やっぱり神様なんていなかったね。
私には神様がいなかった。
信じられないでしょう?
幻想郷の人間には信仰すべき神様がいる。
たとえ小さな力しか持たない神様でも、誰かは信仰しているし、
無信仰の人もなかにはいるが、そういう人であっても、誰かしらの信仰を形式的には履践していた。
例えばの話。
どの神様もたいして信じていない人が、とりあえずのところ博麗神社に向かうということはままあることなの。
あるいは村の祭祀にかかわるという形で、彼自身は特にその神様に救ってもらおうとか考えているわけではないけれど、
里の中の当然の義務として、所属しているということはありえた。
――私には神様がいなかった。
正確には神様に近しい存在を祀ってはいたが、しかし、それは神様ではなかった。
つまり、私は人間ではなかったともいえる。
たいした理由ではないけれども。
思い出すのも汚れるようで嫌だけれども。
生まれがそうであったというだけのことよ。
私が幼い頃育ったのは、人里から少し離れた郊外とも呼べる場所だった。
正確な名前はなく、村というほどの大きさもない。
その場所は名前を呼ぶことすら忌避されていたから、
だからその場所にあえて名前をつけるのなら『塵捨場』という名前がふさわしいと思うわ。
塵捨場は里からさして離れているわけではなかった。
ほら、あそこ……、ひまわり畑があるでしょう。
あそこには恐ろしい妖怪が住んでいるといわれている。
そこから東の方向には迷いの竹林があって、こちらに入れば人間は容赦なく道に迷うといわれている。
どちらも人間にとっては恐ろしい道。
ひまわり畑を迂回し、南東の方向にまっすぐ進むとじきに低い山々がつらなっている場所にでるわ。
妖怪の山というほどには巨大な山ではなく、人間の足でも数刻もあれば越えられる場所。
そこを越えたところに、
そう、ここに。
無名の丘と呼ばれるなんの変哲もない小高い丘が広がっている。
人里の人間は無名の丘に口減らしに赤子を捨てにきたのよ。
そういうことはよくあることらしい。
捨てられた子が成長し、捨て子を拾い育てる。
その無限とも思える業がまるで本当のガラクタのように積み重なって集落のようになった。
捨てられる子どものうち、比較的運がよくて、そしてある程度成長した者が、
丘からさほど離れておらず、低い山々のふもとを少しだけ切り開いて、本当に小さな居場所を作ったのよ。
塵捨場は捨てられた子どもの集まりだった。
もちろん、子どもは育てば大人になる。
大人どうしで子どもを創ることもありえる。
私はそうして生まれた。
生まれながらに人間ではなく、生まれながらに神様がいない。
塵捨場の人間たちは人間でありながら、しかし人里からは存在しないかのように扱われていたから、
言わば『人間もどき』であって人間そのものではなかったのよ。
神様は清らかな場所を好むと言われているから、私たちにもしも神様が存在するとするのなら忌み嫌われた神様か、
あるいは禍津と呼ばれる災厄くらいしか顧みることはないのだと思う。
私は何度も問いかけたわ。
ねえ。神様。
あんたはここにもいるんだろう?
どうして、こんなに屑みたいな場所が生まれるの?
人はゴミのように死んだわ。
ある人は妖怪に襲われて、
別のある人は盗賊のような人間に襲われて、
またある人は病にかかって、
けれど、あえて言うなら……、そこにも生活があったし、そこにも仕事はあった。
どこにでもありふれているお仕事。
そう、屍体を売るお仕事よ。
肉屋は豚や牛や鳥の屍体を売ってるわけだし、その仕事がなにかしら特別だったなんて言うつもりはないわ。
血を抜いて、ばらして、食べやすいように加工するという工程はまったく同じよ。
ただ、屍体が人間製ってことを除けば。
自明の理のことだけれども、妖怪っていうのはほとんどの場合、人間を食べる生物なのよね。
なかには人間の恐怖を食べたり、人間の嫉妬心を食べるやつもいるみたいだけれど、およそ人間の肉が好きだというやつが多いの。
ここは人里のように妖怪に対する守りがあるわけではないから、常日頃から妖怪の脅威にさらされているといえる。
妖怪は単純に言って、人間の上位捕食者といえるから、数的にいくら優位でも力を持たない人間が対抗するのは難しい。
そこで、塵捨場の人間たちは取引することにしたの。
人間の屍体を与えるかわりに生きている人間を襲わないようにって。
まず、塵捨場で死んだ人間は全員、妖怪に差し出す供物になったわ。
もちろん、それだけじゃ全然足りない。
だから、人里の人間の屍体が必要だったの。
歴史が浅いうちは屍体を盗んだりもしてたらしいんだけど、
完全に土葬された屍体はまずくて喰えたものじゃないっていうクレームがあったらしいから、
そこそこ新鮮な屍体を選んだりしていたらしいわ。
それが火車と間違えられたらしいって聞いたこともあるわね。
けれど、限界があった。
屍体を盗むなんて、いつかは見つかることだし、そうなると私たちは妖怪と同じく退治されるものになってしまう。
主犯だった者たちが犠牲になったあと、人里とは秘密裡に契約を交わし、
それから、「たいして偉くもない人間」については屍体を提供してもらうことにしたわ。
なんていうのかしら。そうね。外の世界でいうところの『ドナー登録』に近いものだと思えばいいわ。
これぐらいの知識なんて当然よ。
私は生きることに貪欲で、生きるために有利になる知識に対しても貪欲なのだから。
生前に自分の屍体が喰われることを了承した者には様々な恩恵が与えられる。
具体的には貧者には金を、病人には治療を、そして身寄りのない者には愛を……。
この本当にくだらない素敵なシステムのおかげで、ようやく私たちは生活の安定を得ることができた。
そして、塵捨場の住人たちは、人里のいわば『産業廃棄物』を一手に引き受けることによって存在を許されたのよ。
――知ったことか!
冬の寒い日のことだった。
私は、父に付き添うように言われ、初めて人里を訪れたわ。
おそらく十かそこらの時だったと思う。
黒いフードをまぶかにかぶり、誰とも視線を合わせることなく、まもなく人里に到着する。
息が白かったわ。
月のある晩だったけれど、父は数人の男衆とともに、提灯を掲げて歩いていた。
途中で妖怪に出くわすかもしれなかったけれど、私たちを知っている者は決して私たちを襲うことはないことを知っており、
妖怪に対する警戒はさほどなかった。
むしろ父や他の人が気にしていたのは夜が明けることらしい。
べつに私たちの仕事が秘密裡に行われているからではないわ。
もしかしたら、人里の中でも若い人間は知らないかもしれないけれど、それでも上に立つ者は知っている。
誰かに見られたからといって、塵捨場の人間が困るわけではないの。
単に、人里の人間への配慮として夜のうちにおこなうに過ぎなかったのよ。
当の私はというと、大人の早足についていくのがやっとだったのだけれども、
初めて訪れた人里の様子に私は浮かれていた。
木でできた家にはなにやら看板のようなものが掲げられていて、夜だというのに家の中には明かりがともっているところさえある。
そもそも家の大きさが塵捨場とは違い、二階のある家も数多くあった。
綺麗に舗装された道の真ん中で、人っこひとりいないから、まるでそこにあるすべてが私のモノのように思えたの。
素敵な魔法のような時間だった。
けれど、そんな時間もすぐに終わりを告げた。
……。
父たちが足を止めたのは、なんの変哲もないただの家だった。
そこの門をそっと叩くと、中から家人が表れた。その人を見たときの私の感想は
――なんだ人里の人も私たちと同じじゃないの。なんでいっしょに暮さないんだろう。
だった
今の私からすれば、愚かすぎて反吐がでる考えだが、そのときの私ではその程度の考えしか持てなかったといえるわ。
家人に案内されて奥にいくと、そこには大きめの漬物樽のようなものがあった。
樽には橋渡しの棒が二本くくりつけられていて、四人がそれを担いだ。
私は見ているだけだったわ。
当然でしょう。身長が全然足りないし、体力も足りないんだから。
ただ、父は見せたかったんでしょうね。
塵捨場の人間は人間もどきであって人間じゃないってことを。
私は人間じゃないってことを思い知らせるために、仕事を見せたんでしょうね。
それから塵捨場に帰ると、集落の中でもとりわけ低い山に近いところにある小屋の中に、
私たちは入っていったわ。
その小屋は普段鉄の鎖がかかっていて、集落の子どもたちは誰も入ることのできないようになっているの。
小屋の中に入ると、そこは…………そう。
地獄だったわ。
地獄としか形容できない場所。
天井からはそこかしこに釣り針をそのまま何十倍も巨大化したものが釣り下がっていて、そこに人の屍体が何体か釣り下がっていた。
ヒッと小さく声をあげる私に、父は鬼のような形相で、私の手をつかんで、目を背けるなといったことを言われたような気がするわ
ただ、めまいのするようなこの光景もまだまだ地獄の入り口に過ぎなかったの。
男達は、桶の中にあったまだ綺麗な屍体を固い樫の木でつくられた台座の上に載せると、
大きな鉈で、その腹を引き裂き始めた。
魚をさばくときのような一切の無駄のない動き。
表皮と筋繊維がブチブチといやらしい音を立てながら裂かれていって、澄み切った空気がまたたく間に血なまぐさくなった。
私たちは小屋に入る前からハンケチのようなもので口を覆っていたが、それを貫いて強烈な臭いがただよってくる。
これはあとで知ったことなのだけれども、腹を割くとそこには腸があるのよね。
腸って食べ物を消化するところだし、当然、その糞便が作られるところだから臭いのよ。
その地獄のような光景をまざまざと見せつけられて思ったことは、思ったよりホカホカしてるってことだったわ。
だって、屍体は鉈で切り裂く前までは、蝋燭のように固まっていて、つめたくなっているのに、息を吐いたときのように白い靄が見えたのだから。
ああ、これが魂なのかしらなんて思ったくらい。
私がその場で枯れた木のように突っ立っていると、おまえもやれというようなことを言われたわ。
なんのことかわからなかったから、黙っていると、この屍体を分割するということらしかった。
まあ確かにそうよね。
人間なんだもの。それなりの知恵はあるわ。人間の偉いところは未来に備えることができるってところ。
つまり、屍体を分割しておけば、妖怪への備えもできて、屍体をまるまる提供するよりは安全って考え方なわけよ。
だから、屍体はつりさげられているし、腐りにくくするために内臓から取り出しているって寸法なわけ。
私は猛烈な勢いで食道を駆け上ってくる酸っぱい感覚に耐えながら、ロープのように伸びている腸をつかみだした。
紅いというよりも赤黒い。
どこに収まってたかと思うほど長く伸びた腸は、まるでウナギか何かのように滑ってなかなかつかみどころがなく、
