Coolier - 新生・東方創想話

雲と花 序話

2014/01/26 19:58:55
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 序話 夏の朝

 ジーワ、ジーワ、ジーワ、ジーワ――。

 やかましい虫の声に、鬱々と目を覚ます。そして感じる、べたついた喉の渇きと、ぐっしょりと濡れた衣服の纏わりつく感覚。
 いつもと同じ、夏の朝が来た。
「うぅ、あっつい」
 むくりと起き上がり、ごしごしと荒っぽく目をこする。最近はこうして、暑さに目を覚まされることが日常になっている。とてもじゃないが、良い気分とは言えない。
 昨日一昨日は、ぽつぽつと雨が降ってくれたおかげで多少暑さが納まっていたのだが、今日は完全に良い天気のようだ。暦の上では、もうすぐ秋になってもおかしくないはずなのだが、今もまだ日も昇り切っていないというのに、全身に纏わりつくようなこの暑さだ。またしばらくは、寝覚めの悪い日々が始まるのだろう。そんな予感に、起きて早々深くため息を吐いてしまう。
 ふと、妹達はどうだろうかと思い、座ったまま部屋を見渡してみる。すると、そこには思わず吹き出してしまうようないつもの惨状が広がっていた。
 彼女達はまだ眠っており、二人ともバラバラの恰好で寝ている――来年で十になる二葉は身体を大の字に伸ばし、彼女の二つ下の弟である三郎はぎゅっと身体を丸め込んで寝ている――のだが、うんと伸ばされた二葉の足が三郎の頭の上にどっかりと乗っかっているのだ。二葉の寝相の悪さもさることながら、三郎の寝起きの悪さにはいつも驚かされる。昨日は確か、二葉が三郎の頬にばっちり正拳突きを決めていた。
 しばらくその様を目に焼き付けた後で、わたしは二葉の足をそこから降ろしてやる。しかし、すぐに二葉の足がゆっくりと動き出し、今度は三郎の背中に強かに蹴りを打ち込んだ。
「っぐ」
 流石にこれには三郎も短くうめき声を上げたが、相変わらず目を覚ます気配はない。起こす側からすれば、ここまで寝起きが悪いのは困るのだが、暑さと二葉の二重攻撃にさえ耐えるとは、呆れる反面少しだけ羨ましく思う。
「しょうがない子たちね、ホント」
 ため息まじりにそっと呟き、三郎を抱え上げる。そして二葉から離れた場所に運んで寝かせてやる。三郎は当然それでも目覚めず、穏やかな顔ですやすやと寝息を立て続けていた。
 本当に、数年前ここに来たばかりの時とは大違いだ。二葉の時と違って、三郎はちょっとした物音にもびくびくして、私が傍に付いていてあげてなきゃ全然寝付けなくて、夜も急に泣き出していたというのに……。もう随分と、ここに慣れてくれたんだなぁとしみじみ思う。二葉とも喧嘩ばかりだけど、本当の姉弟みたいに仲が良い……と思う。一人っ子だった私には、そんなこと分かるはずもないのだけれど。でも、わたし達三人とも、和尚に拾われた身だからこそ仲良くできるんだと思う。
 誰とも血は繋がってないけれど、わたし達は本当の姉弟ぐらい仲良しなはずだと心から思う。
 ――ジーワ、ジーワ、ジーワ、ジーワ。
 セミの声は相変わらずやかしまく寺内に響き渡っている。とりあえず、喉を潤そう。わたしはそう決めて寝室から庭の井戸へと向けて歩き出した。
 するとその途中、廊下を歩くわたしの耳に聞きなれない老男性の声が聞こえてきた。
「――今朝見つかった者でもう六人目です。我々では、どうしようもないのです」
「ふぅむ。ではまず、相手の話を詳しくお聞かせ願えますかな?」
 声は和尚の部屋からのようで、どうやら和尚と誰かが喋っているらしい。声のトーンから察するに、真面目な話なのだろう。和尚が真面目な話をすること極めては珍しい。となれば、それはわたし達にも関係あることかもしれない。
 なら、盗み聞かない理由はない。わたしはバレないようにそっと障子戸の傍に近づき、しゃがみ込んで耳を澄ませる。
「ええ。まず、坂の上の一本桜は知っておりますかな?」
「よく知っていますとも。なるほどあそこですか」
 坂の上の一本桜と言えば、この辺りでは知らない者のいない巨木だ。この近辺から街道へ向けての道にある急な坂道の頂上に立つ見事な桜の木で、花見の名所だ。自分達も毎年、和尚に連れられてそこで花見をしている。とても美しい桜で、その薄紅色は今でも瞼の裏に色濃く浮かばせることが出来る。
