1
ペルソナの共振――レゾナンスは完璧だ。
ひとつひとつのペルソナの力は弱くとも、結集させれば、岩をも打ち砕く意志となる。
意志とは志向性だ。
いくつもの光を束ねて、ひとつの光線として収束する。
意志とは光だ。
あらゆる事象を照らしだし、明らかにするもの。
世界に対して開かれているもの。
すなわち、意志とは『私』だ。
しかし、本当にそうだろうか?
本当の『私』とはペルソナの総体のことではなく、素顔のことを言うのではないだろうか。
私は私になりたい。
何物にも侵されず、何者にも脅かされることなく、思想を志操し、思考を試行する。
例えば、それは魔理沙の持つ痛快さ。
例えば、それは聖の持つ柔らかさ。
例えば、それは神子が持つ絶対の自信。
例えば、それは霊夢が持つ…………えーっとなんだろう。
ともかく、そういう確固たる私を私は欲望している。
おそらく、私は『自由』を求めているのだ。
自由とはなんだろう。
雲のような概念だ。もくもくしてる。もくもくっていうのもよく伝えることができないが、
そんな曖昧で模糊っとした感覚が、非常に今の状態にマッチングしているように思われた。
もこもこではない。もくもくともこもこはだいぶ違う。
よくわからない。ひとことでまとめると、そのような感じ。
感じというのは、しかし、どうしようもない。
そういった『感じ』なんてものはどうにも伝達することができなくて、自分の中で消費するほかなくて、
まるで、無数の言葉がズブズブと自分の躰の中に沈んでいくようなものだ。
私はいくつものペルソナを持ち、そのペルソナの選択を私の意志で行えるが、
しかしそれを自由と称するのは誤解があるように思った。
私は自由が単純な選択肢の多さでないことを知っている。
では、なんなのか。
ペルソナ66からの連絡によれば、それはきっと『突き抜けること』だという応答があった。
ペルソナ34は『飛翔すること』だと別の表現を使った。
ペルソナ22によれば『知らねーよバーカ』だった。くすん……。
ペルソナ22はともかくとして、確かになんとなくそういう感じもする。
誰かに伝達はできなくても、少なくとも私の中では真実だ。
そういう視点で、今までの出来事を振り返ってみよう。
ひとつ例がある。
経験が少ない私でも、いや、少ないからこそ思い出せることも多いのだ。
2
空から降ってきたのは丸くて固くてギザギザしていて、それでいて恰好がよかった。
いや、本当に降ってきたわけではない。
ミスティア・ローレライが『そいつ』を振り回すように弾いていたから、
そして彼女自身が飛翔しながら、螺旋を描きながらくるくると木の葉が舞うように落下してきたから、
そういうふうに見えただけだ。
ミスティア・ローレライはそれをスカイギターと称した。
「通常よりもフレット数を増やすことによって、超高音を出すことができるギターのことを言うんだよ」
と熱く語っていた。
知らない。
知らないが、ミスティア・ローレライが興奮しているのがわかった。
だからといって、ミスティアの感情に共振することはない。
当たり前だ、私はミスティアではないし、ミスティアは私ではないのだから。
その両者には不可視の関数なんてものはなく、したがって、無関係といえた。
思うに、私には感情があるが、それが一定の閾値を超えることは無いように思う。
おそらくそれは、私の周りを囲ういくつものペルソナが常に共振しているせいだろう。
私はメインの感情を選び取ることはできるが、しかし、それが同時に他の感情を滅却するほど強く働くことは無いのだ。
これでは私には『私』というものが無いことにならないだろうか。
いや、そうは言わない。
私は現にいまも『考えている』し、『感じている』し、『こころしている』のだから。
けれど、それは自由ではない。
きっと、それはいくつかの闘いを経験して、私自身というものがよりはっきりしてきたからこそ感じてきた不満なんだろう。
私の意志選択は、私のこの躰を通じてなされている。
したがって、私は究極的にはこの躰であって、周りに漂うペルソナたちは、いわば補助脳のような立場でしかない。
私をサポートする意味を超えることはなく、したがって、私が私であるために、究極的にはこれらのペルソナはまったくの不要なものなのだ。
であれば、だ。
これらのペルソナが行う感情的な補助とは、結局のところ私の意思決定を曖昧にするという意味合いを帯びてくるのではないだろうか。
それはいわば、カーテン越しに向こう側を見るように、私は私の意思をペルソナを通じてしか表現していないということにならないだろうか。
そんなものは自由ではない。
自由とは、現在の私が考えるに、あらゆる拘束性からはずれた状態のことを指す。
それを自由の定義と措定する。
私は自由になりたい。
スカイギターの音色が聞こえる。
天空に跳躍していくようなこの音階は、どうして自由を感じさせるのだろう。
「ミスティア・ローレライ」
「ほいほい。今いいところだったんだけどな。なあに?」
「それはなんなのだ?」
「えーっと、さっき言ったとおりスカイギターだよ?」
「スカイギターとはなんだ」
「だから、通常よりもフレット数っていって、ほら、ここの弦が普通より長いでしょ」
「確かに」
「琵琶といっしょでギターも同じだからね。基本的に手前に来るほど高音がでるの」
「どうしてスカイギターと呼称する?」
「天空を飛翔するような音が出るから、かな」
「多少フレット数が増えても、出せる音が少し増えるだけだ」
「まあ確かにそうなんだけどね。要は気持ちの問題だよ」
「気持ちで自由を感じるのか?」
「そうだね。自由を感じるね。だって、こんなに澄み切った音は他には出せないよ」
キュイーンとミスティアがかき鳴らす。
「私にも自由が欲しい」
「弾きたいの?」
「うーん……」
「いいよ。別に、このギターだって外来品を改造した一品だし。最初から私のものだったわけでもないしね」
「弾かせてほしい」
「うん。でも傷つけないでね。結構気に入ってるから」
「わかった」
ミスティアからスカイギターとピックを受け取り、とりあえず想いのまま弾いてみることにする。
ペルソナ達が騒ぐのを抑えつけ、私はひとつの物のように、無心で弾いた。
べんべこべんべこ。
「たっははは。なにそれ。お琴やってるんじゃないからさー」
「初めて弾いたの」
「フムン。そうなの? そりゃ悪かったね。まあ最初はそんなもんだよ」
「練習したら、ミスティアのように上手くなる?」
「普通はなるよ。よっぽど不器用じゃない限りね」
「教えてほしい」
「いいけど、能や薙刀はいいの?」
「どうして能や薙刀が関係あるの?」
「芸能っていったら、それもギターと同じだし、べつにギターにこだわる必要ないと思うんだけど。そもそも自由を感じたいっていうんだったら、慣れたもののほうがよくないかなって」
「よくわからない。スカイギターを弾くからミスティアは自由になれるんでしょう?」
「うーん。そういうわけじゃないんだけどな。確かにスカイギターを弾くと気持ちよくて、自由を感じるけれど、それは私がそうであるってだけで、こころがそうであるとは限らない気がするんだけど」
「自由って何? ただの感覚? 快感?」
「さあ。少なくともコレを弾いてるときはそんなまだるっこしいことは考えてないからね」
そんなわけで、ミスティアから学ぶという私のもくろみは失敗に終わった。
しかし、これも仕方ないことなのだろう。
きっと、ミスティアは自由を『感じ』として知っているだけであって、そうであるならば、それは伝達が不可能なものだ。
私は私の言葉で自由を感じなければならず、それは鳥がうまい具合に風をつかむのと似ている。
もしかすると、ペルソナという補助翼が存在する私は、そのせいでうまく飛べないのかもしれない。
ドン!
