Coolier - 新生・東方創想話

紅い館

2014/01/31 18:36:36
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 人間、十六夜咲夜がその部屋で目撃したものは特別珍しい光景では無かった。この館の主の妹が寝食を行う部屋としてはあまりに質素で簡素な暗晦としたそこは、いつもと変わらず鼻を突く悪臭が漂っている。香しくて美味しい紅茶をフランにお願い、と主に言われて用意したのはいいものの、こんな部屋では香りもへったくれもないといつも思う。両手に携えたティーセットを重く感じるのは恐らく気のせいでは無く、今すぐ足を翻したい衝動も、この部屋の主と同様に室内自体が触れてはならない空気を放っているからに他ならない。開いたままにしてある錆びだらけの扉を今すぐ潜り抜けたい。そうして時を止めた後彼女に気付かれないよう扉を閉め、何事も無かったかのように紅茶を流しに捨ててお嬢様に戻りましたと告げてしまいたい。従者としてあるまじきその行為を咲夜が行う事は永遠に無いのだが、そう思ってしまう思考だけは永遠に止める事が出来ないだろう。
 人間、十六夜咲夜がその部屋で目撃したものは特別珍しい光景では無かった。なぜなら妹様によるその遊戯は幾度と無く館の住人が認めているし、咲夜自身彼女のそうした遊びを見る事も日常茶飯事であったから。それでもメイドたる咲夜が部屋の入り口から一歩も前に進めないのは部屋の主たる彼女が纏う形容し得ない雰囲気であり、そのきらきらとした純真無垢のあどけない笑顔と部屋の有様が実にアンバランスにマッチしている事が原因だった。非日常には慣れていても、理解する事を放棄してしまいたくなるごくごく普通な日常にはいつまで経っても耐性が付く事は無く、結果として肉食動物に囲まれた草食動物のように一瞬思考を放棄して立ち尽くす事しか出来なくなる。とはいえそれも一瞬、咲夜は音を立てて扉を閉めると足音を響かせて彼女に近付いて行った。
 人間、十六夜咲夜がその部屋で目撃したものは特別珍しい光景では無かった。こうしてわざと音を立てて存在をアピールしてみせても一人遊びに夢中な彼女がそれに気付くことは無い。きっと関心のあるなしじゃなくて、根本として認識力が欠けているのだ。そう思い込む事で咲夜は彼女の事を嫌いにならずに済むし、妖精達のように必要以上に彼女を怖がる事もなくなる。けれどもこちらから声をかけるのは躊躇ってしまう。彼女はその遊びに酷くご熱心のようで、声をかけでもしたら邪魔だという理由だけで消し飛ばされてしまいそうだからだ。こつこつ、と靴底を鳴らす。彼女はこちらを見る事も無く、相変わらず自分の世界に篭ったままだ。一人でしかいない筈なのに、まるで最愛の人と会話でもしているかのようにその顔は喜びで彩られている。焦点が合っているのが怖い。なぜって、その先は壁しか無いのだから。もう一度、今度は彼女の座るベッドの傍で靴底を高く鳴らした。主の妹に対してとんでもなく不躾な態度だとは自分でも思うが、それ以上の積極的な接触に勇気がいるのだ。暫く経っても、彼女がこちらを振り返る事はなく、やはりと大きく息を吸い込んだ咲夜は口を開こうとした。
 人間、十六夜咲夜がその部屋で目撃したものは特別珍しい光景では無かった。少女の肩越しには人間の物だと思われる青紫色の腕が見える。肩から指先までごっそりまるごと毟り取られたのだろう、無理矢理引き剥がされた事を証明する皮膚の裂け目。その前に気が遠くなる程痛めつけられたのだろう、びっしりと全体を覆う青紫色の痣。肘が逆に曲がっている。指の一本一本の更にその一つ一つの関節部分が全て逆に折り曲げられている。彼女は独り言を続けながら、まるで電話中メモ帳に落書きするかのように手の中の腕を、指を、ぱきぱきと音を立てて弄んでいた。自分自身人間を捌く立場である咲夜はそれ自体驚きこそしなかったものの、それが無意識での行為である事を用意に察する事が出来てしまい改めて気狂いという言葉の恐ろしさを知った。よく見ると腕の他に足もある。ベッドの淵にお気に入りのリボンを引っ掛けるような気軽さで腸が引っ掛けられている。彼女の足元に転がっているのは性器のように見えた。それ自体は構わない、この部屋ではそれがごくごく普通の日常として回っているのだから。腐臭も汚臭もひっくるめた悪臭の元は部屋中に散乱している。雑多に解体され、飽きた積木のように無造作に捨て置かれた生き物だった欠片。肉片と呼ぶにも寂しいそれらは最早ただのゴミでしか無い。これらを掃除するのも自分の役目なのだが、果たして彼女の手元にあるそれも片付けさせてくれるのだろうか。
 人間、十六夜咲夜がその部屋で目撃したものは特別珍しい光景では無かった。だから彼女は視界に映ったそれらのことごとくをただ受け入れ、何かしらの感慨も感情も抱く事無く彫像品が無造作に置かれているような感覚で無視を決め込む。本来の彼女の用件はそうじゃないのだ。妹様に紅茶を淹れて差し上げる事、それが今の咲夜の全てであり、絶対に成さねばならない必須項目だ。だってそれが終わらないとこの部屋から出る事が出来ないから。目眩がした気がした。人間の臓物の腐臭のせいだろう。そう考えて、咲夜は努めて早くこの役目を切り上げようと思った。
 「妹様」
 何でもないように、そう、言うなれば家族に声をかけるような暖かさを込めたものではなく、正確に言うならば鏡を前にして笑顔の練習をするかのようなぎこちなさで、事実をありのままに述べるのであれば壁を前にして独り言を呟くような無機質さで咲夜は声をかけた。ぐるん、とまずサイドテールが大きく揺れる。続いてそれに引っ張られたかのようにフランドールが咲夜に振り返った。その表情は驚きに満ちている。
 「咲夜? びっくりした。いつからいたの?」
 「たった今ですわ」
 「そう、また時を止めたのね? びっくりするから止めてって、前にも言ったじゃない」
 そんな事は一度も言われた事が無いし、時を止めた覚えも無い。
 「申し訳ありません」
