東風谷早苗が幻想境に定住してから早数年が経過しようとしていた。いい加減にここでの生活も慣れ、人里の者達からは現人神と崇められる故に守谷神社への参拝客も滞ることを知らず、おまけに食に対しても困ることはなく、農作物の供物で神社の倉庫は常に満杯であった。
赤の他人が見てもなんら不自由のない日々。はたまた今日はというと、神奈子の教えを乞いに信者達が徒党を組み、神社内は満員御礼だ。順風満帆、そんな言葉が早苗の脳裏を過ぎる。人々を救済するという高尚な役目に着くことも厭わなかった彼女ではあるが、俗に云う現代っ子の彼女には、外の世界の高度な文明とは程遠い幻想境という世界に不満が全く無かった、というわけではなかった。
「──お昼ご飯の支度も済んだことだし、少し風にでも当たってくるかしら・・・・・・」
守谷神社では、面子が揃うまでは飯はお預けなのが仕来たりだ。諏訪子は既に首を長くして、会食はまだかまだかとぶつぶつ垂れている。とはいえ、神奈子の説法はもう少々時間がかかりそうだ。早苗は家事の気分転換に風で涼んでくることにした。
本堂と住居を結ぶ渡り廊下に佇むと、心地よい涼風が吹いていることに気が付く。彼女は手摺りに肘をかけやや前屈みになる。幼気な気持ちを尻目に、さわさわと風が耳元を通り抜ける。
──チョコレート、そういえば暫く食べていなかった。
彼女の脳裏にチョコレートの甘美な味が鮮明に再生される。砂糖とミルクがふんだんに使われた、それはそれは甘いミルクチョコレート。外の世界では飽きるほど食べることができたものだが、今となってはお目にかかるのは八雲紫が偶に持ちよる土産としてのモノぐらいだ。屹度今なら虫歯にも、太ることにさえも抵抗などないだろう。脳内で空想上のチョコレートに舌鼓みを打とうとするが、肝心の味を思い出せない。彼の味はもはや今は昔なのだ。大好きな洋菓子の味ももはや忘却の彼方という事実に彼女は辟易する。
何故、幻想境にはコンビニが無いのだろう。
「──やぁ、ご苦労。私が渡したその巫女装束、なかなか様になっているぞ?」
守谷神社の神との謁見。露出が多い巫女の衣装を羽織った彼女は幾分か表情に照れを見せた。そんな早苗の様子を知ってか知らずか八坂の神様は話を先に進める。
「ひとまず幻想境にようこそ、とでも云っておこうかな。私は八坂神奈子という。今日から君と私は一心同体、君の役目は人々、乃至は魑魅魍魎から信仰を集め現人神として君臨することだ。なに、気後れすることなど皆無だ、君の素質は私が十分に保証するさ」
早苗は神前であるというのに不思議と緊張は感じなかった。近隣の村人から八坂神奈子という神様の特徴は事前に伺ってはいたものの、目の前に鎮座し、泰然自若と巫女の役割を説明している彼女は二十代半ばの只の女性にしか見えない。
──早苗はそんなフランクな、姉御肌の神様に家族によく似た親近感を覚え始めていた。
「ん、なにやらボーッとしているが、慣れない環境に疲れでも感じたか?それとも、不安か何かかな」
早苗はハッと我に返る。八坂の神の有り難いお言葉の最中に呆けてしまった自分を心の中で自戒しつつ、真摯な態度で彼女に向き直る。
「いえ、一つ気になることがあって・・・・・・つい考え込むに至ってしまいました、申し訳御座いません」
予想外の早苗の真っ直ぐな言動にやや面食らった八坂神奈子は首を傾げる。
「んー、何にせよ憂いがあるってのは宜しくないなぁ・・・・・・。よし、申してみよ、じゃない、云ってみな」
そう云って神奈子はニッコリと微笑む。そんな彼女の笑みに早苗は言葉では表現することがままならないような、奇妙な愛おしい感覚を覚える。その微笑みには彼女に自分の総てを捧げ、如何なる苦楽でも共に生きて行けると早苗に思わせる数多の優しい感情が内包していた。
「あ、いえ、とても詰まらない、取るに足らない質問なのですが・・・・・・八坂神奈子様が私を召還した理由、目的が知りたいのです」
つい咄嗟にそれっぽい適当な事を返してしまった。やや焦る早苗を尻目に神奈子はウンと唸り、難しい顔をして首を傾げる。
「・・・・・・目的、ならさっき云った通りだ。君には巫女としての優れた素質がある、適任だから選んだ。理由・・・・・・は今は話せない。君の家系に由来する事なのだが、私と君を結びつけた理由、とでも呼ぶかな。これで満足かな?」
早苗はうんと頷く。どうやら新米巫女が思っている以上にヘヴィーな話だったのかもしれない。至らぬ質問に一抹の後悔を感じつつも、質問への返答に礼を云う。
「・・・・・・どうも、君は親切というか、根が生真面目なようだな。これか墓に入るまで生涯を共に歩むのだから楽にした方がいいぞ?それと、君は私を八坂神奈子様と呼んでいるが堅苦しくてかなわん。なんとかしてくれ」
