命蓮寺へ届けられた
その日の受取人はムラサだった。
ムラサは文の束を胸に抱き、いつもしているように畳張りの小部屋まで歩いて行った。それから麻紐で括られた束をばらし、軽く書面に目を通して仕分けしてゆく。
『雲居一輪 殿』という宛名をみとめて、小さく瞠目した。
ここへ届く文の大半は命蓮寺宛や白蓮個人宛であって、その他のものへは稀なことだった。そのうえ敬称が『殿』であることはさらに稀である。
薄い厚みの封筒だった。筆跡は大変豪快なもので、踊るように書かれている。送り主の署名は見当たらなかった。
ムラサはわずかな思案のあと、その封筒を横へとわけた。
これは最後に届けよう。
小間事をすべて終わらせて、空いた時間を使って一輪から内容を聞き出したいぐらいには興味の湧く事柄だった。
贈り物を貴方に
件の封筒が一輪へ届けられたのはその日の夕刻、湯浴みも終いの頃だった。
封筒を受け取って、一輪は軽く溜息をついた。
いつもの配達時間から考えると、本来の宛先である自分へこれが渡るまでゆうに六刻もかかったわけだから、文句のひとつも言いたくなる。
けれど封筒を差し出した当人は、いやだって私も一輪も暇な時間がずっとなかったんだもの、と悪びれもせず肩をすくめた。
「つまり一緒に読みたいのね?」
「さすがにそこまで不躾なことは考えてなかったなあ。でも、ちゃちゃっと読んで、ちゃちゃっと私に教えてくれると嬉しい!」
「……まあいいけどね」
期待で胸を膨らませているらしいムラサを横へ置いて、一輪は封筒の口を破った。三つ折の手紙が一枚だけ顔を覗かせている。
丁寧に開いて目を通す。ひと目で用件を把握できるぐらい簡素な文章だった。
「なんて書いてるの?」
ムラサがすかさず聞いてくる。
少し伸びをして覗き込めば事足りるだろうに、そうはしないらしい。昔から変なところでお行儀がいい。
「……私宛というより雲山宛かしらね、これ」
「そうなの?」
ムラサは首を動かして、部屋の上空でふよふよ漂っていた雲山に目を向けた。視線を受け止めてだろう、雲山の目が細まった。雲山がよくする仕草だった。犬が主人に呼ばれて耳をピクリと動かしたり、猫が尻尾を小さくゆするのと同様で、まあつまり貴方に反応していますよという印であることを相棒の一輪は承知している。特にムラサへ伝えはしないけれど。
「雲山になんて?」
すぐに顔を戻してムラサ。
「ちょっと待ってね」
一輪は手紙を雲山へ手渡して、彼が読み終わるのを待ってから質問の答えを言った。
「雪を降らせて欲しいんですって」
「へ?」
地底の雪を降らせていたのが誰なのか、ムラサは知らなかったらしい。いつも連れ立って行動していたのに。
「ついでに言うと、雨もそうですけどね」
「雨って言うと……あー、梅雨! 梅雨ね!」
ジメジメな地底がもっとジメジメしちゃってあれ嫌だったわー、と脳天気な感想が返ってくる。
「そうかあ。あれ雲山が降らせてたのかー。だったら晴れの日を増やしてくれるようお願いしとけばよかった」
「私も梅雨はあまり好きではなかったけれどね。でも、風流に欠けるからって頭を下げられてたの」
「頭を下げられて、て……鬼に?」
「そう。鬼に」
ほえー、とムラサが再び雲山を見上げる。目を細める雲山。
「じゃあ今回の差出人も鬼なんだ」
「そういうことね。初夏や秋の長雨無しは我慢したらしいんだけど、冬の雪無しは我慢ならないんですって」
「雪見酒が飲めないものね」
「ん? んー……そういう理由かしらねえ」
しんしんと雪が降るなかで旨そうに酒をかっ食らう地底の住民達というのは、確かに幾度も見た情景だ。雪と酒は格別なのだろう。
「そうね……そうかもしれないわね」
気位が高いあの鬼達が、格下である他所者に真摯な態度で相談を持ちかけたのは、それだけ特別な想いがあったからなのだろう。雲の妖怪は数あれど、『地底に封じられた』雲の妖怪は雲山をおいて他にいなかった。雲山と一輪は彼らとの話し合いの結果、『初夏と秋の長雨』、『季節問わずの突発的な雨や雪』、それから『冬の大雪』を約束したのだった。
初めて雪を降らせた日のことは忘れられない。赤ら顔の鬼の群衆に自宅を突撃された。酒を浴びるように振る舞われたし、女性の鬼にはきつく抱擁をされた(死ぬかと思ったけど)。それ以降も初雪のたびに、上等の馳走が届けられたものだ。
