Coolier - 新生・東方創想話

その女、夢の郷より来たりて

2013/12/10 20:28:05
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 マエリベリー・ハーンは、親友である宇佐見蓮子の相談に乗ったことを少なからず後悔していた。
 夕日の光は雲を貫くことなく紫の影を作り、大地を掬い上げるように照らしていた。首都に立ち並んだ高層ビルに真っ向から衝突し、一枚の影絵を浮き上がらせてもいた。築数十年経つ古いマンションにもそれは言え、明らかに時代遅れなセキュリティと、それ相応に金のかかっていなさそうな外観も、その絵画の一部となっている。それでも都の中心部に建っていられていて、尚且つ住人もそれなりにいるし、寂れてはいなさそうだった。その中程、十数階のとある一室のドアの前に、マエリベリー・ハーンは棒立ちになっている。
「はぁ……」
 メリーの体の底から思わず重苦しい息が漏れる。そろそろ寒気も張り切り始め、重ね着を余儀なくされている最中、息を吐く毎に白い霞が吐き出される。
 メリーの下宿はもちろんここではない。彼女の親が奮発してかなりいい物件に暮らしているし、かといって親友が住んでいるわけでもない。いや、大きな括りで言えば間違いではないが、宇佐見蓮子の部屋はこの隣だ。つまり目の前に臨んでいるのは、メリーにとって他人の家ということになる。初対面。事前知識ほとんどなし。板というよりも塊のように感じる鉄のドア。無意識の内に張り詰める抵抗感。すべて無理もないだろう。何の懸念も無しに赤の他人の家にずかずかと乗り込めるような種別の人間は、どうにかしている。
「……やっぱりなぁ」
 ドアの脇にある、メリーの目線ちょうどのところに設置されているインターホンを押して、ベルを鳴らそうと腕をあげる。しかし決心がつかずに溜め息をつきながら肩を落とす。そんなことの繰り返しが、かれこれ五分続いている。やっぱりやめておけばよかった、と誰もいないであろう蓮子の部屋の方に彼女を当てはめて、恨めしそうな視線を送った。
「もう、蓮子のバカ」

 事の発端は、蓮子がキャンパスでメリーに相談を持ちかけたのが始まりだった。
 最初はいつもの結界をめぐる探求かと思ったが、蓮子の様子から胸躍る冒険心の高揚は感じられず、深刻そうな面構えで、さらにわざわざ声を潜めていたことから、メリーも真面目に話を聞かねばと態度を改めた。進路の話とも、生活上の話とも、はたまた両親の話とも、いくらでもその筋の話である可能性はあった。それでもメリーは、親友の悩みを受け止める覚悟があった。見逃したくなかった。
 蓮子曰く、隣の部屋に住んでいるおばさんになにかとお世話になっていたのだが、最近様子が変で、元気付けてあげたいとのことだった。
 聞いてみると彼女自身に起きた話ではなかったが、東京から上京し、現在独り身で頑張っている蓮子にとってかなりの支えになっている人らしく、彼女なりの恩返しをしてあげたいらしい蓮子の優しさをしみじみと感じ取ることができた。
 メリーは快諾し、蓮子はメリーの助力を得られたことに安堵した。蓮子は教授からの呼び出しがあって遅れるらしく、いつ終わるとも知れないから先におばさんに会っておいて欲しいとのことだった。蓮子は用意周到で、既に親友も連れていくという連絡も、遅れるという連絡もしているらしかった。メリーは蓮子と一緒でないことに一抹の寂しさを覚えつつも、蓮子の借りているマンションに向かった。

