● 少女回天 ―風―
春、といっても、花の季節は過ぎている。葉桜が風に鳴り、全ての生き物が陽光を寿ぐそんな季節である。
東風谷早苗は博麗神社の鳥居の下に降り立った。石畳をずんずん歩いて拝殿を通り過ぎ、玄関の扉を叩こうとして踏みとどまり、そこから更に裏に回ると、予想通り縁側の定位置で、春の日差しを浴びながら涎をたらして船を漕ぐ巫女を発見した。何故か手には軍手をつけている。
人里での騒ぎを思い起こしながら、早苗は巫女を一喝した。
「霊夢さん!」
「んあ。ああ、早苗。どうかした?」
「どうかしたじゃありません。随分と暇そうですね」
「暇じゃないわよ。庭の草むしり、しようと思ってたんだけど」
霊夢は軍手をはめた両の手を早苗に見せ、閉じたり開いたりしている。
「寝てたじゃないですか。涎垂れてますよ」
涎を拭いつつ応える霊夢を見ながら、早苗はこの巫女の弛緩しきった具合はどうだろうと少し呆れた。この様子では霊夢は今里を騒がしている騒動など知らないのだろう。霊夢になど相談せず、自分が解決に乗り出すのも良いかも知れないと考えたりもする。しかし事は大事だし、なにぶん自分は幻想郷にきてまだ日も浅いし、やはり霊夢にも話はしておいたほうが良いだろうと、ふんっと腹に力を入れて話し始めた。
人間が喰われた話である。
つい先刻、早苗は久しぶりに人里に買出しに来た所で、筵に覆われた犠牲者の遺体を乗せた車とちょうど行き会ったのだった。道行く人は、ここ十日余りで里の者ばかり五人もやられていると、こんな事もう何年も無かったのにと暗い顔で早苗に語った。博麗神社に降り立った早苗が妙に興奮していたのはこうした訳で、義憤と使命感に駆られて、ここまで飛んで来たのだった。
「霊夢さんはご存じないようですが、最近里の人が続けざまに妖怪の被害にあっているんです」
「聞いてるわよ。二人立て続けにやられたって」
「二人じゃありません。五人です」
早苗がそう言うと霊夢は少し固まって、それから「……そう」と小さく言った。どうやら霊夢は十日ほど前から連続して起こっている食害の最初の二件だけは知っていたらしい。一人暮らしの霊夢はそう頻繁に里に出るわけでもないし、これはしかたのない事だろう。が、しかし二人死んでるのを知って尚、この暢気さはどういうことだと、早苗の気炎は上がるばかりである。
「で、退治にはいつ行かれるんですか」
「退治? なんで?」
「なんでって。人を食べた悪い妖怪は退治しないといけないでしょう!」
「悪い妖怪ねえ……」
霊夢は歎ずるように言って、冷め切った茶を啜り、早苗から視線をはずして雑草に覆われつつある庭を眺めて、それから軽い調子で続けた。
「それならまずレミリアを消し炭にしないといけないわね。あとフランも」
それで、早苗は言葉に詰まった。反論はある。有るのだが、それは早苗にとって、なんの躊躇いも無く口に出せるようなものでも無かったのだ。
「レミリアさん達は、外から迷い込んだ人にしか手をつけないのでしょう……だから……」
外来人は死んでもしょうがない。外来人は喰ってもかまわない。人間も妖怪もそう認識しているのを知ったとき、早苗はそれはそれは嫌な気分になったものだ。同じ人間なのにそこで区別というか違いをつけるのは果たして正しいのかと、どうにもすっきりしないものを新参者である早苗は感じたのだ。ところが、今自分からそのことを霊夢に説いている。現実としては、外からの人間が幻想郷の何処に現れるかも、感知のしようが無いのだから、仕方のない事ではある。
「外来人は食べても良くて、幻想郷の人間を食べたら悪い妖怪?」
「それが……ここのルールなんじゃないんですか……」
「なら、里の人間が夜中酔っ払って森に入ってもルールって奴が守ってくれるの? そうやって喰われちゃったら私が出てかなきゃいけないの? そんな状況でも里の人間を食べたら悪い妖怪になっちゃうわけ?」
「それは……」
酔っていたら死んでいい人間なのか、どれくらい呑んでいたら酔っていたと見做されるのか、一合だったらいいのか、一合とおちょこ一杯だったら駄目なのか、焼酎と日本酒で違うのか。甘酒だったらどうなんだ。早苗は外の世界にいた頃を思い出して、無意味と知りつつ、そんな事を考えてみたりもする。
「早苗、あんた何か勘違いしてるわよ」
なるほど、ぼけっとしているように見えて幻想郷のバランスの要と言われる巫女だけの事はある。霊夢は意外にちゃんと考えているようだった。早苗は幻想郷にきて、この不思議な場所のルールと仕組みをそれなりに身につけてきたつもりだったが、そんなのはただ上っ面を撫でただけの事なのかもしれなかった。
「なんだっけ? 『幻想郷のルール』? そんなもん無いわよ」
――無いのか。
「ほんとはあるのかも知れないけど、私は知らないし、気にしたことも無いわ」
早苗はちょっと前まで外の世界に住んでいて、そこには秩序を守る法というルールが厳然と存在していて「これをしたらいけません」「これをしたら悪い人です」と明確に決まっていたのだ。それこそ酒を呑んで車を運転して、そのとき血中にアルコールがどれくらい含まれていたら罪でどれくらいだったら無罪か、それはそれは厳然と決まっていたのだ。
ルールなど無い、法など無いと言われてしまえば簡単な事だが、産まれてからずっと法の秩序に包まれて生活してきた人間には、それの実感がわからない。そして、そういう世界に自分は居るのだということに、早苗は突如として気付かされたのだった。
「んー、なんて言ったらいいのかしら。早苗さ、私はあんたがどんな世界で暮らしていたか知らないから、悪く言うつもりは無いんだけど、あんた何か『ルール』とか『規則』とかそういうの欲しがってるでしょ?『これをしたら問答無用で悪いです』みたいな」
基準の無い世界に来て、あるはずも無い基準を探していたのだ自分は。
ルールは無いが秩序だった世界なんて、そんな奇妙な世界に自分が居るなんて、気付けるわけ無いではないか。世界には基準があって当たり前だと、それこそ早苗は意識するまでも無く、そう考えていのだ。ところが、此処にはそんなものは無いと、他ならぬ幻想郷の秩序を守る博麗の巫女が言うのだ。その、なんら確固としたものが無いふにゃふにゃした世界で、自分は暮らしていくのだと、早苗は一瞬ではあるが、気の遠くなる思いがした。
「そういうの、ここでは必要ないのよ。まぁ、一応『里の中で暴れるのはご法度』っていうのはあるけどさ、無くても妖怪は里でなんか暴れたりしないわよ。妖怪だって里でご飯食べたり団子買ったりしてるんだから。出来なくなったら妖怪だって困るもの。ああそうだ、異変を起したやつは『問答無用で悪い』わね」
うんうん頷く霊夢の言葉は、もう早苗には届いていなかった。
「……そんなの、耐えられません」
言ってから声が震えている事に、目尻に涙が溜まっている事に気付いて自分で驚いた。洟も垂れているかもしれない。
「ちょっと……なんで泣くのよ。えっと、ほら、悪く言うつもり無いって言ったでしょ」
霊夢は慌てて立ち上がって、手拭いを持って戻ってきた。霊夢が慌てる様は、面白かった。それで少し落ち着いた。大きな音を立てて洟をかんで目を拭って、はぁと息をついた。
「すみません。なんかよく判らなくなっちゃって……。これは良いとかこれは悪いとか基準が無いって大変な事だなと思ったら……」
「そーいうのはあるわよ」
「へ?」
「だから、さ。なんて言うのかな、さっき言った『ルール』とか『規則』ってのは、誰かが決めた奴のことよ。そーいうのは無いの。でも、こいつは良い奴だ悪い奴だっていうのは、もちろんあるわよ。というか無くそうたって無くなんないでしょ。感じることなんだから」
「ああ……」
つまり、法の様な他律的な基準は無くとも、自律的な基準は当たり前にあると、そう霊夢は言いたいのか。
「良い悪いは自分で決めろと、そういうことですか」
「そんな偉そうなもんじゃないけど。だって良い悪いなんて感じることなんだから、他人に決められても困らない?」
「……判らないです」
ふんっと霊夢は鼻息をついて「そーかなー」と妙に間延びした声を出した。
早苗に湯のみを渡して、再び縁側の定位置に収まった霊夢からは、まるで後光が差しているかのように早苗には見えた。良い悪いは自分で決める。この幻想郷の秩序の要である巫女は、自分で決めた基準に従って、この世界を守ってきたのだと思うと、今度はさっき出たのとは違う涙がまた出そうだった。他の誰かが決めた法などという便利なものは無い。どんなに微妙な事柄だって「そういう決まりですから」とは行かないのだ。
余りに、余りに眩しすぎる。あんたは悪い、あんたは良いと自分で裁定することに霊夢は疑問さえ持っていないではないか。そういった良し悪しを、漠然と法という他律的な基準に依存してきた早苗には、何か霊夢が超人的な存在のように見えて、眩しいのだ。ライバルだ商売敵だと言っていたのが、馬鹿らしくなる。すごいのだ博麗の巫女は。
突如としてキラキラした視線で自分を見つめる早苗を、霊夢は「なんなのよ今度は……」と気味悪がった。
「霊夢さんて凄いですね」
「それもまた勘違いだと思うけど……」
「それで、霊夢さんとしては、今回の件はどうなんですか。やはり動かなくてもいいと?」
「んー。二人ならともかく五人となるとちょっとねぇ。しかも立て続けだし」
二人ならば良くて五人だと悪いのか。と、早苗は考えて、それから「ああ、私は今度は霊夢さんの判断を善悪の基準にしようとしている」と気が付いた。
「一応言っておくけど、二人なら良くって五人だと悪いってんじゃないわよ」
「違うんですか」
「難しいのよ、こういうのは。異変のほうがよっぽど楽よ」
