※ 注意
この物語は、「世にも奇妙な物語」にて放映された、「Air Doctor」をモチーフとしたパロディ作品となっております。
そういうのが苦手な方は、ブラウザの「戻る」をクリックしていただくか、耐え忍んでください。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【狂宴】
「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか!」
宴の場で響いた大きな声が、私の耳を刺激した。
弱小の妖怪、妖精、たまたま居合わせたその他の客達が、喧嘩ではないその事態に緊張の表情を浮かべるのが目に写った。
人……いや、妖怪が倒れている。緑色の短い髪の、少年とも見間違う格好をした少女だ。
顔が青く、息が不規則だ。意識は無いらしい。
テーブルには様々な料理が並んでいる……この状況下で想定される病名は……食物性アナフィラキシーショックか。
「はい」
私は手を挙げた。確証はないが、今この場で処置を出来るのは、恐らく私だけだろう。
客達の視線が一斉に私に向けられる。まるで漫画や小説のようなシチュエーションだ。
ただし、誤解の無いように先に言っておこう。
「ここは私に任せてください」
私は医者ではない。
元々、私はただの名も無き読書好きな妖怪だ。力もなければ技術もない。
だが、本は好きだ。だから知識はある。そこらの低級妖怪に比べたら、私はエリートである自信はある。
だから、憧れていたんだ。力に、技術に、人に知られることを約束されない私は、飢えていたのだろう。地位に、名誉に。
(あ、やば……)
ハッと我に返った時にはもう遅い。既に観衆は私しか見ていない。彼女を助けることが出来るのは、私しかいなくなっていた。
何より、アナフィラキシーショックならば医者を待つより早く対処する必要がある。やるしかない。
(……大丈夫、対処法は頭に入っている)
どの道今さら、「私は医者ではない」とは言えないだろう。
患者の脈を測る……早い。少なくとも心臓は動いている。しかし安心はできない。
(だとしたら……)
「人里の人を集めて速やかに永遠亭に搬送の準備を! その間に応急手術を行います!」
患者の命を救う最善の策はこれで合っているはず。まずは彼女の体内に入ったアレルギーの原因を取り除く必要がある。
「……手術道具は?」
あ、そこの金髪のちっさい子ありがとう。すっかり忘れてたわ……って、忘れてたわァ!
無理じゃん! 手術無理じゃん!
「……」
やばい、みんなこっち見てる。どうする? このままじゃ放置だ。
「い、今すぐ永遠亭に搬送します!」
よ、よく考えたらこれが普通の対応だよね。そうよね……私、医者じゃないし。
「なるべく揺らさないように運びます。力のある人は協力して――」
「あるわ」
え、何?
「医療道具なら、あるわ」
あるの!?
「永遠亭の外で緊急対処が出来るように、兎達が複数箇所に携行医療道具を預けているわ。ここからなら、寺子屋が一番近いはずよ」
「よく知っていますね。もしかして、医療に詳しいんですか?」
やるんなら知ってる人がいるほうがいいに決まってる。私の経験地はゼロなんだから。
「わ、私は医者じゃないわ」
ただ知ってるだけか……!
「わ、私は医者じゃないわ」
誤解の無いように先に言っておこう。私は医者だ。
ならば、なぜ私があの患者を助けないのか……?
確かに、私は医者だ。ていうか永遠亭の医者とは私のことだ。自身の腕にも自信がある。自身だけに。蛇足。
患者が人里の人間ならば、私は真っ先に処置に出ただろう。
だが、私はこの妖怪を、彼女を救うことは出来ない。
それは、彼女が虫だからだ。数多くの患者を救ってきた私だが、虫の治療はしたことはない。むしろ寄生虫を殺す側だ。
そもそも虫のオペって何よ? だって虫よ? 節足動物よ?
あんな人間みたいな格好してるけど、いざメスを入れたらカブトムシの幼虫の中身みたいな変なクリーム色の液体とか出てきたらどうすればいいのよ!?
あの目も顕微鏡で拡大したら複眼になってるに違いないわ。
そんな謎生物の手術なんて引き受けてカブトムシの幼虫の中身みたいな変なクリーム色の液体だけ噴出させて死なせたら、永遠亭の沽券に関わる。
幸い、私が医者と知る人はこの中にはいないらしい。あんな鳥妖怪の医者なんて聞いたこと無いけど、
虫に詳しいなら妖怪専門の医者なのだろう。私がでしゃばる必要はない。
「待ってください。ここで手術をさせるわけにはいきません」
「待ってください。ここで手術をさせるわけにはいきません」
な、何言ってんのこの犬(?)。
「本来ここは妖怪の縄張りではありません。妖怪の預かりは、妖怪の山で受け入れるべきです」
えーそうだったっけ……? いや、でも私が手術するよりはそっちに任せたほうがいいんじゃないだろうか? そもそも私、医者じゃないし。
「人は人里、妖怪は山で受け入れる。それが本来あるべき取り決めのはずです」
「えーそんな取り決め聞いたこと無いんだけど……貴女何者なんですか?」
「私は……八坂様の使いの者です」
「私は……八坂様の使いの者です」
誤解の無いように先に言っておこう。私は八坂の神の使いでは無い。てかそんな取り決めは無い。
私はただのしがない哨戒天狗。そんなことを決める決定権もなければ、この手術を静止する義務も無い。
だが、私は大天狗様からは常に口煩く釘を打たれている。
「人里に足を運ぶならば、人間と妖怪の間で騒ぎを起こしてはならない」
と。
これは緊急事態だ。人里で、妖怪が手術をする。幸いここに人間はいないが、もしこれが人間に知れたら、
間違いなく前代未聞の騒ぎになるだろう。何よりこんなスクープ、あいつらが黙ってるわけがない。今のうちに沈静化させるのが得策だ。
「今はそんなことを言ってる場合じゃないでしょう、緊急事態なのよ!」
む、あの銀髪女め、緊急事態なのはこっちだって分かっている。だがこっちだって引くわけにはいかない。
そもそも妖怪がアレルギー持ちだなんて聞いたことない。人間じゃあるまいし。きっとあの医者が藪なんだ。
「とにかく、八坂様の許可か、同等の方が許可しない限りはこの場での手術を許可するわけにはいきません」
「とにかく、八坂様の許可か、同等の方が許可しない限りはこの場での手術を許可するわけにはいきません」
そ、そうか、八坂の神様が決めてることなら、逆らえないよね……いや、そもそも私手術したことないんだから、やらないに越したことは――
「お客様の中でお偉い様はいませんか!?」
何言ってんのこの店員!?
「あ、はい」
いるのかよ!?