「ええ。奴はそこに、今年の梅雨ごろから現れたのです。遠くから見た者の話によりますと、そいつは初め普通の背丈で僧侶の格好をしておるらしいのです。しかし見る見る内に身体を大きくしていき、最終的には傍らの桜の木程の大きさになると、巨大な顎で相手の首をバックリと噛み切るのだそうです」
 それが妖怪の話だと気付くのに、大した時間は掛からなかった。そして、見ず知らずの人が、和尚にそんな話を聞かせる理由は一つしかないこともすぐに分かった。
(妖怪退治の依頼だわ。でもまさか、こんなに近くだなんて)
 ――妖怪。それは、人間を喰らう超常異形のバケモノ。普通の人間の手には負えず、陰陽師や僧侶や凄腕の武士でなければ退治することは出来ないと言われている。
 ――にも関わらず、和尚は至って呑気な口調でその『妖怪』の説明を始めた。
「それは、アレですな。妖怪見越し入道ですな」
「見越し入道、ですか?」
「そうですとも。見越し入道という妖怪は、見上げれば見上げる程大きくなる妖怪でしてな、最終的には山程の大きさになるとも言われております。そうして相手より大きくなって首を食いちぎるのですよ。まぁつまり、見上げなければどうということもない妖怪ですよ。もし出遭っても、目線を上げずに通り過ぎれば良い」
 和尚はまるで大したことでもないように語る。しかし、依頼主にはそうもいかないらしい。わたしも、妖怪相手に素通りしろなんて言葉を聞いても安心出来なかった。
「しかし、そういうわけにもいきません。実際に六人の男が被害に遭っているわけですし……。我々としては、やはりそのようなモノが道にいては困るのです」
「ふぅむ。まぁそれもそうですな。それなら、見越し入道を追っ払う方法を教えましょう。これは知っていれば誰でも出来るものですから」
「そうなのですか?」
「ええ。『見越し入道見越したぞ!』と言えば、それで終わりですよ」
「……本当ですか?」
 依頼に来た老人は、到底信じられないという様子で尋ね返した。それもそうだ。妖怪がそんな言葉一つで倒せるのなら、誰も妖怪を恐れたりしないのだから。しかし和尚は老人の疑念を余所に軽妙な口調で答えを返す。
「本当ですとも。見越し入道に限らず、多くの妖怪は生半可な武器が効かぬ反面、言霊などの精神的なものには脆弱な場合があるのです。つまり、その妖怪の弱点さえ知っておれば、誰でも倒せるのです。見越し入道の場合は、それがさっきの言霊というわけです。まぁ、真言みたいなものですな」
 わたしはそれを聞いて、以前聞いた和尚の言葉を思い出した。妖怪には思わぬ物が頼もしい武器となる、と言う言葉だ。もしそれが本当なら、さっきの言霊こそが見越し入道に対する頼もしい武器なのだろう。しかし、そうか。言葉さえ知っていれば、誰でも倒せるのか……。
(それなら、わたしでも倒せるかもしれない)
 しかし、依頼人はそう素直でもないらしく「そういうもんですかなぁ」と訝しげに唸っている。
「えぇ。そういうもんです。色即是空、空即是色。全てに通じる道理など、あってないようなもんです。だからこそ、こちらから道理を生み出すことも出来るのです」
 和尚が諭すようにそう言うと、老人はますます唸りを強くした。
 色即是空空即是色とは、よく和尚が使う言葉だ。仏様を念じる有難い言葉の一つらしいのだが、その意味は難しくてわたしにはよく分からない。何度か説明してもらったが、今まで一度として理解出来た試しがない。しかし、ただ一つこの言葉に関して知っていることがある。それは、和尚がこの言葉を使う時は、大抵相手を煙に巻いて話をうやむやにする時だということだ。
 案の定、依頼人はまたしばらく唸った後「まぁ、他にアテもない以上信じてみましょう」と言って自分を納得させていた。
「また何かあったらよろしく頼みます」
「それがあなたの首なし供養でないことを」
 和尚の冗談に、老人は「ははは」と小さく苦笑する。その後、人が立ち上がる音と、畳を擦って歩く音と共に二人は部屋から出て行った。
 そして、それを待っていたかのように、背後から声を掛けられた。
「一輪お姉ちゃん、何してるの?」
