その殺人が妖怪によっておこなわれたというのが問題であった。
殺人の現場は、人里の中でも寂れた、人気のない場所であり、
長屋の並んだ通りからはずれ、東に数里ほど離れた粗末な一軒家である。
どこをどう保っているのか不思議なほどボロボロの家だった。
下手人はすぐに捕まった。
被害者の配偶者である。
慌てた様子の慧音からの情報によると、自ら通報してきたらしく、逃げるそぶりもないらしい。
博麗霊夢は当然のことながら、その作動原理にしたがって動いた。
人里での殺人は、里外での殺人とはわけが違う。
幻想郷そのものへの反逆であり、退治とは異なり絶滅が適用される。
すなわち、死刑――。
慧音と、慧音についてきた幾人かの里の人間を外に待たせ、霊夢はひとり小屋の中に入った。
下手人は、天狗の青年だった。
ひょろ長い躰に、頬をこけさせ、しかし瞳だけはらんらんと輝き、こちらを値踏みしているようだった。
静謐の烈しさ。
その蒼白い顔にはしっかりとした知性の明かりがともっており、
本能的に殺してしまったのではないことを、霊夢は感じ取った。
「あー、あんた、どうして奥さんを殺しちゃったわけ?」
「どうしてなのでしょう。わかりません」
「あんたねえ。それで通ると思ってるの。幻想郷のルール知ってる?」
「もちろん、知っておりますよ。人里では妖怪は人を殺してはいけない」
「人里以外だったら、別に自由なんだけどね。もちろん、数多く殺したら退治されることはあるけど、それは織り込み済み。今回あんたがやったことは」
「ええ、罪です」
彼は言葉を遮るようにして言った。
霊夢は彼から立ち上る異様な威圧感を前に、思わず身構え、再度口を開く。
「ええ、そうよ。あんたがやったことはまぎれもない罪。スペルカードも適用されない本当の退治が待っている。わかっているの?」
「わかっております。十分に……、これ以上なく十分に、私は私の罪を噛みしめております。けれど、ああ、そうですね。博麗の巫女様。あなたはもしかしてお優しいのではありませんでしょうか。数多くの妖怪を打ち倒す非情の巫女と言われながらも、あなたはまだ私に手を挙げていない。本来であるならば、すぐにでもこの家を囲い、符や針でもって滅すればよいところを、あなたは私の話を聞こうとしている」
「不可解だからよ。どうして、殺したのか。そしてどうしてあんたは自分から通報してきたのか。わからないから聞いているだけ」
「なるほど、人間というのは好奇心の強い生き物ですからね。ご安心ください。私はあなたと政治的主張を戦わせようだとか、言い訳めいたことを言ってこの場を言い逃れようとしているとか、そういうことは誓ってございません。もとより私は退治されるつもりでした」
「自殺でも考えていたの?」
「正直に申し上げますと、私はあなたが機械的に冷然と事を成す方だと考えておりました。あなたは私の言葉を聞くこともなく、私を殺すものと手前勝手に想像しておりました。スペルカードルールでの話を人伝えに聞く限りでは、あなたは問答無用と聞いていたからです。しかし、実際は違った。あなたは私の話を聞こうとしている。でしたら、私は考えなくてはなりません。態度を改めなくては……。あなたには聞いていただくほかないように思います」
「なにをよ」
「私がなぜ妻を殺したかです」
「奥さんを愛していなかったの?」
「私は妻を愛しておりました」
「じゃあ、なぜ」
「順を追って説明したいのですが、かまわないでしょうか?」
「ええ、かまわないわよ。どうせ、時間はたっぷりあるし、あんたは逃げないんでしょう」
彼はこくりとうなずいた。
「私と妻がであったのは、妻が十といくつかのころでした。出会いは偶然で、彼女は川で遊んでいたのです。おそろしい妖怪が跳梁跋扈する妖怪山のふもとの川で遊ぶ。当然危険なことですが、持前のお転婆さと、思いきりの良さで彼女は何度もそうしていたのです。その頃、私はまだ天狗という組織に属しておりまして、周辺の哨戒をやっておりました。まだ妖怪の山に入る手前とはいえ、川も十分に人里の領域をはずれております。私は注意するつもりで、彼女の傍に寄ったのですが、驚かせてしまい、彼女は川の中へドボンと落ちてしまいました。彼女は私の姿を見咎めると、落とされたと勘違いしたらしく、私に食ってかかってきたのです」
