まず最初にはっきりさせておきたいことは、この作品がオマージュだということである。
なんのオマージュかと言えば作品集190の渋谷のリグル・ナイトバグという作品のオマージュということになる。ト○ロではない。
私はかの作品にはっきりと影響を受け、あるいは感化されてこの話を書いた。すでに本文は書き終えているので書いただ。そういう意味ではこれはあとがきとも言える。
ならあとがきに持って行けよと思うかもしれないが、こういう形式はしっかり抑えてこそのオマージュだと思うので勘弁願いたい。
早く本文に入るべきだと思うのだが、それでももう一つ触れておきたいことがある。どうして私がこの作品のオマージュを書いたかだ。
簡単に言ってしまうと、私は著者イトウ(仮名)氏がどうしてかの作品を書いたのか理解できるからだ。いや、私は氏と会ったことも喋った事もないので理解したつもりになれると言うべきだろうか。一方的な共感と言ってもいい。
氏はそれを強迫観念と呼んでいたが正にそういう感じだ。あの作品を読み、私の頭の中でこの話を書かなければならないという信号が発されてしまった。
何故かは解らないが、何故か解らないだけにどうやってこの感情に抗えばいいのかも解らない。それならいっそ、という気持ちでこの作品を書いた。
あらかじめ書きたいことは以上だ。小説未満のまえがたり?とでも言うべきものに目を通して頂いたことに感謝したい。
ただそれでも最後に断っておくことがある。この作品は当たり前だがフィクションだ。その辺も氏の作品と完全に一緒だ。どうか勘違いのないようお願いしたい。
登場人物も場所も全て架空のものだ。もちろん私が出会った彼女、こいしも原作と少し違うだけの二次創作の産物である。実物のものではない。どうか御理解願いたい。
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これは私が小学生だった頃の話だ。
当然その当時は私などという一人称は使っておらず(文章の上でも)私は自分のことを俺と呼んでいた。ややこしくなりそうなのでここからはそちらを使わせてもらう。ご了承願いたい。
俺はいわゆる転勤族というやつだった。親の仕事の都合で2、3年ぐらいで住む場所が変わるというあれだ。
漫画でありがちな転校生、そのシチュエーションで俺は教壇の上から新たなクラスメイトに自己紹介する側だった。
今の私は内向的なオタク趣味の人間であるが当時の俺は違った。
それなりに社交的、と言っていいかどうか解らないが少なくとも初対面の20~40人前後のクラスメイトの前に放り出されてもきちんと挨拶を済まし、クラスに自然に溶け込める人間だった。
幼稚園、保育所時代から転勤族だったから慣れていたというのもあるだろうが。そしてそれを当たり前のことだと思っていた。
それが違うとわかったのは転園?と転校を4回か5回か、それぐらい済ました後のことだった。俺は転校生であることが多かったが当然転校生を迎える側であることもあった。
その時俺がいたのはかなりの田舎町の学校だった。どうにか存在していた駅は夜になると駅員を見かけなくなる半無人駅とでも言う有り様で、延々と広がる田畑と森を豊かな自然と称してプライドを保っているようなちっぽけな町だった。
もちろん綺麗な空気や景色はそれなり以上に誇れるものだとは思うが、子供心にそれらは大してありがたいものには思えなかった。と記憶している。
まぁそんな町だった訳だが、俺はそこで初めての事態に出会った。ネットの匿名性に隠れても認めがたいことなのだが、当時そう認識していたかは怪しいことなのだが、今思い返せばそうとしか言えない。客観的に。いや、はっきり言おう。
俺はイジメという事態に初めて出会った。
一言で言うとそういうことになる。これでもまだ逃避気味な表現だ。俺も間違いなくイジメに参加していたのだから。
イジメられていたのは俺とは別の転校生だった。
背の高いお坊ちゃん的な印象を持ったやつだったのを覚えている。
そいつは、仮にヨシモトとするが、転校生の通過儀礼である自己紹介はつつがなくこなした。その後もしばらくは普通に過ごしていた。
ただ何というか空気が読めなかった。少なくとも俺が客観的に見るにイジメの原因はヨシモト自身にあった(言い訳に聞こえるのは承知している)。広げていったのは俺たちの方だったかも知れないが。最初の一歩はヨシモトが踏み出した。
少なくとも転校生だからという理由はない。俺とそいつ以外にも転校生は居たがイジメられていたのはヨシモトだけだったのだから。
ヨシモトのなにがまずかったかというと、とにかく自慢をしたがった。新しいオモチャを買って貰っただ、新しい映画を見に行っただ、そういう話をとにかく積極的にしてくるやつだった。
そしてそれだけならまだ良かったのだが、自分が転校してきた町、これも仮にS町とするが、を田舎だと見下している節があった。そこに住んでいるやつを田舎者だとも。これが致命的だった。俺自身ヨシモトのことは嫌いだったが転校生じゃない地元の人間からすればそれが俺以上に嫌う理由になったのは間違いない。
更に悪いことにヨシモトはその態度を直そうとしなかった。田舎なのは事実だろうという感じで。空気が読めてないというのはこれのことだ。ここで内心はどうあれごめんの一言でもあれば、また違った流れになったのではないかと今でも思う。どちらにとっても手遅れだが。
結果、ヨシモトはイジメられた。殴ったり、上履きを隠されたり、カツアゲされたりはしなかったが、触ると菌が伝染るだの面と向かって平然と悪口を言われ明らかにそれを容認する空気がクラスにあるなど精神を削られる状況に置かれた。
俺はそれを気にしなかった。その空気に乗っかった。当時の俺は良くも悪くも空気が読める社交的な人間だった。