少しずつ少しずつお腹の中からひねり出すようにして、机の上に置かれた袋の方に入れていったわ。
手が暖かい。
まるでぬるま湯につけたように暖かくて、かじかんでいた手が温められるような気がして、私は盛大に吐いてしまった。
父は私に退出を許さなかったわ。
最後まで見ていろということらしかった。
男たちの解体ショーは続いた。
糸のこぎりで
――ぎこぎこぎこぎこ擬古擬古義弧義弧偽子魏故戯児宜個。
白い骨が見えたあたりで一瞬動きが止まるが、しかし男たちはリズミカルな運動を止めることはない。
ふと、顔がどういう具合になったのか、私の方を向いていた。
それはまったくの偶然に過ぎないでしょうけれども、その屍体に意志なんてものは欠片も宿ってないでしょうけれども、
私は『彼』と視線が合ったような気がして……、
虫が全身をはいまわるような、それでいて奇妙な陶酔の感覚のあと、私はそこらにあった大きめのハンマーで屍体の顔をむちゃくちゃに乱打していたわ。
どうしてそうしたのかわからないの。
けれどそのときの私はどうしてもそうしなければならなかった。
こうして、屍体がおいしく製品化されたあと、他の人間が黄色く変色した麻袋にそれをいくつか詰めて、山の中に入って行ったわ。
とまあ、そんな面白くもない話があって、
私はなんだかこの世界に取り残された孤児のような気分になっていた。
父はいる。
母親は私が幼い頃に亡くなったらしいけれども、べつに普通の生活はできている。
けれど神様がいない。
私が神様のことを知ったのは、塵捨場の人間が拾い集めてくる物のなかに、見慣れない本があったからだ。
そこにはここ幻想郷とはちがって、たったひとりの神様のことが書いてあった。
神様は完璧で、すべての因果を鳥瞰し、信じるものを救ってくれる。
私はたちまちその物語に惹かれ、みんな誰もその物語のことを知らなかったから、
私だけの神様だと思うようになった。
人間は神様が泥をこねて作った人形で、この世界は人形劇をしているようなもの。
この世界には不幸な人間もいるが、それは神様の計画でいつか救われる。
私は信じて待つことにした。
きっと救われると信じていたの。
十三かそこらの時、私は人里と塵捨場の連絡係のようなものをやっていた。
人里の中には塵捨場と関わりの深い人間がいて、そこが屍体を取り仕切っている。
まあ要するに、私たちがやってるのは屍体の卸売なわけだから、
そいつらは生産者ってところかしら。
もちろん死ぬ本人が生産者なんだろうけれども。
そんなわけで、私は昼間のうちに人里にやってきて、家々をまわる。
昼間の人里は夜の人里とは別世界だ。
初めて連絡係となったとき、私は人の世界というものを知った。
こんなにもたくさんの人間がいて、どうして暮していけるのかわからなかった。
神様は傍らにいた。
私は着物の内側にあの本をいつも忍ばせて所有していた。
集落からすれば、どうなんだろうと思うわ。
塵捨場はあまり所有という概念がなかったように思う。
すべての食べ物は集落全体で消費されるもので、本やその他の娯楽もそう。
子どももそう。
子どももその子の親が育てるというわけではなくて、集落全体で育てているという感じであったわ。
この田圃は誰かのものとか、この家が誰かのものとか、そういう感覚はなかった。
でも、私はそんな感覚が我慢ならなかった。
あいもかわらず周期的にやってくるあの胸糞悪い屍体販売は続いているし、
どうして神様は早く私を救ってくれないんだろうと考えたものだわ。
本当に愚か。
救われるためには努力しなくちゃ。
ねえ。そうでしょう?
誰もが幸せになる権利を持ってるなんて私は思わない。
神様は努力したものに幸せを与える。
誰よりも努力したものが他の者よりも幸福になる。
きっと、世界はそうあるべきなのよ。
十四の私が、広場みたいなところで見かけたのは、人間とは思えない少女だった。
金糸の髪は肩のあたりまで伸びていて、碧い瞳はアクアマリンのように澄み切っている。
白い透き通った肌は陶磁器のようになめらかで、それでいて、雪のように柔らかそうだった。
にじみ出るのは人と違うという感覚だけ。
そう、まるで本の中の人形みたい、な。
綺麗で静謐で、生活感あふれる空間の中でそこだけが別世界のように見えて、誰もが息をのみ、呼吸を忘れていた。
ああ、ただ、キレイだ。
こんなにもキレイなものがこの世界には存在する。
血と屍体と生暖かくてぶよぶよした大腸の世界しか知らなかった私には、その光景は衝撃が強すぎた。
その人は、優雅に舞っていた。
そうとしか形容できない動きだった。
その人はその場から一歩も動いていないのに、細い線の先にはいくつもの人形が繋がっていて、
まるで生きているように動いていた。
きっと、神様に違いなかった。
あまりの光景に腰を抜かしていた私を助けてくれたのはその人だ。
すぐ後で知ったことだが、
その方の名前はアリス・マーガトロイドといって、
人里忍ぶ魔法の森に住む魔法使いであり、
人形遣いらしかった。
そんなことはどうでもよかった。
彼女が魔法使いだろうが妖怪だろうが、そんなことはどうでもよかった。
私は私の神様を見つけたのだ。
私はその場で彼女に弟子入りを志願した。
最初、彼女は弟子入りをしぶっていた。
そもそも、人形劇をしていたのは彼女にとっては趣味の域をでず、手慰みにしていたに過ぎないと言われたわ。
だからといってあきらめることなんてできるはずもない。
やっと見つけた神様なんだもの。
私は土下座して頼みこんだわ。
それで彼女は困ったような顔になって、とりあえず甘味処へと私を誘ってくださったの。
生まれて初めて食べた甘いモノ。
杏仁豆腐。
私は嬉しさのあまりに泣いてしまったわ。
きっとこれから私は救われるんだと思って。
ようやく神様は私に目をかけてくださったんだと思って。
けれど、少女の形をした神様は、やんわりと優しく断ったのだった。
どうしてと思った。
なぜなのかわからなかった。
親は? と聞かれた。
いない と答えた。
自分が穢れた存在であることを彼女には知られたくなかったの。
けれど、そのころの私の認識は甘かったと言わざるをえない。
実をいうと、人里には戸籍制度がきちんとあるのよね。
もちろん原始的で完璧なものではないけれど、人のつながりから人は人であれる。
私のような人科人属人間モドキが人里で存在できるわけもないの。
彼女は怪訝そうに私を見つめた。
理知に溢れ、人里のこともよく知っている魔法使いは私のような小娘の嘘なんて一瞬で見抜いたのよ。
私は私の中の穢れがまるで着物を無理やり暴かれ朔開されているような気分になり、その場から無様に逃げ出した。
罪から逃げる罪人のように、怯えて恐れて逃げ出してしまったの。
でも――。
彼女、アリス・マーガトロイドは私にとっての神様であり、
私が目指すべきところであるから、一度逃げ出したくらいで諦めきれるわけがない。
神様のいなかった私の、最初の神様なんですもの。
きっと人間には神様が必要で、そのためなら命だってなんだって投げ出す覚悟ができる。
幸せになりたいから。
私は特別で、誰からもちやほやされて、すごいすごいともてはやされるべき。
だって、私以上に神様を求めている人はいないのだから。
私以上に神様に愛されるために努力している人はいないのだから。
そんなわけで、私は家を捨てたのよ。
二度目に神様を見かけたとき、私はあのとき急に逃げ出したことを謝罪した。
そして、もう一度同じようにお願いした。
彼女は私を値踏みするように見て、それから言った。
親は?
いない。
どうして?
私は『妖怪』だから。
そういうこと。
もともと私がここで人形劇をするのは人間モドキのままでは不可能だ。
それよりも畏れの対象である妖怪のほうこそが自由に闊歩している。
そのことを知ったとき、私は胃が燃えるような熱さを覚えたが、しかしそのことが残された唯一の活路でもあった。
このときから、私はただの人間モドキの少女から、人形遣い見習いの妖怪少女になったのだった。
それからは穏やかで激しい日々が続いたわ。
まず、彼女は自分の家に私が住むということはお許しにならなかった。
それと神様扱いしてたのも嫌な顔をされて、すぐに『師匠』ないしは『先生』と呼ぶよう強制されたわ。
たいしたことではなかった。
神様がそう呼ばれることを望むのであれば、『師匠』だろうが『先生』だろうが『糞虫』だろうが、なんでも呼ぶ。
彼女が足の裏をなめろというのなら、私は喜んでそうしたわ。
私は生まれてはじめて満たされていたの。
それは生まれてはじめての『恋』に似た気持ちだったのかもしれないわ。
ただ、恋だけで人間は生きていけるほど丈夫でないのが困りものよね。
信仰は大事。
でも、パンがなければ生きていけないのも真実。
神様の本にはきちんと書いてあった。
――人はパンのみに生きるにあらず。
そう、パン『のみ』では生きていけない。ということは、パンはやっぱり必要なの。
彼女はなんとなく私が住む場所にも困っているということを察したのか、
人里の周辺部にある長屋を紹介してくださったわ。
そこには魑魅魍魎どもが住んでいて、けれどたいして人間に対して害意はなくて、おとなしいやつらばかりだった。
なんだ妖怪なんて大したことがないなんて、そのときの私は思っていたの。
ま、その日の夜にはそんなくだらない価値観なんて塵箱にぽいされたわ。
そう、そいつらも妖怪なんだから当然人間くらい食べるわよね。
私が入居した最初の日、歓迎会で出されたのは、見慣れた黄色い麻袋に入っていたわ。
私のいたところから、もらってきたのかもしれないし、
同じようなところが本当は思っている以上にたくさんあるのかもしれない。
私は精いっぱいの感謝の笑顔を浮かべて、それをお腹いっぱいになるまで食べたわ。
みんなすごくおいしそうにしているんだもの。
私だけ食べないなんて選択肢はなかったし、もしも私が人間だとバレれば、その瞬間に八つ裂きにされるかもしれない。
だって、ここは人を襲ってはならないとされる人里ではないし、協定がむすばれている塵捨場でもないのだから。
妖怪が住まう妖怪の住処では、人間らしい生活なんて望むべくもない。
その場で吐かなかったのは僥倖といえるだろう。
かくして私は住むところを得たってわけ。
さて、住居の次にパンのほうなんだけれども。
彼女の考えは非常にシンプルだったわ。
――技は教える。けれど自分で稼げ。
神様の教えに否を唱えるはずもない。
それに、その考え方は私の考え方に合っていた。
私は努力をしない人間が嫌いだ。
生まれついた家が違うだけで、のうのうと生きているただのゴミに負けるのが我慢できない。
殺してやりたいほどに。
言うまでもないが、私の殺意は本気。
だってそうでしょう?
