケジュールも組んだし、人目が無かったらついメリーに触れてしまってる自分もいるし、秘封倶楽部部室19号室の暗くて汚くて臭いあの場所は私的にはないわーってなるけどあそこのパフェを食べる時のメリーの顔が見たくてつい通ってしまうし、よく考えたらケータイ端末の待ち受け画像すらメリーのアップだった。
一度すとんとハマると、全てがあっさりと氷解する。むしろ私はストーカー一歩手前のレベルでメリーに恋をしていた。ただ自分やメリーの気持ちに対して向き合っていなかっただけで、周りから見たらガチの人だった。
「ぇぇぇぇ、なにそれそんな簡単に、ぇぇええ……」
「なにを悶えているのよ。魔女の授けた知恵が有難すぎたかしら? 外部から改めて証拠つきで何度も現行犯指摘してやらないと自分の恋心にも気付けない鈍感だなんて、相手のメリーさんとやらが可哀想ね」
「勘弁してぇぇ」
机に突っ伏して真っ赤な顔を手で包み込む。難解な自分の心を読み解こうとしていたはずだったのに、これではただ偶然出会った少女に、実は好きな相手と両想いだったよやったぁとノロケただけである。
「ともあれ、魔法はかけたわ。三日後に約束の物をここに持ってきて頂戴ね。手書きで、丁寧にね」
どうやら契約というのは本気だったらしい。というか、手書き? どれだけ物理書籍好きなの、この魔女。ちらりと顔を上げて本の厚さを確かめる。そういえば以前に読んだことのあるシリーズだったかも。
「藍、続きも持ってきてくれる?」
少女が近くの席に座っていた女性に声をかけると、女性は分かりましたと涼やかな声で答えて書架の間に消えて行く。どうやら本当にお嬢様だったようだ。従者が控えているとは驚きである。
あの本は確か四冊はあった気がする。不慣れな物理読書で腕が痛くなった記憶もある。三日以内に手書きでレポート、並大抵の苦行ではない。
「本は届けさせるから司書の人にチェックだけしてもらってメリーさんのところに行ってきたら? 今頃泣いているかもしれないわよ?」
魔女が嗤う。
脳裏に泣きそうなメリーの表情がフラッシュバックして、私は慌てて跳ね起きて司書のお姉さんに手短な説明を済ませて図書館を後にする。
急いでいたし魔女のあの態度なので、感謝の言葉は今日は不要な気がした。
今の時間ならまだメリーのゼミが終わる直前くらいだ。走れば会える。不思議と連絡しようだとか思わずに構内を全力でダッシュする。
久しぶりにキレてる気がする。メリーと離れてた数日分のストレスとか睡眠不足とか気付いてしまった自分の想いだとかが私の体に火を点してロケットみたいな推進力で恥とか外聞とか余計な心配をパージして一直線に走る。
流れて行く風景の中にとぼとぼと帰ろうとするメリーを見つけて、壁を蹴りつけるように直角に方向転換、周囲の学生がビビッて道を開ける。気にならない。
メリーの前まで一足飛びに駆け込んで、驚いた様子の彼女に息が乱れたままで叫ぶ。肺の中がほとんど空っぽで声量は小さいけど、一秒でも早く伝えなきゃいけない言葉。気持ち。
「メリー、私も貴方が好き! 結婚しよう。子どもは私もがんばって遺伝子工学の勉強するかコネ作る! あと、ごめんレポート手伝って!」
私はそこまで叫びきるとその場で倒れて学内中で噂される伝説の人になってしまった。実際には走ってる途中から意識無かった気がするので人から聞いた話だけど。
「それで、あのメリーさんとやらは紫の娘なのかしら?」
「パチュリー様、紫様からあまり詮索せぬようにと言われたはずですよ? 対価として七日間だけ外の世界でいくら本を読んでも良い、それで納得いただけたはずでは?」
「読んでもいいけど記録も禁止で持ち帰るのもダメでは詰め込める知識に限界があるじゃない。用語勉強してるだけで終わりかねないわ。動かない大図書館とまで言われるわたしを動かすには少し安くはないかしら?」
「そういう苦情は紫様に直接言ってください」
「紫だってわたしがどんな手合いか分かっていて、それでも送り込んだのだから派手にやらなければ大丈夫ってことよ。貴方はその辺が固いから困るわ。それにしても境界を見る能力ね……劣化しているから娘よりは遠い子孫かしらね。まあ血族を大切にするのはいいことだわ、過保護かもしれないけれど」
