「霊夢、これにて博麗の巫女の任を解くわ」
「任期満了ね。弟子も独り立ちしたし、清々しい気分だわ」
博麗神社の社務所縁側で霊夢が言った。紫はそれを聞いて、満足げに頷いた。
霊夢は桜の花弁をあしらった模様の着物を着ている。
リボンは解き、茶色混じりの黒髪が背中に流れている。
いつもの脇出し変形巫女服は、傍らに立つ幼い少女が身に付けていた。
「選択は変わらないのね?」
「うん、外の世界に出るわ」
「わたしたちは待ってるからな、いつでも戻ってこいよ」
「ええ魔理沙も、世話になったわね」
紫と魔理沙の先導で境内裏から博麗神社正面へ。
そうして、社を震わすほどの歓声が鳴った。
境内を覆い尽くす魑魅魍魎の垣根。
口々に礼を言い、別れを惜しみ、歩く霊夢へ手を伸ばす。
鳥居が眩いほどの光を放っていた。
博麗大結界が霊夢の出立を祝福しているようにも見えた。
一歩一歩歩を進め、いよいよ目前まで来て、霊夢が振り返った。
「それじゃあね。私、愛人に会いに行くわ!」
歴代最強とも謳われた13代目博麗の巫女、博麗霊夢。
この一言は彼女が幻想郷で発した最後の言葉だった。
「ねえちょっとメリー、聞いてる?」
「うん、聞いてる聞いてる。宇宙速度の話でしょ」
「そうそう、それで次は第一宇宙速度の話なんだけどさ」
私は蓮子の指を撫でていた。左手の上に蓮子の手を置き、指を撫でていた。
蓮子の手は骨ばっている。ごつごつとしている。あまり柔らかくない。
だけどそれが良いんだ。この手で蓮子は、あらゆる難問も解くから。
秘封倶楽部部室51号室。
赤色のソファが向かい合わせになっており、私と蓮子の間には茶色の机。
ティム・ロス、アマンダ・プラマーが拳銃を引き抜き四方へ振り回しながら叫ぶのだ。
Any of you fuckin' pricks move and I'll execute every motherfuckin' last one of you!
ここはそれにそっくりな喫茶店。っていうより、レストランだ。
それなりの広さがあってBGMの音量も適当で、気兼ねなく会話ができる。
「ねえちょっとメリー、聞いてる?」
「うん、聞いてる聞いてる、ケプラーの法則の話でしょ」
「そうそう、それでアイザック・ニュートンがさ」
ぶっちゃけ私は物理の話なんてどうでもいい。蓮子の軌道力学の話なんてどうでもいい。
蓮子とご飯を食べて、蓮子とコーヒーを飲んで、蓮子と会話が出来ればそれでいい。
私は蓮子と会う為に生まれてきたのだ。近頃本気でそう思う。
「ねえちょっとメリー、聞いてる?」
「うん、聞いてる聞いてる、それで導き出した答えってのが42なんでしょ」
「そうそう、どう思う?」
「ええ凄く魅力的だわ」
あなたの手がね。
これ言ったらぷんすか怒り出すので黙っておくけれどさ。
「ねえ蓮子」
「んー?」
「結婚しよう」
蓮子が蓮っ葉に肩をすくめて笑った。
「メリーはいつも通りだね」
「あらそう。ところで蓮子、まだなにか頼む?」
「コーヒーをもう一杯貰おうかな」
「あ、この飲みかけ飲んだら私も飲むわ」
「メリーはいつも通りだね」
二人で少し笑う。
幸せなひと時だ。
と店員さんを呼ぼうとして周囲を見回したら。
同い年くらいの女性が私たちの机の傍らまで来て立ち止まった。
髪は若干明るい程度の茶髪。私服を着ていて、店員さんには見えない。
顔の輪郭は引き締まっていて、きりっとしている。
服の上からでも分かる、スリムな体型。とても清潔な印象だ。
日頃から鍛えてるんだろうなと思った。
「れんこ……?」その女性がか細い声でそう言った。
ここでやっと蓮子は女性に気付き、目を向けた。