努力したものが勝利すべきよ。幸福になるべきよ。
私の考えはまちがってる?
神様は何も言わなかったけれど、しかし行動で指し示してくれた。
彼女の指裁きは人間のような不格好極まりないそれとは異なり、まるで一本一本が繊細な生き物のように空間を飛翔した。
まるで命がその細い線を通じて譲渡されているような、そんなことを妄想するほどに、人間離れしている。
ただの人間に過ぎない不器用な私は、死にもの狂いで練習したわ。
この言葉は真実、神様に誓える。
私は、死にもの狂いだった。
だって、二度と塵捨場で屍体弄りなんてしたくなかったし、こんなあばら家を早く抜け出して、もっと人間らしく、もっともっと認められたかった。
幸いにしてこんな私でも努力でデコレートすれば、彼女ほどではなくてもそれなりに見栄えのよいものはできた。
血反吐を吐くくらい練習して、指先のマメが何度も何度もつぶれるくらい練習して、それから何度も泣いて、それでも歯を食いしばり、私は前に進んできた。
どんどん人形を使う腕前は上達し、彼女ほどではなくても、おそらく人間ではこれ以上ないところまできていると思っていたわ。
――奴が現れるまでは。
そいつの名前は宵口猫子といった。
最近、人里周辺に現れるようになった私と神様にとっては同業者でありライバルでもある人間だ。
そもそも人里にはたくさんの大道芸というか、そういった類のものがあるのだけれど、みんなそれなりの努力をしていたわ。
もちろん私以上に努力をしている人間なんてどこにもいなかった。
私は生きることに貪欲で、幸せになることにこれ以上ないほど飢えている。
だから、周りのように家の手伝いの合間とか、そういった余剰の時間を使ってしているのではなくて、まして生きるためにしているのでもなくて、
幸せになるためにしているの。
生きることよりも私は幸せになりたい。
誰かにすごいって褒められて、私の名前が歴史の中に永遠に刻まれるようになりたい。
人間なんて生きてもたかが百年の命だけれども、作品だったらもしかすると千年は生きながらえるかもしれない。
でも、べつに十年でも一年でも、もしかすると十分でもいい。
私を見ていてくれれば。
あの塵捨場のように生きているのに生きていないかのように思われないなら、それでよかった。
閑話休題。
思い出すだけで脳が焼き切れるくらいむかつくが、宵口猫子はそれはそれは見目麗しいといってもよい少女だった。
妹がいるらしく時折見かける。妹の方はこれまた可愛さのカタマリといった容貌をしており、
人間離れした整った形状の……まあこういう表現をいちいち使うのもどうかと思うが、美人姉妹だった。
妹の影は薄い。時折人里に来ては姉とともにかえっていく。
たまにナイフのジャグリングのようなことをしていたが、たいして気迫というもののこもっていない間をつなぐだけのようなそんな芸だった。
そいつのことはまあいい。
ほとんど人里には来ないし、せいぜいが猫子のオプションに過ぎない。
問題は猫子。
容姿だけなら、私の神様と同じくらいキレイといってもよい、そんなキレイのカタマリのような少女。
練習だらけで固くなった私の手と違い、そいつの手は物語の中の貴族かなにかのように苦労知らず。
歯がゆいことにそいつが始めたのは、私たちと同じく人形劇の類だった。
技術もなく、ひねりもなく、独創性もなく、そこらの子どもがしているごっこ遊びのような拙いもの。
けれど、客付きはそこそこに良い。
誰も猫子の人形劇なんか見ていない。
しかし、あいつが他愛のない失敗をする様をみて、客はほほえましいと感じるらしく、
対して私の人形劇はどこか人間味の薄い機械じみた作風だと思われていた。
ふざけるな!
お前たちはどうして私の芸をもっと丁寧に見ない。
私は誰よりも努力して、人間がなしうる最高級の人形劇をおこなっているんだぞ。
見る人が見れば……。
そうだ。
見る人が見ればきっと評価されるに違いない。
どいつもこいつも人形劇に娯楽しか求めていない阿呆ばかりだ。
私の人形劇は神様に与えられた供儀なのに。
……。
一年間は我慢した。
これでも持った方だと思ってほしい。
きっかけは些細なことだ。
私がおこなう人形劇なんだけれども、いわゆるショバ代を払ってやってるのよね。
大道芸をするにしたって、ただじゃない。
人里にはきちんと貨幣経済が浸透していて、土地は誰かに所有されている。
広場と呼ばれる場所も誰それが管理していて、その分のお金を払わなくてはならない。
たいした金額じゃないのよ。
それらはちゃんと大道芸が成り立つような値段設定がされていて、私の稼ぎでもきちんと払える値段だった。
問題は、値段設定の仕方。
広場を使うのはみんな一様の値段ではなくて、より評価されたほうが少ない金額で使うことができたのよ。
具体的には一年に一度の査定があり、そこで値段が設定される。
あとはそれを単純に月で割った金額を毎月の締日に支払っていくことで継続利用が可能になる。
そこで私は信じられない事を聞いた。
あの宵口猫子は私よりもはるかに安い金額で設定されていたのだ。
私は寄合の組長に抗議した。
すると言われた。
君の芸はもう一年も同じことの繰り返しじゃないか。
はっきり言って、君のようなレベルの子はどこにでもいるし、べつに君じゃなくてもいい。
正直、君なんかよりも猫子さんのほうがずっと客引きが良いし、
だったらそうするのが公平にかなっているのではないかね?
火を飲み込んだかのように身体が熱かった。
信じられないことに私の血の滲むような努力は、猫子の、ただ綺麗な容姿を持っているだけの、そんな芸に敗れ去ったのだ。
まるで、いままで築き上げてきたものが一挙に失われたかのような衝撃だった。
それで終わりじゃなかったわ。
君はあそこの出身だろう。
知ってるよ。
前に御用聞きに来てたじゃないか。
忘れるはずもない。
あんな気持ち悪いことを、平然と訊くなんて……
屍体はありませんか、なんて……。
私は逃げ出した。
玄関先で、なぜか……そこには先生がいて、
先生であり師匠であり神様である森の魔女は、私のことを困惑気味に見ていた。
先生が何かを言いかける。
それを聞いたら、それを聞いてしまったら、私はきっと死んでしまう。
私は彼女の手を払いのけ、妖怪長屋に逃げ帰り、ガタガタと震えていた。
きっと、彼女は知ってしまった。
私が『そういうモノ』であることを。
人間でもなく妖怪でもなく、この世界でもっとも唾棄すべき存在であると。
そうして、私は自分が呪われていることを思い知って、
胃の中が焼けるように熱くなって、なぜだかわからないけれど指先は蝋人形のように真っ白になって、
ただ一つのことしか考えられなかった。
宵口猫子を殺すことに決めたのよ。
※
宵口猫子は妖精のように純粋無垢といってもよい、きわめて出来のいいオツムをしていて、
私が同業者のよしみで呑みに誘ったら、ホイホイついてきたわ。
ちょっと妹のことが気になるようだったけれど、たいして時間はかからないといったら、それで終わりだった。
どうやってですって?
そんなの決まってるじゃない。
いつだって持たざるモノたちの武器は『毒』に決まっているのよ。
種を明かせばたいしたことはない話よ。
時折、神様の住んでいるお家にお邪魔している私は、机の上に無造作に積まれている茸を見つけ、食べられるのか聞いたわ。
はしたないと思われるかもしれないけれど……、
まあ、黄色い麻袋に入っているアレに比べれば、どんなものだって幾分かはマシと思ったし、
私はまずは食べ物を得るのに必死だったから。
それで、いくつかの茸についての知識を彼女から伝授してもらっていた私は人間を眠らせる効力があるものがどれかなんていつのまにやら知っているようになったの。
宵口猫子は人里から出たすぐ傍のところで、無防備にグースカと寝息を立てて眠ったわ。
なんていい気味。
これから猫子を十分に絶望させて殺すことができると思うと、私は胸の高鳴りを抑えることができなかった。
猫子はキレイな身体をしていたが、かなりの長身で私はヒィヒィ言いながらそいつの身体を担いで、どこに向かったかというと、人気もなく妖怪もいないそんな静かな場所よ。
人間は里にいて、里の周辺にもちらほらといる。
妖怪は山を中心に、どこにでもいる。
けれど、妖怪がただひとつ避けている場所といえば、一つしかないわね。
そう、塵捨場。
私は数年ぶりに自分の故郷に帰ったの。
誰かに見られようがかまわないと思ってたけれど、幸いにして誰にも見られることはなかったわ。
けれど運だけじゃないの。
人間解体工場は塵捨場の塵人間たちにとっても、忌み嫌ってる場所だったし、そこには誰もよりついていなかったから。
寝つきのいい猫子の身体はまるで屍体のように遠目には見えたでしょうし、
私がそいつを運んだのは夕闇の迫るそんな時分だったし、
解体工場が夜のうちにしか使われないことを、元人間モドキの私はこれ以上ないほどに理解していたから。
鍵?
