もうツインテールはこりごりだ、そうメリーは後悔した。
朝、社会全体が動き始める時間帯に、大学構内の廊下で、メリーはうつ向きながら黙々と歩いている。
「……」
すれ違う人の視線が針につつかれるように痛い。主にメリーの頭部が注視されていて、おずおずと顔を挙げると、好奇心旺盛な目と合うこともある。陰口を叩かれるならまだスルーできるものを、周囲はただ興味津々なだけに、恥ずかしさから身を小さくする他ない。
遠目から覗いてくる学生も多く、メリーの歩く速度に合わせてまるで監視カメラのように首を動かしていた。いまさら、留学当初の時を思い起こさせる。
以前の日本に比べ国際交流も活発になって、国内のあちこちでも欧州人や中華人が見られるようになってはいたのに、野次馬根性全開でわらわらと男女問わず群がってきた、あの時を。
メリーはなぜ自分がそう注目されるのかわからず、蓮子に聞いてみたことがあるのだが、蓮子曰く、メリーは美人だから、とのことだった。
メリーは納得がいき難かったが、蓮子はそれだけ言って顔を赤らめながら黙りこんでしまったため、有益な情報は聞き出すことができなかった。
その当時に似たような状況に、メリーは陥っている。違うことがあるとすれば、メリーがその元凶を知っていることだ。
いったい何故なのか。その理由はひどく単純で、何よりも目立っているメリーの髪型にあった。
「ああ……ツインテールにしようなんて考えた時点でアウトだったわ……」
メリーは半ば心の内で叫ぶようにして呟くと、自分の身を庇うようにして、右斜め後ろ頭に作った尻尾の付け根を手のひらで触った。柔らかく、枝毛のない優雅な髪が揺れている。
そう、ツインテールなのである。もう一度言おう、ツインテールなのである。
様々な長さの髪を、高め、低め、中間、横、うなじの辺りなど好みの場所に二つ縛りにする髪型である。ポニーテールが二つあるからツインなのであって、食べると海老の味がする怪獣から名づけられたのではない。
使用年齢層をグラフに表すと、小学生低学年を過ぎると減少していき、高校生を過ぎるとアイドルやタレントでない限りほとんど見かけなくなる、あの伝説である。
メリーぐらいの年齢でツインテールをしているのは二次元の中でしかお目にかかる機会が無いこともあり、その希少価値も人気も非常に高い。
ましてや学内トップクラスの美人であるメリーが、いままで綺麗な金髪をゆるふわカールのままにしていたメリーが、一部の愛好家大興奮の姿を晒している。それだけでも騒ぎになるのは当然の事ながら、似合っているということが一番の目玉だ。それに尽きる。
男子が抱く感想はもちろん“カワイイ”。同姓が男子に媚を売るのが嫌いな女性グループも、アレはしょうがないと溜め息を吐くレベルである。
メリーがいっそのことツインテールを振りほどいてやろうと上質な黒いゴムに手をかけると、周りは息をのみ身構え、メリーが怯えてそっと手を下ろすと胸を撫で下ろす。
こんなやり取りがかれこれ家を出た瞬間から続いている。嫌になってくるのも仕方がないだろう。計り知れない羞恥に耐えながら、メリーはさらに身を縮こませながら、一コマ目の教室に向かう。
もちろんメリーも多少なりとも周りが騒ぐことは予想していた。ほどほどの関係がある連中が声をかけてきたりとか、どこかのグループの話の種になるであろう事も。
だが、ここまで事が大きくなろうとは、誤算だったとしか言いようがない。近しい人でない限りはそんな他人のファッションを気にかけることはないと高を括っていたのが駄目だった。
一時限目の開始時刻にはまだ程遠いが、どこに行ってもついてくる人の目から逃れたく、小走りになる。ツインテールが左右に揺れる。
スライド式のホワイトボードが堂々と正面にあり、白い長机が淡々と並べられている部屋に入ると、メリーは講師の位置から一番離れている、ホワイトボードから見て一番奥の端に席を陣取った。筆記具やノートなどを鞄から取りだし終えると、肘から先を机に乗せ、苦行に堪え忍ぶように項垂れる。ツインテールも地面とだいたい垂直になるように垂れ下がる。
悪い意味ではないにしても、後ろ指を指されたり、見えないところでヒソヒソと喋られるのは辛い。まして現在メリーの精神状態も、鉄板で磨きあげられたように磨耗しているのだ。
望んで十字放火の中心に行く奴はいない。気休め程度でもいいから、被害が及ばなさそうな場所が一番だ。