あれだけ雪を愛していた彼らから今は雪を奪っていることになる。配慮が足りなかったと忸怩たる思いがした。
「ねえ、雲山」
一輪は相棒へ目配せをする。
「飛びっきりのプレゼントを用意しましょうか」
旧都の大通りは混雑していた。
今日の一大イベントの噂はすでに旧都中を駆け巡っているようで、芋洗いの如しとはまさにこのことを指すに違いない。小鬼、土蜘蛛、釣瓶落とし。地底に住む大小様々な妖怪の姿が見える。
一輪と雲山、ついでにムラサは彼らを一望できるほど高い楼閣の一室に案内されていた。通りからはずいぶん距離があるというのに、喜色を帯びた喧騒が波のように寄せては返す。
一輪達の傍には案内役の鬼が数人。そのうちのひとり、赤い一本角の女性が親しみのこもった声をかけてくれた。
「わざわざすまないね。礼を言うよ」
名を星熊勇儀という。雪をことさら喜んでくれていたもののひとりだ。
「いいえ。こちらこそ、ずいぶんお待たせいたしました」
一輪がそう答えたのは、封筒が届いてからすでに一月も経っていたからだ。やきもきさせたのではないかと心配していたけれど、勇儀の態度は闊達の一言だった。
ほっと胸を撫で下ろす。ちらりと外を一瞥してから、
「もう雪を降らせても?」
「ああ、頼むよ」
「わかりました」
一輪は歩を進め、欄干に近づいた。
こちらの動きを察知したのか群衆がどよめきだす。その反応に応えて、一輪は小さく笑んだ。
それから息を吸い込む。少し癖のある地底の空気――かつて常に纏っていた懐かしいそれで胸を満たした。見渡せば、眼下に広がるのはかつての住まい。
囚われのもどかしい生活ではあったけど、悪くはなかった。そんな実感をする。
「実は、今日雪を降らせるのは雲山ではないんですよ」
「ん? どういうことだい?」
そうとも、悪くはなかった。そう思えた原因の大部分が、彼ら鬼を中心とした地底の住民によるのだろう。だから、これはお礼の意味もあるのだ。
不思議そうに首を傾げる勇儀を横目に、仕掛け人は楽しそうに後ろを振り返る。
ムラサがにやついていた。雲山が大仰に頷いてから目を細めた。
それから。
それから、雲山の陰にこっそりと隠れていたもの達が、浅葱色と翡翠色の雲達が、もくもくと暗がりから外へと膨れあがった。
呆気にとられる勇儀達の頭上を越えて、浅葱と翡翠は見る間に広がり、岩肌でできた空を覆い隠した。その巨大な体躯でもって旧都のすみずみを覆いつくす。
一呼吸を置いて、ぱらぱらと雪が降ってくる。
粉雪。牡丹雪。みぞれ雪。
けっして共存し得ない奇妙奇天烈な組み合わせ。
冬の風物詩の大盤振る舞い。
色とりどりの金平糖のように、さまざまな色合いの雪が降り注ぐ。
――地の底で、轟くような歓声が沸き起こった。
外の歓声を背景に、楼閣の一室は不思議な沈黙で満たされていた。鬼達は顔を見合わせて、
「彼らは……?」
数秒ののち、勇儀が口を開く。
一輪が種明かしを披露した。
「地上の妖怪です。探しものが得意な知人がおりまして、探してもらったんです。地底へ移り住んでもよいという雲の妖怪を」
「移り住む、だって?」
「ええ。雲山も私も修行中の身ですから、貴方方のご要望に対応できない場合も多いと存じます」
「ああ……そうか……そうか」
「彼らの待遇は良くしてあげてくださいね。勝手ながら、そういう約束で来てもらいましたので」
「そうか……」
「勇儀さん? え? あ、あの、」
「いや、まったくお前はたいしたやつだな!!」
「あ、まさか、ちょっ、ちょっと待ってくだ――きゃああああ」
地底のどんちゃん騒ぎは夜更けを過ぎ、朝を迎え、また夜を越し、三度日が変わるまで終わらなかった。
浅葱と翡翠の新顔は、もみくちゃな歓迎を受けた。
一輪、雲山、ムラサ達は言うに及ばず、特に一輪への厚遇は特筆すべきほどで、早々にダウンした彼女は雲山がおぶわなければ帰れないほどだった。
それからのち、初雪の頃には命蓮寺へ大量の馳走が届けられるようになった。
抱えきれない贈り物を目にするたび、一輪は冬の深まりと身体の痛みを思い出すという。
贅沢言えばもうちょっと長く話を見たかった
欲を言えば最後がすとんと終わってしまった印象ですので、もっと染み入るような余韻を味わいたかったです。
この時期らしく、暖かいお話で素敵です
冬の季節感と心温まるやり取りが素敵でした
確かに地底で雪が降るメカニズムっていうのは謎でしたが、雲山が降らせてたとはw
よい掌編でした