「え? れーちゃん?」
「れんこ! ああれんこぉ!」
信じられない事が起きた。“れーちゃん”がいきなり蓮子に飛びつき、抱きしめたのだ。
両手で蓮子の頬を、耳を、背中を撫でている。蓮子の名を繰り返し叫んでいる。その後、嗚咽に変わった。
蓮子はソファに仰向けになって、“れーちゃん”の抱擁を受け止めていた。
両手で“れーちゃん”の背中を優しく叩いている。
私は席を立ち、机を脇へひっくり返して接近。
二つのコーヒーカップが床に落ち割れてけたたましい音を立てた。
蓮子と“れーちゃん”の間に腕を突っ込み、引きはがす。
思いのほか強く抱きしめあっていたようで、渾身の力を要した。
「なによ?」“れーちゃん”が驚くほど冷淡な声で言った。
つーかこいつ、泣いてねぇじゃん。冷静じゃん。
「警察を呼ぶわよ!」
なぜか真っ先に出た言葉がそれだった。
「ねえ蓮子、これだぁれ?」
「ん? 大学の友人だよ」
コレ ダァレ?
ダイガクノ ユウジン ダヨ
ぴしり、ハートにひびが入るのを感じた。
「け、けいさつを……」
「あなた大丈夫? それしか言えないの?」
「ああ待ってれーちゃん、びっくりしてるんだよ」
と蓮子はソファから起き上がると、あろうことか立っている霊夢の肩へ手を回した。
驚くほど親密に、密着して、蓮子は唇を“れーちゃん”の頬へ近づけて、こう言った。
「メリー、紹介するわ。いとこの博麗霊夢よ」
「え? いとこ?」
「そそ。母の兄の長女で、超一流の結界師」
「いいなずけよ」
「いい、なずけ?」
「うん。結婚するの。ね? 蓮子?」
「まあね」
強い眩暈。短い浮遊感。腰部から着地。軽い衝撃。止めていた息を吐いて力を抜く。
座り込んでしまったと気づいたのは、ソファに腰を受け止められてしばらく経ってからだった。
「ああごめんごめん、今までメリーを混乱させたくなくて黙ってたの」
と、蓮子が博麗霊夢の腰を手で支えながら言った。
「博麗一族はね、博麗大結界って呼ばれる、神々と魑魅魍魎の隠れ里を隠す結界を維持するための血族なの。
それで、博麗家とその血を引く子供は幼少期に結界術を扱う適性があるか、見分されるの。
十分な適性があると判断されたものは隠れ里へ連れて行かれて、結界管理の義務を負うのよ」
「私の場合お迎えに来たのは、烏天狗だったわね」
「たしか射命丸さんだっけ? あの黒い翼を見た時は驚いたなぁ」
「度々蓮子のところにも来てたらしいわね。新聞買わされなかった?」
「もちろん、購読してるよ。あなたの活躍もちゃんと載ってたね」
「博麗家が隠れ里の中の様子を知るための新聞だからねあれは」
「私も行ってみたいなぁ隠れ里。あ、表世界の博麗神社を自力で見つけたんだよ」
「え? 本当? 普通の人には見つけられない人払いがされてる筈なんだけどね。
あ、でもあなたも博麗の巫女候補の最後の数人に選ばれたじゃん。だからかもね」
うふふあはは和気藹々と会話を始める蓮子と霊夢。置いてけぼりにされた私。
なにか気付けが欲しいと思い、飲みかけのコーヒーがあったのを思い出した。
手を前方へ伸ばしたが虚空を掴むだけである。二三度と試すが結果は同じ。
目を向けると、テーブルがひっくり返っており、コーヒーカップは床で木端微塵になっていた。
誰だこんなことをしたのは。あ、私か。っていうか、それどころじゃねぇ。
「わたしは蓮子の、なんだったの?」
「え? うーん、強いて言うなれば、相棒?」
「れんこぉ、わたしはー?」
「もちろん愛人だよ霊夢」
「えへへ、大好きよ蓮子」
そう言ってマウストゥーマウスでキスをする。
濃密な、長い長い、ロマンティックなキスだった。
