「にとりーっ! 私だーっ! 養ってくれーっ!」
河城邸に乗り込むや否や、犬走椛は冷たい床に両膝をつき、訳の分からぬことを喚き散らした。
作業台に向かっていた河城にとりは、手元と椛とを二、三度見比べた後、彼女に向かってスパナを投げつけた。
「あっぶな……! いきなり何をする! 気でも狂ったか!?」
「その台詞、そっくりそのままオマエに返すよ」
にとりは興味無さ気に言い放つと、そのまま元の作業に戻ってしまった。
完全に出鼻を挫かれてしまった椛であったが、彼女にも退けぬ事情というものがある。
四つん這いでにとりに縋りつきながら、猫撫で声で何やら懇願し始める椛。犬なのに猫撫で声とはこれ如何に。
「なーあ、頼むよにとりぃ。私とお前の仲じゃないかぁ」
「私の知ってる犬走椛は、もっと真面目で気高い白狼天狗だったよ。オマエなんざ知らん」
「あっ、私もう天狗じゃないから。今朝キッパリと辞めてきたから」
「……ハァ!?」
何を言っているのか解らない、といった表情のにとりを見て、椛が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
しばしの間、にとりは脳内の情報整理に没頭した。しかし、幾ら考えようと結論が出る筈もなく、ただ深いため息をつくばかり。
「あー……オマエさあ、辞めたってアレだろ? 哨戒天狗を辞めたってコトだよな?」
「うんにゃ、天狗を辞めてきた。ご覧の通り刀と盾と、ついでに帽子も返してきたよ。装束は……まぁ、退職金代わりってことで」
「そういう事を聞いてるんじゃねえよ! 天狗ってオマエ、種族だぞ種族! そんな簡単に辞められるモンじゃないだろ!」
「いや、存外アッサリ辞められたぞ? 装備一式を返上した時だって、大天狗様からは何のお咎めも無かったし」
「マジかよ……どうなってんだ天狗社会」
「まあ、終始無言で口が半開きだったけどね」
「そりゃビックリしてただけだろ! ……いや、呆れてただけか? あーもう、両方だ両方!」
協調性が高く、任務に忠実な哨戒天狗として知られていた椛。
彼女の唐突すぎる乱心が、にとりや大天狗を含む周囲の者に与えた影響は、決して無視できるレベルのものではない。
ひょっとしたら、自分はのっぴきならぬ状況に追い込まれたのではないか――にとりの胃がキリリと痛む。
「……椛チャンさあ、マジで考え直した方がいいよ? 今ならその……大天狗さん、だっけ? 謝れば許してくれると思うし」
「いや、もう決めたんだ。私はにとりの情夫になるんだって」
「ふざけんなこのバカ! 私を巻き込むなって言ってるんだよ!」
「なんなら情婦でもいいんだが?」
「いいんだが? じゃねえよ! 何なんだそのドヤ顔は! オマエ自分の立場解ってんのか!?」
「ああ。炊事、洗濯なんでもござれ。だが夜のお相手は……まぁ、善処してみる」
「せんでいい! つーか、そういう話をしてるんじゃねえよ!」
「実はその……経験が無いんだ。だから優しくして貰えると……嬉しい」
「聞いてねえよ! 聞きたくもねえし!」
頬を染め、俯き加減に呟く椛。
もう少し異なったシチュエーションの下でなら、にとりも或いはトキメキを覚えたかもしれない。
だが、流石に状況が悪過ぎる。今の椛は脱走者同然の立場にあって、彼女を匿えばにとりも同罪とみなされてしまう恐れがあるのだ。
「頼むよにとり。私を女にしてくれ」
「うるせえ馬鹿。もしも追っ手の天狗がここに来たら、私は何の躊躇いも無くオマエを差し出すからな? そこんトコ分かっとけよ?」
「私みたいな一山いくらの下っ端如きに、追っ手なんか差し向けたりしないって。天狗はそんなに暇じゃあない」
「いや、オマエら暇を持て余し気味だろ。それと自分を卑下するのはやめなよ。みんなオマエの事を大切な仲間だと思ってるって。真面目だし、千里眼の冴えだって……」
「……もう、無いんだ」
「えっ?」
椛は俯いたまま、消え入りそうな声で答えた。
不審に思ったにとりは、思わず彼女の顔を覗き込む。
千里先まで見通すといわれる彼女の瞳は、心なしか輝きを失っているように思われた。
「眼がさぁ、もう……駄目みたいなんだ。本当に近くのモノしか見えなくなっちゃってね。正直な話、ここまで来るのも一苦労だったよ」
「いや、ちょっと待てオマエ……エエ~ッ!?」
「医者に診て貰ったけど、原因が特定出来ないってさ。このまま失明しちゃうのかな、私……」
「重ーい! いきなり話が重くなりすぎだろ! どうしてくれるよこの落差! フォールオブフォールってこのコトか!?」
「ははは……にとりは面白いなあ」
「やめろ! 乾いた笑いやめろ! あーもう何なんだよ私の人生にどんだけ負荷を掛ける気だオマエはっ!?」
「ごめんよにとり……本当にごめん」
「謝るなっ!」
にとりは帽子を脱ぎ捨てて、頭を掻き毟りながら室内をウロウロし始めた。
畳み掛けるかのように訪れた問題の数々に対し、彼女は頭脳をフル回転させて解決の糸口を探り当てんとする。
……水平思考に頼るまでもなく、解法はアッサリと導き出された。
「直す……」
「へっ?」
「オマエの、眼を、私が直す。そうすればオマエは哨戒天狗に復帰できる。それで全ては解決だ」
「ちょっと待てにとり、直すじゃなくて治すの間違いじゃないか? あとその工具は何だ。私の眼をどうするつもりだ?」
ニッパー、マイナスドライバー、ウォーターポンププライヤーなどの工具を抱えたにとりが、怯える椛の許へと迫る。
冗談の類に思われるかもしれないが、にとりは至って真剣だ。
「ホラ、顔上げな。とりあえず右からいっとくか。私から見て右ね」
「いや、マジで待てって。お前まさか……」
「ああ、目玉刳り貫いて修理するんだよ。そのままじゃ手の施しようが無いだろ?」
「修理って言った!? いま修理って言ったろお前! 冗談じゃない、そんな荒療治ゴメン被るッ!」
「……まあ、そうだよね。目ン玉抉り出すなんて残酷なコト、私だってやりたくないもんね。驚かせちゃってゴメンな、椛」
脇を締め、両拳を顎に当てて首を振り、必死にイヤイヤのポーズをする椛。
そんな彼女を見て情が移ったのか、にとりはアッサリと工具を投げ捨てた。ひとまず惨劇は回避されたといえよう。
……否! お次に彼女が取り出したモノは、全長1メートル程もある携行型の工業用ドリル。にとりはそいつを二、三度回転させた後、口元を妖しく歪めた。
「しっかしオマエさんもチャレンジャーだねえ。目玉を取り出せない以上、後ろに穴開けるしかないってのに」
「うっ、うわああああああああぁッ!? やめろよこの馬鹿! そっちの方がよっぽど残酷じゃないかッ!」
「少しくらい我慢しろよ。私だって我慢してヤるんから」
「そんな我慢はしなくていい! とっとと仕舞えそんなモン! っていうか仕舞ってくださいお願いしますぅ!?」
耳を劈くようなドリルの回転音。椛は負けじと声を張り上げつつ、一世一代の土下座を敢行する。
しばしの間、彼女の後頭部にドリルの狙いを定めていたにとりであったが、やがてドリルの回転を止め、悲しそうな声で椛に語りかけた。
「椛……私は真剣にオマエの事を案じているんだよ?」
「うん、そうだよね! お前目がマジだもんね! だからやめてね? ねっ? ねッッッ!?」
「参ったねぇ……施工が出来ないとなると、もう私の発明品に頼るしかないじゃないか」
「最初からそうしろよ! つうか施工って何!? せめて治療と言って欲しかったよそこは!」
ギャーギャー喚く椛に背を向け、丁寧にドリルを仕舞い込むにとり。
やがて彼女は、部屋の隅に堆積したガラクタの山から、なにやらヘッドギアじみた物を取り出して、椛の前にぶら下げた。
「それは?」
「にとりチャンの大発明、その名もレーザースコープ! かつて宗教家共を恐怖のどん底に陥れた、あのスーパースコープ3Dの試作品さっ!」
「スーパースコープって、あの望遠鏡みたいな兵器のコトか? 試作品という割には似ても似つかないな」
「本当はコイツを実用化して、馬鹿共を消し炭にしたかったんだがね。如何せん出力不足で……」
「ちょっと待て。ビームか? ビーム出るのかそれ?」
「いや、Laserだよ」
「巻き舌やめろ! 腹立つ!」
にとりはレーザースコープを作業台に置くや否や、眼にも留まらぬ速さで分解し始めた。
彼女に肩を寄せ、手際のよさに感心しつつ作業を眺めていた椛であったが、やがて落ち着きを取り戻したのか、済まなそうな声で呟いた。
「頑張ってくれるのは嬉しいけど、そんなもの着けたって私の眼は……」
「なーに、チョイと弄れば眼鏡の代わりにゃあなるだろう。遠くの敵は勿論のこと、近くの物陰に潜む敵だって見えるようになるさ」
「……どういう原理なんだ? それは」
「簡潔に述べるなら、『Laserは正義』ってトコロかな」
「全然解らん……」
無駄話をしている間にも、にとりは着々とレーザースコープを組み上げていく。
それと平行して、椛の頭の採寸や、不足した部品を補うためのジャンクパーツ漁りも行う。
当初の目的など、もはや忘却の彼方。今のにとりを突き動かすもの、それはギークとしての本能のみであった。
「よっしゃあ! 出来たッ、出来たぞ椛ッ!」
レーザースコープ(仮)……完成!