後ろからの突然の衝撃。
おふっと思う間もなく、躰が前のほうに倒れこみそうになる。
こんなことをするやつはたいてい決まっている。
「こころちゃんがまた悩んでる! その憂い顔に恋しちゃった!」
やはりというかなんというか、想像どおり全力で背後からタックルをしてきたのは古明地こいしだった。
こいしは私の知らないことを知っている。
そして、風来坊で、彼女自身も根無し草というようなことを言っていた。
根無し草ということは、少なくとも場所や血縁に拘束されないということであるから、こいしも自由を求めていると思われた。
「自由?」
「そう。自由って何か知らないか」
「また面白いこと考えてるね」
「悪いか」
「悪いか悪くないかで言えば、悪くないけどね。そもそも自由という状態を考えると不自由になるよ」
「え?」
「こころちゃんにとっての暫定真実は何なのかな?」
「暫定?」
「自由とは現状、何だと考えてるの?」
「それは拘束状態が無いってことで……」
「うん。そんなことだろうと思った。でもさ、少なくともこころちゃんって自分で考えて自分で行動しているでしょう。誰かに何かを言われたりしても、もしくは誰かさんの家に監禁されちゃったりしても、そんなこころちゃんの考えというか、想いは誰にも止められないでしょ。恋心みたいに!」
「確かにそうだが……」
「その考え方を敷衍すると、そもそもこころちゃんの心は『自由』というあり方しかありえず、その意味でとても『不自由』ってことになるね」
「論理が循環している。そんな考え方、矛盾している」
「そうだよ。拘束性の有無なんてものは自由をなにひとつあらわしていない。こころちゃんはこれでまた一つ自由へと近づいたね」
「だったら、自由ってなんなの?」
「えーっと。たぶん、自由とは失踪だよ」
「は?」
「じゃあーね」
こいしは本気で私の前から失踪し、どこかへ行ってしまった。
おそらく失踪ではなくて疾走と言いたかったのだろうが、
それもまたドライブ感であって『感じ』なので、やっぱりこいしの考え方はこいしにしかわからず、私はそれを取りこめる自信がなかった。
「わからぬ。わからぬ」
こんなことでは、いずれペルソナに吸収されてしまわないだろうか。
怖かった。
いままでそんなことはなかったのに。
私は『私』でなくなるのが怖い。だから、何物にも侵されず、永久不変の『私』が欲しい。
そのため、私は拘束性の無いことを自由と措定し、不変運動を続けることで『私』が保存されることを望んだのだ。
どうしてだろう。
きっと、それはきっかけというほどのこともなかったのだろうと思う。
3
伝達が難しい概念……。
いやそもそも伝達自体がある種の断絶を生んでいると私は考える。
知覚・記憶・表現・叙述。
伝達のプロセスはこの四つの手続を段階的に踏むことによって行われる。
知覚や記憶はほとんど問題にならない。
確かに見間違いや記憶違いなんてことはあるが、最も大きくズレが生じるのは表現と叙述の領域。
どうしてだろう。
きっと、それは言葉そのものの持つ欠陥に違いない。
言葉には多義性があり、反対称性によって、同一の言語が反対の意味を指し示すことがある。
これはシニフィエとシニフィアンの恣意的な結びつきのことを言っているのではなく、
たとえば、ある文脈では『殺すな』が他の文脈では『殺せ』を意味するようになるということを、私は主張している。
言葉なんて曖昧なもので、どうして人間はよくもまあ情報伝達動作を行うものだと思う。
その点をいえば、私のペルソナ間におけるレゾナンスは、完全ともいえる情報伝達をなしうる。
私はある感情を違う感情に取り違えたりしない。
哀しいは哀しいであり、嬉しいは嬉しいだ。
そういったデジタルで構成された感情を束ねることで私というものが構成されているとすれば、
どんなにか楽だったかと思う。
問題は、それらペルソナがおこなう感情の方向性は、私自身を通じてなされてはいるものの、私を離れると好き勝手な解釈を始めるということである。
どういえばいいか。
私が、すなわちここにいるコギトこそが私の意思決定の第一因である。
問題はそのあと、私は私の中に発生した感情に名前をつける。『哀しい』であれば、『哀しい』を担当するペルソナに割り当てる。
そうすると、66ある私のペルソナの中から、『哀しい』が主導権限を持ち、ペルソナ全体の感情を統制する。
私はペルソナの影響を受けて、より『哀しい』という感情を加速させる。
つまり、私とペルソナは一種のフィードバックループを形成し、私の感情はその無限ループの中で加速される粒子のようなものだ。
私はペルソナを確かに支配し所有しているのだが、ペルソナのほうは私のほうこそ支配し所有していると考えているのかもしれない。
私の感情や言葉や意志はいったい誰のものなのだろう。
話がずれたが、要するに私が言葉で語る以上、それは言葉の隙間において欠落する部分があることを認めなければならないということであり、
そしてそれを補うには想像力が必要ということである。
言葉と言葉を文脈という糊で固めるには想像力が必要だ。あるいは、創造力が。
物語を繋ぐ糸のような創造性こそが、言葉を単なる音素から解放する。
きっと、こんな始まりをすればいいのだろう。
女の子が私の舞を見ていた。
その子は七歳くらいで、よく母親に手をひかれて来ていた。
私の舞は、自分で言うのもなんだがそれなりに人気があり、それでも彼女のように幼い子どもは珍しかったから、なんとなく気になっていた。
キラキラと目を輝かせて、私の舞が終わったあとには手が紅くなるほど拍手をしてくれて、どうしてなのかわからなかったが、最後には満面な笑みを浮かべた。
私は全ペルソナを総動員して、彼女の笑みに応答しようと試みた。
つまりは、笑顔になろうと努力した。
きっと無様な笑顔であっただろうが、彼女は呆れもせず何度も私の舞に見に来ていたのだ。
私は自分の舞を一種の自己表現として捉えていた。
感情を表情にあらわすのが絶望的なまでに壊滅的な私である。
そんな中で、自我に目覚めつつあった私が、自分の今までの在り方とこれからの在り方をすりあわせるのに、演舞をおこなうというのは必然といえた。
もちろん、そこで少なからずお金を得て、生活の足しにするという面もあったのだが、もともと付喪神も妖怪の一種で、精神的な充足の方が重要である。
ごはんを食べないとお腹は膨れないが、なぜだか存在意義が回復されることで、ほとんど物理的な意味でも充足する。
それで、私にとっては舞うという動作をおこなうことが、存在の大きな部分を占めるようになっていた。
人間の尊いところはそういった存在意義という物理的な作用力が働かないところで、演舞なり、芸術なりを行えるところだろう。
妖怪のそれは生きるために行うのに対して、人間のそれは余剰行為として行っている。
だから、それはきっと聖なる行為だ。
私は七歳の女の子に見られることで、私がやっていることが人間の真似事であり、
つまりは本来的には聖なる行為であることに思い至り、だったら少しでもそうあるべきだと思った。
具体的には何のことはなく、今まで以上に綺麗に美しく舞おうと思ったのだ。
ところがある日からぱったりその子は来なくなった。
なんとはなしに日頃から見かけるお客のひとりに、そのことを尋ねてみると、理由はすぐに明らかになった。
その子の母親がなぜこんな東の果てにある博麗神社に来ていたかというと、父親の快癒を願ってのことだったらしい。
お百度参り。
一言一句違えることなく、神頼みというやつだ。
父親が病気になった理由は私にはわかりようがないが、
その子の家は貧しくてとてもじゃないが永遠亭の薬師のお世話になることはできなかったし、
そうであるならば神様に頼みこむしかなかったということだろう。
私の演舞はたまたまそこでやっていたから、親子の目に留まることになったに違いない。
誤解しないでほしいが、私はべつにその女の子が来なくなったから哀しいとか、
あるいは、偶然の結果として私の舞を見ていたに過ぎないことが苛立たしいとか、
そういうことを言いたいのではない。
私は……、なんというか……そう、寂しかった。
寂しい、でいいのかわからない。
夕闇に山肌が溶けていくのを眺めるような、胸の奥がきゅっとするような、そんな気持ちだ。
きっと、それはその子が私に精いっぱいの拍手を送ってくれなくなったのが寂しいのではなくて、
よく、わからない。
もみじのような小さな手が、
かわいらしく打ち鳴らされるのを見て、
きっと、それで、
私は伝達されて、
だから、私は私になれていた。
きっともう少しうまく伝えられたんじゃないかと思う。
伝えきれたから、といってその子が救われるわけではないけれども。
その子の人生という名の物語のおいては、私の演舞はせいぜい添え物であって、
たった一瞬の余剰にすぎない。
人間にとって、私が……、道具を出自とする私が、なにほどのものであったかなんてわかるはずもない。
ちょっとだけ楽しいだけの、そんなものだったのかもしれないし、
父親が憔悴し、母親も疲れ切っている中で、そんなつらい現実から逃避するための道具に過ぎなかったのかもしれない。
もしも、私がそのことを知っていたら……。
知っていたらどうしたというのか。
そんな仮定は無意味だ。
すでに過去は決定されている。
後で聞いたことだが、その子の母親はその子を残して自殺したらしい。
その子はもうずっと、ここには来ていない。
4
「こころさん」
「あ、聖」
「どうですか。神社暮らしは」
「ん。快適だけど?」
「そうですか。もしも不自由だと感じたら、いつでもお寺にいらしてくださいね。みんなあなたが来ることを心待ちにしているのですから」
不自由なんて、いつでも感じている。
それは心の問題であって、場所の問題ではない。
聖の言うことは不合理だと思った。
「私はいつだって不自由だ」
「ど、どうしたんです。こころさん。何かあったんですか。そんな泣き顔一歩手前もかわいらしくて、南無三したくなっちゃいますよ!」
「聖にとっての自由とは、みんなといることなの?」
「んん。そういうふうに上目使いで来るとは、この子には魔性が宿っていますね……」
なぜか頭を撫でられた。
その感覚自体はなんだかポワポワして嫌いではなかった。
「自由ですか?」
「そう。自由ってなんだろうって」
「自由とは孤独ではないことです」
さすがに聖はたくさんのことを知っている。
即答だった。
