Coolier - 新生・東方創想話

信仰と信仰の境界

2014/01/13 20:52:19
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 雪が降り、風の吹き荒ぶ京都の街。休日の昼間ということもあってか、喫茶店の窓からは思い思いの防寒対策を施した人々の姿が見える。
 そんな中、私、宇佐見蓮子は『秘封倶楽部』の集まりということで、喫茶店にて悠々とホットコーヒーを味わいつつ、今しがた運ばれてきたザッハトルテを注意深く見つめているところだった。
 メリーは私の熱心な視線を指摘して、
「まだ天然物だの合成物だの考えながらコーヒーを飲んでいるの?
 蓮子ってそういうところ、案外理に適ってないじゃない?」
 と、溜息一つ。紅茶を一口。メリーの一つ一つの挙措にはある種の余裕が伏在していて、そうして私を指摘する先程の言の存在もあって、私は多少の不満を感じざるを得なかった。
 そもそも、私が聊か非合理的であることなんて『秘封倶楽部』などというオカルティックな物に現を抜かしている時点で分かり切った話ではないのか。
 だが、そうであるからこそメリーは敢えてそこを追及するのだろう。私をそういう”側”に留めておくために。そして自分が恰もアンチテーゼであるかのように保ち続けるために。
 言ってしまえばこれはメリーなりの自己防衛であり、秘封倶楽部的モラトリアムを継続させる一手。
 私は物理学の徒として”天然”と”合成”の境は外に明瞭に在るのだと信じ、メリーは精神学の徒としてその境を内に曖昧に置く。或いは、それはこの『秘封倶楽部』こそがそうした全ての境として、自然(オカルト)科学(サイエンス)の併存する現代に在るモノであるための二項対立なのかもしれない。
 メリーのスタンスが作為的な物にせよ無意識的な物にせよ、この二項対立構造がある程度強固であることに変わりはなく、そして強固であるが故に、弥が上にも万が一を想定させられる。
 その時、『秘封倶楽部』は二項の境界上を駆ける、謂わば”観測者”としての地位を失って、本当に単なる不良サークルとなり果てるのだろうか。
 ちらり、とメリーの方へ目を遣ると、丁度ウェイトレスがティラミスを運んできたところであったらしい。ティラミスをフォークで小さく切るメリーの姿に、目の前の冷めたコーヒーのことを思い出し、一口分だけ飲み込んだ。
「ねぇ、メリー。それ食べながらでいいから、ちょっと聞いてくれない」
 メリーはティラミスを口に運びながら無言で答える。
 多分メリーも知っていると思うけど。私はそう前置きして話を切り出した。
「昔さ、『遺伝子組換え作物問題』っていうものがあったらしいんだけどね、その時代では同じ天然物でも『人為的に遺伝子が組み換えられているモノ』と『そうでないモノ』とで人々の見方は違っていたんだって。でもね、今となってはもう二つとも天然物ってことで一括りにされているし、そもそもそんな手間を掛けて品種改良するくらいなら合成物で作ってしまった方が早いし、簡単だし、何よりずっと正確。だからそれらの持つ特性は『”天然物”であること』一点に限られてくる。以前に天然物とは区別されてきた物が、天然物であることでしか意味を持たなくなってきた。
 つまり、それが”異物”だという観念はもはや過去の物であるということよ。
 科学の発展に人間の適応力はついて行こうとするけれど、その結果として、過去に異物だった物が遺物になる。
 それなら、今でいう”合成物”に代わる新たな異物が現れた時、”合成物”と”天然物”がまとめて扱われる時代が来ると、私は思うの」
 ここまで一気に言い切って、一旦コーヒーを飲む。メリーはまだ沈黙を守ったままで、それを以て私に続けて語ることを求める。
 私は再びコーヒーを口に含むと、躊躇っていた言葉を吐き出すべく、勢いよくそれを嚥下した。
「で、ね。そういう時代が来たら、殆どの人が今私の持っているような疑問を持たなくなるし、持てなくなる。世間一般の基準が変わる訳だからそれは当然。科学の進歩は生活を劇的に変えるけれど、だからこそ副作用は大きい。理の対偶にある情を揺るがし始めている。私が二つの区別に執心しているのはそのせいもあるの。科学に流されすぎる訳にもいかないし、かといって科学を頼らない訳にもいかないから。科学信仰なんて言葉もあるけれど、その通りだと思うわ」
 本当、宗教みたいな物。これだけは確実だと思わせて、縋ってもいいと錯覚させて、これが無ければ生きて行けない程に人々を堕落させる。まるで――――
「一つの中毒みたいね、それは」
 ふと、メリーがそう零す。その何気ない一言は確かに急所を突いていた。
 落ち着こうとコーヒーの入ったカップに手を伸ばすも感覚はどう考えても空っぽのそれで、情けなく口元に手を戻す外なかった。
「実際、蓮子もそう思っているんでしょ? まぁ蓮子は科学に固執するあまり、ちょっと意固地になりすぎていると思うんだけど。人の認識なんて時代が移れば変わっていく物なんだし、一視点から物事の境界を定めることに執心するなんて、私に言わせてもらえばナンセンスよ」
 ナンセンス。そう言われたことに、私は少なからず腹を立てた。誰だって自分が懸命にしてきたことを否定されれば反発したくなるだろう。今の私は丁度そんな気分で――
「メリー、貴方の言うことは確かに正しいと認められるところがあるけれどね、事実、人々の認識が二転三転するのには問題があるのよ」
 勢いのままに、口を切った。メリーはまだ余裕を残しているような表情をしている。憎たらしい。
「大事なのは、転回の質よりも回数よ。コペルニクス的転回が一度起きるくらいなら構わないわ。だけど、常識が修正されていくスパンがあまりに短くなってくると、人間はだんだんと追いつくので精一杯になって、終にはただただ時代に流されるだけの脳味噌が出来上がる。考えることを止めた人間は、情報に踊らされるだけの単なる傀儡と成り下がる。それは人間性の喪失よ、メリー。知性を失ったらそれはもう、いくら道具に恵まれていたとしても、二足で歩く健康体であったとしても、”人間”という存在からは外れている。”世間一般”の”常識”とやらを絶対基準にしていては知性の無駄よ。極論に聞こえるかもしれないけれど、否定できない部分は多々あるんじゃない?」
