※捏造設定が多く含まれておりますので、苦手な方はご注意ください。
***
「おかけになった電話番号は、電波が届かないところにいらっしゃるか、電源がはいっていないため、かかりません」
嫌な夢だ。
寝なおそう。
姫海棠はたてはあたたかな場所へさらに深く潜っていった。
***
文が、ぜんぜん連絡をくれない。
でも、こっちから連絡をしたらどうにも負けな気がするから、してあげない。
姫海棠はたては怒っています。
布団にあおむけになったまま、突き出した腕の先の携帯電話を見つめる。
画面の中の文の笑顔と目が合う。
嘘。
合ってない。その目は私を見てはいない。
……どうして私の知らないところでそんな風に笑っているのよ。
バックライトの消えた携帯電話を軽く放って、深いため息をつく。
四肢をほっぽり出して真っ白な天井を見つめ、頭を文でいっぱいにする。
思考を妨げる着信音が鳴ることはなくて、
気づくとかなりの時間が経っていたことが自分の腹の空き具合からうかがえた。
***
文は、今日も連絡をくれない。
こんなにこんなに待ってるのに、いくらなんでもひどい。
姫海棠はたては寂しいです。
念写をする程度の能力。
これがあるから私はこうして、
妖怪の山の中腹にあるこの小屋から出ないでも文の姿を確認出来る。
もはやこれがないと生きていけないくらい、大事な大事な能力。
そして今日も……よし、念写は成功っ。
画面の中の文はいつも元気に空を飛びまわり取材を続け、その様はまさに風神少女という感じ。
邪険に扱われることもあるようだけど、信じられない。
風を意のままに操って、笑顔を絶やさずいろんな人のところを駆け巡るその姿。
こんな小さな部屋に閉じこもっている私とは、まさに正反対で。
考えれば考えるほどみじめになっていくようだった。
でも今日は、腫れぼったいまぶたをなんとか見開いて涙が滲むのを阻止した。
もしかしたら、万が一。
自分がどんなに「カワイソウ」になっても、文は決して連絡をくれないのでは、という「仮定」。
これを「事実」にしたら絶対にダメ。
ここで泣いたら、認めたことになってしまう……ような気がする。
外の風で、乾かしてしまおう。
風になんとかしてもらおう。
カラカラと、自分の白く細い手が力なく窓を開ける。
遠くで一匹のカラスがカァと鳴いた。
文かな、と思った。
気付いたら精一杯窓から身を乗り出していて、
そのことに気付いた瞬間あまりの高さに足がすくんだ。
不格好に窓枠にしがみついて、すんでのところで落ちずに済んだ。
天狗のくせに高所恐怖症なんて、恥ずかしくて誰にも言えてない。
無様にもがく私を見て、カラスはまたひとつカァと鳴いて飛び去って行った。
バカにして。
腐ってやがる。
あんなやつが文のはずがない。
何か言ってやろうと思ったが、腰が抜けて立ち上がれない。
なさけないな。グズ。
念写を続ける気にもならなかったので、その日は携帯電話を抱いて身を丸めて眠った。
***
文は、今日も誰かと笑い合っている。
自分に友達がたくさんいるからって、それってあんまりだよ。
私には文しかいないのに。
姫海棠はたては悲しいです。
真夜中、空を飛ぶ夢を見て跳ね起きた。
夢の中の私は黒い大きな翼を広げて、
この世のものとは思えないほど鮮やかな紅葉の中を自由に飛び回っていた。
そうだよ。私も文と同じ鴉天狗なんだから飛べるはずだった。
飛びさえすればあの性根腐ったクソ鴉に見下されることもなかったのに、なんで忘れてたのかな。
長いこと外には出ていなくとも、まだその機能は失われていないだろう。
本能ってやつ?