「あ、はい」
誤解の無いように先に言っておこう。私はお偉い様ではない。
私の名は、ミスティア・ローレライ。歌って料理ができるごくごく普通の妖怪だ。
ただ、「お偉い様はいませんか?」が「ローレライ様はいませんか?」に聞こえて手を上げてしまった……。
あーやばい、みんなこっち見てる。どーしよ、みんな私をお偉いさんだと思ってるよこれ。
てかそこで転がってるの確か私の店の常連さんよね?
「失礼ですが貴女、何者ですか?」
聞くよね、そりゃ聞くよね? うん、このわんこ(?)の思ってることは正しいと思うよ? 私偉くないし。
「緊急事態なんでしょう? ならばこの場の権限は私が持ちます」
でも今それどこじゃないのよ! うちの金ヅルがヤバいんだもん、なりふり構っていられないじゃない!
「いや、それは分かりますが貴女は一体――」
「全ての責任は私が請け負うと言ったでしょう! 八坂の神には私から伝えておきます、早く手術をさせなさい!」
てか八坂の神なんて知らないわよ! 誰よそれ! そんなことどうだっていいって言ってるでしょ!
「わ、分かりました……この場の指揮は貴女に任せましょう」
あー、もう後には引けなくなっちゃったわねこれ……後々ヤバいことになんないかなこれ。
「わ、分かりました……この場の指揮は貴女に任せましょう」
嘘でしょ、お偉いさんまでいたなんて……。
「そ、それではオペを開始します……」
もーこりゃダメだ、やるしかない……腹を括ろう。
「それではまず輸血の……」
輸血の……
「準……備……」
準備を……
「……」
こいつの血液型何だ!?
「……」
あれ、なんで固まってんのあの医者? 早く手術始めなさいよ。
「……」
もしかしてあの子……血液型が分かんないの!?
いや、普通そうよね、輸血もオペも一緒にできる医師なんて私くらいよね。私も普段はうどんげに輸血手伝ってもらってるし。
「……」
……あーもー仕方ないわね!
「……血液検査の経験なら、あるわ」
「……血液検査の経験なら、あるわ」
え、あるの!? この人ただの一般客じゃなかったの!?
……いや、でもこれは有難い! 細かいことはいい、今は一人でも支援が欲しい。
「患者の血液型の特定と、輸血の支援をお願いします!」
「い、いいけど……検査と輸血しかできないわよ?」
「それで構いません!」
その血液型が問題だってのよ!
「それで構いません!」
ま、まあいいわ、輸血さえやればあと何とかなるものね。
「それでは先に採血を行います。血液型検査を……」
……ん、ちょっと待て?
……虫って血液型あるの? 採血したらカブトムシの幼虫の中身みたいな変なクリーム色の液体がたんまり採取できましたとかないわよね!?
……あれ、案外普通の赤い血じゃない。もしかして普通の人間や妖怪とあんまり変わらない……?
いや、油断は禁物よ 八意永琳。医学は常に未知との戦いなのよ。慢心は患者の命を奪いかねないわ。
ともあれ……普通に反応は出るのね。血は普通の妖怪と変わらないのかしら。これなら輸血は問題無いわね。
「手際いいですね」
「そりゃそうよ。何人患者さんの相手――」
「え?」
「え!? あ!? いやいやわ、私も昔お医者さんになりたかったから輸血の知識だけはあるのよ!」
あ、あぶなっ! 危うく私が医者だってバレるとこだったわ!
「え、貴女医者じゃないんですか? こんなに手際いいのに」
「い、医者じゃないわよっ、わ、私は……」
と、とにかく今の私は医者じゃない。今の私は……。
「わ、私はただの演歌歌手よ」
「え、おねーさん歌歌うの!?」
な、何食いついてんのよこの氷精!?
「……」
誤解の無いように先に言っておこう。私はアレルギーではない。
ただ、元々私はそんなにお酒に強く無いから、フラフラして気付いたら、やれ医者だのやれアレルギーだの……なんかぼんやり聞こえるけど、目が覚めたら二日酔いになってるんだろうな多分。
「い、今は歌ってる場合じゃないの、今から麻酔するから邪魔しちゃだめよ?」
「えー? 歌ってよー演歌歌手なんでしょ?」
なんか聞こえる……え、何、演歌歌手が麻酔打つの? 何? 今どういう状況? あ、今なんか刺さった、酔ってボンヤリしてるけど今注射針刺したね?
……え、注射針?
「先生、オペの準備終わりました」
え、オペ……オペ!? 手術!? ちょ、何やろうとしてんの!?
「ちょ、待っ……」
あ……意識が遠……
「あれ、今患者さん喋りませんでした?」
「アレルギー痙攣を起こしてる患者が意識をそんな簡単に取り戻すわけないでしょう。しっかりしてください先生」
「アレルギー痙攣を起こしてる患者が意識をそんな簡単に取り戻すわけないでしょう。しっかりしてください先生」
……おかしいなあ、確かに喋ったように見えたんだけど、気のせいだったのかな。
「そ、それでは……オペを始めます」
と、とにかく、もう後には退けない。大丈夫、知識はある。頭の経験値だけは蓄えてある。
基本的には、血管や内臓の作りは人間も妖怪もさほど変わらない。それならば、胃があるのはこのあたりのはず……。
「……どうしました? 先生?」
「い、いえ、大丈夫です」
……大丈夫、震えるな。胃を開く、内容物を除去する、縫合……それだけだ。しこりや癌を取り除くわけじゃない。そんなに難しい手術じゃない。
何より、私は分かっているはずだ。アナフィラキシーショックは時間との戦いだ。ここで足踏みをすればするほど、患者の命に関わる。
「メスを入れます。輸血ついでにあれですが、止血と汗、お願いできますか?」
「ええ、それくらいならなんとか」
「あと、出来れば声をかけられる人がいればいいのですが……」
「あ、私その子の友達です」
「あ、私その子の友達です」
誤解の無いように先に言っておこう。私はこの子の友達ではない。
私はただの地底の嫉妬妖怪だ。なんかやたら妖怪が集まってるこの宴に呼ばれたわけではない。
ただ、ちょっと気晴らしに地上の空気を吸ってみたら、人里から妬ましい香りを感じたから、ちょっかいを出してやろうと足を運んでみただけのただの流れに過ぎない。
「それでは、少しでもこの子が回復できるように、傍で応援してあげてください」
「え、あ、はい」
じゃあ、何故私はこの子を助けようとしているのか?
