東風谷早苗は美しい。
では、その美しさの秘訣とは?
「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で最も美しいのは、だーれ?」
それは、毎朝欠かさず行っているこの儀式。
八坂神奈子の胸に煌めく鏡に向かって、自慢の美顔を見せ付ける。
女は見られて美しくなる。自分に見られて美しくなる。自給自足の極みと言おうか。
(そういう鏡ではないのよ、早苗)
いつか言おうと思っちゃいるけど、今日も言えない神奈子であった。
「うーん、今日もキマってるわ。これならミス・諏訪市といわず、ミス・長野県くらい狙えちゃうかも」
ご満悦の早苗さん。何を隠そう、彼女はかつてミス・諏訪市の座を欲しいままにしていたのだ。
主な受賞理由としては、「緑色が眼に優しそう」「ああ見えて結構足が速い」「奉納されたお酒を横流ししてくれた」などが挙げられる。
ちなみに、彼女の父親はミス・ユニバースの座に輝いたことがあります。何を言ってるのか分からないと思うが、まあ人生そんなもんだ。
「では改めてもう一度。鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で最も美しいのは、だーれ?」
「……自分だと思ったか? 残念! 私だよ!」
「むむっ、なにやつ?」
なんということでしょう。
早苗が覗き込んだ鏡に映っていたもの。それは小憎らしい笑みを浮かべた、見知らぬ少女の姿だったのです。
思わず神奈子の顔を見上げる早苗。神奈子も事情が呑み込めぬらしく、ただ肩をすくめるばかり。
「なにやつ? なんて聞き方があるか。そう言われて馬鹿正直に『天邪鬼の鬼人正邪です。今後ともヨロシク』と答えるとでも思っているのかよ」
「エイジアエンジニア?」
「鬼人正邪だ! どういう耳をしてるんだよ……」
「こんな耳ですが」
本編とはまるで関わりの無い事だが、プレインエイジアをブレインエイジアだと勘違いしていた人は多いのではなかろうか。
まあそんな事はどうでもいい。鏡の中の正邪に向かって、徐に耳を見せ付ける早苗。穴の奥まで赤裸々に。セキララ!
「おい、血だ! 耳の穴から血が出てるぞ!」
「さっきリンゴを食べましたから」
「なんでリンゴを食べると耳から血が出るんだよ!? 歯茎じゃあるまいし!」
「長野県はリンゴの収穫量が日本一で……」
「聞いてねえよ! つーか、今の声誰だよ!?」
正邪の疑問に答える前に、ひとつだけハッキリとさせておかねばならない事がある。
リンゴの収穫量日本一は長野県ではない、青森県だ。青森というのは東北地方の北端にあって、イタコの名産地としても広く知られている。
イタコすなわち巫女。巫女すなわち風祝。風祝すなわち……東風谷早苗! すべてが一本の線で繋がったところで、話を進めるとしよう。
「神です」
「神奈子様です」
「そう言われても、私の位置からじゃ見えないぞ。別に見たい訳でもないがな……」
“ごっはっん! ごっはっん!”
「今度は誰だ!?」
隣の部屋から響く声。ブレックファストを望む声。
疑問に答えるのは実に容易い。容易いが故に容易ならざる。ああジレンマ。
「アレも神です」
「諏訪子様です」
“ごっはっん! ごっはっん!”
「もう、諏訪子様ったら。一昨年食べたばかりじゃないですか」
「虐待ってレベルじゃねーぞ!」
そんなはずはないさ。今のは軽いジョークです。エスプリの効いたナガノッシュ・ジョーク。
だが、正邪の存在はジョークでは済まされない。なにゆえ彼女はイビルインザミラー? 謎を追え。
「それはそうと、なにゆえ正邪さんは神奈子様の鏡の中に?」
「ふっふっふ、鏡の中すなわち全てがひっくり返った世界。私に相応しい、私だけの世界だという事だ!」
「天邪鬼の分際で、随分と馬鹿正直に喋ってくれたものだねえ」
「神は黙ってろ! ……ミス・長野県などと、その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜ」
「私は兎も角として、神奈子様に対する暴言は許しません! 神罰ものですよ、神罰!」
「神がなんだというのだ? 私はそんなものを恐れはしない。何故なら私は、誇り高き反逆者・鬼人正邪サマだからだーっ!」
高らかに謳い上げた正邪が、鏡の中でドヤ顔ダブルファックポーズをキメる。
神域を穢す天邪鬼の哄笑に、為す術もなく蹂躙される守矢神社の面々……否!