「いったいどこまで調べたのですか……」
「さあ? 策士の九尾を出し抜けたのだから使い魔を大量に用意していて正解だったわね」
「おかげさまで害虫駆除に忙しくて寝不足です」
「まあいいわ。紫の納得する結果にはなったかしらね? 蓮子という娘、常人にしては心の壁が強固だし鈍感だったから一時間だけ素直になれる魔法もオマケしたけど、どうなったかしらね」
「魔法と言うよりは呪いでは……まあ、悪い方には転ばぬよう願っております」
―――――――――――――――――
司書として潜入するために苦労した甲斐はあったように思う。
私が見ている前でメリーを想い苦悶する蓮子。彼女がパチュリーのアドバイスの後全力で走り出したのを見て私は素早く同僚に引継いで、休憩に行くふりをして人目につかぬよう走る。蓮メリの力か、蓮子の足は速い。
だが、ちゅっちゅを見逃すわけにはいかない。私の足もちゅっちゅの予感に震える。
蓮子がメリーを見つけて駆け寄る。私はやじうまに紛れるように素早く位置取りをする。
「メリー、私も貴方が好き! 結婚しよう。子どもは私もがんばって遺伝子工学の勉強するかコネ作る! あと、ごめんレポート手伝って!」
よかった……。
図書館に戻ってきて一息つく、女装や女声の特訓にながい年月をかけてしまったが、同僚にもバレずに目的のちゅっちゅは見られた。そろそろ次のちゅっちゅへ向かわなければ、だが、あと少しだけ余韻にひたっていたかった。
藍が受付に先ほどの本を持ってくるのを見て、私は完璧な演技で手続きを済ませる。
「……変わった趣味ですね司書のお兄さん」
妖怪の賢者の式は意外と高性能だった。
この作品はボムの人の『秘封どうでしょう』に影響されて秘封的シチュエーションをひとつ投げかけてみようとした作品です。タイトル的にはボムの人の本編みたいですが内容はどうでしょう的なショートショートです。
百合・同性愛的な表現がありますので不快感などを抱いてしまう方にはお詫び申し上げます。
ボムの人、お許しください……。
「蓮子、いつもみたいな冗談じゃなく、本気であなたが好き。結婚したい」
秘封倶楽部部室31号室。もはや文化遺産的な古臭さを味あわせてくれる薄暗い店内。よく分からないけど昔ながらのジャズ喫茶なんて今の日本にはここしかないのではないかというこのお店で、メリーがBGMにかき消されない程度に、静かに言った。
その表情が今にも泣き出しそうな真剣な顔で、私は数秒前と同じ受け流し方が出来なくなって押し黙る。
いつもと違うメリー。友人のメリー。相棒のメリー。大切なメリー。境界を揺るがし恋人のメリーになりたいと言う。
私は帽子を深くかぶって視線をうつむけて沈思する。視界から消えてしまったメリーは身じろぎひとつしていない。
動揺を抑え込んで自分に問いかける。好きなの?
「……分からない」
未発達な私の恋のロジックは本気でその情報を処理してみたことが無いのだ。使うこともなく錆びついた回路がフリーズと再試行を繰り返して心の余裕を埋めて熱を生む。
「分からないんだ、メリー。自分でもなんて答えればいいのか、どう応えたいか分からないよ」
メリーが詰めていた息をほっと吐き出す。じゃあ、と一度区切って。
「私、待ってるから。会いに来て。それまで、倶楽部活動はお休み、ね」
「うん、ごめん」
「謝らないでよ、フラれたみたいじゃない」
メリーはうつむいたままの私を置いて、店を出て行く。ふらふらと意味もなくテーブルの上へ手を伸ばして、彼女の分のコーヒーカップに触れてみたけど、そこにはもう温かさは無くて微かな水気が指を伝った。
あれから三日。私は答えも出せず講義にも集中できず、メリーから離れた席で目が合わないようにうつむいて生きている。
友人たちが心配したり、からかって来ることもないのは二人の表情が深刻だからだろうか。ああ、すぐにどうでもいいことに思考がそれる。
うつ病まがいの思考ではメリーを今までどれだけ傷つけていただとか、それでも受け入れてやらないのかといった黒くもやもやとした考えばかり浮かんで、私の心が見えない。