「二人続けて妖怪に喰われました。っていってもさ、その二人が同じ妖怪にやられたとは限らないじゃない? 別々の妖怪の食事時がたまたま重なっただけかも知れないでしょ。もしそうなら、私は退治するほどのことじゃないと思うのよ。里の外では基本自己責任だしね。不運がたまたま重なったと。もちろん目の前でやられたら退治するけどさ」
「でも五人となると……」
「そう。五人が、しかも十日やそこらで喰われたってなったら、もうこれは不運が重なったってのは、相当低い出目よね」
「難しいのよ……こういうのは……」
今度はぽつりと、霊夢はそう呟いた。
「異変はさ、あからさまな変化があってすぐ判るし、何より人が死なないじゃない? 異変が長引いたら違うんだろうけど、そんなの私が止めるしさ。でも、こういうのって、何人も死んでから、それから初めて気が付くしかないのよね。ああ自分勝手な馬鹿が居るんだって。だからさ……難しいのよ」
「そうですね……」
「それにね。私がどう考えていようと、動かざるを得ないって状況もあるのよ」
霊夢はそう言うと、立ち上がって奥に入っていった。ちょうどその時、玄関の戸が叩かれ「御免。霊夢は居るかな」と声が聞こえた。
◇◇◇
居間に通された慧音と里長が、ひどく畏まった様子で霊夢の前に座ったから、早苗は何処に座ろうか戸惑った。結局、霊夢が自分の隣に座布団を置いたので巫女二人は並んで座ることになった。はたして自分がこの場に居て良いものか自信が持てなかった。里長はいかにも人の良さそうな細い目をした初老の男で、たしか、そう大きくない商家の隠居だったはずだ。いかにも親しげな風に「久しぶりだね霊夢ちゃん。ちゃんと食べてるかい」と話しかけ、霊夢は「私は大丈夫だから」と伏目がちに応えた。それから早苗のほう向き直って「山の神様にもお世話になっとります。よろしゅうお伝えください」と頭を下げた。早苗はなんと答えて言いかわからずに、なにかどうでもいい事をいってしまい赤面した。
それから、慧音が話し始めた。
「さて、霊夢。聞いているかもしれないが、里の者に被害が出ている」
「たった今早苗から聞いたわ。五人だって?」
「うむ。そうなんだ」
早苗はさっき最後に霊夢が言った言葉を思い出していた。「自分がどう考えていようと、動かざるを得ない時もある」きっと今がその時なんだと思った。人里の賢者と里長が博麗の巫女の下を訪れ、退治を依頼する。そうなったら、霊夢がどう考えていようと、彼女は動かざるを得ない。里長の依頼を退けて、さらに被害でも出てしまったら、里の人間の反発はいかほどのものだろう。霊夢を指して「何事にも縛られない」と評するのをよく聞くが、そうは言っても霊夢とて食わねば生きていけないのだ。そういう意味で里の人間達は巫女を動かす、ある種の力を持っているのだ。
「私達もな、つい二三日前まで偶然だと思ってたんだ。偶然、何人もの妖怪達の食事時が重なっただけだと。偶然、不注意な里人が続出したんだと、そう思ってた」
「そうじゃないって証拠でもあるの?」
「ない。目撃者も居ないし、遺体の状況からも判別できない。だからまだ偶然の可能性はあるんだが…」
「にしても、十日で五人は多すぎるわね」
「そうなんだ。見誤ったよ。私も里長もいつ霊夢に話を持っていくか迷ってな」
「すまねぇな。霊夢ちゃん。こんなんなってから、話持ってきて」
「いいのよ里長さん。ありがと」
早苗が霊夢を覗うと、彼女は気丈に笑っていた。どうにもかなわないと思った。自分達が依頼に行けば、霊夢は動かざるを得なくなってしまうのを思って、ならば、彼女の判断に出来るだけ沿うようにと、それを推し量っているうちに、あっという間に被害が大きくなってしまったのだ。そうして結局、最終的な行動と責任は博麗の巫女に圧し掛かってしまうのだ。
それで霊夢は平然としている。達観しているという言葉では足りない凄味を早苗は感じずには居られないのだ。
その後、慧音は死体の発見状況やらを細かく語ったが、どうやら手掛かりらしい手掛かりは無いようだった。夕日に染まった空の下、鳥居の下まで二人を見送って、早苗は霊夢を覗った。
「えと、霊夢さん。退治、するんですよね」
「そりゃね」
「お手伝いします!」
びしっと妙なポーズをとって早苗が宣言する。それを見て霊夢は呆れたような顔をして頭をかいた。
「お手伝いはあり難いんだけどさ。これは私の仕事だから」
「ここは『よし!早苗、行くわよ!』ってなる流れじゃ……」
「無いわよ、そんな流れ。」
「私、お邪魔でしょうか」
「そういうんじゃなくてさ……とりあえず今日は帰んなさい」
と、歯切れ悪く言って霊夢は石畳を戻っていった。
◇◇◇
翌日、朝から霊夢は動き始めた。里の周辺で妖怪を見つけては強引に倒して、何か見なかったか、おかしな妖怪は見なかったかと質して行く。基本的に里の近くに住む妖怪達は温厚なものばかりだから、彼らにとってはいい迷惑である。巫女が動き始めたという話はあっという間に広がり、臆病なものは里から離れ、精気が有り余っているようなものは逆に里周辺に集まって、霊夢に勝負を挑むという有様になった。
失敗したかもしれない。と、霊夢は考えていた。情報を持っていそうな奴は逃げ散ってしまい、暴れたいだけの奴が集まってしまった。被弾こそしなかったものの、相手の数が数である。面倒くさいことになったと内心苛々していると、横手から巨大な星弾が飛んできて何匹もの妖精と妖怪を巻き込んで押し流していった。
「人手が足りてないようですね。霊夢さん!」
びしっとポーズをつけて早苗が現れた。まぁ助かったのは確かなのだ。しかしその妙なテンションはなんなんだと霊夢は呆れざるを得ない。
「あんた、何しにきたの」
「何って、お手伝いですよ!」
「ああ……まぁ、いいけど」
「何ですか霊夢さん。こんな大捕り物なのにテンション低いですよ!」
騒ぐ早苗を引き連れて里の周りで散々に暴れまわったが、結局何の手掛かりも無いまま日が暮れた。霊夢はぐったりと疲れて、早苗を適当に追い払うと、明日はどうしようかと考える間もなく寝てしまった。
翌日、疲れの抜けきらない体で布団から抜け出した霊夢は、朝食をとりながら、さてどうしようかと思案していた。昨日と同じ事をしても疲れるばかりで、なにも進まない気がする。かといって代案も無い。なにせまだ、五件が同一の妖怪によるものか、それぞれ別々の妖怪によるものかさえ判っていないのだ。同一犯でないならそもそも退治の必要さえないかもしれない。
茶を啜りながら、早苗はまた来るのだろうかと思う。あの山の巫女は多分あれで彼女なりに真剣なのだろう。邪魔をされているわけでもないし、戦力にならないわけでもないのに、霊夢はどうも彼女がこの件に関わることを喜べない。かといって無理を言って追い返すほど、関わってほしくない訳でもないのだが。早苗はきっとこういう件で妖怪退治をするということが、どういうことか知らないのだ。人里の周りで何人も人間を喰ってしまうような妖怪をどう退治するか、知らないだけだろう。知っていたら、すき好んで自分から手伝うとは言わないだろう。
はぁと息をついて、こんな時に働かない自分の勘に苛立ちながら立ち上がった霊夢は、結局昨日と同じ事をすることに決めた。とにかく手当たり次第に問い質すしか、やれることが思いつかないのだ。
そうして昨日と同じく、ぐったり疲れた霊夢は赤く焼けた空を早苗と飛んでいた。早苗もさすがに疲れたのだろう。先程から口数が少ない。
「これだけ聞いて周って、何の情報も無いんですね……」
「疲れるから、そういうこと言わないで」
「じつは妖怪じゃなくて熊が犯人でした。とかだったら私が里で暴れてしまうかも知れません」
「まぁ、場所がばらばらすぎるし、そんなヒグマみたいな熊はさすがに幻想郷にもいないと思うわ」
「霊夢さん。私思うんですが、これって結構な大妖怪の仕業なんじゃないでしょうか」
「なんで?」
「いえ、ただ余りにも情報が無いので、なんというか頭の悪い妖怪では、こうはいかないんじゃないかと」
「絶対無いとは言わないけど、偶然は常に最強よ」
「偶然? 複数の妖怪の食事がたまたま重なったっていうあれですか?」
「その偶然もまだ消えたわけじゃないけど、目撃者がたまたまいないっていう偶然もあるわ」
「……つまり、なにも判らないってことですね」
霊夢はがりがりと頭を掻いて言った。
「そういうの、疲れるからやめてって言った筈なんだけど」
◇◇◇
翌日、霊夢は朝っぱらから野良着を着て、人里へと続く道を歩いていた。
最後の被害がでてから、もう今日で三日目である。被害のペースを考えるならば、そろそろ次の人間を喰いたいと犯人は考えているはずだと、霊夢は昨晩、若干の焦りと共に気付いたのだ。そこで、野良着を着て、トレードマークの赤いリボンもはずし、不注意な一般人に化けて囮になろうと考えたのだった。上手くいくかはあまり自信がなかった。相手の行動を待つというのはいかにも霊夢の性分にあってないし、被害は人里の周りだけではなく、かなり遠くの集落のそばでも起こっているのだ。こんな受身の囮に食いついてくれるだろうか。
霊夢は街道やら里山の中やらをほっつき歩く。はじめは着慣れた巫女服ではなく、野良着で妖怪と対峙するかもしれないことに若干の不安を感じていたが、昼を過ぎる頃には緊張感も抜けて、野良着で湿った森をさまよっていると一歩歩くごとにやる気が削られていくかのようだった。おまけに、これが霊夢だと気付かない妖怪から「今こんな場所をうろついていたら、巫女に怒られるぞ」と親切な忠告まで貰ってしまった。
「その巫女って……こんな顔してるんじゃない?」