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ここまで読んでくれた人はそろそろこう思っているだろう。こいしはどこ行ったと。
申し訳ない、もう少しで出てくるのでしばしご辛抱を。ここまで語ったのは背景説明であるのだが、もう一つ付け加えなければならない話がある。
それはなんというか俺の話だ。子供の頃の俺には少し不思議な特徴があった。何故だか知らないが俺はおかしなやつに好かれることが多かったのだ。S町より前の学校では逆にいじめっ子過ぎて仲間外れにされているガキ大将に寄って来られたり、隣のクラスの少ししか面識のない引きこもりがちのやつに俺となら遊んでもいいと言われ先生が呼びに来たりした。
断言するが俺は特別なことは何もしていない。彼らにも、もちろんヨシモトにもだ。にも関わらず俺はある日ヨシモトにこう言われた。
「フジワラ、家に遊びに来ない?」
本当に不思議だった。もう一度言うが俺はイジメる側の人間だった。
殴ったり蹴ったり過激なイジメではなかったので普通に会話したり掃除当番を一緒にすることもあったが辛辣な言葉を多々投げかけたし、ヨシモトと体育の時間で組まされた時は露骨に嫌な顔をしていた。
なにより俺は実際にヨシモトが嫌いだった。他はどうだったか知らなかったが空気の良し悪し以前に鼻持ちならないヨシモトが俺は嫌いだった。
放課後の校門前で偶然に出くわした時のことだった。良く晴れた日だったことを覚えている。
ただどうしてそうしたかは覚えていない。なんと答えたかも。ただ結果を見るなら俺はその誘いに乗った。気紛れか、理由があったのかは本当に覚えていないが俺には確かにヨシモトの家に行った記憶があるのだから。
ヨシモトの家は学校から歩いて10分ぐらいの場所にあった。意外と近くはあったが学校の裏手で森に近付いて行く道、しかも俺の家の反対側だったのでそこにあることは全く知らなかった。
ヨシモトの家はアパートの2階にあった。コンクリートそのまんまの風情も何もない柱みたいな古アパート。裏目に出ながらも気取ったところのあるヨシモトの家にしては意外だった。
カチャカチャとランドセルを鳴らして進むヨシモトの後に俺は続いて行き、多分クラスで初めて家に入った。
何も変わったところはなかった。強いて言うなら玄関を入って曲がってすぐ、ベランダの窓から入ってくる光がやたら強かったのを覚えている。他は古びたファミリー向けのアパートそのままといった感じだった。
ヨシモトは変わらずランドセルを鳴らしてダイニングの左側にあるふすまを開いて部屋に入って行った。俺はもちろんそれに続いた。
学習机にキャラクター物のポスター、転がっているオモチャ。一目で子供部屋だと解る部屋だった。
ヨシモトは二つ並んだ机の上にランドセルを放り出して、何して遊ぶと聞いてきた。おはじきと俺はあっさり答えた。
誤解されそうなので言っておくが当時は間違いなく平成の時代である(フィクションだが)。ただ俺のクラスというか学校では一時期おはじきが妙に流行っていた。ローカルに過ぎるが流行というのは読みにくいということで理解して欲しい。
とにかくそんな理由で俺もヨシモトもおはじきはランドセルを漁れば普通に出てきた。ヨシモトのは色鮮やかな綺麗な物で、俺のは彩りに欠けガラス色の物が多かった。大きさも小さめだった。
それを見てヨシモトが勝ち誇ったように笑うものだから俺はもちろんイラッとした。そういうところが嫌いなんだから当然だが。
ただ、だからなのか勝負自体は非常に燃えた。俺の学校で流行ったおはじきは色々と独自ルールを盛り込んだ上、フィールドと呼んでいた得点などが書いてあるノートを使ったりもして中々複雑なゲームだったのだが俺たちはそれを夢中で繰り返した。ほとんど無言で黙々と、ひたすらに。
俺はかなり集中していたし、ヨシモトもそうだったのだろう。そして、だからこそ気付いた。ヨシモトが勝負の途中、閉じたふすまの方をチラチラと見るのだ。
初めは隣の部屋に何かいるのかと思い耳を澄ませた。何も聞こえない内にヨシモトが視線を戻すので俺は諦めておはじきに目を戻す。そんなことをヨシモトが気付かない内に何度か繰り返して俺はとうとうヨシモトに聞いた。
「おいヨシモト」
「なんだよ?」
「お前さっきからなんなの? 隣になんかいるの?」
俺がそう聞くとヨシモトは顔を上げて意外そうにこちらを見た。その質問をされることを考えていなかったのだろう。
実際、ヨシモトは少し答えを返すのに間を開けて、そして言った。
「ああ、こいしだよ」
そう言ってヨシモトはおはじきを弾いた。
「こいし? 小石? なんだよそれ」
「こいしはこいしだよ」
わかんないかなぁと小馬鹿にするように言われ、俺はもちろん腹が立った。
だから少し考えてみた。こいしがなんなのかを。そうすると答えはあっさり出た。ヨシモトは確か最初の自己紹介の時に妹がいると言っていた。
なら多分その妹が帰ってきていて隣を歩いているのだろう。足音は聞き逃したが。俺はそう考えて強がった。
「ああ、こいしね。こいしっていうのか。わかったわかった」
「わかったのか?」
「わかったって言ってるだろ。ほら続きやるぞ」
答えを聞いて驚いたような顔をするヨシモトを見て、俺はわかったわかったと得意な気持ちで繰り返した。
釈然としない顔のヨシモトを無視しておはじきを弾くのは実に気分が良かった。
それから変化が起きたのは(当時は変化だと気付いていなかったが)10分ぐらいたってからのことだった。小さな変化だったが。
トットットッ、隣の部屋からの足音を俺は初めて聞いたのだ。
「今のもこいしか?」
「え」
「足音だよ」
「そうだけど」
「ふーん」
ぎょっとした顔を無視しておはじきを弾くのはやはり気分が良かった。
それにしてもよく響く足音だった。どうしてこれを聞き逃していたのか俺は不思議に思った。おはじきに夢中になってすぐに忘れたが。