私の知っているメリー。ちょっと不気味な、境界を見る少女。専攻は相対性精神学。サークルは秘封倶楽部に所属。好きなものは愛用のヘッドキャップに秘封倶楽部部室19号室(暗いし汚いし臭いし一時間とか平気で待たされるけど絶品揃いの店)のかぼちゃパフェにお気に入りのブーツと、そして私。
「はぁぁぁ……」
机に突っ伏して深々と息を吐く。すると、こほんと頭の前から咳払い。
いつの間にか大学付属の図書館に来ていたのだ。顔を上げると、目の前の席に座った少女が私のマナー違反にジト目を向けている。
普段の私らしからぬ失態に冷や汗をかきつつ、ごめんなさいと小声で言うと、少女は再び本に目を落とした。
不健康そうな白い肌に使われることの少なそうな表情筋、伸ばされた髪はふわふわと足元まで落ちており、ヘッドキャップで三日月型のアクセが小さく光を反射している。
ぱっと見の印象は綺麗だ。メリー以外にヘッドキャップしてる子なんて初めて見たかも。本の項をめくる指もすごい細い。箸より重いものを持ったことが無いと言われても信用してしまいそうな誇張無しに白魚のような指。
私より幾分幼く見えるし外来の利用者だろうか。誰の趣味か知らないが今時わざわざ物理書籍を満載したこの図書館は、変わり者のお嬢様には魅力的に映ったのかもしれないなんて、少女の経歴を勝手に想像してしまう。
「ねぇ」
「ん? なぁに?」
声を掛けられて、とっさにメリーへするように返事をしてしまった。ここにメリーはいないのに。
それに、少女の声はメリーには似ても似つかない無愛想な声だった。
「貴方、同性愛者なのかしら?」
「はぁ!?」
「声が大きいわ。人のことをジロジロ見ているから聞いてみただけよ」
やや低いけど発音だけはしっかりしていて、ちょっと早口。
メリーから離れていて少し寂しくなっていたのかもしれない。ヘッドキャップだけでメリーと重ねてしまっていたのだ。ガン見してしまっていたことに少女の指摘で今更気づく。
「ごめんなさい、あなたの帽子が珍しくて、友人を思い出していたの」
自分で使った友人という言葉に心がちくりと痛む。
少女は静かに本を閉じて、目を細める。その仕草が少しだけ妖艶で老獪な何かに見えて、気圧される。
「なるほどね。レズビアンは貴方ではなく、その友人という訳ね」
今度こそ言葉もない。図書館に無意識に足を運んでいたのは私が情報量を物質化したような物理書籍の空気に思考を研ぎ澄ます効果を求めてのことだったのかもしれないが、この少女はそれ以上に私の思考回路を刺激した。
「なぜそう思ったの?」
少女がしたり顔で笑う。
「魔女は人の心を表情と言葉、様々な情報で知るわ。まだ人生の半分も歩まない無防備な貴方の考えはこの本よりも読み解きやすい」
少女が先ほどまで読んでいた宇宙開発関係の書籍を優しく手のひらで撫でる。
ただの変わり者の少女ではなく、おそらく周囲から魔女と恐れられるほど頭のいい少女なのだ。私は姿勢を正してせっかくなので思考の整理に付き合ってもらおうと考えた。
少女も本を閉じたということはそういうつもりなのだろう。そして、きっと私と同じにロジックを重んじるこの少女は私より先に答えを出せるのだ。
「じゃあ、魔女のお嬢さん。私の心を教えてほしいわ。私は友人に告白されて、返事が出来ないでいるの」
「恋の悩みね。なかなか魔女に似合う話題かしら、それを専攻してる娘もいたような気がするけどあれは的外れね。ともあれ、深刻な悩みは一番親しい者か、後腐れの無い相手か、人でなしにするのが一番だわ」
この少女、いや、魔女は楽しんでいるのかもしれない。表情はほとんど動かないが見た目よりずっと饒舌だ。
「さて、後腐れ無くするために契約をしましょう。魔女である私は貴方に魔法をかけるわ。貴方は私にこの本と続刊の内容を分かりやすくまとめたレポートを提出してもらう。わたしの科学は錬金術止まりだから用語が多すぎて数日で蓄えるには膨大すぎるのよ。子どもでも分かるくらいに用語をかみ砕いて解説なさい。期日は三日後のこの時間。どう?」
あくまでも魔女で通す気なのだろう。私は苦笑して分厚いその書籍を見下ろして首肯した。
「分かったわ。その条件で魔法をかけてもらえる?」
「ええ、契約は成立ね。では心を読み解きましょうか。……まず貴方は同性愛者かしら?」
