1
「やー、まいったまいった。舟に穴が開いちまったよ」
ここは地獄の裁判所。
その廊下を、独り言を呟きながら歩いているのは、小野塚小町だ。
「あの舟もオンボロだからなぁ。新しい舟、経費で落ちないものか……」
小町は、舟の故障の件を上司に相談するため、こうして裁判所に向かったのだった。
上司、四季映姫の顔を思い浮かべる。
彼女は何と言うだろうか。
地獄は財政難、財布の紐は固かろう。
木の板と釘を渡されて「自分で直せ」と言われるかもしれない。
悪くすればガムテだ。
「ん……?」
そんなことを考えていたら、映姫の部屋の前に着いていた。
そこで小町は立ち止まる。
扉が開いているのだ。
小町は扉の隙間から、ソッと中の様子をうかがった。
そこには、デスクに頬杖をついて、メランコリックな表情を浮かべる映姫の姿。
「ハァ……」
小さなため息。
小町はそれを聞き逃さなかった。
何か悩み事だろうか。
小町は思う。
いや、過労かなと考え直す。
じっさい、映姫さまは働き過ぎだ。
ピンと張った糸は、いつかプツンと切れてしまうだろう。
程度な休息が仕事に活力を与えるのだ。
そう、サボタージュ!
映姫さまは、その辺わかってない。
小町は一人でウンウン頷くと、勢いよく部屋の扉を開いた。
「映姫さま!!」
「こ、こ、小町! 部屋に入るときはノックをしなさいといつも……」
突然扉が開いて、うろたえる四季映姫・ヤマザナドゥ。
しかし気にせず小町は続ける。
「映姫さま! 突然ですが、あなたに今必要なもの、それはサボタージュです!」
ポカンとした表情の映姫。
しかし程なくして、小町の言わんとしていることを何となく察し、彼女は威厳を立て直す。
「なるほど、私に休めと言うのですね? しかし、ここ最近、私たちの仕事が増大しているのはあなたも承知のことでしょう? 地霊のごたごたしかり、近年の自殺者増加しかり。時間はいくらあっても足りません」
また説教モードかと顔を歪める小町。
「それに……。あなたに言われるまでもなく、私だって必要な休息はとっています。よい仕事を為すための、必要休暇です。しかし、あなたの言うサボタージュとは何です? やるべき仕事をやらずに、貴重な時間を怠惰に過ごしているだけではないのですか? 考えてみてください。あなたは何のために働いているのです? 働くという行為はですね……」
こりゃ長引くな――。
小町はデスクを回り込み、映姫の近くに歩み寄る。
そして、映姫の手を掴み、引っ張った。
「な、なんです……」
「映姫さま……」
驚く映姫に、小町はいつもの調子で言った。
「オセロ、しませんか?」
2
「……何故、オセロなんです?」
四季映姫の部屋。
映姫専用デスクの上には、小町の持ってきたオセロ。
小町は自室から持ってきたマイチェアに腰掛けて、映姫と向き合っていた。
「何故ってそりゃあ、私が好きだからですよ。シンプルなルールながら、なかなかに奥が深いゲーム。そう思いません?」
「思いますよ。思いますけど、悩んでいる上司に対して、何故そのチョイスです?」
「まぁまぁ。たまにはこういうのもイイじゃないですか」
どうやら映姫には、何か悩み事があるらしい。
彼女の悩みとはいったい――。
しかし小町には検討もつかない。
考えるのは苦手だなぁと早々に諦めて、小町はおしゃべりを楽しむことにする。
「映姫さま。こうやって白と黒の駒を見ていると……」
「はい」
「善玉菌と悪玉菌のことが思われませんか? それぞれの生死をかけた腸内戦争。熱いですよね、ほら!」
「ほら、と言われましてもね。それに、善玉菌が白色で、悪玉菌が黒色ってわけではないでしょう?」
「えっ?」
「……小町は莫迦ですね。まぁ、知ってましたけど」