 「いいわ。それで、どんな用事? 今は忙しくないから、少しだけなら話を聞いてあげてもいいよ」
 生き物として当然の、感情の込められた言葉で彼女と会話する。その現実はふわふわと頼り無く咲夜を包み地に足が付いていないような、けれど全身ずぶ濡れになってしまったかのような重たさを伝えてきて、本当に自分が口を開いて彼女と会話しているのか疑問に思ってしまうくらいに希薄だった。彼女が平然と人語を解しあまつさえこの自分と平静と会話を成り立たせている事象が信じ難い。けれどもこれが今起こっているありのままの事なのだと納得して、咲夜は近くにあった簡素な机にティーセットを置いた。ところどころ細切れにされた肉片が散らばっていたり赤黒い血痕らしき物がこびり付いたそんな場所で給仕をするなど正気の沙汰とは思えなかったが、それこそが今の自分の仕事なのだ。言い聞かせるように自分の役職を胸の内で唱えながら咲夜はカップに紅茶を注いでいく。その様子を眺めていたフランドールはひたすら大人しく咲夜の言葉を待っていた。
 「お嬢様からのプレゼントですよ」
 そんなものは真っ赤な嘘だったが、少しでも姉妹間で愛情を深めて貰いたい使用人としては間違っていない言葉選びだっただろう。かちゃ、と音を立てて上品な小皿に乗せたカップを彼女に差し出す。悪魔の妹と揶揄される彼女は一度それを目で捉えると、次いで咲夜を見上げて批難がましい視線を向けた。
 「そんな事を聞いているんじゃないわ。咲夜はどんな用事でここに来たのか、それを尋ねているのに」
 言いながら、フランドールは淹れたての紅茶の香りを嗅いで顔を顰め、ちろりと舌先で舐めてみては不味そうに舌を突き出した。決して気持ちのいい行為では無かったが、どうしてか咲夜は彼女のそんな反応に安心感を覚えてしまっている。その根源は辿ればきっと直ぐに分かるのだろうが、対して知ろうとも思えなくて咲夜は置かれたカップを片付け始めた。瞳だけでその動きを追うフランドールの挙動に手先が震えそうになる。
 「私はお嬢様の言い付けで、妹様に紅茶を淹れに参ったのです」
 「なら用はもう済んだのね」
 ティーセットを片付ける手が止まりその言葉の後に続いただろう台詞を想像してしまう。せいせいした、或いは早く消えて、だろうか。容易く拒絶の意思を感じさせる彼女の態度は仕える者にとって聞きたくなくても聞き逃せない言葉になる。けれどもそれ以上彼女が咲夜に何かを言う事は無く、それどころか最早彼女は咲夜を見てすらいない。再び壁と向き合っては牢獄のようなそこに乾いた血で幾何学的な何かを描き始めている。乾いているのだからろくな物が描けず、その後姿から不満そうな空気が痛い程伝わってきてしまい咲夜は言わずにはいられなかった。言いたくはないけれど言わなくてはいけない。なぜなら咲夜はお嬢様の従者であり、翻せばお嬢様の妹様は咲夜の主であるも同然だからだ。ティーセットを持ったまま咲夜は声をかける。
 「新しい物を持ってきましょうか」
 「聞く暇があるならさっさとしてよ」
 唇の内側が切れた。血の味が口内を満たし、舌の上に自分の味が流れる。咲夜は時を止めず返事もせず黙って退室するとまずはティーセットを片付けに行く。それから食糧庫へ向かうと貯蔵していた支給品の中から死にかけを選んで手招きした。脅えきっているのか動く気配が無いそいつにナイフをチラつかせるも結果は変わらない。仕方が無いのでそいつに深々と刃先を突き刺し悲鳴を上げさせてから別の者に視線を向ける。目があった彼は涙ながらに肩を震わせていていた。肉付きもあまり良くなく明らかに不健康そうだったが、こんなのをお嬢様に出すくらいなら妹様の玩具として消費してしまった方が適材適所になるだろう。手招きに大人しく従うそいつを連れて食糧庫を出て行き、鍵を閉める。何事かをぶつぶつと繰り返すそいつを無視して来た道を戻っていき、臭くて臭くて堪らない地下室へと戻って来た。扉を開けたままにしていたらしく、咲夜は己の小さな失態に自省した。妹様は、お嬢様の妹様なのだ。自分の気持ちよりも優先されるべきであり、優先させるべきものだ。ナイフを仕舞って連れて来た男を部屋に放り込む。部屋から出て行った時と何一つ変わらない様子の彼女の姿を見て咲夜は静かに深呼吸をすると、足音を大きく響かせてその背後に近付いた。当然振り向かないその背中に拳を握り、男が逃げ出さないように目の端で見張りながら彼女に告げた。
 「代わりを連れて来ました」
 「咲夜? びっくりした。いつからいたの?」
 その驚きに満ちた愛らしい表情にぞっとする。
 「たった今ですわ」
 「そう、相変わらず気配が無いのね。で、何を連れて来たって?」
 咲夜は一歩引くと嗚咽を漏らす男を見つめる。その姿があまりに不快で憐れみすら感じる事が出来ず直ぐに視線を外した。戻した視界には新しい玩具を貰った子供が嬉しそうに笑っておりベッドから飛び降りると同時に男の片腕を引き千切りにかかる。仕留め方はお嬢様から教わっている筈なのに、彼女は断末魔を聞くのが趣味なのか喉元を押さえる事も口を塞ぐ事も無く無造作に腕を掴み、奪い取り、片足で男の身体を蹴飛ばすと新品の筆に喜びの笑い声を上げた。やせ細った筆を振り回してベッドに戻る彼女をただ見ていた咲夜は一度だけ男に視線を向けた。痛み故にか恐怖故にか気を失っている彼を見て一抹の良心を手に入れて、彼女の方から振ってくる新鮮な血液を髪に浴びて顔に浴びて微笑みを浮かべた。
 人間、十六夜咲夜がその部屋で目撃したものは特別珍しい光景では無かった。もう自分を振り返る事が無いだろうその後姿をひとしきり眺めた後、血化粧を手の甲で拭い八つ当たりで気絶した男の頭を蹴り飛ばし叩き起こしてから腹を踏み付けた。耳にするのも汚らわしい音がその喉を震わせて搾り出されるのを見届けて全身を毛虫が這うような感触を味わいまた頭を蹴った。自身の吐瀉物の上でもがく男に興味を失い彼女の姿を目に納める。