にとりが狂喜しながら頭上に掲げた“それ”を、椛は訝しげに睨みつける。
黒田官兵衛の合子形兜を彷彿とさせる真紅のヘルメットと、両目のレンズがこれまた真紅に染まりし防毒マスクの悪魔的融合。
思わず後ずさってしまう椛の足に、改造の過程で無情にも廃棄されたヘッドギアが当たり、カラカラと空しい音を立てた。
「何ソレにとり……原型を留めないにも程があるじゃん……」
「いいだろコレ! 名付けてライオットギア・ヘルメット……否ッ! にとり・ティーンエイジ・ライオットと名付けよう!」
「名前なんざどうでもいい! 何が眼鏡の代わりだよ! そんなモン被って山をうろついてたら、私が不審者として捕縛されちまうわ!」
「心・配・御・無・用! ちゃんとLaserも撃てるようにしてあるから! 頭部に内蔵した核分裂バッテリーのお蔭で、容量も威力も折り紙つきさっ!」
「核……!? いや、そもそも味方である天狗にレーザーって、私にこの眼を汚せというのか……つーか核! 何だよ核分裂って!?」
ツッコミどころを纏めきれないまま口を開くと、今の椛のようになってしまいます。皆さんも十分に気をつけましょう。
「まあ能書きはいいから、とにかく被ってみなって。オマエのサイズにピッタリ合うよう作ってあるから」
「本当に大丈夫なのかよ……っていうかコレ、どうやって被るんだ? マスクが邪魔で頭が入らないぞ」
「んもー、椛ってばアナログさんなんだからぁ。ちゃーんと取り外せるようになってるって……」
にとりはにこやかな顔で、ヘルメットとマスクの接合部分に手を掛け……力を込めて……渾身の力を……彼女の表情が険しさを増していく。
椛がハラハラしながら見守る中、顔を真っ赤にしたにとりは一旦力を抜き、にとり・ティーンエイジ・ライオットを胸の高さまで持ち上げ……。
「そぉい!」
「ウワーッ! 核分裂ウワーッ!」
床に叩き付けた!
突然の凶行を目の当たりにして、椛も思わず悲鳴を上げる!
「はぁ、はぁ……クズめ!」
「やめろよこの馬鹿! お前マジで頭おかしいんじゃないか!?」
「おかしいのはコイツの方だ! 何故だ、何故外れない!? 私の設計は完璧だったハズなのに……!」
「いいから落ち着けって! 誰にだって失敗はある! また一から作り直……さなくてもいいか。うん、いいな」
「くそっ、マジ使えねーわコイツ! この役立たず! 出来損ない! 不良品! 欠陥品! リコール対象!」
「にっ、にとり……? もうその辺にしとけって……」
「お荷物! お陀仏! お邪魔虫! 足手纏いの劣等生! 意味無し! 能無し! ごくつぶしイイイイイイイィッ!」
「ごふっ……! も、もうやめてくれにとり! お前の罵倒の一つ一つが、私のハートにギャンギャン響くッ……!」
血反吐を吐き、涙をボロボロ流しながら、椛はにとりに縋りつく。
よくよく思い返してみれば、彼女はその眼の異常故に自ら天狗を辞し、にとりの許へとやって来たのだ。
床に転がるにとり・ティーンエイジ・ライオットを見て、何か思うところがあったのかもしれない。
「そうだ……私は駄目な女なんだ。見張りの仕事もまともに出来ず、白狼の誇りも失った、ただのアワレな負け犬なんだ……」
「あー? 何だよ椛、私は別にオマエの事を言った訳じゃ……」
「大して強くもないし、公式の扱いだってぞんざいだ。スペカ貰うまで3年かかったし、初セリフまでは5年もかかったもんなあ……」
にとりの膝にしがみつき、メソメソと泣き言を垂れ流す椛。
セリフが貰えただけマシじゃねえか、などと思ったにとりであったが、言ったところでどうなるものでもない。
この界隈にはセリフはおろか、未だに出番すら貰えていないキャラがいるのだ。誰とは言わない。あえて言わない。
「今の私は、カワイイだけが取り得のメス犬だよ。このまま生き永らえたって、何処ぞの変態の玩具と書いてオモチャにされるのがオチさ」
「そりゃ流石に悲観しすぎだろ。世の中そんな悪人ばかりじゃ……ああ、うん。そうかもしれん」
「どうせ穢れるこの身なら、いっそお前に預けたい。人体改造的なアレ以外だったら、何をされたって構うもんか」
「安牌引いた上に予防線とかマジねーわ。それよりオマエ、本当に私でいいのか? 他に好きなヤツとか居るんじゃないの?」
「いないよ……私が好きなのはにとり、お前だけだ。ずっとお前の事が好きだった」
「……信じろって言うのか? こんな状況で」
にとりはかぶりを振った後、徐にしゃがみ込んで、椛の眼を真っ向から見据えた。
先程までとは打って変わって、感情の篭らぬ冷たい眼差し。いつもの人懐っこい彼女とは、まるで別人のよう。
「なあ椛、私はオマエの事を親友だと思ってるよ。例え種族は違えども、対等な立場で接する事の出来る存在だってね」
「にとり……」
「出来る事なら助けてやりたい。いや、助けてやりたかった。だが……もう終わりだ。私にはもう、どうする事も出来ない」
「……にとりは、私の事が嫌いなのか? それとも今、嫌いになってしまったのか? こんな情けない私を見て……」
「最後だから言っておいてやる。椛、私もオマエが好きだ。オマエと一つ屋根の下ってのも悪くない。心の底からそう思うよ」
「だったらなぜ……」
「大きく深呼吸してから、ゆっくりと後ろを振り返ってみな」
「えっ……?」
にとりの視線が己の後方に移ったのを見て、椛はつられる様に振り返る。
彼女の弱りかけの眼に映ったもの。それは玄関のドアにもたれかかって、退屈そうに折りたたみカメラを弄る一羽の天狗の姿であった。
思わず息を呑む椛。にとりは相変わらずの無表情。やがて天狗は顔を上げると、二人に向かって軽い調子で話しかけてきた。
「ん? もう話終わり? 私的にはもうチョット続けてもいいんじゃね的なノリなんだけど」
「姫海棠はたて……! まさか、アナタが現れるとは……」
「やっほー椛。元気してるぅ? つーか私じゃご不満なワケ? なにそれスッゲー傷つくわー」
はたては朗らかに笑いながら、己を見据える二人の顔を撮影して、カメラを折りたたむ。
追っ手など現れる筈もない、来るとしても自分と同格の下っ端だろう、などと高をくくっていた椛は、口をモゴモゴさせながら状況の整理に務めていた。
なぜ鴉天狗であるはたてが? 何故この場所が分かった? いつの間に侵入していた? にとりはどのタイミングで気付いていたのか?