と、霊夢が勿体つけてゆっくり振り返ると、相手はしばし呆けた後に、盛大な悲鳴をあげて逃げていった。我ながらよく化けたものだと一人悦に入っていたら、カシャリと小さな機械音が聞こえた。
「『巫女ついに妖怪化する――里山で妖怪を嚇かして周る妖怪巫女――』って感じですねぇ」
「ぐ……あんた、いつから」
「なかなか良い表情でしたよ、霊夢さん。のっぺらぼうやお歯黒べったり系の振り返る怪の仲間ですかね」
見られていた、のはいいとして、多分写真まで撮られた。どうしてくれよう、と懐の札をごそごそ弄っている時に気が付いた。そういえばこいつほど情報を持ってそうな妖怪は他に居ないじゃないかと。となれば、話を聞くしかあるまい。霊夢は努めて笑顔を作って、「ちょっと話があるから、降りてきなさい」と、梢の上の天狗に言った。
天狗――射命丸文は意外にも素直に降りてきた。
「早苗さんが探していましたよ。今朝から霊夢さんがいないって」
「ああ……まぁ、早苗は……ほっといていいわ」
「おや、冷たいですね」
「冷たいとかじゃなくって。なんか早苗は手伝うって言うんだけどさ、きっと犯人は話し通じる相手じゃないし。そうなったら、ほら、あんたは判るでしょ。あんまり関わらせたくないのよね」
「ふむ。『関わらせたくない』というのは、らしく無いですね。霊夢さんはそういうの気にしない人でしょう? そうじゃなくて『見られたくない』じゃないですか? どう始末をつけるか、早苗さんに見られたくないんでしょう?」
「……あんたのその良く回る口。いつか開かないようにしてやるから」
「おお、怖い怖い」
急に機嫌を悪くしたらしい霊夢がどすの利いた声で言うが、どうもこの天狗には効かないようだ。霊夢は眉間にしわを寄せたまま視線をはずして続けた。
「そんなことより、あんた何か知ってるんでしょ?」
「何かといわれましてもねぇ、私が知っているようなことは慧音さんも知っているはずですから、霊夢さんにも伝わっているはずですが」
「他になんかあんでしょ。あんたのことだから」
「そう言われましてもねぇ。……霊夢さん、現場はご覧になりましたか?」
「現場? そんなもん見てなんになるのよ」
「いけませんね。情報は人から聞くだけじゃないのですよ。外の世界には現場百回と言う言葉もあるそうですよ。捜査の基本です」
外の世界のことは知らないが、現場など見て何になるのだろう。遺体はもう埋葬済みだし、一件目などもう二週間近くも前のことなのだ。なにも残っているはずないと、霊夢は思う。しかし、こうしていても得るものが無さそうなのも事実なのだし、行くだけ行ってみようかと、そう思った。
「んじゃ、案内しなさい。ああ、待った、着替えたいから一旦神社に寄って」
神社に戻ると、そこで早苗につかまった。予想はしていたが、これ以上野良着でいる気になれなかったから、仕方がない。早苗は朝からどうしていたとか色々聞いてきたが、説明は全部文に振ってさっさと奥に入った。いつもの服装に着替えてリボンを結ぶと、それだけで何か気合が入ったような気がした。森の中でげんなりしていたのを思うと、装いというやつは意外に重要なものだと思った。偉そうなやつが偉そうな格好をしているのもこんな理由なんだろう。
◇◇◇
「まさか文さんが霊夢さんのお手伝いをするとは思いませんでした」
神社にかえってきた霊夢は「聞きたいことがあったらこの天狗に聞きなさいと」言い残してさっさと奥に入ってしまった。巫女に捕まったらしい天狗は、戻ってきた霊夢が野良着だった訳とか、これから着替えて現場を周ることなどを説明してくれた。
「いえ、お手伝いと言うほどのことでは。私なんてメモ帳代わりですよ」
「それでもスカウトされたんでしょう? 霊夢さんから。私なんて、自分のほうから志願したのに、どうも『いらない子』扱いといいますか……今朝も放置されてしまいましたし。書置き位してくれればいいのに」
「ははぁ……」
どうも霊夢はあまり自分に手伝って欲しくないような、そんな風に思っているらしいことは最初から感じていた。霊夢の、というか博麗の巫女というものの凄さを実感したあの日の夜、早苗はそれなりに悩んだのだ。このまま霊夢に全て任してしまった方が良いのだろうかと。お手伝いしますと言ってしまった手前、なんだか後に引きづらくなってはいるが、そもそもこれは博麗の巫女の仕事で、里長から依頼されたのも霊夢で、そう考えると自分はただの出しゃばりなのだろうかとも思った。
一方で、早苗はある種の思いも強いのだ。上手く言葉に出来ないが、霊夢が自分だけの判断で幻想郷を守っているのだと知ったとき、最終的な責任をたった一人で負っていると知ったとき、確かに霊夢は凄いけど、なんだかこんなのは許せないと、そう思ったのだ。だってそうだろう、霊夢が幾つなのか自分は正確には知らないが、多分一つ二つ年下だろう。そんな女の子が世界を守って、その責任まで負っているなんて、そんなの無いと思ったから、なかば強引に手伝うことにしたのだ。霊夢も言っていたではないか「良い悪いは自分で決めろ」と自分で決めて自分でやりたいようにやろうと、そう早苗は決心して、霊夢を手伝っていたのだが、今日は置いてきぼりにされた。
「私は新参者なので、ものを知らないだけかも知れませんが、幻想郷(ここ)は変です。非道い世界です」
ぽつりと早苗が言った。文は手帳をめくっていた手を止めて、口角を上げて応えた。
「ええ、そうですね。きっと外はこことは比べ物にならないほど良い世界なのでしょうね」
「そんな、そういう意味じゃないです」
「ああ、失礼しました。皮肉っぽい言い方になりましたが、私は早苗さんのその感覚、大事だと思っていますよ? 外からここに来た人は幻想郷(ここ)はまるで桃源郷だとかユートピアだとか言う人がいるのです。そんな大層なものじゃないことを私は知っていますからね」
「私はただ……なんというか霊夢さんの立場が重すぎるというか……全部最後は霊夢さん頼みになっているというか、そう感じるだけです」
「まぁ、それはそうですね。なんせ博麗の巫女ですからね」
「いくら博麗の巫女だからって、結局ただの女の子じゃないですか」
「ふふふ、早苗さん怒っていますね。しかしですね、神職とは本来そうしたものなのです」
「そんな……」
「聞けば守矢神社は、もとは大きな神社だったらしいですから、そうでもないのでしょうがね。小さな世界の神職とは厄介ごとと穢れを一身に背負うスケープゴートなのです」
「今はもう違うのでしょうが、昔は村の鎮守の神職などは籤引きで年毎に選ばれるものだったのですよ。そうして厄介ごとや穢れがあればそれを神頼みして祓う。祓えなかったら人身御供で村のために死ぬ。そうしたものだったのです。幻想郷はその古来のシステムを拡大して運用しているだけです。博麗の巫女はこの世界の厄介ごとと穢れを祓い、失敗したら……まぁそういうことです」
「そんなのって……」
変だ、おかしい、とは言えないのか。昔は何処もそうだったのだと、文は言った。神々と怪異と人が近しい世界ではそれが当たり前なのか。
「先程も言いましたが、ここは別に理想郷でもなんでもないですからね。間違っていると感じるなら変えればいいことです。世界のあり方など一人の力で簡単に変わるのですから。だからそこ外から来た早苗さんの感覚は大切だと申し上げたのですよ。もっとも、私には変える事に関しての可否善悪は判断できませんがね」
「この世界に馴染もうとするだけが、新参者のあり方ではないということですよ」
奥からドスドスと遠慮の無い足音が聞こえて、着替え終わった巫女が現れた。じろりと天狗を睨んで「あんた、また余計なこと喋ってたんじゃないでしょうね」と重々しく言った。
「おや、言論統制ですか? いけませんね。抵抗しますよー私は」
「ったく。ほら、案内しなさいよ」
そうして、三人は飛び立った。早苗は文が言ったことを反芻していた。世界のあり方など一人の力で簡単に変わる。本当だろうかと思う。
◇◇◇
着いたのは、里の北側すぐの里山だった。森は暗いというほどでもなく、下草は綺麗に刈られていて、人の手が良く入った綺麗な森だった。「ここですね」と天狗は少し急な南向きの斜面の下を指した。そうと言われなければ絶対に気がつかないだろう。端的に言ってそこは別に周りと何か違うところなど、何も無かったのだ。血痕が残っているわけでも、着物の切れ端が落ちてるわけでもない。
「やっぱり、なんもないじゃない」
「そりゃあ、ぱっと目に付くものがあったらとっくに自警団が回収してるでしょう。目に付かない何かを探すんですよ」
「そうは言っても、その……文さん、状況と言うか、遺体はどういう風だったとか」
「ああ、はいはい。ええとですね、そこの斜面がありますよね、そこになにか滑ったような跡があったらしいですね当日は。んで、遺体の方はもうばらっばらでして。この辺り一面に。いわゆる『バケツに入って帰って来る』って奴ですね」
わかってはいたが聞いて気分のいいものではなかった。ここら一面に遺体の断片が散らばっていたという。妖怪に喰われると、そういう風になるのが普通なのかと聞くと「体の大きさによるみたいね。人より大きな妖怪に襲われるとバラバラになるし、小さなのが喰った後は割りとキレイよ」と霊夢が言い、それを文が継いだ「そこらへんは獣に襲われたときと一緒です。ほら、熊に襲われるとバラバラになるでしょう」そう言われても、早苗は妖怪はおろか獣に喰われた死体だって見たことがない。見ると霊夢は半ば地面にめり込んだ茶色い小指の先程のかけらを拾っていた。
「なんですか?」
「なんですかって、骨に決まってんでしょ」
「あぁ……」
「むー、こういうのは苦手だわ。手掛かり探して地面とにらめっこなんて。あんた達に任すわ」
