新聞の配達を終えた文が秋姉妹の家へ暇つぶしに行くと、家の前に屋根の高さと同じほどの巨大なさつまいもが転がっており、何だこれはと文が近づいてみるとその芋の脇に静葉の姿があった。
「おはようございます。一体これは何です?」
「おっきな芋よ」
「それは見ればわかります」
「これ穣子なの」
「へ……? これが?」
思わず言葉を失う文。
「何事なんですか」
「竹藪の医者から薬もらったんだけど、それを穣子に飲ませたらこうなっちゃったの」
「何の薬だったんです?」
「透明になる薬よ」
「……それを穣子さんに飲ませてどうするつもりだったんですか?」
「暇つぶしにからかおうと思って」
「はぁ……」
「まったく困ったものね。今日の予定が台無しだわ」
いったい何をやっているのか。
「と、とりあえず……」
文はカメラでその巨大な芋穣子を写す。どこからどう見ても芋である。
「いもりこと名付けましょう」
と、静葉。それでいいのか。文はこめかみの部分が痛くなり指で押さえる。そういや前にも似たようなことがあった気がするが。
「で、これどうするんですか」
「このまま放っておきましょ」
これを放っておいていいのか。ふと、文はいもりこに手を触れてみると、案外固くつるんとしていて芋と言うよりは卵の殻のような感触である。
「……そのうち孵化とかしませんかね?」
「かもしれないわね。芋から生まれた芋太郎が見れそうだわ」
「女だから芋花子じゃないですか?」
「語呂悪いわね」
などと適当なことを言っていると、突如芋がびくっと動く。
「あら、反応したようね。いもりこー 返事しなさーい」
静葉が呼びかけると中からくぐもった穣子の声らしきものが聞こえているのだが、何を言っているのかまでは聞き取れない。
「閉じこめられているのかもしれませんね」
「と、なると助けてあげるべきかしら」
「普通なら助けますよね」
静葉は「それもそうね」と、すっと身構えたかと思うとおもむろに跳び蹴りを放つ。
「静葉きりもみ反転きーっく」
反動を利用して続けざまに跳び蹴りを二回放つと芋の外壁にひびが入った。しかしまだ割るまでにはいたらず。
「さあ、文も何かをしなさい」
「えー。私もですか? 面倒ですね」
仕方なく文は天狗の団扇を取り出すとえいっと気合い一閃。
「ば○くろーす」
いかにも適当そうなかけ声とともに繰り出される疾風に吹かれた芋は上空へ舞い上がる。思ったより軽いようだ。
「飛びましたね」
「飛んだわね」
そのまま芋は急速落下して秋姉妹の家の屋根を直撃し大穴をあけ床を踏み抜いた。やはり重いらしい。
「落ちましたね」
「墜ちたわね」
家を派手に損壊させた芋の様子を見に行くと、やはり健在で、芋々しい姿をいもいもとさせている。いもりこなのである。
「しぶとい奴ね」
「いっそ火でもつけてみますか?」
「焼きいもりこになるわね。やってみましょう」
早速静葉は火を放つ。たちまち火に包まれるいもりこ。家も火に包まれる。
「家燃えてますけど」
「ええ、そうね。大丈夫よ。家を燃やす原因をつくったのはこの芋であり、この芋を生み出す原因を作ったのは竹藪の医者の薬なんだから、後で請求書でも送っておくわ」
いったいどういう理屈だ。最早つっこむ気も失った文は、家といもりこが燃える様子を呆然と見つめる。
静葉は静葉で相変わらず何を考えているのかわからない笑みを浮かべている。
家がすっかり焼け尽きる頃、いもりこは香ばしい焼き色になり、辺りには甘い芳香が立ちこめた。
「こんがり焼けたわ。焼きいもりこね」
嬉々とした表情を浮かべる静葉からはもうこれが妹であると言うことをすっかり忘れ去られているように見える。
「ええと、穣子さん大丈夫なんですか……?」
流石の文もこれには動揺した様子で心配そうに焼けたいもりこを眺めていたが、ふとある変化に気づく。
「……なんかこれ大きくなってません?」
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バラック生活を初めて早くも四日。家が焼けてしまったので再建までの仮住まいとしてにとりに作ってもらったものだ。
寒い以外は快適である。寒い以外は。しかしこの寒さというのが静葉にとっては最大の悩みであったため居心地は最悪である。
いもりこはあれからどんどん成長、というより膨張してとうとう居場所がなくなったのか、今や空に浮いている。まるでお化け芋の風船だ。
「おはよう」
静葉が目覚めるといつも視界に入ってくるのはいもりこである。その姿を見て静葉は安心する。
例えこんな姿になったとしても妹は妹なのだ。
と、その時。にとりが慌ててやってくる。いつになく慌てているのできっと何かあったのだろう。
「あら、おはよう」
「おはよう。静葉さん!」
「この家何とかならないの?」
「ならないよ」
「そう。ま、緑茶でも飲んでいきなさい」
「ありがとう」と、にとりはお茶を受け取ると、二人で沸かした緑茶に口を付ける。寒空の元で飲むお茶は美味しい。いもりこはぷかぷかと浮いている。
「って、のんきにお茶なんか飲んでる場合じゃない!」
思い出したように慌てるにとり。
「どうしたの? 恐怖の大王でも落ちてきたの?」
「あれのことだよ」
と、いもりこを指さす。ある意味恐怖の大王ではある。
「いもりこ?」
「そうそう。静葉さんに頼まれて色々分析をしていたんだけど」
「あ、そういえばそんなこと頼んだかもしれないわね。 でどうだったの? あれは食べられるの?」
「妹を食う気なの!?」
「冗談よ」
けらりと笑う静葉。ジト目で見やるにとり。
「ったく。 調子狂うなぁ。 結構大変なことなのに」
にとりはぶつぶつ言いながら背中のリュックからグラフや写真のようなものが記された紙を取り出すと静葉に渡す。
「これ見てもらうとわかると思うけど……」
「全然わからないわ」
「今説明するって……」
それから何やら難しい単語を羅列したにとりの説明がとうとうと続けられることになり、それだけで半日を消化してしまう。
このいもりこはいろんなエネルギーを吸収する特性を持っていて、放っておくとどこまでも膨らんでいくらしい。予測だと一ヶ月後には幻想郷の空を覆い尽くしてしまうとか。
更に中は空洞であり、穣子の姿は確認できなかったとのことである。
そんなわけないと静葉は否定するも、にとりはデータを盾にし意見を曲げない。そんな押し問答を繰り広げているうちにとうとう日が暮れてしまった。
ぼんやりとした光が辺りを照らす。いもりこの放つ光だ。いもりこは夜になると発光する。その光はどこか懐かしさのある暖かな光だ。
いもりこの下で、静葉は夕食を食べている。ご飯と漬け物。冷や飯だが新米である。漬け物は巾着茄子。穣子特製のぬか床で漬けた一品で、味にうるさい紅魔のメイド長のお墨付きの逸品だ。漬け物とは思えないぷりっとした歯ごたえがあり、うまい。とてもあの上空の浮遊物体が拵えたものとは思えないのである。
結局にとりは帰ってしまった。今は代わりに文が来ている。彼女も案外暇なのか、一緒になってちゃっかり舌包みを打っている。
「……ふむ。それでこれが穣子さんではないと、にとりの奴が言っていたんですか」
「そうよ」
「では、穣子さんはどこへ?」
「あの中よ」
静葉がいもりこを指さす。
「ちょっと待ってください、にとりはあの中は空洞だと言っていたんでしょう?」
「ええ」
「では何を根拠に?」
「気配を感じるからよ」
「気配ですか?」
「そう。神様同士でしかわかり合えない気配。例えそこに姿がなくとも感じ取れる気配ってやつね」
「……なるほど」
文は手帳を取りだしてペンでメモをしている。取材モードらしい。ぼんやりとした光の中でよくもまぁやるものだ。
「では、あの中に入れれば穣子さんに会えると言うことですね」
「そうなるわね」
「じゃあ早速突撃しますか?」
「どうやって?」
「どうやってって……」
「入り方がわからないのに突撃も何もないわ」