守矢神社には神奈子がいる。隣の部屋には諏訪子もいる。そしてなにより……早苗がいる! 正邪に向かって不敵な笑みを浮かべる早苗が!
「ふっふっふっふっ……反逆者ですって? アナタが? そのナリで? プークスクス」
「むむっ、何が可笑しい人間の小娘!」
「アナタがどんな“反逆”をしてきたのかは存じませんが、“外”に居た頃の私に比べれば、そんなの“おママゴト”みたいなモノに決まってます」
外の世界に居た頃の早苗……それは東方Project最大の謎の一つ。
彼女の境遇および行状について、これまで様々な解釈が生まれ、戦い、そして死んでいった……。
明確な回答は、未だ何処にも示されていない。故に我らは想像するのだ。或る者は喜劇を、或る者は悲劇を。そしてまた或る者は、破天荒極まりない……何かを!
「私なんて色々とやらかした所為で、変装無しじゃ千代田区へ入れない身になってしまったんですよ!」
「早苗、実話はマズイって」
「ホントに何やったんだよお前!? いや、千代田区とか言われてもピンとこないけどさあ!」
想像だ、想像するしかないのだ……イヤならしなくてもいい。自由とはそういうものだ。
そういうものだからこそ、正邪は敢えて最悪の想像を働かせる。なぜなら彼女は、誇り高き反逆者なのだから!
「ぐぬぬ、反逆のレベルが違い過ぎる……! だが負けん! 負けんぞ私はッ!」
「今のはアレかい? level(水準)とrebel(反乱)を掛けた小粋なジョークかい?」
「いまさらジョークで済ませようったって、そうは東風谷が卸しませんよ! 私の美顔タイムを台無しにした罪、その身で贖え正邪さんっ!」
右腕を大きく振りかぶり、テレフォンパンチの構えを見せる早苗。
彼女はこの右腕で多くの物を掴み、そして失ってきた……いずれ語られる機会もあるだろう。少なくとも、今はその時ではない。
「おーっとォ、待て待て待てぇ! 私を殴ったら鏡が割れるぞ? い~いのっかなぁ~大事な鏡を割っちゃってぇ?」
「いいよ」
「えっ」
「割っちゃっていいよ。どうせコレはレプリカだし。スペアが山ほど仕舞ってあるし」
「ちょ、おまっ……エエ~ッ!?」
いま明かされる衝撃の事実! 神奈子の胸の鏡は神宝などではなく、百円均一の店で売ってるような安物だったのだ!
これには正邪も苦笑い。いや笑ってる場合ではない。眼前の早苗が、今にも殴りそうな顔で彼女を見据えているのだから。
「それでは神奈子様、遠慮なくイカせて貰いますよ?」
「うむ、存分になさい」
「ま、待て! 話せば分かる、話せば――!」
「うっおーっ東風谷早苗ミラクルメガトンダイナミックテレフォンショッキングそこはかとなくフルーティなパーンチッ!」
矢は放たれた! 賽は投げられた!
舌を噛みそうな早苗のフィニッシュブローが、真一文字に神奈子の胸の鏡目掛けて――。
「ゴッドカウンター!」
「ぶべらっ」
届かなかった。
神奈子が咄嗟に放ったクロスカウンターが、早苗のテンプルにクリーンヒット。
神と人との距離は、あまりにも遠過ぎたとでも言っておこうか。
「し、しまった。ついー」
「ついー、じゃないだろ! どーすんだコイツ絶対死んだぞあんなの喰らって立てるわけ」
「フッ……流石は私の神奈子様。いいパンチもってやがりますね……!」
「うッわー何こいつゾンビですか?」
ゾンビではない、現人神だ。
信仰の齎す奇跡を目の当たりにして、正邪の心が折れそうだ……いや折れない。まだまだイケるぜ鬼人正邪。
と、その時。
「もう諦めるんだね、ちっぽけな天邪鬼さん。私たちとお前とでは、反逆という言葉の持つ意味そのものが違うのさ」
耳と鼻と口から滴る血を拭う早苗の後ろから、洩矢諏訪子がひょっこり顔を覗かせて、なにやら締めに入ろうとしている。
そんな身勝手、許せない。なぜなら正邪は誇り高き……アレだから。諏訪子に対し猛然と食って掛かるのも、きっと彼女がアレだからだよ。
「いきなり出てきて何だオマエは!? お呼びじゃないんだよ! シッシッ!」
「野郎ブッ殺……まあいいや。お前みたいなファッション反逆者に何を言われようと、こちとら痛くも痒くもないもんね」
「オマエがファッションを語るか、変な帽子! ……あれ? そのファッションじゃなくて?」
「あッ! 今の発言、諏訪子様に対する冒涜ですよ! 冒涜!」
「早苗、今は諏訪子に喋らせてあげなさい」
早苗が黙る。神奈子も黙る。
正邪もつられて……黙らない!
