注意:オリキャラ、オリ設定があります。
①:水鬼鬼神長が出てきますが、口調などは適当に想像で書いています。
②:閻魔の直接の上司は、本来なら閻魔王なのかも知れないですが、いきなり閻魔王というのも組織設定的には扱いにくかったので、各地方の閻魔を統括する閻魔長という役職を用意しています。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
四季映姫は悩んでいた。
デスクの上には、船頭を務めている死神達の名前と仕事の評価が書かれたリストが置かれている。更にその脇には、死神のより詳細なデータを記載した書類もだ。
「誰にしたものですかねえ?」
ちらりと、彼女は机の隅の方に置いた手紙へと視線を向けた。
何でも、外の世界のとある場所で大規模な災害が起きたらしく、人員が不足しているとのことだ。状況は噂でも聞いていたが、いよいよもって逼迫してきたらしい。なにしろ、白黒付けるのが易しいケースなどは、修行中の閻魔見習いまで駆り出されている有様だ。
そのため、あちこちの地方から人手を出し合おうと、そういう話となった。幻想郷も例外ではない。そして、ここからは船頭を一人出してくれという事になった。
この幻想郷も、決して人手が潤沢というわけではない。出来る事なら、なるべく戦力ダウンを避けたいところではある。だが、だからといってそれで本当に戦力にならない者を派遣するわけにはいかない。どこだって事情は苦しいのだし、それに幻想郷のレベルが低いと思われたくもない。
そんなわけで、誰を派遣するか、その人選をいまいち決めかねているのだ。
「ま、彼女だけは無いですけどね」
はぁ、と四季映姫は嘆息した。リストで問題の彼女の名前を見る。小野塚小町。
サボってばかりのおちゃらけ船頭なんて送ろうものなら、それこそ足を引っ張りかねないし、幻想郷も……そして自分の評価も大打撃だ。
「あぁ『自分の評価のため』とか我ながらさもしいことを考えていますねえ」
それを自覚してしまい、四季映姫は少し陰鬱な気分になった。中間管理職は辛い。
彼女は席を立った。
幸い、まだもうしばらくは時間がある。どうせなら、今の仕事ぶりを見てから決めよう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
四季映姫は此岸へとやって来た。
詰め所には何人かの船頭がいた。幸い、最後まで候補に残っていた船頭のほとんどだ。
「ご苦労様。差し入れを持ってきました」
四季映姫は持ってきたお菓子を死神達が囲む机の上に置いた。頼み事をするのに、手ぶらというのも気が引けた。
「あ、四季映姫様。お疲れ様です。わざわざどうも、有り難うございます。しかし、珍しいですね」
「珍しいですか?」
死神の一人にそう言われて、四季映姫は首を傾げた。
「ええ、此岸に来るときって、いつもここじゃなくて、そのまま人里とかに行くことが多いじゃないですか? それに、手土産とか……どういう風の吹き回しです?」
「なるほど、言われてみればそうかも知れませんね」
四季映姫は苦笑した。慣れない事をすると、やはり疑問に思われてしまうものらしい。
「いえ、実はあなた達の誰かにちょっとお願いしたい事があって来たんですよ。それで、どうしたものかと……話を聞いてみたいというか、様子を見に来たんです」
と、彼女は気付く。
「おや? 小町が見当たりませんね? 今日は、非番ではなかったと思いますが?」
「あれ? 小町さんに用だったんですか?」
「いえ、別にそういう訳じゃないです。むしろ、彼女は不要です」
だが、いないというのはおかしい。
「え、え~と、小町さんはその……今は仕事で死者を渡しているところでして」
恐る恐る、そう言ってくる死神に四季映姫は鋭い視線を送った。
「朱里? 嘘はいけません。そう……あなたは少し、他人に甘過ぎる。同僚を庇いたいという気持ちは自然なものですが、悪事を庇うのは本人のためにもなりません。真に相手の事を想うのなら、相手のためになる行動を考えなさい。あと、閻魔である私に嘘が通じるわけがないでしょう?」
四季映姫は苦笑を浮かべた。
だが、それもすぐに溜息へと変わる。
「また、サボりですね。まったく、あの娘ときたら」
今度また、念入りにお説教をしてやる必要がありそうだ。
「まあいいでしょう。それで、話というのはですね? あなた達、外であった大きな災害について知って――」
“よっす。小野塚小町、ただいま帰りました~”
不意に、脳天気な声が四季映姫の背後、詰め所の入り口から聞こえてきた。
「……あ」
四季映姫が振り向くと、表情を強ばらせ、呻き声を上げる小町がそこにいた。
詰め所内の空気が凍り付く。
「小町? あなた、仕事中にどこに行っていたんですか?」
にっこりと、四季映姫は優しく小町に笑顔を浮かべた。小町は脂汗を浮かべてきたけれど。
「えーと、あの……そのですね? ほら、今日は大変にお日柄も良く、予定でものどかなものですし、ちょっと人里の様子を確認して、どこまで映姫様の教えが伝わっているかを確認しようかな~って」
「へぇ? 秋の神様の焼き芋ですか? それは美味しそうですね」
小町が慌てて隠した紙袋からは、焼き芋の甘い匂いが漂っていた。紙袋に書かれた「秋神様の焼き芋屋」の文字も、隠す前に見逃さない。
「あと、最近は亡くなった人間の魂や死体に悪さする質の悪い妖怪も出てきているとか、その様子もですね?」
「他にも、お蕎麦に団子……随分と色々道草を食ってきたようですね。最近話に上る事も多い、あの仙人から聞いたお店ですか? その、悪さする妖怪とも随分と話が盛り上がったみたいですね?」
「え、え~と……何故、それを?」
「閻魔eyeはすべてをまるっとお見通しです。というか、長い付き合いなので、それなりにあなたの行動パターンは分かります。ですが、やはり当たりだったようですね」
小町は分かりやすく呻いてきた。
「他にも、色々と食べ歩きをしていたみたいですね? 仕事をサボって遊ぶのはそんなにも楽しいですか?」
笑顔のまま、四季映姫は小町へと迫った。
それとは対照的に、硬直した笑顔のままで、小町は後ずさった。
「……ところであなた達? 小町はこの頃、どのくらいサボっているのかしら?」
首だけを振り向かせて、四季映姫は小町を除いた船頭達に訊いた。
返答は返ってこない。みな、曖昧な表情を浮かべている。あるいは、視線をそらしている。
「なるほど、答えられないくらいサボっている。そういうわけね」
「あ、ちょっ? みんな? そんな……いや、まあその……」
四季映姫は大きく悔悟の棒を振り上げた。そして、思いっきり小町の頭へと叩き付ける。
「小町いいいいいいぃぃぃぃぃ~~~~っ!!」
「ぎゃんっ!?」
小町が悲鳴を上げた。船頭達も息を飲むのが聞こえた。
「まったく、あなたという娘は……。そう、あなたは……少しどころじゃなく、サボりすぎているっ!!」
「ひぃんっ!」
「丁度いいわ。今、外の世界で人手が足りなくて大変なの。噂で聞いているでしょう? そこにあなたを派遣します。正直、不安もありますけどね」
そう言うと、小町の顔色が変わった。
「うぇっ!? あ、あの……噂には聞いていたんですが、あの……本気で大変な状況になっているという例の場所ですか?」
「そうよ。小町……そこで真面目に働き詰めなさいっ! そして、勤労意識というものをきちんと養う事っ! それが、今のあなたに出来る善行よ」
「ひいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ~~~~っ!?」
小町の絶叫が響いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小町を派遣して数日が経った。
四季映姫は現状に概ね満足していた。
死者は順調に送られてきているし、裁判も滞りなく進んでいる。仕事は極めて順調だと言っていいだろう。
デスクに向かいながら片付けている書類の作成も、もうじき終わる。
だが、あくまでも満足は「概ね」である。
理由は、若干の後ろめたさ、罪の意識を感じてしまっているからだ。最初はそんなつもりは無かったというのに、小町のだらけた態度を目の当たりにしてしまうとつい……感情に流される形で彼女を派遣してしまった。己の自制が出来なかったという点で、不甲斐ないと思う。閻魔にあるまじき事だ。
そして、やはり心配なのだ。小町がサボって足を引っ張っていないか。小町を送った事で、かえって迷惑を掛けてやしないだろうかと。
小町も、就業態度こそ大問題だが経験豊富で腕も確かな船頭だ。真面目に働いてくれているなら、そんな問題は起きないはずだと思うのだが。
「だけど、そこが一番の問題なのよねえ」
溜息が漏れた。勿論、そこの意識を改善して欲しいという思いも、それが彼女のためになるはずだという考えも嘘では無いのだが。
作成した書類に印鑑を押して、四季映姫は机の隅の紙の山に置いた。そして、バインダーに綴じた。
四季映姫は大きく背中を伸ばした。これで、今日の分の仕事は終わりだ。
「しかし、困りましたね。定時まではまだ時間があります。けれど、仕事がありません」
柱時計を見上げて、四季映姫は眉根を寄せ呻いた。優先度の低かった仕事も、この数日で片付けてしまったため、本当に何もする事が無くなってしまった。
「いえ、そうですね。仕事が順調なのは、船頭達が頑張っているからです。たまには、皆さんを労ってあげるべきでしょうね」
ふと思いついた考えに、彼女はうんうんと頷いた。
これまでは仕事の管轄や時間の都合で、あまりコミュニケーションを取る余裕が無かったが、折角こうして時間が取れたのだから、その貴重な機会を無駄にする事もないだろう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
先日と同様、四季映姫はお茶菓子を持って此岸へとやってきた。
だが、目の前の光景に彼女は首を傾げた。
船着き場には、数人の死者がいた。
いや、死者がいる事自体は、本来なら不思議でも何でもない。
問題は、その死者達はここ場で長い時間、放置されている様に見えることだ。通常ならば死者は船頭に誘導され、船に乗せられて彼岸へと渡される。
しかし、それらの死者は船着き場からは少し離れたところにいた。船がまだあるにも拘わらずだ。そんな状態で船に乗せられないなどという事は、普通なら有り得ない。
四季映姫は眉をひそめた。
死者の顔付き……正確には魂の色や質を見る限り、どの死者も真っ当な生き方をしたようには見えない。法廷で精査はしなければならないだろうが、それをするまでもなく黒だと彼女は判断した。
こういう死者は、概して裁判にも時間が掛かる。量刑を決めるための判断材料の収集……人生やものの考え方など、色々と精査しなければならないからだ。
そのため、このような死者は出来る事なら時間に余裕を持って、速やかに送って貰いたい。今送った場合は、おそらく自分の担当ではなく、シフトで代わった別の閻魔が裁くことになると思うけれど。
四季映姫は首を傾げて、詰め所へと向かった。ひょっとして、全員出払っているのだろうか? そんな可能性も考えながら。
「こんにちは、ちょっといいかしら?」
船頭達は詰め所に残っていた。
そのことに四季映姫は安堵し、同時に疑問に思った。残っているというのなら、何故誰もあの死者達を渡さないのだろう?