理由は、実は私にもよく分からない。ただ、なんとなく、なんとなくなんだが……この子から不幸な香りがした。この宴の中でただ一人、この子だけが妬ましいと感じなかったのだ。
もしかして、この子は今とてつもない不幸の真っ只中にいるのではないだろうか? 実は妬むどころか同情したほうがいい状況にあるのではないのだろうか?
「頑張って……」
同調、なのだろうか? 誰かを守るだの、そんな吐き気を催すような感情を抱いたつもりは無い、だけど、私は不思議と彼女の手を握り、声をかけていた。
「頑張って……!」
だが、私は……
「頑張って田中さん!」
私は彼女の名前を知らなかった。
「頑張って田中さん!」
舞台は整った。あとはやるだけだ。
「では……」
私がやることは一つ、目の前の患者の命を救うことだ。
「開きます」
メスってこんなに軽かったんだ……そりゃ、軽くないと精密な手術なんて出来るわけないよね、当然だよね。
生き物の体って、こんな簡単に切れちゃうんだ……豆腐に箸を入れるみたいだ。
でも、ここにあるのは豆腐じゃない、生きている。生物なんだ。
私は、彼女を救わなければならない。
「ねーねー演歌歌手なんでしょ!? 上手いんでしょ!? 歌ってよー!」
「ねーねー演歌歌手なんでしょ!? 上手いんでしょ!? 歌ってよー!」
「だ、だから今は手術の最中だから、ね? あんまり邪魔しないで頂戴」
あーもうしつこいわねこの氷精! なんでこの状況下でそんなに歌が聞きたいのよ!?
「でも歌聴いたら、きっとこいつも元気になるよ!」
あーもう、これだから子供は困るのよ、今麻酔でこの子寝てるのよ? 睡眠と違って完全に意識無いのよ? 歌なんて聞こえるわけないじゃない。
「え、えーと気持ちは分かるんだけど、流石に手術の最中で歌うのは――」
「いいじゃないですか、歌が上手いんでしょう?」
ちょ、お偉いさん!?
「心のこもった歌ならば、きっとその子にも響くでしょう。いいじゃない、歌にはリラックス効果もあるんだし……野次馬が邪魔で歌えないなら、私とわんこが黙らせてあげるからさ。ね、先生?」
「そうですね……演歌歌手ってくらいならば、是非一度その声を聞かせてください」
ちょ、先生まで何言ってんの!?
「お願いです! 田中さんを助けてあげてください!」
「私からもお願いします。妖怪のはしくれとして、少しでも彼女を力づけることが出来るなら」
お友達さんとわんこ(?)も背中押さないで!?
「ほら歌ってよー! 絶対元気が出るよ!」
う……だめだ、みんなこっち見てるわ……くっ、だめだ……もう逃げられそうにない……!
「わ、分かりました……それでは一曲……」
ええいままよ! もうどうにでもなれだ! ようは手術成功すりゃいいんでしょ成功すりゃ!
「えー、そ、それでは聞いてください。『天城越え』」
「えー、そ、それでは聞いてください。『天城越え』」
歌は嫌いじゃない。歌を聞きながらの手術……いいじゃないか。それはそれで、緊張を紛らわしてくれるはず。既に胃は見えている。あとはこれを開き、中身を取り除くだけ。
「隠しきれない……移り香が……」
嫌いじゃないん……だけど……。
「いつしかあなたに……染み付いた」
下手だ! この人めっちゃ歌下手だ! 音程外れすぎ!
「誰かに盗られる……くらいなら……」
ええい、歌っていいと言ったのは私だ、今はオペに集中しなきゃ……。
「あなたを殺して……いいですか」
歌のチョイスゥ!! 手術中になんて歌歌ってんのこの人!?
「あなたを殺して……いいですか」
な、なんか店内でひっどい歌声が聞こえる……これ、さっきの演歌歌手よね? え、何この鬱病患者みたいな歌い方……あとチョイスおかしくない?
「あーほらほら野次馬集まんないでよ! それ以上騒ぐと八坂の神の怒りに触れるわよ!」
とりあえず八坂って誰なのかよく知らないけど、八坂って名前出すだけで野次馬どもが鎮まる鎮まる。
「この酒場は現在八坂様の管轄にあります! くれぐれも騒ぎを起こさぬように!」
本当にこの妖怪が八坂の二柱と繋がりがあるのか、真偽の程は分からない、しかし、こうなった以上はこの妖怪に従うしかない。
「間違っても騒ぎを広げないようにしてください! 緊急手術をしています! 邪魔をしないように!」
これ以上騒ぎを広げるわけにはいかない。間違っても文屋の耳にこの事態が広まらぬよう、中の様子を見せるわけにはいかない。
「寝乱れて……隠れ宿……」
あーもーなんで音程そんな外れてるのよ……最近の演歌ってこういうのがトレンドなの? ちょっと私には理解出来ないわ。
「九十九(つづら)折り……浄蓮の滝……」
下手だ……下手すぎる! 聞くに堪えないわ! お偉いさんになんて歌聞かせてるのよ! お偉くないけど今私はお偉いさんなのよ!
「舞い上がり……揺れ墜ちる……肩の向こうに……」
……ダメだ、我慢できない。
「あなた……山が燃――」
「山があああぁぁ燃えるううぅぅぅ!」
「山があああぁぁ燃えるううぅぅぅ!」
「!?」
え、なんでお偉いさんが歌い出してんの!?
「何があってもおぉ、もういいのぉ……!」
って、お偉いさん……私なんかより凄い歌上手いじゃない……この人ホントにお偉いさんなの?
「くらくら燃えるぅ……火をくぐり……」
ホントに……いや、私だって本当は……。
「田中と……越えたい……」
このお友達はなんで変なとこに乗っかってきてるの!?
「田中と……越えたい……」
なんか歌が変な方向に行ってる気がする……それよりもこの演歌歌手の人……すごい手際がいいなあ。
血圧や脈の管理と併せて私の汗を拭いてくれてる、止血の処置も無駄が無い。
まるで本物のお医者さんみたいだ。いや……私だって本当は……。
いや、今は患者の命が最優先なんだ……あとは胃の中の物を全部摘出して……。
摘出……摘しゅ……。
あれ……?
中に何もいませんよ……?