「あんた、二人のなれ初めから全部話すつもりじゃないでしょうね」
「いえいえ、別にそのようなことはございません。ただ、二人は出逢った。それだけでもよかったのですが、あの頃のことを思い出すのが楽しくついつい長話になってしまったのです」
「そう……、で、二人は結婚したのね?」
「結婚の前にお付き合いがございましたよ」
「ああそう……」
「そうです。出会いは突然。けれど、恋愛感情については欠片もございませんでした。彼女とはそれから何度か会っていましたが、なんというほどのことではないのです。恋愛をしているという感じもなく、たまたま川に遊びに来て、たまたま私が哨戒にきて、そしてほんの数分話すだけの間柄だったんです。しかし、ある日、彼女に告白されました」
「どういうふうに?」
「お恥ずかしい」
「まあ言ってみなさいよ」
「彼女は空を飛びたかったらしいんです。それで、私のような妖怪の彼氏がいれば空を飛べると思って……、だから告白したらしいんですよ」
「それを不義と思い、あんたは彼女のことを憎んでいた?」
「いえ、まったく。それどころか、愛らしいと思いました。彼女は見た目も美しい娘でしたが、それよりもその空へ憧れる視線が愛らしいと思いました。だから、私は妻と付き合うこととしたのです」
「遊びだったとか?」
「そうですね。そういう感情もありました。私は妖怪で彼女は人間です。人間なんて百年もすればみんな死んでしまう。私にとっては悠久の妖怪生のなかのほんの一瞬にしか過ぎないわけです。だから、彼女自身も当然そのことは知っているし、まさか本気だなどとはつゆほども思いませんでした」
「でも本気だった?」
「そうです。彼女はどこまでも本気でした。あろうことか妖怪である私を本気で好いていたのです」
「どうしてそう確信するに至ったの?」
「博麗の巫女様。失礼ながらあなたは巫女様であると同時に、うら若き乙女でもあるわけです。その答えには、こう申し上げておきましょう。あなたが素敵な殿方と付き合うことになればおのずとわかるものです」
「イライラするわね。あんた私が手を出さないからって調子にのってるんじゃないの?」
「いえ、そういうわけではございません。ただ、そうですね。わかりました。きっかけらしいきっかけと言えば、きっと彼女から同棲したいといわれたときでしょうね」
「あるんじゃないのきっかけが」
「ですが、当然最初は拒否しましたよ。私には天狗社会の哨戒天狗という立場がございます。そして彼女は人里の人間なのです。どこに住むのかという問題がありますし、私は天狗組織の中で、笑いものになりかねません。人間なんかと一緒に住む妖怪として、みなから後ろ指をさされることになるのです。また、彼女にとっても同じでしょう。妖怪といっしょに住む人間ともなれば、畏れられ、忌み嫌われることになるのです。私はどこに住むつもりかと尋ねました。それで決まったのが、ここ、人里の中でもはずれの方にある、この一軒家なのです」
「それから結婚したのね」
「結婚しました」
「それで仲が悪くなって殺しちゃった、と」
「いいえ。違います」
「じゃあ貧しさのあまりに殺しちゃったとか?」
見渡せば、今にも崩れ落ちそうな家である。
この家で暮らしていた青年夫婦が貧しかったのは想像に難くない。
「貧しかったのは確かです。ですが、私は彼女のことを愛しておりましたし、その心を一瞬でも違えたことはございません」
「貧しさは罪よ。生活が苦しいと何も考えられなくなる。口減らしなんてものも人里ではあるらしいわね。あんた、哨戒天狗としての仕事を辞めちゃった後、どうしたの?」
「探しました。しかし、難しかったのは確かです。私は天狗で妖怪ですから、人里での仕事を探すのは難しかったんです。そして、妻もそれは同じでした。妖怪なんぞと結婚してしまった人間は、人間の側からも畏れられ、たいした仕事も与えられず、慢性的に貧しい状態が続いておりました」
「生活苦で殺した?」
「違います。生活は苦しくとも、私のほうは諦めの良さで、すべてを失おうが、彼女がいればそれでいいという思いがございました」