その疑問が顔に出ていたのか、船頭達が少し表情を強ばらせた。あるいは元々、彼女らも問題だと思っていたのかも知れない。
「な、何でしょうか? あの、何かその……問題でも起きましたか?」
「いえ? そういう訳ではないですよ? ただ、ちょっと私の仕事が片付いたので、折角なのでこの機会にもう少しあなた達とコミュニケーションを取ろうかと思い、来たのです」
「あー、なんだ。そういう事でしたか。ええ、そういう事なら大歓迎ですよ」
どうぞどうぞと勧められて、四季映姫は詰め所の中へと入った。そして、テーブルの上に持ってきた菓子折を置いた。
死神の一人が、お湯を急須に注ぎ、お茶を淹れた。
「ところで、外に死者がまだ残っていたのですが……彼らは運ばなくてよいのですか?」
淹れられたお茶を四季映姫は受け取った。そして、何気ない口調で、四季映姫は死神達へと訊いた。
だが、その途端に彼女らの間に漂う空気が、より強ばったものへと変わった。
その態度に、四季映姫は目を細めた。やはり、死者を運ばなかった事は彼女らもやましさを感じていたのだろう。
罪の意識を感じていなければ、誰しもこのような態度は見せないものだ。
「あー、その……実はですね。その件については私達も対応を検討中なんです」
「検討中? ということは、問題があるということですね?」
四季映姫が聞き返すと、彼女らは頷いた。
「あのー、四季映姫様はあの死者達を見てどう思います? 白か黒かっていう意味で」
「詳しい罪状については、精査も済んでいないので何とも言えませんが、まず間違いなく黒でしょうね。それも、相当に罪の重い……ね。嘆かわしいことです」
四季映姫は大きく息を吐いて、お茶を啜った。
「それが何か?」
平静に、四季映姫は先を促した。
それに対し、船頭達は躊躇いがちに唇を震わせた。
「それがその……あの様な死者はですね? 渡すのに凄く時間が掛かるんですよ」
「私達だと、それこそどれだけ時間が掛かる事か」
「そうです、苦労の割には評価もされないし、体力は消耗するし……そもそも、それで本当に渡せるかどうかも難しいところだと思います」
「ええ、渡すとそれこそみんな仕事どころじゃなくなりそうですし」
一人が口を開くと、それに続いて口々に他の死神も問題を言ってきた。
しかし、四季映姫はそれを聞いて顔をしかめた。
「つまるところ、疲れるので誰もやりたくない。そういう事ですか?」
我ながら、少し険の篭もった口調だったと四季映姫は思う。
船頭達からの返答は、無かった。四季映姫はそれをつまり、肯定だと受け取った。少なくとも、完全に否定は出来ないのだろう。
「それじゃあ、今まではどうしていたの? 罪を背負った死者なんて、これまでもいたでしょう?」
「それは……まあ、だいたいは小町さんがやってくれていたので」
「ええ、私達も罪が軽めの死者だったら渡せますけど、あそこまでっていうのは……ちょっと自信が無いです」
「あんなの、小町さんじゃないと無事に渡せないって」
四季映姫はそれを聞いて、小さく溜息を吐いた。確かに、罪人は小町が連れてくる事が多い気はしていたが、ここまで彼女に頼っていたとは思わなかった。
「……ところであなた達、ああして放っておいた死者の魂がどうなるのか、分かっているの?」
「それは……まあ」
「ええ、そうよ。輪廻の輪の中にも戻る事も無く、やがては言葉も通じず無差別に周囲を祟るだけの悪霊となり果てる事でしょう。そうなってしまっては、それこそ河を渡して裁くどころか、滅せざるを得なくなります。それが顕界と冥界の魂の均衡を破る大きな問題となる事に繋がるというのも、分かっているわよね?」
船頭達は黙って頷いた。
「では、ここでこうして立ち止まっている事が本当によい事だと思っているのかしら?」
「いえ、しかしですね?」
「黙りなさい」
有無を言わさず、怒鳴りもせず、静かに四季映姫は反論を封じた。
「どうやら、問題があったのは小町だけだったわけではなさそうですね。あなた達は……そう、少し自分に甘過ぎる」
厳然と、四季映姫は船頭達に告げた。
「仕事は、ときには割に合わないと感じる状況もあるでしょう。しかし、使命や職務というのはそれが果たされなければ、それが多大な損害を生むものなのです。故に、果たすべきものから逃げるのは罪なのです。そして、仕事はただ漫然と同じ事を繰り返していればよいものではありません。経験を積み、新たな仕事を出来るように己を磨き続けていかなければなりません」
項垂れる船頭達を四季映姫は見渡した。
「きちんと、あの死者達を渡して職責を果たす事。それが、今のあなた達に出来る善行よ」
それだけ言って、彼女は席を立ち詰め所から出て行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
船頭達に罪人を渡すように告げてから丸二日が経った。
四季映姫は少々苛立っていた。
額に手を当て、指先でデスクの上をコツコツと突いて鳴らす。
いつまで経っても、あれから死者が送られてこない。
「いったい、何をしているんでしょうかね?」
あれほど言ったのにまたサボっているのかと、一度使いの者を出して様子を見させたが、此岸には死者は残っていなかったし、詰め所に残された報告書からも、出発はしていたとのことだ。そして、別のシフトの閻魔からも、彼らを裁いたという話は聞いていない。
と、不意にノックの音が響いた。
「入りなさい」
「はい、失礼します。死者が来ました。裁判の準備をお願いします」
「ようやく来ましたか」
その言葉に、四季映姫は嘆息した。その吐息には、随分時間が掛かったものだという呆れと、曲がりなりにも送り届けてくれていたという、安堵が含まれていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
判決は下った。人生の精査も行ったが、やはり黒だった。
「――そう、あなたはあまりにも強欲で心が貧しすぎる。己の人生をより楽しく豊かにするには、財産は必要でしょう。美味しいものを食べたい。趣味を楽しみたい。過ごしやすい場所に住みたい。それらは生きていれば当然の欲求であり、度が過ぎない限り、その実現へと努力する事で魂は磨かれ、世の中も豊かになっていく。しかし、あなたは違う」
四季映姫はもう一度、浄玻璃の鏡に映し出された光景を見た。
「楽しかったですか? 金銭を貯め込むだけ貯め込み、その財をろくに使う事も分け与える事も無く、孤独に過ごした人生は? あなたがどう思っていたのかはともかく、あなたが心の底で蔑んでいた、貧乏人と同じ暮らしぶりですよ?」
その言葉に、死者は四季映姫を睨み返してきた。法廷では声は奪われる。抗弁は出来ない。だが、自分のどこが貧乏人と同じなのだと、馬鹿にするなとその視線は雄弁に訴えてきた。
「いえ、尚のこと悪い。衣食足りて礼節を知るという言葉があるように、財産を持たずに心の余裕を作る事は難しい。それでも、あなたが蔑んできた人達は、貧しければ貧しいなりに、出来る限りの心の余裕は作ろうとしていました。それにひきかえ、あなたはどれだけ富を持とうとも心に余裕を作ろうとはしませんでした。むしろ、より強欲になりましたね」
そこまで言っても、死者に反省の色は見られない。この場に来てまだそのような態度を取れるとは、相当に拗くれてしまったらしい。
「あなたは、地獄行きです。様子見として、いきなり餓鬼道に落としはしませんが自分のしてきた行い、人生を深く反省しなさい。豊かな人生とは、使い切れない財産を持つ事でも、ましてや使わない財産を貯め込む事でもありません。お金は、そこにあるだけでは価値が無いのです。使う事で価値が生まれるのです。自分の為、そして他人の為にお金を使い、そうして得られる喜びを学びなさい」
そして、四季映姫は傍に控えていた獄卒に「連れて行きなさい」と命じた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから、何人かの死者に裁きを下した。数日前に見た死者はみんな、地獄行きだった。
執務室で書類を作成しながら、四季映姫は大きく溜息を吐いた。とても、不機嫌だった。仕事故に避けては通れない話だが、やはり罪の深い魂を見るのは、気持ちのよいものではない。
それだけならまだしも、裁いた死者達はその誰もがまるで反省の色が無かった。聞く耳を持っていない。それがまた、四季映姫の神経を逆撫でた。
いつもならそう、今日のような……金を貯め込むだけで人生を過ごした者、他人に感謝せず、己の欲望を満たしてくれない事を恨み続けた者、働きもせず一生を部屋に閉じこもって生きた者……そんな者達よりも、もっと罪の深い者達でさえ、多少の反省の色は見せていた。
地獄とは死者をただ苛めるために存在しているのではない。確かに、生者には苛烈な責め苦を与え続ける場所だと脅かしてはいるが、そうではないのだ。あくまでも、来世をよりよいものにするための、反省の場所と時間であり、魂の再教育をする場所なのだ。
しかし、彼らのあの様子では、地獄で過ごす時間も長いものになってしまいそうだ。
四季映姫は柱に架かっている時計を見上げた。定時はとっくに過ぎている。そして、この様子では残業もまだまだ終わりそうにない。それがまた、煩わしい。
四季映姫はイライラを抑えながら、再び書類作成に集中する事にした。罪の深い死者が増えるという事は、こういう面倒な書類仕事も増えるという事だ。もっとも、こんな職に就いた以上は、覚悟もしていたが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
不意に、肩を叩かれた。
がばりと、四季映姫は顔を上げる。ぼやけた視界の先には、一人の人影。
「……お疲れ様だね」
「あぅ」
苦笑を浮かべる人影に、四季映姫は呻いた。
「水鬼鬼神長っ!? ね、寝てました? 私?」
「そりゃもう、ぐっすりとね。起こすのが悪いと思ったくらい」
それを聞いて、四季映姫は真っ赤に顔を染めた。柱時計を見ると、始業時間はとっくに過ぎていて、もう昼前だったりする。
「いやその。すいません……お恥ずかしいところを見せてしまいましたね。昨晩は徹夜で作業していて、終わったのが明け方で、仕事が始まるまでちょっと寝ようと思ったんです」
「なるほど、それでぐっすりとこんな時間まで寝ちゃったのか」
くすくすと水鬼鬼神長が笑い声を漏らすのを聞いて、四季映姫は俯いた。恥ずかしくて目を合わせられない。
「まあ、昨晩が大変だったんだろうというのも、想像は付くけどね? 立て続けに、罪人が送り込まれて、しかもそれを全部担当したというんだから」
「……ええ、まあ」
その疲労を思い出し、四季映姫は大きく息を吐いた。
「それで? 私に何の用ですか? こんなところに、わざわざ地獄から来るとは、珍しいですね?」
「四季映姫が居眠りするほどには、珍しくないと思うけどね? まあ、それはともかく。昨日送り込まれてきた死者について、ちょっと愚痴を言いに来た。お疲れ様なのは分かっているから、真剣に苦情を言いに来たつもりは無いけれど」
「昨日の死者? 彼らが、何かしたんですか?」
水鬼鬼神長は首肯した。
「具体的に何かしたってほどじゃないけれど、態度が悪すぎる。暴れようったって鬼に適うわけが無いから、まあそういうのは問題っていうほど問題でもないけど……ふて腐れて、言う事を全然聞こうとしなくて、扱いが面倒くさくてありゃしない。それに、渡しにも時間が掛かっていたのか、弱り気味だし下手に扱ったら消滅させてしまいそうだし……。どいつもこいつも、裁判がおかしいだのふざけるなだの……そりゃあ、昔からそういう連中もいたよ? でも、沙汰の結果に全く納得しないなんてねえ? そこをある程度は納得させるのも、裁判官の仕事だろう? いったい、四季映姫は裁判で何をやっていたんだと、そう思ったのさ」
「あ……そうですか。そんな事になっていたんですね? すみません、私も重々言い聞かせたつもりだったんですが、力及ばなかったようです。迷惑を掛けてしまっているようですね、すみません」
四季映姫は頭を下げた。
「ああいや、そこまで畏まらなくてもいいよ。さっきも言ったけど、ただの愚痴だからね? それに、さっきは沙汰を納得させるのは裁判官の仕事だって言ったけど、別に規則で定められているわけでもないんだしさ? それを言ったら、私らだって彼らにそういうのを叩き込んで理解させるのが仕事な訳だし」
水鬼鬼神長は頭を掻いて、笑った。
「ただまあ、そんなわけだからさ。もうちょっと、何とかしてくれると有り難い」
「分かりました。努力します。本当に、すみませんでしたね」
再び四季映姫が頭を下げると、「分かってくれればいいよ。邪魔して悪かった」と水鬼鬼神長は片手を上げて踵を返した。
部屋の外に水鬼鬼神長が出て行くのを見送って、四季映姫は大きく溜息を吐いた。
と、唐突にデスクの上の電話が鳴った。
今度は誰だと思いながら、四季映姫は受話器に手を伸ばした。
「はい、四季映姫です。……ああ、あなたですか。どうかしましたか?」
内線電話を架けてきたのは、総務部の死神の一人だ。
『はい、えーとですね。今日の船頭の出欠状況について、一応お伝えした方がいいかなと思いまして』
「出欠? どういうことです?」
“はい、今日はその……全員が有給を申請してきまして……。誰も、死者を渡す人がいないんです。これ……大丈夫でしょうか?”