二度目の質問。今度は冷静に答えられる。
「いいえ、違う」
「恋愛経験は?」
「無いわ」
「同性愛についてはどう思う?」
一瞬だけ考えて答える。
「他人の性癖をどうこう言うつもりはないけれど、非効率的だと思う。生殖のために最終的には異性と関係を持つことになる気がするし。それが体外受精であろうと提供者はどこかに実在するわ」
「なるほどね。他人の非効率は良いけど自分の行動に反映するのは乗り気がしない性格なのね。じゃあ、遊びはどうかしら? 趣味は? ストレスを解消するためだけの行為に無駄を踏んでることは多いのではなくて」
これも簡単な質問。
「たしかに、娯楽だとか嗜好は無駄であることを楽しむものだと私も思う。でも、それをメリーとの関係に当てはめてしまうと、真剣なメリーに対して不実だわ。遊びじゃあ筋が通っていない」
予想通りとでもいうように魔女が頷く。
「そう、彼女のことが好きなのね。でもそれが恋愛感情かと言われると納得がいかない」
「ええ、私はメリーのことが好きだわ。それは確かよ」
反射的に口にしたがこれは間違いが無い。メリーは一生を共に歩む相棒だ。数年ですっかり私の一部みたいになってしまったのだ。
「じゃあ、メリーさんとの子どもなら欲しいかしら?」
急に難しくなった。メリーと私の子ども。技術的にはまだ無理としてもしできたらという仮定をしてみなさいということだろう。私から欲しいと言うことは無いかもしれないが、メリーにお願いされれば肯定的な気持ちになれそうな気がするし、もしそうして生まれた子どもを愛することもできると思う。
とりあえずそのまま伝えてみる。
「ふぅん、じゃあ……わたしの魔法で貴方とメリーさんの子どもを作れるようにしてあげたら解決かしら?」
それは何かが違うと思う。そもそも。
「それって、実は魔女のお嬢さんが遺伝子工学の最先端研究の責任者レベルの技術者ってこと?」
「さあ? どうかしらね。でも本当にできることよ。魔法をかけてあげましょうか?」
想像妊娠とかさせられちゃうオチじゃないわよね。とにかく、違うのだ。技術的にいけてもダメ。何かが引っかかってしまう。
「遠慮しておくわ。私は自分の気持ちに納得できればいいの」
「このアプローチでもダメね。契約と言うのは枷よ。貴方はきっと大好きなメリーさんと離れることはできない、けれどメリーさんと友人関係のままではいずれ貴方たちの時間はバラバラに離れてしまう。人を繋ぎ止めるための効率的な手段を相手から提示してくれたことについては?」
渡りに船だから頷いておけということだろうか? でも、私の感情がただの友情だった場合、私のわがままでメリーを縛り付けて傷つけ続けることになる。
「やっぱり簡単には肯定できないわね」
私の返答に魔女が微かに目を細める。
「嬉しいだとか、嫌だとかを聞きたかったのだけれど、その勘違いは近道になったわね」
その言葉に私は首をかしげて、数秒考えてからはたと気付く。
「そう、貴方は今、大切な論理よりも優先しているものを見つけたわ。貴方を満たす効率的な提案を捨ててでも優先したい想い。愛情」
簡単な話だ。趣味や娯楽以外は効率的で理論的に優れたものを選び続けた私の本音の奥。一番大切な位置にいつの間にかぴったりと収まっていたもの。マエリベリー・ハーン。ただ友人としての居心地の良さだけを享受したいなら口でだけ付き合えばいいのだ。それができないのはつまり。
つまり私が鈍感だっただけでずっとメリーにぞっこん惚れていたのである。振り返れば思い当たる節もある。
メリーに不必要に近づく相手には警戒してたし、道を歩くときは私が道路側だったし、ゼミの好きな課題よりもメリーとの倶楽部活動に時間がいっぱい裂けるようにスケジュールも組んだし、人目が無かったらついメリーに触れてしまってる自分もいるし、秘封倶楽部部室19号室の暗くて汚くて臭いあの場所は私的にはないわーってなるけどあそこのパフェを食べる時のメリーの顔が見たくてつい通ってしまうし、よく考えたらケータイ端末の待ち受け画像すらメリーのアップだった。
一度すとんとハマると、全てがあっさりと氷解する。むしろ私はストーカー一歩手前のレベルでメリーに恋をしていた。ただ自分やメリーの気持ちに対して向き合っていなかっただけで、周りから見たらガチの人だった。