「なんか外で歌ってるお偉いさんのほうが歌上手くない?」
「あ、やっぱそう思う?」
声が聞こえる。
「ていうかあの演歌歌手、正直下手だよね……」
「でもよく歌いながら手術手伝えるよね、ホントは医者なんじゃない?」
声が聞こえる。
「それを言うならあのお偉いさんも、あんま偉そうじゃないし」
声が聞こえる。
「ていうかあんな子、妖怪の森にいたっけ? もしかして地底の妖怪じゃ……」
「八坂様の使いが犬って、なんか可愛い趣味してるよね」
声が聞こえる。
「もしかして……」
声が聞こえる。
「ニセモノ?」
声が聞こえた。
私は、医者じゃない。
私は、演歌歌手じゃない。
私は、神の使いじゃない。
私は、お偉いさんじゃない。
私は、友達じゃない。
そうだ、私は一体何をしているんだ。
反射的に手を挙げた時に、「すいません、間違えました」って言えば済むことだったのに。
何も、なかったじゃない、この子、何も食べてないじゃん、アナフィラキシーショックでもなんでもないじゃん……。
私は、とんでも無いことをやらかしてしまった。何も食べてない子の胃を開いた。取り返しのつかないことをしてしまった……。
もう、止めにしよう、本当に取り返しのつかないことになる前に、本当の私を忘れてしまう前に。
「ブラボー!!」
え……?
「さすが演歌歌手だね! 魂のソウルだね! 凄い心に響いたよ!」
氷精……?
「慧音の言ってたとおりだ! 嘘とか偽りってのが無いとね、間違うことは無いんだって!」
嘘とか、偽り……。
私は……
私がやりたいことは……!
「急性アルコール中毒の可能性があります。今から胃洗浄を行います!」
私は、この子を救いたいんだ!
「頑張って田中さん! もう少しよ!」
私が誰かなんて、どうでもいい!
「道を空けてください! もうすぐ永遠亭の医者が駆けつけます、通路を空けてください!」
後のことなんか、どうでもいい!
「野次馬どいて! 後で天罰が下るわよ!」
私がやりたいことは!
「天城いぃぃぃ越おぉぉえぇぇぇ!」
この子の命を、救う!
「……」
何時間経っただろう?
「……」
いや、分かも知れない。
「……」
1秒すら、長く感じられた気がする。
「……」
それでも、
「……」
それでも、私は。
「縫合、完了しました」
それでも、私達は。
「手術、成功です……!」
やり遂げたんだ……!
歓声が、酒場を包んだ。縫合も綺麗に出来た。これなら目立った傷にもならないだろう。
「終わった……」
「終わったのね……」
店内の歓声を聞き、野次馬の対応をしていた一羽の夜雀と、一匹の白狼天狗は、大きく、深く安堵の息を漏らした。
「お疲れ様でした。わざわざこんな人里まで足を運んで、災難でしたね」
神の使いを偽った天狗は、身分を偽った夜雀に深々と頭を下げた。
「いやいや、私は楽しかったよ、滅多に無い経験だったし!」
「え?」
「あーいやいや、こっちの話!」
「お疲れ様でした先生」
銀髪の助手が、私に握手を求めた、私は自然に彼女の手を握ることが出来た。
「支援ありがとうございます。私だけの力ではありません」
「それにしても、よく虫の手術を出来ましたね。私はこんな手術、見たことがありません」
「ええ、私もやったことありませんでしたし」
「え……!?」
「でも、そこに命があるなら、助ける。それが医者でしょう?」
「!」
「では、私はこれで」
「ま、待ってください! せっかくの宴の場ですし、手術祝いに飲んでいっても……」
「……。私を待ってる命が、きっとどこかにまだありますので」
「せ、せめて名前だけでも」
「名乗るほどのものじゃあ、ございませんよ」
余韻に浸りたい気持ちもあった、しかし、今私がここに留まることは許されないだろう。
私は、私に戻らなきゃいけないのだから。
「……負けないわよ、名医さん」
背後から、そんな声が聞こえた気がした。
永遠亭の兎達が駆けつけてきたのは、それから間もなくのことであった。
「田中さん! 助かるわよ! よく頑張ったね!」
田中と呼ばれた妖蟲は、付き添いの友人と共に、永遠亭へと搬送されていった。
目覚めた田中は、数日後退院したらしい。胃の中はスッカラカンになったが、手術の影響かしばらくはまともな食事が出来なかったようだが、最後は永遠亭で腹いっぱい食事を頂いたあと、頭をさげて森へと帰っていった。風の噂によると、地底の妖怪と親交を持ったらしい。
人里に現れた謎の妖怪医者の噂はたちまち幻想郷に広まった。しかし、その噂は間もなくして風化していった。
新聞記者の耳に、その噂が届くのが遅くなったからだ。文々。新聞記者、射命丸文の耳が駆けつけた時にはすでに、その医者は姿を消していた。
一方で話題に上がったのは、夜雀、ミスティア・ローレライである。犬走椛の報告により、妖怪の山で広まったその噂は、もちろん八坂神奈子の耳にも届いていたのだ。
身分詐称により神様からこっぴどく叱られたミスティアであったが、結果的にそれは彼女に利をもたらすこととなった。
彼女が経営している八つ目鰻を、八坂の神が気に入ってしまったのだ。八坂の神から太鼓判を押されたその屋台は、鰌(どじょう)の事実が発覚するまでは繁盛した。
「ふう、なんかとんでもない一日だったなあ……」
その名も無き妖怪は、そそくさと人里を離れ、ふらふらと夜道を徘徊していた。
「もう二度とあんな面倒事はごめんだわ」
月を眺めながら、ぼんやり歩いていた。気付いた時には、彼女は無数の花が咲き乱れる花畑に迷い込んでいた。
「でも……」
足元に咲いた一輪の花を摘み取り、彼女は呟く。
「なんか、楽しかったな」
楽しい……あれだけの緊急事態だったと言うのに、私が抱いた感情は、「楽」だった。
名も無き、最初から目立たぬ道を定められた私が、あんなに色んな人たちに注目されるなんて。
でも、もしもまた、私が主役になれる日があるのなら、そんな小さな夢が叶う日が来るのなら、私は……。
「そこの貴女?」
ん? 誰、こんなとこに人が来るなんて……あ、いや、この人妖怪だ。
「私の縄張りで花を摘むだなんて……」
あ、なんか怒ってる? なんか空気が震えてる……? もしかしてこの人やばい人?
