少年が森の茂みの中で、パンツをくるぶしの所まで下げて立ちションをしようとしていた時、三匹の妖精が飛び出してきた。
天気のいい朝には、少年は必ず森の中で立ちションをすると決めていた。
犬のように縄張り意識のマーキングをしているわけではない。ただ、森の中に小便を出すとこで、自然と一体になろうというのだ。
丸出しの下半身は周囲の木々の気配を鋭敏に感じ取る。木々の息遣いが産毛をざわつかせ、これらは物ではなく命なのだと、少年は自然の雄大さに感じ入る。
その命に、少年は小便を注ぐ。
畑に施肥するとき、大人たちは肥溜めを利用する。つまり小便とは命を育む水なのだ。
己の身から出たものを自然の循環の中に組み込み、育む。そうすることで母なる大地との大いなる合一が可能となると少年は考えていた。
そして妖精とは自然の化生である。つまり、音もなく飛び出した三匹の妖精に己の半身を向けたのはごく自然の流れであり、元気に育てよと命を育む水を先走らせたのはこれまた当然の帰結であった。
だがなぜか少年の深遠であるいは冒涜的な所作に「gじゃえtふぃ:あbへdrっ」と意味不明な奇声を上げ、妖精たちは閃光を照射した。
突然視界を白色に奪われた少年は仰天した。時に自然は理不尽に牙を向く。少年は、そんな当たり前のことを忘れていたのだ。
「なんとぉ!」
絞り出したように言うと、少年はそのまま尻餅をついた。臀部特有の柔らかな素肌に地面の硬い衝撃が伝わる。
これもある意味大地との合一に相違なかったが、未だ柔肌な身である少年には些か早いものだった。
とはいえこの場で気まぐれの女神が身ぐるみ剥ぎ、少年を森の妖精へと転じさせたとしても、少年はその悲運を嘆きはしなかっただろう。
「gじゃえtふぃ:あbへdrっ」
だが、少年にもたらされたのは、自然の化生による無慈悲な制裁だった。
辺りは、眩い閃光に包まれている。何もかもが白色になるそれが、太陽光を屈折したものだと少年は知る由もない。
たまらず少年は駆け出す。パンツを上げる手間より脱ぐ手間が勝った。だから少年はパンツをその場に脱ぎ捨て、兎にも角にも駆け出した。
「くそおう!」
それは少年の咆哮だった。別に糞がしたくて叫んだわけではない。訳も分からず逃げ出す事しか出来ない、己の未熟さを嘆いての咆哮だった。捨て台詞と言い換えることも出来るかもしれない。
少年は茂みを根こそぎ伐採するような勢いで抜け出す。視界も、若いためか僅かの間に回復した。目の前に田々畑が広がる。街道に出たのだ。
これで一先ず安心。閃光が収まるのを待ち、パンツを回収してから人里へ戻ることにする。
少年は自然との合一のために気がつけば半裸になっていることが多い。その事で友人知人から漏れ無く変態と揶揄される少年だが、分別ぐらいはある。さすがに下半身を晒したままにしておくわけにはいかない。それではただの変態だ。
そうした算段を少年が打ち立てた時、その頬を何かが掠めた。血こそ出ていないが、薄っすらと火傷が線上に浮き上がる。
「gじゃえtふぃ:あbへdrっ」
すぐ近くで聞こえる妖精たちの奇っ怪な声が、少年の算段を木っ端微塵に粉砕した。何を思ってか、妖精たちは錯乱したまま少年を追ってきたのだ。
少年は、急ぎ手を翳し弧を描いて振り返る。薄目から覗けるのは、変わらず閃光を照射する妖精たち。だが先ほどと違い、その周囲には弾幕らしきものが浮かんでいた。
「!」
頬を掠めたのはそれだろう。少年は背筋に冷たいものが直立に挿入されたように感じた。本能が逃げろと少年に告げる。無慈悲な自然の制裁は、まだ終わってはいなかったのだ。
何がどうしてこうなったのか。自分は自然と一体になっていただけなのに。
少年は、これはきっと自然を尊重しないヤツラのせいだと確信した。自然が怒っているのだ。そのとばっちりを自然に寄り添っていた少年が受けているのだと。ならば人間が自然に対して出来る事はただ一つ。逃げることだけである。先程とは違う、意志ある撤退だ。
そうこうしているうちに、荒々しい一陣の風とともに厚い弾幕が放たれた。幸い弾は拡散しておらず、少年はほんの少し身を捩るだけで躱すことが出来た。