と、そう言い放って巫女は傍にあった切り株にどっかりと腰を据えた。文はどうだか知らないが自分だって得意ではないと思ったが、早苗は真面目に地面を睨んでうろうろし始めた。文も素直に痕跡を探しているようだった。
「ここで亡くなった方は女性の方でして。なかなかの器量良しだったらしくて、自警団の方々もずいぶんと泣いておられました。十六歳だったかな。花の盛りと言うやつなのにねぇ」
文が故人の話を始めたが、早苗としてはあまり聞きたくなかった。顔の無いただの被害者が具体的な一人の個人になるにしたがって、足が重くなっていく。故人にも家族がいるだろうし、きっとその人たちは今か今かと解決を待ち望んでいるだろう。解決ではなく罰の執行かもしれないが。そういうのが足に絡み付いていく感じだ。これが、責任と言うやつなのかも知れない。霊夢なぞ真っ先に「聞きたくない」と言うかと思ったが、彼女はそ知らぬ顔で黙って聞いていた。
そうして、しばらく辺りを二人が探していると
「おや。これはなんでしょう。ねぇ、ちょっと見てください早苗さん」
天狗が皮の剥けた木の幹を指して言った。そこには五六センチの銀の毛がささくれに挟まって残っていた。手にとって見るとそれはかすかに妖気を放っており、ただの獣の毛ではないことは明らかだった。霊夢もやってきて「なんだ、意外とあっさり見つかったわね」とのたまった。
「妖獣の毛、でいいんですかね」
「そうね。でも妖獣って犬も狼も狐も猿もみんな銀毛だから困るわね」
「狐は金じゃないんですか?」
「銀もいるでしょ。お稲荷さんなんて白狐じゃない」
よもや正一位稲荷大明神が犯人ではないだろうが、そうなると犯人像は絞れたようで絞れてないのか。霊夢はんーと少し唸って、それから「よし、次行くわよ次!」と言った。
里山を飛び立って、次の現場への道すがら、早苗は随分あっさり見つかった手掛かりを信用しきれずに居た。
「あの、霊夢さんはその銀毛の持ち主が犯人だと、そう思いますか」
「そうね。たぶんそれで当たりじゃないかしら。なんか変?」
「いえ、ですが無関係である可能性もありますよね?」
「そーね。でも多分当たりよ。私も犯人は妖獣だと思うし」
どうやら霊夢は何も判らないと言いつつもある程度の当たりは付けていたらしい。
「人里ってのは妖怪にとっても結構大切な場所なのよ。前も言ったけどさ、妖怪は山菜採って人に売ってご飯買ったり、まぁ多かれ少なかれ人里に繋がりがあるのよね。なのに、そこの周りでこんな連続して人を喰うなんて、人里を利用してない、つまり、人語を喋れない奴ってのが、まぁ本命よね。そうなると幼い妖獣が一番ありえるかなと」
「なるほど」
「んで、まだなの? 文」
文がこちらに向き直って答える。体をこちらに向けているのに、もとの方向から全くぶれずに飛んでいて、早苗はこの天狗の飛行術に関心しきりだった。
「言ったでしょう。二件目は少し遠いって」
◇◇◇
「なによこれ。田んぼの真ん中じゃない」
一面の田園である。その田園を貫く街道上が二件目の現場だった。
「えー、被害者は行商人ですね。里から貫田の集落に向かう途中、ここで襲われたと。今度は死体はバラバラではないようですね。腹を喰われて、上半身と下半身が離れ離れですが、きちんと残っていたようです」
霊夢は街道の上に立って、なにか呆然とした風に周囲をぐるりと見回している。それから「おかしーでしょ」と独りごちてから、叫ぶように言った。
「次ぎ行くわよ」
「ええ。まだ来たばかりですよ?」
「いいから。次よ次」
そう言ってさっさと飛び立ってしまった。早苗は慌てて追いかけて問う。
「どうしたんです? 霊夢さん」
「早苗は変だと思わないの? あそこで妖獣が人を襲うって、想像できる?」
そう言われると、あんな見晴らしのいい場所で襲われるのはおかしいかもしれない。もっとも早苗には妖獣がどういう風に人を襲うのだか、よく知らないから、なんとなく変かも知れないという程度にしかわからないのだが。
「しかし、絶対無いとは言いきれないでしょう」と天狗が言っている。霊夢は返事をしなかった。
三件目の現場は里から近い、これも街道上だった。
やはり開けた場所だったが、街道の脇にはいくらか木立がある。ここはどうなんだ。妖獣が人を襲う場所として適か不適か。霊夢はまたも唸っている。文は霊夢を覗き込んで「次ぎ行くわよ!」と声がかからないことを確認して詳細を話し始めた。
「三件目の被害者は女性ですね。一件目と同じくほぼ喰い尽されて遺体はバラバラで、綺麗に残っていたのは頭部だけですね」
「何か」を見つけるために早苗も文も踏み固められた路面や、脇の草むらを探っては見るが、なにせ人通りの多い街道上だし、見晴らしも良い場所だから、そんなものあればとっくに誰かが見つけているという気がする。
「前のところもそうですが、ここも探して何かあるという感じではないですね」
「まぁ、妖獣が人を襲うロケーションとしてはありだと思いますがね。しかし、頭部を綺麗に残すとは、人喰いの風上にも置けませんねぇ」
と、文が穏やかならぬこと言う。どういう意味かと早苗が聞き返すと文が年かさの妖怪らしいことを言い始めた。
「人間の肉で一番おいしいのは頬の肉ですからね。そこを残すなんてもったいない。特に……」
文は道の真ん中で唸っている霊夢に近づいて、その頬を指でつつきながら続けえる。
「霊夢さんのほっぺなんて、なかなか美味しそうです。是非一度食べてみたいですねぇ」
にいっと普段は感じさせない凄味のある笑みを浮かべて、文は霊夢を覗き込む。一方の霊夢は頬をつつかれながら「私もあんたの手羽先を食べてみたいと常々思ってるのよ」と言って半眼で文を睨む。霊夢が動じないでつまらなかったのか、ぱっといつもの顔に戻って早苗をの方を見て「ああ、早苗さんは全身どこでも美味しそうですよ。霊夢さんと違って柔らかそうで良いですね」と薄ら寒い事を言う。
結局その場はおざなりに調べて次に行くことになった。
「文、次は……」
「四件目は遠いですよ。静川のほうですから」
「……どんな感じのとこ?」
「どんな感じと言われましてもねえ。林を抜ける、これも街道上ですね」
「そん次。五件目は確か里の傍よね」
「ええ、そうですね。南の堀のすぐ外です」
「もう日暮れが近いし、遠いほうは明日に回すわ」
場所は人里の内と外を区切る境になっている堀のすぐ外である。堀と言っても実態は用水路と言ったほうが適切で、水面の幅は一間と少しと言ったところだ。周辺は膝丈の草に覆われているが視界は開けている。
「どうなんでしょう、ここは。妖獣が人を襲う場所としては」
「いいんじゃないですか? この草ですし」
「でも、先ほど霊夢さんも文さんも仰ってましたが、遺体がバラバラになるということは、それなりに体躯の大きい妖獣なんですよね? こんな草に身を潜められるでしょうか」
「獣は身をかがめると意外に目立たないものですよ。夜のことですし十分目立たないでしょう。やはり犯人は妖獣ということで、いいんじゃないですかね。どうです霊夢さん?」
霊夢はまだ唸っていた。
◇◇◇
弁当を作り茶を沸かし、一服ついて射命丸文は「はぁ」と大きなため息をついた。なぜ自分がこんな状況に置かれているのかと、気を緩めるとぶつぶつ愚痴が漏れてきそうだった。陽はようやく東の空を照らし始めたばかりだから、まだ時間はあるなと確認して、弁当と茶を入れた鉄瓶を手に飛び立った。
そもそもの原因は何なのか。こんな事件は記事ならないと、記事にしたくないと、そう思いつつも連続食害事件を追ってしまった自分の記者根性のせいなのだろうか。それとも傍観者の立場を忘れてつい手を出してしまったからか。そこまで考えてまた大きくため息をついた。
妖怪の山を下りて北に向かい、名も無い岩山の麓に降り立つと、目の前にはそう大きくも無い洞窟が口をあけていた。かつかつと高下駄の音を響かせて奥に入ると、そこに一人の天狗がいた。
「おや、九郎さん。今日は起きていますね。落ち着きましたか?」
「あや……射命丸さん……その、俺は……」
「嫌ですね。昔みたいに文姉ちゃんと呼んでいただいて良いんですよ?」
九郎と呼ばれた天狗は文を見るでもなく筵の上で、まるで土下座でもするように手を突いて俯いている。
「これ、きちんと食べてくださいね」と言って弁当と鉄瓶を天狗の前に置く。
「……俺は、その……これから……」
「さぁ、なんとも言えませんね。私もこんな状況初めてなので。ともかくは大人しくしておいてください」
「すまねぇ……ほんとに……」
「ええ、まぁ、それはそれ、ですよ」
今日はまともに話が出来るようだった。昨日まで、この若い天狗は狂乱と憔悴の間を行ったり来たりしていたのだ。
洞窟の中はまだ暗い。文は座ったままの天狗を見下ろしながら、喉まで出掛かっている言葉を飲み込んでいた。自分が何をしたか判っていて、そして迷惑を掛けたと思っているなら、自分で出来る始末のつけ方があるだろうと。無論、言えるわけがない。
筵の上でうずくまっているのは、文がまだ天狗の町の長屋に暮らしていた頃、はす向かいの周元坊の家に産まれた天狗で、文はおしめを代えてやったこともあるし、よく遊んでやったりもした。彼の父親とは文が町を出て山中に一人住むようになった今でもよく酒を呑む。この若い天狗が人間に興味を持つようになったのも、自分の影響かも知れないと文は思った。ならば、それがそもそもの原因なのか。
あの夜、連続食害事件を追っていた文は、里のすぐ傍で決定的な瞬間に、つまり、人間の胴体に頭を突っ込んで肉を喰らう妖怪に出会ったのだった。その必死になって肉を咀嚼する者が、自分がまるで甥っ子のように思っている天狗だと気付いたとき、文は彼を後ろから羽交い絞めにしていた。死体から引き剥がし、何発も殴りつけて失神させた後、文は彼をこの洞窟に運び込んで、遁甲の術をかけて隠した。