なるほど。文はいもりこを見上げる。いもりこはもやんと光り続けている。
「硬くて割れない。更に放っておくとぐんぐん大きくなっていく……これは始末が悪いですね」
「まったく、穣子ったら世話の焼けることね」
誰のせいでこうなったと文はつっこみたくなるが、そんなことをしても事態は収まるわけがないのである。
「とりあえず、あの表面を割るのが手っとり早いですよね」
「そうね」
「一点集中の大火力で弾幕を放ってみるってのはどうでしょう?」
「だめよ」
「どうしてです?」
「あらゆるエネルギーを吸収して成長するって言ってるでしょ? 養分を与えるに過ぎないわ」
ふうむと考え込んでしまう文。静葉は平然とお茶を飲んでいる。
「それじゃ静葉さんは何かいい案ありますか?」
「ないわ」
即答であった。確かに何かいい案があればすでに実行しているだろう。聞いた自分が軽率だったと文は思わず頬を掻く。
そのまま二人はお茶を飲みながらしばしの時が流れ、夜もてっぺんを越える頃になっていた。気がつくと辺りはすっかり冷え込み、あまりの寒さに思わず二人はバラックへと避難し、暖房を点火させる。にとり特製の暖房機で気休め程度ではあるがそれなりに暖はとることができる。
「ところであなた帰らないの?」
「あれが気になるので」
「新聞は?」
「明日は休刊日なんです」
「まぁ、別にいいけど」
二人はバラックの中の椅子に腰掛け窓から外のいもりこの様子を見ている。心なしかまた少し大きくなったように見える。おそらく暖房から出る煙を吸収したのだろう。
「さて、どうしましょうか」
「ひとまず明るくなるまで待ちましょう。こう寒いと動くにも動けないわ」
たわいもない話をして時間をつぶし、外が明るくなる頃、様子を見に外に出た文は異変に気づき静葉を呼ぶ。何事かと外に出た静葉は外の光景に思わず目を疑った。
一面真っ白だった。しかしそれはなんて事ない、ただ雪が積もっただけのことである。問題は上空のいもりこだ。
いもりこは雪を吸収し二人が想像する以上に肥大化していた。浮遊物体というよりは最早、浮遊大陸といった様相だ。
「これは不味いわね」
予想外である。まさか雪が降るとは。いや、冬なのだから雪は降るもの。むしろ雪までも栄養源としてしまういもりこの方が計算外だった。食欲旺盛にもほどがある。
「静葉さん。雪が降り続ける限りこいつはどんどん成長しちゃいますよ。どうします?」
「……仕方ないわね。奥の手よ。文ついてらっしゃい」
二人は空を飛びいもりこへと近づく。近づくといびつな形の芋の様子がよりくっきりとわかるようになる。
「いったいどうするんです?」
文の問いかけそっちのけで静葉は何かを探すような素振りをしていたが、やがて目当てのものを見つけたのか彼女を呼びかける。
「これを見なさい」
文がよく見てみると、つるんとしたいもりこの表面に明らかに傷のようなものがあるのに気づく。
「これは?」
「私が前に跳び蹴りしたときに出来たヒビよ」
「なるほど。そういえばそんなこともありましたね」
「おそらくここの部分は他と比べて脆くなっているはず」
「ははーん。つまりここに強い衝撃を当てれば穴が開くと?」
「ええ、察しが早くて助かるわ。よろしく。文」
やれやれ、めんどくさいですねー。と言いながら文は助走をつけると二回ほどくるっくるっと反動をつけて回りながら鋭い空気の刃をいもりこにぶつける。ばぁんと言う破裂音とともにいもりこの表面にたちまち穴が開く。
「さあ、今よ」
二人はすかさず中へと侵入した。
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見渡す限りの大木と清々しい空気。目の前には原生林が広がっている。木々の枝の隙間からは蒼天が顔を覗かせ、太陽が優しい輝きを放ち、その木漏れ日に照らされながら二人は思わず呆然としていた。
「あの、静葉さん。これはいったい……?」
静葉は応えようとせず、ただ周りを見渡している。
いもりこの中に侵入した二人を最初に待ち受けていたのは真っ暗な闇の世界だった。その中を二人はひたすら歩き続けているうちに突然視界が開け、目の前にこの風景が現れたのだ。
「これは幻か何かなのでしょうか?」
木々のざわめく音といい小鳥のさえずりといい、幻にしてはあまりにも生々しいく、文は思わず頭を抱えてしまう。どうやらこういった突拍子もない状況に対してはあまり耐性がないらしい。
やがて静葉がゆっくり歩み始める。文は慌てて彼女を追いかける。
「静葉さん! どこいくんですか?」
静葉は何も応えずただひたすら歩を進め、まるで何かに引き寄せられるかのように、木々をかき分け川を渡り、とうてい道とは呼べないような獣道を進むと、やがて天を貫くほどのひときわ大きな巨木が見えてくる。どうやら楓のようである。
「これは見事な樹ですね……」
思わず文はカメラで一枚写す。静葉はその樹の周りを見渡し何かを見つけたのか駆け足でその場所へ近づく。
「やっぱりあった……」
静葉に続いて文が近寄ってみると、そこには木で作った皿に盛られた団子と酒が注がれた朱塗りの杯が置いてあった。
「……この木は信仰の対象であり、秋を司ると伝えられ奉られてきたの」
「ふむ、自然崇拝という奴ですね。で、具体的には秋の何を司っていると?」
「秋の豊穣、そして美しい黄葉よ」
「え? それってまさか……」
「そう、この木は私たちの原点となった木なのよ」
「うーん、一体どういうことなんですか? ここは一体……」
静葉は表情一つ変えずに答える。
「そうね。このいもりこは間違いなく穣子そのものであり、私たちはその中にいる。つまり、ここはあの子の記憶の中、いわば穣子の世界よ」
「えぇ……?」
唖然としている文を後目に静葉は楓に手を触れる。
「この木は私であり穣子でもあるの」
「なるほど……だからあなたたちは姉妹なんですね」
「ま、そんなとこよ」
などと言いながら静葉はゆっくりと木の中へと身を消していく。
「文、ちょっと待っていなさい。この中に入って確かめてくるわ」
「確かめるって何を……?」
文の問いに答えず静葉は木の中に消えていってしまう。
「あやや……私どうすればいいんですかこれ」
一人取り残される格好になってしまい、彼女が仕方なく状況を整理しようとメモを取り出したそのときだ。突然視界が揺ぐ。一体何事かと文は目をこするが風景は揺れ動いたままである。
やがて周りの風景が完全な色の固まりとなったと思った次の瞬間、目の前には荒れ地のような風景が現れた。
「一体何なんですか。まったく……」
文は条件反射的にカメラのシャッターを切ると辺りを見渡す。先ほどとは打って変わって荒涼とした世界である。ペンペン草一つ生えてなく、ただ赤土の大地が広がる殺風景な世界で、空はその赤土が舞い上がったかのような赤茶けた様相を呈している。
なんという不気味な世界か。これも彼女の記憶だというのだろうか。自然たる自然が何も見あたらないそんな世界を彼女は体験してきていたというのか。
とにかくこのままここにいても仕方がないので文はその荒れ地を進むことにした。
「……なんだかよくわからないことになってきましたねぇ。まったく……」
と、一人でぶつぶつとしゃべりながら彼女は進む。ただでさえ訳の分からないことに巻き込まれてしまったというのに頼みの静葉さえも姿を消してしまったのだ。愚痴の一つでもつぶやかないとやっていけない。
進めど進めど荒涼とした風景が延々と続き、いい加減うんざりして文が歩みを止めようとしたそのときだ。
目の前に小さな木が生えているのを見つけ、思わず近づいてみる。
赤茶けた世界に緑がよく映える。いわば、砂漠の中のオアシスと言うべきか。
ふと、背後から何か地響きのようなものが聞こえてくることに気づき、文が後ろを振り向くと巨大な重機のようなものが黒煙を上げながら凄い勢いで向かってきていた。
「ひゃあっ!?」