そうして俺達はおはじきを続けた。カチカチとガラスがぶつかる音を立てながら。時折こいしの足音を交えて。
カチカチカチ、カチカチ、トットットッ、カチカチカチ、トットットッ、カチカチ、トットットッ、
ト。
ぴたりと足音が止まった。俺もヨシモトも顔を上げてふすまを見た。
それまでの足音はふすまの外を左右へ通り過ぎるものだったのだが、はっきりと足音がふすまの前で止まった。
自然に馴染んでいた音が急に変わったものだから俺もヨシモトもすぐに気付いた。
ふすまが開く。
「ジュース持ってきたんだけど飲むかしら?」
そう言って入ってきた女子はなんというか凄い色をしていた。その驚きは今でもよく思い出せる。
濃いめの緑のスカートに黄色のトップス。何より日光を弾く白い髪と緑の大きな瞳。家の中なのに紺色のポシェットをぶら下げていた。
外人だ、というのが俺の初対面での感想だった。次の感想は妹なの?だった。
そう思ってヨシモトの方を見れば何やら目を丸くしてこいしの方を見ていた。
俺の前にコップが置かれてヨシモトからこいしへとまた目が動いた。
「お兄ちゃんがお友達連れてくるなんて珍しいね。お友達、だよね?」
そう言われて俺は首を振りたい気持ちでいっぱいだった。ヨシモトのことは嫌いだったから友達と言われるのは抵抗があったのだ。
なのに俺はこいしに聞かれて思わず頷いてしまっていた。綺麗な緑の目は頷く以外の行動を許さないようなジワリとした圧力があった。
「そう。へへ、よかった」
こいしは笑った。その顔はとてもかわいかった。
それからこいしはヨシモトの前にコップを置いて、おはじきやってるの見てていい?と聞いてきた。
俺もヨシモトも頷いて答えた。こいしはまたにっこり笑うとうつ伏せに寝そべり、頬杖をついておはじきに顔を寄せた。
カチカチとおはじきを弾く音が足音なしで響き始める。ただ、まぁ、なんというか明らかにぎこちなくなったが。俺もヨシモトも。おはじきを弾く指が。
~~~
次にこいしに会ったのはヨシモトの家ではなく学校だった。一週間ぐらい経ってからだったはずだ。
昼休みに給食を食べ終え、校庭でサッカーをしている時に俺はチラリとあの派手な色合いの背中を見かけた。
俺はどうしてもその背中が気になり(なにせあの色合いである)一緒にサッカーをやっていた友人に断って背中が消えていった建物に駆けて行った。
こいしが入っていったのは旧校舎と呼ばれている建物だった。大きさは普通の一軒家を3、4軒並べたくらいで2階建て。昔はそこがS町の小学校校舎だったらしい。
古い木造建築の中を歩けばギシギシと本当に廊下が軋み、並んだ教室を覗けば積み重なった机や運動会で使う大玉などが倉庫のように収められており、その物陰には何か出てもおかしくない雰囲気がありありと漂っていた。
こいしがいたのは旧校舎の1階廊下の突き当りの一番大きな部屋だった。
窓ガラスが残っているのが信じられないようなボロ屋の中で机の上に座って足を揺らしていた。
「あ。フジワラくんだ」
俺に気付いたこいしはそう言って笑った。
「こんなところで何してんの。ここ危ないから入るなって言われてるだろ?」
「べっつにーなんとなくいるだけよ。なんとなく」
旧校舎は別に鍵はかかっていなかったが危険なので入るなと児童は先生に必ず言われる。
俺はこいしがそれを知らないのかもと思い言ったが、聞いてもこいしは右から左に聞き流した。まぁもともと面白半分で入るやつは少なくなかったが。
「というか、こんなところって言うならフジワラくんはどうしてこんなところにいるの?」
こんなところなんでしょ、とこいしはしつこいぐらいに強調して言う。
そう言われて俺は言葉に詰まった。一つはこいしが不機嫌そうにみえたから。もう一つがこいしを追いかけてここに入ってきたというのが照れくさかったからだ。
だから俺は早口になってごまかした。
「べつに。俺もなんとなくだよ。なんとなく」
「ふーん、そうなんだ。私とおんなじだね。いいよね。なんとなくって」
なんとなーくなんとなーくと変に節をつけて歌うこいしは俺から目を逸らして窓の外に目をやった。
こいしは笑って足をぶらぶら。まるきり俺に興味をなくしたようだった。
どうにも居心地が悪くなった俺はとにかく何か話そうと適当に口を開いた。
「なに見てるんだよ。外になんかあるのか」
「あるよー?」
「あるの?」
「うん。フジワラくん達が見えてないものが」
正直うなずかれると思っていなかったので驚いた俺にこいしは指をひょろりと伸ばして窓の先を指差した。
俺はその指の先を見て首を傾げた。何もない。
「もっと遠く。上のほう」
視線を上げて、遠くを見る。見えた。
窓際の席で一人ふてくされた顔して教室の隅を睨んでいるヨシモトがいた。
もう一度言うが俺はヨシモトが嫌いだった。だから一人でそれを見つけてもなにも気にしなかっただろう。しかし、妹のこいしが横にいる時は別だった。
ヨシモト自身に悪いとは思わなくても、その妹のこいしには悪いと思ったのだ。こいしの事は別段きらいではなかったから。
「あれはあいつが悪いんだぞ」
「そうなの?」
「ああ。あいつが悪い。あやまんないんだから」
「ふーん」
こいしは俺が思い切り端折って言ったのを聞き入れて適当に頷いた。
「ふーんってそれだけ?」
「それだけってなにが、お兄ちゃんが謝んないと変わらないんでしょ?」
なら今は私はなにもしないよ。こいしはそう言って笑う。
おかしなやつだと思った。こんなところからわざわざ眺めているからヨシモトを心配しているのかと思ったのに妙に素っ気ない。
いや、それともヨシモトが悪いというのを認めたのだろうか。
俺はふとそう思って納得した。そうに違いない。そうじゃないとおかしいだろう。
「お兄ちゃんのことよりさ、フジワラくんはどうなの?」
「は?」
「だからフジワラくんは? あんな風になったりしてないの?」