だが二度目はない。少年は心の赴くままに疾駆した。
「サニー! ほらあっちよあっち! ここで身体を右に向けて!」
背後で弾幕が地面に降り注ぐ音がした。背中にやけに熱いものを感じる。だがそれは弾幕の熱だけではないようだった。
「ほら! まだ光の屈折をやめちゃダメよ! 目眩ましはしておかないと!」
「そ、そうね! なんだかよくわからないけどわかったわ!」
「ちょ、ちょっと待って転けそう!」
キャーキャーと姦しい声が辺りに響くが、太陽光を照射されている少年の耳には届かない。止まれば危うい。少年の身体は、ただそれのみを至上とし酸素を身体に取り込む。
風を切る。腕を振り、腿を高く上げる。早く、より疾く。少年の目は、遥か先を凝視していた。果て無き道を、その果てまで駆け続けられるように。
少年は、ここにも自然との合一を見た。自然とは草木だけでない。大気もまた自然なのだ。風を多靡かせ、疾走することのなんと気持ち良いことか。
自然とは、雄大である。合一を目指す手段は一つではないことを、少年は悟った。
そして少年は、今や人間機関車となりつつあった。少年の行く手に人がいないのは幸いである。
いたとしたら、少年は汽笛を上げざるを得なかったであろう。少年が傷つくからではない。少年にぶつかれば、その者が跳ね飛ばされるからだ。
もう一度、背後に弾幕が降り注いだ。さっきよりも近い。地面に叩きつけられた弾幕は、その勢いで転がっていた小石を少年に向けて飛ばす。
それは悲劇であった。機関車に限りなく近づいたとはいえ、体は鉄ではない。所詮は人の身である。男である。
小石は少年の、将来はおなごに種を蒔くであろう器官の先っちょを掠めて飛んだ。平素であれば、パンツにより絶対の守護が約束されていたであろう。しかし、少年はパンツを捨てていた。『刃と鞘、拾うは鞘ぞ』という祖父の言葉が湧き上がる。少年は、祖父の教えを守れなかった己を恥じた。
「~~~~~~~~~~~~っ!」
痛み。もう痛みしかない。だが唇を噛み締め耐える。涙がちょちょ切れている少年の顔を見れば、男ならば誰でも賛辞の言葉を送るだろう。
止まれば危うい。その言葉を、少年は繰り返し己に言い聞かせる。試練だ。これは試練なのだと涙ぐましい言葉を重ねて走る。
「よし、今度は当たるわ! ルナ、次はお願いね!」
「わ、わかった! でも何で私たちこんな事してるんだろう?」
「そんなの、決まってるじゃない! なんとなく楽しいからよ!」
だが無常にも、妖精たちは獲物を狩る猟師のように少年に狙いを定める。くすぶる星の弾幕が、妖精たちの周囲で今か今かと放たれる瞬間を待っていた。
少年を襲う、必殺の星雨。その気配を背後で感じ、少年は走りながらも息を呑む。死神の鎌が間もなく振り下ろされると、少年は覚悟した。
「――――――――――?」
だが、待てども待てども星は降り注がない。しかも、一度は覚悟した必殺の気配も段々と遠ざかっていくではないか。
「こらーっ! ルナの馬鹿ーっ! ここで転ぶなんて何考えてるのよっ!」
「ホントにルナはドン臭いなあ」
妖精たちが何事かを叫ぶ様子が聞いて取れた。仔細はわからないが、どうやら危機は脱したらしいと少年は安堵する。
背中に当たる閃光も消え、段々と冷汗作用も働き身体が正常化する。少年は、ついに許されたのだと自然に感謝の念を捧げた。
自然に襲われはしたが、しかし少年は自然を嫌いにならなかった。むしろ自然の力を目の当たりにし、畏敬の念をさらに深めたのだった。
下半身を露出して走ったこの経験は、自分をさらに強くする。少年の脳内は前向きだった。
少年は、徐々に走るスピードを落とす。先程まで限界に近い走りをしていたのだ。急に立ち止まれば、体のあちこちが軋む音がすることだろう。
ふと正面に意識を向けると、人里の入り口まですぐそこという所まで走っていたと気付く。
「危ない危ない。このまま里に入っちゃあ、変態の誹りは免れぬでござるよ」