「承知しました、訂正します、神奈子様」
やや呆れ顔になる神奈子。早苗は人間味溢れる彼女の感情の起伏と表情豊かさに更に共感した。やがて、神奈子は大きな欠伸をする。姿勢を崩す素振りをすると有り難いお話の締めくくりに入る。
「・・・・・・まぁ、良かろう。うん、話はこれで終わりだよ、今日は敬虔な信者達は来ないようだしもう休んでいいよ。あー、柄にもない蘊蓄垂れて肩凝った」
そう残して神奈子はゴロンと寝転がってしまった。熱心な信徒がこれを見たら何を思うだろうか。早苗はついついその行動に是非を問いかけようとするが、おそらく彼女はメリとハリの付け方が上手なのだろう、思いとどまった。
──そういえば、大事な事を一つ確認していなかった。早苗は先程より一層真剣な表情で神奈子に尋ねる。
「え、なに?神様でも時間外労働は勘弁なんだけどな・・・・・・まぁ、初日だしいっか。ほら、云ってみんしゃい」
神様はボリボリと背中を掻き、そっぽを向いたまま気怠い様子で答える。早苗はいうと、待ってましたと云わんばかりに満を持して云う。それは”彼女にとって”此処で生活していく上での死活問題だったのだ。
「コンビニは・・・・・・コンビニは幻想境にあるんですか!?」
「なにそれ」
「──よし、話を整理してみようか。・・・・・・若い娘特有の共通事項、それは甘いモノが大好き。それは君も例外ではない、ついでに私もだ。特にチョコレートとかいう洋菓子に目がない。だがだが、幻想境にはそれを入手できる”こんびに”とやらが無い。そして、君はチョコレートを諦めざるを得ない状況下にある。・・・・・・饅頭で我慢しろ」
実を云うと神奈子は困憊していた、先程まで快活に会話していたはずの守谷神社の将来を担う新米巫女が目の前で嗚咽を漏らし、泣き崩れているのだ。それもチョコレートとかいう菓子が食べられないというしょうも無い理由でだ。流石の神奈子もこれには面を食らった。
「うぅっ、ぐすっ・・・・・・ズルル。・・・・・・あの、神様ってチョコレートぐらい造作もなく生成出来るんじゃ」
「出来るか!無理難題押しつけるな!」
よもや崇高な神に菓子作りを軽々しく依頼するとはな・・・・・・不躾だ。礼儀正しい娘という印象は撤回すべきかもしれない。んー・・・・・・しかし、今時の年頃の娘は皆こうなのかもしれないな。いや、断じて私が年食ってるというわけではないぞ?
すると、早苗が何やらブツブツ呟いていることに気が付く。俯いた顔を覗くと目は真っ赤だが既に泣き止んでいるようだ。
「・・・・・・どうやら、チョコを自家栽培する必要があるようですね。その前に幻想境にカカオはあるのかしら・・・・・・?うーん、此処の土地や気候ではカカオ畑を耕すのに不向きでしょうし、前途多難になりそうです」
今度は真面目な顔で自問自答をしている早苗に神奈子は戸惑った。随分と切り替わりが早いというか何というか、やや支離滅裂な印象は拭えないが喜怒哀楽がハッキリしている娘のようだ。神奈子は認識を改める。それと同時に何やら彼女を捨て置け無い気持になった。特に理由ない気まぐれなのかもしれないが、それとこの感情は必ずしも一致するわけではなかった。
「・・・・・・是が非でもチョコレートを食いたいらしいな。そんなに食いたければ頼んでやってもいいぞ?外の世界に行ける奴にな」
早苗は覚醒したかのように、ハッと顔を上げる。先程の号泣は何処ぞの風といった面持ちで目を輝かせている。しかし、その交渉する相手の不確定要素は計り知れない、なにしろ居住地不明で気まぐれに姿を表しては周囲を度々混乱させるのだ。その結果、神奈子の本音は辛辣なものであり、彼女をいけ好かないのは至極当然であった。無論、そのような不安定な輩に交渉するなど以ての外だが、彼女の思考は不明瞭且つ、一途なとある感情に支配されていたのだ。初の対面であっても、神奈子と早苗のソレは断じて薄っぺらくはなかった。
「うん、だがな、其奴に会えるかどうかは私にも分からなくてな。・・・・・・何しろ、彼奴は気が向いた時にしか姿を表さない、おまけにいつもニヤニヤしていて気持ち悪いったらありゃしない・・・・・・ああ、そういえば博霊の巫女に肩入れしてたな」
「博霊の巫女?」
幻想境には強大な力を持っている紅白の巫女がいると耳に入っていたが、早苗はつい聞き返してしまった。力はあれど人々からの信仰が無い巫女と伝聞し、みくびったでいたのかちょうどその存在を失念してしまったのだ。神奈子は頷く。
「うむ、妖怪退治を生業としている巫女だが、恐るるに足りない。・・・・・・信仰を溜めるのだ、早苗よ。信仰を集めれば集めるほど我らの力もより強大なものとなる、盤石と化した守谷の前に太刀打ちできる勢力など世に在らず。博霊の巫女を打倒した暁にはあの憎たらしい妖怪も姿を表すやもしれぬ」