そんなの人形遣いとしてやたら手先が器用になっていた私からすれば、簡単に開けられるわ。
かくして、生身の人間解体ショーが始まる。
手始めに、台の上に猫子の身体を横たえたあと、四肢に大き目の鉄鎖を巻きつけて、滑車を使って引き上げたわ。
なんといえばいいかしら。
そうね。豚の丸焼きを想像すればわかりやすいかもしれない。
手足を縛り、棒に縛りつけるように空中に浮かせていたの。
さすがに自重によって手足が痛むから、猫子はいつしか目を覚ましたわ。
小さく呻き、それから怯えたような表情。
どうして、そんなに怯えきっているのか。
そうだ。
それこそが、『公平』なんだ。
私は猫子を殺して、猫子の何もかもを奪ってやって、それでようやく妖怪から人間になりかわれる。
だってそうでしょう。
人間は公平であるべきなのだから。
こんな『妖怪』にまで身をやつしてしまったのは、世間のやつらのせいで、神様が休暇でもとって私に目をかけてくれないからであって、
だから、そう、だから、だからこそ、
――神様がいないから仕方ない。
だったら、私が神様になりかわり、神様の代わりに罰を与えなくては。
他人よりも幸せであるなんて、私よりも幸せであるなんて、絶対に許さない。
私の努力を、私が私であることを否定するなんて、こんな何の努力もせず、ただ『そうである』というだけで特別なおまえには絶対に奪わせない。
奪い返してやる!
感情が沸点を通りこして、逆に真っ平らになる。
加減を知らない感情の濁流は、まるで危ない茸を無理やり口の中に放り込んだときに似ていて、
原色の限りなく純粋な色がいくつもの泡となって爆発した。
濃い色。
紅い世界。
ガラスの球体。
割れた。
わ多死、あ鉈を腐食させ他意の。
すでに思考らしき思考はなく、その行動に秩序なんてものはない。
そこらに置いてあるいつもの人体解剖用の大きな鉈で、やつが着ていた洋物の服を切り裂き、なかから見たこともないような生白い肌があらわになる。
たいして苦労もしていないであろう、そいつの身体は、生傷の絶えなかった私と違い、傷ひとつなかった。
脳がグラグラと沸き立つような怒りを覚え、しかし、顔が無様にゆがむのを止められない。
ああ
コ ロ セ ル
目ん玉ほじくりだして、生きたまま腹わたをだらんと垂れ下がった状態にさせて、
死にたくない死にたくないと足をばたつかせて、
殺して殺しつくして、生きているかぎり殺しつくして
きっと、それは屍体なんかよりもずっと気持ちいいに決まっている。
私は急速に悟りに至る。
そうだ。
コレを屍体にするのは気持ちがよいことだ。
屍体を分割するよりも、命を分割するほうが、
つまり作業のほうこそが気持ちがいい。
そのときの私を言語にするなんてまったく無意味だけれども、
あえて言葉に表すとするならば、そう『生まれ変われる』と思ったの。
猫子を殺すことで、私は初めて人間として生まれることができる、と。
※
カコ……。
耳に近いところで聞いたのは、ちょうどそうね。
なんといえばいいかしら、ししおどしって知ってるかしらね。竹が岩を打つ、例のアレよ。
あの音が頭蓋の奥から直接聞こえるような気がしたわ。
私は笑っていた。
正確には笑ったままでしか要られなかった。
だって、背後から思いっきりハンマーで殴りつけられていたんだから。
頭から割れた西瓜のように血がしたたってきて、手足がまるで自分のものではないように重くなって、
それでも、なぜという想いから私は振り返ったわ。
そこには、あいつの妹がいた。
感情を感じさせないまなざしで、つまりはそこの異常な光景にもまったく何も感じ入ることはなく、微笑すら浮かべていたわ。
なぜと聞いた。
――どうしてここがわかったと言いたいの?
もはや私の口は満足に動かない。
――それともどうして、殺すのかって言いたいの?
そうだ。
だって、私は生きているのが当たり前の人里の人間なんかよりずっと生きることに誠実であったし、みんなが寝ている時間も、遊んでいる時間もすべて人形を使うことに注ぎ込んだのに、人形を操るということに全身全霊をかけたのに。
そんな私は誰よりも幸せになるべきなのに。
こんな腐った場所から羽ばたいて、きっと神様のようにキレイになれる。
いつかは、神様にだってなってみせる。
そいつは言った。
――妖怪は人間を殺して気持ちよくなるわけじゃないんだけどね。
単に石ころも猫も犬も人間も、全部同じモノだから、だから殺してしまうんだって。
意味わかんないでしょう?
当然、そのときの私はわからないって答えたわ。
例えばパレットの中にチューブから絵具を取り出すとするでしょう?
普通の人間は敷居があって、色と色は混ざらないようになっている。
そこに例えば『猫』は『猫』、『人間』は『人間』、
そして『妖怪』は『妖怪』っていうふうになっているから、
それらを取り違えることはないんだ。
でも、敷居がなくなったらどうかな。
パレットのちょっと広いところで、グチャグチャに色を混ぜてみたらどうかな。
なにがなんだかわからないよね。
そうだよ。
それが、妖怪のモノの見方ってやつ。
逆に言えば、人間なんて、そのパレットの敷居部分ぐらいの意味しかないんだよ。
敷居が壊れると、その残骸の具合によって、いろんなものがそれっぽく動作する。
なんといえばいいか、フォールトトレラントシステムというべきなのかな。
これが妖怪の正体。
人間の無意識が壊れて、その残骸の形式によって、性質が決まる。
ほとんどはその壊れた残骸でつくった無意識モドキを第一に考えるようになる。
例えば、嫉妬の妖怪は嫉妬以外のことは基本的には二の次になるし、ほとんどの妖怪は人間を殺すことを壊れた無意識の代替物としておいているってことなんだよ。
でも、それで好きとか嫌いとかそういう感情がなくなったりするわけじゃないよ。
確かに僕にとっては、虫も人間も同列だけど、
時々、いろいろなモノが混ざりきれてない部分もあって、そんな『部分』のことに興味を抱いたりもするんだ。
だから、僕は比較的好意を持つ『部分』として、義姉さんを生かしているし、
誰かに殺されちゃったりすると、嫌な気分になるんだ。
ただの相対的な比較として、相対的な精神論として……、君は僕にとっては要らない『部分』だから殺すんだよ。
わかりやすいでしょ?
驚くことに、そいつは妖怪だったの。
人間の姉と妖怪の妹なんて馬鹿げた組み合わせだけど、そんなこともこの世界では起こり得るらしい。
そして、そいつが私を殺す理由は憎悪や怒りやそういったものも少しはあるのだろうけれども、
それ以上に、ただ、ほんのちょっとだけそこにある色がわたしの持つ色より好ましいと感じたから。
いや、そういった好悪の感覚すらも曖昧で、単純に偶然的ともいえる結果として、私は殺されるらしかった。
妖怪は続けた。
ああ、そうそう……。
言い忘れてたけど、義姉さんには劣るけれど、君の『緑色の瞳』はわりと好きかな。
あとで抉って持ち帰ることにするね。
いいでしょう。だって死ぬんだし。
それにしても君は人間なのかな、それとも妖怪なのかな。
べつにどっちでもいいか……。
私は思いつく限りの言葉で神様を罵った。
だって、こんなことってある?
ただ私が願ったのは、努力を正当に認められることだけ。
努力したら努力した分だけ、認められるってことだけなのに。
それどころか。本当は、ただ誰でもいいから、たったひとりでもいいから、
私をひとりの人間として認めてほしかっただけなのに!
不公平すぎるだろうが、神様ッ!!!!
けれど、こんな穢れた場所に神様なんているはずもなく、私は屍体に仲間入りすることになったの。
※
ひまわり畑を南東の方に迂回して、東にある竹林に入らないように注意しながら、低い山を越えていくと、
そこには無名の丘と呼ばれる場所があって、そこには無数の鈴蘭が群生している。
そこで、気づいたときに、私は私だった。
きっと言葉にすれば、転生とか憑依とか、あるいは神様の悪戯とでもいうのかもしれない。
あなたは、そこで生まれて、その身に宿した『毒』で人間どもを殺していくの。
さあ、殺しましょう!
神様は死んだか、休暇をとって人形劇で遊んでいるのだろう。
だったら、私はあなたの『毒』になって、神様の『お気に入りのお人形たち』を腐らせて、
私の方がずっとキレイだって教えてあげるの。
私はメアリー。
あなたを操る。
私には神様がいなかった。
信じられないでしょう?
幻想郷の人間には信仰すべき神様がいる。
たとえ小さな力しか持たない神様でも、誰かは信仰しているし、
無信仰の人もなかにはいるが、そういう人であっても、誰かしらの信仰を形式的には履践していた。
例えばの話。
どの神様もたいして信じていない人が、とりあえずのところ博麗神社に向かうということはままあることなの。
あるいは村の祭祀にかかわるという形で、彼自身は特にその神様に救ってもらおうとか考えているわけではないけれど、
里の中の当然の義務として、所属しているということはありえた。
――私には神様がいなかった。
正確には神様に近しい存在を祀ってはいたが、しかし、それは神様ではなかった。
つまり、私は人間ではなかったともいえる。
たいした理由ではないけれども。
思い出すのも汚れるようで嫌だけれども。
生まれがそうであったというだけのことよ。
私が幼い頃育ったのは、人里から少し離れた郊外とも呼べる場所だった。
正確な名前はなく、村というほどの大きさもない。
その場所は名前を呼ぶことすら忌避されていたから、
だからその場所にあえて名前をつけるのなら『塵捨場』という名前がふさわしいと思うわ。
塵捨場は里からさして離れているわけではなかった。
ほら、あそこ……、ひまわり畑があるでしょう。
あそこには恐ろしい妖怪が住んでいるといわれている。
そこから東の方向には迷いの竹林があって、こちらに入れば人間は容赦なく道に迷うといわれている。
どちらも人間にとっては恐ろしい道。
ひまわり畑を迂回し、南東の方向にまっすぐ進むとじきに低い山々がつらなっている場所にでるわ。
妖怪の山というほどには巨大な山ではなく、人間の足でも数刻もあれば越えられる場所。
そこを越えたところに、
そう、ここに。
無名の丘と呼ばれるなんの変哲もない小高い丘が広がっている。
人里の人間は無名の丘に口減らしに赤子を捨てにきたのよ。
そういうことはよくあることらしい。
捨てられた子が成長し、捨て子を拾い育てる。
その無限とも思える業がまるで本当のガラクタのように積み重なって集落のようになった。
捨てられる子どものうち、比較的運がよくて、そしてある程度成長した者が、
丘からさほど離れておらず、低い山々のふもとを少しだけ切り開いて、本当に小さな居場所を作ったのよ。
塵捨場は捨てられた子どもの集まりだった。
もちろん、子どもは育てば大人になる。
大人どうしで子どもを創ることもありえる。
私はそうして生まれた。
生まれながらに人間ではなく、生まれながらに神様がいない。
塵捨場の人間たちは人間でありながら、しかし人里からは存在しないかのように扱われていたから、
言わば『人間もどき』であって人間そのものではなかったのよ。
神様は清らかな場所を好むと言われているから、私たちにもしも神様が存在するとするのなら忌み嫌われた神様か、
あるいは禍津と呼ばれる災厄くらいしか顧みることはないのだと思う。
私は何度も問いかけたわ。
ねえ。神様。
あんたはここにもいるんだろう?