年齢と合ってないと友人知人家族より指を刺される口調で、少年は独りごちた。ともあれ、このままではいけない。更なる痛みが股間を襲う前に、走ってきたのとは違う道順でパンツの回収に少年が赴こうとした時、それは起こった。
それは、必然ではあった。
少年は、先程までずっと妖精により暖かい太陽光を一身に浴びていた。その暖かさは、冬の炬燵もかくやという程である。
そして、一気に冷汗作用で身体が冷えた。暖から寒への相転移。導き出される結論は――――
「も、催してきたでござる」
尿意である。朝、起きがけに大量の麦茶を飲んでいたことが惨劇の第一幕であった。
「ど、どこかで立ちションを」
そう口に出し、瞬時に少年は己の言葉を恥じた。
立ちションとは、少年にとって神聖な行為。自然との合一のために行う儀式で、一人で豊かで救われていなければならないのが自然に対する礼儀だった。
つまり、立ちションをしようと思って立ちションをした瞬間、それはただの下賎な行為に成り果てるのだ。少年は、その様に堕ちたくはなかった。
ならば、どうするか? もう氾濫はすぐそこまで迫っている。ウネり狂う黄金の聖水は、少年の防波堤を容易く決壊へと至らしめるだろう。
天啓。
まさしく、天啓と呼ぶに相応しい解決法が、少年の脳内に舞い降りた。少年の脳内は前向きだった。また、先ほど得た経験をすぐに応用できるほど、機知に富んでいた。
幸い、朝早い時間である。人の波はいまだ形成されておらず、人の目も最小限。さらに、朝を迎える作業で他人を観察する余裕は無いはずだ。
いける。里の入り口から自宅までの最短ルートを算出する。一度大きく息を吐き、吸う。覚悟は完了。少年は、再び人間機関車となるべく手足の回転数を上げた。
少年が取った行動は、まさに一発逆転の妙策であった。
疾駆により、己を自然と合一する。大気となるのだ。それは自然であるから、どこにでもありふれている。ありふれているから、人目にも付きにくくなる。
完璧であった。少なくとも、少年はそう思った。下半身丸出しで疾走する人間がどれだけ目立つかなど、何も関係がなかった。少年は、自然と合一しているのだから。
「ちょ、何あれ!」
「ええ~、ないわあ」
「お~い! 変態坊主がまたやらかしたぞ~!」
近くに人がいる。危険だ。今の自分にぶつかれば、常人などひとたまりもない。だから、少年は汽笛を上げた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「うわあ、何か叫びだした!」
「手に負えん! 慧音先生呼んでこい!」
「早まるな! 若者よ!」
止まらない。少年は止まらない。既に防波堤は決壊し、少年の、将来はきっとおなごに種を注げるであろう器官からは、金色に輝く水が少しづつ溢れ出していた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
少年は声を枯らして叫び続ける。危険だと。あらゆる意味で、今の自分は危険だと少年は言葉にならない声で訴え続けた。
少年は、自然を愛し、また同じ程に人も愛せる、まさしく大和男児と呼ぶに相応しい漢であった。
やがて少年の家が見えた。後、手足を十数回動かせば届く距離。少年は、あらん限りの力を手足に込める。ついでに、少年の男にも力が籠もった。
これならば家に駆け込み次第、便所で速やかな放尿に移れることであろう。これにて、一件落着である。
「こんの馬鹿者があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
豪雷が轟き、激しい衝撃とともに少年の意識は暗転した。
少年は、薄れゆく意識の中でまたもや自然との合一を見た。しかし、その合一は自分のものではない。自分の恩師のものだ。
「雷との合一…………そういうのもあるのでござるか」
向こう三軒くらいまでは吹っ飛んだ少年の周りには、いつの間にか人だかりができていた。それをかき分け、上白沢慧音は自分がふっ飛ばした教え子の姿を確認する。
そこには、晒された少年の男性から金色の水が噴水のように湧き上がり虹を形作るという、まさに地獄のような光景が広がっていた。