 人間、十六夜咲夜がその部屋で目撃したものは特別珍しい光景では無かった。臓物と血痕と腐肉の臭気で満ちた部屋で人間の腕を筆代わりにして壁に幾何学模様を描いては時折思い出したように壁に向って喋りかけ実に楽しそうに笑う彼女がぐるりと首を回してこちらを見る。心臓を鷲掴みにされたような冷たさを臓物に感じ唇から飛び出した自分の悲鳴を聞き逃した。
 「まだいたの?」
 時を止めた咲夜が汗を切りながら地上へ駆け上っていく。




 人間、霧雨魔理沙が図書館で遭遇したのはありふれた日常の中の一コマだった。大風呂敷を広げて目に付いた興味深い魔術書を片っ端から突っ込んでいた魔理沙はその行為を中断して地下室へ続く階段から咲夜が飛び出して来たのを目撃した。こちらを見向きもせずに走り去る彼女を見送った後作業を再開させる。今しがた過ぎ去った咲夜の引きつった表情はこれまでに一度も見た事が無く本来なら魔理沙にとって日課を中断させてでもその謎を解明したくなる衝動に駆られる所だが、既に大よその見当は付いていた。咲夜も人間なのだ、襲い掛かる生理現象にまでは瀟洒に振舞えなくて寧ろ当然。一人納得し頭をうんうんと頷かせる魔理沙は、気が付くと自分の隣に誰かが立っているのを視界の端で捉え身構える。
 人間、霧雨魔理沙が図書館で遭遇したのはありふれた日常の中の一コマだった。魔理沙の横に立っていたのは紛れも無いこの図書館の主であり、病的なまでに白い肌も寝巻きのような動きやすそうな服装も何事にも興味を抱いていなさそうな気だるげな瞳も常と変わらぬ様相だった。直ぐに追い払うような素振りこそ見せないものの、いつ彼女の独特な魔法が飛んでくるか分からない。魔理沙は再び行為を中断するとその場に立ち上がり、箒にいつでも飛び乗れるように心構えを新たにした。
 人間、霧雨魔理沙が図書館で遭遇したのはありふれた日常の中の一コマだった。彼女はそんな魔理沙の行動を黙って見つめたままで何の反応も返す事無く、ようやくその唇が動いたかと思うとしかしそこから紡がれる音は何一つ無く。ゆっくりと持ち上げられた腕の先、華奢なあまり触れれば折れてしまいそうな程細い指が力無く風呂敷の上の本を指差した。
 「また持っていくつもり?」
 「何度も言ってるだろ。借りるだけだぜ」
 人間、霧雨魔理沙が図書館で遭遇したのはありふれた日常の一コマだった。いつもと何も変わらないやり取りが始まるのだろう、そう思った魔理沙が回避運動にて優位性を保つ為に箒に跨る。それを止めもしない彼女がまた唇を動かすものの、やはりそれは魔理沙の耳に届かない。ひょっとして詠唱だろうか、と思うが直ぐにその考えを打ち消す。術者の耳にすら入らない詠唱など何の意味も無い、そこにあるのは言霊を介して自分と自然を繋ぐ役割なのだから。ならばさっきからこの魔女がぼそぼそと口元を動かすのに何の意味があるのだろうか、と首を傾げ、魔理沙は珍しい事に一度跨った箒から降りた。
 「何か私に言いたい事でもあるのか?」
 そう思ったので、思ったままの言葉を投げ掛けた。本を返せ、本を持っていくな、聞き飽きた台詞は何度も何度も聞いてきたが、今回はそれらとはどうも違う感じがしたのだ。彼女は魔理沙に問われて何をそんなに驚くのか目を見張り、言葉も出さずに息遣いだけで驚きを伝えてきた。そして逡巡する。言うべきか言わざるかを迷うような意思はそこに無く、どちらかと言えば、言えるのか、言えないのか、そう心配しているように見えた。魔理沙は魔女が生唾を飲み込む音を確かに聞き届け、彼女がこんなにも緊張している姿に戸惑いを覚える。こんなこと、今までにあっただろうか。
 「 」
 「ん? 何だって?」
 一瞬何かが聞こえた気がしたが、何も聞こえない。何かを言われたような気もするが、何も言われていない。不思議に思って喋った筈の彼女を見れば、彼女は何の感情も浮かべていなかった。まるで、そうあるべきものがそうだった、ただそれだけの事実を確認したかのような顔。からかわれたのだろうか、と、一応言葉の続きを暫く待ってみるものの結局それ以上何かを発する事が無かった魔女が顔を伏せる。慣れない類の沈黙に居心地が悪くなり、魔理沙は直ぐにでもそこから去ってしまいたい衝動に駆られるが、同時にこの魔女をこのまま置いておくにはいかない、という思いも感じていた。その理由が分からなくても、そうと自分が思ったのだからきっとそうするべきなのだろう。深くは考えず、魔理沙は彼女に手を差し出した。
 「毎日こんな所に引きこもってるからそうなるんだ。たまには私とどこかへ出かけないか?」
 顔を上げた魔女が差し出された掌をまじまじと見つめており、何らかの反応があると思っていた魔理沙の予想はけれども外れてしまった。そのまま時間が止まる。どこまでもどこまでも歩いてみせても長く暗く深いトンネルから出られないかのように終わりが見えてこない。不毛な事をしていると自覚しながらも、それをせずにはいられない必要性を見出してしまった魔理沙がひたすら待つ。果たして魔女はのろのろと自身の手を持ち上げ、差し出されたその手の上に手を重ねた。底なし沼から抜け出した時のような安堵感に包まれた魔理沙は、しかしそれが早計だったと思い知らされた。重なったばかりの手と手が離れる。
 「魔理沙、貴方じゃ私の運命を覆せない」
 その言葉の意味を計りかね、素直に聞き返した。
 「どういう意味なんだ」
 「言葉通りの意味よ。運命とは決定されたものであり、それにどう抗おうとも所詮は焼け石に水。終着点が一つしかないのなら、どんな経過を歩もうとも辿り着く結果は変わらない」
 そこまで聞いて彼女の言わんとする事を理解した魔理沙が頷いた。要するに、図書館から出る気は無い、という事でいいのだろうか。もしそうなら余計な事をしてしまったと思うし、魔理沙としても無理矢理彼女を図書館から連れ去るつもりは無い。ひどく寂しく感じる差し出した手を下ろし、魔理沙は彼女を連れて外に出る事を諦めた。だが、彼女の、運命という言葉を強調した言い方には思う所があった。察するに、もしかしたら彼女は親友のレミリアにこそ連れ出して欲しいのかもしれない。思い返せば宴会の時は普通に顔を出しているのだ、レミリアと一緒なら彼女も外に出る、そういう事なのだろう。
