両手でカップをもってココアを飲む早苗を咲夜は眺めていた。
手元には熱いブラックコーヒー。普段は紅茶ばかりだからなんとなくコーヒーが飲みたくなって注文したのだ。
今日は珍しく買い出しの途中で早苗にお茶に誘われた。今まで里で早苗に会ったことはほとんどない。それに、ばったり会ったというよりは咲夜がよく立ち寄る店のそばで早苗がうろうろしていたみたいで、待ち伏されていたような気がする。そもそも、咲夜が早苗と話したことは決して多くない。一体何の用があったのだろう。
少し前であれば断ったと思う。というのも、十六夜咲夜は四半世紀も生きていないが、さるお屋敷のメイド長を務めているので普段は非常に忙しい。しかし、ここ最近優秀な使用人をたくさん雇い入れたおかげで少し時間にゆとりができていた。
――たまには他人の入れるお茶も良いわね。
そう思って、いぶかしみながらも早苗の誘いに乗ったのだ。
早苗は自分から誘ったくせに行き先を決めていなかったらしい。結局、咲夜の行きつけの店に入ることになった。
店の中には松ぼっくりや木の実でデコレーションされたリースやツリーが飾られている。カウンターのそばには大きなポインセチアがあった。花弁のようながくが心臓の血のような深紅で、葉の緑との対比が美しい。
この店はいわゆる名曲喫茶で、今日はシューベルトのアヴェ・マリアが流れていた。天井で回転しているシーリングファンは静かで、音楽を邪魔することはない。咲夜はこの店のクラシック系の選曲が気にいっている。ブレンドが苦み控え目で飲みやすいのも良いところだ。
早苗はふうふうとココアに息を吹きかけている。両手でカップを持つことと言い、この娘は少し行儀が悪い。
「咲夜さん、コーヒー飲まないんですか?」
早苗がやけにニヤニヤとしている。
「もしかして……、苦いのがダメなのに背伸びして頼んじゃったとか」
「別にそんなことないわよ。
ブラックは苦手だけれど、ミルクと砂糖を入れればなんてことないわ。
私、猫舌なの。熱いのは苦手なのよ」
「ふーん。でも、ブラックは駄目なんですね。
しかし、猫舌なことと言い咲夜さんも結構かわいいところありますねぇ」
「そうかしら?」
主人にもときどき言われるけれど、どうしてそんなことを言うのかは理解できなかった。
「女子力が高いですねぇ」
「女子力ってなにかしら?」
初めて聞く言葉だと思う。少なくとも幻想郷では聞いたことがない。外の世界の言葉なのだろうか。
「なんでもそれが高いと良いことがあるらしいですっ」
「らしいです、ってそれじゃ結局説明になってないわよ」
「わたしもよくわからないんですよ。普段使わない言葉なので。
そもそも、なんたら力ってのが外の世界で流行っていたんですけど、それ自体がよくわかりませんねえ。なんでも『力(ちから)』ってつければ良いわけじゃないと思いますし」
じゃあどうして今使ったのだろう。本当に、この子も大概だ。
「それで、いい加減本題に入ったらどうなの? まさかこんなこと話すために私を誘ったんじゃないでしょ」
「ははは、そうですね……。
ところで、咲夜さんはサンタクロースって知ってますか?」
「それなら聞いたことがあるわ。
確か、赤い帽子に赤い服を着たひげのおじいさんでしょう」
そうそう、と早苗が頷く。
「それで赤い帽子は人の血で染まっているのよね。さらに、斧とかごつい得物をもっていて……」
「それ、なんか違います! なにか別の物ですよ、それは!」
全力で否定された。かなり自信があったので、納得がいかず咲夜は渋い顔をする。
そんなことなど意にも介さず、少し改まって早苗が、こほん、とせき払いした。
「サンタさんは、サンタさんを信じている良い子にプレゼントを配るんです」
どうもサンタさんはクリスマスにプレゼントを配る妖怪のようなものらしい。間違っても夜に忍び込んでなにかしら物を置いていくかわりに金品を盗む輩とは違うそうだ。確かにそんなものはただの泥棒である。
「最近、外の世界で信じられなくなってきているみたいなので、幻想郷にいないかと期待していたんですけれど」
その件について早苗はすでに二人の友人に聞いてみたらしい。
――外の世界にも幻想郷でも見かけないってことはそもそも存在しないんじゃないの。
――そんなものを信じているなんてお前、ちょっとどうかしてるぜ。