「よっぽどの命知らずかしら……それともよっぽど強い妖怪なのかしら?」
誤解の無いように先に言っておこう。
「……」
私は、強い妖怪ではない。
~完~
この物語は、「世にも奇妙な物語」にて放映された、「Air Doctor」をモチーフとしたパロディ作品となっております。
そういうのが苦手な方は、ブラウザの「戻る」をクリックしていただくか、耐え忍んでください。
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【狂宴】
「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか!」
宴の場で響いた大きな声が、私の耳を刺激した。
弱小の妖怪、妖精、たまたま居合わせたその他の客達が、喧嘩ではないその事態に緊張の表情を浮かべるのが目に写った。
人……いや、妖怪が倒れている。緑色の短い髪の、少年とも見間違う格好をした少女だ。
顔が青く、息が不規則だ。意識は無いらしい。
テーブルには様々な料理が並んでいる……この状況下で想定される病名は……食物性アナフィラキシーショックか。
「はい」
私は手を挙げた。確証はないが、今この場で処置を出来るのは、恐らく私だけだろう。
客達の視線が一斉に私に向けられる。まるで漫画や小説のようなシチュエーションだ。
ただし、誤解の無いように先に言っておこう。
「ここは私に任せてください」
私は医者ではない。
元々、私はただの名も無き読書好きな妖怪だ。力もなければ技術もない。
だが、本は好きだ。だから知識はある。そこらの低級妖怪に比べたら、私はエリートである自信はある。
だから、憧れていたんだ。力に、技術に、人に知られることを約束されない私は、飢えていたのだろう。地位に、名誉に。
(あ、やば……)
ハッと我に返った時にはもう遅い。既に観衆は私しか見ていない。彼女を助けることが出来るのは、私しかいなくなっていた。
何より、アナフィラキシーショックならば医者を待つより早く対処する必要がある。やるしかない。
(……大丈夫、対処法は頭に入っている)
どの道今さら、「私は医者ではない」とは言えないだろう。
患者の脈を測る……早い。少なくとも心臓は動いている。しかし安心はできない。
(だとしたら……)
「人里の人を集めて速やかに永遠亭に搬送の準備を! その間に応急手術を行います!」
患者の命を救う最善の策はこれで合っているはず。まずは彼女の体内に入ったアレルギーの原因を取り除く必要がある。
「……手術道具は?」
あ、そこの金髪のちっさい子ありがとう。すっかり忘れてたわ……って、忘れてたわァ!
無理じゃん! 手術無理じゃん!
「……」
やばい、みんなこっち見てる。どうする? このままじゃ放置だ。
「い、今すぐ永遠亭に搬送します!」
よ、よく考えたらこれが普通の対応だよね。そうよね……私、医者じゃないし。
「なるべく揺らさないように運びます。力のある人は協力して――」
「あるわ」
え、何?
「医療道具なら、あるわ」
あるの!?
「永遠亭の外で緊急対処が出来るように、兎達が複数箇所に携行医療道具を預けているわ。ここからなら、寺子屋が一番近いはずよ」
「よく知っていますね。もしかして、医療に詳しいんですか?」
やるんなら知ってる人がいるほうがいいに決まってる。私の経験地はゼロなんだから。
「わ、私は医者じゃないわ」
ただ知ってるだけか……!
「わ、私は医者じゃないわ」
誤解の無いように先に言っておこう。私は医者だ。
ならば、なぜ私があの患者を助けないのか……?
確かに、私は医者だ。ていうか永遠亭の医者とは私のことだ。自身の腕にも自信がある。自身だけに。蛇足。
患者が人里の人間ならば、私は真っ先に処置に出ただろう。
だが、私はこの妖怪を、彼女を救うことは出来ない。
それは、彼女が虫だからだ。数多くの患者を救ってきた私だが、虫の治療はしたことはない。むしろ寄生虫を殺す側だ。
そもそも虫のオペって何よ? だって虫よ? 節足動物よ?
あんな人間みたいな格好してるけど、いざメスを入れたらカブトムシの幼虫の中身みたいな変なクリーム色の液体とか出てきたらどうすればいいのよ!?
あの目も顕微鏡で拡大したら複眼になってるに違いないわ。
そんな謎生物の手術なんて引き受けてカブトムシの幼虫の中身みたいな変なクリーム色の液体だけ噴出させて死なせたら、永遠亭の沽券に関わる。
幸い、私が医者と知る人はこの中にはいないらしい。あんな鳥妖怪の医者なんて聞いたこと無いけど、
虫に詳しいなら妖怪専門の医者なのだろう。私がでしゃばる必要はない。
「待ってください。ここで手術をさせるわけにはいきません」
「待ってください。ここで手術をさせるわけにはいきません」
な、何言ってんのこの犬(?)。
「本来ここは妖怪の縄張りではありません。妖怪の預かりは、妖怪の山で受け入れるべきです」
えーそうだったっけ……? いや、でも私が手術するよりはそっちに任せたほうがいいんじゃないだろうか? そもそも私、医者じゃないし。
「人は人里、妖怪は山で受け入れる。それが本来あるべき取り決めのはずです」
「えーそんな取り決め聞いたこと無いんだけど……貴女何者なんですか?」
「私は……八坂様の使いの者です」
「私は……八坂様の使いの者です」
誤解の無いように先に言っておこう。私は八坂の神の使いでは無い。てかそんな取り決めは無い。
私はただのしがない哨戒天狗。そんなことを決める決定権もなければ、この手術を静止する義務も無い。
だが、私は大天狗様からは常に口煩く釘を打たれている。
「人里に足を運ぶならば、人間と妖怪の間で騒ぎを起こしてはならない」
と。
これは緊急事態だ。人里で、妖怪が手術をする。幸いここに人間はいないが、もしこれが人間に知れたら、
間違いなく前代未聞の騒ぎになるだろう。何よりこんなスクープ、あいつらが黙ってるわけがない。今のうちに沈静化させるのが得策だ。
「今はそんなことを言ってる場合じゃないでしょう、緊急事態なのよ!」
む、あの銀髪女め、緊急事態なのはこっちだって分かっている。だがこっちだって引くわけにはいかない。
そもそも妖怪がアレルギー持ちだなんて聞いたことない。人間じゃあるまいし。きっとあの医者が藪なんだ。
「とにかく、八坂様の許可か、同等の方が許可しない限りはこの場での手術を許可するわけにはいきません」
「とにかく、八坂様の許可か、同等の方が許可しない限りはこの場での手術を許可するわけにはいきません」
そ、そうか、八坂の神様が決めてることなら、逆らえないよね……いや、そもそも私手術したことないんだから、やらないに越したことは――
「お客様の中でお偉い様はいませんか!?」
何言ってんのこの店員!?
「あ、はい」
いるのかよ!?
「あ、はい」
誤解の無いように先に言っておこう。私はお偉い様ではない。
私の名は、ミスティア・ローレライ。歌って料理ができるごくごく普通の妖怪だ。
ただ、「お偉い様はいませんか?」が「ローレライ様はいませんか?」に聞こえて手を上げてしまった……。
あーやばい、みんなこっち見てる。どーしよ、みんな私をお偉いさんだと思ってるよこれ。
てかそこで転がってるの確か私の店の常連さんよね?