どうして、こんなに屑みたいな場所が生まれるの?
人はゴミのように死んだわ。
ある人は妖怪に襲われて、
別のある人は盗賊のような人間に襲われて、
またある人は病にかかって、
けれど、あえて言うなら……、そこにも生活があったし、そこにも仕事はあった。
どこにでもありふれているお仕事。
そう、屍体を売るお仕事よ。
肉屋は豚や牛や鳥の屍体を売ってるわけだし、その仕事がなにかしら特別だったなんて言うつもりはないわ。
血を抜いて、ばらして、食べやすいように加工するという工程はまったく同じよ。
ただ、屍体が人間製ってことを除けば。
自明の理のことだけれども、妖怪っていうのはほとんどの場合、人間を食べる生物なのよね。
なかには人間の恐怖を食べたり、人間の嫉妬心を食べるやつもいるみたいだけれど、およそ人間の肉が好きだというやつが多いの。
ここは人里のように妖怪に対する守りがあるわけではないから、常日頃から妖怪の脅威にさらされているといえる。
妖怪は単純に言って、人間の上位捕食者といえるから、数的にいくら優位でも力を持たない人間が対抗するのは難しい。
そこで、塵捨場の人間たちは取引することにしたの。
人間の屍体を与えるかわりに生きている人間を襲わないようにって。
まず、塵捨場で死んだ人間は全員、妖怪に差し出す供物になったわ。
もちろん、それだけじゃ全然足りない。
だから、人里の人間の屍体が必要だったの。
歴史が浅いうちは屍体を盗んだりもしてたらしいんだけど、
完全に土葬された屍体はまずくて喰えたものじゃないっていうクレームがあったらしいから、
そこそこ新鮮な屍体を選んだりしていたらしいわ。
それが火車と間違えられたらしいって聞いたこともあるわね。
けれど、限界があった。
屍体を盗むなんて、いつかは見つかることだし、そうなると私たちは妖怪と同じく退治されるものになってしまう。
主犯だった者たちが犠牲になったあと、人里とは秘密裡に契約を交わし、
それから、「たいして偉くもない人間」については屍体を提供してもらうことにしたわ。
なんていうのかしら。そうね。外の世界でいうところの『ドナー登録』に近いものだと思えばいいわ。
これぐらいの知識なんて当然よ。
私は生きることに貪欲で、生きるために有利になる知識に対しても貪欲なのだから。
生前に自分の屍体が喰われることを了承した者には様々な恩恵が与えられる。
具体的には貧者には金を、病人には治療を、そして身寄りのない者には愛を……。
この本当にくだらない素敵なシステムのおかげで、ようやく私たちは生活の安定を得ることができた。
そして、塵捨場の住人たちは、人里のいわば『産業廃棄物』を一手に引き受けることによって存在を許されたのよ。
――知ったことか!
冬の寒い日のことだった。
私は、父に付き添うように言われ、初めて人里を訪れたわ。
おそらく十かそこらの時だったと思う。
黒いフードをまぶかにかぶり、誰とも視線を合わせることなく、まもなく人里に到着する。
息が白かったわ。
月のある晩だったけれど、父は数人の男衆とともに、提灯を掲げて歩いていた。
途中で妖怪に出くわすかもしれなかったけれど、私たちを知っている者は決して私たちを襲うことはないことを知っており、
妖怪に対する警戒はさほどなかった。
むしろ父や他の人が気にしていたのは夜が明けることらしい。
べつに私たちの仕事が秘密裡に行われているからではないわ。
もしかしたら、人里の中でも若い人間は知らないかもしれないけれど、それでも上に立つ者は知っている。
誰かに見られたからといって、塵捨場の人間が困るわけではないの。
単に、人里の人間への配慮として夜のうちにおこなうに過ぎなかったのよ。
当の私はというと、大人の早足についていくのがやっとだったのだけれども、
初めて訪れた人里の様子に私は浮かれていた。
木でできた家にはなにやら看板のようなものが掲げられていて、夜だというのに家の中には明かりがともっているところさえある。
そもそも家の大きさが塵捨場とは違い、二階のある家も数多くあった。
綺麗に舗装された道の真ん中で、人っこひとりいないから、まるでそこにあるすべてが私のモノのように思えたの。
素敵な魔法のような時間だった。
けれど、そんな時間もすぐに終わりを告げた。
……。
父たちが足を止めたのは、なんの変哲もないただの家だった。
そこの門をそっと叩くと、中から家人が表れた。その人を見たときの私の感想は
――なんだ人里の人も私たちと同じじゃないの。なんでいっしょに暮さないんだろう。
だった
今の私からすれば、愚かすぎて反吐がでる考えだが、そのときの私ではその程度の考えしか持てなかったといえるわ。
家人に案内されて奥にいくと、そこには大きめの漬物樽のようなものがあった。
樽には橋渡しの棒が二本くくりつけられていて、四人がそれを担いだ。
私は見ているだけだったわ。
当然でしょう。身長が全然足りないし、体力も足りないんだから。
ただ、父は見せたかったんでしょうね。
塵捨場の人間は人間もどきであって人間じゃないってことを。
私は人間じゃないってことを思い知らせるために、仕事を見せたんでしょうね。
それから塵捨場に帰ると、集落の中でもとりわけ低い山に近いところにある小屋の中に、
私たちは入っていったわ。
その小屋は普段鉄の鎖がかかっていて、集落の子どもたちは誰も入ることのできないようになっているの。
小屋の中に入ると、そこは…………そう。
地獄だったわ。
地獄としか形容できない場所。
天井からはそこかしこに釣り針をそのまま何十倍も巨大化したものが釣り下がっていて、そこに人の屍体が何体か釣り下がっていた。
ヒッと小さく声をあげる私に、父は鬼のような形相で、私の手をつかんで、目を背けるなといったことを言われたような気がするわ
ただ、めまいのするようなこの光景もまだまだ地獄の入り口に過ぎなかったの。
男達は、桶の中にあったまだ綺麗な屍体を固い樫の木でつくられた台座の上に載せると、
大きな鉈で、その腹を引き裂き始めた。
魚をさばくときのような一切の無駄のない動き。
表皮と筋繊維がブチブチといやらしい音を立てながら裂かれていって、澄み切った空気がまたたく間に血なまぐさくなった。
私たちは小屋に入る前からハンケチのようなもので口を覆っていたが、それを貫いて強烈な臭いがただよってくる。
これはあとで知ったことなのだけれども、腹を割くとそこには腸があるのよね。
腸って食べ物を消化するところだし、当然、その糞便が作られるところだから臭いのよ。
その地獄のような光景をまざまざと見せつけられて思ったことは、思ったよりホカホカしてるってことだったわ。
だって、屍体は鉈で切り裂く前までは、蝋燭のように固まっていて、つめたくなっているのに、息を吐いたときのように白い靄が見えたのだから。
ああ、これが魂なのかしらなんて思ったくらい。
私がその場で枯れた木のように突っ立っていると、おまえもやれというようなことを言われたわ。
なんのことかわからなかったから、黙っていると、この屍体を分割するということらしかった。
まあ確かにそうよね。
人間なんだもの。それなりの知恵はあるわ。人間の偉いところは未来に備えることができるってところ。
つまり、屍体を分割しておけば、妖怪への備えもできて、屍体をまるまる提供するよりは安全って考え方なわけよ。
だから、屍体はつりさげられているし、腐りにくくするために内臓から取り出しているって寸法なわけ。
私は猛烈な勢いで食道を駆け上ってくる酸っぱい感覚に耐えながら、ロープのように伸びている腸をつかみだした。
紅いというよりも赤黒い。
どこに収まってたかと思うほど長く伸びた腸は、まるでウナギか何かのように滑ってなかなかつかみどころがなく、
少しずつ少しずつお腹の中からひねり出すようにして、机の上に置かれた袋の方に入れていったわ。
手が暖かい。
まるでぬるま湯につけたように暖かくて、かじかんでいた手が温められるような気がして、私は盛大に吐いてしまった。
父は私に退出を許さなかったわ。
最後まで見ていろということらしかった。
男たちの解体ショーは続いた。
糸のこぎりで
――ぎこぎこぎこぎこ擬古擬古義弧義弧偽子魏故戯児宜個。
白い骨が見えたあたりで一瞬動きが止まるが、しかし男たちはリズミカルな運動を止めることはない。
ふと、顔がどういう具合になったのか、私の方を向いていた。
それはまったくの偶然に過ぎないでしょうけれども、その屍体に意志なんてものは欠片も宿ってないでしょうけれども、
私は『彼』と視線が合ったような気がして……、
虫が全身をはいまわるような、それでいて奇妙な陶酔の感覚のあと、私はそこらにあった大きめのハンマーで屍体の顔をむちゃくちゃに乱打していたわ。
どうしてそうしたのかわからないの。
けれどそのときの私はどうしてもそうしなければならなかった。
こうして、屍体がおいしく製品化されたあと、他の人間が黄色く変色した麻袋にそれをいくつか詰めて、山の中に入って行ったわ。
とまあ、そんな面白くもない話があって、
私はなんだかこの世界に取り残された孤児のような気分になっていた。
父はいる。
母親は私が幼い頃に亡くなったらしいけれども、べつに普通の生活はできている。
けれど神様がいない。
私が神様のことを知ったのは、塵捨場の人間が拾い集めてくる物のなかに、見慣れない本があったからだ。
そこにはここ幻想郷とはちがって、たったひとりの神様のことが書いてあった。
神様は完璧で、すべての因果を鳥瞰し、信じるものを救ってくれる。
私はたちまちその物語に惹かれ、みんな誰もその物語のことを知らなかったから、
私だけの神様だと思うようになった。
人間は神様が泥をこねて作った人形で、この世界は人形劇をしているようなもの。
この世界には不幸な人間もいるが、それは神様の計画でいつか救われる。
私は信じて待つことにした。
きっと救われると信じていたの。
十三かそこらの時、私は人里と塵捨場の連絡係のようなものをやっていた。
人里の中には塵捨場と関わりの深い人間がいて、そこが屍体を取り仕切っている。
まあ要するに、私たちがやってるのは屍体の卸売なわけだから、
そいつらは生産者ってところかしら。
もちろん死ぬ本人が生産者なんだろうけれども。
そんなわけで、私は昼間のうちに人里にやってきて、家々をまわる。
昼間の人里は夜の人里とは別世界だ。
初めて連絡係となったとき、私は人の世界というものを知った。
こんなにもたくさんの人間がいて、どうして暮していけるのかわからなかった。
神様は傍らにいた。
私は着物の内側にあの本をいつも忍ばせて所有していた。
集落からすれば、どうなんだろうと思うわ。
塵捨場はあまり所有という概念がなかったように思う。
すべての食べ物は集落全体で消費されるもので、本やその他の娯楽もそう。
子どももそう。
子どももその子の親が育てるというわけではなくて、集落全体で育てているという感じであったわ。
この田圃は誰かのものとか、この家が誰かのものとか、そういう感覚はなかった。
でも、私はそんな感覚が我慢ならなかった。
あいもかわらず周期的にやってくるあの胸糞悪い屍体販売は続いているし、
どうして神様は早く私を救ってくれないんだろうと考えたものだわ。
本当に愚か。
救われるためには努力しなくちゃ。
ねえ。そうでしょう?
