さくりさくりと、白が鳴る。
さらりさらりと、滴と流る。
ざくざく、しゃりしゃり、ぎゅぎゅと鳴き。
さくさく、ぱりぱり、きゅきゅと押し込め。
「……」
振り積もった一面に対の跡。
まっさらな新雪に初めの音を刻みながら、彼女は歩く。雲が全て振り落ちてしまったような真っ白な絨毯鳴らし、お気に入りの日傘がゆらゆら揺れる。
目的があって一線と進んでいるのか。たまたま妨げるものがなかったために、ずっとまっすぐと進んできてしまったのか。
刻まれた足跡はずっと長く、遠く、直線に。
右足と左足の、ただ平行一対。一人きりでのんびり続く。沈んだ雪は彼女の重さの分だけで。
「……あら」
ずっとそのままやってきて……そこでぶつかったのは一つの区切り。
一面に広がった薄氷とその下に流れているのだろう水の音――流れのように続いていた一本の足跡は、やがて大きな湖へとぶつかって、ぴたりと流れを止めた。
「はあ」と一筋、白息昇り。
細めた目で辺りを見回した少女がうんと頷いた。
「――やっぱり、簡単には見つけられないものね」
ふっと、小さくこぼした言葉と置いて、開いていた傘がぱちりと閉じる。ぎゅっと棒のように小さく絞って体に傾けて、空いた片手で片手を持って――両手を上げてうんと伸び。
伸び伸びと、白く染まった空気が雲へ。
澄んだ空気は冷えに冷え、吸い込んだ肺すら凍らせて、白銀薄氷、まっさら白と透明氷が辺りを囲い――花の妖怪である彼女は、ぎゅっと地面を踏みしめた。
ますます高まる寒さをものともせず、ただぐっと根を張る強さを持って、赤い紅をゆっくりと。
「……何かご用かしら、そこの妖怪さん?」
「――あら、気づいていたの」
開いた唇に返る声。
寒さに尖った風の中心に、ふわりと渦が落ちた。
白の塊。雪の造形。
そこにいるだけでさらにすっと寒さが増すような渦が巻き、けれど、それでいてとても温かそうな姿がそこに。
薄く微笑む雪の少女が冷え冷えと。
「でも、そっちの方だって妖怪さんじゃないの」
花の少女を見下ろして、すとんと隣へと降り落ちて、冷たい空気がなお寒く、膨らむように広がって――凛と佇む少女は大して気にした様子もなく。
「まあ、そうだけど……それじゃあ、何かようでもあるのかしら、そこの同属さん」
「同属っていうのも違う気はするけど――まあ、いいわ」
言い直された言葉に少女は困ったようにまた首を傾げた。そして、うんとまた頷いて答えを返す。
「私はいつもお花ばっかり眺めている花の妖怪さんがどうしてこんなところに、と思ってね」
ただの好奇心よ、そう雪妖が。
物理的にも精神的にも温度の違った笑み。
笑っただけで、また少し。
「気まぐれにしては迷惑な話ね。こんな寒さになるなら、マフラーでもしてくれば良かったわ」
「ええ、それがいいわよ。寒さは着飾るのにはもってこいの理由なんだから」
笑みの度、増していく寒さ。
それもまた冬の醍醐味なのだと笑う少女は、悪びれもない。
「そうね綺麗な花柄のとっておきでも……でも、濡らしちゃうと嫌だし、その原因を取り除いてからにしようかしら」
「そうねぇ。春を集めるっていうのなら前に半人前の子がやっていたわよ。その周りはもっと冷え込んじゃっていたけど」
それはいつかの長く続いた冬のことだろうか――確か、なかなか花が咲く季節にならなくて、やきもきしていた記憶が少女にはあった。
咲きすぎるのも困るものだけど、時期になっても咲かせてあげられないというのも、また嫌なもの。もう少し長く続いていたなら自分が出張っていたかもしれない。それくらいには不機嫌だった。
まったく、仕事が遅い――と浮かぶ暢気な紅白調。今度暇つぶしがてらからかいにでもいってあげようかしらと、そんな気持ちももたげてくる。
そういえば、あの異変にいかにも関わっていそうなこの冬の妖怪は、あれに出会ったことがあるのだろうか。
そんなことを少女は考えていて――
「冬も長く続きすぎるのも考えものね。あの時はついつい張り切っちゃったけど、その反動で今年は体が重いような気がするわぁ……」
少し寝坊しちゃったし。