考えたところで答えは出ない。頭痛と眩暈を覚えながらも、彼女はどうにか言葉を搾り出した。
「……いつから、ここに?」
「んーっとね、アンタが自分のコトを『カワイイだけが取り得のメス犬』とか言っちゃった辺りからだったかな」
「ごふっ……! じゃ、じゃあにとりもその時に……?」
「ぶっちゃけた話、心臓が止まるかと思ったよ。天狗さんが口に指あてて『シーッ!』とかやってたから、フツーに会話を続けたけどな」
「いやさぁ、なんか面白そうだから最後まで話聞いちゃおうと思ってね。私もホラ、記者やってるから。新聞記者。花果子念報どうぞヨロシク」
椛は苦虫を噛み潰したような顔で、はたてのカメラを睨み付けた。
ひょっとしたら彼女は追っ手などではなく、ただ単に取材がしたいだけなのではないか?
椛の逐電を知った彼女は、兼ねてより椛と親交のあったにとりの話を聞きに来た――十分にありえる話だ。
身内の不幸を平気でネタにする鴉天狗に憤りを覚えつつも、椛は少しだけ安堵した。
「それにしてもアンタ、随分と大それたコトをやっちゃったねえ? 天狗社会は上から下まで大騒ぎだよ」
「……えっ?」
「大天狗様はショックで倒れちゃうし、哨戒天狗共は山中総動員で駆け回ってるし……」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
「ん?」
「いくら何でも、話が大袈裟すぎやしませんか? こんな私ひとりの為に、何もそこまで……」
「……あんだって?」
はたての表情から、笑みが消えた。
困惑し通しの椛の後ろで、にとりが徐に土下座の準備を始める。本能からの行動であった。
「おねーさん、今のはチョット聞き捨てならないかな。もう一遍同じコト言ってみな?」
「ッ! 大袈裟だって言ったんですよ。私みたいな下っ端のクズが消えた程度のことで、何をそこまで狼狽えるのやら」
「……オーケー椛、歯ァ食いしばれ。その甘ったれた根性叩き直してやんよ」
「殴りたいのなら別に構いやしませんけどね。でも、私は間違った事は言ってませんよ! “眼”を使えなくなった哨戒天狗に、一体どれほどの価値が……!」
「……あー? 使えなくなっただぁ? チョット待っていま確認するから……」
はたてはポケットから手帳を取り出して、眉間にシワを寄せつつ黙読し始めた。
一方の椛は、神妙な面持ちで胡坐を掻き、ただじっと沙汰を待つ。矢でも鉄砲でも持って来いといった様子だ。にとりは既に土下座している。
しばらく経った後、はたてが顔を上げた。彼女の表情には……意地の悪そうな笑みが浮かんでいた。
「アンタさあ、医者に診て貰ったんだよねえ? 山の医者に」
「ええ、見事に匙を投げられましたよ。原因が特定出来ないってね」
「ちゃんと最後までハナシ聞かなかったでしょ。お医者さんが何て言ったか聞きたい? ねえ聞きたい?」
「……は?」
話の流れを掴み損なった椛が、あんぐりと口を開けるのを見て、はたてがクックッと笑みを漏らす。
にとりがさり気無く顔を上げたが、そちらはまあ、どうでもいい。
「『特定は出来ないが、おそらくは疲労かストレスが原因ではないかと推測される。十分に休養を取らせた上で、今後の経過を見守るべき』……だってさ」
「なんじゃそりゃあ!? いい加減な医者も居たもんだなぁ……」
「あ、やっぱ河童さんもそう思うっしょ? まーこの場合、話半分で飛び出してった椛が悪いだけの話で……おーい椛ぃ、ちゃんとハナシ聞いてる?」
「あ……? あ……?」
聞いてた。
その証拠という訳ではないが、椛は額に脂汗を浮かべ、その口元はやや引き攣っている。
徐に立ち上がったにとりが、彼女の目の前で手をヒラヒラさせたが、全くと言っていい程に反応が無い。
「そ、それじゃあ、私の眼は……?」
「アンタのは単なる疲れ目っぽいね。病気ってセンも消えた訳じゃないから、用心に越した事は無いケド」
「あっぶねー……“改造”しちまわないで良かった……」
幸か不幸か、にとりの呟きは二人の耳には届かなかった。
もしも聞こえてしまっていたら、今頃彼女は椛のツッコミ攻勢と、はたての猛烈な取材を受ける破目に陥っていただろう。
「なんつうかさぁ、変に真面目すぎるんだよね。天狗を辞めたいとか言い出したのだって、周りに迷惑掛けたくないとかそういう理由でしょ?」
「……はい」
「掛けてんじゃん、迷惑。みんなアンタの事を心配してるのよ? 早まったマネするんじゃないかってね。でなきゃワザワザあんな大勢で捜したりしないっつーの」
「うぅ……」
返す言葉などあろう筈もなく、ただただ項垂れるばかりの椛であった。
「……んで、アンタこれからどうしたいワケ? 戻るの? 戻らないの?」
「それは……」
「おい、なんで私を見るんだよ」
あからさまに嫌そうな顔のにとりを見つめながら、椛は黙考する。
このまま哨戒天狗に復帰したとしても、彼女が重い罪に問われることは無いだろう。
それどころか、今回の一件そのものが“なかったこと”にされるかもしれない。
およそ組織と呼ばれるものは、事なかれを以って良しとするものだ。統率力で知られた天狗社会とて、その例外ではない。
(だが、本当にそれでいいのだろうか……?)
持って生まれた生真面目さが、今の椛を逡巡させていた。
上の者が彼女を罰しないのであれば、一体誰が彼女を裁いてくれるのか?
己の迂闊さに振り回されてしまった仲間達に対し、今後どのような顔で接すればいい?
そしてなにより、お互いにこっ恥ずかしい告白モドキをしてしまったにとりとは……?