「私がファッションってどういう意味だよ!? 私はこの前の異変でッ、真の黒幕でッ、史上稀に見る鬼畜弾幕の使い手なんだよォ~ッ!」
「慣れりゃあどーってコトないだろ。慣れるまでが大変だけど……って、話を逸らすなよ」
「答えろ! 私の反逆とオマエらの反逆、一体全体何がどう違うっていうんだ!? さあ答えろ!」
「お前の反逆は単なるポーズに過ぎない。だが私たちは違う。今の私たちは、存在している事そのものが反逆なのだよ」
「私だってそうだぞ! 勝手に決め付けるな!」
「それはお前が天邪鬼だからさ。いいかい? 私たちは神様だ。本来ならむしろ反逆される立場にあるわけだ。この意味が分かるか?」
「さっぱり分からん!」
あくまで抵抗を続ける正邪であったが、彼女とて満更馬鹿ではない。
諏訪子の言わんとしている事の意味を、朧気ながらも理解し始めている。
勿論、素直に認めるつもりは無いが。
「外の世界で信仰を失いかけたとき、私は消滅をも覚悟したモンよ。忘らるる神は消えるが運命、ってね……」
「今からでも遅くはないぞ。消えろ消えろ!」
「……でも、そこにいる神奈子は違った。彼女は運命に逆らって、私達に未来を見せてくれたのさ!」
「余計なコトを!」
「あーもう、いちいちムカつくなぁオマエは! ……でも、これで分かったでしょ? 生き様そのものが反逆な私たちと、種族ゆえに仕方なく反逆してるお前とでは……」
「だ! か! ら! そこを決め付けるなって言ってんだよ! なにィ? 天邪鬼だから仕方なく反逆だぁ? んなわけあるかっ、ボケッ!」
正邪激昂す! 彼女は怒りに任せて自ら鏡を叩き割り、勢いよく外へ飛び出した!
そのまま破片の上をのた打ち回り、身体中傷だらけになったところで人間サイズに復元!
腕を広げ、痛々しい生傷を三人(数え方についてとやかく言うまい)に見せ付けるかの如くその場で回転!
「どうだ見ろ! これが私だ! 憎まれようとも、蔑まれようとも、満身創痍になろうとも敢えて反逆の道を歩む! それが鬼人正邪サマだ! アーッハッハッハッ……!」
「あー……うー……やべえわコイツ、筋金入りだわ……」
正邪の剣幕を前に、流石の諏訪子もタジタジとなる。
損得を勘定に入れぬ行動、滑稽としか言い様のない宣言。およそ賢い者のやる事ではない。
「だが、その意気や良しッ!」
「えっ!? 神奈子!?」
腕を組み、いたく感心した様子で頷いてみせる神奈子。
相方が見せた意外な反応に、諏訪子も思わず目が飛び出る。帽子の方の目が。
「アナタ、なかなか見所があるわね。どう? 私たちと一緒に“天下”を取ってみるつもりはない?」
「私の答えは……コレだああああああぁ~!」
両手の中指を天に突き上げ、白目剥きながら舌をビロビロビロ~ン。
伝統と格式に則った、由緒正しき挑発の作法。
如何に寛容な神奈子といえども、流石に怒りを隠しきれ……怒っていない!?
