初めて手に入れたペットだった。
暗がりでみうみうと。頼りなげに鳴いているのを拾い上げた。ただの気まぐれで育ててみた猫だった。
手のひらに収まるぐらいの小さな仔猫。黒い毛並みはざらざらで、砂や埃にまみれていた。
彼女の自慢の火のように赤い腹も煤だらけで、最初は真っ黒な猫だと思っていたほどだ。
湯を張った桶へ放り込んで揉み洗いをした。猫は水を嫌がると聞いたけれど、あの子はすっかりそれで落ち着いていた。
あの子は水を知らなかった。岩肌に溜まった泥水を啜ることしかなかったから、全身を撫ぜている熱いうねりが水と結びつかなかったらしい。
――あったかい
染み入るような安堵の声。みゃうと一声鳴いて、小さな仔猫は私を見上げた。赤い瞳がこちらを覗いた。
「目に水が入るから、閉じておきなさい」 みゃう。また一声鳴いた。言葉の意味はわからないよう。
乾いたタオルで身体を拭いて、ドライヤーで乾かしてみたら、綺麗な毛並みのお嬢様になった。
黒と赤のコントラストが鮮やかだった。これは火車だとそのとき気づいた。
飼ってみましょうか。と思いつく。妖獣だったら都合が良かった。
人肌で温めたミルクをよそる。空腹のあの子は飛びついた。仔猫にミルクは拙いなんて、そのときの私は知らなかった。
頭の良い猫だった。妖獣だからという括りをおいても、とても賢い猫だった。
すぐに言葉を理解した。躾には一切困らなかった。気を良くしてペットを増やしたときに、こんなに苦労するなんてと嘆いたほど、手のかからない猫だった。
私のあとをいつも歩いた。どこへ行くにも行きたがった。
みゃうみゃうと甲高い声で呼ばわって、私が応えると跳ねるように駆けつけた。
その赤い瞳で覗かれるのは喜びだった。常闇に火が点るよう。
「貴女の目は綺麗ね」 言って撫ぜると、満足そうに喉を鳴らした。
燐ほど私を慕ったペットは他にいない。
燐ほど私を救ったペットは他にいない。
あの子のことなら手に取るように解る。もしも私が死にでもすれば、糸が切れたように崩れ落ちるだろう。
他の誰よりも心を壊すだろう。
――ええ。ええ。さとり様。だから、どうか。あたいをお連れくださいな
すっかり大きくなったあの子を膝へ乗せ、心配事をこぼしたことがある。
応えは穏やかな思念だった。
――あたいは猫だから、大好きな土地からは離れない。貴女がその土地なんですさとり様。だからどうか、燐をお連れくださいな
思念は焼けつくように熱かった。
貴女は生きて、と言えないほどに、深く心に根を張っていた。
あのときから暇を見るたび、私は燐をくしけずる。あのときのように膝へ置き、黒い上等の毛皮を撫でつける。
どうかその日が来ませんようにと。
どうかその日が来ませんように。
神様は、この地の底をお救いにはならないでしょうけど。私達のために心を砕くことなんてないでしょうけど。
それでも。燐と名づけた意味合いを、私に光を与えたともし火を、どうか消してくれませんように。
燐。Phosphoros。“光を運ぶもの”。
静寂の宵闇の中に仄かに赤みのある燐光で、キャラクターが浮かび上がるような印象を受けました。
>燐ほど私を慕ったペットは他にいない。燐ほど私を救ったペットは他にいない。
この一節が特に印象深く、詩らしく綺麗だなぁと思いました。
素晴らしい。
ほんのちょっとの間にさとりと燐の強い絆が伝わってきました
母なる大地といいますが、最早母子より強い絆で結ばれている二人が、
光のもとで終わりの話をしている。
切なさがまぶしいほどな、地底の住人らしいお話だと思います。