 メリーは、このまま立ち往生していてはダメだ、と一つ深呼吸をする。幸い住民に出くわしてはいないものの、今の状態は端から見れば不審者と思われても不思議ではない。それに心臓が痛いほど早鳴りしても、山場を過ぎてしまえば何のこともない。すべて終わって振り返ってみればどうもしなかろう。
 メリーが一大決心をしたところで、小刻みに震える指を必死に制御しながらボタンへと近づける。対面した時に狼狽してしまい、噛んでしまったり挙動不審になってしまうのではないかという心配もあるが、やってみなければわからない。
 が、そんなメリーを嘲笑うかのように、彼女の肩がけの鞄に入っていた携帯が流行りの音楽を鳴り散らした。予想外のところから予想外の大音量が鳴り響き、電流が走ったかのように跳ねるメリーの体。冷や汗をかきながら鞄を開け、しかし易々と携帯が見つからない。手を突っ込んで掻き回すように探って、ようやく純白の多機能携帯端末を手に取った。
 ステータスバーに『新着メール(1)』とある。ロックを解除してメールボックスを開くと、題名がごめんとなっている蓮子からのメールだった。嫌な予感がしつつもタップしてメールを開いた。
“少し遅れる!”
 胸の奥から何かが出るのを抑えながら、メリーは了解、と返信した。なぜ遅れるのか理由も教えてくれず、どこにいるのかもわからず、ただ用件を伝えるだけのメール。仕方なくなのかもしれないが、いまいち釈然としない。送信中のバーが満タンになったのを見計らって、メリーはゆっくりと携帯を上着のポケットにしまい、
「もうっ」
 自棄気味にインターホンを鳴らした。
 はーい、という妙齢の女性の声がドアの向こうからくぐもり、スリッパを履いているのか少し高めの音も聞こえてくる。砂利を踏んだざらざらした音がして、しばらく中の動きが止まった。たぶん来客を確認するために覗いている。追い返されるような変な格好もしていないし後ろめたいこともないが、できるだけ好印象を与えられるようにとはにかんでみた。
「あら、こんにちわー」
 鍵が外される独特の低音がし、金具が外れそうな音を立てドアを開けたのは、白髪混じりの黒髪で三十代後半から四十代前半であろうが、それにしてはかなり活動的な雰囲気の女性だった。そのお陰か一見二十代に見えてもおかしくはなく、メリーに送っている笑顔も若々しくエネルギーに満ち溢れていた。ただ、染めたように不自然な黒髪は良くない目を引くものとなっている。
「あの、宇佐見からうかがっているとは思うのですが……」
「知ってるわよー、メリーちゃんよね」
「はぁ……」
 初対面らしく礼儀を正して接していこうとした矢先、いきなりあだ名で呼ばれ、気の抜けた声を出してしまうメリー。もちろん蓮子がメリーメリーと彼女のことを語っていたからかもしれないが、好感度も何もない赤の他人に呼ばれるのは少しだけ不快だった。
「ささ、どうぞ入って入って」
「……失礼します」
 大袈裟な身ぶり手振りを交えて中に招き入れる女性に、メリーは辟易するのを愛想笑顔で隠しながら、よそよそしく玄関にお邪魔した。