誰もが幸せになる権利を持ってるなんて私は思わない。
神様は努力したものに幸せを与える。
誰よりも努力したものが他の者よりも幸福になる。
きっと、世界はそうあるべきなのよ。
十四の私が、広場みたいなところで見かけたのは、人間とは思えない少女だった。
金糸の髪は肩のあたりまで伸びていて、碧い瞳はアクアマリンのように澄み切っている。
白い透き通った肌は陶磁器のようになめらかで、それでいて、雪のように柔らかそうだった。
にじみ出るのは人と違うという感覚だけ。
そう、まるで本の中の人形みたい、な。
綺麗で静謐で、生活感あふれる空間の中でそこだけが別世界のように見えて、誰もが息をのみ、呼吸を忘れていた。
ああ、ただ、キレイだ。
こんなにもキレイなものがこの世界には存在する。
血と屍体と生暖かくてぶよぶよした大腸の世界しか知らなかった私には、その光景は衝撃が強すぎた。
その人は、優雅に舞っていた。
そうとしか形容できない動きだった。
その人はその場から一歩も動いていないのに、細い線の先にはいくつもの人形が繋がっていて、
まるで生きているように動いていた。
きっと、神様に違いなかった。
あまりの光景に腰を抜かしていた私を助けてくれたのはその人だ。
すぐ後で知ったことだが、
その方の名前はアリス・マーガトロイドといって、
人里忍ぶ魔法の森に住む魔法使いであり、
人形遣いらしかった。
そんなことはどうでもよかった。
彼女が魔法使いだろうが妖怪だろうが、そんなことはどうでもよかった。
私は私の神様を見つけたのだ。
私はその場で彼女に弟子入りを志願した。
最初、彼女は弟子入りをしぶっていた。
そもそも、人形劇をしていたのは彼女にとっては趣味の域をでず、手慰みにしていたに過ぎないと言われたわ。
だからといってあきらめることなんてできるはずもない。
やっと見つけた神様なんだもの。
私は土下座して頼みこんだわ。
それで彼女は困ったような顔になって、とりあえず甘味処へと私を誘ってくださったの。
生まれて初めて食べた甘いモノ。
杏仁豆腐。
私は嬉しさのあまりに泣いてしまったわ。
きっとこれから私は救われるんだと思って。
ようやく神様は私に目をかけてくださったんだと思って。
けれど、少女の形をした神様は、やんわりと優しく断ったのだった。
どうしてと思った。
なぜなのかわからなかった。
親は? と聞かれた。
いない と答えた。
自分が穢れた存在であることを彼女には知られたくなかったの。
けれど、そのころの私の認識は甘かったと言わざるをえない。
実をいうと、人里には戸籍制度がきちんとあるのよね。
もちろん原始的で完璧なものではないけれど、人のつながりから人は人であれる。
私のような人科人属人間モドキが人里で存在できるわけもないの。
彼女は怪訝そうに私を見つめた。
理知に溢れ、人里のこともよく知っている魔法使いは私のような小娘の嘘なんて一瞬で見抜いたのよ。
私は私の中の穢れがまるで着物を無理やり暴かれ朔開されているような気分になり、その場から無様に逃げ出した。
罪から逃げる罪人のように、怯えて恐れて逃げ出してしまったの。
でも――。
彼女、アリス・マーガトロイドは私にとっての神様であり、
私が目指すべきところであるから、一度逃げ出したくらいで諦めきれるわけがない。
神様のいなかった私の、最初の神様なんですもの。
きっと人間には神様が必要で、そのためなら命だってなんだって投げ出す覚悟ができる。
幸せになりたいから。
私は特別で、誰からもちやほやされて、すごいすごいともてはやされるべき。
だって、私以上に神様を求めている人はいないのだから。
私以上に神様に愛されるために努力している人はいないのだから。
そんなわけで、私は家を捨てたのよ。
二度目に神様を見かけたとき、私はあのとき急に逃げ出したことを謝罪した。
そして、もう一度同じようにお願いした。
彼女は私を値踏みするように見て、それから言った。
親は?
いない。
どうして?
私は『妖怪』だから。
そういうこと。
もともと私がここで人形劇をするのは人間モドキのままでは不可能だ。
それよりも畏れの対象である妖怪のほうこそが自由に闊歩している。
そのことを知ったとき、私は胃が燃えるような熱さを覚えたが、しかしそのことが残された唯一の活路でもあった。
このときから、私はただの人間モドキの少女から、人形遣い見習いの妖怪少女になったのだった。
それからは穏やかで激しい日々が続いたわ。
まず、彼女は自分の家に私が住むということはお許しにならなかった。
それと神様扱いしてたのも嫌な顔をされて、すぐに『師匠』ないしは『先生』と呼ぶよう強制されたわ。
たいしたことではなかった。
神様がそう呼ばれることを望むのであれば、『師匠』だろうが『先生』だろうが『糞虫』だろうが、なんでも呼ぶ。
彼女が足の裏をなめろというのなら、私は喜んでそうしたわ。
私は生まれてはじめて満たされていたの。
それは生まれてはじめての『恋』に似た気持ちだったのかもしれないわ。
ただ、恋だけで人間は生きていけるほど丈夫でないのが困りものよね。
信仰は大事。
でも、パンがなければ生きていけないのも真実。
神様の本にはきちんと書いてあった。
――人はパンのみに生きるにあらず。
そう、パン『のみ』では生きていけない。ということは、パンはやっぱり必要なの。
彼女はなんとなく私が住む場所にも困っているということを察したのか、
人里の周辺部にある長屋を紹介してくださったわ。
そこには魑魅魍魎どもが住んでいて、けれどたいして人間に対して害意はなくて、おとなしいやつらばかりだった。
なんだ妖怪なんて大したことがないなんて、そのときの私は思っていたの。
ま、その日の夜にはそんなくだらない価値観なんて塵箱にぽいされたわ。
そう、そいつらも妖怪なんだから当然人間くらい食べるわよね。
私が入居した最初の日、歓迎会で出されたのは、見慣れた黄色い麻袋に入っていたわ。
私のいたところから、もらってきたのかもしれないし、
同じようなところが本当は思っている以上にたくさんあるのかもしれない。
私は精いっぱいの感謝の笑顔を浮かべて、それをお腹いっぱいになるまで食べたわ。
みんなすごくおいしそうにしているんだもの。
私だけ食べないなんて選択肢はなかったし、もしも私が人間だとバレれば、その瞬間に八つ裂きにされるかもしれない。
だって、ここは人を襲ってはならないとされる人里ではないし、協定がむすばれている塵捨場でもないのだから。
妖怪が住まう妖怪の住処では、人間らしい生活なんて望むべくもない。
その場で吐かなかったのは僥倖といえるだろう。
かくして私は住むところを得たってわけ。
さて、住居の次にパンのほうなんだけれども。
彼女の考えは非常にシンプルだったわ。
――技は教える。けれど自分で稼げ。
神様の教えに否を唱えるはずもない。
それに、その考え方は私の考え方に合っていた。
私は努力をしない人間が嫌いだ。
生まれついた家が違うだけで、のうのうと生きているただのゴミに負けるのが我慢できない。
殺してやりたいほどに。
言うまでもないが、私の殺意は本気。
だってそうでしょう?
努力したものが勝利すべきよ。幸福になるべきよ。
私の考えはまちがってる?