こいしが笑って聞いてくる。
俺は戸惑った。そんなことを聞かれる心当たりがなかったし、あったとしてもそれを本人に聞くか普通。
「いや、ぜんぜんないけど」
「ほんとに? ふーん」
こいしはジロジロと俺を見て、それから興味をなくしたようにまた目をヨシモトに戻した。
「まぁなるだろうけどね。そのうち」
「ならないよ」
「なるよ。絶対」
むっとして言い返した俺にこいしははっきりと言い返す。
「なんでだよ」
「だって君、見てるところが違うもん。それじゃ一緒にはなれないよ。あてが外れてる」
俺がこいしに何か言い知れないものを感じたのはこの時が初めてだった。
こいしの言葉は全然意味不明で、なのに奇妙に俺の胸をついた。惹きつけた。引力、そんな感じのものがこいしの目から出ているような気がした。
俺はようやくここが不気味な旧校舎であることを思い出した。
その時の喉の干上がりを覚えている。周りが急に静かになったのを覚えている。こいしの緑色の目が強くなったのを覚えている。
「分けわかんねー。もう昼休み終わるからお前も教室戻れよ」
俺はそう言ってこいしからやっとの思いで目を逸らして、早足で旧校舎の教室を出た。
旧校舎を出た後も早足だった。こいしの姿が見えなくなってチャイムが鳴ってもあの変な引力だけはずっと感じていたから。
旧校舎からこいしがこっちを見ているのがわかる気がしたから。
~~~
当時の俺が変化に気付いたのはここからだった。
こいしから感じた引力が離れないのだ。学校から離れても家に帰っても部屋で布団を被っても。ずっと。
そして、その引力が時折強くなることがある。そんな時俺は必ずこいしの姿を見た。はっきりとではない。目の端にあの帽子のリボンが、翻ったスカートが、何より紺色のポシェットが揺れているのが映るのだ。
もちろん俺は慌ててそちらを振り返るのだが、こいしの姿は影も形もない。
一度や二度なら見間違えかと諦めることもできたのだがあまりにも数が多すぎ、そして見間違えにするにはこいしの姿は派手過ぎた。
それに加えもう一つ。俺はこいしのせいでクラスから浮きつつあった。
俺はこいしの姿を見かけるたびクラスメイトに白い髪で緑の目をした女子を見なかったかと聞いていた。
あれだけ派手な容姿なら必ず覚えているやつがいるはずだったからだ。にも関わらずこいしを見たというやつは一人もいなかった。
その結果俺はクラスからおかしなやつ、あるいは痛いやつと思われかかっていた。かかっていたで済んだのは空気を読んで聞くのをやめるのが間に合ったからだ。
空気。俺が見るにクラスの空気はかなり危うかった。理由ははっきりしていてヨシモトがイジメられているからだ。イジメという独特な空気がクラスに蔓延っていた。
イジメを吸い込んだやつはちょっとしたキッカケで人をイジメる。そういう許可を空気が出してしまっている。
何故そんなことが解るのかといえばもちろん俺もその空気を吸い込んでいる一人だったからだ。ついでに言うと注ぎ足している一人でもあった。
だから俺はこいしの事を聞くのをやめて、それが間に合ったことにほっとして。それからぞっとした。
もし間に合わなかったら、それはとても怖い想像だったから。そこが限界だった。俺はとうとう音を上げた。
行動したのはまた昼休みだった。俺は足早に4年生の教室に向かった。
ヨシモトは俺と同じ5年生でこいしはその妹。勘だったが4年か3年だろうと俺は思っていた。
俺は何に耐えられなかったかといえばこいしの姿がはっきり見れないことに耐えられなかった。
小学生の俺の理性で考えてもこいしの引力がただの思い込みであるということは解っていた。
学校はともかく家までこいしが着いてきてずっと見ているなんてのは有り得ないし、俺以外の誰も見かけていないというのも有り得ない。なら俺が見かけたこいしはそこにおらず、ただの勘違いであるはずなのだ。
俺はこの日、それをはっきりさせるために下の学年の教室を訪れた。
こいしにお前は俺をつけ回しているのか。そんな頭の悪い質問をして否定されるために。否定されればこいしの引力が勘違いだとはっきりするから。
まずは隣の4年生の教室から戸を開けてこいしの姿がないことを確認してから、一番近いところにいた教室に残っていたやつに声をかけた。
「このクラスにヨシモトこいしってやつはいるか?」
「いや、いないけど」
「わかった。ありがとう」
俺はそれだけ言って更に1階下の3年のクラスに行った。S町は1学年に1クラスしかなかった。
俺は教室の戸を開けて、同じようにこいしがいなかったので、同じように残っているやつに聞いた。
「こいしの席ってどこ? どこ行ったかってわかる?」
「え、こいし? え?」
俺が声をかけた背が小さいかわりに髪が肩口ぐらいまで長い下級生は、話していた三つ編みの女子に視線を戻して首を振られて俺の方に顔をもう一度向けて言った。
「こいしって名前のやつはうちのクラスにはいないけど」
「そっか。悪い、勘違いしてた」
少しだけ驚いて俺は3年の教室を後にした。
確証はなかったけど本当にこいしは3、4年だと思っていたから。1、2年にしてはこいしは背が高過ぎる気がする。
背が、高過ぎる、気がする。ほんの少しだけ嫌な予感がした。
日が落ちるのが早い季節に友達の家で遊んだ帰り道。電信柱の影に何かいそうな、本当に通り過ぎれば何もいないと半ば以上わかっている時の嫌な予感。
結果を見れば安心できることが当たり前の嫌な予感。
「2年にこいしなんて名前の子はいないけど?」
ショートカットの2年にそう言われてから1年の教室の前に立った時、俺の嫌な予感はまだどうにか変質せずにいた。
教室に入ってこいしはどこだと聞けば普通に答えが返ってくる。その流れを普通に想像できていた。当然のものとして。
けれど戸を開こうとしている手は始めより確かに重くなっている。
この戸を開けていいのか、最初にはなかった悩みが俺にまとわりついていた。