 「私じゃ無理なのは分かった。でも聞かせてくれ、レミリアならパチュリーを連れ出すのは可能なのか?」
 即答はせず、魔女は少しだけ考える素振りを見せた後静かに頷いてみせた。魔理沙は自分の推察が遠からずも近からず当たっていると仮定付け、早速吸血鬼の元へ向かおうと足を踏み出した。彼女に礼を言って風呂敷をまとめ、それすら止められる事がない強烈な違和感に後ろ髪を引かれながらも背中を向けて歩き出す。よっ、っと掛け声をかけて風呂敷を背負い、箒に跨った所で前方を魔女に阻まれた。その手にはさっきまでは無かった、開かれた状態の魔道書が。
 「どこに行くつもり?」
 「決まってるだろ。レミリアの所だ」
 「今は止めなさい」
 何度目かも分からない違和感がじわじわと魔理沙の胸を締め付ける。一向に正体の見えない不安はやがて明確な形を持って危機感へと変わる。魔理沙は問い詰める事を決意した。
 「どうして今は駄目なんだ」
 「妹様の機嫌がいいからよ」
 「意味が分からない。また脱走を企てるって事か?」
 「妹様が脱走を企てた事は一度も無い」
 「何言ってるんだ。私と霊夢で紅霧異変を解決した後、フランが外に出ようとして」
 「あの一連の流れを画策したのはレミィ。妹様はレミィの言う通りにしただけ」
 意味が分からない。何を言っているんだ。頭の中で同じ言葉が反響する。もっと分かりやすく説明してくれ。順を追って噛み砕いて説明してくれ。そう言ってやりたい魔理沙だったが、どうも今日の魔女はおかしい。反論してはいけない迫力をその姿に感じて魔理沙は押し黙る。そもそもどうして本の事については一言も触れて来ないんだ。それが瑣末な事になる程の何かが紅魔館で起こっているのか。あまりに情報が足りず、判断する事も躊躇ってしまう事態に思考を放棄してしまいたくなる。それを察したのか魔女がまた口を開いた。
 「貴方が私達を理解する必要は無い。この館はただ一人の吸血鬼の為だけに存在している。そう、この館の全ては、一人の吸血鬼の為だけに存在しているのよ」
 「パチュリー?」
 その声には憂いなど無かった。悲しむような響きも無ければ哀れむような感情も無く当然諦めたような寂しさも無かった。事実を事実のままに。どこまでもそれを貫く魔女の姿を穴が空く程見ていた魔理沙は不意に合ったその視線に身を竦ませた。何の感情も込められていない人形のような瞳が魔理沙を映している。疲労も感じさせず不健康さも感じさせない顔が正常とは言い難い色でこちらを向いていた。無音を紡ぐ唇が無機質に何かの動きを繰り返し見様によっては必死に何かを伝えようとしているようにも捉える事が出来たが彼女の表情を見ているとそれは呪詛のようにしか見えず魔理沙は目を逸らす事しかできない。逸らした視線の先に、こちらを穿つ程の眼差しを向ける魔女がいて目が合った。驚愕に支配された身体が箒から落下する。元いた場所に魔女の姿は無く、瞬間移動でもしたかのように魔女は自分の傍らに立っていた。一歩彼女が近付くと腰から力が抜けるような感覚を味わい早くここから逃げなければいけないと脅迫観念が働き邪魔な風呂敷から手を離すと必死に箒を掴み取る。片手で掴んだ筈の箒にはもう一つその柄を掴む手がありそれがさっきまで自分の手と重なっていた魔女の手だと理解すると悲鳴を上げて箒から後退った。ゆらゆらとした動きでこちらに歩み寄る魔女の緩慢な動作に捕まるともう二度とは帰れない想像をしてしまいその予感を否定出来る材料が腐る程自分の中にあるにも関わらずそれら材料が今はまるで役に立たない現実が魔理沙の目尻に涙を滲ませた。湖面に口を突き出した魚のように口をぱくぱくと動かし助けてくれと懇願しようとしても肝心の声が出る事は無く自分に向かって無造作に伸ばされた白い手が視界を覆った時全てを諦める覚悟と絶対に生き延びてみせる想いとが魔理沙の中で交錯し次に視界が明るくなった時魔理沙は自分の家にいた。
 人間、霧雨魔理沙が図書館で遭遇したのはありふれた日常の一コマだった。どうして家にいるのか理解出来ない魔理沙は自分の身体を見下ろして、どこにも異常が見られない事を確認し混乱しそうになる。何か無いのか、と全身をくまなく調べる内に、ポケットから一枚の紙切れが見付かると縋る思いでそれを開いた。
 『やはり貴方では私の運命を覆せない』
 そこにはパチュリーの字で書かれた小さく綺麗な文字が並んでいて、その内容を何度も何度も読み返した魔理沙はためつすがめつ紙をひっくり返して光に透かしてみてと調べ尽くし何の仕掛けも無いのだと理解して、どっと安堵した。何が何だかまるで理解出来ないが、どうやら彼女に騙されたようだ。そう自分を納得させて、魔理沙は震えの止まらない身体を抱き締めて着替える事も無く布団に潜り込み睡魔を待った。




 神社に飛び込んできた報せを聞いた霊夢は一目散に紅魔館へ向けて飛び立つ。信じられない、という気持ちとついにこの時が来たのか、と腹をくくる気持ちとが合わさり霊夢の足を速めさせた。人里に死に物狂いで辿り着いた人間の言う事を全て鵜呑みにする程愚かなつもりは無いが、そんな馬鹿な話がある筈無いと一蹴する程無知でも無かった。霧の湖を飛べば程なくしてその館は見えてくる。紅い館の前に立つ門番と視線がかち合い、無視しようかと思ったが巫女としての勘がそれをさせなかった。
 夜だというのに嫌に明るい紅魔館は月の光を浴びて殊更にその毒々しさを強くしているように見える。見上げる程に背の高い囲いも、鉄の柵越しに映る咲き乱れた尖った赤も、それら全てを背負って立つこの門番も不気味な雰囲気を醸し出していた。
 「こんな夜も遅くに、何の御用でしょう。人間はもう寝る時間ですよ?」
 地に足を下ろした霊夢を迎えた第一声は理知的な挨拶だった。取って食われるような気配は無く、神社に来た報せが誤報だったのかと思いたい霊夢が油断無くその目を見つめる。
 「あんたのとこから、吸血鬼に襲われた人間が逃げてきたのよ。腕をもぎ取られてた。死ぬかもしれない」