文が、自分は何か理屈に合わない変な事をしていると気付いたのは、翌朝、彼のために物置で筵を探しているときだった。以来、文はなぜこんなことになったのか、自分の心理を探って結局自分の愚かさを見つけてしまったり、自分はこれからどうすべきか考えて、見つからない答えを探したりし続けている。
嘘は、嘘は多分つき通せる。嘘の百や二百、物の数ではない。霊夢がもっと柔軟な思考を持っていたら、きっと事は簡単なのだ。文が適当な妖獣を犯人に仕立て上げ、彼女がそれに乗っかって解決したことにしてくれたら、どんなに楽か。多分霊夢は文がどんなに上手く誘導しても、確定的な犯人が見つからなければ、そこで犯人不明のまま捜査を終えてしまうだろう。そうなったら、霊夢は人里でどう見られるだろう。この愚かな天狗のせいで、霊夢はどんな目にあうだろう。彼女はきっとそんな事気にしもしないだろうが、それを見る自分の心持はどんなだろう。
そこまで考えて、「いやいや」と自嘲する。確かにこの天狗も愚かだが、自分も同じくらい愚かだ。自分が隠さなければ、九郎は罪を霊夢に罰され、それで解決だったのだ。それはそれで自分は嫌な気持ちになるだろうが。
あの時、我を忘れて九郎を死体から引き剥がしたのは、人を喰う事を止めさせたかったのもあるが、このままでは九郎は捕まって殺されてしまうと、そう感じたからではなかったか。結局この歳の離れた若い天狗は親兄弟類縁の一人もいない文にとって数少ない親類のようなものなのだ。
できれば、逃げ延びて欲しいと思う一方、そのことで霊夢の立場がなくなったら、自分は彼を許せないだろう。
ああ、まただ。自分はあの夜以来、何百回と同じ事を考えている。
ひとしきり陰鬱な思考に浸った後、文は遁甲の術をかけ直して洞窟を後にした。
◇◇◇
文が博麗神社に着くと、早苗はすでに来ていて霊夢はちょうど朝食を終えたところだった。さて、行きましょうかと立ち上がると、霊夢は「その前に買い出し手伝って」と言ってきた。「醤油がかつかつなのよ。ついでにお米も、ちょうど荷物持ちがいるし」
人里は、ぱっと見いつもと変わらぬ賑わいのようだった。しかし中を歩いてみると、雰囲気と言うか空気がいつもとは少し違っていた。それまで談笑していた人が、霊夢達の姿を見とめた瞬間、真顔に戻る。こんな格好をしているから、目立つのは仕方ないが、何か普段とは違った、余所余所しい視線を浴びている気がした。
米を買い、醤油屋に入ると、一升樽はちょうど店頭から切れていた。
「権蔵。一升樽出せや」と主が奥に声を上げると、奥から醤油樽を持った六尺はあろうかという大男が現れた。男はちらりと霊夢を見ると、一升樽を持ったまま、そのまま霊夢を素通りして表の通りに出た。地べたに樽を下ろすと店の中の霊夢のほうに向き直り、そして――、右足を樽に掛けた。
「てめっ……権蔵。お前、何してやがる」と言う主に霊夢はいいからと声をかけて、表に出た。金を渡すと、権蔵は掛けた足をどけて、霊夢を一瞥したあと無言で店に戻っていった。
早苗は――怒りに震えていた。奥歯がカチカチ鳴って、呼吸が変だった。文が自分の右腕を強く掴んで耳元で何か小さく言っていた。
「大丈夫です。霊夢さんはあんなの気にしたりしません。早苗さん? 手出しちゃ駄目ですよ」
怒りで息が苦しくなるなんて、自分がそれほどの怒りを持ち得るのだと、早苗は初めて知った。何か言わないと、何か吐き出さないと、このまま窒息すると思って、やっと早苗は小さく声を出した。
「こんな……こんなのってありません。酷いです」
そう言ったのがきっかけとなって、涙が出た。霊夢はそれを見て「行くわよ。早苗」とだけ言った。
神社に戻ると、霊夢は茶を入れてくれた。ちゃぶ台の前に座って、早苗はこの胸に渦巻く感情をどうしてよいのか判らなくて、ただ放心していた。文はこちらに背を向けて縁側に座っている。だらしなく座った霊夢が口を開いた。
「あのおっきな人さ、権蔵さんていうんだけど。私が物買いすぎた時とか、荷物かついで持ってきてくれるのよ。神社まで」
「……それが、何だって言うんですか」
「別に。ただ親切なのよってだけ」
良し悪しは自分で決める。そう決めたばっかりだ。あの権蔵の行為は良いのか悪いのか。ただ許せないと思った。
「……私には、わかりません」
「何であんたが怒るのか、私もわからないわ」
「だって! だっておかしいじゃないですか! 霊夢さんはちゃんとやってて。それなのにあんな……」
「それは、私が博麗の巫女だからってだけよ。しょうがないじゃない」
「また博麗の巫女ですか。なんでもかんでも博麗の巫女だからって。そんなの!」
「例えばさ」
霊夢は煎餅を一つとってかじり出した。
「例えば、早苗が人里に住む普通の女の子だとして」
「ある日、早苗のお母さんが妖怪に食べられちゃって」
「でも、博麗の巫女は一人死んだくらいじゃ動かなくって」
「例えばそうなったとしたら、早苗はきっと怒るわ」
「怒るし、多分巫女を恨むわ。でも、そういうもんでしょ?」
それは、きっとそうだろう。つまり、事は良し悪しではなく感情の問題なのだ。最初に霊夢はあの大男も普段は親切なのだと言っていた。彼だけでなく里の人々は皆、別に霊夢を嫌っているわけではないのだ。なにせ自分達が最後に頼るのは博麗の巫女なのだ。それは判っていても感情は割り切れないのだろう。理屈と感情は寄り添わないのだ。自分がさっき許せないと思ったのも感情だ。
早苗にはもう、何がなんだかわからなかった。涙はなぜだか止まらなかった。博麗の巫女はこの世界の穢れと厄介ごとを一身に背負って、それを祓う。彼女が守るのは世界であって人間そのものではないのだ。人間はその世界に含まれているけど全てじゃない、それはいい。しかし、それならば彼女の寄る辺はどこにあるのだ。
「私には正直よく判らないんだけどさ、早苗は私の事を思って泣いてるんでしょ? それは、嬉しいんだけどさ、やっぱり泣かれるのはキツイからさ、勘弁してくれないかしら」
堪らなくなって、手洗いに駆け込んだ。博麗の巫女は世界を守っている、それはもう明白に。その事を誰もが知ってはいるが、彼女が守るものが人間と完全なイコールで結ばれていない事を感情は納得していない。さっき霊夢が言った例え話のような事は、いくらでもあるんだろう。それはそういうものだから、仕方が無いじゃないかと霊夢は言う。なら、自分は駄々を捏ねているのか。こんなの気に入らないと。それで、ふと思い出した。良い悪いは自分で決めて、気に入らないなら変えればいいのだと。
居間に戻ると霊夢は文と何か話して大笑いしていた。
「ああ、おちついた?」霊夢は早苗を見上げた。
「あんたさ、今日はこのまま帰ったほうが良いんじゃない?」
「いえ、大丈夫です」そう言って早苗は鼻をすすった。
「あまり気にしちゃ駄目ですよ、早苗さん。あれはああいうものなのです。在るがままって奴です」
「文さんは前に――気に入らないなら変えればいいと、仰りましたよね」
「ああー……、言いましたね。そういえば」
「やっと、その気になりました」
「その気って……」
何をする積りなのだ。
「『余計な事言うな』って私は散々釘さしたわよ」
用意を整えた霊夢が脇を通り過ぎながら、そう言った。
◇◇◇
静川は幻想郷でもっとも西側にある集落で、人里から見ると妖怪の山を回りこんだその向こう側に位置して、もっとも遠い集落だった。最後に残った四件目の現場はその集落への街道上だった。ちょうど街道が林を貫いて通っている場所で街道の上は明るいが、少し脇にそれればもう薄暗い。
そこに三人は降り立った。昨日までと違って霊夢は妙にやる気で、ぐるりと周囲を見渡すと
「あっちよ」
と、周囲の林のもっとも暗そうな場所を指し示した。
「霊夢さん。遺体は街道上で見つかっているんですが?」
「いいから。ほら、歩く」
お祓い棒をぶんぶん振る霊夢に追い立てられるように、二人は林に入ってゆく。そういえば昨日はお祓い棒を持ってきていなかったのに、と文は思った。
そうして、梢が分厚く空を遮る一角まで来ると、霊夢は突然八方に札を放ち、その瞬間文は慌てて地面を蹴って飛び立とうとし、しかし霊夢の結界展開に間に合わず、見えない壁にぶつかって地面に落ちた。早苗はただ面食らっていた。
「さてと、文。何で逃げようとしたのかしら」
文は強張った笑みを顔に貼り付けて、きょろきょろ周りを確認しつつ答える。
「いえ、霊夢さんがお札を放ったので、すわ敵襲かと思いまして。烏天狗は空にいないと安心できないのですよ」
「へぇ」
「素直になる気はない訳ね」と霊夢は平板に応えた。
霊夢はふうっと息をつき、お祓い棒で自分の肩をぽんぽんと叩きながら、文のほうに歩き始めた。がさりがさりと、霊夢が下草を踏んで歩を進めるごとに、文の顔が青くなって行くのが、見ていて痛々しかった。
「昨日さ、帰った後に結構真面目に考えてみたのよ。したらさ、おかしな事ばっかりなのよ。妖獣って必ず巣があるじゃない。なのに被害の範囲は広すぎるし、二件目の現場なんて妖獣が絶対出なそうな場所だし。そもそも里のそばに妖獣が出るってほうがおかしいのよね。里の周りには里と繋がりのある妖怪が結構いて、縄張りとか大変じゃない。まぁ、私も最初は妖獣だと思ってたんだけどさ。んで、一番おかしいのが頭の良く回るあんたが最初っから『妖獣が怪しい』とか『もう妖獣で間違いない』とか言ってるじゃない? あの銀の毛も白狼天狗の尻尾の毛でも抜いてきたんでしょ?」
文はまだ地面に落ちたまま、結界の見えない壁を背に座り込んでいる。
「あやや、霊夢さん何か勘違いしていらっしゃる。私はですね……」