「敢えて反逆の道を歩む……か。フッ、そうでなくては張り合いがない」
「あたりき車力のこんこんちきよッ! オマエらの風下になんぞ絶対に立たん! やるなら私ひとりでやる、“また”どっかのバカを唆してなあッ!」
「それもまた、良しッ! 行くがいい卑小なる天邪鬼よ。汝の反逆、我らがしかと見届けてくれようぞ!」
「あ~あ、ここぞとばかりにカッコ付けちゃって……まあ、神奈子がそう言うなら仕方ないか」
異を唱えることもなく、神奈子に同意してみせる諏訪子。
正直な話、彼女も馬鹿は嫌いではない。少なくとも、周りで眺めている分には。
それとは別に、同じ反逆者として通じ合うものがあったのかもしれない。そうでなければ今頃は、鉄の輪の一つや二つ用意していただろうから。
「……で、どうしますコイツ? ヤるなら今がチャンスだと思うのですけど」
唐突な、あまりに唐突な早苗の発言を受けて、和みかけた空気が一瞬の内に凍りつく。
神奈子、諏訪子、そして正邪が呆気にとられる中、早苗一人が澄ました顔で首を傾げている。
「さ、早苗? アナタちゃんと私の話聞いてた?」
「いやまあ、神奈子様の仰る事は尤もだと思いますよ? でもそれはそれ、これはこれじゃないですか。将来に遺恨を残しそうなヒトは、キッチリ始末をつけておかないと」
「あーうー……早苗がすっごい悪い子に見えてきた。いったい誰に似たんだろう……」
「くっ、ヤル気か貴様!? だが既に包囲は解けている。私が戦術的撤退に移行するための条件は、全てクリアされているのだよ!」
言うが早いか、正邪は全力で逃走を開始! それを全力で見逃す神奈子と諏訪子!
一方の早苗は!? 屈伸を二回、伸脚を二回終えたのち、目にも留まらぬスプリントで正邪に肉迫! そのままタックルで捕獲!
諏訪の地にその人ありと謳われた、東風谷早苗の十八番であった。
「やめろーっ! はなせーっ! いやだァ、まだ死にたくなーい!」
「殺しはしません。カラダに訊く事もある……」
「うわあああぁやめろ馬鹿どこ触ってんだ変態! 言っとくが私にはそういう趣味ねーから!」
「あら、アッチの方はひっくり返していないのですか?」
「コイツ最悪だ!」
早苗の強引かつ執拗な攻めの前に、正邪はあえなく戦意喪失。
神様コンビは“それ”を止めるでもなく、神社の外へと退散していった。
ああ、朝食の時間が遅くなりそうだなあ……などと、深くため息をつきながら……。
例え日付が変わっても、東風谷早苗はやはり美しい。
では、その美しさの秘訣とは? 不覚にもお忘れになった方は、もういっぺん冒頭から読み直す事をオススメする。
「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で最も美しいのは、だーれ?」
スペアの鏡をひとつ貰い受け、いつもの儀式を始める早苗。
鏡に映っているのは、もちろん……。
「……早苗です」
「えっ? なんですって?」
「何度も言わせるなよ! 世界で最も美しいのは、東風谷早苗サマで……ああああああぁ駄目だ駄目だ全身がむず痒いいいいいいぃっ!?」
誇り高き反逆者・鬼人正邪さんでした。
彼女がどういった経緯の元に、再び鏡の世界へと舞い戻ったのかは、聡明なる読者諸兄のご想像にお任せするとしよう。
「もうウンザリだ! なんだってオマエの顔をどアップで見せ付けられた挙句、心にも無いお世辞を言わにゃあならんのだ!? 鳥肌と怖気が止まらんわ!」
「まあ、光栄にうち震えているのですね。正邪さんとってもカワイイです」
「んなワケあるか! ナルちゃんっぷりも大概にしとけよこのブス! ドブス! ZUN絵!」
「そういう生意気なコト言ってると……こうですよ?」
「うわああああぁメッセ顔!? コワイ! 超コワイ!」
コワイお顔も美しい。そんな早苗さんの日常の一幕、ご堪能いただけただろうか?
私も例の儀式をやってみようかしら……などとお考えになった方のために、老婆心ながらひとつだけ忠告させて頂こう。
くれぐれもご家族、ご友人の方に目撃などされぬよう、細心の注意を払った上で実践されたし。
万が一他人に見られたりした日には、アナタの正気を疑われてしまうだろうから……。
では、その美しさの秘訣とは?