こいしの引力にも似た湿度の高い抵抗感。
それでも俺が戸を開くことができたのは焦りがあったからだ。こいしの事というより単純にもうすぐ昼休みが終わるという理由で。
ここでチャイムが鳴ってしまえばもう俺は1年生の教室には二度と入れないような気がした。
だから俺は思い切って戸を開いて、教室を見渡した。
「あ。フジワラくんだ」
こいしがいた。
一番後ろの列の窓際の席、戸から一番遠い場所ではあったけど普通に席に座っていた。手をこちらにひらひらと振って。
俺はこの日安堵というものの意味を初めて知った。
顔を半笑いにしてこいしの所まで早歩きで近付いて行った。
「お前。あー」
「え、なに?」
「1年だったんだな。それにしては背が高いけど」
「そう? 背が高いなんて初めて言われたかも」
突然教室を横断した5年に控えめに視線が集まったが気にならなかった。
とにかく俺はこいしがそこにいることが嬉しくて早口で喋った。
「嘘つけ。お前どう見たってこのクラスじゃ一番背が高いだろ。将来はヨシモト追い越すんじゃないか?」
「あはは、いいねそれ。そうなったらフジワラくんも見下ろせそう」
「バカ言え、俺はヨシモトより背ぇ伸びるっての」
こいしはけらけら笑っていたし俺も笑っていた。
こうして話してみればなんのことはない、こいしは少し変わった色をしただけの普通の子だった。
聞くまでもない。こいつが俺のことをつけ回すなんて訳の分からないことをするはずがない。
俺は心底安堵してこいしと一緒にけらけら笑っていた。
「あ、フジワラくん。時間だいじょうぶ? そろそろ昼休み終わっちゃうけど」
こいしが黒板の方に目をやった。
つられて俺がそちらを向けば教卓の上、黒板の上にかかっている時計が1時35分になるところだった。
昼休みが終わるのが40分なので予鈴がそろそろ鳴る。と思ったところで鳴った。
キーンコーンカーンコーン、お馴染みのチャイムの音を古いスピーカーが響かせた。
「ああ悪いこいし。それじゃ俺は……」
振り向いた先でこいしが消えていた。チャイムの余韻より唐突に。
「は?」
俺は左右を見る。後ろも見る。
こいしの派手な姿は影も形もない。この時確認したあたりの様子はこいしがいなかったことも含めて絶対に確かなものだと約束できる。
戸は閉まっていた。開ければ絶対に音がなる。
窓は閉まっていた。こちらも開ければ絶対に音がなる。
そもそもこいしは本当にすぐ近くで座っていた。椅子を引いて立ち上がれば絶対に気付く。気付けないとおかしい。
「ちょっと。そこどいてくれる?」
「あ、ああ」
立ち尽くしていた俺に声をかけるやつがいた。
背も高いが横幅も大きい女子。何より黒い髪と目。こいしとはまるで似ていない。
俺はよけない理由を思いつく間もなく、呆然としたまま横によけた。
俺の横を通って太めの女子が席についた。こいしの座っていた窓際の席に。そして机の中からピンク色の筆箱を取り出す。
「そこ」
「ん?」
「そこ、お前の席なのか?」
「そうだけど文句ある?」
文句しかない。
だって、そこはこいしの席で、こいしの席じゃないと。俺が。
「あの」
「あ?」
頭の中が真っ白な俺にまた声がかかる。
今度は眼鏡をかけた気の弱そうな男子だった。のび太という名前が反射的に思い浮かんだ。
そいつは怯えたように聞いてきた。
「さっき君、なにと話してたの?」
そこで俺はようやく気付いた。
その男子の言葉よりももっと重要なものに。俺が一番よく見ていたはずのものに。
ざわざわと小さく囁きながら俺を見る、嫌な空気に。
教室中の1年生が俺を見ていた。見ていないふりを装って本当に全員が。面白いものを見たという目で。
「悪い。チャイムが鳴ったからまたな」
俺は必死で言い訳して下級生の教室から逃げ出した。
あの空気は嫌だった。下手をすればこいしの引力よりよっぽど。
だけど、こいし。あいつもなんなんだ? こいしはどうやって消えたんだ? はじめからいなかったのか? いや、
今、こいしはどこに居るんだ? どこに行ったんだ? あいつはうちの学校のやつじゃないのか?
とにかくこいしに聞きたかった。一度やめた質問を。
そしてこいしが学校にいないなら方法は一つしかない。俺はそれをわざと避けていた。
あいつに話しかけるのは嫌だったから。俺はあいつが嫌いだったから。
~~~
多分人生で一番長く感じた授業を越えて迎えた放課後。
俺は机の中身を急いでランドセルに放り込んで、自分の席に座ってじっと待っていた。
言っていなかったが実はヨシモトの席は俺の席の一つ前だった。
俺はヨシモトの背中をチラチラと見ながらあいつが席を立つのを待っていた。
学校内でヨシモトに話しかけるのはやりたくなかった。昼休みに大失敗をやった直後だったので特に。
正直俺は明日が怖い。今日はまだ話の広まりが小さいが明日になればそれも変わる。
1年生に兄弟がいるやつがクラスには2人いる。その2人は間違いなく弟か妹から誰もいない場所で会話していた俺の話を聞くことになる。
俺の知らない場所で、あることないことつけ加えて。多分1年のクラスではもうそうなっている。俺は怖い。俺はその噂話が一番怖い。
けど今はとにかくこいしだ。明日のことは明日にならないとどうにもならない。今はこいしを捕まえないと明日怖いものが二つになる。
それは嫌だ。耐えられない。だから早く動けヨシモト。早く早く早く。
俺は自分で自分を追い詰め、もう何度目かわからないがヨシモトの背中を確認する。
「ひ」
ヨシモトがこっちを向いていた。少し目を離した間に。何故か。
それだけなら驚くこともなかったがヨシモトは何というか普通に見えなかった。
目が真っ赤に血走っていてこちらを振り返ったままピクリとも動かない。そのくせ妙に生臭い精気が感じられてはっきりいって不気味だった。
ヨシモトは朝からこんな感じだったろうか?