最後に羽根を広げたのは……いつだったか覚えていないけど。
私ほんとダメな子だなー。
文がいないとなんにもできないし。
翼をのばしてみようかとも思ったが、部屋が狭いのでやめた。
外に出たときにしようっと。
外……。
東の空に目をやると、外は煌々と明るい。
確か、下っ端天狗が昼夜暇なくせわしなく哨戒しているのだったか。
両手に持った二つの松明は眩しすぎるほど。
眠らない夜。
薄い境界隔てた向こう側は、昼なお暗く閉ざされた自分の部屋とは別世界のように思えた。
***
「おかけになった電話番号は、電波が届かないところにいらっしゃるか、電源がはいっていないため、かかりません」
それだけを延々喚いた後で、携帯電話はその光を消し声を嗄らした。
事切れたように無視を決め込む携帯電話がどうにも恨めしい。
充電しようかとも思ったけど、身体が動かなかった。
姫海棠はたては、どうしたらいいかわかりません。
コンコンと、ノックの音がした。扉には鍵をかけているので開くことはない。
「……はたてちゃん? 起きてる?」
うるさい。
「あのね、少しお話ししたいんだけど、いいかしら?」
うるさい。
「ほら、お隣に住んでた女の子……覚えてる? 長い金髪の綺麗な子。ゆかりちゃん、だっけ」
うるさい。
「あの子がね、またはたてちゃんとにお出かけしたいって言ってくれてるのよ」
うるさい。
「はたてちゃんお洋服好きだったでしょ? だからアドバイスが欲しいんだって」
うるさい。
「そういってウチに電話をしてきてくれたんだけどね」
うるさい。
「あの子、あなたの携帯にも何度も連絡いれてるそうじゃない。
家族以外も全員拒否してるの?
お友達なんだから一度くらい、着信拒否解除してお話ししてみたらどうかしら」
投げた。
周囲に散らかっていた色んなものを、携帯以外は手当たり次第に扉の方向へ全部投げた。
今まで聞いたこともないような衝突音が反響する。
お友達は着信拒否しないでお話し、て。
て。
つまり、携帯で連絡できないから友達じゃないって言いたいの?
て。
私の友達は文だけなんだけど。
おかしいじゃん。それじゃおかしいじゃん。
て。
まるで文が。
て。
扉の向こうの声はやんでいた。
下っ端天狗の癖に私を連れ出そうとするなんてひどく生意気だ。
少々乱暴な手つきで携帯電話を充電器に繋ぐと、
私は布団にもぐってひたすら大空を飛ぶときのイメージをしていた。
***
文、私の負けだよ。
最初っからこうすればよかったんだよね。変な意地を張った私が悪かった。ごめんね。
いま、会いにゆきます。
夜。
自室の扉をそっと開けた。
重くも軽くもなく、すこし滑りが悪かっただけで、絶対不可侵かと思っていた境界はあっさり破られた。
私は、この妖怪の山の頂上から飛び立って文のところまで行くことにしたのだ。
いつも様子を見に来てくれた下っ端天狗には置手紙を残しておいた。
これなら急に外出しても心配はかけないだろう。
扉を開けたらすぐに山道に出るかと思ったらそうでもなく、また部屋のようだった。
いつもどうやって自分の部屋から山へ出ていたんだっけ?
よく覚えていない。
手探りで、空気のひんやりした方へ向かって歩き出す。
さっきより少し重たい扉をあけたら、ようやく外へと出ることができた。
吹いた風は想像していたよりずいぶん冷たく、鎌鼬のように肌を裂く。
さっきから想定外のことばかり起こるような気がする。
部屋の外は、境界のむこうはやっぱり怖いところなのかもしれない。
ひきかえ、そうかな。
戻ろうとしたところで、バランスを崩し足がもつれ転ぶ。
どうやら膝をすりむいたらしく、ひりひりと痛みが走る。
軽いものではあるけれど、私の貧弱な意思を折るには十分なものだった。
どうして私は何もできないダメな子になっちゃったんだろう。
今日こそ頑張ろうって自分で決めたことなのにすぐ投げ出そうとしてる。
ひとりじゃなんにもできない愚図のくせに生きるのだけは必死になっちゃって、さぁ。
生きてる意味がないのに死ぬ気はないの。ウケる。
膝を抱えてうずくまるいつもの姿勢をとると、まだ新品の一本下駄が目に入った。
古臭いのは嫌で、紫のリボンを使って自分でアレンジして作った下駄。
いつか来るこの日のために、文に会える日のために用意した下駄。
文のために……。
そうだ、文のためなんだ。
これは私なんかのためじゃなくて、文のため。
文に会ってあげるために、私はもっと頑張らなくちゃいけないんだ。
友達に連絡よこすのさえ恥ずかしがってる文だもん、自分から会いになんて来られないよね。
ちゃんと友達は大事にしなきゃダメだよって怒ってあげなきゃ。
ふふ、私は文がいないとダメだけど、文も私がいないとダメなんだね。
顔面筋肉総動員で笑顔を作って、私は再び立ちあがった。
大丈夫、やれるよ。
頂上まで登ろう。
上へ続く道を見つけ、自分でも驚くようなしっかりした足取りで歩きだした。
螺旋状になった道のりをひとつひとつ登っていく。
カツン、カツンと下駄の音が高く響く。
足元の地面の隙間からのぞく地上との距離が離れるにつれ、恐怖と高揚が高まっていく。
視界がひらける。ついに頂上にたどり着いたときの解放感といったら!