神様は何も言わなかったけれど、しかし行動で指し示してくれた。
彼女の指裁きは人間のような不格好極まりないそれとは異なり、まるで一本一本が繊細な生き物のように空間を飛翔した。
まるで命がその細い線を通じて譲渡されているような、そんなことを妄想するほどに、人間離れしている。
ただの人間に過ぎない不器用な私は、死にもの狂いで練習したわ。
この言葉は真実、神様に誓える。
私は、死にもの狂いだった。
だって、二度と塵捨場で屍体弄りなんてしたくなかったし、こんなあばら家を早く抜け出して、もっと人間らしく、もっともっと認められたかった。
幸いにしてこんな私でも努力でデコレートすれば、彼女ほどではなくてもそれなりに見栄えのよいものはできた。
血反吐を吐くくらい練習して、指先のマメが何度も何度もつぶれるくらい練習して、それから何度も泣いて、それでも歯を食いしばり、私は前に進んできた。
どんどん人形を使う腕前は上達し、彼女ほどではなくても、おそらく人間ではこれ以上ないところまできていると思っていたわ。
――奴が現れるまでは。
そいつの名前は宵口猫子といった。
最近、人里周辺に現れるようになった私と神様にとっては同業者でありライバルでもある人間だ。
そもそも人里にはたくさんの大道芸というか、そういった類のものがあるのだけれど、みんなそれなりの努力をしていたわ。
もちろん私以上に努力をしている人間なんてどこにもいなかった。
私は生きることに貪欲で、幸せになることにこれ以上ないほど飢えている。
だから、周りのように家の手伝いの合間とか、そういった余剰の時間を使ってしているのではなくて、まして生きるためにしているのでもなくて、
幸せになるためにしているの。
生きることよりも私は幸せになりたい。
誰かにすごいって褒められて、私の名前が歴史の中に永遠に刻まれるようになりたい。
人間なんて生きてもたかが百年の命だけれども、作品だったらもしかすると千年は生きながらえるかもしれない。
でも、べつに十年でも一年でも、もしかすると十分でもいい。
私を見ていてくれれば。
あの塵捨場のように生きているのに生きていないかのように思われないなら、それでよかった。
閑話休題。
思い出すだけで脳が焼き切れるくらいむかつくが、宵口猫子はそれはそれは見目麗しいといってもよい少女だった。
妹がいるらしく時折見かける。妹の方はこれまた可愛さのカタマリといった容貌をしており、
人間離れした整った形状の……まあこういう表現をいちいち使うのもどうかと思うが、美人姉妹だった。
妹の影は薄い。時折人里に来ては姉とともにかえっていく。
たまにナイフのジャグリングのようなことをしていたが、たいして気迫というもののこもっていない間をつなぐだけのようなそんな芸だった。
そいつのことはまあいい。
ほとんど人里には来ないし、せいぜいが猫子のオプションに過ぎない。
問題は猫子。
容姿だけなら、私の神様と同じくらいキレイといってもよい、そんなキレイのカタマリのような少女。
練習だらけで固くなった私の手と違い、そいつの手は物語の中の貴族かなにかのように苦労知らず。
歯がゆいことにそいつが始めたのは、私たちと同じく人形劇の類だった。
技術もなく、ひねりもなく、独創性もなく、そこらの子どもがしているごっこ遊びのような拙いもの。
けれど、客付きはそこそこに良い。
誰も猫子の人形劇なんか見ていない。
しかし、あいつが他愛のない失敗をする様をみて、客はほほえましいと感じるらしく、
対して私の人形劇はどこか人間味の薄い機械じみた作風だと思われていた。
ふざけるな!
お前たちはどうして私の芸をもっと丁寧に見ない。
私は誰よりも努力して、人間がなしうる最高級の人形劇をおこなっているんだぞ。
見る人が見れば……。
そうだ。
見る人が見ればきっと評価されるに違いない。
どいつもこいつも人形劇に娯楽しか求めていない阿呆ばかりだ。
私の人形劇は神様に与えられた供儀なのに。
……。
一年間は我慢した。
これでも持った方だと思ってほしい。
きっかけは些細なことだ。
私がおこなう人形劇なんだけれども、いわゆるショバ代を払ってやってるのよね。
大道芸をするにしたって、ただじゃない。
人里にはきちんと貨幣経済が浸透していて、土地は誰かに所有されている。
広場と呼ばれる場所も誰それが管理していて、その分のお金を払わなくてはならない。
たいした金額じゃないのよ。
それらはちゃんと大道芸が成り立つような値段設定がされていて、私の稼ぎでもきちんと払える値段だった。
問題は、値段設定の仕方。
広場を使うのはみんな一様の値段ではなくて、より評価されたほうが少ない金額で使うことができたのよ。
具体的には一年に一度の査定があり、そこで値段が設定される。
あとはそれを単純に月で割った金額を毎月の締日に支払っていくことで継続利用が可能になる。
そこで私は信じられない事を聞いた。
あの宵口猫子は私よりもはるかに安い金額で設定されていたのだ。
私は寄合の組長に抗議した。
すると言われた。
君の芸はもう一年も同じことの繰り返しじゃないか。
はっきり言って、君のようなレベルの子はどこにでもいるし、べつに君じゃなくてもいい。
正直、君なんかよりも猫子さんのほうがずっと客引きが良いし、
だったらそうするのが公平にかなっているのではないかね?
火を飲み込んだかのように身体が熱かった。
信じられないことに私の血の滲むような努力は、猫子の、ただ綺麗な容姿を持っているだけの、そんな芸に敗れ去ったのだ。
まるで、いままで築き上げてきたものが一挙に失われたかのような衝撃だった。
それで終わりじゃなかったわ。
君はあそこの出身だろう。
知ってるよ。
前に御用聞きに来てたじゃないか。
忘れるはずもない。
あんな気持ち悪いことを、平然と訊くなんて……
屍体はありませんか、なんて……。
私は逃げ出した。
玄関先で、なぜか……そこには先生がいて、
先生であり師匠であり神様である森の魔女は、私のことを困惑気味に見ていた。
先生が何かを言いかける。
それを聞いたら、それを聞いてしまったら、私はきっと死んでしまう。
私は彼女の手を払いのけ、妖怪長屋に逃げ帰り、ガタガタと震えていた。
きっと、彼女は知ってしまった。
私が『そういうモノ』であることを。
人間でもなく妖怪でもなく、この世界でもっとも唾棄すべき存在であると。
そうして、私は自分が呪われていることを思い知って、
胃の中が焼けるように熱くなって、なぜだかわからないけれど指先は蝋人形のように真っ白になって、
ただ一つのことしか考えられなかった。
宵口猫子を殺すことに決めたのよ。
※
宵口猫子は妖精のように純粋無垢といってもよい、きわめて出来のいいオツムをしていて、
私が同業者のよしみで呑みに誘ったら、ホイホイついてきたわ。
ちょっと妹のことが気になるようだったけれど、たいして時間はかからないといったら、それで終わりだった。
どうやってですって?
そんなの決まってるじゃない。
いつだって持たざるモノたちの武器は『毒』に決まっているのよ。
種を明かせばたいしたことはない話よ。
時折、神様の住んでいるお家にお邪魔している私は、机の上に無造作に積まれている茸を見つけ、食べられるのか聞いたわ。
はしたないと思われるかもしれないけれど……、
まあ、黄色い麻袋に入っているアレに比べれば、どんなものだって幾分かはマシと思ったし、
私はまずは食べ物を得るのに必死だったから。
それで、いくつかの茸についての知識を彼女から伝授してもらっていた私は人間を眠らせる効力があるものがどれかなんていつのまにやら知っているようになったの。
宵口猫子は人里から出たすぐ傍のところで、無防備にグースカと寝息を立てて眠ったわ。
なんていい気味。
これから猫子を十分に絶望させて殺すことができると思うと、私は胸の高鳴りを抑えることができなかった。
猫子はキレイな身体をしていたが、かなりの長身で私はヒィヒィ言いながらそいつの身体を担いで、どこに向かったかというと、人気もなく妖怪もいないそんな静かな場所よ。
人間は里にいて、里の周辺にもちらほらといる。
妖怪は山を中心に、どこにでもいる。
けれど、妖怪がただひとつ避けている場所といえば、一つしかないわね。
そう、塵捨場。
私は数年ぶりに自分の故郷に帰ったの。
誰かに見られようがかまわないと思ってたけれど、幸いにして誰にも見られることはなかったわ。
けれど運だけじゃないの。
人間解体工場は塵捨場の塵人間たちにとっても、忌み嫌ってる場所だったし、そこには誰もよりついていなかったから。
寝つきのいい猫子の身体はまるで屍体のように遠目には見えたでしょうし、
私がそいつを運んだのは夕闇の迫るそんな時分だったし、
解体工場が夜のうちにしか使われないことを、元人間モドキの私はこれ以上ないほどに理解していたから。
鍵?
そんなの人形遣いとしてやたら手先が器用になっていた私からすれば、簡単に開けられるわ。
かくして、生身の人間解体ショーが始まる。
手始めに、台の上に猫子の身体を横たえたあと、四肢に大き目の鉄鎖を巻きつけて、滑車を使って引き上げたわ。
なんといえばいいかしら。
そうね。豚の丸焼きを想像すればわかりやすいかもしれない。
手足を縛り、棒に縛りつけるように空中に浮かせていたの。
さすがに自重によって手足が痛むから、猫子はいつしか目を覚ましたわ。
小さく呻き、それから怯えたような表情。
どうして、そんなに怯えきっているのか。
そうだ。
それこそが、『公平』なんだ。
私は猫子を殺して、猫子の何もかもを奪ってやって、それでようやく妖怪から人間になりかわれる。
だってそうでしょう。
人間は公平であるべきなのだから。
こんな『妖怪』にまで身をやつしてしまったのは、世間のやつらのせいで、神様が休暇でもとって私に目をかけてくれないからであって、
だから、そう、だから、だからこそ、
――神様がいないから仕方ない。
だったら、私が神様になりかわり、神様の代わりに罰を与えなくては。
他人よりも幸せであるなんて、私よりも幸せであるなんて、絶対に許さない。
私の努力を、私が私であることを否定するなんて、こんな何の努力もせず、ただ『そうである』というだけで特別なおまえには絶対に奪わせない。
奪い返してやる!
感情が沸点を通りこして、逆に真っ平らになる。
加減を知らない感情の濁流は、まるで危ない茸を無理やり口の中に放り込んだときに似ていて、
原色の限りなく純粋な色がいくつもの泡となって爆発した。
濃い色。
紅い世界。
ガラスの球体。
割れた。
わ多死、あ鉈を腐食させ他意の。
すでに思考らしき思考はなく、その行動に秩序なんてものはない。
そこらに置いてあるいつもの人体解剖用の大きな鉈で、やつが着ていた洋物の服を切り裂き、なかから見たこともないような生白い肌があらわになる。
たいして苦労もしていないであろう、そいつの身体は、生傷の絶えなかった私と違い、傷ひとつなかった。
脳がグラグラと沸き立つような怒りを覚え、しかし、顔が無様にゆがむのを止められない。
ああ
コ ロ セ ル
目ん玉ほじくりだして、生きたまま腹わたをだらんと垂れ下がった状態にさせて、
死にたくない死にたくないと足をばたつかせて、
殺して殺しつくして、生きているかぎり殺しつくして
きっと、それは屍体なんかよりもずっと気持ちいいに決まっている。
私は急速に悟りに至る。
そうだ。
コレを屍体にするのは気持ちがよいことだ。
屍体を分割するよりも、命を分割するほうが、
つまり作業のほうこそが気持ちがいい。
そのときの私を言語にするなんてまったく無意味だけれども、
あえて言葉に表すとするならば、そう『生まれ変われる』と思ったの。
猫子を殺すことで、私は初めて人間として生まれることができる、と。
※
カコ……。
耳に近いところで聞いたのは、ちょうどそうね。
なんといえばいいかしら、ししおどしって知ってるかしらね。竹が岩を打つ、例のアレよ。
あの音が頭蓋の奥から直接聞こえるような気がしたわ。
私は笑っていた。
正確には笑ったままでしか要られなかった。
だって、背後から思いっきりハンマーで殴りつけられていたんだから。
頭から割れた西瓜のように血がしたたってきて、手足がまるで自分のものではないように重くなって、
それでも、なぜという想いから私は振り返ったわ。
そこには、あいつの妹がいた。
感情を感じさせないまなざしで、つまりはそこの異常な光景にもまったく何も感じ入ることはなく、微笑すら浮かべていたわ。
なぜと聞いた。
――どうしてここがわかったと言いたいの?