出入り口の近くに掛けてある時計をすがるように見つめる。心のオアシスである蓮子と会えるのもまだしばらくかかりそうだ。
一限二限と講義があって、三限目になってちょうど蓮子とスケジュールが合う。それまでにも話は色々なところに飛び火するだろうし、いよいよもって過ごしにくくなるだろう。
せめて蓮子と合流できれば、最低でも恥ずかしさから解放されるのに、とメリーは相棒の顔を思い浮かべる。蓮子から一言もらえれば、それで終わりなのだから。
蓮子から『かわいい』と言ってもらうためだけに、メリーは覚悟を決めてここまで来ているのだから。
昨夜のことである。
マンションに帰ってきてすぐ、バイトで疲れきった身体をソファに預けながらぼんやりとテレビを眺めていたメリーだったが、不覚にもそのまま寝てしまい、次に気がついたときのは深夜二時頃。テレビもつけっぱなしで慌てそうになるメリーの目に飛び込んできたのは、一本のアニメだった。
女子高生グループ三人が仲良く暮らしているだけの内容だったのだが、たまたまオシャレについてワイワイする回だったようで、服装だけでなく髪型もみんなで弄り合っていた。
楽しそうだなー蓮子とやってみるのもありだなーとぼんやりとした頭で考えつつ、何気なく見ていたメリーだったが、ほんの出来心が、彼女の胸に芽生えた。『もし私が急に髪型変えたら、蓮子はどんな反応をするだろうか』と。
ちょうど画面に映っていたのは、メリーと同じく金髪の少女がツインテールに変身させられ、恥ずかしそうに腕を組んでいる様子だった。
決して蓮子を喜ばせようとかそういうことではない。一種のドッキリだ。
かくして、メリーさんの作戦は練られた。
似合うという確証はなかったものの、こうして人の前に出て反応を観察、それどころか嫌でも見せつけられると、決して悪くはないのだろうと思う。もう二度とこんなことはしないと、胸に刻むぐらいの犠牲は払ってしまったが。
問題は蓮子のお眼鏡に敵うかどうかだけで、それだけが心配だ。別に蓮子が辛口の評論家だとかいうことではなく、見てもらうなら誉められるに越したことはないぐらいの話である。
肉を切らせて骨を断つどころか、骨を切らせて薄皮を断つぐらいの利益しか得られなさそうだが、ここまで来たのだ、最後まで通すのが筋というやつだろう。
なんてメリーが考えていると、講師の話も佳境に入っていた。講義もそろそろ終わりで、着々と進む時間に安堵すら覚える。もちろん内容なんて聞いちゃいない。そんなことよりも蓮子だ。蓮子と話がしたい。メリーのペンを握る力が強まり、プラスチック製のボディが軋む。
そんなようなメリーの思念が漏れていたのか、はたまた鬼気迫る表情が浮かんでいたのか知らないが、中年ぐらいの講師がメリーを見て少し怯えた素振りを見せた。
「き、今日はここまで」
講師は盗み見るように腕時計を確認すると、そそくさと荷物をまとめ、逃げるように教室を去ってしまった。
突然の出来事に、その場にいた学生たちも混乱を隠せない。あちこちから失笑が漏れ、あちこちから近くにいる面子と小声で何があったのかの想像を語り合っている。
メリーも最初は彼の突飛な行動に疑問を持っていたが、すぐにそれも消えてしまう。そんな下らないことを気にしてる場合ではない。
講義が終わったのならば、それでいい。幸いと言うべきか、教室移動はない。メリーはただそこに座って時間を潰していてもなにも問題はないということだ。
メリーは機械的なまでに冷静に、次の時間のための用具を出す。状況が把握出来始めた学生たちも続々と片付けを始め、駄弁りながら教室を去るものもいれば、先程の事件をネタにしてその場で話し始めるものもいる。
メリーは窓越しに、狭くはない中庭を見下ろしながら、そこをうろつく人の中に蓮子がいないかどうかを無意識ながら探し始める。
人の往来は多くないが、休憩のためにたまる面子も多い。残念ながら、そういうところを蓮子は好まない。ひっそりとした穴場的な場所が、蓮子たちのお気に入りなのだ。だからやはり、パッと見でもあの黒いハットはどこにも見当たらなかった。
これ以上外に意識を向けても無駄だと、頬杖をついて、ノートの適当なページを開き、シャープペンシルで落書きをしてみる。