とっさに文は横へと跳ね跳び間一髪のところで避ける。重機はその後もスピードを緩めず黒煙を吐きながら、さながらモンスターの唸り声のごとき駆動音とともに過ぎ去っていく。
目の前にあった木は無惨にもなぎ払われ、跡形なく消えていた。
「……なんですかあれは」
立ち上がって服の汚れを払いながら重機が消えていった方向を見つめていると、背後に人の気配を覚え思わず身構える。
「文ったら私の気配を忘れちゃったの?」
聞き覚えある声に文は思わず胸をなでおろす。
「静葉さん! どこ行ってたんですか!」
「ごめんなさいね。あの子を探していたんだけど見つからなくて……」
「一体これは何なんですか。これも穣子さんの記憶なんですか?」
「ええ、そうよ」
静葉はさらりと答えると呆気にとられている文を後目に話を続ける。
「ここはさっきと同じ場所。その場所の何百年後の姿。見ての通り荒野となったわ」
「一体何が起きたんですか。天変地異ですか?」
「開発よ。開発によって木々は伐採され山は切り崩されたの。そして私たちは居場所を失った。文明の発展とともに私たちは信仰を失っていったのよ」
「という事は……さっきの機械は」
「開発のために使われていた作業用の重機よ」
「作業用って……あんな、物々しいものだったんですか?」
「ここはあくまであの子の記憶の中の世界だから、あの子が持つ印象がそのまま具現化しているのでしょうね」
ふむふむ。と文は静葉の話を聞きながらメモを取る。こんな時でも取材魂は健在なのである。もっともこの一連の出来事を記事に出来るかどうかは不明だが。
「そういえば、さっき何を確かめたんですか?」
「あの子があの木の中にいるかどうかよ。正確にはあの子の意識があそこにあるかどうかね」
「それで、彼女はいなかったんですか?」
「ええ。怖くて逃げまわってるみたい。無理もないわね。こんなことは初めてだものね」
と、静葉は不敵な笑みを浮かべる。まぁ確かにいろんな意味で初めての体験ではあるだろう。文も穣子に対して、思わず同情の念を持たずにはいられない。
「でも、もう茶番は終わりよ。さあ、穣子。隠れてないで出てらっしゃい。お姉さんを信じなさい」
虚空へ向かって静葉が言い放つと辺りの風景がゆがみ始める。いったい今度は何が始まるというのだろうか。文は期待と不安を抱き様子を見守るのだった。
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その頃、いもりこの周りには山の住人たちが勢ぞろいしていた。無理もない。これだけ巨大な物体となった今、騒ぎにならない方がおかしいのである。
その住人の先導に立っているのはにとりであった。彼女はこの物体に攻撃しようとする者たちに対して拡声器を使って説明をしていた。
「いいかい。こいつにはむやみに弾幕を放ったりしちゃだめなんだ! こいつはあらゆるエネルギーを餌にして際限なく大きくなっていく。何もかも吸収してしまうんだよ!」
周りからは「こいつは何者なのか」とか「どこからやってきたものなのか」「どうすれば退治できるのか」「食べられのか」などという質問や怒号が飛び交っている。まさかこれが秋穣子だと言えるわけがない。余計に話がこじれるだけなのである。
にとりにはこの状況を上手く説明する技量など持ち合わせていない。ましてや頼み綱の静葉が姿を消してしまった今、彼女に出来るのはこの浮遊物の説明をするのがやっとだった。
「あーもう……静葉さーん。どこ行っちゃったんだろう」
情けない声を出して思わず空を見上げる。いもりこは依然として健在のままである。
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風景の歪みが収まる頃、二人の目の前には一面に広がる青空が姿を現していた。眩しいくらいの蒼天である。
「静葉さん。これは……何の記憶なんでしょうか」
「わからないわね。あの子の記憶の中は私だってわからない部分がたくさんあるのよ。完全に共有してるわけじゃないんだから」
二人は青空のど真ん中にたたずんでいる。別に空を飛んでいるというわけじゃないが足下も青空なのである。
「さあ、穣子。出てきなさい」
その声に呼応して青空の中に影のようなものが姿を現す。その姿はまごうことなき穣子だった。実体はなく影のような姿だったが穣子に違いなかった。彼女はこちらの様子をうかがうように見つめている。
「出たわね。さあ、あなたの中の不純物を取り除くわよ」
「……不純物ですか?」
「そうよ」
カメラを構えていた文の問いに静葉は答えると弾幕を張り巡らせる。
「あの子の体の穢れをこそぎ落としてあげましょう」
張り巡らされた弾幕が糸を引くような弾道で穣子へ次々と命中していく。特に穣子は反撃してくる素振りは見せず、ただただこちらを見つめている。
「文。あなたもやりなさい。特大のをお見舞いするのよ」
文はやれやれと言った様子で天狗の団扇をスッと構えると、目にも留まらない速さで移動しながら弾幕を繰り出していく。そのスピードは徐々に加速していき、しまいには光のような姿となながらおびただしい数の弾幕を繰り出す。たちまち辺りは弾幕の爆風に包まれた。
「こんな感じでどうです?」
あれだけの大技を繰り出したにも関わらず涼しい顔をしているあたりに彼女の持つ能力の高さが伺えるものである。
「まだよ文。これからが本番よ」
静葉は特に表情一つ変えず次の弾幕を構築する。彼女も知っているのだ。文ならこれくらい出来て当たり前だと言うことを。
「ところで静葉さん。一つ聞きたいことが」
「なにかしら?」
「なんで穣子さんに弾幕を放つ必要があるんです?」
「いい質問ね。あの子をよく見なさい。黒いでしょ?」
「ええ、黒いですね。真っ黒です」
「あれは全部穢れなのよ。あの子は不純なものを取り入れ過ぎてしまったの」
「それであんな姿に?」
「そういうことよ。私たちの弾幕で追い払ってあげましょ」
静葉は再び弾幕を放つ。今度は鮮やかな紅葉色に包まれたものである。弾幕は面白いように穣子へと命中するが、彼女はまるで意に介さないと言った様子である。
「それにしてもタフですね。いったい何の穢れなんです? これ」
「【秋以外のすべて】よ。あの子は本来なら秋度と信仰を糧にして存在しているの。それ以外のものを吸収し過ぎると、自我を保っていられなくなり得体の知れないものになっていくのよ」
「どうしてそんなに余計なものを取り入れ過ぎてしまったので?」
「それがわからないのよね。薬が原因にしても何がどう作用してこうなったのか……」
そういえばすべての元凶は静葉が穣子に変な薬を飲ませたことであり、自分は単に巻き込まれているだけである事を文は思い出す。どうせなら姉妹同士で決着をつけて欲しいものだと、思わずため息をついたそのときである。
突如穣子から黒い弾が放たれる。
「危ない!」
文はとっさに静葉を突き飛ばし、自分も回避しようとしたが間に合わず被弾してしまう。穣子は更に続けざまに弾を次々と放っていき、その弾は黒い弾道を描き二人に襲いかかる。
「やって来たわね」
すかさず静葉は懐から紅葉を取り出し巨大化させて、それを盾にして防ぐ。
「ちょっ……そんな事出来たんですか? 私やられ損じゃないですか……!」
「あら、そんなことないわよ。助かったわ。これにも限りがあるもの」
被弾した羽を手で抑えながらうめく文に静葉はそう告げると、彼女を抱える。
「どうして急に攻撃してきたんですかね?」
「穢れが認識したのよ。私達が敵だって事に。奴らだって排除されたくないでしょうしね」
「なるほど……してどうします?」
「そうね。このまま、ちまちま攻撃してても埒があかなそうだし……あなたはその傷だし……」
言ってる側から穣子、いや穣子に取り付いた穢れから弾幕が放たれる。静葉は再び紅葉を使ってそれを防ぐ。
「……ところで静葉さん。その紅葉、あと何枚あるんです?」
「あら、もうないわよ?」