 そう、人間は知性の依り代として、個人独特の観念を持たねばならない。そうして錨を下ろしておかなければ、怒濤の如き時流に呑まれるだけなのだ。
 未だに表情を崩さぬメリーはティラミスの最後の一欠片を味わうと、紅茶をぐっと飲み干した。
「それで、蓮子」
 メリーが真っ直ぐこちらを見据える。ああ、真剣モード入ったメリーさんだ、これ。
「言いたいことはそれだけでいいのね?」
 嫣然と笑うメリー。しかし、纏うオーラは穏当な物とは程遠い。私はこの時点で多少の後悔をしながらも、プライド故に「ええ、以上よ」と返さざるを得なかった。
「そう、だったら少し質問してもいい? どうして蓮子は蓮子の言う”人間”的存在で在ろうとするの?」
「そんなの決まっているじゃない。さっきも言った通り、人間にとっては知性こそが重要だからよ」
 なんだ、そんな質問だったの。緊張して損したわ。メリーさんも鈍ったものねぇ。
「そう。じゃあここで科学信仰の話に少し戻るけど、その『人間にとっては知性こそが重要』という考えは、科学信仰的だとは思わない? 更に言えば、その信者は、宗教染みた物に縛られた価値観しか持たない以上、蓮子の言うところの非人間的存在になるんじゃないかしら」
「『宗教染みていること』と、『宗教そのものであること』とには大きな隔たりがあると思うけど。それに、科学が知性を前提としたものである以上、その信仰も多少は知性を基軸としているはずだし、結局人間的だってことになるんじゃないの。
まぁこれは私個人の考えになるけど、もし科学自体が変転したとしても、私は私の理に従って判断するだろうし、決してその”科学”を盲信したりなんかしないわ」
「そう、だったら」
 メリーは退屈を滲ませた表情を浮かべつつも、
「蓮子は、自然よりも科学よりも何よりも、蓮子自身を取るのでしょうね」
 まるで恨み言でも吐き捨てるかのように、そう言い放った。
「断言は出来ないけれども、出来るだけそうしたいという気持ちはあるかな。勿論自然も科学も好きだけど」
「蓮子はさ、人間は好きじゃないの?」
 先程までの勢いは途切れたのか、悄然とメリーは尋ねる。
「嫌いって訳じゃないんだけどね、最近はちょっと、秘封倶楽部とかそっち方面に傾倒していたから……んー……」
 正直、よくわからない。私が物理学だったりオカルトだったりに対して示す興味と、周囲の学生に対して抱く関心とを比べたらきっと前者の方が圧倒的に勝っている。それなのに、その事実を認めることを私、宇佐見蓮子の無意識は許容しない。さっきまで”人間”に執着していた人間が、よりにもよってその人間を隅に追いやってしまっているなどという愚行を為すことは、全てに対しての私の信仰とも呼ぶべき物を失うに等しい行為に思えてくる。そしてそれで失うのは秘封倶楽部もまた然りで、そうなれば即ち構造が崩壊することになるのだろうか。
 私にとって最も大切な物って何? そんな小学生に対して問われるような質問に、大学生であるはずの私の、自らの知性を錨として下ろしているはずの私のアイデンティティは容易に崩されていく。実際のところ、私は科学に寄り縋ってその不変性に心惹かれているだけなのかもしれない。メリーの直截な問いに、私はきっとそうなのだと悟らされていた。
「蓮子は、正直だと思うわ。ええ、愛おしいくらいに正直よ。でもね、」
 メリーは顔を近づけた。私の頭に手が置かれる。視線を外そうとするもメリーの手が私の頭を捕らえて離さない。
「偶には嘘を吐いてくれても、いいんじゃない?」
 私は誰に対してそう偽悪的になればよいのだろうか。
 対偶関係ということは、即ちそれこそが自らの存在証明。だからメリーは私を留めたがるのだと思っていた。
「自縄自縛なんて、馬鹿みたいね」
 今になってその考えが過ちだったと気付かされたから、私は自嘲して呟く外なかった。メリーの行動は自己防衛でもなんでもなく、私が私として、宇佐見蓮子が人間的存在で在り続けるための鎖としてのものだったのだろう。
「みたいじゃなくて、馬鹿なのよ、蓮子は。それとも、鈍感と言った方が近いのかしらね」
 勘違いしていて、かつ勘違いしたがっているのよ、とメリーは笑う。
「少しくらい例外に逸れたとしても、蓮子の神様は寛大だから赦してくれるはずよ。少なくとも私は、そう思うけれど」
 私の信仰がどこにあるのかと問われれば、科学にあると答えるのはそう難しくない話だ。しかしそれに反する物に、唯一の例外として、今悪戯に笑っている貴方があるのかもしれない。私の無意識が人間を棄てきれないのはきっとそうした信仰があるからで、私の意識がその信仰を否定したがるのは科学に対しての信仰があるからで、畢竟私は背教者になりたくなかっただけなのだろう。
 どちらも取る、なんて図々しいことが出来る度胸も器量もありはしないから、私は狡いことに無意識から逃げていた。彼女なら赦してくれるだろうと思っていたから、私は流されないように理性に縋るのに精一杯だった。情がなければ理も成り立つことはないのに、私の信仰は歪んでいたから、一つの神しか信じられなかった。
 恥ずべき無知だと思う。心底鈍感であったと思う。私は私の世界を壊したくなかったから、私の神に対して我儘であったのだろうと今になって自覚する。
 だから、漸く神様が寛容であることを期待することが出来たから――私は私の理に最高の嘘を吐いて、私の情の最上の真実と向き合って、今、ここに居る私にとっての唯一の"人間"にそれを伝えようと、私は思うの。
 独り善がりな結論だけれども、最後の最後に一言くらい、私からほんのちっぽけな仕返しをしたっていいでしょ? メリー。