「失礼ですが貴女、何者ですか?」
聞くよね、そりゃ聞くよね? うん、このわんこ(?)の思ってることは正しいと思うよ? 私偉くないし。
「緊急事態なんでしょう? ならばこの場の権限は私が持ちます」
でも今それどこじゃないのよ! うちの金ヅルがヤバいんだもん、なりふり構っていられないじゃない!
「いや、それは分かりますが貴女は一体――」
「全ての責任は私が請け負うと言ったでしょう! 八坂の神には私から伝えておきます、早く手術をさせなさい!」
てか八坂の神なんて知らないわよ! 誰よそれ! そんなことどうだっていいって言ってるでしょ!
「わ、分かりました……この場の指揮は貴女に任せましょう」
あー、もう後には引けなくなっちゃったわねこれ……後々ヤバいことになんないかなこれ。
「わ、分かりました……この場の指揮は貴女に任せましょう」
嘘でしょ、お偉いさんまでいたなんて……。
「そ、それではオペを開始します……」
もーこりゃダメだ、やるしかない……腹を括ろう。
「それではまず輸血の……」
輸血の……
「準……備……」
準備を……
「……」
こいつの血液型何だ!?
「……」
あれ、なんで固まってんのあの医者? 早く手術始めなさいよ。
「……」
もしかしてあの子……血液型が分かんないの!?
いや、普通そうよね、輸血もオペも一緒にできる医師なんて私くらいよね。私も普段はうどんげに輸血手伝ってもらってるし。
「……」
……あーもー仕方ないわね!
「……血液検査の経験なら、あるわ」
「……血液検査の経験なら、あるわ」
え、あるの!? この人ただの一般客じゃなかったの!?
……いや、でもこれは有難い! 細かいことはいい、今は一人でも支援が欲しい。
「患者の血液型の特定と、輸血の支援をお願いします!」
「い、いいけど……検査と輸血しかできないわよ?」
「それで構いません!」
その血液型が問題だってのよ!
「それで構いません!」
ま、まあいいわ、輸血さえやればあと何とかなるものね。
「それでは先に採血を行います。血液型検査を……」
……ん、ちょっと待て?
……虫って血液型あるの? 採血したらカブトムシの幼虫の中身みたいな変なクリーム色の液体がたんまり採取できましたとかないわよね!?
……あれ、案外普通の赤い血じゃない。もしかして普通の人間や妖怪とあんまり変わらない……?
いや、油断は禁物よ 八意永琳。医学は常に未知との戦いなのよ。慢心は患者の命を奪いかねないわ。
ともあれ……普通に反応は出るのね。血は普通の妖怪と変わらないのかしら。これなら輸血は問題無いわね。
「手際いいですね」
「そりゃそうよ。何人患者さんの相手――」
「え?」
「え!? あ!? いやいやわ、私も昔お医者さんになりたかったから輸血の知識だけはあるのよ!」
あ、あぶなっ! 危うく私が医者だってバレるとこだったわ!
「え、貴女医者じゃないんですか? こんなに手際いいのに」
「い、医者じゃないわよっ、わ、私は……」
と、とにかく今の私は医者じゃない。今の私は……。
「わ、私はただの演歌歌手よ」
「え、おねーさん歌歌うの!?」
な、何食いついてんのよこの氷精!?
「……」
誤解の無いように先に言っておこう。私はアレルギーではない。
ただ、元々私はそんなにお酒に強く無いから、フラフラして気付いたら、やれ医者だのやれアレルギーだの……なんかぼんやり聞こえるけど、目が覚めたら二日酔いになってるんだろうな多分。
「い、今は歌ってる場合じゃないの、今から麻酔するから邪魔しちゃだめよ?」
「えー? 歌ってよー演歌歌手なんでしょ?」
なんか聞こえる……え、何、演歌歌手が麻酔打つの? 何? 今どういう状況? あ、今なんか刺さった、酔ってボンヤリしてるけど今注射針刺したね?
……え、注射針?
「先生、オペの準備終わりました」
え、オペ……オペ!? 手術!? ちょ、何やろうとしてんの!?
「ちょ、待っ……」
あ……意識が遠……
「あれ、今患者さん喋りませんでした?」
「アレルギー痙攣を起こしてる患者が意識をそんな簡単に取り戻すわけないでしょう。しっかりしてください先生」
「アレルギー痙攣を起こしてる患者が意識をそんな簡単に取り戻すわけないでしょう。しっかりしてください先生」
……おかしいなあ、確かに喋ったように見えたんだけど、気のせいだったのかな。
「そ、それでは……オペを始めます」
と、とにかく、もう後には退けない。大丈夫、知識はある。頭の経験値だけは蓄えてある。
基本的には、血管や内臓の作りは人間も妖怪もさほど変わらない。それならば、胃があるのはこのあたりのはず……。
「……どうしました? 先生?」
「い、いえ、大丈夫です」
……大丈夫、震えるな。胃を開く、内容物を除去する、縫合……それだけだ。しこりや癌を取り除くわけじゃない。そんなに難しい手術じゃない。
何より、私は分かっているはずだ。アナフィラキシーショックは時間との戦いだ。ここで足踏みをすればするほど、患者の命に関わる。
「メスを入れます。輸血ついでにあれですが、止血と汗、お願いできますか?」
「ええ、それくらいならなんとか」
「あと、出来れば声をかけられる人がいればいいのですが……」
「あ、私その子の友達です」
「あ、私その子の友達です」
誤解の無いように先に言っておこう。私はこの子の友達ではない。
私はただの地底の嫉妬妖怪だ。なんかやたら妖怪が集まってるこの宴に呼ばれたわけではない。
ただ、ちょっと気晴らしに地上の空気を吸ってみたら、人里から妬ましい香りを感じたから、ちょっかいを出してやろうと足を運んでみただけのただの流れに過ぎない。
「それでは、少しでもこの子が回復できるように、傍で応援してあげてください」
「え、あ、はい」
じゃあ、何故私はこの子を助けようとしているのか?
理由は、実は私にもよく分からない。ただ、なんとなく、なんとなくなんだが……この子から不幸な香りがした。この宴の中でただ一人、この子だけが妬ましいと感じなかったのだ。
もしかして、この子は今とてつもない不幸の真っ只中にいるのではないだろうか? 実は妬むどころか同情したほうがいい状況にあるのではないのだろうか?