――とかなんとか。
とはいえ映姫は、あながち不機嫌でもなさそうだった。
少なくとも小町には、そう見えた。
他愛のない歓談。
くだらないお遊び。
そういったものが、彼女には必要だったのかもしれない。
ゲームは終わりに近づいていく。
映姫の白が占めていた盤上も、徐々に黒が巻き返す。
負けじと映姫も取り返す。
どっちが多いか――。
「なかなか、いい勝負でしたね。小町」
「そうですね。では、自分の駒を数えましょう」
それぞれ手元の右下から、駒を数えていく。
自分の色の多い方が勝ちだ。
そして――。
「三十二……。これは、引き分けですか?」
映姫は目を丸くする。
「そのようですね。オセロの駒は全部で六十四。引き分けることもあります。オセロなのに白黒つかないとは、皮肉ですが……」
「そうですか……」
映姫は引き分けが気に入らないようだった。
しばしオセロの盤面を凝視していた映姫。
ゆっくりと口を開いた。
「私の力は、物事に白黒をつける力。だから、白黒つかないのは嫌いです」
「はい」
「しかし、物事が白黒はっきりしていることなんてほとんどなく、多くのものが灰色をしています。その灰色が黒白どちらに近いか、それを見極めるのが私の力であり、そして私の仕事でもあります」
そう、彼女の仕事は、とても重たい仕事だ。
彼女の一言で、魂は天に昇るし、地にも落ちる。
それは、一人で背負うには重た過ぎるものだ。
「この頃少し迷っています。このオセロの盤面のように、白黒つけがたいものが、この世界には存在する……」
四季映姫は項垂れた。
私は何か、この人の力になれるだろうか。
力になりたい。
そう小町は思った。
「確かにそうですね。灰色だらけの世界。でも、だからこそ、白黒はっきりとした結果が欲しかったりするもんです」
映姫はゆっくりと顔を上げて、小町を見た。
「裁かれる者は誰もあなたに逆らえない。だから、裁く者はやさしくなくっちゃダメです。たまに迷うぐらいが丁度良いです。私は、映姫さまのような上司を持てて光栄ですよ」
「小町……」
それを聞いて、映姫は少し笑ったように見えた。
久々に見た、映姫さまの笑顔。
いつもは口うるさい上司だけど、笑うと可愛らしいじゃないかと、小町の顔もほころんだ。
映姫はオセロの駒を四つ取り、盤の中央に並べた。
白と黒、二つずつ。
「引き分けでは気持ち悪いですから、もう一戦やりましょうか。上司命令です、逃がしませんよ!」
そう言って映姫は笑う。
小町も笑って、自分の駒を手に取った。
「やー、まいったまいった。舟に穴が開いちまったよ」
ここは地獄の裁判所。
その廊下を、独り言を呟きながら歩いているのは、小野塚小町だ。
「あの舟もオンボロだからなぁ。新しい舟、経費で落ちないものか……」
小町は、舟の故障の件を上司に相談するため、こうして裁判所に向かったのだった。
上司、四季映姫の顔を思い浮かべる。
彼女は何と言うだろうか。
地獄は財政難、財布の紐は固かろう。
木の板と釘を渡されて「自分で直せ」と言われるかもしれない。
悪くすればガムテだ。
「ん……?」
そんなことを考えていたら、映姫の部屋の前に着いていた。
そこで小町は立ち止まる。
扉が開いているのだ。
小町は扉の隙間から、ソッと中の様子をうかがった。
そこには、デスクに頬杖をついて、メランコリックな表情を浮かべる映姫の姿。
「ハァ……」
小さなため息。
小町はそれを聞き逃さなかった。
何か悩み事だろうか。
小町は思う。
いや、過労かなと考え直す。
じっさい、映姫さまは働き過ぎだ。
ピンと張った糸は、いつかプツンと切れてしまうだろう。
程度な休息が仕事に活力を与えるのだ。
そう、サボタージュ!