「じゃあ、孤独って何?」
「私は千年もの間、魔界の奥底に封じられてきました。そこでは私は私を慕ってくれるみんなとも会えず、ただただ時間ばかりが過ぎていきました」
「ひとりでいることが孤独ってこと?」
「そうではありません。封印される前、私を慕ってくれる者たちは妖怪だけではありませんでした」
「人間?」
「そうです。そして今よりもずっと多くの人間が傍にありました。私は、けれど、どこか孤独を感じていました」
「嘘をついてたから?」
聖は封印される前、妖怪と仲良くしていることを人間たちには黙っていたらしい。
それをどう解釈するかはともかく、自分を偽っていたことは確かだ。
「そうですね。人を騙していたのは確かです。しかし、対象がいるかどうかはあまり関係がないのかもしれません」
「他人は関係ないってこと?」
「そうです。孤独とは己の言葉が誰にも伝わらないという確信から生まれるのです」
「では自由とは?」
「己の言葉が必ず相手に伝わると信じることを言います」
「でも、また裏切られるかもしれない」
人の感情はスペクトラムを形成する。
光に対するプリズムのようなものだ。
確率的に必ず裏切る。
裏切らないということを、知らないわけではない聖が、光のある特定波長について見ないふりをしていると思った。
「それでも良いのです。私は信じています」
信じることは嘘をつくことであると聖は主張しているのである。
5
神社の境内で竹ぼうきを使ってスカイギターの真似事をしていると、
「なんだそれ、エアギターか?」
霧雨魔理沙があらわれた。
まるでモンスターのような物言いになってしまったが、まさしく彼女はモンスターであると思う。
迷惑そうにしているにもかかわらず、他人の領域にすんなりと侵入し、ありとあらゆるものを盗んでしまう。
それでいて、いつのまにか仲良くなっているのだから、わけがわからない。
とりあえず、儀礼的に私は魔理沙にも同じ質問をしてみた。
「自由って何」と。
「藪からスティックだなおい。でもまあ簡単なことだ」
「教えてほしい」
「自由とは、私らしくあることだぜ」
「フムン。私らしくの、らしくとはではいったいなんだ?」
「やりたいようにやっちゃうことだぜ」
ひとつの迷いもないほどに輝く笑顔だった。
なんだかちょっとだけ嘘くさいが、しかしおそらく彼女は九割程度は本当にそう思っているのだろう。
「けれど、魔理沙の考え方は結局のところ自分の欲望に忠実というだけで、それは欲望の奴隷になっているだけといえなくもない」
「ふーむ。どうもあいつが創ったせいか。欲に対しては敏感なんだなおまえ」
「でもそうだろう?」
「違うな。私が主張しているのは、自由というのは自分から生じるってことだ。欲望なんか振り切る程度の力への意志があれば、それはまさしく自由といえるんだぜ」
魔理沙が主張している自由は、ただの力任せの論理だった。
光のパワーをあげて、なにもかもを自分の色で染めるということに過ぎない。
もう少しスマートに考えられないのだろうか。
魔理沙は霊夢が外に行ってるとわかると、「じゃあアリスん家でも行くか」と言って去っていった。
自由奔放な奴だとは思う。
それからしばらくすると、今度は神子様がひょっこり出現した。
ワームホールのような穴が地面に突如出現し、そこから顔を出したのである。
驚くことではない。
なにしろ私を創ったお方なのだから。
私はすごいので、神子さまは超すごいに違いない。
でも、宗教家というのはどうにもうさんくさい。
「フフフ。こころ、元気にしてたかい」
「いつも元気」
「なんて愛らしいんだ。ちくしょうめッ」
ほっぺたあたりをうりうりされた。
その動作に何の意味があるのかいまいち理解しがたいが、とりあえず攻撃的な態度ではないので、されるがままにしている。
しばらくすると落ち着いたのか、神子さまは縁側に座った。
私の隣である。わりと近い。
「自由って何?」
私はもうほとんど義務と化した、ひとつの疑問をぶつけてみた。
思うのだが、この質問はほとんど私が『私』でいるためにはどうすればいいのかという質問と同義だ。
「ちなみにあの仏教徒はなんと言ってましたか?」
「聖は孤独ではないことって言ってた」
「仏教徒らしい答えだ。仏教とはそもそも宇宙との同一化を目指す宗教だからな……」
「神子さまは違うの?」
「違う。宇宙との同一化なんて目指したら、それは単に自分というものを自然の中に埋没させるだけだ。そんなものが自由なわけがない」
「欲望のままに生きるのが自由?」
「ん? 白黒の魔法使いあたりが言いそうな言葉だな」
「魔理沙に聞いた」
「それも違うよ。魔理沙の考えは自分というものを推し進めるだけであって、それはやはり自分というものに囚われすぎている」
「答え答え」
「おおぅ……」
腕にすがって、答えをねだったら、なぜか神子様は顔を赤くしていた。
なんとなく嬉しそう?
よくわからない。
「ごほん。ええとな。こころ、そういうことは他の人にはしてはいけないぞ?」
「ん。どうして?」
「それはな。こころが魅力的すぎるからだよ」
「ちょっとだけよ?」
「どこでそんな言葉を覚えた」
「神子様、はやく答えー」
「わかったわかった。私が考えるに、自由とは選びとることだ」
「選ぶって、自分勝手に?」
だったら、それは魔理沙が言ってることと変わらない。
「そうではない。世界はお前が欲すべきところをお前に求めるだろう。お前もまた世界が欲すべきところを己が欲するように感じるだろう」
「んー。難しい」
「ええとな。つまり簡単なことなんだ。世界とお前の躰。この二者間において、位相のズレがあるだろう。そのズレを補正しようと絶えず動くこと。この動的安定こそを自由と称するものの正体だ」
「でもそれって、結局、世界との合一化と何が違うの?」
「仏教なんて、ありゃ屍体をミイラ化してキレイキレイ言ってるだけだ」
「でも道教だって、お皿とか壺を屍体だって言い張ることでキレイキレイ言ってるだけのように思えるけど」
「うぐぐ。なかなか痛いところをつく悪い子だ」
「でも、動的安定という言葉は惹かれる気がする」
「そうか。さすが私のこころだ」
「私は物じゃない」
いや、物なのか?
ともあれ、仏教と道教はほとんど同じように見えて、なんとなく違うところがあることもわかった。
光の波長をフラットにすることで世界と重ね合わせるのが仏教だけど、光の波長で世界の波長を打ち消そうとするのが道教なのかもしれない。
やっぱり結論としては世界の中心で私を叫ぶようで、なんとなく微妙な感じがする。
私は世界なんてどうでもよかった。
この世界にちっぽけな『私』が存在するということを宣言したいだけだった。
世界の片隅で『私』を叫べれば、それでいい。
7
日が傾いてきた。
今日もまた一日が終わる。
無為に過ごしたようで、少しさみしくなる。
そういえば、あの子が来なくなってから、なんとなく気が乗らずにずっと舞っていなかった。
それはおそらくふと飛来した自由とは何かという疑問に対して答えが出ず、もんもんとしているせいかもしれない。
能とはいわば徹底的に私を排除する芸能であるが、しかし私がいるからこそのペルソナであって、
いまの私ではなにひとつ満足に舞うことはできない。
顔が無ければペルソナをかけることもできないという単純な話だ。
「でも、動的安定か」
今日もまた一つの答えを得た。
納得や消化という概念は後程行うとして、今日の総括をしてみると、神子様の提示した概念が一番しっくりくるように思われた。
私のペルソナは静的に安定しているわけではないからだ。
すべてのペルソナはいわば『生きている』のであって、それぞれが持つデータは日々更新されている。
したがって、これらペルソナの本初であるところの私は、彼らを動的に安定させている存在であるといえる。
ペルソナは、しかし、他人なのかというとそういうわけでもないので、難しいところなのだが。
けれど、ペルソナをかけるための顔がなければ、ペルソナはペルソナ足りえないのだから、
やはり私は動的に安定させようとしている。
私が私であるためには、そうあるべきだという結論に至る。
それを、人間たちはなんと言っていただろう。
「こころちゃん」
「こいしか?」
神社の鳥居の向こう側から、そっと覗きこむようにこいしがいた。
ほんのり寂しそうな微笑を浮かべて。
いや、夕闇がそう見せているだけかもしれない。
「どうした?」
と私は訊いてみた。
「こころちゃんがしてることって無意味だよ」
「どうしてそう思う?」
「こころちゃんが求めている自由とは『私』のことでしょう?」
「そうかもしれない」
「でも、そんなものなんてどこにもないよ」
「いや、私はここにいる。私が私を思考する限り、私という存在は疑いようがないではないか」
「それは『私が考えている』って思考が存在するってだけでしょ? それは本当に『私』なの?」
「少なくとも、大部分は」
「無意識は忘れちゃってもいいの」
「無意識とはなんだ?」
「起源かな。ねえ、こころちゃん。こころちゃんの心なんて今はもうないんだよ。だって、こころちゃんは、もともとモノだったんだから」
「違う。私には意志がある。意志とは志向性だ。すなわち意志とは光だ」
「自分がモノであることを忘れて、光と同化しようとするんだね。こころちゃんもそうなんだ……」
「なにが不満なんだ?」
「私を忘れちゃうから!」
「んー。よくわからぬ!」
「私って、よくみんなに忘れられちゃうの。イマジナリーフレンド(仮)って感じで、いつもどこかに検索かけたらヒットする、いわばこれ以上ないほどにお手軽なオンナなの」
「あー、確かに」
こいしはこれ以上なくふわふわしているし、つかみどころがないから、
みんなの記憶に残らないということはあるかもしれない。
「しかし、私が自由を求めるからって、こいしのことを忘れるとは限らないじゃないか」
「そうかなぁ」
「そうだ」
「どうして?」
「え? なにがだ」
「どうして自由が欲しいのか考えたことある?」
「私には自分というものがまだ曖昧だからだろう」
「曖昧なのが悪いって思ってるんだね。でも、こころちゃんが言うようなはっきりとした自分なんてものはどこにもないんだよ。だって、こころちゃんは言葉で世界を切り開いているから。言葉とは光のことなんだろうね。ピカピカ光るレーザーメス。あんなのでモノの原理を壊さないで。私の世界を壊さないで」
「こいしの言葉は時々意味がわからなくなる。もう少しわかりやすく」