うむ?意図せず話の流れに良い風が吹いているな、と神奈子は恣意的な感情も捨てたものではないと思った。
これもこの新米巫女がもたらした僥倖か、見ればその顔は真剣な面構えでやる気に満ちあふれているではないか。それは東風谷早苗が吹かせた最初の奇跡の風だったのかもしれない。才能の発揮が垣間見得るその姿は、そこらに溢れかえる年頃の娘など遙かに凌駕する壮麗さを秘めていた。
「その暁には・・・・・・我らが、守谷が、世に泰平をもたらし、妖怪などに秩序を乱されない、安寧に包まれた世界を体現させる」
言霊が、彼女らの決心を、守谷の理想を頑強な宝石に磨き上げる。眉唾ではない感情と決意の奔流は、軌跡となって人々に伝播するのだ。奇跡の風を吹かせるのだ、と早苗は決心した。
「そうだ、我々の覇道の前には幾多もの敵が立ちふさがるだろう。だが決して吝かではない。守谷の力を誇示し、そこかしろに闊歩する愚か者を抑止する格好の機会となろう。・・・・・・あの八雲紫が我らに平伏す光景が目に浮かぶわ・・・・・・フッフッフッフ、フッハッハッハッハッハ!ハァーッハッハッハッハッぐえっ」
慣れないことをしたのか、高笑いの最中に神奈子は咽せる。
その傍ら、早苗は快感にも似た窮極を味わっていた。体内のアドレナリンが沸騰し、あらゆる脳内物質が駆けめぐる。そして、彼女の渇望は飽和することなくさらに高揚する。その日は近いと確信したからだ。幻想境中の信仰を我がものとし、博霊の巫女を打倒する日が、そして。
「幻想境に、コンビニを設立する日が到来するのだ、と・・・・・・ッ!──」
「──その日は来ましたか・・・・・・?」
女性は小声で早苗に尋ねた。彼女は早苗に用入りと不意に訪問してきたのだ。彼女特有の能力を使った不法侵入ではあるが。
「来ませんでした・・・・・・」
早苗はガックリと膝をつく。結局は総て、彼女のズレた理想でしかなかった。世界を武力を以て統治し、外の世界の文明を易々と輸入するなど、そうは問屋が卸されない所業なのだ。早苗たち、守谷一行は慟哭した。
──結局、早苗たちの一世一代の頑張り物語は博霊の巫女一行に体よく阻止されてしまった。此処では出過ぎた釘は打たれる、でしゃばり屋はそれこそ穴が穿つまで打たれて当然なのだ。それこそ月面のクレーター級にズタボロにされた八坂神奈子共々、早苗は調子に乗りすぎた末の行動だと反省した。
実の所こういった珍事は幻想境では珍しい光景ではない。新参者は度々場を弁えないもので、その度痛い目を見ることになる。この隔離された世界に一石を投じたいと奮闘した連中。何処ぞの高飛車吸血鬼や亡霊のような飄々とした連中が真摯に猛反したかどうかは定かではないが。
「まぁ、良かったじゃない。何だかんだで貴女のとこの神様も封印が解けて一人増えたし、懲らしめられた勉強代にはなったんじゃないかしら、ね?」
手痛い台詞が胸に突き刺さる。彼女特有の真を突いた言葉であり、反論する隙が見当たらない。早苗は苦笑する。
「えぇ、常識と道理の違いを学ぶことが出来ましたよ、こってりとね。・・・・・・それはそうと、今日は何かお土産があるんじゃないですか、紫さん」
八雲紫はにっこりと微笑む。邪な何かなど一切入り込む余地がないほどの、屈託のない笑顔。やがて、彼女は懐から一つの紙包みを取り出し、早苗に手渡す。袋から菓子を取り出すと早苗の顔は満面の笑みに包まれた。
「わぁ、新発売のキットモット!桜味ですって、とても美味しそうです!あ、あの、ここで食べちゃっていいですか!?神奈子様と諏訪子様に見つかると取られちゃいそうで・・・・・・」
外の世界ではありふれた代物。しかし、歓喜に満ち溢れる少女の姿がそこに在る。それを尻目に、まるで公園ではしゃぐ子供を見守る母親のように、八雲紫は優しく接する。
「勿論よ。毎度こんなに喜んでくれるなんてねぇ、八雲紫冥利に尽きるわぁ。霊夢はね、素直じゃないし甲斐性も無いからね、今一張り合いがないのよ」
八坂神奈子は紫という人物を酷評していたが、実際に会ってみると印象はそれと大分異なったものだった。早苗という、何事にも一生懸命な性格と波長が合う部分があったのか、はたまた気さくな人間に対しては誰にでもこうなのか、かつて武力行使もやむなくしようとした自分が愚かだったとさえ早苗は思った。紫と意気投合いして以来、定期的にチョコレートを持ち寄ってくれるようになったわけだ。
早苗はキットモットの包装を剥がし、遠慮なくそれにかぶりつく。途端、チョコ特有のほのかな甘みと桜味が口一杯に充満した。唾液にない交ぜになった高い糖度が口内を刺激する。その甘みは究極にして、快楽の総てでもあった。