「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で最も美しいのは、だーれ?」
それは、毎朝欠かさず行っているこの儀式。
八坂神奈子の胸に煌めく鏡に向かって、自慢の美顔を見せ付ける。
女は見られて美しくなる。自分に見られて美しくなる。自給自足の極みと言おうか。
(そういう鏡ではないのよ、早苗)
いつか言おうと思っちゃいるけど、今日も言えない神奈子であった。
「うーん、今日もキマってるわ。これならミス・諏訪市といわず、ミス・長野県くらい狙えちゃうかも」
ご満悦の早苗さん。何を隠そう、彼女はかつてミス・諏訪市の座を欲しいままにしていたのだ。
主な受賞理由としては、「緑色が眼に優しそう」「ああ見えて結構足が速い」「奉納されたお酒を横流ししてくれた」などが挙げられる。
ちなみに、彼女の父親はミス・ユニバースの座に輝いたことがあります。何を言ってるのか分からないと思うが、まあ人生そんなもんだ。
「では改めてもう一度。鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で最も美しいのは、だーれ?」
「……自分だと思ったか? 残念! 私だよ!」
「むむっ、なにやつ?」
なんということでしょう。
早苗が覗き込んだ鏡に映っていたもの。それは小憎らしい笑みを浮かべた、見知らぬ少女の姿だったのです。
思わず神奈子の顔を見上げる早苗。神奈子も事情が呑み込めぬらしく、ただ肩をすくめるばかり。
「なにやつ? なんて聞き方があるか。そう言われて馬鹿正直に『天邪鬼の鬼人正邪です。今後ともヨロシク』と答えるとでも思っているのかよ」
「エイジアエンジニア?」
「鬼人正邪だ! どういう耳をしてるんだよ……」
「こんな耳ですが」
本編とはまるで関わりの無い事だが、プレインエイジアをブレインエイジアだと勘違いしていた人は多いのではなかろうか。
まあそんな事はどうでもいい。鏡の中の正邪に向かって、徐に耳を見せ付ける早苗。穴の奥まで赤裸々に。セキララ!
「おい、血だ! 耳の穴から血が出てるぞ!」
「さっきリンゴを食べましたから」
「なんでリンゴを食べると耳から血が出るんだよ!? 歯茎じゃあるまいし!」
「長野県はリンゴの収穫量が日本一で……」
「聞いてねえよ! つーか、今の声誰だよ!?」
正邪の疑問に答える前に、ひとつだけハッキリとさせておかねばならない事がある。
リンゴの収穫量日本一は長野県ではない、青森県だ。青森というのは東北地方の北端にあって、イタコの名産地としても広く知られている。
イタコすなわち巫女。巫女すなわち風祝。風祝すなわち……東風谷早苗! すべてが一本の線で繋がったところで、話を進めるとしよう。
「神です」
「神奈子様です」
「そう言われても、私の位置からじゃ見えないぞ。別に見たい訳でもないがな……」
“ごっはっん! ごっはっん!”
「今度は誰だ!?」
隣の部屋から響く声。ブレックファストを望む声。
疑問に答えるのは実に容易い。容易いが故に容易ならざる。ああジレンマ。
「アレも神です」
「諏訪子様です」
“ごっはっん! ごっはっん!”
「もう、諏訪子様ったら。一昨年食べたばかりじゃないですか」
「虐待ってレベルじゃねーぞ!」
そんなはずはないさ。今のは軽いジョークです。エスプリの効いたナガノッシュ・ジョーク。
だが、正邪の存在はジョークでは済まされない。なにゆえ彼女はイビルインザミラー? 謎を追え。
「それはそうと、なにゆえ正邪さんは神奈子様の鏡の中に?」
「ふっふっふ、鏡の中すなわち全てがひっくり返った世界。私に相応しい、私だけの世界だという事だ!」
「天邪鬼の分際で、随分と馬鹿正直に喋ってくれたものだねえ」
「神は黙ってろ! ……ミス・長野県などと、その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜ」
「私は兎も角として、神奈子様に対する暴言は許しません! 神罰ものですよ、神罰!」
「神がなんだというのだ? 私はそんなものを恐れはしない。何故なら私は、誇り高き反逆者・鬼人正邪サマだからだーっ!」
高らかに謳い上げた正邪が、鏡の中でドヤ顔ダブルファックポーズをキメる。
神域を穢す天邪鬼の哄笑に、為す術もなく蹂躙される守矢神社の面々……否!