「……ません」
「あ?」
「私はもう、天狗社会には戻れません。妖怪の山始まって以来の大馬鹿者である私は、このままにとりのヒモとして生きていきます!」
「おおッ!?」
はたての顔を真っ向から見据えながら、椛は毅然とした態度で言い放った。
あまりにも恥知らずな発言と、真剣そのものな椛の表情とのギャップに、はたては思わず後ずさってしまう。
「いやいやいや、ちょっと待って椛。なんつーか、その……空気読めや!」
「本来であれば、この腹かっさばいて詫びるべきところですが……私に対する処罰は、皆様の気の済むようになさって下さい」
「……あーもう! なんなのよコイツ超めんどくせえ! 戻りゃーいいじゃんよー素直によー! アンタどんだけ皆に迷惑掛けりゃあ気が済むのー!?」
「事ココに至った以上、最後まで皆さんのお手を煩わせてやりますよ。クズならばクズなりにクズを貫く、そう決めたのです!」
「何の宣言よ!?」
気が付いてみれば立場は逆転。覚悟を決めた椛を前に、ただただ困惑するばかりのはたてであった。
必ず椛を連れ戻してみせると、大天狗相手に大見得を切ってしまった彼女。慣れないお説教までやってみせたというのに、これではあんまりだ。
「ちょっと河童! さっきから何ダンマリ決め込んでんのよ!」
「ひゅいィ? 私っすか?」
「他に誰が居るのよ! こいつアンタの嫁でしょー!? だったらアンタが何とかしなさいよー!」
「嫁って……まあいいや。じゃあしばらくの間、コイツの身柄をウチで預からせて貰えませんかね?」
「にとり! やっと私の想いを受け入れる気になったんだね! 私嬉しいよヤッホごふっ……!?」
「テメエは……黙っとけや……」
抱きつこうとする椛に対し、にとりは渾身のボディーブローで答える。
彼女の殺人機械(キリングマシーン)の如き眼光に、はたては思わずチビりそうになった。
「今の椛には、何を言っても無駄だと思うんですよねぇ。そうは思いませんか? 天狗さん」
「あっ……ハイ」
「ある程度の時間を与えてやれば、コイツも正気に戻るでしょうよ。今はその……クズ丸出しですけど、なんだかんだで根は真面目ですから」
「ホントにぃ? アンタん所で余計に堕落しそうな気がするケド……」
「私が責任を持って改良……ゲフンゲフン、更生させます。いよいよ駄目そうな時は、首から上をコレに挿げ替えてお返ししますよ」
そう言ってにとりは、先程散々に悪罵したにとり・ティーンエイジ・ライオットを拾い上げ、はたてに見せ付けた。
物騒極まりない発言に、椛の身体がビクンと跳ねる。一方のはたてはといえば、真紅の光沢を放つ“それ”に興味津々といった様子だ。
「なにこれクロカン? クロカンのアレっしょ? やっべー超カワイイ! ねえねえ、それ貰っちゃっていい?」
「カワイイかコレ……? まあ、欲しかったら差し上げますよ。その代わりと言っちゃあナンですけど……」
「椛の件はしばらく待て、でしょ? オッケオッケ。どうせ無理に連れ帰ったところで役に立たないだろうし。病気療養とか適当な口実考えてみるわ」
「それはちょっと甘すぎやしません? もっとこう、謹慎処分とか……」
「うーん、そうしたいのはヤマヤマなんだけどねえ。まあ色々と面倒くさいモンなのよ、組織ってやつは」
信賞必罰は組織体制の要諦なれど、体面なる概念を考慮に入れた場合、なかなか教科書通りに事は運ばなくなるものだ。
現状において、椛の失踪に至る経緯を知る者はごく僅か。多くの下っ端天狗達は、詳細を聞かされぬままに彼女の身を案じ続けている。
彼らに残酷な真実を告げたところで、得をする者など誰一人として居はしないだろう。かくして真相は闇に葬られ、短命で無責任な噂話だけが残る。
秩序と安定を望み、ドラマとスキャンダルを嫌う。組織とは常にそういうものなのだ。
「んじゃ、とりあえず今の話を上に掛け合ってみるわ。結果はすぐに知らせてあげるから、それまで無闇に出歩いたりしないこと。いいね?」
「なんつーか……ホントすんませんねえ。おい椛、オマエもちゃんとお礼言っとけよ」
「流石揉み消しは鴉天狗のお家芸だな!」
「ナメたクチ利いてんじゃねえぞこのガキャァ! もういい、死ね! 今ここで死ね!」
「ぐええーっ!? に、にとりに殺られるならそれも本望、『ん』と『う』を取ったら……」
「言わせねえよ!?」
にとりに首を締め上げられつつも、どこか幸せそうな表情を浮かべる椛。
そんな二人の微笑ましい姿を、はたてはカメラに収めておいた。全てが丸く収まれば、これも良い思い出になるだろう。
「私の事はいいから、後でちゃんと皆に謝るのよ? ……戻るにせよ、辞めるにせよ、ね」
「や、辞めさせませんって。なあ椛?」
「何のアイサツも無しに逃げたりしたら……その時は、天狗の総力を上げて追い詰めてやるからね。覚悟しておきなさい?」
「わ、わかりまみた」
「噛んだ!? 狼だけに!?」
まさかの失態に、思わず赤面する椛。レイビーズバイトとはこの事か。
最後くらい格好良くキメようとしたはたても、これには破顔せざるを得ない。
「じゃあ、そろそろお暇させて貰うわ。椛、具合が良くなったら絶対顔を出すのよ? みんな待ってるからね!」
「わかってますって……たぶん」
「たぶんってアンタ……! まあいいや、またね!」
別れの挨拶もそこそこに、はたては河城邸を後にした。
勿論、にとり・ティーンエイジ・ライオットを忘れずに携えて。今夜はクロカン鍋ね。
「やれやれ。一時はどうなる事かと思ったよ……どうした椛?」
はたてが開けっ放しにして行った玄関の戸を閉め、振り返ったにとりの目に映ったもの。
それは、俯きながら口元をわなわなと震わせる椛の姿であった。
「に……にっにっ、にとり……」
「おい、マジでどうしたんだよ椛。まさかオマエ、本当に変な病気に罹っちまったんじゃ……?」
「どどっ、どどどうしよう。わわ私なんかの為に、山の皆がエラい騒ぎになっちゃったよぉ!」
「なんじゃそりゃ!? 今になってヘタレてんじゃねーよ! クズを貫くんじゃなかったのか!?」
「そ、そうだった。私はクズだ、私はクズだ、私はクズなんだ……」
「……ああもう! 本当に面倒くさいヤツだよ、オマエさんはっ!」
小刻みに震える椛の身体を、にとりは力いっぱいに抱きしめる。
震えが治まるまでの間、彼女は片時も力を緩めることなく抱擁を続けた。
「……どうだ? 少しは落ち着いたか?」
「うん……ゴメンね、にとり」
「本気で悪いと思っているなら、一つだけ私に約束しろ。もう自分をいらない子だなんて思うな。眼が治ろうと治るまいと、私がずっと一緒に居てやるから……」
「……ありがとう」
にとりの肩に顎をのせたまま、椛はそっと眼を閉じる。
はたてが指摘した通り、彼女は変に真面目すぎたのだろう。その真面目さが彼女の眼を曇らせた結果、危うく道を踏み外しかけたのだ。
……いや、もう既に道を大きく外れてしまっているのかもしれない。椛がこれから先どこへ向かうのかなど、彼女自身にすら分かっていないのだから。
「家事とかは全部私がやるから、オマエは大人しく休養してろよ」
「いや、そういう訳にはいかないよ。このままお世話になりっぱなしでは、気苦労や罪悪感で私の身がもたないからね」
「……よーし、だったらトコトンこき使ってやるよ。もしも哨戒天狗に戻れなかった場合は、私専属の白狼メイドさんとして生きるコトになるんだからな」
「かしこまみました、御主人サマ♪」
「既にその気になってんじゃねえよ! しかもまた噛んでるし!」
たとえ千里先まで見通す眼があろうとも、未来まで見通すことなど出来はしない。
だが、恐れや不安によって歩みを止める必要もない。今の椛には、手を引いてくれる仲間たちがいる。彼女を必要とし、また必要とされたがっている仲間が。
何度失敗を繰り返そうと、本当に大切なものを見失わない限り、道はいつでも目の前に開けているのだ。
「ところでにとり、夜のお相手についてだけど……」
「ああ。マシーンぶっ込んでヴィンヴィンいわせてやるから、せいぜい楽しみにしとけや」
「ひいぃ! 優しく、優しくしてぇっ!?」
河城邸に乗り込むや否や、犬走椛は冷たい床に両膝をつき、訳の分からぬことを喚き散らした。
作業台に向かっていた河城にとりは、手元と椛とを二、三度見比べた後、彼女に向かってスパナを投げつけた。
「あっぶな……! いきなり何をする! 気でも狂ったか!?」
「その台詞、そっくりそのままオマエに返すよ」
にとりは興味無さ気に言い放つと、そのまま元の作業に戻ってしまった。
完全に出鼻を挫かれてしまった椛であったが、彼女にも退けぬ事情というものがある。