「彼女のほうはどうだったの?」
「こんなに貧しいと子どもを成すこともできないと嘆いておりました」
「そのことが原因で諍いが起こった?」
「ええ、頻繁にです」
「昨晩はどうだったの?」
「口論はありました」
「どういった内容?」
「たいしたことのない内容です」
「言いなさい」
「どうして人間は空を飛べないのか、とポツリと漏らし、私はバカらしくなって、つい怒ってしまったのです」
「そんな他愛のないことで殺したの?」
「いいえ。違います。諍いはすぐに止みました」
「どういうふうに終わったの?」
「私が謝って、彼女が許して、それで終わりです」
「どういうふうに謝った?」
「すまなかった。人間は確かに空を飛べないが、私がお前を空に連れていこう。だから赦してくれ、というふうに謝りました」
「そう」
霊夢は言い知れない不吉な予感を感じていた。
胸の奥が押しだされるような、そんな昏い予感である。
「あんたが殺した理由は、貧しさでもなければ、諍いでもないという、じゃあいったいなんなの」
「よく、わからないのです。私にはその理由の根源を辿ることができないのです」
「どういうことよ。無意識に殺したとでもいうの」
「いいえ、違います。私は私の意思で彼女を殺しました。完全な故意による犯行です」
「ではなぜわからないなんて言うのよ」
「私には彼女の心がわからないからです」
「どういうこと?」
「請われたのです」
「なにを?」
「殺すよう彼女に請われたのです」
「……同意殺人だといいたいの?」
「いいえ、わからないのです」
「なにがわからないのよ。状況を教えなさい」
彼は目を瞑っていた。
「昨年のことなんですが、彼女は田圃のあぜ道を歩いていて、ふとした拍子に転んでしまい、足を悪くしてしまいました。妖怪にとっては数日で治るようなたいしたことのない怪我でも、人間にとっては下手をすると一生かかるような大怪我です。無理をして歩いていたのが悪かったんでしょうね。彼女は全く歩けない身体になってしまいました」
「それは慧音から聞いている。あんたが甲斐甲斐しく世話をしてたらしいわね」
「ええ、でも彼女にとってはどうなのでしょうか」
「あんた自身はどう思ってるの?」
「あれだけ明るかった彼女は、すでに面影の彼方に消えてしまったかのようでした。自分で自分の餌を調達できない天狗は天狗の中でも笑いものになる。それと同じように、動けず負担になるだけの自分のことが、彼女自身、嫌いになったのでしょう」
「それで死にたいと願うようになった?」
「おそらくはそうでしょう。けれど私には人間の気持ちを完全に感じ取ることなどできはしません。私は他のことなどどうでもよいから生きてくれと言いました。生きて生きて生き抜いて、最後の時までいっしょにいてくれと願いました。しかし、少しずつ少しずつです……。まるで夕闇があたりを覆うように気づいたら彼女の決意は心の大半を占めるようになっていたのです。空を飛べない自分のことを語り、老いていく自分のことを語り、独り身になる私のことを語り、それらは結局のところ彼女の死に対する願望が色を変え、品を変え現れたものでした。私は恐ろしくなり、彼女のことを放り出してしまいたくなる衝動を抑えました」
「奥さんの世話をするのに疲れていたから、殺した?」
「そうかもしれません」
「そう……。昨晩は何を話したの?」
「同じようなことです。どうして空を飛べないのか。老いさらばえてあなたに見向きもされなくなってしまうのが怖い。死ぬことよりも、そのことが怖いと、そう言っておりました。震える声で足をさすり、もう歩けない。もう生きていけない。せめて、後生だからと。後生だから、あなたに看取ってほしいと言われました。何がそうさせたというわけではないのです。きっかけなんてものはひとつもなく、あえて言えば、流れ出る水が桶いっぱいまでたまって漏れ出すように、彼女の想いというものはとっくの昔にいっぱいになっていたのです。そして私は彼女に導かれるままに、その薄い首に手をかけて、しかし私はそれでもまだ覚悟を持てずにいました」
「殺す覚悟を?」
「そうです。けれど言うのです。彼女は儚いほどによわよわしい力で、私の指にそっと手を添えて!」