さて、何を書こうか、と縦に線を一本引いたところで、女子数人のグループがこっちに近づいてきたのを尻目に捉えた。席を確保しようとしているのか、と無視を決め込みたいところだが、彼女たちの視線もまた、メリーのツインテールに注がれていた。
懸念通り彼女たちはメリーのすぐ隣で止まり、何対もの目線がツインテールに刺さっている。やっぱりかわいいね、なんて声が小さく囁かれたが、メリーは蓮子にその言葉を言って欲しいのだ。心中では、少し煩わしく感じている。
「ハ、ハーンさん」
メリーのその不快そうな雰囲気を察したのか、グループの中心にいた女子が伺いたてるようにメリーに話しかけてきた。
「なにかしら」
少しはにかんでメリーが彼女たちを見ると、女子たちは安堵したように肩を下ろした。自分に話しかけてくるなんて珍しいな、と、その話しかけてきた女子を見ながら思うが、そこでようやく、メリーは彼女たちとの面識があることを思い出した。
確か、入学したての頃に何度か会話をしていて、今でもたまにだが世間話をする仲の人間だ。それならばメリーに接触してきたことにも納得がいく。
まあしかし、それでもあまり相手をしたくないのも事実だが。
「そのツインテールどうしたの?」
彼女なりに仲良くしようとしているのだろう、メリーのツインテールを触りたげに手をわさわさとさせている。彼女の友人たちも同じようだ。
「ちょっと気分転換にね」
「ふーん、似合ってるよ」
人懐っこそうに彼女が笑いかけてくるが、メリーの表情筋はピクリとも動かなかった。メリーの眼光が女子たちを射抜き、だんだんと彼女たちの笑顔も凍りついていく。
「ありがとう」
そこにトドメを差すように、メリーが悪意ゼロパーセント作為百パーセントの笑顔を返した。早く一人にしてくれ、という暗黙のメッセージ付である。
さすがに女子グループも険悪な雰囲気を汲んだのか、それぞれが頬をひきつらせながらメリーから離れていく。その背中は、なんだか寂しげだった。
なにか大事なものを犠牲にしたような気もするが、そんなものを感じる余裕もなく、メリーの中は、蓮子の反応はいかなるものだろうか、ダメ出しされたらどうしよう、のような心配で一杯だ。
シャーペンを持ち直して、書きかけだった線をさらに濃くしていく。数往復もしないうちに芯があっけなく折れて、破片が前の席に座る男子の頭上を通り越した。
メリーの苦悩は終わらない。
……ねぇ、あれってハーンさん? ……
……可愛いわね……
……やっぱり高嶺の花だよなぁ……
キャンパス内にあるカフェテラスの一角で座っていても、こういった会話があちこちでされているのが耳に入ってくる。案の定、メリーの評判は大学中に広まってしまったわけだ。
男女問わず、様々な意図のこもった目を向けられることにもう慣れすら覚えてきたメリーだが、現在、それどころではない。もっと重要な局面に面しているのだ。
「……ねえ蓮子」
「……」
メリーが、正面に座っている蓮子に機嫌を取るように話しかける。しかし蓮子は腕組みをしたまま口をつぐんで、一切応答しようとしない。目を合わせようともしない。
たまに目の前の湯気立つブラックコーヒーに口をつけるために動くことはあっても、それ以外はむっすりとして、メリーと取り合おうともせずにいる。
ただいまメリーは、不機嫌な蓮子をなだめるのに必死なのだった。
「蓮子、いったい何を怒っているのよ」
「……」
蓮子がメリーに怒っているのは確かで、しかし蓮子が何に腹を立てているのかわからない分、謝ることも出来ない。
二限目が終わってすぐに駆けつけ、相席をしようとしても止めなかったし、見ようによってはメリーの言い分を待っているかのようにもとれるので、絶体絶命というわけではないようだが、メリーの当初の目的は、全く果たせそうにない。
「蓮子、何か言ってくれないとわからないじゃない」
「……」
「……私が蓮子の気に障るようなことをしたのなら謝るわ。だからお願い」
「……」
「……蓮子」
「……」
「……」
メリーの声が少しずつ消え入って、最終的にはなにも言えなくなってしまった。
蓮子がコーヒーカップを持ち上げ、一口すする。肩を上下する大きな呼吸を一つ置いて、蓮子は何も喋らない。割れ物のような空気が流れる。
「紅茶をお持ちしまし……失礼しました」
空気を読まない店員がメリーの頼んだ紅茶を運んできたが、萎れたメリーと不機嫌そうな蓮子を見るなり厄介なところに出くわしたと気づき、カップを置くとそそくさと戻っていった。