その文の肩に霊夢はびしりとお祓い棒を叩きつけた。
「申し開きとか弁解とか必要ないから。あんたがいくら違うって言っても、私の勘は覆らないの」
「いたたた……」
「知ってることで、私に話してないこと。ここで全部吐きなさい」
霊夢が言っている事は理解できたが、だからと言って文が責められるのはよくわからない。昨日文が人間は頬が美味しいとか、早苗は柔らかくて旨そうだとか言っていたのを思い出して、早苗はまさか文が犯人なのかと思った。
「あの、霊夢さん。まさか、文さんが……」
「いくらなんでもそれは無いわ。けど、こいつは何か隠してるわ」
また、びしりとお祓い棒が打ちつけられた。今度は傍目にも明らかに霊力を乗せていた。
「がっ……」
短く呻いて文は肩を抱いてうずくまった。
「人目につかないように、わざわざこんな場所まで来て聞いてんのよ。意味わかるわよね」
霊夢がお祓い棒を振り上げ、そのバサリという音に文が身を固くした。
「あんたは赤の他人をかばうってタイプじゃないと思うから、となると、犯人は山の天狗かしらね」
そう言って霊夢は、振り上げたお祓い棒を降ろし、くるりと文に背を向けた。
「そういえば、現場は何処も空からよく見渡せる場所だったわね。納得したわ」
すたすたと、もう文には興味がないという風に、霊夢は結界を抜けて街道へ歩き出した。
「ちょっと! あの、霊夢さん?」
「ん、その結界、妖怪にしか効かないから。早苗も抜けられるわよ?」
「いえ、そうじゃなくて、その、文さんは」
「喋る気無さそうだから、もうそいつは放置で良いわよ。私は山に行くけど、早苗どうする?」
「どうするって……」
早苗は事の展開に未だに戸惑っている。というか、これが妖怪退治の時の霊夢なのだろうか、容赦がないというか冷たいというか、そう思ってから、でも人の命が懸かっている訳だしとも思った。いつ次の被害が出るとも知れないのだ。かといって山に飛び込んで何とかなるのだろうか。いつかのように道をあけろでは無く、今度は犯人を引き渡せなのだ。天狗は相当の抵抗をするだろう。というか、文が何か隠しているのはいいとして、犯人は本当に山の天狗なのか。
「どうするって、霊夢さんは山に行ってどうするんです。山の天狗達に犯人を引き渡せと言って、喧嘩を売るつもりですか?」
「まぁ、そーなるわね」
「そんなの、絶対上手くいきっこありません」
霊夢はため息をつきながらばりばりと頭をかいて、面倒そうに言う。目が言外に口出しするなと言っているようだった。
「判ったわ。あんたはそこで座ってなさい。私一人で十分だから」
「文さん!」
早苗は肩を抱き地面にうずくまる文に飛びついた。もう文に喋らせるしかない。
「文さん! 霊夢さんが行っちゃいます。山に行かせたら大変なことになります! 霊夢さんが一人で乗り込んで何とか成るか成らないか、文さんにはわかるでしょう! もう文さんに喋ってもらうしか無いんです!」
文は早苗に揺すられつつ、まだ何か切り抜ける方法は無いかと考えていた。霊夢を山に行かせたら、早苗の言うとおりとんでもない事になるだろう。霊夢を引き止める事ができて、且つ事実が露見しないような、なにか上手い方法を考えるんだ。もう霊夢は林を出ようとしている。猶予は無い。この苦境を切り抜けて、それで自分は晴れて――晴れてまた毎朝弁当を洞窟に届けるのだ。そうしてそこで鬱々と後悔を繰り返すのだ。
俯きすぎて、額が地面についた。半ばあけた口から、どろりとしたものが流れ出た様な気がした。
九郎の顔を思い出そうとした。なにか綺麗な思い出を浮かべようとしたのに、頭の中に出てきたのは憔悴した天狗が暗い洞窟で膝を抱えている場面だった。
どうにもならないのは、端から判っていたのだ。
そう思うと、これから事件がどうなって、どう解決されて、自分がなにをすべきか、すらすらと思い浮かんだ。こうすべきだと、前から知らぬうちに自分は考えていたのだなと、思った。
「霊夢さん!」
早苗の腕の下で蹲った文が、地面に顔を向けたまま、やっと、声を上げた。
「なによ、文」
「喋ります……喋りますから、その前に、私のやり方で始末をつけても良いと、そう仰ってください」
「始末、つけられるの? あんたに」
「……つけます」
「そ。じゃぁ、良いわよそれで」
霊夢がお祓い棒を振って宙に浮いた札の一枚を叩き落とすと、残りの札も皆地面に落ちた。うずくまる文の前に胡坐をかいて「そんで?」と霊夢は聞いた。文は身を起こして、いきなり核心を吐き出した。順を追って話してたら、なにか誤魔化しをしそうだと思った。
「ええと……。この件の犯人の周元坊九郎は私が確保しています。山には報せていませんし、他の誰も……知りません」
「は? あんた犯人押さえてるの?」
「ええ……まぁ」
「なんだ、じゃぁ慌てる必要なかったのね。あー損したわ」
文としてもこれ以上被害が増えることはないと、なんとか霊夢に伝えるべく頭を捻ってはいたのだ。しかしどうやっても、嘘をついたままそれを伝える上手い考えがなかったので叶わなかった。
「霊夢さん、慌ててたんですか……」
「当たり前でしょ。十日で五人、最後に喰われて四日。もういつ次が来るかと思ってたわよ。あぁー、なんか安心したけど腹立つわー。もう一発殴って良い?」
「嫌で――」
言い終わらないうちに、文の顎にこぶしが飛んできて、後ろに飛ばされた。肘を突いて見上げると、もう霊夢は立ち上がっていた。
「そっかー、もう確保済みなのね。んじゃ、いまから行く? 悪いけど明日にしては聞けないわよ」
九郎の両親に、せめて父親に伝えるべきだろうかと思った。少し悩んで、頭に浮かぶ彼の父親の顔に向かって謝って、すっぱり諦めた。
「いえ、今からで結構です。ですが、一度私の家に寄りたいのですが」
「いいわよ、それくらい」
霊夢は立ち上がるとパンパンと尻をはたいた。文も痛そうに立ち上がった。早苗が手拭いを裂いて左腕を吊ってくれた。
「殴るの左肩にしたのは私の情けよ。ありがたいでしょ」
「ええ、涙が出そうです」
実際、歯を食いしばってやっと耐えたのだ。
霊夢に続いて飛び立って、文はぼうとこれからのことを考える。つまり、始末のつけ方だ。自分の決めた方法でいいのだと思いつつも、どこかでそれは自分勝手なのではないかという思いは消えそうにもなかった。
◇◇◇
文がすぐに戻るからというので、霊夢も早苗も家には上がらなかった。山中にぽつんと建つ小さな家なのに、造作は妙に雅やかで美しかった。霊夢は苔で緑色になった萱葺き屋根を眺めながら、ふと口を開いた。
「早苗さ、あれ、お手柄よ」
「あれ? ですか」
「文にさ、喋らせたじゃない。あれ」
「霊夢さんが山で大暴れするとか脅したからじゃないですか」
「別に脅しじゃないわよ」
「まさか、本気だったんですか?」
「……まぁ、結果いいほうに転んだしさ、いいのよ」
文の告白が間に合わなかったら、最悪の結果になっていたのだ。情報は文しか知らなかったのだから、山に行っても天狗と喧嘩になるだけで、何一つ得るものは無い。加えて、犯人を隠し山に通報しなかったことも、露見して文も苦しい立場になっただろう。本当に最悪だ。これも霊夢の運の良さの表れなのかもしれないが、同時に、もしその運の良さが偶々働かないことがあったらと思うと、早苗は霊夢の危うさを考えずにはいられなかった。
文は風呂敷で包んだ二尺ほどの棒のようなものを持って家から出てきた。
「それじゃ、行きましょうか」と自ら言って彼女は飛び立った。山を下りて少し行った岩山の麓に降り立つまで、誰も何も喋らなかった。やっとこの事件が終わるんだと、飛びながら早苗はぼうっと考えていた。そしてふと、どう決着をつけるのか、つまり犯人はどうなるのか、霊夢はどう裁くのかという事を、自分がこれまで考えないようにしていた事を自覚した。
五人を、殺して喰ったのである。霊夢がいつもやっているように、痛めつけて謝らせて「はいお終い」では済まないのでないか。
済まないなら、どうするんだ。
――殺すのか。
殺すのかと思ったとたん、頭がくらくらした。まず、自分はそれを手伝うのかと思って、いやもう手伝っているじゃないかと気が付いた。最後に手を下したわけじゃ無いから自分は無関係だとでも言うのか。違う。もう手伝っているんだから、そこはどうでもいいのだ。
だから、つまり、問題は、この洞窟の中にいるだろう天狗を殺せば、それで解決なのか、だ。
岩肌に、ぽっかりと洞窟が口をあけていて、その入り口の前で、文はしばらく固まったように動かなかった。
「この中、なのよね?」
「はい、そうです」
「んじゃさ、私が代わるから。同じ天狗じゃやり難いでしょ。匿った本人でもあるんだし」
「いえ、お気遣い無く。……私がやるのが、一番いいんです」
やっと一歩を踏み出した文に続いて中に入った。中は暗くて湿っていた。
「九郎さん、いますよね? ああ、いらっしゃいますね。お気付きかも知れませんが、ここに博麗の巫女が来ております。事の始末をつけにです。九郎さん、変な気は起こさないでくださいね」
文が風呂敷をくるくると解くと、中から出てきたのは白鞘の短刀だった。それを手に、文が顔の無い天狗を刺す場面が目に浮かんで、早苗は自分の足から力が抜けていくのを感じた。
短刀を手に文は奥へと進んで行く。かつんかつんと一本歯の高下駄の音が穴倉の中で反響した。十歩も行くともう光が届かないのか、文の姿は闇にまぎれ、もう早苗からは見えなかった。何か、音が聞こえた。風穴が鳴るような音が不思議に規則的な間隔で聞こえていた。さらにかつんかつんともう十も響いて、それから洞窟の壁に反響してぼやけた文の声が響いてきた。
「九朗さん」
やるなら、無言でいきなりやればいいのに、と半ば投げやりに思った。