そんな感じでけんもほろろに返さるといったありさまだったそうだ。
それで誰か別の人に聞きたかったのね、と咲夜は納得した。
「咲夜さんも御存じありませんか。クリスマスの夜に黒い影を見たとかそういった情報でも何でも良いので!」
早苗は威勢は良いし笑ってもいるが、口はへの字でちょっと何かをこらえているように見える。二人にあしらわれたことが、結構堪えているのだろうか。でも、彼女が喜びそうな返事は咲夜にもできない。
「残念だけど私も知らないわね」
「うーん、咲夜さんも知りませんか」
「けれどそんなのがいたら面白そうだわ」
「でしょう、夢がありますよね」
そんなものがいたらやることは一つだ。
「是非、捕まえてみたいものね」
「どうしてそうなるんですか……。
でも、確かに面白そうではありますけれど」
そのあとは、サンタの捕獲法について二人で大いに盛り上がった。最終的にはつっかえ棒で支えた大きなざるのすずめ捕獲方式トラップで、プレゼントを置きに来たところを捕えるのが最善の方法ではないかというところに落ち着いた。
充実して、それでいて無駄な時間はあっという間に過ぎでしまう。
冬の日暮れは早い。まだ四時ぐらいだというのにもうあたりは暗くなっていて、空気が温い室内に慣れた肌を刺すように冷たい。咲夜は急いで屋敷に帰ってクリスマスのパーティの準備をしなければならなかった。
「サンタさん今年も来てくれるかなあ……」
帰り際に早苗がぽつりと言った。喋るときに吐き出す息が、寒さのせいで真っ白だった。
「なんだか自信がなさそうね」
「良い子なのは自信があるんですけどね……」
早苗は複雑な表情で言い淀んだ。その先は咲夜にもなんとなく察することができた。しかし、それを言葉にしてはいけない気がする。
「そう言えば、そのマフラー、素敵ですね」
早苗が突然、思い出したかのように言った。
首に巻いた茶色のマフラーを咲夜はそっとなでた。
「あら、ありがとう。これはわたしが自分で編んだのよ。
今度、作り方を教えてあげるわ」
「期待してます! 黄色のが作りたいなあ。
またパーティで会いましょう!」
元気にそう言うと、早苗は白い雪を頂いた山に向かっていった。山にはもう根雪が一ヶ月も前か積もっているはずだ。山の上の早苗の神社には優れた暖房設備があると聞くが、麓とは比べ物にならないほどの寒さだろう。
咲夜は早苗の顔に差した影が何となく気にかかったが、気を取り直して歩き始めた。
帰り道で咲夜はずっと早苗の言う『サンタさん』について考えていた。
今までにそんなものに会った経験はない。きっと、妖怪の一種なのだろうけれど、どうすれば会えるのだろうか。捕獲のためにもまず遭遇するところから始めなければならない。
早苗は、サンタを信じている『良い子』にプレゼントを配ると言っていた。善行を積めば『良い子』になるんだろうか。
――何か良いことをすれば私もサンタさんに会えるのかしら?
今できる一番の善行と言えば――。
パーティの片づけが済んだあと、咲夜は古道具屋に向かっていた。一応古道具屋なはずだが、価値のないがらくたも含めて何でも売っている店だ。普通であれば店主が寝ていてもおかしくない時間だったが、意外なことにまだ灯りが付いていた。
カランカラン。
「また、こんな時間に……。いったい誰だ?」
「こんばんは。探し物があるのですが売って下さるかしら?」
優男だが仏頂面の店主があからさまに溜息をついた。
「ああ、君か。しかし、今、何時だか知っているのかい?」
「わかりません。知らない方が気がねなくお買い物できそうですから、あえて見ませんでした」
店主は露骨にむすっとしながらまた溜息をつく。
「はあ、まあ仕方がない。どちらにしても起きていたし……。
それで何が入用なんだい?」
「手芸用の毛糸をお願いしますわ」
「ここは手芸の専門店でもないんだが……。なんでまたこの店に?」
「里のお店は全部閉まっていましたから」
問答に飽きたのかただあきれたからなのか、ぶつくさ文句を言いながらも店主は品物を探し始めた。
咲夜は適当に非売品と言う名のがらくたをよけて椅子に腰を下ろした。
「そう言えば、私が来る前から灯りが付いていましたけれど誰かお店に来ていたのですか?」
「ああ、お面の妖怪の子が来ていったよ。能の囃子に使う能管を探していったな。一応、贈答用らしい。