「……」
「……」
蓮子のその強情な態度に、メリーもだんだんと不満が溜まってくる。逆ギレなのかもしれないが、メリーも素直に話し合おうとしているのだ、蓮子もそれに乗るのが筋ではないか、と、メリーが僅かに身を乗り出す。
「……」
だが、蓮子の怒り方に少しばかり違和感を覚えた。普段の蓮子ならば、意地を張ることもあるが、言いたいことを歯に衣着せずに言う事が多い。だから、今こうして憮然としている蓮子はらしくないとメリーは感じる。
メリーは唾を飲み込んで、腰をもう一度落ち着けて蓮子の言葉を待った。こういう時は、押せば押すほど悪化してしまう。根強く辛抱するしかない。
メリーたちと少し離れて談笑する男女の声。風の揺られて擦れる木の葉。メリーの頼んだ紅茶から漂う湯気が、儚く霧散する。
いったい何分過ぎただろうか。メリーも蓮子もカップの中身は空で、お互いなにもせずただ時間だけが過ぎる。メリーは蓮子の口元をずっと見続け、蓮子は一向にメリーを見ようと目を動かさない。それでもメリーは耐え続けた。
「……メリーが」
それからまた十数分たち、テラスの客もだいたい入れ替わったところでようやく蓮子が口を開いた。集中していなければ聞き取れないほどの声量で、メリーは辛うじて拾うことができた。
いったい自分はどういったミスを犯したのだろうか、蓮子をこれほどまで怒らせるなんて絶好ものかもしれない、そんな不安がよぎる。蓮子の声をきちんと逃さないよう耳を傾けると、今度ははっきりと聞き取れて、
「メリーが、みんなに見られてるのが嫌だったから」
「……へ?」
「今のメリー、すごいかわいいから、周りに盗られそうな気がして」
蓮子はそこまで言うと、組んだ腕をそのまま机に置いて、顔を隠すように突っ伏した。
思わぬところからメリーにストレートが飛んできた。一ラウンド一分半でKO敗けをきした気分。それはメリーが望んでいた誉め言葉だった。
「……もしかして嫉妬、してたの?」
「……うん」
蓮子の耳が林檎のように赤くなっている。
どういうことだ、とメリーは静かに焦り始める。
確かに蓮子はメリーのことをかわいいと言った。それはもう揺るがない。それはもう小躍りをしたくなるぐらい喜んでもおかしくないのに、そんな気分ではない。
蓮子にかわいいと言わせたかったはずなのに、言わせられたはずなのに、敗北感が沸き上がってきている。
「ぅぅぅ……」
蓮子が絞り出すようなうめきを出す。そして肩が狭められた。その様子は、朝方のメリーを想起させる。
メリーは、自分の顔が熱を帯び始めたのを感じた。何故自分はこんなにも照れているのだろうか、蓮子に言わせたのは自分ではなかったか、不意打ちでもなかったというのに、と思考が渦を巻きだす。
「……」
ごめんと言うべきか、ありがとうと言うべきなのかメリーには判断がつかなくなる。いや、どちらも正解なのだろうが、口にするのも野暮というか、タイミングを完全に逃してしまった。
蓮子のせいで混沌としだした思考を沈めようと、彼女と同じような姿勢をとる。
「……」
「……」
先程とは重みの違う、どちらかと言えば愉快な沈黙が降りる。
背中に目がついていなくとも、店員や周りの学生からなにやってんだあいつらは、という奇異な視線が集まっているのがメリーにはわかる。が、どうしても顔をあげることはしたくない。多分、人に見せられるような顔はしていないだろう。
『かわいい』と蓮子に言われたことが嬉しくてたまらないのと、照れを必死に隠そうとしていた蓮子もまた、メリーのハートを直撃するものだったから。
どうしようもない空気の中で、二人はそのまま動かない。互いが互いに耳を朱に染め、微動だにしない光景は端から見るとかなり滑稽だが、メリーたちにとっては、甘くも苦い、不思議な空間に包まれているのだ。
「……ねえメリー」
「……なによ」
「……ツインテール触ってもいい?」
「……お好きなだけどうぞ」
「……ありがと」
もうツインテールはこりごりだ、そうメリーは後悔した。……これ以上なくにやけながら。
朝、社会全体が動き始める時間帯に、大学構内の廊下で、メリーはうつ向きながら黙々と歩いている。
「……」
すれ違う人の視線が針につつかれるように痛い。主にメリーの頭部が注視されていて、おずおずと顔を挙げると、好奇心旺盛な目と合うこともある。陰口を叩かれるならまだスルーできるものを、周囲はただ興味津々なだけに、恥ずかしさから身を小さくする他ない。