そんな季節感のないことをいう季から生まれた妖怪になんだか肩を透かされる。
どうにもゆるく、のんびりと。
のらりくらりとした会話ばかり。
それもまたこんな寒さに動きたくないなんていう|冬特有の気分《怠情》からくるものなのか。確かに、それもまた象徴といえば象徴なのかもしれない、と。
「まあそれでも、こんな雪が降った後はやっぱり歩いてみたくなるわよね。まっさらな雪面はそこに初めに歩いてみたい、なんていう欲望を刺激する――あなたも、その類かしら」
「そういうことをするのは子どもかワンちゃんぐらいじゃないかしらね。冬の風物というなら、私はどちらかというと猫を押すけれど」
こたつでゆっくり派。
そういうと、「それもいいわねぇ」とまた雪女とは思えないことを――いや、冬の妖怪ということは、そんな醍醐味も季の内ということなのか。
「でも、それじゃあ結局何をしていたの?」
また続く疑問。
この寒さの原因というのなら少し相手して放り出してやろうか、なんて気分もすっかり失せてしまっていて、仕方なく少女は口を開いた。
隠すことでもない。どうせなら話してしまって手伝わせるのもいいかもしれないと。
「私は、少し探しものをしていただけよ」
「探しもの?」
当初の目的、目的というほどでもないただの気紛れ。
暖を取りに向かった閑古鳥の鳴く古道具屋で目を通したゴシップ新聞を見て、ふと、目に入った記事。
「本当に存在しているのかどうかはわからない。けれど、それがあるのなら見てみたいと思うもの――美しい。けれど、それが本当なのかは誰も証明できないというもの」
そういう見出しで飾られた。
「そんなものが偶然にも咲いてないかしら、と気が向いて」
「随分、暇なことをやっているのねぇ……」
失礼にも、呆れた声。
つまりそれは見つかるはずがない存在しないものなのではないか。そういう当然、|常識《・・》の言葉が返る。
そう、それはきっと有るはずはないだ――だからこそ、在るかもしれないものだ。
「わざわざこんな大雪の降った後じゃなくても」
「誰もいない。誰もいないはずの世界だからこそ意味があるのよ」
想っているからこそ形を得て、描いているからこそ姿を見せる。一つ一つ違った同じ美しさに根ざして花を咲かせる空想の物。
そういう、幻想――ならきっと。
「幻とは、誰もたどり着くはずのない秘境にこそ咲くものでしょう」
そういうものの居場所は決まりきっているものだ。
龍が滝壺深くに住むように、神器が|海底《うみぞこ》深く隠れているように。
「――冬の花なら雪の上こそ咲くってことかしらね?」
「……何よ。知っているんじゃない」
くすりと笑った冬の妖怪に、彼女は肩を落とした。
折角ここまで勿体ぶったというのに……。
「あの天狗の新聞に乗っていたコラムだったかしら。確か、『幻の花』なんていう題名で」
「ええ、とても懐かしい話だったから、少し」
だからわざわざこんな雪の日に。
皆が咲いているかもしれぬと一筋想う、そんな幻想への想い火が強きときに――もしかしたら、と少女は歩いていたのだ。
期待半分、気紛れ半分……少しの郷愁を共として。
「たとえ現実に存在しないといわれても、それを求める想いは失せることがない。むしろ、見たことがないからこそ、それはさらに美しきものとして想いを積んでいくもの」
空想、妄想、予想、仮想……そして、幻想。
夢の形の具現され、ただ精神の内に種を蒔く。それが芽吹くというのなら、きっと。
「会えぬうちが花、ということかしらね」
「見つけたいと願う美しさもまた、花の魅力であるということよ」
幻想の美しさもまた、その存在が美しくあるからこそ。火があるからこそ、煙は香るのだ。在ると信じるからこそ、それは顕れるのだ。
|妖怪《・・》である彼女は、そう微笑んで。
「まったく、物好きなものねぇ」
くすくすと、冬の妖怪は笑う。
そんな彼女はそれを見たことがあるのだろうか――どこに咲くのかを、知っているのだろうか。
そう少女が聞いてみようかと思うったところに。
「花というのなら、いくらでも周りに咲いているでしょうに」
思わぬ言葉。
うんと首を傾げてそちらを見返すと。