やがて蓮子が唇を離すと、霊夢はうっとりとした表情から戻り、白い歯を見せて笑う。
「キエエエェエェェエエエェェェエエ!」
私は床に転がっていたフォークを瞬時に広い、蓮子に飛びかかった。
すんでのところで蓮子が後ろに飛びずさる。
いや、霊夢が蓮子を押し飛ばしたのだ。
二三歩とたたらを踏みよろけた後、素早く振り返る。
蓮子がソファーに仰向けになった姿勢で目を見開いてこちらを見ている。
「あぶなっ!? なに!? どうしたの!?」
「蓮子、あなたを殺して、――私も死ぬわ!」
「うわああああ!? なにどうして!?」
「問答無用! キエエエエエ!」
軽くジャンプし全体重をフォークに乗せて蓮子へ飛び込む。
狙うは蓮子の首。獲物は止まっている。狙いは正確だった。
私が持っているフォークの先端は、蓮子の柔らかい喉を貫き――。
致命的な傷を負わせる。
――筈だった。
ガツッと硬い感触。
これは仕留めそこなった手ごたえだ。
滅茶苦茶に振り上げ振りおろし、繰り返し繰り返し――。
「はあっ、はあっ、はあっ! どうして、どうして刃が通らないのよッ!」
私の下で組み伏せられる蓮子は腕で顔を守りながらもこちらを見詰めつつ。
しかし体には一切の傷が無かった。まるで鉄板でも突いているような手ごたえなのだ。
フォークを渾身の力を握っていた為、握力が限界を迎えていた。
冗談の様に震えている自分の右手を見てみると、フォークの先端が曲がっている。
蓮子が私から目を逸らした。私も、そちらの方向を見た。
霊夢が立っていた。人差し指、中指、親指の三本を立てて。
「博麗式防護結界」きりっとした表情をしていた
「余計なことすんなこのやろう!」
私は曲がったフォークで霊夢に襲い掛かるが。
小指の付け根を手首の方向に捻られ、くるりと投げ飛ばされた。
落下先は蓮子の向かい側のソファだった。
宙を舞って落ちてきたフォークを、霊夢がはしと受け止めた。
「博麗式合気対人術」きりっとした表情をしていた。
私は床に落ちていたナイフを掴み、自分の首に走らせる、が。
やはり、がりりと硬い手ごたえ。見るとナイフの刃が欠けていた。
「博麗式防護結界」きりっとした表情をしていた。
「うわああああん! 一体なんなのよあんたああああ!!」
私はソファに突っ伏した。恋にも負けて、力でも負けて、完全敗北だ。
悔しくて情けなくて惨めで、自分がまるでズタボロの雑巾になったような気分だ。
私はこの日本に来て、日本では珍しいこの容姿で区別をされ、不便ながらも生活を送ってきた。
見た目の違いは障害になる。友人は出来たが、心を開いて話せる人はいなかった。
それが蓮子と出会って、変わったのだ。
この大学での二年間、私は蓮子と共に時間を過ごしてきた。
蓮子はいつも私と一緒に居てくれた。
蓮子は私をいつも見ていてくれた。
私だって、蓮子のすべてを受け止めてきたつもりだった。
それがこの仕打ちは何だ。
蓮子には既に心を注いでいる人が居て。
私よりもずっと大事にしていた人が居て。
あまつさえ私などもう必要ないみたいな扱いだ。
だってそうでしょう。
相手は一流の結界師だ。
私の存在意義が無くなってしまった。
刃も防ぐ結界術。
人を軽々と投げ飛ばす護身術。
瞬時に状況を理解する優れた頭脳。
さらには蓮子からの信頼も厚い。私よりも、よっぽど。
何倍も何十倍も何百倍も、信頼されてる。
「だからもう、私は生きている価値なんてないわ! 死なせてよ霊夢うううぅぅぅ!!」
ここまで一気に叫んだ私は泣き叫ぶだけだった。
ソファに顔を突っ伏した暗闇の中、私は蓮子が接近してくれることを期待していた。
蓮子が私の背中を撫で、慰めの言葉を言い、私を蔑ろにした自己批判をしてくれると期待していた。