遠目から覗いてくる学生も多く、メリーの歩く速度に合わせてまるで監視カメラのように首を動かしていた。いまさら、留学当初の時を思い起こさせる。
以前の日本に比べ国際交流も活発になって、国内のあちこちでも欧州人や中華人が見られるようになってはいたのに、野次馬根性全開でわらわらと男女問わず群がってきた、あの時を。
メリーはなぜ自分がそう注目されるのかわからず、蓮子に聞いてみたことがあるのだが、蓮子曰く、メリーは美人だから、とのことだった。
メリーは納得がいき難かったが、蓮子はそれだけ言って顔を赤らめながら黙りこんでしまったため、有益な情報は聞き出すことができなかった。
その当時に似たような状況に、メリーは陥っている。違うことがあるとすれば、メリーがその元凶を知っていることだ。
いったい何故なのか。その理由はひどく単純で、何よりも目立っているメリーの髪型にあった。
「ああ……ツインテールにしようなんて考えた時点でアウトだったわ……」
メリーは半ば心の内で叫ぶようにして呟くと、自分の身を庇うようにして、右斜め後ろ頭に作った尻尾の付け根を手のひらで触った。柔らかく、枝毛のない優雅な髪が揺れている。
そう、ツインテールなのである。もう一度言おう、ツインテールなのである。
様々な長さの髪を、高め、低め、中間、横、うなじの辺りなど好みの場所に二つ縛りにする髪型である。ポニーテールが二つあるからツインなのであって、食べると海老の味がする怪獣から名づけられたのではない。
使用年齢層をグラフに表すと、小学生低学年を過ぎると減少していき、高校生を過ぎるとアイドルやタレントでない限りほとんど見かけなくなる、あの伝説である。
メリーぐらいの年齢でツインテールをしているのは二次元の中でしかお目にかかる機会が無いこともあり、その希少価値も人気も非常に高い。
ましてや学内トップクラスの美人であるメリーが、いままで綺麗な金髪をゆるふわカールのままにしていたメリーが、一部の愛好家大興奮の姿を晒している。それだけでも騒ぎになるのは当然の事ながら、似合っているということが一番の目玉だ。それに尽きる。
男子が抱く感想はもちろん“カワイイ”。同姓が男子に媚を売るのが嫌いな女性グループも、アレはしょうがないと溜め息を吐くレベルである。
メリーがいっそのことツインテールを振りほどいてやろうと上質な黒いゴムに手をかけると、周りは息をのみ身構え、メリーが怯えてそっと手を下ろすと胸を撫で下ろす。
こんなやり取りがかれこれ家を出た瞬間から続いている。嫌になってくるのも仕方がないだろう。計り知れない羞恥に耐えながら、メリーはさらに身を縮こませながら、一コマ目の教室に向かう。
もちろんメリーも多少なりとも周りが騒ぐことは予想していた。ほどほどの関係がある連中が声をかけてきたりとか、どこかのグループの話の種になるであろう事も。
だが、ここまで事が大きくなろうとは、誤算だったとしか言いようがない。近しい人でない限りはそんな他人のファッションを気にかけることはないと高を括っていたのが駄目だった。
一時限目の開始時刻にはまだ程遠いが、どこに行ってもついてくる人の目から逃れたく、小走りになる。ツインテールが左右に揺れる。
スライド式のホワイトボードが堂々と正面にあり、白い長机が淡々と並べられている部屋に入ると、メリーは講師の位置から一番離れている、ホワイトボードから見て一番奥の端に席を陣取った。筆記具やノートなどを鞄から取りだし終えると、肘から先を机に乗せ、苦行に堪え忍ぶように項垂れる。ツインテールも地面とだいたい垂直になるように垂れ下がる。
悪い意味ではないにしても、後ろ指を指されたり、見えないところでヒソヒソと喋られるのは辛い。まして現在メリーの精神状態も、鉄板で磨きあげられたように磨耗しているのだ。
望んで十字放火の中心に行く奴はいない。気休め程度でもいいから、被害が及ばなさそうな場所が一番だ。
出入り口の近くに掛けてある時計をすがるように見つめる。心のオアシスである蓮子と会えるのもまだしばらくかかりそうだ。
一限二限と講義があって、三限目になってちょうど蓮子とスケジュールが合う。それまでにも話は色々なところに飛び火するだろうし、いよいよもって過ごしにくくなるだろう。