こいしはこれ以上なく論理的にこれ以上なくポエティックに主張する。
「こころちゃんがしてることは単なる隠喩連鎖を繋いでいるだけじゃないの。つまるところただの言葉遊びに過ぎないんだよ」
「言葉で遊んで何が悪い。言葉とはシンボルだ。そういうシンボルの層が超層的に重なることで意味が生まれる。シンボリックなレイヤーこそが私を構築する」
「違うと思うな。アキレスが亀に追いつけない理論って知ってる? アキレスが進んで亀さんがいた位置に来るころには、亀さんはちょっとだけ前に進んでいるから、永遠にアキレスは追いつかないって理論だけど、それと同じことをこころちゃんはやってるだけ。そういうことを無限に繰り返して、自分は何か答えを得た気分になってるだけなんだよ」
「限りなく答えに近づいていくんだろう。だったら、いつかは答えに追いつけるかもしれない。私は『私』でいられるかもしれない」
「いきつく先には『私』の亡骸があるだけ。そんな偽物で世界を埋め尽くしちゃ、本当の『私』がいなくなっちゃう」
「そうか。それが、こいしの自由なんだな」
こいしの自由とは言葉を殺すことなのだ。
そして、私の自由とは、あくまで言葉によるものだった。
私は自由を言葉で表現しようとしている。
だから、こいしは全力で私を止めようとしているのだ。
彼女の自由が侵されたがゆえに。
つまり、知らず知らずのうちに私はこいしを否定していたのだろう。
そういうつもりはないのだが、しかし、私は言葉で思考することをやめることができない。
私はもう言葉を持たないという自由は存在しないのだから。
だったら、その先にあるものをつかみとるしかない。
生まれ落ちたあとに、「やっぱやめる」といって母親の胎内に帰ることはできないのと同じだ。
「私はこころちゃんの友達でいたいのに」
「私はたくさんの人からたくさんの言葉をもらっている。それを再生産しなければ不公平というものだろう」
「やめて……」
「こいし、私が考えるに、自由とは」
「やめて!」
「自由とは愛することだと思う」
と、ふと顔をあげてみると、白いのっぺりとした顔が見えた。
それはいつかのときになくした希望のお面だった。
こいしは両の手で旧希望の面をぴったりと顔面に吸着させたまま言った。
「アー。アー。聞こえない。聞こえなーい。聞こえないからノーカンだもんね。知らない知らない。じゃあ、また遊ぼうね。ばいばーい♪」
まったく返事を聞かずに、こいしは去っていく。
確かに、私もそう思うよ。
こいしだって、いつかは生まれることをこころしているに違いない。
だったら、それが希望だ。
希望は光であり、言葉だった。
だから、私はその言葉を口にする。
「また遊ぼう、こいし……」
8
ラストソングなんてものは存在しない。
こいしの言葉ではない言葉というか、自由についての構造的な批判については、確かにと思う一面もあった。
自由を言葉にすると、それは隠喩となって、無限に連鎖してしまう。
漸近線を想像してみればわかりやすいかもしれない。
X軸にもY軸にも永遠に交わることのない線。
私が「自由」を唇に記載すると、それはその瞬間に永久に追いつけない光となる。
光を超えることはできない。私自身にとっても。
自由とは愛することであるという私の言葉は、きっとそれだけでは『私』に到達することはない。
私の言葉は『私』ではなく、いくら重ねても、それは写像だ。
主体Sを表す代理表象物、したがってこれをS2ということができるだろう。S2をいくら重ねてもSにはならない。
こいしが言うところのSはすでになく、私はその屍体の先に何かを求めなくてはならない。
私は主体の代替物を無限に積み重ねることによって、もともとの『私』というものが得られるような気がしていたが、
それは結局、亡骸に咲いた花のようなものなのだろう。
「やっほー」
「ミスティア」
空の彼方からミスティアが飛んできた。
「どうした?」
「どうしたって、別に……。ただ友達に会いに来ただけだよ」
「霊夢ならいない」
「いやあんただよ」
ミスティアは心底信じられないって顔で私を見ていた。
私?
私ってミスティアの友達だったのか。
単に博麗神社に居候している私に、たまたま目に入っただけに過ぎない私が、ミスティア・ローレライの友達にいつのまにかなっているのか。
フムン。
なんとも興味深い現象だ。
「もしかして、友達とはなんなのかとか考えてないよね」
「考えていた」
「また、難しいこと考えちゃってたかー」
「難しい? そんなことはない。こんなのはただの計算だ」
計算が速いものもいれば、遅いものもいるだろうが、いつかは誰でも辿りつく。
そんなのを難しいとはいわない。
面倒臭いとは言うかもしれない。
今日のような思考内容を、霊夢にも言ったことがあったが、面倒くさそうな表情をされただけだった。
「私の友達であるところのミスティア・ローレライは何をしにここへ来た?」
「えー。なんなのその上から目線」
「空に浮かんでいるお前のほうが上から目線」
「こりゃまた……」
ミスティアはカラカラと鳴くように笑い、地面に降り立った。
そして、手渡されたのは見慣れた形。
丸くて、ぎざぎざしてて、まるでひとつの炎のような形。
けれど、備前焼きのように白くて、まるで私のペルソナのようにつるつるしていた。
スカイギターだった。
「え?」
「え? じゃないよ。ほら、あんたが弾きたがってたスカイギターだよ。河童にコピってもらったもんだけどね」
「くれるのか?」
「そのためにきたんだよ」
「しかし、私はミスティアに特段利益を与えたわけではないのだが」
「利益のためにやるんじゃないよ。私は自由になるためにスカイギターを弾くけれど、自由を求めるやつがいて、そいつがギターを弾けないから自由になれないなんて私自身が嫌だったんだ」
「私はあなたではない」
「そんな当たり前のことを真顔で言われても困る。いるの? いらないの?」
「いる」
私はスカイギターを受け取る。
そしたら、満足したのか、ミスティアは帰っていった。
なんとはなしに、弾いてみる。
内部機構に、稲妻のような力を感じる。
アンプリファイアが、音を増幅している。
指先を弦に這わせて、少しだけゆすってみた。
ねだるように。
ゆっくりと。
キュイーン♪
意図していないのに、思わずいい音が鳴る。
驚きの中で、私はいくつかの発見をする。おそらくこの楽器はいくつもの弾き方があるだろう。
能と同じく洗練された何かを有しているだろう。
私はまだそれを知らないが、おいおいわかればいい。
スカイギターの音は好き。
それを暫定的な真実として、自由と呼称してもよいかもしれない。
そんなのまちがっている、と最初は結論づけたが、
それはミスティアの自由が私の自由ではないからであって、もともと自由とは、誰かに伝達できるものではないという前提をのみこんでしまえば、
この音を伝えることに専念するのが正しい態度だ。
モノであることを認めて、このスカイギターをかき鳴らす装置になってしまえば、『私』なんてものはそもそも要らない。
意志とは光だ。
でも、私はモノだ。
モノであるところの私が光であることを求めるなんて、そもそもが間違っていて、
だから、こいしの言葉なき言葉による反逆は論理的にはこれ以上なく正しく、私の方こそが間違っている。
でも仕方ない。
私はまだあどけない七歳くらいの女の子が、『私』を見ていてくれたことを知っているのだから。
もう、ただのモノには戻れない。
また鳴らし。
目を瞑って、
また鳴らし。
音に耳を澄ませる。
木枯らしの音が心地よいノイズとなって、私の耳に入ってくる。
眩暈。
ただの言葉遊び。
ただの音で遊んで、
私は愛することが自由だと定義した。
それはただの直線的な光であって、志向性であって、どこかの闇の彼方へと消えていくものに過ぎなかった。
遠くに見える妖怪の山の裏側に、紅く燃えるような太陽が顔を隠していく。
寂しい。
たとえようもなく寂しい。
私はここにいるのに!
私はここに存在しているのに。
私は『私』をこの世界に対して宣言する言葉を持たない!
ペルソナ13番から34番までの連続励起。
差し迫るような強い衝動。
感情の抑えがきかず、暴走しているのを私はどこか遠くで見ていた。
私は「おとしなくて良い子」なんかじゃない。
こんなにも攻撃的で、暴力的だ。
ガリガリと醜いノイズが走り、滅茶苦茶に弦をかき鳴らす。
それから、ひとしきり弾いて、燃え尽きた蝋燭のように、私はそっと手を離した。
アンプリファイアで増幅された音は私が演奏をやめたあともしばらく続いて、
ギュワンギュワンと耳障りな音を発している。
水滴がほっぺたを伝った。
よくわからない現象だった。
「やれやれ……、あんたってなんでこんな面倒くさいのかしら」
縁側で体育座りの要領でうずくまっていた私は聞きなれた声に顔をあげた。
霊夢だった。
霊夢の隣には手を引かれて、小さなあの子の姿が見えた。
なぜ?
と思った。
まるで、幻想ではないかと思った。
だって、その子は両親を失って、ここは東の果てにあり、誰もその子をここまで連れてくることはないからだ。
血縁もない霊夢にはその子をここに連れてくる義務はない。
「あんたがそうしたいって思って、この子もそうしたいって思ったからよ」
「そんなの面倒くさいって思うはず」
「面倒くさかったわよ。慧音を説き伏せて時間もらって、それからこの子の意志を確認して、あんたとまた会いたいかって」
その子はあどけない表情で私を見ていた。
まなざしが交差することになって、恥ずかしそうにその子は霊夢の後ろに隠れた。
そう、かと思った。
意志が光とするならば、先進波と遅延波が重なりあっているはずなのだ。
私が自由を言葉にするなら、
それは「愛することが自由である」では足りない。
手を打ち鳴らされ、私が求められて初めて、それはひとつの光として完成する。
愛し愛されることが自由である。
私は『私』を『あなた』に伝えたい。
それが自由だ。
超高音フレットに手を添えて、この日、私の自由が産声をあげた。
キュイーン♪♪♪♪
ペルソナの共振――レゾナンスは完璧だ。
ひとつひとつのペルソナの力は弱くとも、結集させれば、岩をも打ち砕く意志となる。
意志とは志向性だ。
いくつもの光を束ねて、ひとつの光線として収束する。
意志とは光だ。
あらゆる事象を照らしだし、明らかにするもの。
世界に対して開かれているもの。
すなわち、意志とは『私』だ。
しかし、本当にそうだろうか?