映姫さまは、その辺わかってない。
小町は一人でウンウン頷くと、勢いよく部屋の扉を開いた。
「映姫さま!!」
「こ、こ、小町! 部屋に入るときはノックをしなさいといつも……」
突然扉が開いて、うろたえる四季映姫・ヤマザナドゥ。
しかし気にせず小町は続ける。
「映姫さま! 突然ですが、あなたに今必要なもの、それはサボタージュです!」
ポカンとした表情の映姫。
しかし程なくして、小町の言わんとしていることを何となく察し、彼女は威厳を立て直す。
「なるほど、私に休めと言うのですね? しかし、ここ最近、私たちの仕事が増大しているのはあなたも承知のことでしょう? 地霊のごたごたしかり、近年の自殺者増加しかり。時間はいくらあっても足りません」
また説教モードかと顔を歪める小町。
「それに……。あなたに言われるまでもなく、私だって必要な休息はとっています。よい仕事を為すための、必要休暇です。しかし、あなたの言うサボタージュとは何です? やるべき仕事をやらずに、貴重な時間を怠惰に過ごしているだけではないのですか? 考えてみてください。あなたは何のために働いているのです? 働くという行為はですね……」
こりゃ長引くな――。
小町はデスクを回り込み、映姫の近くに歩み寄る。
そして、映姫の手を掴み、引っ張った。
「な、なんです……」
「映姫さま……」
驚く映姫に、小町はいつもの調子で言った。
「オセロ、しませんか?」
2
「……何故、オセロなんです?」
四季映姫の部屋。
映姫専用デスクの上には、小町の持ってきたオセロ。
小町は自室から持ってきたマイチェアに腰掛けて、映姫と向き合っていた。
「何故ってそりゃあ、私が好きだからですよ。シンプルなルールながら、なかなかに奥が深いゲーム。そう思いません?」
「思いますよ。思いますけど、悩んでいる上司に対して、何故そのチョイスです?」
「まぁまぁ。たまにはこういうのもイイじゃないですか」
どうやら映姫には、何か悩み事があるらしい。
彼女の悩みとはいったい――。
しかし小町には検討もつかない。
考えるのは苦手だなぁと早々に諦めて、小町はおしゃべりを楽しむことにする。
「映姫さま。こうやって白と黒の駒を見ていると……」
「はい」
「善玉菌と悪玉菌のことが思われませんか? それぞれの生死をかけた腸内戦争。熱いですよね、ほら!」
「ほら、と言われましてもね。それに、善玉菌が白色で、悪玉菌が黒色ってわけではないでしょう?」
「えっ?」
「……小町は莫迦ですね。まぁ、知ってましたけど」
――とかなんとか。
とはいえ映姫は、あながち不機嫌でもなさそうだった。
少なくとも小町には、そう見えた。
他愛のない歓談。
くだらないお遊び。
そういったものが、彼女には必要だったのかもしれない。
ゲームは終わりに近づいていく。
映姫の白が占めていた盤上も、徐々に黒が巻き返す。
負けじと映姫も取り返す。
どっちが多いか――。
「なかなか、いい勝負でしたね。小町」
「そうですね。では、自分の駒を数えましょう」
それぞれ手元の右下から、駒を数えていく。
自分の色の多い方が勝ちだ。
そして――。
「三十二……。これは、引き分けですか?」
映姫は目を丸くする。
「そのようですね。オセロの駒は全部で六十四。引き分けることもあります。オセロなのに白黒つかないとは、皮肉ですが……」
「そうですか……」
映姫は引き分けが気に入らないようだった。
しばしオセロの盤面を凝視していた映姫。
ゆっくりと口を開いた。
「私の力は、物事に白黒をつける力。だから、白黒つかないのは嫌いです」
「はい」
「しかし、物事が白黒はっきりしていることなんてほとんどなく、多くのものが灰色をしています。その灰色が黒白どちらに近いか、それを見極めるのが私の力であり、そして私の仕事でもあります」
そう、彼女の仕事は、とても重たい仕事だ。
彼女の一言で、魂は天に昇るし、地にも落ちる。
それは、一人で背負うには重た過ぎるものだ。
「この頃少し迷っています。このオセロの盤面のように、白黒つけがたいものが、この世界には存在する……」
四季映姫は項垂れた。
私は何か、この人の力になれるだろうか。
力になりたい。
そう小町は思った。
「確かにそうですね。灰色だらけの世界。でも、だからこそ、白黒はっきりとした結果が欲しかったりするもんです」
映姫はゆっくりと顔を上げて、小町を見た。
「裁かれる者は誰もあなたに逆らえない。だから、裁く者はやさしくなくっちゃダメです。たまに迷うぐらいが丁度良いです。私は、映姫さまのような上司を持てて光栄ですよ」
「小町……」
それを聞いて、映姫は少し笑ったように見えた。
久々に見た、映姫さまの笑顔。
いつもは口うるさい上司だけど、笑うと可愛らしいじゃないかと、小町の顔もほころんだ。
映姫はオセロの駒を四つ取り、盤の中央に並べた。
白と黒、二つずつ。
「引き分けでは気持ち悪いですから、もう一戦やりましょうか。上司命令です、逃がしませんよ!」
そう言って映姫は笑う。
小町も笑って、自分の駒を手に取った。
というか。連続で別の作者が投稿した作品がこうもリンクしてしまったことに驚きです。
向こうのオチもいいですが、今作は全体を通してよりスムーズに読めました。
個人的には、映姫さまはオセロは完封するほど強いか、ものすごく弱いかのどっちかってイメージだなぁ。
・・・とりあえずこまっちゃん、舟修理しないと!
ところで、この後小町は新しい船を貰えたのでしょうか?
オセロで引き分けになる、ってオセロ好きでもないと、印象的な瞬間ですよね。
第二戦では吹っ切れて小町に圧勝する映姫様を幻視しました。
あ…、オセロ終わってからでいいです