そして謝罪してくれることを予想していた。これからもよろしくと言ってくれると思っていた。
だが、蓮子は向かいのソファから立ち上がる気配はない。
それが尚更私を打ちのめした。もう立ち上がる気力は無い。
はあ、とため息が聞こえた。
じゃりと足音が聞こえた。
立っていたのは蓮子ではない。霊夢の方だ。
今更何をするつもりだろうか。
甘えるなと叱咤するつもりだろうか。
そうしたらひたすら卑屈になって、霊夢を罵ってやろう。
怨念の固まりをぶつけてやろう。怨恨の限り叫んでやろう。
あの顔面に唾を吐き、私の憤怒の顔を霊夢の脳裏に焼き付けてやろう。
それが良い。ここは公衆の面前だ。
私はもう嫌というほど恥を晒したから、今更痛くもかゆくもない。
博麗霊夢、次に傷を負うのはお前の方だ。
と準備をしていたら、髪の毛を掴まれて引き上げられた。
視界が一気に明るくなる。髪を引っ張られた痛みに顔を歪ませる。
涙で滲んだ景色が視界に広がる。
無表情の霊夢の顔。そして片手の五指が開かれ揃えられている。
その手を持ち上げ、私の頬へぺたりとつけて――、手首だけを使って一度距離を離してから。
ぺしりと叩かれた。
衝撃だけがあった。
痛みは無かった。
「これが、私の分」
「――あ、――え?」
霊夢はそれで私の髪を解放した。
くるりと踵を返し、今度は蓮子の髪を掴んで引き上げた。
「いたたた! 何するの霊夢!?」
「そしてこれはメリーの分よ!」
呆然としている私をよそに、今度の霊夢は腕を振り上げ。
風切り音が聞こえる程に鋭く振り下ろした!
バッチイイイィン!
小爆発、という形容が正しい。耳をつんざくほどの衝突音だった。
開きかけのまま放置されていたトイレの扉が、爆風で動いてばたりと閉まった。
カウンターにつるされたフライパンがぷらぷら揺れた。
喫茶店の窓ガラスがびりびりと震えた。
天井からホコリがぱらぱらと落ちてきた。
蓮子の首がもげるかと思った。
それほど強力なビンタだった。
とうの蓮子はもちろん気を失っていた。
瞼を閉じて両腕は垂れ下がっている。
「起きなさい蓮子」
「え、あ、ああ?」
霊夢が襟首を掴み軽く揺さぶると、蓮子が目を覚ます。
ほら、やることあるでしょ、と霊夢の指示。うんと頷く蓮子。
ソファから立ち上がると、よろめきつつ私に向かって歩いてくる。
そうして横になっている私の高さに合う様に屈みこみ、覗き込んでくる。
「メリー、今まであなたの気持ちに気付けなくて悪かったわ」
「ええ、いいのよ蓮子」
「全て、私が悪かった。許して欲しい」
「ええ、全て許すわ。だから気にしないで蓮子」
蓮子は私の手を握った。
どんな難問も解く指だ。
「結婚しよう、メリー」
「はい、よろこんで」
「任期満了ね。弟子も独り立ちしたし、清々しい気分だわ」
博麗神社の社務所縁側で霊夢が言った。紫はそれを聞いて、満足げに頷いた。
霊夢は桜の花弁をあしらった模様の着物を着ている。
リボンは解き、茶色混じりの黒髪が背中に流れている。
いつもの脇出し変形巫女服は、傍らに立つ幼い少女が身に付けていた。
「選択は変わらないのね?」
「うん、外の世界に出るわ」
「わたしたちは待ってるからな、いつでも戻ってこいよ」
「ええ魔理沙も、世話になったわね」
紫と魔理沙の先導で境内裏から博麗神社正面へ。
そうして、社を震わすほどの歓声が鳴った。
境内を覆い尽くす魑魅魍魎の垣根。
口々に礼を言い、別れを惜しみ、歩く霊夢へ手を伸ばす。
鳥居が眩いほどの光を放っていた。
博麗大結界が霊夢の出立を祝福しているようにも見えた。
一歩一歩歩を進め、いよいよ目前まで来て、霊夢が振り返った。