その報告に、四季映姫は目を丸くした。
「はいっ!? え? ……全員、休み?」
『はい。全員、お休みです。何でも、過労で体が動かないそうです。出来れば、数日休ませて欲しいと、言ってました』
「そんな? ええ? ええええええ?」
彼女は絶句し、頭を抱えた。
『あの? 四季映姫様?』
「あ……すみません。そう……ですね。いえ、分かりました。では、今日の所はゆっくり休むように、船頭達に伝えて下さい。ただ、明日はフルで働かなくてもいいので、体が少しでも動くようなら、今の状況も伝えて……その、出るように頼んで下さい。体調が戻るまでは、ペースは落としてもいいので、でも少しずつでも死者を運んで貰いましょう」
『分かりました。では、そのように伝えます』
「はい、よろしくお願いします」
四季映姫は、受話器を置いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日、四季映姫は此岸へと赴いた。
「あれ? 四季映姫様?」
「おはようございます」
詰め所に入ると、船頭が出勤するよりも早い時間に、閻魔がにいるのだ、面食らうのも無理は無い。そう彼女は思った。
「すみません、別に驚かせようと思ったつもりではないのです。私は私で、こちらで仕事がありますし」
「仕事……ですか?」
「はい、これからしばらくの間、あなた達の体調が戻るまで死者を渡すペースが落ちます。つまり、死者を待たせてしまう時間が長くなってしまうわけです。それでは魂が消耗してしまいますからね。ですから、少しでもその消耗を和らげるために鎮めるというか宥めるというか……そんな訳です。滅多に無いことですけどね、これも閻魔の仕事なのですよ」
「はあ、具体的には?」
「私直々に、有り難いお話を聞かせてあげるんです」
そう答えると、船頭は顔をしかめた。
「あのぉ……それ、失礼ですが逆効果になってしまうんじゃ?」
「いえ、心配しないで下さい。流石に、小町にするような厳しい話し方はしませんよ? これでも閻魔の端くれ、ちゃんと諭すことを心掛けますから」
もの凄く不安そうな表情を浮かべる船頭に、四季映姫は曖昧に笑みを浮かべた。不安を伝えるその口調は若干鋭くて「頼むから、余計なことをしてくれるな」という思いが込められているような気がした。
「というか、そういうのって閻魔様もやるんですね?」
「それは、どういう意味ですか?」
「ああ、小町先輩がよく渡し待ちの死者とお喋りしているんですよ。何だか、それに似ているなって」
「小町が? ……そう、なのですか」
「まあ、先輩のはただの暇潰しだと思いますけどね」
そう言って、船頭は肩をすくめた。
「それと、あなた達に謝りに来ました」
船頭からの返事は無い。しかし、四季映姫は彼女に頭を下げた。
「私が、あなた達の苦労も知らずに、無理をさせてしまいました。本当に、すみませんでした。あなただけではなく、後日に他のみんなにも伝えますが」
「いえ……結局はどういう形にしろ渡さなければいけなかったわけですから」
抑揚の乏しいその口調に、四季映姫は胸が締め付けられた。やはり、こんな一言だけでは、すぐには許しては貰えないということだろう。無理も無いことだと、思うけれど。
四季映姫は顔を上げた。
「体の調子は、どうですか?」
「やっぱり、よくはありませんね。丸二日、ろくに休みも無く船の上で働きっぱなしで、魂を消滅させないように気を配って……神経も体力も限界でしたから」
結局、今日は出勤出来そうなのは目の前の彼女だけだと聞いている。
「そうですか。既に聞いていると思いますが、今日は早めに上がって頂いて結構です」
「ええ、そうさせて貰います」
「それと、それでもこうして死者を運んでくれること、有り難うございます。よろしく頼みます」
「まあ、これが……仕事ですから。では、私はこれで……死者を運びに行ってきます」
踵を返す船頭を見送って、四季映姫は天井を見上げ、小さく息を吐いた。
船頭は「これが仕事だから」と言った。彼女も彼女なりに、仕事に対する責任というものは、あったのだ。
「あの日、どうして私はそんな事に考えが至らなかったんでしょうね?」
口に出して自問するが、その答えは、見付からない。少なくとも、それを探す時間は今じゃない。今は、仕事をする時間だ。
彼女は頭を振って、詰め所を出て死者へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからというもの、仕事はハードなものとなった。
船頭達には健康状態には気を遣って貰いながらも、病み上がりの状態では、やはり渡しのペースは落ちた。
三途の川は渡る者によってその距離を変える。四季映姫は……閻魔であるが故に、死者のように川を越えるのに長い時間は必要としない。
しかし、裁判と死者の鎮魂の二つを同時にやらなければならないため、忙しいことこの上ない。
その上、此岸に取り残されている死者は徐々にだが増えている。渡しのペースを落とすのは、問題の先送りにしかなっていない。どこかで死者の数が減れば落ち着くのだが、その兆しはなかなか見えない。神経が削られる思いだ。
自分の軽率さが招いた事と思えば、誰にも恨み言は言えない。しかし、だからこそやるせない思いは自分の中に溜まっていく。
書類の山に向かいながら、四季映姫は溜息を吐いた。
そんな折、不意に部屋の扉が開いた。姿を現したのは、書記の一人だ。
「失礼します。四季映姫様に来客です」
「来客? アポも無しにですか? まったく、非常識ですね。いったい誰ですか?」
この忙しいときに、と吐き捨てるように四季映姫は訊いた。
「はい、閻魔長様です」
その返答に、四季映姫は咳き込んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
恐る恐る……肩を小さくしながら、四季映姫は応接室へと入った。
来客用の席には、長髪で細身の閻魔が座っていた。今はにこやかに笑っているが、しかし怒るととんでもなく恐い。昔、彼女の下で修行していたため、そのことはよく覚えている。
「し、失礼します」
「久しぶりですね。四季映姫。ちょっと近くまで来たので、顔を見たくなりました」
「いえそんな、とんでもない。わざわざ、有り難うございます」
一礼し、四季映姫は席に着いた。
「それで、さっきあなたの部下と世間話をしたのですが、最近忙しいらしいですね? 大丈夫なのですか?」
「ええ……まあ、なんとかやっています」
あははは、と四季映姫は乾いた笑みを漏らした。
「そう? それならまあ、いいですけれど……。あと、それとですね? あなたの様子をちょっと見たくなったというのも本当ですけれど、それはそれとして話したい事もあったんです」
「は、はぁ……何でしょうか?」
四季映姫は、ごくりと唾を飲んだ。
“ええ、先日にあなたが派遣してくれた船頭の事なんですけれどね?”
その言葉を聞いた途端、四季映姫の心臓に鋭い痛みが突き刺さった。びくりと体が震える。
「こ、こここ……小町が何かやらかしましたか? すみません、すみません。帰ったら私からもキツく叱っておきますから、どうか――」
「あら? あなたは何を言っているのです?」
慌てて四季映姫は頭を下げようとしたが、閻魔長はそれを手で制してきた。
「……え? 違うのですか?」
「全然違いますよ? むしろ全くの逆です。小町といいましたね? あの娘、大したものですよ? それはもう、火が噴いて大変な状況だったのを船頭の技量と死者の罪を比較して上手く分担してくれたんですよ? そして、自分は誰もが手をこまねくような罪人をスムーズに渡してくれるんです。おかげで、混乱していた状況が大分落ち着いてきました。いい船頭を寄越してくれて有り難いと、感謝しに来たのですよ?」
「…………え? 小町が?」
閻魔長の言葉に、四季映姫はぽかんと口を開いた。何が何やら、訳が分からない。
だが、一つ分かる事はある。どういうことかはともかく、小町はかなり役に立っているらしい。そして、そうとなれば取るべき態度も一つだ。
「そ、そそそ……そうでしょう。いや~、小町は優秀ですからね。私も送った甲斐があったというものですよ。はっはっはっはっ!」
いや、心配事が一つ片付いてよかったよかったと、四季映姫は胸を撫で下ろし朗らかに笑った。
「……は?」
しかし、それも長くは続かなかった。笑いが止まる。
突如として気付く。目の前で閻魔長が睨んできていた。それも、全身から凄まじいほどに怒りのオーラを吹き出している。
「あの……何か?」
四季映姫の額に、冷や汗が浮かんだ。
「四季映姫? あなた……嘘を吐いていますね?」
四季映姫の顔が強ばる。
「なな、何のこと――」
“閻魔に嘘が通じますかっ! この閻魔eyeはすべてをまるっとお見通しです。この馬鹿者がっ!!”
「ごめんなさいいいいいいぃぃぃぃぃ~~~~っ!」
部屋が揺れるような一喝を浴びて、四季映姫は即座に頭を下げた。
「まったく、あなたという娘は……よりにもよって、閻魔の身でありながら嘘を吐こうとは何事ですかっ! 恥を知りなさいっ!」
「すみませんでした。反省します」
とほほほ、と四季映姫は涙を流した。我ながら、情けなさ過ぎる。
閻魔長も、大きく溜息を吐いてきた。
「では、どういうつもりであの娘を派遣したのですか? どうも、さっきの態度からすると、そこに何か隠しているようでしたけれど?」
「あれ? とすると、小町が役に立っているというのは、本当なのですか?」
「当たり前です。私はあなたのような嘘は吐きません」
「で、ですよねー? 失礼しました」
作り笑いを浮かべ、四季映姫は頭を掻いた。
そして、小さく息を吐いて気持ちを落ち着ける。
「はい……あの、実はですね。小町を派遣したのは、優秀だと思ったからではないんです。いえ、経験豊かな船頭だと思って派遣したのは本当です。ですがその……本当は、彼女への罰として派遣したつもりでした」
「というと?」
「派遣先ではどうだったのかは分かりませんが……彼女、幻想郷ではサボってばかりでしてね? それで、忙しい場所に送ってあげれば、そんな就業態度も直してくれるんじゃないかって、そう思ったんです。真面目に働いてさえくれれば、その実力は申し分ないと思いますし」
「なるほど。それで、彼女が真面目に働いていると聞いて驚いたわけね。まあ、安心もしたようですけれど?」
「ええ、そういう訳です」
四季映姫は頭を垂れ、溜息を吐いた。ついでに「それなら、ここでも真面目に働いてくれればいいじゃないの」と呟く。
「ねえ、四季映姫?」
「あ、はい? 何でしょうか?」
四季映姫は顔を上げた。
「つかぬ事を聞きますが、ひょっとして、忙しくなったというのは彼女を派遣してからになるのではないですか?」
「え? ええ、そうですが……?」
そう答えると、閻魔長はふむふむと頷いた。
「では彼女を派遣したときは、こんなにも忙しくなると、思わなかったのではないですか?」
「はい、その通りです。日頃、サボってばかりの船頭が一人抜けたところで、さして変わりは無いだろうと思っていました」
「そうでしょうね」
頷く閻魔長に、四季映姫は首を傾げた。
「あの、それが何か?」
“四季映姫。あなたは……そう、少しものの見方が一方的すぎる”
その言葉に、四季映姫は絶句した。
「いえ、そうショックを受けなくてもいいですよ? あなたは、閻魔として死者を裁くには、十分な見識と視野の広さ、そして優しさは持っています。だからこそ、あなたは浄玻璃の鑑と悔悟の棒を持つことを許されているのです。別に間違った事をしているわけでもないですよ」
「で、ですが……」
「ひょっとして、彼女がいなくなったら、罪人の態度が途端に悪くなったとか、死者を渡す仕事が上手く回らなくなったとかいうことはありませんか?」
「何故、それを?」
驚いて四季映姫は身を乗り出した。