 リビングに入ってみるとメリーや蓮子と自室と比べ物にならないぐらい綺麗に保たれていて、恐らくOL時代に購入したであろう上品な黒のお洒落なソファに座らされた。深く座らず背筋をまっすぐにして、台所でお茶の用意をしている女性を待つ。
 女性の名前は永田と言った。父親に勘当されつつも長い間自分の夢を追っていたが、そのせいで大変な目に遭い挫折したらしい。故郷からもほとんど追い出される形だったそうだ。結婚はしておらず、ただひたすら仕事に励んでいた彼女だったが、体が耐えきれず一旦入院し、その後も職場に復帰できずやむ無く退職して、再就職先を模索しながらパートなどで生計を立てているとのこと。ちなみに永田がベラベラと喋りだしたことだ。身の上について無頓着というか、空想上の話をしているようで、あまり悲観はしていなさそうだった。聞かされるメリーにとっては、あまりそそられるものではなかったのだが。
 だがしかし、気難しい人でなくてよかったとメリーは安堵した。無言の空間に二人きりというのはなかなかに辛く、メリーにとってもそれはかなり苦手だ。蓮子のように話題が途切れないというのも疲れはするが、空気が体に重くのし掛かってくるよりかはましだった。尚、蓮子との付き合いがいやというわけではなく、蓮子のようなタイプは一人で十分ということだ。メリーのコミュニケーションの七割は蓮子が占めていると、メリー調べで分析がされている。
 永田の様子を見てもまだ時間がかかりそうで、何か思索に耽ることができそうなものはないかを、メリーはリビングの中に探す。
 メリーはここを整理されている、という印象を持ったが、実は物の数は秘封倶楽部の二人とは桁が違うほどであった。論文や評論などを結構所有している蓮子よりも書籍の数は膨大で、小物やアクセサリーなんかにも気を遣っているメリーよりも装飾品や細々としたものは莫大なほど。その他にも用途のわからない色物や骨董品屋でもお目にかかれないような、もはや異物と言っても差し支えないほどの逸材が山のように陳列され、異端な学者の書斎でもまるで違和感がなかった。本を収納しているインテリアからもレトロチックな香りが漂い、収集家という面も見受けられる。
 さらにいうならば、ドラマなどでよく見る、タイムスリップした主人公が、近代の文人を訪れたときの雰囲気にも似ていて、それが永田という人柄とのギャップもあり時代錯誤というものを実感することができる。
 果たして永田は本当にただのオフィスレディだったのだろうか。もしかして隠居をしている偉人だったり巷で有名でご高名な学者だったりするのではないだろうか。そうやって疑うことすらできてしまう。
 型落ちしたばかりの薄型テレビを囲う、模様豊かな木製の本棚を見ても、分厚い洋装に様々な言語が彫られているいかにも高そうな本があったり、かと思えば本の背を紐で結んだだけの簡素な作りのものもある。しかしそれも明らかに古文書のように威厳を漂わせていた。タイトルは『幻想郷縁
「待たせてすまないわねぇ……」
「あ、いえ、とんでもないです」
 そうこうしている内に永田が湯飲みと急須、そして醤油煎餅を乗せた皿を盆を使って運んできた。紅茶など洋風でないことに新鮮味を覚えつつ、メリーは軽く頭を下げる。永田が丁寧にお盆を置き、湯飲みに緑茶を注いだ。
「私は昔っから和食派でねぇ」
 永田はメリーの無言の感想を察したらしく、笑いながらそう言った。
「パンも十三枚しか食べたことがないのよ」
「そうなんですか……」
 それはさすがに誇張だろうとメリーは突っ込みを入れつつ、玄関の前での無駄な攻防のせいで乾いた喉に、染みる苦さを流し潤わせた。