 急に声を掛けられたものだから、わたしはびっくりして思いっきり振り返ってしまった。
 ――おかげで、こちらを覗き込んでいたらしい彼女の額とごっつんこしてしまった。
「いったぁ……」
「もう、何よぅお姉ちゃん」
 何時の間に起きてきたのか、わたしの背後に立っていた二葉は額を押さえて不満を口にした。
「ご、ごめん」
 わたしも額を抑えながら謝り、立ち上がった。
「お姉ちゃんがしゃがんでなかったら、ぶつからなかったのにね」
 二葉はわたしを見上げて皮肉っぽくそう言った。
「二葉なら、すぐにわたしよりも大きくなるわよ」
 なるべく、嫌味にならないように、わたしはそう言った。「たった三つしか違わないんだから、もうすぐよ」
 実際、もうわたしの顎の下には彼女の頭のてっぺんが届きそうなのだから。
「そうだといいけど。まぁ、そんなことより、何してたの?」
「何って、別に何も……」
「和尚の話を盗み聞きしてたんでしょ?」
 まずいと思った。盗み聞きしていたことが和尚にばれたら、きっと和尚はわたしを叱る。叱られるのはよくあるけれど、だからこそなるべくならば避けたいと思う。
 とは言え、二葉がそう簡単に黙っていてくれるわけもない。
「……内緒にしてくれる?」
 そうわたしが言うと、二葉はにんまり笑ってこう言った。
「あたしの口に戸を立てられるかは、お姉ちゃん次第よ」
「……聞かせろってことね」
「秘密の共有よ。良いでしょう?」
 二葉はにっこり笑った。まったくこの子は、悪知恵ばかり働いて困る。でも、わたしだって、負けないんだから。
「良いわよ。山の向こうに妖怪が出たらしくってね。近々、京から兵士が来るかもしれないそうよ」
 堂々と吐く嘘は、案外バレないってことを二葉はまだ知らない。案の定、二葉は目を丸くして驚嘆の声を上げた。
「えぇ!本当?それって、すっごく大変じゃん!」
「えぇ、そうよ。でも、わたし達はここにいる限り大丈夫よ。きっと和尚が守ってくれるもの」
「そ、そっかぁ。あたしは平気だけど、三郎が怖がるもんね。仕方ないよね」
 本当は、二葉だって怖いだろうに、彼女は自分は大丈夫だけどと繰り返す。もしこれで、彼女に言霊で倒せる妖怪が出たなんて言っていたら、きっと彼女は自分の勇気の証明に妖怪退治を企んだに違いない。
 ――そんな危ない事、この子達にはさせらない。その為の嘘なら、方便だよね。
「お姉ちゃんも大丈夫?」
「勿論よ。あなた達のことはきっと、わたしと和尚が守るわ」
 わたしが腕を組んで自慢げにそう言い放つと、二葉は「あたしも守る!」と言って、小さな腕を組んで胸を張ってみせた。
「そうね。みんなで守りましょうね」
「うん!」
「よし、それじゃあ顔洗ってらっしゃい。その後、三郎を起こしてね?」
「分かった。任せて!」
 二葉は元気よく返事をし、とたとたと廊下を駆けて行った。
 わたしはその後ろ姿を見送りながら、さっき聞いた話を思い返していた。
 坂の上の一本桜はこの寺からも近い。ともすれば、二葉や三郎が妖怪の餌食になってしまっていたかもしれない。もしくは、これからそうなってしまうかもしれない。あの老人がしっかりと退治してくれれば良いが、もし誤ったらどうなるか。そう考えると、いても立ってもいられなくなる。
 一番確実な方法は、たった一つ。自分でやることだ。
(わたしが何とかしなくちゃね)
 依頼人の話では、妖怪が出るのは夕暮れ時。皆に心配かけないようにこっそり行かなければ。特に、和尚にだけはバレないようにしなくては。バレたら確実に叱られ、一体どれだけの間長ったらしい説教を受けることか。
 とりあえず、今日は日が傾くまではいつも通りに過ごそう。夕刻になれば、和尚は講堂に籠り、二葉と三郎は昼寝をする。その時にこっそりと寺を抜け出すまでは、何としてでも気取られないようにしなくては。
「三郎!起きろ!妖怪に食べられちゃうぞ!」
 わたしの決意の後ろで、二葉がそう大声を張り上げた。
「うぇ?妖怪?」
「そうだぞ!ほら!たーべーちゃーうーぞー!」
「いゃぁ!」
「……後でもう一度、念を押しておこう」
 その後、寝室からは、はしゃぐ二葉の声と寝起きで大声を出されて驚いた三郎の泣き声と、和尚ののんびりとした「どうしたぁ?」と言う声が聞こえてきた。