「それじゃあね。私、愛人に会いに行くわ!」
歴代最強とも謳われた13代目博麗の巫女、博麗霊夢。
この一言は彼女が幻想郷で発した最後の言葉だった。
「ねえちょっとメリー、聞いてる?」
「うん、聞いてる聞いてる。宇宙速度の話でしょ」
「そうそう、それで次は第一宇宙速度の話なんだけどさ」
私は蓮子の指を撫でていた。左手の上に蓮子の手を置き、指を撫でていた。
蓮子の手は骨ばっている。ごつごつとしている。あまり柔らかくない。
だけどそれが良いんだ。この手で蓮子は、あらゆる難問も解くから。
秘封倶楽部部室51号室。
赤色のソファが向かい合わせになっており、私と蓮子の間には茶色の机。
ティム・ロス、アマンダ・プラマーが拳銃を引き抜き四方へ振り回しながら叫ぶのだ。
Any of you fuckin' pricks move and I'll execute every motherfuckin' last one of you!
ここはそれにそっくりな喫茶店。っていうより、レストランだ。
それなりの広さがあってBGMの音量も適当で、気兼ねなく会話ができる。
「ねえちょっとメリー、聞いてる?」
「うん、聞いてる聞いてる、ケプラーの法則の話でしょ」
「そうそう、それでアイザック・ニュートンがさ」
ぶっちゃけ私は物理の話なんてどうでもいい。蓮子の軌道力学の話なんてどうでもいい。
蓮子とご飯を食べて、蓮子とコーヒーを飲んで、蓮子と会話が出来ればそれでいい。
私は蓮子と会う為に生まれてきたのだ。近頃本気でそう思う。
「ねえちょっとメリー、聞いてる?」
「うん、聞いてる聞いてる、それで導き出した答えってのが42なんでしょ」
「そうそう、どう思う?」
「ええ凄く魅力的だわ」
あなたの手がね。
これ言ったらぷんすか怒り出すので黙っておくけれどさ。
「ねえ蓮子」
「んー?」
「結婚しよう」
蓮子が蓮っ葉に肩をすくめて笑った。
「メリーはいつも通りだね」
「あらそう。ところで蓮子、まだなにか頼む?」
「コーヒーをもう一杯貰おうかな」
「あ、この飲みかけ飲んだら私も飲むわ」
「メリーはいつも通りだね」
二人で少し笑う。
幸せなひと時だ。
と店員さんを呼ぼうとして周囲を見回したら。
同い年くらいの女性が私たちの机の傍らまで来て立ち止まった。
髪は若干明るい程度の茶髪。私服を着ていて、店員さんには見えない。
顔の輪郭は引き締まっていて、きりっとしている。
服の上からでも分かる、スリムな体型。とても清潔な印象だ。
日頃から鍛えてるんだろうなと思った。
「れんこ……?」その女性がか細い声でそう言った。
ここでやっと蓮子は女性に気付き、目を向けた。
「え? れーちゃん?」
「れんこ! ああれんこぉ!」
信じられない事が起きた。“れーちゃん”がいきなり蓮子に飛びつき、抱きしめたのだ。
両手で蓮子の頬を、耳を、背中を撫でている。蓮子の名を繰り返し叫んでいる。その後、嗚咽に変わった。
蓮子はソファに仰向けになって、“れーちゃん”の抱擁を受け止めていた。
両手で“れーちゃん”の背中を優しく叩いている。
私は席を立ち、机を脇へひっくり返して接近。
二つのコーヒーカップが床に落ち割れてけたたましい音を立てた。
蓮子と“れーちゃん”の間に腕を突っ込み、引きはがす。
思いのほか強く抱きしめあっていたようで、渾身の力を要した。
「なによ?」“れーちゃん”が驚くほど冷淡な声で言った。
つーかこいつ、泣いてねぇじゃん。冷静じゃん。
「警察を呼ぶわよ!」
なぜか真っ先に出た言葉がそれだった。
「ねえ蓮子、これだぁれ?」
「ん? 大学の友人だよ」
コレ ダァレ?