「私を愛 してください」と。
彼の表情は不気味なほど穏やかだった。
「ですが……、彼女の言葉とは裏腹に、彼女の肉体はまだ生きることを望んでいたのでしょうね。私が力をこめると、動きの悪い足をばたつかせ、爪が剥がれるくらいに抵抗し、最後の最後まで生きることをあきらめようとはしませんでした。私は妖怪だというのに、念仏を唱えながらやりきりました」
「同意殺人であることを主張するの?」
「いいえ。私はなぜここまで話したと思いますか?」
「博麗の巫女を凶器とし、自分の胸を貫くため」
「そうです。しかし、あなたは人間だった。情に流され私を殺さないという選択肢もありえるかもしれない」
「そうね。それで?」
「あなたは優しいお方だ。だったら、私はすっかり白状してしまって、あなたの優しさに訴えかけるほうが確実ですらあるのかもしれないと思いました」
「私がそんなに優しい人間だと思っているの?」
「ええ。思います」
「面倒くさいやつね。勝手に死になさいよ」
「自殺では閻魔様に怒られてしまいます。殺されてしまえばしかたない」
「果たして人間を殺した妖怪が人間と同じところに行けるものかしら」
「わかりません。ですが、私はもう死んでいるのも同然なのです。私はあなたに殺されるわけではないのです。もちろん私自身が自死するわけでもない。彼女の言葉に殺されるのです」
「もう、いいわ」
霊夢が小屋を出ると、慧音がすぐさま駆け寄った。
そのまま、霊夢は物も言わずに去ったので、慧音は小屋の中を覗いてみた。
霊夢が非情の顔をしていたのと対比的に彼の死顔は安らかだった。
殺人の現場は、人里の中でも寂れた、人気のない場所であり、
長屋の並んだ通りからはずれ、東に数里ほど離れた粗末な一軒家である。
どこをどう保っているのか不思議なほどボロボロの家だった。
下手人はすぐに捕まった。
被害者の配偶者である。
慌てた様子の慧音からの情報によると、自ら通報してきたらしく、逃げるそぶりもないらしい。
博麗霊夢は当然のことながら、その作動原理にしたがって動いた。
人里での殺人は、里外での殺人とはわけが違う。
幻想郷そのものへの反逆であり、退治とは異なり絶滅が適用される。
すなわち、死刑――。
慧音と、慧音についてきた幾人かの里の人間を外に待たせ、霊夢はひとり小屋の中に入った。
下手人は、天狗の青年だった。
ひょろ長い躰に、頬をこけさせ、しかし瞳だけはらんらんと輝き、こちらを値踏みしているようだった。
静謐の烈しさ。
その蒼白い顔にはしっかりとした知性の明かりがともっており、
本能的に殺してしまったのではないことを、霊夢は感じ取った。
「あー、あんた、どうして奥さんを殺しちゃったわけ?」
「どうしてなのでしょう。わかりません」
「あんたねえ。それで通ると思ってるの。幻想郷のルール知ってる?」
「もちろん、知っておりますよ。人里では妖怪は人を殺してはいけない」
「人里以外だったら、別に自由なんだけどね。もちろん、数多く殺したら退治されることはあるけど、それは織り込み済み。今回あんたがやったことは」
「ええ、罪です」
彼は言葉を遮るようにして言った。
霊夢は彼から立ち上る異様な威圧感を前に、思わず身構え、再度口を開く。
「ええ、そうよ。あんたがやったことはまぎれもない罪。スペルカードも適用されない本当の退治が待っている。わかっているの?」
「わかっております。十分に……、これ以上なく十分に、私は私の罪を噛みしめております。けれど、ああ、そうですね。博麗の巫女様。あなたはもしかしてお優しいのではありませんでしょうか。数多くの妖怪を打ち倒す非情の巫女と言われながらも、あなたはまだ私に手を挙げていない。本来であるならば、すぐにでもこの家を囲い、符や針でもって滅すればよいところを、あなたは私の話を聞こうとしている」
「不可解だからよ。どうして、殺したのか。そしてどうしてあんたは自分から通報してきたのか。わからないから聞いているだけ」
「なるほど、人間というのは好奇心の強い生き物ですからね。ご安心ください。私はあなたと政治的主張を戦わせようだとか、言い訳めいたことを言ってこの場を言い逃れようとしているとか、そういうことは誓ってございません。もとより私は退治されるつもりでした」