四つん這いでにとりに縋りつきながら、猫撫で声で何やら懇願し始める椛。犬なのに猫撫で声とはこれ如何に。
「なーあ、頼むよにとりぃ。私とお前の仲じゃないかぁ」
「私の知ってる犬走椛は、もっと真面目で気高い白狼天狗だったよ。オマエなんざ知らん」
「あっ、私もう天狗じゃないから。今朝キッパリと辞めてきたから」
「……ハァ!?」
何を言っているのか解らない、といった表情のにとりを見て、椛が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
しばしの間、にとりは脳内の情報整理に没頭した。しかし、幾ら考えようと結論が出る筈もなく、ただ深いため息をつくばかり。
「あー……オマエさあ、辞めたってアレだろ? 哨戒天狗を辞めたってコトだよな?」
「うんにゃ、天狗を辞めてきた。ご覧の通り刀と盾と、ついでに帽子も返してきたよ。装束は……まぁ、退職金代わりってことで」
「そういう事を聞いてるんじゃねえよ! 天狗ってオマエ、種族だぞ種族! そんな簡単に辞められるモンじゃないだろ!」
「いや、存外アッサリ辞められたぞ? 装備一式を返上した時だって、大天狗様からは何のお咎めも無かったし」
「マジかよ……どうなってんだ天狗社会」
「まあ、終始無言で口が半開きだったけどね」
「そりゃビックリしてただけだろ! ……いや、呆れてただけか? あーもう、両方だ両方!」
協調性が高く、任務に忠実な哨戒天狗として知られていた椛。
彼女の唐突すぎる乱心が、にとりや大天狗を含む周囲の者に与えた影響は、決して無視できるレベルのものではない。
ひょっとしたら、自分はのっぴきならぬ状況に追い込まれたのではないか――にとりの胃がキリリと痛む。
「……椛チャンさあ、マジで考え直した方がいいよ? 今ならその……大天狗さん、だっけ? 謝れば許してくれると思うし」
「いや、もう決めたんだ。私はにとりの情夫になるんだって」
「ふざけんなこのバカ! 私を巻き込むなって言ってるんだよ!」
「なんなら情婦でもいいんだが?」
「いいんだが? じゃねえよ! 何なんだそのドヤ顔は! オマエ自分の立場解ってんのか!?」
「ああ。炊事、洗濯なんでもござれ。だが夜のお相手は……まぁ、善処してみる」
「せんでいい! つーか、そういう話をしてるんじゃねえよ!」
「実はその……経験が無いんだ。だから優しくして貰えると……嬉しい」
「聞いてねえよ! 聞きたくもねえし!」
頬を染め、俯き加減に呟く椛。
もう少し異なったシチュエーションの下でなら、にとりも或いはトキメキを覚えたかもしれない。
だが、流石に状況が悪過ぎる。今の椛は脱走者同然の立場にあって、彼女を匿えばにとりも同罪とみなされてしまう恐れがあるのだ。
「頼むよにとり。私を女にしてくれ」
「うるせえ馬鹿。もしも追っ手の天狗がここに来たら、私は何の躊躇いも無くオマエを差し出すからな? そこんトコ分かっとけよ?」
「私みたいな一山いくらの下っ端如きに、追っ手なんか差し向けたりしないって。天狗はそんなに暇じゃあない」
「いや、オマエら暇を持て余し気味だろ。それと自分を卑下するのはやめなよ。みんなオマエの事を大切な仲間だと思ってるって。真面目だし、千里眼の冴えだって……」
「……もう、無いんだ」
「えっ?」
椛は俯いたまま、消え入りそうな声で答えた。
不審に思ったにとりは、思わず彼女の顔を覗き込む。
千里先まで見通すといわれる彼女の瞳は、心なしか輝きを失っているように思われた。
「眼がさぁ、もう……駄目みたいなんだ。本当に近くのモノしか見えなくなっちゃってね。正直な話、ここまで来るのも一苦労だったよ」
「いや、ちょっと待てオマエ……エエ~ッ!?」
「医者に診て貰ったけど、原因が特定出来ないってさ。このまま失明しちゃうのかな、私……」
「重ーい! いきなり話が重くなりすぎだろ! どうしてくれるよこの落差! フォールオブフォールってこのコトか!?」
「ははは……にとりは面白いなあ」
「やめろ! 乾いた笑いやめろ! あーもう何なんだよ私の人生にどんだけ負荷を掛ける気だオマエはっ!?」
「ごめんよにとり……本当にごめん」
「謝るなっ!」
にとりは帽子を脱ぎ捨てて、頭を掻き毟りながら室内をウロウロし始めた。
畳み掛けるかのように訪れた問題の数々に対し、彼女は頭脳をフル回転させて解決の糸口を探り当てんとする。
……水平思考に頼るまでもなく、解法はアッサリと導き出された。
「直す……」
「へっ?」
「オマエの、眼を、私が直す。そうすればオマエは哨戒天狗に復帰できる。それで全ては解決だ」
「ちょっと待てにとり、直すじゃなくて治すの間違いじゃないか? あとその工具は何だ。私の眼をどうするつもりだ?」
ニッパー、マイナスドライバー、ウォーターポンププライヤーなどの工具を抱えたにとりが、怯える椛の許へと迫る。
冗談の類に思われるかもしれないが、にとりは至って真剣だ。
「ホラ、顔上げな。とりあえず右からいっとくか。私から見て右ね」
「いや、マジで待てって。お前まさか……」
「ああ、目玉刳り貫いて修理するんだよ。そのままじゃ手の施しようが無いだろ?」
「修理って言った!? いま修理って言ったろお前! 冗談じゃない、そんな荒療治ゴメン被るッ!」
「……まあ、そうだよね。目ン玉抉り出すなんて残酷なコト、私だってやりたくないもんね。驚かせちゃってゴメンな、椛」
脇を締め、両拳を顎に当てて首を振り、必死にイヤイヤのポーズをする椛。
そんな彼女を見て情が移ったのか、にとりはアッサリと工具を投げ捨てた。ひとまず惨劇は回避されたといえよう。
……否! お次に彼女が取り出したモノは、全長1メートル程もある携行型の工業用ドリル。にとりはそいつを二、三度回転させた後、口元を妖しく歪めた。
「しっかしオマエさんもチャレンジャーだねえ。目玉を取り出せない以上、後ろに穴開けるしかないってのに」
「うっ、うわああああああああぁッ!? やめろよこの馬鹿! そっちの方がよっぽど残酷じゃないかッ!」
「少しくらい我慢しろよ。私だって我慢してヤるんから」
「そんな我慢はしなくていい! とっとと仕舞えそんなモン! っていうか仕舞ってくださいお願いしますぅ!?」
耳を劈くようなドリルの回転音。椛は負けじと声を張り上げつつ、一世一代の土下座を敢行する。
しばしの間、彼女の後頭部にドリルの狙いを定めていたにとりであったが、やがてドリルの回転を止め、悲しそうな声で椛に語りかけた。
「椛……私は真剣にオマエの事を案じているんだよ?」
「うん、そうだよね! お前目がマジだもんね! だからやめてね? ねっ? ねッッッ!?」
「参ったねぇ……施工が出来ないとなると、もう私の発明品に頼るしかないじゃないか」
「最初からそうしろよ! つうか施工って何!? せめて治療と言って欲しかったよそこは!」
ギャーギャー喚く椛に背を向け、丁寧にドリルを仕舞い込むにとり。
やがて彼女は、部屋の隅に堆積したガラクタの山から、なにやらヘッドギアじみた物を取り出して、椛の前にぶら下げた。
「それは?」
「にとりチャンの大発明、その名もレーザースコープ! かつて宗教家共を恐怖のどん底に陥れた、あのスーパースコープ3Dの試作品さっ!」
「スーパースコープって、あの望遠鏡みたいな兵器のコトか? 試作品という割には似ても似つかないな」
「本当はコイツを実用化して、馬鹿共を消し炭にしたかったんだがね。如何せん出力不足で……」
「ちょっと待て。ビームか? ビーム出るのかそれ?」
「いや、Laserだよ」
「巻き舌やめろ! 腹立つ!」
にとりはレーザースコープを作業台に置くや否や、眼にも留まらぬ速さで分解し始めた。
彼女に肩を寄せ、手際のよさに感心しつつ作業を眺めていた椛であったが、やがて落ち着きを取り戻したのか、済まなそうな声で呟いた。
「頑張ってくれるのは嬉しいけど、そんなもの着けたって私の眼は……」
「なーに、チョイと弄れば眼鏡の代わりにゃあなるだろう。遠くの敵は勿論のこと、近くの物陰に潜む敵だって見えるようになるさ」
「……どういう原理なんだ? それは」
「簡潔に述べるなら、『Laserは正義』ってトコロかな」
「全然解らん……」
無駄話をしている間にも、にとりは着々とレーザースコープを組み上げていく。
それと平行して、椛の頭の採寸や、不足した部品を補うためのジャンクパーツ漁りも行う。
当初の目的など、もはや忘却の彼方。今のにとりを突き動かすもの、それはギークとしての本能のみであった。
「よっしゃあ! 出来たッ、出来たぞ椛ッ!」
レーザースコープ(仮)……完成!