ダイガクノ ユウジン ダヨ
ぴしり、ハートにひびが入るのを感じた。
「け、けいさつを……」
「あなた大丈夫? それしか言えないの?」
「ああ待ってれーちゃん、びっくりしてるんだよ」
と蓮子はソファから起き上がると、あろうことか立っている霊夢の肩へ手を回した。
驚くほど親密に、密着して、蓮子は唇を“れーちゃん”の頬へ近づけて、こう言った。
「メリー、紹介するわ。いとこの博麗霊夢よ」
「え? いとこ?」
「そそ。母の兄の長女で、超一流の結界師」
「いいなずけよ」
「いい、なずけ?」
「うん。結婚するの。ね? 蓮子?」
「まあね」
強い眩暈。短い浮遊感。腰部から着地。軽い衝撃。止めていた息を吐いて力を抜く。
座り込んでしまったと気づいたのは、ソファに腰を受け止められてしばらく経ってからだった。
「ああごめんごめん、今までメリーを混乱させたくなくて黙ってたの」
と、蓮子が博麗霊夢の腰を手で支えながら言った。
「博麗一族はね、博麗大結界って呼ばれる、神々と魑魅魍魎の隠れ里を隠す結界を維持するための血族なの。
それで、博麗家とその血を引く子供は幼少期に結界術を扱う適性があるか、見分されるの。
十分な適性があると判断されたものは隠れ里へ連れて行かれて、結界管理の義務を負うのよ」
「私の場合お迎えに来たのは、烏天狗だったわね」
「たしか射命丸さんだっけ? あの黒い翼を見た時は驚いたなぁ」
「度々蓮子のところにも来てたらしいわね。新聞買わされなかった?」
「もちろん、購読してるよ。あなたの活躍もちゃんと載ってたね」
「博麗家が隠れ里の中の様子を知るための新聞だからねあれは」
「私も行ってみたいなぁ隠れ里。あ、表世界の博麗神社を自力で見つけたんだよ」
「え? 本当? 普通の人には見つけられない人払いがされてる筈なんだけどね。
あ、でもあなたも博麗の巫女候補の最後の数人に選ばれたじゃん。だからかもね」
うふふあはは和気藹々と会話を始める蓮子と霊夢。置いてけぼりにされた私。
なにか気付けが欲しいと思い、飲みかけのコーヒーがあったのを思い出した。
手を前方へ伸ばしたが虚空を掴むだけである。二三度と試すが結果は同じ。
目を向けると、テーブルがひっくり返っており、コーヒーカップは床で木端微塵になっていた。
誰だこんなことをしたのは。あ、私か。っていうか、それどころじゃねぇ。
「わたしは蓮子の、なんだったの?」
「え? うーん、強いて言うなれば、相棒?」
「れんこぉ、わたしはー?」
「もちろん愛人だよ霊夢」
「えへへ、大好きよ蓮子」
そう言ってマウストゥーマウスでキスをする。
濃密な、長い長い、ロマンティックなキスだった。
やがて蓮子が唇を離すと、霊夢はうっとりとした表情から戻り、白い歯を見せて笑う。
「キエエエェエェェエエエェェェエエ!」
私は床に転がっていたフォークを瞬時に広い、蓮子に飛びかかった。
すんでのところで蓮子が後ろに飛びずさる。
いや、霊夢が蓮子を押し飛ばしたのだ。
二三歩とたたらを踏みよろけた後、素早く振り返る。
蓮子がソファーに仰向けになった姿勢で目を見開いてこちらを見ている。
「あぶなっ!? なに!? どうしたの!?」
「蓮子、あなたを殺して、――私も死ぬわ!」