痛む頭を押さえ、慧音は人だかりに向けて言葉を作った。
天気のいい朝には、少年は必ず森の中で立ちションをすると決めていた。
犬のように縄張り意識のマーキングをしているわけではない。ただ、森の中に小便を出すとこで、自然と一体になろうというのだ。
丸出しの下半身は周囲の木々の気配を鋭敏に感じ取る。木々の息遣いが産毛をざわつかせ、これらは物ではなく命なのだと、少年は自然の雄大さに感じ入る。
その命に、少年は小便を注ぐ。
畑に施肥するとき、大人たちは肥溜めを利用する。つまり小便とは命を育む水なのだ。
己の身から出たものを自然の循環の中に組み込み、育む。そうすることで母なる大地との大いなる合一が可能となると少年は考えていた。
そして妖精とは自然の化生である。つまり、音もなく飛び出した三匹の妖精に己の半身を向けたのはごく自然の流れであり、元気に育てよと命を育む水を先走らせたのはこれまた当然の帰結であった。
だがなぜか少年の深遠であるいは冒涜的な所作に「gじゃえtふぃ:あbへdrっ」と意味不明な奇声を上げ、妖精たちは閃光を照射した。
突然視界を白色に奪われた少年は仰天した。時に自然は理不尽に牙を向く。少年は、そんな当たり前のことを忘れていたのだ。
「なんとぉ!」
絞り出したように言うと、少年はそのまま尻餅をついた。臀部特有の柔らかな素肌に地面の硬い衝撃が伝わる。
これもある意味大地との合一に相違なかったが、未だ柔肌な身である少年には些か早いものだった。
とはいえこの場で気まぐれの女神が身ぐるみ剥ぎ、少年を森の妖精へと転じさせたとしても、少年はその悲運を嘆きはしなかっただろう。
「gじゃえtふぃ:あbへdrっ」
だが、少年にもたらされたのは、自然の化生による無慈悲な制裁だった。
辺りは、眩い閃光に包まれている。何もかもが白色になるそれが、太陽光を屈折したものだと少年は知る由もない。
たまらず少年は駆け出す。パンツを上げる手間より脱ぐ手間が勝った。だから少年はパンツをその場に脱ぎ捨て、兎にも角にも駆け出した。
「くそおう!」
それは少年の咆哮だった。別に糞がしたくて叫んだわけではない。訳も分からず逃げ出す事しか出来ない、己の未熟さを嘆いての咆哮だった。捨て台詞と言い換えることも出来るかもしれない。
少年は茂みを根こそぎ伐採するような勢いで抜け出す。視界も、若いためか僅かの間に回復した。目の前に田々畑が広がる。街道に出たのだ。
これで一先ず安心。閃光が収まるのを待ち、パンツを回収してから人里へ戻ることにする。
少年は自然との合一のために気がつけば半裸になっていることが多い。その事で友人知人から漏れ無く変態と揶揄される少年だが、分別ぐらいはある。さすがに下半身を晒したままにしておくわけにはいかない。それではただの変態だ。
そうした算段を少年が打ち立てた時、その頬を何かが掠めた。血こそ出ていないが、薄っすらと火傷が線上に浮き上がる。
「gじゃえtふぃ:あbへdrっ」
すぐ近くで聞こえる妖精たちの奇っ怪な声が、少年の算段を木っ端微塵に粉砕した。何を思ってか、妖精たちは錯乱したまま少年を追ってきたのだ。
少年は、急ぎ手を翳し弧を描いて振り返る。薄目から覗けるのは、変わらず閃光を照射する妖精たち。だが先ほどと違い、その周囲には弾幕らしきものが浮かんでいた。
「!」
頬を掠めたのはそれだろう。少年は背筋に冷たいものが直立に挿入されたように感じた。本能が逃げろと少年に告げる。無慈悲な自然の制裁は、まだ終わってはいなかったのだ。
何がどうしてこうなったのか。自分は自然と一体になっていただけなのに。
少年は、これはきっと自然を尊重しないヤツラのせいだと確信した。自然が怒っているのだ。そのとばっちりを自然に寄り添っていた少年が受けているのだと。ならば人間が自然に対して出来る事はただ一つ。逃げることだけである。先程とは違う、意志ある撤退だ。
そうこうしているうちに、荒々しい一陣の風とともに厚い弾幕が放たれた。幸い弾は拡散しておらず、少年はほんの少し身を捩るだけで躱すことが出来た。
だが二度目はない。少年は心の赴くままに疾駆した。