せめて蓮子と合流できれば、最低でも恥ずかしさから解放されるのに、とメリーは相棒の顔を思い浮かべる。蓮子から一言もらえれば、それで終わりなのだから。
蓮子から『かわいい』と言ってもらうためだけに、メリーは覚悟を決めてここまで来ているのだから。
昨夜のことである。
マンションに帰ってきてすぐ、バイトで疲れきった身体をソファに預けながらぼんやりとテレビを眺めていたメリーだったが、不覚にもそのまま寝てしまい、次に気がついたときのは深夜二時頃。テレビもつけっぱなしで慌てそうになるメリーの目に飛び込んできたのは、一本のアニメだった。
女子高生グループ三人が仲良く暮らしているだけの内容だったのだが、たまたまオシャレについてワイワイする回だったようで、服装だけでなく髪型もみんなで弄り合っていた。
楽しそうだなー蓮子とやってみるのもありだなーとぼんやりとした頭で考えつつ、何気なく見ていたメリーだったが、ほんの出来心が、彼女の胸に芽生えた。『もし私が急に髪型変えたら、蓮子はどんな反応をするだろうか』と。
ちょうど画面に映っていたのは、メリーと同じく金髪の少女がツインテールに変身させられ、恥ずかしそうに腕を組んでいる様子だった。
決して蓮子を喜ばせようとかそういうことではない。一種のドッキリだ。
かくして、メリーさんの作戦は練られた。
似合うという確証はなかったものの、こうして人の前に出て反応を観察、それどころか嫌でも見せつけられると、決して悪くはないのだろうと思う。もう二度とこんなことはしないと、胸に刻むぐらいの犠牲は払ってしまったが。
問題は蓮子のお眼鏡に敵うかどうかだけで、それだけが心配だ。別に蓮子が辛口の評論家だとかいうことではなく、見てもらうなら誉められるに越したことはないぐらいの話である。
肉を切らせて骨を断つどころか、骨を切らせて薄皮を断つぐらいの利益しか得られなさそうだが、ここまで来たのだ、最後まで通すのが筋というやつだろう。
なんてメリーが考えていると、講師の話も佳境に入っていた。講義もそろそろ終わりで、着々と進む時間に安堵すら覚える。もちろん内容なんて聞いちゃいない。そんなことよりも蓮子だ。蓮子と話がしたい。メリーのペンを握る力が強まり、プラスチック製のボディが軋む。
そんなようなメリーの思念が漏れていたのか、はたまた鬼気迫る表情が浮かんでいたのか知らないが、中年ぐらいの講師がメリーを見て少し怯えた素振りを見せた。
「き、今日はここまで」
講師は盗み見るように腕時計を確認すると、そそくさと荷物をまとめ、逃げるように教室を去ってしまった。
突然の出来事に、その場にいた学生たちも混乱を隠せない。あちこちから失笑が漏れ、あちこちから近くにいる面子と小声で何があったのかの想像を語り合っている。
メリーも最初は彼の突飛な行動に疑問を持っていたが、すぐにそれも消えてしまう。そんな下らないことを気にしてる場合ではない。
講義が終わったのならば、それでいい。幸いと言うべきか、教室移動はない。メリーはただそこに座って時間を潰していてもなにも問題はないということだ。
メリーは機械的なまでに冷静に、次の時間のための用具を出す。状況が把握出来始めた学生たちも続々と片付けを始め、駄弁りながら教室を去るものもいれば、先程の事件をネタにしてその場で話し始めるものもいる。
メリーは窓越しに、狭くはない中庭を見下ろしながら、そこをうろつく人の中に蓮子がいないかどうかを無意識ながら探し始める。
人の往来は多くないが、休憩のためにたまる面子も多い。残念ながら、そういうところを蓮子は好まない。ひっそりとした穴場的な場所が、蓮子たちのお気に入りなのだ。だからやはり、パッと見でもあの黒いハットはどこにも見当たらなかった。
これ以上外に意識を向けても無駄だと、頬杖をついて、ノートの適当なページを開き、シャープペンシルで落書きをしてみる。
さて、何を書こうか、と縦に線を一本引いたところで、女子数人のグループがこっちに近づいてきたのを尻目に捉えた。席を確保しようとしているのか、と無視を決め込みたいところだが、彼女たちの視線もまた、メリーのツインテールに注がれていた。
懸念通り彼女たちはメリーのすぐ隣で止まり、何対もの目線がツインテールに刺さっている。やっぱりかわいいね、なんて声が小さく囁かれたが、メリーは蓮子にその言葉を言って欲しいのだ。心中では、少し煩わしく感じている。