 「生きて人里まで行けたんですね。可哀想に」
 まるで世間話で隣家の不幸を笑うかのような態度に、霊夢の思考が冷たいもので覆われていく。否定どころかはっきりと肯定してみせた妖怪が喉を鳴らして笑う様に、ふつふつと全身の血がゆっくりと沸騰していくような荒々しさが自分の中に芽生えていくのが分かった。人間をあんな目に合わせて、まさか無事でいられるとでも思っているのだろうか。御幣を抜いた霊夢に、彼女の目が静かに細められた。
 「申し訳ありませんが、私は貴方と闘えないんです。武器を収めてくれませんか?」
 「ここまでやっておいて、それで通るとでも思ってるの?」
 弾幕ごっこに興じる為の異変起こしでは無いのだ。れっきとして人間の生死が絡んでくる以上、博麗の巫女として、否、それ以前に人として見過ごすわけにはいかない。言葉の割には距離を取るわけでもない妖怪を前に、霊夢は厳しい視線のまま間合いを詰めていく。自分の足音と風の音と湖のせせらぎに耳を澄ませ、本当に自ら動くつもりが無い妖怪に不信感を募らせながらその眼前に立った。
 「私としても親玉を倒さないと意味が無いのよ。レミリアの所まで通して貰うわ」
 「それでしたらご自由に。お嬢様も喜ぶと思いますよ」
 途端に朗らかに笑う妖怪。吐き気を覚えるくらいの切替を目の当たりにして霊夢の眉間が狭くなった。
 「レミリアの次はあんたよ」
 反吐が出る。そう言って霊夢が門番の横を素通りし、鉄柵を押して館の中へ入っていった。その後姿をどこか呆れた様子で眺めていた妖怪が、独り言をぽつりと漏らして見送った。
 「何を勘違いしているのやら」
 紅魔館の内部はいつもと何一つ変わらず平穏そのものに見えた。真面目な妖精メイドが掃除をしている傍らで不真面目な妖精メイドが掃除をサボっている。誰もそれに注意する事なく、見咎めた妖精メイドも一緒になって遊び始めては掃除した場所が散らかっていく。それらをことごとく無視して二階へ向かった霊夢は諸悪の根源と思われる吸血鬼の部屋の前で見知った人間が顔を青くしているのを見付けて足を止めた。この館のメイド長を勤める彼女は、果たして今回の事を知っているのだろうか。
 「咲夜」
 御幣を仕舞った霊夢が声をかけた。彼女は最初、その呼び掛けに無反応だったが霊夢の足音を聞いてようよう顔をそちらへと向けた。霊夢から見ると彼女はひどく憔悴したような顔付きにも映ったし、疲労を溜め込んでいるだけのようにも捉えられた。距離が縮まり霊夢が部屋の前に着く頃になると彼女は突然懐中時計を取り出し時刻を確かめ、そして霊夢を見ては声を潜めて詰問を始めた。
 「こんな時間に何してるの。ここがどこだか分かってるの?」
 「紅魔館でしょ。レミリアに用があるのよ、通してくれない?」
 「今日は駄目よ」
 今日は、という言い方に引っかかりを覚えた霊夢。どうして今日は駄目なのか。下手な言い訳にしては不自然で、ましな言い訳をするなら夜も遅いこの時間帯の事を言うだろう。それに気付いたのか、彼女は続く筈の言葉を飲み込んで霊夢の肩を掴んだまま止まってしまう。何かがおかしい。そう感じ取った霊夢が彼女の身体を退かすと、予想外にも彼女は何の抵抗も示さなかった。振り返った霊夢の目に映ったのは、虚ろな笑みを浮かべた咲夜だった。その視線は霊夢を見ておらず、霊夢を通り越した先にある部屋の主を透視しているかのようだった。
 「通るわよ? いいのよね?」
 流石に気味が悪くなった霊夢が念を押す形で彼女に尋ねるも、彼女は視線を固定したまま黙って頷くだけだった。自分に対する返事なのかただの条件反射なのか判別が付かない動きは機械人形のようで、霊夢は吸血鬼を後回しにして彼女の傍にいた方がいいかもしれない、と考えてしまう。
 「霊夢。一つだけ忠告させて」
 戸惑いの連続だった霊夢に彼女はそうと言い、身体を寄せる。その身体から漂ってくる鼻が曲がるような匂いに気付いた霊夢が顔を顰めた。血が滲んだメイド長の唇から漏れた、曰く忠告とかいう言葉は霊夢を今までで一番大きく戸惑わせた。
 「悪魔にみいった者は、永遠に悪魔の物よ」
 「どういう、意味?」
 自分の声とは思えない、小さく震えたような囁きが漏れ出す。お風呂の栓を抜いた時のように、霊夢の怒気が少しずつ、けれども急速に身体から抜けていく。彼女はそれだけ告げるともう霊夢を省みる事は無く、いつものようにしっかりとした足取りで背筋を伸ばし階下へ降りていった。言われた内容を頭の中で繰り返す霊夢。悪魔に魅入った者、と彼女は言った。逆じゃないのか? 悪魔に魅入られた者こそが悪魔の物にされてしまうのではないのか。そう考えて、自分は何かにつけては吸血鬼からアプローチをかけられているのを思い出す。魅入られた内に入るのか分からないが、仮にそうだとしたら自分はまだ悪魔の物になっていない。ではもし、自分があの吸血鬼に魅入るような事があったなら。そんな思考は馬鹿馬鹿しいと思う。だから霊夢は頭を振り払い、手の中の汗を袖口で拭った。そんな問答をする為にここに来たんじゃないのだ。人里に逃げ込んだという人間。はっきりと見たわけじゃないが、人里から報せを持ってきた人間の話の限りでは、紅魔館に絶対的な非がある。幻想郷の秩序を保つ為、脅える人里の人達の為にもここではっきりさせなければいけない。例えそれが、吸血鬼を滅ぼす結果になったとしても。
 すべすべとしていて肌触りのいい質感をした扉をノックも無しに押す。鍵もかけられていない観音扉は音も立てずに開かれていき、その先に広がる紅で統一された部屋には優雅に紅茶を嗜む件の吸血鬼が微笑みを浮かべてこちらを見ていた。小洒落た机の上には彼女が飲んでいる紅茶とは別にもう一つカップが置かれており、まるで最初から自分の来訪を予見していたかのような態度に憤りが甦ってくるのを感じて、霊夢は声もかけずにずかずかと侵入した。吸血鬼は相変わらず一言も発する事無くただそれを眺めているだけで、事の深刻さをまるで理解していなさそうな幼い少女に霊夢は御幣を突き出した。