にとりが狂喜しながら頭上に掲げた“それ”を、椛は訝しげに睨みつける。
黒田官兵衛の合子形兜を彷彿とさせる真紅のヘルメットと、両目のレンズがこれまた真紅に染まりし防毒マスクの悪魔的融合。
思わず後ずさってしまう椛の足に、改造の過程で無情にも廃棄されたヘッドギアが当たり、カラカラと空しい音を立てた。
「何ソレにとり……原型を留めないにも程があるじゃん……」
「いいだろコレ! 名付けてライオットギア・ヘルメット……否ッ! にとり・ティーンエイジ・ライオットと名付けよう!」
「名前なんざどうでもいい! 何が眼鏡の代わりだよ! そんなモン被って山をうろついてたら、私が不審者として捕縛されちまうわ!」
「心・配・御・無・用! ちゃんとLaserも撃てるようにしてあるから! 頭部に内蔵した核分裂バッテリーのお蔭で、容量も威力も折り紙つきさっ!」
「核……!? いや、そもそも味方である天狗にレーザーって、私にこの眼を汚せというのか……つーか核! 何だよ核分裂って!?」
ツッコミどころを纏めきれないまま口を開くと、今の椛のようになってしまいます。皆さんも十分に気をつけましょう。
「まあ能書きはいいから、とにかく被ってみなって。オマエのサイズにピッタリ合うよう作ってあるから」
「本当に大丈夫なのかよ……っていうかコレ、どうやって被るんだ? マスクが邪魔で頭が入らないぞ」
「んもー、椛ってばアナログさんなんだからぁ。ちゃーんと取り外せるようになってるって……」
にとりはにこやかな顔で、ヘルメットとマスクの接合部分に手を掛け……力を込めて……渾身の力を……彼女の表情が険しさを増していく。
椛がハラハラしながら見守る中、顔を真っ赤にしたにとりは一旦力を抜き、にとり・ティーンエイジ・ライオットを胸の高さまで持ち上げ……。
「そぉい!」
「ウワーッ! 核分裂ウワーッ!」
床に叩き付けた!
突然の凶行を目の当たりにして、椛も思わず悲鳴を上げる!
「はぁ、はぁ……クズめ!」
「やめろよこの馬鹿! お前マジで頭おかしいんじゃないか!?」
「おかしいのはコイツの方だ! 何故だ、何故外れない!? 私の設計は完璧だったハズなのに……!」
「いいから落ち着けって! 誰にだって失敗はある! また一から作り直……さなくてもいいか。うん、いいな」
「くそっ、マジ使えねーわコイツ! この役立たず! 出来損ない! 不良品! 欠陥品! リコール対象!」
「にっ、にとり……? もうその辺にしとけって……」
「お荷物! お陀仏! お邪魔虫! 足手纏いの劣等生! 意味無し! 能無し! ごくつぶしイイイイイイイィッ!」
「ごふっ……! も、もうやめてくれにとり! お前の罵倒の一つ一つが、私のハートにギャンギャン響くッ……!」
血反吐を吐き、涙をボロボロ流しながら、椛はにとりに縋りつく。
よくよく思い返してみれば、彼女はその眼の異常故に自ら天狗を辞し、にとりの許へとやって来たのだ。
床に転がるにとり・ティーンエイジ・ライオットを見て、何か思うところがあったのかもしれない。
「そうだ……私は駄目な女なんだ。見張りの仕事もまともに出来ず、白狼の誇りも失った、ただのアワレな負け犬なんだ……」
「あー? 何だよ椛、私は別にオマエの事を言った訳じゃ……」
「大して強くもないし、公式の扱いだってぞんざいだ。スペカ貰うまで3年かかったし、初セリフまでは5年もかかったもんなあ……」
にとりの膝にしがみつき、メソメソと泣き言を垂れ流す椛。
セリフが貰えただけマシじゃねえか、などと思ったにとりであったが、言ったところでどうなるものでもない。
この界隈にはセリフはおろか、未だに出番すら貰えていないキャラがいるのだ。誰とは言わない。あえて言わない。
「今の私は、カワイイだけが取り得のメス犬だよ。このまま生き永らえたって、何処ぞの変態の玩具と書いてオモチャにされるのがオチさ」
「そりゃ流石に悲観しすぎだろ。世の中そんな悪人ばかりじゃ……ああ、うん。そうかもしれん」
「どうせ穢れるこの身なら、いっそお前に預けたい。人体改造的なアレ以外だったら、何をされたって構うもんか」
「安牌引いた上に予防線とかマジねーわ。それよりオマエ、本当に私でいいのか? 他に好きなヤツとか居るんじゃないの?」
「いないよ……私が好きなのはにとり、お前だけだ。ずっとお前の事が好きだった」
「……信じろって言うのか? こんな状況で」
にとりはかぶりを振った後、徐にしゃがみ込んで、椛の眼を真っ向から見据えた。
先程までとは打って変わって、感情の篭らぬ冷たい眼差し。いつもの人懐っこい彼女とは、まるで別人のよう。
「なあ椛、私はオマエの事を親友だと思ってるよ。例え種族は違えども、対等な立場で接する事の出来る存在だってね」
「にとり……」
「出来る事なら助けてやりたい。いや、助けてやりたかった。だが……もう終わりだ。私にはもう、どうする事も出来ない」
「……にとりは、私の事が嫌いなのか? それとも今、嫌いになってしまったのか? こんな情けない私を見て……」
「最後だから言っておいてやる。椛、私もオマエが好きだ。オマエと一つ屋根の下ってのも悪くない。心の底からそう思うよ」
「だったらなぜ……」
「大きく深呼吸してから、ゆっくりと後ろを振り返ってみな」
「えっ……?」
にとりの視線が己の後方に移ったのを見て、椛はつられる様に振り返る。
彼女の弱りかけの眼に映ったもの。それは玄関のドアにもたれかかって、退屈そうに折りたたみカメラを弄る一羽の天狗の姿であった。
思わず息を呑む椛。にとりは相変わらずの無表情。やがて天狗は顔を上げると、二人に向かって軽い調子で話しかけてきた。
「ん? もう話終わり? 私的にはもうチョット続けてもいいんじゃね的なノリなんだけど」
「姫海棠はたて……! まさか、アナタが現れるとは……」
「やっほー椛。元気してるぅ? つーか私じゃご不満なワケ? なにそれスッゲー傷つくわー」
はたては朗らかに笑いながら、己を見据える二人の顔を撮影して、カメラを折りたたむ。
追っ手など現れる筈もない、来るとしても自分と同格の下っ端だろう、などと高をくくっていた椛は、口をモゴモゴさせながら状況の整理に務めていた。
なぜ鴉天狗であるはたてが? 何故この場所が分かった? いつの間に侵入していた? にとりはどのタイミングで気付いていたのか?