守矢神社には神奈子がいる。隣の部屋には諏訪子もいる。そしてなにより……早苗がいる! 正邪に向かって不敵な笑みを浮かべる早苗が!
「ふっふっふっふっ……反逆者ですって? アナタが? そのナリで? プークスクス」
「むむっ、何が可笑しい人間の小娘!」
「アナタがどんな“反逆”をしてきたのかは存じませんが、“外”に居た頃の私に比べれば、そんなの“おママゴト”みたいなモノに決まってます」
外の世界に居た頃の早苗……それは東方Project最大の謎の一つ。
彼女の境遇および行状について、これまで様々な解釈が生まれ、戦い、そして死んでいった……。
明確な回答は、未だ何処にも示されていない。故に我らは想像するのだ。或る者は喜劇を、或る者は悲劇を。そしてまた或る者は、破天荒極まりない……何かを!
「私なんて色々とやらかした所為で、変装無しじゃ千代田区へ入れない身になってしまったんですよ!」
「早苗、実話はマズイって」
「ホントに何やったんだよお前!? いや、千代田区とか言われてもピンとこないけどさあ!」
想像だ、想像するしかないのだ……イヤならしなくてもいい。自由とはそういうものだ。
そういうものだからこそ、正邪は敢えて最悪の想像を働かせる。なぜなら彼女は、誇り高き反逆者なのだから!
「ぐぬぬ、反逆のレベルが違い過ぎる……! だが負けん! 負けんぞ私はッ!」
「今のはアレかい? level(水準)とrebel(反乱)を掛けた小粋なジョークかい?」
「いまさらジョークで済ませようったって、そうは東風谷が卸しませんよ! 私の美顔タイムを台無しにした罪、その身で贖え正邪さんっ!」
右腕を大きく振りかぶり、テレフォンパンチの構えを見せる早苗。
彼女はこの右腕で多くの物を掴み、そして失ってきた……いずれ語られる機会もあるだろう。少なくとも、今はその時ではない。
「おーっとォ、待て待て待てぇ! 私を殴ったら鏡が割れるぞ? い~いのっかなぁ~大事な鏡を割っちゃってぇ?」
「いいよ」
「えっ」
「割っちゃっていいよ。どうせコレはレプリカだし。スペアが山ほど仕舞ってあるし」
「ちょ、おまっ……エエ~ッ!?」
いま明かされる衝撃の事実! 神奈子の胸の鏡は神宝などではなく、百円均一の店で売ってるような安物だったのだ!
これには正邪も苦笑い。いや笑ってる場合ではない。眼前の早苗が、今にも殴りそうな顔で彼女を見据えているのだから。
「それでは神奈子様、遠慮なくイカせて貰いますよ?」
「うむ、存分になさい」
「ま、待て! 話せば分かる、話せば――!」
「うっおーっ東風谷早苗ミラクルメガトンダイナミックテレフォンショッキングそこはかとなくフルーティなパーンチッ!」
矢は放たれた! 賽は投げられた!
舌を噛みそうな早苗のフィニッシュブローが、真一文字に神奈子の胸の鏡目掛けて――。
「ゴッドカウンター!」
「ぶべらっ」
届かなかった。
神奈子が咄嗟に放ったクロスカウンターが、早苗のテンプルにクリーンヒット。
神と人との距離は、あまりにも遠過ぎたとでも言っておこうか。
「し、しまった。ついー」
「ついー、じゃないだろ! どーすんだコイツ絶対死んだぞあんなの喰らって立てるわけ」
「フッ……流石は私の神奈子様。いいパンチもってやがりますね……!」
「うッわー何こいつゾンビですか?」
ゾンビではない、現人神だ。
信仰の齎す奇跡を目の当たりにして、正邪の心が折れそうだ……いや折れない。まだまだイケるぜ鬼人正邪。
と、その時。
「もう諦めるんだね、ちっぽけな天邪鬼さん。私たちとお前とでは、反逆という言葉の持つ意味そのものが違うのさ」
耳と鼻と口から滴る血を拭う早苗の後ろから、洩矢諏訪子がひょっこり顔を覗かせて、なにやら締めに入ろうとしている。
そんな身勝手、許せない。なぜなら正邪は誇り高き……アレだから。諏訪子に対し猛然と食って掛かるのも、きっと彼女がアレだからだよ。
「いきなり出てきて何だオマエは!? お呼びじゃないんだよ! シッシッ!」
「野郎ブッ殺……まあいいや。お前みたいなファッション反逆者に何を言われようと、こちとら痛くも痒くもないもんね」
「オマエがファッションを語るか、変な帽子! ……あれ? そのファッションじゃなくて?」
「あッ! 今の発言、諏訪子様に対する冒涜ですよ! 冒涜!」
「早苗、今は諏訪子に喋らせてあげなさい」
早苗が黙る。神奈子も黙る。
正邪もつられて……黙らない!