「冬の風物。冬季の象徴。寒気の顕れ――それが、氷雪という冬の花」
膝を折り、少しの冷たさを掬い取る少女の姿。
白い右手の上で溶けないまま、形を保ったままの透白がふわりとのって。
「咲き誇るというなら今日ほどそれが濃い時はない」
それに少女がふっと息を吹きかると、きらきらとした細かな結晶が空気に混ざり込んでいくが見えた。雪の芯、その中心として型となったものがそのままの美しき形で広がった――
「――あなたは知ってるかしら」
それを両手の上でくるくると、舞い上げるようにして少女は遊ぶ。
六角と。ジグザグと。棘の形に鉱物調に。
花のようにも葉々ようにも、咲いては散って、散っては舞って……氷晶が指先へと降り積もる。
直線的なそれはとても自然のままとは思えないのだけれど、定型的なその型はまるで人工の陣のようにも思えるのだけれど――けれども、それは。
「雪はね。空の中にある不純を芯にしてできあがるの」
ついと描かれた形は、冬そのままに生まれるもの。
「空気に混ざり込んだ小さな粒。息より軽い、そんな埃のような塵を凍えさせたら白雪の粒ができあがる」
込めた力に彼女の周りにまた雪が降る。
空気に含まれた塵を種として、丸い白と咲きほこり。
「――それが、どうかしたのかしらの?」
「混じりものがあるからこそ美しい、世とは得てしてそういうものだっていうこと」
それを咲かせた少女がまたくすりと微笑んだ。
意味ありげ……何だか少し癇に障って。
「特別な唯一ばかりを探していては見逃してしまうものもあるものよ」
似合いの|土壌《雪面》に咲いた花。
妖怪という不純を指すモノから覗く純の欠片。
「綺麗なまますぐに消えてしまうよりも、少しくらい汚れてからの方がきっと――美しくはなくても面白いものが見える」
見上げた空――冷えた氷上の空に見えるのはこの辺りを縄張りとする妖精だろう。それにしては少々撃っている段幕の威力が高めな気もするが、まあ、たまにはそんなものがいる。
そして、そういうものは時折――
「純粋無垢な何かは、いつか美しい混ざりものになるかもしれない」
「それは……」
呟いたのは冬の妖怪。
奇せずして、同じように然の流れの中に産まれた存在。
「妖精が妖怪になるように?」
「想像が幻想となるように」
種となって、花と咲く。
塵が積もりて――いつかは山と。
「……」
今落ちた氷の妖精。
それもまた、この世にまみれて何かとなるのだろうか。
少なくとも、その可能性をもつものであることにはかわりない――種を持っている、ということなのかもしれない。
そう、少女たちはその先を想像して――
「――冬の種、ね」
「ええ、花というならそう呼んでしまっても」
いいのかもしれない。
互いにそれぞれ想う、その形。
「溶けた雪が遺した名残が、空に昇って再び雪に――巡った季節にまた芽吹く」
それはまるで、彼女が愛するものと同じ巡り。
いや、得てして世界とはそういうものなのか。
繋がり連なり重なり巡り――隣を見れば気づけば知らぬ種と花があることも。
「そういうことも、あるのかもしれないわね」
それは気づいていなかっただけなのかもしれないけれど、知らぬものだったならなかったことも同じ。
見たことのない花なら一度愛でてみるのもよいかもしれないと――気まぐれに。
「冬もいいものでしょう?」
「たまにはね」
ふっと笑った息を見上げて、空には粒。
ひらりひらりと白が散っていた。
花びらのようにまた降り始めた最初の粒が彼女が歩いてきた道を埋めていく。積み重なっていくのは種を芽吹かせる土と同じ。
咲いて散ってまた染みて――いつか舞ってまた咲かす。
「そんな幻想もここには似合いかもしれないわ」
見つからぬ花。
|青い鳥《幻想》がすぐそばにいたなんていうのは、よくある|おとぎ話《お話》だ。
「あら、あんなところに雪の花《本物》も」
「……」
よくある話。
揉めたら弾幕というのも、 この地では本当によくある話である。
さらりさらりと、滴と流る。
ざくざく、しゃりしゃり、ぎゅぎゅと鳴き。
さくさく、ぱりぱり、きゅきゅと押し込め。