「ハ、ハーンさん」
メリーのその不快そうな雰囲気を察したのか、グループの中心にいた女子が伺いたてるようにメリーに話しかけてきた。
「なにかしら」
少しはにかんでメリーが彼女たちを見ると、女子たちは安堵したように肩を下ろした。自分に話しかけてくるなんて珍しいな、と、その話しかけてきた女子を見ながら思うが、そこでようやく、メリーは彼女たちとの面識があることを思い出した。
確か、入学したての頃に何度か会話をしていて、今でもたまにだが世間話をする仲の人間だ。それならばメリーに接触してきたことにも納得がいく。
まあしかし、それでもあまり相手をしたくないのも事実だが。
「そのツインテールどうしたの?」
彼女なりに仲良くしようとしているのだろう、メリーのツインテールを触りたげに手をわさわさとさせている。彼女の友人たちも同じようだ。
「ちょっと気分転換にね」
「ふーん、似合ってるよ」
人懐っこそうに彼女が笑いかけてくるが、メリーの表情筋はピクリとも動かなかった。メリーの眼光が女子たちを射抜き、だんだんと彼女たちの笑顔も凍りついていく。
「ありがとう」
そこにトドメを差すように、メリーが悪意ゼロパーセント作為百パーセントの笑顔を返した。早く一人にしてくれ、という暗黙のメッセージ付である。
さすがに女子グループも険悪な雰囲気を汲んだのか、それぞれが頬をひきつらせながらメリーから離れていく。その背中は、なんだか寂しげだった。
なにか大事なものを犠牲にしたような気もするが、そんなものを感じる余裕もなく、メリーの中は、蓮子の反応はいかなるものだろうか、ダメ出しされたらどうしよう、のような心配で一杯だ。
シャーペンを持ち直して、書きかけだった線をさらに濃くしていく。数往復もしないうちに芯があっけなく折れて、破片が前の席に座る男子の頭上を通り越した。
メリーの苦悩は終わらない。
……ねぇ、あれってハーンさん? ……
……可愛いわね……
……やっぱり高嶺の花だよなぁ……
キャンパス内にあるカフェテラスの一角で座っていても、こういった会話があちこちでされているのが耳に入ってくる。案の定、メリーの評判は大学中に広まってしまったわけだ。
男女問わず、様々な意図のこもった目を向けられることにもう慣れすら覚えてきたメリーだが、現在、それどころではない。もっと重要な局面に面しているのだ。
「……ねえ蓮子」
「……」
メリーが、正面に座っている蓮子に機嫌を取るように話しかける。しかし蓮子は腕組みをしたまま口をつぐんで、一切応答しようとしない。目を合わせようともしない。
たまに目の前の湯気立つブラックコーヒーに口をつけるために動くことはあっても、それ以外はむっすりとして、メリーと取り合おうともせずにいる。
ただいまメリーは、不機嫌な蓮子をなだめるのに必死なのだった。
「蓮子、いったい何を怒っているのよ」
「……」
蓮子がメリーに怒っているのは確かで、しかし蓮子が何に腹を立てているのかわからない分、謝ることも出来ない。
二限目が終わってすぐに駆けつけ、相席をしようとしても止めなかったし、見ようによってはメリーの言い分を待っているかのようにもとれるので、絶体絶命というわけではないようだが、メリーの当初の目的は、全く果たせそうにない。
「蓮子、何か言ってくれないとわからないじゃない」
「……」
「……私が蓮子の気に障るようなことをしたのなら謝るわ。だからお願い」
「……」
「……蓮子」
「……」
「……」
メリーの声が少しずつ消え入って、最終的にはなにも言えなくなってしまった。
蓮子がコーヒーカップを持ち上げ、一口すする。肩を上下する大きな呼吸を一つ置いて、蓮子は何も喋らない。割れ物のような空気が流れる。
「紅茶をお持ちしまし……失礼しました」
空気を読まない店員がメリーの頼んだ紅茶を運んできたが、萎れたメリーと不機嫌そうな蓮子を見るなり厄介なところに出くわしたと気づき、カップを置くとそそくさと戻っていった。
「……」
「……」
蓮子のその強情な態度に、メリーもだんだんと不満が溜まってくる。逆ギレなのかもしれないが、メリーも素直に話し合おうとしているのだ、蓮子もそれに乗るのが筋ではないか、と、メリーが僅かに身を乗り出す。
「……」