わからない。俺はこいしのことで頭がいっぱいでヨシモトの事を気にしている余裕はなかったから。
「なぁフジワラ」
ヨシモトの口元が吊り上がる。
見たことのない笑い方だった。自慢している時の憎たらしい笑みでも、一緒におはじきで遊んだ時の笑みでもない。
なにか退っ引きならないことがあってひくついてしまう口をどうにか笑いにしたような正気ギリギリの笑み。
そうやって笑ってヨシモトは言った。
「今日も家に遊びにこないか? いいところに連れてってやるよ」
ヨシモトの一言でクラスが静まり返った。
もう帰った奴もいたから元々静かではあったけど、そういう問題ではなく残っていた全員が無言になった。
その中で俺は冷や汗をかいていた。顔色も青くなっていたかもしれない。いや多分なっていた。
「な、に言ってんだ。ヨシモト。お前」
「この前は楽しかったよな。またおはじきやろうか? 前は俺の勝ちだったから悔しいだろ」
俺の言葉を遮るようにヨシモトは言葉を続けた。追い詰められたような暗い必死さがあった。
ふざけるな。俺はヨシモトにそう言いたかった。
こんなところでなんでそれを言うんだ。こんな教室の中で、まだみんながいるのに。ふざけるな。
口に出そうとして言えずに口をつぐんだ。それを言うのはまずかった。それはヨシモトの言っていることを肯定してしまう。
なにより俺は刺激を与えるのが怖かった。ヒソヒソと衣擦れのような声がすでに聞こえていた。
嫌だ。この空気は嫌だ。この空気が破裂して広がってしまえば。俺は。
助けなどない。そう解っていて俺は目だけで辺りを見る。どうにもならなくてもせめて逃げたい。明日。とにかく明日になれば。
そんなことを考えて意識を外に向けて俺は、
こいしと目が合った。開いた教室の戸から顔だけ覗かせて、こちらを見ているこいしと。
誰も気付いていない。
あんな派手派手しい色のこいしに誰も。
ヒソヒソ話と熱心なヨシモトの声の中でこいしと目を合わせたまま俺は動けない。
こいしはじぃっと俺を見ている。俺を。俺だけを。
それを見てようやく解った。こいつはずっと俺を見ていたのだ。理屈も何も放り捨ててずっと学校でも家でも俺を見ていたのだ。ただ俺がそれに気付かなかっただけで。
本当にそうかは解らない。しかしこの時俺にとってそれは事実になった。間違いない、絶対の。
それがわかった時ようやく俺の体が動いた。俺がまず動かしたのは足だった。足は必死になって走った。こいしがいない側の出口に向かって。ヨシモトもクラスメイトも置き去りにして。
教室を飛び出した俺は廊下を走って階段に駆け寄る。
降りる直前で少しだけ振り返った。もうこいしはいなかった。
俺はよくわからない奇声を上げて階段を駆け下りた。
~~~
電話に出てと母に呼ばれて、ようやく頭から被った布団を押しのけたのはもう夜になった頃だった。
日は完全に落ちて星が部屋の窓から見えた。
自分の部屋から階段を降りて居間の電話を取った時は母は台所で魚を三枚おろしにしていた。
受話器から聞こえてきたのは大人の女の人の声だった。
その人はヨシモトの母と名乗って連絡網に片端から電話をかけていると言ってこう切り出した。
「うちの子がお宅にお邪魔していませんか?」
子供相手に丁寧な口調だったのが印象に残っている。
それにいいえと答えるとヨシモトの母は早口でヨシモトが家に帰って来ていないのだと説明した。
ランドセルも部屋にないから一度も家に帰っていないようで、とにかくなにか心当たりがあったら教えて欲しい。
俺がその質問に知らないと答えるとなにか思いついたら連絡して欲しいと言ってヨシモトの母は電話を切った。
切ったが俺は電話の前から動けなかった。もう嫌だった。一体なんで今日なのかいくら何でもいろいろ有り過ぎる。まるで嫌がらせのようだった。
嫌がらせだとしたら誰がしているのか、そんなのははっきりしている。こいしだ。こいししかいない。ヨシモトを連れ出すのだってこいしなら簡単だ。
腹が立った。いい加減にしろ、俺が一体こいしに何をしたというのか。訳がわからない。その訳の分からないことで俺は明日学校へ行くのが怖くて仕方がない。
文句の一つも言ってやりたかったが同時に俺はこいしが恐ろしかった。理由は腹立ちと一緒だ。あいつは訳がわからない。俺をつけ回して何になる。得体が知れないにもほどがある。
口裂け女ですら人を襲う理由はあるというのに、あいつにはそれが全くない。意味がわからない。
とにかく関わらないのが一番だ。俺は腹立ちを抑えてそう自分に言い聞かせる。ヨシモトにしたって妹と一緒に出かけているだけだとしたらすぐに帰るはずだ。
俺は階段を上って自分の部屋で再び布団を被った。僅かに眠気。
まだ夕飯も食べていないけれどこのまま寝てしまおうか。夕飯ができれば母が呼びにくるだろうし。
それがいい。そうしよう。俺は全ての憂鬱を棚上げにして眠気のままに目を閉じた。
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目が覚めたのは母の声ではなく、頬に感じる違和感に気付いたからだった。
俺の頬の下にあるのはベッドの柔らかい布団ではなく、冷たくささくれだった木の肌だった。薄っすらと埃が積もっている。
それに気付いて俺は体を固まらせた。ここがどこか気付いたのと、もう一つ視界の端で揺れているものに気付いたからだ。
ぷらぷらとそれは揺れていた。細くて白い綺麗な足。机の四足に支えられて宙に浮いている。ブランコのように揺れている。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。どうして、どうやってありえないありえないありえ
「あ。起きた? フジワラくん」
その明るい声に俺はきぃと声にならない息を鳴らした。
体が震えているのがわかる。怖くて体が震えるのはこれが初めてだった。動けない。動きたくない。
揺れる足だけが動いていた。冷えた旧校舎の空気をかき混ぜるように、それだけが。
足が止まる。空気が一気に淀んだように感じられた。頼むから動いてくれ揺れてくれやめてくれ足を床に付けないでくれ歩かないで来るなこっちに来るな。