周囲にはいくつも高い山が垂直に立ち並び空を狭めていたが、久しぶりに見た天井のない光景だ。。
夜空には、星はあまり見えなかったが綺麗な月が出ていた。
風を身に受けるのが気持ちいい。少しは天狗らしさを取り戻しつつあるのかな。
軽くジャンプしてみる。一本下駄の不安定さもものとせず、綺麗に着地できた。
よし、飛べそうっ。
柵から身を乗り出してふもとを見下ろすと、哨戒天狗たちが両手に明かりを持って高速でかけていくのが見える。
道々にもたくさんの照明が灯り、星空よりも明るいくらいだ。
さて、行きますか。待っててね、文。
光る夜空に私は飛んだ。
それはまるで、鳥のように。
飛び方を忘れた鳥のように。
羽根が広がらない。
飛び方がまったくわからない。
何も聞こえず、ただただ風を切って進む感覚だけ。
文のところに行かなきゃいけないというのに、固そうな地面がどんどん迫ってくる。
顔を上げた。
いくつもの山に阻まれて、空はもう見えなかった。
あれ、わたし、死ぬかなあ?
そんな、私まだ文に会ってないのに。約束したのに。
一目だけでも、会いたいよ。
せめて文のいる方角を。
「ん、そういえば文の家ってどこだっけ?」
***
「おかけになった電話番号は、電波が届かないところにいらっしゃるか、電源がはいっていないため、かかりません」
***
『天狗少女、失踪!?』
○月○日深夜、都内某所に住むH.Hさんが行方不明となっている事件をご存じだろうか。彼女は長い間自室に引きこもり、家族も心配していた。警察は単なる家出と見て捜査を進めているが、不可解な点がいくつか存在する。
まず第一に、彼女の住んでいたマンション内の防犯カメラに屋上に向かう姿が記録されていたのが最後の目撃情報だという点だ。屋上からはそこへ続く螺旋階段以外に道はなく、そこを通る以外には屋上から移動することは極めて困難であるのだ。しかし飛び降りれば地上までは数十メートル。下は交通量も多い道路で、無傷で助かるということはありえないはずなのだ。
第二に、彼女の机に残された置手紙だ。そこには「文に会いに行ってきます。これからは天狗としてちゃんと生きようと思います。」とだけ書かれていた。文という人物が誰なのか、彼女の周囲の人物はまったく心当たりはないらしい。しかし、彼女の机からは文という人物へあてた書きかけの手紙などが多く見つかっていることから友人だったのではないかという見通しが立っている。しかしその後の文章はまったく意味不明である。むろん天狗というものは今の日本には存在するはずもない。彼女が何を思ってこう書き残したのか、家族にもわからないという。この件について我々も独自の調査を進めていく。
(記事はここで途切れている。下の余白には大きく「没」と書かれている)
***
「おかけになった電話番号は、電波が届かないところにいらっしゃるか、電源がはいっていないため、かかりません」
嫌な夢だ。
寝なおそう。
姫海棠はたてはあたたかな場所へさらに深く潜っていった。
***
文が、ぜんぜん連絡をくれない。
でも、こっちから連絡をしたらどうにも負けな気がするから、してあげない。