 永田はふかふかなソファに座らず、あえてフローリングの床に正座する。メリーがお気になさらずとも、と止めるも、こっちの方が性に合ってるもので、と永田は聞かなかった。和食が好きだということから、永田が畳と密接に関わって暮らしてきたという環境で育ってきたのだろうとは想像がつくし、不思議ではない。
 さっきのメリーの様子を見ていたのか、永田は自分の所有する様々な書籍を収納している本棚を見回し、
「驚いたでしょ」
 自慢げにメリーに訊いた。
「ええ……凄いですね……」
 メリーは飾りっけのない感想を永田に返した。これほどの量を集めるのには膨大な時間がかかっただろうし、全部に目を通したかどうかは置いておいて、これは称賛すべきことだと思ったからだ。これが昔追っていた夢の足跡というやつだろうか。
「いったいどれくらいの時間をかけたんですか?」
 疲れそうな相手だということも頭から離れ、メリーは好奇心を膨らませる。目の前にいる元夢追い人は、どんな人生を送ってきたのだろうか。
「そうだねぇ……こっちに来てからだから……ざっと二十年くらいかな?」
「二十年……」
 予想はしていたが、それでも永田の口から出た二十年という重みは、何倍もの質を伴っているようだった。
「子供の頃からの趣味でねぇ」
「趣味……ですか」
 寂しそうに頬を緩める永田だが、趣味の一言ではとても片付けられない有り様だ。永田という人間がいかにちぐはぐなのか、メリーは口を閉ざすことしかできなかった。
「……京都の生まれですか?」
 永田の様子からして沈黙の帳が降りてきそうで、慌ててメリーは質問を捻り出した。永田にとっては少し唐突だったようで、意外そうに目を開く。
「……いや、幻想郷から来たんだ」
 メリーの足元を見るような不敵な笑みを見せる永田。その口から紡がれた単語、『幻想郷』に、メリーは心臓を掴まれたように強く鼓動した。いかにも博識そうな永田から飛び出した突拍子の無く、現実味のなさ。もちろんメリーをからかうためのものの可能性が高い。現に永田の表情は悪巧みをしているときの蓮子そっくりなのだから。
 しかし無下にできないのも事実だ。メリーがついさっき目にした書物の題名。そして僅かながら永田の声色にのせられていた哀愁。何か意味があるに違いない。
 そういう意味でも、また、蓮子がお世話になっている人に対してあまり皮肉的になるつもりはないという意味でも、メリーは永田にもう少しだけその話を掘り下げてもらいたい。
「それはどんな所なんですか?」
 話を真摯に受け止めようとしているメリーに、永田は口調が変わるほど動揺を隠そうとはしなかった。冗談のつもりで、そんなはずはないと笑い話にして流そうとしていたのだろう。漫画の話をしようとしているのに現実ではあり得ないと真面目に返されるような心地なのかもしれない。むしろ話題を転換させた方が嫌みにならなかったんじゃとメリーが気がついたのは、そう大してかからなかった。
「……そうだな」
 普通の人ならそこで詰まったりしそうなものの、永田はふと柔和そうな笑みを崩し、人が変わったように眉を潜め、真剣に悩み始めた。無理に話を作っているのか、はたまたメリーが信用に値する人間なのかを考慮しているのか。永田のメリーを見る目は、遠方の友の面影を彼女に重ねているようでもあった。
「……それじゃあ話してあげましょう」
 永田は一旦目を瞑り、今度は祖父が孫に自伝を語るときのような口調で、自嘲気味に口元を緩めた。
「私の大好きな、故郷の話を」