 「どういうつもり?」
 「霊夢こそ。私にそんな物を向けて、どういうつもり?」
 今霊夢が纏っているのは正真正銘の霊力だった。弾幕ごっこで使うような内側に込めるようなものではない、妖怪退治として外側にだけ向ける殺意を持った力。それを受けて平然としている彼女は微笑を崩さず、寧ろ対面に座るように勧めてきた。そんな物、と言ったからには今がどういう状況なのか正しく理解しているのだろう。しかしそれ以上の動きが無いのを見るに、もしかしたら自分が本気じゃないとでも思っているのかもしれない。霊夢は唇を強く結ぶと、警告のつもりで御幣を振るった。
 吸血鬼に対して振り下ろした筈の御幣は半ばから叩き折られ、見事にひしゃげたその姿では本来の能力など発揮出来る筈も無い。目を剥いたのも一瞬、反撃を恐れて後方に跳躍した霊夢だったが、その様を嘲笑うかのように彼女は椅子から微動だにしなかった。
 「こんな時間に吸血鬼退治だなんて。本当に貴方は面白い」
 くふっ、と笑い声。肌が粟立つ感触に袖を振った霊夢が御札を展開する。防御にも攻撃にも優れた陣ではあるが、そこで霊夢の動きは止まってしまった。彼女の姿が無い。つい先刻まで椅子に座って人を馬鹿にしていた吸血鬼が消えている。改めて防御結界を張り巡らし、部屋の中を巡らすもどこにも人影は無い。あるのは趣味の悪い数々の調度品と剥製、でかでかと飾られた自画像と幾何学的な模様をしたおかしな壁の彫刻。気配を探ってみてもそれらしき物は感じられず、一度結界を解いた霊夢は壁に直接彫られた彫刻に歩み寄った。目を凝らしてみると、うっすら紅い。瞬き一つせず見つめていると、まるで結界寸前のダムから水が溢れ出すように模様から紅い液体が流れ始めた。気味が悪いが、それ以上に魔術的な何かを感じ取った霊夢がその雫を指に絡め取る。それが何であるかなど、調べるまでも無い。これは、きっと人間の血。
 「レディの部屋を物色だなんて。貧乏は心まで醜くするのかしら」
 清貧は美しい、が、ただの貧困に価値は無い。そう一人呟く吸血鬼の声がどこからか響いた。
 「これ、人間の血でしょ」
 「よく分かったわね。どうやって見分けたの?」
 「聞いてみただけよ。そう思っただけ」
 悪びれもしない無邪気な声が神経に障った。霧にでもなっているのか、声はすれどもその姿は捉えられない。代わりに、さっきまでは微塵も感じられなかった吸血鬼の気配が今はほんの少しだけ、漂うに感じられた。
 「ねぇ霊夢。まずは私達、話し合うべきだと思わない? 私は貴方がどうしてそんなに怒っているのか、心当たりがあるのだけれどそれが正しいのか分からない」
 「たぶん当たってるから話し合いは不要よ。それとも臆病な吸血鬼様は、理由が無いと人前に姿を晒せないのかしら」
 「貴方のそういう所は、本当に気に入ってるわ」
 フランの部屋まで来てちょうだい。そうとだけ残して、吸血鬼の気配は完全に消えた。恐らくここでいつまで待っていても変化は訪れないだろう。霊夢は地下に向う前に、もう一度壁の幾何学模様をした彫刻を見た。人間の血が染み出しているそこはただただ不気味だった。
 吸血鬼の言葉に誘われるままに辿り着いた先には鉄製の見るからに重そうな扉が待ち構えており、わざわざノックをするのも馬鹿らしいと思った霊夢はさっさとそこを押し開けた。僅かな隙間が出来た瞬間に室内から臭ってくる腐臭。それと同じ匂いをついさっき嗅いだ事を思い出し、脳裏に浮かんだメイド長の言葉を思い出した。悪魔に魅入った者は、永遠に悪魔の物。どういう意味なのか未だに真意を見出せない台詞だったが、今はそんな思考、瑣末な物でしか無い。答えを出せない問題よりももっと明確な、はっきりと答えが出ている問題があるのだ。まずはそちらを先に片付ける。必然ともう一つの問題も片付くのだから、こんなに楽な事は無い。
 視界に飛び込んできた、凄惨という言葉以外に形容し難い惨状。地獄とはこういう場所を言うのだろう、一瞬で鼻が効かなくなるような強烈な臭気と、まともに焦点を合わせたくない人間だったものの残骸。そこで穏やかに笑う姉妹の穢れた姿は直視に耐えない。部屋に踏み込んだものの、それから一歩も先に進めなくなってしまった。これ以上足を進めようものなら間違いなく人間だったものを踏み付けるだろうし、あのメイド長の制服のように巫女服にまでこの匂いが染み込むかもしれない。たたらを踏む霊夢に声をかけたのは、吸血鬼の姉の方だった。
 「どうしたの? そんなところで立っていると、声がよく聞こえないんじゃない?」
 分かってて言っているのだろう、その憎たらしい表情は完全に霊夢を馬鹿にしている。それでも霊夢は前に進む事が出来ず、結局部屋の入り口から返事をする形になってしまった。
 「会話するだけならここで十分よ。それで、私と何を話したいって?」
 いつの間にか彼女の望む通りの展開になっている。それをひしひしと感じながらも、この流れを変える為に部屋の中へ入って行こうとはどうしても思えず、霊夢は甘んじて彼女の要求を飲むしかない。
 「貴方がここに来た理由。貴方が怒っている、その理由。そして、それらに対する私の正当性。間違っているのは貴方、その理由」
 霊夢は短気な方だが、それだけ言われて理性を見失う程未熟では無い。一連の言葉を挑発として受け取った霊夢は言葉を荒くする事もなく、その場で腕組みして彼女に応じた。
 「人里に半死半生の人間が来た。紅魔館で監禁されて出されたと思ったら腕を引き千切られて、表情の無い女の子に助けられた。そう主張する外来人が人里に来たのよ」
 「それは間違いなく本当の事ね。そいつを監禁させたのは私だし、そいつを出してフランの玩具にしたのは咲夜だし、そいつの腕を千切って筆代わりにしたのはフランだし、そいつを紅魔館から逃がしたのはパチェだし、そいつが人里に逃げるのを見逃したのは美鈴だしね。何の相違も無いわ」