「ぇぇぇぇ、なにそれそんな簡単に、ぇぇええ……」
「なにを悶えているのよ。魔女の授けた知恵が有難すぎたかしら? 外部から改めて証拠つきで何度も現行犯指摘してやらないと自分の恋心にも気付けない鈍感だなんて、相手のメリーさんとやらが可哀想ね」
「勘弁してぇぇ」
机に突っ伏して真っ赤な顔を手で包み込む。難解な自分の心を読み解こうとしていたはずだったのに、これではただ偶然出会った少女に、実は好きな相手と両想いだったよやったぁとノロケただけである。
「ともあれ、魔法はかけたわ。三日後に約束の物をここに持ってきて頂戴ね。手書きで、丁寧にね」
どうやら契約というのは本気だったらしい。というか、手書き? どれだけ物理書籍好きなの、この魔女。ちらりと顔を上げて本の厚さを確かめる。そういえば以前に読んだことのあるシリーズだったかも。
「藍、続きも持ってきてくれる?」
少女が近くの席に座っていた女性に声をかけると、女性は分かりましたと涼やかな声で答えて書架の間に消えて行く。どうやら本当にお嬢様だったようだ。従者が控えているとは驚きである。
あの本は確か四冊はあった気がする。不慣れな物理読書で腕が痛くなった記憶もある。三日以内に手書きでレポート、並大抵の苦行ではない。
「本は届けさせるから司書の人にチェックだけしてもらってメリーさんのところに行ってきたら? 今頃泣いているかもしれないわよ?」
魔女が嗤う。
脳裏に泣きそうなメリーの表情がフラッシュバックして、私は慌てて跳ね起きて司書のお姉さんに手短な説明を済ませて図書館を後にする。
急いでいたし魔女のあの態度なので、感謝の言葉は今日は不要な気がした。
今の時間ならまだメリーのゼミが終わる直前くらいだ。走れば会える。不思議と連絡しようだとか思わずに構内を全力でダッシュする。
久しぶりにキレてる気がする。メリーと離れてた数日分のストレスとか睡眠不足とか気付いてしまった自分の想いだとかが私の体に火を点してロケットみたいな推進力で恥とか外聞とか余計な心配をパージして一直線に走る。
流れて行く風景の中にとぼとぼと帰ろうとするメリーを見つけて、壁を蹴りつけるように直角に方向転換、周囲の学生がビビッて道を開ける。気にならない。
メリーの前まで一足飛びに駆け込んで、驚いた様子の彼女に息が乱れたままで叫ぶ。肺の中がほとんど空っぽで声量は小さいけど、一秒でも早く伝えなきゃいけない言葉。気持ち。
「メリー、私も貴方が好き! 結婚しよう。子どもは私もがんばって遺伝子工学の勉強するかコネ作る! あと、ごめんレポート手伝って!」
私はそこまで叫びきるとその場で倒れて学内中で噂される伝説の人になってしまった。実際には走ってる途中から意識無かった気がするので人から聞いた話だけど。
「それで、あのメリーさんとやらは紫の娘なのかしら?」
「パチュリー様、紫様からあまり詮索せぬようにと言われたはずですよ? 対価として七日間だけ外の世界でいくら本を読んでも良い、それで納得いただけたはずでは?」
「読んでもいいけど記録も禁止で持ち帰るのもダメでは詰め込める知識に限界があるじゃない。用語勉強してるだけで終わりかねないわ。動かない大図書館とまで言われるわたしを動かすには少し安くはないかしら?」
「そういう苦情は紫様に直接言ってください」
「紫だってわたしがどんな手合いか分かっていて、それでも送り込んだのだから派手にやらなければ大丈夫ってことよ。貴方はその辺が固いから困るわ。それにしても境界を見る能力ね……劣化しているから娘よりは遠い子孫かしらね。まあ血族を大切にするのはいいことだわ、過保護かもしれないけれど」
「いったいどこまで調べたのですか……」
「さあ? 策士の九尾を出し抜けたのだから使い魔を大量に用意していて正解だったわね」
「おかげさまで害虫駆除に忙しくて寝不足です」
「まあいいわ。紫の納得する結果にはなったかしらね? 蓮子という娘、常人にしては心の壁が強固だし鈍感だったから一時間だけ素直になれる魔法もオマケしたけど、どうなったかしらね」