 幻想郷には土地一体を見渡せる神社がある。 そこの巫女が幻想郷を守っていて、自然と住人たちが集まっていた。
 幻想郷には人間だけじゃなくて妖怪も住んでいる。妖怪は人間を食べるけど、ちゃんとしたルールもあって、何となく平和に暮らしていけている。
 幻想郷には弾幕ごっこというのがあって、人間も妖怪もみんなそれをやっている。実力勝負じゃなく、芸術性が勝敗を決める。
 幻想郷には神道だけじゃなくて仏教も道教もあって、キリスト教の悪魔も存在していて、宗教争いが一時期話題になった。
 幻想郷には人間にとって猛毒な環境の森があって、一人の馬鹿な女の子がそこに住んでいた。当座はよかったが、ある日大失態を犯してしまった。
 幻想郷には新聞屋もいて、若干鬱陶しかったが速さだけは素晴らしく、並ぶものがいなかった。彼女に迷惑をかけられた人妖は数知れず。
 幻想郷にはそれは怖く胡散臭い大妖怪がいる。底が見えず思考も読めず、そのくせ悪戯好きで面倒ばかり引き起こすが、幻想郷を作り出した賢者で、味方になれば彼女ほど心強い者はない。なんだかんだで頼りにしている。





 時に懐かしそうに、時に怒りながら、時に悲しそうに、時に笑いながら、時に誇らしげに、幻想郷について永田は語る。まさに自分の生まれ育った故郷を自慢しているようで、メリーもとても空想の世界とは思えなかった。メリーの瞼の裏にも光景が浮かんでくるようで、永田の語り草が上手かったのも相乗し、彼女の精神が曖昧にくるまれたように浮遊しかけていた。
 彼女の話が嘘だとするなら永田が常日頃から構想を練っていたとしか捉えられず、夢見がちな少女のような彼女を、メリーは半ば奇異の視線をもって眺めている。永田も人に打ち明けられたことで気を良くしているのか、機嫌よさげに目を細め、メリーに幻想を見出だしている。
「あ、お茶のおかわりいる?」
 いつのまにかメリーの湯飲みも皿も空になっていた。永田の話に夢中になっていて、気づかなかったのだろう。
「あ、すいませんお願いします」
 メリーが軽く会釈をし、永田が急須からお茶を湯飲みに注ぎ直した。水面から淡く湯気がたっている。手に持ってみると、さっきよりも温くはなっていた。
 永田が壁にかけられた振り子時計を見上げ、メリーもそれにつられる。あれからかれこれ四十分以上が経過していた。驚愕、とまではいかないが、少なからず驚いたのは確かだ。楽しい時間はあっという間にすぎるように、永田の語る幻想郷に夢中になっていたからだ。蓮子には申し訳ないが、すっかり彼女を待っていることが頭から抜けていた。まるで今日は永田に招かれていたような錯覚がする。
 永田は幻想郷を、もちろんそこの住人も愛していたようだし、つまり彼女がそこを離れているという現状は、にわかに矛盾を孕み出している。ただの夢物語か、空想か、現実逃避か、その境界をメリーは見ることができない。
 ただ一つ言えることは、目の前の永田という女性は、自分達とよく似ていると思ったことだ。目に見えない何かを必死に、楽しげに探し求めるその姿は、秘封倶楽部というサークル活動を通して世界の秘密を暴こうと足掻くメリーたちと非常に酷似していた。自分達の生き甲斐を絵空事と揶揄しているのではないのだが。
 と、無機質な電子音がリビングに響き渡った。束の間の静寂を取り戻していた空間に、それはひときわ通っていたようだった。メリーが永田と共に音のした方を向くと、廊下との境目近くにある柱に取り付けられていた機械のディスプレイに、蓮子の顔が映っていた。走ってきたのか息は少し荒く、黒髪も少し乱れていて、胸に手をあて落ち着こうとしている。
「ようやく蓮子ちゃん来たわね」
 永田がヨッコラセと呟いて立ち上がり、蓮子を迎えにいった。もう少し永田の世界に触れておきたかったと残念がりながら、それでもやはり親友のお出ましにメリーは嬉しくなった。