「もうないって……あのー、いいかげんにしてくださいよ! 次の弾幕来たら終わりじゃないですか! あなたがやられたら私じゃどうしようも出来ないですよ!?」
思わず怒鳴ってしまった事に気づいた文は「あっ」と言って口を抑える。
そんな文の感情を汲み取ったのか、静葉は腕を組んで考えるような素振りを見せる。
「……ふむ、確かにそうね。元はと言えば元凶は私。ここは私がなんとかするのが筋ってものよね」
そう言いながら静葉は意を決したように懐から何かを取り出す。それは錠剤の入った瓶だった。
「なんですかそれ?」
「穣子に飲ませた薬よ」
「どうするんですか? それを」
「こうするのよ」
静葉はにやりと笑みを浮かべると、おもむろにビンの蓋を開け中の錠剤を豪快に一気飲みする。
「な、何やってんですか!?」
「目には目を歯には歯を、薬には薬を。後は野となれ山となれってね」
静葉はぼりぼりと薬を噛み砕き飲み込むと「ふう」と一息をつく。
「ふむ……なるほど。 ……そういうことだったのね」
ぽつりとつぶやくと静葉は両手を広げ大きく息を吸う。すると次の瞬間彼女の姿が巨大化したかと思うと大きな真っ赤な姿に変貌する。それは燃え盛るように染め上がった巨大な紅葉だった。
「し、静葉さん!?」
驚く文を後目に紅葉となった静葉はひらひらと優雅に辺りを舞う。穢れから弾幕が放たれるが、風に吹かれる紅葉の如き動きでそれらをかわしていく。見事な旋回能力である、
文は感心しながらカメラでその様子を写す。とは言え、このまま相手の攻撃をかわしているだけでは何も進展はない。自分も多少は援護するべきかと文が迷い始めたそのときだ。
「文、聞こえるかしら?」
「あ、静葉さん。喋れたんですね?」
「このままじゃ埒があかないわ。風を起こして私を上空にとばしなさい」
「承知しました!」
文はすかさず風を起こす。その風に乗った紅葉は上空へと舞い上がり、その頂点まで達した瞬間、人間体に戻った静葉が急降下と共に紅葉状のオーラを纏い、穢れに向かって跳び蹴りを放つ。
その一撃は強烈なもので、命中した瞬間轟音と共に辺りが震えるほどだった。穢れは爆発四散し、周りの風景が、がらがらという音こそ出ないもののそんな様相で崩れていく。
「静葉秋度MAXキックと言ったところね」
着地した静葉はそう言って不敵な笑みを浮かべる。
「ふう、これでこの悪夢からもようやくおさらばですかね……」
文は崩れ落ちる風景を眺めながら立ち上がる。
「ええ、ごめんなさいね? あなたを巻き込んじゃって」
「まったくですよ。……ま、色々収穫はありましたけどね?」
天狗の団扇で口元を隠しながら涼しい顔をしている文。表情見るにどうやらまんざらでもないと言った様子だ。
やがて、青空は完全に崩れ落ち、徐々に辺りが白くなっていく。その白い世界の中に穣子のシルエットが一瞬浮かび上がったように見えた。
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「な、なんだなんだ!?」
驚くにとり達の目の前で浮遊物体は突如どんどん収縮していき一番最初の大きさくらいに戻ったと思った途端、急速落下し、どすんと地面に墜ちる。やはり重いのである。
地面に落ちても無傷のそれであったが、突然その場でネズミ花火のように回り始めたかと思うと、ぱんと音を出して破裂し、辺りが芋の焼けたような芳香とともに秋化粧する。
物体は忽然と姿を消し、代わりに二柱の神様と一体の妖怪が季節はずれの紅葉に包まれながら寝そべっていた。
ーー数日後。
「静葉さん! 聞いてくださいよ!」と珍しく血相を変えて文がバラックに飛び込んできたので、窓際でひなたぼっこをしていた穣子はうるさいのが来た。と思いながらも彼女を迎え入れる。
「姉さんならいないわよ」
「穣子さん! 大丈夫だったんですか?」
「うーん。なんとかねー」
文の問いに首をこきこきと鳴らしながら穣子は答える。気だるそうに見えるのはまだ完全復活してないからなのか、あるいは季節のせいか。
「……で、どうしたの?」
「あ、そうだ。聞いて下さいよ! 実は……」
文は懐から何枚もの写真を取り出して無造作に床へ置く。穣子が身を乗り出して見てみるが何も写ってない真っ白な写真だった。
なんでもあの一連の騒動中に撮った写真を現像したら全部真っ白だったのだという。
「私のあの時間は何だったんですか……」
がっくりとうなだれる文。
「……そんなの、私が知りたいくらいよ」
遠くを見るような表情を浮かべる穣子。確かに当の本人が一番訳が分からないのは間違いないのだ。思わず文は苦笑いを浮かべる。
しかし、写真がないとは言え、彼女があそこで見た景色や出来事はすべて記憶の中にしっかりと残っているのだ。
「……あの、穣子さん」
「んー?」
「ちょっとお尋ねしたいことが……」
と、その時である。
「ただいまー」と言いながら静葉が姿を現す。まるでタイミングを見計らっていたかのような様子ですらある。
「あ、おかえりー」
穣子は寝そべったまま応える。静葉はそんな穣子見て笑みを浮かべると文の方をちらっと見る。
文は頬を指でかきながら再び苦笑いを浮かべた。
「おじゃましてましたよ。どこ行ってたんですか?」
「ええ、ちょっと竹藪医者んとこにね。 例の薬について聞きに行ってたの」
そういえばあの薬は、元々は月の医者のところからもらってきたものだった事を文は思い出す。
「……で、結局その薬、何だったんですか?」
「ああ、これね食欲増強剤だそうよ」
「は……?」
「だから食欲増強剤。何でもあの助手のウサギさんが私に薬を間違えて渡したらしくて」
「食欲増強剤ってつまり要するにあれですよね……? 食欲が出ないときとか飲む……言ってしまえば胃薬のような」
思わず念を押すように質問を繰り返す文。静葉はさらりと答える。
「ええ、そうよ」
「……えーと、それを飲んで穣子さんや静葉さんはあんな事に?」
「そ、この子ったら空腹に耐え切れなくて、秋度以外のいろんな養分を吸収しちゃったみたいなのよ」
ちらりと静葉は穣子を見る。
「うー。だっておなか空いて仕方がなかったんだもん」
と言いながら頬を赤らめてそっぽを向いてしまう穣子。
「あの、そんな事で……あんな事に……なるのですか?」
「ええ。ちなみに私の時は、周りに秋度が沢山あったから、逆にパワーアップ出来たのよ。凄いでしょ?」
と、得意げに笑みを浮かべる静葉。彼女が今回の諸悪の権化であるはずなのだが。
「はあ……」
たかが胃薬飲んだだけでこんな大事になるなんてたまったもんじゃない。あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れを通り越してしまった文は、何かどうでも良くなり思わず床に寝転がる。
「ま、神様ってこう見えてもデリケートな存在なのよ。だから、もっと労りなさいよね」
等と言いながら横にいた穣子は寝そべったまま空を見上げている。
「はぁ……」
返事ともため息ともつかない声を漏らし、文も同じように空を見上げる。まるであの時のような青空だ。ふと、穣子が文に話しかける。
「ねえ、そういや、あんたさっき私になにか聞こうとしてなかった?」
「あ、ええ。ちょっと尋ねたいことがあったんですけど」
「ふーん? 何? 取材なら受け付けるわよ。暇だし」
「いえ、やっぱやめておきます」
「えー。 なんでよー」
穣子は不満そうに頬を膨らます。文は気だるそうに団扇を指で回しながら答える。
「誰にだって踏み込んじゃいけない部分ってのはあるものですしねー……」
「変なの……。 あ、でもあんたが変なのはいつものことか」
けらりと笑う穣子。
「ま、神に歴史ありってことよ。さぁ、それよりこれ食べましょ?」
そう言いながら静葉は皿に盛られた漬け物を取り出す。穣子の漬けた巾着茄子である。
三人は降り注ぐ陽光を浴びながら、のんびりと漬け物を啄む。
ゆっくりと味を噛みしめるように。
皆の無事を祝うかのように。
「おはようございます。一体これは何です?」