本当の『私』とはペルソナの総体のことではなく、素顔のことを言うのではないだろうか。
私は私になりたい。
何物にも侵されず、何者にも脅かされることなく、思想を志操し、思考を試行する。
例えば、それは魔理沙の持つ痛快さ。
例えば、それは聖の持つ柔らかさ。
例えば、それは神子が持つ絶対の自信。
例えば、それは霊夢が持つ…………えーっとなんだろう。
ともかく、そういう確固たる私を私は欲望している。
おそらく、私は『自由』を求めているのだ。
自由とはなんだろう。
雲のような概念だ。もくもくしてる。もくもくっていうのもよく伝えることができないが、
そんな曖昧で模糊っとした感覚が、非常に今の状態にマッチングしているように思われた。
もこもこではない。もくもくともこもこはだいぶ違う。
よくわからない。ひとことでまとめると、そのような感じ。
感じというのは、しかし、どうしようもない。
そういった『感じ』なんてものはどうにも伝達することができなくて、自分の中で消費するほかなくて、
まるで、無数の言葉がズブズブと自分の躰の中に沈んでいくようなものだ。
私はいくつものペルソナを持ち、そのペルソナの選択を私の意志で行えるが、
しかしそれを自由と称するのは誤解があるように思った。
私は自由が単純な選択肢の多さでないことを知っている。
では、なんなのか。
ペルソナ66からの連絡によれば、それはきっと『突き抜けること』だという応答があった。
ペルソナ34は『飛翔すること』だと別の表現を使った。
ペルソナ22によれば『知らねーよバーカ』だった。くすん……。
ペルソナ22はともかくとして、確かになんとなくそういう感じもする。
誰かに伝達はできなくても、少なくとも私の中では真実だ。
そういう視点で、今までの出来事を振り返ってみよう。
ひとつ例がある。
経験が少ない私でも、いや、少ないからこそ思い出せることも多いのだ。
2
空から降ってきたのは丸くて固くてギザギザしていて、それでいて恰好がよかった。
いや、本当に降ってきたわけではない。
ミスティア・ローレライが『そいつ』を振り回すように弾いていたから、
そして彼女自身が飛翔しながら、螺旋を描きながらくるくると木の葉が舞うように落下してきたから、
そういうふうに見えただけだ。
ミスティア・ローレライはそれをスカイギターと称した。
「通常よりもフレット数を増やすことによって、超高音を出すことができるギターのことを言うんだよ」
と熱く語っていた。
知らない。
知らないが、ミスティア・ローレライが興奮しているのがわかった。
だからといって、ミスティアの感情に共振することはない。
当たり前だ、私はミスティアではないし、ミスティアは私ではないのだから。
その両者には不可視の関数なんてものはなく、したがって、無関係といえた。
思うに、私には感情があるが、それが一定の閾値を超えることは無いように思う。
おそらくそれは、私の周りを囲ういくつものペルソナが常に共振しているせいだろう。
私はメインの感情を選び取ることはできるが、しかし、それが同時に他の感情を滅却するほど強く働くことは無いのだ。
これでは私には『私』というものが無いことにならないだろうか。
いや、そうは言わない。
私は現にいまも『考えている』し、『感じている』し、『こころしている』のだから。
けれど、それは自由ではない。
きっと、それはいくつかの闘いを経験して、私自身というものがよりはっきりしてきたからこそ感じてきた不満なんだろう。
私の意志選択は、私のこの躰を通じてなされている。
したがって、私は究極的にはこの躰であって、周りに漂うペルソナたちは、いわば補助脳のような立場でしかない。
私をサポートする意味を超えることはなく、したがって、私が私であるために、究極的にはこれらのペルソナはまったくの不要なものなのだ。
であれば、だ。
これらのペルソナが行う感情的な補助とは、結局のところ私の意思決定を曖昧にするという意味合いを帯びてくるのではないだろうか。
それはいわば、カーテン越しに向こう側を見るように、私は私の意思をペルソナを通じてしか表現していないということにならないだろうか。
そんなものは自由ではない。
自由とは、現在の私が考えるに、あらゆる拘束性からはずれた状態のことを指す。
それを自由の定義と措定する。
私は自由になりたい。
スカイギターの音色が聞こえる。
天空に跳躍していくようなこの音階は、どうして自由を感じさせるのだろう。
「ミスティア・ローレライ」
「ほいほい。今いいところだったんだけどな。なあに?」
「それはなんなのだ?」
「えーっと、さっき言ったとおりスカイギターだよ?」
「スカイギターとはなんだ」
「だから、通常よりもフレット数っていって、ほら、ここの弦が普通より長いでしょ」
「確かに」
「琵琶といっしょでギターも同じだからね。基本的に手前に来るほど高音がでるの」
「どうしてスカイギターと呼称する?」
「天空を飛翔するような音が出るから、かな」
「多少フレット数が増えても、出せる音が少し増えるだけだ」
「まあ確かにそうなんだけどね。要は気持ちの問題だよ」
「気持ちで自由を感じるのか?」
「そうだね。自由を感じるね。だって、こんなに澄み切った音は他には出せないよ」
キュイーンとミスティアがかき鳴らす。
「私にも自由が欲しい」
「弾きたいの?」
「うーん……」
「いいよ。別に、このギターだって外来品を改造した一品だし。最初から私のものだったわけでもないしね」
「弾かせてほしい」
「うん。でも傷つけないでね。結構気に入ってるから」
「わかった」
ミスティアからスカイギターとピックを受け取り、とりあえず想いのまま弾いてみることにする。
ペルソナ達が騒ぐのを抑えつけ、私はひとつの物のように、無心で弾いた。
べんべこべんべこ。
「たっははは。なにそれ。お琴やってるんじゃないからさー」
「初めて弾いたの」
「フムン。そうなの? そりゃ悪かったね。まあ最初はそんなもんだよ」
「練習したら、ミスティアのように上手くなる?」
「普通はなるよ。よっぽど不器用じゃない限りね」
「教えてほしい」
「いいけど、能や薙刀はいいの?」
「どうして能や薙刀が関係あるの?」
「芸能っていったら、それもギターと同じだし、べつにギターにこだわる必要ないと思うんだけど。そもそも自由を感じたいっていうんだったら、慣れたもののほうがよくないかなって」
「よくわからない。スカイギターを弾くからミスティアは自由になれるんでしょう?」
「うーん。そういうわけじゃないんだけどな。確かにスカイギターを弾くと気持ちよくて、自由を感じるけれど、それは私がそうであるってだけで、こころがそうであるとは限らない気がするんだけど」
「自由って何? ただの感覚? 快感?」
「さあ。少なくともコレを弾いてるときはそんなまだるっこしいことは考えてないからね」
そんなわけで、ミスティアから学ぶという私のもくろみは失敗に終わった。
しかし、これも仕方ないことなのだろう。
きっと、ミスティアは自由を『感じ』として知っているだけであって、そうであるならば、それは伝達が不可能なものだ。
私は私の言葉で自由を感じなければならず、それは鳥がうまい具合に風をつかむのと似ている。
もしかすると、ペルソナという補助翼が存在する私は、そのせいでうまく飛べないのかもしれない。
ドン!