 吸血鬼の姉はその内容自体には興味が無いのか、妹の羽を指で弄んでいる。妹の方はといえば姉に構ってもらえるのが嬉しいのか抵抗するどころかその腕の中に飛び込み頬擦りして甘えていた。この部屋で。何とも気色悪い光景だ、と思う霊夢はその姉妹の背後に姉の部屋で見たのと全く同じ幾何学模様が描かれているのを見て戦慄した。それが壁に直接刻まれたものとかでは断じて無くて、滴る赤黒い色を見れば紛れも無く人間の血で描かれたものだと分かってしまったからだ。
 「それで、そいつがどうしかしたの。死んだのならお葬式でもしてあげればいいじゃない」
 ああ、霊夢は神教だからお葬式はしないのかしら。と、まるで興味無さそうな声で姉が呟く。
 「そういう問題じゃ無いでしょ。この幻想郷で、何でそんな事をしたのかって話よ。まだ他にも監禁されてる人がいるっていうし、もしそれも本当なら」
 「そこよ」
 苛立つ霊夢の声に、姉が指を突きつけて霊夢を遮った。妹が煩わしそうに霊夢を片目で見て、その視線の無感動さに弾幕ごっこで出会った少女と同一人物なのかと我が目を疑った。
 「この幻想郷で、と貴方は言ったわ。では聞くけど、幻想郷とは何? そもそも幻想郷とは、どうして作られたの?」
 まさかこの吸血鬼を相手にそんな事を言われるとは夢にも思わなかった霊夢だが、その質問の答えなら知っている。いや、この時代の博麗の巫女として、当然理解している、とでも言うべきか。今更妖怪を相手にこのような質問をぶつけられても動揺する事など何一つ無い。だから霊夢は答えようとした。人間と妖怪が共存出来る理想郷なのだと。醜い殺し合いなど繰り広げられる事の無い平和で暖かい世界なのだと。そう、ただそう言ってやるだけなのに霊夢にはそれが出来なかった。対峙する吸血鬼が自分の答えを求めていなかったから。
 「見当違いもいいところ。思わず私がそう言ってしまうような、そんなつまらない事を貴方は言うのでしょう? とても残念だわ、私は貴方の事気に入ってるのに。ねぇ、気に入ってるのよ」
 人間の腸に囲まれてくすくすと笑っているおぞましい妖怪に気に入られても何一つ嬉しくない。そう思う霊夢は眼光を光らせるだけで言葉を発しない。発する気にもならない。そんな霊夢を片目で見つめていた悪魔の妹は何を思ったのか、自身の頭を優しく愛でる姉を見上げずに一言だけ溢す。
 「いらないなら私が壊しますわ、お姉様」
 一切の感情が込められていない無機質な言葉がその無垢な瞳と共に霊夢の身を強張らせる。その様子を気配だけで感じ取ったのか、吸血鬼の姉はさも可笑しそうにくすくすと唇を歪めた。
 「ダメよフラン。ここは幻想郷。幻想郷の住人を傷付けてしまったら、私達の安息が無くなってしまう」
 「はい。お姉様」
 たしなめられたその内容よりも、姉に声をかけて貰えた喜びで返事をしたような妹の声音も空恐ろしかったが、それ以上に妹に注意した姉の言葉、その内容が恐ろしかった。博麗の巫女をまるで、名前も知らない人里の人間と同程度に扱うような口調。そしてそれは、あの悪魔の妹の能力を持ってすれば脆さ儚さで言ってしまえばその通りでしか無いのだ。二の句を告げないでいる霊夢に流し目を寄越した姉が口を開く。
 「そうよね霊夢。妖怪は人里の人間を襲っちゃあいけない。それが幻想郷のルール。ところで、外から来た人間はどうだったかしらね」
 そこで彼女の言い分を理解した霊夢は人間と妖怪が生涯相容れない事を同時に理解した。ルールに適用されなかったら何をしてもいいとでも主張するつもりなのだろうか。そんな事は人として間違っているし、人外であれそれが道理の筈だ。彼女は壊れている。何の根拠も無くそう思う霊夢は、しかし自分のその考えに強烈な違和感を覚えてしまい眉を顰めた。
 「あんたの言い分は分かった。でもそれが、生きている人間を嬲って遊んでいい事にはならない」
 「どうして?」
 とても意外そうに聞き返してきた吸血鬼の、それも姉の方の言葉に握る掌が汗ばんでいくのが分かる。話が通じない、価値観が違う、種族の壁、そんな言葉達のなんと生易しい事か。
 「私にはいらないもの」
 一瞬何の事を言っているのか分からなかった霊夢。その表情を見つめている内にようようその意味を悟る。彼女が常日頃から自分に向ける言葉、『私の物にならない?』。それと咲夜が忠告した言葉とが歯車が噛み合うように合わさった。何の関連性も無い筈なのに、巫女としての勘が告げているのだ。この吸血鬼にとって、他人とは。自分が欲しいと思うか思わないか、それだけの二種類しかいないのだ。人間という枠に留まらず、恐らくは自分以外の全ての生物が玩具でしかない。子供などという比喩を超越している。悪気は無い、悪意も無い、ただそこには無意識な自分至上主義の尊大で利己的な我侭しかない。世界に自分しか存在していないのだ。
 これ以上関わるのは危険。そうと勘が判断してから、吸血鬼討伐を自分一人で行うのを改める。私がこいつに殺されないのは自分が幻想郷の要だからじゃない、ただ私という存在を自分の物にしたがっているだけなのだ。もしそのおぞましい好意が裏返ったら。自分の邪魔をする「いらない」物など躊躇無く壊すだろう、それも自分の手は汚さず、妹の破壊の能力を用いて。
 「それでね霊夢。私は貴方に許されるのか許されないのか、そこにしか興味が無いのだけれど」
 気が付けば彼女は立ち上がり、妹の手を引いて自分の方へとゆっくりと歩いてきていた。その緩慢な歩みとその細い脚で踏み付ける臓物ととても美しく笑うその口元から覗く犬歯もそこから紡がれる言葉の数々も全てが自分一人に向けられている事を肌で感じ取った霊夢が一歩後退する。それを見て微笑みを強くした吸血鬼の姉と目が合い霊夢は反射的に顔を逸らしてしまった。くふ、という聞きなれた笑い声が耳朶を震わせると近付く足音がいやに大きく聞こえてしまい背中を伝う汗の感触が嫌な予感を感じさせる。
 「私は貴方を、気に入ってるのよ」