それに対し、閻魔長は苦笑を浮かべた。
「やはりそうですか。いえ、私にも覚えがあるのです。昔、部下にそういう死神がいましてね? 当時はとんでもない役立たずだと思っていたのですが、そのうち別の地方に転属してしまって……それから何年かは難儀しました。どういうことだったのか理解するのに、随分と時間が掛かってしまったのですが」
閻魔長から、懐かしむ声が聞こえた。
「どういうことですか? 私には、さっぱり分からないのですが」
「そうですね。どこから話したものでしょう。そう、一言で言えば……小町という死神はですね? 私も彼女のことを詳しく知っているわけではないし、本人も無自覚なのでしょうけれど……サボっているように見えて、いえ、多分サボって遊びながらお説教をしに行っているんでしょうね。この幻想郷では」
「そう、なのですか?」
「ええ、それも我々閻魔がするような堅苦しい話し方ではなく、もっと気さくに話しているのでしょう。これも推測ですけれど、彼女は渡しの順番待ちをしている死者ともよくお話をしているのではないかしら?」
「そんなことまでお分かりなのですか? はい、その通りです。私は、つい最近になってそのことを知りました」
流石は閻魔長だと、四季映姫は感嘆の声を上げる。
「ところで四季映姫? あなたは最近、此岸に行って死者を宥めてもいるようですが、上手くいっているのですか?」
四季映姫は呻いた。「勿論です」と言いたいが、そうとは言い切れない。問題は感じている。そして、それを自覚しながらもそう言ってしまうとまた雷が落ちることになる。
「いえ、なかなかどうも……。ほとんどの死者はちゃんと分かってくれるんですけれど……地獄行きにするほど酷くはないにしても、ちょっと捻くれた死者だとなかなか素直に話を聞いてくれなくて」
「あらあら、それは大変ね」
四季映姫は肩を落とした。
そんな彼女を見て、閻魔長はくすくすと笑った。
「閻魔として、不甲斐ない限りです。本当は、そういう者達にも……いえ、そういう者達こそ救いの手を差し伸べたいのですが」
「そうね。そして……そう、さっきの話に戻りますよ? 彼女のお説教がきさくという話ですが……。その……上手い喩えではないかも知れませんが、不良にお説教するのにも、真面目でいい子ちゃんなクラス委員長が言っても反発してしまうけれど、サボりもやってしまうような者が彼らと一緒に打ち解けてから、ちょっと真面目な話をすると、受け入れてしまうというか……罪人にしてみれば、そんな心理なのかも知れませんよ? 逆に、真面目な者は彼女には反発したり、逆にお説教したりするかも知れませんけれど」
「そうですか。……だから、小町が渡してくれた死者は、罪人でも法廷では私の話を聞いてくれたの……かも知れませんね」
四季映姫は小さく笑みを浮かべた。
「実際、小町がいなくなってから、渡される罪人の態度が悪くなりました。小町は、お喋り好きで……しかも罪人のような死者との話を聞くのが楽しいという性格で……そういうのが、彼らの態度を軟化させていたのかも知れませんね。それで、彼らも少しだけ反省して……その分、河の距離も少し短くなって、それほど疲弊せずに河を渡る事が出来たのでしょう」
「多くの罪人は、寂しいのですよ。ある意味では自業自得なのかも知れませんが、理解されず、繋がりも持てず、認められず……話を聞いてくれるというだけでも、救いになるものなのです」
四季映姫は頷いた。
その話は、修業時代にも何度も聞いた。忘れていたわけではないが、少し認識が薄れていたのかも知れない。
「私は本当に馬鹿ですね。小町はこんな私を黙って……ずっと、知らないところで助けてくれていたというのに、そんなことにも気付かなかったなんて。本当……帰ってきたら、どんな風に接したらいいんでしょう?」
「ふふ、そんなにも気に病むものではありませんよ。四季映姫? 確かに、サボってばかりというのは、それが彼女なりのリフレッシュなのでしょうね。それと、やった事が無いから分からないですが、やはり罪人を渡すというのは、相当に難しい仕事のようですから、そのためにも、適度に休息を取って備えているのでしょう。ですが、本人はおそらく、そこまで深く考えてはいないでしょう」
「どういうことですか?」
首を傾げる四季映姫に、閻魔長は笑みを浮かべた。
「別に、遠慮せずこれからも今まで通り彼女に接してあげればよいということです。長年、これまで通りで上手くいっていたのなら、無闇に弄らない方がいいことが多いのです。マネジメントの基本らしいですよ?」
「そ、そうなのですか?」
ええ、と閻魔長は頷いた。
「ですが、だが、それでも気になるというのなら、もう少しあの娘の事を理解するように努力してあげればよいのではないですか? あと、帰ってきたら労ってあげればいいのです。彼女のおかげで、もうしばらくしたら返してあげられそうですから」
「そうですね。有り難うございます。是非、そうする事にします」
「いいこと四季映姫? 現場の内情というものをよく理解すること、それが今のあなたに出来る善行よ」
四季映姫は頷いた。
何だか、仕事で塞いでいた気分が晴れた気がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小町を派遣して約一ヶ月。彼女は派遣先から帰ってきた。
流石に、一ヶ月間の働き詰めは少し堪えたらしい。久しぶりに会った彼女もくたびれたように見えた。それでも、「くぅー、疲れましたー」とか笑顔で言えるあたり、まだ余力を残していそうな気もしたが。
机の前に立って、帰還の挨拶に来た小町を見ながら、四季映姫も笑顔を浮かべた。
「本当にご苦労様でした、小町。どうやらサボりもせず頑張っていたようですね。閻魔長様も、あなたの事を褒めていましたよ」
「いやー、なんのなんの。あたいとしては、さっさと仕事を片付けて楽したいだけなんですけどねー。いやもう、でも忙しいの何のって、サボる暇なんて本当にありゃしませんでしたよ。早く帰って、お酒でも飲んで寝てしまいたいです」
そう言って、小町は笑った。
「しかし、四季映姫様? あたいがいない間、どうやら幻想郷も大変だったみたいですね。ここに来る前、詰め所に顔を出したら、みんな疲れた顔してて……いやまあ、いきさつは聞きましたけど。あそこまであたいの帰りが歓迎されるなんて、思いもしませんでした」
「ええ、本当に大変だったんです。そして、彼女らにも悪い事しました。改めて、謝りに行かないといけないですね」
「そうですね。その方がいいと、あたいも思います。でも、そこまで気に病まなくてもいいかも知れませんよ?」
「え? どういうことですか?」
小町の言葉に、四季映姫は首を傾げた。
「いやね? あたいも、驚いたんですよ。彼女らが、あんな罪人を一人で渡す事が出来るなんてね? いやー、本当はもっと経験を積んでからって思っていたんですが、成長していたんですねえ。それで、本当に疲れたけど、どうやら自信にもなっているようでしてね? 『四季映姫様の言うとおり、自分達を甘やかしすぎていたかなあ』とか、そんな風にも言っていたくらいですし。そんな感じでもう、自慢されましたよ。可愛い子には旅をさせよなんて言いますが、あれは本当ですねえ」
「そうですか、彼女らがそんなことを……」
「ええ、なかなか映姫様に面と向かっては言わないでしょうけどね」
「いえ、構いません。分かってくれたのなら、それで……ええ」
四季映姫は頷いて、浮かびそうになった涙を拭った。
船頭達が分かってくれたという事も、そんな事を小町がこうして教えてくれるという事も、そうして自分が支えられているという事も、そんな繋がりを改めて意識して、四季映姫は嬉しく思った。
そして、小町のいない時間で、多くの事を学んだと四季映姫は改めてそう思ったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小町が帰ってきて、数ヶ月が過ぎた。
彼女がいないときにあったようなごたごたは影も形も無く消え去っていた。
そして四季映姫もまた船頭達と和解し、業務は滞りなく回っている。船頭達とだけではないが、コミュニケーションを取る機会は多くなった。
そして……此岸で、四季映姫は滝のような汗を流していた。
事の発端は数日前である。船頭達の様子を見たいとお偉いさん達が視察を希望してきたのだ。何でも、派遣先での小町の働きぶりが素晴らしかったらしく、その教育とかそういうものを参考にしたいらしい。
勿論、この話は小町達にも伝えた。あくまでも普段通りでいいが、決して失礼は無いようにと。
だが、今日当日。目の前に広がる光景。
四季映姫の横に並ぶお偉いさん達は……驚き、呆れ、怒り……表情は様々だが、ネガティブな表情しか浮かべていない。
幻想郷の評価は? 四季映姫の成績は? もう、言わずもがなである。
「こ、小町っ! これはどういうことなのっ!」
思わず、四季映姫は傍らに立つ小町に怒鳴った。
「えええぇっ!? 全部、映姫様が許可してくれたんじゃないですかっ!」
「うぐっ!? い、いや確かにそうですけれど……でも、だからといってですね?」
正直言って、視察に来たお偉いさんの反応を見るこのときになって、初めて四季映姫は我に返った。別に、ことさら職場の有り様を変えようというつもりも無かったのだけれど、変化がゆっくりであったために、気付かなかった。
そこまで小町を甘やかすつもりは無かったが、どうやら知らず知らずのうちに甘やかし過ぎていたらしい。
少し離れた詰め所から、扉が荒々しく閉められる音がした。
いつの間にか、中の様子を見に行っていたようだ。閻魔長がつかつかと近付いてくる。
「四季映姫? これはどういうことなのかしら?」
閻魔長は四季映姫の目の前で立ち止まり、睨んできた。ごくりと、四季映姫は唾を飲む。
「え、え~と、閻魔長? その……これはですね?」
「遊具が置いてありましたが?」
「囲碁や将棋ですよね? 休憩時間や待機時間を潰すのに、いいかなと思いまして」
「趣味や娯楽の指南書に小説は?」
「教養を広めることで、仕事に役立つだろうと思いました」
「漫画も?」
「中身によりますが、小説と同様、表現方法に貴賤は無いかと」
「ぬいぐるみやフィギュアにポスターまで……」
「職場の彩りと、癒やし効果が……」
「大量のお菓子」
「疲労回復にと」
「お酒」
「仕事の打ち上げ用と聞いています」
「枕、布団、パジャマ」
「効率的な、疲労回復を狙いました」
「ふ~ん、そうなのね?」
「は、……はい」
にっこりと笑みを浮かべる閻魔長を前に、四季映姫は引きつった笑顔を浮かべた。
「じゃあ、これは?」
閻魔長は手を振って周囲へと視線を移した。
ド派手にデコレーションされた渡し船。立ち並ぶ屋台。騒霊、妖獣、付喪神のライブコンサート。その他、諸々のアトラクション。
此岸はもはや、毎日がお祭り騒ぎの夢の王国と化していた。
「ええと……死者達の慰めになるかと思いました」
「そう。どうやら、嘘は吐いていないようね」
「はいっ! 私は、これが最善と思い、策を尽くしてきましたっ!」
「へえ? 彼岸の各担当者達の評判はどうなの?」
「こ、好評です。これまでと違って、職場が明るく楽しくなりましたし、死者達も陽気になってよいと聞いています」
“そう? ……どうやら、彼岸も相当緩んでいるようね”
自分の思う最善を尽くした結果だというアピールをすれば、ちょっとは心証も改善されるかと思ったが、やはりそんなことは無かったようだ。石頭だと思った。
あと「だからこんな予算も通ったのかも知れない」と今更ながらに四季映姫は思った。彼岸の各部署も、色々と感染していたのだろう。
「さて、取り敢えず四季映姫? 覚悟はいいわね?」
「え?」