「おっきな芋よ」
「それは見ればわかります」
「これ穣子なの」
「へ……? これが?」
思わず言葉を失う文。
「何事なんですか」
「竹藪の医者から薬もらったんだけど、それを穣子に飲ませたらこうなっちゃったの」
「何の薬だったんです?」
「透明になる薬よ」
「……それを穣子さんに飲ませてどうするつもりだったんですか?」
「暇つぶしにからかおうと思って」
「はぁ……」
「まったく困ったものね。今日の予定が台無しだわ」
いったい何をやっているのか。
「と、とりあえず……」
文はカメラでその巨大な芋穣子を写す。どこからどう見ても芋である。
「いもりこと名付けましょう」
と、静葉。それでいいのか。文はこめかみの部分が痛くなり指で押さえる。そういや前にも似たようなことがあった気がするが。
「で、これどうするんですか」
「このまま放っておきましょ」
これを放っておいていいのか。ふと、文はいもりこに手を触れてみると、案外固くつるんとしていて芋と言うよりは卵の殻のような感触である。
「……そのうち孵化とかしませんかね?」
「かもしれないわね。芋から生まれた芋太郎が見れそうだわ」
「女だから芋花子じゃないですか?」
「語呂悪いわね」
などと適当なことを言っていると、突如芋がびくっと動く。
「あら、反応したようね。いもりこー 返事しなさーい」
静葉が呼びかけると中からくぐもった穣子の声らしきものが聞こえているのだが、何を言っているのかまでは聞き取れない。
「閉じこめられているのかもしれませんね」
「と、なると助けてあげるべきかしら」
「普通なら助けますよね」
静葉は「それもそうね」と、すっと身構えたかと思うとおもむろに跳び蹴りを放つ。
「静葉きりもみ反転きーっく」
反動を利用して続けざまに跳び蹴りを二回放つと芋の外壁にひびが入った。しかしまだ割るまでにはいたらず。
「さあ、文も何かをしなさい」
「えー。私もですか? 面倒ですね」
仕方なく文は天狗の団扇を取り出すとえいっと気合い一閃。
「ば○くろーす」
いかにも適当そうなかけ声とともに繰り出される疾風に吹かれた芋は上空へ舞い上がる。思ったより軽いようだ。
「飛びましたね」
「飛んだわね」
そのまま芋は急速落下して秋姉妹の家の屋根を直撃し大穴をあけ床を踏み抜いた。やはり重いらしい。
「落ちましたね」
「墜ちたわね」
家を派手に損壊させた芋の様子を見に行くと、やはり健在で、芋々しい姿をいもいもとさせている。いもりこなのである。
「しぶとい奴ね」
「いっそ火でもつけてみますか?」
「焼きいもりこになるわね。やってみましょう」
早速静葉は火を放つ。たちまち火に包まれるいもりこ。家も火に包まれる。
「家燃えてますけど」
「ええ、そうね。大丈夫よ。家を燃やす原因をつくったのはこの芋であり、この芋を生み出す原因を作ったのは竹藪の医者の薬なんだから、後で請求書でも送っておくわ」
いったいどういう理屈だ。最早つっこむ気も失った文は、家といもりこが燃える様子を呆然と見つめる。
静葉は静葉で相変わらず何を考えているのかわからない笑みを浮かべている。
家がすっかり焼け尽きる頃、いもりこは香ばしい焼き色になり、辺りには甘い芳香が立ちこめた。
「こんがり焼けたわ。焼きいもりこね」
嬉々とした表情を浮かべる静葉からはもうこれが妹であると言うことをすっかり忘れ去られているように見える。
「ええと、穣子さん大丈夫なんですか……?」
流石の文もこれには動揺した様子で心配そうに焼けたいもりこを眺めていたが、ふとある変化に気づく。
「……なんかこれ大きくなってません?」
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バラック生活を初めて早くも四日。家が焼けてしまったので再建までの仮住まいとしてにとりに作ってもらったものだ。
寒い以外は快適である。寒い以外は。しかしこの寒さというのが静葉にとっては最大の悩みであったため居心地は最悪である。
いもりこはあれからどんどん成長、というより膨張してとうとう居場所がなくなったのか、今や空に浮いている。まるでお化け芋の風船だ。
「おはよう」
静葉が目覚めるといつも視界に入ってくるのはいもりこである。その姿を見て静葉は安心する。
例えこんな姿になったとしても妹は妹なのだ。
と、その時。にとりが慌ててやってくる。いつになく慌てているのできっと何かあったのだろう。
「あら、おはよう」
「おはよう。静葉さん!」
「この家何とかならないの?」
「ならないよ」
「そう。ま、緑茶でも飲んでいきなさい」
「ありがとう」と、にとりはお茶を受け取ると、二人で沸かした緑茶に口を付ける。寒空の元で飲むお茶は美味しい。いもりこはぷかぷかと浮いている。
「って、のんきにお茶なんか飲んでる場合じゃない!」
思い出したように慌てるにとり。
「どうしたの? 恐怖の大王でも落ちてきたの?」
「あれのことだよ」
と、いもりこを指さす。ある意味恐怖の大王ではある。
「いもりこ?」
「そうそう。静葉さんに頼まれて色々分析をしていたんだけど」
「あ、そういえばそんなこと頼んだかもしれないわね。 でどうだったの? あれは食べられるの?」
「妹を食う気なの!?」
「冗談よ」
けらりと笑う静葉。ジト目で見やるにとり。
「ったく。 調子狂うなぁ。 結構大変なことなのに」
にとりはぶつぶつ言いながら背中のリュックからグラフや写真のようなものが記された紙を取り出すと静葉に渡す。
「これ見てもらうとわかると思うけど……」
「全然わからないわ」
「今説明するって……」
それから何やら難しい単語を羅列したにとりの説明がとうとうと続けられることになり、それだけで半日を消化してしまう。
このいもりこはいろんなエネルギーを吸収する特性を持っていて、放っておくとどこまでも膨らんでいくらしい。予測だと一ヶ月後には幻想郷の空を覆い尽くしてしまうとか。
更に中は空洞であり、穣子の姿は確認できなかったとのことである。
そんなわけないと静葉は否定するも、にとりはデータを盾にし意見を曲げない。そんな押し問答を繰り広げているうちにとうとう日が暮れてしまった。
ぼんやりとした光が辺りを照らす。いもりこの放つ光だ。いもりこは夜になると発光する。その光はどこか懐かしさのある暖かな光だ。
いもりこの下で、静葉は夕食を食べている。ご飯と漬け物。冷や飯だが新米である。漬け物は巾着茄子。穣子特製のぬか床で漬けた一品で、味にうるさい紅魔のメイド長のお墨付きの逸品だ。漬け物とは思えないぷりっとした歯ごたえがあり、うまい。とてもあの上空の浮遊物体が拵えたものとは思えないのである。
結局にとりは帰ってしまった。今は代わりに文が来ている。彼女も案外暇なのか、一緒になってちゃっかり舌包みを打っている。
「……ふむ。それでこれが穣子さんではないと、にとりの奴が言っていたんですか」
「そうよ」
「では、穣子さんはどこへ?」
「あの中よ」
静葉がいもりこを指さす。
「ちょっと待ってください、にとりはあの中は空洞だと言っていたんでしょう?」
「ええ」
「では何を根拠に?」
「気配を感じるからよ」
「気配ですか?」
「そう。神様同士でしかわかり合えない気配。例えそこに姿がなくとも感じ取れる気配ってやつね」
「……なるほど」
文は手帳を取りだしてペンでメモをしている。取材モードらしい。ぼんやりとした光の中でよくもまぁやるものだ。
「では、あの中に入れれば穣子さんに会えると言うことですね」
「そうなるわね」
「じゃあ早速突撃しますか?」
「どうやって?」
「どうやってって……」
「入り方がわからないのに突撃も何もないわ」
なるほど。文はいもりこを見上げる。いもりこはもやんと光り続けている。
「硬くて割れない。更に放っておくとぐんぐん大きくなっていく……これは始末が悪いですね」
「まったく、穣子ったら世話の焼けることね」