「自殺でも考えていたの?」
「正直に申し上げますと、私はあなたが機械的に冷然と事を成す方だと考えておりました。あなたは私の言葉を聞くこともなく、私を殺すものと手前勝手に想像しておりました。スペルカードルールでの話を人伝えに聞く限りでは、あなたは問答無用と聞いていたからです。しかし、実際は違った。あなたは私の話を聞こうとしている。でしたら、私は考えなくてはなりません。態度を改めなくては……。あなたには聞いていただくほかないように思います」
「なにをよ」
「私がなぜ妻を殺したかです」
「奥さんを愛していなかったの?」
「私は妻を愛しておりました」
「じゃあ、なぜ」
「順を追って説明したいのですが、かまわないでしょうか?」
「ええ、かまわないわよ。どうせ、時間はたっぷりあるし、あんたは逃げないんでしょう」
彼はこくりとうなずいた。
「私と妻がであったのは、妻が十といくつかのころでした。出会いは偶然で、彼女は川で遊んでいたのです。おそろしい妖怪が跳梁跋扈する妖怪山のふもとの川で遊ぶ。当然危険なことですが、持前のお転婆さと、思いきりの良さで彼女は何度もそうしていたのです。その頃、私はまだ天狗という組織に属しておりまして、周辺の哨戒をやっておりました。まだ妖怪の山に入る手前とはいえ、川も十分に人里の領域をはずれております。私は注意するつもりで、彼女の傍に寄ったのですが、驚かせてしまい、彼女は川の中へドボンと落ちてしまいました。彼女は私の姿を見咎めると、落とされたと勘違いしたらしく、私に食ってかかってきたのです」
「あんた、二人のなれ初めから全部話すつもりじゃないでしょうね」
「いえいえ、別にそのようなことはございません。ただ、二人は出逢った。それだけでもよかったのですが、あの頃のことを思い出すのが楽しくついつい長話になってしまったのです」
「そう……、で、二人は結婚したのね?」
「結婚の前にお付き合いがございましたよ」
「ああそう……」
「そうです。出会いは突然。けれど、恋愛感情については欠片もございませんでした。彼女とはそれから何度か会っていましたが、なんというほどのことではないのです。恋愛をしているという感じもなく、たまたま川に遊びに来て、たまたま私が哨戒にきて、そしてほんの数分話すだけの間柄だったんです。しかし、ある日、彼女に告白されました」
「どういうふうに?」
「お恥ずかしい」
「まあ言ってみなさいよ」
「彼女は空を飛びたかったらしいんです。それで、私のような妖怪の彼氏がいれば空を飛べると思って……、だから告白したらしいんですよ」
「それを不義と思い、あんたは彼女のことを憎んでいた?」
「いえ、まったく。それどころか、愛らしいと思いました。彼女は見た目も美しい娘でしたが、それよりもその空へ憧れる視線が愛らしいと思いました。だから、私は妻と付き合うこととしたのです」
「遊びだったとか?」
「そうですね。そういう感情もありました。私は妖怪で彼女は人間です。人間なんて百年もすればみんな死んでしまう。私にとっては悠久の妖怪生のなかのほんの一瞬にしか過ぎないわけです。だから、彼女自身も当然そのことは知っているし、まさか本気だなどとはつゆほども思いませんでした」
「でも本気だった?」
「そうです。彼女はどこまでも本気でした。あろうことか妖怪である私を本気で好いていたのです」
「どうしてそう確信するに至ったの?」
「博麗の巫女様。失礼ながらあなたは巫女様であると同時に、うら若き乙女でもあるわけです。その答えには、こう申し上げておきましょう。あなたが素敵な殿方と付き合うことになればおのずとわかるものです」
「イライラするわね。あんた私が手を出さないからって調子にのってるんじゃないの?」
「いえ、そういうわけではございません。ただ、そうですね。わかりました。きっかけらしいきっかけと言えば、きっと彼女から同棲したいといわれたときでしょうね」
「あるんじゃないのきっかけが」