──美味しい。単純かつ明快な思考が頭を過ぎる。早苗は思わず二つ目を頬張る。彼女はそれを食べ終えると口の端がチョコで汚れていることに気づき、はしたないと思いつつも手の甲で拭う。端から見ればお下品にも見えるのだろうが、八雲紫の笑顔は曇らない。
そんな時だった。やたらけたたましい声が早苗たちの耳朶を打つ。
「早苗ーーッ!?ゴなんちゃら!漆黒のゴなんとかが箪笥の裏から出た!メーデーメーデー!助けてーーッ!」
居間からの叫び。諏訪子の甲高い叫び声が静寂を切り裂くと同時に、出し抜けな救援要請に早苗はたじろぐ。神格の諏訪子でさえ手こずる敵の風貌を想起すると身震いする。
「あらあら、不甲斐ない神様ねぇ。私ならスキマにちょろっと落っことしてお仕舞いなのにね。あ、蛙にでも食べさせればいいのにね?ケロケロ」
一体全体どこまでが本気なのか。紫の猫なで声を尻目に、早苗は居間から目を逸らす。件の漆黒の昆虫のお相手は早苗とて御免仕る。
「早苗ーーーッ!!!早く来てーーーッ!!こいつお膳に上がりだした!あぁ、飯テロよ飯テロ!私たちの昼飯がゴキちゃんに汚染されるわよ!」
瞬間、早苗の姿が消失した。陸上選手顔負けの脚力で居間に向けて走り去った彼女、ただ廊下に鎮座するは八雲紫。沈黙とポツンと佇む紫の存在が場のシュールさを引き立てた。
「放置は良くないわね~。良くない。放置プレイは宜しくないぞ~」
云いつつ、人間という存在のの人間らしさに愛嬌を感じる。寿命がけっして長くない彼女らはおのおのの感情が希薄になることが稀だ。八雲紫という妖怪からの視点ではあるが、刹那的な一生を送る人間は寛容であり、惰弱であるからこそ、日々の糧を享受するために、毎日に必死になれる。長い齢を生きる幻想境の魑魅魍魎は否応なく心が腐り果てるものだ。いや、変化することを知らないこの世界の怠惰な日々が彼らを呆けさせ、堕落させる。実際、紫も睡眠を取るのみが趣味と化した堕落に満ちた日々を送っている。彼女本人がそれを自覚してこその考察だ。
とはいえ、彼女が想うソレは小動物を愛でるとは全くもって別物の類だ。やがて騒動も丸く収まったようで、如何ともし難い静寂が紫に帰宅を促す。
「──お邪魔虫な私も慎ましく帰路につこうかしら・・・・・・。去る者は日々に疎しってね」
ふと、自らが招かれざる異邦人であったことに気が付く。悪気は無いものの、スキマを利用した侵入は玉に瑕にもなる。そこの家主が厳格な人物ならば尚更の事だ。別段、八坂神奈子が厳粛な人物であるとは云わないが。
──そういえば、守谷神社は随分と心地よい風が吹いているものだな、と紫の機知が働く。髪を忙しなく揺らし、木の葉を揺さぶるほどの風であるのに不思議と落ち着きを感じるものだ。その安らぎは紫に幾ばくかの逡巡を与えた。
「・・・・・・うん。私もご飯にお邪魔させてもらいましょう。三人分も四人分もそう変わらないわよね・・・・・・?たらふく食わせてもらいやがりましょう」
そう云いつつ渡り廊下から居間へと足を運ぼうとする矢先、本堂側から何者かが視線を向けていることに気づく。
振り返るとそこには八坂神奈子の姿が在った。どこか神妙な顔つきをしているようだが、紫の不法侵入に対して怒りを覚えているわけではなさそうだ。やがて視線が交わると神奈子の表情が真顔から気の抜けた表情に一変する。
「なんだ、やっとこ気が付いたのか。おかしいな、早苗がいた時からお前さんを睨んでいたはずなんだがなぁ、どうやら私は空気らしい」
神奈子のすっとぼけた台詞に紫は微笑み返すと同時に察する。チョコレートだ。
「あら、御機嫌よう。気が付かなかったのは謝るけれども、貴女が柱の陰でこっそりしてるんだもの。早苗がチョコを食べて喜んでる姿が見たかったのね?・・・・・・意外と照れ屋さん?」
「・・・・・・ッ、誰が照れてるッ。私はただ水を差したくなかっただけだッ、その、早苗の至福の一時をな!・・・・・・それはそうと」
「・・・・・・それはそうと?」
「土産の礼だ。客の労を無碍にするには徳がないからな。つまるところ、飯を一緒したいなら早く行くぞと云うのだ。ツベコベ云わず来いホイ!」
そう云うと神奈子は紫の手を取り、強引に連れて行く。紫は強く握られる手に温もりを感じる。神奈子の柄にもない態度に少々戸惑いつつも、紫は大人しく従う。前途洋々なのか呉越同舟なのか判断しかねる状況ではある。
「あ、待って。一つ訂正しておきたい事があるにー」
「なんだ、いきなり猫なで声を出して。早くしないと諏訪子がお冠なのだ」
神奈子が歩みを止めると紫の表情が真剣なものへと変貌する。そして一瞬の間。
「私、さっきツベコベ云ってなかったわよ」