姫海棠はたては怒っています。
布団にあおむけになったまま、突き出した腕の先の携帯電話を見つめる。
画面の中の文の笑顔と目が合う。
嘘。
合ってない。その目は私を見てはいない。
……どうして私の知らないところでそんな風に笑っているのよ。
バックライトの消えた携帯電話を軽く放って、深いため息をつく。
四肢をほっぽり出して真っ白な天井を見つめ、頭を文でいっぱいにする。
思考を妨げる着信音が鳴ることはなくて、
気づくとかなりの時間が経っていたことが自分の腹の空き具合からうかがえた。
***
文は、今日も連絡をくれない。
こんなにこんなに待ってるのに、いくらなんでもひどい。
姫海棠はたては寂しいです。
念写をする程度の能力。
これがあるから私はこうして、
妖怪の山の中腹にあるこの小屋から出ないでも文の姿を確認出来る。
もはやこれがないと生きていけないくらい、大事な大事な能力。
そして今日も……よし、念写は成功っ。
画面の中の文はいつも元気に空を飛びまわり取材を続け、その様はまさに風神少女という感じ。
邪険に扱われることもあるようだけど、信じられない。
風を意のままに操って、笑顔を絶やさずいろんな人のところを駆け巡るその姿。
こんな小さな部屋に閉じこもっている私とは、まさに正反対で。
考えれば考えるほどみじめになっていくようだった。
でも今日は、腫れぼったいまぶたをなんとか見開いて涙が滲むのを阻止した。
もしかしたら、万が一。
自分がどんなに「カワイソウ」になっても、文は決して連絡をくれないのでは、という「仮定」。
これを「事実」にしたら絶対にダメ。
ここで泣いたら、認めたことになってしまう……ような気がする。
外の風で、乾かしてしまおう。
風になんとかしてもらおう。
カラカラと、自分の白く細い手が力なく窓を開ける。
遠くで一匹のカラスがカァと鳴いた。
文かな、と思った。
気付いたら精一杯窓から身を乗り出していて、
そのことに気付いた瞬間あまりの高さに足がすくんだ。
不格好に窓枠にしがみついて、すんでのところで落ちずに済んだ。
天狗のくせに高所恐怖症なんて、恥ずかしくて誰にも言えてない。
無様にもがく私を見て、カラスはまたひとつカァと鳴いて飛び去って行った。
バカにして。
腐ってやがる。
あんなやつが文のはずがない。
何か言ってやろうと思ったが、腰が抜けて立ち上がれない。
なさけないな。グズ。
念写を続ける気にもならなかったので、その日は携帯電話を抱いて身を丸めて眠った。
***
文は、今日も誰かと笑い合っている。
自分に友達がたくさんいるからって、それってあんまりだよ。
私には文しかいないのに。
姫海棠はたては悲しいです。
真夜中、空を飛ぶ夢を見て跳ね起きた。
夢の中の私は黒い大きな翼を広げて、
この世のものとは思えないほど鮮やかな紅葉の中を自由に飛び回っていた。
そうだよ。私も文と同じ鴉天狗なんだから飛べるはずだった。
飛びさえすればあの性根腐ったクソ鴉に見下されることもなかったのに、なんで忘れてたのかな。
長いこと外には出ていなくとも、まだその機能は失われていないだろう。
本能ってやつ?