「頑張って……」
同調、なのだろうか? 誰かを守るだの、そんな吐き気を催すような感情を抱いたつもりは無い、だけど、私は不思議と彼女の手を握り、声をかけていた。
「頑張って……!」
だが、私は……
「頑張って田中さん!」
私は彼女の名前を知らなかった。
「頑張って田中さん!」
舞台は整った。あとはやるだけだ。
「では……」
私がやることは一つ、目の前の患者の命を救うことだ。
「開きます」
メスってこんなに軽かったんだ……そりゃ、軽くないと精密な手術なんて出来るわけないよね、当然だよね。
生き物の体って、こんな簡単に切れちゃうんだ……豆腐に箸を入れるみたいだ。
でも、ここにあるのは豆腐じゃない、生きている。生物なんだ。
私は、彼女を救わなければならない。
「ねーねー演歌歌手なんでしょ!? 上手いんでしょ!? 歌ってよー!」
「ねーねー演歌歌手なんでしょ!? 上手いんでしょ!? 歌ってよー!」
「だ、だから今は手術の最中だから、ね? あんまり邪魔しないで頂戴」
あーもうしつこいわねこの氷精! なんでこの状況下でそんなに歌が聞きたいのよ!?
「でも歌聴いたら、きっとこいつも元気になるよ!」
あーもう、これだから子供は困るのよ、今麻酔でこの子寝てるのよ? 睡眠と違って完全に意識無いのよ? 歌なんて聞こえるわけないじゃない。
「え、えーと気持ちは分かるんだけど、流石に手術の最中で歌うのは――」
「いいじゃないですか、歌が上手いんでしょう?」
ちょ、お偉いさん!?
「心のこもった歌ならば、きっとその子にも響くでしょう。いいじゃない、歌にはリラックス効果もあるんだし……野次馬が邪魔で歌えないなら、私とわんこが黙らせてあげるからさ。ね、先生?」
「そうですね……演歌歌手ってくらいならば、是非一度その声を聞かせてください」
ちょ、先生まで何言ってんの!?
「お願いです! 田中さんを助けてあげてください!」
「私からもお願いします。妖怪のはしくれとして、少しでも彼女を力づけることが出来るなら」
お友達さんとわんこ(?)も背中押さないで!?
「ほら歌ってよー! 絶対元気が出るよ!」
う……だめだ、みんなこっち見てるわ……くっ、だめだ……もう逃げられそうにない……!
「わ、分かりました……それでは一曲……」
ええいままよ! もうどうにでもなれだ! ようは手術成功すりゃいいんでしょ成功すりゃ!
「えー、そ、それでは聞いてください。『天城越え』」
「えー、そ、それでは聞いてください。『天城越え』」
歌は嫌いじゃない。歌を聞きながらの手術……いいじゃないか。それはそれで、緊張を紛らわしてくれるはず。既に胃は見えている。あとはこれを開き、中身を取り除くだけ。
「隠しきれない……移り香が……」
嫌いじゃないん……だけど……。
「いつしかあなたに……染み付いた」
下手だ! この人めっちゃ歌下手だ! 音程外れすぎ!
「誰かに盗られる……くらいなら……」
ええい、歌っていいと言ったのは私だ、今はオペに集中しなきゃ……。
「あなたを殺して……いいですか」
歌のチョイスゥ!! 手術中になんて歌歌ってんのこの人!?
「あなたを殺して……いいですか」
な、なんか店内でひっどい歌声が聞こえる……これ、さっきの演歌歌手よね? え、何この鬱病患者みたいな歌い方……あとチョイスおかしくない?
「あーほらほら野次馬集まんないでよ! それ以上騒ぐと八坂の神の怒りに触れるわよ!」
とりあえず八坂って誰なのかよく知らないけど、八坂って名前出すだけで野次馬どもが鎮まる鎮まる。
「この酒場は現在八坂様の管轄にあります! くれぐれも騒ぎを起こさぬように!」
本当にこの妖怪が八坂の二柱と繋がりがあるのか、真偽の程は分からない、しかし、こうなった以上はこの妖怪に従うしかない。
「間違っても騒ぎを広げないようにしてください! 緊急手術をしています! 邪魔をしないように!」
これ以上騒ぎを広げるわけにはいかない。間違っても文屋の耳にこの事態が広まらぬよう、中の様子を見せるわけにはいかない。
「寝乱れて……隠れ宿……」
あーもーなんで音程そんな外れてるのよ……最近の演歌ってこういうのがトレンドなの? ちょっと私には理解出来ないわ。
「九十九(つづら)折り……浄蓮の滝……」
下手だ……下手すぎる! 聞くに堪えないわ! お偉いさんになんて歌聞かせてるのよ! お偉くないけど今私はお偉いさんなのよ!
「舞い上がり……揺れ墜ちる……肩の向こうに……」
……ダメだ、我慢できない。
「あなた……山が燃――」
「山があああぁぁ燃えるううぅぅぅ!」
「山があああぁぁ燃えるううぅぅぅ!」
「!?」
え、なんでお偉いさんが歌い出してんの!?
「何があってもおぉ、もういいのぉ……!」
って、お偉いさん……私なんかより凄い歌上手いじゃない……この人ホントにお偉いさんなの?
「くらくら燃えるぅ……火をくぐり……」
ホントに……いや、私だって本当は……。
「田中と……越えたい……」
このお友達はなんで変なとこに乗っかってきてるの!?
「田中と……越えたい……」
なんか歌が変な方向に行ってる気がする……それよりもこの演歌歌手の人……すごい手際がいいなあ。
血圧や脈の管理と併せて私の汗を拭いてくれてる、止血の処置も無駄が無い。
まるで本物のお医者さんみたいだ。いや……私だって本当は……。
いや、今は患者の命が最優先なんだ……あとは胃の中の物を全部摘出して……。
摘出……摘しゅ……。
あれ……?
中に何もいませんよ……?
「なんか外で歌ってるお偉いさんのほうが歌上手くない?」
「あ、やっぱそう思う?」
声が聞こえる。
「ていうかあの演歌歌手、正直下手だよね……」
「でもよく歌いながら手術手伝えるよね、ホントは医者なんじゃない?」
声が聞こえる。
「それを言うならあのお偉いさんも、あんま偉そうじゃないし」
声が聞こえる。
「ていうかあんな子、妖怪の森にいたっけ? もしかして地底の妖怪じゃ……」
「八坂様の使いが犬って、なんか可愛い趣味してるよね」
声が聞こえる。
「もしかして……」
声が聞こえる。
「ニセモノ?」
声が聞こえた。
私は、医者じゃない。
私は、演歌歌手じゃない。
私は、神の使いじゃない。
私は、お偉いさんじゃない。
私は、友達じゃない。
そうだ、私は一体何をしているんだ。
反射的に手を挙げた時に、「すいません、間違えました」って言えば済むことだったのに。
何も、なかったじゃない、この子、何も食べてないじゃん、アナフィラキシーショックでもなんでもないじゃん……。
私は、とんでも無いことをやらかしてしまった。何も食べてない子の胃を開いた。取り返しのつかないことをしてしまった……。
もう、止めにしよう、本当に取り返しのつかないことになる前に、本当の私を忘れてしまう前に。
「ブラボー!!」
え……?