 * * *

 結局、なんだかんだで終始メリーのペースだった今回の秘封倶楽部のお茶代は、全額私の奢りとなった。会計を済ませて外に出ると、メリーは突然私の方に寄りかかってきた。
「ちょっとメリーさーん、そんなサービスはありませんよー」
 雪で足元は不安定、心は一連のやり取りで大打撃、おまけに寂しくなった懐に北風が吹き込んできて寒いことこの上ない。そんな私に更なる追い討ちを掛けるとは、メリーは中々容赦がない。
「いいじゃないの、少しくらい。私はきっと、軟体動物なんだから」
 分かるような、分からないような、そんなことを言いつつメリーは微笑んだ。
「それをいうなら、無脊椎動物の方が近いんじゃない? ま、私からそれを言うのもなんだけどさ」
 だから私も微笑み返して、きっと寒さのせいではなく赤くなった頬を撫でるのだった。



二項対立構造というかなんというか、そんな感じの組み立て方を自分は好んでいるような気がするなぁ、と気付かされた次第。
一人称だと片方の内面ばかり掘り下げられがちになってしまうのが少々辛いところではありますが……。メリーは果たして何を考えているのでしょうかね。
兎にも角にもアイディアを何らかの形にするのは久しぶりで、中々楽しかったです。

では、この辺で。次回も御縁がありましたらお会いしたく思います。

(2014/12/10)脱字の訂正。一部加筆修正。


空音
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コメント



0.280簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
今年後半には、食べ物を出力できる3Dプリンターが発売されるそうです。
3.90絶望を司る程度の能力削除
↑まじか…。
蓮子は鈍感だねぇ、まったく。
5.80奇声を発する程度の能力削除
面白かったです