「うわああああ!? なにどうして!?」
「問答無用! キエエエエエ!」
軽くジャンプし全体重をフォークに乗せて蓮子へ飛び込む。
狙うは蓮子の首。獲物は止まっている。狙いは正確だった。
私が持っているフォークの先端は、蓮子の柔らかい喉を貫き――。
致命的な傷を負わせる。
――筈だった。
ガツッと硬い感触。
これは仕留めそこなった手ごたえだ。
滅茶苦茶に振り上げ振りおろし、繰り返し繰り返し――。
「はあっ、はあっ、はあっ! どうして、どうして刃が通らないのよッ!」
私の下で組み伏せられる蓮子は腕で顔を守りながらもこちらを見詰めつつ。
しかし体には一切の傷が無かった。まるで鉄板でも突いているような手ごたえなのだ。
フォークを渾身の力を握っていた為、握力が限界を迎えていた。
冗談の様に震えている自分の右手を見てみると、フォークの先端が曲がっている。
蓮子が私から目を逸らした。私も、そちらの方向を見た。
霊夢が立っていた。人差し指、中指、親指の三本を立てて。
「博麗式防護結界」きりっとした表情をしていた
「余計なことすんなこのやろう!」
私は曲がったフォークで霊夢に襲い掛かるが。
小指の付け根を手首の方向に捻られ、くるりと投げ飛ばされた。
落下先は蓮子の向かい側のソファだった。
宙を舞って落ちてきたフォークを、霊夢がはしと受け止めた。
「博麗式合気対人術」きりっとした表情をしていた。
私は床に落ちていたナイフを掴み、自分の首に走らせる、が。
やはり、がりりと硬い手ごたえ。見るとナイフの刃が欠けていた。
「博麗式防護結界」きりっとした表情をしていた。
「うわああああん! 一体なんなのよあんたああああ!!」
私はソファに突っ伏した。恋にも負けて、力でも負けて、完全敗北だ。
悔しくて情けなくて惨めで、自分がまるでズタボロの雑巾になったような気分だ。
私はこの日本に来て、日本では珍しいこの容姿で区別をされ、不便ながらも生活を送ってきた。
見た目の違いは障害になる。友人は出来たが、心を開いて話せる人はいなかった。
それが蓮子と出会って、変わったのだ。
この大学での二年間、私は蓮子と共に時間を過ごしてきた。
蓮子はいつも私と一緒に居てくれた。
蓮子は私をいつも見ていてくれた。
私だって、蓮子のすべてを受け止めてきたつもりだった。
それがこの仕打ちは何だ。
蓮子には既に心を注いでいる人が居て。
私よりもずっと大事にしていた人が居て。
あまつさえ私などもう必要ないみたいな扱いだ。
だってそうでしょう。
相手は一流の結界師だ。
私の存在意義が無くなってしまった。
刃も防ぐ結界術。
人を軽々と投げ飛ばす護身術。
瞬時に状況を理解する優れた頭脳。
さらには蓮子からの信頼も厚い。私よりも、よっぽど。
何倍も何十倍も何百倍も、信頼されてる。
「だからもう、私は生きている価値なんてないわ! 死なせてよ霊夢うううぅぅぅ!!」
ここまで一気に叫んだ私は泣き叫ぶだけだった。
ソファに顔を突っ伏した暗闇の中、私は蓮子が接近してくれることを期待していた。
蓮子が私の背中を撫で、慰めの言葉を言い、私を蔑ろにした自己批判をしてくれると期待していた。
そして謝罪してくれることを予想していた。これからもよろしくと言ってくれると思っていた。