「……」
振り積もった一面に対の跡。
まっさらな新雪に初めの音を刻みながら、彼女は歩く。雲が全て振り落ちてしまったような真っ白な絨毯鳴らし、お気に入りの日傘がゆらゆら揺れる。
目的があって一線と進んでいるのか。たまたま妨げるものがなかったために、ずっとまっすぐと進んできてしまったのか。
刻まれた足跡はずっと長く、遠く、直線に。
右足と左足の、ただ平行一対。一人きりでのんびり続く。沈んだ雪は彼女の重さの分だけで。
「……あら」
ずっとそのままやってきて……そこでぶつかったのは一つの区切り。
一面に広がった薄氷とその下に流れているのだろう水の音――流れのように続いていた一本の足跡は、やがて大きな湖へとぶつかって、ぴたりと流れを止めた。
「はあ」と一筋、白息昇り。
細めた目で辺りを見回した少女がうんと頷いた。
「――やっぱり、簡単には見つけられないものね」
ふっと、小さくこぼした言葉と置いて、開いていた傘がぱちりと閉じる。ぎゅっと棒のように小さく絞って体に傾けて、空いた片手で片手を持って――両手を上げてうんと伸び。
伸び伸びと、白く染まった空気が雲へ。
澄んだ空気は冷えに冷え、吸い込んだ肺すら凍らせて、白銀薄氷、まっさら白と透明氷が辺りを囲い――花の妖怪である彼女は、ぎゅっと地面を踏みしめた。
ますます高まる寒さをものともせず、ただぐっと根を張る強さを持って、赤い紅をゆっくりと。
「……何かご用かしら、そこの妖怪さん?」
「――あら、気づいていたの」
開いた唇に返る声。
寒さに尖った風の中心に、ふわりと渦が落ちた。
白の塊。雪の造形。
そこにいるだけでさらにすっと寒さが増すような渦が巻き、けれど、それでいてとても温かそうな姿がそこに。
薄く微笑む雪の少女が冷え冷えと。
「でも、そっちの方だって妖怪さんじゃないの」
花の少女を見下ろして、すとんと隣へと降り落ちて、冷たい空気がなお寒く、膨らむように広がって――凛と佇む少女は大して気にした様子もなく。
「まあ、そうだけど……それじゃあ、何かようでもあるのかしら、そこの同属さん」
「同属っていうのも違う気はするけど――まあ、いいわ」
言い直された言葉に少女は困ったようにまた首を傾げた。そして、うんとまた頷いて答えを返す。
「私はいつもお花ばっかり眺めている花の妖怪さんがどうしてこんなところに、と思ってね」
ただの好奇心よ、そう雪妖が。
物理的にも精神的にも温度の違った笑み。
笑っただけで、また少し。
「気まぐれにしては迷惑な話ね。こんな寒さになるなら、マフラーでもしてくれば良かったわ」
「ええ、それがいいわよ。寒さは着飾るのにはもってこいの理由なんだから」
笑みの度、増していく寒さ。
それもまた冬の醍醐味なのだと笑う少女は、悪びれもない。
「そうね綺麗な花柄のとっておきでも……でも、濡らしちゃうと嫌だし、その原因を取り除いてからにしようかしら」
「そうねぇ。春を集めるっていうのなら前に半人前の子がやっていたわよ。その周りはもっと冷え込んじゃっていたけど」
それはいつかの長く続いた冬のことだろうか――確か、なかなか花が咲く季節にならなくて、やきもきしていた記憶が少女にはあった。
咲きすぎるのも困るものだけど、時期になっても咲かせてあげられないというのも、また嫌なもの。もう少し長く続いていたなら自分が出張っていたかもしれない。それくらいには不機嫌だった。
まったく、仕事が遅い――と浮かぶ暢気な紅白調。今度暇つぶしがてらからかいにでもいってあげようかしらと、そんな気持ちももたげてくる。
そういえば、あの異変にいかにも関わっていそうなこの冬の妖怪は、あれに出会ったことがあるのだろうか。
そんなことを少女は考えていて――
「冬も長く続きすぎるのも考えものね。あの時はついつい張り切っちゃったけど、その反動で今年は体が重いような気がするわぁ……」
少し寝坊しちゃったし。
そんな季節感のないことをいう季から生まれた妖怪になんだか肩を透かされる。
どうにもゆるく、のんびりと。
のらりくらりとした会話ばかり。