「あれ、起きてるよね?」
こちらを覗き込む緑色の目。俺の真ん前に顔を出したのはやっぱりこいしだった。
俺は今度こそ悲鳴を上げて後退った。立てなかったので座ったまま尻を引き摺るようにして情けなく。
こいしはそんな俺を見て変なかっこうと言って笑った。
怖かった。その笑いが怖かった。どう考えても俺を家から連れ去ったのはこいしなのにその笑いがあんまりにもいつも通り過ぎて。夜の旧校舎の中でその笑い声だけが普通で、だからそれだけが異常だった。空気から浮いていた。
いや異常なものはもう一つあった。
「ヨ、ヨシモト?」
顔を上げて初めて気付いた。部屋の一番隅。四角形の本当に角のところにヨシモトが座っていた。
ただヨシモトは明らかに普通じゃなかった。ぼんやりと宙を見上げて何かぼそぼそと話しかけている。その先には誰もいないのに。何も居ないのに。そのかわり俺がいることにはまるで気付いていないようだった。
「あ、ヨシモトくんと話す? まだ声をかけたら気付くと思うけど」
どうする?と言ってこいしが首を傾げて見せる。
相変わらずその顔も声も普通だった。1年生の教室で俺にこいしが普通のやつだと思わせたような普通に可愛らしい声と仕草。
どう見ても普通でないヨシモトを何とも思っていない、いつも通りのこいし。
「ヨシモトはどうしたんだ? お前がなにかしたのか?」
それでも俺がこいしの方に声をかけたのはヨシモトに声をかければ気付くというのが信じられなかったからだ。
今のヨシモトの気を引けるとは到底思えなかった。もっと言うなら引きたくもなかった。
「別に私は何もしてないよ。ただ、ここに居ただけ。それでヨシモトくんはそれに気付いちゃっただけ」
訳のわからないことをこいしは言う。そうしてまた歩いてこちらに近づいてくる。
「ヨシモトくんみたいな人って見てるところがずれちゃうんだよね。人が見てる方を見れなくなるから。私はそういう人に声をかけて誘ってるの。だからさ」
こいしはしゃがんで俺と視線を合わせる。強い緑色の目がもう一度俺を覗き込む。
「フジワラくんも一緒に来ない? ヨシモトくんと一緒にさ」
その時だけこいしの引力が強くなる。
どこへ行くのかはわからなかったが俺はもちろん首を振った。
「そんなの嫌に決まってるだろ」
「本当に? 一緒に来たら明日学校に行かなくていいんだよ?」
こいしが少しだけ眉を曲げて言う。
こいしの言葉に胸をつかれたのは2回目だった。俺は思わず息を止めた。
「怖いんでしょ。明日学校に行くのが」
こいしが顔を近付けて言う。
「私は本当に何もしてないよ。本当にただ居ただけ。私に気付いちゃったのはそのままでもそうなったのをちょっと早めちゃっただけ」
こいしの顔がどんどん近付く。目と目、その表面が触れそうなほど近くでこいしが言う。
「ね。なのにフジワラくんはずっとここに居るの? いつかヨシモトくんみたいになるに決まってるのに」
目。もう俺にはこいしの目しか見えない。緑色が視界いっぱいを埋め尽くす。
つやつやと光る緑色がゆらゆらと揺れる。揺れて俺に問いかける。その問いかけに俺は、俺は……
「い、嫌だ。俺は行きたくない」
言うと同時に緑色が離れた。
こいしが俺を見下ろしていた。その目にはもう何の感情も浮かんでいなかった。
「残念。それじゃお別れだねフジワラくん」
こいしはそう言ってあっさりと振り向きヨシモトに近付いて肩を叩いた。
ヨシモトは危なっかしい足取りで立ち上がり、それでも教室の出口に向かうこいしの後ろに付いていった。
一方で俺は口を開けて二人を見ていた。拍子抜けした気分だった。これでもうこいしに付き纏われることもなくなる?本当に?
「あ、そうだ」
「ひっ」
こいしが戸を開いてこちらを振り返った。
「フジワラくんはさ、いじめられるのはヨシモトくんが悪いって言ったよね?」
「そ、そうだよ。違うって言うのか?」
俺は震えながらそう言った。
こいしの目はもう本当に無感情で俺への興味を全部なくしたみたいだった。だから俺は振り返ったこいしになんて答えるのが正解かわからなかった。
ただそれでも俺は正解を言えたようでこいしは無表情ながらも言葉を続けた。
「ううん。フジワラくんが言うなら多分そうなんだと思うよ。フジワラくんはそればっかり見てたんだし。たださ」
こいしは、その時だけこいしは少しだけ眉を曲げて哀れむような目をして。
「それ、ヨシモトくんに言った? 謝れば変わるって。言葉にしなきゃ伝わらないよ。そういうのは」
こいしはそれだけ言い捨てて戸を閉めた。
そのまま消えたりはせず普通に廊下を歩いて、角を曲がって見えなくなった。
その間、俺はずっと動けなかった。ずっと、動けなかった。
こいしの言葉に胸をつかれたのは3回目だった。
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私が話したかった俺の話はこれで全部だ。
ただ、ここで終わるのはどうかと思うので私がもう少しだけ後日談を話そうと思う。
まずこの後俺は旧校舎で倒れていたところを担任の先生に発見されて無事に保護された。
ヨシモトと俺と同学年の二人が同時にいなくなったのは結構な騒ぎになりPTAの父兄から交番の駐在さんまで駆り出され捜索が行われていたらしい。
この辺は田舎であったS町ならではといったところだろうか。ともあれ俺は最後には何事もなく家に帰ることになった。
ただヨシモトは結局最後まで見つからず行方不明になった。良い方では無事な当人も、悪い方では死体も見つかることなく本当に影も形もなく消えてしまった。
小さな田舎町であるS町では神隠しなどと言われてしばらく話題になった。新聞などにのるほどではなかったが。
もちろん俺も保護された後に何か知らないか聞かれたが俺は知らぬ存ぜぬを貫き通した。
こいしのことを話したところで信じてもらえるとは思えなかったし、仮に信じられたとしてもこいしをどうにかできるとは思えなかったからだ。
あと今となっては当たり前のことなのだが、こいしはヨシモトの妹ではなかった。