「サニー! ほらあっちよあっち! ここで身体を右に向けて!」
背後で弾幕が地面に降り注ぐ音がした。背中にやけに熱いものを感じる。だがそれは弾幕の熱だけではないようだった。
「ほら! まだ光の屈折をやめちゃダメよ! 目眩ましはしておかないと!」
「そ、そうね! なんだかよくわからないけどわかったわ!」
「ちょ、ちょっと待って転けそう!」
キャーキャーと姦しい声が辺りに響くが、太陽光を照射されている少年の耳には届かない。止まれば危うい。少年の身体は、ただそれのみを至上とし酸素を身体に取り込む。
風を切る。腕を振り、腿を高く上げる。早く、より疾く。少年の目は、遥か先を凝視していた。果て無き道を、その果てまで駆け続けられるように。
少年は、ここにも自然との合一を見た。自然とは草木だけでない。大気もまた自然なのだ。風を多靡かせ、疾走することのなんと気持ち良いことか。
自然とは、雄大である。合一を目指す手段は一つではないことを、少年は悟った。
そして少年は、今や人間機関車となりつつあった。少年の行く手に人がいないのは幸いである。
いたとしたら、少年は汽笛を上げざるを得なかったであろう。少年が傷つくからではない。少年にぶつかれば、その者が跳ね飛ばされるからだ。
もう一度、背後に弾幕が降り注いだ。さっきよりも近い。地面に叩きつけられた弾幕は、その勢いで転がっていた小石を少年に向けて飛ばす。
それは悲劇であった。機関車に限りなく近づいたとはいえ、体は鉄ではない。所詮は人の身である。男である。
小石は少年の、将来はおなごに種を蒔くであろう器官の先っちょを掠めて飛んだ。平素であれば、パンツにより絶対の守護が約束されていたであろう。しかし、少年はパンツを捨てていた。『刃と鞘、拾うは鞘ぞ』という祖父の言葉が湧き上がる。少年は、祖父の教えを守れなかった己を恥じた。
「~~~~~~~~~~~~っ!」
痛み。もう痛みしかない。だが唇を噛み締め耐える。涙がちょちょ切れている少年の顔を見れば、男ならば誰でも賛辞の言葉を送るだろう。
止まれば危うい。その言葉を、少年は繰り返し己に言い聞かせる。試練だ。これは試練なのだと涙ぐましい言葉を重ねて走る。
「よし、今度は当たるわ! ルナ、次はお願いね!」
「わ、わかった! でも何で私たちこんな事してるんだろう?」
「そんなの、決まってるじゃない! なんとなく楽しいからよ!」
だが無常にも、妖精たちは獲物を狩る猟師のように少年に狙いを定める。くすぶる星の弾幕が、妖精たちの周囲で今か今かと放たれる瞬間を待っていた。
少年を襲う、必殺の星雨。その気配を背後で感じ、少年は走りながらも息を呑む。死神の鎌が間もなく振り下ろされると、少年は覚悟した。
「――――――――――?」
だが、待てども待てども星は降り注がない。しかも、一度は覚悟した必殺の気配も段々と遠ざかっていくではないか。
「こらーっ! ルナの馬鹿ーっ! ここで転ぶなんて何考えてるのよっ!」
「ホントにルナはドン臭いなあ」
妖精たちが何事かを叫ぶ様子が聞いて取れた。仔細はわからないが、どうやら危機は脱したらしいと少年は安堵する。
背中に当たる閃光も消え、段々と冷汗作用も働き身体が正常化する。少年は、ついに許されたのだと自然に感謝の念を捧げた。
自然に襲われはしたが、しかし少年は自然を嫌いにならなかった。むしろ自然の力を目の当たりにし、畏敬の念をさらに深めたのだった。
下半身を露出して走ったこの経験は、自分をさらに強くする。少年の脳内は前向きだった。
少年は、徐々に走るスピードを落とす。先程まで限界に近い走りをしていたのだ。急に立ち止まれば、体のあちこちが軋む音がすることだろう。
ふと正面に意識を向けると、人里の入り口まですぐそこという所まで走っていたと気付く。
「危ない危ない。このまま里に入っちゃあ、変態の誹りは免れぬでござるよ」
年齢と合ってないと友人知人家族より指を刺される口調で、少年は独りごちた。ともあれ、このままではいけない。更なる痛みが股間を襲う前に、走ってきたのとは違う道順でパンツの回収に少年が赴こうとした時、それは起こった。