後ろからの突然の衝撃。
おふっと思う間もなく、躰が前のほうに倒れこみそうになる。
こんなことをするやつはたいてい決まっている。
「こころちゃんがまた悩んでる! その憂い顔に恋しちゃった!」
やはりというかなんというか、想像どおり全力で背後からタックルをしてきたのは古明地こいしだった。
こいしは私の知らないことを知っている。
そして、風来坊で、彼女自身も根無し草というようなことを言っていた。
根無し草ということは、少なくとも場所や血縁に拘束されないということであるから、こいしも自由を求めていると思われた。
「自由?」
「そう。自由って何か知らないか」
「また面白いこと考えてるね」
「悪いか」
「悪いか悪くないかで言えば、悪くないけどね。そもそも自由という状態を考えると不自由になるよ」
「え?」
「こころちゃんにとっての暫定真実は何なのかな?」
「暫定?」
「自由とは現状、何だと考えてるの?」
「それは拘束状態が無いってことで……」
「うん。そんなことだろうと思った。でもさ、少なくともこころちゃんって自分で考えて自分で行動しているでしょう。誰かに何かを言われたりしても、もしくは誰かさんの家に監禁されちゃったりしても、そんなこころちゃんの考えというか、想いは誰にも止められないでしょ。恋心みたいに!」
「確かにそうだが……」
「その考え方を敷衍すると、そもそもこころちゃんの心は『自由』というあり方しかありえず、その意味でとても『不自由』ってことになるね」
「論理が循環している。そんな考え方、矛盾している」
「そうだよ。拘束性の有無なんてものは自由をなにひとつあらわしていない。こころちゃんはこれでまた一つ自由へと近づいたね」
「だったら、自由ってなんなの?」
「えーっと。たぶん、自由とは失踪だよ」
「は?」
「じゃあーね」
こいしは本気で私の前から失踪し、どこかへ行ってしまった。
おそらく失踪ではなくて疾走と言いたかったのだろうが、
それもまたドライブ感であって『感じ』なので、やっぱりこいしの考え方はこいしにしかわからず、私はそれを取りこめる自信がなかった。
「わからぬ。わからぬ」
こんなことでは、いずれペルソナに吸収されてしまわないだろうか。
怖かった。
いままでそんなことはなかったのに。
私は『私』でなくなるのが怖い。だから、何物にも侵されず、永久不変の『私』が欲しい。
そのため、私は拘束性の無いことを自由と措定し、不変運動を続けることで『私』が保存されることを望んだのだ。
どうしてだろう。
きっと、それはきっかけというほどのこともなかったのだろうと思う。
3
伝達が難しい概念……。
いやそもそも伝達自体がある種の断絶を生んでいると私は考える。
知覚・記憶・表現・叙述。
伝達のプロセスはこの四つの手続を段階的に踏むことによって行われる。
知覚や記憶はほとんど問題にならない。
確かに見間違いや記憶違いなんてことはあるが、最も大きくズレが生じるのは表現と叙述の領域。
どうしてだろう。
きっと、それは言葉そのものの持つ欠陥に違いない。
言葉には多義性があり、反対称性によって、同一の言語が反対の意味を指し示すことがある。
これはシニフィエとシニフィアンの恣意的な結びつきのことを言っているのではなく、
たとえば、ある文脈では『殺すな』が他の文脈では『殺せ』を意味するようになるということを、私は主張している。
言葉なんて曖昧なもので、どうして人間はよくもまあ情報伝達動作を行うものだと思う。
その点をいえば、私のペルソナ間におけるレゾナンスは、完全ともいえる情報伝達をなしうる。
私はある感情を違う感情に取り違えたりしない。
哀しいは哀しいであり、嬉しいは嬉しいだ。
そういったデジタルで構成された感情を束ねることで私というものが構成されているとすれば、
どんなにか楽だったかと思う。
問題は、それらペルソナがおこなう感情の方向性は、私自身を通じてなされてはいるものの、私を離れると好き勝手な解釈を始めるということである。
どういえばいいか。
私が、すなわちここにいるコギトこそが私の意思決定の第一因である。
問題はそのあと、私は私の中に発生した感情に名前をつける。『哀しい』であれば、『哀しい』を担当するペルソナに割り当てる。
そうすると、66ある私のペルソナの中から、『哀しい』が主導権限を持ち、ペルソナ全体の感情を統制する。
私はペルソナの影響を受けて、より『哀しい』という感情を加速させる。
つまり、私とペルソナは一種のフィードバックループを形成し、私の感情はその無限ループの中で加速される粒子のようなものだ。
私はペルソナを確かに支配し所有しているのだが、ペルソナのほうは私のほうこそ支配し所有していると考えているのかもしれない。
私の感情や言葉や意志はいったい誰のものなのだろう。
話がずれたが、要するに私が言葉で語る以上、それは言葉の隙間において欠落する部分があることを認めなければならないということであり、
そしてそれを補うには想像力が必要ということである。
言葉と言葉を文脈という糊で固めるには想像力が必要だ。あるいは、創造力が。
物語を繋ぐ糸のような創造性こそが、言葉を単なる音素から解放する。
きっと、こんな始まりをすればいいのだろう。
女の子が私の舞を見ていた。
その子は七歳くらいで、よく母親に手をひかれて来ていた。
私の舞は、自分で言うのもなんだがそれなりに人気があり、それでも彼女のように幼い子どもは珍しかったから、なんとなく気になっていた。
キラキラと目を輝かせて、私の舞が終わったあとには手が紅くなるほど拍手をしてくれて、どうしてなのかわからなかったが、最後には満面な笑みを浮かべた。
私は全ペルソナを総動員して、彼女の笑みに応答しようと試みた。
つまりは、笑顔になろうと努力した。
きっと無様な笑顔であっただろうが、彼女は呆れもせず何度も私の舞に見に来ていたのだ。
私は自分の舞を一種の自己表現として捉えていた。
感情を表情にあらわすのが絶望的なまでに壊滅的な私である。
そんな中で、自我に目覚めつつあった私が、自分の今までの在り方とこれからの在り方をすりあわせるのに、演舞をおこなうというのは必然といえた。
もちろん、そこで少なからずお金を得て、生活の足しにするという面もあったのだが、もともと付喪神も妖怪の一種で、精神的な充足の方が重要である。
ごはんを食べないとお腹は膨れないが、なぜだか存在意義が回復されることで、ほとんど物理的な意味でも充足する。
それで、私にとっては舞うという動作をおこなうことが、存在の大きな部分を占めるようになっていた。
人間の尊いところはそういった存在意義という物理的な作用力が働かないところで、演舞なり、芸術なりを行えるところだろう。
妖怪のそれは生きるために行うのに対して、人間のそれは余剰行為として行っている。
だから、それはきっと聖なる行為だ。
私は七歳の女の子に見られることで、私がやっていることが人間の真似事であり、
つまりは本来的には聖なる行為であることに思い至り、だったら少しでもそうあるべきだと思った。
具体的には何のことはなく、今まで以上に綺麗に美しく舞おうと思ったのだ。
ところがある日からぱったりその子は来なくなった。
なんとはなしに日頃から見かけるお客のひとりに、そのことを尋ねてみると、理由はすぐに明らかになった。
その子の母親がなぜこんな東の果てにある博麗神社に来ていたかというと、父親の快癒を願ってのことだったらしい。
お百度参り。
一言一句違えることなく、神頼みというやつだ。
父親が病気になった理由は私にはわかりようがないが、
その子の家は貧しくてとてもじゃないが永遠亭の薬師のお世話になることはできなかったし、
そうであるならば神様に頼みこむしかなかったということだろう。
私の演舞はたまたまそこでやっていたから、親子の目に留まることになったに違いない。
誤解しないでほしいが、私はべつにその女の子が来なくなったから哀しいとか、
あるいは、偶然の結果として私の舞を見ていたに過ぎないことが苛立たしいとか、
そういうことを言いたいのではない。
私は……、なんというか……そう、寂しかった。
寂しい、でいいのかわからない。
夕闇に山肌が溶けていくのを眺めるような、胸の奥がきゅっとするような、そんな気持ちだ。
きっと、それはその子が私に精いっぱいの拍手を送ってくれなくなったのが寂しいのではなくて、
よく、わからない。
もみじのような小さな手が、
かわいらしく打ち鳴らされるのを見て、
きっと、それで、
私は伝達されて、
だから、私は私になれていた。
きっともう少しうまく伝えられたんじゃないかと思う。
伝えきれたから、といってその子が救われるわけではないけれども。
その子の人生という名の物語のおいては、私の演舞はせいぜい添え物であって、
たった一瞬の余剰にすぎない。
人間にとって、私が……、道具を出自とする私が、なにほどのものであったかなんてわかるはずもない。
ちょっとだけ楽しいだけの、そんなものだったのかもしれないし、
父親が憔悴し、母親も疲れ切っている中で、そんなつらい現実から逃避するための道具に過ぎなかったのかもしれない。
もしも、私がそのことを知っていたら……。
知っていたらどうしたというのか。
そんな仮定は無意味だ。
すでに過去は決定されている。
後で聞いたことだが、その子の母親はその子を残して自殺したらしい。
その子はもうずっと、ここには来ていない。
4
「こころさん」
「あ、聖」
「どうですか。神社暮らしは」
「ん。快適だけど?」
「そうですか。もしも不自由だと感じたら、いつでもお寺にいらしてくださいね。みんなあなたが来ることを心待ちにしているのですから」
不自由なんて、いつでも感じている。
それは心の問題であって、場所の問題ではない。
聖の言うことは不合理だと思った。
「私はいつだって不自由だ」
「ど、どうしたんです。こころさん。何かあったんですか。そんな泣き顔一歩手前もかわいらしくて、南無三したくなっちゃいますよ!」
「聖にとっての自由とは、みんなといることなの?」
「んん。そういうふうに上目使いで来るとは、この子には魔性が宿っていますね……」
なぜか頭を撫でられた。
その感覚自体はなんだかポワポワして嫌いではなかった。
「自由ですか?」
「そう。自由ってなんだろうって」
「自由とは孤独ではないことです」