それもまたこんな寒さに動きたくないなんていう|冬特有の気分《怠情》からくるものなのか。確かに、それもまた象徴といえば象徴なのかもしれない、と。
「まあそれでも、こんな雪が降った後はやっぱり歩いてみたくなるわよね。まっさらな雪面はそこに初めに歩いてみたい、なんていう欲望を刺激する――あなたも、その類かしら」
「そういうことをするのは子どもかワンちゃんぐらいじゃないかしらね。冬の風物というなら、私はどちらかというと猫を押すけれど」
こたつでゆっくり派。
そういうと、「それもいいわねぇ」とまた雪女とは思えないことを――いや、冬の妖怪ということは、そんな醍醐味も季の内ということなのか。
「でも、それじゃあ結局何をしていたの?」
また続く疑問。
この寒さの原因というのなら少し相手して放り出してやろうか、なんて気分もすっかり失せてしまっていて、仕方なく少女は口を開いた。
隠すことでもない。どうせなら話してしまって手伝わせるのもいいかもしれないと。
「私は、少し探しものをしていただけよ」
「探しもの?」
当初の目的、目的というほどでもないただの気紛れ。
暖を取りに向かった閑古鳥の鳴く古道具屋で目を通したゴシップ新聞を見て、ふと、目に入った記事。
「本当に存在しているのかどうかはわからない。けれど、それがあるのなら見てみたいと思うもの――美しい。けれど、それが本当なのかは誰も証明できないというもの」
そういう見出しで飾られた。
「そんなものが偶然にも咲いてないかしら、と気が向いて」
「随分、暇なことをやっているのねぇ……」
失礼にも、呆れた声。
つまりそれは見つかるはずがない存在しないものなのではないか。そういう当然、|常識《・・》の言葉が返る。
そう、それはきっと有るはずはないだ――だからこそ、在るかもしれないものだ。
「わざわざこんな大雪の降った後じゃなくても」
「誰もいない。誰もいないはずの世界だからこそ意味があるのよ」
想っているからこそ形を得て、描いているからこそ姿を見せる。一つ一つ違った同じ美しさに根ざして花を咲かせる空想の物。
そういう、幻想――ならきっと。
「幻とは、誰もたどり着くはずのない秘境にこそ咲くものでしょう」
そういうものの居場所は決まりきっているものだ。
龍が滝壺深くに住むように、神器が|海底《うみぞこ》深く隠れているように。
「――冬の花なら雪の上こそ咲くってことかしらね?」
「……何よ。知っているんじゃない」
くすりと笑った冬の妖怪に、彼女は肩を落とした。
折角ここまで勿体ぶったというのに……。
「あの天狗の新聞に乗っていたコラムだったかしら。確か、『幻の花』なんていう題名で」
「ええ、とても懐かしい話だったから、少し」
だからわざわざこんな雪の日に。
皆が咲いているかもしれぬと一筋想う、そんな幻想への想い火が強きときに――もしかしたら、と少女は歩いていたのだ。
期待半分、気紛れ半分……少しの郷愁を共として。
「たとえ現実に存在しないといわれても、それを求める想いは失せることがない。むしろ、見たことがないからこそ、それはさらに美しきものとして想いを積んでいくもの」
空想、妄想、予想、仮想……そして、幻想。
夢の形の具現され、ただ精神の内に種を蒔く。それが芽吹くというのなら、きっと。
「会えぬうちが花、ということかしらね」
「見つけたいと願う美しさもまた、花の魅力であるということよ」
幻想の美しさもまた、その存在が美しくあるからこそ。火があるからこそ、煙は香るのだ。在ると信じるからこそ、それは顕れるのだ。
|妖怪《・・》である彼女は、そう微笑んで。
「まったく、物好きなものねぇ」
くすくすと、冬の妖怪は笑う。
そんな彼女はそれを見たことがあるのだろうか――どこに咲くのかを、知っているのだろうか。
そう少女が聞いてみようかと思うったところに。
「花というのなら、いくらでも周りに咲いているでしょうに」
思わぬ言葉。
うんと首を傾げてそちらを見返すと。
「冬の風物。冬季の象徴。寒気の顕れ――それが、氷雪という冬の花」
膝を折り、少しの冷たさを掬い取る少女の姿。