そして、四季映姫が最後に見たのは、自分の顔面に猛スピードで振り下ろされる悔悟の棒であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからというもの、しばらくの間、幻想郷には『此岸壊滅』の見出しでばらまかれる新聞と、小町を追いかける四季映姫の姿がよく見られるようになった。
そして、小町を除いた船頭達は皆、その新聞を見て当時の恐怖を思い出す度「やっぱり、ああはなるまい」と心に誓うのであった。
―END―
①:水鬼鬼神長が出てきますが、口調などは適当に想像で書いています。
②:閻魔の直接の上司は、本来なら閻魔王なのかも知れないですが、いきなり閻魔王というのも組織設定的には扱いにくかったので、各地方の閻魔を統括する閻魔長という役職を用意しています。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
四季映姫は悩んでいた。
デスクの上には、船頭を務めている死神達の名前と仕事の評価が書かれたリストが置かれている。更にその脇には、死神のより詳細なデータを記載した書類もだ。
「誰にしたものですかねえ?」
ちらりと、彼女は机の隅の方に置いた手紙へと視線を向けた。
何でも、外の世界のとある場所で大規模な災害が起きたらしく、人員が不足しているとのことだ。状況は噂でも聞いていたが、いよいよもって逼迫してきたらしい。なにしろ、白黒付けるのが易しいケースなどは、修行中の閻魔見習いまで駆り出されている有様だ。
そのため、あちこちの地方から人手を出し合おうと、そういう話となった。幻想郷も例外ではない。そして、ここからは船頭を一人出してくれという事になった。
この幻想郷も、決して人手が潤沢というわけではない。出来る事なら、なるべく戦力ダウンを避けたいところではある。だが、だからといってそれで本当に戦力にならない者を派遣するわけにはいかない。どこだって事情は苦しいのだし、それに幻想郷のレベルが低いと思われたくもない。
そんなわけで、誰を派遣するか、その人選をいまいち決めかねているのだ。
「ま、彼女だけは無いですけどね」
はぁ、と四季映姫は嘆息した。リストで問題の彼女の名前を見る。小野塚小町。
サボってばかりのおちゃらけ船頭なんて送ろうものなら、それこそ足を引っ張りかねないし、幻想郷も……そして自分の評価も大打撃だ。
「あぁ『自分の評価のため』とか我ながらさもしいことを考えていますねえ」
それを自覚してしまい、四季映姫は少し陰鬱な気分になった。中間管理職は辛い。
彼女は席を立った。
幸い、まだもうしばらくは時間がある。どうせなら、今の仕事ぶりを見てから決めよう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
四季映姫は此岸へとやって来た。
詰め所には何人かの船頭がいた。幸い、最後まで候補に残っていた船頭のほとんどだ。
「ご苦労様。差し入れを持ってきました」
四季映姫は持ってきたお菓子を死神達が囲む机の上に置いた。頼み事をするのに、手ぶらというのも気が引けた。
「あ、四季映姫様。お疲れ様です。わざわざどうも、有り難うございます。しかし、珍しいですね」
「珍しいですか?」
死神の一人にそう言われて、四季映姫は首を傾げた。
「ええ、此岸に来るときって、いつもここじゃなくて、そのまま人里とかに行くことが多いじゃないですか? それに、手土産とか……どういう風の吹き回しです?」
「なるほど、言われてみればそうかも知れませんね」
四季映姫は苦笑した。慣れない事をすると、やはり疑問に思われてしまうものらしい。
「いえ、実はあなた達の誰かにちょっとお願いしたい事があって来たんですよ。それで、どうしたものかと……話を聞いてみたいというか、様子を見に来たんです」
と、彼女は気付く。
「おや? 小町が見当たりませんね? 今日は、非番ではなかったと思いますが?」
「あれ? 小町さんに用だったんですか?」
「いえ、別にそういう訳じゃないです。むしろ、彼女は不要です」
だが、いないというのはおかしい。
「え、え~と、小町さんはその……今は仕事で死者を渡しているところでして」
恐る恐る、そう言ってくる死神に四季映姫は鋭い視線を送った。
「朱里? 嘘はいけません。そう……あなたは少し、他人に甘過ぎる。同僚を庇いたいという気持ちは自然なものですが、悪事を庇うのは本人のためにもなりません。真に相手の事を想うのなら、相手のためになる行動を考えなさい。あと、閻魔である私に嘘が通じるわけがないでしょう?」
四季映姫は苦笑を浮かべた。
だが、それもすぐに溜息へと変わる。
「また、サボりですね。まったく、あの娘ときたら」
今度また、念入りにお説教をしてやる必要がありそうだ。
「まあいいでしょう。それで、話というのはですね? あなた達、外であった大きな災害について知って――」
“よっす。小野塚小町、ただいま帰りました~”
不意に、脳天気な声が四季映姫の背後、詰め所の入り口から聞こえてきた。
「……あ」
四季映姫が振り向くと、表情を強ばらせ、呻き声を上げる小町がそこにいた。
詰め所内の空気が凍り付く。
「小町? あなた、仕事中にどこに行っていたんですか?」
にっこりと、四季映姫は優しく小町に笑顔を浮かべた。小町は脂汗を浮かべてきたけれど。
「えーと、あの……そのですね? ほら、今日は大変にお日柄も良く、予定でものどかなものですし、ちょっと人里の様子を確認して、どこまで映姫様の教えが伝わっているかを確認しようかな~って」
「へぇ? 秋の神様の焼き芋ですか? それは美味しそうですね」
小町が慌てて隠した紙袋からは、焼き芋の甘い匂いが漂っていた。紙袋に書かれた「秋神様の焼き芋屋」の文字も、隠す前に見逃さない。
「あと、最近は亡くなった人間の魂や死体に悪さする質の悪い妖怪も出てきているとか、その様子もですね?」
「他にも、お蕎麦に団子……随分と色々道草を食ってきたようですね。最近話に上る事も多い、あの仙人から聞いたお店ですか? その、悪さする妖怪とも随分と話が盛り上がったみたいですね?」
「え、え~と……何故、それを?」
「閻魔eyeはすべてをまるっとお見通しです。というか、長い付き合いなので、それなりにあなたの行動パターンは分かります。ですが、やはり当たりだったようですね」
小町は分かりやすく呻いてきた。
「他にも、色々と食べ歩きをしていたみたいですね? 仕事をサボって遊ぶのはそんなにも楽しいですか?」
笑顔のまま、四季映姫は小町へと迫った。
それとは対照的に、硬直した笑顔のままで、小町は後ずさった。
「……ところであなた達? 小町はこの頃、どのくらいサボっているのかしら?」
首だけを振り向かせて、四季映姫は小町を除いた船頭達に訊いた。
返答は返ってこない。みな、曖昧な表情を浮かべている。あるいは、視線をそらしている。
「なるほど、答えられないくらいサボっている。そういうわけね」
「あ、ちょっ? みんな? そんな……いや、まあその……」
四季映姫は大きく悔悟の棒を振り上げた。そして、思いっきり小町の頭へと叩き付ける。
「小町いいいいいいぃぃぃぃぃ~~~~っ!!」
「ぎゃんっ!?」
小町が悲鳴を上げた。船頭達も息を飲むのが聞こえた。
「まったく、あなたという娘は……。そう、あなたは……少しどころじゃなく、サボりすぎているっ!!」
「ひぃんっ!」
「丁度いいわ。今、外の世界で人手が足りなくて大変なの。噂で聞いているでしょう? そこにあなたを派遣します。正直、不安もありますけどね」
そう言うと、小町の顔色が変わった。
「うぇっ!? あ、あの……噂には聞いていたんですが、あの……本気で大変な状況になっているという例の場所ですか?」
「そうよ。小町……そこで真面目に働き詰めなさいっ! そして、勤労意識というものをきちんと養う事っ! それが、今のあなたに出来る善行よ」
「ひいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ~~~~っ!?」
小町の絶叫が響いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小町を派遣して数日が経った。
四季映姫は現状に概ね満足していた。
死者は順調に送られてきているし、裁判も滞りなく進んでいる。仕事は極めて順調だと言っていいだろう。
デスクに向かいながら片付けている書類の作成も、もうじき終わる。
だが、あくまでも満足は「概ね」である。
理由は、若干の後ろめたさ、罪の意識を感じてしまっているからだ。最初はそんなつもりは無かったというのに、小町のだらけた態度を目の当たりにしてしまうとつい……感情に流される形で彼女を派遣してしまった。己の自制が出来なかったという点で、不甲斐ないと思う。閻魔にあるまじき事だ。
そして、やはり心配なのだ。小町がサボって足を引っ張っていないか。小町を送った事で、かえって迷惑を掛けてやしないだろうかと。
小町も、就業態度こそ大問題だが経験豊富で腕も確かな船頭だ。真面目に働いてくれているなら、そんな問題は起きないはずだと思うのだが。
「だけど、そこが一番の問題なのよねえ」
溜息が漏れた。勿論、そこの意識を改善して欲しいという思いも、それが彼女のためになるはずだという考えも嘘では無いのだが。
作成した書類に印鑑を押して、四季映姫は机の隅の紙の山に置いた。そして、バインダーに綴じた。
四季映姫は大きく背中を伸ばした。これで、今日の分の仕事は終わりだ。
「しかし、困りましたね。定時まではまだ時間があります。けれど、仕事がありません」
柱時計を見上げて、四季映姫は眉根を寄せ呻いた。優先度の低かった仕事も、この数日で片付けてしまったため、本当に何もする事が無くなってしまった。
「いえ、そうですね。仕事が順調なのは、船頭達が頑張っているからです。たまには、皆さんを労ってあげるべきでしょうね」
ふと思いついた考えに、彼女はうんうんと頷いた。
これまでは仕事の管轄や時間の都合で、あまりコミュニケーションを取る余裕が無かったが、折角こうして時間が取れたのだから、その貴重な機会を無駄にする事もないだろう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
先日と同様、四季映姫はお茶菓子を持って此岸へとやってきた。
だが、目の前の光景に彼女は首を傾げた。
船着き場には、数人の死者がいた。
いや、死者がいる事自体は、本来なら不思議でも何でもない。
問題は、その死者達はここ場で長い時間、放置されている様に見えることだ。通常ならば死者は船頭に誘導され、船に乗せられて彼岸へと渡される。
しかし、それらの死者は船着き場からは少し離れたところにいた。船がまだあるにも拘わらずだ。そんな状態で船に乗せられないなどという事は、普通なら有り得ない。
四季映姫は眉をひそめた。
死者の顔付き……正確には魂の色や質を見る限り、どの死者も真っ当な生き方をしたようには見えない。法廷で精査はしなければならないだろうが、それをするまでもなく黒だと彼女は判断した。
こういう死者は、概して裁判にも時間が掛かる。量刑を決めるための判断材料の収集……人生やものの考え方など、色々と精査しなければならないからだ。
そのため、このような死者は出来る事なら時間に余裕を持って、速やかに送って貰いたい。今送った場合は、おそらく自分の担当ではなく、シフトで代わった別の閻魔が裁くことになると思うけれど。
四季映姫は首を傾げて、詰め所へと向かった。ひょっとして、全員出払っているのだろうか? そんな可能性も考えながら。
「こんにちは、ちょっといいかしら?」
船頭達は詰め所に残っていた。
そのことに四季映姫は安堵し、同時に疑問に思った。残っているというのなら、何故誰もあの死者達を渡さないのだろう?