小銭ばかりだけれどちゃんとお金も払ってくれたし、ご希望通りきれいに包装してやったよ」
「ふうん、そうですか」
お面の子というのは夏ごろに事件を起こした子のことだろうか。笛なんて別に夜に急いで探すようなものでもないと思う。それをいうなら咲夜の探しものもそうだが。
奥のほうで見つからなかったのか、店主が咲夜のそばの棚をがさごそとあさり始めた。
近くから店主の顔を眺める。かなり夜遅いせいか、白いひげがぽしゃぽしゃとのびかけていて、ちょっと無精ひげ風だ。ひげと同じで髪も一応銀髪だけれど、咲夜のシルバーブロンドの髪と違って艶がなく、いかにも白髪っぽくじじむさい。
しかし、こういうところを見ていると優男の店主でも男の人で、その男の人は私たちとは全然違うものだなあ、と思う。まるで別の生き物のようだ。わりと女顔のこの人もひげを伸ばせば威厳が出るのかしら、などとぼんやり考えていると店主が「あったぞ」と声を上げた。
「色が一種類しかないみたいだが、これで問題ないかな?」
「それで構いませんわ。ちょうどその色が欲しかったところですから」
店主がいぶかしげに咲夜を見る。
「なんだかでき過ぎているな。また、何かいたずらでもしたのかい?」
「『また』ってなんでしょう? 私がいたずらしたことなんてありましたっけ?」
以前、勝手に店の品物を入れ替える手品をしたことがあるけれど、お金もちゃんと払ったし、あれはいたずらの範疇に入らないと咲夜は考えている。
「はあ、もういいよ。
それよりもうこんな時間だ。用が済んだならとっとと帰ってくれないか」
お客様に対してずいぶんな言い草だ。そんな調子だから店に閑古鳥が鳴いているに違いない。
「それじゃあ、ありがとうございました」
咲夜は丁寧に頭を下げてお礼を言うと、早速屋敷に向かって駆け出した。
その途中でふと思った。
――サンタさんに会うのにサンタさんのふりをするってどうなのかしら?
そもそも、重複する可能性もある。しかしそれは逆に、サンタに会うチャンスがあるということだ。リスクどころか絶好のチャンスである。
――鮎の友釣りみたいなものかしら?
何か違うような気がしたが、咲夜は深く考えないことにした。
昨日、早苗はパーティも早々に切り上げて不貞寝をしてしまった。
――諏訪子様ったらひどい!
昨晩、酒に酔った早苗の保護者代わりが大勢の前でこんなことを漏らしてしまったのだ。
――あの子ったら寝言で、サンタさんは本当にいるんだもんって言ってたんだよ。
――あれは私たちがサンタクロースの真似事をしてただけなんだよ、きゃははは。
憎たらしいほどにケタケタと大笑いしていた。あの人は蛙っぽいのだが、そのまま本当にケロケロと笑いだしそうだった。
――いくらなんでもあんまりよ!
夢が壊されただけでは済まない。これでは完全にみんなの笑いものだ。いたたまれなくなって、勝手に帰ってきてしまった。
――本当に、そんなのってないよ……。
笑いものにされてしまったことも悲しいが、今までずっと信じてきたサンタさんがいないと言われたことは殊更につらかった。でも、もし本当にサンタさんがいないにしてももっと言い方があると思う。少なくとも大勢の人の前で笑いものにするようなやり方はひどすぎる。
確かに大人になる過程でみんなサンタさんを信じなくなるのかもしれない。それは仕方がないことなのだろう。でも、こんな投げやりに事実を突きつけてくるなんてあんまりだ。そういうことは、もっと静かに温かく教えてくれるものだと早苗は思っていた。
早苗はぷうっと頬を膨らませたままうつぶせになって、枕をかかえこんだ。悔しい気持ちを抑えきれずに顔をうずめる。少し息苦しくなって顔を上げると、枕元に何か置いてあることに気付いた。
きれいに包装されたプレゼント。中身は箱ではなく、ふわふわしたものがそのまま包装紙に包まれているようだった。
昨日の様子を見る限りでは、早苗の保護者達が置いていったものではなさそうだ。
――いったい誰が……?
なにかきらりと光るものがあると思ったら、リボンのところに一筋銀色の毛が付いていた。
早苗は期待に胸をふくらませながら、アメリカ流にビリビリッと豪快に包装紙を破った。昔から憧れていたけれど家族が見ている手前、今までできなかったことで、不思議な昂揚感を感じた。
中には、黄色の手編みのマフラーが入っていた。
――サンタさんは本当にいた!