「私がファッションってどういう意味だよ!? 私はこの前の異変でッ、真の黒幕でッ、史上稀に見る鬼畜弾幕の使い手なんだよォ~ッ!」
「慣れりゃあどーってコトないだろ。慣れるまでが大変だけど……って、話を逸らすなよ」
「答えろ! 私の反逆とオマエらの反逆、一体全体何がどう違うっていうんだ!? さあ答えろ!」
「お前の反逆は単なるポーズに過ぎない。だが私たちは違う。今の私たちは、存在している事そのものが反逆なのだよ」
「私だってそうだぞ! 勝手に決め付けるな!」
「それはお前が天邪鬼だからさ。いいかい? 私たちは神様だ。本来ならむしろ反逆される立場にあるわけだ。この意味が分かるか?」
「さっぱり分からん!」
あくまで抵抗を続ける正邪であったが、彼女とて満更馬鹿ではない。
諏訪子の言わんとしている事の意味を、朧気ながらも理解し始めている。
勿論、素直に認めるつもりは無いが。
「外の世界で信仰を失いかけたとき、私は消滅をも覚悟したモンよ。忘らるる神は消えるが運命、ってね……」
「今からでも遅くはないぞ。消えろ消えろ!」
「……でも、そこにいる神奈子は違った。彼女は運命に逆らって、私達に未来を見せてくれたのさ!」
「余計なコトを!」
「あーもう、いちいちムカつくなぁオマエは! ……でも、これで分かったでしょ? 生き様そのものが反逆な私たちと、種族ゆえに仕方なく反逆してるお前とでは……」
「だ! か! ら! そこを決め付けるなって言ってんだよ! なにィ? 天邪鬼だから仕方なく反逆だぁ? んなわけあるかっ、ボケッ!」
正邪激昂す! 彼女は怒りに任せて自ら鏡を叩き割り、勢いよく外へ飛び出した!
そのまま破片の上をのた打ち回り、身体中傷だらけになったところで人間サイズに復元!
腕を広げ、痛々しい生傷を三人(数え方についてとやかく言うまい)に見せ付けるかの如くその場で回転!
「どうだ見ろ! これが私だ! 憎まれようとも、蔑まれようとも、満身創痍になろうとも敢えて反逆の道を歩む! それが鬼人正邪サマだ! アーッハッハッハッ……!」
「あー……うー……やべえわコイツ、筋金入りだわ……」
正邪の剣幕を前に、流石の諏訪子もタジタジとなる。
損得を勘定に入れぬ行動、滑稽としか言い様のない宣言。およそ賢い者のやる事ではない。
「だが、その意気や良しッ!」
「えっ!? 神奈子!?」
腕を組み、いたく感心した様子で頷いてみせる神奈子。
相方が見せた意外な反応に、諏訪子も思わず目が飛び出る。帽子の方の目が。
「アナタ、なかなか見所があるわね。どう? 私たちと一緒に“天下”を取ってみるつもりはない?」
「私の答えは……コレだああああああぁ~!」
両手の中指を天に突き上げ、白目剥きながら舌をビロビロビロ~ン。
伝統と格式に則った、由緒正しき挑発の作法。
如何に寛容な神奈子といえども、流石に怒りを隠しきれ……怒っていない!?