考えたところで答えは出ない。頭痛と眩暈を覚えながらも、彼女はどうにか言葉を搾り出した。
「……いつから、ここに?」
「んーっとね、アンタが自分のコトを『カワイイだけが取り得のメス犬』とか言っちゃった辺りからだったかな」
「ごふっ……! じゃ、じゃあにとりもその時に……?」
「ぶっちゃけた話、心臓が止まるかと思ったよ。天狗さんが口に指あてて『シーッ!』とかやってたから、フツーに会話を続けたけどな」
「いやさぁ、なんか面白そうだから最後まで話聞いちゃおうと思ってね。私もホラ、記者やってるから。新聞記者。花果子念報どうぞヨロシク」
椛は苦虫を噛み潰したような顔で、はたてのカメラを睨み付けた。
ひょっとしたら彼女は追っ手などではなく、ただ単に取材がしたいだけなのではないか?
椛の逐電を知った彼女は、兼ねてより椛と親交のあったにとりの話を聞きに来た――十分にありえる話だ。
身内の不幸を平気でネタにする鴉天狗に憤りを覚えつつも、椛は少しだけ安堵した。
「それにしてもアンタ、随分と大それたコトをやっちゃったねえ? 天狗社会は上から下まで大騒ぎだよ」
「……えっ?」
「大天狗様はショックで倒れちゃうし、哨戒天狗共は山中総動員で駆け回ってるし……」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
「ん?」
「いくら何でも、話が大袈裟すぎやしませんか? こんな私ひとりの為に、何もそこまで……」
「……あんだって?」
はたての表情から、笑みが消えた。
困惑し通しの椛の後ろで、にとりが徐に土下座の準備を始める。本能からの行動であった。
「おねーさん、今のはチョット聞き捨てならないかな。もう一遍同じコト言ってみな?」
「ッ! 大袈裟だって言ったんですよ。私みたいな下っ端のクズが消えた程度のことで、何をそこまで狼狽えるのやら」
「……オーケー椛、歯ァ食いしばれ。その甘ったれた根性叩き直してやんよ」
「殴りたいのなら別に構いやしませんけどね。でも、私は間違った事は言ってませんよ! “眼”を使えなくなった哨戒天狗に、一体どれほどの価値が……!」
「……あー? 使えなくなっただぁ? チョット待っていま確認するから……」
はたてはポケットから手帳を取り出して、眉間にシワを寄せつつ黙読し始めた。
一方の椛は、神妙な面持ちで胡坐を掻き、ただじっと沙汰を待つ。矢でも鉄砲でも持って来いといった様子だ。にとりは既に土下座している。
しばらく経った後、はたてが顔を上げた。彼女の表情には……意地の悪そうな笑みが浮かんでいた。
「アンタさあ、医者に診て貰ったんだよねえ? 山の医者に」
「ええ、見事に匙を投げられましたよ。原因が特定出来ないってね」
「ちゃんと最後までハナシ聞かなかったでしょ。お医者さんが何て言ったか聞きたい? ねえ聞きたい?」
「……は?」
話の流れを掴み損なった椛が、あんぐりと口を開けるのを見て、はたてがクックッと笑みを漏らす。
にとりがさり気無く顔を上げたが、そちらはまあ、どうでもいい。
「『特定は出来ないが、おそらくは疲労かストレスが原因ではないかと推測される。十分に休養を取らせた上で、今後の経過を見守るべき』……だってさ」
「なんじゃそりゃあ!? いい加減な医者も居たもんだなぁ……」
「あ、やっぱ河童さんもそう思うっしょ? まーこの場合、話半分で飛び出してった椛が悪いだけの話で……おーい椛ぃ、ちゃんとハナシ聞いてる?」
「あ……? あ……?」
聞いてた。
その証拠という訳ではないが、椛は額に脂汗を浮かべ、その口元はやや引き攣っている。
徐に立ち上がったにとりが、彼女の目の前で手をヒラヒラさせたが、全くと言っていい程に反応が無い。
「そ、それじゃあ、私の眼は……?」
「アンタのは単なる疲れ目っぽいね。病気ってセンも消えた訳じゃないから、用心に越した事は無いケド」
「あっぶねー……“改造”しちまわないで良かった……」
幸か不幸か、にとりの呟きは二人の耳には届かなかった。
もしも聞こえてしまっていたら、今頃彼女は椛のツッコミ攻勢と、はたての猛烈な取材を受ける破目に陥っていただろう。
「なんつうかさぁ、変に真面目すぎるんだよね。天狗を辞めたいとか言い出したのだって、周りに迷惑掛けたくないとかそういう理由でしょ?」
「……はい」
「掛けてんじゃん、迷惑。みんなアンタの事を心配してるのよ? 早まったマネするんじゃないかってね。でなきゃワザワザあんな大勢で捜したりしないっつーの」
「うぅ……」
返す言葉などあろう筈もなく、ただただ項垂れるばかりの椛であった。
「……んで、アンタこれからどうしたいワケ? 戻るの? 戻らないの?」
「それは……」
「おい、なんで私を見るんだよ」
あからさまに嫌そうな顔のにとりを見つめながら、椛は黙考する。
このまま哨戒天狗に復帰したとしても、彼女が重い罪に問われることは無いだろう。
それどころか、今回の一件そのものが“なかったこと”にされるかもしれない。
およそ組織と呼ばれるものは、事なかれを以って良しとするものだ。統率力で知られた天狗社会とて、その例外ではない。
(だが、本当にそれでいいのだろうか……?)
持って生まれた生真面目さが、今の椛を逡巡させていた。
上の者が彼女を罰しないのであれば、一体誰が彼女を裁いてくれるのか?
己の迂闊さに振り回されてしまった仲間達に対し、今後どのような顔で接すればいい?
そしてなにより、お互いにこっ恥ずかしい告白モドキをしてしまったにとりとは……?