だが、蓮子は向かいのソファから立ち上がる気配はない。
それが尚更私を打ちのめした。もう立ち上がる気力は無い。
はあ、とため息が聞こえた。
じゃりと足音が聞こえた。
立っていたのは蓮子ではない。霊夢の方だ。
今更何をするつもりだろうか。
甘えるなと叱咤するつもりだろうか。
そうしたらひたすら卑屈になって、霊夢を罵ってやろう。
怨念の固まりをぶつけてやろう。怨恨の限り叫んでやろう。
あの顔面に唾を吐き、私の憤怒の顔を霊夢の脳裏に焼き付けてやろう。
それが良い。ここは公衆の面前だ。
私はもう嫌というほど恥を晒したから、今更痛くもかゆくもない。
博麗霊夢、次に傷を負うのはお前の方だ。
と準備をしていたら、髪の毛を掴まれて引き上げられた。
視界が一気に明るくなる。髪を引っ張られた痛みに顔を歪ませる。
涙で滲んだ景色が視界に広がる。
無表情の霊夢の顔。そして片手の五指が開かれ揃えられている。
その手を持ち上げ、私の頬へぺたりとつけて――、手首だけを使って一度距離を離してから。
ぺしりと叩かれた。
衝撃だけがあった。
痛みは無かった。
「これが、私の分」
「――あ、――え?」
霊夢はそれで私の髪を解放した。
くるりと踵を返し、今度は蓮子の髪を掴んで引き上げた。
「いたたた! 何するの霊夢!?」
「そしてこれはメリーの分よ!」
呆然としている私をよそに、今度の霊夢は腕を振り上げ。
風切り音が聞こえる程に鋭く振り下ろした!
バッチイイイィン!
小爆発、という形容が正しい。耳をつんざくほどの衝突音だった。
開きかけのまま放置されていたトイレの扉が、爆風で動いてばたりと閉まった。
カウンターにつるされたフライパンがぷらぷら揺れた。
喫茶店の窓ガラスがびりびりと震えた。
天井からホコリがぱらぱらと落ちてきた。
蓮子の首がもげるかと思った。
それほど強力なビンタだった。
とうの蓮子はもちろん気を失っていた。
瞼を閉じて両腕は垂れ下がっている。
「起きなさい蓮子」
「え、あ、ああ?」
霊夢が襟首を掴み軽く揺さぶると、蓮子が目を覚ます。
ほら、やることあるでしょ、と霊夢の指示。うんと頷く蓮子。
ソファから立ち上がると、よろめきつつ私に向かって歩いてくる。
そうして横になっている私の高さに合う様に屈みこみ、覗き込んでくる。
「メリー、今まであなたの気持ちに気付けなくて悪かったわ」
「ええ、いいのよ蓮子」
「全て、私が悪かった。許して欲しい」
「ええ、全て許すわ。だから気にしないで蓮子」
蓮子は私の手を握った。
どんな難問も解く指だ。
「結婚しよう、メリー」
「はい、よろこんで」
秘封と言えばパラレル世界と言う程に、野放図に拡散していく多数のルートのせいで、話が難しくなりやすい。
詰まる所、私の頭では、単純で分かりやすい秘封以外は、ハッピーエンドを迎える事が出来なかったのだ。
あの物語、かなり気に入っていただけにエターは残念です。ただそれだけを。
全体的に、こう何か突っ込みたくなるけど結局勢いで押し切られた。秘封ちゅっちゅ
その辺がすっきりしないのでこの点数で。
蓮メリちゅっちゅは賛成です。
メリーロイヤルストレートに最悪じよない
名前で検索してまとめ読みできないのがもどかしい。。。