 努力の甲斐あって、わたしは平時と変わらぬ振る舞いが出来た。二葉にも念を押したところ、その後は妖怪のよの字も話題に出さなかった。家族みんな、いつもと変わらない日常を過ごした。
「おしょー、今日もお経教えてくれる?」
 昼間、三郎はいつも通り和尚から経を習っていた。きっと、将来は立派な僧侶になるんだろうなぁ。わたしも負けていられない。
「三郎!見てこれ!セミ!ほらこれ、セミ!」
 二葉はセミを捕まえてきては、虫嫌いの三郎に見せつけて、彼が驚く様子を楽しんでいた。修行の邪魔をするその姿は、見様によっては魔にも見えるかもしれない。誰に似たのか、本当にいたずらっ子になったものだ。でも、笑顔で走り回る彼女を見ていると、それでも良いと思う。
 勉強している三郎がいて、はしゃぐ二葉がいて、そんな二人と遊ぶわたしがいて、そして、そんなわたし達を見て笑っている和尚がいる――。
 わたしには、この光景がとても大切に思えた。仲の良い家族の、日常の光景に思えた。
 わたし達みんな、血は繋がってないけれど家族なのだと和尚も言っていた。わたしは、そんな家族と過ごす時間が大好きだ。たまには喧嘩もするけれど、それでも、失いたくないと思うのは本当だ。
 だから、それを守る為に、わたしは行くのだ。
 
 そして時は来た。日は西の空に沈みかけ、景色は美しい橙色に染まっている。和尚はいつも通り本堂に籠って経を唱えており、二葉達は半刻程前から昼寝中だ。わたしはと言えば、本当は収穫した野菜で夕食の準備をしなければならないのだが、やはり寺をこっそり抜け出すには今しかない。
「二葉、三郎。お姉ちゃん、ちょっと妖怪退治に行ってくるから」
 わたしは二人の寝顔にそう呼びかけ、外へと駆け出した。

というわけで序話でした。ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。次回は一輪少女と見越し入道の邂逅です。
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コメント



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2.80とーなす削除
一輪の過去話ですか。
これから面白くなりそうなので次回以降も期待して読ませていただきます。でものっけから日常崩壊フラグが立っているような気がしないでもない。