 誰かの視線を感じ振り向いてみても、壁紙が少し裂けているだけで、改めてこのマンションの年季を実感させるものに他ならなかった。





 あれから三人は特に何をするわけでもなくただ喋り続け、 日が暮れる頃に解散ということになった。蓮子は明日が休日というのもあり、メリーに泊まっていかないかと提案し、メリーは二つ返事で承諾した。蓮子の借りているマンションは相変わらず片付いているのかそうでないのかわからなく、やはり永田とは違うのだなぁと思いながらも夕食を共にした。
「永田さんどうだった?」
 メリーの後に入浴し、髪をタオルで乾かしながらテレビの前に陣取った蓮子がそう訪ねた。そういえば今日はテレビで未確認存在の特集をやるはずだ。見るつもりなのだろう。
 メリーは一人用のソファを占拠していて、
「……私が言えることじゃないとは思うけど、特におかしいと感じるところはなかったわ」
 蓮子は永田が心配だからメリーを誘ったはずだし、何かしらトラブルやアクシデントがあり、それについて永田が落ち込んでいたり荒んでいたりしていたというのを想定していたのだが、メリーから見ると、特に無理に振る舞っているというのは微塵もなかった気がする。
「じゃあさ、幻想郷の話、してた?」
「ええ、なかなか興味深いと思ってたけど」
 そうメリーが答えると、蓮子はあからさまに渋い表情を作り、カーテンの締め切られた大きな窓の向こう側を透かすように視線を送った。蓮子も聞いたことがあるのだろう。だとするならばなぜ食い付きが悪く、いつものようにインスピレーションが喚起されずにこのような反応をするのだろうか。蓮子もメリーのように惹き込まれてもおかしくないはずなのに、だ。
「……永田さんが幻想郷の話をしだしたのは、実はつい一週間前のことなのよ。それまでは普通の賢そうな人だったんだけど……」
「単にそういうことを話してくれるまで仲良くなったんじゃなくて?」
 窓に写るだろう蓮子の表情は遮られ見えず、ただ彼女が目を伏せたことだけがわかった。
「じゃあさ、『期限が来た。そろそろ紫が私を迎えに来てくれるはず』って力説されたらどう思う?」
「期限……ゆ、紫?」
「そう、二十年間幻想郷を探し続けて、ようやく帰れそうなんですって」
 蓮子が立ち上がり、台所に向かい、冷蔵庫の中からカップアイスを二つ出して、「寒いけど別にいいよね」と一人納得しながら片方をスプーンと一緒にメリーに手渡した。渡されたカップを暫し呆然と見つめ続け、永田の顔を思い浮かべるメリー。
「そりゃ最初は私も面白そうとは思ったけどさ、それを私に話してるときの永田さん、私を見てなかったのよ。目が、笑ってなかったのよ」
「……」
 蓮子の体は軽く震えているようだった。蓮子が恐怖を感じるほどに、永田から狂気を感じたというのか。
 例えば家族とまではいかないまでも、親戚なりクラスメートなりそれなりに恩があったり近しい人がいるとしよう。その人が豹変し狂ったように“私はこの世界の住人ではない”“時は満ちた。私は帰らなければならない”と執拗に訴えかけてきたとしたら、蓮子のように特殊な人間でさえも怯えたり混乱しないわけにもいかないだろう。
 一時の間だけ蓮子は怖がっているだけかも知れないし、だとすれば時間が蓮子を救ってくれるはずだ。何かしら対処もできるし、メリーと同じように活動のエネルギー源にもなるかもしれない。
「だから何かあったんじゃないかって思ってさ、永田さんメリーにも会いたがってたし、元気になってもらうためにと思って今日来てもらったんだけど……」
 蓮子がメリーに視線を戻した。申し訳なさそうに肩を竦めている。
「なに辛気くさくなってるのよ。私は別になんとも思ってないし、ひとときでも不思議な感覚に酔いしれたしオッケイよ」
 蓮子が勝手に感じている罪悪感を薄めるためでもあるが、メリーは本心を口にした。もし永田のいう幻想郷が本当にあるのだとしたら、むしろ見つけてみたいものだ。彼女の愛した場所というのは、いったいどんな素敵な楽園なのか、興味がわく。
「そう言ってもらえると助かるわ」
 蓮子の漏らした安堵の息。自然とほころんだ。
 何気なしに顔をあげると、
「そろそろよ、蓮子」
 壁にかけられていた電波時計が、夜の九時を示そうとしていた。それに加えて、手のひらで温めていたカップアイスもいい具合に溶けてきている。
「お、じゃあ例の特番でも見ますか」
「はいはい、わかってたわよ」
 蓮子がテレビのリモコンをつけると、ちょうど番組が始まったところだった。今回は日本のどこかにあると言われる伝説に近い秘境について徹底考察するらしい。永田も時代遅れなテレビでこれを見ているのだろうか、メリーは少しだけ気になった。