もはや私の口は満足に動かない。
――それともどうして、殺すのかって言いたいの?
そうだ。
だって、私は生きているのが当たり前の人里の人間なんかよりずっと生きることに誠実であったし、みんなが寝ている時間も、遊んでいる時間もすべて人形を使うことに注ぎ込んだのに、人形を操るということに全身全霊をかけたのに。
そんな私は誰よりも幸せになるべきなのに。
こんな腐った場所から羽ばたいて、きっと神様のようにキレイになれる。
いつかは、神様にだってなってみせる。
そいつは言った。
――妖怪は人間を殺して気持ちよくなるわけじゃないんだけどね。
単に石ころも猫も犬も人間も、全部同じモノだから、だから殺してしまうんだって。
意味わかんないでしょう?
当然、そのときの私はわからないって答えたわ。
例えばパレットの中にチューブから絵具を取り出すとするでしょう?
普通の人間は敷居があって、色と色は混ざらないようになっている。
そこに例えば『猫』は『猫』、『人間』は『人間』、
そして『妖怪』は『妖怪』っていうふうになっているから、
それらを取り違えることはないんだ。
でも、敷居がなくなったらどうかな。
パレットのちょっと広いところで、グチャグチャに色を混ぜてみたらどうかな。
なにがなんだかわからないよね。
そうだよ。
それが、妖怪のモノの見方ってやつ。
逆に言えば、人間なんて、そのパレットの敷居部分ぐらいの意味しかないんだよ。
敷居が壊れると、その残骸の具合によって、いろんなものがそれっぽく動作する。
なんといえばいいか、フォールトトレラントシステムというべきなのかな。
これが妖怪の正体。
人間の無意識が壊れて、その残骸の形式によって、性質が決まる。
ほとんどはその壊れた残骸でつくった無意識モドキを第一に考えるようになる。
例えば、嫉妬の妖怪は嫉妬以外のことは基本的には二の次になるし、ほとんどの妖怪は人間を殺すことを壊れた無意識の代替物としておいているってことなんだよ。
でも、それで好きとか嫌いとかそういう感情がなくなったりするわけじゃないよ。
確かに僕にとっては、虫も人間も同列だけど、
時々、いろいろなモノが混ざりきれてない部分もあって、そんな『部分』のことに興味を抱いたりもするんだ。
だから、僕は比較的好意を持つ『部分』として、義姉さんを生かしているし、
誰かに殺されちゃったりすると、嫌な気分になるんだ。
ただの相対的な比較として、相対的な精神論として……、君は僕にとっては要らない『部分』だから殺すんだよ。
わかりやすいでしょ?
驚くことに、そいつは妖怪だったの。
人間の姉と妖怪の妹なんて馬鹿げた組み合わせだけど、そんなこともこの世界では起こり得るらしい。
そして、そいつが私を殺す理由は憎悪や怒りやそういったものも少しはあるのだろうけれども、
それ以上に、ただ、ほんのちょっとだけそこにある色がわたしの持つ色より好ましいと感じたから。
いや、そういった好悪の感覚すらも曖昧で、単純に偶然的ともいえる結果として、私は殺されるらしかった。
妖怪は続けた。
ああ、そうそう……。
言い忘れてたけど、義姉さんには劣るけれど、君の『緑色の瞳』はわりと好きかな。
あとで抉って持ち帰ることにするね。
いいでしょう。だって死ぬんだし。
それにしても君は人間なのかな、それとも妖怪なのかな。
べつにどっちでもいいか……。
私は思いつく限りの言葉で神様を罵った。
だって、こんなことってある?
ただ私が願ったのは、努力を正当に認められることだけ。
努力したら努力した分だけ、認められるってことだけなのに。
それどころか。本当は、ただ誰でもいいから、たったひとりでもいいから、
私をひとりの人間として認めてほしかっただけなのに!
不公平すぎるだろうが、神様ッ!!!!
けれど、こんな穢れた場所に神様なんているはずもなく、私は屍体に仲間入りすることになったの。
※
ひまわり畑を南東の方に迂回して、東にある竹林に入らないように注意しながら、低い山を越えていくと、
そこには無名の丘と呼ばれる場所があって、そこには無数の鈴蘭が群生している。
そこで、気づいたときに、私は私だった。
きっと言葉にすれば、転生とか憑依とか、あるいは神様の悪戯とでもいうのかもしれない。
あなたは、そこで生まれて、その身に宿した『毒』で人間どもを殺していくの。
さあ、殺しましょう!
神様は死んだか、休暇をとって人形劇で遊んでいるのだろう。
だったら、私はあなたの『毒』になって、神様の『お気に入りのお人形たち』を腐らせて、
私の方がずっとキレイだって教えてあげるの。
私はメアリー。
あなたを操る。
いや、祝福したいような叩き潰したいような複雑な気分です
幸福になろうとする意志が尊いのかそれとも醜いのか幸福になろうとする意志を醜いと思うことこそ醜いのかよくわかんないです
大抵この手の話は馬鹿の思考回路が馬鹿に書かれてますけど、実際人間は正当化と誤魔化の自己洗脳が出来る高度な生き物なので、実際にはもうちょっと思考回路が賢そうな気がします
もっとも今まで馬鹿の思考回路が自分と考え方が違う馬鹿に対する偏見に満ちてない創作には出会ったことがありませんが
まるきゅーさんのこいしとオリキャラって、基本的に「ひとりよりふたりで居たい」という思想が通底してるよな、と感じてるんだけど、今回はふたりになれなかったね
ふたりになること=自分をひとりの存在として認めてくれる人に出会うこと、ってやっぱり必要だし、そういう人は自分にとって多かれ少なかれ神様だよな、って思うわ
憎悪と呪詛に満ちた心情描写が圧巻で、また彼女を取り巻く世界観の特殊性が強烈な印象を残します。
ただ、「前作のキャラクター」を出すときは、一言説明を入れていただいたほうが良いかもしれません。さもなくば、そのキャラクターがパクリであると勘違いしてしまう人が出てしまいます…。
わりと本気でわからないから困る
たぶん、何かの作品と見分けがつかなかったんだと思うんだけど
あるいは私が見分けがつかなかったのか
まあ多数決じゃないし、
より多くの共感を得た方が勝ちってもんでもないが
参考までに知りたい、とは思う
改めてだけどまるきゅーさんは言葉を的確に選ぶので面白い。
例えば、
>私は着物の内側にあの本をいつも忍ばせて所有していた。
この”所有”に関する説明の下りでは思わずくすりとさせられた。普通に書くなら”所持”ですものね。
>作者の考えたいろんな意味での臨界点
むしろ臨界点の破裂した物語と云うのも読んでみたい気はする。
肉体も魂も汚辱する爛れた語りを。
もちろん創想話以外でね。
結局育ちの悪さがでてしまった、と結論付けるとなんだか身も蓋もないけれど。そんなもんかもなあ、と思わなくもない。血縁は疎らのようだから、塵捨場のミームに問題があったのか、あるいは里からの眼差しが人格を規定してしまったのか。
『メディは鈴蘭の毒のことをスーさんと呼ぶ』+「私はメアリー」=メアリー・スーをもじったギャグ?
完璧超人っぽいキャラ付けのオリキャラであった前作の姉さんが毒牙にかかりかけた理由もそこにあったりする?
ってことなのだろうか?
そうだという確証はないけど、そうだとしたらとても面白い発想。メディスンが人間を恨んで行動しているのがよくわかる。
楽園があるならば掃き溜めも存在するのが必定。
綺麗なばかりじゃいられないいびつな楽園。
なるほどなるほど、胸糞悪いが嫌いじゃない。
不条理さがまるでない不条理な感じがしてとても面白かったです
図書屋he-sukeさんの「無名の丘に沈む月」ですか。
読者にとっての、キャラクターの出自というのがどれだけ大きいのかを
見誤った私のミスですね。
正直に言わせていただきますが、上記の作品については、
特に考えておりませんでした。
あとがきや作品について言い訳はしたくないので、かいつまんで説明しますと、
あーキャラクターの毒書きたいなー、どうしようかなー、、そうだ不幸要素大きめにすればいいんじゃねってことで、特に何かの作品を意識してはなかったんですよね
大腸書くには、そこしかなかったんで必然そうなったというか……
ご指摘を受けて、見直せばバックボーンとしての出身地が似通ってると
パクリだという考え方もあるかもしれません
その考え方を否定はしませんし、なるほどなという納得はしました
とすれば、作者さんコメントしていただいてますが、
なんともいい難い気分だったのではないかと思います。
発言残していただいたことから考えるに、私許されちゃってる?といまさらながら
愚考いたしますが、いかがでしょうか。
とはいえ作者さんの気持ち的には『触る部分』があったのではないかと思います。
その点に関しましては……うまい具合に言葉が見つからないんですけども
正直スマンカッタ。
こんな気持ちです。
ともかく、理不尽が理不尽を産む最悪の負のサイクル、負の再生産が心を打ちます。これは人間を怨むのもやむなし。
全然気にしておりませんよ。なんか嫌味でコメント入れてると思われたりしてたら誤解です。
むしろひょっとして意識していただけてたら嬉しいぐらいの気持ちでしたが、意図されていないというのであれば、テーマがかぶっちゃって気まずいぜテヘヘてなもんですね。
他人のコメントにコメントはご法度ですが、一応作者さんへのコメント何でセーフ、ですよね?
まるでコメントを強要するようなコメントになってしまい、
お手数をおかけいたしました。
図書屋he-sukeさんの意図が嫌味などとは微塵も思っておりません。
でなければ、普通はわざわざこの作品を読み、コメントを返すなんてしなくてもよいことを
していただいているのですから。
むしろ、他の方からパクリと言われるのを防ごうとしていただいているみたいで、
申し訳ないと同時にありがたい気持ちでいっぱいです。
あなたが神様ですか?