とある薄暗いアパートの一室。
机には多種多様の記号が踊っているレポート用紙が乱雑に置いてあり、部屋一面に幾何学模様の線形のグラフ用紙が所狭しと散らかっている。
集中力の限界か蓮子がふと目を上げた先の時計の針の短針が12の文字を指し示していることに気がついた。
「はぁ、ちょっと行き詰まったわね・・・」
ため息混じりに彼女はそう呟き、おもむろに傍の缶コーヒに手を伸ばす。
暖かかったそれは既に熱を失い彼女の喉に苦い不快感を与えただけだった。
気分転換に外界の空気に当たろうと缶をクシャっと潰し重たい腰を上げる
窓を開けベランダに出ると部屋の中の澱んだ空気とは対照的な容赦ない寒風が蓮子を襲う。
辺り一帯は街灯の明かりだけが鬼火の様に浮かんでおり、物音一つない静寂に包まれている。
彼女の目にはさながら廃墟の様に映った。
彼女はさっとシガレットケースから片手でタバコを一本引き抜きその艶やかな唇に挟む。
ブラウスの胸ポケットからライターを取り出し煙草に火を灯らせると、ぼーっと鈍い紫煙が立ち上り目の前の視界をぼやけさせる。
壁に寄りかかり星を眺めながら紫煙をくゆらせていると堰を切って溢れ出るようにメリーとの思い出が脳内を駆け巡った。
二人で秘封倶楽部なる不良サークルを創り、色々な場所を駆け回った事。
カフェで毎日のようにケーキをつつきながら他愛のない話を何時間も話した事。
どれ一つ取っても蓮子には何にも代え難い宝石のような日々だった。
そんな夢のように楽しかった日々が明日も続くとばかり彼女は思っていた。
永遠など存在するはずがないのに。
ずっとバラ色の幻想の中で彼女は生きていた。
だが、否応なく月日は幻想を徐々に灰色に染め上げていき現実の世界へと引き戻す。
「あちっ・・・」
いつの間にか煙草は指元まで焼け落ちて灰に変わり果て崩れ落ちていた。
卒業論文などの雑事に日々を追われ秘封倶楽部の活動どころかお互いにカフェに足を運ぶ頻度が日に日に少なくなっていた。
彼女の幻想はもはや限りなく灰色に染まり崩れかけていた。
彼女の頬を一筋の涙がつーっと零れ落ちる。
ただメリーに会いたい。
だがそれすら叶わなくなる。
卒業と同時にメリーは帰国してしまうのだ。
その曲げられない冷酷な事実を突きつけられ、胸が張り裂けるような痛みに襲われる。
ただただ慟哭することしか彼女にはなすすべもなかった。
彼女の端正な整った顔は涙と鼻水でくしゃくしゃになり噛み締められた艶やかな唇からは鮮血が溢れ出る。
やがて涙も枯れ果て彼女は糸の切れたからくり人形のようにその場に崩れ落ちた。
ピチャ、ピチャと水音がする。
この心地よい音に引き込まれるように瞼を自然に開けるといつも見ている薄汚いシミのついた天井がそこに存在していた。
「蓮子、目が覚めたのね。」
いつも聞いていたはずなのに何処か懐かしい声が枕元から響いた。
その声を聞いただけで涙腺が緩んでしまうような感覚に襲われる。
「メリー・・・なの?」
「ええ、一通り用事が昨日で済んだ事だし、蓮子が今頃卒業論文に追われてどうせロクなものしか食べてないだろうと差し入れを持ってきたらあなたがベランダで倒れてたのよ。ビックリしちゃったわほんと。何があったかは分からないけど冬の寒いこんな時期にベランダで倒れるなんて心配で私が寝れなくなっちゃうからやめてくれないかしら。」
そう言いながらメリーは私の頭に乗っていたタオルを交換してくれた。
ぼーっとした頭にひんやりとした心地の良い感覚にひたされてとても気持ちが良い。
だるい身体を起こしてメリーの方に視線を向けるとメリーは桶に組んだ水の中でタオルを絞っていた。
タオルを絞っているその手はいつものふっくらとした感じはなく寒水に長時間浸していたせいかあかぎれが痛々しく目立った。
自責の念が津波のように溢れ出る。
独りよがりの悲しみで一番大切な人を自分が傷つけてしまった。
後悔してもしきれない。
私はなんと愚か者だろうか。
「メリー、ごめん。」
「あら、蓮子どうしたの?」
「後数ヶ月で大学を卒業してお互いに離れ離れになると想像したら涙が止まらなくなって、でもそんな事であなたを傷つけてしまった事が何よりも悔しくて申し訳ない。」
「この位大丈夫よ、蓮子。」
「でも・・・」
「なら、一つお願いするわ。私の手を蓮子がさすってくれないかしら。」
そう言ってメリーは私に手を差し出してきた。
冷え切ったその手は慣れない看護を目一杯してくれたことを物語っている。
私は少しでも温めようと優しく包み込みそっと撫でた。
「ねぇ、蓮子」
メリーが言葉を紡ぐ。
「確かに私は卒業後帰国してしまうわ。でももう二度と会えないなんて訳はないでしょう?そんな悲しいことを考えるより論文が書き終わったらどこを一緒に冒険するか考えたほうがずっといい事だと思うわ。」
「それも、そうね。」
月日は時として人の立場を簡単に変えてしまう。
けれども人の思いまでは変えることはできないのだ。
そう思った途端灰色に染まっていた幻想が崩れていくのを感じる。
そしてモノクロにしか見えてなかった現実が急に色鮮やかになった気がした。