「魔法と言うよりは呪いでは……まあ、悪い方には転ばぬよう願っております」
―――――――――――――――――
司書として潜入するために苦労した甲斐はあったように思う。
私が見ている前でメリーを想い苦悶する蓮子。彼女がパチュリーのアドバイスの後全力で走り出したのを見て私は素早く同僚に引継いで、休憩に行くふりをして人目につかぬよう走る。蓮メリの力か、蓮子の足は速い。
だが、ちゅっちゅを見逃すわけにはいかない。私の足もちゅっちゅの予感に震える。
蓮子がメリーを見つけて駆け寄る。私はやじうまに紛れるように素早く位置取りをする。
「メリー、私も貴方が好き! 結婚しよう。子どもは私もがんばって遺伝子工学の勉強するかコネ作る! あと、ごめんレポート手伝って!」
よかった……。
図書館に戻ってきて一息つく、女装や女声の特訓にながい年月をかけてしまったが、同僚にもバレずに目的のちゅっちゅは見られた。そろそろ次のちゅっちゅへ向かわなければ、だが、あと少しだけ余韻にひたっていたかった。
藍が受付に先ほどの本を持ってくるのを見て、私は完璧な演技で手続きを済ませる。
「……変わった趣味ですね司書のお兄さん」
妖怪の賢者の式は意外と高性能だった。
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 ̄ \ ( E) グッジョブ!!
フ /ヽ ヽ_//
(このAAをコメするのが長年の夢でした)
■ぱっちぇさん「きちんと申請をしたうえで今私は某大学付属図書館で読書をしてるんだが、周囲からやたらと視線を感じる件について」
某大学生たち「おいぱっちぇさんだぜ」「あの美しい紫の髪」「雪原の様な白い肌」「あああのジト目で睨まれたい」
「お前声かけてこいよ」「ばっかおまえアグニレイディアンスされたいのか?」「いやオレはむしろされたい」
「それ以前に図書館内でナンパ紛いはマナー違反だろ?」「それもそうだな」「よし図書館出るまで待とうぜ」
→図書館にて謎の飢餓患者局地的大量発生!今ここ!
>>さて、後腐れ無くするために契約をしましょう
→ちょ、ぱっちぇさん人でなしは嫌だったんですね!?
>>メリーと私の子ども。技術的にはまだ無理として
→嘘だッ!
>>でも本当にできることよ。魔法をかけてあげましょうか?
→国際連合専門機関員「我々の業界ではいっぱんてk、」ぱっちぇさん「ちょっと黙っててもらえるかしら」
>>よく考えたらケータイ端末の待ち受け画像すらメリーのアップだった。
→国際連合専門機関員「我々の業界ではいっぱんてk、」蓮子「ちょっと黙っててくれる?」
>>壁を蹴りつけるように直角に方向転換
→ちゃんみお式ターンだとッ!?
>>妖怪の賢者の式は意外と高性能だった。
→ばかなっ、細胞から変異するホムンクルス並の擬態技術の筈だぞ!?
■無許可だと!?許せる!
■メリー+蓮子→紫!?素晴らしいこれならめっめこっこだけでなくゆっゆも報われるぞ!(謎)
■はい、正直に嬉しいです。ありがとうございました。
■ところでうたみかん様さえ良ければ貴秀作へ“秘封どうでしょう”タグを入れて頂けませんか?
→というのもですね、秘封どうでしょう一作目のあとがきに、秘封的シチュエーション書いたらみんなもこのタグ付けようぜ!と書いたのですが、いや横暴かなと思ってすぐに一行消したのです。そのためこのタグはシリーズタグではなく、ジャンルタグとして共有して、秘封作品を増やそうと言う狙いが元々あったんですね。そのため氏のような文才のあるお方にタグを入れて頂ければ、当初の目的を果たせられるのみでなく、一層の“秘封的シチュエーション”の流行につながるぞと、そのように考えるわけです。
■一読者が作品のタグへ口を出すなどととても差し出がましい事ではありますが、お願いできますでしょうか?
■あ、あと“ボムの人リスペクト”のタグは外していただけると嬉しいかなぁー、なんて思ったり(w
リスペクトタグは外しました、よく考えたらけっこう恥ずかしいですよね、気が回らずごめんなさい。長編の続き楽しみにしておりますw
ボムの人さんの話はまだ読んだことないけど是非読まねば。
最近色んな秘封が読めて満足です。