さすがに聖はたくさんのことを知っている。
即答だった。
「じゃあ、孤独って何?」
「私は千年もの間、魔界の奥底に封じられてきました。そこでは私は私を慕ってくれるみんなとも会えず、ただただ時間ばかりが過ぎていきました」
「ひとりでいることが孤独ってこと?」
「そうではありません。封印される前、私を慕ってくれる者たちは妖怪だけではありませんでした」
「人間?」
「そうです。そして今よりもずっと多くの人間が傍にありました。私は、けれど、どこか孤独を感じていました」
「嘘をついてたから?」
聖は封印される前、妖怪と仲良くしていることを人間たちには黙っていたらしい。
それをどう解釈するかはともかく、自分を偽っていたことは確かだ。
「そうですね。人を騙していたのは確かです。しかし、対象がいるかどうかはあまり関係がないのかもしれません」
「他人は関係ないってこと?」
「そうです。孤独とは己の言葉が誰にも伝わらないという確信から生まれるのです」
「では自由とは?」
「己の言葉が必ず相手に伝わると信じることを言います」
「でも、また裏切られるかもしれない」
人の感情はスペクトラムを形成する。
光に対するプリズムのようなものだ。
確率的に必ず裏切る。
裏切らないということを、知らないわけではない聖が、光のある特定波長について見ないふりをしていると思った。
「それでも良いのです。私は信じています」
信じることは嘘をつくことであると聖は主張しているのである。
5
神社の境内で竹ぼうきを使ってスカイギターの真似事をしていると、
「なんだそれ、エアギターか?」
霧雨魔理沙があらわれた。
まるでモンスターのような物言いになってしまったが、まさしく彼女はモンスターであると思う。
迷惑そうにしているにもかかわらず、他人の領域にすんなりと侵入し、ありとあらゆるものを盗んでしまう。
それでいて、いつのまにか仲良くなっているのだから、わけがわからない。
とりあえず、儀礼的に私は魔理沙にも同じ質問をしてみた。
「自由って何」と。
「藪からスティックだなおい。でもまあ簡単なことだ」
「教えてほしい」
「自由とは、私らしくあることだぜ」
「フムン。私らしくの、らしくとはではいったいなんだ?」
「やりたいようにやっちゃうことだぜ」
ひとつの迷いもないほどに輝く笑顔だった。
なんだかちょっとだけ嘘くさいが、しかしおそらく彼女は九割程度は本当にそう思っているのだろう。
「けれど、魔理沙の考え方は結局のところ自分の欲望に忠実というだけで、それは欲望の奴隷になっているだけといえなくもない」
「ふーむ。どうもあいつが創ったせいか。欲に対しては敏感なんだなおまえ」
「でもそうだろう?」
「違うな。私が主張しているのは、自由というのは自分から生じるってことだ。欲望なんか振り切る程度の力への意志があれば、それはまさしく自由といえるんだぜ」
魔理沙が主張している自由は、ただの力任せの論理だった。
光のパワーをあげて、なにもかもを自分の色で染めるということに過ぎない。
もう少しスマートに考えられないのだろうか。
魔理沙は霊夢が外に行ってるとわかると、「じゃあアリスん家でも行くか」と言って去っていった。
自由奔放な奴だとは思う。
それからしばらくすると、今度は神子様がひょっこり出現した。
ワームホールのような穴が地面に突如出現し、そこから顔を出したのである。
驚くことではない。
なにしろ私を創ったお方なのだから。
私はすごいので、神子さまは超すごいに違いない。
でも、宗教家というのはどうにもうさんくさい。
「フフフ。こころ、元気にしてたかい」
「いつも元気」
「なんて愛らしいんだ。ちくしょうめッ」
ほっぺたあたりをうりうりされた。
その動作に何の意味があるのかいまいち理解しがたいが、とりあえず攻撃的な態度ではないので、されるがままにしている。
しばらくすると落ち着いたのか、神子さまは縁側に座った。
私の隣である。わりと近い。
「自由って何?」
私はもうほとんど義務と化した、ひとつの疑問をぶつけてみた。
思うのだが、この質問はほとんど私が『私』でいるためにはどうすればいいのかという質問と同義だ。
「ちなみにあの仏教徒はなんと言ってましたか?」
「聖は孤独ではないことって言ってた」
「仏教徒らしい答えだ。仏教とはそもそも宇宙との同一化を目指す宗教だからな……」
「神子さまは違うの?」
「違う。宇宙との同一化なんて目指したら、それは単に自分というものを自然の中に埋没させるだけだ。そんなものが自由なわけがない」
「欲望のままに生きるのが自由?」
「ん? 白黒の魔法使いあたりが言いそうな言葉だな」
「魔理沙に聞いた」
「それも違うよ。魔理沙の考えは自分というものを推し進めるだけであって、それはやはり自分というものに囚われすぎている」
「答え答え」
「おおぅ……」
腕にすがって、答えをねだったら、なぜか神子様は顔を赤くしていた。
なんとなく嬉しそう?
よくわからない。
「ごほん。ええとな。こころ、そういうことは他の人にはしてはいけないぞ?」
「ん。どうして?」
「それはな。こころが魅力的すぎるからだよ」
「ちょっとだけよ?」
「どこでそんな言葉を覚えた」
「神子様、はやく答えー」
「わかったわかった。私が考えるに、自由とは選びとることだ」
「選ぶって、自分勝手に?」
だったら、それは魔理沙が言ってることと変わらない。
「そうではない。世界はお前が欲すべきところをお前に求めるだろう。お前もまた世界が欲すべきところを己が欲するように感じるだろう」
「んー。難しい」
「ええとな。つまり簡単なことなんだ。世界とお前の躰。この二者間において、位相のズレがあるだろう。そのズレを補正しようと絶えず動くこと。この動的安定こそを自由と称するものの正体だ」
「でもそれって、結局、世界との合一化と何が違うの?」
「仏教なんて、ありゃ屍体をミイラ化してキレイキレイ言ってるだけだ」
「でも道教だって、お皿とか壺を屍体だって言い張ることでキレイキレイ言ってるだけのように思えるけど」
「うぐぐ。なかなか痛いところをつく悪い子だ」
「でも、動的安定という言葉は惹かれる気がする」
「そうか。さすが私のこころだ」
「私は物じゃない」
いや、物なのか?
ともあれ、仏教と道教はほとんど同じように見えて、なんとなく違うところがあることもわかった。
光の波長をフラットにすることで世界と重ね合わせるのが仏教だけど、光の波長で世界の波長を打ち消そうとするのが道教なのかもしれない。
やっぱり結論としては世界の中心で私を叫ぶようで、なんとなく微妙な感じがする。
私は世界なんてどうでもよかった。
この世界にちっぽけな『私』が存在するということを宣言したいだけだった。
世界の片隅で『私』を叫べれば、それでいい。
7
日が傾いてきた。
今日もまた一日が終わる。
無為に過ごしたようで、少しさみしくなる。
そういえば、あの子が来なくなってから、なんとなく気が乗らずにずっと舞っていなかった。
それはおそらくふと飛来した自由とは何かという疑問に対して答えが出ず、もんもんとしているせいかもしれない。
能とはいわば徹底的に私を排除する芸能であるが、しかし私がいるからこそのペルソナであって、
いまの私ではなにひとつ満足に舞うことはできない。
顔が無ければペルソナをかけることもできないという単純な話だ。
「でも、動的安定か」
今日もまた一つの答えを得た。
納得や消化という概念は後程行うとして、今日の総括をしてみると、神子様の提示した概念が一番しっくりくるように思われた。
私のペルソナは静的に安定しているわけではないからだ。
すべてのペルソナはいわば『生きている』のであって、それぞれが持つデータは日々更新されている。
したがって、これらペルソナの本初であるところの私は、彼らを動的に安定させている存在であるといえる。
ペルソナは、しかし、他人なのかというとそういうわけでもないので、難しいところなのだが。
けれど、ペルソナをかけるための顔がなければ、ペルソナはペルソナ足りえないのだから、
やはり私は動的に安定させようとしている。
私が私であるためには、そうあるべきだという結論に至る。
それを、人間たちはなんと言っていただろう。
「こころちゃん」
「こいしか?」
神社の鳥居の向こう側から、そっと覗きこむようにこいしがいた。
ほんのり寂しそうな微笑を浮かべて。
いや、夕闇がそう見せているだけかもしれない。
「どうした?」
と私は訊いてみた。
「こころちゃんがしてることって無意味だよ」
「どうしてそう思う?」
「こころちゃんが求めている自由とは『私』のことでしょう?」
「そうかもしれない」
「でも、そんなものなんてどこにもないよ」
「いや、私はここにいる。私が私を思考する限り、私という存在は疑いようがないではないか」
「それは『私が考えている』って思考が存在するってだけでしょ? それは本当に『私』なの?」
「少なくとも、大部分は」
「無意識は忘れちゃってもいいの」
「無意識とはなんだ?」
「起源かな。ねえ、こころちゃん。こころちゃんの心なんて今はもうないんだよ。だって、こころちゃんは、もともとモノだったんだから」
「違う。私には意志がある。意志とは志向性だ。すなわち意志とは光だ」
「自分がモノであることを忘れて、光と同化しようとするんだね。こころちゃんもそうなんだ……」
「なにが不満なんだ?」
「私を忘れちゃうから!」
「んー。よくわからぬ!」
「私って、よくみんなに忘れられちゃうの。イマジナリーフレンド(仮)って感じで、いつもどこかに検索かけたらヒットする、いわばこれ以上ないほどにお手軽なオンナなの」
「あー、確かに」
こいしはこれ以上なくふわふわしているし、つかみどころがないから、
みんなの記憶に残らないということはあるかもしれない。
「しかし、私が自由を求めるからって、こいしのことを忘れるとは限らないじゃないか」
「そうかなぁ」
「そうだ」
「どうして?」
「え? なにがだ」
「どうして自由が欲しいのか考えたことある?」
「私には自分というものがまだ曖昧だからだろう」
「曖昧なのが悪いって思ってるんだね。でも、こころちゃんが言うようなはっきりとした自分なんてものはどこにもないんだよ。だって、こころちゃんは言葉で世界を切り開いているから。言葉とは光のことなんだろうね。ピカピカ光るレーザーメス。あんなのでモノの原理を壊さないで。私の世界を壊さないで」