 秘封倶楽部の二人の朝は、比較的早い方だ。就寝したのは深夜十二時を回った頃だったが、起床は八時前だった。そこから朝食の支度をしたり着替えなどをしているといよいよ九時になってしまうのだが、バイトも入っていない貴重な完全フリーの休日に、どちらもそうこう言わなかった。
 蓮子がベーコンエッグを焼いている間に、メリーはシャワーを浴びる。毎朝ゆっくりできるときは欠かさないと言い、欧州の人間は大体そうだとも言い張っている。中世において、欧州には、生涯で二度しか入浴しなかったことを自慢していた女王が存在することを照らし合わせてみると、蓮子は正直首をかしげてしまう。
「メリーは今日これからどうすんの?」
 蓮子が煎れたてのブラックコーヒーを啜る。猫舌な蓮子の舌に合うよう、ほどよく冷まされている。
「特に予定は……ゼミの用意をすることぐらいね」
 咀嚼していたベーコンを飲み込んでメリーが答えた。蓮子のところへ急にお邪魔しても対応できるように、と置いておいた服に着替えている。
 あの夜、メリーは蓮子と一緒にベッドに入っても、永田のことが頭にこびりついて離れなかった。正確に言えば、幻想郷についてだが。いったいどんな里なのだろうか、想像を膨らませていた。思い返してみればメリーの見る夢の世界とも多々共通点があり、しかしそれは永田はメリーの夢から飛び出してきた存在なのかもしれない、という荒唐無稽な発想も浮かび上がってくるほどだった。ただそんなでもロマンチックだなぁとメリーは呆けている内に朝を迎えた。もう一度だけでも会ってみたいものだ、と。
「ねぇ、

 蓮子はどうなの、と今度はメリーが問いかけようとした瞬間、大きな塊が高所から落下したような、深刻な重音が壁を震わせた。二人は揃って背中を跳ねあげ、弾かれたように顔を向けた。音がしたのは、永田の住む部屋からだった。
「メリー!」
 蓮子が焦りながらメリーの名前を呼んだ。メリーは一瞬だけ蓮子に目配せをして、椅子が倒れる勢いで一斉に立ち上がった。
 永田の部屋のドアの前に辿り着き、インターホンを鳴らす。中で人が動く気配もない。再度押してみても、鉄製のドアは二人を拒むように鎮座したままだった。
「永田さん!」
 悲鳴混じりに蓮子が永田を呼ぶ。ドアを拳でノックすることもした。
「鍵はっ!?」
 扉にへばりつく蓮子を引き剥がし、メリーがドアノブに手をかけ、勢いよく回す。今度は、二人に急げと言わんばかりにすんなりと扉が開いた。一瞬メリーと蓮子は驚きに目を合わせ、そしてすぐに靴も脱がず永田宅へ上がり込んだ。
 肌を突き刺すような冷風が廊下を走り抜ける。まっすぐリビングへ続く廊下からも、突風によりひらめくカーテンが目視できる。小さなガラス片が散らばっているのか、板張りの廊下のあちこちが朝日を反射しきらめいている。
「永田さん!」
「大丈夫ですかっ!」
 永田はリビングの中央で、魂が抜けてしまったかのごとくへたりこんでいた。腰ぐらいの高さがあったテーブルもひっくり返り、ガラスのあった枠にその身を投げていた。電球も割れ、フィラメントも切れているはずなのになぜか灯りが不気味に明滅している。数多の書物が床に叩きつけられていて、奇怪な図形の書かれているページが風にさらわれていく。
 メリーたちが、邪魔をする障害物を乗り越えなんとか永田に近寄り、その肩に触れた。
「永田さん、永田さん!」
 永田の名を、彼女の体を揺さぶりながら必死に繰り返す蓮子。しかし永田は、山の高嶺に登りきった登山家のような、大平洋をボート一つで横断した冒険家のような、生涯の夢を実現した老人のような、達成感に満ちた表情で虚空をずっと見つめ続けていた。口も半開きで、何かを呟いているようだが、轟音で断片的にしか聞き取れない。空耳かもしれないが、ユカリ、という人名のようなものは判別できる。永田が何を囁いているのか詳しく聞き取るために、メリーは耳を永田の顔に近づけるが、