 可笑しそうに嗤う彼女の声音を聞き届ける前に、霊夢は走り出していた。後ろからその自分を見つめてくる姉妹の視線を振り払うように階段を駆け上がる。一時前に従者が同じ感情を抱いて同じ事をした事実さえ知らない霊夢はいつまでもいつまでも二人の絡みつくような視線が身体にまとわり付いているような気がして両手を激しく振って階段を駆け上る。図書館を抜け廊下を走り玄関扉を押し開いて庭園に踏み出した瞬間に自分を迎える三人の館の住人を見て自分の鼓動が止まったと誤認した。
 従者と魔女と門番が三者三様に霊夢を眺めている。物言わぬ彼女達の視線の中で唯一溌剌としているのは門番の瞳だけであり、他の二人の瞳は巨大な何かに屈した後のように虚ろげで不安そうだった。美鈴が声をかける。
 「さようなら、霊夢さん」
 果たしてその言葉にはどのような意味が込められていたのか霊夢には知る由もなく、視線を逸らし申し訳なさそうな咲夜と無表情に拍車をかけた無感動な魔女が黙したまま立っているだけでその言葉を肯定も否定もしてくれない。この状況で逃げるのは容易い事のように思えたがそれを実行に移す気概は今の霊夢に無く無防備に空を飛んでいれば妹の小さな掌に握り潰されるビジョンだけが既視感のように網膜に貼り付いており、確かに十分な距離を離した筈の姉妹の姿が無い事を確認する為に振り返れば当然のように傍若とそこに立つ二人の姿を認めてしまい御幣を落としてしまう。呼吸を求めて喘ぐ唇が何かを発する事は無く戦慄く指先が縋る先を求めて空を掴む。その様を見て楽しそうに朗らかに酷薄に冷たく笑った悪魔が右手を掲げ誘導されるように霊夢の両目はそれを追いかけてしまい指を鳴らす直前で止まったその動作が最後の機会である事を瞬時に見抜くも巫女でしか無い霊夢に出来る事は限られていてそれが鳴らされる前にこの場を脱する事も彼女の動きを止める事も出来ずただ見守るだけを強要されてしまえば初めてそこで従者の言っていた見入るの意味を理解し歯噛みして最後の最後に彼女の瞳を真っ直ぐと捉えた。
 悪魔は霊夢の視線を受け止めると静かに指を鳴らす。門番は門番に戻り、魔女は図書館に戻り、従者は俯きながら館へと戻っていく。妹は不満そうに姉を見上げた後に巫女を睨み、姉は優雅にスカートを翻してその場を後にした。












こんばんは、ぬえすけです
あのタグでここまで読んでくれた強者さんに、熱く感謝です。

はい、圧倒的に情報が不足してますね。なにこのクソSSらんらんるー、と思った方は黙って10点入れちゃって下さい。10点も与えたくない方は無評価で罵詈雑言浴びせて下さい。きちんと全部受け止めます。
ええ、まぁ、時間がかかった割にはこんな内容になっちゃいましたね。人間視点だけで作ろうとしたらこうなったんですけど、私の力量不足でこんな形でしか完成させられませんでした。
ここまで付き合ってくれた方々、ありがとうございます。投稿されたコメント及び点数は今後の創作活動において指針、とまではいかないですが参考にさせて貰います。
ぬえすけ
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コメント



0.130簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
回りくどい書き方で容量の割りに内容が薄かった。
2.80名前が無い程度の能力削除
タグは読者への挑戦状だと受け取りました。その上で文章から読み取れることからできる限り想像してみると、理由は省きますが、以下のような結論になりました。
1.解読できない二次「設定」とは、「運命を操る程度の能力」の設定である。
2.レミリアを含むすべての館の住人の行動はすべてレミリアの脚本により規定され、特にフランドールについてそれが顕著である。今回は霊夢を呼びつけるために脚本が用意された。
3.霊夢だけが「人間、」を付されていないのは彼女がまだ脚本に載っていなかったからだと思われる。もっとも、彼女のすべての行動はレミリアにより規定された。
4.人形遊びは、幼い女の子が大変に好むものだ。
これらの推測から、レミリアの能力を妄想するに、たぶん「劇場に見立てた館の敷地内で、彼女に見入った役者の将来の行動と、館内の乱数を、身体の手足のように自在に操れる」てなところでしょうか。その行動原理は4のとおりかと。
8.80超空気作家まるきゅー削除
文章が達者で素敵。
おそらくこの文章形態で書くのは丁寧に時間をかけて書かないと無理でしょうね。
まあ読むほうも時間かかるので痛し痒しですが。

ところで、本作ですが、私が推察したのは
SFではすでにありがちかもしれない、量子力学的な重ね合わせの状態から
最適解を選び取る能力だと思いました。
リフレインのように繰り返される情景描写からして、そんな感じです。

ところで、単純に読まれたいっていうことからすれば、この作品はかなりアウトレンジ攻めてますね。まず、読まれない系統というか。
単純に改行おおめにするだけでもたぶん大分違うんじゃないかと思います。
9.無評価楼花泥凡削除
読み取る読み取らない以前に文章が面白くないんですよね。物語じゃなく文章そのものが。ごちゃごちゃしていて情報に溢れていて、その割に一つ一つに対する描写は一文で終わる程度に短く、さっさと次を描く、何か煩雑なんです。
あと自信が無いなら投稿しなければ良いのだし、投稿するならネチネチ言って欲しくなかった。あなたはこれを何点だと思ってるんです?
10.90名前が無い程度の能力削除
文章が回りくどいのは一種の催眠を狙ったんじゃないですかね
かなり陰惨ですが、文章のおかげでそんなに陰惨だと感じないし、憤怒して霊夢と同じ感想を抱いたりしにくいから霊夢とレミリアの対比もあまり霊夢側によらずにみることが出来ます
今迄人道的な世界にいた東方少女らが
人道的であるべきだと思っていた幻想郷の友人が実はそうでない加虐を喜びとし、可能ならとことん実行するやつらだと知ったので、これから東方少女らはどうするかが気になりますね
彼女らは理解するのでしょうか?
それとも理解せずに悩み苦しみ怒るのでしょうか?
12.100絶望を司る程度の能力削除
怖いね……どこまでも深くて、暗い。