手元には熱いブラックコーヒー。普段は紅茶ばかりだからなんとなくコーヒーが飲みたくなって注文したのだ。
今日は珍しく買い出しの途中で早苗にお茶に誘われた。今まで里で早苗に会ったことはほとんどない。それに、ばったり会ったというよりは咲夜がよく立ち寄る店のそばで早苗がうろうろしていたみたいで、待ち伏されていたような気がする。そもそも、咲夜が早苗と話したことは決して多くない。一体何の用があったのだろう。
少し前であれば断ったと思う。というのも、十六夜咲夜は四半世紀も生きていないが、さるお屋敷のメイド長を務めているので普段は非常に忙しい。しかし、ここ最近優秀な使用人をたくさん雇い入れたおかげで少し時間にゆとりができていた。
――たまには他人の入れるお茶も良いわね。
そう思って、いぶかしみながらも早苗の誘いに乗ったのだ。
早苗は自分から誘ったくせに行き先を決めていなかったらしい。結局、咲夜の行きつけの店に入ることになった。
店の中には松ぼっくりや木の実でデコレーションされたリースやツリーが飾られている。カウンターのそばには大きなポインセチアがあった。花弁のようながくが心臓の血のような深紅で、葉の緑との対比が美しい。
この店はいわゆる名曲喫茶で、今日はシューベルトのアヴェ・マリアが流れていた。天井で回転しているシーリングファンは静かで、音楽を邪魔することはない。咲夜はこの店のクラシック系の選曲が気にいっている。ブレンドが苦み控え目で飲みやすいのも良いところだ。
早苗はふうふうとココアに息を吹きかけている。両手でカップを持つことと言い、この娘は少し行儀が悪い。
「咲夜さん、コーヒー飲まないんですか?」
早苗がやけにニヤニヤとしている。
「もしかして……、苦いのがダメなのに背伸びして頼んじゃったとか」
「別にそんなことないわよ。
ブラックは苦手だけれど、ミルクと砂糖を入れればなんてことないわ。
私、猫舌なの。熱いのは苦手なのよ」
「ふーん。でも、ブラックは駄目なんですね。
しかし、猫舌なことと言い咲夜さんも結構かわいいところありますねぇ」
「そうかしら?」
主人にもときどき言われるけれど、どうしてそんなことを言うのかは理解できなかった。
「女子力が高いですねぇ」
「女子力ってなにかしら?」
初めて聞く言葉だと思う。少なくとも幻想郷では聞いたことがない。外の世界の言葉なのだろうか。
「なんでもそれが高いと良いことがあるらしいですっ」
「らしいです、ってそれじゃ結局説明になってないわよ」
「わたしもよくわからないんですよ。普段使わない言葉なので。
そもそも、なんたら力ってのが外の世界で流行っていたんですけど、それ自体がよくわかりませんねえ。なんでも『力(ちから)』ってつければ良いわけじゃないと思いますし」
じゃあどうして今使ったのだろう。本当に、この子も大概だ。
「それで、いい加減本題に入ったらどうなの? まさかこんなこと話すために私を誘ったんじゃないでしょ」
「ははは、そうですね……。
ところで、咲夜さんはサンタクロースって知ってますか?」
「それなら聞いたことがあるわ。
確か、赤い帽子に赤い服を着たひげのおじいさんでしょう」
そうそう、と早苗が頷く。
「それで赤い帽子は人の血で染まっているのよね。さらに、斧とかごつい得物をもっていて……」
「それ、なんか違います! なにか別の物ですよ、それは!」
全力で否定された。かなり自信があったので、納得がいかず咲夜は渋い顔をする。
そんなことなど意にも介さず、少し改まって早苗が、こほん、とせき払いした。
「サンタさんは、サンタさんを信じている良い子にプレゼントを配るんです」
どうもサンタさんはクリスマスにプレゼントを配る妖怪のようなものらしい。間違っても夜に忍び込んでなにかしら物を置いていくかわりに金品を盗む輩とは違うそうだ。確かにそんなものはただの泥棒である。
「最近、外の世界で信じられなくなってきているみたいなので、幻想郷にいないかと期待していたんですけれど」
その件について早苗はすでに二人の友人に聞いてみたらしい。
――外の世界にも幻想郷でも見かけないってことはそもそも存在しないんじゃないの。
――そんなものを信じているなんてお前、ちょっとどうかしてるぜ。
そんな感じでけんもほろろに返さるといったありさまだったそうだ。