その疑問が顔に出ていたのか、船頭達が少し表情を強ばらせた。あるいは元々、彼女らも問題だと思っていたのかも知れない。
「な、何でしょうか? あの、何かその……問題でも起きましたか?」
「いえ? そういう訳ではないですよ? ただ、ちょっと私の仕事が片付いたので、折角なのでこの機会にもう少しあなた達とコミュニケーションを取ろうかと思い、来たのです」
「あー、なんだ。そういう事でしたか。ええ、そういう事なら大歓迎ですよ」
どうぞどうぞと勧められて、四季映姫は詰め所の中へと入った。そして、テーブルの上に持ってきた菓子折を置いた。
死神の一人が、お湯を急須に注ぎ、お茶を淹れた。
「ところで、外に死者がまだ残っていたのですが……彼らは運ばなくてよいのですか?」
淹れられたお茶を四季映姫は受け取った。そして、何気ない口調で、四季映姫は死神達へと訊いた。
だが、その途端に彼女らの間に漂う空気が、より強ばったものへと変わった。
その態度に、四季映姫は目を細めた。やはり、死者を運ばなかった事は彼女らもやましさを感じていたのだろう。
罪の意識を感じていなければ、誰しもこのような態度は見せないものだ。
「あー、その……実はですね。その件については私達も対応を検討中なんです」
「検討中? ということは、問題があるということですね?」
四季映姫が聞き返すと、彼女らは頷いた。
「あのー、四季映姫様はあの死者達を見てどう思います? 白か黒かっていう意味で」
「詳しい罪状については、精査も済んでいないので何とも言えませんが、まず間違いなく黒でしょうね。それも、相当に罪の重い……ね。嘆かわしいことです」
四季映姫は大きく息を吐いて、お茶を啜った。
「それが何か?」
平静に、四季映姫は先を促した。
それに対し、船頭達は躊躇いがちに唇を震わせた。
「それがその……あの様な死者はですね? 渡すのに凄く時間が掛かるんですよ」
「私達だと、それこそどれだけ時間が掛かる事か」
「そうです、苦労の割には評価もされないし、体力は消耗するし……そもそも、それで本当に渡せるかどうかも難しいところだと思います」
「ええ、渡すとそれこそみんな仕事どころじゃなくなりそうですし」
一人が口を開くと、それに続いて口々に他の死神も問題を言ってきた。
しかし、四季映姫はそれを聞いて顔をしかめた。
「つまるところ、疲れるので誰もやりたくない。そういう事ですか?」
我ながら、少し険の篭もった口調だったと四季映姫は思う。
船頭達からの返答は、無かった。四季映姫はそれをつまり、肯定だと受け取った。少なくとも、完全に否定は出来ないのだろう。
「それじゃあ、今まではどうしていたの? 罪を背負った死者なんて、これまでもいたでしょう?」
「それは……まあ、だいたいは小町さんがやってくれていたので」
「ええ、私達も罪が軽めの死者だったら渡せますけど、あそこまでっていうのは……ちょっと自信が無いです」
「あんなの、小町さんじゃないと無事に渡せないって」
四季映姫はそれを聞いて、小さく溜息を吐いた。確かに、罪人は小町が連れてくる事が多い気はしていたが、ここまで彼女に頼っていたとは思わなかった。
「……ところであなた達、ああして放っておいた死者の魂がどうなるのか、分かっているの?」
「それは……まあ」
「ええ、そうよ。輪廻の輪の中にも戻る事も無く、やがては言葉も通じず無差別に周囲を祟るだけの悪霊となり果てる事でしょう。そうなってしまっては、それこそ河を渡して裁くどころか、滅せざるを得なくなります。それが顕界と冥界の魂の均衡を破る大きな問題となる事に繋がるというのも、分かっているわよね?」
船頭達は黙って頷いた。
「では、ここでこうして立ち止まっている事が本当によい事だと思っているのかしら?」
「いえ、しかしですね?」
「黙りなさい」
有無を言わさず、怒鳴りもせず、静かに四季映姫は反論を封じた。
「どうやら、問題があったのは小町だけだったわけではなさそうですね。あなた達は……そう、少し自分に甘過ぎる」
厳然と、四季映姫は船頭達に告げた。
「仕事は、ときには割に合わないと感じる状況もあるでしょう。しかし、使命や職務というのはそれが果たされなければ、それが多大な損害を生むものなのです。故に、果たすべきものから逃げるのは罪なのです。そして、仕事はただ漫然と同じ事を繰り返していればよいものではありません。経験を積み、新たな仕事を出来るように己を磨き続けていかなければなりません」
項垂れる船頭達を四季映姫は見渡した。
「きちんと、あの死者達を渡して職責を果たす事。それが、今のあなた達に出来る善行よ」
それだけ言って、彼女は席を立ち詰め所から出て行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
船頭達に罪人を渡すように告げてから丸二日が経った。
四季映姫は少々苛立っていた。
額に手を当て、指先でデスクの上をコツコツと突いて鳴らす。
いつまで経っても、あれから死者が送られてこない。
「いったい、何をしているんでしょうかね?」
あれほど言ったのにまたサボっているのかと、一度使いの者を出して様子を見させたが、此岸には死者は残っていなかったし、詰め所に残された報告書からも、出発はしていたとのことだ。そして、別のシフトの閻魔からも、彼らを裁いたという話は聞いていない。
と、不意にノックの音が響いた。
「入りなさい」
「はい、失礼します。死者が来ました。裁判の準備をお願いします」
「ようやく来ましたか」
その言葉に、四季映姫は嘆息した。その吐息には、随分時間が掛かったものだという呆れと、曲がりなりにも送り届けてくれていたという、安堵が含まれていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
判決は下った。人生の精査も行ったが、やはり黒だった。
「――そう、あなたはあまりにも強欲で心が貧しすぎる。己の人生をより楽しく豊かにするには、財産は必要でしょう。美味しいものを食べたい。趣味を楽しみたい。過ごしやすい場所に住みたい。それらは生きていれば当然の欲求であり、度が過ぎない限り、その実現へと努力する事で魂は磨かれ、世の中も豊かになっていく。しかし、あなたは違う」
四季映姫はもう一度、浄玻璃の鏡に映し出された光景を見た。
「楽しかったですか? 金銭を貯め込むだけ貯め込み、その財をろくに使う事も分け与える事も無く、孤独に過ごした人生は? あなたがどう思っていたのかはともかく、あなたが心の底で蔑んでいた、貧乏人と同じ暮らしぶりですよ?」
その言葉に、死者は四季映姫を睨み返してきた。法廷では声は奪われる。抗弁は出来ない。だが、自分のどこが貧乏人と同じなのだと、馬鹿にするなとその視線は雄弁に訴えてきた。
「いえ、尚のこと悪い。衣食足りて礼節を知るという言葉があるように、財産を持たずに心の余裕を作る事は難しい。それでも、あなたが蔑んできた人達は、貧しければ貧しいなりに、出来る限りの心の余裕は作ろうとしていました。それにひきかえ、あなたはどれだけ富を持とうとも心に余裕を作ろうとはしませんでした。むしろ、より強欲になりましたね」
そこまで言っても、死者に反省の色は見られない。この場に来てまだそのような態度を取れるとは、相当に拗くれてしまったらしい。
「あなたは、地獄行きです。様子見として、いきなり餓鬼道に落としはしませんが自分のしてきた行い、人生を深く反省しなさい。豊かな人生とは、使い切れない財産を持つ事でも、ましてや使わない財産を貯め込む事でもありません。お金は、そこにあるだけでは価値が無いのです。使う事で価値が生まれるのです。自分の為、そして他人の為にお金を使い、そうして得られる喜びを学びなさい」
そして、四季映姫は傍に控えていた獄卒に「連れて行きなさい」と命じた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから、何人かの死者に裁きを下した。数日前に見た死者はみんな、地獄行きだった。
執務室で書類を作成しながら、四季映姫は大きく溜息を吐いた。とても、不機嫌だった。仕事故に避けては通れない話だが、やはり罪の深い魂を見るのは、気持ちのよいものではない。
それだけならまだしも、裁いた死者達はその誰もがまるで反省の色が無かった。聞く耳を持っていない。それがまた、四季映姫の神経を逆撫でた。
いつもならそう、今日のような……金を貯め込むだけで人生を過ごした者、他人に感謝せず、己の欲望を満たしてくれない事を恨み続けた者、働きもせず一生を部屋に閉じこもって生きた者……そんな者達よりも、もっと罪の深い者達でさえ、多少の反省の色は見せていた。
地獄とは死者をただ苛めるために存在しているのではない。確かに、生者には苛烈な責め苦を与え続ける場所だと脅かしてはいるが、そうではないのだ。あくまでも、来世をよりよいものにするための、反省の場所と時間であり、魂の再教育をする場所なのだ。
しかし、彼らのあの様子では、地獄で過ごす時間も長いものになってしまいそうだ。
四季映姫は柱に架かっている時計を見上げた。定時はとっくに過ぎている。そして、この様子では残業もまだまだ終わりそうにない。それがまた、煩わしい。
四季映姫はイライラを抑えながら、再び書類作成に集中する事にした。罪の深い死者が増えるという事は、こういう面倒な書類仕事も増えるという事だ。もっとも、こんな職に就いた以上は、覚悟もしていたが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
不意に、肩を叩かれた。
がばりと、四季映姫は顔を上げる。ぼやけた視界の先には、一人の人影。
「……お疲れ様だね」
「あぅ」
苦笑を浮かべる人影に、四季映姫は呻いた。
「水鬼鬼神長っ!? ね、寝てました? 私?」
「そりゃもう、ぐっすりとね。起こすのが悪いと思ったくらい」
それを聞いて、四季映姫は真っ赤に顔を染めた。柱時計を見ると、始業時間はとっくに過ぎていて、もう昼前だったりする。
「いやその。すいません……お恥ずかしいところを見せてしまいましたね。昨晩は徹夜で作業していて、終わったのが明け方で、仕事が始まるまでちょっと寝ようと思ったんです」
「なるほど、それでぐっすりとこんな時間まで寝ちゃったのか」
くすくすと水鬼鬼神長が笑い声を漏らすのを聞いて、四季映姫は俯いた。恥ずかしくて目を合わせられない。
「まあ、昨晩が大変だったんだろうというのも、想像は付くけどね? 立て続けに、罪人が送り込まれて、しかもそれを全部担当したというんだから」
「……ええ、まあ」
その疲労を思い出し、四季映姫は大きく息を吐いた。
「それで? 私に何の用ですか? こんなところに、わざわざ地獄から来るとは、珍しいですね?」
「四季映姫が居眠りするほどには、珍しくないと思うけどね? まあ、それはともかく。昨日送り込まれてきた死者について、ちょっと愚痴を言いに来た。お疲れ様なのは分かっているから、真剣に苦情を言いに来たつもりは無いけれど」
「昨日の死者? 彼らが、何かしたんですか?」
水鬼鬼神長は首肯した。
「具体的に何かしたってほどじゃないけれど、態度が悪すぎる。暴れようったって鬼に適うわけが無いから、まあそういうのは問題っていうほど問題でもないけど……ふて腐れて、言う事を全然聞こうとしなくて、扱いが面倒くさくてありゃしない。それに、渡しにも時間が掛かっていたのか、弱り気味だし下手に扱ったら消滅させてしまいそうだし……。どいつもこいつも、裁判がおかしいだのふざけるなだの……そりゃあ、昔からそういう連中もいたよ? でも、沙汰の結果に全く納得しないなんてねえ? そこをある程度は納得させるのも、裁判官の仕事だろう? いったい、四季映姫は裁判で何をやっていたんだと、そう思ったのさ」
「あ……そうですか。そんな事になっていたんですね? すみません、私も重々言い聞かせたつもりだったんですが、力及ばなかったようです。迷惑を掛けてしまっているようですね、すみません」
四季映姫は頭を下げた。
「ああいや、そこまで畏まらなくてもいいよ。さっきも言ったけど、ただの愚痴だからね? それに、さっきは沙汰を納得させるのは裁判官の仕事だって言ったけど、別に規則で定められているわけでもないんだしさ? それを言ったら、私らだって彼らにそういうのを叩き込んで理解させるのが仕事な訳だし」
水鬼鬼神長は頭を掻いて、笑った。
「ただまあ、そんなわけだからさ。もうちょっと、何とかしてくれると有り難い」
「分かりました。努力します。本当に、すみませんでしたね」
再び四季映姫が頭を下げると、「分かってくれればいいよ。邪魔して悪かった」と水鬼鬼神長は片手を上げて踵を返した。
部屋の外に水鬼鬼神長が出て行くのを見送って、四季映姫は大きく溜息を吐いた。
と、唐突にデスクの上の電話が鳴った。
今度は誰だと思いながら、四季映姫は受話器に手を伸ばした。
「はい、四季映姫です。……ああ、あなたですか。どうかしましたか?」
内線電話を架けてきたのは、総務部の死神の一人だ。
『はい、えーとですね。今日の船頭の出欠状況について、一応お伝えした方がいいかなと思いまして』
「出欠? どういうことです?」
“はい、今日はその……全員が有給を申請してきまして……。誰も、死者を渡す人がいないんです。これ……大丈夫でしょうか?”