「ですが、当然最初は拒否しましたよ。私には天狗社会の哨戒天狗という立場がございます。そして彼女は人里の人間なのです。どこに住むのかという問題がありますし、私は天狗組織の中で、笑いものになりかねません。人間なんかと一緒に住む妖怪として、みなから後ろ指をさされることになるのです。また、彼女にとっても同じでしょう。妖怪といっしょに住む人間ともなれば、畏れられ、忌み嫌われることになるのです。私はどこに住むつもりかと尋ねました。それで決まったのが、ここ、人里の中でもはずれの方にある、この一軒家なのです」
「それから結婚したのね」
「結婚しました」
「それで仲が悪くなって殺しちゃった、と」
「いいえ。違います」
「じゃあ貧しさのあまりに殺しちゃったとか?」
見渡せば、今にも崩れ落ちそうな家である。
この家で暮らしていた青年夫婦が貧しかったのは想像に難くない。
「貧しかったのは確かです。ですが、私は彼女のことを愛しておりましたし、その心を一瞬でも違えたことはございません」
「貧しさは罪よ。生活が苦しいと何も考えられなくなる。口減らしなんてものも人里ではあるらしいわね。あんた、哨戒天狗としての仕事を辞めちゃった後、どうしたの?」
「探しました。しかし、難しかったのは確かです。私は天狗で妖怪ですから、人里での仕事を探すのは難しかったんです。そして、妻もそれは同じでした。妖怪なんぞと結婚してしまった人間は、人間の側からも畏れられ、たいした仕事も与えられず、慢性的に貧しい状態が続いておりました」
「生活苦で殺した?」
「違います。生活は苦しくとも、私のほうは諦めの良さで、すべてを失おうが、彼女がいればそれでいいという思いがございました」
「彼女のほうはどうだったの?」
「こんなに貧しいと子どもを成すこともできないと嘆いておりました」
「そのことが原因で諍いが起こった?」
「ええ、頻繁にです」
「昨晩はどうだったの?」
「口論はありました」
「どういった内容?」
「たいしたことのない内容です」
「言いなさい」
「どうして人間は空を飛べないのか、とポツリと漏らし、私はバカらしくなって、つい怒ってしまったのです」
「そんな他愛のないことで殺したの?」
「いいえ。違います。諍いはすぐに止みました」
「どういうふうに終わったの?」
「私が謝って、彼女が許して、それで終わりです」
「どういうふうに謝った?」
「すまなかった。人間は確かに空を飛べないが、私がお前を空に連れていこう。だから赦してくれ、というふうに謝りました」
「そう」
霊夢は言い知れない不吉な予感を感じていた。
胸の奥が押しだされるような、そんな昏い予感である。
「あんたが殺した理由は、貧しさでもなければ、諍いでもないという、じゃあいったいなんなの」
「よく、わからないのです。私にはその理由の根源を辿ることができないのです」
「どういうことよ。無意識に殺したとでもいうの」
「いいえ、違います。私は私の意思で彼女を殺しました。完全な故意による犯行です」
「ではなぜわからないなんて言うのよ」
「私には彼女の心がわからないからです」
「どういうこと?」
「請われたのです」
「なにを?」
「殺すよう彼女に請われたのです」
「……同意殺人だといいたいの?」
「いいえ、わからないのです」
「なにがわからないのよ。状況を教えなさい」
彼は目を瞑っていた。
「昨年のことなんですが、彼女は田圃のあぜ道を歩いていて、ふとした拍子に転んでしまい、足を悪くしてしまいました。妖怪にとっては数日で治るようなたいしたことのない怪我でも、人間にとっては下手をすると一生かかるような大怪我です。無理をして歩いていたのが悪かったんでしょうね。彼女は全く歩けない身体になってしまいました」
「それは慧音から聞いている。あんたが甲斐甲斐しく世話をしてたらしいわね」
「ええ、でも彼女にとってはどうなのでしょうか」
「あんた自身はどう思ってるの?」
「あれだけ明るかった彼女は、すでに面影の彼方に消えてしまったかのようでした。自分で自分の餌を調達できない天狗は天狗の中でも笑いものになる。それと同じように、動けず負担になるだけの自分のことが、彼女自身、嫌いになったのでしょう」
「それで死にたいと願うようになった?」