「敢えて反逆の道を歩む……か。フッ、そうでなくては張り合いがない」
「あたりき車力のこんこんちきよッ! オマエらの風下になんぞ絶対に立たん! やるなら私ひとりでやる、“また”どっかのバカを唆してなあッ!」
「それもまた、良しッ! 行くがいい卑小なる天邪鬼よ。汝の反逆、我らがしかと見届けてくれようぞ!」
「あ~あ、ここぞとばかりにカッコ付けちゃって……まあ、神奈子がそう言うなら仕方ないか」
異を唱えることもなく、神奈子に同意してみせる諏訪子。
正直な話、彼女も馬鹿は嫌いではない。少なくとも、周りで眺めている分には。
それとは別に、同じ反逆者として通じ合うものがあったのかもしれない。そうでなければ今頃は、鉄の輪の一つや二つ用意していただろうから。
「……で、どうしますコイツ? ヤるなら今がチャンスだと思うのですけど」
唐突な、あまりに唐突な早苗の発言を受けて、和みかけた空気が一瞬の内に凍りつく。
神奈子、諏訪子、そして正邪が呆気にとられる中、早苗一人が澄ました顔で首を傾げている。
「さ、早苗? アナタちゃんと私の話聞いてた?」
「いやまあ、神奈子様の仰る事は尤もだと思いますよ? でもそれはそれ、これはこれじゃないですか。将来に遺恨を残しそうなヒトは、キッチリ始末をつけておかないと」
「あーうー……早苗がすっごい悪い子に見えてきた。いったい誰に似たんだろう……」
「くっ、ヤル気か貴様!? だが既に包囲は解けている。私が戦術的撤退に移行するための条件は、全てクリアされているのだよ!」
言うが早いか、正邪は全力で逃走を開始! それを全力で見逃す神奈子と諏訪子!
一方の早苗は!? 屈伸を二回、伸脚を二回終えたのち、目にも留まらぬスプリントで正邪に肉迫! そのままタックルで捕獲!
諏訪の地にその人ありと謳われた、東風谷早苗の十八番であった。
「やめろーっ! はなせーっ! いやだァ、まだ死にたくなーい!」
「殺しはしません。カラダに訊く事もある……」
「うわあああぁやめろ馬鹿どこ触ってんだ変態! 言っとくが私にはそういう趣味ねーから!」
「あら、アッチの方はひっくり返していないのですか?」
「コイツ最悪だ!」
早苗の強引かつ執拗な攻めの前に、正邪はあえなく戦意喪失。
神様コンビは“それ”を止めるでもなく、神社の外へと退散していった。
ああ、朝食の時間が遅くなりそうだなあ……などと、深くため息をつきながら……。
例え日付が変わっても、東風谷早苗はやはり美しい。
では、その美しさの秘訣とは? 不覚にもお忘れになった方は、もういっぺん冒頭から読み直す事をオススメする。
「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で最も美しいのは、だーれ?」
スペアの鏡をひとつ貰い受け、いつもの儀式を始める早苗。
鏡に映っているのは、もちろん……。
「……早苗です」
「えっ? なんですって?」
「何度も言わせるなよ! 世界で最も美しいのは、東風谷早苗サマで……ああああああぁ駄目だ駄目だ全身がむず痒いいいいいいぃっ!?」
誇り高き反逆者・鬼人正邪さんでした。
彼女がどういった経緯の元に、再び鏡の世界へと舞い戻ったのかは、聡明なる読者諸兄のご想像にお任せするとしよう。
「もうウンザリだ! なんだってオマエの顔をどアップで見せ付けられた挙句、心にも無いお世辞を言わにゃあならんのだ!? 鳥肌と怖気が止まらんわ!」
「まあ、光栄にうち震えているのですね。正邪さんとってもカワイイです」
「んなワケあるか! ナルちゃんっぷりも大概にしとけよこのブス! ドブス! ZUN絵!」
「そういう生意気なコト言ってると……こうですよ?」
「うわああああぁメッセ顔!? コワイ! 超コワイ!」
コワイお顔も美しい。そんな早苗さんの日常の一幕、ご堪能いただけただろうか?
私も例の儀式をやってみようかしら……などとお考えになった方のために、老婆心ながらひとつだけ忠告させて頂こう。
くれぐれもご家族、ご友人の方に目撃などされぬよう、細心の注意を払った上で実践されたし。
万が一他人に見られたりした日には、アナタの正気を疑われてしまうだろうから……。
申し訳ありません!
早苗さんも面白かったけれど地の文が一番イカれてて笑えたよ
ナルシー早苗さんも良いものですね。
こういうノリ大好きだww