──八坂神奈子の八雲紫への見解が、分けの分からないいけ好かない奴から、唯の分けの分からない奴に変転した瞬間であった。
赤の他人が見てもなんら不自由のない日々。はたまた今日はというと、神奈子の教えを乞いに信者達が徒党を組み、神社内は満員御礼だ。順風満帆、そんな言葉が早苗の脳裏を過ぎる。人々を救済するという高尚な役目に着くことも厭わなかった彼女ではあるが、俗に云う現代っ子の彼女には、外の世界の高度な文明とは程遠い幻想境という世界に不満が全く無かった、というわけではなかった。
「──お昼ご飯の支度も済んだことだし、少し風にでも当たってくるかしら・・・・・・」
守谷神社では、面子が揃うまでは飯はお預けなのが仕来たりだ。諏訪子は既に首を長くして、会食はまだかまだかとぶつぶつ垂れている。とはいえ、神奈子の説法はもう少々時間がかかりそうだ。早苗は家事の気分転換に風で涼んでくることにした。
本堂と住居を結ぶ渡り廊下に佇むと、心地よい涼風が吹いていることに気が付く。彼女は手摺りに肘をかけやや前屈みになる。幼気な気持ちを尻目に、さわさわと風が耳元を通り抜ける。
──チョコレート、そういえば暫く食べていなかった。
彼女の脳裏にチョコレートの甘美な味が鮮明に再生される。砂糖とミルクがふんだんに使われた、それはそれは甘いミルクチョコレート。外の世界では飽きるほど食べることができたものだが、今となってはお目にかかるのは八雲紫が偶に持ちよる土産としてのモノぐらいだ。屹度今なら虫歯にも、太ることにさえも抵抗などないだろう。脳内で空想上のチョコレートに舌鼓みを打とうとするが、肝心の味を思い出せない。彼の味はもはや今は昔なのだ。大好きな洋菓子の味ももはや忘却の彼方という事実に彼女は辟易する。
何故、幻想境にはコンビニが無いのだろう。
「──やぁ、ご苦労。私が渡したその巫女装束、なかなか様になっているぞ?」
守谷神社の神との謁見。露出が多い巫女の衣装を羽織った彼女は幾分か表情に照れを見せた。そんな早苗の様子を知ってか知らずか八坂の神様は話を先に進める。
「ひとまず幻想境にようこそ、とでも云っておこうかな。私は八坂神奈子という。今日から君と私は一心同体、君の役目は人々、乃至は魑魅魍魎から信仰を集め現人神として君臨することだ。なに、気後れすることなど皆無だ、君の素質は私が十分に保証するさ」
早苗は神前であるというのに不思議と緊張は感じなかった。近隣の村人から八坂神奈子という神様の特徴は事前に伺ってはいたものの、目の前に鎮座し、泰然自若と巫女の役割を説明している彼女は二十代半ばの只の女性にしか見えない。
──早苗はそんなフランクな、姉御肌の神様に家族によく似た親近感を覚え始めていた。
「ん、なにやらボーッとしているが、慣れない環境に疲れでも感じたか?それとも、不安か何かかな」
早苗はハッと我に返る。八坂の神の有り難いお言葉の最中に呆けてしまった自分を心の中で自戒しつつ、真摯な態度で彼女に向き直る。
「いえ、一つ気になることがあって・・・・・・つい考え込むに至ってしまいました、申し訳御座いません」
予想外の早苗の真っ直ぐな言動にやや面食らった八坂神奈子は首を傾げる。
「んー、何にせよ憂いがあるってのは宜しくないなぁ・・・・・・。よし、申してみよ、じゃない、云ってみな」
そう云って神奈子はニッコリと微笑む。そんな彼女の笑みに早苗は言葉では表現することがままならないような、奇妙な愛おしい感覚を覚える。その微笑みには彼女に自分の総てを捧げ、如何なる苦楽でも共に生きて行けると早苗に思わせる数多の優しい感情が内包していた。
「あ、いえ、とても詰まらない、取るに足らない質問なのですが・・・・・・八坂神奈子様が私を召還した理由、目的が知りたいのです」
つい咄嗟にそれっぽい適当な事を返してしまった。やや焦る早苗を尻目に神奈子はウンと唸り、難しい顔をして首を傾げる。
「・・・・・・目的、ならさっき云った通りだ。君には巫女としての優れた素質がある、適任だから選んだ。理由・・・・・・は今は話せない。君の家系に由来する事なのだが、私と君を結びつけた理由、とでも呼ぶかな。これで満足かな?」
早苗はうんと頷く。どうやら新米巫女が思っている以上にヘヴィーな話だったのかもしれない。至らぬ質問に一抹の後悔を感じつつも、質問への返答に礼を云う。
「・・・・・・どうも、君は親切というか、根が生真面目なようだな。これか墓に入るまで生涯を共に歩むのだから楽にした方がいいぞ?それと、君は私を八坂神奈子様と呼んでいるが堅苦しくてかなわん。なんとかしてくれ」
「承知しました、訂正します、神奈子様」
やや呆れ顔になる神奈子。早苗は人間味溢れる彼女の感情の起伏と表情豊かさに更に共感した。やがて、神奈子は大きな欠伸をする。姿勢を崩す素振りをすると有り難いお話の締めくくりに入る。