誰のせいでこうなったと文はつっこみたくなるが、そんなことをしても事態は収まるわけがないのである。
「とりあえず、あの表面を割るのが手っとり早いですよね」
「そうね」
「一点集中の大火力で弾幕を放ってみるってのはどうでしょう?」
「だめよ」
「どうしてです?」
「あらゆるエネルギーを吸収して成長するって言ってるでしょ? 養分を与えるに過ぎないわ」
ふうむと考え込んでしまう文。静葉は平然とお茶を飲んでいる。
「それじゃ静葉さんは何かいい案ありますか?」
「ないわ」
即答であった。確かに何かいい案があればすでに実行しているだろう。聞いた自分が軽率だったと文は思わず頬を掻く。
そのまま二人はお茶を飲みながらしばしの時が流れ、夜もてっぺんを越える頃になっていた。気がつくと辺りはすっかり冷え込み、あまりの寒さに思わず二人はバラックへと避難し、暖房を点火させる。にとり特製の暖房機で気休め程度ではあるがそれなりに暖はとることができる。
「ところであなた帰らないの?」
「あれが気になるので」
「新聞は?」
「明日は休刊日なんです」
「まぁ、別にいいけど」
二人はバラックの中の椅子に腰掛け窓から外のいもりこの様子を見ている。心なしかまた少し大きくなったように見える。おそらく暖房から出る煙を吸収したのだろう。
「さて、どうしましょうか」
「ひとまず明るくなるまで待ちましょう。こう寒いと動くにも動けないわ」
たわいもない話をして時間をつぶし、外が明るくなる頃、様子を見に外に出た文は異変に気づき静葉を呼ぶ。何事かと外に出た静葉は外の光景に思わず目を疑った。
一面真っ白だった。しかしそれはなんて事ない、ただ雪が積もっただけのことである。問題は上空のいもりこだ。
いもりこは雪を吸収し二人が想像する以上に肥大化していた。浮遊物体というよりは最早、浮遊大陸といった様相だ。
「これは不味いわね」
予想外である。まさか雪が降るとは。いや、冬なのだから雪は降るもの。むしろ雪までも栄養源としてしまういもりこの方が計算外だった。食欲旺盛にもほどがある。
「静葉さん。雪が降り続ける限りこいつはどんどん成長しちゃいますよ。どうします?」
「……仕方ないわね。奥の手よ。文ついてらっしゃい」
二人は空を飛びいもりこへと近づく。近づくといびつな形の芋の様子がよりくっきりとわかるようになる。
「いったいどうするんです?」
文の問いかけそっちのけで静葉は何かを探すような素振りをしていたが、やがて目当てのものを見つけたのか彼女を呼びかける。
「これを見なさい」
文がよく見てみると、つるんとしたいもりこの表面に明らかに傷のようなものがあるのに気づく。
「これは?」
「私が前に跳び蹴りしたときに出来たヒビよ」
「なるほど。そういえばそんなこともありましたね」
「おそらくここの部分は他と比べて脆くなっているはず」
「ははーん。つまりここに強い衝撃を当てれば穴が開くと?」
「ええ、察しが早くて助かるわ。よろしく。文」
やれやれ、めんどくさいですねー。と言いながら文は助走をつけると二回ほどくるっくるっと反動をつけて回りながら鋭い空気の刃をいもりこにぶつける。ばぁんと言う破裂音とともにいもりこの表面にたちまち穴が開く。
「さあ、今よ」
二人はすかさず中へと侵入した。
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見渡す限りの大木と清々しい空気。目の前には原生林が広がっている。木々の枝の隙間からは蒼天が顔を覗かせ、太陽が優しい輝きを放ち、その木漏れ日に照らされながら二人は思わず呆然としていた。
「あの、静葉さん。これはいったい……?」
静葉は応えようとせず、ただ周りを見渡している。
いもりこの中に侵入した二人を最初に待ち受けていたのは真っ暗な闇の世界だった。その中を二人はひたすら歩き続けているうちに突然視界が開け、目の前にこの風景が現れたのだ。
「これは幻か何かなのでしょうか?」
木々のざわめく音といい小鳥のさえずりといい、幻にしてはあまりにも生々しいく、文は思わず頭を抱えてしまう。どうやらこういった突拍子もない状況に対してはあまり耐性がないらしい。
やがて静葉がゆっくり歩み始める。文は慌てて彼女を追いかける。
「静葉さん! どこいくんですか?」
静葉は何も応えずただひたすら歩を進め、まるで何かに引き寄せられるかのように、木々をかき分け川を渡り、とうてい道とは呼べないような獣道を進むと、やがて天を貫くほどのひときわ大きな巨木が見えてくる。どうやら楓のようである。
「これは見事な樹ですね……」
思わず文はカメラで一枚写す。静葉はその樹の周りを見渡し何かを見つけたのか駆け足でその場所へ近づく。
「やっぱりあった……」
静葉に続いて文が近寄ってみると、そこには木で作った皿に盛られた団子と酒が注がれた朱塗りの杯が置いてあった。
「……この木は信仰の対象であり、秋を司ると伝えられ奉られてきたの」
「ふむ、自然崇拝という奴ですね。で、具体的には秋の何を司っていると?」
「秋の豊穣、そして美しい黄葉よ」
「え? それってまさか……」
「そう、この木は私たちの原点となった木なのよ」
「うーん、一体どういうことなんですか? ここは一体……」
静葉は表情一つ変えずに答える。
「そうね。このいもりこは間違いなく穣子そのものであり、私たちはその中にいる。つまり、ここはあの子の記憶の中、いわば穣子の世界よ」
「えぇ……?」
唖然としている文を後目に静葉は楓に手を触れる。
「この木は私であり穣子でもあるの」
「なるほど……だからあなたたちは姉妹なんですね」
「ま、そんなとこよ」
などと言いながら静葉はゆっくりと木の中へと身を消していく。
「文、ちょっと待っていなさい。この中に入って確かめてくるわ」
「確かめるって何を……?」
文の問いに答えず静葉は木の中に消えていってしまう。
「あやや……私どうすればいいんですかこれ」
一人取り残される格好になってしまい、彼女が仕方なく状況を整理しようとメモを取り出したそのときだ。突然視界が揺ぐ。一体何事かと文は目をこするが風景は揺れ動いたままである。
やがて周りの風景が完全な色の固まりとなったと思った次の瞬間、目の前には荒れ地のような風景が現れた。
「一体何なんですか。まったく……」
文は条件反射的にカメラのシャッターを切ると辺りを見渡す。先ほどとは打って変わって荒涼とした世界である。ペンペン草一つ生えてなく、ただ赤土の大地が広がる殺風景な世界で、空はその赤土が舞い上がったかのような赤茶けた様相を呈している。
なんという不気味な世界か。これも彼女の記憶だというのだろうか。自然たる自然が何も見あたらないそんな世界を彼女は体験してきていたというのか。
とにかくこのままここにいても仕方がないので文はその荒れ地を進むことにした。
「……なんだかよくわからないことになってきましたねぇ。まったく……」
と、一人でぶつぶつとしゃべりながら彼女は進む。ただでさえ訳の分からないことに巻き込まれてしまったというのに頼みの静葉さえも姿を消してしまったのだ。愚痴の一つでもつぶやかないとやっていけない。
進めど進めど荒涼とした風景が延々と続き、いい加減うんざりして文が歩みを止めようとしたそのときだ。
目の前に小さな木が生えているのを見つけ、思わず近づいてみる。
赤茶けた世界に緑がよく映える。いわば、砂漠の中のオアシスと言うべきか。
ふと、背後から何か地響きのようなものが聞こえてくることに気づき、文が後ろを振り向くと巨大な重機のようなものが黒煙を上げながら凄い勢いで向かってきていた。
「ひゃあっ!?」
とっさに文は横へと跳ね跳び間一髪のところで避ける。重機はその後もスピードを緩めず黒煙を吐きながら、さながらモンスターの唸り声のごとき駆動音とともに過ぎ去っていく。
目の前にあった木は無惨にもなぎ払われ、跡形なく消えていた。
「……なんですかあれは」