それで誰か別の人に聞きたかったのね、と咲夜は納得した。
「咲夜さんも御存じありませんか。クリスマスの夜に黒い影を見たとかそういった情報でも何でも良いので!」
早苗は威勢は良いし笑ってもいるが、口はへの字でちょっと何かをこらえているように見える。二人にあしらわれたことが、結構堪えているのだろうか。でも、彼女が喜びそうな返事は咲夜にもできない。
「残念だけど私も知らないわね」
「うーん、咲夜さんも知りませんか」
「けれどそんなのがいたら面白そうだわ」
「でしょう、夢がありますよね」
そんなものがいたらやることは一つだ。
「是非、捕まえてみたいものね」
「どうしてそうなるんですか……。
でも、確かに面白そうではありますけれど」
そのあとは、サンタの捕獲法について二人で大いに盛り上がった。最終的にはつっかえ棒で支えた大きなざるのすずめ捕獲方式トラップで、プレゼントを置きに来たところを捕えるのが最善の方法ではないかというところに落ち着いた。
充実して、それでいて無駄な時間はあっという間に過ぎでしまう。
冬の日暮れは早い。まだ四時ぐらいだというのにもうあたりは暗くなっていて、空気が温い室内に慣れた肌を刺すように冷たい。咲夜は急いで屋敷に帰ってクリスマスのパーティの準備をしなければならなかった。
「サンタさん今年も来てくれるかなあ……」
帰り際に早苗がぽつりと言った。喋るときに吐き出す息が、寒さのせいで真っ白だった。
「なんだか自信がなさそうね」
「良い子なのは自信があるんですけどね……」
早苗は複雑な表情で言い淀んだ。その先は咲夜にもなんとなく察することができた。しかし、それを言葉にしてはいけない気がする。
「そう言えば、そのマフラー、素敵ですね」
早苗が突然、思い出したかのように言った。
首に巻いた茶色のマフラーを咲夜はそっとなでた。
「あら、ありがとう。これはわたしが自分で編んだのよ。
今度、作り方を教えてあげるわ」
「期待してます! 黄色のが作りたいなあ。
またパーティで会いましょう!」
元気にそう言うと、早苗は白い雪を頂いた山に向かっていった。山にはもう根雪が一ヶ月も前か積もっているはずだ。山の上の早苗の神社には優れた暖房設備があると聞くが、麓とは比べ物にならないほどの寒さだろう。
咲夜は早苗の顔に差した影が何となく気にかかったが、気を取り直して歩き始めた。
帰り道で咲夜はずっと早苗の言う『サンタさん』について考えていた。
今までにそんなものに会った経験はない。きっと、妖怪の一種なのだろうけれど、どうすれば会えるのだろうか。捕獲のためにもまず遭遇するところから始めなければならない。
早苗は、サンタを信じている『良い子』にプレゼントを配ると言っていた。善行を積めば『良い子』になるんだろうか。
――何か良いことをすれば私もサンタさんに会えるのかしら?
今できる一番の善行と言えば――。
パーティの片づけが済んだあと、咲夜は古道具屋に向かっていた。一応古道具屋なはずだが、価値のないがらくたも含めて何でも売っている店だ。普通であれば店主が寝ていてもおかしくない時間だったが、意外なことにまだ灯りが付いていた。
カランカラン。
「また、こんな時間に……。いったい誰だ?」
「こんばんは。探し物があるのですが売って下さるかしら?」
優男だが仏頂面の店主があからさまに溜息をついた。
「ああ、君か。しかし、今、何時だか知っているのかい?」
「わかりません。知らない方が気がねなくお買い物できそうですから、あえて見ませんでした」
店主は露骨にむすっとしながらまた溜息をつく。
「はあ、まあ仕方がない。どちらにしても起きていたし……。
それで何が入用なんだい?」
「手芸用の毛糸をお願いしますわ」
「ここは手芸の専門店でもないんだが……。なんでまたこの店に?」
「里のお店は全部閉まっていましたから」
問答に飽きたのかただあきれたからなのか、ぶつくさ文句を言いながらも店主は品物を探し始めた。
咲夜は適当に非売品と言う名のがらくたをよけて椅子に腰を下ろした。
「そう言えば、私が来る前から灯りが付いていましたけれど誰かお店に来ていたのですか?」
「ああ、お面の妖怪の子が来ていったよ。能の囃子に使う能管を探していったな。一応、贈答用らしい。
小銭ばかりだけれどちゃんとお金も払ってくれたし、ご希望通りきれいに包装してやったよ」