 病的な、この世のものとは思えないほど白い腕が永田の顔に忍び寄っているのが、メリーの視界に入った。永田しか目に無かったメリーは畏怖の念を感じる間も無くその腕を凝視する。その腕はまるで永田を迎えに来た死神の物のようで、彼女がこれに触れてしまえば取り返しのつかないことになる気がした。
 蓮子には見えていないようで、今にも延びている手に構うことなく、永田の意識を復活させようと尽力している。メリーが叫ぶ。永田の体を押し倒そうとするが、猛烈な風圧により力を入れられず、むしろ永田を腕に引き寄せているようだった。
 腕の指先が永田に触れる、その刹那、メリーは腕の出所に振り返った。

「スキマ……」

 期せずメリーから、直喩した単語が溢れ出る。だがそれも激痛を伴った光に掻き消され、蓮子とメリーは眩しさに目を潰されてしまった。



 カメラのフラッシュを直視したように残像が目を覆ったが、二人の視界が回復する頃には暴風も止み、すると二人はすぐさま永田の安否を確かめようとした。
「永田さん?」
「……永田さん」
 散乱した家具や書物のみが沈黙している。都心だというのに、時間が制止してしまったかのように静けさがメリーたちを襲う。
 永田は忽然と姿を消してしまっていた。
「……永田さん、どこいっちゃったのよ」
 蓮子が、風通しのよくなった窓から見える景色を、自失しながら展望している。朝日が憎たらしいほど笑っていた。
 永田はどうしたというのだろうか。今何処にいるのだろうか。幻想郷に迎えられたのだろうか。期限とはなんだったのか。それはわからない。知る術をメリーたちは持たない。
 メリーもしばらくは蓮子の視線を追っていたが、日の光を見ることがだんだんと辛くなり、ほどなくして下げられる。
 メリーの足元には、『幻想郷縁起』という題名の古ぼけた本が一冊、ボロボロになりながら倒れていた。
流刑って昔の日本だと結構重い罪でしたよね

ある特撮の不思議な回を見ていて思い付いた話です
今回もチャレンジ精神を燃やしてみたり

ウクバール=幻想郷、ルクー=紫、永田=主人公の内で金髪の方

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コメント



0.320簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
魔理沙はなにやらかしたんでしょうかね
5.100絶望を司る程度の能力削除
あぁ、魔理沙だったか…コメント欄見て初めて分かった。マジで何やらかしたんだ?
6.90非現実世界に棲む者削除
パンを十三枚しか食べたことがないという台詞から魔理沙だなと判別しましたけどホントに一体どういう失態をおかしたんでしょうかねえ。
彼女が蓮子と会ったのも偶然ではないはず。
もしやあのお嬢様が...何て考えてみると何か面白いです。個人的に。
てかこれって輝夜のそれと似てない?
7.90名前が無い程度の能力削除
それは本当に流刑だったのでしょうか?巫女でも妖怪でもない人間故に外でも生きられ、しかし最高位の幻想を振り回し、卓越した行動力とコミュ力を備える英雄。外の世界に影響を与えうるほぼ唯一の存在です。惜しむらくは、生まれも育ちも幻想郷な彼女にとって、外の生活は拷問でしかなかったということでしょう。
12.90名前が無い程度の能力削除
想像の余地が多くておもしろい。しかもかなーり重い背景がありそうだ。
許されて戻れたのか・・・それとも?
13.90奇声を発する程度の能力削除
魔理沙はいったい何を…
14.80名前が無い程度の能力削除
こわ
15.90名前が無い程度の能力削除
おや続くのかしら
16.100ボムの人削除
続きが!読みたいッ!
17.80名前が無い程度の能力削除
秘封物はオリキャラ居るのが比較的自然だから、パンが13枚のシーンまで魔理沙だと分からなかった

あ、永田が永井になってる箇所がありました
19.100名前が無い程度の能力削除
これは面白かった
20.90名前が無い程度の能力削除
色々と想像が膨らんでしまう作品。しかし膨らむ余地が有りすぎて少しだけ困ったり。
22.100名前が無い程度の能力削除
うーん、幻想郷に帰れたのか、それとも取り返しの付かないことになってしまったのか...