その報告に、四季映姫は目を丸くした。
「はいっ!? え? ……全員、休み?」
『はい。全員、お休みです。何でも、過労で体が動かないそうです。出来れば、数日休ませて欲しいと、言ってました』
「そんな? ええ? ええええええ?」
彼女は絶句し、頭を抱えた。
『あの? 四季映姫様?』
「あ……すみません。そう……ですね。いえ、分かりました。では、今日の所はゆっくり休むように、船頭達に伝えて下さい。ただ、明日はフルで働かなくてもいいので、体が少しでも動くようなら、今の状況も伝えて……その、出るように頼んで下さい。体調が戻るまでは、ペースは落としてもいいので、でも少しずつでも死者を運んで貰いましょう」
『分かりました。では、そのように伝えます』
「はい、よろしくお願いします」
四季映姫は、受話器を置いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日、四季映姫は此岸へと赴いた。
「あれ? 四季映姫様?」
「おはようございます」
詰め所に入ると、船頭が出勤するよりも早い時間に、閻魔がにいるのだ、面食らうのも無理は無い。そう彼女は思った。
「すみません、別に驚かせようと思ったつもりではないのです。私は私で、こちらで仕事がありますし」
「仕事……ですか?」
「はい、これからしばらくの間、あなた達の体調が戻るまで死者を渡すペースが落ちます。つまり、死者を待たせてしまう時間が長くなってしまうわけです。それでは魂が消耗してしまいますからね。ですから、少しでもその消耗を和らげるために鎮めるというか宥めるというか……そんな訳です。滅多に無いことですけどね、これも閻魔の仕事なのですよ」
「はあ、具体的には?」
「私直々に、有り難いお話を聞かせてあげるんです」
そう答えると、船頭は顔をしかめた。
「あのぉ……それ、失礼ですが逆効果になってしまうんじゃ?」
「いえ、心配しないで下さい。流石に、小町にするような厳しい話し方はしませんよ? これでも閻魔の端くれ、ちゃんと諭すことを心掛けますから」
もの凄く不安そうな表情を浮かべる船頭に、四季映姫は曖昧に笑みを浮かべた。不安を伝えるその口調は若干鋭くて「頼むから、余計なことをしてくれるな」という思いが込められているような気がした。
「というか、そういうのって閻魔様もやるんですね?」
「それは、どういう意味ですか?」
「ああ、小町先輩がよく渡し待ちの死者とお喋りしているんですよ。何だか、それに似ているなって」
「小町が? ……そう、なのですか」
「まあ、先輩のはただの暇潰しだと思いますけどね」
そう言って、船頭は肩をすくめた。
「それと、あなた達に謝りに来ました」
船頭からの返事は無い。しかし、四季映姫は彼女に頭を下げた。
「私が、あなた達の苦労も知らずに、無理をさせてしまいました。本当に、すみませんでした。あなただけではなく、後日に他のみんなにも伝えますが」
「いえ……結局はどういう形にしろ渡さなければいけなかったわけですから」
抑揚の乏しいその口調に、四季映姫は胸が締め付けられた。やはり、こんな一言だけでは、すぐには許しては貰えないということだろう。無理も無いことだと、思うけれど。
四季映姫は顔を上げた。
「体の調子は、どうですか?」
「やっぱり、よくはありませんね。丸二日、ろくに休みも無く船の上で働きっぱなしで、魂を消滅させないように気を配って……神経も体力も限界でしたから」
結局、今日は出勤出来そうなのは目の前の彼女だけだと聞いている。
「そうですか。既に聞いていると思いますが、今日は早めに上がって頂いて結構です」
「ええ、そうさせて貰います」
「それと、それでもこうして死者を運んでくれること、有り難うございます。よろしく頼みます」
「まあ、これが……仕事ですから。では、私はこれで……死者を運びに行ってきます」
踵を返す船頭を見送って、四季映姫は天井を見上げ、小さく息を吐いた。
船頭は「これが仕事だから」と言った。彼女も彼女なりに、仕事に対する責任というものは、あったのだ。
「あの日、どうして私はそんな事に考えが至らなかったんでしょうね?」
口に出して自問するが、その答えは、見付からない。少なくとも、それを探す時間は今じゃない。今は、仕事をする時間だ。
彼女は頭を振って、詰め所を出て死者へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからというもの、仕事はハードなものとなった。
船頭達には健康状態には気を遣って貰いながらも、病み上がりの状態では、やはり渡しのペースは落ちた。
三途の川は渡る者によってその距離を変える。四季映姫は……閻魔であるが故に、死者のように川を越えるのに長い時間は必要としない。
しかし、裁判と死者の鎮魂の二つを同時にやらなければならないため、忙しいことこの上ない。
その上、此岸に取り残されている死者は徐々にだが増えている。渡しのペースを落とすのは、問題の先送りにしかなっていない。どこかで死者の数が減れば落ち着くのだが、その兆しはなかなか見えない。神経が削られる思いだ。
自分の軽率さが招いた事と思えば、誰にも恨み言は言えない。しかし、だからこそやるせない思いは自分の中に溜まっていく。
書類の山に向かいながら、四季映姫は溜息を吐いた。
そんな折、不意に部屋の扉が開いた。姿を現したのは、書記の一人だ。
「失礼します。四季映姫様に来客です」
「来客? アポも無しにですか? まったく、非常識ですね。いったい誰ですか?」
この忙しいときに、と吐き捨てるように四季映姫は訊いた。
「はい、閻魔長様です」
その返答に、四季映姫は咳き込んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
恐る恐る……肩を小さくしながら、四季映姫は応接室へと入った。
来客用の席には、長髪で細身の閻魔が座っていた。今はにこやかに笑っているが、しかし怒るととんでもなく恐い。昔、彼女の下で修行していたため、そのことはよく覚えている。
「し、失礼します」
「久しぶりですね。四季映姫。ちょっと近くまで来たので、顔を見たくなりました」
「いえそんな、とんでもない。わざわざ、有り難うございます」
一礼し、四季映姫は席に着いた。
「それで、さっきあなたの部下と世間話をしたのですが、最近忙しいらしいですね? 大丈夫なのですか?」
「ええ……まあ、なんとかやっています」
あははは、と四季映姫は乾いた笑みを漏らした。
「そう? それならまあ、いいですけれど……。あと、それとですね? あなたの様子をちょっと見たくなったというのも本当ですけれど、それはそれとして話したい事もあったんです」
「は、はぁ……何でしょうか?」
四季映姫は、ごくりと唾を飲んだ。
“ええ、先日にあなたが派遣してくれた船頭の事なんですけれどね?”
その言葉を聞いた途端、四季映姫の心臓に鋭い痛みが突き刺さった。びくりと体が震える。
「こ、こここ……小町が何かやらかしましたか? すみません、すみません。帰ったら私からもキツく叱っておきますから、どうか――」
「あら? あなたは何を言っているのです?」
慌てて四季映姫は頭を下げようとしたが、閻魔長はそれを手で制してきた。
「……え? 違うのですか?」
「全然違いますよ? むしろ全くの逆です。小町といいましたね? あの娘、大したものですよ? それはもう、火が噴いて大変な状況だったのを船頭の技量と死者の罪を比較して上手く分担してくれたんですよ? そして、自分は誰もが手をこまねくような罪人をスムーズに渡してくれるんです。おかげで、混乱していた状況が大分落ち着いてきました。いい船頭を寄越してくれて有り難いと、感謝しに来たのですよ?」
「…………え? 小町が?」
閻魔長の言葉に、四季映姫はぽかんと口を開いた。何が何やら、訳が分からない。
だが、一つ分かる事はある。どういうことかはともかく、小町はかなり役に立っているらしい。そして、そうとなれば取るべき態度も一つだ。
「そ、そそそ……そうでしょう。いや~、小町は優秀ですからね。私も送った甲斐があったというものですよ。はっはっはっはっ!」
いや、心配事が一つ片付いてよかったよかったと、四季映姫は胸を撫で下ろし朗らかに笑った。
「……は?」
しかし、それも長くは続かなかった。笑いが止まる。
突如として気付く。目の前で閻魔長が睨んできていた。それも、全身から凄まじいほどに怒りのオーラを吹き出している。
「あの……何か?」
四季映姫の額に、冷や汗が浮かんだ。
「四季映姫? あなた……嘘を吐いていますね?」
四季映姫の顔が強ばる。
「なな、何のこと――」
“閻魔に嘘が通じますかっ! この閻魔eyeはすべてをまるっとお見通しです。この馬鹿者がっ!!”
「ごめんなさいいいいいいぃぃぃぃぃ~~~~っ!」
部屋が揺れるような一喝を浴びて、四季映姫は即座に頭を下げた。
「まったく、あなたという娘は……よりにもよって、閻魔の身でありながら嘘を吐こうとは何事ですかっ! 恥を知りなさいっ!」
「すみませんでした。反省します」
とほほほ、と四季映姫は涙を流した。我ながら、情けなさ過ぎる。
閻魔長も、大きく溜息を吐いてきた。
「では、どういうつもりであの娘を派遣したのですか? どうも、さっきの態度からすると、そこに何か隠しているようでしたけれど?」
「あれ? とすると、小町が役に立っているというのは、本当なのですか?」
「当たり前です。私はあなたのような嘘は吐きません」
「で、ですよねー? 失礼しました」
作り笑いを浮かべ、四季映姫は頭を掻いた。
そして、小さく息を吐いて気持ちを落ち着ける。
「はい……あの、実はですね。小町を派遣したのは、優秀だと思ったからではないんです。いえ、経験豊かな船頭だと思って派遣したのは本当です。ですがその……本当は、彼女への罰として派遣したつもりでした」
「というと?」
「派遣先ではどうだったのかは分かりませんが……彼女、幻想郷ではサボってばかりでしてね? それで、忙しい場所に送ってあげれば、そんな就業態度も直してくれるんじゃないかって、そう思ったんです。真面目に働いてさえくれれば、その実力は申し分ないと思いますし」
「なるほど。それで、彼女が真面目に働いていると聞いて驚いたわけね。まあ、安心もしたようですけれど?」
「ええ、そういう訳です」
四季映姫は頭を垂れ、溜息を吐いた。ついでに「それなら、ここでも真面目に働いてくれればいいじゃないの」と呟く。
「ねえ、四季映姫?」
「あ、はい? 何でしょうか?」
四季映姫は顔を上げた。
「つかぬ事を聞きますが、ひょっとして、忙しくなったというのは彼女を派遣してからになるのではないですか?」
「え? ええ、そうですが……?」
そう答えると、閻魔長はふむふむと頷いた。
「では彼女を派遣したときは、こんなにも忙しくなると、思わなかったのではないですか?」
「はい、その通りです。日頃、サボってばかりの船頭が一人抜けたところで、さして変わりは無いだろうと思っていました」
「そうでしょうね」
頷く閻魔長に、四季映姫は首を傾げた。
「あの、それが何か?」
“四季映姫。あなたは……そう、少しものの見方が一方的すぎる”
その言葉に、四季映姫は絶句した。
「いえ、そうショックを受けなくてもいいですよ? あなたは、閻魔として死者を裁くには、十分な見識と視野の広さ、そして優しさは持っています。だからこそ、あなたは浄玻璃の鑑と悔悟の棒を持つことを許されているのです。別に間違った事をしているわけでもないですよ」
「で、ですが……」
「ひょっとして、彼女がいなくなったら、罪人の態度が途端に悪くなったとか、死者を渡す仕事が上手く回らなくなったとかいうことはありませんか?」
「何故、それを?」
驚いて四季映姫は身を乗り出した。
それに対し、閻魔長は苦笑を浮かべた。
「やはりそうですか。いえ、私にも覚えがあるのです。昔、部下にそういう死神がいましてね? 当時はとんでもない役立たずだと思っていたのですが、そのうち別の地方に転属してしまって……それから何年かは難儀しました。どういうことだったのか理解するのに、随分と時間が掛かってしまったのですが」
閻魔長から、懐かしむ声が聞こえた。
「どういうことですか? 私には、さっぱり分からないのですが」
「そうですね。どこから話したものでしょう。そう、一言で言えば……小町という死神はですね? 私も彼女のことを詳しく知っているわけではないし、本人も無自覚なのでしょうけれど……サボっているように見えて、いえ、多分サボって遊びながらお説教をしに行っているんでしょうね。この幻想郷では」
「そう、なのですか?」
「ええ、それも我々閻魔がするような堅苦しい話し方ではなく、もっと気さくに話しているのでしょう。これも推測ですけれど、彼女は渡しの順番待ちをしている死者ともよくお話をしているのではないかしら?」