「おそらくはそうでしょう。けれど私には人間の気持ちを完全に感じ取ることなどできはしません。私は他のことなどどうでもよいから生きてくれと言いました。生きて生きて生き抜いて、最後の時までいっしょにいてくれと願いました。しかし、少しずつ少しずつです……。まるで夕闇があたりを覆うように気づいたら彼女の決意は心の大半を占めるようになっていたのです。空を飛べない自分のことを語り、老いていく自分のことを語り、独り身になる私のことを語り、それらは結局のところ彼女の死に対する願望が色を変え、品を変え現れたものでした。私は恐ろしくなり、彼女のことを放り出してしまいたくなる衝動を抑えました」
「奥さんの世話をするのに疲れていたから、殺した?」
「そうかもしれません」
「そう……。昨晩は何を話したの?」
「同じようなことです。どうして空を飛べないのか。老いさらばえてあなたに見向きもされなくなってしまうのが怖い。死ぬことよりも、そのことが怖いと、そう言っておりました。震える声で足をさすり、もう歩けない。もう生きていけない。せめて、後生だからと。後生だから、あなたに看取ってほしいと言われました。何がそうさせたというわけではないのです。きっかけなんてものはひとつもなく、あえて言えば、流れ出る水が桶いっぱいまでたまって漏れ出すように、彼女の想いというものはとっくの昔にいっぱいになっていたのです。そして私は彼女に導かれるままに、その薄い首に手をかけて、しかし私はそれでもまだ覚悟を持てずにいました」
「殺す覚悟を?」
「そうです。けれど言うのです。彼女は儚いほどによわよわしい力で、私の指にそっと手を添えて!」
「私を
彼の表情は不気味なほど穏やかだった。
「ですが……、彼女の言葉とは裏腹に、彼女の肉体はまだ生きることを望んでいたのでしょうね。私が力をこめると、動きの悪い足をばたつかせ、爪が剥がれるくらいに抵抗し、最後の最後まで生きることをあきらめようとはしませんでした。私は妖怪だというのに、念仏を唱えながらやりきりました」
「同意殺人であることを主張するの?」
「いいえ。私はなぜここまで話したと思いますか?」
「博麗の巫女を凶器とし、自分の胸を貫くため」
「そうです。しかし、あなたは人間だった。情に流され私を殺さないという選択肢もありえるかもしれない」
「そうね。それで?」
「あなたは優しいお方だ。だったら、私はすっかり白状してしまって、あなたの優しさに訴えかけるほうが確実ですらあるのかもしれないと思いました」
「私がそんなに優しい人間だと思っているの?」
「ええ。思います」
「面倒くさいやつね。勝手に死になさいよ」
「自殺では閻魔様に怒られてしまいます。殺されてしまえばしかたない」
「果たして人間を殺した妖怪が人間と同じところに行けるものかしら」
「わかりません。ですが、私はもう死んでいるのも同然なのです。私はあなたに殺されるわけではないのです。もちろん私自身が自死するわけでもない。彼女の言葉に殺されるのです」
「もう、いいわ」
霊夢が小屋を出ると、慧音がすぐさま駆け寄った。
そのまま、霊夢は物も言わずに去ったので、慧音は小屋の中を覗いてみた。
霊夢が非情の顔をしていたのと対比的に彼の死顔は安らかだった。
なんかこの天狗自分に酔ってると言うか安ぽく見えるのが残念だ
妖怪と人間との間に横たわる本質的な差異を感じさせられます。
その差異は0か1かの絶対的な違いなのか、それとも濃淡のあるグラデーション的なものなのか、それを押し包んで流れていく「日常」というものの力はどれほどのものなのか。
答えも考え方も無数なのですが。
東方SSで一般人の視点を作るのは難しいですよね。
彼にとっての正義はどこを向いていたのだろうか。
とはいかない場合も当然あるんだよね……
こういう不安をはねのけられる人でないと、人外と人との間ではやっていけないだろう
でも霊夢には、ルビの方しか聞こえないはずで。妻がどんな思いに「ころして」のルビを振ったのか、それは決して霊夢には伝わらないのでしょうなあ
この話に妖怪は何処にも居ない。
(まるきゅーさんは妖怪と人間の書き分けについて一家言あるようなので厳しめに)
2時間テレビドラマのご年配向けに作られた異常者犯人の描写にも重なるように見えます。
キャラクターにまるで深みがありません、べっとりとしたメロドラマの感触でした