それは、必然ではあった。
少年は、先程までずっと妖精により暖かい太陽光を一身に浴びていた。その暖かさは、冬の炬燵もかくやという程である。
そして、一気に冷汗作用で身体が冷えた。暖から寒への相転移。導き出される結論は――――
「も、催してきたでござる」
尿意である。朝、起きがけに大量の麦茶を飲んでいたことが惨劇の第一幕であった。
「ど、どこかで立ちションを」
そう口に出し、瞬時に少年は己の言葉を恥じた。
立ちションとは、少年にとって神聖な行為。自然との合一のために行う儀式で、一人で豊かで救われていなければならないのが自然に対する礼儀だった。
つまり、立ちションをしようと思って立ちションをした瞬間、それはただの下賎な行為に成り果てるのだ。少年は、その様に堕ちたくはなかった。
ならば、どうするか? もう氾濫はすぐそこまで迫っている。ウネり狂う黄金の聖水は、少年の防波堤を容易く決壊へと至らしめるだろう。
天啓。
まさしく、天啓と呼ぶに相応しい解決法が、少年の脳内に舞い降りた。少年の脳内は前向きだった。また、先ほど得た経験をすぐに応用できるほど、機知に富んでいた。
幸い、朝早い時間である。人の波はいまだ形成されておらず、人の目も最小限。さらに、朝を迎える作業で他人を観察する余裕は無いはずだ。
いける。里の入り口から自宅までの最短ルートを算出する。一度大きく息を吐き、吸う。覚悟は完了。少年は、再び人間機関車となるべく手足の回転数を上げた。
少年が取った行動は、まさに一発逆転の妙策であった。
疾駆により、己を自然と合一する。大気となるのだ。それは自然であるから、どこにでもありふれている。ありふれているから、人目にも付きにくくなる。
完璧であった。少なくとも、少年はそう思った。下半身丸出しで疾走する人間がどれだけ目立つかなど、何も関係がなかった。少年は、自然と合一しているのだから。
「ちょ、何あれ!」
「ええ~、ないわあ」
「お~い! 変態坊主がまたやらかしたぞ~!」
近くに人がいる。危険だ。今の自分にぶつかれば、常人などひとたまりもない。だから、少年は汽笛を上げた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「うわあ、何か叫びだした!」
「手に負えん! 慧音先生呼んでこい!」
「早まるな! 若者よ!」
止まらない。少年は止まらない。既に防波堤は決壊し、少年の、将来はきっとおなごに種を注げるであろう器官からは、金色に輝く水が少しづつ溢れ出していた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
少年は声を枯らして叫び続ける。危険だと。あらゆる意味で、今の自分は危険だと少年は言葉にならない声で訴え続けた。
少年は、自然を愛し、また同じ程に人も愛せる、まさしく大和男児と呼ぶに相応しい漢であった。
やがて少年の家が見えた。後、手足を十数回動かせば届く距離。少年は、あらん限りの力を手足に込める。ついでに、少年の男にも力が籠もった。
これならば家に駆け込み次第、便所で速やかな放尿に移れることであろう。これにて、一件落着である。
「こんの馬鹿者があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
豪雷が轟き、激しい衝撃とともに少年の意識は暗転した。
少年は、薄れゆく意識の中でまたもや自然との合一を見た。しかし、その合一は自分のものではない。自分の恩師のものだ。
「雷との合一…………そういうのもあるのでござるか」
向こう三軒くらいまでは吹っ飛んだ少年の周りには、いつの間にか人だかりができていた。それをかき分け、上白沢慧音は自分がふっ飛ばした教え子の姿を確認する。
そこには、晒された少年の男性から金色の水が噴水のように湧き上がり虹を形作るという、まさに地獄のような光景が広がっていた。
痛む頭を押さえ、慧音は人だかりに向けて言葉を作った。
違う出会い方をしたかった