「そんなことまでお分かりなのですか? はい、その通りです。私は、つい最近になってそのことを知りました」
流石は閻魔長だと、四季映姫は感嘆の声を上げる。
「ところで四季映姫? あなたは最近、此岸に行って死者を宥めてもいるようですが、上手くいっているのですか?」
四季映姫は呻いた。「勿論です」と言いたいが、そうとは言い切れない。問題は感じている。そして、それを自覚しながらもそう言ってしまうとまた雷が落ちることになる。
「いえ、なかなかどうも……。ほとんどの死者はちゃんと分かってくれるんですけれど……地獄行きにするほど酷くはないにしても、ちょっと捻くれた死者だとなかなか素直に話を聞いてくれなくて」
「あらあら、それは大変ね」
四季映姫は肩を落とした。
そんな彼女を見て、閻魔長はくすくすと笑った。
「閻魔として、不甲斐ない限りです。本当は、そういう者達にも……いえ、そういう者達こそ救いの手を差し伸べたいのですが」
「そうね。そして……そう、さっきの話に戻りますよ? 彼女のお説教がきさくという話ですが……。その……上手い喩えではないかも知れませんが、不良にお説教するのにも、真面目でいい子ちゃんなクラス委員長が言っても反発してしまうけれど、サボりもやってしまうような者が彼らと一緒に打ち解けてから、ちょっと真面目な話をすると、受け入れてしまうというか……罪人にしてみれば、そんな心理なのかも知れませんよ? 逆に、真面目な者は彼女には反発したり、逆にお説教したりするかも知れませんけれど」
「そうですか。……だから、小町が渡してくれた死者は、罪人でも法廷では私の話を聞いてくれたの……かも知れませんね」
四季映姫は小さく笑みを浮かべた。
「実際、小町がいなくなってから、渡される罪人の態度が悪くなりました。小町は、お喋り好きで……しかも罪人のような死者との話を聞くのが楽しいという性格で……そういうのが、彼らの態度を軟化させていたのかも知れませんね。それで、彼らも少しだけ反省して……その分、河の距離も少し短くなって、それほど疲弊せずに河を渡る事が出来たのでしょう」
「多くの罪人は、寂しいのですよ。ある意味では自業自得なのかも知れませんが、理解されず、繋がりも持てず、認められず……話を聞いてくれるというだけでも、救いになるものなのです」
四季映姫は頷いた。
その話は、修業時代にも何度も聞いた。忘れていたわけではないが、少し認識が薄れていたのかも知れない。
「私は本当に馬鹿ですね。小町はこんな私を黙って……ずっと、知らないところで助けてくれていたというのに、そんなことにも気付かなかったなんて。本当……帰ってきたら、どんな風に接したらいいんでしょう?」
「ふふ、そんなにも気に病むものではありませんよ。四季映姫? 確かに、サボってばかりというのは、それが彼女なりのリフレッシュなのでしょうね。それと、やった事が無いから分からないですが、やはり罪人を渡すというのは、相当に難しい仕事のようですから、そのためにも、適度に休息を取って備えているのでしょう。ですが、本人はおそらく、そこまで深く考えてはいないでしょう」
「どういうことですか?」
首を傾げる四季映姫に、閻魔長は笑みを浮かべた。
「別に、遠慮せずこれからも今まで通り彼女に接してあげればよいということです。長年、これまで通りで上手くいっていたのなら、無闇に弄らない方がいいことが多いのです。マネジメントの基本らしいですよ?」
「そ、そうなのですか?」
ええ、と閻魔長は頷いた。
「ですが、だが、それでも気になるというのなら、もう少しあの娘の事を理解するように努力してあげればよいのではないですか? あと、帰ってきたら労ってあげればいいのです。彼女のおかげで、もうしばらくしたら返してあげられそうですから」
「そうですね。有り難うございます。是非、そうする事にします」
「いいこと四季映姫? 現場の内情というものをよく理解すること、それが今のあなたに出来る善行よ」
四季映姫は頷いた。
何だか、仕事で塞いでいた気分が晴れた気がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小町を派遣して約一ヶ月。彼女は派遣先から帰ってきた。
流石に、一ヶ月間の働き詰めは少し堪えたらしい。久しぶりに会った彼女もくたびれたように見えた。それでも、「くぅー、疲れましたー」とか笑顔で言えるあたり、まだ余力を残していそうな気もしたが。
机の前に立って、帰還の挨拶に来た小町を見ながら、四季映姫も笑顔を浮かべた。
「本当にご苦労様でした、小町。どうやらサボりもせず頑張っていたようですね。閻魔長様も、あなたの事を褒めていましたよ」
「いやー、なんのなんの。あたいとしては、さっさと仕事を片付けて楽したいだけなんですけどねー。いやもう、でも忙しいの何のって、サボる暇なんて本当にありゃしませんでしたよ。早く帰って、お酒でも飲んで寝てしまいたいです」
そう言って、小町は笑った。
「しかし、四季映姫様? あたいがいない間、どうやら幻想郷も大変だったみたいですね。ここに来る前、詰め所に顔を出したら、みんな疲れた顔してて……いやまあ、いきさつは聞きましたけど。あそこまであたいの帰りが歓迎されるなんて、思いもしませんでした」
「ええ、本当に大変だったんです。そして、彼女らにも悪い事しました。改めて、謝りに行かないといけないですね」
「そうですね。その方がいいと、あたいも思います。でも、そこまで気に病まなくてもいいかも知れませんよ?」
「え? どういうことですか?」
小町の言葉に、四季映姫は首を傾げた。
「いやね? あたいも、驚いたんですよ。彼女らが、あんな罪人を一人で渡す事が出来るなんてね? いやー、本当はもっと経験を積んでからって思っていたんですが、成長していたんですねえ。それで、本当に疲れたけど、どうやら自信にもなっているようでしてね? 『四季映姫様の言うとおり、自分達を甘やかしすぎていたかなあ』とか、そんな風にも言っていたくらいですし。そんな感じでもう、自慢されましたよ。可愛い子には旅をさせよなんて言いますが、あれは本当ですねえ」
「そうですか、彼女らがそんなことを……」
「ええ、なかなか映姫様に面と向かっては言わないでしょうけどね」
「いえ、構いません。分かってくれたのなら、それで……ええ」
四季映姫は頷いて、浮かびそうになった涙を拭った。
船頭達が分かってくれたという事も、そんな事を小町がこうして教えてくれるという事も、そうして自分が支えられているという事も、そんな繋がりを改めて意識して、四季映姫は嬉しく思った。
そして、小町のいない時間で、多くの事を学んだと四季映姫は改めてそう思ったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
小町が帰ってきて、数ヶ月が過ぎた。
彼女がいないときにあったようなごたごたは影も形も無く消え去っていた。
そして四季映姫もまた船頭達と和解し、業務は滞りなく回っている。船頭達とだけではないが、コミュニケーションを取る機会は多くなった。
そして……此岸で、四季映姫は滝のような汗を流していた。
事の発端は数日前である。船頭達の様子を見たいとお偉いさん達が視察を希望してきたのだ。何でも、派遣先での小町の働きぶりが素晴らしかったらしく、その教育とかそういうものを参考にしたいらしい。
勿論、この話は小町達にも伝えた。あくまでも普段通りでいいが、決して失礼は無いようにと。
だが、今日当日。目の前に広がる光景。
四季映姫の横に並ぶお偉いさん達は……驚き、呆れ、怒り……表情は様々だが、ネガティブな表情しか浮かべていない。
幻想郷の評価は? 四季映姫の成績は? もう、言わずもがなである。
「こ、小町っ! これはどういうことなのっ!」
思わず、四季映姫は傍らに立つ小町に怒鳴った。
「えええぇっ!? 全部、映姫様が許可してくれたんじゃないですかっ!」
「うぐっ!? い、いや確かにそうですけれど……でも、だからといってですね?」
正直言って、視察に来たお偉いさんの反応を見るこのときになって、初めて四季映姫は我に返った。別に、ことさら職場の有り様を変えようというつもりも無かったのだけれど、変化がゆっくりであったために、気付かなかった。
そこまで小町を甘やかすつもりは無かったが、どうやら知らず知らずのうちに甘やかし過ぎていたらしい。
少し離れた詰め所から、扉が荒々しく閉められる音がした。
いつの間にか、中の様子を見に行っていたようだ。閻魔長がつかつかと近付いてくる。
「四季映姫? これはどういうことなのかしら?」
閻魔長は四季映姫の目の前で立ち止まり、睨んできた。ごくりと、四季映姫は唾を飲む。
「え、え~と、閻魔長? その……これはですね?」
「遊具が置いてありましたが?」
「囲碁や将棋ですよね? 休憩時間や待機時間を潰すのに、いいかなと思いまして」
「趣味や娯楽の指南書に小説は?」
「教養を広めることで、仕事に役立つだろうと思いました」
「漫画も?」
「中身によりますが、小説と同様、表現方法に貴賤は無いかと」
「ぬいぐるみやフィギュアにポスターまで……」
「職場の彩りと、癒やし効果が……」
「大量のお菓子」
「疲労回復にと」
「お酒」
「仕事の打ち上げ用と聞いています」
「枕、布団、パジャマ」
「効率的な、疲労回復を狙いました」
「ふ~ん、そうなのね?」
「は、……はい」
にっこりと笑みを浮かべる閻魔長を前に、四季映姫は引きつった笑顔を浮かべた。
「じゃあ、これは?」
閻魔長は手を振って周囲へと視線を移した。
ド派手にデコレーションされた渡し船。立ち並ぶ屋台。騒霊、妖獣、付喪神のライブコンサート。その他、諸々のアトラクション。
此岸はもはや、毎日がお祭り騒ぎの夢の王国と化していた。
「ええと……死者達の慰めになるかと思いました」
「そう。どうやら、嘘は吐いていないようね」
「はいっ! 私は、これが最善と思い、策を尽くしてきましたっ!」
「へえ? 彼岸の各担当者達の評判はどうなの?」
「こ、好評です。これまでと違って、職場が明るく楽しくなりましたし、死者達も陽気になってよいと聞いています」
“そう? ……どうやら、彼岸も相当緩んでいるようね”
自分の思う最善を尽くした結果だというアピールをすれば、ちょっとは心証も改善されるかと思ったが、やはりそんなことは無かったようだ。石頭だと思った。
あと「だからこんな予算も通ったのかも知れない」と今更ながらに四季映姫は思った。彼岸の各部署も、色々と感染していたのだろう。
「さて、取り敢えず四季映姫? 覚悟はいいわね?」
「え?」
そして、四季映姫が最後に見たのは、自分の顔面に猛スピードで振り下ろされる悔悟の棒であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからというもの、しばらくの間、幻想郷には『此岸壊滅』の見出しでばらまかれる新聞と、小町を追いかける四季映姫の姿がよく見られるようになった。
そして、小町を除いた船頭達は皆、その新聞を見て当時の恐怖を思い出す度「やっぱり、ああはなるまい」と心に誓うのであった。
―END―
>仕事をしたこのない人が書いたような作品でした。
むぅ、一応、職場での経験をネタにしたのですが……(苦笑)。
いえね? しょっちゅうタバコ休憩をしに行っては、別グループの人達から情報を仕入れて来てくれる人。メインの作業が終わったら、ドキュメントの整理や補助ツールを作ってくれる人とかいたのです。
でも、そういう人ってリーダーによっては「サボってばかりの人」とか「言われた事以外の事で時間を潰す人」みたいにマイナス評価だけされることもあるっていう光景を目にしたことがあるんですよ。
そして、そういう人達がイザいなくなると、「どうしてか仕事が大変なことになった」って頭を抱える(むしろ逆ギレする)リーダーも見てきたんです。
そういう話を書いたつもりだったのですが……う~ん、伝え切れなかったのか、エピソードの取捨選択が悪かったのか……精進します。
小町が、意識的にサボっているという雰囲気をもっと前面に書ければよかったのかなあ?
拙作をお読み頂き、有り難うございました。
あと、もしまた何かお読み頂けることがあれば、そのときは具体的にどこの部分でそう思ったのか分かるように言ってくれるとありがたいです。
小町が身銭の少ない罪人をむしろ渡して話し相手になる、という設定を巧みに取り入れているのもナイスだったと思います。
個人的にはテンポを意識すればもっと見栄えの好い物語になるかな、と。
何はともあれ楽しめました。
中盤以降はテンポも良くて楽しく読めました。ありがとうございます。
誤字報告を
ここ場で→この場で、ここで?
柱に架かった時計→掛かった?