風鳴りのような、あの音が大きくなる。
「私が判りますか? 九郎さん。……これを、使ってください。私が見届けます。意味は、わかりますよね?」
音が更に大きくなる。早苗はそれで、やっとその音が、奥に居るであろう若い天狗の喉が出している音だと気がついた。それはもはや声というようなものではなくて、ひいひいと限界を超えて天狗の喉に送り込まれる空気が鳴らす音だった。
「九郎さん。私は貴方を守りたくて、ここに貴方を隠しました。正直に言うと、あの時、私は我を忘れていました。貴方と同じようにです。それで、どうにもならないと判っていながら、貴方に希望を持たせたり絶望させたりしてきました」
「九郎さん。お願いです。名を惜しんでください。私たちは天狗です。恥を知るものです。山に帰れば、山は貴方を闇に葬るでしょう。貴方の存在は抹消され、貴方の家族でさえ貴方の名を忘れねばならなくなるでしょう」
「九郎さん。いえ、ここはクロ坊と呼んだほうがいいでしょうか? 私が愚かだったんです。貴方と同じように。わかっていただけますか?」
「そろそろ、お終いにしよう。クロ坊」
「……アヤネエッ!」
それで、声は途切れた。それから、長い長い沈黙があって、ばつんっと何かを断ち切る音が聞こえて、穴倉の奥から霊夢達に向けて短く風が吹いた。風は冷たく乾いていたが、すこし血の匂いがした。早苗は、なんだか思ってたのと違うなとぼんやり思った。最後のあれは文姉なのかなとも思った。
ややあって暗がりから文の姿が現れた。手には風呂敷に包まれた西瓜くらいの物。風呂敷からまだ血が滴っている。
「霊夢さん……周元坊九郎です」
そう言って。文は風呂敷包みを霊夢に差し出した。こんなに表情の無い文は初めてだった。
陽の傾き具合によるものか、光が穴倉の奥まで差し込んできた。正座を崩すことなく前のめりに倒れた九郎の体が見える。腹に突き刺した短刀の刃は背中まで突き抜けて、それが光を反射していた。
「その人は……割腹されたんですか……」
「早苗。これが一番……ましなのよ」
「人が死んでるんだから、もうその時点で八方丸く収まる解決法なんて無いのよ。山の天狗は数も多いし、昼間でもそこらじゅう飛び回ってるし、それが人を喰うなんて、人里がひっくり返るどころじゃ済まないのよ。だからさ、人を食べてしまったが、その罪は自覚しているし反省もしているって事を……」
「そういうことです。九郎さんは自ら事の始末をつけました。霊夢さん、早苗さん、後のことはよろしくお願いします」
無表情に頭を下げる文を、早苗は見ていられなかった。
「文。あんた、大丈夫よね?」
「ご心配なく。私はこれからやることがあるので、お二人は行って下さい」
入り口から出て空を見上げたところで、霊夢が「悪いんだけど」と風呂敷に入った首を突き出して言った。
「これ、早苗に任して良いかしら?」
早苗は少し考えて同意した。あの文の顔を見たら、強引にでも誰か残ったほうが良いと思った。早苗は思っていたよりずっと重い風呂敷包みを受け取って、里に向かって飛び立った。霊夢はそれを見送って、また穴の中に戻った。
文は、首のない天狗の死体の前に座っていた。手には柄まで真っ赤になった短刀を持って、ただ目の前を眺めているようだった。霊夢がとなりにしゃがむと「誰かが付き添わないといけない様な状態に見えますか? 私」と顔を前に据えたまま文が言った。
「そりゃね。見えるから私が残ったんでしょ」
「なんと言えばいいのでしょう。『悲しみの淵に沈んでいる』という訳では無いんですよ。悲しく無いわけでもありませんが」
「なんで、こうなったんでしょう」
文が血塗れの短刀を鞘に戻して言った。
「山に報せるのは、ありえませんでした。天狗の見栄と面子に彼の存在は隠されて、真実は霊夢さんにすら伝わらないでしょう。里に通報すれば私は山を追われたでしょう。結局、彼が人を食べてしまったその時から、もう、どうにもならない事は明らかだったのに」
「あんた、もう後悔なんて腐るほどしたんじゃないの? まだ足りない?」
そう鋭く霊夢に言われると、文は呆けたように「ああ……」とだけ応えた。
「あんたの罪も、巫女に殴られて成算済みよ」
筵の上に寝かされた死体に目をやって霊夢は、天狗も妖怪なのよねと、当たり前のことを確認していた。山の天狗は随分と人じみた生活をしているから、霊夢とてそれが時に怪しくなる。
「山の天狗ってさ、『こういう事』から一番遠いもんだと思ってたわ」
「そうですね。私もそう思いたいのですが……」
「話聞いた? 彼から」
「ええ。事故と言うか、魔が差したというか。一件目のこと憶えていますか? 被害者は器量良しの女の子で」
「ああ、言ってたわね」
「いい女だったそうです。一目見て興が沸いたと」
「はじめは、礫を投げてからかっていただけだそうです。もちろん当てませんよ」
礫の着弾する、びしりという音に吃驚する女が可笑しかった。気の強い女で、そのたびにきっと鋭く辺りを見回したという。そのうちに女は何に躓いたか、よろめいたか、足を滑らせてずりずりと一丈ほども滑落した。天狗があっと思ったその時、脇から妖犬が飛び出て、女の喉笛に喰らいついた。一瞬の出来事だった。若い天狗は怒った。それはわしの獲物だと、そう妖犬に宣言し礫を射ち込み、不埒な闖入者を追い払った。慌てて女のもとに飛び降りたが、女の傷はどう見ても致命傷だった。女からはひゅうひゅうという鞴(ふいご)のような音とごぼごぼという水が泡立つような音がした。そうして今際の際の女を見て――気付くと己は女の腕に歯を立てていたという。
「あの銀毛は、ですから正真正銘あそこにあったものです。私が捏造したものではありません」
そう言って、文はほんの少し笑った。巫女の勘の前にはこんな小さな勝利しか掴み得ないのだと思うと、少し可笑しかった。
「若い天狗は人の味を知りません。特に幻想郷が閉じてから生まれた者は。何で自分はこの女を喰っているんだと、この人間は里の者で喰ってはいけないのだと、何度もそう思ったそうですが、ついに食べ尽くしてしまった。彼は味を知ってしまったんですね。妖怪にとって人間の肉はただの肉ではありません。腹が満ちるというよりも、心が満ちるのです。まぁ、本能というか、それに類したものなのでしょう。それで、すっかり彼は取り憑かれてしまったんですね。後はもう、気の向くままに襲って喰ったというだけです」
「心が満ちるねえ。あんたも今でも喰いたいと思うこと、あんの?」
「霊夢さんのほっぺに誘惑され続けていると、前に申し上げた筈ですがね」
そう言って力なく笑って、文はいくらか普段の様子に近づいたようだった。
◇◇◇
里の入り口に降り立って歩き始めた早苗は、道行く人の視線が皆、血の滲む風呂敷包みに注がれるのに閉口して、途中で桶を買った。桶に首を入れるときに、きっとこういう事にも作法があるんだろうなと思ったが、早苗にはどうしようもなかった。
里長の家の玄関で靴を脱ごうとして、首を持って家に上がるのはおかしい気がして、慧音が来るまで玄関で待つことにした。家人に座布団を持ってこさせた里長が隣に座り、山の様子だとか、ここでの暮らしはどうかとか、場を繋ぐ話を振ってくれるが、早苗には適当な相槌を打つ余裕しかない。
早苗は今、世界を変える算段をしているのだった。
上がり框に座った里長と慧音を前に、早苗は桶から首を取り出し、風呂敷をといてそれを示した。見た目には少し堀の深い男の首にしか見えない。
それを見て二人は声も無かった。まさか首を取ってくるとは思ってもいなかったのだ。こうした場合は普通、ただ霊夢が里長の家に来て「解決したから」と述べて、妖怪変化に詳しくない里長に代わって慧音がどう解決したか大雑把に聞き取り、それで終わりなのだ。
「今回の件の犯人、周元坊九郎です」それを聞いて慧音が腰を浮かせて声を上げた。
「早苗。それは、まさか天狗か?」天狗には「坊」や「丸」が最後につく漢字三文字の姓が多い。
「この方は山の天狗ですが、不幸にも人の味を識ることとなり、忘我の中で罪を重ねました。しかしながら、最後には己を取り戻し、自らの手で事を決しました。介錯も天狗の方によるものです。このことを含めて、人里に置きましては山の天狗に無用な敵意の向けられないこと、山の神の風祝より重ねてお願い申し上げます」
深々と頭を下げて早苗が言い、里長が大きく息をついて「まさか、天狗たあ……」と言っている。
「そうか……そういう事だったか。いや早苗、ご苦労だったな。これからは――」
「これからの事で――」
早苗は遮って言った。
そう、これからの事。幻想郷に海が出来るわけでもないし、日が西から昇るわけでもないが、これから早苗は世界を変えるのだ。
「これからの事で、もう一つお願いがあります。今日以降、山の守矢神社を博麗神社と同じく、守矢の風祝を博麗の巫女と同じく扱っては頂けないでしょうか。霊夢さんとは違い、若輩の上に新参ではありますが、精一杯勤めを果たしてゆくつもりです」
「……早苗、それはどういう意味だ? 霊夢を特別扱いするなと言うことかな」
「特別扱いと言うのは、そうなんでしょうが。多分、意味合いが逆です」
「人里の皆さんは自分達が霊夢さんに何を背負わせているか、余りに無自覚だと思うんです。これは霊夢さんが博麗の巫女が、たった一人の孤高の存在だからだと思うんです。まるで一つしかないゴミ箱に何でもかんでも詰め込むように。一つしかゴミ箱がないから捨てる人は何を捨てているのか自覚しないんです。どうせゴミだからどれもこれも一緒だと。例えが余りよくないのですが……」
「ですから、私も、霊夢さんと同じく、幻想郷の巫女になります」