机には多種多様の記号が踊っているレポート用紙が乱雑に置いてあり、部屋一面に幾何学模様の線形のグラフ用紙が所狭しと散らかっている。
集中力の限界か蓮子がふと目を上げた先の時計の針の短針が12の文字を指し示していることに気がついた。
「はぁ、ちょっと行き詰まったわね・・・」
ため息混じりに彼女はそう呟き、おもむろに傍の缶コーヒに手を伸ばす。
暖かかったそれは既に熱を失い彼女の喉に苦い不快感を与えただけだった。
気分転換に外界の空気に当たろうと缶をクシャっと潰し重たい腰を上げる
窓を開けベランダに出ると部屋の中の澱んだ空気とは対照的な容赦ない寒風が蓮子を襲う。
辺り一帯は街灯の明かりだけが鬼火の様に浮かんでおり、物音一つない静寂に包まれている。
彼女の目にはさながら廃墟の様に映った。
彼女はさっとシガレットケースから片手でタバコを一本引き抜きその艶やかな唇に挟む。
ブラウスの胸ポケットからライターを取り出し煙草に火を灯らせると、ぼーっと鈍い紫煙が立ち上り目の前の視界をぼやけさせる。
壁に寄りかかり星を眺めながら紫煙をくゆらせていると堰を切って溢れ出るようにメリーとの思い出が脳内を駆け巡った。
二人で秘封倶楽部なる不良サークルを創り、色々な場所を駆け回った事。
カフェで毎日のようにケーキをつつきながら他愛のない話を何時間も話した事。
どれ一つ取っても蓮子には何にも代え難い宝石のような日々だった。
そんな夢のように楽しかった日々が明日も続くとばかり彼女は思っていた。
永遠など存在するはずがないのに。
ずっとバラ色の幻想の中で彼女は生きていた。
だが、否応なく月日は幻想を徐々に灰色に染め上げていき現実の世界へと引き戻す。
「あちっ・・・」
いつの間にか煙草は指元まで焼け落ちて灰に変わり果て崩れ落ちていた。
卒業論文などの雑事に日々を追われ秘封倶楽部の活動どころかお互いにカフェに足を運ぶ頻度が日に日に少なくなっていた。
彼女の幻想はもはや限りなく灰色に染まり崩れかけていた。
彼女の頬を一筋の涙がつーっと零れ落ちる。
ただメリーに会いたい。
だがそれすら叶わなくなる。
卒業と同時にメリーは帰国してしまうのだ。
その曲げられない冷酷な事実を突きつけられ、胸が張り裂けるような痛みに襲われる。
ただただ慟哭することしか彼女にはなすすべもなかった。
彼女の端正な整った顔は涙と鼻水でくしゃくしゃになり噛み締められた艶やかな唇からは鮮血が溢れ出る。
やがて涙も枯れ果て彼女は糸の切れたからくり人形のようにその場に崩れ落ちた。
ピチャ、ピチャと水音がする。
この心地よい音に引き込まれるように瞼を自然に開けるといつも見ている薄汚いシミのついた天井がそこに存在していた。
「蓮子、目が覚めたのね。」
いつも聞いていたはずなのに何処か懐かしい声が枕元から響いた。
その声を聞いただけで涙腺が緩んでしまうような感覚に襲われる。
「メリー・・・なの?」
「ええ、一通り用事が昨日で済んだ事だし、蓮子が今頃卒業論文に追われてどうせロクなものしか食べてないだろうと差し入れを持ってきたらあなたがベランダで倒れてたのよ。ビックリしちゃったわほんと。何があったかは分からないけど冬の寒いこんな時期にベランダで倒れるなんて心配で私が寝れなくなっちゃうからやめてくれないかしら。」
そう言いながらメリーは私の頭に乗っていたタオルを交換してくれた。
ぼーっとした頭にひんやりとした心地の良い感覚にひたされてとても気持ちが良い。
だるい身体を起こしてメリーの方に視線を向けるとメリーは桶に組んだ水の中でタオルを絞っていた。
タオルを絞っているその手はいつものふっくらとした感じはなく寒水に長時間浸していたせいかあかぎれが痛々しく目立った。
自責の念が津波のように溢れ出る。
独りよがりの悲しみで一番大切な人を自分が傷つけてしまった。
後悔してもしきれない。
私はなんと愚か者だろうか。
「メリー、ごめん。」
「あら、蓮子どうしたの?」
「後数ヶ月で大学を卒業してお互いに離れ離れになると想像したら涙が止まらなくなって、でもそんな事であなたを傷つけてしまった事が何よりも悔しくて申し訳ない。」
「この位大丈夫よ、蓮子。」
「でも・・・」
「なら、一つお願いするわ。私の手を蓮子がさすってくれないかしら。」
そう言ってメリーは私に手を差し出してきた。
冷え切ったその手は慣れない看護を目一杯してくれたことを物語っている。
私は少しでも温めようと優しく包み込みそっと撫でた。
「ねぇ、蓮子」
メリーが言葉を紡ぐ。
「確かに私は卒業後帰国してしまうわ。でももう二度と会えないなんて訳はないでしょう?そんな悲しいことを考えるより論文が書き終わったらどこを一緒に冒険するか考えたほうがずっといい事だと思うわ。」
「それも、そうね。」
月日は時として人の立場を簡単に変えてしまう。
けれども人の思いまでは変えることはできないのだ。
そう思った途端灰色に染まっていた幻想が崩れていくのを感じる。
そしてモノクロにしか見えてなかった現実が急に色鮮やかになった気がした。
境を隔てても尚一つ。
これからも頑張って下さい。
少し自然ではないところがあったので
わずかでも希望が出てきたことを色に例えるのが上手いなと思いました。