白い右手の上で溶けないまま、形を保ったままの透白がふわりとのって。
「咲き誇るというなら今日ほどそれが濃い時はない」
それに少女がふっと息を吹きかると、きらきらとした細かな結晶が空気に混ざり込んでいくが見えた。雪の芯、その中心として型となったものがそのままの美しき形で広がった――
「――あなたは知ってるかしら」
それを両手の上でくるくると、舞い上げるようにして少女は遊ぶ。
六角と。ジグザグと。棘の形に鉱物調に。
花のようにも葉々ようにも、咲いては散って、散っては舞って……氷晶が指先へと降り積もる。
直線的なそれはとても自然のままとは思えないのだけれど、定型的なその型はまるで人工の陣のようにも思えるのだけれど――けれども、それは。
「雪はね。空の中にある不純を芯にしてできあがるの」
ついと描かれた形は、冬そのままに生まれるもの。
「空気に混ざり込んだ小さな粒。息より軽い、そんな埃のような塵を凍えさせたら白雪の粒ができあがる」
込めた力に彼女の周りにまた雪が降る。
空気に含まれた塵を種として、丸い白と咲きほこり。
「――それが、どうかしたのかしらの?」
「混じりものがあるからこそ美しい、世とは得てしてそういうものだっていうこと」
それを咲かせた少女がまたくすりと微笑んだ。
意味ありげ……何だか少し癇に障って。
「特別な唯一ばかりを探していては見逃してしまうものもあるものよ」
似合いの|土壌《雪面》に咲いた花。
妖怪という不純を指すモノから覗く純の欠片。
「綺麗なまますぐに消えてしまうよりも、少しくらい汚れてからの方がきっと――美しくはなくても面白いものが見える」
見上げた空――冷えた氷上の空に見えるのはこの辺りを縄張りとする妖精だろう。それにしては少々撃っている段幕の威力が高めな気もするが、まあ、たまにはそんなものがいる。
そして、そういうものは時折――
「純粋無垢な何かは、いつか美しい混ざりものになるかもしれない」
「それは……」
呟いたのは冬の妖怪。
奇せずして、同じように然の流れの中に産まれた存在。
「妖精が妖怪になるように?」
「想像が幻想となるように」
種となって、花と咲く。
塵が積もりて――いつかは山と。
「……」
今落ちた氷の妖精。
それもまた、この世にまみれて何かとなるのだろうか。
少なくとも、その可能性をもつものであることにはかわりない――種を持っている、ということなのかもしれない。
そう、少女たちはその先を想像して――
「――冬の種、ね」
「ええ、花というならそう呼んでしまっても」
いいのかもしれない。
互いにそれぞれ想う、その形。
「溶けた雪が遺した名残が、空に昇って再び雪に――巡った季節にまた芽吹く」
それはまるで、彼女が愛するものと同じ巡り。
いや、得てして世界とはそういうものなのか。
繋がり連なり重なり巡り――隣を見れば気づけば知らぬ種と花があることも。
「そういうことも、あるのかもしれないわね」
それは気づいていなかっただけなのかもしれないけれど、知らぬものだったならなかったことも同じ。
見たことのない花なら一度愛でてみるのもよいかもしれないと――気まぐれに。
「冬もいいものでしょう?」
「たまにはね」
ふっと笑った息を見上げて、空には粒。
ひらりひらりと白が散っていた。
花びらのようにまた降り始めた最初の粒が彼女が歩いてきた道を埋めていく。積み重なっていくのは種を芽吹かせる土と同じ。
咲いて散ってまた染みて――いつか舞ってまた咲かす。
「そんな幻想もここには似合いかもしれないわ」
見つからぬ花。
|青い鳥《幻想》がすぐそばにいたなんていうのは、よくある|おとぎ話《お話》だ。
「あら、あんなところに雪の花《本物》も」
「……」
よくある話。
揉めたら弾幕というのも、 この地では本当によくある話である。
極めてゆったりとしていて、詩的な作品でした。
ただ、好きな人はすっごい好きになりそうだけど、個人の感想としてはちょっと中盤にくどさと読みにくさを感じたかな。冒頭のインパクト的にはありなんだけど、この文章をずっと終盤まで、と言われるとちょっとつらい。