「・・・・・・まぁ、良かろう。うん、話はこれで終わりだよ、今日は敬虔な信者達は来ないようだしもう休んでいいよ。あー、柄にもない蘊蓄垂れて肩凝った」
そう残して神奈子はゴロンと寝転がってしまった。熱心な信徒がこれを見たら何を思うだろうか。早苗はついついその行動に是非を問いかけようとするが、おそらく彼女はメリとハリの付け方が上手なのだろう、思いとどまった。
──そういえば、大事な事を一つ確認していなかった。早苗は先程より一層真剣な表情で神奈子に尋ねる。
「え、なに?神様でも時間外労働は勘弁なんだけどな・・・・・・まぁ、初日だしいっか。ほら、云ってみんしゃい」
神様はボリボリと背中を掻き、そっぽを向いたまま気怠い様子で答える。早苗はいうと、待ってましたと云わんばかりに満を持して云う。それは”彼女にとって”此処で生活していく上での死活問題だったのだ。
「コンビニは・・・・・・コンビニは幻想境にあるんですか!?」
「なにそれ」
「──よし、話を整理してみようか。・・・・・・若い娘特有の共通事項、それは甘いモノが大好き。それは君も例外ではない、ついでに私もだ。特にチョコレートとかいう洋菓子に目がない。だがだが、幻想境にはそれを入手できる”こんびに”とやらが無い。そして、君はチョコレートを諦めざるを得ない状況下にある。・・・・・・饅頭で我慢しろ」
実を云うと神奈子は困憊していた、先程まで快活に会話していたはずの守谷神社の将来を担う新米巫女が目の前で嗚咽を漏らし、泣き崩れているのだ。それもチョコレートとかいう菓子が食べられないというしょうも無い理由でだ。流石の神奈子もこれには面を食らった。
「うぅっ、ぐすっ・・・・・・ズルル。・・・・・・あの、神様ってチョコレートぐらい造作もなく生成出来るんじゃ」
「出来るか!無理難題押しつけるな!」
よもや崇高な神に菓子作りを軽々しく依頼するとはな・・・・・・不躾だ。礼儀正しい娘という印象は撤回すべきかもしれない。んー・・・・・・しかし、今時の年頃の娘は皆こうなのかもしれないな。いや、断じて私が年食ってるというわけではないぞ?
すると、早苗が何やらブツブツ呟いていることに気が付く。俯いた顔を覗くと目は真っ赤だが既に泣き止んでいるようだ。
「・・・・・・どうやら、チョコを自家栽培する必要があるようですね。その前に幻想境にカカオはあるのかしら・・・・・・?うーん、此処の土地や気候ではカカオ畑を耕すのに不向きでしょうし、前途多難になりそうです」
今度は真面目な顔で自問自答をしている早苗に神奈子は戸惑った。随分と切り替わりが早いというか何というか、やや支離滅裂な印象は拭えないが喜怒哀楽がハッキリしている娘のようだ。神奈子は認識を改める。それと同時に何やら彼女を捨て置け無い気持になった。特に理由ない気まぐれなのかもしれないが、それとこの感情は必ずしも一致するわけではなかった。
「・・・・・・是が非でもチョコレートを食いたいらしいな。そんなに食いたければ頼んでやってもいいぞ?外の世界に行ける奴にな」
早苗は覚醒したかのように、ハッと顔を上げる。先程の号泣は何処ぞの風といった面持ちで目を輝かせている。しかし、その交渉する相手の不確定要素は計り知れない、なにしろ居住地不明で気まぐれに姿を表しては周囲を度々混乱させるのだ。その結果、神奈子の本音は辛辣なものであり、彼女をいけ好かないのは至極当然であった。無論、そのような不安定な輩に交渉するなど以ての外だが、彼女の思考は不明瞭且つ、一途なとある感情に支配されていたのだ。初の対面であっても、神奈子と早苗のソレは断じて薄っぺらくはなかった。
「うん、だがな、其奴に会えるかどうかは私にも分からなくてな。・・・・・・何しろ、彼奴は気が向いた時にしか姿を表さない、おまけにいつもニヤニヤしていて気持ち悪いったらありゃしない・・・・・・ああ、そういえば博霊の巫女に肩入れしてたな」
「博霊の巫女?」
幻想境には強大な力を持っている紅白の巫女がいると耳に入っていたが、早苗はつい聞き返してしまった。力はあれど人々からの信仰が無い巫女と伝聞し、みくびったでいたのかちょうどその存在を失念してしまったのだ。神奈子は頷く。
「うむ、妖怪退治を生業としている巫女だが、恐るるに足りない。・・・・・・信仰を溜めるのだ、早苗よ。信仰を集めれば集めるほど我らの力もより強大なものとなる、盤石と化した守谷の前に太刀打ちできる勢力など世に在らず。博霊の巫女を打倒した暁にはあの憎たらしい妖怪も姿を表すやもしれぬ」
うむ?意図せず話の流れに良い風が吹いているな、と神奈子は恣意的な感情も捨てたものではないと思った。