立ち上がって服の汚れを払いながら重機が消えていった方向を見つめていると、背後に人の気配を覚え思わず身構える。
「文ったら私の気配を忘れちゃったの?」
聞き覚えある声に文は思わず胸をなでおろす。
「静葉さん! どこ行ってたんですか!」
「ごめんなさいね。あの子を探していたんだけど見つからなくて……」
「一体これは何なんですか。これも穣子さんの記憶なんですか?」
「ええ、そうよ」
静葉はさらりと答えると呆気にとられている文を後目に話を続ける。
「ここはさっきと同じ場所。その場所の何百年後の姿。見ての通り荒野となったわ」
「一体何が起きたんですか。天変地異ですか?」
「開発よ。開発によって木々は伐採され山は切り崩されたの。そして私たちは居場所を失った。文明の発展とともに私たちは信仰を失っていったのよ」
「という事は……さっきの機械は」
「開発のために使われていた作業用の重機よ」
「作業用って……あんな、物々しいものだったんですか?」
「ここはあくまであの子の記憶の中の世界だから、あの子が持つ印象がそのまま具現化しているのでしょうね」
ふむふむ。と文は静葉の話を聞きながらメモを取る。こんな時でも取材魂は健在なのである。もっともこの一連の出来事を記事に出来るかどうかは不明だが。
「そういえば、さっき何を確かめたんですか?」
「あの子があの木の中にいるかどうかよ。正確にはあの子の意識があそこにあるかどうかね」
「それで、彼女はいなかったんですか?」
「ええ。怖くて逃げまわってるみたい。無理もないわね。こんなことは初めてだものね」
と、静葉は不敵な笑みを浮かべる。まぁ確かにいろんな意味で初めての体験ではあるだろう。文も穣子に対して、思わず同情の念を持たずにはいられない。
「でも、もう茶番は終わりよ。さあ、穣子。隠れてないで出てらっしゃい。お姉さんを信じなさい」
虚空へ向かって静葉が言い放つと辺りの風景がゆがみ始める。いったい今度は何が始まるというのだろうか。文は期待と不安を抱き様子を見守るのだった。
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その頃、いもりこの周りには山の住人たちが勢ぞろいしていた。無理もない。これだけ巨大な物体となった今、騒ぎにならない方がおかしいのである。
その住人の先導に立っているのはにとりであった。彼女はこの物体に攻撃しようとする者たちに対して拡声器を使って説明をしていた。
「いいかい。こいつにはむやみに弾幕を放ったりしちゃだめなんだ! こいつはあらゆるエネルギーを餌にして際限なく大きくなっていく。何もかも吸収してしまうんだよ!」
周りからは「こいつは何者なのか」とか「どこからやってきたものなのか」「どうすれば退治できるのか」「食べられのか」などという質問や怒号が飛び交っている。まさかこれが秋穣子だと言えるわけがない。余計に話がこじれるだけなのである。
にとりにはこの状況を上手く説明する技量など持ち合わせていない。ましてや頼み綱の静葉が姿を消してしまった今、彼女に出来るのはこの浮遊物の説明をするのがやっとだった。
「あーもう……静葉さーん。どこ行っちゃったんだろう」
情けない声を出して思わず空を見上げる。いもりこは依然として健在のままである。
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風景の歪みが収まる頃、二人の目の前には一面に広がる青空が姿を現していた。眩しいくらいの蒼天である。
「静葉さん。これは……何の記憶なんでしょうか」
「わからないわね。あの子の記憶の中は私だってわからない部分がたくさんあるのよ。完全に共有してるわけじゃないんだから」
二人は青空のど真ん中にたたずんでいる。別に空を飛んでいるというわけじゃないが足下も青空なのである。
「さあ、穣子。出てきなさい」
その声に呼応して青空の中に影のようなものが姿を現す。その姿はまごうことなき穣子だった。実体はなく影のような姿だったが穣子に違いなかった。彼女はこちらの様子をうかがうように見つめている。
「出たわね。さあ、あなたの中の不純物を取り除くわよ」
「……不純物ですか?」
「そうよ」
カメラを構えていた文の問いに静葉は答えると弾幕を張り巡らせる。
「あの子の体の穢れをこそぎ落としてあげましょう」
張り巡らされた弾幕が糸を引くような弾道で穣子へ次々と命中していく。特に穣子は反撃してくる素振りは見せず、ただただこちらを見つめている。
「文。あなたもやりなさい。特大のをお見舞いするのよ」
文はやれやれと言った様子で天狗の団扇をスッと構えると、目にも留まらない速さで移動しながら弾幕を繰り出していく。そのスピードは徐々に加速していき、しまいには光のような姿となながらおびただしい数の弾幕を繰り出す。たちまち辺りは弾幕の爆風に包まれた。
「こんな感じでどうです?」
あれだけの大技を繰り出したにも関わらず涼しい顔をしているあたりに彼女の持つ能力の高さが伺えるものである。
「まだよ文。これからが本番よ」
静葉は特に表情一つ変えず次の弾幕を構築する。彼女も知っているのだ。文ならこれくらい出来て当たり前だと言うことを。
「ところで静葉さん。一つ聞きたいことが」
「なにかしら?」
「なんで穣子さんに弾幕を放つ必要があるんです?」
「いい質問ね。あの子をよく見なさい。黒いでしょ?」
「ええ、黒いですね。真っ黒です」
「あれは全部穢れなのよ。あの子は不純なものを取り入れ過ぎてしまったの」
「それであんな姿に?」
「そういうことよ。私たちの弾幕で追い払ってあげましょ」
静葉は再び弾幕を放つ。今度は鮮やかな紅葉色に包まれたものである。弾幕は面白いように穣子へと命中するが、彼女はまるで意に介さないと言った様子である。
「それにしてもタフですね。いったい何の穢れなんです? これ」
「【秋以外のすべて】よ。あの子は本来なら秋度と信仰を糧にして存在しているの。それ以外のものを吸収し過ぎると、自我を保っていられなくなり得体の知れないものになっていくのよ」
「どうしてそんなに余計なものを取り入れ過ぎてしまったので?」
「それがわからないのよね。薬が原因にしても何がどう作用してこうなったのか……」
そういえばすべての元凶は静葉が穣子に変な薬を飲ませたことであり、自分は単に巻き込まれているだけである事を文は思い出す。どうせなら姉妹同士で決着をつけて欲しいものだと、思わずため息をついたそのときである。
突如穣子から黒い弾が放たれる。
「危ない!」
文はとっさに静葉を突き飛ばし、自分も回避しようとしたが間に合わず被弾してしまう。穣子は更に続けざまに弾を次々と放っていき、その弾は黒い弾道を描き二人に襲いかかる。
「やって来たわね」
すかさず静葉は懐から紅葉を取り出し巨大化させて、それを盾にして防ぐ。
「ちょっ……そんな事出来たんですか? 私やられ損じゃないですか……!」
「あら、そんなことないわよ。助かったわ。これにも限りがあるもの」
被弾した羽を手で抑えながらうめく文に静葉はそう告げると、彼女を抱える。
「どうして急に攻撃してきたんですかね?」
「穢れが認識したのよ。私達が敵だって事に。奴らだって排除されたくないでしょうしね」
「なるほど……してどうします?」
「そうね。このまま、ちまちま攻撃してても埒があかなそうだし……あなたはその傷だし……」
言ってる側から穣子、いや穣子に取り付いた穢れから弾幕が放たれる。静葉は再び紅葉を使ってそれを防ぐ。
「……ところで静葉さん。その紅葉、あと何枚あるんです?」
「あら、もうないわよ?」
「もうないって……あのー、いいかげんにしてくださいよ! 次の弾幕来たら終わりじゃないですか! あなたがやられたら私じゃどうしようも出来ないですよ!?」
思わず怒鳴ってしまった事に気づいた文は「あっ」と言って口を抑える。