ヨシモトの妹は1年生の教室でこいしが座っていた席の持ち主である女子だった。あとになって知った時は驚いたものだ。彼女はヨシモトにも全然似ていなかった。
あと語らねばならないことは俺がこいしの誘いに乗らなかった理由であろうか。
断っておくがこれは決して俺がヨシモトより勇気があったとかではない。俺は学校に行くのが本当に怖かったし、こいしの誘いに心が動いたのも事実である。
ただヨシモトと俺で違ったのは転校してきた時期だった。ヨシモトは転校してきたばかりだったが、俺はS町に転校してきてもう2年が経っていた。つまり次の転校が間近だったのだ。
ヨシモトがいなくなった翌々週に俺はS町からまた別の学校へと転校することが決まっていた。
だからこいしの誘いに乗らずにすんだ。例えヨシモトのようにイジメられたとしてもそれはたった2週間で終わるのだから。たった2週間を耐えるよりはこいしの得体の知れない恐怖が勝った。ただ単にそれだけの話だった。
あとは、そう最後に一つだけ語るべきことがあった。
私は来年1月、S町を十数年ぶりに訪問することが決まっている。出張という形で。
かつては父の仕事の転勤でS町を訪れた私が今度は自身の仕事でS町を訪れるというのは我がことながら時の流れを感じる。
お察しのことと思うがこの出張はイトウ(仮名)氏の作品と並んで私が今回筆を執ることとなった大きな理由だ。
この出張があり、あの作品があれば私はこの作品を書かざるを得なかった。
グーグルアースの遠巻きな写真で確認する限り、いつ崩れてもおかしくないように見えた旧校舎は未だ健在のようだった。
あの旧校舎も後から調べれば中々曰くのある建物で元は墓場だったとか、裏山を登って行くと朽ちた鳥居があるとか色々とそれらしい話が出てきた。
ただ、そこまで調べた私だが旧校舎に行ってみるかどうかはまだ決めていない。
単純に恐ろしいのもある。あの時のこいしの緑色は今でもはっきりと思い出せる。
それよりも単純に行ったところで何もないに決まっているという諦観もある。
常識で考えるならこいしのことは全部俺の思い込みで子供特有の錯覚、ZUN氏が求聞口授に書いたようなイマジナリーフレンドのような何かと考えるのが妥当だろう。
という二つが俺が旧校舎に行こうとしない建前の理由である。本命は別にある。
笑ってくれて構わない。おかしいやつと思われるに違いない。
何故なら俺が一番恐ろしいのは、もしあの旧校舎でこいしとヨシモトに会ってしまったら。という妄想でしか有り得ないはずのことなのだから。
もしあの頃と変わらないヨシモトに会ってしまったら俺はなんと言えばいいのだろう。謝るのか、それとも謝れとヨシモトに言うのか。
そして何よりもし、こいしにもう一度誘われてしまったら俺はなんと答えるのだろう。今度は断れるのだろうか。それとも付いて行くのだろうか。ヨシモトのように、こいしに。
長々と書いたが俺は結局旧校舎には行くのだろう。こいしの引力はもう感じないが、それに近い予感がある。俺はきっと行くのだろうという予感が。
その時何かあるのか、何もないのかは、怖くもあるが楽しみでもある。もちろん強がりだが。
私が書くべき事はこれで本当に全部だ。
ああいや、本当に最後に一つだけ。全く心配の必要はないと思うのだが念のため。
今まで私が語った話はすべてフィクションだ。
登場した場所も人物も、S町も旧校舎も、ヨシモトもこいしも、そしてもちろん私自身も、誰も実在はしない。
どうか勘違いのないようお願いしたい。
もっと精進して読んでる人をぎゃふんと言わせるようなオリジナル作品が書けるようになってほしい。
実際の形式はかなりジュブナイルというか、そういった形式に近いと思う
リグルのほうはそういった要素は皆無なので、前置き自体が詐欺だ
ただ本作品はジャンル的には結構割り切れないところがある
正確には、子どもの成長物語というよりは、成長しないところが顕著
決断主義ではなく逃避型主人公だ
こいしに決断しろ(意訳)ということを言わせてるわりには主人公は最後まで決断せず、
かろうじて最後のところで旧校舎に行くということがそれを寓意しているともとれなくもないが
「行くだろう」とあるようにどこか他人ごとだ。これは決断主義者の態度ではない
主人公は最初から最後まで空気を読んで、雰囲気に流されるタイプである
指向性としてはジュブナイル(少年の成長物語)を目指しつつ、最後までそれは達成されない
というところにもやもやとしたものを感じる
これはこいしそのものの属性にも通じるだろう
こいしは第三の目を閉じた、いわば逃避型のタイプであるから
こいし=主人公というふうに見れなくもない
こいしに誘われるということは現実から逃げ出すということを意味しているような書き方になっているのも、偶然ではないように思える
とすれば、こいしの言葉は主人公の言葉と等価だ
こいしが「ちゃんと言わなければ伝わらない」(意訳)というようなことを言うのも
こいしの気持ちであり、主人公の気持ちなのだろう
けれど、それを外部の出来事に任せてしまっている
引っ越しという子どもにとってはどうにもならないできごとにより、偶然にして主人公は「いかない」という決断めいたことを言えたように演じることができたに過ぎないのだ
だから、この作品はもやもやするんだが……
この作品そのものがこいしの心象をあらわしているとすると、
なかなか味わい深い作品といえる
特によかったのはこいしの足の描写 妖怪少女は最高だぜ
感性の違いかと思ったけどそうじゃないんだろうなと、空気をよまない発言をしてみる
作品単体としてみると面白かっただけにそこが残念です
本当にあった話ですと言われるよりも、フィクションであると念押しされた方が怖いのって面白い
偏った見方をしそうだったから元の方は見てないけど
ヨシモトとフジワラを輝夜と妹紅に脳内変換して楽しんだのは自分だけでいい
ヨシモトとフジワラが他の誰かを思わせる描写があったら、個人的にもっと楽しめた
あと、作品自体は悪くないと思うよ
こいしが隠密しすぎたせいで何だかんだと言われるかもしれないが、そういう作品だから仕方がない
タグに空気女王こいしとか書いとく位が丁度いい