最後に羽根を広げたのは……いつだったか覚えていないけど。
私ほんとダメな子だなー。
文がいないとなんにもできないし。
翼をのばしてみようかとも思ったが、部屋が狭いのでやめた。
外に出たときにしようっと。
外……。
東の空に目をやると、外は煌々と明るい。
確か、下っ端天狗が昼夜暇なくせわしなく哨戒しているのだったか。
両手に持った二つの松明は眩しすぎるほど。
眠らない夜。
薄い境界隔てた向こう側は、昼なお暗く閉ざされた自分の部屋とは別世界のように思えた。
***
「おかけになった電話番号は、電波が届かないところにいらっしゃるか、電源がはいっていないため、かかりません」
それだけを延々喚いた後で、携帯電話はその光を消し声を嗄らした。
事切れたように無視を決め込む携帯電話がどうにも恨めしい。
充電しようかとも思ったけど、身体が動かなかった。
姫海棠はたては、どうしたらいいかわかりません。
コンコンと、ノックの音がした。扉には鍵をかけているので開くことはない。
「……はたてちゃん? 起きてる?」
うるさい。
「あのね、少しお話ししたいんだけど、いいかしら?」
うるさい。
「ほら、お隣に住んでた女の子……覚えてる? 長い金髪の綺麗な子。ゆかりちゃん、だっけ」
うるさい。
「あの子がね、またはたてちゃんとにお出かけしたいって言ってくれてるのよ」
うるさい。
「はたてちゃんお洋服好きだったでしょ? だからアドバイスが欲しいんだって」
うるさい。
「そういってウチに電話をしてきてくれたんだけどね」
うるさい。
「あの子、あなたの携帯にも何度も連絡いれてるそうじゃない。
家族以外も全員拒否してるの?
お友達なんだから一度くらい、着信拒否解除してお話ししてみたらどうかしら」
投げた。
周囲に散らかっていた色んなものを、携帯以外は手当たり次第に扉の方向へ全部投げた。
今まで聞いたこともないような衝突音が反響する。
お友達は着信拒否しないでお話し、て。
て。
つまり、携帯で連絡できないから友達じゃないって言いたいの?
て。
私の友達は文だけなんだけど。
おかしいじゃん。それじゃおかしいじゃん。
て。
まるで文が。
て。
扉の向こうの声はやんでいた。
下っ端天狗の癖に私を連れ出そうとするなんてひどく生意気だ。
少々乱暴な手つきで携帯電話を充電器に繋ぐと、
私は布団にもぐってひたすら大空を飛ぶときのイメージをしていた。
***
文、私の負けだよ。
最初っからこうすればよかったんだよね。変な意地を張った私が悪かった。ごめんね。
いま、会いにゆきます。
夜。
自室の扉をそっと開けた。
重くも軽くもなく、すこし滑りが悪かっただけで、絶対不可侵かと思っていた境界はあっさり破られた。
私は、この妖怪の山の頂上から飛び立って文のところまで行くことにしたのだ。
いつも様子を見に来てくれた下っ端天狗には置手紙を残しておいた。
これなら急に外出しても心配はかけないだろう。
扉を開けたらすぐに山道に出るかと思ったらそうでもなく、また部屋のようだった。
いつもどうやって自分の部屋から山へ出ていたんだっけ?
よく覚えていない。
手探りで、空気のひんやりした方へ向かって歩き出す。
さっきより少し重たい扉をあけたら、ようやく外へと出ることができた。
吹いた風は想像していたよりずいぶん冷たく、鎌鼬のように肌を裂く。
さっきから想定外のことばかり起こるような気がする。
部屋の外は、境界のむこうはやっぱり怖いところなのかもしれない。
ひきかえ、そうかな。
戻ろうとしたところで、バランスを崩し足がもつれ転ぶ。
どうやら膝をすりむいたらしく、ひりひりと痛みが走る。
軽いものではあるけれど、私の貧弱な意思を折るには十分なものだった。
どうして私は何もできないダメな子になっちゃったんだろう。
今日こそ頑張ろうって自分で決めたことなのにすぐ投げ出そうとしてる。
ひとりじゃなんにもできない愚図のくせに生きるのだけは必死になっちゃって、さぁ。
生きてる意味がないのに死ぬ気はないの。ウケる。
膝を抱えてうずくまるいつもの姿勢をとると、まだ新品の一本下駄が目に入った。
古臭いのは嫌で、紫のリボンを使って自分でアレンジして作った下駄。
いつか来るこの日のために、文に会える日のために用意した下駄。
文のために……。
そうだ、文のためなんだ。
これは私なんかのためじゃなくて、文のため。
文に会ってあげるために、私はもっと頑張らなくちゃいけないんだ。
友達に連絡よこすのさえ恥ずかしがってる文だもん、自分から会いになんて来られないよね。
ちゃんと友達は大事にしなきゃダメだよって怒ってあげなきゃ。
ふふ、私は文がいないとダメだけど、文も私がいないとダメなんだね。
顔面筋肉総動員で笑顔を作って、私は再び立ちあがった。
大丈夫、やれるよ。
頂上まで登ろう。
上へ続く道を見つけ、自分でも驚くようなしっかりした足取りで歩きだした。
螺旋状になった道のりをひとつひとつ登っていく。
カツン、カツンと下駄の音が高く響く。
足元の地面の隙間からのぞく地上との距離が離れるにつれ、恐怖と高揚が高まっていく。
視界がひらける。ついに頂上にたどり着いたときの解放感といったら!