だが、蓮子の怒り方に少しばかり違和感を覚えた。普段の蓮子ならば、意地を張ることもあるが、言いたいことを歯に衣着せずに言う事が多い。だから、今こうして憮然としている蓮子はらしくないとメリーは感じる。
メリーは唾を飲み込んで、腰をもう一度落ち着けて蓮子の言葉を待った。こういう時は、押せば押すほど悪化してしまう。根強く辛抱するしかない。
メリーたちと少し離れて談笑する男女の声。風の揺られて擦れる木の葉。メリーの頼んだ紅茶から漂う湯気が、儚く霧散する。
いったい何分過ぎただろうか。メリーも蓮子もカップの中身は空で、お互いなにもせずただ時間だけが過ぎる。メリーは蓮子の口元をずっと見続け、蓮子は一向にメリーを見ようと目を動かさない。それでもメリーは耐え続けた。
「……メリーが」
それからまた十数分たち、テラスの客もだいたい入れ替わったところでようやく蓮子が口を開いた。集中していなければ聞き取れないほどの声量で、メリーは辛うじて拾うことができた。
いったい自分はどういったミスを犯したのだろうか、蓮子をこれほどまで怒らせるなんて絶好ものかもしれない、そんな不安がよぎる。蓮子の声をきちんと逃さないよう耳を傾けると、今度ははっきりと聞き取れて、
「メリーが、みんなに見られてるのが嫌だったから」
「……へ?」
「今のメリー、すごいかわいいから、周りに盗られそうな気がして」
蓮子はそこまで言うと、組んだ腕をそのまま机に置いて、顔を隠すように突っ伏した。
思わぬところからメリーにストレートが飛んできた。一ラウンド一分半でKO敗けをきした気分。それはメリーが望んでいた誉め言葉だった。
「……もしかして嫉妬、してたの?」
「……うん」
蓮子の耳が林檎のように赤くなっている。
どういうことだ、とメリーは静かに焦り始める。
確かに蓮子はメリーのことをかわいいと言った。それはもう揺るがない。それはもう小躍りをしたくなるぐらい喜んでもおかしくないのに、そんな気分ではない。
蓮子にかわいいと言わせたかったはずなのに、言わせられたはずなのに、敗北感が沸き上がってきている。
「ぅぅぅ……」
蓮子が絞り出すようなうめきを出す。そして肩が狭められた。その様子は、朝方のメリーを想起させる。
メリーは、自分の顔が熱を帯び始めたのを感じた。何故自分はこんなにも照れているのだろうか、蓮子に言わせたのは自分ではなかったか、不意打ちでもなかったというのに、と思考が渦を巻きだす。
「……」
ごめんと言うべきか、ありがとうと言うべきなのかメリーには判断がつかなくなる。いや、どちらも正解なのだろうが、口にするのも野暮というか、タイミングを完全に逃してしまった。
蓮子のせいで混沌としだした思考を沈めようと、彼女と同じような姿勢をとる。
「……」
「……」
先程とは重みの違う、どちらかと言えば愉快な沈黙が降りる。
背中に目がついていなくとも、店員や周りの学生からなにやってんだあいつらは、という奇異な視線が集まっているのがメリーにはわかる。が、どうしても顔をあげることはしたくない。多分、人に見せられるような顔はしていないだろう。
『かわいい』と蓮子に言われたことが嬉しくてたまらないのと、照れを必死に隠そうとしていた蓮子もまた、メリーのハートを直撃するものだったから。
どうしようもない空気の中で、二人はそのまま動かない。互いが互いに耳を朱に染め、微動だにしない光景は端から見るとかなり滑稽だが、メリーたちにとっては、甘くも苦い、不思議な空間に包まれているのだ。
「……ねえメリー」
「……なによ」
「……ツインテール触ってもいい?」
「……お好きなだけどうぞ」
「……ありがと」
もうツインテールはこりごりだ、そうメリーは後悔した。……これ以上なくにやけながら。
二人とも可愛い。
駄菓子菓子、メリーは別だぁぁ!!
素晴らしいちゅっちゅでした。
そしてあとがきの1文「次はポニテお願い」に同意票を入れておきます。
すばらしい
すばらしい
はい、監視カメラのごとく首を動かしていたのは私です。
量感溢れる二つ結いは良い物だ。
メリーのツインテ そりゃ西洋人形みたいなかわいさが想像できてしまう。
それに嫉妬する蓮子もかわいい
このメリー、魅了スキルでもついてんのか? 吸血鬼ハンターDなのか? とか思ったけど深く考えないようにした
地の文もキャラの動きもストーリーに合った雰囲気を上手く醸せていて、かなり好きです
でもやっぱりなんかもう一捻り欲しかった(ムチャな要求)