これもこの新米巫女がもたらした僥倖か、見ればその顔は真剣な面構えでやる気に満ちあふれているではないか。それは東風谷早苗が吹かせた最初の奇跡の風だったのかもしれない。才能の発揮が垣間見得るその姿は、そこらに溢れかえる年頃の娘など遙かに凌駕する壮麗さを秘めていた。
「その暁には・・・・・・我らが、守谷が、世に泰平をもたらし、妖怪などに秩序を乱されない、安寧に包まれた世界を体現させる」
言霊が、彼女らの決心を、守谷の理想を頑強な宝石に磨き上げる。眉唾ではない感情と決意の奔流は、軌跡となって人々に伝播するのだ。奇跡の風を吹かせるのだ、と早苗は決心した。
「そうだ、我々の覇道の前には幾多もの敵が立ちふさがるだろう。だが決して吝かではない。守谷の力を誇示し、そこかしろに闊歩する愚か者を抑止する格好の機会となろう。・・・・・・あの八雲紫が我らに平伏す光景が目に浮かぶわ・・・・・・フッフッフッフ、フッハッハッハッハッハ!ハァーッハッハッハッハッぐえっ」
慣れないことをしたのか、高笑いの最中に神奈子は咽せる。
その傍ら、早苗は快感にも似た窮極を味わっていた。体内のアドレナリンが沸騰し、あらゆる脳内物質が駆けめぐる。そして、彼女の渇望は飽和することなくさらに高揚する。その日は近いと確信したからだ。幻想境中の信仰を我がものとし、博霊の巫女を打倒する日が、そして。
「幻想境に、コンビニを設立する日が到来するのだ、と・・・・・・ッ!──」
「──その日は来ましたか・・・・・・?」
女性は小声で早苗に尋ねた。彼女は早苗に用入りと不意に訪問してきたのだ。彼女特有の能力を使った不法侵入ではあるが。
「来ませんでした・・・・・・」
早苗はガックリと膝をつく。結局は総て、彼女のズレた理想でしかなかった。世界を武力を以て統治し、外の世界の文明を易々と輸入するなど、そうは問屋が卸されない所業なのだ。早苗たち、守谷一行は慟哭した。
──結局、早苗たちの一世一代の頑張り物語は博霊の巫女一行に体よく阻止されてしまった。此処では出過ぎた釘は打たれる、でしゃばり屋はそれこそ穴が穿つまで打たれて当然なのだ。それこそ月面のクレーター級にズタボロにされた八坂神奈子共々、早苗は調子に乗りすぎた末の行動だと反省した。
実の所こういった珍事は幻想境では珍しい光景ではない。新参者は度々場を弁えないもので、その度痛い目を見ることになる。この隔離された世界に一石を投じたいと奮闘した連中。何処ぞの高飛車吸血鬼や亡霊のような飄々とした連中が真摯に猛反したかどうかは定かではないが。
「まぁ、良かったじゃない。何だかんだで貴女のとこの神様も封印が解けて一人増えたし、懲らしめられた勉強代にはなったんじゃないかしら、ね?」
手痛い台詞が胸に突き刺さる。彼女特有の真を突いた言葉であり、反論する隙が見当たらない。早苗は苦笑する。
「えぇ、常識と道理の違いを学ぶことが出来ましたよ、こってりとね。・・・・・・それはそうと、今日は何かお土産があるんじゃないですか、紫さん」
八雲紫はにっこりと微笑む。邪な何かなど一切入り込む余地がないほどの、屈託のない笑顔。やがて、彼女は懐から一つの紙包みを取り出し、早苗に手渡す。袋から菓子を取り出すと早苗の顔は満面の笑みに包まれた。
「わぁ、新発売のキットモット!桜味ですって、とても美味しそうです!あ、あの、ここで食べちゃっていいですか!?神奈子様と諏訪子様に見つかると取られちゃいそうで・・・・・・」
外の世界ではありふれた代物。しかし、歓喜に満ち溢れる少女の姿がそこに在る。それを尻目に、まるで公園ではしゃぐ子供を見守る母親のように、八雲紫は優しく接する。
「勿論よ。毎度こんなに喜んでくれるなんてねぇ、八雲紫冥利に尽きるわぁ。霊夢はね、素直じゃないし甲斐性も無いからね、今一張り合いがないのよ」
八坂神奈子は紫という人物を酷評していたが、実際に会ってみると印象はそれと大分異なったものだった。早苗という、何事にも一生懸命な性格と波長が合う部分があったのか、はたまた気さくな人間に対しては誰にでもこうなのか、かつて武力行使もやむなくしようとした自分が愚かだったとさえ早苗は思った。紫と意気投合いして以来、定期的にチョコレートを持ち寄ってくれるようになったわけだ。
早苗はキットモットの包装を剥がし、遠慮なくそれにかぶりつく。途端、チョコ特有のほのかな甘みと桜味が口一杯に充満した。唾液にない交ぜになった高い糖度が口内を刺激する。その甘みは究極にして、快楽の総てでもあった。
──美味しい。単純かつ明快な思考が頭を過ぎる。早苗は思わず二つ目を頬張る。彼女はそれを食べ終えると口の端がチョコで汚れていることに気づき、はしたないと思いつつも手の甲で拭う。端から見ればお下品にも見えるのだろうが、八雲紫の笑顔は曇らない。