そんな文の感情を汲み取ったのか、静葉は腕を組んで考えるような素振りを見せる。
「……ふむ、確かにそうね。元はと言えば元凶は私。ここは私がなんとかするのが筋ってものよね」
そう言いながら静葉は意を決したように懐から何かを取り出す。それは錠剤の入った瓶だった。
「なんですかそれ?」
「穣子に飲ませた薬よ」
「どうするんですか? それを」
「こうするのよ」
静葉はにやりと笑みを浮かべると、おもむろにビンの蓋を開け中の錠剤を豪快に一気飲みする。
「な、何やってんですか!?」
「目には目を歯には歯を、薬には薬を。後は野となれ山となれってね」
静葉はぼりぼりと薬を噛み砕き飲み込むと「ふう」と一息をつく。
「ふむ……なるほど。 ……そういうことだったのね」
ぽつりとつぶやくと静葉は両手を広げ大きく息を吸う。すると次の瞬間彼女の姿が巨大化したかと思うと大きな真っ赤な姿に変貌する。それは燃え盛るように染め上がった巨大な紅葉だった。
「し、静葉さん!?」
驚く文を後目に紅葉となった静葉はひらひらと優雅に辺りを舞う。穢れから弾幕が放たれるが、風に吹かれる紅葉の如き動きでそれらをかわしていく。見事な旋回能力である、
文は感心しながらカメラでその様子を写す。とは言え、このまま相手の攻撃をかわしているだけでは何も進展はない。自分も多少は援護するべきかと文が迷い始めたそのときだ。
「文、聞こえるかしら?」
「あ、静葉さん。喋れたんですね?」
「このままじゃ埒があかないわ。風を起こして私を上空にとばしなさい」
「承知しました!」
文はすかさず風を起こす。その風に乗った紅葉は上空へと舞い上がり、その頂点まで達した瞬間、人間体に戻った静葉が急降下と共に紅葉状のオーラを纏い、穢れに向かって跳び蹴りを放つ。
その一撃は強烈なもので、命中した瞬間轟音と共に辺りが震えるほどだった。穢れは爆発四散し、周りの風景が、がらがらという音こそ出ないもののそんな様相で崩れていく。
「静葉秋度MAXキックと言ったところね」
着地した静葉はそう言って不敵な笑みを浮かべる。
「ふう、これでこの悪夢からもようやくおさらばですかね……」
文は崩れ落ちる風景を眺めながら立ち上がる。
「ええ、ごめんなさいね? あなたを巻き込んじゃって」
「まったくですよ。……ま、色々収穫はありましたけどね?」
天狗の団扇で口元を隠しながら涼しい顔をしている文。表情見るにどうやらまんざらでもないと言った様子だ。
やがて、青空は完全に崩れ落ち、徐々に辺りが白くなっていく。その白い世界の中に穣子のシルエットが一瞬浮かび上がったように見えた。
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「な、なんだなんだ!?」
驚くにとり達の目の前で浮遊物体は突如どんどん収縮していき一番最初の大きさくらいに戻ったと思った途端、急速落下し、どすんと地面に墜ちる。やはり重いのである。
地面に落ちても無傷のそれであったが、突然その場でネズミ花火のように回り始めたかと思うと、ぱんと音を出して破裂し、辺りが芋の焼けたような芳香とともに秋化粧する。
物体は忽然と姿を消し、代わりに二柱の神様と一体の妖怪が季節はずれの紅葉に包まれながら寝そべっていた。
ーー数日後。
「静葉さん! 聞いてくださいよ!」と珍しく血相を変えて文がバラックに飛び込んできたので、窓際でひなたぼっこをしていた穣子はうるさいのが来た。と思いながらも彼女を迎え入れる。
「姉さんならいないわよ」
「穣子さん! 大丈夫だったんですか?」
「うーん。なんとかねー」
文の問いに首をこきこきと鳴らしながら穣子は答える。気だるそうに見えるのはまだ完全復活してないからなのか、あるいは季節のせいか。
「……で、どうしたの?」
「あ、そうだ。聞いて下さいよ! 実は……」
文は懐から何枚もの写真を取り出して無造作に床へ置く。穣子が身を乗り出して見てみるが何も写ってない真っ白な写真だった。
なんでもあの一連の騒動中に撮った写真を現像したら全部真っ白だったのだという。
「私のあの時間は何だったんですか……」
がっくりとうなだれる文。
「……そんなの、私が知りたいくらいよ」
遠くを見るような表情を浮かべる穣子。確かに当の本人が一番訳が分からないのは間違いないのだ。思わず文は苦笑いを浮かべる。
しかし、写真がないとは言え、彼女があそこで見た景色や出来事はすべて記憶の中にしっかりと残っているのだ。
「……あの、穣子さん」
「んー?」
「ちょっとお尋ねしたいことが……」
と、その時である。
「ただいまー」と言いながら静葉が姿を現す。まるでタイミングを見計らっていたかのような様子ですらある。
「あ、おかえりー」
穣子は寝そべったまま応える。静葉はそんな穣子見て笑みを浮かべると文の方をちらっと見る。
文は頬を指でかきながら再び苦笑いを浮かべた。
「おじゃましてましたよ。どこ行ってたんですか?」
「ええ、ちょっと竹藪医者んとこにね。 例の薬について聞きに行ってたの」
そういえばあの薬は、元々は月の医者のところからもらってきたものだった事を文は思い出す。
「……で、結局その薬、何だったんですか?」
「ああ、これね食欲増強剤だそうよ」
「は……?」
「だから食欲増強剤。何でもあの助手のウサギさんが私に薬を間違えて渡したらしくて」
「食欲増強剤ってつまり要するにあれですよね……? 食欲が出ないときとか飲む……言ってしまえば胃薬のような」
思わず念を押すように質問を繰り返す文。静葉はさらりと答える。
「ええ、そうよ」
「……えーと、それを飲んで穣子さんや静葉さんはあんな事に?」
「そ、この子ったら空腹に耐え切れなくて、秋度以外のいろんな養分を吸収しちゃったみたいなのよ」
ちらりと静葉は穣子を見る。
「うー。だっておなか空いて仕方がなかったんだもん」
と言いながら頬を赤らめてそっぽを向いてしまう穣子。
「あの、そんな事で……あんな事に……なるのですか?」
「ええ。ちなみに私の時は、周りに秋度が沢山あったから、逆にパワーアップ出来たのよ。凄いでしょ?」
と、得意げに笑みを浮かべる静葉。彼女が今回の諸悪の権化であるはずなのだが。
「はあ……」
たかが胃薬飲んだだけでこんな大事になるなんてたまったもんじゃない。あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れを通り越してしまった文は、何かどうでも良くなり思わず床に寝転がる。
「ま、神様ってこう見えてもデリケートな存在なのよ。だから、もっと労りなさいよね」
等と言いながら横にいた穣子は寝そべったまま空を見上げている。
「はぁ……」
返事ともため息ともつかない声を漏らし、文も同じように空を見上げる。まるであの時のような青空だ。ふと、穣子が文に話しかける。
「ねえ、そういや、あんたさっき私になにか聞こうとしてなかった?」
「あ、ええ。ちょっと尋ねたいことがあったんですけど」
「ふーん? 何? 取材なら受け付けるわよ。暇だし」
「いえ、やっぱやめておきます」
「えー。 なんでよー」
穣子は不満そうに頬を膨らます。文は気だるそうに団扇を指で回しながら答える。
「誰にだって踏み込んじゃいけない部分ってのはあるものですしねー……」
「変なの……。 あ、でもあんたが変なのはいつものことか」
けらりと笑う穣子。
「ま、神に歴史ありってことよ。さぁ、それよりこれ食べましょ?」
そう言いながら静葉は皿に盛られた漬け物を取り出す。穣子の漬けた巾着茄子である。
三人は降り注ぐ陽光を浴びながら、のんびりと漬け物を啄む。
ゆっくりと味を噛みしめるように。
皆の無事を祝うかのように。
涙目の鈴仙が思わず頭に浮かぶ...
よく分からないうちにグングン読まされてしまった。面白かったです。
私が買ったポメラはどこやったかな……
このオチのつけ方からなにから、やはりこれでこそ幻想郷と言いたくなります。
面白かったです