そう、ここで宣言して、どうなるという話ではないのだ。これで明日から里の人々が早苗を霊夢と同じように扱いだす訳では勿論無い。だからこれは早苗なりの決意表明で、それは公の場で言わないといけないと思って、しかし、この幻想郷で公の場と言われても、他にどこも思いつかなかったのだ。まさか往来の真ん中で叫ぶわけにも行かないではないか。
あっけに取られる二人を残して通りに出て、これからやる事を考えて、早苗はなにか晴れがましい気分だった。
◇◇◇
それから何日か経って、もうだいぶ風も湿っぽくなって来た頃。博麗神社の庭にカメラを持った天狗がやってきた。詳細に言うならば忍び込んできた。そして、霊夢は涎を垂らしている寝顔を撮られた。
霊夢は柄にもなく、この天狗のその後を気にかけていたのだが、いまや恩を仇で返されたと、いつもの仏頂面を更にしかめて相手をしていた。ちゃぶ台の上には天狗の持ってきた新聞が乗っている。一面の写真は野良着を着て、妙な顔で振り返る霊夢だった。
「んで、何しに来たのよ」
「無論、取材にです」
「なんも面白い事なんて起きてないわよ」
「いえ、後学のために教えていただきたいのですが……」
そう言って、天狗は庭から浮いて、くるりと宙返りして縁側に腰を降ろした。逆さになっても捲れないスカートが羨ましい。こんど自分も風の神に頼んでみようと思った。
「何が一番怪しかったですか? 私の発言とか動きで」
天狗は心の中では、出来る限り上手くやった、ただ巫女の勘がチートなのだと思っているから、この発言は負け惜しみのようなものだ。
「んー、そうね。一番最初に私が野良着の時にさ『降りて来い』って言ったら、素直に下りてきたじゃない、あんた。あれが一番かな」
「あやや、最初っから駄目でしたか」
「ああいう時って、あんたは飛んで逃げて、私が四苦八苦するのを眺めてせせら笑うってのが普通じゃない」
「随分酷い人格だと思われているみたいですね、私は」
「実際そうでしょ」
「ふむ、想いというのは、なかなか伝わらないものですねぇ」
「はいはい。気持ち悪いから他でやって」
霊夢は雑草の生い茂った庭に目を移した。そういえばもう随分草むしりをしていない。庭の隅でぴょんと蛙が跳ねるのが見えた。
「早苗さんが、色々と駆け回ってくれまして」
「何の話よ?」
「九郎さんの首塚を建てて頂いた話です」
「ああ……」
「慰霊祭が次の満月の夜なんです」
「そっか」
行くとも行かぬとも答えず、霊夢はこの二人はどんな間柄だったのだろうと想像する。苗字は違うのに互いに文姉、クロ坊と呼び合う仲というのが、霊夢にはいまいちわからない。なにせ霊夢には兄弟はおろか、親類縁者もいないのだ。彼らは友達同士だったのか、それとも義姉弟なのか、まさか恋人同士では無かったように見えたが。
「文、あのヒトさ、弟? じゃ無いんでしょうけど、苗字違うし。えっと……」
「ただの近所の子供ですよ」
近所の子供と言われても、霊夢にはそういう存在が居ないから、やはりよくわからない。しかし、ただ近所に住んでいるというだけの子供とは、ああいう風に呼び合わないだろうと思うのだ。だからきっと文はなにか隠していようと思う。が、同時に、文が素直に「これこれこういう関係ですよ」と詳しく話して来なくて良かったとも思う。詳しく説明されても自分には判らない可能性も高いのだ。もしかしたら文は隠したのではなく、理解できない霊夢を慮ってただの近所の子供と言ったのかもしれない。ああ、それはありそうだ。
悔しいから話題を転じた。
「早苗、最近いろいろやってるわねえ。アリス巻き込んで人形劇とか」
「そうですねえ。早苗さんが言うには啓蒙活動らしいですが。妖怪退治とか自警団への講習とかもやってるみたいですね」
「啓蒙ねぇ。何も変わらないと思うけど」
思いきり詰まらなそうに言った。
屋根の上から巫女が落ちてきた、ように見えた。
「そんな事はありません!」
びしっと妙なポーズをつけて早苗が言う。前から思っていたがこの変なポーズは何なんだろう。
「ああ、来てたんだ。分社の掃除?」
「掃除もありますが、お話がありまして」
「……はなし?」
「この度、私、東風谷早苗は、ただの守矢神社の風祝ではなく、霊夢さんと同じく、この幻想郷の巫女になろうと、こう決意いたしまして」
「なに? 幻想郷の巫女って」
「この世界を守る正義の味方ですね」
「はぁ……」
「なんですか。『はぁ……』って。『早苗、道は長く険しいわよ!』とか無いんですか!」
「いや、別に……。私なんて気付いたら巫女だったし」
まぁ、聞いてはいたのだ。あの後、しばらくして慧音が訪ねてきて、そんな事を言っていた。慧音はしきりと感心していたが、霊夢にはどういう事だか判らなかった。ただ、今回の件はめったに無い、霊夢にとってさえ重たい事件だったから、早苗にだって思うところはあろうと、それだけ考えたのだった。
「あのさ、早苗。今回のはまぁ、特別重かったけどさ、普段からあんなのばっかりって訳でもないからさ。だから、あんま大げさに考えないほうがいいわよ」
「もう決めたんです。文さんの言葉で決心がつきました」
やはりコイツの余計な話のせいなのか。じろりと隣の天狗を見ると、なぜか楽しそうにニヤニヤ笑っていた。
「文さんは仰りました『世界が気に入らなかったら、変えればいい』と。ここの人々は何でもかんでも最後は博麗の巫女に背負わせて、それで平然としているとは言いませんが、それが当たり前だと思っています。それは霊夢さんも文さんも含めてです。私はそんなの気に入りません。だから、私は世界を変えます。思うに博麗の巫女が一人しか居ないからいけないのです。余りに絶対化されすぎているのです。絶対的な存在だから何でもかんでも背負わせて平気なのです」
「もし、巫女が複数居たなら、皆考えるようになるはずです。あの巫女はこういう奴で、この巫女はこういう奴で、だからその仕事はあの巫女の方が相応しいと。其処まで考えられたなら、これは巫女に背負わせても仕方ないと、そういう事柄があることにもきっと気が付きます。だから、私も巫女になります」
「さっきも言ったけど……そんな簡単にはいかないわよ。そんな簡単には、変わらないわ、多分」
「やってみなければ、わからないでしょう!」
そう言う早苗が、霊夢には妙にまぶしく見えた。気付いたときには既に博麗の巫女だった霊夢には、巫女がどうあるべきかとか、巫女と人々の関係はどうあるべきかとか、そういう一切がわからない。考えた事も気にしたことも無かった。ただ在るがままに巫女であった。だから、正直に言えば今早苗が言った事も、よくわからない。が、わからないなりに感じることはある。彼女の真摯さであったり、純粋さであったり、そうしたものが妙にまぶしかった。
「ま、いいけどさ。私の仕事増やすような事だけはしないでよね……」
「いいえ、これからは――」
早苗は腰に手を当て、胸をそらして応える。
「守矢神社は博麗神社と同じく、いえ、博麗神社を超える妖怪退治、異変解決の殿堂となるのです。これで霊夢さんがいかに縁側でだらけていようと、人里で顰蹙を買う事もなくなります。信仰も稼げて一石二鳥です」
「妖怪退治なんかで信仰は得られないけどね」
「大変な事になりましたね、霊夢さん。これはアイデンテティーの危機ですよ」
文がなにかよくわからない事を言っている。霊夢ははぁと息をついて、膝まで届きそうな雑草の中でふんぞり返る早苗の姿を眺め、草むしりは明日でいいやと思った。
「ま、楽させてくれるって言うなら、精々頼ってあげるわよ」
(了)
ムラ社会なんかだと、そんなもん無くても内部のやり方で完結する訳で
こうして早苗さんは外で生きていた自分を殺し、幻想郷で新たな自分を構築し蘇った、と
早苗さんて破天候なイマドキの娘みたいな扱いをよく受けるけど、やっぱり世を捨てて幻想郷に来た現代人と言う重さが根っこにあるからあるから好きだな
テンポも良くてよみやすかったです。
霊夢は格好良かったですし、苦悩する文や早苗の姿も良かったです。
事件解決もヘタな甘さがない感じで納得。けどラストは先に繋がる感じと展開も見事。
現世から幻想郷へ来た彼女は、いかにして常識に囚われないようになったのか。今この作品を通して回天す。
苦悩しつつも逞しく生きている少女たちが、とにかく素晴らしいです。
理不尽な危険な立場からどう向き合えば良いか悪いかわかんないけど、思うところあって自主的に向かっていった早苗さんと周りから押し付けられた霊夢と情にかられた文ちゃんの対比が面白かったです
早苗さん頑張れ
言葉にするとなんか矛盾してますが。
大好きです
面白かったです。
創作応援してます。
いつもありがとう。
シリアスものに有りがちな変に堅苦しい部分も一切なく、すらすらと読み進められる(むしろ後をひく)文章構成も「お見事」の一言です。
素晴らしい作品をありがとうございました。
だからこそ適応を求めているんだと思います。
固執、夢中、熱心。
生き甲斐と使命を捜す探求者ですね。もう見つけたけど。
相変わらず素晴らしい作品でした。
でも早苗さん、それをやるには霊夢に等しい強さが要りますよ。
九郎坊はその最期に少女回天の切っ掛けとなり得たのだろうか。
いやはや見事でした。
ただ文の処遇にだけ違和感を感じました
悪事の片棒を担いだ行為を後悔はしてたようですが謝罪もないし慰められてる始末
殺伐とした雰囲気がよかった作品でしたがそこにだけ馴れ合いを感じました
特に文のキャラ付けはかなりお気に入り
今回の小説内の馬鹿氏ね霊夢やクソ文や設定は三流以下のしょぼいです。
GJ
幻想郷はユートピアでもなんでもないんだなと改めて感じさせられた
外から幻想郷が変わることがひょっとしたらあるかもしれませんね。