そんな時だった。やたらけたたましい声が早苗たちの耳朶を打つ。
「早苗ーーッ!?ゴなんちゃら!漆黒のゴなんとかが箪笥の裏から出た!メーデーメーデー!助けてーーッ!」
居間からの叫び。諏訪子の甲高い叫び声が静寂を切り裂くと同時に、出し抜けな救援要請に早苗はたじろぐ。神格の諏訪子でさえ手こずる敵の風貌を想起すると身震いする。
「あらあら、不甲斐ない神様ねぇ。私ならスキマにちょろっと落っことしてお仕舞いなのにね。あ、蛙にでも食べさせればいいのにね?ケロケロ」
一体全体どこまでが本気なのか。紫の猫なで声を尻目に、早苗は居間から目を逸らす。件の漆黒の昆虫のお相手は早苗とて御免仕る。
「早苗ーーーッ!!!早く来てーーーッ!!こいつお膳に上がりだした!あぁ、飯テロよ飯テロ!私たちの昼飯がゴキちゃんに汚染されるわよ!」
瞬間、早苗の姿が消失した。陸上選手顔負けの脚力で居間に向けて走り去った彼女、ただ廊下に鎮座するは八雲紫。沈黙とポツンと佇む紫の存在が場のシュールさを引き立てた。
「放置は良くないわね~。良くない。放置プレイは宜しくないぞ~」
云いつつ、人間という存在のの人間らしさに愛嬌を感じる。寿命がけっして長くない彼女らはおのおのの感情が希薄になることが稀だ。八雲紫という妖怪からの視点ではあるが、刹那的な一生を送る人間は寛容であり、惰弱であるからこそ、日々の糧を享受するために、毎日に必死になれる。長い齢を生きる幻想境の魑魅魍魎は否応なく心が腐り果てるものだ。いや、変化することを知らないこの世界の怠惰な日々が彼らを呆けさせ、堕落させる。実際、紫も睡眠を取るのみが趣味と化した堕落に満ちた日々を送っている。彼女本人がそれを自覚してこその考察だ。
とはいえ、彼女が想うソレは小動物を愛でるとは全くもって別物の類だ。やがて騒動も丸く収まったようで、如何ともし難い静寂が紫に帰宅を促す。
「──お邪魔虫な私も慎ましく帰路につこうかしら・・・・・・。去る者は日々に疎しってね」
ふと、自らが招かれざる異邦人であったことに気が付く。悪気は無いものの、スキマを利用した侵入は玉に瑕にもなる。そこの家主が厳格な人物ならば尚更の事だ。別段、八坂神奈子が厳粛な人物であるとは云わないが。
──そういえば、守谷神社は随分と心地よい風が吹いているものだな、と紫の機知が働く。髪を忙しなく揺らし、木の葉を揺さぶるほどの風であるのに不思議と落ち着きを感じるものだ。その安らぎは紫に幾ばくかの逡巡を与えた。
「・・・・・・うん。私もご飯にお邪魔させてもらいましょう。三人分も四人分もそう変わらないわよね・・・・・・?たらふく食わせてもらいやがりましょう」
そう云いつつ渡り廊下から居間へと足を運ぼうとする矢先、本堂側から何者かが視線を向けていることに気づく。
振り返るとそこには八坂神奈子の姿が在った。どこか神妙な顔つきをしているようだが、紫の不法侵入に対して怒りを覚えているわけではなさそうだ。やがて視線が交わると神奈子の表情が真顔から気の抜けた表情に一変する。
「なんだ、やっとこ気が付いたのか。おかしいな、早苗がいた時からお前さんを睨んでいたはずなんだがなぁ、どうやら私は空気らしい」
神奈子のすっとぼけた台詞に紫は微笑み返すと同時に察する。チョコレートだ。
「あら、御機嫌よう。気が付かなかったのは謝るけれども、貴女が柱の陰でこっそりしてるんだもの。早苗がチョコを食べて喜んでる姿が見たかったのね?・・・・・・意外と照れ屋さん?」
「・・・・・・ッ、誰が照れてるッ。私はただ水を差したくなかっただけだッ、その、早苗の至福の一時をな!・・・・・・それはそうと」
「・・・・・・それはそうと?」
「土産の礼だ。客の労を無碍にするには徳がないからな。つまるところ、飯を一緒したいなら早く行くぞと云うのだ。ツベコベ云わず来いホイ!」
そう云うと神奈子は紫の手を取り、強引に連れて行く。紫は強く握られる手に温もりを感じる。神奈子の柄にもない態度に少々戸惑いつつも、紫は大人しく従う。前途洋々なのか呉越同舟なのか判断しかねる状況ではある。
「あ、待って。一つ訂正しておきたい事があるにー」
「なんだ、いきなり猫なで声を出して。早くしないと諏訪子がお冠なのだ」
神奈子が歩みを止めると紫の表情が真剣なものへと変貌する。そして一瞬の間。
「私、さっきツベコベ云ってなかったわよ」
──八坂神奈子の八雲紫への見解が、分けの分からないいけ好かない奴から、唯の分けの分からない奴に変転した瞬間であった。
ちょっと誤字酷すぎる気がします
あと召還ってなんでしょうか、早苗は一緒じゃなくて呼ばれた設定ですかね?
あとがきで解説が欲しいです…