周囲にはいくつも高い山が垂直に立ち並び空を狭めていたが、久しぶりに見た天井のない光景だ。。
夜空には、星はあまり見えなかったが綺麗な月が出ていた。
風を身に受けるのが気持ちいい。少しは天狗らしさを取り戻しつつあるのかな。
軽くジャンプしてみる。一本下駄の不安定さもものとせず、綺麗に着地できた。
よし、飛べそうっ。
柵から身を乗り出してふもとを見下ろすと、哨戒天狗たちが両手に明かりを持って高速でかけていくのが見える。
道々にもたくさんの照明が灯り、星空よりも明るいくらいだ。
さて、行きますか。待っててね、文。
光る夜空に私は飛んだ。
それはまるで、鳥のように。
飛び方を忘れた鳥のように。
羽根が広がらない。
飛び方がまったくわからない。
何も聞こえず、ただただ風を切って進む感覚だけ。
文のところに行かなきゃいけないというのに、固そうな地面がどんどん迫ってくる。
顔を上げた。
いくつもの山に阻まれて、空はもう見えなかった。
あれ、わたし、死ぬかなあ?
そんな、私まだ文に会ってないのに。約束したのに。
一目だけでも、会いたいよ。
せめて文のいる方角を。
「ん、そういえば文の家ってどこだっけ?」
***
「おかけになった電話番号は、電波が届かないところにいらっしゃるか、電源がはいっていないため、かかりません」
***
『天狗少女、失踪!?』
○月○日深夜、都内某所に住むH.Hさんが行方不明となっている事件をご存じだろうか。彼女は長い間自室に引きこもり、家族も心配していた。警察は単なる家出と見て捜査を進めているが、不可解な点がいくつか存在する。
まず第一に、彼女の住んでいたマンション内の防犯カメラに屋上に向かう姿が記録されていたのが最後の目撃情報だという点だ。屋上からはそこへ続く螺旋階段以外に道はなく、そこを通る以外には屋上から移動することは極めて困難であるのだ。しかし飛び降りれば地上までは数十メートル。下は交通量も多い道路で、無傷で助かるということはありえないはずなのだ。
第二に、彼女の机に残された置手紙だ。そこには「文に会いに行ってきます。これからは天狗としてちゃんと生きようと思います。」とだけ書かれていた。文という人物が誰なのか、彼女の周囲の人物はまったく心当たりはないらしい。しかし、彼女の机からは文という人物へあてた書きかけの手紙などが多く見つかっていることから友人だったのではないかという見通しが立っている。しかしその後の文章はまったく意味不明である。むろん天狗というものは今の日本には存在するはずもない。彼女が何を思ってこう書き残したのか、家族にもわからないという。この件について我々も独自の調査を進めていく。
(記事はここで途切れている。下の余白には大きく「没」と書かれている)
幻想郷の話と見せかけて、というミスリーディングが面白いですね。はたての見た「山」はビル、「下駄」はヒールの高い靴、といったところでしょうか。面白かったです。
発想はすごく新鮮で面白いと思います
はたてが幻想入りした後に天狗となれるのか、人間のままなのかが気になるところです。
下地は素晴らしかっただけにその設定が本編でもう少し読み取れるようにしてあれば完璧だったかと