「こいしの言葉は時々意味がわからなくなる。もう少しわかりやすく」
こいしはこれ以上なく論理的にこれ以上なくポエティックに主張する。
「こころちゃんがしてることは単なる隠喩連鎖を繋いでいるだけじゃないの。つまるところただの言葉遊びに過ぎないんだよ」
「言葉で遊んで何が悪い。言葉とはシンボルだ。そういうシンボルの層が超層的に重なることで意味が生まれる。シンボリックなレイヤーこそが私を構築する」
「違うと思うな。アキレスが亀に追いつけない理論って知ってる? アキレスが進んで亀さんがいた位置に来るころには、亀さんはちょっとだけ前に進んでいるから、永遠にアキレスは追いつかないって理論だけど、それと同じことをこころちゃんはやってるだけ。そういうことを無限に繰り返して、自分は何か答えを得た気分になってるだけなんだよ」
「限りなく答えに近づいていくんだろう。だったら、いつかは答えに追いつけるかもしれない。私は『私』でいられるかもしれない」
「いきつく先には『私』の亡骸があるだけ。そんな偽物で世界を埋め尽くしちゃ、本当の『私』がいなくなっちゃう」
「そうか。それが、こいしの自由なんだな」
こいしの自由とは言葉を殺すことなのだ。
そして、私の自由とは、あくまで言葉によるものだった。
私は自由を言葉で表現しようとしている。
だから、こいしは全力で私を止めようとしているのだ。
彼女の自由が侵されたがゆえに。
つまり、知らず知らずのうちに私はこいしを否定していたのだろう。
そういうつもりはないのだが、しかし、私は言葉で思考することをやめることができない。
私はもう言葉を持たないという自由は存在しないのだから。
だったら、その先にあるものをつかみとるしかない。
生まれ落ちたあとに、「やっぱやめる」といって母親の胎内に帰ることはできないのと同じだ。
「私はこころちゃんの友達でいたいのに」
「私はたくさんの人からたくさんの言葉をもらっている。それを再生産しなければ不公平というものだろう」
「やめて……」
「こいし、私が考えるに、自由とは」
「やめて!」
「自由とは愛することだと思う」
と、ふと顔をあげてみると、白いのっぺりとした顔が見えた。
それはいつかのときになくした希望のお面だった。
こいしは両の手で旧希望の面をぴったりと顔面に吸着させたまま言った。
「アー。アー。聞こえない。聞こえなーい。聞こえないからノーカンだもんね。知らない知らない。じゃあ、また遊ぼうね。ばいばーい♪」
まったく返事を聞かずに、こいしは去っていく。
確かに、私もそう思うよ。
こいしだって、いつかは生まれることをこころしているに違いない。
だったら、それが希望だ。
希望は光であり、言葉だった。
だから、私はその言葉を口にする。
「また遊ぼう、こいし……」
8
ラストソングなんてものは存在しない。
こいしの言葉ではない言葉というか、自由についての構造的な批判については、確かにと思う一面もあった。
自由を言葉にすると、それは隠喩となって、無限に連鎖してしまう。
漸近線を想像してみればわかりやすいかもしれない。
X軸にもY軸にも永遠に交わることのない線。
私が「自由」を唇に記載すると、それはその瞬間に永久に追いつけない光となる。
光を超えることはできない。私自身にとっても。
自由とは愛することであるという私の言葉は、きっとそれだけでは『私』に到達することはない。
私の言葉は『私』ではなく、いくら重ねても、それは写像だ。
主体Sを表す代理表象物、したがってこれをS2ということができるだろう。S2をいくら重ねてもSにはならない。
こいしが言うところのSはすでになく、私はその屍体の先に何かを求めなくてはならない。
私は主体の代替物を無限に積み重ねることによって、もともとの『私』というものが得られるような気がしていたが、
それは結局、亡骸に咲いた花のようなものなのだろう。
「やっほー」
「ミスティア」
空の彼方からミスティアが飛んできた。
「どうした?」
「どうしたって、別に……。ただ友達に会いに来ただけだよ」
「霊夢ならいない」
「いやあんただよ」
ミスティアは心底信じられないって顔で私を見ていた。
私?
私ってミスティアの友達だったのか。
単に博麗神社に居候している私に、たまたま目に入っただけに過ぎない私が、ミスティア・ローレライの友達にいつのまにかなっているのか。
フムン。
なんとも興味深い現象だ。
「もしかして、友達とはなんなのかとか考えてないよね」
「考えていた」
「また、難しいこと考えちゃってたかー」
「難しい? そんなことはない。こんなのはただの計算だ」
計算が速いものもいれば、遅いものもいるだろうが、いつかは誰でも辿りつく。
そんなのを難しいとはいわない。
面倒臭いとは言うかもしれない。
今日のような思考内容を、霊夢にも言ったことがあったが、面倒くさそうな表情をされただけだった。
「私の友達であるところのミスティア・ローレライは何をしにここへ来た?」
「えー。なんなのその上から目線」
「空に浮かんでいるお前のほうが上から目線」
「こりゃまた……」
ミスティアはカラカラと鳴くように笑い、地面に降り立った。
そして、手渡されたのは見慣れた形。
丸くて、ぎざぎざしてて、まるでひとつの炎のような形。
けれど、備前焼きのように白くて、まるで私のペルソナのようにつるつるしていた。
スカイギターだった。
「え?」
「え? じゃないよ。ほら、あんたが弾きたがってたスカイギターだよ。河童にコピってもらったもんだけどね」
「くれるのか?」
「そのためにきたんだよ」
「しかし、私はミスティアに特段利益を与えたわけではないのだが」
「利益のためにやるんじゃないよ。私は自由になるためにスカイギターを弾くけれど、自由を求めるやつがいて、そいつがギターを弾けないから自由になれないなんて私自身が嫌だったんだ」
「私はあなたではない」
「そんな当たり前のことを真顔で言われても困る。いるの? いらないの?」
「いる」
私はスカイギターを受け取る。
そしたら、満足したのか、ミスティアは帰っていった。
なんとはなしに、弾いてみる。
内部機構に、稲妻のような力を感じる。
アンプリファイアが、音を増幅している。
指先を弦に這わせて、少しだけゆすってみた。
ねだるように。
ゆっくりと。
キュイーン♪
意図していないのに、思わずいい音が鳴る。
驚きの中で、私はいくつかの発見をする。おそらくこの楽器はいくつもの弾き方があるだろう。
能と同じく洗練された何かを有しているだろう。
私はまだそれを知らないが、おいおいわかればいい。
スカイギターの音は好き。
それを暫定的な真実として、自由と呼称してもよいかもしれない。
そんなのまちがっている、と最初は結論づけたが、
それはミスティアの自由が私の自由ではないからであって、もともと自由とは、誰かに伝達できるものではないという前提をのみこんでしまえば、
この音を伝えることに専念するのが正しい態度だ。
モノであることを認めて、このスカイギターをかき鳴らす装置になってしまえば、『私』なんてものはそもそも要らない。
意志とは光だ。
でも、私はモノだ。
モノであるところの私が光であることを求めるなんて、そもそもが間違っていて、
だから、こいしの言葉なき言葉による反逆は論理的にはこれ以上なく正しく、私の方こそが間違っている。
でも仕方ない。
私はまだあどけない七歳くらいの女の子が、『私』を見ていてくれたことを知っているのだから。
もう、ただのモノには戻れない。
また鳴らし。
目を瞑って、
また鳴らし。
音に耳を澄ませる。
木枯らしの音が心地よいノイズとなって、私の耳に入ってくる。
眩暈。
ただの言葉遊び。
ただの音で遊んで、
私は愛することが自由だと定義した。
それはただの直線的な光であって、志向性であって、どこかの闇の彼方へと消えていくものに過ぎなかった。
遠くに見える妖怪の山の裏側に、紅く燃えるような太陽が顔を隠していく。
寂しい。
たとえようもなく寂しい。
私はここにいるのに!
私はここに存在しているのに。
私は『私』をこの世界に対して宣言する言葉を持たない!
ペルソナ13番から34番までの連続励起。
差し迫るような強い衝動。
感情の抑えがきかず、暴走しているのを私はどこか遠くで見ていた。
私は「おとしなくて良い子」なんかじゃない。
こんなにも攻撃的で、暴力的だ。
ガリガリと醜いノイズが走り、滅茶苦茶に弦をかき鳴らす。
それから、ひとしきり弾いて、燃え尽きた蝋燭のように、私はそっと手を離した。
アンプリファイアで増幅された音は私が演奏をやめたあともしばらく続いて、
ギュワンギュワンと耳障りな音を発している。
水滴がほっぺたを伝った。
よくわからない現象だった。
「やれやれ……、あんたってなんでこんな面倒くさいのかしら」
縁側で体育座りの要領でうずくまっていた私は聞きなれた声に顔をあげた。
霊夢だった。
霊夢の隣には手を引かれて、小さなあの子の姿が見えた。
なぜ?
と思った。
まるで、幻想ではないかと思った。
だって、その子は両親を失って、ここは東の果てにあり、誰もその子をここまで連れてくることはないからだ。
血縁もない霊夢にはその子をここに連れてくる義務はない。
「あんたがそうしたいって思って、この子もそうしたいって思ったからよ」
「そんなの面倒くさいって思うはず」
「面倒くさかったわよ。慧音を説き伏せて時間もらって、それからこの子の意志を確認して、あんたとまた会いたいかって」
その子はあどけない表情で私を見ていた。
まなざしが交差することになって、恥ずかしそうにその子は霊夢の後ろに隠れた。
そう、かと思った。
意志が光とするならば、先進波と遅延波が重なりあっているはずなのだ。
私が自由を言葉にするなら、
それは「愛することが自由である」では足りない。
手を打ち鳴らされ、私が求められて初めて、それはひとつの光として完成する。
愛し愛されることが自由である。
私は『私』を『あなた』に伝えたい。
それが自由だ。
超高音フレットに手を添えて、この日、私の自由が産声をあげた。
キュイーン♪♪♪♪
こんなポエム大好きです
確かに心とはこいしちゃんのいうとおり無意識だと思いますし、
こころのいうように愛だと思います
まあ意志も無意識も愛も全て心なんでしょう