「……ません」
「あ?」
「私はもう、天狗社会には戻れません。妖怪の山始まって以来の大馬鹿者である私は、このままにとりのヒモとして生きていきます!」
「おおッ!?」
はたての顔を真っ向から見据えながら、椛は毅然とした態度で言い放った。
あまりにも恥知らずな発言と、真剣そのものな椛の表情とのギャップに、はたては思わず後ずさってしまう。
「いやいやいや、ちょっと待って椛。なんつーか、その……空気読めや!」
「本来であれば、この腹かっさばいて詫びるべきところですが……私に対する処罰は、皆様の気の済むようになさって下さい」
「……あーもう! なんなのよコイツ超めんどくせえ! 戻りゃーいいじゃんよー素直によー! アンタどんだけ皆に迷惑掛けりゃあ気が済むのー!?」
「事ココに至った以上、最後まで皆さんのお手を煩わせてやりますよ。クズならばクズなりにクズを貫く、そう決めたのです!」
「何の宣言よ!?」
気が付いてみれば立場は逆転。覚悟を決めた椛を前に、ただただ困惑するばかりのはたてであった。
必ず椛を連れ戻してみせると、大天狗相手に大見得を切ってしまった彼女。慣れないお説教までやってみせたというのに、これではあんまりだ。
「ちょっと河童! さっきから何ダンマリ決め込んでんのよ!」
「ひゅいィ? 私っすか?」
「他に誰が居るのよ! こいつアンタの嫁でしょー!? だったらアンタが何とかしなさいよー!」
「嫁って……まあいいや。じゃあしばらくの間、コイツの身柄をウチで預からせて貰えませんかね?」
「にとり! やっと私の想いを受け入れる気になったんだね! 私嬉しいよヤッホごふっ……!?」
「テメエは……黙っとけや……」
抱きつこうとする椛に対し、にとりは渾身のボディーブローで答える。
彼女の殺人機械(キリングマシーン)の如き眼光に、はたては思わずチビりそうになった。
「今の椛には、何を言っても無駄だと思うんですよねぇ。そうは思いませんか? 天狗さん」
「あっ……ハイ」
「ある程度の時間を与えてやれば、コイツも正気に戻るでしょうよ。今はその……クズ丸出しですけど、なんだかんだで根は真面目ですから」
「ホントにぃ? アンタん所で余計に堕落しそうな気がするケド……」
「私が責任を持って改良……ゲフンゲフン、更生させます。いよいよ駄目そうな時は、首から上をコレに挿げ替えてお返ししますよ」
そう言ってにとりは、先程散々に悪罵したにとり・ティーンエイジ・ライオットを拾い上げ、はたてに見せ付けた。
物騒極まりない発言に、椛の身体がビクンと跳ねる。一方のはたてはといえば、真紅の光沢を放つ“それ”に興味津々といった様子だ。
「なにこれクロカン? クロカンのアレっしょ? やっべー超カワイイ! ねえねえ、それ貰っちゃっていい?」
「カワイイかコレ……? まあ、欲しかったら差し上げますよ。その代わりと言っちゃあナンですけど……」
「椛の件はしばらく待て、でしょ? オッケオッケ。どうせ無理に連れ帰ったところで役に立たないだろうし。病気療養とか適当な口実考えてみるわ」
「それはちょっと甘すぎやしません? もっとこう、謹慎処分とか……」
「うーん、そうしたいのはヤマヤマなんだけどねえ。まあ色々と面倒くさいモンなのよ、組織ってやつは」
信賞必罰は組織体制の要諦なれど、体面なる概念を考慮に入れた場合、なかなか教科書通りに事は運ばなくなるものだ。
現状において、椛の失踪に至る経緯を知る者はごく僅か。多くの下っ端天狗達は、詳細を聞かされぬままに彼女の身を案じ続けている。
彼らに残酷な真実を告げたところで、得をする者など誰一人として居はしないだろう。かくして真相は闇に葬られ、短命で無責任な噂話だけが残る。
秩序と安定を望み、ドラマとスキャンダルを嫌う。組織とは常にそういうものなのだ。
「んじゃ、とりあえず今の話を上に掛け合ってみるわ。結果はすぐに知らせてあげるから、それまで無闇に出歩いたりしないこと。いいね?」
「なんつーか……ホントすんませんねえ。おい椛、オマエもちゃんとお礼言っとけよ」
「流石揉み消しは鴉天狗のお家芸だな!」
「ナメたクチ利いてんじゃねえぞこのガキャァ! もういい、死ね! 今ここで死ね!」
「ぐええーっ!? に、にとりに殺られるならそれも本望、『ん』と『う』を取ったら……」
「言わせねえよ!?」
にとりに首を締め上げられつつも、どこか幸せそうな表情を浮かべる椛。
そんな二人の微笑ましい姿を、はたてはカメラに収めておいた。全てが丸く収まれば、これも良い思い出になるだろう。
「私の事はいいから、後でちゃんと皆に謝るのよ? ……戻るにせよ、辞めるにせよ、ね」
「や、辞めさせませんって。なあ椛?」
「何のアイサツも無しに逃げたりしたら……その時は、天狗の総力を上げて追い詰めてやるからね。覚悟しておきなさい?」
「わ、わかりまみた」
「噛んだ!? 狼だけに!?」
まさかの失態に、思わず赤面する椛。レイビーズバイトとはこの事か。
最後くらい格好良くキメようとしたはたても、これには破顔せざるを得ない。
「じゃあ、そろそろお暇させて貰うわ。椛、具合が良くなったら絶対顔を出すのよ? みんな待ってるからね!」
「わかってますって……たぶん」
「たぶんってアンタ……! まあいいや、またね!」
別れの挨拶もそこそこに、はたては河城邸を後にした。
勿論、にとり・ティーンエイジ・ライオットを忘れずに携えて。今夜はクロカン鍋ね。
「やれやれ。一時はどうなる事かと思ったよ……どうした椛?」
はたてが開けっ放しにして行った玄関の戸を閉め、振り返ったにとりの目に映ったもの。
それは、俯きながら口元をわなわなと震わせる椛の姿であった。
「に……にっにっ、にとり……」
「おい、マジでどうしたんだよ椛。まさかオマエ、本当に変な病気に罹っちまったんじゃ……?」
「どどっ、どどどうしよう。わわ私なんかの為に、山の皆がエラい騒ぎになっちゃったよぉ!」
「なんじゃそりゃ!? 今になってヘタレてんじゃねーよ! クズを貫くんじゃなかったのか!?」
「そ、そうだった。私はクズだ、私はクズだ、私はクズなんだ……」
「……ああもう! 本当に面倒くさいヤツだよ、オマエさんはっ!」
小刻みに震える椛の身体を、にとりは力いっぱいに抱きしめる。
震えが治まるまでの間、彼女は片時も力を緩めることなく抱擁を続けた。
「……どうだ? 少しは落ち着いたか?」
「うん……ゴメンね、にとり」
「本気で悪いと思っているなら、一つだけ私に約束しろ。もう自分をいらない子だなんて思うな。眼が治ろうと治るまいと、私がずっと一緒に居てやるから……」
「……ありがとう」
にとりの肩に顎をのせたまま、椛はそっと眼を閉じる。
はたてが指摘した通り、彼女は変に真面目すぎたのだろう。その真面目さが彼女の眼を曇らせた結果、危うく道を踏み外しかけたのだ。
……いや、もう既に道を大きく外れてしまっているのかもしれない。椛がこれから先どこへ向かうのかなど、彼女自身にすら分かっていないのだから。
「家事とかは全部私がやるから、オマエは大人しく休養してろよ」
「いや、そういう訳にはいかないよ。このままお世話になりっぱなしでは、気苦労や罪悪感で私の身がもたないからね」
「……よーし、だったらトコトンこき使ってやるよ。もしも哨戒天狗に戻れなかった場合は、私専属の白狼メイドさんとして生きるコトになるんだからな」
「かしこまみました、御主人サマ♪」
「既にその気になってんじゃねえよ! しかもまた噛んでるし!」
たとえ千里先まで見通す眼があろうとも、未来まで見通すことなど出来はしない。
だが、恐れや不安によって歩みを止める必要もない。今の椛には、手を引いてくれる仲間たちがいる。彼女を必要とし、また必要とされたがっている仲間が。
何度失敗を繰り返そうと、本当に大切なものを見失わない限り、道はいつでも目の前に開けているのだ。
「ところでにとり、夜のお相手についてだけど……」
「ああ。マシーンぶっ込んでヴィンヴィンいわせてやるから、せいぜい楽しみにしとけや」
「ひいぃ! 優しく、優しくしてぇっ!?」
口をポカンと開けていたら、その後を追うように世紀末モヒカン頭の雑魚をタンクデサントさせた10式戦車がクリスマスデコレーション姿で無限軌道ドリフトを決めて走り去っていった
なにがなんだかよくわからない例えだと思うが今そんな気分。得点?100点ですがなにか?
…あれ?
正した居住まいのやり場に困っている
いや、Laserは正義、ですよね!にとりの漢らしさ、大好きです!
最後に良い話にまとまりかけるところが台無しで、またそこが、なおさら。
平安座さんにしか書けないよね
夜の場面もぜひぜひお願いします
往年のウッチャンナンチャンを思い出しますね
もう口をあんぐりと開けて滑落する事態を眺めていることしかできなかった・・・
なんだかわからないがとにかく圧倒された
数行読んだだけで最後まで掴まされました。テクニックおありですねえ。
千里眼を失ったと思い込んでから、にとりのところに駆け込みあまつさえって思考に陥ったのは、
やっぱ下心が盲目的にさせたんですかねぇ。
最高の疾走感をありがとう!
お前らもう結婚しちゃえよ!