「ふうん、そうですか」
お面の子というのは夏ごろに事件を起こした子のことだろうか。笛なんて別に夜に急いで探すようなものでもないと思う。それをいうなら咲夜の探しものもそうだが。
奥のほうで見つからなかったのか、店主が咲夜のそばの棚をがさごそとあさり始めた。
近くから店主の顔を眺める。かなり夜遅いせいか、白いひげがぽしゃぽしゃとのびかけていて、ちょっと無精ひげ風だ。ひげと同じで髪も一応銀髪だけれど、咲夜のシルバーブロンドの髪と違って艶がなく、いかにも白髪っぽくじじむさい。
しかし、こういうところを見ていると優男の店主でも男の人で、その男の人は私たちとは全然違うものだなあ、と思う。まるで別の生き物のようだ。わりと女顔のこの人もひげを伸ばせば威厳が出るのかしら、などとぼんやり考えていると店主が「あったぞ」と声を上げた。
「色が一種類しかないみたいだが、これで問題ないかな?」
「それで構いませんわ。ちょうどその色が欲しかったところですから」
店主がいぶかしげに咲夜を見る。
「なんだかでき過ぎているな。また、何かいたずらでもしたのかい?」
「『また』ってなんでしょう? 私がいたずらしたことなんてありましたっけ?」
以前、勝手に店の品物を入れ替える手品をしたことがあるけれど、お金もちゃんと払ったし、あれはいたずらの範疇に入らないと咲夜は考えている。
「はあ、もういいよ。
それよりもうこんな時間だ。用が済んだならとっとと帰ってくれないか」
お客様に対してずいぶんな言い草だ。そんな調子だから店に閑古鳥が鳴いているに違いない。
「それじゃあ、ありがとうございました」
咲夜は丁寧に頭を下げてお礼を言うと、早速屋敷に向かって駆け出した。
その途中でふと思った。
――サンタさんに会うのにサンタさんのふりをするってどうなのかしら?
そもそも、重複する可能性もある。しかしそれは逆に、サンタに会うチャンスがあるということだ。リスクどころか絶好のチャンスである。
――鮎の友釣りみたいなものかしら?
何か違うような気がしたが、咲夜は深く考えないことにした。
昨日、早苗はパーティも早々に切り上げて不貞寝をしてしまった。
――諏訪子様ったらひどい!
昨晩、酒に酔った早苗の保護者代わりが大勢の前でこんなことを漏らしてしまったのだ。
――あの子ったら寝言で、サンタさんは本当にいるんだもんって言ってたんだよ。
――あれは私たちがサンタクロースの真似事をしてただけなんだよ、きゃははは。
憎たらしいほどにケタケタと大笑いしていた。あの人は蛙っぽいのだが、そのまま本当にケロケロと笑いだしそうだった。
――いくらなんでもあんまりよ!
夢が壊されただけでは済まない。これでは完全にみんなの笑いものだ。いたたまれなくなって、勝手に帰ってきてしまった。
――本当に、そんなのってないよ……。
笑いものにされてしまったことも悲しいが、今までずっと信じてきたサンタさんがいないと言われたことは殊更につらかった。でも、もし本当にサンタさんがいないにしてももっと言い方があると思う。少なくとも大勢の人の前で笑いものにするようなやり方はひどすぎる。
確かに大人になる過程でみんなサンタさんを信じなくなるのかもしれない。それは仕方がないことなのだろう。でも、こんな投げやりに事実を突きつけてくるなんてあんまりだ。そういうことは、もっと静かに温かく教えてくれるものだと早苗は思っていた。
早苗はぷうっと頬を膨らませたままうつぶせになって、枕をかかえこんだ。悔しい気持ちを抑えきれずに顔をうずめる。少し息苦しくなって顔を上げると、枕元に何か置いてあることに気付いた。
きれいに包装されたプレゼント。中身は箱ではなく、ふわふわしたものがそのまま包装紙に包まれているようだった。
昨日の様子を見る限りでは、早苗の保護者達が置いていったものではなさそうだ。
――いったい誰が……?
なにかきらりと光るものがあると思ったら、リボンのところに一筋銀色の毛が付いていた。
早苗は期待に胸をふくらませながら、アメリカ流にビリビリッと豪快に包装紙を破った。昔から憧れていたけれど家族が見ている手前、今までできなかったことで、不思議な昂揚感を感じた。
中には、黄色の手編みのマフラーが入っていた。
――サンタさんは本当にいた!