「さすが演歌歌手だね! 魂のソウルだね! 凄い心に響いたよ!」
氷精……?
「慧音の言ってたとおりだ! 嘘とか偽りってのが無いとね、間違うことは無いんだって!」
嘘とか、偽り……。
私は……
私がやりたいことは……!
「急性アルコール中毒の可能性があります。今から胃洗浄を行います!」
私は、この子を救いたいんだ!
「頑張って田中さん! もう少しよ!」
私が誰かなんて、どうでもいい!
「道を空けてください! もうすぐ永遠亭の医者が駆けつけます、通路を空けてください!」
後のことなんか、どうでもいい!
「野次馬どいて! 後で天罰が下るわよ!」
私がやりたいことは!
「天城いぃぃぃ越おぉぉえぇぇぇ!」
この子の命を、救う!
「……」
何時間経っただろう?
「……」
いや、分かも知れない。
「……」
1秒すら、長く感じられた気がする。
「……」
それでも、
「……」
それでも、私は。
「縫合、完了しました」
それでも、私達は。
「手術、成功です……!」
やり遂げたんだ……!
歓声が、酒場を包んだ。縫合も綺麗に出来た。これなら目立った傷にもならないだろう。
「終わった……」
「終わったのね……」
店内の歓声を聞き、野次馬の対応をしていた一羽の夜雀と、一匹の白狼天狗は、大きく、深く安堵の息を漏らした。
「お疲れ様でした。わざわざこんな人里まで足を運んで、災難でしたね」
神の使いを偽った天狗は、身分を偽った夜雀に深々と頭を下げた。
「いやいや、私は楽しかったよ、滅多に無い経験だったし!」
「え?」
「あーいやいや、こっちの話!」
「お疲れ様でした先生」
銀髪の助手が、私に握手を求めた、私は自然に彼女の手を握ることが出来た。
「支援ありがとうございます。私だけの力ではありません」
「それにしても、よく虫の手術を出来ましたね。私はこんな手術、見たことがありません」
「ええ、私もやったことありませんでしたし」
「え……!?」
「でも、そこに命があるなら、助ける。それが医者でしょう?」
「!」
「では、私はこれで」
「ま、待ってください! せっかくの宴の場ですし、手術祝いに飲んでいっても……」
「……。私を待ってる命が、きっとどこかにまだありますので」
「せ、せめて名前だけでも」
「名乗るほどのものじゃあ、ございませんよ」
余韻に浸りたい気持ちもあった、しかし、今私がここに留まることは許されないだろう。
私は、私に戻らなきゃいけないのだから。
「……負けないわよ、名医さん」
背後から、そんな声が聞こえた気がした。
永遠亭の兎達が駆けつけてきたのは、それから間もなくのことであった。
「田中さん! 助かるわよ! よく頑張ったね!」
田中と呼ばれた妖蟲は、付き添いの友人と共に、永遠亭へと搬送されていった。
目覚めた田中は、数日後退院したらしい。胃の中はスッカラカンになったが、手術の影響かしばらくはまともな食事が出来なかったようだが、最後は永遠亭で腹いっぱい食事を頂いたあと、頭をさげて森へと帰っていった。風の噂によると、地底の妖怪と親交を持ったらしい。
人里に現れた謎の妖怪医者の噂はたちまち幻想郷に広まった。しかし、その噂は間もなくして風化していった。
新聞記者の耳に、その噂が届くのが遅くなったからだ。文々。新聞記者、射命丸文の耳が駆けつけた時にはすでに、その医者は姿を消していた。
一方で話題に上がったのは、夜雀、ミスティア・ローレライである。犬走椛の報告により、妖怪の山で広まったその噂は、もちろん八坂神奈子の耳にも届いていたのだ。
身分詐称により神様からこっぴどく叱られたミスティアであったが、結果的にそれは彼女に利をもたらすこととなった。
彼女が経営している八つ目鰻を、八坂の神が気に入ってしまったのだ。八坂の神から太鼓判を押されたその屋台は、鰌(どじょう)の事実が発覚するまでは繁盛した。
「ふう、なんかとんでもない一日だったなあ……」
その名も無き妖怪は、そそくさと人里を離れ、ふらふらと夜道を徘徊していた。
「もう二度とあんな面倒事はごめんだわ」
月を眺めながら、ぼんやり歩いていた。気付いた時には、彼女は無数の花が咲き乱れる花畑に迷い込んでいた。
「でも……」
足元に咲いた一輪の花を摘み取り、彼女は呟く。
「なんか、楽しかったな」
楽しい……あれだけの緊急事態だったと言うのに、私が抱いた感情は、「楽」だった。
名も無き、最初から目立たぬ道を定められた私が、あんなに色んな人たちに注目されるなんて。
でも、もしもまた、私が主役になれる日があるのなら、そんな小さな夢が叶う日が来るのなら、私は……。
「そこの貴女?」
ん? 誰、こんなとこに人が来るなんて……あ、いや、この人妖怪だ。
「私の縄張りで花を摘むだなんて……」
あ、なんか怒ってる? なんか空気が震えてる……? もしかしてこの人やばい人?
「よっぽどの命知らずかしら……それともよっぽど強い妖怪なのかしら?」
誤解の無いように先に言っておこう。
「……」
私は、強い妖怪ではない。
~完~
エアバンドのオッサンほんと好き
今からMMD見てきます
こんな困難を乗り越えられた朱鷺子なら幽香さん相手でもきっと駄目じゃないさ!
なんかもう色々お疲れ様ですわ。
ただ動画は視点が変わってもある程度見やすいのですが、SSでは少し分かりにくい話に感じました
そもそも二つの違いがMMDかSSか、の違いぐらいしかないのは少し残念だったなぁ、と思います
どちらかといえばBGMやMMDによる動きのある動画版だけ見れば十分ではないか?と思わせる作りになってしまっているのではないかと思います
例のスルメも続く予定があれば楽しみにしております
埋もれてしまっている面白いSSがたくさんあるので多くの人に知ってもらうのはとても良い事と思います。動画の方も拝見させてもらいます。
もう少し隠した方が良かったかも知れないです
視点変更が多すぎるのと一人称で説明不足なのが相まって
誰が何やってんのかの把握に一呼吸かかるのがかえってテンポを損なっているような
映像ありきとまで言うつもりはないけど、単体としてはあまり高評価できないのが残念